ポケモン小説wiki
少女が来たりて剛動く

/少女が来たりて剛動く

TOP ?

亀の万年堂

12月21日 追記
コメント欄を作るのを忘れていました。改めて作り直したので、感想等がありましたら、コメントの方お願いします。



 道場の中で、人とポケモンが入り混じった数十人の門下生達が、気合のこもった声を飛ばし合い、板張りの床に、畳床に、その身を激しく叩きつけ、まるで、落雷がそこら中で発生しているのではないかと思わんばかりの地鳴りと轟音を響かせている。それらが織り成す、凄まじいまでの熱気と喧騒が渦巻いている中で、オレはそこの中心に在りつつも、あたかも次元を切り離されたかのように、周りの者達とは違う場に立っていた。目の前に立っている、自分と同じ道着を着ている者と共に。

「それでは、よろしくお願いします」

 凄まじい騒音の中でも、ハッキリとオレの耳に届いたその小さな言葉と、頭を下げる動作は、確かに試合の前に行う挨拶だった。例え、いかなる形式であったとしても、この道場の中で試合を行う場合は、そうすることが当然の決まりだ。そしてまた、それは一方だけが行うものではなく、それを受けた者も同様に、相手がどのような者であっても、同じ礼をもって返さなければならない。そのことは、何年もここにいるオレからすれば、呼吸をするのと等しい程に当然のことだった。
 しかし今、オレはそうすることを躊躇っていた。どのような場合であっても、相手が誰であっても、迷うことなく行うべきそれを、オレはするべきかどうか悩んでいた。このようなことは今まで一度たりとも無かった。強さを目指すために、道を指し示してくれた人の教えを守り、その教えに則って、ひたすらに研鑽を続けてきたというのに、今、オレはその教えを破ろうとしてしまっていた。
 
 ありえない。そう、今オレの目の前にあることは、そして、オレ自身の中に渦巻いていることは、確かにありえないことだった。だが、目の前にある以上、それは見紛うこと無き事実でもあった。白昼夢のような感覚を覚えてはいるが、こうして対峙しているからには、この者は確かにそこに存在しているのだ。

「あ、すいません、お名前は・・・」

 オレが礼を返すべきか悩んでいると、相手は申し訳なさそうな顔でオレの名前を聞いてきた。その者は、屈強な筋肉を備えた、厳つい面構えをした人間の男でもなければ、岩のように固く、人間には到底持ち得ないような筋肉を持ったポケモンでもなかった。
 その者は小さかった。赤く、細そうな長い髪を頭頂部で束ね、顔は、およそ武道を嗜んでいるとは、到底思えないような綺麗さだった。そして、その体もまた同様に、小さな道着が、より一層小さく見える程に細く、華奢だった。
 その者は人間だった。だがその者は、オレが今現在、最も近い存在として捉えている、カズユキ師範代のような大人の人間ではなく、時折道場に通ってくる、力弱い小さき者と同じ、子どもだった。
 ここまででも、オレに迷いを抱かせるには十分だったが、それらのこと以上に、ある一つの事実がオレに異質な感覚を与えていた。その者は小さき人間であると同時に、少女だったのだ。ただでさえ非力な子どもの中でも、特に力の無い女子。いくらここが、ポケモンと人とが共に拳を交え、互いに高め合っていくことを旨とする道場であったとしても、女子を見かけることはほとんど無い。何故なら、ほとんどの女子は、ここでの稽古についていけず、また、そうする強さをも持ってはいないからだ。
 しかし今、オレはその、道場に足を踏み入れるだけの強さが無いであろう女子と、こともあろうか試合をしようとしている。このことに異質な感覚を覚えずにいられるだろうか。
 
 最初はこう思った。もしかしたら、この少女はオレのことが良く分かっていないのではないかと。誰が見ても分かるような体を――とはいっても、もちろん、そうと捉えてもらうために鍛えてきたわけではないが、一目見れば、決して生半可な力では太刀打ちできないと思うであろうオレの体を、伊達か何かと勘違いしているのではないか?もしくは、単純な遊び相手としてオレを選んだだけなのではないか?周りで稽古を続けている他の者に断られ続けた結果、オレに行き着いただけなのではないか?
 そもそも道場に身を置くことすら困難なのだから、この考えは全く意味をなさないかもしれない。だが、今のオレには、こう考えるほかにはないし、そうとでも考えなければ、この状況を受け入れることはできそうもなかった。なかったのだが・・・しかし、その考えは師範代によって否定されてしまっていた。オレがチューブを使って打ち込みの稽古をしている最中に、この少女から声を掛けられ、先の疑問をもって戸惑いながらも、奥で、来客と思しき2匹のポケモンと席を並べて座っている師範代に、伺いの視線を向けたところ、師範代はオレに対して、ハッキリと大きく頷いたのだ。言葉こそ聞くことはできなかったが、それは明らかに、この少女の申し出を受けろという意味合いでの、肯定の動作だった。師範代からは、これまでにも数々の難題を与えられてきたが、今回のそれは、特に苦しいものだった。

 そのような経緯を経て、オレは今、こうして少女の前に立ち、問われたことに答え、試合の前の挨拶を、再度交わそうとしているというわけだ。およそ指の一本でもあれば、軽くその体を吹き飛ばせてしまえそうな程に細く、簡単に壊れてしまいそうな華奢な体をした少女を前に、異質な感覚を覚えながらも、オレは試合を始めようとしてしまっている。そうすることに、ハッキリとそうだと言えるほどに迷いを感じている。

 オレはそのありえない事実に、思わず笑ってしまいそうになった。ポケモンの中でも、一際力が強いと言われている、ゴーリキーという種にあるオレが、幼い少女を相手に異質な感覚を覚えて・・・いや、怯んでいるのだ。このまま試合を行えば、ほぼ確実に勝てるであろう相手と対峙しているにもかかわらず、オレは頭を下げて、礼をすることを躊躇っている。そうすることで、試合を始めることを躊躇している。これが笑わずにいられるだろうか?
 オレの名を聞くことで、オレがゴーリキーであると、確実に認識できたにもかかわらず、依然としてその余裕のある――まるで、これからすることが楽しみで仕方ない、子どものそれとしか言いようの無い表情を浮かべているこの少女に、オレは明らかに拳を突き出すことを決断できずにいる。

 それは、自分がこの少女に勝てないと思っているからなのか。それとも、自分が確実に勝てると思っているからなのか。

 紛れもなく、その答えは後者であったに違いない。いくら手加減をするとはいっても、迂闊に手を出せば、オレの鍛え上げられてきた力は、簡単にこの少女を砕いてしまう。初めて会った相手、しかも、自分から申し込んできただけではなく、師範代までもが許可を出したのだから、例えそうなったとしても、オレにはさしたる責任は生じないかもしれないが、相手が相手だけに、泣かれでもしたら気まずいことこの上ない。だからオレは、圧倒的優位な立場にいる者として、気を使わなければならないために、ないしは、万が一の事故を恐れてしまっているために、この少女に対して怯んでいるのだろう。

 10人に聞けば、10人がそうだと言うであろう答え。しかし、オレはそうだとハッキリ言える自信が無かった。そして、何故自信を持てないのかもわからなかった。

 そうして考えている間にも時間は流れていき、答えが出せないままに、オレは礼を済ませ、少女を前にして構えをとった。腰を少し深く落とし、左手をやや高く前に開いて出し、左手は腰のあたりに添えるようにして置いておく。右足は若干後ろに下げ、左足を半ば踏み込んでいる形で前に出す。相手がいつ来ても対応できるように、そして、いつでも踏み込めるようにするための、道場で教わった基本の型だ。
 もしも、全く迷いを持たなかったのなら、そうはしなかっただろう。構えをとらず、直立不動のまま少女が向かってくるのを待ち、袖を取ろうとしてくる、もしくは、蹴りか何かを繰り出してきたのを受けて、軽く引き倒してしまえば、それで済んでしまう話なのだから。

 だが、事はオレが迷っているのが正しいと言っているかのように、予想したようには運ばなかった。開始と同時に走って迫ってくるかと思いきや、少女はその場で動かず、オレと同じような構えをとったまま、ジッとオレの方を見ている。表情に怯えの色が無いことからして、今更オレに対して怯んでいるというわけでもないようだ。その少女の様子に、オレは、自身の中に渦巻いている迷いが、少しだけ、具体的な何かを持ち始めたのを感じた。

 辺りは未だに喧騒に包まれている。断続的に響き、道場全体をも揺らす勢いで、それぞれが自分の技を相手に、そして、自分自身へとぶつけている。しかし、オレと少女は、やはりそこから切り離されているような、言葉ではうまく言い表せない、異質な空間の中にあった。
 オレが振りほどけない違和感を感じつつ、構えを解かずに待っていると、少女がわずかに足を動かし、こちらへと体を近づけてきた。その動きは、ひどく緩慢なものではあったが、確実にオレと少女との距離は縮められていった。

 我慢が出来なくなり、いよいよ仕掛けてくる気になったのだろうか?

 オレは頭の中でそう唱えたものの、声を発しはせず、少女がしているのと同様に、傍から見ては、全く動いているとは思わないような速さで、静かに間合いを詰めていった。その間も、少女はこちらへと近づいてきている。そして、オレの手は届くが、少女の手は絶対に届かないという所にまで至ったところで、互いに足は止められた。
 動いたかのように見えた局面は再び静止し、振り出しに戻ったかのようだったが、オレの頭の中では、再び疑問による迷いの渦が勢いを増していた。

 何故相手が自分の間合いに入っているにもかかわらず、オレは手足を動かし、この少女のことを、一投のもとに負かしてしまわないのか。いや、そもそも、何故オレは遥かな強みに立っている者を相手にするがごとく、慎重に間合いを詰めていたのか。一足飛びに相手との間合いを詰め、細く華奢な腕を包んでいる袖を取り、力で引き倒してしまえばそれで終わっていたはずなのに、どうしてオレはそうとはせずに、試合を始める前と同じように、わざわざ盤石の構えをとって、この少女と正面きって対峙しているのだろうか。

 そう考えだした途端、先まで聞こえていた、凄まじいまでの喧騒の音が、徐々に静かになっていった。そしてオレは、それとともに、周りの光景が、不思議と暗くなっていくのを感じた。
 気合いの籠った声も、体が床に叩きつけられる音も、何も聞こえなくなった。どんな爆音を聞いても痛くならないはずの耳が、思わず手を当てたくなるほど痛くなるくらいに静かになっていった。そして、それまで見えていた周りの門下生の姿が、一人、二人、と消えていき、道場に差しているはずの日の光は消え失せ、真夜中でもこうは暗くはならないだろうというくらいに、辺りは真っ暗になっていった。
 その状態が進行し、自身の鼓動すら感じられなくなってくると、いよいよ目の前にあるのは少女だけになった。先とは違った意味で、今この場所には、オレとこの少女しかいなかった。

 試合が始まってから何分が経ったのだろうか?おそらく、まだ数分しか経っていないと思うが、この静かすぎる空間では、それすらも定かではない。そんな、まるで時間が止まっているような、そして、およそ科学的な証明ができなさそうな不思議な空間だったが、オレはこれまでにも、何度かここにやって来たことがあった。最近に照らし合わせてみるならば、カズユキ師範代と初めて立ち会った時がそうだった。それまで戦ってきた相手とは違う気配を感じ、迂闊に踏み込めず、構えて立ちつくしているうちに、今と同じく、周りが暗く静かになっていったのだ。

 何度か踏み入れたことはあっても、オレには未だにこの空間の意味はわからない。だが、こうしている以上、少なくともオレは、この少女に対して、カズユキ師範代と似通った気配、つまり、迂闊には踏み込めない何かを感じ取っているのは間違いないようだ。そしてそれこそが、先の誰もが答えられるような疑問に対して、オレが答えることのできなかった理由にあたるのだろうが・・・

!!!

 空間に足を踏み入れる前と同様に、いくつもの疑問を頭に浮かべていると、オレの左足の腿のあたりに、氷に触れるよりも冷たい感触が走った。そして、それから数瞬の間を置いて、小さな何かが落ちて弾けたような音が聞こえた。この空間においては、音も熱も感じないはずなのに、何故かそれだけは、ハッキリと感じられた。
 視線をずらして確認することは適わないが、少女が全く動いていないことと、落ちてきたような音をたてたことからして、どうやらそれは汗のようだった。いや、間違いなくそれはオレの汗だった。オレの額から、こめかみから、頬を伝って顎へと到達し、集合することで自重を増し、重力に引かれてその場から垂れた汗が、オレの足に冷たい感触をもたらしたのだ。

 これまでこの空間に身を置いたことは何度もあるが、汗を垂らすなどということは一度も無かった。にもかかわらず、何故、オレは今こうして汗をかいているのだろうか?そして、何故こうも汗が冷たくなっているのだろうか?

 手を伸ばせばすぐ届くほどに目の前にいる少女は、石になっているかのように動かない。今にして気づいたが、先ほどまで、その顔に浮かんでいた、明らかに子どものそれとしか言いようの無かった表情は、すでにそこには無かった。そこにあるのは、恐ろしく気の張り詰めた、真剣な表情だけだった。
 体が突然大きくなったわけではない。細く、赤い髪が変色したわけでもない。しかし、オレが今対峙しているのは、本当に先ほどの少女と同じ者なのだろうか?距離にしてみれば、ほんの数歩近づいただけなのに、こうも受ける印象が変わるのだろうか?そして、一体、この少女は何者なのだろうか?
 
 再三繰り返しているように、やはり疑問に答えを出すことは叶わず、オレは再び足に、そしてそれ以外の、手の内や背中といった部分に、先と同じ冷たい感触を覚えていた。その不快としか言いようがない感触は、オレに対して、このままでは、何もするまでも無く負けてしまうのではないか?という疑問を生みだして・・・

 と、そこまで考えて、オレは自身の心の中で踏みとどまった。


 負ける?オレが?この少女に?


 馬鹿げたことだ。そんなことはありえない。いや、あってはならないことだ。これまでオレは、強さを求めるに至ったきっかけを得てから、ただひたすらに強さを求め続けてきた。そしてその間に、オレは幾度と無く誇れるだけの強さを得たと思い、その度にその強さを打ち砕かれてきた。それは大変に辛酸をなめることではあったが、強さを得るためには必要なことだった。そう考えることで、オレはここまで強くなってきた。
 だが、この道場に来て数年、オレは自身の得た強さを打ち砕かれること無く、ここまで修行に修行を重ねてきた。そうすることでオレは、オレを打ち砕いたカズユキ師範代からも、大いに認められるような強さを得たのだ。仮に今、師範代と立ち合ったとしても、初めてそうした時のように、積み重ねてきたものを打ち砕かれることはない自信がある。

 そのオレが、ここまでやってきたオレが、このような少女に遅れをとっていいはずがないのだ。もしもそんなことになろうものなら、オレのみならず、オレをここまで鍛えてくれた、カズユキ師範代の強さまで冒してしまうことになる。そんなことは絶対にしてはならない。

 長く深い迷いは晴れ、覚悟は決まった。今はただ、この少女に勝たなければならない。オレは右の拳を軽く握り、少し深く息を吸って止めた。そうすること自体が、一体何を意味するのかを考えようとはしなかった。そしてオレは、長らく聞いていなかった喧騒の中へと、足を踏み出した。



 少女が去った後、師範代は来客と思しきポケモンと共に母屋の方へと引き上げ、オレを除く門下生も、全て今日の稽古を終えて道場を後にしていったが、オレは一人残っていた。
 つい先ほどまで喧騒に包まれていたにもかかわらず、今ここは、先の空間と同じくらいに静かで、同じくらいに暗かった。唯一先ほどと違うところがあるとすれば、ここにいるのは二人ではなく、オレ一人だということだろう。
 オレは今、畳床の上で仰向けに大の字になり、天井を見ていた。久しく見ることが無かったのに、今さっき、嫌というほど見させられたそこは、到底手が届かないくらいに高く、広かった。最初に師範代に見させられた時も、同じように思ったのに。もう二度と思うまいとしていたのに。オレは今、思うまいとしていたことを思っていた。

 
 オレは負けたのだ。あの少女に。


 これまで積み重ねてきた強さも、師範代の尊厳も、何もかも打ち砕かれた。大人にすらなっていない少女に、じぶんよりも圧倒的に力の無いはずの少女に、一度のみならず、何度も何度も負けたのだ。どれだけ向かっていっても、あの少女はオレのことを、まるで、子どもであるかのようにあしらい、叩き伏せてみせたのだ。少女は、圧倒的なまでに強かった。

 ありえない。ありえはしないが、しかし、それが現実だった。

 オレは寝転がったまま右手を顔の前まで持ってきて、思いきり握り拳を作って見せた。筋肉が収縮される音を発すると共に、それはオレの目の前で、細かく震えた。真っ直ぐに突き出せば、大木であろうと岩だろうと、容赦なく破壊することのできるそれは、一人の少女の前には無力だった。師範代にすら通じると思っていたオレの拳は、その大きさならば、優に胴体を掴めるであろう程度の体しか持っていない少女に届きはしなかった。

 挫折することは、これまでにも何度もあった。しかし・・・

 それ以上は考えたくはなかった。オレは仰向けの姿勢から一気に立ち上がり、手の内が痛くなるほどに握りしめた拳を、そのまま正面の壁にかけられていた、特製砂人形の中心へと叩きつけた。その衝撃によって、道場全体を揺るがすような振動と、母屋にまで届くのではないかと言うくらいに大きな音が生まれたが、ものの数秒でそれらは消えて、再び道場の中には静寂がもどった。心臓の鼓動だけがうるさかった。

 オレは一体、これまで何をしてきたのだろうか?誰よりも強くなるために、誰よりも努力してきたのに、それは全部無駄なことだったのか?そして、

 オレは、あの少女に・・・

 オレは人形にめり込んだ拳を戻し、その場で座り込んで俯いた。視線の先にある畳床の上には何もない。あったとしても、暗くて何も見えはしなかった。今オレに見えるのは、これまで信じてきた、オレ自身の体だけだ。他には何も見えるはずがない。だが、それも今となっては、前ほどハッキリとは見えなくなっていた。

 師範代に強さを打ち砕かれた時、オレは凄まじい悔しさを感じたが、一方で喜びをも感じていた。今はどれだけ悔しくても、この人を目指し、乗り越えていこうとすれば、今よりもさらなる強さを得ることができるとわかっていたからだ。それはそれまでの経験からくる、他人に言わせてみれば、まるで根拠の無いものだったが、それでもオレは、そうに違いないという確信をもっていた。
 だが、それは結局のところ、師範代がこれまでの壁と――もちろん力量の差はあるが、本質的には何ら違いは無かったからだ。自分の力と体を信じて鍛え続ければ、必ず到達することができる次元にあったからこそ、おれは確信を持ち、そうすることができたのだ。

 しかし、あの少女は違った。立ち合ってみて、いや、もしかしたら、立ち合う前から、同じではないとわかっていたのかもしれない。だから、あのような異質な感覚を覚えたのかもしれない。この少女は、これまで立ちはだかってきた壁とは、全く異なるものなのだと。
 
 一体あの少女は何者なのか?

 何度も何度も繰り返してきたその疑問は、その気になればすぐにわかることだった。汗で冷たくなった道着を脱ぎ、母屋へと走り、茶の間にいるであろう師範代に伺いをたてれば、簡単に答えを出してくれるだろう。
 だが、それでは意味が無いのだ。例え師範代が、どれだけわかりやすく説明してくれたとしても、あの強さのことをわかることはできない。オレ自身で確かめなければ、その秘密には絶対にたどり着けない。そしてそれは、そうすることができなければ、オレは永遠にあの少女よりも強くなることができないということを意味している。

 なんと分厚く、なんと高い壁なのだろうか?考えたくはないが、到底乗り越えられるとは思えない程に、それは大きな壁だった。

 大体、あの少女の強さの秘密を知ったところで、その強さを得られるという保証はどこにもない。その自信すらない。本当にあの少女が別次元の存在ならば、同じ次元にいないオレが、少女と同じ高みに立てる可能性は猛烈に低い。それに、少女以上の存在が出てきたら一体どうするというのか?

 オレは疑問を持ちつつ、再び右手で握り拳を作ってみせた。そして、今度はそれを、胸の前で広げた左手の中へと叩きつけた。先ほどとは違って、渇いた音が道場の中に響き、先ほどよりも早くそれは消えていった。オレはそのまま左手を、右手を包むようにして握り込んだ。さらに今度はそれを、顔よりもやや低い位置へと持っていき、そしてそこに鼻先を当てるようにして顔を近づけ、目をつぶった。

 強くなるために鍛え上げ、強くなるために挫折し、強くなるために動いてきたオレに、そうする以外に術を知らないオレに、悩む資格など無いのかもしれない。死に物狂いで修業をしたところで、それを得られるという保証も確証も何もないが、「強さ」だけは今、ハッキリと目の前に存在している。自分の体すらよく見えない今のオレの目の前には、それだけしか存在していない。その本質を見抜くことができず、そして今も見抜けずにいるが、オレはすでにその下で、これ以上にない程の挫折をさせられた。ならば後はどうするべきか決まっている。が、たった一つだけ、どうしてもそうする前に、考えておかなければならないことがあった。
 
 カズユキ師範代は、オレがそうすることを許してくれるだろうか?

 そうするしかない、と腹は決まっていても、これだけはどうにもならない。いや、腹が完全に決まっていないからこそ、このような疑問が浮かぶのだろうか?
 だが、カズユキ師範代は、オレが最も長く師事を仰いだ人だ。それだけ長い間、オレのことを鍛えてくれたのはもちろんのこと、オレにとっての壁でいてくれた。いや、今もなお、オレの目指すべき壁でい続けてくれている存在だ。いくらオレがそうしたいと思っていても、師範代がそうするべきではないと言うとしたら、オレはそれを無視してでもそうすることができるだろうか?これまで受けてきた恩義を台無しにする形で、そうすることができるだろうか?

 オレは目を開けて、顔のすぐ下で組まれている手を見た。左手は右手を押さえ、右手は左手にその力を発している。時には押さえるのではなく、その力をぶつけてくることもある左手だが、それがあるおかげで、右手はその力を発することができるのだ。言うなれば、師範代はこの場合の左手であって、右手はオレだった。
 長い間共にした左手を別の者に委ねるのは、恐ろしくもあり、その元に対して、畏れるべきことでもある。だが、そうしなければ、いつまで経っても、右手は前へと進むことはできないのだ。

 オレは左手を右手から離し、握り拳を作ったままで、右手を体の正面へとまっすぐに伸ばした。その先には、ついさっき拳をめり込ませた人形があり、さらにその先には、道場全体を支える、とてつもなく大きな壁がある。何度となくこの体をぶつけてきた壁だ。そして、その向こうには・・・

 と、壁の向こうを見ていると、突然眩しい光がオレの目を襲った。それまで道場の中が大変に暗かったこともあり、オレはその眩しさに耐えかねて、思わず伸ばしていた右手を戻して、そのまま左手と併せて目を覆った。
 すぐには目が慣れず、オレが目を細めていると、右手の方から誰かが近づいてくるのがわかった。小さな足音を頼りに顔を向けたところで、ぼやけていてよく見えなかったが、すぐ近くに見えた小さな足からゆっくりと上を見ていくにつれて、その者の正体が、段々とハッキリしてきた。
 白くて細長い足、それに見合った細い腰、そして、傷一つ見当たらない綺麗な顔。およそ武道を嗜んでいるとは思えないその体は、全てにおいて小さく、誰が見てもその者は、小さき者だった。

「だ、大丈夫ですか?」

 心配そうな声を明るくなった静かな道場の中に響かせ、赤く、細そうな長い髪を揺らしながら、その少女は、オレに向かって手を伸ばしてきた。オレはその小さな手を見つめ、自分の右手を握り込み、少女に向かって口を開いた。

おしまい



あとがき

※注意!ここから先には、いつも通りのあとがきが書かれています!※

初めての方には初めまして、お会いした方にはおはようございます。クリスマスが近くなり、食べるケーキの数を計算し、会う人も計算し、プレゼントの出費も計算し、ありとあらゆるところで計画的な生活をすることについて、真剣に考えて時間を浪費している亀の万年堂です。1カットならともかく、1、2ホールのごちゃまぜケーキを食べるのは、流石にこの年になるとしんどいです。この年になると、と言ってしまったことに、思わず自害したくなりましたが、TR.γ型の血は余っているそうなのでやめておきます。

今回の話は、やはり長編本編に出てくる、とあるゴーリキーが、謎の無敵少女と出会うまでの舞台裏話(?)となっています。なので、前々回、前回と同じく、この話も本編とリンクしている形となっています。時系列と照らし合わせて言うならば、レポートNo.4の話の中の話、というとわかりにくいですが、その中の、ほんの数十分間の内容ということになります。前半の部分だけで見れば、5分も経っていないかもしれません。精神と時の部屋状態という奴ですね。欲しい。

話がおかしくなりそうなので戻すことにします。今回の話は、亀日記の方でも書かせてもらったように、ゴーリキーの周りの描写について、特にがんばらねばならないものだったので、ゴーリキーがどれだけ焦っているのかといったところを、いかに読者の皆様に伝えられるかということに重点をおいて作ることになりました。もちろんそれだけではなく、このゴーリキーが、本編では語られなかった所で、いったいどんなことを考えていたのか、といったところを明らかにするという目的もあったのですが、この方は、本編では比較的ハッキリとした形で現れているので、あまりそちらの方については深く掘り下げることはしませんでした。なので、前々作、前作と比べますと、中々に反応が怖い部分があるのですが、それはそれとして受け止めなくてはならないので、おとなしく白装束を準備しているわけです。

自爆話はとりあえずそのへんにしておいて、今後についてなのですが、やはり日記でも書いたように、次はいよいよ、長編である「テンテンテテテンのレポート」の方の投稿をすることになりそうです。何度も何度も手直ししているだけに、本筋に関しては、あまり修正する部分はないのですが、短編を書いたことで、若干直さなければならない部分もありますし、私個人としましても、表現を見直したい所が少なからずあるので、やはり投稿には時間がかかってしまうかもしれません(時期が時期ですしね)。心待ちにしていらっしゃる方につきましては、どうかその点をご理解していただければと思います。

と、一通りここで書くべきことは書いたと思うので、そろそろ締めたいと思います。
書くことは山ほどにあり、書けば書くほどその山が大きくなる世界ですが、書ける力が与えられ続けている限り、私は書き続けていきたいと思います。
またしても遅くなってしまいましたが、初めて私の作品を読んでくださった方々、再び私の作品を読んでくださった方々、本日は「少女が来たりて剛動く」を読んでいただき、本当にどうもありがとうございました。私の世界に、次回もお付き合いいただけたら幸いです。

亀の万年堂でした


何かありましたらどうぞ

コメントはありません。 Comments/少女が来たりて剛動く ?

お名前:

トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.