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揺蕩

/揺蕩

Writer:いつもの人


捕食の描写、流血表現があります。

揺蕩 


 池の中程で途切れた橋。一歩を踏み出す度に古びた木が軋む。
ずいぶんと昔からある橋らしい。長きにわたって忘れ去られていた割にはしっかりしている。
これが先人の知恵というものなのか。まだ人とポケモンが近く、いや、同じだった時代の。
 そのころから今までの間に、人とポケモンの関係はすっかり変わってしまった。それがいいのか悪いのかは俺にも分からない。
いつの間にか人とポケモンとの間に区別ができ、ポケモンを命の糧として殺めることもなくなり、小さな球体に閉じこめて戦わせる風習ができ。
人は身勝手になった。ポケモンたちは何も変わっていない。少なくとも、俺にはそう見える。
 かつての人とポケモンの関係に、いつしか俺はに興味を持ち、それが記録された数々の遺跡や神話を求め、世界を回り始めた。
そして様々な思いに触れ、いつしかポケモンを「持つ」ことを拒むようになり、俺は人に疎まれ、一人になっていった。



 よく知られた遺跡でも、その周囲はまだ手付かずなことがある。険しい山、生い茂る木々、波立つ水面、様々なものが行く手を阻む。
俺はそんな未開の地に足を踏み入れては、人とポケモンの繋がりの証を探し求めていた。
その様な場所がどれほど危険かは承知の上。もちろん万全の準備を重ね、細心の注意を払って探索する。
 今回も油断したつもりはなかった。ただ、少し運が悪かっただけ。そう信じたかった。
「ごめんな、俺が不甲斐ないばっかりに、お前まで巻き込んじゃって」
 弱々しく唸るような動作をしながら、お座りの状態で俺を見つめる俺の唯一のパートナー。その喉元を優しく撫でてやる。
ポケモンを「持つ」事は嫌いだ。だからボールに入れたりはしない。そもそも俺は、こいつを捕まえてさえいない。
怪我をしていたこいつを助けてやったら、たまたま仲良くなった、それだけのこと。まるでおとぎ話のような話だが。
 今度は右手でわしゃわしゃと、短い黒い毛を乱暴に掻き回してやる。目を瞑ってその手に頭を委ねるこいつ。
やはり気持ちが良いのだろうか、その顔は何だか綻んでいるような。普段の鋭い顔つきとは大違いだ。
付き合いが長い俺はそんな事を思わないのだが、こいつを見る人は皆何かしらの恐怖心を抱くらしい。
どうやらこいつの遠吠えが不気味だそうだ。たまに遠吠えをしている姿を見かけることはあるが、別に怖いとも思わなかった。
 というのも、俺は生まれついてからずっと、音というものに出会ったことがないし、これから先出会えることもたぶん無いからだ。
先天性の聴覚障害。子どもの頃こそ非常に苦労したが、今ではそれなりに喋ることも出来るし、慣れればそんなに苦労もしない。
ただ、それも日常生活を送るなら、という前提があるからこそ。こうやって険しい場所へと調査に出向くとなれば話は別。
野性のポケモンの鳴き声に気づくことが出来ずに縄張りに踏み入って、一度死にかけたこともある。
 だから、こいつが居てくれる事は俺にとって非常に助けになる。今では随分と頼ってばかりだ。
俺の前を常に歩き、五感を研ぎ澄ませて危険を察知し、立ち止まっては俺に知らせてくれるこのヘルガー。
その背中が非常に頼もしい。捕まえているわけでもないのに、俺に協力してくれるその優しさに感謝してもしきれない。
 それなのに。俺の所為でこいつまで巻き込んだことがどうしても許せなかった。関係のないこいつを、俺の身勝手で死なせるわけにはいかない。
ようやく見つけた遺跡。その内部に入っていった俺達だったが、古びていた所為か、急に足下が崩れて地下の部屋へ真っ逆さま。
幸いそこでの怪我はたいしたことがなかった物の、その地下室から出た先は道らしき道が一つもない森の中。
簡単に言えば、完全に迷ってしまっていた。それも、このひたすら続くであろう未開の森の中で。
タウンマップの表示でも現在地は分からない。コンパスを頼りに歩いてはいるのだが、現在地が分からなくては効果は薄い。
 一体どれ位歩いただろうか。そもそもあの地下から出るまでにかなりの日数を使ってしまった。
昼も夜も分からないような地下で、風の吹いてくる方向を頼りに歩き回って恐らくは二十日以上。
一応数日分の食料は用意してあったのだが、それも地下にいる間に全て消費してしまった。
水だけは節約しつつ、何とか地下道を出た先は広い森。小川のおかげで水分だけは補給できた。
後はそれを辿ればいい、と思っていたのだが、大きめの滝を迂回しようとして再び見失ってしまった。
 さらにここ最近は雪雑りの雨が多く、その寒さもまた辛い。拾ってきた枝や枯れ葉に火を付けるヘルガーは、きっと俺以上に体力を消耗しているはず。
何も食べないままで、この寒さに耐えるのには限界がある。もちろん防寒対策もしているが、それでもシンオウ地方の寒さはかなりの物。
頼みの綱の木の実も見当たらないまま、食べ物無しで一ヶ月近く。俺にも、そしてヘルガーにも、遂に限界が訪れようとしていた。
「お前が受け入れてくれるかどうかは分からない。でも、やっぱりこれしか方法はない」
 ここ最近、ずっと俺は考えていた。食料が無いのは確かだが、それは俺とヘルガーが食べられるものを探しているからだ。
逆に言えば、ヘルガーだけが食べられるものならある。それも、ヘルガーの目の前に、ずっと。
俺は妨げになりそうな厚い服を全て脱ぎ去る。いくら目の前に火が灯っているとはいえ寒い。
だが、そう感じるのもあと少しの間だけ。きっとすぐに寒くなくなる。ヘルガーも、俺も。
「頼む、ヘルガー。俺を……食べてくれ」
 はっとした様子で俺の方を見つめるヘルガー。ポケモンはやっぱり言葉が分かるんだろう。俺の言ったことも全部理解した様子。
しばらくの間、俺とヘルガーは見つめ合った。迷っているのだろう。あれだけ俺を慕っていてくれたんだ、躊躇うのも無理はない。
でも、今ここで共倒れになるくらいなら、ヘルガーにだけは生きていて欲しい。これが俺に出来る、ヘルガーに対してのせめてもの償いなのだから。
 やがて、そっとヘルガーは動き出した。何やら俺のバッグから何かを探しているらしい。次に顔がバッグから出てきたときには、その口に一つの道具が咥えられていた。
それを俺の足下にまで持ってきて、そっと地面に置く。続いて俺に向かってそっと微笑むと、ごろん、と四肢を投げ出して仰向けになった。
目の前のナイフ。俺の命は自分で絶て、そう言いたいのかと最初は思った。けれど違う。こいつも俺と同じ事を、俺と違う立場で考えていたのか。
「分かってるのか? お前がこうなったのも俺の所為なんだ。悪いのは俺なんだ。食べられるのは……俺でいい」
 けれどもヘルガーは一向にその体勢を崩そうとしない。その目は決して揺らぐこともなく、ただ俺の方を見つめて動かない。
ヘルガーを殺すなんてあり得ない。でもこいつは全く動こうとしない。そして俺も動こうとはしなかった。
きっとそのうちヘルガーは空腹が限界に来る。俺よりも動くことは多かったし、炎を吐いていたこともあって消耗は激しかったはず。
だから先に折れるのはヘルガーだ。俺はそう思っていた。それならばずっとこの根気比べをしていれば、いずれ。
 しかし、その決着は思った以上に早かった。仰向けになっていたヘルガーが、重力に引かれるままに横倒しに。開いていた目はいつの間にか閉じている。
疲れて眠ったのかと思った。だがぴくりとも動かないその身体を見て、俺はようやく全てを悟った。
「ヘルガー! おい、ヘルガー、なんでだよ、嘘だろ、こんな、なんで、どうして我慢したままで……なんで! 答えろよ、こたえて、くれよ……」
 急いでヘルガーに駆け寄った。その身体を抱いたとき、若干冷たさを感じて、俺はその場で崩れ落ちて、涙を零した。
間違いなく、ヘルガーは死んでいた。恐らく体力が尽きたのだろう。最後まで俺を食べることを拒んで、自らが犠牲になって。
俺はヘルガーとの根気比べに、最初から負けていたんだ。きっとこいつは知っていたはず。自分の命が長くないことを。
 黒い毛並みを涙でぐしゃぐしゃにしながら、俺は一晩中泣き明かした。朝日が昇る頃には涙も止まり、ぼんやりとヘルガーを抱いたままその亡骸を見つめていた。
しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。ヘルガーは託してくれたんだ。俺に、その命を。可能性を。
「分かったよ、ヘルガー。俺は生きる。お前を身体の一部にして、お前を力にして。お前の分まで、なんとしても……生きてみせる」
 ヘルガーをそっと地面に降ろして、今度はヘルガーが置いたナイフを手に取る。躊躇いはあった。でも、ヘルガーがそうしろと言ったのだから、迷うわけにはいかない。
一度目を瞑って深呼吸したあと、そっとそのナイフをヘルガーのお腹に宛がった。さらに少し力を込めると、軽く突き刺さって、そこからは紅色が流れ出す。
あとはもう、躊躇いもなく彼の亡骸を壊していった。吹き出す血も、生々しい中身も気にせず、ひたすら食べられそうな部分を切り分けていく。
食べられそうにない部分といえば、固い骨や角の部分くらい。せっかく貰った命だ、どんなところでも無駄にするわけにはいかなかった。
昨日の夜、ヘルガーが焚いてくれた火。その上に金属の網を乗せられるようにしてから、次々とヘルガーの身体を焼いていった。
「ありがとう、ヘルガー。ありがとう……」
 焼いている最中も、そしてそれを口に入れるときも、躊躇することはしない。迷っている時間がもったいなかった。
それよりも早く、無事に帰りたい。生きて、生き延びて、いつかこの研究を成就させたい。それが、一番ヘルガーの為になることだと、そう思ったからだ。
よく焼けた肉も、内臓も。体中に生気が染み渡る感覚がして、ヘルガーの力が宿っていくような気がして、そして何よりも、おいしかった。



「ここは……戻ってきたのか」
 今回の調査の最初は、ここが出発点だった。かつてのシンオウ神話とも縁が深いと言われる、静かな湖。
通称「おくりのいずみ」と呼ばれる場所だ。その奥には不思議な遺跡がある「もどりのどうくつ」もある。尤も、そちらは調査の手も結構入っているのだが。
だからこそ俺は、さらにまだ見ぬ遺跡があるのではないかと思ってその奥の森へと踏み込んでいったわけだ。
収穫はあった。しかしその為に費やした犠牲も大きかった。俺にとって、あまりにも大きなその犠牲。
 ヘルガーの亡骸も、そのほとんどが俺の身体や力になってしまった。残ったのは骨や角だけ。
それらは形がしっかり残る程度に焼いた後、途中で出会った小川で洗い、持って帰ってきた。それも全てこのためだ。
 俺は来たときと同じように、古びた橋を歩いて行く。ただ一つ違うのは、俺の持ち物。
俺の研究とも密接に関係している、シンオウの昔話。その話の一つに、こんなものがある。

うみや かわで つかまえた
ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして
ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは
ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ

 こいつは別に海や川で捕まえた訳じゃないし、俺だってこんな話が真実だとは思っていなかった。
けれど、せめてもの手向けとして何が出来るかを考えたときに、俺はこうするべきなんじゃないのかと思った。
 恐らく水の中にいたポケモンは水の中に戻すだとか、そういう意図があったのだろう。ということは、こいつをここに流すのは間違いだ。
それは十分分かっている。でも、この先は不思議な「もどりのどうくつ」。あるいは、もしかしたら、ひょっとしたら。
この辺にある、どこかの小川にあいつが流れてくるかもしれない。ありもしないことだと分かっている俺がいる一方で、それを望んでいる俺もいる。
水辺のポケモンじゃないとしても、きっとこの奥にある何か、この奥にいるかもしれない神様のような存在が、こいつを救ってくれるんじゃないか。
「ヘルガー、いつか必ず、戻ってこいよ」
 橋の切れた場所から湖を見下ろす。それなりの高さだ。そして俺は布袋にまとめた骨と角を、静かに湖へと落とした。
それが湖の波面を揺らしながら揺蕩い、沈んでいく。あとは静かな流れに少しずつ、少しずつ流されるだけだろう。
手を合わせて、湖に向かって祈る。ヘルガーへの感謝と、謝罪と、期待。最後に心の中でも同じ事を呟いて。
くるりと踵を返して、送り泉への道へ戻る。一度家に戻って、体勢を立て直したらまた調査に来ることにしよう。
 だからさ、ヘルガー。出来たらその時までに帰ってきて、俺に会いに来てくれよな。俺はずっと、ずっと待ってるから。



 泉の奥で見かけた遺跡。あの時は直ぐに落ちてしまったから、あそこがどういう目的で作られたのかも分からず仕舞いだった。
それを調べ上げて、一つの研究成果として世に発表したい。俺がヘルガーに出来ることは、きっとこれくらいしかないから。
だからまだ死ねないし、死ぬつもりもない。例えどんなに絶望的な状況になったとしても、絶対に生きて見せる。生きなくちゃならない。
 再び準備をして、体調も万全に整えて調査へと向かう。ヘルガーを失ってから一ヶ月。悲しくないと言えば嘘になる。
ただ、悲しんだまま何もしないんじゃ、それこそヘルガーが俺を救ってくれた意味がない。
もちろん周囲の人間には止められたし、同行を申し出る人も何人か居た。けれどそれは全て断ってきた。
俺と一緒に調査に行くのはヘルガーの役目。いつかあいつが帰ってきたときのために、俺はその居場所を開けておきたい。
 日は少しずつ昇ってきていた。急がないと日は直ぐに落ちてしまう。夜になればそこは野性のポケモン達の巣窟。
実質調査の出来る時間は十時間がやっとだ。さらにその中で移動や食事の時間も取らなくてはならない。
泉の橋で一度祈りを捧げてから、俺は周りを覆う木々の中を、この前の遺跡目指して駆けていく。
野性のポケモンを避けるために、スプレーや煙玉と言った準備も怠っていない。ヘルガーが居ない分、自分で気をつけなくてはいけない。
 何故だろうか、時折何かが自分に指示を出してくれているような。こっちは駄目だ、少し迂回した方が良い。
頭に浮かんだその言葉を信じて、俺はさらに奥地へ向かう。時には回り道を、時には立ち止まったりもしながら目指すのは遺跡。
寒い地方には寒い地方なりに緑色の草木が生えている。冬、と言うには少し早い位の季節、枯れた葉ももちろんあるのだが。
枝葉を掻き分け、時には踏みながらどんどんと進んでいく。ここまでどれ位経っただろうか、もう数時間は歩きっぱなしだ。
 不思議と疲れは感じなかった。そして何より、一度も危険に出会っていない。一人で調査をしていて、一度も危険な場面に出会わなかったのは初めてだ。
それもこれも全て、謎の第六感のおかげだ。最初は訳の分からないままに進んでいたが、段々とそれが確信に変わってきた。
間違いない、これはヘルガーが俺を助けてくれているんだ。危険を察知して、俺に知らせてくれている。それならもう、何も怖くない。
 日の高くなる頃には遺跡の前へ辿り着いていた。あの時のまま、何も変わっていないその風貌。
中をライトで照らしてみれば、一箇所床が大きく崩れている場所も見える。今度はあんな風にならないようにしなくちゃいけないな。
今回は前回の反省も踏まえて命綱を持ってきた。いざとなれば落ちてもそれを伝って這い上がれるはず。
それに、今の俺にはヘルガーも付いている。俺とヘルガー、お互いに注意し合えば、どんな危険だって乗り越えられるはず、そうだよな。
 調査の準備だけ手際よく進めて、調査はは明日から。命綱のセット、手持ち品の確認、寝床の準備、水や燃料の確保と、やることはたくさん。
全てが終わる頃にはもう日は西の彼方へと消えかけていた。集めた枝に火を付けて、今日やるべき準備は全て終わりだ。
「よし、ヘルガー、火を……って、何言ってるんだろうな、俺」
 ごそごそとバッグの中からマッチを取りだして火を付ける。それを枯れ葉に乗せて、燃え上がっていく炎をじっと見つめつつ。
改めてヘルガーが居ないことの寂しさを味わった。いくら俺の中にいても、形としてのヘルガーはもう居ない。
それが存外淋しかった所為か。いつの間にか俺は涙を零していた。とっくにこの気持ちには決着を付けたつもりだったというのに、まだ。
でも、泣いてばかりじゃ駄目だ。この悲しみを振り切って、研究に打ち込むことで、ヘルガーは報われるんだ。
 いつの間にか空は黒く、暗く。そこに瞬く星達を眺めつつ思う。あの輝きのどれか一つが、ひょっとしたらヘルガーの物なんじゃないか。
よく死んだ人のことを「星になった、」だとか言うけれど、そんな迷信もあるいは真実だったりするのかもしれない。
昔話や神話といったものに出てくるポケモンだって、実際に出会ったという人が居るんだ。あながち間違いとも言い切れない。
 何だか肌寒くなってきた。目の前に視線を戻せば、付けていた火が消えてしまっている。上手く枝が燃えなかったようだ。
もう一度マッチに手を伸ばし、それを手に掴もうとしたところで、俺の身体は大きく吹き飛ばされてしまった。
身体を起こそうにも、押さえつけられていて動けない。目の前に浮かんだ顔、角。ヘルガーだ。だが、明らかにあいつとは違う。
角も、身体も、あいつより一回り小さい。恐らくこの辺りに住む野性の奴だ。食い込む爪の痛みに耐えながら、何とかそいつを引きはがそうとしてみる。
しかしそいつの口には既に燃えさかる炎が。それでも死ねないと、最後の力を振り絞ってそいつの腹を思いっきり両手で押し込む。
 一筋の炎が放たれた。自分にではなく、目の前のヘルガーに向かって。貰い火という特性があるとはいえ、その勢いに驚いたのか、そいつは俺から飛び退いた。
そして炎の放たれた方向をちらりと見た後、そいつは一目散に反対側へと逃げていった。その顛末を、ただ呆然と見つめるしかない俺。
やがて炎の飛んできた方向から、一匹の黒い獣がやってきた。白い角、黒い、短い毛並、ヘルガーだ。その角の形も、身体の大きさも、全てに見覚えがあった。
「ヘル、ガー……おまえ」
 間違えるはずもない。絶対だ。俺の身体がそう告げているんだ。あいつは、俺とずっと一緒だったヘルガーだ。
凛々しくその場に立ったまま、こちらを見つめるヘルガー。その姿を見つめ返して、とうとう堪えきれなくなった嬉し涙。
昔話はやっぱり本当だったんだ。本当に、あいつが、帰ってきてくれたんだ。また、あいつは生きているんだ。
 どうしても涙を抑えられずに、座り込んだまま俯いて、嗚咽を繰り返す。嬉しかった。ただただ、嬉しかった。
あいつとまた一緒に居られる。あいつの居ない悲しみは今日で終わり。これからはまた、ずっと一緒に。
顔を上げても、涙で霞む目の前。それでも、あいつの黒い輪郭が月明かりに浮かんでいるのはよく分かる。
 俺は大きく手を広げ、その胸にヘルガーが飛び込んでくるのを待つ。溢れる涙も気にしない。顔はたぶんもうぐしゃぐしゃだ。
ゆっくりと、ゆっくりと黒い輪郭が近づいてきた。歩くような速さから、少しずつ早足になって、最後には飛びかかるように、俺の胸元へ。
 黒い影が、一瞬俺の視界を覆い尽くした。首元に感じた鋭い痛み、そしてそこから何かが垂れる感覚。
肉体を付けて戻ってくる、そう昔話にはあったっけ。確かに何も述べられていないな。誰も、その前の記憶があるなんて言ってなかった。
きっと俺に対して終始唸っていたんだろう。あいつを追い払ったのも、餌である俺を自分だけで食べる為、といったところか。
何やってるんだろうなあ、俺。なあ、ヘルガー。せっかく救って貰ったのに、お前に恩返し、出来ないままだな。
 首元を貫いている物が抜かれた瞬間、自分でも分かるくらいに大量の飛沫が弾け飛び、草木の緑を、地面の茶を、鈍い紅色へと塗りつぶしていくのが分かった。
いや、結局一緒か。俺が最初に望んだ事と、何も変わりはしない。変わりはしないけど、少し、悔しいかな。
やっぱり俺は生きたかったんだ。お前と一緒で、生きたかった。お前の為だ、なんて言いながら、俺の罪から逃げていただけ。
出来れば俺も、あの湖に流されたい。静かな水面で、ふわふわと揺蕩って、もう一度、お前と、違った形で、生きたままで出会いたい。
 ヘルガー、ごめん。俺も結局他の人間と同じだった。身勝手だった。自分の事が、一番大事だったんだ。
これは天罰かもしれない。それともお前の復讐なのかな。分かんないけど、俺が悪かったんだから仕方ないよな。
ごめん、本当にごめん。謝るから、償うから、俺の骨、送ってくれよ。死ぬのは嫌だ、怖いんだ、お願いだから。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。いつまでも、謝るから、だから、頼む、俺は、こんな。
嫌だ。死にたくない。死にたく、ないよ。生きたいんだ。ヘルガー、ごめんな。こんな俺で、ごめん。でも。
俺は生きたい。だから、謝るから、許してくれないか。もう一度だけ、生きるチャンスをくれないか。
嫌だ。嫌、だ。嫌……。

Fin.


【作品名】 揺蕩
【原稿用紙(20×20行)】 25.8(枚)
【総文字数】 8549(字)
【行数】 176(行)
【台詞:地の文】 4:95(%)|408:8141(字)
【漢字:かな:カナ:他】 32:62:3:0(%)|2818:5330:331:70(字)



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  • 投稿お疲れ様でした。
    人から離れ、ポケモンからも離れていた一人の男。そんな彼の隣に、そして先にいたのは黒い毛並みの炎。行くも逝くも先を越されてしまった男の末路は……まあ現実ならこうですよね。
    私としては、最後のポケモンは生まれ変わりというよりも幽霊に近く、記憶も残っている。だから本当に一緒になるために男を喰らったのではないかと勝手に解釈してしまったり。
    さらに妄想すると、実は男はポケモンをいただいた後に死んでいる。その強さははっきりしていませんが、ヘルガーには毒がありますからね。もともとほのおタイプですし、その火にも毒があるとされています。だから男は死んでしまったのですが、そのことに気づいていない。それを教えるために、そして一緒に、果てはまた先を行くために、ポケモンは男を呼んだ。男は第六感と思い、かつての存在に会い、一緒になることができた。
    きっとあの世で

    「噛むの強すぎ」
    「ごめんね」

    とかなっているんじゃないでしょうか。妄想がいきすぎました。失礼しました。

    作者様の作品は久しぶりに読ませていただきましたが、彼の時よりもさらに広がったご様子。久しくお話させていただいておりませんが、いつか。また。

    妄想が大半の上、長くなってしまいました。短くまとまっていて楽しめました。これからも頑張ってください。

    良い作品をありがとうございました。
    ――仙台仮住 ? 2011-09-03 (土) 00:21:28
  • >>仙台仮住さん
    理想ほど現実は甘くなかったですね。結局こんなお話になりました。
    妄想は自由にして欲しいところです。その為の余地は確かに残してありますw
    書いていないところからどう読み取るかはお任せしてます。考え方は人それぞれですね。
    ものすごーく久しぶりにコメントを頂いてとっても嬉しいです。また色々とお話出来たらいいですねー。
    これからも頑張ります、どうもありがとうございましたー。
    ――&fervor 2011-09-15 (木) 00:56:46
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Last-modified: 2011-09-02 (金) 00:00:00
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