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地下浴場

/地下浴場

呂蒙


 セイリュウ国首都・ラクヨウの冬の訪れは早い。12月にはいると、木々は木の葉を落とし、市中心部にある緑地公園の池にも朝は氷が張っている。大通り沿いのガソリンスタンドやカーショップには冬用のタイヤが積まれ、冬の供給に向けての準備が整っている。街行く人は防寒具に身を包み、目的地に急ぐ。
 ラクヨウ大学のラウンジには、窓から日差しが差し込んでいるものの、夏のような強さはない。この季節になるとラウンジで温かい飲み物や食事を求める学生も増える。
 バショク=ヨウジョウは、急遽午後の授業が休みになったので、自分の手持ちや友人同様の先輩の手持ちの面倒を見つつ、ゲームに興じていた。
「ん?『捕まえたモンスターにニックネームをつけますか』か……。ウインディ。なんか良いのないか?」
「ん? ああ『ポケモン』か。実際に持ってるのに、ゲームを買う必要ないだろ」
「ゲームの中ではどんな無茶も許されるからな。それがバーチャルの長所だろ。それよか、ニックネーム」
「『いいえ』を選べばいいだろ」
「いや、どうせ主力にはしないから。ネタで」
「じゃあ『AAAAA』でいいだろ」
「あー、それはダメなんだ。なんかな、名前によっては却下される物もあるらしいからな」
「めんどくせーシステムだな……。バショクはどんなのにしようと思ってるんだ」
「まぁ、超絶キラキラネームがいいかな。よし、決めた。あ、これもダメか。くそ」
「何にしたんだ?」
「『ゲロゲロ』カエルっぽいから」
「意外と普通だな。もしかして『ゲロ』がまずかったとか?」
「もういいや。別のやつ捕まえて、気分を変えよう。こいつはニックネームなし、と」
 しばらくして、別のモンスターを捕まえた。どうせ図鑑を埋めるためだけに捕まえて、主力にはしないという理由で、またも変なニックネームを付けてやろうと画策した。
「んーっと、あ、そうだ。ウインディ」
「何だよ」
「ガマゲロゲっていたよな?」
「さっき捕まえてただろ?」
「と、いうことは、だ。NGワードに無駄な文字を足せば変なニックネームが付け放題だ」
「やめなよ、そんな変なニックネームをつけるのは……」
 真面目なラプラスは反対したが、バショクは言う。
「じゃあ『ちんちん電車』はいいのかよ!? それにゲームなんだからいいだろ? オレはバーチャルとリアルの区別がついているから、ポケモンを使って悪いことをした覚えはないぞ? ちゃんとポケモンの所持許可証だって毎年問題なく更新できているし。それに根っからのポケモン嫌いならそもそもポケモンを持たないからな」
「そこから、どうして下ネタに。あぁ、もう分かったよ。バショクの好きにすれば」
 ラプラスはさじを投げた。これ以上言っても無駄だというのもあったが、多少だらしないところはあっても、実生活はきちんとしているし、ポケモンに対する愛情があるのはいうまでもなかった。それを知ってか、先輩であるリクソンのポケモンたちからも懐かれている。
「よし、できたぞ。ニックネーム」 
 どうせろくなニックネームではないと思って、ラプラスが覗き込むと、案の定であった。
「……うわぁー……」
「ニックネーム『ハ・ナクソ』? わははは、こいつはひでぇ!」
「よーし、今度はオレにもやらせろ!」
 ゲーム機をサンダースやブラッキーに貸すと、バショクはトイレを済ませてしまうことにした。この時限が終われば、先輩であるカンネイ=ギホウがラウンジに戻ってくるので、ポケモンたちの世話を任せて、さっさと家に帰ろうと思ったからである。
 バショクがラウンジに戻ってきたところで、授業時間の終了を告げるチャイムが鳴った。ラウンジから出て行く学生や、また入ってくる学生でラウンジの顔ぶれが変わる。バショクは先輩や兄とローテーションで、誰かが授業のときは、ラウンジで皆のポケモンたちの面倒を見ることにしていた。面倒を見るといっても手がかかるわけではないので、ただ椅子に腰掛けていればいいだけなのだが。ノートパソコンと参考文献があれば、レポートも書き進めることができるし、次の時間にテストがあるときはその勉強に充てることもできる。むしろ家で留守番をさせると、食事の世話などで面倒なことが多いのだ。それに、ずっとボールに入れておくのも何だかかわいそうな気もしたので、よほどのことがない限りはその方法はとらないことにしている。側にいるだけで守られているような気さえする。面倒を見るのが煩わしいと思ったことは一度もない。
「あ、お疲れ様です」
 カンネイがラウンジに入ってくるのが見えた。
「や~っと、授業が終わった。食後の授業は眠くて授業どころじゃないよ。この次授業だっけ?」
「あ、いえ。今日は休講なので、家に帰ろうと思うのですが。あれ、メールだ」
 兄のバリョウからメールが届いていた。
「『今日は遅くなるから、ウインディを連れて先に帰ってくれ。夕飯は自分で済ませるから、お前も夕飯は勝手に済ませてくれ』か……」
(じゃあ、夜遅くまで帰ってこないな……)
「じゃあ、サンダースとブラッキー。オレもう帰るからさ、続きは家でやろうか? ゲーム。あ、じゃあ、カンネイ先輩。後はよろしくお願いします」
「ああ分かった。じゃあ、また明日」
「じゃあ、さっさと家に行こうぜ」
 バショクはラプラスたちを連れて家に帰ることにした。バショクの家はラクヨウ特別区の外にあり、いつも私鉄と地下鉄を乗り継いで通学している。
 ラクヨウは中央区(セントラル)と東西南北の5つ区からなり、南方の最大都市、ケンギョウと肩を並べる巨大都市である。昼間のため、電車はすいていた。いつものように電車を乗り継いで、最寄り駅で降りる。
 鍵を開けて自宅の中に入ると、バショクは主不在で冷え切った家の空気を暖めるためにストーブのスイッチを入れた。空気は冷え切り、上着を着たままでも少々寒さを感じるほどだった。その後、洗面所で手を洗う。
(あ、そうだ。風呂の残り湯を捨てておくか)
 風呂掃除用のためのサンダルを履き、風呂の栓を抜く。渦巻きを描いて排水溝に吸い込まれていく残り湯をバショクはぼんやりと見つめていた。
(あーあ、寒いぜ、まったく)
 上着を着ているとはいえ、誰もいなかった風呂場の空気は完全に冷え切っていた。
(ん? おわっ、ああっ!)
 バショクは排水溝に吸い込まれていく残り湯を見ていたときにバランスを崩して、湯船の中に落ちてしまった。しかし、湯船の中に落ちたはずなのだが、何かがおかしい。
(てか、ここどこ?)
 湯船に落ちたはずなのだが、いつまで経っても底につかない。というより、残り湯の中が別の空間につながっていた。普通に考えればおかしいことだが、しかしそうとしか思えなかったのだ。おまけに、バランスを崩したのではなく、吸い込まれたような気さえする。お湯の流れに飲まれ、息が苦しくなったかと思ったときに出口に出た。銭湯や温泉の浴槽などで見かける蛇口から、バショクの体は放り出された。蛇口といっても、口の大きさがバショクの身長の半分はあろうかという大きな物であった。そこから、池のような場所に放り出されたのだ。バショクが上着のうちポケットに手を入れると、どうやらボールは無くなってはいないようだった。もがきながらも、池の外にボールを放り投げた。
「らっ、ラプラス! ぼさっとしてないで、助けてくれ!」
「あ、うん……」
 もがきながら、必死に声を出した。ラプラスは水中にもぐった。まもなく、バショクの足が、ラプラスの背中についた。ラプラスの甲羅の上に座った時にようやく生きた心地がした。
「ふぅ……。助かった……」
「何やってたの?」
「見りゃあ、分かっただろ。溺れてたんだよ」
「で、ここはどこ?」
「知るかよ。風呂に落ちたかと思ったら、ここに着いたんだよ」
 ラプラスのおかげで、水の外にあがることできた。足りなくなった酸素を補給して、辺りを見回す。石造りの空間でところどころに電灯やシャンデリアがぶら下がっている。放り出されたのは池というよりも、大きな湯船のような場所であった。湯気が立っているので、手を入れてみると、お湯だった。
 地下銭湯だろうか? バショクがそんなことを思ったとき、ウインディが言った。
「誰か、こっちに来るぞ。足音がするぜ」
 バショクは逃げようかと思ったが、一体ここがどこなのかも分からないのに、逃げても無駄な気もしたので、大人しくしていることにした。
「ふおっふおっふおっ」
 へんな笑い方をするでかくて、白いのがバショクたちのほうへ向かってきた。
(ユキノオー、か……)
「来たな、罰を受けた者たちよ。わしは命名神じゃ。ここは変な名前や愛のこもっておらぬ名前をつけた者たちにお仕置きをする神殿なのじゃ」
(ド○○エかよ……)
「さて、罰として、強制労働をしてもらうことになるが……。あぁ、そうじゃ。一つ言い忘れておったが、そこのワンコ」
「あぁ?」
「わしに妙なことをしたら、お前さんたち、永遠にここから出られんぞ」
(ちっ……。やっぱダメか)
 バショクは隙を見て、ウインディに襲わせて、ここから帰る方法を力ずくで聞きだそうと思ったが、どうやら手は打ってあったようだ。
 やむなく、バショクたちは命名神の後についていった。そして、命名神のお裁きを受けることになった。命名神の椅子の前に座らされ、判決を聞かされるのだ。まるで、閻魔大王の裁きを受ける生前に悪事を働いた悪人のようだ。
「『ハ・ナクソ』他、下品な名前を付けたお前さんの罰は、わしらが使う風呂の掃除じゃ。強制じゃからの。嫌とは言わせんぞ。無事に終わったらここから帰してやろう」
 見ず知らずのポケモンのために風呂掃除などやる義理もないのだが、ここから出る方法を知るためだ。ぶつぶつ文句を言いながら、バショクは湯船の底をデッキブラシでこする。やはり神様は偉いということなのだろうか。やたら面積が広い。湯船というよりもプールなのではと思うほどだ。しかし「わしら」と言っていたから、神様は他にも大勢いて、大勢では入れるようにということなのだろう。八百万神というくらいだから、いくら神様がいたって不思議ではない。
「ちくしょう、何でオレだけ。人間をいじめるのがポケ神様の仕事なのかよ……。あいつは疫病神だな」
 冬だというのに、バショクは上半身裸で、労働にいそしんでいた。どういうわけかこの浴場は誰も使っていないはずなのに恐ろしく湿度が高く、長袖、長ズボンではすぐに汗でシャツが湿ってしまうのだ。さすがに下は脱いでしまうわけにはいかないので、ズボンの裾を捲り上げていた。休もうとも思ったが、何だかさぼったと言いがかりを付けられそうなので、最後まで休み無しでやってしまうことにした。
 すみずみまで、綺麗にし、あとは湯船にお湯を入れるだけである。しかし、どうお湯を入れればいいのかが分からなかった。湯船の縁に立っているカイリューの像が気になり、調べてみると2本の触覚のような部分がそれぞれお湯と水を出すためのレバーであることが分かった。
 お湯が溜まり、湯船からあふれ出す頃になると、命名神がやってきた。
「おお、風呂が沸いたようじゃの。それでは入るとするか」
「で、帰してくれるんだろ。その方法を教えろ」
「せっかちじゃの。出たら教える。神に二言はない」
(何が、神様だよ。神様を騙ったジジィじゃねぇのか?)
 バショクは心の中で毒づいた。
「褒美じゃ、お前さんたちも入れ」
 それを聞いて、バショクは少しばかり仕返しをしてやろうと考えた。ポケモンの分際で人間様に強制労働? ふざけるんじゃねぇぞ、という気持ちが芽生えてきたのである。バショクは人間至上主義者ではないが、流石にこの一件はこちらが何もせずに終わらせたくなかったのだ。信念などという立派なものではなく、単に負けず嫌いなだけなのだ。
「……ウインディ。せっかくだから入れよ。水じゃないから平気だろ?」
 バショクはそう言って、目配せをした。
「ああ、そうだな」
 ウインディは湯船の中に入った。湯船からお湯があふれる。
「あぁ~、気持ちいいぜ」
 そういった後、息を大きく吸った。そして、ゆっくりと吐き出す。傍から、見れば深呼吸だが、ウインディやブースターの場合はその深呼吸が武器になったりもする。
「ぬおっ、何をする!」
 流石にこの時ばかりは無防備だったようだ。不意を突かれた命名神が声を荒らげる。ウインディの吐いた炎は当たりはしなかったが、それでも命名神のかなり側まで迫った。が、ウインディは悪びれることもなく
「ついやっちゃうんだ」
 とだけ、言った。ニヤニヤとしたその表情は満足げであった。命名神としても、前言を撤回することなど神としてはあるまじき行為だったため、まんまと一杯食わされたが、かといって何かをするわけにもいかなかった。
 戻ることができたバショクたちだったが、帰ってきたのは家の湯船ではなく、近くにある公園の池であった。公園に誰もいなかったことと日が暮れていたことも重なって、誰かにその姿を見られずに済んだ。
 バショクたちは再び家に戻ってきた。
「あー、寒い。服も濡れちまったし。最悪だ。しかも、何なんだよ、あの神様。氷タイプでお湯に入れるっておかしいだろ」
「それは、耐性とかあるんでしょ。ぼくも平気だし。でも、とんだ災難だったね」
「いや、ラプラスは水タイプでもあるから平気だろうけどさ」
「けど、もう夕方だな。時間を無駄にしちまったな」
 バショクたちが言葉を交わす。
「寒いから、着替えるか。あの神様、風呂に入っているときは気持ち良さそうだったからな。そこだけは認めてやる。というわけで風呂を沸かす。ブラッキーたちも入っていきなよ。後で送っていくから」
「バショク、わざわざわりぃな」
「いいって、いいって。じゃあ、順番を決めといてね」
 バショクは着替えると、浴室のほうへ歩いていった。

 おわり

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Last-modified: 2012-12-30 (日) 00:00:00
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