作者……リング
近所にとある家族が越してきた。デンリュウの母親とレントラーの父親と、メリープの男の子である。越してきた……とは言うものの、すでに私とは顔見知り。
嫁入りの示談金を得るために生きているような次女。そういう存在として生まれてきた私を役立てるといえば聞こえが良い。親は金のため、あちらの家族は次男のためにと私を利用しに来たのだ。
『……ガバイトの鱗?』
最初に尋ねられたときは首をかしげたものである。乾燥した砂漠に住むが一般的なガブリアスにあって、ガルーラと愛を育んだ変り種の私の父親。
その息子として生まれた長男はすでに畑を分かつためにガブリアスへと進化して、縁談も進んでいる。それで白羽の矢が立ったのが私。
万能薬として珍重されている、ガバイトの鱗。新鮮なものでないと効果が発揮されないそれを、剥がしてとるために、そのための縁談。砂漠では生きられない家族たちにとっては、私が救世主にでも見えたのであろうか。
珠にだが確実にある話し、親子ほど歳の離れた男と結婚させられるよりかはましと言えばそうだけれど、ある意味それよりもたちが悪い。
私の意見なんてどこ吹く風で、縁談は半ば強制的に決まっていった。
普通に結婚して、普通に子供を4人か5人生んで、そして2人か3人死んで平凡に生きていくのかなぁ……そんな風に思って、退屈に思っていた。
そんな私には、ある意味望みどおりの結果で、またある意味もっと悪い道のように思えた。
「ご飯……豪華になったね。いつでも収穫期みたい……」
食事にはおかずが増えて、父さんがお酒を飲む機会もなんだか増えた気がする。何でも、街では医者をやっていたんだとかで、お金はあるのだとか。
町に残してきた施療院は長男が継いだとかで、この村で医者でも始めるのかと思えば、殆ど隠居に近いものなんだとか。
頼めば野菜なんかと引き換えに、治療もやるとは言っているし、薬を作る道具などは確かに持ち合わせているようだ。しかし、それはついででしかない。
私はまだ、フカマルだというのに早く進化しろだなんて急かされて、最初は不快そのものだったのを覚えている。
・
・
それでも、いつからか苦にならなくなった。
「さぁ、散歩行きましょう」
生まれつき下半身から全身が麻痺していく病魔に侵された彼は、この年になって下半身全体が不随意となってしまった。もっとも、私の鱗のおかげでかなり症状の進行は抑えられているから、これでも奇跡的なのだ。
けれど、結局のところ今の彼は私がいなければ排泄一つ出来ない体になってしまったわけだ。
「今日は……静電気もあんまり発生しないみたいね。どう、体の調子は?」
私が背負い、彼が背負われる。モココの彼には、ガバイトの私がいつまでたっても必要で……互いにまだ一つの進化を残しているというのに、まるで親子のようだねと道行く人に言われるのが日常だった。
「うん、
笑みをこぼして、私が笑みを返す。これが変わらない日常。つるつるなのに、絶対に滑らないような摩擦の強いゴム質な肌に私の砂のようにザラ付いた肌。
私と彼の体の間に挟まれた変わらずの石が、柔らかい感触の中に混ざる唯一の固い感触。その変わらずの石は私の首にも下がっている。
彼は、介護する私への負担を防ぐために。
私は鱗が薬効の高いガバイトのままでいるために。
「……昔は、お前のザラザラの肌が痒い所に手が届くって感じだったけれど。今はなんだかなぁ……痒みが恋しいって言うのは贅沢な感覚なのかねぇ」
徐々に感覚を失っていく下半身は彼からあらゆる感覚を奪っていった。暑さも温かみも、涼しさも冷たさも、痛みも触覚も、もちろん性的なことも。
そのどれもが、もう諦めが付いている。
「かゆみだけだったら贅沢なんじゃないのかな……少なくとも、私にはそう思うよ。爪でぐりぐりやったって君は痛がってもくすぐったがってもくれない……詰まんないなぁって。
だから痛みも、歩く喜びも、きっとね……それを含めて考えるならば当然な感情だよ。私はそう思うな」
彼は自分の体に関する悩みを、手を変え品を変え相談する。正確にメモをしたわけじゃないとはいえ、一度だって、全く同じ質問なんてしていないと思う。これも、彼らしいいつも通り。
「だよね……はぁ。もっと大人になってからこんな病気にかかるのならばまだしも……歩くってどんな感じなんだろうね」
「当たり前すぎて、口で説明するのが難しい。私はそう思うな」
「……こうやって、僕が電気を発するように……かぁ。当たり前って貴重なことだよね」
バチバチと火花を立てる音は小気味良い。
地面タイプだからこそ間近で感じられるこの音が好きで、彼もそれを理解しておぶられて居る際は何かにつけてこうして音を鳴らす。
「こらこら……私以外にそれやったら痺れちゃうでしょ? 何かあったときにいつもの癖でやっちゃったらどう責任取るつもり?」
注意するのもいつも通り。
何で、私はこんなことをしているのか分からなかった。最初こそ、彼の両親に監視されているような気がしていやいやながらに世話をしていたんだなぁと、今になって思うことは出来るけれど今はどちらの両親も死んでいる。
この目で確かに看取ったはずなんだ。だから、両親が勝手に決めた約束なんて……
「さぁ? キズ物になったら結婚でもして責任取れば済むって問題じゃないよね? う~ん……どうすればいいのだろうかね」
もちろん、そんなことをするほど彼が愚かでないのは、本人ともども重々承知している。
「もちろん、遺産全部使い尽す勢いで謝らなくっちゃね……大変よ? 気をつけなさいよ?」
「はは……一気に僕たち破産だね」
遺産などと言う割には、お金はそれほど減ってはいなかった。上半身は普通に動く彼は、上半身だけを使う仕事ならそつなく行う事が出来る。
つまりはもっぱら頭脳労働である。薬草を摘んだり、挽いたりするのは私で、彼は客の診断を行い、処方する薬を診断し、下半身に力を込めなければならないような治療以外は普通にやってのける。
彼、一応賢いから。
それでも儲かっている訳じゃないから、遺産が減っていかないようにするにはつつましく生活をしなければならないし、医者だけでは少し足りない。けれどそこら辺は夏に兄の畑を手伝ったりなんかして、うまくやっている。
「僕のことは、医者である両親も無理だって見放したんだけれどね……結局、足は直らないし。
それでも、君がこんな風に一緒に生きてくれているだけで、どうにも救われるものなんだね」
何気なく言った彼の言葉が胸にジンワリと響き、後味のよい言葉だった。
どうして彼をこうまで気に入ったのかは、わかりにくかった。だが、いつだったか、こうして彼を背負って歩くのが苦にならなくなってきたとき聞いてみたら、彼は言うのだ。
『僕が風邪薬を作ったことじゃないかなぁ』
それまでの私は、いつも適当に嫌々ながら世話をしていたが、逆に世話をするような立場になった時、彼は嫌な顔一つせず薬を作ってくれた。
のどの炎症を抑える薬も、咳を止める薬も、石臼やら薬研やらを使わなければ作れないのに、動かない下半身を気にしながら私のために。
直接見たわけではない。だが、音は聞こえたし、他人の匂いも感じなかった。つまりは一人でやってのけたという事。
彼の答えを聞いて私は、適当に相槌ををうったのを覚えている。けれど、心の中ではなんか悔しかった。
自分がずっと探しても見つからない答えをすぐに見つけられるって言うのは、なかなかに嫉妬したくなる。
「私は……救っているつもりなんてないんだけれどなぁ……こうやって話をするのが好きだから。うん、君が好きだから」
そうか……と彼は微笑んだ。ゆったりと流れる時間の中を、私は彼を背負って歩む。
不意に感じたのは、背中に水気、暖かい。
「あぁ……漏らしちゃったの? 仕方ないなぁ……」
不快と言えばそうだけれど、慣れたものだった。下半身の感覚がないから、自分の体が排泄したいという事も分からないで彼は時間を過ごしている。
「あぁ……いつもごめんね」
口調こそ穏やかではあるが、顔の背け方はいつ見ても首が曲がる限界まで背けられている。
恥ずかしいとか
申し訳ないとか
例え彼にとっては仕方がないことでも、みんなが普通にできることは彼には出来ない。
Δ
∇
それは……なんて言う苦痛。自分は他人とは違うという事を、嫌でも認識させられる。僕と言う存在の不完全さがあまりにも浮き彫りだ。
「ふふ……赤ちゃんを世話する気分って……こんなんなのかなぁ?」
彼女は楽しそうにそう言ったけれど、僕は嫌だ。赤ちゃん扱いされるのではなく、こんなに大きな赤ちゃんを彼女に養わせるという事が。
けれど、僕自身幸福だ。愛される赤ちゃんが幸福であるという事を認めざるを得ない。
ふと、気になるのは彼女が幸せなのか。
ああ、そう……
子供がいれば幸福なんだ。それは分かっているのだけれど、僕はきっと君より早く死にます。
親より早く死ぬ子供は親不孝者だ。そんな子供を養っていく運命を君に与えたくない。僕は君が好きだから。
愛される幸福と守られる幸福を知っています。けれど愛する者を守る幸福を知りません。だから、貴方が今どれほど幸福なのかは知りません。
けれど、もう貴方は愛さないでください。幸福以上に苦痛である、それは僕の中に目覚めた微かな罪悪感が育った結論。
遺産を渡したからチャラに出来ると思っていた。
けれど、わざわざ持ってきた布で僕の体をふき、わざわざ持ってきた水で鉤爪一本しかない腕を不器用に操りその布を洗う君は、その遺産をほとんど使っていない。
それが辛い。君が遺産を食いつぶしながら僕の両親が死ぬまできちんと世話をしてくれたなら楽だった。体でなく心が。
自分で体を洗う事も満足にできず、下半身……特に雄としての象徴や肛門は放っておけば吹き溜まりのように汚れて行く。
君は、愛なんて形のないもののために、どうしてそれだけの不利益をこうむれる?
それは、僕が愛などと言う形のない者のために、命を見捨てて欲しいと思う僕にも通じることがあるのかもしれない。
それが、君と僕との間で変わらない意思
Δ
∇
それが、私と彼との間で変わらない意思
貴方が自虐的になっているのは知っている。ただ、あなたの誠実さに触れているとそれからも守ってあげたい。
いつか私の愛を素直に受けとってもらえるようにと祈るしかないのだ。
けれど、自虐的になる気持ちは痛いほどに分かる。自分が風邪になったとき、早く治したいと思う気持ちは病気の苦痛によるものだけじゃない。
申し訳ないから。
反面に甘えられて嬉しいと感じる心を持ちながら、治したい……その気持ちを分かっても尚したい私がいる。
彼の苦痛を分かっていても愛したいのは分かってほしい。わがままと言われて反論する術など無いけれど、何が幸福だったのだろう?
彼はあまりにも聞き分けの言い子供だったから? いいや、多分そうじゃない。彼の親は医者で、彼は感謝されるという事のありがたみを誰よりも知っている。
その彼が、私に感謝をする。いったいどれどどの感謝だったのだろう? 嫌々世話をしていた私のために風邪薬を作るなんてどれほどのく行だったのだろう。
それを、まるで当然のように顔色ひとつ変えなかった彼。私が、普通に動く腕で彼の世話をするぐらい、出来なかったら彼に失礼じゃないか。
何よりも私は、彼を愛しているのだから。
尿の混じった布の先端を口で咥え、足と腕を総動員しながら私は布を絞る。
「あぁ……布巾を口に咥えたりしたら汚いよ……」
「乳房のあるポケモンのおしっこは汚くないって言ったのはどこの誰でしたっけ?」
立場が逆なら、同じセリフは言えないのだが実際そうだ。傷口を洗うには、精神衛生上は確かに悪いが、衛生上には何の問題もない水。
「匂いなんて洗えばいいから。だから水を持ってきているのよ」
私は笑い、彼は目を潤ませる。喜びではなく、申し訳なさ。
「……親切もほどほどにしなきゃ。君のためにならないよ?」
「でも、貴方のためになるじゃないの」
あぁ、少し意地悪な切り返しだったみたい。私が私のために生きることが彼の願いであると知っていながら。
でも、どうすればいいんだろうね? お互いがお互いの幸福を望んでいる。けれど彼は、私が彼のせいで不幸になっていると思い込んでいる。
昔はそうだったと言われれば、否定は出来ない。
だから思うのだ。私のために風邪薬なんて作るから……馬鹿な人。
私は、風邪薬を作る人なんていなくっても恨みはしなかったのに。貴方が惚れさせたから悪いのに。
でもきっと、そうしなきゃ許せない何かが彼にはあったんだと思う。
それは、プラスルとマイナンのように私の『そうしなきゃ許せない』と引き寄せあった。
ああ、私達って似た者同士。
「……さて、と。体も拭き終わったことだし、行きましょうか」
「……うん、ありがとう」
Δ
∇
だからそう、恨めしくなってしまうほどの君の優しさ。いつか、心から愛し合える日々が来ることを願いながらも、君の方が立場が勝っていて、僕では到底太刀打ち出来ていないんだ。
せめて立場が一緒なら、寄り添い合えるのだろうか? もしくは、立場がどうしようもなく離れてしまえば、もがく気力も起こらなくなるのか。
奇跡を信じるよりは、後者の方が現実的だ。あぁ、だからこそ思うんだ……神様、僕に不幸をってね。
君に納得がいく形で、そして代わりの幸福が君の元へ届くように。
・
・
そして、神に祈りが通じたと言うべきなのだろうか。
破傷風だった。僕を侵す病魔の名前は。
自分では気が付かないほどの小さな傷から感染する病魔。いつ怪我を負ったのだろう、下半身に痛みを感じない僕には分からない。
彼女は懸命に僕の世話を焼いてくれるが、それで治るとは思えない。例え、ガバイトの鱗が万能薬と呼ばれようとも、全能薬では無い。だから、破傷風を治す成分なんて元よりないのだ。
上半身は自由だったはずなのに、僕の舌はうまく回らない。体中の自由が利かなくなった僕には、彼女には決して見せてはいけない幸福に満ちていた。
「まいったね……医者の不養生って言うのはこういう事を言うんだろうね」
「……医者の目から見て、貴方は治りそうなの?」
「う~ん。きっとね、ダメじゃないのかな?」
君の愛以外をすべて受け入れようとしていた僕は、自分でも気持ち悪いくらいに落ち着いていた。まるで、明日に収穫が出来るか否かを話す秋の農家の会話のよう。
そうだ、これが僕の望んだ結果。立場がどうしようもなく離れるって楽なんだ。だって、素直になれるから。コラッタがジグザグマに屈服するのは確かに苦痛かもしれないけれど、バンギラスやメタグロスに屈服するのであったら、もう諦めが付く。
なんだか、そんな感じ。もう抵抗する気力も起きないからこそ、君の愛を存分に、僕は受け取れるよ。
Δ
∇
「そう……」
自分でもわかるほど私は悲しい顔をしている。俯いた顔は、逆に彼に真正面からこの表情を見せてしまっている。でも、いいんだ……私が悲しいってことを知ってほしい。
貴方は楽なんでしょうけれど、私は辛いんだ。辛いからこそ知ってほしい。貴方は愛されているってことを。
それでも、私の中にはいくつもの声が響いているの。
貴方が幸福になってよかった
とか、
貴方がいなくなるのはさびしい
とか、
貴方の世話から解放されて嬉しい
とか、
彼は、私の本心の何を言って欲しいのかな? 私は、彼に全部伝えたいの。それには、こんなに離れた立場じゃいけなくって、同じ立場……同じ目線で貴方と向き合わなければならないよね。
そう、貴方の愛を素直に受け止めたいから。
「ねぇ、進化してみない?」
だから、そんな提案をしてしまったのかな? だって、デンリュウの平均身長とガバイトの平均身長は同じ。今までは、からだに負担がかかるからとか、介護には体が小さい方が楽だとか、そう言う理由が付きまとっていた。
でも、残された時間は少ないんだ。だったらいいじゃない?
「どう、いう……風、の、吹き……まわし……だい?」
彼は、私の言わんとしていることをなんとなくは理解している顔だった。
「さぁね……私達、親子みたいって言われることはあったけれど、お似合いの夫婦って言われたことがないように思えてね。
うん、だからこそなんだと思う。残された時間くらいは、お似合いの夫婦で居たいんだ……貴方と、ね」
貴方が私に引け目を感じているのは、大きさなんて関係ないことは分かっていた。けれど、何か変わる気がするとか漠然とした私の予感のようなものがあるの。
今の貴方は何もかも受け入れてくれるみたいだから、私は貴方に受け入れて欲しい。
「うん……いい……と思う……よ……石を……外、せば、すぐ、にとは……言わない、までも……明日までにはきっと進化している」
Δ
∇
なんだか、目が覚めるような気分だった。どうしようもなく立場が離れているのに、同じ目線。
矛盾を内包した僕たちの関係すらも僕は受け入れようとしている。
いや、思えば矛盾した一時と言うのはこのほかにもあったのかもしれない。それはそう、あの時君が風邪をひいた日だ。
僕と君、守られているのに守っている。背中合わせではなく向き合って守り合う。不思議だけでそうとしか言い表せなかったような、そんな気がするよ。
僕が望んだ二つに一つの望みは、あまりに簡単な提案でそのどちらもを得ることが出来た。きっかけは、死を見たことだ。
僕を素直にしてくれたこの死と言う事象にどれほどの感謝をすればいいのか。本当は、憎むべき事象であるはずなのに、存外に心地よい。
だってそうだろう? もう僕は体が動かないから、やることも出来ることもないんだ。心の中の動きでしか僕の出来ることはない。
今浮かぶのはね、今できるのはね、君へ感謝することだけなんだ。
恨み節の一つや二つを思い浮かべようとしても出来ない。なんとも僕は都合のいい頭をしている思う。
感謝しかできないって、すごく幸せなんじゃないかな?
「そう……じゃあ、外させてもらうわね」
君の鉤爪がそっと僕の首筋を這い、首にかけていたひもを攫って、変わらずの石は僕の手から離れた。
体の構造が大きく変わってしまい、自分は忘れるべきではない大切な感覚がどこかへ消えてしまう気がして怖かった。
この腕を君は取ってくれた。この足を君は揉んでくれた。この毛並みを、君は鋤いてくれた。すべてひっくるめて、モココの僕。
デンリュウの僕は、その温もりを思い出せるのだろうか。腕も足も顔も毛並みも違うモノに変わって、君からもらった愛を、その姿をそのすべてを覚えていられるだろうか。
「大丈夫……進化しても、私は最後まできちんと面倒を見るから」
ああ、そうか。いらないんだ。
短い時間かもしれないが、また刻んでもらえばいい。
「あ、り……が、とう」
あぁ、もう眠くなってきた。ごめん、もう眠るね。
Δ
∇
進化の兆候は、意外と早く表れた。彼は前触れもなく目を瞑って眠りについて、私のどんな呼びかけにも反応しない。
私が寝顔を見あきて、外に出て帰っていたら、彼の体はデンリュウとなっていた。
自分よりちょっと大きいくらいに成長した彼の体は以前より重くふわふわした毛皮も
「うん、貴方は……素敵だね」
眠っている彼に口づけをすると、彼は目を覚ます。
「……なん、だい?」
彼は状況が確認できないでいた。しかし、自分の体を見て自分が進化したんだと言う事を認識したらしい。
「わかった? 進化した貴方が、どうにも可愛らしくって……思わず口付けを……しちゃったの駄目だったかな?」
「うれ……しい、よ」
その言葉がすべてだった。私の心は何とも救われた気分になり、なんだか喜びを共有できて、彼の苦しみも和らげられそうで、彼の体を引き起こして抱きしめる。
それが無言のまま、彼の都合なんてなんにも考えずに行ったのに、彼は微笑んだ。僅かに動く顎を、私の頭頂部に預けて笑う。
暖かい彼の体には力が籠っていない。いつも彼の体を拭いてはいるが、拭いただけでは残る彼の体臭が鼻腔を満たす感覚は心地よい。
「ねぇ……」
「ん、何かしら?」
私が不思議がる間もなく、彼は私に口づけした。彼から、私に、深く。
ざらざらの舌同士が触れ合う。
暖かい。
柔らかいな。
でも、変な味
相手もそう思っているのかな?
気持ちいい……
息が苦しい。
離すよ?
感覚は文章に出来ない。箇条書きのように断片的だ。舌を絡め合うキスはそれほどに魅力的。こんなものを冷静に判断できる人がいたら、それは本当は興奮していない証拠。
きっとそう言うことなんだ思う。だから、私は彼の行為に陶酔していた。そうなんだろう。
なんだか、今ので疲れてしまった私は今までベッドの横で立て膝の体勢だったのを、彼のベッドに座る体制に変えた。
そうしたら驚くほどのことでもないのだけれど、固いモノが当たって私は腕を引っ込める。
例え麻痺はしていても、それは頭の思い通りにならないという事であって血は通っている。通っているからこそ、反射でそれは勃つということか。
「ああ、やっぱり男の子なんだよね」
掛けていた布を剥がして凝視すると、彼は恥ずかしがりながら顔を背ける。
「私達、夫婦でしょ……?」
だから恥ずかしがることなんてないよ。私は笑顔にそんな意味を持たせて彼の顔を撫でる
「そう、言えば……そうだった……ね」
彼は納得したようで、まだ思うところがあるようだ。
「ねぇ……」
「ん、今度は何かしら?」
「それ、なら……夫婦らしい……こと、の、一つでも……して、見ない……かな?」
一瞬意味が分からなかった。
「なあに、それ? 貴方……動けないじゃない……どうやってするって言うのよ?」
「君、が……動けば、いい」
「馬鹿ね……私がよくても貴方が気持ちよくないじゃない……」
「それ、で、いい……」
あぁ、何を言っているの貴方は? でも、言いたいことは何となくわかった。初めて平等な立場になった私達はこうして完全に平等になるんだって。
一方的に疲れるのと、一方的に気持ちいいのとでなんだか釣り合いが取れているのかなぁ……なんて。
夫婦と呼ばれる……と言うフレーズが何だか私を後押しするような気がして、私は気が付けば彼の申し出を受けていた。馬鹿馬鹿しいって分かっているのに。
行為を始めてから数分経って見ると彼は何故か嬉しそうと言うか幸せそうに見つめているんだ。
むかつくな……なんだか自分までそんな気分になってくる。
その上、勝手に
それにしても、何か言えよな………………無理か。
他人の体を借りた自慰なんて表現はよくあるけれど、ここまで言葉通りなのも珍しい例じゃないかな? それなのに、二人とも幸せな顔をしているのは、なんだかとても不思議な気分。
だってさ……なんだか、本当に夫婦らしい夫婦な気がしたから。らしいってことがこんなに大事なものなんだね。
あぁ、本当に子供が出来たらどうしよっか……?
Δ
∇
「どう、しよう、ね……?」
その時には、多分僕はこの世に居ません。破傷風はそれほど悪化しています。すぐに苦痛に負け始め、殺してくれと懇願するようになって、そして死ぬ。
僕には何もできないのなら、きっと君の分も苦しみを背負えるよう、神様に頼んでみるよ。
だから君は、僕が苦しみます様にと願ってくれ……なんて言ったら君は怒るよね? でも、それならば……君は何を願うべきなんだろうね。
そうだね、僕は君に迷惑をかけてばっかりだったから、君の迷惑をかけない人が見つかるように僕は願うよ。君もそうするといい。
もし、迷惑をかける人が欲しいなら、本物の赤ちゃんがいればいいだろうさ。その子はきっと、僕よりも可愛い顔をしているから。
守る幸せを知っている君ならば、きっと上手くやっていけるはずだ。
だって、君はこんな僕を嫌な顔一つせずに世話できるんじゃないか。僕が特別礼儀正しいからって言うかもしれないけれど、それでも誰にだって出来ることじゃないと僕は思うんだよね。
なんだかもったいないなぁ……腕がまともに使えれば、そんなに献身的な君は看護師に向いていたかもしれないのに。僕一人の世話に四苦八苦しているようじゃちょっと辛いだろうけれどね。それでも僕は素晴らしく思うよ。
愛せるってことはこんなにも素晴らしい。
なんだか、夫婦って幸せだね。お互いが気遣い合うよりも上下なく話せるこの一時、夫婦である時間。ちょっと状況を変えるだけでこんなにも変わっちゃうものなんだね。
『人生は、片手に幸福の黄金の冠を持ち、片手には苦痛の鉄の冠を持っている。 人生に愛されたものは、この二つの冠を同時に渡されるのだ』なんて、言うけれど、それは案外……こういう事なのかもしれないね。
ああ、愛されている。
Δ
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ゆっくりとだけれどいろいろなことを、話してみて不思議だった。私ってこんなに相槌を打つだけだったのかなぁって。
彼が話す言葉は、いちいちもっともなことで、否定できないのだ。だからなのかね? 私はずっと心にしまっていた言葉を言えるチャンスを待っていたのに、それを全然言うチャンスがないんだ。
今か今かと待ち続けたのに、結局私は彼が死ぬまで何も批判することを言ってやれなかった。
結局私は身籠ることも無かったわけで、これで何の憂いもなく次の旦那を探すことが出来る。それは貴方の気遣いなんだよね……? なんて、言うとでも思ったか。
私は、貴方に気遣いはいらないって、いつでも思っていた。貴方も同じことを思っていたかもしれないけれど、私は貴方を世話出来て幸福だったんだぞ。
月並みだけれど……貴方も同じことを言いたいかもしれないけれど……言うよ?
「馬鹿野郎」
あぁ、やっといえたよ。墓の前でだけれども。
お墓は驚くほど静かで、夏の気配が漂い始めた周りの空気は少しばかり鬱陶しい。
最後の言葉が、『ありがとう。姿は変わっても、この心だけは変わらないよ……だから、もう僕には気遣う必要はないよ。僕は君を愛しているから、君は自由に生きてよね』だなんて、キザったらしいしアホらしい。結局彼は何が言いたかったんだ?
うん、でも、もしかしたら私も同類なのかもしれないね。
私は貴方を愛していました。そしてこれからも愛します。もしかしたら、新しい旦那がガバイトよりガブリアスの姿のが良いとか言い出すかもしれないけれど、その時はね……変わらずの石を外すかもしれない。
だってもう、貴方のための薬を用意する意味はないのだから。けれど、貴方を愛すると言う意思はそのままだって私も伝えるよ。
あぁ、キザったらしい。でも、死人に口なしだから言ってやる。
「それが、私の変わらずの意思。多分、石よりも確かな堅いものだよ」
今の、誰にも聞かれていないよね?
貴方にだけ、聞いてほしかったんだから。
辺りを見回しても人影一つない。これはよかったって言うべきなのかな?
仮面小説大会はとっくに終わっているのに仮面を付けていた愚か者の作者こと、リングです。今回は、「変わらずのいし」をお読みいただきありがとうございました。
実は心情の一部にキール君のセリフが混ざっていたり、ページの一番下のリンク情報の所に私の名前があったりで……正体のヒントは出していたのですが……2回目のコメントで&fervor様に正体をばらされてしまうと言う予想外の出来事がw。
一応白抜きにされていましたが、携帯ユーザーからは丸見えなんですね。
そんなことはさておき、このお話を書こうと思ったのはガバイトの鱗が万能薬になるいう言い伝えが切っ掛けですね。
DPtでシロナさんからもらった薬はジョウトの物だと言う事はしばらく知らずに、ずっと彼女のガブリアスから作った物だと信じて疑っていなかった思い出はありましたが、実際に使われたのはポケダンアニメのコリンクが使用したくらいなど、意外にも本編では使われていないのですね。
で、それを使おうと思ったのですが、どう話につなげようかと考えていた矢先に、このwikiのとある人と個人チャットする機会がありまして、その時に変わらずの石の話題が出たのです。
『これだ』と思いながら、薬効の高いガバイトから進化しないでいるお話を書こうと思いました。
で、そこから先……まず、ガバイトは誰のために進化しないでいるのかを考えるにあたって、人間かポケモンかを考える必要がありました。
考えた挙句『どうせならばどっちにも変わらずの石を付けちゃえ』みたいな感じで、必然的にポケモンになりましたw
その後、ポケモンの種族。卵グループが怪獣かドラゴンで、最終進化系がガバイトと同じ九140cmのポケモンがよさげな気がして、条件に当たるポケモンを探した結果、デンリュウということに。
『静電気』の特性が実は地面タイプにも有効なことは秘密です^^
そして、二人の性別はどうするか……と言う事になりまして、考えました。
で、思い出したのですが男性の全身が麻痺していても子供って出来るんですよね……とある棒高跳びの選手は、麻痺したきっかけこそ違っても、三人の子供をもうけたり……など。
でしたら、ガバイトを女性にしてみよう……なんて、やはりここも安易に決まりました。結構私は安易な決定が多めですね^^;
そこに至るまでの過程も、死を目の前にしたからこその行動。『やり残したことがあるからやる』と言えば、あまりに単純ですが切っ掛けとしてはやはり妥当に感じます。
エロを入れておいて女性ならともかく、男性が快感を感じないと言うのはかなり珍しい……ていうか、むしろ調査不足な私では心当たりがありません。
せいぜい旧wikiのNOVI氏がそういったブラッキーとドーブルを描いていたような記憶くらいでしょうか。
それでも、お互いが心から満足しているとか、自分でそういう状況に持ち込んでおきながら、恨みたいくらいに心情を表すことが難しくって……筆が止まりっぱなしでした。
それで、やむなくぼかしてみることに。これは本当に全く進まないので、諦めた……と言う未熟な作品ですね。
それでも、今まででいちばんコメントを頂けた作品となりました。
書いている最中は夢中で気が付けないことも、誰かのコメントを見ることで反芻し続けると色々と無意識が見えてくるみたいです。
たとえば、カゲフミ様への返信にある『手段』とは『何の為の手段』だったのかなぁ、なんて考えると『愛情を伝えるための手段、愛を感じるための手段』とか。『夫婦らしいこと』って愛情を感じ合う事が(私にとっての)大前提なイメージから導き出された私の結論がそんな感じに。
ただの『子作りの手段』では無かったと言うのは鉄板として、それ以外の何かを加えるとなるとなんだったのか。自分で書いていて、その作品が自分で分からないと言うのは、作者よりキャラが上の立場になってしまうというありがちな現象ですが、後半それがあまりにも強くなっていましたね^^;
いつかこの物語が完全な形になるように精進するか、何か閃ければもう一度皆様に完全な形として送り出したいと思います。
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