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命の灯火

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命の灯火 

writer――――カゲフミ

 町外れにある墓地は静かだった。森の入口にも近く、所々に背の高い木がまばらに点在していて細長い影を作っている。その中にある一つの墓の前で佇む男の姿があった。年は四十前後くらいだろうか。白髪まじりで細身の男。こんな草むらだらけの墓地には似つかわしくないスーツを妙に着こなしていてやや場違いな印象を受けた。花も添えられておらず石の隙間から雑草が顔をのぞかせている、それほど手入れされている感じのしない墓石。彫り込まれた文字を虚ろな目で見つめながら、男は小さくため息をついて墓の縁石に腰を下ろした。時刻は夕暮れ時。墓地には誰の気配もない。ふと男の目に留まったのはゆらゆらと揺れながらこちらへ近づいてくる紫色の光。墓地の間に作られた歩道を伝ってゆっくりと男の元へ迫ってくる。幽霊の類を信じているつもりはないが、もし人魂だとすれば少し大きすぎるように思えた。さらに光との距離が縮まってようやくその姿が明らかになる。ガラスを模したような中心部の顔に黄色くて丸い目が二つ。顔の上にひときわ大きく揺れる紫色の炎。そして顔の下部から二本の黒い腕のように伸びた先にも四つの小さな炎が揺らめいていた。蝋燭の炎とは違う紫色の妖しい輝き。それでも辺りをうっすらと明るく照らし出していた。確か、シャンデラというポケモンだ。
「どうされました、こんな時間にこんな場所で」
「……特に何も」
「そうですか。どうもあなたがずっとここに居られるので気になって」
 男がぶっきらぼうな対応をしても、シャンデラの顔色は変わらなかった。顔のパーツも目瞬きすらしない黄色い目だけ。何を考えているのか推し量ることは難しそうだ。
「君はこの辺りに住んでいるのかい?」
「ええ。この墓地を抜けたところに、無人の古びた屋敷がありまして。そこに」
 シャンデラの視線は墓地の奥へと向けられていた。なるほど、屋敷というからにはそれなりに大きな建物なのだろう。古びた廃屋ならば野生ポケモンの住処にうってつけだった。しかしこのシャンデラ、妙に丁寧な物腰だ。身分不相応な上品なホテルの受付と会話でもしているようで、男はなんだかむず痒く感じてしまっていた。
「そうか。じゃあ気になったついでに、僕の話でも聞いてくれるかい?」
「……私でよろしければ」
 どこまでも畏まった態度を貫くシャンデラに男は思わず苦笑い。久々の話し相手が野生のポケモンになるなんて思ってもいなかったけど、この際聞いてくれさえすれば誰でも構わない気持ちはあった。下手な人間よりも丁寧な対応をしてくれそうなシャンデラはむしろ好印象だ。
「僕は絵を描くのが好きだった。外に出て、自然の息吹を感じながら風景を描くのが何よりも好きだった。だから将来、絶対に画家になりたい。子供の頃から画家になるって心に決めてた」
 唐突に語りだした男の身の上話を、シャンデラは顔色一つ変えずに聞き入っている。頭の炎が時折ゆらりと揺れるのは頷いてくれている、と解釈していいものだろうか。
「だけど、当然親父には反対されてね。現実を見ろだの、才能ある人間はひと握りだの、口を開けば僕の夢を否定する言葉ばかり。嫌気が差して、家出も同然に画家になる夢を追いかけて故郷の田舎から街へと飛び出したんだ」
「……お父さんのこと、嫌いでした?」
 このままひたすら聞き手に回るものだと思っていたシャンデラからの意外な質問。まさか父親のことを聞かれるとは。男は少し面食らってしまう。
「大嫌い……大嫌い、だったというのが正しいかな今は。あの頃は僕も若かった。自分のことしか考えられていない子供だったのさ。この歳になってみて少しはあの時の親父の気持ちも分かるような気がしてきたからね」
 男はふう、と小さく息をついた。夢を否定されることが自分自身を否定されたことのように思えて、口を利くのはもちろん顔を見るのすら嫌になっていたと記憶している。一度決めたらなかなか考えを曲げない頑固なところは、あまり認めたくなかったが父親譲りなのだろう。
「夢を追いかけて都会へ出たのはよかったけど現実はそんなに甘くなかった。たくさん絵を描いていろんなコンクールに応募はしてみたものの鳴かず飛ばずで、時間ばかりが過ぎていった。この時ばかりは家を出る前に言われた親父の言葉が頭を過ぎったよ」
 男は自分の絵にもちろん自身があった。応募すれば遠からず画家への道が開けて、親父を見返してやれると信じて疑わなかった。だがいざ蓋を開けてみれば、一次選考すら通過しなかったコンクールは数知れず。落選通知の重なりは次第に男を焦らせていった。
「都会に出て八年。アルバイトで生活費を稼ぎながら絵を書き続けてきたけど、結局一度も金賞を取れなかったときようやく僕は自分に才能なんてなかったんだと悟ったよ。画家の道は諦めて、絵とは何の関係もない一般企業に就職した」
 仕事自体は別に苦ではなかったが、仕事をしている間の自分は別の人格が宿っているかのように男は常に感じていた。一般企業への道を決めた時に、画家を目指していた自分は一度死んでしまったからだと思っている。
「企業に勤め始めて何年か経ったとき、親父が病気で倒れたって知らせが入ってきた。本来ならすぐにでも会いにいくべきだったんだろうけど、あれだけ大見栄切って目指していた画家を諦めていた手前どんな顔して会いに行けばいいんだろうって葛藤もあった。どうするべきかと僕が迷っているうちに、親父は逝ってしまった。あんなに元気だったのにあっけないもんだよ」
「……ひょっとして、ここはお父さんの?」
 シャンデラは男が腰掛けていた墓を見やる。男は黙って頷いた。シャンデラはそれほど興味なさげに、そうでしたかと短く返す。見ず知らずの人間の父親の死など、野生ポケモンにとっては取り立てて驚くようなことでもない。ただ、墓石をじっと眺めていたシャンデラの炎が微かに揺らめいたのは、シャンデラなりの追悼のつもりだったのだろうか。もちろん真相はシャンデラにしか分からないが。
「もしかするとどこかで選択を間違えたのかな、と最近は後悔ばかりが押し寄せてくるんだ。もし親父の言うことに従っていれば、画家にこだわらずに別の道を見つけられていたかもしれない。もし都会に出てもっともっと努力を続けていれば本当に画家に慣れていたのかもしれない。もし意地を張らずに素直に親父に会いに行っていれば、死ぬ間際に会えていたかもしれない。薄情な息子だよ……親父、男手一つで俺を育ててくれていたのにな」
 母親は男が物心着く前に家を出ていったと聞かされている。親父に愛想を尽かして出て行ったのか、それとも他に男が出来たのか詳しいことは聞いていない。彼の中で母親はいないものという認識が幼い頃から定着していた。
「親父の死に目にも会えず、夢だった画家にもなれなかった。そんな空っぽの心を埋め合わせるために僕はがむしゃらに仕事ばかりしてきた。無理が祟ったのか難病が見つかってね。どうも手後れ状態だったらしい。病の進行の早さで血は争えないって、笑えないよな」
 言いながら男は肩を震わせて笑った。乾いた笑い声が暗くなり始めた墓地に響き渡る。シャンデラは黙ったまま片方の炎をすっと男の前に差し出して、彼の表情を照らしだした。
「だからこそ、あなたはこうして現れたんだと思います。この世に対する未練が強すぎたから……」
「ああ、君の言うとおりだ。半月くらい前からずっとここをふらふらとしているよ。今でも疑問が拭いきれないんだ。僕の人生なんだったんだろう、ってね」
 突然猛烈な目眩がして病院に運ばれたときの記憶はうっすらと覚えている。それより後のことはほとんど記憶がない。気が付けば男はこの墓地に立っていた。自分の父親も眠っているこの墓地に。
「だけど、いつまでも彷徨っているわけにはいかないみたいだ。だから君は僕に近づいたんだろう?」
「さすがに、気が付いていましたか」
 シャンデラの炎が僅かに揺れる。顔で表情が分からないかわりに、シャンデラは体に携えた炎で自身を表現するのかもしれない。
「君がどんなポケモンか、僕も知識くらいはある。迷える魂を浄化……なんて言えば聞こえはいいけど。つまりは僕を食べるわけだ」
「ええ。私も食事を取らなければ生きていけないものでして」
「はは、潔いね。むしろ清々しいくらいだ」
「……抵抗しないのですか?」
「いいさ。しても同じだろうし、これで僕も踏ん切りがついた」
 男はゆっくりと立ち上がると寂しそうに笑う。シャンデラの炎に照らされた自分の顔はどんな風に映っているのだろう。
「君が灯す炎の色はとても綺麗だ。僕はキャンバスに自分が思い描く色をうまく表現出来なかったけれど、君の炎の糧となれるならそれはそれで悪くないかもしれないな」
 褒め言葉のつもりだったのだがシャンデラの表情は変わらない。炎も揺らめかなかった。ただ、シャンデラの炎を美しいと感じたのは男の本心だったのだ。
「それでは……構いませんか?」
「ああ、好きにするといい。」
 男の覚悟を受け取ったシャンデラは左右の燭台を伸ばして男の体を包み込む。瞬間、彼の体に紫色の炎が激しく燃え上がって夜の墓場を色濃く照らしだした。程なくして燃え尽きたそこに男の姿はなくなっていた。消えていく瞬間の男は静かに笑っていたような気がする。おそらく痛みは感じていないはずだ。自分の中に男の魂が蓄積されていく。シャンデラは自身が満たされていく感覚を反芻していた。魂にも味があるという。辛い人生を歩んできた人間のそれはしょっぱかったり辛かったりで、充実した人生を歩んできた人間は美味だと言われるが、本当のところは定かではない。未練を残してこの世に留まっていた人間の魂が充実した人生を送ったものだとは思えなかったが。食らった彼の魂はほんのちょっぴりだけれど、甘い味がしたような気がした。魂を取り込んだシャンデラの炎は轟々と一層色鮮やかな紫色に燃え上がる。最後に彼が褒めてくれた炎の色。出来ればこの光景を見せてあげたかった気もする。町外れの墓地はひときわ寂しい場所であり彼のように未練を残す魂も多い。せめて彼の魂の炎で迷える魂たちの行き先が明るく照らし出されることを、シャンデラは願うばかりである。

 おしまい



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Last-modified: 2017-09-24 (日) 22:24:15
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