とある一つの部屋。
ベッドがただ一つあるだけ。窓もない、時計も棚もない、それ以外には何も置かれてはいない、生活感の欠片すら感じられない部屋。
壁は一面白色で、床も白色のカーペットのようなものを一面に敷いてある。ベッドのシーツも毛布も枕も、すべて純白で染め上げられ、シミの一つもない。
狭くもなく、けれどさして広いわけでもないその部屋のドアノブを回す音が響く。ドアノブも何故か白色だった。
部屋の中に入ってきたのは一人の中年に近い女性。灰色のスーツを着て、ハイヒールをカツカツ鳴らしながら、少しやつれた顔でベッドの近くまで歩いてゆく。
その後ろから、一匹のポケモンが共に入ってくる。白く整った毛並み、藍色の四肢の爪や顔、そして三日月のように湾曲した角が顔の右側から出ていた。
災いを呼ぶといわれるアブソル。その姿は確認されている他のアブソルよりも大柄で、背が人間の大人の腰よりも少しばかり上に届きそうなほど。
ドアクローザーで勝手に閉まるドアの音を確認するかのように横目でドアの方を一瞬だけ見たアブソルは、ベッドの近くで呆然と立ち尽くしてる女性に向かって声を掛けた。
「どうかされました?」
無音の部屋に響いたアブソルの声。透き通っていて、低くもなく高くもなく、中性的な声。
雄か雌かも判断つかないその声を初めて聞いた女性は、ハッと我に返ったようにどこか焦点の合っていなかった目をアブソルの方に向けた。
「キャンセルされるなら、言ってくださっても構わないですよ。初めてしまったら、もう後戻りは出来ないですから。ここで止めても、誰もあなたを臆病者だとは言いませんし、咎めることもないでしょう」
「……いいえ。もう、決めたことだから」
女性はアブソルの赤い目を見据えながら、そうゆっくりと言った。迷いがない。そんな感じだった。
「……わかりました。それでは、事前に説明されましたように、着ている服をすべて脱いで、ベッドの下に置いて下さい」
アブソルはくるりと体の向きを反転させて、女性の方とは反対側を見るようにする。
どうせ後でも女性の裸を見ることになるのだが、脱いでいる状態をポケモンに見られて恥ずかしいと感じる者も中にはいる。
だからこうして相手が男性でも女性でも、背を向けてみないようにしろというのが、アブソルの持ち主からの言付だった。
地面に服が落ちていくであろう音を耳に入れながら、アブソルはただそこで待っていた。やがて、ベッドの毛布がすれる音が聞こえたところで、女性から終わったという声が掛かる。再び体の向きを戻してベッドの方へと視線を向けたアブソルは、そのままベッドの近くまで来てしばらく黙りこんだ。
「ねぇ……痛みはあるの?」
いよいよというところで、女性は小さい声でそうアブソルに尋ねた。アブソルはゆっくりと首を左右に振るとこう答えた。
「痛みはありません。開始から約3分で気持ちよくなって、そのまま……」
アブソルはその先は言わなかった。言わなくても、元々女性はそのためにここに来たのだから、その先の言葉は女性の方も理解はしていた。
その言葉を聞いて幾分か安心したのか、女性はベッドで仰向けの状態で、毛布をしっかりと首元まで被って呼吸を落ち着かせた。
「それでは。始めますよ」
「……待って」
女性の静止の声に、アブソルは表情を変えずに彼女の方を見る。女性は手招きをしてベッドの端を少しだけ上にあげた。
特に女性は何も言わなかったが、アブソルはその意味を理解したようで、ベッドの中へと自らの身を滑り込ませた。
元々一人用のベッドのため、女性と、大人一人の大きさはありそうなアブソルが入れば中は窮屈だが、お互いに体を密着させていれば問題はないことだった。
アブソルはこういうことには慣れていた。体に触れられたとしても特に問題はないし、汚いと思ったこともない。
ただ、ゆっくりと目を閉じて口を開き、調律を合わせ、子守唄を口ずさめばいい。
その間、彼女はアブソルの大きな首元の毛に顔をうずめ、肌でアブソルのぬくもりを感じていた。
アブソルは子守唄を歌っている間、何も考えない、何も思ったりもしない。
ただ目の前にいる哀れな者に向けて、自身が出来る最大限の慰めの歌を与えるだけ。
数分の後、アブソルはそっと歌を締めくくった。誰も聞くことのない、終わりの旋律。
女性はいつの間にか、ベッドの上で静かに眠っていた。アブソルは彼女の頬に軽く口元だけを当てると、ベッドから降りて部屋をそっと後にした。
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