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夜の秘密

/夜の秘密

 
 

 暗い天井を仰いで、彼は再び溜息を吐いた。

 室内の中は静まり返っている。大きな窓の外には薄っすらと月が輝いているが、それは部屋の隅々を見渡すに十分な明るさとは言えない。自分が寝ているのと似たようなベッドが幾つか、部屋の入り口へ向けて並んでいて、その先には引き戸の扉があって――夜目が利く彼の目を持ってしても、見えるのはそれだけだ。他は全て暗い影の中に沈んでしまっている。
 ポケモンセンターの、病棟の一室だった。
 
 

 
夜の秘密 (作者: ハコ)
 
 
 

「いよーう!」
 黒犬の大きな声が病室内にこだまする。隣に立っていた人間が、その時と場所をかえりみない振舞いを窘めるが、既にこんなやり取りは数え切れないほど繰り返されてきたということを彼は知っている。病室のベッドを埋めているのが彼だけであることは幸いだった。
「元気かねぶらっきーくーん」
「お前の顔見たら食欲が減退した。さあ帰れ」
 無意味に明るい笑顔を見せてくるヘルガーの顔面に、思いっきり蹴りを入れてやりたいとブラッキーは心の底から思った。えー冷たいなー連れないなーと実に楽しそうな様子を見て、深く深く溜息を吐く。
 トレーナーはそんな二匹の様子を見て苦笑していたが、遠くにブラッキーの担当医を見かけたようで、慌てて廊下へと駆けて行った。『病院内で走ってはいけない』という常識をつい忘れているあたり、このヘルガーの非常識っぷりはトレーナーに似たのだろう。
「で、今日はバトルは休みなのか。こんな昼間から見舞いに来るなんて」
「そりゃーおっまえ、我らがエースブラッキー様が骨折で入院してる状態でバトルなんてできるわけねーだろー。心配で心配で」
 無意味に明るい笑顔を見せてくるヘルガーの顔面に、埋り込むほど蹴りを入れてやりたいと深く深く思った。実際にパーティの中でエースを張っているのはヘルガーだという事実が、余計に眉間のシワを深くさせる。
「いやまあ、今日は普通にお休みだ。お前も入院して丁度一週間になるし、どんな様子かって、な」
 まるで子供をあやすように、ヘルガーが前足でブラッキーの頭を軽く撫でる。その不機嫌さを見透かしているようだ。この場合、その憮然とした表情から明らかなのかもしれないが。
「そんで。……どんな調子よ」
 少し真剣な面持ちに戻ったヘルガーに聞かれ、ブラッキーは自分の両前足を見上げた。これでもかと言わんばかりにギプスが巻かれ、天井から吊られてしまっている。重くて仕方が無いのだが、折れてしまっているのだから文句の言い様が無い。もしこれで変な風にくっついてしまえば泣くに泣けない。
 過信だった、とブラッキーは思う。自分の耐久力を過信して、相手の攻撃を受け続けて、そして最後の予想外の一撃に、見事に吹っ飛ばされてしまった。今思い出すだけでも、悔しさから顎に力が篭ってしまった。
「痛みはもう無いけど。でもきちんとくっつくにはもう少し時間が必要だってさ。足、下ろしてもらえれば大分楽なんだろうけど……まだ駄目って言われる」
「ふむ。んじゃ復帰はもう少し先かあ」
 ブラッキーのギプスを見つめながら、ヘルガーが小さく唸った。ベッドの上に前足を組んで、その上に顎を乗せている。しばし何かを考えているようだったが、恐らくこの先暫くのバトルについてだろう。少なくともブラッキーはそう思ったし、そうであって欲しいとも思った。自分の抜けた穴は少なからず大きくあってほしいと、心のどこかで思ってしまうのだ。
「それで、調子は?」
 暫く経ってから再びヘルガーに聞かれ、ブラッキーは思わず生返事をした。
「それで……って、それだけだ。他に何かあるか?」
「そりゃーおっまえ」
 心外だ、とでも言いそうなヘルガーの表情に、ブラッキーはますます首を傾げる。
「オトコノコとして生まれた以上、嫌でも付き纏う責務を果たしておりますか、って聞いているんだ」
「…………」
 無意味に明るい笑顔を見せてくるヘルガーの顔面に、整形が必要なほど蹴りを入れてやりたいとブラッキーは海溝よりも深く深く思った。残念なことに、両前足を吊られているおかげで勢いを付けられそうにない。真に残念であるが。
「つーかそういえばトイレとかどうしてんの」
「これから毎晩お前の不幸を願うことにする。今なら神だって本気で信じれそうだ」
 ヘルガーがくつくつと喉の奥で笑った。絶対に分かって言っている。
 そんなもの、尿瓶に決まっていた。初日こそ恥ずかしさで顔から火炎放射が撃てるかと思ったが、今ではもう慣れた。すいませんトイレしたいです、ああ分かりましたちょっとだけ我慢してくださいね、はいどうぞー。入院前の生活では考えられないことだったが、今ではブラッキーの日常ルーチンの一部となっていた。
「……まさか、お前」
「ん?」
 ふと思いついて、ブラッキーが尋ねる。
「さっき言った『復帰』ってのは」
 おおそうそう、とヘルガーが前足を合わせ、嬉々とした表情になる。先ほどの真剣さが嘘のようだ。ずずいと顔を寄せてくるが、暑苦しいことこの上ない。
「いやそれがさ、この前マスターにそういうトコに連れてってもらったわけ。それがンもーマジ良いのよ。可愛い仔ばっかりだしみんな超上手いし」
「…………」
 バールのようなものを操れたら良いのに、とブラッキーは心から願う。ギプスを巻かれて吊られている前足が今は心底恨めしい。
 真横でニヤニヤ笑っているヘルガーの顔をきつく一発睨みつけたところで、廊下から近づく足音が二匹の耳を叩いた。
「お待たせ。ごめんね」
 扉が開き、トレーナーが病室に戻ってきた。夜伽の話を中断して、ヘルガーがトレーナーの元へ向かう。従順な黒犬が、まさか病室でこんな下品な話をしていたとは思うまい。ブラッキーは心の中でまた一つ溜息を吐いた。
「マスター、お医者さんとのお話は終わったのかー?」
 尻尾を振るヘルガーに小さなおやつを与えつつ、そのトレーナーは頷いた。病室の一番奥、ブラッキーのベッドへと歩み寄る。早歩きだ。ということは、やはり廊下で怒られでもしたのだろう。
「ブラッキー、元気そうだね。良かったよ」
 大分良くなってるらしいね、と頭を撫でられると、ブラッキーは黙って小さく頷いた。いつも一緒に居たのにいきなり引き離されれば、誰だって主は恋しくなる。無表情を装っているものの、小さく揺れている尻尾がその証拠だ。ヘルガーにはバレているようで、意地悪な笑みが見て取れるが、それはこの際無視することにした。
「おやつ、あげたいんだけど……駄目なんだよね」
 そう苦笑して、残念そうに頭を掻く。ブラッキーはそんな姿を見上げながら、おやつは良いからもう少しだけ頭を撫でて欲しいと素直に言えず、大丈夫と小声で言うしかなかった。しかしトレーナーは小さく笑って――心を透かし読んだわけではないだろうが――ブラッキーの喉元を軽くくすぐってくれる。
「みんな、戻ってくるの待ってるよ。早く良くなって、また一緒に訓練してバトルしようね」
 ブラッキーはまた小さく頷いた。
 そうしてこの一週間の、取り留めも無い話が始まった。どこで買ったお菓子はみんなに好評だったとか、普段聞いていればすぐに飽きてしまいそうな話ばかりだ。だがしかし、丸一日中病室内に閉じ込められているブラッキーにとって、主のそんな話は真っ白い天井を見ているよりは遥かに面白い。
 トレーナーが日常の話をして、ブラッキーが嬉しそうに相槌を打って、ヘルガーが茶化して、そしてブラッキーがうるさい黙れと言う。そんなやり取りをして過ごす時間は、天井や外の代わり映えしない風景を見て過ごす時間よりもずっと早く過ぎてしまった。
「それで……ああ、いけない。もう面会時間終わっちゃうね」
 トレーナーが壁の時計を見て、残念そうにそう言った。時計の針は夕方の四時を示しており、面会時間の終わりを告げている。
 たまには時計もサボれば良いのに、とブラッキーは思った。
「またすぐに来るよ。ブラッキーが居ないんじゃバトルにならないから、最近少し回数減らしたんだ」
「おう、早く帰って来いよー。看護士さんに相談しとけ……っと、じゃあなっ」
 軽く首を傾げながら、トレーナーはヘルガーをボールに戻した。ヘルガーの言わんとしていることは狙い通りにブラッキーだけに伝わって、そして彼にそのボールを破壊したくなる衝動を沸き起こさせる。トレーナーの方は、相変わらず不思議そうな表情のままだ。
 だが、ヘルガーを入れたボールを軽く叩き、ホルダーにしまいながら、
「……何だかんだ言ってるけどね、一番君のこと心配してるの、ヘルガーなんだよ」
「え?」
 面白そうにトレーナーが言って、またブラッキーは生返事をするしかない。
「今日お見舞いに行くって言ったとき、いの一番に同伴を名乗り出たんだ」
「……そ、そっか。でもそれ」
 ブラッキーは言葉に詰まって顔を背けた。それは心配しているというより、入院している自分に対する自慢をしたいだけなのだ。そう訴えたかったが、何だか卑屈になっているようで躊躇われたのだ。
 例えヘルガーでも、このつまらない入院生活に刺激を与えてくれたのは事実だ。軽口の言い合いも、実は物凄く楽しんでいたから。
「それじゃブラッキー、早く良くなってね」
 少しだけ自己嫌悪に陥りそうだったが、トレーナーがもう一度頭を撫でてくれたので、別に良いやと思うことができて――それで面会時間も終わり、主の姿を見送って、そしてまた代わり映えのしない入院生活に引き戻されることになった。
 
 
 
 そして彼は今、暗い病室で溜息を吐いている。
 ブラッキーにとって夜は長い。元々夜行性である上に、日中はすることも無くベッドの上で寝転がっているだけである。今日は面会があったからマシな方だが、それでも眠気など微塵も感じられず、ただぼんやり暗い天井と明るい月を交互に眺めるしか無かった。
 昼間のヘルガーとの会話を思い返し、また深く溜息を吐く。
 図星だと認めないわけにはいかない。普段なら、我慢できなくなくなれば自分で処理ができたのだが、今はこの状態である。両前足が使えなければ、最終手段で自分の口で……というのもできなくはない。しかし前足を吊られている状態では体を折り曲げるのが非常に辛く、それどころではないのだ。体勢的にはどちらかというと筋トレに近い。……きっと常勤には雌ポケモンが多いのだと思う。ポケモンセンターの雇用形態を憂うのは生まれてこの方初めてだが、恨めしいことこの上ない。
 溜まっている、というのはブラッキー自ら感じていることだ。ここ数日、下腹部の妙な感覚が絶えず、廊下から流れてくる雌の匂いだけで変な気を起こしてしまいそうになる。こうなってくると怖いのは自分の夢だ。淫夢でも見て発射してしまえば、最早自分で処理しきれない惨状となるだろう。そうして次の朝に痴態を晒すことになる。そんな不安が眠りを妨げ、彼の夜をより一層長いものにしていた。
 彼は今日もナースコールの紐を口に咥えている。
 骨折したポケモン用に、口で紐を引くと反応するタイプのものだ。コールが掛かれば、その時間にセンターで勤務している看護士のポケモンと連絡を取れる。実はここ数日、毎晩のようにコールを掛けては無言で返し、慌てて駆けつけてきた看護士に対して狸寝入りを決め込む、ということを彼は繰り返していた。
 傍から見ればイタズラ以外の何者でも無い。実際に毎晩駆けつけてくる看護士も、ベッドを囲むカーテンの中を覗きはするが、異常が無いことを確認するとすぐに立ち去ってしまう。
「……はあ」
 ブラッキーは深く溜息を吐く。幸せはどれだけ逃げただろう。
 別にイタズラをして気を紛らわそうとしているわけではない。気づいて欲しいのだ。真っ当で健康な雄なら、そういう生理的な欲求がある――排泄と同じように――ということに。そんな、当たり前に思っていた事実がここでは常識として通用しない。尿瓶とは訳が違う。性別という名の壁は果てしなく高く、そして分厚かった。
 軽く首を動かして紐を引くと、天井に備え付けられたランプが赤く点滅し、ベッド脇のマイクにスイッチが入る。
『はい、どうしましたか?』
 その流れるような声に、しかしブラッキーは何も答えない。多分ラッキーかな、とそんなことを考えるばかりで、もう一度異常を尋ねる声にも沈黙を返した。
 プツっとマイクのスイッチが切れる音が聞こえる。またいつも通りの猿芝居が始まるのだ。
 暫く待っていると、引き戸の扉がゆっくり開くのが聞こえた。恐らく点滅するランプを目印にしているのだろう、とブラッキーは思っている。廊下の明かりが逆光となって、ラッキーらしき影がカーテンのスクリーンに映った。
 それを確認してからブラッキーは目を閉じる。天井のランプは未だ点滅したままで、瞼の裏に赤い影を残していた。
「…………」
 カーテンを開ける音が聞こえた。きっとラッキーは不思議そうな顔をして、首を傾けているのだろう。
 数十秒ほどだろうか。ゆっくり浅い呼吸を繰り返していると、やはりいつもと同じように耳元でカーテンを閉める音がした。そのままベッドから遠ざかる足音が聞こえて、そして遠くで扉を閉める音が響く。
 残ったのは、変わり映えしない視界だけ。
「……はあ」
 ブラッキーは深く溜息を吐く。時刻を確認すれば、もう午前の三時を回っていた。
 あと何回、こんな夜を過ごせば良いんだろう。そう憂いながら、そろそろ眠ろうかと目を閉じたときだった。
「……?」
 病室の扉を開く、微かな音が再びブラッキーの耳に届いた。見回りにしては時間が早いと思う。何より不審なのは、扉をすぐに閉めていることだ。普通の看護士なら、そんな面倒なことはしない。
 忍ぶような足音が、まっすぐブラッキーのベッドへと向かってくる。一瞬迷ったが、先ほどと同じように狸寝入りを決め込むことにした。どちらにしろまともに動けないのだ。面倒なことは回避するのが得策だ。
 ……暫くすると足音が消えて、静寂が落ちた。確かに扉を開ける音と足音は聞こえたのに、それが嘘のように物音一つさえ聞こえない。様々な憶測がブラッキーの頭の中を飛び交った。患者でも迷い込んできたか、あるいは――幽霊? などとと思ったときだった。
「ねえ」
 驚くほど間近から声が聞こえて、思わず飛び上がりそうになる。カーテンを開けた音がしなかったということは、上か下か、どちらかから潜り込んだのだろう。足音がした、ということは後者が濃厚だ。
「ここ最近、毎晩ナースコールでイタズラしてるのって、キミかな?」
 はいその通りですと言うわけにもいかない。ブラッキーは何も答えずに寝たフリを続けている。
 その何者かは立ち去ろうともせずに、小さく溜息を吐いた。
「起きてるんでしょ? バレバレだから、目開けなさい」
「…………」
 そこまで言われて、ブラッキーはやっと目を開いた。自然と眉間にシワを寄せて眠たげな表情を作ってしまうのは、自分のプライドの最後の抵抗なのだと思う。
 ブラッキーの目の前にいたのは、頭に看護帽をかぶったブースターだった。幼げな顔立ちで、ともすれば彼と同い年くらいに見える。
 可愛い、とブラッキーは思ってしまった。
 マズイと思ったときには既に遅かった。すぐに顔を背けるが、どうしても彼女の匂いを意識してしまって、その存在を頭の中から排除しきれない。
 ブースターは不思議そうな表情でその様子を見下ろして、それから彼のギプスに目を留めた。
「……ああ、これじゃ駄目だね」
 何の遠慮もなくベッドの上によじ登って、吊られているギプスを軽く叩く。とんでもない看護士だ、とブラッキーは思ったが、ブースターは全く気にした風もなく、更に続けた。
「これじゃ男の子は辛いでしょ。結構こういうところに疎いんだよね、みんな」
 『男の子』という部分にアクセントを置いたその言い方に、自分の顔が赤くなっていくのをブラッキーは感じていた。気づいてくれることを願っていたけど、まさか本当に気づかれるとは思ってもいなかった。
 焦って困惑の表情を浮かべている内に、その変化に感づいたようにブースターが微笑んでみせる。
「……別に変なことじゃないよ? キミくらいの男の子なら、普通のことなんだから」
「ち、ちがっ……」
 そう言って、遠慮なく、本当に何の遠慮もなく、ブースターがブラッキーの股間へと目を移す。炎タイプって視線にも熱を持ってたっけ、とブラッキーは考えずにはいられなかった。軽く体を捩るものの、その視線から隠すには至らない。
「あれ、もしかして何回もナースコール引いてたのって……」
 そのブースターの笑みに、イタズラっぽい色が混じり始めた。その視線がブラッキーの股間を捉えているのは明らかで、そういう意識が一層彼の理性を狂わせてしまう。耳の先まで赤くなるのを感じながら、ブラッキーは自身を反応させてしまっていた。慌ててそれを隠そうとするものの、前足は不自由で、辛うじて後脚を閉じることしかできない。
「ふふ、別に隠すことないじゃない」
「――な、なっ……!?」
 驚くべきことに、そのブースターは前足を内股に這わせ始めた。ベッドの上、ブラッキーの脇に座り、彼の後脚をゆっくり開くようにして。必死にその力に逆らおうとするものの、後脚だけの力で敵うはずがない。あっさりと開脚させられて、すっかり欲情しきったペニスを外気に晒す羽目になってしまった。
「なにすんっ……!」
「しー……っ」
 何するんだ、と抗議の声を上げようとしたが、ブースターの窘めるような小声に言葉を詰まらせてしまった。
「……声、出しちゃ駄目だよ? 私だって、こんなとこ誰にも見られたくないもの」
 イタズラっぽくブースターが笑う。その柔らかく温かい体に圧し掛かられながら、どんな罠だ、とブラッキーは思った。濃い雌の香りが一瞬で脳髄を貫いて、肢体を絡ませてくるのブースターの感触以外、何も感じられなくなってしまう。
 呼吸が荒くなっているのを、認めないわけにはいかなかった。
「ふふ、可愛い顔してるね。……このままお預けなんて、嫌でしょ?」
 顔同士が衝突しそうな距離でそう聞かれ、首を横に振れる奴がこの世に一体どれだけいるだろう。
 
 
 
 小さくベッドが軋む。ブースターがブラッキーの体を抱き寄せるとともに鳴ったその音は、彼の喘ぎを代弁したのかもしれない。
「本当は声も聞きたいけど……仕方ないもんね」
 そのままブースターは無邪気に笑いながら口先を寄せ、彼の頬に舌で線を描いた。
「……でも、目は開けて欲しいな」
 言われるまま、躊躇いつつもブラッキーは堅く閉じていた瞼を開く。息も掛かるような距離に、どんぐりのように丸い瞳が二つ。その中に自分の表情まで伺うことまでできてしまった。口周りが無駄に緊張してしまっている表情が滑稽で、ひたすらに情けない。
「キミはもう準備万端って感じだけど、ちょっとだけ私に準備させて、ね?」
 その直球な物言いに、思わず言葉に詰まってしまう。事実であるからして何も言い返せない。
 鼻先同士をくっつけてから、ブースターは更に腰を押し付けてきた。きし、と更にベッドが軋む音が聞こえて、それと同時にブラッキーは雌の柔らかさを嫌というほど堪能させられることになった。
 体が燃えるように、熱い。
「ん……、く」
 閉じた口から小さく漏れた声は、体同士が擦れ合う音に掻き消されてしまいそうだった。
 ブースターが、その体の中で最も柔らかく繊細な部分を、今自分の体の中で一番緊張している部分に擦り付けてくる。その滑らかな花びらに挟み込まれ、それだけで心臓まで蕩けてしまいそうなのに、その感触はゆっくり先端に向かって這い上がってくるのだ。
「ゆっくりするから、我慢……してね?」
 呼吸まで震えてしまっているブラッキーに、ブースターが再び囁いた。
 余裕を搾り出すようにして何とか頷くものの、体全体が緊張してしまって息を吐くことすらままならない。食むようにして先端を撫でられると、遂に体が小さく跳ねてしまった。
 こんな拷問は受けたことが無い、とブラッキーは思う。いっそ自分から腰を動かして全てを終わらせてしまいたい衝動に駆られるが、それは雄としての最後のプライドが許さない。
 ブースターは気遣うように、そこで何度か呼吸を置いてから、ゆっくり腰を下ろすようにして根元の方へと戻っていく。同時にその柔らかい感触も熱を残しながら這っていった。
「よっぽど我慢してたんだね。……炎タイプみたい」
 このやろ、と思ったブラッキーの瞳に、相変わらず愉しそうに笑うブースターの表情が映った。そもそも野郎ではなかった。その愛くるしい表情を再確認してしまうと、口を閉じたまま視線を枕元へ逸らすことしかできない。逸らすのだが、そんなものは気休め以外の何物でもなく、相変わらず彼女の性器は敏感な雄に密着し、快感の奔流を送り込んでくる。
「……ん、な」
 その快感に気を取られている隙を突くように、ブースターが鼻先を寄せて――気がついたときには、ブースターの小さな口がこちらの口に柔らかく正面衝突していた。丁寧にブラッキーの頬に前足まで添えて、その感触から逃げられないように。
「んぐ、ぅ……」
 思わずくぐもった声を上げてしまうが、それも彼女の口の中に吸い込まれるように消えてしまう。更にその柔らかい感触の中から熱いぬめりが割り込んでくると、最早抗議の声さえ上げることを許されない。
 炎タイプ独特の熱い舌を深く差し込まれ、同時に性器をじっとりと嬲られている自身の状況に、まるで犯されているようだ、とブラッキーは思った。その恥辱に頬が熱くなるが、ギプスを巻かれて吊られている前足は、手錠か何かで拘束されているのに何ら変わりはない。目の前の無邪気そうなブースターがとても恨めしく感じてしまうが、胸元から、お腹から、そして性器同士から伝わる熱に、自身の理性が少しずつ溶かされているのもどこかで感じている。そもそも状況が異常過ぎるのだ。暗い病室の中で、聞こえてくるのは衣擦れの音とベッドが軋む音と、目の前の看護士が美味しそうに自分の口の中を弄んでいる水音だけだなんて。声も上げられず、逃げることも許されず、ただ可愛い雌に慰められるしかないだなんて――
 再びブースターが腰を押し付けたとき、まるで押し出されるようにして小さな雫が先端から溢れ出るのをブラッキーは認めた。彼女の下腹部から粘るような熱い感覚が少しずつ広がっていくのも同時に感じる。……これが終わった後どうやって汚れた体やシーツを処理すれば良いんだろう。伏せって頭を抱えたくなってしまうが、この体の熱は後戻りを許してくれそうにもない。
「ん、んぁ……っ」
 頭の中で思考が渦巻いている内、ブースターの舌は更に深く入り込んで……更にブラッキーの口を割り、彼の舌を吸い出すようにして自身の口の中へと捕らえてしまった。途端に舌先が灼熱の中に放り込まれたような感覚に包まれる。反射的に体を捩らせようとするものの、腰はブースターの後脚にしっかり挟み込まれ、もがくことさえ叶わなかった。
 元々猫舌で――食物連鎖ってこういうことなのかな、などとブラッキーは頭のどこかで思った。溢れ出した温かいものが自分の内股を伝っていく感覚が、何かを諦めさせる。
「んく……、んふぁ、ぁっ」
 その子羊のような獲物を、ブースターは熱い熱い口の中に捕らえたまま、くすぐるように舌を合わせ、唾液を搾るように吸い上げ、存分に愛おしむように舐めしゃぶってくる。擦り付けられるような熱のおかげで舌はすっかり蕩けてしまったようで、もう殆ど感覚が無い。下半身の、強張りに絡みつくような感覚も更に深くなって、今自分は二箇所を同時に食われているんだろうな、とブラッキーは思った。
「ん、ふぅ……。えへへ」
 そのままブースターがゆっくり口を離すと、ブラッキーの舌は口の外に引き出されたまま、彼女とを繋ぐ糸を紡ぐことになってしまう。外気に晒されたその細い糸は、彼女が小さく笑うとともに、窓の外の月の光を映してすぐに切れた。深く呼吸をすると、病室内の空気が信じられないほど冷たく感じられる。一体どれほどの熱を叩き込まれたのか――ゆっくり吐いた息は、微かな白い湯気となる。
 少しだけ呼吸を落ち着けてから、確かめるように自由になった舌で自分の鼻先を舐めてみようと試みる。と、ちゃんと鼻先に当たる感覚があったので少し安心した。本当に溶かされてしまったわけではないらしい。
 だが、ブースターはその様子を見て声を殺すように笑っている。
「……溶けちゃうとでも、思った?」
 ブラッキーは、自分の顔が更に紅潮するのを感じずにはいられなかった。
「ごめんごめん。でも、あんまり可愛かったから、つい、ね」
 複雑な表情で顔を逸らすブラッキーに、ブースターが全くフォローになってない言葉を掛ける。むしろ追撃だ。そのまま軽く腰が離れると、今まで密着していた性器同士も離れ……互いの粘液の香りが沸き立つように立ち込める。
 そのまま半ば強引に顔を正面に向けようとするブースターに、ブラッキーは頑なに抵抗する。だが、拗ねないの、という囁きとともに耳元に息を吹きかけられると、一撃で悶絶したように体から力が抜けてしまった。
 こういう技がバトルにあったら一体どうすれば良いんだろう、と蕩けそうな頭の中で思いながら、ブースターがゆっくりと腰の位置を整えているのをぼんやりと見ていることしかできなかった。
「じゃあ、本当に溶かしてあげるね?」
 雄槍の穂先を花弁の隙間に押し当てながら、そう無邪気に笑う姿は本当に小悪魔のものとしか思えない。今からでも遅くないから、一旦イーブイに退化してブラッキーに進化しなおせ、と言ってやりたかった。
「……う、ん」
 しかしその口から出てきたのは、情けない一言の返事のみ。仕方が無いのだとブラッキーは思う。自身の一番敏感なところが、妖しく蠢く肉のベッドに寝かされているのだ。これは正しく親……というか息子を人質に取られているに等しいのだから。
 返事を確認してから、ブースターはゆっくりと腰を降ろし始めた。ずぷり、と強張りの先端が花びらごと内側へ埋り込み、その花びらを左右に押し広げるようにして奥へと突き進んで行く。
「ん、んっ……、ぁあ、あっ」
 熱い感覚が先端から広がっていくとともに、ブラッキーは微かに搾り出すような声を上げてしまった。きつい圧迫感を感じるのに、絡みつくような粘液のおかげで穂先は驚くほどスムーズに滑り込んでいく。そのまま根元まできっちり情熱に包み込まれ、完全な一体感を得るのに長い時間は掛からなかった。
「……うん、ぜんぶ……はいっちゃったね」
 言わずとも感覚で分かるというのに、ブースターは恍惚の表情を浮かべながら言ってくれる。ブラッキーは最早決壊を堪えることに必死で、それに頷く余裕さえなかった。
「可愛いなあ……。大丈夫? そんなに我慢しなくても、いいんだよ?」
 ブースターが心配そうにブラッキーの虚ろな赤い瞳を覗き込んだ。
 正直なところ、全くもって大丈夫ではなかった。が、とりあえず深い呼吸を何度も繰り返し、何とか荒い息を整えることで返事の代わりとしておいた。ブースターは嬉しそうに微笑むと、更に密着感を得ようと前足で抱きついてくる。その微かな動きでさえ致命傷に成りかねないというのに。
「っあ、……あ、つい……」
 ブースターの中に納まった逸物は、深く折り畳まれた襞にぎっちりと抱え込まれている。彼女が呼吸するたびに上下する横隔膜の動きが、膣内の圧力に変化を与え、腰を動かさずとも焦らすような快感を送り続けてくるのだ。
「キミのも、いいよ……、っ」
 ブースターが一旦腰を押し付けて、ゆっくりと引き始める。
「……っか、……っ!」
 熱く濡れそぼった口の中で無数の舌に舐められるような感覚に、一瞬意識が遠くなってしまった。声が出なかったのは幸いだ。しかし股間のみならず下半身全体が異常なほどに強張ってしまい、後脚は攣りそうなほどに突っ張ってしまっている。尻尾などはまるで醜い鍵爪のように曲がりくねってしまっていた。
「は、あ……っ、はぁっ……」
 思い出したように荒く息を吐いて、肺に空気を取り入れる。先ほど声がまともに出なかったのは、呼吸を忘れていたからだと今更ながら気がついた。
 そのままブースターがお尻を突き出すような体勢になると、互いを繋ぎ留めるのはブラッキーの先端だけになってしまう。竿の部分が外気に晒されたおかげで、余計に先端を包む彼女の熱さが際立ち――
「もいっかい、いくよぅ……?」
 そしてまた、その熱い蜜壺の中へと取り込まれていく。コイキングのように口をぱくぱくさせるブラッキーを間近に見下ろしながら、ブースターは淫らに腰を振り始めた。雄槍を根元まで深く咥えるたびに無数の襞が押し寄せ、愛でるようにブラッキーのそれを撫で上げていく。声を抑えるということがこれほど辛いとは知らなかった。雄の体で一番敏感なところを余すところなく蹂躙され、決壊を堪えるだけで精一杯なのに、更に声まで押し殺さなければならないなんて。
 そのまま何度も何度も肉棒を擦り上げられ、もう無理だと集中の糸が途切れかけたとき。
――――。
 小さく響く水音に混じり、廊下から響く足音がブラッキーの耳を叩き、完全に失われかけていた理性を取り戻させる。
 誰だ、と思うと同時に浮かんだ一つの単語。
「……み、見回…り、が……」
 間違いないと思った。時計を確認する余裕も無いが、大体いつもこの時間になると看護士が一部屋一部屋を見回ってくる。担当は毎日違うようで、適当にドアを開けて病室内を確認するだけの看護士もいれば、ご丁寧にカーテンの中まで覗いてくるのまで居た。
「お、いっ……!」
 はっきり言ったはずなのに、しかしブースターはその腰の動きを止めようとしない。良く見ればその表情も相変わらず小悪魔のように笑ったままで、焦りの欠片さえ見受けられないのだ。足音は真っ直ぐこの部屋に近づいてくる。このまま動き続けたら、間違いなくこの行為が公になるだろう。
 一体どうするつもりだ、と言おうとしたところで、
「んっ……」
 ブースターが強く腰を押し付け、今まで以上に深い結合感と密着感を与えてきた。思わず見上げると、その口からは小さな舌がイタズラっぽく覗いている。そのままぐしゅっと押し潰すような一撃を蜜壺が見舞うと、限界まで張り詰めた肉棒は熱く淫らな襞の中に握られたまま、遂に決壊してしまった。
「んっ、ぁ……!」
 そのブラッキーの絶頂と同時、病室のドアがゆっくり開き、更にブースターがブラッキーの顔を胸元に強く抱き込む。ふわりと柔らかい飾り毛の感触と、甘い甘い雌の匂いが頭の隅々まで染み渡り、全身が蕩けてしまいそうな恍惚感に襲われながら、溜まりに溜まった欲望をブースターの中に放っていった。
「……っ、……っ!」
 鼻先を無理矢理押し付けられるように抱き込まれているので、喘ぎ声は漏らさずに済んだ。だが、その代わりに呼吸がままならない。口が開けないので鼻から息を吸うのだが、彼女の毛皮に密着しながらの鼻呼吸は確実に思考能力を破壊していく。頭の中が真っ白に塗り潰される感覚を味わいながら、彼女が脈打つ肉棒から精液をゆっくり搾っていく感覚に晒されるしかなかった。
 病室の入り口から、ゆっくりと足音が近づいてくる。耳に響く鼓動の音は焦る自分の心臓の音か、それとも結合部からの音なのか、それすら判断できない頭の中で――ああ、これはもう駄目だなと思った。
 目の前で、少しだけ火照った顔で、相変わらず無邪気に笑っているブースターの顔をぼんやり見つめて……もう一回だけこのやろ、と思ってから、意識を闇の中に沈ませていく。どこか遠くで何かが割れたような音がした気がしたが、それが一体何なのか、なぜ足音は駆けるように遠ざかっていくのか、そのときにはもう何もかも溶けきってしまっていて、考えることさえできなかった。
 
 
 
「お大事になさってくださいね」
 ありがとうございました、とトレーナーが頭を下げる。それにつられるようにブラッキーも小さく頭を下げた。
 待ちに待った――とはトレーナーの言であるが――退院の日である。天気も快晴で、ブラッキーを連れ歩くトレーナーの足取りも軽い。普段なら家まで歩いて三十分ほど掛かるのに、この調子なら二十分で着いてしまいそうだった。嬉しそうに大股で歩くトレーナーに着いていけず、ブラッキーは時折小走りに追いかけなければならない。
 入院生活で体も鈍っているようだが、どうもそれだけではないようだ。
「……あれ、どうしたの?」
 ふと気がついたようにトレーナーが振り返る。少し遅れて着いて歩くブラッキーの表情は曇り気味で、退院という祝うべき日にはそぐわない。
「もしかして、まだどこか調子悪い?」
 目の前に腰を降ろし、視線の高さを近づけながらトレーナーが聞いた。ブラッキーは少しだけ狼狽したような表情を見せてから、遠慮がちに前足を差し出す。
「ああ、なるほど」
 トレーナーは小さく笑ってからその前足を握って、ブラッキーの体を抱っこしてやった。
「相変わらずだなあ」
 再びトレーナーは足取り軽く歩き出す。胸元に抱いたままではさすがに重いので、肩に背負うように抱え直した。その言葉に、揶揄する響きは全く感じられないのがありがたい。
 ブラッキーは自分の顔が主人の視界から外れたのを確認してから、安心したように溜息を吐く。
「…………」
 トレーナーの腕に抱かれながら、ブラッキーはぼんやりとあの夜のことを思い起こしていた。
 結局あの後気絶してしまったようで、朝起きたときには彼女の姿は影も形も見当たらなかった。それどころかご丁寧にも体を拭いてくれて、更にシーツの処理までしてくれたらしい。あの夜の痕跡は何も残っておらず、おかげで誰にも気づかれなかったようだ。
 あまりにも現実感が無かったので、あれこそ淫夢だったのだろうかとも思った。が、あの思い起こすことができるほどのリアルな感覚が、ただの夢であるはずがない。
 ブラッキーはあの後もナースコールの紐を毎晩引いた。もしかしたらもう一度会えるのではないだろうかと思っていたのだが、やってくるのは見慣れたラッキーばかりで、たまに違う看護士がやってきたと思ったらルージュラだったりした。ご丁寧に顔まで覗きこんでいきやがって、思わず呼吸まで止めてしまいそうだったが、マウストゥマウスという一撃必殺の地雷であるということに気づいて咄嗟に止めたのも良い思い出だ。
 もしかしたらあのブースターは普段は日中に働いていて、あの夜だけたまたま夜勤だったのだろうか、とも思った。しかし、ギプスが外れてからセンター内をうろついてみたものの、結局姿を見かけることは一度も無く、退院の日を迎えてしまったのだ。
「……ふう」
 あの無邪気そうな笑顔を思い出して、深く溜息を吐く。幸せが逃げているのではないだろう。
 忘れるしかないか――などと思っている内に、トレーナーの家が見えてきた。
 
 
 
「いよーう!」
 黒犬の大きな声が玄関内にこだまする。隣に立っていたトレーナーが、苦笑しながら肩に背負っていたブラッキーを下ろした。
「元気かねぶらっきーくーん」
「お前の顔見たら食欲が減退した。センターに帰りたくなる」
 無意味に明るい笑顔を見せてくるヘルガーの顔面に、思いっきり蹴りを入れてやりたいとブラッキーは心の底から思った。えー冷たいなー連れないなーと実に楽しそうな様子を見て、深く深く溜息を吐く。
 トレーナーはそんな二匹の様子を見て苦笑していたが、お昼ご飯作ってくるねと台所に向かって行った。その後姿を見送ってから、ブラッキーとヘルガーもポケモン用の大部屋へと移る。
 少しごちゃごちゃした内装で、各々の寝床が宛がわれた部屋だ。ぐるりと首を巡らせて、頭の中に思い描いていた光景と見比べてみる。
「んー……。懐かしいなー」
 久しぶりに入った『自室』の中で、ブラッキーは大きく伸びをした。毎日同じ光景とはいっても、病室の天井とこうも印象が違うのはなぜだろう、と思う。
「二週間くらいだっけ。そりゃ懐かしくもなるか」
 ヘルガーがくつくつと笑いながらゆったり床に寝そべった。昼食までここでのんびりくつろぐつもりなのか、小さくあくびが漏れている。
 今はブラッキーとヘルガーしか部屋の中には居ない。自分の寝床の確認をするブラッキーの背に、やる気の無さそうな声でヘルガーが尋ねた。
「んで」
「うん?」
「調子はどうよ」
「…………」
 毛布を敷く前足を止めて、ブラッキーがヘルガーの方を向いた。
「……脚の調子ならバッチリだな。性欲とかのことを聞いてるのなら、それは余計なお世話だ。その煩悩ごと蹴り飛ばすぞ」
 それを聞いて、喉の奥で笑うような、実に悪タイプらしい笑みをヘルガーが見せる。それが気に入らず、ブラッキーは更に顔を顰めた。
「……何だよ。また訳の分からん自慢でもするつもりか? 言っておくが俺は」
「いやいや。別にそういうつもりじゃないが」
 ブラッキーの声を遮るようにして、ヘルガーが続ける。

「……あのブースター、どうだった?」

 そのヘルガーの言葉が一体何を意味するのか、ブラッキーはすぐに理解できなかった。一瞬で頭の中が真っ白になったような感覚に陥る。
「ふふふふふ、可愛かっただろー。アレは間違いなくイチ押し。キュウコンもめちゃくちゃ綺麗だったけど」
 が、目の前の黒犬の性格の悪そうな笑みを見て、一気に頬に血が上っていくのが分かった。脳内のキャンバスに、あの夜の情事が鮮明に映し出される。
「……な、なんで、お前」
「あとはえーっと、グラエナもちょっとアヤシイ感じで独特だったな。マッスグマとかも意外におねーさんで」
 実に頭の悪そうな顔でヘルガーがベラベラ喋り続ける。一体その頭の中で何を考えているのか、口を挟む余地さえ見当たらない。
「アブソルの冷たそうな笑顔もかなり……って、あー。でもどっちかっつーとアレだろ。お前はおねーさんよりは幼」
「死ね。そして地獄に堕ちろ」
 一気に頭が冷えた。
 前足を口元に添えて、きゃーあいかわらずこわーいそんなこといわないでよーとクネクネ動く姿が非常に気持ち悪い。生理的に虫唾が走るのだが、冷えた頭を働かせ、なるべくゆっくり言葉を選んで口を開いた。
「……何で、あのこと、お前が知ってるんだよ」
 下から睨むような目線になってしまうのはどうしようもない。ヘルガーは待ってましたとばかりに背を反らし、実に偉そうに語る。
「ふふん。それはだな、この世界一超優しいナイスガイなヘルガー様が、オカズも無く前足も不自由な状態で入院生活を強いられているぶらっきーくんにちょっとしたお楽しみを与えてやろうと」
 そこでヘルガーが一旦言葉を切った。目を瞑り天井を仰ぎ、自分の演説に心地良い恍惚感でも得ているようだ。
「――仲良くなったコにお願いして、センターで悶々してるぶらっきーくんを気持ち良くさせてくれるように手配してもらった、というわけだ」
 ヘルガーが細く長い息を吐く。仰いでいた顔を軽く俯かせ、決まった、とでも思っているのかもしれないが、ブラッキーは口を引き攣らさざるを得ない。
「……仲良くって、どこで」
「ンなもん決まってるだろうが。この前見舞いに行ったとき言っただろ。マスターに『そういうトコ』に連れてってもらったって。良いかぁ、俺はお前がどんだけ性欲の捌け口に困っているか粛々と語ってやってだな」
 頭の中で何かの緒が容赦なくぶち切れた気がした。口の端が更に攣り上がる。耳の根元まで裂けてしまいそうだった。
「……なるほど」
 色々納得がいった気がした。看護士のくせに妙に堂々として手馴れていると思ったら――とんでもない。プロだったというわけか。あの夜最後に聞こえた何かが割れる音は、廊下で待機していた仲間が見回りを引き付けるために花瓶でも落とした……と、そんなところだろう。
「というわけで感謝しやがれ。俺様のカビゴンより大きい優しさに惚れろ。何なら今日の昼飯を少し分けてくれても――って、あれ? 何か顔怖くないですか? あれ?」
 今更気づいたようにヘルガーが立ち上がって後ずさった。が、どうにもこの表情は隠し切れそうに無い。中々ホラーな顔をしているのだと思う。正面のヘルガーの表情にも焦りが見えていた。
「……どうした、ヘルガー? 昼飯までもうちょっと時間はあるぞ?」
「いやいや。あの、ブラッキー? 何か、その、とっても暴力的な気配を感じるのは気のせいかな?」
「ああ、ちょっと」ブラッキーは後脚をぶらぶらさせる。ぐっぐっと前足で床を踏んで、治りたての脚の調子を確認しつつ、「……誰かを蹴りたくてたまらない気分でな。昼飯前の丁度良い運動にもなるだろうし」
「いやいやいやいや。こう、何だ。我々はその辺の野生のポケモン達とは一線を画していてだな、トレーナーの元で働く理性溢れるポケモンとして欲求を抑えて行動するのが一般的に求められるというか。うん、えーと。……おーいグラちゃーん、ニューラ、ちょっと助けてくれないか」
「グラエナはいつもこの時間昼寝してるだろ。庭で。ニューラもいつも通りマスターのお手伝いだ」
 今度はヘルガーが口を引き攣らせる番だった。
「も、盲点……! 中々鋭いじゃないかワトソン君!」
「うるせえアホームズ。地獄の底まで叩き落とす」
 ブラッキーがニコっと壮絶な笑顔を見せながら、ヘルガーの方へ一歩近づく。
「ほらほらそんなナチュラルに悪の波動出さない。な? いやほら、お前があんまりにも辛そうだったからさ、ここは俺が一肌脱いで助けてやろうと」
「地獄の底まで 叩 き 落 と す」
「そ、そんな。……あー。ブラッキー、待て。落ち着け。今度マスターに一緒に店に連れてってくれるようにお願いするから。駄目か。いやいや落ち着こう理性を保とうここはゆっくり深呼きゅ――うおおおおおお影分身!」
「黒い眼差しいいい!!」

 ぎゃああああああああああああああああああああというヘルガーの断末魔を聞いて、トレーナーは台所で苦笑した。ニューラから木の実を受け取って、まな板の上に置く。
 痛い痛い痛いちょっと待て顔の形変わるうるせえ黙れ俺が美容整形してやるひぎゃああああオラさっさと店の名前教えやがれと大部屋から声が響いているが、いつものことなのでトレーナーもニューラも気にせずに作業を続ける。包丁がまな板を叩く音と冷蔵庫の中を漁る音が、日常の喧騒の中に混じっていった。

 今日も平和な一日である。
 
 
 了
 
 
 
 



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Last-modified: 2013-01-22 (火) 00:00:00
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