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子離れ親離れ兎離れ

/子離れ親離れ兎離れ

Lem

子離れ親離れ兎離れ 


 可愛さとは毒であり、その差は致死に至る即効性から遅効性と幅広く、最悪両方の側面を備えている事も珍しくない。
 時には突き放す事も愛の形であり、それを遂行できる母親の何たる強さであることか。
 そういう知識をもっと早くに身につけていれば、ここまで拗れた関係になることも無かったのだろうと切に思う。
 意識を無にして原点へ回帰する私の記憶は過ぎ去りし過去の、我が子の姿を写し見た。
 あれは一年前。

 この日の私は朝から体調が優れなく、腹痛で起き上がることもままならぬ状態にあった。
 痛みに堪えようと姿勢を反対側へ転げても一時しのぎにしかならず、しまいには頭痛までもが主張を始めて我が身を苛めてくる。
 あまりにも苦痛が過ぎるのか知らず知らずの内に呻き声をあげていたらしく、心配になってモンスターボールから飛び出してきた子兎がベッドに上がり、私の顔を不安げに覗き見ている。
「……心配してくれてんの? ありがと、ヒバニー……」
 頭を撫でようと伸ばした指先は子兎に触れる直前で激痛により腹部に引き戻された。
 たまらず向こうからこちらにすり寄ってくる。
 額に当たる子兎の手がじんわりと温かく、ほんの少しだけ頭痛が退いていく。
 兎の体温を通じて自分の体温が著しく低くなっている事に気づき、自覚すればするほど指先や足の爪先も凍り付いていく。
「……寒……」
 脂汗で更に体感温度は冷え、何か手を打たないと死んでしまうのでは無いかと心が不安に押し潰されそうになる。
 体は暖を求めて縮み上がり、球体に限りなく近くなっても尚寒く。
 もう死んでもいいやと諦観が胸中に芽生えだしたが、兎の足がそれを燃やした。
 足が離れて残った足跡も熱が冷めることはなく、篝火のように揺らめいて私の心を照らしていく。
 毛布を潜り、全身を使って這いずる子兎は腹部の上で止まり、私の両手にぴたりと触れる。
 温かい。温かい。温かい――
 冷えが遠退き、痛みが和らぎ、束の間の余裕が生まれた私は子兎を抱き寄せ、腹部の痛みを取り除く事だけしか頭になかった。
 安らぎの持続によって沈静化した体は苦痛から解放された気の緩みからか、次に目覚めた頃には昼時を過ぎていた。
 若干鈍痛が残ってはいるものの堪えられない程ではない。
 上半身を起こし、ぼんやりとした頭で腹部に貼り付いた子兎を撫でる。
 撫で、繰り、撫で、繰り。
 嫌なことがある度に、落ち込む度に、悲しむ度に。
 子兎はこうして私の腹部に貼り付き、無言で私に撫でさせては傍に寄り添う特別な関係としての立ち位置を確立していったように思う。
 実際その存在と気遣いには何度も救われたし、感謝もしている。
 半年を過ぎて体が大きくなっても私は特にそれを拒まず、彼の優しさに甘えて受け入れた。
 本来ならばここらで心を鬼にし、子離れと親離れを覚えさせる時期だった。
 そうしなかったのはそれだけそのぬるま湯が、子兎との混浴が心地好かったからだ。
 勿論言い訳でしかないのは十分に理解している。

 そして一年が過ぎる頃には子兎から兎へと成長し、身長もほぼ私と変わらない高さにまで伸びた。
 そこまで大きくなれば流石にお互いの距離を意識するものだが、奇妙なことにそうはならなかった。
「あんたの関係はおかしい」と女友達に突っ込まれるまでは。
「君達の間に入れないのが辛い」と付き合っていた彼氏から別れ話を告げられるまでは。
 そんな当たり前のことを当たり前として認識できず、私は兎を背面から抱き締めて心の暖を取っている。
 その様を見せつけられる度にどちらが彼氏なのか分からないと毎回突っ込まれるのだ。
 女友達と交わした会話の一部分を思い出そうとして楽な体制を取るためにベッドへ寝そべる。
 ゆらゆらと記憶の海に揺られながら一つ一つの質疑回答を箇条書きしていく。

Q.彼氏はどこからどこまでをしたら彼氏認定か。
A.辛い時は黙って傍に寄り添ってくれる存在。
 黙って傍に寄り添う存在……兎だ。
 今、私の股の間に体を潜り込ませている。

Q.彼氏と居るとどんな気持ちか。
A.触れ合っていると嬉しくなるし、常に優しい気持ちにもなるし、何より心が癒される。
 心が癒される……兎だ。
 今、私の腹部に頭を埋めようと上着の裾を押し上げている。

Q.彼氏なら何処までされても許せるか。
A.段階を踏んでいれば過剰なボディランゲージは許容範囲内。
 ボディランゲージ……兎。
 今、地肌を曝け出してその上に頭を乗せて落ち着いている。

 あれ、彼氏って何だっけ。
 私の彼氏って人間でいいんだっけ。
 暫く自己問答を繰り返してみるも着地点は見えてこない。
 考えすぎて何だか頭が痛くなってきた。
 こめかみに手の甲やら掌やらを押し当てるも痛みは退いてくれそうになく、低い呻き声が腹の中でこだまする。
 その声を聞き当てたのか、兎が上半身を起こしてこちらの顔を真上から覗き込める距離まで詰めてきた。
「んー……平気平気。大したことないって」
 そう嘯いてみせるものの兎は決まって小さな掌を私のウィークポイントに押し当ててくる。
 いつもそうだ。
 私でさえも把握してない弱いところをこの兎はその手で、足跡をつけてくるのだ。
「お前は本当に優しいねぇ」
 負けじとこちらも手を伸ばして兎の頭を撫でる。
「……私の彼氏になる?」
 冗談混じりにからかい半分で訊いただけだった。
 瞳孔の収縮か、緋色の眼が炎の様に揺らめいた。
 だからだろう。兎が顔を接近しているのに気づくまで反応が遅れ、不覚にも口付けを許してしまった。
 私の、ファーストキスを。
「……流石にそれは反則だぞプレイボーイ」
 屈託のない笑顔を返す兎へ、照れつつも内心では嬉しい自分の気持ちに少し反省会を開く必要がある。
 しかし、今だけは。
 真摯に気持ちを返してくれた兎に免じて、当分の間は彼氏を作らなくてもいいかなと思うのだった。



 後書

 天恵が降りてきたら書かなきゃいけない。
 ネタは鮮度が大事。

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Last-modified: 2020-02-27 (木) 20:26:47
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