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新緑の葉は初めての

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・♂×♂、微エロ

新緑の葉は初めての 


「聞いたかい、オノノクスの兄ぃさんや。最近森に来たっていう新しい研師のこと」

 巨大な森と大海原の分かれ目、水棲と陸上の交流場である中州の一角で、岩に張り付いたカメノテがせっせとオノノクスの両牙を研ぐ。その最中に持ち掛けられた世間話の内容に興味を示した竜の青年は、鸚鵡返しでそれに応えた。

「新しい研師? 岩族か」
「いやそれが、なんでも草の子らしくてねえ」
「……ほう」

 鋭い牙や爪、外骨格を持つポケモン達を手入れする研師は、それ相応の硬度を持つ形質を誇る岩・砂属性の者達と相場が決まっている。なので俄然、斧竜は新しい草の研師に興味が湧いた。

「珍しいな。どこに行けば会えるんだ?」
「北側の、ちょうど森と岩山の境界に小さな川があろう?」
「ああ、いくつか思い当たる場所がある」
「鳥の子から聞いた話だと、そこらに住み着いとるらしいぞ。お前さん達が暮らす深奥部から遠いし、何よりも山の反対側にはヒトの集落があるから、あまり寄り付く者はおらんらしいがのう」

 研磨の作業の仕上げにカメノテが水で牙を注ぎ終わると、どこからともなくモンメンが飛んできて身体の綿で刃を丁寧に拭う。水気が消えた双斧を太陽に照らせば、見違えた光沢がきらりと美しい。

「いつも良い仕事をするな。ほら、礼だ」

 竜がモンメンに渡した木の実の数を見て、カメノテが不思議そうな視線を投げかける。

「いつもよりちと多いが……」
「情報料さ。それに、当分来れないかもしれないしな」
「ほぉー、行ってみるのかい。ヒトに見つからんよう気ぃつけなさいよ。捕まったら大変だからね」
「それなら、心配ない」

 じゃあなと挨拶一つ残し、竜の青年は森の中へと帰って行く。
厳しい冬を乗り越えて暖かな陽気を迎えた木々は、少しずつその緑を覗かせていた。


「いやぁ助かった、オノノクスのあんちゃん! やっぱおめーがいると百匹力だよグハハハハッ!!」

 オノノクスが水辺へと丸太を運んでいくポケモン達を眺めていると、リーダー格のビーダルがその尾をビシバシと竜の背中に打ち付ける。端から見ると巨躯の斧竜に喧嘩を売る自殺行為にも見えるが、竜はこれが彼らなりの感謝の表現だと知っていた。

「あんちゃんが木をバンバン切り倒してくれるおかげでこの森も安泰だよ。そういや、おめーさんどっから来てんで? オノノクスなんてここいらじゃイーブイくらいに珍しいもんじゃないか」
「……遠いところからさ。仲間と鍛えながら旅をして、一人になって、ここに居着いた」
「ほぉー。お仲間さんもおたくと同じで、さぞや強ええんだろうな!」
「ああ……良い奴らだったよ」

 言って竜は立ち上がり、爪で斧の刃をなぞる。前の研磨から幾日が経ち、伐採作業などで切れ味が鈍くなっていくのを薄々感じていた。

「お、行くのかい。世話になったから木の実たらふく持って行って良いぞ!」
「すまんな、研師に渡す分も貰っていくぞ」

 昼食用に積まれた果実の山から房に付いたものを選び取ると、その足で山へと向かっていく。
道の途中、遠くからビーダルに心配した様子で呼び止められた。

「おおいあんちゃん、そっちは中州じゃねえぞ!?」
「いいのさ、山に用がある!」

 手を振って答え、そのまま山へと続く小道を登っていった。


 山おろしの冷風に当てられるせいか、オノノクスが活動する森の中心部と比べ麓の山林は防寒気味で緑が薄い。
 川に出てから上流を目指し歩を進めているものの、森の者が滅多に立ち寄らない場所であるからこそ、道なき道を切り拓いて登っていく他無い。カメノテは鳥ポケモンから研ぎ師の噂を聞いたというが、確かに翼無き獣がこんな森外れまでやって来るとは相当な物好きだ。

 いくら鍛え上げられた体幹とは言え、長時間も足場の悪い山道を歩き続けると心も身体もくたびれる。その研師というのがよほどの凄腕でない限り、二度と来る気は起きないだろう。
休憩がてら手に持った木の実をいくつか食べようと、あたりを見渡してちょうど良い岩場を探す。やがて遠くに見えた段差状の小さな滝に大きな岩がせり出しているのを認め、足取り重くそこへ向かおうとした時だった。

(匂い……?)

 風上からふわりと、緑の香りが流れてくる。だが森の植物に詳しいオノノクスでも知らないものだ。
甘いようでクセがあり、それでいて飽きない凜とした匂い。

(いい……香りだ)

 滝の上に珍しい花でも咲いているのだろうか。
より間近で嗅いでみたい一心から、疲れを忘れて岩がちな斜面を登る。
ようやく滝の上に出て目的地の大岩までたどり着けば、そこには既に先客がいた。

 滝に掛かる苔のむした一枚岩の上で、練色の身体がだらしなく仰向けに横たわる。野生のポケモンとは露とも思えぬ寝相で、しかも降り注ぐ純陽の温もりがよほど心地よいのか竜が枝葉を押し退けて岩に寄っても起きる様子がない。
身体の一部が若葉のような形質を発現しているこの種族を、彼は知っていた。

(リーフィア、か)

 熟睡しているそのポケモンを近くで観察してみれば、手先の栗色の被毛はまだ色が薄く骨格的にも細い、ずいぶん若い個体のようだ。一目見たときは雄か雌かも判別できなかったが、広げられた股から見える小ぶりな鞘と袋は斧竜と同じ性別であることを示す。それにしても、誰にでも目に付くような場所でここまで無防備に寝られるヤツというのは、野生のイーブイに出会うよりもよっぽど珍しい。
 奇異な目で眺めていると、山からの吹き下ろしがピタリと止む。そして再び漂ってきたあの芳香が、オノノクスの鼻先に届いた。

(この仔は……)

 匂いの元は花でも樹木でもなく、目の前で眠りこけるこの少年らしい。横に座って顔を近づけると、まだまだ丸い横顔からささやかな寝息が聞こえてきた。僅かに開いた口からは、幼い犬歯がちらりと覗く。
 可憐な姿から匂い立つ薫香を更に堪能しようと、リーフィアの横に手を付いて身を乗り出した時だった。
少年の眼球が瞼越しに動いたかと思うと、眼を閉じたまま手足をめいいっぱい突き出して伸びをする。そのまま顔を空、というより竜の正面へ向け、ゆっくりと瞼を開いた。
 アンバーの眼が、黒き瞳と行き交った。

「ーーう゛ぉっ!?」

 ……およそ可憐さとはほど遠い奇声を発して跳ねるリーフィアを眺める。びっくりすれば本当に飛び上がる奴がいるんだなと、口元を緩ませながら。
 訳の分からないまま腰を落として臨戦態勢になるリーフィアを落ち着かせるために、青年は微笑を含んだまま挨拶を投げかけた。

「おはよう、ずいぶん気持ちよさそうだったな」
「えっ、あっ、おはよ……え、誰?」
「誰って、この森の住民だ。外から来た奴が野垂れ死んだようにぐーすか寝てたから、気になってな」
「えっと……住民てことはここが縄張りってこと? 邪魔なら僕、どっかに行くけど」
「……まあ、そうだな。縄張りさ、ここは。みんなの、な」

 房に付いた木の実の一つ、爪先で器用にちぎってリーフィアの足下に置いた。
怪訝そうにオノノクスの一挙手一投足を見守った草の少年は、その意図を確かめる様に竜と黄色の実を交互に見つめる。

「遠慮するな。腹減ってるだろ?」
「……なんでわかったの?」
「そりゃあ、ほっぺたに寝癖が付くほど昼寝した後は、なんか食いたくなるだろからさ」

 言われてようやく気が付いたのか、リーフィアは慌てて右の頬毛をぐしゃぐしゃと手櫛で解していき、数秒後には満足したのか木の実へと向き直る。
寝癖はほとんど残ったままなのだが。

「……いただきます」

 小さな手で黄色の果実を抑えつけると、最初は小さな一口で齧って確かめるように咀嚼する。毒見の結果は合格らしく、それどころかお気に召す味だったのか二口目からは勢いが増していく。夢中で実を頬張るリーフィアを横目に、オノノクスも食事を始めた。

「それで、はらぺこリーフィアくんはどこから来たんだ?」
「ひふぁふぉふぉお」
「……北の方ってことは、山を越えたのか。ならお前、人間のポケモンか?」

 人間という単語を聞いて、小さな身体がびくりと震えた。咀嚼していたものを飲み込んで、取り繕うように言葉を並べる。

「ち、違うよ。僕はその……野生のポケモンだよ」
「……ふーん」

 ずい、と竜が強面を少年に肉薄させる。クリーム色の小さな身体が強張った。
反射的に呼吸を止めたリーフィアとは対照的に、オノノクスは深く息を吸い込む。

「"野生のポケモン"は、こんなイイ香りをそこら中に振りまいたりしないんだぜ」
「いい香り?」
「ああ……香水か何かをつけてもらったんだろ。どこのブランドだ? お前の主人とは嗜好が合いそうだ」

 オノノクスの話す内容にまるでピンと来ていなかったリーフィアだが、ふと何かに勘づいたように耳の角度がぴくんと上がる。

「たぶんそれ、僕の匂いだよ、ほら!」

 少年は突然後ろ足で立ち上がると前足を竜の甲殻に乗せ、ずいと頭頂部の一葉を竜の鼻先に押し付けた。
彼の存在が濁流にように鼻腔から脳を貫いて、顎骨から両斧に染みわたり、そして――

「——ッ!!」

 竜は咄嗟に、だが成る丈優しく両腕で少年の身体を押し返し、自身も数歩退いて距離をとった。
しばらくオノノクスは鼻全体を掌で覆うが、次いで小川の中に顔面を突っ込むと、手の甲を使い必死で付着した香りをこすり落とす。
やがて息が続かなくなると水面から顔を持ち上げ、天に向かって大きく呼吸した。新鮮な空気が肺に満ちる。

「大丈夫?」

 横を見るれば、無邪気な笑顔から打って変わって心配そうな上目遣のリーフィアが。

「ご、ごめん。そんなにイヤがるとは思ってなくて。ホントにごめ……わっ!?」

 辛気臭そうな表情で謝り始めたリーフィアの顔面目掛けて、オノノクスが爪でぱしゃりと水を引っかけた。

「イヤではないさ。だがどんなにいい匂いでも、薬でも、濃すぎると体に毒だ。隣に居るくらいの距離なら問題ないが、直だと刺激が強い」
「ごめん……いい匂いって言われたの初めてだったから」
「……そうなのか?」
「うん。変わってるとか、植物っぽいとかはよく言われてたけど」

 ふーん、と。鼻声で相槌を打ちながら小川から岩に登れば、甲殻の合間を縫って滴る水が緑苔へと吸われていく。
ずぶ濡れになった竜を見上げていたリーフィアは、何を思い出したかすっくと立ちあがった。

「待ってて、拭くもの持ってくるから」

 言うや身軽にも小川を飛び越えて、近くの木陰の茂みの中へ。
革製の鞄を咥えながら戻ってくると、岩苔の上で中身を広げて白い布一枚を取り出した。

「はいこれ、綺麗なやつ」

 軽く礼を言って、差し出された布で身体の水気を拭きとっていく。材質はワタシラガのもので、子供が持つにしてはやや高級品だ。他にどんな物があるのかと鞄の中身に視線をやると、何かしらの用具らしきものがいくつか見える。どれもオノノクスが知らないものばかり。

「色々持ってきてるんだな。何に使うんだ?」
「ああ、これ? 研草とか、研磨剤とかだよ。ポケモンの甲羅みたいな硬い部分にこれ塗ってこっちで擦ってあげると、すごい綺麗になるんだ」
「——は?」

 思いもしない返答で完全に虚を衝かれ、身体を拭く手をぴたりと止めると、道具を鞄にしまう少年を凝視した。
確かに、草木系のポケモンであるし、山の小川で出会ったが――。

「お前、何日前に鳥か何かと話したか?」
「ええっと、随分前だよ。二週間前くらいかな? アオガラスのおじさんにアーマーガアになったら鎧を磨いてあげるって約束したんだ。そしたら僕の事を紹介してくれるってさ。だーれも来てくれたことないんだけどね」

 ——間違いない、カメノテが言っていた新しい研師というのはこの仔だろう。初見の職人ということである程度は覚悟していたが、この若さというのは予想外だ。
 リーフィアはどうしてそんなことを聞くのかと言いたげな顔でオノノクスを見上げていたが、何かを察したのかパッと表情が明るくなった。

「もしかして、お客さんだったの!?」
「ああ、いや。まあ……そうだったが」
「ホントに!? やった! 僕さ、その斧のてっぺんがギザギザしてるのずっと気になってたんだ! 待ってて、準備するね!」
「お、おう」

 正直なところ非常に不安だった。あのような子供にカメノテが誇るような老練の研技が備わっているとは到底思えないし、施術に使われるであろう道具も全く以て未知の物。
それでもこの流れに水を差さなかったのは、あの素直な喜びの破顔を崩すようなことをしたくなかったからであり、何よりも。

(あの匂いに包まれて手入を受けるのも、悪くないかもな)

 しばらくして準備が整ったのか、小川の際に影を差す背の低い樹木の下から呼び声が掛かった。
使った白布を畳みながら木陰へと行き、手先で示された木の根元にあおむけで寝転がる。その脇には道具類が丁寧に並べられ、竜が渡した布もその列に加わった。

「じゃ、始めるね。くすぐったかったりこそばゆかったら言ってね」

 何がどう違うのかを教えてくれよと言う冷やかしが喉まで出るが、真剣な目つきになった少年を見て言葉を飲み込んだ。
最初に水を含ませた蔓の鞭を使って左斧の汚れを丁寧に落としていくと、次に幅広の乾燥葉を前足で押さえて水を交えながら鑢を掛けていく。
往復の間隔は一拍もずれることがなく小気味良いリズムを刃から顎骨へと響かせる。そしてリーフィアが揺れるごとに漂う、あの芳香。

(これは、良いな)

 風息の抑揚に合わせて枝葉が騒めき立ち、小滝の岩を打ち滝壺に泡立つ清音が遠くに流れ、研水と摩耗の静かな音が耳を撫でる。
少年の作業を見守ろうとしていたオノノクスであったが、次第に増す瞼の重みに耐えきれずに閉じてしまう。
嗅覚でリーフィアの存在を感じつつも、やがては微睡の世界へと意識を委ねた。


 夢すら立ち入らぬ熟睡から覚めると、アンバーの瞳と目が合った。

「バア! ……えへへ、仕返し」

 至近距離でにんまりと笑うリーフィアを数秒眺めた後に、その鼻面をコツンと鼻先でつついてやった。
面白い様に飛び上がった少年を尻目に、むくりと巨体を持ち上げる。

「百年早い。顔が真っ赤だぞ」
「~~っ!!」

 全身の毛を目一杯逆立てて怒るリーフィアがどうにも可愛くて、そのまま続けざまにからかおうとした時だった。
赤みを帯びつつある斜陽を受けて、片側の斧がきらりと光った。それを確かめるように首を振って日光が当たる角度を変えると、艶めかしく紅と漆黒に輝く。
砥石で磨かれた鏡面のような光沢とは違う、独特の色艶がオノノクスの心を奪った。

「ハハ、ハハハッ!」
「なんだよ、ずるいぞあんなの!」
「いや、違う違う。感動してるんだ、お前の腕前に」
「……ホント?」

 斧竜の感嘆を聞くや、耳まで真っ赤にして距離を取っていたリーフィアはきょとんとした顔になり、そして全開の笑顔でオノノクスの足下に駆け寄った。

「どんな色合いにしたら良いか分かんなかったからさ、深い色が出るようにしてみたんだ! 牙の内側が黒っぽいから、そっちの方がいいかなって」
「ああ、大正解だ。だが、起こして聞いてくれても良かったんだぞ?」
「んー。すごい寝てたから、邪魔したらダメかなって……」
「……フフッ」

 頭を撫でる代わりにリーフィアの右頬へ手を伸ばし、未だに残っている寝癖を爪先で器用に梳いてやる。少年は一瞬戸惑ったものの、気持ちよさそうに目を細めた。
そのままさらに甘やかそうと竜が右腕を伸ばしたが、リーフィアは何かに勘づいた様子で慌てて太陽の方角を確かめる。

「やば、今何時?」
「時刻は……分からんが、随分夕暮れが近いな」
「ごめん、僕そろそろ帰んなきゃ。ちょっと長く居すぎたかも」

 オノノクスが寝ている間に既に片付けは済ませていたのか、鞄を咥えて背中に回し、口と前足を使って動きやすいようにベルトを調節する。
さよならの身支度を整えたリーフィアにオノノクスが房を拾って近づくと、枝の中間点で折って長い方を少年の鞄に差し込んだ。

「え、僕もう食べたよ?」
「頑張った分のご褒美さ。家族と一緒に食べるといい」
「えへへ、ありがと。みんな甘い系好きだから喜ぶよ!」

 じゃあまたね、と。短い挨拶一つ、リーフィアは岩々を飛び越え山の方角に駆けていく。
子供ながら随分鍛えられているんだなと感心していたオノノクスだったが、肝心なことを聞きそびれていたことを思い出した。

「待ってくれ! 次はいつ会えるんだ!?」

 既に遠目に見るほどの小ささになったリーフィアめがけて大声を張り上げる。動作が止まったところ見ると、どうやら気が付いてくれたようだ。

「にちよォーびーーッ!!」
「日曜日!?」
「うん!! バイバーイ!!」

 言うやいなや山影へと消えていった少年を見送ると、竜は一匹、呆れて笑った。
今日は何曜日なのだろうか。


 あれから7回、陽の昇り降りを繰り返す間に、山おろしは大人しくなった。滝の周りもすっかり緑がひしめい合い、所々に花も見える。
いつものように木陰でうとうとしていると、待ち望んでいた気配が山の方から忍び寄ってくる。そのまま狸寝入りを続けていれば、獲物が後ろから蔓で両目を塞いできた。

「だーれだ?」
「……」
「あれ? ……うわっ!」

 うかうかとこちらの様子をのぞき込みに来た若葉付きの毛玉を、両腕でがっちり捕まえる。
両脇を抱えて同じ目線になるように持ち上げると、後脚がぷらんと垂れ下がった。ふわりと、あの香りが立ち込める。

「もーずるいってば! ……あれ、怒ってる?」
「怒ってた。けど、どうでも良くなった」

 爪先で傷づけぬように頬を揉むと、少年らしい柔らかな頬はよく伸びた。
そのままゆっくり黄土色の腹に降ろし、道中の汚れを落とすために毛繕いを初めてやれば、リーフィアは気持ちよさ気に身体を預けてくる。
この幸せな空間に比べれば、「日曜日」が分からずに7日間休まずこの場所に足を運び続けた苦労など微々たるものだ。
……。

「いてっ! それ抜け毛じゃないよ! 」
「すまん」
「ねーやっぱ怒ってるでしょ! 僕なんかした?」
「怒ってないさ。ほら、前向け」



 毛繕いが終わり、研磨の番。
少年は前と同じように青年を木陰に寝かせると、道具を広げて作業を始める。
その行程を一部始終、オノノクスは見守っていた。
作業が進むごとに葉の種類を変えて研ぎ、次に何かの粉を皮に塗って磨き上げ、最後には自らの肉球で擦って艶出しをする。
そうして出来上がった業物は、以前よりも更に美しく思えた。
 
「なあその研ぎ技、どうやって身につけたんだ?」
「それはきぎょーひみつ」
「あっそう……。"野生の客"は俺が初めてだったのか?」

 質問を投げかけた途端、片付けをしていたリーフィアの手がぴたりと止まる。
彼の表情に影が差すのを、オノノクスは見逃さない。

「ううん。別のところでも一匹、お客さんの爪を研いだんだ。そのポケモンが最初だった。……初めはね、仲良くおしゃべりしながらやってたんだけど、僕、途中で変なこと言っちゃって」
「変なこと?」
「うん。それですごく怒っちゃって……」
「……そうか」

 少年のしょげた背中をそっと撫でてやると、垂れていた耳が少し元気を取り戻した。


 次の「日曜日」にも会う約束して別れたが、その週は雨勝ちな日が続いた。
オノノクスは雨脚が遠のいた頃合いを見て森で伐採作業を進めていたが、昼頃の小雨から一転し、夕方には土砂降りとなって竜の甲殻を打ち付ける。
他の木こりが諦めて帰った後も一匹で作業を続けるも、雷鳴を帯びた暗雲が広がるのを見て、流石に切り上げざるを得なかった。
 帰路につけばいよいよ本降りとなって、真夜中のような暗闇の中で四方から雨風に殴りつけられる。そんな過酷な環境の中で、あるはずのない匂いがした。

(まさか……)

 滝の場所でも、ましてや約束の日でもないのに。だが僅かな可能性から導かれる最悪の結末を危惧した斧竜は、本来ならば相手の隙を確実に突くための技法を応用して感覚器官を研ぎ澄ます。やがて見つけた微かな匂いの痕跡を追いかけると、木の洞の中に蹲る一匹が。

「リーフィア!」
「オノ、ノクス?」

 急いで駆け寄り、濡れきった身体を抱き上げる。泣きはらした赤い眼は、まだ潤んでいた。


 リーフィアはオノノクスの巣穴の焚き火で暖を取っている間もしばらく泣き続けていたが、やがて落ち着いたのか訥々としゃべり始めた。

「ごめん、僕、ホントは野生じゃなくて、ご主人様がいるんだ」
「知ってるさ」
「えっ?」

 少年は驚いて顔を上げ、隣に座る竜を見る。

「いつから?」
「最初からだ。日曜日って、野良がカレンダー持ってると思うか?」
「……あ、ごめん」
「いいさ。で、なんで秘密にしてたんだ?」
「……最初のお客さんの話、覚えてるよね」
「ああ、変なことを言って怒らせた客か」
「うん。その変なことっていうのが、僕が人間のポケモンって言ったことなの」

 言葉尻が鼻声で濁る。

「そう言ったら、そのポケモン凄く怒って、怖くなって……。だから人間と一緒ってこと、隠そうって」
「野良だと人に警戒心持ってる奴は少なくないが、そこまで極端なのは滅多にいない。運が悪かったな」
「オノノクスは、人間嫌いじゃないの?」
「ああ……昔、人と旅をしてたからな」
「旅?」
「色んな場所に行き、たくさんのポケモンに会い、戦った。だけどバトルが重なる時期があってな……区切りが付いた後に、一人でこの森に入った。何年も前の話さ」
「そっか……」
「……お前は何で、こんな雨の日に森へ来たんだ? 反抗期って歳でもないだろ。そんなに俺に会いたかったか?」

 焚き火の横にある小枝を弄りながら冗談を言うが、改めて少年に向き直ってもそこに笑顔は無く、斧を研ぐときのような真剣な眼差しで竜を見つめていた。

「会いたかった……もう会えないって思ったから。明後日に飛行機で他の国に行くんだって、急にご主人様が言い出して」
「……」
「お別れを言いに行きたかったけど、エイダが外に出ちゃダメだって言って……」
「……エイダ?」
「僕のご主人様。何で出ちゃダメなのか聞いてもはっきり答えてくれないし、さよならも言えないのは寂しいから、こっそり家を抜け出したんだ」

 黙って家出るのドキドキしたよ、と無理に笑ってみせるが、目尻から流れる雫は止まらない。
竜は後ろから手を回してリーフィア背中をさすりながら、空いた手で枝を火に焼べる。
ぼう、と。竜の目の前で火が音を立てた。

「でももう寂しくないよ。ちゃんとホントの事言えたから……でもね、あと一つ、秘密にしてたことがあるんだ。ねえ?」
「うん?ーー」

 リーフィアに呼ばれて振り向いた途端、柔らかな唇が竜の口先に重なった。
数秒間、お互いの息が止まった。やがてリーフィアが口を離し、未だに目を丸くしたままの竜を見てしてやったりと微笑んだ。

「えへへ、びっくりした顔初めて見た」
「……なら、俺の秘密も見せてやる」

 小さな身体を押し倒し、桃色の唇を口で塞ぎ、歯の隙間から舌を滑り込ませる。
僅か十秒足らずのディープキスも、初心な少年を茹で上げるには十分だった。

「エイダが外に出してくれなかった理由、知りたいか?」

 荒い呼吸で上下する小さな胸に鼻先を押し込むと、大きく吸い込んで香りを肺に満たす。
最初に葉を嗅いだ時以上の衝撃が、脳天から尾先まで貫き通った。

「お前が初めての春を迎えたからだよ」

 ここにはもはや、本能を抑える小川も理性もありはしない。竜はより強く麝香を発する場所へと、滑つく舌を伸ばしていった。
 豪雨は一晩中荒れ狂ったが、朝になるとピタリと止んだ。雲一つ無い青空が、山を横切る影を見おろしていた。


 「はーい皆さん注目!!」

 翌朝、山を挟んだ人の村の公園で女性のトレーナーが手持ちを集合させていた。その中の一匹にリーフィアがいる。
昨日の激しい夜で気絶してからと言うもの、どうやって主人の家のソファーまで戻ってきたかまるで記憶に無い。
寝ぼけたままブランケットから這い出ると、主人の足下まで駆け寄った。

「明日からいよいよ遠征ですが、なんと私の元スタメンが一緒に来てくれることになりました~イエーイ。はいハルくんあとはよろしく~」

 雑に上へ放られたボールが割れる。一匹の竜が地に降り立つ。

「オノノクスのハルバードだ。ハル、と呼んでくれ。ようリーフィア、寝癖が付いてるぞ。経歴はヒヨッコのエイダをチャンピオンにしてやったことくらいだな。その後はーーう゛ぉっ!?」

 オノノクスはリーフィアの体当たりでおよそ殿堂入りとは思えぬ奇声を発しながらも、その小さな身体を優しく抱き寄せる。ちょっと意地悪し過ぎたかなと、その口元を緩ませながら。


あとがき

 大会をしていたので小説をはじめて書いてみました。けれども全然1万文字に収まらずに行き詰まって金曜日に一から書き直すことになったり、ぎりぎりで投稿するときbot認証に「お前は人間じゃない」と言われたり色々大変でした。ですが好きなポケモンを表現する時間はめちゃ楽しかったですし、いい経験になりました。
 
 正直見返すのも恥ずかしいのでこのまま消えるつもりでしたが、頂いたコメントにはお返事はしておきたいなと思いあとがきは書くことにしました。

・爽やかBL! (2021/05/01(土) 23:51)
 投票ありがとうございました。コメントを見て初めてこの作品がBLって事に気が付きました。ケモホモ書いたつもりだったんですけれど、言われて見返すと確かにBLですね。でも喜んでもらえて良かったです。

・登場ポケモンの描写が魅力的で凄く好きです。リーフィアの匂いの気持ち良さも、読んでいて凄く想像が膨らんで楽しかったです。最後の〆も良かったです。 (2021/05/01(土) 23:58)
 ありがとうございます! 文字数制限の為に色んなシーンをばっさりカットしたのですが、リーフィアに関する描写だけは極力残しておいたので、そう言っていただけて嬉しいです。ラストも文字数を調節しながら頑張ってねじ込んだ部分ですので、気がついた方がいて良かったです。

 全体的にちょっと駆け足気味になってしまい書きたかったえっちなシーンが全然書けなかったので加筆修正をしようとは思ってます。が、wikiの使い方がまだよく分かっていなくてスマホからだと編集が結構難しいのと、GWが終わって忙しい日が続くので、本格的な修正は夏休みにもつれ込むかもしれません。


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Last-modified: 2021-05-07 (金) 20:54:24
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