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天球の鵲(かささぎ)、星の逢引

/天球の鵲(かささぎ)、星の逢引

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鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける

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「おとといはひどい雨だったけど今日はすっきり晴れてよかったわね」
「川の水が増水していないといいんだが。・・・むしよけスプレーはどこ?俺、ブユとかダメなんだ」
「ねえ!モンスターボールも持っていっていい?」
「また何か捕獲するつもり?ほどほどにね、ほどほど」
夕暮れが近づいてきて僕のトレーナーたちもそわそわとし始めた。その一方で僕は悠然とクッションの上にとぐろを巻いていた。冷房のかかった部屋はすこぶる快適だ。
カレンダーのほうに目を向けると、今日の日付、七月七日には赤ペンでマルがかいてあった。
僕は人間の文字が分からないけれど、その日付の下に書かれた「七夕」の読み方だけは知っている。「タナバタ」、というのだそうだ。
何でも僕のトレーナー――居間でばたばたと走り回っている人間の少年――が僕に熱く語ってくれたことによれば、今年は「タイヨウレキ」の七夕と「タイインレキ」の七夕が重なる、しかも「キュウジツ」の特別な日、らしい。正直よく分からなかった。
そもそも七夕というものが何なのかすら、全く知らないのだから。ポケモンと人間は会話ができないからこういうことはありがちだ。人間にとっては独り言のようなものなんだろう。
ともあれ、今日どこかへ、しかも車と呼ばれる大きな機械で遠出をするというのは分かったから、僕は人間達を観察していた。
ここの家の人間は三匹の家族で、父親と母親と、僕のトレーナーの少年だ。短パンをはいた少年は自分の部屋でリュックに荷物をつめているし、父親は車にしゃらしゃらと音のするものを押し込んでいて、母親は肌に何か刷り込むのに夢中だ。
「ピカチュウ!出かけるよ!」
少年が僕のほうに駆け寄ってきたから、僕はその懐に飛び込んだ。抱きしめられるのは悪い心地じゃない。腕に抱かれたまま僕は車に乗り込んだ。勢いよくドアを閉めるものだから音が大きくて耳に痛い。
車の中はやはり冷房がかかっていて、外気との差で鳥肌が立つ。窓側に座り込んだ少年のひざの上に立ち、窓を覗き込んだ。
やがてエンジンがうなる声がして、窓に切り取られた外の景色がゆっくりと後方に流れ始めた。



 林は群青。光を伴って流れる川は緩やかに、淡い淡水が海水に混じって溶けていく。
 蝉のまだ喚かぬ空は草いきれに満ちていた。もう薄いヴェールのような雲なんて季節はずれだったが、今の空にはそんなわずかな雲も残っていなかった。
 海の黒々とした青と濃い夏色の空が眼前に広がり、黄色く長い耳元には波音が囁きかけた。
 山が海までせり出しているこの場所は、砂浜ではなく、大きな岩が並んでいる。小さめの河口が水を海に注ぎ込んでいる。
 その透き通ったまろい音と、雄大且つ寛容な父性と母性を兼ねた大海のしぶく音は、そこに一片の静寂が入り込む隙をも作らない。
 臨海部にまで木が生えたこの浜に人影はない。けれども、代わりにピカチュウが寝そべっていた。短い四肢を大地に預けて。切れ込みの入った尾を風に任せて左右に揺らし、凪げばぱたりと倒す。
 それを繰り返しつつ、彼女の瞳は海を映す。
 この近辺の森は、人間にはよく知られたピカチュウの生息地だ。ピカチュウの分布する場所は多くない。また数も少ないが、この辺りには大きな群れがいくつかあり、彼女はそのなかの一匹だ。
 本来群れることを好むピカチュウが一匹でいることは、珍しいことではあったが。
「もう夏、」
 ピカチュウは頬杖をつく。諦めたような口調には僅かなよどみがあった。吐いたため息が潮風にさらわれた。それは塩を含んだ空気にとけ、大地をならし、大気に掻き消えていく。
 空はただ青く、海はただ深いばかりで、そんな彼女の感情すら、それどころか存在すら取るに足らないものだろう。
 その空と海が、暑さを失い、寒くなり、また温かくなって、一年が回った。それは彼女にとって単なる年月ではない。
 彼女は彼と、あのピカチュウと別れてからの年を数えて、指を一本折った。



川についたころにはすっかり日が暮れていて、紅蓮と紫と藍とが見事なグラデーションを作っていた。そこにぽつぽつと白い星明りがみえる。きれいだった。
車は最後に大きな振動を残して揺れが止まり、うなるのをやめた。ついたぞ、と父親の声。
少年が車のドアを勢いよく開けたので、僕はそこから転がるように外へ出た。丸く小さい石の冷たさが直接足に張り付く。川のせせらぎが清らかな調べを奏でていた。
僕は川に走りより、冷たい水で顔を洗う。清清しかった。僕は立ち上がり、辺りを見回す。
・・・それは、見覚えのある風景だった。
立ち並ぶ木々の緑色も、あまり幅の広くない川も、僕は覚えていた。滴る水が作る割れた水晶のようなきらめきを思い出した。夕空に浮かぶ夏の星々の形とその美しさは今でもはっきりと脳裏に浮かび上がってくる。
流れる川の音も、緑色の森もそのままに、まるで過去に戻ってきたかのような。
僕の故郷だった。
「懐かしい?」
僕の頭をくしゃくしゃなでながら少年は僕の顔を覗き込んだ。どうやら知っていたらしいし、この反応を楽しみにしていたらしい。何も答えないでいた。ただ対岸を見ていた。
「お父さんのテントを張るのを手伝ってちょうだい!」
「はーい」
少年が父親のほうへ行ってからも僕は呆然としていた。懐かしさと驚きと困惑がどっと押し寄せて感情の取捨選択が難しくなっていた。
大き目の石に腰を下ろし、遠い昔に思いを馳せる。僕は生まれたときからここに住んでいた。同じピカチュウの群れと一緒に。
あの頃の世界は緑と光に包まれたこの森だけが全てだった。そこから出、他の世界を知ることができたと思えばこれは幸運だったかもしれない。
しかし僕の気がかりはそんなことじゃなかった。
僕は一匹の雌のピカチュウのことを考えていた。同じ時期に生まれて、兄妹か、姉弟のように育った。同じ木の実を焼いて食べ、同じように雷を落とした。そして、僕達は互いに慕いあった。
今まではそんなこと、霞がかかったように忘れていたのに。
モンスターボールが割れる音がしてわれに返ると、背後にはとうにオレンジ色のテントが張られていて、ヒトカゲが少年の母親のそばでかがんでいた。尾に燃える炎が紙に触れると白い光がほとばしり、赤い炎が立ち上る。それを火種に、母親は木をたきつけた。
風は凪いでいたから、煙はまっすぐに空へ昇る。僕はそれを見上げてふと、夜空に星の帯が掲げられている事に気付く。



「たなばた?」
 聞いたことがないのだろうか、ピカチュウは首をかしげる。その目の前には沢山の果物や肉が並べられ、ヤミカラスが誇らしげにしていた。大きめな頭の飾りを見たところ雄なのだろう。彼は少し焦げ目のついたソーセージをつついた。
「そ。まァ、人間のお祭りさね。だから今日はこの通り豊作」
「あんたねえ……。まあいいや。いただいちゃっていいのね?」
「もちろん」
 数ある果物の中からピカチュウは真っ先に枇杷に手を伸ばした。ピカチュウは大抵果物が好物だが、彼女も例外ではない。
 やわらかく熟れた果実は歯を立てなくとも自然と口の中にこぼれ、甘い芳香が口中を満たした。思わず彼女の頬が緩む。とろけるような笑顔を作って、彼女はもう一口かじった。
「あれ、それってこの辺りにも自生してなかったっけ」
「野生のは硬くてあんまり甘くないからね。確かに電撃あてれば美味しいけど、やっぱり人間が育てたのがおいしい」
 そんなことをいいながら彼女はあっという間に一つを平らげた。その食べかすというのがほとんど種だけで、よくここまで綺麗に食べられるな、とヤミカラスが呟いた。
 くちばしのおかげで彼は器用ではなく周りにはソーセージの肉片が散らばっている。ピカチュウは一つでは飽き足らず、水蜜桃に手を伸ばした。
 夜が空を覆っていたが、半月のおかげでさほど暗くはなかった。それに夏の星は明るい。海には空の光が反射して波に揺らぐ。小ぶりな果実に噛り付きながらピカチュウは空を仰ぎ見た。
 満天の星空。人工灯のないその場所からは、はっきりと星の輪郭をなぞることができ、美しく淡い光の帯を目にすることができた。闇を横断する白はさまざまな星に彩られている。
「天の川?」
 唐突にヤミカラスが声を上げたことに驚いてピカチュウは彼を振り返る。
「なにそれ」
「あの白いやつ見てるんだろ。あれ、天の川っていうんだ、人間は」
「ふーん」
「七夕っていうのはあの天の川にまつわる祭りらしいぞ」
「へえ」
「……ピカチュウが捕獲されちまったのも、ちょうど去年の七夕だっただろ」
 ピカチュウは押し黙った。嫌なことでも思い出したように沈黙が落ちる。海がさざめく音が何回か反復したが、その間ずっと、ヤミカラスは彼女のことを見つめたままだった。赤い目はぶれることなく彼女を見つめたままだった。
ピカチュウは、沈んだ黒い目の向こうで、何かしこりのようなものを抱えているのが確かに伺えた。ヤミカラスはそれを見透かしていたのかもしれない。肉の塊をくわえ込んで飲み下す。
「あんたさ、トレーナーのこと今でも信じてるの?」
 彼のほうを見ず、静かな口ぶりで言った。ヤミカラスは当然だとでもいうように首を大きく揺らした。
「だって俺を捨てたのは俺のトレーナーじゃないし。あいつの家族が、ヤミカラスは不吉だから捨てろっていっただけでさ」
「その家族を恨んだりは?」
「そんなことしてもしょうがねえじゃん。こういう運命だったと思ってる」
 ピカチュウが何か言い出すより早く、ヤミカラスは肩をすくめる。
「あのピカチュウにしたってそうだろ?」
 それだけいうと片足でバナナを剥いてついばんだ。まるで最初からこういう方向に話を持っていくと決めていたように。
 ピカチュウはうつむいて何もいわなかったが、やがて手に握った水蜜桃に目をやった。果汁が甲にまでたれてきているのを見て彼女は慌ててそれに口をつける。その途中、そうかもね、と呟いたのが聞こえた。
ふっ、と息を吐いて今度はヤミカラスが空を見上げた。



夕食を終えたあと、少年は手持ちのポケモンをボールから出してやっていた。たまには自由行動を、というわけだ。
人間達の夕食はにぎやかで楽しそうだったが、ポケモンのほうはというと、いつもと変わらない茶色の固形食糧だ。人間はこれさえ食べていれば大丈夫と妄信的だけど、冗談じゃない。
犬や猫みたいな動物じゃないんだから、味覚がちゃんとしてるんだから、ずっとこんなものを食べていれば飽きるのは当然だ。
僕はみんなが遊んでいる川原から離れて、森を走った。草を踏み、葉を掠めて、ただがむしゃらに大地を蹴った。立ち止まって背後を振り返ると、少年とその家族はかがんで何かしているようだった。そのさらに奥には丈のある細い葉の植物が横たえてあった。ああ、父親が車に乗せていたのはあれか。
試しに鳴き声を上げてみても、彼らは振り返りもしなかった。聞こえないのだろう。
――このまま群れへ帰れば?
悪魔の代弁者か誰か――僕の心にそんなことを吹き込む。鼓動を強く打った。
――行けば、彼女に会えるかもしれない。
「っ」
表情をゆがめ、前足を強く蹴り上げた。後足を駆けさせた。望郷の念のようなものが少しずつ湧いてきているのが分かってしまった。どこへ僕は行けばいい?梢の影の向こうに星を見ながら土を散らす。
誰かピカチュウが現れることを期待した。偶然を待ち望んだ。
しかし見えるのは闇に沈んだ緑の木の葉だけだった。何もいなかったし、もちろん彼女がいるわけもなかった。当然だった。
僕が捕獲されてしまったのは、群れから離れて単独で水を飲みに来たのを見つかったからだ。群れは用心しているだろうから、森の奥深くにいるに違いない。そうでなくても、僕が群れにいた頃だって、人がいる場所には絶対に近づかなかった。がっくりとうなだれて、僕はきびすを返した。
そのとき甘い香りが鼻を掠めて足を止めた。覚えのある、匂いだった。
より一層黒の濃い影のなかに、淡いオレンジ色がぼうっとして見える。楕円形をしたそれに手を伸ばして持ち上げてみる。うっすらと毛が生えていて心持ち硬い。でも、嗅ぐと確かに果物の香りがする。
「・・・びわ」
彼女が好きだった。僕が好きだった。この果物が好きだった。声が揺らいだことに気付いたけれどまなじりに涙の感触はなかった。ただ、深い感動のようなものが胸につかえているだけだった。
一つだけ拾って、もとの道を辿っていくと、驚いて思わず息を漏らした。
色とりどりの紙が、あの背の高い植物にくくりつけられている。
文字は読めないけど、どの紙にも一様に文字がびっしりと書いてあった。その根元のほうを握り締めて、少年達はそれを川へ流そうとしていた。
「七夕ってどういう日だっけ」
少年の父親が、植物を水の流れに乗せながら尋ねた。少年が川を下っていくそれに手を合わせる。
「織姫と彦星が一年に一度会える日よ。確か、何だっけ、晴れたときは月の舟に乗っていって、雨の日はカラス?カササギ?が橋を作るとか」
「はじめて知ったなあ」
「テレビでやってたやつの受け売りなんだけど」
そういう日なのか。僕は空を見て月の姿を探した。大分傾いた半月。織姫だか彦星だか知らないけど、たぶん男と女なんだろうけど、そこに乗っているんだろうか。
電気袋を開放して、びわの実に10まんボルトを当てた。柔らかくなった実を、見よう見まねで川に流してみる。途中で石に躓きながら下流へと運ばれ、やがて川底の闇に隠されて見えなくなった。深い意味もなく、少年と同じように手を合わせた。
織姫だか彦星だか知らないけど、僕と彼女が出会える日はいつくるのだろう。もうその感情は、諦めを多分に含んでいたけど。



 いつの間にか星がより強く瞬くようになった、とピカチュウは気付いていたが、月明かりのぼかしがかかっていないからだ、と知った頃にはもう彼らの食事は終わっていた。
 果物の皮は海に棄て、種は森に捨てることにした。
 芽が出るなんてヤミカラスは微塵も思っていなかっただろうが、あるいはコラッタがかじるのに適していると思ったのかもしれない。
 ピカチュウはとろとろと温かみのある眠気に意識をあやふやにされていたが、ヤミカラスにしてみればこれが活動時間と呼ぶべきもので、彼は時折しわがれた声で鳴いた。そんな時、ピカチュウははっと目覚め、天上の星々をつないだりするのだ。
「星、すごいね。やっぱり夏が一番きれい。空が澄んでるからかな」
 毛づくろいを行っていたヤミカラスはその声に促されて空を見た。ピカチュウが指差す星々は一等大きく、輝いて見える。それは丁度天の川に架かった橋のように並んでいる。
 ヤミカラスは跳ねながらピカチュウの隣に座った。彼女は驚いたが、その羽が何か指し示していたので、その延長線上にあるものを探して視線を辿らせた。
「ほら、あの天の川の中の、大きな星。その下にふたつ、両脇にふたつ、星が並んでるでしょ」
 見分けることは非常に容易だった。空に散らされた無数の宝石は砂粒のようだったが、彼が指し示す星だけは、確かにそれが玉であることが分かる。それは星空を背景に少しだけ浮き上がって見える。
「あれをタテヨコに結んだのが、白鳥座とか、キャモメ座とか、遠い国ではヤミカラス座とか、いろいろ呼ばれてるんだ。北十字星、とか、な」
「あら。それって人間の知識?」
「もちろん。ほら、大きな星を結ぶのは、君もやることがあるだろ。そうするとポケモンや動物の姿に見える。人はそのそれぞれに名前をつけたんだ」
「ふーん、それで、ヤミカラス座?」
 ピカチュウは上体を起こしてヤミカラスのことを丸い目で見つめた。うっすらと潤んだ目は彼のことを上から下まで撫でていった。
「……どこが?」
「視点が違うんだよ、視点が!」
「へーえ」
「下から見たところなんだよ!」
「あ、そうなんだ。なら納得」
 ヤミカラスは息を強くしてそう主張し、かぶりの帽子のような飾りを振るった。ピカチュウはまた寝転んで空を観た。いわれてみればそうだな、というように、何度か指で星を線で結んだ。
 翼を広げ、空を滑空する――光の川を飛ぶヤミカラス。ふとすると闇に解けてしまうヤミカラスの体色に、この明るい星々はいささか似合わないように思う。
 むしろ天の川の中洲のようにぽっかりと浮かんだ暗黒が彼のようにピカチュウは思えた。
 七夕の宵は刻々と更けていくが、そんな習慣も知らない彼女は、空に浮かぶ友人を見上げる。



僕は川の中を見つめているヒトカゲに近づいて、その隣に腰を下ろした。彼はちょっと驚いた表情を垣間見せたけど、すぐに笑顔で自分の時間への僕の介入を許す。
尾に燃える炎が水面に映っていた。瞬刻もその場にとどまらない水に赤い光がちらちらと文様を作る。
「どうかしたのかい」
「ヒトカゲは僕達の中で最古参だよね」
いきなりの質問に戸惑ったか、ヒトカゲの大きな青い目がまっすぐに僕の陰を捉えた。
「そうだけど。……もしかして、ピカチュウの故郷の話?」
すぐに次が読めたのか彼は前振りからすぐ本題へ滑り込んでくる。そして彼の検討は寸分も違わない。
黙っているとそれを肯定の意味ととったのかヒトカゲは急にくすくすと笑い出した。何だというのだろう。それを口に出すより先に「ピカチュウが自分の話をするなんて珍しい」と告げた。そういう意味か。
「いつも一人でいることが多かったから」
「何だよ、僕だって動物じゃなくてポケモンなんだから、自分の話くらいするさ」
「懐かしい、ここ?」
「懐かしすぎて自分が嫌んなる」
僕の鼓膜を虫の音が反復した。何度となく聞いたはずの故郷の音は一年を別の場所で過ごした僕には非日常のものになっていた。
悔しい?悲しい?
ただよう草の香りは、小さな僕達を優しくくるんでいた揺りかごで、どこにいても、陽だまりを思い出させる。
懐かしい?戻りたい?
水面に映る黄色の陰を足で蹴った。いびつな鏡が割れた。
逢いたい?遇いたい?
「幼馴染がこの森にいるはずなんだ。それで僕の愛したひとも」
ヒトカゲはただ僕を見つめていた。
「僕が捕獲されてから一年経って、この辺りを少し見て回ってみたけど、どこにもピカチュウのピの字だってない」
「ピカチュウ自体が珍しいし、ね」
「住処は一定なはずだけど、本当に森の奥深くにあるから、――それに今の僕は人間の手持ちだ。彼女が群れにいるっていう確証もないし、それどころか今もここにいるのかさえわからない」
すべては闇に沈んだまま。小さな炎に揺らめいた世界は静けさに守られて、天球の星々はそれが眩しいのか闇の衣に体を半分隠している。
青い虹彩に浮かんだひとみが僕のことを射た。僕もまっすぐ彼の目を見た。
感傷はあまりにも不毛だった。
「ピカチュウは、さ」
沈黙に耐えかねたのか、ヒトカゲはそっと口を開く。
「彼女にまた会えたら、どうする?」
「どうするって……」
そんなことを考えたことがなかった。不意を突かれて僕は口ごもった。彼から目をそらし、川面のその向こう側、黒々と広がる森に目を向けた。
「そもそも彼女は、僕のことを覚えているだろうか」
それは返答ではなかった。そしてその言葉に返答はない。


中書き
二日クオリティ。あとちょっと!


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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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