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敵意の水面に虹を架ける・後編

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・この拙作は、同じく拙作の泡沫のガールフレンドについての直接的な続編です。また、この拙作の前編として敵意の水面に虹を架ける・前編があります。前作で描写したものに関しては意図的に省いている部分があります。
・年齢制限を設けるほどの描写は含まれておりませんが、何をお読みになっても楽しめる方向けのものです。
・2021年9月30日、後編完全公開。



 「ぼーる」の中から出る前から、外がなにやら賑やかな事は私の耳に入っていました。大方、親方様はニンゲンの中で多くの者から敬われる方ですから、その類かと見当を付けていました。しかし、少し事情が違っていました。
 私が「ぼーる」から出ると、そこは見慣れた「じむ」の小池でした。宙で「ぼーる」の中から出て、すぐに小池へと着水しました。「じむばとる」かと考えましたが、それにしては水の外が賑やかでした。親方様を親方様とする「じむばとる」は厳かな雰囲気に包まれたものが多いですし、親方様にとって晴れの舞台である「りーぐばとる」は「じむ」で行われません。
 私は縦に長い「じむ」の小池の短い岸に近い場所で水に入り、私と同時に対岸の手前にも何者かが落ちてきました。

 その正体はすぐに分かりました。「ナヌム」と呼ばれるニンゲンに付き従う、キングドラの「ブルーム」です。ブルームと私は、父は異なりますが血族で、幼い頃の私は親方様に引き取られ、ブルームはナヌムのポケモンになりました。

 親方様の相手はナヌムで間違いないようです。おそらくは、「とれーにんぐ」と呼ばれる鍛錬の一環でしょうか。それにしても、不可解ですが。
 普段から親方様の「とれーにんぐ」の相手は主に「じむ」の人間ですが、「じむ」以外のニンゲンを入れる事はほとんどありません。それは「じむばとる」の時だけ。もしくは、他の場所で行われる「りーぐばとる」の際に限られます。
 なにやら特別な事情を感じます。しかし、私が為さねばならない事は明白です。「ブルームに勝つ」。それはいかなる時でも、絶対に揺るがない目的です。

 そのブルームは着水してから私を見るなり、長い口の先を歪ませて笑いました。私と同じ血が流れているとは言え、私とブルームの性根は幼い頃より噛み合った事がありません。
 それ故に「ブルームより強くなりたい」という願いが芽生え、親方様のポケモンの中で次鋒を務めるまでに成長しました。しかし、私がクズモーからドラミドロへ移り変わったように、ブルームもタッツーからシードラを経てキングドラへと変貌しました。

「誰かと思えば、ギルティか。今日こそ妾か其方(そち)、どちらか上か決める時じゃな」

 口だけではなく両方の目まで歪ませて私を見下すブルームに、私は胸鰭の役割を持つ長い皮弁の片方を自分の口に当てて睨み返しました。
 これは私がブルームに行う挑発の常套です。ドラミドロは胸鰭と尾鰭の代わりに皮弁が持ち合わせますが、キングドラは短い背鰭のみです。

「口を慎んで頂きたいですわ、ブルーム」
「其方こそ、その汚らしい皮弁で言葉も隠せばよいものを」

 売り言葉に買い言葉ですが、私たちはこれで良いのです。竜の力は怒りによって増大します。これは私たちにおいて仕来りの様なものであり、これがなければ相手を下したとしても「本来の力を出し切っていなかった」と満足は得られないのですから。
 口では罵言の応酬ですが、親方様とナヌムがそうであるように、私は内心でブルームを一体の竜として尊敬の念を抱いております。私もそうでしたが、ブルームもキングドラとして母親を経験したポケモンですから。
 互いに我が子は他のニンゲンに引き取られ、残った私たちは互いに付き従うニンゲンの下で強くなり続けます。それが私とブルームにとって何よりの幸せです。子を残せた以上は、余生は自分の為に使うものですから。
 竜はこの世界において、神の次に命が長い者です。その気が芽生えたら、次の夫を迎えても良いかもしれません。それに私は、ブルームには隠しておりますが、親方様と「ヒメ」の関係も気掛かりです。

「背鰭だけの水竜が、笑わせますわ」
「誇り高きキングドラの真似をする毒竜が何を。『目にも毒』とは、まさにこの事じゃな」

 ああ、どうしましょうか。肉親としての愛情や友情を通り越して、本物の憎悪まで湧いてきました。それはおそらくブルームも同じでしょう。結局のところ、竜は生きとし生けるものを食い散らかす為に存在する者です。本当に命を奪う事はありませんが、私の中で暴れる渇望が満たされるまで痛めつけてあげましょう。

「おい、ギルティ。其方のお(かみ)の隣にいるニンゲンは何者じゃ?」
「悪い冗談はおよしになって。それとも、その歳でもう耄碌が始まりましたの?」
「妾と早く戦いたい気持ちは分かるが、キングドラの誇りに懸けて戯言は言っとらん」
「…………」

 ブルームの顔つきから、それが口車ではないと分かりました。キングドラから促されるのは癪ですが、私は体ごと振り返り、水面の上を見つめました。

「……親方様?」

 ブルームが長い口先から発した言葉は確かに真実で、親方様は私が知らないニンゲンの子供と手を繋いでいました。どのような理由でしょう。そして、その子供は親方様にとって何者なのでしょうか。
 その子供は紺色の「ふく」を身に着けていて、赤茶色の頭髪はヒメに似て束ねていました。ニンゲンの仕来りで決められている、ポケモンの親方になれる歳よりも低く見えます。とても小さい子供です。ああ、いえ、私やブルームが大きいのでしょうか。

「お上、その(わらべ)は何者じゃ?」

 その言葉で、私はブルームの方へと振り向きました。私と同じようにブルームが見上げる先に、ブルームの親方であるナヌムの隣にも小さな子供がいました。私の親方様の隣にいるニンゲンと違い、紫色の長い「ふく」を着た茶色の髪の子供は、ブルームに向かって大きく手を振っています。

『ギルティ、聞こえるか?』

 キングドラを尻目に、私は呼び声に従ってもう一度親方様へ向き直りました。私がまた小池の上を見上げると、親方様は子供の隣で膝を折って、ニンゲンのそれぞれの肩へ静かに手を置きました。

『今回はこの子が、メリナがお前への指示を出す。この子の勝利に、お前の力を貸せ』

 子供の肩に手を置いたまま、兜で顔を隠した親方様は私を見つめてそう言いました。親方様の隣の子供も、静かに、そしてまっすぐ私の目を見ています。

『ギルティ……私の名前はメリナ……よろしくね……』

 親方様と同じように、その子供の声もニンゲンの機械を通して大きくなったものでした。同じく小池の外にあるニンゲンの機械からは、『ブルーム! この子はペルディちゃん、よろしくね!』や『あたしがペルディ! よろしくねー!』といった声も聞こえてきました。
 私はニンゲンの言葉をあまり理解できません。それでも、親方様やその隣にいる子供、そしてナヌムの方の言葉やそれらの振る舞いから、なんとなくですが事情を察しました。
 親方様やナヌムの隣にいる子供たちは、親方様の態度から考えて敵ではないのでしょう。むしろ、親方様たちにとって味方に近いのかもしれません。そして、この戦いにおいて共に戦ってくれるのだと思います。私としては、いかなる場合でも為すべき事は変わりません。ブルームに勝つ、ただそれだけです。
 私は尾鰭の代わりの皮弁を動かし、小池の水面から顔を出しました。親方様は子供の肩に手を置いたまま変わらず、子供は少し身を縮こませて驚きましたが、すぐにそれを解きました。おそらくは「メリナ」という名前の子供が、恐る恐る私へと手を伸ばしてきました。小池の縁には見慣れない薄い水色の膜がそびえていましたが、メリナの手はそれを突き抜けて進んできました。親方様、分かっていますよね。

『メリナ、ギルティには触らないでください。体に毒を持っていますから』

 親方様の言葉で、メリナの手が私の口の先の手前で止まりました。私が毒のポケモンである事を教えてくれたのでしょう。親方様のお知り合いなら、私にとっても同じです。メリナの手の平に、私は口から優しく水を吹きかけました。

『メリナ、あなたを友達と思ってくれたようです。よかったですね』

 メリナの顔が少し笑顔になりました。兜で隠した下では、親方様も同じでしょう。親方様はどうして「ばとる」の時は顔を隠すのでしょうか。笑顔がとても可愛らしいお方なのに。
 それはともかく、親方様のおかげで私の気持ちが通じたようです。胸の皮弁を動かして振り向くと、ブルームも私と同じように水面から顔を出して、「『ペルディ』というのか? お上によく似た童じゃな」とナヌムに向かって喋っていました。
 私は親方様とメリナ方へ向き直ります。そして、ふたりを見て頷きました。ふたりともそれを返してくれたのを見届けたところで、私は水の中に潜りました。
 振り返ると、ブルームもまた水の中にいました。私とブルームは睨み合います。

「親方様たちには特別な事情があるようですが、だからと言って手加減はしませんわ」
「無論じゃ。其方など軽く片付けてくれる」
「大層な口聞きは身を滅ぼしますわよ?」
「恥をかくのは妾ではなく其方じゃ」

 罵言のやり取りで昂った心情によって、私とブルームの体からは竜だけが見える力の(もや)が水の中へと滲み出てきました。私は、口の中に毒液が溜まっていく感触も覚えます。
 さて、親方様とメリナはどのような手から仕掛けるつもりでしょうか。私はすぐに動けるように胸の長い皮弁を揺らして、ブルームの方はかすかに前のめりの態勢になりました。
 最後の戦いから変わっていなければ、ブルームは適度な距離から水流や竜の力を飛ばしてくる事を得意としています。逆に私は、派手に動かず体力を温存して撃ち合いに勝つ事を念頭に育てられました。
 悔しくて嬉しい事ですが、私とブルームの勝敗は五分五分といったところです。それに、今回は子供たちがいます。
 それが吉と出るか凶と出るかは、今のところ全く読めません。あの幼さですから、戦い慣れしていない可能性は十分にあります。親方様を信頼していますが、私独自の考えで動く事も覚悟しておくべきでしょう。それはブルームも同じですが。

『バトル、はじめ!!』



  敵意の水面に虹を架ける・後編
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 いつもの「しんぱん」の声が、水の外からここまで響き渡りました。次の瞬間、ブルームはナヌムや「ペルディ」の指示を待たずに私へとまっすぐに迫ってきました。
 水の中のブルームは、竜の力を使って地上に浮かんでいる時よりもとても速く動けます。その勢いから繰り出される単純な突進は、下手な技よりも大きな力です。
 ブルームはまず、自分の行いで戦いの流れを掴みたかったのでしょう。それは、最小限の指示だけを出して、それ以外はポケモンに任せるナヌムの戦い方と相性が良いものです。幼いペルディには、速すぎて目を見張る事しかできていないはずです。
 私の頭と目はそれを一瞬として捉えておりませんが、体を動かして避けるのは間に合いません。親方様からの言葉は聞こえてきません。メリナもペルディと同じように固まっているのでしょう。
 ここは私の考えでやりましょうか。回避が間に合わなければ、迎え撃つか防御に徹するか。ブルームの手の内は熟知していますが、始めから体力の消費は避けたいので守る事を選びましょうか。
 私が尾を丸めてブルームの突進に備えようとした、その時でした。

『ギルティ、「ハイドロポンプ」……!』

 か弱いけれど機械で大きくなった、そのようなメリナの声が飛んできました。はじめから指示を出すつもりだったのか、或いはブルームの動きに合わせて言ったものなのか、それは私には分かりません。ですが、あの小さな子供が怯え竦まずに声を出せた事に、私の胸中には小さな感動が湧いてきました。
 私は残された時間の中、体の中で力を練りながら、口からは大きく小池の水を飲み込みました。自分の親方ではないとしても、秀でたニンゲンの指示に応えるのがポケモンの務め。

 私は体の中にみなぎる力と共に、飲み込んだ水を口から勢い良く吐き出しました。ニンゲンが「はいどろぽんぷ」と呼ぶ、「怒涛の激流」です。水の力の中では大技の部類で、乱発はできませんが威力は期待できます。
 それに私は、水のポケモンではないとしても水に住まう竜の眷属。しかも、親方様から鍛え上げられたポケモンです。私の口から出る水流だけではなく、私の力は周囲の水まで巻き込んでブルームへと襲い掛かります。
 とはいえ、毒竜の私と違ってキングドラのブルームは本物の水竜です。これで仕留められるものではない事は百も承知です。ですが、本来の目的だけは果たせました。

「ちいぃ! 外したかっ!!」

 私のすぐ隣を掠めたブルームは、私の小池の壁を尾で蹴った後に水面へ向かっていきました。本当は、私への突進に失敗したブルームが壁に激突する事まで期待していましたが、さすがに私と同じ血が流れているキングドラはそこまで頭足らずではありませんでした。
 しかし、始まりの流れは私が掴みました。勢いを殺せないまま、ブルームが私から見て頭上ほぼ真上の水面から外に出ました。あの速さでは水を飲み込む事はできなかったでしょう。逆にこちらは、ゆっくり大きく水を吸い込む時間が生まれました。それに、上に撃つのなら親方様たちやナヌムに当たる心配はありません。さあ、親方様でもメリナでもいいです、私に命じてください。

『ギルティ、「ハイドロポンプ」……!!』
『ブルーム、かわして!!』

 メリナに言われるがまま空中のブルームに目掛けて激流を撃ち上げた一瞬後に、ペルディの叫び声も聞こえてきました。あちらも無言のままではいられないようです。或いは、指示はペルディに任せているのかもしれません。親方様と同様に「ぷろとれーなー」であるナヌムが何も言えなくなるとは思えません。
 親方様もそうでしょうか。真相は分かりませんが、言葉が早い分メリナについている私の方が有利と思っておきましょう。

『最初から瞬きもできない激しい攻防です!! ギルティは「ハイドロポンプ」でブルームの突進を受け流しました!! どうするブルーム!!』

 この「じむ」で耳にした事がある、ニンゲンの男の声が響き渡りました。「りーぐばとる」のような、熱気を持った声です。やはり、この戦いは親方様にとって「りーぐばとる」のような特別な機会なのでしょう。幽霊のように実体を持たない「ほろぐらむ」も浮かんだままですし。
 それならば、ニンゲンの子供がいるのも納得できます。私とブルームにとっては、何を言っているのか理解できないので無視するしかないのですが。
 水面を勢い良く突き破り、私が生み出した水柱がブルームへと迫りました。波と泡で白濁した水中では目でブルームの姿を見れませんが、竜の力の気配を体で察知すると、首と尾を動かす以外は体を動かす様子がありません。指示を無視して防御に徹するのでしょう。 
 私の激流がブルームを飲み込みました。やはりブルームの力はほとんど弱まってはいません。しかし、戦いの流れは未だこちらにあります。接近を許さなければ、体力の差で押し切れます。
 私は水に乗せた力を弱めました。その瞬間、激流の中からブルームが竜の力を発して、自分を包む水を弾き飛ばしました。そのまま背鰭に力を込めて空を飛んで、自らの親方の方へと向かいました。間合いが開いているなら私の距離です。さあ、次の指示を。

『ギルティ……「ヘドロばくだん」!』

 予想もしていなかったメリナの指示に、私はほんの一瞬ですが、しかし確かな隙が生まれるほど戸惑ってしまいました。親方様、まさか。

『ブルーム! 「だくりゅう」!』

 水の上に降り立ったブルームの周りから、大波が巻き起こりました。
 
『メリナ、水の中で「ヘドロ爆弾」は使えません』
『えっ……はっ……「ハイドロポンプ」!!』
『それも橋が邪魔になっています』
『ええっ……!? よっ、よけてっ、ギルティ……!!』

 それでは指示ではなくお願いです。これは少しまずいですね。親方様はメリナに、技や「じむ」の特徴を伝え忘れていたのでしょうか。それとも、メリナの幼いが故にの間違いでしょう。いずれにせよ、私が独断で「竜の覇気」を出すには遅く、しかもブルームは今まで私の前で使った事がない「大津波の奔流」を繰り出してきました。

『メリナちゃん、がんばって!! そしてブルームの「だくりゅう」です!! キングドラは水タイプなので、ドラミドロのハイドロポンプよりも威力が出ます!!』

 この戦いの為にナヌムはわざわざ用意したのでしょうか。それはあり得るでしょう。あのニンゲンはタブンネのような優しさの裏に、ゾロアークのような狡猾さも持ち合わせていますから。さすがは親方様と同じ「ぷろとれーなー」です。
 キングドラのブルームは私よりも水の力を扱う事に長けており、私は容易く荒れ狂う水の中を弄ばれ始めました。この中で、先ほどと同じ突進を受けたら勝負が決してしまいます。苦しい選択ですが、これしか手段がありません。
 私は私に許された水の力で襲いかかる奔流の中に穏やかな道を作り、その小さな活路を必死に泳ぎました。そして水面から飛び出し、小池の上に渡された鉄の橋に降り立ちました。尾の皮弁を広げて立ち、胸の皮弁で鉄の柵を掴みます。
 竜とはいえ魚に似た私は、陸の上ではどうしても動きが鈍くなりますが、流れに呑まれて何もできないよりかは勝機を見出せます。私から見て左にいる親方様たちに一瞬でもいいですから顔を向けたいですが、私にはその余裕がありません。

「まさに『陸に上がった魚』じゃなあ!!」

 私のすぐ近くの水面を突き破ってブルームが姿を現しました。私は咄嗟に尾の皮弁で橋の地面を蹴って後ろへ飛び退きました。
 宙で体を一回転させたブルームは、竜の力で落下を加速させて私がいた場所へ尾を振り下ろしました。技ではない攻撃でしたが、強い衝撃と共に橋が少し曲がりました。本当にお構いなしですね。親方様がまた「よさん」の問題で頭を抱えてしまいます。お仕置きをしてあげましょう。
 指示を待たないで私は、片方の胸の皮弁をブルームに向かって振り、毒液を投げ飛ばしました。ブルームは宙に跳ねながら身を捩って躱し、竜の力で空を蹴って私に肉薄しました。本当にまずいですね。「陸に上がった魚」はキングドラも同じですが、種族として身のこなし方の巧みさはドラミドロより上です。
 私とブルームは長い口を剣のように捌いて戦います。しかし、私は体と体のぶつかり合いが苦手です。身に受けたら苦しい一撃は防いでいますが、押されているのは私です。こうも体を動かしていては、力を練る隙もありません。

「さっきのっ!! 威勢の良さはどうしたんじゃあ!!」
「調子がいいっ!! 時だけ元気っ!! なんですことっ!!
「その減らず口っ!! さっさと捻り潰してっ!! やるかのお!!」

 ブルームの猛攻で、私は徐々に橋の端へと追いやられていきます。今日は薄い青の膜が小池の縁に張られています。もし、あれを私が通り抜ける事ができなかったら、私は壁際に追いやられた事になります。おそらく膜は、メリナとペルディを私たちの戦いから守る為に張られたものであり、その可能性はとても高いでしょう。親方様とナヌムだけなら、あのようなものを用意した事はありませんから。
 つまり、このままではブルームの勝ちです。橋から飛び出して池の中に逃げ込んでも、その無防備になった瞬間にブルームの攻撃を受けてしまうでしょう。

「其方の終わりが!! 見えてきたのう!!」
「ぐっ……!!」

 まずいですね。キングドラの憎たらしい挑発へ返す余裕もありません。メリナの声も聞こえてきません。私から見て、メリナは少し気弱そうな性格をしていました。先ほどの失敗の手前、何も言えなくなってしまっているかもしれません。親方様の声もまた、途絶えたままです。
 こうもブルームに好き勝手されていては、親方様たちの方へ顔を向ける隙すらありません。広がっていく「じむ」の景色から考えて、青い膜まではもう距離がないでしょう。ここはもう、私がどうするか決めてしまいましょうか。そう思った次の瞬間でした。

『一発受けてもいい! 撃て!』

 そのような親方様の指示が飛んできました。信頼している親方様が言うのなら、私は気兼ねなく代償を払います。

「ぐうぅ!」

 ほんの短い間でしたが、私が力を体に漲らせた隙にブルームの尾が私のお腹を捉えました。さすがはブルーム、目がチカチカしてしまうほどの威力です。しかし、幸いにも勝負が決まってしまう攻撃ではありませんでした。

「やってくれましたわね!!」

 そう言いながら私は、ニンゲンが「りゅうのはどう」と呼ぶ「竜の覇気」を口から放ちました。私の視界が紫の光の筋で更にチカチカしてしまいます。
 しかし、これで活路が繋がりました。私の揺らいだ視界の隅で、ブルームが小池の中へと逃げ込みました。あれだけの大口を叩いておいて畳み込む事を放棄したわけですが、やはりさすがはブルームです。至近距離で「竜の覇気」を受けてしまったら、それで私の逆転勝利になってしまいます。
 この手は一度、ブルームと同じくナヌムの竜であるガブリアスの「スラッシュ」に使った事があります。あれが「とれーにんぐ」だったのは残念でした。親方様にとっての本番だったら、去年の「けっしょうとーなめんと」での屈辱を拭い去れたのですが。

『ギルティ、お腹に攻撃を受けてしまいましたが「竜の波動」で反撃に出ました! ブルームは距離を取ります! ドラゴン技はドラゴンのポケモンに抜群のダメージです!!』
『ブルーム! きょりをとって!』

 ようやく少し余裕が生まれて、周りの音が音として認識できるようになってきました。といっても、私はニンゲンの言葉はほとんど分からないのですが。

『ギルティ! もう一回「竜のはどう」!』

 それでも、メリナの言葉の一部が、それを私に命ずる意味は分かります。ここはこちらにもう一度流れを引き寄せる絶好の機会です。気持ちを立て直したのでしょうか。メリナの口ぶりには若干の力強さが戻ってきています。
 メリナの言葉に従って、私は橋の柵に皮弁をかけて身を乗り出して、小池の中に向かって「竜の覇気」を放ちました。「毒の炸玉」と違って、「竜の覇気」は水に邪魔される事がありません。それに、私の考えで、ある程度は流れを曲げる事ができます。
 「竜の覇気」を出しているので言葉を喋る事ができないのが残念です。小池の中のブルームは、まるでギャラドスに追われる一匹のヨワシのように、私が振り回す紫色の光の筋から逃げ回っています。
 そして、私はただ闇雲に口の先を動かしているのではありません。メリナが小さなニンゲンの子供で、親方様のお知り合いなら、それを支えるのが私の役目。
 私が動かす「竜の覇気」の誘導によって、哀れなキングドラが水面から飛び出ました。かかりましたね。

『ギルティ! 「ヘドロばくだん」!』
『ブルーム! 「りゅうのまい」をしながらよけて!』
『ペルディちゃん、ナイス判断!』

 一度の失敗でしっかりと学んだメリナもさることながら、あちらも負けてはいないようです。
 もう一つの鉄橋の先に向けて放った「毒泥の炸玉」を、ブルームは「竜の舞踏」で華麗にかわしていきます。「竜の舞踏」は体そのものの力強さと素早さを上げる技です。先読みや惑わしも含めてさらに「毒泥の炸玉」をブルームに放ちますが、一つだけ顔にかすっただけで避けられてしまいました。
 後手に回ってしまったようで、内心ではかなり苦しいですね。これでブルームと体のぶつかり合いにもつれ込めば、力負けするのは確実に私になりました。先ほどのように「一発くらいは」という事もできません。
 私たちの攻防により、「かんきゃくせき」からたくさんのニンゲンの声が上がりました。苦戦を強いられている私にとっては、少し鬱陶しいですが。

『ブルーム、とつげき!』

 ペルディの声よりも速く、水面を蹴ったブルームが一つの鉄橋を飛び越えて、もう一つの鉄橋の上にいる私のもとへ一瞬で接近しました。やはり速い。メリナの指示を待たず、私はブルームの突進をかわしながら小池へと着水しました。
 今のメリナはまたもや動揺しているでしょうか。今の私にとっては、それは大切な事ではなく、それどころでもありません。小池の中心へと背中を向けてに後ろ泳ぎしながら、私は私の判断で「竜の覇気」をブルームに向かって放ちます。

『ブルームは「竜の舞」によってさらに素早さが上がっています! ギルティはドラミドロなので、種族として元から素早さはあまり高くありません! ここからギルティはどうするでしょうか!?』

 ああ、少し静かにしてもらえますか。そう思っていても、「竜の覇気」を出す私には言葉を喋る余裕がありませんし、そもそもポケモンとニンゲンはお互いの言葉をほとんど理解する事ができません。
 今日の「ばとるふぃーるど」が馴染み深い小池なのは助かりました。後ろを振り返らずに、私は小池の中心の、深さもちょうど真ん中ほどに陣取る事ができました。しかし、泡の筋を残して小池の中を縦横無尽に泳ぎ回るブルームに対して、私は口と首と少しの皮弁を動かすだけなのに追いつけません。悔しいですが、やはりさすがはブルームです。
 これは、私だけでこの状況を打開できないでしょう。最初からひとりで戦っているつもりはありません。私には、親方様とメリナがついています。メリナなら、私にどういう指示を出すのでしょうか。
 私は「竜の覇気」を草ポケモンが操る蔓のようにうねらせながら、親方様たちの方向へと視線だけを向けました。ああ、さすがは私の親方様です。
 親方様は、メリナの横顔にご自分の顔を近づけていました。間違いなく、メリナに「秘策」を教えているのでしょう。ブルームにもナヌムにも、もちろんペルディにも見せた事がない私の新しい技を。
 その技なら、流れをもう一度こちらに引き寄せる事ができるかもしれません。ブルームの顔色は、先ほど接近された時に間近で確認しています。仕込みだけは済ませる事ができています。

『ブルーム! 「だくりゅう」!』
「しまった!!」

 親方様たちに気を取られている隙を突かれたというか、単純に私がよそ見をしすぎただけですが、「大津波の奔流」がまたもや私に襲いかかりました。「『竜の舞踏』をした以上は、体のぶつかり合いに持ち込んでくるだろう」という甘さもありました。
 考えてみれば、ブルームが最初に出した技が「大津波の奔流」ですから、接近と遠巻きの両方を警戒しておくべきでした。これではヒメに怒られるのが私になってしまいます。いえ、親方様へも含めて、そんな事にはさせません!
 と決心を固めたところで、私は本物の水竜であるキングドラが作った水の暴力に弄ばれかけています。自分が有利になってもブルームが私に近づいてこないのは、私が陸の上より水の中の方の動きが得意であるからでしょう。「竜の舞踏」のおかげで技にさえならない突進一つ当てれば確実に勝負を決められますが、こちらも「竜の覇気」が当たれば勝てる状況ですから。
 だとすれば、ブルームの考えは読めます。親方様も察しているでしょう。メリナが理解しているかと、ペルディがその気になのかは分かりませんが。
 私の読み通り、ブルームの「大津波の奔流」は私を水の暴力で圧倒しながら、水面へと押し上げています。ブルームは水面か鉄橋の上で私を倒すつもりでしょう。水の中より鈍った私を。しかし、こちらには「秘策」があります。ちょうどそれは水の中では使えませんし。言葉通り、あのキングドラに一泡吹かせてやりましょう。

『ブルーム! 「ヘドロばくだん」!』

 私が水面の上へと打ち上げられる間際になって、そのようなメリナの指示が飛んできました。親方様の助言もあったのでしょうか。それは分かりませんが、今「毒泥の炸玉」を使えば、水に当たってブルームからの目隠しになります。いい判断です。

『ブルーム! 最大火力で「冷凍ビーム」!』

 私の背中が水から突き出て毒泥の目隠しが広がり始めた瞬間に、ナヌムの言葉が響いて私は驚いてしまいました。まさか水の中で「冷気射撃」を使うなんて。私がナヌムへと振り向こうとした次の瞬間には、毒泥と水が混ざったものが凍りつき、それが私のお腹から下の身動きまで封じました。まずい、本当にまずい。ブルームの「冷気射撃」がこんなに威力が上がっていたなんて。それにこれじゃあいい的だ。たくさんのニンゲンが見てるのに。負けるなんて。ブルームなんかに! 俺が! ふざけるな!

『こちらも「竜の波動」だ!』

 親方の叫びで我を取り戻した俺は、限りなく無に近い時間の中で力を練って、「竜の覇気」を目の前の浴びせる。それが勢いよく砕け散る。やっぱりポケモンはニンゲンがいてこそ全力で戦える。ヒメもそれが早く分かればいいのに。
 ブルームは俺が「竜の覇気」を使うのを読んでたと思う。それしか俺に勝ち筋がなくなっていた。だから俺が自由になった次の瞬間には、俺から見て真横の水面からいきなり飛び出してきた。しかし、それこそ俺たちの本当の勝機。真下からは「竜の覇気」が当たるかもしれないし、間が開く事を嫌って俺のすぐ近くに来たかったのは分かるが、上へ飛び出せば体の動きを変える隙が生まれる。それを俺と親方は、おそらくメリナも待ってた。ブルームの尾の薙ぎ払いをギリギリのところでかわしながら、俺は口の先をブルームへ狙いを定める。

『ギルティ、「ベノムトラップ」!!』
「待ってたぜ!!」

 やっぱりメリナに教えてたか、親方!!
 宙を尾で蹴って俺に突進しようとした隙だらけのブルームの顔にめがけて、俺は口から「毒泥の炸玉」とは違う「毒泥の罠」を浴びせた。

「なんだこれ!? ギルティ!!」

 教えるわけないだろ。初めてくらう技に視界を奪われたブルームは、体をよじりながら水の中に逃げ込んだ。俺も水の中へ潜り、もがきながら泳ぐブルームから距離を作る。

『ギルティ! 絶体絶命のピンチでベノムトラップを使いました! 僕もギルティが使うのを初めて見る技です!』

 これって、周りのニンゲンに俺たちの戦いっぷりを解説してるのか? まあ、ブルームは分からないだろうからいいけど。だけどブルームくんが可哀想だから、俺の心の中だけで喋ってやるか。
 さっきのは親方が俺に仕込んでおいた技、「毒泥の罠」だ。これだけじゃ相手を倒す事ができないし、毒に侵されてないポケモンには効かないが、体の力強さも遠巻きからの攻撃も素早さも落とす技。毒ポケモンの恐ろしさを至れり尽くせり味わう事ができる。ブルームがあの「毒泥の炸玉」の雨の中で飛び散った毒を吸い込んでしまったのは、接近された時に顔色を確認している。メリナも、親方からそれを教えられてたんだろうな。
 俺と同じ親方のポケモンの中で、特にヒメはこういう戦い方を毛嫌いする。だけど、小綺麗であり続けなきゃいけない妖精と違って、こんなやり方も「アリ」と思わせられる毒ポケモンの方が有利だ。アイツ、本当の言葉遣いは俺よりも汚いくせに、変なところはメッチャ気にするよな。

「ギルティ!! 僕の顔に泥を塗ったな!!」

 おっと、ヒメの事を気にしてる場合じゃない。さっさとブルームを片付けないと。それから、それはただの泥じゃなくて毒の泥。
 泳いでその毒泥を洗い流したブルームが俺をめがけて突進をしかけてくる。もちろん、「毒泥の罠」のおかげで速さが戦いの最初くらいに戻ってる。これなら、まだどうにかしやすい。
 もっとも、俺もブルームも言葉遣いに気を使う余裕はなくなってるけど。これだから俺もブルームも、母親を経験したポケモンって思われないんだろうなあ。母性よりも生まれ持った雄としての血の気が勝ってる。まあ、それが雌に卵を生んでもらって子供が孵るまで鰭や皮弁に抱えて守り抜くドラミドロやキングドラの、母親としての役割に合ってるんだけど。他の種族じゃ、卵を守る方じゃなくて産む方が母親らしいが、俺やブルームには理解できない世界だ。

『ギルティ、「竜のはどう」!』

 メリナの言葉に従って、俺はブルームの言葉へ何も返さずに、「竜の覇気」を放つ。俺に向かって一直線に突っ込んできていたブルームが方向を変える。ここでまた「竜の舞踏」を使われたら厄介だな。せっかく引き寄せた戦いの流れをまた渡してしまう。

『ブルーム、がんばって!』

 ペルディから何かの声をかけられながら、水中を逃げ回るブルームに向かって俺は「竜の覇気」で追いかける。と言っても、何度も使って出し終わりが近い。そろそろ決めなきゃいけない。やるか。
 そう思っていたら、俺から見て、口の先は横を向いているけど目は俺を睨んでるブルームの、その目の色が変わった。言葉通りに、赤紫色に光って。

「僕が……この僕が……お前なんかに……!!」

 ニンゲンからの指示を待たないで仕掛けるのかよ。まあ、そういう技だしな。
 まずいな。近づかれたくないが、こっちも賭けに出るしかないか。結局、親方もナヌムもこういう事になるって読んでるだろうし。メリナやペルディにとっては、おそらく初めて目の前で見る、竜の本気一歩手前だろうな。俺やブルームには手も足もないけど。まあ、一緒に勝とう。

「ギルティィィィィ!!!」
「来い、ブルーム!!」
『ブルーム、「逆鱗」です!! 「流星群」と同じ、ドラゴンタイプの大技です!! 一気に勝負を決めにきました!! どうするギルティ!?』

 「竜の暴虐」に体を貸して、目をギラギラさせつつ叫びながら突っ込んでくるブルームに、俺は「竜の覇気」を止めて叫び返した。まともに撃てるのはあと一回だな。今それを使っても押し切られる。
 メリナ、どうする? 俺の考えはあるが、メリナの考えを聞かせてくれ。さあ。

『ブルームやっちゃえええええ!!』
『ギルティ、引きつけて!!』
「よしきた!!」

 キングドラと同じように叫ぶニンゲンの子供と、もう言葉になってない叫び声をあげるキングドラをよそに、俺はメリナの指示に返事をする。水の中で皮弁を広げて、「その時」に備える。
 こういう事で合ってるよな、メリナ。親方の教え方がいいのか、メリナ自身の才能なのか、それは俺に分からないが、たぶん親方はメリナの才能って思うだろうし、親方がそう思うなら俺もそう思っておく。度胸試しこそ竜の戦い方だ。さあ、いくぞ!!

『そこだあああああ!!!』
「これで終わりだああ!!!」
『『「ベノムトラップ」!!』』
「はいよ!!」

 親方とメリナの声が同時に聞こえて、それからニンゲンの大歓声まで聞こえた。もちろん、ブルームの宣言通りにならなかったからだ。
 絶対に教えないが、「竜の暴虐」で頭に血が上ったブルームは体を一回転させて尾の振り下ろしをする事が多い。それに賭けて、できるだけ少ない動きでかわした俺は、水の中で回転するブルームの顔にめがけてもう一度「毒泥の罠」を浴びせる。水の中でもこれだけ近かったら十分に効く。
 これで後は俺のやり方で仕留める。そう思った瞬間に、俺の体は痛みとともに右に弾き飛ばされた。

『ギルティ!!』
『おおっと!! 躱したと思った逆鱗状態のブルームの攻撃がギルティに当たりました!!』

 ブルームが「してやったり」だったかどうかは分からないが、「竜の暴虐」が乗った尾の薙ぎ払いをまともに横腹へ叩き込まれてしまった。
 小池の壁に激突してそこで止まる。それも痛い。意識が飛びそうになる。時間がない。負けたくない。親方、メリナ、これで最後だ!!
 ゆっくりと顔を上げながら、最後の力を練る。ブルームはもう目の前に迫っていた。俺が押し止めるか、ブルームが押し切るか、勝負だ!!
 俺はブルームに向かって最後の「竜の覇気」を放つ。なぜか考えがゆっくりになって、目の前もゆっくり紫色の光に覆われていく。それでも、勝負はやっぱり五分五分だな。

 ここまで一緒に戦って、俺には親方がいるけど、メリナとも楽しかった。まだ戦い慣れしてない部分がたくさんあったが、これから頑張れば親方くらい強いニンゲンになるかもな。 
 その時にはメリナにも自分の相棒がいるだろうし、そのポケモンと戦ってみたいし、もしかしたらメリナだったら親方よりも強くなって「ちゃんぴおん」に勝てるかもな。
 ところで、もしここで俺が勝ったら、もしかしてメリナには初めての勝利? まあ、それはブルームが勝ったらペルディも同じか? でも、まあ、負けたくないな。
























「ライアン、なに読んでるのー?」
『コンペキの地元紙の電子版だよ、ほら』

 ガラス天板の対面式ライティングデスクの上に広げた算数の問題集から、マリンは「顔のない顔」を、低年齢向けに作られたオフロードバイク用ヘルメットで隠した顔を向けた。ライアンもまた、ラプラスに許された超能力で宙に浮かべたタブレット端末から顔を上げる。
 そのラプラスの言葉に従って、タブレット端末が店の中を漂い、マリンの眼前で静止する。ライアンはマリンの母によって鍛えられたポケモンであり、念話を含めてエスパーのポケモンに匹敵するほどの超能力を操る事が可能だ。
 マリンがヘルメットに巻いていたミラー仕様のゴーグルを外して、タブレットの液晶を眺める。ライアンにとっては、かつての相棒に酷似した茶褐色の瞳が露わになる。それは正しく生き写しであり、そして忘れ形見だ。
 ライアンが眺めていたものは、この店が籍を置くコンペキシティのニュース。そして、コンペキジムで催されたバトル教室の記事であった。その文章によると、バトル教室の一環として模擬戦が行われ、プロトレーナーであるジムリーダー・サラナとジムトレーナー・ナヌムがそれぞれ参加者とチームを組んだ共同のバトルであったようだ。同じく記事の中には、接戦の末に勝利を掴んだのはジムリーダーのチームとある。
 ゴーグルを戻したマリンは、屈託のない笑みをヘルメットで隠しながら言い放った。

「うん、けっこう興味ないかもー!」
『マリン……お前なあ……せめて地元の事ぐらい頭に入れておこうよ……』
「だってライアンが読んでるんでしょー? だったら僕、読まなくていいよねー」

 ライアンが大きくため息を吐いた。何度も説得しているが、今の相棒はポケモンバトルに対して関心を抱かない。激しい感情の起伏が少なく、大きく取り乱す事が滅多にないマリンはまさにポケモンバトルに向いた気性なのだが、それが災いしてか、ラプラスでも押し流す事ができないほどの頑固を貫いている。
 揺るぎない信念に基づいたものなら納得もできるが、それはマリンの我儘に拠るところが大きい。この子の祖父が普段から言っているように、そしてかつての相棒が病床で遺した言葉のように、マリンはただの奇抜な格好のニンゲンとして終わってはいけない。
 本人は「もっと大きくなったら、魔法使いかムウマージになりたい!」と夢を語り、今この時さえヘルメットの上に絵本の中の魔法使いが被るようなとんがり帽子を、それもどこで買ったのか分からない傘と見間違うほど鍔が広いそれを身に纏っているが、ライアンはマリンがその夢よりも偉大な者になれると確信している。だからこそ、説教が止まらない。

『あのな……他のニンゲンの子どものようにスクールに行かないんだったら、自分からもっと勉強しなきゃいけないんだよ……その問題集だってジイさんが買ってきてから何ヶ月手付かずだったか……それにな、マリン。お前の』
「あっ! ライアンまた今度ー! いらっしゃいませー!」

 ライアンの言葉を遮り、マリンが椅子から立ち上がった。扉を締め直そうとする者に向かって、帽子の位置を直しながら「待って待ってー! あやしいお店じゃないよー!」と小さく叫ぶ。そして、その者に代わって扉を開けたマリンを尻目に、店内の片隅に座るライアンは目を伏せた。

「ようこそー! 文具店『シルバー・バレット』へ!」



The next saga is 「顔のない魔法使いと嘘つきのラプラス」


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Last-modified: 2021-09-30 (木) 17:44:41
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