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夜と朝のあいだ

/夜と朝のあいだ


writer:朱烏




夜と朝のあいだ






 子供は誰しも大人より早い時間に寝る。僕もそうだ。頑張って夜更かししようとしても、いつの間にか朝はやって来てしまう。
「ねえ、俺たちが寝ている『間』はどうなっているのかな」
 誰かが言った、意味のあやふやな質問。けれど、僕にはその意味がわかった。周りのみんなも、感覚的にはわかっているはずだ。
 僕たちのような仔供には、『昨日』と『今日』と『明日』が、一次元的に繋がっていることなんて証明できない。親に促されて床につけば、『その日』と『次の日』の間に、明確な境目が出来る。
「さあ、私にはわからないよ」
 そう、誰にもわからない。得体の知れないキョウカイセンに飛びこんでいくような勇気のある仔供はいない。親に言いつけられているから。夜が怖いから。興味なんてない。誰もがさまざまな理由を盾にする。
 それは僕にとって、とてもつまらないことだった。夜の帳が降りきった深い闇の中を、親元から離れて散策する。きっと楽しいに決まっていた。
「じゃあ僕がその『間』とやらに行ってくるよ」
 求められたわけではないのに、僕はみんなにそう宣言した。
「本当に?」
 フシギダネの女の仔の(ミドリ)が、僕に尋ねる。
「本当だよ」
 僕は短く答えた。
 誰もが物好きなピカチュウだと思っただろうけど、そんなことは気にしない。僕は自分がしたいと思ったことをする。今回はたまたまそれが『間』の探検だというだけの話だ。


 夜、寝床に入っても目を瞑らないように、たくさんの考え事をした。何処に行き、何をするのか。考えただけでもわくわくする。
「そろそろ私たちも寝ましょうか」
「そうだな」
 居間の方から父さんと母さんの声が聞こえた。大人というのは仔供よりもずっと遅くまで起きているもので、父さんや母さんも例外ではなかったらしい。
 父さんと母さんが寝るよりも早く、僕が眠りに落ちてしまうのではないかと思ったけど、なんとかぎりぎりのところで耐えられたみたいだ。危うく上瞼と下瞼がぴったりとくっついてしまうところだった。
 親が自分たちの部屋へ行ったことを足音で確認して、僕は寝床からそっと這い出た。僕の部屋と両親の部屋は居間で隔てられているから、気づかれる心配はほとんどない。
 僕は玄関の引き戸を静かに開けて、暗闇の中へ飛び出した。


 昼はそれなりに騒がしい集落も、深夜となれば、水を打ったような静けさに包まれている。灯りをつけている家はほとんどない。昼と違って、頼りになるのは白い月の光だけだ。
 天を仰ぐと、空いっぱいに散りばめられた星たちに気づく。真夜中の星ってこんなに綺麗だったんだな、と思わずため息が漏れた。この空を切り取って、友達に見せてあげたかった。
 しばらく(むら)の中をぐるぐる回った。どれもこれも、昼の風景と似ているが、全然違う。影もない。音もない。空気は少しひんやりしている。子供が走り回って立てる土埃のにおいもしない。
 僕たちが想像した夜と朝の『間』は、やっぱり『間』だったのだ。昨日から今日、今日から明日、それは一本道で続いているものではなく、ちゃんとした繋ぎ目がある。
 僕は集落の外れにある、小さな公園に向かった。暗闇の公園というものも見てみたい。日が出ている時間に遊ぶよりも楽しいかもしれないし、そうでないかもしれない。
 石ころを蹴飛ばしながら、僕は小道を進む。途中で綿毛をつけたたんぽぽを摘み取って、息を吹きかけて種を散らした。夜風にふわふわと舞い上がった種たちは、僕の知らない場所へと旅立つ。今、僕が、まわりのみんなが知らない世界を見ているように、綿毛たちもまた、きっと僕の知らない世界を見にゆくのだ。

 公園も集落と同じように、静寂を保っていた。ブランコもシーソーもジャングルジムも、真夜中では少しばかりの不気味さを湛えていた。
 ブランコに手をかけると、きい、と鎖が鳴った。僕はそれに腰掛けて、足を揺らした。勢いをつけて、もっと高く、もっと速く、と、ブランコを揺らす速度を上げる。
 真っ黒な空が近づいたり、遠ざかったり、このまま手を離せば、空まで一直線に飛んでゆけそうな気がした。
(もっと、こがなきゃ)
 鎖が鳴らす金属音が大きくなる。鎖を強く握りしめて、足を強く振った。空が一段と近くなる。
(……?)
 手を放しそうになったその瞬間、遠方から囁き声が聞こえた。囁きが遠くから聞こえるなんて矛盾しているけど、そうとしか形容できなかった。
 気のせいかもしれない。そう思えば、僕はブランコをこぎ続けることが出来ただろう。でも、気のせいではないかもしれない。それが僕にとってはものすごく魅力的なことなのだ。
 何かに誘われるように公園を後にして、僕は集落から離れる方向へ小道を辿った。集落にちらほらついていた灯りは届かなくなった。僕は頬の電気袋から閃光を飛び散らせて、暗い足元を照らした。
(この辺りから聞こえたような気がする)
 目の前に広がる雑木林は、仔供はめったに来ない場所だった。木以外には何もない。こんな時間に、こんなところにポケモンがいるなんて想像できなかった。
 一歩足を踏み入れると、緑に黒を大量に混ぜたような色が一面に広がる。木から伸びきった枝や葉で空は見えない。電燈を持ってくれば良かったと後悔した。
 それから電気を散らしながらしばらく歩き回るが、目立つようなものは何もなかった。声がしたのはやはり気のせいだったのかもしれない。そもそもこんな時間に外を出歩いているポケモンなんて僕くらいのものだ。
 僕は引き返すことにした。行くあてがないわけではない。この時間帯の学校というのも気になる。それで、僕はもと来た道へ歩を進めようとするが、どうも後頭部の毛が引っ張られている気分が抜けない。
 なんか変だな、と思いつつも僕はその場で振り返る。僕はそれを見たとき、新たな発見は意外にもかつての自分が見落としていただけであったものが多い、という父さんの言葉を思い出した。
(こんなもの、あったっけ?)
 見慣れないものがそこにはあった。木でできていて、四本足で立っていて、その足の上には茅屋をぎゅっと小さくしたようなものが乗っかっている。
(ほこら)……かな)
 神様を祀るための小さな家。古びていて、所々欠けている。年季はかなり入っているようだけど、見た覚えが一度もない。
 目立たなくて気づかなかっただけかもしれない。でも、いったい何を祀っているのだろうかと疑問に思う。
 僕は、祠の前面についている小さな両開きの扉に手をかけた。
「ねえ、何をしているの?」
 誰かに後ろから話しかけられた。突然のことに、心臓が止まったかと思った。僕は顔を引きつらせながら振り返る。
「えっと……君は誰……?」
 背後をとられた気配なんてしなかったから、てっきりお化けや怪物が話しかけてきたのかと思った。でもそんなおどろおどろしいものではく、そこに居たのは可愛らしいロコンの女の仔だった。
「私? 私はミコって名前のお化けだよ」
 女の仔は茶目っ気たっぷりに、笑いながら言う。冗談のつもりなのだろう。僕もつられて笑って、自分の名前を名乗った。
雷斗(ライト)……いい名前ね。で、雷斗はここで何をしているの?」
 ミコは同じことをもう一度尋ねた。
「うーん、何をしているってわけじゃないけど……君はこんなところで、こんな時間に何をしているの? この辺りでは見かけない顔けど……」
「一緒に遊ぼう?」
 ミコは僕の質問を無視してそんなことを言った。悪い気持ちはしないけれど、自己中心的なポケモンだな、と思った。僕のように夜と朝の『間』に興味を持ったポケモンの一匹だろうか。
「でも、何をして遊ぶの?」
「かくれんぼがいいな」
 ミコは無邪気に笑ったが、ここには隠れられそうな場所はない。かくれんぼなんてどういうつもりだろうか。
「隠れられるわけがない、って思ってるでしょ」
 僕の心は完全に見透かされていた。顔が赤くなって、ミコから目をそらした。
「あなたが鬼ね。この林の中だけでかくれんぼだよ」
 ミコはさりげなく僕を鬼にする。彼女は本気で隠れきるつもりらしい。
「じゃあ、目を瞑って、十秒数えて」
「たった十秒?」
「いいから」
 僕はミコに促されて、目を閉じた。
「いーち、にーい、さーん……」
 僕はゆっくりと数を数えた。でも、ミコが歩き回るような音は聞こえない。本当に彼女は隠れようとしているのだろうか。
「はーち、きゅーう……」
 僕は薄目を開けた。
「じゅう」
 微弱な月明かりに照らされた薄暗闇の中に、ロコンを探す。
「あれ……」
 しかし、見当たらない。
 雑木林の中はあまり広くない。僕は木の陰を確認しながら、林の中を歩いた。ときどきミコの名を呼びながら、僕は彼女を探し回る。
 僕は暗さを打ち消すように、電気を散らして灯りを作る。少しは見つけやすくなるかもしれないと思ったが、地面は照らせても、彼女の姿は照らせない。
 僕が彼女を見つけることはついになかった。僕が数を数えている間、彼女が僕のそばから離れた気配は全くしなかったのに。もしかして……本当にお化けなのだろうか。
「はい、時間切れ」
 僕はびっくりして腰を抜かした。後ろから声をかけるのは彼女の得意技なのだろうか。尻餅をつきながら振り返ると、ミコは勝ち誇ったような顔で僕を見下ろしていた。
「ど、どこに隠れていたの?」
「秘密。教えたらつまらないでしょ」
 それでは僕が納得できない。こんな広くもない場所で、どうやって僕から隠れきったのだろうか。
「教えてよ」
「しょうがないな。じゃ、こうしよう。明日もここに居るから、雷斗の友達を連れてきて。きっとふたりで遊ぶよりも楽しいよ。そうしたら、どうやって隠れたのかも教えてあげる」
「本当に?」
「本当だよ」
 今日会ったばかりでは、彼女を信じていいのかをはかることはできない。僕は腕を組んで、じっと考えた。
 目を瞑って数十秒。別に嘘でもいいか、と結論づけた。
「いいよ、明日は僕の友達も連れて――」
 振り向きざまに、一瞬ミコの笑顔が見えたような気がした。しかし、彼女はすでにそこにはいなかった。
 友達には彼女を、かくれんぼの天才、と紹介しようと決めた。



 次の日の朝、公園で仲間に昨晩の事実を伝えると、呆れられたり、驚かれたり、いろいろな反応があった。
「へえ、君以外にも真夜中に抜け出す仔がいるんだ」
「何それ、まるで僕が変人みたいな言い方だね」
 僕は口をとがらせて言うが、みんなより性格がちょっと変わっているのは自分でもわかっているつもりだ。夜に家を抜け出すのは、悪い仔供のすることだ。
 だから、一緒に暗闇の中へ抜け出そうと誘っても、来たいというポケモンは誰もいなかった。みんな、良い仔なんだ。
「本当にお化けだったら、襲われちゃうかもしれないじゃん。そんな仔見たことないし」
 僕は、ミコはお化けかもしれない、とは言っていない。まるでお化けが消えるようにうまく隠れるという言い方はしたけれども。
「隣の集落に住んでいる仔なんじゃないの?」
 別の仔供が、お化けが云々と怯えてるゼニガメを宥める。
 露骨に残念がる僕を尻目に、みんなは別の遊びをしはじめた。あまり興味を持たれなかったことに僕は失望したけれど、まあそれでもいいか、と諦めた。
 みんなが缶蹴りで遊んでいる間、僕は独りでブランコをこいでいた。空に舞い上がる缶が、太陽光を反射した。
 昼ご飯を食べにみんなが帰った後も、僕はブランコをこぎ続ける。友達を連れてこられそうにないことを、ミコにどうやって言い訳しようか悩んでいた。
 ブランコに飽きて、僕は鎖から手を放して勢いよく前に飛んだ。うまく着地できずに、転んで膝を擦りむく。無茶なことをするんじゃなかったな、と僕はその場に座りこんだ。
「あ、あのさ、大丈夫?」
 僕の影に覆いかぶさる、もう一つの影。振り向くと、翠が心配そうな表情で僕を見つめていた。
「これくらい大丈夫だよ。……どうかしたの?」
 てっきり、みんな帰ってしまったと思っていたので、まだ公園に残っているポケモンがいたなんて思わなかった。
「えっと……さっきの話……私も行きたいな、なんて……」
「ほ、本当に?」
 僕の話に興味を持ってくれるポケモンがいた。それがとても嬉しくて、思わず翠に食いついた。
 しかし、まさか翠が興味を示すなんて驚きだ。彼女のイメージは、大人しいポケモン、に尽きる。僕の想像よりも、彼女はおしとやかなポケモンではなかったらしい。
「あの何もない雑木林の中でいいの?」
 僕がもう一度一通り説明して、彼女はすぐに飲みこんだ。
「うん。待ち合わせは、月が南西に差しかかる時間がちょうどいいと思う。林の中にミコがいるはずだよ。でもいつ現れるかは分からない。暗いけど、月明かりで足元くらいは見えるよ」
「一緒に行っちゃ、だめ?」
「え? ……い、いいけど」
「じゃあ待ち合わせはこのブランコのそばにしよう?」
 なんだか随分と乗り気だ。彼女にしては積極的なような。
「……わかった。親にばれないように気をつけてね」
 女の仔が真夜中に家を抜け出すなんて感心するひとはいないだろうから、一応釘を刺しておいた。
「うん。じゃあ私は家に帰るね」
 翠は、みんなと同じように、昼食をとりに帰った。




 ところがその日の夕方、僕自身に問題が起こる。家に帰ったとき、母さんがいち早く僕の異変に気付いた。
「あら、なんだか具合が悪そうね。大丈夫?」
 僕を玄関に迎えた瞬間にそう言ってのけたのだから、母さん相手にあまり隠し事はできないなと思った。もちろん探検のことについてもだ。
「今日は早めに寝てゆっくり休みなさい」
 翠との約束事に暗雲が立ちこめる。こんなときに風邪をひいてしまうなんて。
「べ、別に具合なんか悪くないよ!」
「強がらなくていいの。あなたはまだ仔供なんだから」
 抵抗虚しく、僕は強制的に寝床に入れられた。僕は焦りながらも、どうやって家を抜け出そうか考えを巡らせる。しかし体にこもる不快な熱がそれを邪魔した。
 夜になっても、母さんはつきっきりで僕の面倒を見てくれた。僕は母さんが作ってくれたお粥を食べ、ありがたいと思いながらも、早くどこかへ行ってくれないかなと失礼なことを考えていた。
「こんなに寝汗かいて……ほら、拭いてあげるから体起こしてちょうだい」
 そろそろ約束の時間だというのにこの調子だ。僕の寝つきが悪いせいなのかもしれないが、母さんは一晩中僕のそばに居た。母さんの過保護が災いして、結局この日、僕が翠と雑木林に出かけることはなかった。



 母さんの過保護が功を奏したのか、翌日の朝には僕の体はすっかり元気になっていた。しかし、翠との約束を、たとえ故意ではなくても破ってしまったことに、心が萎れていた。
 土日は過ぎゆき、今日からまた学校が始まる。僕はいつも通り朝食を食べ終わった後、小さな鞄に適当に物を詰めこんで玄関を出た。
 公園や雑木林の方向とは正反対の道を歩いて、学校に向かう。通学路の途中、僕はずっと翠に謝る際の言葉を考えていた。具合が悪く、寝こんでいたと素直に言えば、優しい彼女は許してくれるだろうと思う。けれど、もう僕に付き合ってくれることはないのではないかと不安になる。
 謝ることよりも、彼女をもう一度誘う方が難しいと思った。僕はため息をつきつつ、プレハブ校舎に入った。
「おはよう」
 入室と同時に、教室にいるみんなに挨拶をするのは僕の中での決まりごとだった。そして、みんなはいつも挨拶を返してくれる。
 しかし今日は何だか様子が違った。僕に気づくポケモンがいない。みんな教室の中央で固まって、ひそひそと呟きながら会話していた。
「……どうかしたの?」
 僕はその集団の中に入り、近くの仔に話しかけた。
「あ、ああ……翠ちゃんがいなくなったって」
「……え?」
 僕は彼の言葉の真意を掴み損ねて、首を傾げた。
「行方不明なんだってよ……」
 違う仔が、僕にもっとわかりやすく説明してくれた。そして、動揺する。まだ頭の中は整理できないけど、取り返しのつかないことをしてしまったということだけはしっかりと理解できた。
「今、大人たちが探してるってさ。先生もほとんど全員出払ってる。たぶん今日の授業はないぜ?」
 授業がない、一部の仔にとってはそれが嬉しいことなのかもしれないが、目に見えるように喜ぶ者は一匹もいない。みんな、とにかく翠のことが心配でたまらないといった表情だった。僕だけ、不自然な冷静さを装っていた。
 やがてひとりの先生がやってきて、すぐに家に帰るように、と僕たちに伝えた。




 家に帰っても誰もいなかった。父さんは仕事だけど、母さんはおそらく翠を、他の大人たちと一緒に探しているんだろう。
 本当は僕も探したい気持ちでいっぱいだった。しかし、先生は僕たち生徒が散り散りに教室を出て行こうとする間際に、仔供は外で遊ばず、家の中に居なさいとも言っていた。仔供の出る幕はない、大人にすべて任せろということらしい。
 それはもっともだけれど、責任は明らかに僕にあるのであって、捜索という行動に移せないのが酷くもどかしい。あの夜半のことは、誰にも話さず、僕だけの秘め事にしておけばよかったと後悔した。
 僕は狂ったように布団の中に潜り込んで、毛布を手繰り寄せて引きこもり、両親の帰りを待った。

 そのまま眠りに落ちてしまったのか、僕は母さんに叩き起こされた。
「なあに? こんな時間から布団に入るなんて」
 僕に呆れながらも、母さんの口調は悲哀に満ちていた。僕ではない、他の何かを気にかけている。
「翠は?」
「……この季節は暗くなるのが早いから……明日は住民総出で朝から捜索よ」
 見つからなかった、とは素直に言わないのは、僕を落胆させないための優しさか。母さんらしいと言えば母さんらしかった。
「大丈夫よ。あんなに良い仔なんだもの。明日にはきっと見つかるわ」
 そう。僕はそんな良い仔をけしかけてしまった。
「ねえ母さん……」
 ふいに涙が溢れてくる。
「僕って悪い仔なのかな」
 母さんの顔が見えない。胸が苦しくなる。
 母さんは僕の突然の言葉に驚いたかもしれない。でも、無言で、僕を抱きしめてくれた。母さんの体は、とても温かかった。
「あなたはとっても良い仔よ」
 僕は心の中で母さんに謝った。今晩、もう一度だけ悪い仔にならなければいけないようだったから。



 日中ずっと眠っていたせいか、夜を迎えても目は冴えていた。これで、夜と朝の『間』へ出かける際、睡魔に邪魔されることもない。
 僕はミコと話をしたかった。ミコなら何か知っているはずだ。昨日は彼女と話をしなかったので、今日も雑木林に現れてくれるという確証はない。しかし、翠を見つけるためになりふり構わずにはいられなかった。
「あの仔が家出するなんて考えられないんだけどねえ……」
「誘拐されたのかもしれん」
 居間での父さんと母さんの話に、僕は冷や汗を垂らす。早く寝て欲しい。その思いだけが空回りするのを、時計の秒針が進む音を数えることでなんとか押さえつけ、僕はその時を待った。

 チクタクとなる音を二千回ほど数えて、両親はついに床に就いた。僕は急ぎつつも、むやみに音を立てないようにゆっくりと起き上がる。
「翠、待ってて」
 決心を口にして、僕は引き戸を素早く開ける。
 そこからは、自分でも驚くほどに速かった。四肢をめいっぱい使い、走った。土埃が激しく舞う。闇に輝く星たちには目もくれない。
 公園の横を通り過ぎたあたりで、電燈を忘れてきたことを思い出した。自分だけで歩き回る分には電気袋からの火花だけで事足りるが、翠を探すためとなると明るさが足りなかった。
 しかし、一秒でも時間が惜しいと、僕は再び地面を蹴った。
 路傍のたんぽぽが、風で綿のついた種を飛ばす。僕は綿毛をまとわせながら、雑木林へと一直線に向かった。

 いよいよ、雑木林が見えてきたとき、僕はその光景に息をのんだ。木立ちの中が、赤紫色に光っている。嫌な予感がした。
「ミコ!」
 林に足を踏み入れたとき、翠よりも先に、ミコの名を呼んだ。なぜかは自分でもわからない。しかし、異様な雰囲気にのまれていることだけは間違いなかった。
 そこらじゅうを、火の玉が駆け回っている。点滅したり、色が変わったり、忙しなく動くそれは、怖いなんて言葉では表せなかった。
 逃げ出したい気持ちに駆られながら、僕は懸命に翠の姿を探した。幸いにも、火の玉が林の中を明るく照らしてくれる。
「翠、どこにいるんだ!」
 叫んでも、返事はない。不安ばかりが積もり、僕は火の玉をよけながら林の中を奔走した。
「ねえ、どうかしたの?」
 聞き覚えのある声。こんな可笑しな状況の中では、唐突に後ろから話しかけられることにも驚きはしなかった。
「ミ、ミコ!」
 相変わらずの愛らしい顔も、この時ばかりはそうは見えない。時間が一瞬だけ止まったような気がした。
「昨日、翠……フシギダネの女の仔がここに来なかった?」
「ああ……翠ちゃんなら、そこにいるよ」
 ミコが前足で指示した方向を見やると……確かにいた。小さな祠の前で、翠が佇んでいた。今まで見つけられなかったのが不思議なくらい、自然な位置に。
 僕はミコをそっちのけで翠のそばに行く。
 翠は僕がいることに気づいていないようだった。
「翠! よかった。ここにいたんだね。みんな翠がいなくなって心配してる。早く邑に帰ろう」
 言いたいことは山ほどあったけど、それを僕は喉元に押しこめる。今はとにかく、翠をここから連れ出したかった。
 けれども、翠は動かない。表情もないし、僕を見てさえいない。
 不安が頂点に達して、僕は翠の前足を引っ張った。
 そのとき後ろから何かが飛んでくる。
 僕は、翠ごと自分の体を引き倒した。僕たちの体を掠めてゆく火の粉が、草木を焦がす。
「私の友達に何してるの? まさか、連れて行く気?」
 ミコの目は赤く光っていた。ただならぬミコに雰囲気に僕は足が震えそうになる。
「みんな心配してるんだ」
「そんなこと私は知らない!」
 再び火の粉が飛んでくる。あの可愛らしいミコはどこかへ消え、代わりにいるのは鬼の形相をした化け狐。
 僕は電気ショックで火の粉を相殺して、石のように動かない翠を引きずって走った。自分と同じくらいの重さのものを運んでいるというのに、足が遅くなった気がしない。これが火事場の馬鹿力というものなのだろうか。
「待ちなさい!」
 ミコは、僕たち二匹を物恐ろしい表情で追ってくる。捕まったら最後、きっと殺されるに違いないと、僕は必死に走り続ける。
 飛び回っていた火の玉も、まるで意志を持っているかのように僕たちのまわりへ降り注いだ。痛くて、熱くて、生きた心地がしない。
 僕はありったけの力を振り絞って、雑木林の外へと飛びこんだ。
「待てぇ!」
 響く怒号には恐怖しか湧かない。とにかくここを立ち去らなければ。
「痛い! 引っぱらないで!」
 そのとき、ようやく翠が正気を取り戻した。林の外に出たのが良い方向に作用したのかもしれない。
「翠、走れ! 逃げよう!」
「な、何なの!?」
 有無を言わさず、僕は翠を急かした。一秒でも早く、この悪い夢から抜け出すために。

 ミコは、林の外へは追ってこなかった。理由はわからない。
 それでも、僕たち二匹は走り続ける。こんな時間に、外にいてはいけない。仔供はおとなしく、家の中で寝ているべきなんだ。
 集落が見えてくると同時に、黄色い光がちらほらと見えてくる。僕たちより大きめの影も見える。
 僕たちを探している、大人の影だった。
 僕と翠は、泣きながらその影に飛びこんでいった。




 遠くから、咽び泣く声が聞こえる。
「返してよ、私の友達――」









 その日の夕方、僕は独りでブランコをこいでいた。他のポケモンから「一緒に遊ぼう」と誘われたけど、今日は独りがいいと言って断った。
 日も落ちてきて、みんなが夕飯を食べに家に帰ったころ、僕はブランコを降りた。公園の前の道でたんぽぽを一輪摘んで、僕は雑木林へ向かった。
 その道の途中で、うろうろしている翠に会った。彼女も、小さなたんぽぽを一輪、口にくわえていた。それから僕たちは無言のまま、並んで歩いた。
 雑木林に足を踏み入れる。僕たちは顔を見合わせて、二匹であたりを見渡した。雑木林の中を歩き回ったが、やはり例の祠は見当たらなかった。
 僕らが昨晩の出来事を大人に話してしまったからだと思う。大人たちがすぐに祠を撤去したというのは、学校で友達から聞いた話だ。
「君はミコの話、誰からで聞いたの?」
 僕は翠に尋ねた。
「お母さんから。……あなたも?」
「うん」
 僕たちは少し大きめの石をいくつか見つけて、それを手分けして積んでいった。
「もう、あの仔には会えないのかな?」
 彼女は寂しそうに言う。怖い思いをしたはずなのに、それを悲しんでいる風だった。
「会っちゃいけないんだよ、きっと。夜と朝の『間』は、仔供が行っちゃいけない世界なんだ」
「あの仔も仔供だよ?」
「それでも、僕たちよりはずっとずっと大人さ」
 ようやく石を積み終えて、二匹同時に、ふう、と息をついた。
 出来上がった石塔のそばに、僕たちはそっと、一輪ずつたんぽぽを手向けた。













以下、投票の際に頂いたコメントの返信です。

約束を破った事に加え、行方不明沙汰にしてしまった事によって二重の自責の念に駆られる雷斗。
ミコの性格が豹変して一目散に逃げ出すはめになったりと、終始ハラハラさせられました。
特に前者の想像する怖さの表現が上手いなあと。 (2011/07/31(日) 01:33)

>>「特に前者の想像する怖さの表現」まさかこれが評価されるとは思いませんでした。ほとんど意識していなかったので(汗 まあ意識せずに書けるのは多分いいことなのでしょうが……。怖がっていただけたようで、作者冥利に尽きます。

題名に引き付けられ最初に読みました。
子供(雷斗たち)の心情がよく現れていて面白かったです。 (2011/07/31(日) 19:54)

>>私の題名センスも捨てたもんじゃないですね(( 短い小説で、描写にも限界がありましたが、心理描写は力を入れました。楽しんでいただけたようでなによりです。

怖くないなんてそんな……かなりのものです。
子供の頃からどうなっているのか気になる深夜の時間。それを調べようとしてこんな風になったらトラウマものです。
最後の締めくくりも良かったと思いました。 (2011/08/01(月) 14:30)

>>あまり怖くないようにしたつもりでしたが、怖がらせてしまったようで、申し訳ないです。子供なら一度は考えることだと思いますが、多くの子供が実行できずに大人になってしまう。それを考えると、雷斗たちもトラウマになったかもしれないですが、大人になったらいい思い出になっていると信じたいです。最後の場面は私も気に入っています。

こういう終わり方好きですハイ (2011/08/02(火) 03:06)

>>今回はいつものハッピーエンドとは異なる終わり方にしてみました。

とても怖かった・・・ (2011/08/02(火) 17:00)

>>少しは涼む手助けができたみたいですね。

話の展開と最後の花を手向ける描写がよかったです。 (2011/08/02(火) 17:57)

>>短いゆえに展開の仕方を考えるのは苦労しました。最後の場面はどうしても入れておきたかった描写でした。

おもしろかった! (2011/08/03(水) 00:52)

>>ありがとうございます。気に入っていただけたようで嬉しいです。

面白くさらりとした怖さがちょうどよかったです  (2011/08/04(木) 22:29)

>>SSですから深い描写はあまり挿入できない。だからさらりとした怖さになったのかもしれませんね。

怖さの裏にどこか心温まるものがありました。 (2011/08/05(金) 16:34)

>>心温まるとは、おそらく最後の描写のことでしょうね。いろいろと含みを持たせてみました。いろいろな解釈で読み取っていただけると幸いです。

得体の知れない存在に追いかけられる本能的恐怖にそそられました。 (2011/08/06(土) 13:03)

>>怖がっていただけたようでなによりです。夜中に鬼火をまとった狐に追いかけられたら怖いなんてもんじゃないですね(汗

朝と夜の間…私も子供の時は疑問に思っていました! (2011/08/06(土) 23:08)

>>ですよね。誰でも一度は考えたことがあるのではないかなあと思います。



 「怖かった」とコメントしてくれた方がけっこういらっしゃったのが意外でした。多数の投票、そしてコメント、ありがとうございました。




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あとがき↓
今回は第一回短編小説大会、一万字に収めなければいけないという条件で執筆しましたが、いかがだったでしょうか。怖くないよ、ってツッコミは入れないでください。私に怖いものが書けるはずないじゃないですか。個人的に、一万字以下というのは過酷極まりない縛りでした。そもそも、書き終わった時点で300字オーバー。つまり、文章の約3%を削らなければいけないという事態に。なんとかして9980(?)字くらいまで文章を削りましたが、あんな作業は二度としたくない……。本来は名無しのはずだった登場ポケモンたちに名前を付けたのも、ただ文章を短くするためという不純な動機ががが。真面目にあとがきを書くと、今回の物語を作ったのは、私が幼少時に抱いていた疑問を登場ポケモンたちに答えさせたかったからです。大人になったら、自分の住んでいる世界をより理解できるようになります。と同時に、子供の時に考えていたことも、感じていたことも、わかりにくくなる。当たり前だけど、ちょっとさびしい。だから、ほんの少しでも童心に帰りたい、そんな思いが私にこの話を書かせたんだと思います。
あとがき+↓
素晴らしい作品が多々エントリーされていましたが、その中で優勝という最高の結果を得ることが出来ました。読んでくださった方々、そして投票してくださった方々、本当にありがとうございました。

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Last-modified: 2011-08-07 (日) 00:00:00
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