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叶えぬ耽溺

/叶えぬ耽溺

官能描写あり。



 身体じゅうに、痛みがあった。表皮が、目が、鼻の奥が、刺されるような痛みを訴えていた。でも、瘴気のような感覚は、もう慣れたものだった。
 不在の時でもなお、巣の中は〝彼〟の匂いで溢れていた。

 真っ暗な中で、私は、目を瞑って、敷き詰められた枯れ葉へと身を投げる。仰向けになり、身体をうねらせ、頬から背中までを擦り付ける。
 心にぽっかりと空いた、何もない感覚が、満たされていく。そわそわする感覚が、少しずつ収まっていく。
 落ち着く。

 身じろぎを止めると、身体の中から沸き立つ鼓動が、私の四肢を揺らす。その鼓動は、活発で、決してゆっくりとはしていない。身体は、興奮を表していて、素直。

 背反している? ううん、まさか。
 ――高揚感が、たまらなく、心地いいの。

 仰向けになったまま、尻尾で、枯れ葉の表面を軽く撫でる。微かに残っている温もりを、丁寧に、なぞる。
 目から雫が溢れて、頬を伝う。そのまま枯れ葉へと垂れ落ちていくのを、確かに感じる。
 痛みからくる涙。身体の中から、外から、締め上げられ、つんざかれて、零れる涙。

 ――私さ、何やってるんだろ。

 舌の先に、枯れ葉の一枚をくっつけ、引き寄せる。口に含んで噛みしめる。
 水気を含んだそれは、味がするわけではないけれど、刺すような感覚があって、〝彼〟がある。

 ――また〝寝床荒らしやがって〟とか、言われるのかな。
 ――言われたい、な。

 ずっと、ずっと、ここで過ごしていたい。このまま眠って、彼が帰ってくるのを待ちわびたい。
 でも、まだ、しない。
 彼だから。
 彼だからこそ。
 向かい合う際は、敵対したい、から。
 それに、ここでは争いたくない、から。
 私は、身体を起こし、歩みを進めた。

 ――ねぇ、グルム。

 私は、真っ暗な〝外〟に出て、振り返り、さっきまで居たところを、見る。
 土の地面を掘った先の、彼の巣穴。
 私と彼がひとりずつ並ぶだけで余裕のなくなる、狭い空間。
 彼が狩りへと出払う夜中を狙って、よく忍び込んでいる、寝床。
 ぼんやりと見つめていると、彼の姿が、幻視として、視界に浮かんでくる。

 夜の暗がりに紛れる真っ黒な被毛を持っている。額や耳、尻尾、足の所々に、淡い光を放つ模様を持っている。
 寝床に丸まったまま、私を見上げ、睨んでくる。その表情は、何を考えているのか、今一、掴めない。
 私と同じ種で、だけれど、違う成長をした生き物。私の体質を無視してくれる、ただひとりの生き物。

 ――できることなら、あなたを、屈服させたい。
 襲い掛かって、その度に返り討ちにされてるけれど――あなたに敵いたい。

 私は、身を翻し、尻尾を持ち上げて、風に触れた。
 木々の間をすり抜けていく流れに、生き物の気配を、探ってもらった。
 特にそれらしいものが無いのを感じ取ってから、私淡い月明かりに照らされた森の中を、歩き始めた。



 夜歩きは、私の本分ではなかった。私の身体は、日光の下で生きるように成長したはずだった。だけれど、最近は、夜目も効くようになってきた。すっかり夜に慣れてしまった。
 満たされない思いが、私を、暗がりの下へと駆り立てていた。
 分かってる。私は、孤独感に苛まれているだけ。彼を心の拠り所にして、私が私であることを、必死に保とうとしているだけ。
 耽溺(たんでき)
 きっと、そういうこと。
 彼と一緒に居るのが、好きで、好き。
 会って話をするためなら、私自身の体質なんて、いくらでも無視できる。
 ただ、あなたに添いたい。
 あなたを壊したい。支配したい。あなたに壊されたい。支配されたい。
 目に刺すような痛みが沸き立って、雫が溢れ出る。ひとりでに涙が落ちていく。

 ――気分がひどく不安定で、きっと、今は、合わせる顔が、ない。

 生き物の気配がまるでない中、私は尻尾を持ち上げ、流れていく風に、触れた。
 私の被毛を撫でるように吹き抜けた風たちが、私の尻尾から離れる前に、小さな渦を作った。
 何かを語ろうと思った。何も語りたくなかった。
 私は尻尾を振って、その渦を払い除けた。

 森の奥へと歩んでいたのは、ほぼほぼ、無意識だった。
 でも、〝ここ〟に来れば、誰かしらが付き合ってくれる、ということは、分かっていた。

 ――寂しいのかもしれない。

 木立が疎らになっていき、大きな湖に出た。私は、ぼんやりと、その水面に映る月を眺めた。

「……ねぇ」
 声を投げ掛けると、湖の奥底から、言葉が帰ってくる。
 ――〝どうなさいましたか?〟
 私が風に語るのとはまた違う、頭の中に直接響くような声。
「……最近どう?」
 別に、用事があるわけでもない。その場の相手に話し掛けるのに、理由なんていらない。
 ――〝元気ですよ、とても。〟
 私が取り留めもない質問を投げると、返事と共に、水面から、一つの頭が飛び出した。
 目前に迫ったその姿を、見上げた。

 額には、真っ直ぐに伸びた角があり、耳のありそうな位置に、飾りのような羽が付いている生き物。
 喉元に青く輝く球を持ち、水面の下には長い胴体が続く、竜。
 この森全域を影響下に置く、守護神。その片方。
 その姿が、月明かりを纏って、細やかな鱗を煌めかせている。

「――またそんな暗い顔してー。怪物さん辺りに食べられちゃいますよー?」
 暗い顔、してるのかな?
 きっと、そうなんだろうな。
「……それは、やだなぁ……」
 その辺の捕食者に、身を捧げるつもりは、ない。
 けれど。
 外目に映る姿がそうなのなら、死期は、近いのかもしれない。

「殺されるなら〝彼〟っていうのは、変わりないのですね」
 その言葉と共に、風が頬を掠めて、静かに渦巻いた。黒くて、黄色い模様があって、夜行する生き物の姿が、頭の中によぎった。
 守護神さんの思う生き物の姿だった。――私の思う〝彼〟を、正確に表していた。
「……うん、彼の餌食になれたら、きっと、幸せ」
 守護神さんは、彼の話ができる、貴重なかただった。身近でありながら、とても遠い存在だからこそ、零すことができた。

「――ね、守護神さんも――夫さんに対して、思ったりしたよね?」
 殺される相手を選べるなら、と。
「そうそう、思ってましたよ」
 守護神さんは、言葉を紡ぎながら、頬を緩めた。くすっと、笑みを浮かべた。
「あの頃は、身も心も、何もかも囚われたい……って」
 その身をうねらせるかのような、微かな身動ぎがあった。恥じらいを誤魔化すような感情が、一瞬だけ、乗っていた。
「巻き付かれて、力ずくで抑え込まれて、森の皆さんに見つめられている前で――愛を囁かれたい――なんて、ね」
 言い終える頃には、笑みをそのままに、落ち着いていて。――まるで、何もなかったかのようだった。

「――素敵だよね」
 そう、素敵なことだった。
 囚われたいくらいに思い焦がれた過去があって――それが、今や叶っているのだから。
「ありがとうございます」
 ――羨ましい。
「でも、夫は中々、そういう強引なやり方、してくれなかったんですけどね」
「そういう優しいところに〝負けた〟んでしょ?」
 妬むわけではなく、純粋に、そうなりたい。
「はい、まさしく」
 聞いているだけでも、楽しくなってくる話。
「――私も、なれるかな?」
「なれますよ、きっと」
 その絶えない笑顔に乗っていたのは、真っ直ぐな励ましの感情。それと、重くないくらいの期待。
「ありがと」
 だから、私からも、真っ直ぐに顔を向けた。
 きっと、いい笑顔になっているはず、だから。

 そう長い話はしなかった。私は身を翻して、歩みを進めた。気が晴れた、と感謝を述べて、湖から離れた。
 流れる風に意識を向け、生き物の気配がないことを確認しつつ、遠く、遠くへと感覚を広げて、匂いを探した。
 私には感知できない彼の気配を――その足がかりを探した。



「でさ、なんで聞いてるだけだったのぉー?」
 だいぶ歩いた頃に、後ろのほうから、守護神さんの声が聞こえてきた。――風に乗って流れてきた。
「雄に言える話でもないでしょ? ――例え僕だったとしても」
 その後には、守護神さんの、夫さんの声が続く。
「スイさん、聞かれても気にしてないみたいよ? だから話に入ってきてよかったのにぃー」
「勘弁して? 居合わせるのは気まずいよ」
 ――何やってるのかな。
「甘いんだからぁー……もっと毅然としてていいのよ?」
「〝守護神〟たるもの?」
「そう、それ!」
 風が、尻尾の先で勢いを緩め、頬を掠めて渦巻いた。何の遠慮もなかった。感情も、気配も、惜しまず私へと届けていた。

 ――前向きな感情がある。愛情と、興奮。二つの姿それぞれが、ほぼ変わりない感情を漂わせている。
 二つの同じ姿が、絡み合う。頬を擦り付けあったまま、水面を叩き、沈んでいく。
 湖の表面に、波紋が広がる。二つの姿が沈んだ近くを中心として、細かく、震える。
 一瞬の静けさの後に、水面を割る音が、何度となく続く。
 姿二つが、くっついたまま、水面すぐ下で動き回っている。強く、激しく、暴れている。

 ――楽しそうね。
 空を見上げると、月が雲に覆われていく瞬間が見て取れた。月明かりが薄れ、ただでさえ暗い森の中が、真っ暗になった。
 あれは――守護神さんたちが操っているのかな?
 ――そうだよね、誰かに見られたり、邪魔されたりなんて、嫌だもんね。

 守護神さんは、上位捕食者だった。彼女は長い間、誰ひとり匹敵しない生を過ごしていた。
 その頃の彼女は、今とはまるで違い、暴慢で――目に付いた生き物を、獲物として捕らえ、食らい――まるで、普通の生き物と変わりなかった、らしい。

 ある時、この森に、彼女の同族が訪れ、影響圏を巡って争い合った。彼女は、その侵略者に、敵わなかった。
 だけれど、その侵略者は、優しかった。彼女を食わず、影響圏も荒らさず、ただ、彼女のそばに居た。
 彼女は、ただひとり匹敵したその生き物へと、強い恋情を抱いて、寄り添い――そして、今の守護神さんふたりが、ある。

 ――話の規模は、私には到底真似できないくらい、とても大きいけれど――でも、その気持ちは、なんとなく、分かる。
 自分の全てをさらけ出しても問題ない生き物というのが、どれほど魅力的なことか。奇異に思わず、自然に扱ってくれるかたが、どれほど、素敵なことか。
 それこそ、私が〝彼〟に抱いている思いだから。



 森を抜けて、木々の姿が、消える。
 雲が散り、再び月明かりに照らされる下で、私は、開けた草原の中を歩いていた。生き物の気配がまるで感じられない中で、ただ、微かに流れてくる血の匂いを、辿っていた。
 何かしらの外傷で、血が外に流れ出ている匂い。動きがなく、一定の場所から流れ続けてくる匂い。――死んでから、まだそう経っていない、新鮮な匂い。
 誰かが狩りをして、獲物となった死体が、ある。しかし、それを仕留めたであろう捕食者の気配は、ない。

 獲物を奪いに行くわけでは、ない。ただ、ただ、彼に会いたい。
 私が気配を捉えられない彼が、そこにいるかも知れない、から。
 ――彼の巣で待ち伏せしてもいいけれど、あの狭い場所で争うのは、本意ではない、から。
 彼でない誰かが狩りをして、そして、食べきれなかった分を放置しているだけなら、ただの無駄足にしかならない。
 それで、いい。
 せっかく、少しは気分が落ち着いたのだから、何もせずにいるのは、あまりにも、もどかしい。
 私は、
 あなたを、
 屈服させたい。



 血の匂いを辿り続けて少しした頃に、一つの姿が、目に、見えた。
 真っ黒な被毛を纏い、その所々から淡い光を放っている姿。
 月明かりの下で輪郭を浮かべる、〝彼〟の姿。
 その赤い目は、鈍く煌めきながら、私を捉えていた。

 ――居た。

「なんだよ」
 耳をぴんと立てて、警戒しているかのような様子だった。
「食事、終わった?」
 微かな血の匂いと共に、身に刺すような風が流れてきて、私を取り巻いた。
 そこから感情を捉えることはできず、ただ、痛みがあるだけだった。
「とっくに」
 彼の考えていることは、何も、分からない。それが、とても、とても、愛おしい。
「なら、よかった」

 ――今の私、怖い顔してないかな?

 私が、爪を、草の地面にめり込ませると、その姿も、前足に力を込め、身構えてくれる。
 何も言葉にせず、私を、凝視してくれる。もう、不満を零してもくれやしない。
 その鋭い視線は、きっと、私への敵意から来ているもの。
 ――それでいいの。
 私の体質を無視してくれて――暴力もまるで効かなくて。
 敵わない、とは、思っていた。それでも、敵いたかった。叶えたかった。

 ねぇ、グルム。
 ――私のものに、なってよ。

 私は、草の地面を蹴って、その姿へと詰め寄る。前足を振り上げ、飛び掛かる。その姿は、身をずらし、私の前足だけを、その胴体で受け止める。残った私の身体が、勢いのまま地面に落ちようとする。
 私は、その胴体に爪を立て、抱き寄せるかのように張り付いて、そのまま首に、顔を寄せる。噛み付こうとする。
 牙が届く前に、彼は、身をよじり、私を振り解いた。その側頭部が、私の顔を打った。
 痛い。
 草の地面に放り出され、少しだけ滑ってから、止まる前に身を起こし、彼へと向かいなおした。その姿は、二歩ほど距離を置いた先で、変わらず、私を見続けていた。
 ――まだ。
 私は、再び地を蹴って、目前の姿へ飛び掛かる。避けられる前に、その頭を取り、その喉へと牙を立てる。勢いそのままに押し倒す。
 横倒しになったその上へと、身体を動かして、全身で、抑え込む。密接したその被毛から、彼の匂いが、強く伝わってくる。
 ――悲鳴を上げるまで、痛めつける。
 そう思案した瞬間、身体に、衝撃が入ってきて、突き抜けた。彼の身体から波のように広がったそれは、私の身体を、浮かび上がらせた。
 再び振り解かれ、地面に足を付けた。再度その姿を確認しようとした。そこに姿はなく――視界の少し上から、私へと飛び掛かってくる姿が――あった。
 私は、目を瞑り、顔を背けた。その爪が、私の後ろ首に刺さり、そのまま下へと流れていった。その胴体が、私の身体を、乱雑に、打った。
 重心を失い、足の裏が地面から離れる。流れのままに押し倒される。目を開くと、彼の耳が、目前で、大きく揺れていた。
 喉に、刺すような、挟むような痛みが沸き立つ。首を曲げようとするような力に押され、全身が草の地面に倒れ込む。――噛み付かれ、捻じるような。まるで獲物を黙らせるかのような。
 言葉にならない声が聞こえた。私の声だった。
 身を切るような痛みが、背中のほうに現れる。彼の前足が、私の背中をひっかいている。
 私をいたぶるかのように、何度となく、繰り返す。喉を噛み、弱り果てるのを待つかのように――まるで獲物のように、扱ってくれる。
 自分の身体から、血の匂いがした。既にできている傷口をえぐられている感覚があった。抵抗する気は、もう、起きなかった。私は、ただ、ぼんやりと、草原の先を見続けていた。

 痛めつけることさえできない。いつもと同じ結果。
 惨めだった。悔しかった。――嬉しかった。

 彼は、私に爪を立て、刺したまま、その身動ぎを止めた。私の喉から牙を抜き、顔を引いた。
「――おとなしくしてりゃ、可愛いもんなんだけどな」
 宙に、彼の声が漂った。私に向けられたものだった。
「いい加減さぁ、諦めたら?」
 敵わないのに襲い掛かる行動を、咎めるものだった。――それは、受け入れられなかった。
「――やだよ」
 私だって、ばかげている、と思っている。自覚くらい、ある。
 それでも繰り返しているのは、
 ただ、
 ――傍に居たくて、
 あなたとの繋がりが欲しくて、やってる、だけ、だから。
「やり合う度に、こう、抵抗一つできなくなってるのに?」
 だから。
 ――殺してくれてもいい。ただ、ただ、ずっと私を見て欲しい――。

 私は、前足で草を握り、上半身だけを持ち上げた。
 彼を視認しようと、正面から言葉を返そうと、その姿のほうへと顔を向けた。
 少し上にあるそれを見上げると、視線が、合った。
 蔑んでいてもおかしくないような、だけれど、何を考えているのか、やっぱり分からない、そんな目が、私を真っ直ぐ見つめてくれていた。
 沸き立つのは、締め上げられるような感覚。身を刺すような感覚。心地よくて、それでいて、少し、意識が遠のくような感覚。
 その顔が私に近付く。何を言う訳でもなく、小さく口を開く。私からも顔を近付ける。
 まるで、私の意思に関係ないかのように、自然と、引き寄せられる。
 目を瞑って、軽く、その口に、口を当てる。
 温かい感覚が、顎をこじ開け、入り込んでくる。
 舌で触れ、押し返す。
 舌同士を重ねて。
 唾液を乗せて。
 混ぜる。
 血の味が、少し。
 とても、いい匂いがする。
 尻尾を持ち上げ、先をその身に添えて。
 少しの風が吹く。
 身体をなぞってから、遠くへと流れていく。
 その舌が、引っ込む。
 その口が、
 顔が、
 私から離れていく。

「――グルムぅ……」
 私の声。
 柄にもない、甘えた声。
 口同士を重ね合わせていた部分から、冷たい液体が垂れ落ちる。
 屈服。恭順。
 下腹の内に、痺れるような感覚。
 視線を合わせ、ただ見ているだけで、毒気に塗れていく。
 その首が、私の顔を、横から押す。されるがまま、仰向けになる。
 その身体が、私の上に覆い被さってくる。
 再び顔を寄せて、口を押し当てて、舌を重ねて。
 私は、前足を伸ばし、その背中を握る。
 彼の前足が、私の肩を取り、草の地面と背中の間へと潜り込んでくる。
 傷口に触れて、それから、傷のない場所を握ってくれる。
 その身体が、体重を私へと預けてくる。
 胴体を縮めるかのように、その腰が、私の下腹に押し当てられる。
 私は逃げる気さえないのに、彼は、逃がしやしない、という風に抑え込んでくれて、いて。
 口を離し、互いの右頬を押し当てて。
 静かに、静かに。
 その身体が、私の下腹に、鼓動を打ち込み始める。

「……グルム、グルム……グルムぅ……!」
 求める声。私の声。
 どうしようもなく、愛おしくて。
 まるで、狂ったような声。
 身が内側から破れてしまうかのような感覚。
 その名を呼ぶ度に、身が跳ねる。
 温かくて、心地よくて。
「――」
 言葉にならない声が、いくつも上がる。
 私の感情をそのまま乗せた声。
 言葉にする前に、鼻から零れる声。
 抑えたくない。
 たくさん、聞いて欲しい。

「ほんと、仕方ない奴……」
 彼の声と共に、頬が離れる。
 その口が、私の口を塞ぐ。
 力任せに入り込んできたその舌を、緩く、舐める。
 あなたと、一つ。
 下腹の内に、注がれる感覚があって。

 ――大好き。



 彼の身体が、私から離れた。その四肢で地面を取り、私の横に立った。
「……こんだけやっても、まだ、俺を屈服させたいって言うんだろ?」
 直前にやっていたことが、ただの戯れだったかのように――普段と変わりない声だった。
「……うん」
 返答すると、彼のほうから、大きな溜め息が一つ、出る。

 ――呆れてるのかな。どうなのかな。

 身体じゅうに、痺れるような痛みが走り続けている。
 彼は何も言わず、私も、何も言わず。
 ただ、降りてくる眠気に、そのまま従う。

 こんなところで眠ったら、危ない、よね。
 そう分かっていても、動けなかった。
 動きたくなかった。

 傷つけられて、毒を浴びて、唾液も精液も注がれて。
 誰かが見ていたとして――まさか、私から襲い掛かった結果、なんて、思われないだろうな――。



 暗く狭い空間の中。いい匂いのする――毒気に満ちた空間。外からは、明るい日差しが差し込んでいる。
 隣には、身を横たえ、目を瞑る、彼の姿があった。枯れ葉の寝床で、眠っていた。
 夜は()うに過ぎ、私は、彼の巣穴の中に居た。
 私は身を起こして、狭い中、土の地面に四肢を付けて立ち上がった。

「おはよう」
 私の動きに気付いたのか、彼から言葉が向けられた。熟睡してる訳ではなさそうだった。
「……おはよう」
 彼の顔を見て、一つの返事をしつつ、現状を、軽く、思考する。
 ――昨夜、襲い掛かって、勝てなくて、屈服させられて――私はそのまま、草原で眠りに付いた、ように思うのだけれど。
「……連れてきてくれたの?」
 彼と一緒にここにいる、ということは、彼が、私をここまで運んだ、ってこと、なのかな。
「あのまま放置して、誰かに食われたりでもしたら――後味悪いだろ」
 彼の、力のない小さな声は、私の思案したことを、間接的に肯定してくれた。

「ま、落ち着いたら、さっさと帰りな」
 彼は、きっと、私のことを、何の脅威とも思っていない。
 考えを読み取ることができず、力で敵うわけでもないから、当然かもしれないけれど。
「――もう少し、居て、いい?」
 巣穴まで連れてきてくれたことを思うと、きっと、気味悪がられては、いない。

「好きにしろよ――身体痛いだろうし」
 そう言われると、身体じゅうの痛みが突然湧き上がってくる。まるで今まで忘れていたかのように。
 血が垂れ落ちるような感覚はなくて、傷はもう固まっているんだろうけれど、それだけでなく、前足に、筋肉痛らしきものがある。
 瞼はどことなく重くて、眠気が拭いきれていない。まだ、疲労感が抜けていない。

 ――丁度いい、かな。

 私は、何を言うわけでもなく、彼の両前足の間に顔を寄せた。
 身を倒して、彼の腹へと背中を押し当てると、その両前足は、私の頭を、後ろから、緩く、抱いてくれた。
「……仕方ないの……」
 その口が、小さく、ぼやきながら。

 私、今、どんな表情をしてるんだろう。
 どんな気持ちなんだろう。
 これは。

「……グルム」
「……なんだよ」
 尻尾を、その尻尾へと伸ばし、絡ませる。私の頭へと伸びているその両前足の片方を、両前足で、軽く、握る。
「……なんでもない」
 ただ、今この瞬間に、もう少し、もう少しだけ、身を委ねていたい。

 彼を、屈服させたい。支配したい。
 ――叶えたい。
 私は、まっすぐ見てくれるその姿に、添い遂げたい。
 ――叶わない。
 力の差が、あまりにも大きい。
 ――叶えたくない。
 今の関係がなくなることが、怖い。
 皆に気味悪がられて、独りで過ごす私が、独りでなくなったら、それは私ではない。
 彼への恋情が否定されたら、それは私ではない。
 そう。
 私の想いは、〝叶えぬ〟もの。
 愛する自信がなくて、愛される自信がなくて。嫌われたくなくて、でも、嫌われていない、という慢心があって。
 お互い、いつ死ぬかも分からないはずなのに、生を全うする前提で溺れ続ける――あまりにも傲慢で、贅沢な想い。
 だから、心で通じ合っている、なんて、きっと、私の勘違いでしかない。
 どんなに気になっても、問うてしまえば、すぐにでも、壊れてしまう。――『気持ち悪いこと言うんじゃねーよ』だとか、そういう感じの言葉と共に。

 ごめんね。
 それから、
 ありがとう。

 彼の鼓動に包まれて。その毒気に包まれて。傷の痛みに包まれて。
 愛おしい感覚の中で、目を瞑った。




















「……スイ」
「……なに?」
「……なんでもない――」



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Last-modified: 2017-11-12 (日) 18:35:35
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