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春を迎えてその先へ

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春を迎えてその先へ


 虫の一生は短い。
 セミの子や甲虫の系統は未成熟な姿で比較的長い寿命を誇るというが、私たち鱗翅系はそうはいかない。
 そりゃあご先祖様といわれる昆虫様たちとは違ってポケモンであるだけ寿命は長い。
 それでも冬を2度も越えたら自分の終わりが見えてきてしまうわけだ。この半分以上濁った複眼で。

 この年、私にとって生涯三度目の、そしておそらく――ほぼ間違いなく最後の春がやってきた。



 塩辛く、浅く、そしてキラキラ透き通った青い海。進化に使うという水の石を地面いっぱいに敷き詰めてドロドロに溶かせばこうなるのだろうか。
 感覚器にはまだ冷たく刺さるほどの気温しかないが、陽光が海面から照り返して海の上を飛んでいる分には心地がいい。
 悪くなった複眼でも見えてきた。確かにこの島だ。私が幼生のころを過ごしたのは。


 最初の相手は成体になって海を渡った先で出会った同族の毒蛾だった。
 鱗粉の乗り切った齢で数々の雌と卵を作ってきたという彼は、それだけ他者とのやり取りも多かったのか博識だった。
 俺たちも死ぬときは生まれた土地に帰りたくなるもんなんだぜ。人間も、獣も、伝説のポケモンなんて自分の生まれたところで一度死んで生き返るんだ。
 当時の私はまだ何も知らず、彼の言っていることの半分もわからなかったが、今こうして生まれた島に向かっているのだから本当だったのだろう。
 彼の言葉を思い出したのは本当に海の真上になってから。身体の衰えが自分ににじり寄ってきた死神の仕業であると悟ったとき、自然と翅が向いていたのがこの方角だった。
 余談だが、彼とは卵を3つ産んだ。


 この島は火山島。
 裂けるようにできた一本の大きな峡谷はこれまで何度も火砕流に飲まれたが、そのたびに蘇っては緑のトンネルを形成してきたらしい。人間は森の外の狭いところに住んでいる。小規模な農業と少数の漁業、主力は観光で暮らしている。だから鱗翅の幼生が大発生しても数件の農家以外は躍起になって排除しようとしない。
 というのを誰かから聞いた気がする。同じ島出身の蓑蛾が言っていたか、島に来たレンジャーの話を盗み聞きしたか。気のせいかもしれない。
 とはいえ蝶がここに来るのを人間は歓迎してはいないらしい。
 その相手が見目麗しい蝶の延長にいるポケモンでも。蛾のポケモンと同じか、それ以上の攻撃を食らっていた。
 ウールーとエルフーンが混在した群れを率いる少年が、私の姿を認めるや否や上手くもない角笛をひゅうひゅう吹いた。その意味するところは私でもわかる。我々は歓迎されざる存在だということだ。

 最初の番となった毒蛾と別れて、初めての冬を凍えながら過ごす私を暖めてくれたのはこれまた蛾だった。
 ただし蛾といっても私たちのように貧弱な鱗翅ポケモンではなく人間の主力に揃えられるような炎の心を燃す蛾。名を何と言ったか、それはもう思い出せない。
 ただ、彼は私と番う時でも人間に渡し付けられた卵を抱いていた。単に虫のくせに体温がやたら高かったからだ。嫉妬こそせずとも幾分か気分を削がれた記憶がある。
 それでも彼と引き離された冬の日、確かに胎の中では熱い子種が蠢いていた。
 彼とは卵が二つできた。
 彼のように人間に歓迎される仔が孵ればいいと思った。

 ……ん。
 島に上陸できたことでどうやら安心してしまった。ブドウとオリーブの年食った林とくっついた石造りの住処の裏側で一晩休ませてもらったらしいが、どうやら家主は私を追い出すつもりはないか、そもそも気づいてすらいなかったらしい。
 日陰を守るのには飽きたらしいウィンディが大あくびをして私を見る。ほら、早く行けよ。焼き殺されたくないんだろう、と、赤い目が言っていた。ウィンディも単眼が濁りあばらが浮いていて私と同じような立場だったようだが、虫と犬では余裕に差があるらしい。納屋から人間の子供とそれにふさわしいくらいのドッコラーが青いポリタンクを運んできた。
 ああ、中に入っているのは私たちの子供を殺すための薬だ。
 感謝はしないが逃げていく。人間に出会うのはもうごめんだ。
 犬が再び大あくび。まあ好きにすりゃいいさ、と。そう言っていた。
 言葉は通じないがそういっているようにしか聞こえなかった。のそりと立ち上がって人間たちを向こうに率いていく。
 流石はブドウ園を人間と一緒に見てきただけはある。
 西に傾きかけていた太陽が南中線より東にある。ひどい居眠りさんになったものだ。


 目を覚ますと、小さな脳ではあるが、それが覚醒する前に翅が動いていた。ふらふら縄張りを追われた雄のように貧弱な軌道をしているが、翅の向かう先は既に終着点が見えているかのように一点を留めて蠢いていた。
 春の浅い時期で幸いだった。この調子では”敵”に出会ったら真っ先に食われてしまう。
 その日は自分の意識を失う方が夜が来るより早かったが、なんとか人の住む場所から離れた自然界の入り口までは辿り着けていた。

 蝶道

 この島を抉った火砕流の上にできた緑の隧道。空から中の様子を窺うことができないが、かといって光が届かないわけでもない。鱗翅一族の住処であり、鱗翅族同士がお互いに牽制しあう楽園。かなり薄くなっているが蛾の出すフェロモンの懐かしいにおいがする。冬をさなぎの姿で越す動きを我慢した同族の気配もだ。
 たまに覆いを突き破ってくる鳥と、正面から堂々と入ってくる人獣、そして虫を目当てに来る虫、それくらいの部外者は来ることもある。
 腹は減らないが喉が渇く。必要な食糧が減ったわけではなく、体のつくりが合っていないのだ。
 幼生の時に蓄え続けた命の貯金を今吐き出しているということ。この口では実の液を吸えても食べて自分の体にすることはできない。
 薄く陽の差す道の中、繭どものひそひそ話が聞こえる。
 成虫だ。
 成虫。
 先に進化したんだろうか。
 どこで、どうやって。
 姿は見えないが――それにしてもだいぶ視力が落ちたものだ――それだけ生命であふれているということだが、姦しい。どこにいるかは大体わかっている。木の俣や草の影、泥のわく窪地などなるべく目につかないところにいるのだろう。
 自分もそうだった。

 幼生たちが昨季食い散らかした草木は冬でも比較的暖かい気候の恩恵と単純な休息という雌伏の期間を経て春の新芽を青々と芽吹かせていた。
 これなら普通の草木よりも生命力と繁殖力の強い、いわゆる木の実のなる木も育っていそうだ。運が良ければ木の実にすらありつけるかもしれない。


 …
 ……
 おっと。
 間違いない。

 ここで私は死ぬ。それも、ごく近いうちに。

 右翅に急に力が入らなくなり、落ち葉が舞うように空を滑った。

 その時は蝶道を超えて火山の頂を見下すほど高くまで飛んでいた。
 こんな上空まで来ようとした覚えはない。
 人間でいうところの徘徊老人か、ポケモンでいうところのこんらん状態といったところだった。空中を滑りながら落ちて行っても虫の外骨格は意外と頑丈で、その辺の枝に引っ掛かっては減速を繰り返し、最終的に苔むし腐った落ち葉の積もる柔らかい地面へと着地した。
 痛みはない。身体は無事だ、と思う。しかし疲れたのか体が動いてくれない。腐葉土のカビた匂いはこんなものだったか、と、触覚が動く。
 近いうちに死ぬのは間違いなさそうだが、不思議とこのまま死ぬという気がしなかった。身体は動かないが精神は逆に落ち着き払っていてまさか目や触覚では捉えられもしないような周囲の感覚が体の中に流れ込んできた。
 私と同族か、近い種族の子供たち。
 血のつながりはあると思う。ただ、それは虫の視点からすればほぼ他人になるような薄いもの。
 2つも親を隔てればもう他人としか言いようがない。
 やはり、喧しい。
 その日はそのまま腐葉土の枕に日差しの布団をかけて眠った。子供たちの騒がしいおしゃべりを聞きながら。



 しかし、今年この島に戻ってきた成虫は、ここまでの道を往く途中でもこうして子供たちの楽園にたどり着いてでも、私一匹しかいなかった。
 ほかの仲間は望郷の念が薄かったのかもしれない。当然それもあるだろう。自分だって直近まで忘れていた。番に話をされなければ帰ってすらいなかったかもしれない。
 
 やっぱり、帰ってこられなかったんだろうなあ、と。
 ぼんやりとそんな歪な優越感に浸りながら眠りに落ちた。日はまだ高いが体が睡眠を要求してくる。
 何せ食と生殖はほとんど絶たれた身体だ。睡眠欲くらいは大事にしてやらねばなるまい。



 ついに昼間に寝て夜に動くような生活習慣になった。
 動けないのだ。一日の四分の三を寝ていないと。加えて刺激の多すぎる昼間に活動すると、短い脚の一本一本が鉛を鋳固められたようになりまったく飛べなくなってしまう。翅のある虫ともあろうものが地面に這いつくばるなんて皮肉でしかない。
 ともかく蝶の活動時間から蛾の活動時間へとずれ込むことで短い生ではあったがそれまで知らなかったことも眼にするようになった。
 蝶道の中は光がないのだ。生い茂る木々や蔓に覆われて満月と満天の星を以てしてもそこまで光を届けることができない。これには参った。

 私たちの子供たちはこの不利益極まりない夜間をどう凌いでいるのだろうか……と、考えるまでもなかった。私も経験してきたことだ。お互いに身を寄せ合って太陽を待つ。
 力を持たぬ時期の虫としては当然だが、忸怩たる思いはある。

 身体は自然に浮き上がっていた。光もなく当てもなく、ただ何となく障害物があるのは感じられるのでぶつかりはしないが、彷徨い飛ぶ。夜行性の獣もいるだろうが虫の脅威にはならない。鳥も蜘蛛も気配は感じられず穏やかな夜だ。
 と、思っていた。近くに灯を見つけるまでは。

 人間がいる。何をしに来たかはわからない。
 いや、人間だけじゃない。何匹か虫もいる。巣を張れる蜘蛛や肉食の蟷螂や蜻蛉など、強力な奴らが。
 成虫二年目になってから、人間に仕えた蝶と番ったことがある。彼は人間は理性があるから必ずしも”敵”ではないと説いていた。彼自身が卵のときから人間のものだったからというのもあっただろうが、彼はこれまでで一番知性を感じた。蝶にも哲学者はいるのだと感心した記憶がよみがえる。
 彼とは卵はできなかった。彼は蛹にならない種族だったから繁殖面で相性が悪かったのだろう。代わりに、人間が考えるようないくつかの強力な自己防衛術と他者への攻撃術を伝授してくれた。
 それはいい。今大事なのはこの人間が”敵”かどうか。
 結論から言えば、この時点で敵対はしなかった。

 人間が引いていったからだ。はやる肉食虫どもを窘めて。在来の全てと言っていい鱗翅は蛹になっている中で、一匹だけ成虫になっているものだから私を見て驚いたような顔をしていたが、美味しそうな死の匂いをぷんぷんさせているとわかってから興味を失ってくれた。
 真意は分からないがともかく命は拾った。人間指揮下の肉食昆虫を同時に二匹も相手にして生還するなんて、よほど運がないと不可能。そして、私は運があった。
 誰一匹帰ってこられなかった、私の義兄弟姉妹を含めて、一番の。


 春は半ばを超え、ついに朝でも暖かく、昼間に至っては初夏を思わせるほどの陽気を晒し、子供たちの進化を促してくる。
 その日は夕方に起きて木の実を見つけた。自分の口吻でも刺さるくらいに熟した、やわらかい木の実。
 幼生の時に蓄えた生命力の残りを辛うじて食いつぶしているような状態だが、それでも当座の口吻を湿らせるものはありがたい。
 今日はとても調子が良かった。昨夏の――そして最後の番だった蛾は、虫は死ぬ前に一度元気になると言っていた。ヒトモシが命の最後の一滴を吸い取ったとき、一番大きく燃え上がるのと同じ理屈だと。
 そして、自分は砂地の育ちだと言っていた。
 私たちの仲間の中には逆に鳥を狩る強者もいると教えてくれた。
 つまり、彼は捕食者に立ち向かって恐らく食われた。私と卵の身代わりに。
 さて、こんな話を思い出したのにも理由がある。夕方、空から黒い何かが降ってきた。錐揉みする流線型に正装たる燕尾。青葉から透ける薄い西日に照らされ黒い肢体が艶めかしく浮き出していたが、翼が毟られ頭部が剝げた墜ちる渡り鳥は明らかに傷ついていた。
 まず、単独である。次に、まだ幼い。
 より大型の捕食者や人間に襲われ仲間とも逸れ、何とかかんとかここまで逃げてきたというのが見て取れた。地面に激突する寸前で息を吹き返し、機首を上げて何とか着地した。
 そして、何かを探している。……餌だ。体力回復のための。
 この哀れな渡り鳥に一匹くらい虫を食わせてやるのが自然の摂理というもの。これだけ虫の子がいるのだから、その鳥もすぐそれを見つけるだろう。
 ところが思い浮かんだのは全く真逆なこと。虫の本能からすればこれが正しいのかもしれないが、もう判断力も衰え切っていた。

 例えこの行為が自然の摂理に反していようとも。
 子供たちを食べさせたくない。

 迷わず傷ついた渡り鳥の前に出た。渡り鳥は一瞬びっくりしたようだが、すぐに体制を立て直す。
 当然だ。これから未知の森林に飛び込もうとしていたところで目の前に瀕死の餌があらわれたのだから。自分は幸運に恵まれたと解釈するだろう。
 渾身の蝶の舞は鳥を翻弄し、銀色の風は今まで見たこともないような威力で景色を切り裂いていった。
 死に際の渾身の力はこんなものなのかと妙に納得し、鳥の反撃を受ける。傷ついた翼では相性が悪くても効果は半減。
 手負いの鳥対死に際の蝶はまさに命を燃やす決戦となった。
 


 鳥は逃げて行った。ここまで頑強に抵抗されてまで捕食するのは割に合わない、自分も傷ついてはいるがまだ動ける、成虫がいない、もっと安全な狩場まで逃げていこう、そんな意思が見られた。
 そして、これが本当に最後に残された寿命だったらしい。
 勝負には勝ったというのに敗北したかのように糸が切れた。受け身は取れなかった。
 一つ、そうかあ、と――すっかり日の落ちた島の真ん中で、ぽつりと零した。

 
 ……
 …………
 ………………どれだけ死に損なっていただろうか。目の前が明るくなる。いや、何も見えてはいないのだが、明るくなるのだけははっきりと感じた。
 夜明けだ。

 今まで島に守られ、緑に育まれ、冬の間をじっと耐え忍んできたカラサリスとマユルドについにその時が訪れた。
 この日、夜明けすぐに火砕流によってできた谷の、ちょうど東側の切れ目から太陽がのぞく。

 もう目が見えない。
 しかし不思議なものだ。
 次々に繭から解き放たれたきらびやかな蝶や蛾が羽を突き出し飛ぼうとしている光景が光を失った複眼の下に再生される。音ももう聞こえていない。ただ、確実にそれを感じることはできた。
 間違いない。この光景は一度見たことがある。記憶の遥か彼方に消えた幼生も幼生の時代。しかし今こうして同じ状況で再生されている。
 道に絶えることなく、食い荒らしに来た鳥すら追い返す勢いで、百万の色を持つ翅が渦を作り飛び出していく。色の素となる太陽の光と、自分たちが放つ進化の光。それが丸く覆われた空間で一つの大きな流れになり、生きた万華鏡に成虫になった喜びを乗せて。巣立っていくのだ。私たちがかつてそうしたように。
 人間や他の虫の気配も感じるが、些末なことだ。きっとこの一大イベントを見守りに来たのだろう。
 この光景を見届けるために私は最後まで生き残らされたのだと、擦れる意識の中で覚醒した。

 さあ、行っておいで。


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Last-modified: 2021-05-04 (火) 00:41:34
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