作者カヤツリ
唐衣
きつつなれにし
妻しあれば
はるばるきぬる
旅をしぞ思う
今の歌は
ほら、それぞれの先頭の文字が「か・き・つ・は・た」になってるでしょ?
ちょっとしたあいうえお作文みたいなもんね。
季節は初夏。
私の目の前の湿地に、その
他にもすらりと背の高い
今日は端午の節句、清明が邪気祓いの菖蒲を取りに行くついでに、私もちょっとした散歩に出かけてみたのさ。まぁ気分転換って訳で。
青々とした草地を踏みしめる度、青臭い草いきれが立ち昇る。梅雨前の一時の五月晴れの中、私は大きく伸びをした。
うぅ~ん、気持ちいぃ~。
私は全身をブルブルっと振ると、今度は全身の毛繕いを始める。
前の一件で体のあちこちに出来た火傷はほとんど完治したんだけど、治りかけって実は一番むず痒い時期でもある。傷口を弄らないように、橙と黒の毛並みを綺麗にしてゆく。
水面に映った自分の姿を見ながら首回りのたっぷりとした毛を整え、頭のふさふさした
シャリン。鈴の音。
顔を上げたところ、湿地帯の向こう側から、複数の人影がやって来るのが見えた。
黒い法衣に白い袈裟、低く響く詠唱の声ですぐに托鉢の修行僧と分かる。陣笠を目深に被って私に目もくれず、その一団はゆっくり近づいて来た。
私の隣では清明が不機嫌な顔つきで立っていた。まるで苦虫でも噛み潰したような感じで、じっと僧を睨んでいる。
仏教が伝来して約500年。
今では様々な宗派が生まれ、かなりの勢いで普及している。
最近は海外へ出向いた僧が持ち帰った密教が勢力を増してて、えーと、確か二流派あったような……まぁいいや、私には人間の信仰なんて関係ないし。
清明が不満顔なのは、朝廷内での権力争いと関係がある。
実際、陰陽道、神道、仏教の権力争い三つ巴の中で一番少数派なのが陰陽道、仏教が最有力。このいがみ合う三者は影響力の覇権を握るべく、火花を散らす敵対関係にある訳だ。ま、私は陰陽師なんて絶滅してもいっこうに構わないけどね。
鈴を付けたペルシアンみたいに錫杖を鳴らしながら、四人の僧が土手を登って行く。背中の
いやぁ、頭が下がるわね、苦行僧のご一行様らしい。
自分から進んで苦しい思いをして何が愉快なんだか。
ずいぶんと理解に苦しむ事するわね。
あの、あれ、乱暴されて喜んじゃう趣味の人?
いや、冗談はさておき、本人達はそれこそ“くそ真面目”にやってるつもりなんでしょうけど、端からみたら時間と体力の無駄でしかないわよね。もっと役に立つ事すればいいのにさ。
誰か、あいつらの教義の中に「一日中畑仕事に精をだすべし」なんて書き入れたら大分ましになると思わない?
喜んで働くと思うけどね。
「ありゃ、
通り過ぎる一行を横目で見ながら、清明がぶすっとして私に耳打ちした。
「端午の節句だってのに、呑気なこった」
思いっきり軽蔑の表情。まるで端午の節句を祝うのは当然だと言わんばかりだ。
おいおい、端午の節句だって何の役にも立たない宗教行事じゃなくって?
心の中の突っ込みを飲み込んで、私は聞いた。
「天耐宗って、やたら厳しい修行ばっかやる密教の?確か
「ああ、禁欲主義の気違いじみた形があれさ。厳し過ぎて、大抵の入門者は半月持たないで辞めてくらしいけど……」
出た。仏教大好きの禁欲主義。
ホント、何でもうちょい素直に生きれないのかしら?
生き物なんて生まれてから死ぬまで欲望の塊なのに。
食欲、権力欲、財欲、渇欲、我欲、色よ……こほん。
まぁとにかく、欲求は生命の本質だ。寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。それが出来ない奴は死ぬだけだ。野生ならね。
それをおかしな具合にねじ曲げて、禁欲だの節制だの格好つけて、煩悩から解脱する?
ふん、私に言わせたらちゃんちゃらおかしい。
何で好き好んで滝に打たれる必要があんのよ。
他人と違う事して優越感に浸るだけの人間、それで救われたと錯覚する人間、どいつもこいつも器の小さい奴等ねぇ。
精一杯の生を演じようともしない人に、同情する気も憧れる気もしない。
僧達が見えなくなってから、清明は軒先に飾る菖蒲の硬質な葉を束ねて、物憂げに立ち上がった。そろそろ帰るらしい。
寝癖をかき上げながら、懐から札を取り出す。
平穏京じゃ迂闊に昼日中、私の事は連れ歩けないからね。郊外とか山道とか陰陽寮ぐらいよ、私がのびのび出来るのは。
「行くぞ、スサ」
やれやれ、お散歩もこれっぽっちでおしまい。次はいつになることやら。
清明が封印の文句を唱える。
どろん!
私の身体は煙を残して札に吸い込まれ、その煙も蓮の葉の間を渡って初夏の空気の中に霞と消えた。
面倒な話が私達のとこに転がり込んで来たのは、その日の夕方だった。
夏至に向けてだいぶ長くなった夕日の中、清明は今夜の星座盤を睨みながら暦の表に方角を書き入れ、私は陰陽寮の
目の前を黄金、
不意に誰かが歩いて来る音がして、私は面を上げた。
「清明、誰か来るわよ」
私より耳の利かない陰陽師は北斗七星の位置を天球図に書き入れたばかりだったが、私の声を聞いて筆を止めた。
案の定、清明の師匠の鴨只行が
ちょっと語弊がある言い方かしら?
いや、でも、前回は走って突っ込んで来たからね。
但し、こいつが部屋に入って来る以上、災難は避けては通れないらしい。不運ってやっぱり続くものなのねぇ。
今回の不運は畳の上の紙。
基本的に、畳はある一定方向に関しては編み方の都合上滑り易い。
ましてや、その上に和紙が置いてあれば尚更の事。
只行は清明の散らかした天球図を踏んで、前のめりにその体を宙に泳がせた。
「のわっっっ!?」
慌てて突き出した手は清明の文台を捕らえ、梃子の要領で反対側が跳ね上がる。書きかけの天球図と硯箱が宙を舞い、あちこちに黒い染みをつけ。
墨を飛び散らせながら、硯は真っ直ぐ私の方に飛んできた。げ。
真っ黒けになるのは御免な私は、咄嗟に後ろに飛びすさった。
ただ、滞空時間がやけに長い。
あれ、着地する床は?
縁側から飛び出した私の身体が、夕日と共に真下の池に映った。
私はすっかりある事に失念してた。それは釣殿って建物の特徴。
さっき私鯉を見てたって言ったでしょ?そう、釣殿っていうのは池の上に張り出した造りになってる。
気付いた時には、私は池に真っ直ぐ飛び込んでた。空中でじたばたしても何の甲斐もなく、ゆらゆら揺れる水面が迫り……
どぼん!
見事、池に墜落。
……まぁ浅い池だし、泳げるけどさ。
銀鱗を煌めかせて、目の前を一匹の鯉が泳いでいった。
ぷはっ!
ずぶ濡れになった体を持ち上げると、濡れぼそった毛先が跳ねた。
「……スサ、随分と綺麗好きだな」
縁側の清明が、嫌味ったらしい笑みを浮かべてからかった。
「何言ってんのよ!!笑ってる場合じゃないでしょ!
あと、そこのジジイ!!ぶっ×××(お上品な三文字をどうぞ)!」
鼻息も荒く縁側に飛び上がって景気よく水気を撥ね飛ばすと、私は二人に飛び掛かった。
もちろん、決して本気なんかじゃないわよ。
ちょいと懲らしめてやろうとしただけさ。
ところが。
失礼極まりない二人まであと一歩ってところで、只行が札を取り出して叫んだ。
「陰陽五行十二陣、方位寅!」
急に現れた白煙を避けるのに、私は空中で身を捻らなくちゃいけなかった。
ギリギリで回避して、舌打ちしながら振り返ると。
堂々たる引き締まった体躯と雷雲の背中。黄色い体には明瞭な黒線が引かれ、尾は電光を迸らせて。
雷の化身、ライコウが部屋の中央に姿を現していた。
何?こいつ誰?
ぽかんとしている二人を他所に、只行は勝手に話し始めた。
「話と言うのはこやつの事でな。実は先週、寅の方角を担当しておった陰陽師が退職して欠員になって、代わりに誰かが掛け持ちしなくちゃならんと。
ほれ、二人ともあんぐりと口を開けたまま突っ立ってないで。口に虫が入っても知らぬぞ。
で、清明、悪いが暫くなりともこやつを預かってはくれまいか?
そこの犬っころと交代で使ってもよし、二匹いっぺんに連れてもよし。
ほれ、そこの生意気な毛玉はわしに会う度に休ませろとうるさかったし。たまには別の識神も扱ってみたらいかがかね?
まぁ、つまるところ、こいつの世話を任せたいのだが?」
只行はこれだけを一息で、全部いっぺんに言ってのけた。
おしゃべりな老人って嫌われるわよ。
「は、はあ……でも、他の人は当たってみたんですか?」
衝撃から先に立ち直った清明が尋ねた。
「いや、全部当たってみたがの、そりが合わないとか言って誰も頷いてくれなくてな。わしは別に何の問題もないと思うのじゃが。
それと、こいつをそなたに預けるにはもう一つ訳がある。
実はな、先日天耐宗の最懲から直々に要請が合ってな、近頃
だから、何匹か識神でも連れていって黙らしてきて欲しい」
清明と私、二人揃って思いきり嫌な顔をした。
「えー、仏教勢力と関わるんですか?お言葉ですが……」
渋い顔で答える清明を遮って、立ち上がりながら只行は続けた。
「いや、今ここで少し恩を売っておけば朝廷内の権力の均衡が変化する故、見過ごせぬ好機でな。まったく、近頃の仏教勢力にはやられっぱなしだったからの。
あっちは拡大の一方、こっちは衰退の一歩……。頼む、ここはお前達に頼んだ。わしはこれから
そう嘆息しながら、老練の陰陽師は立ち去った。
こっちが嘆息したい。
やれまあ、また面倒な仕事をしょいこんでねぇ……清明はため息をつくと、立ち上がって硯を片付け始めた。
私はちらっとライコウの方を見た。
先程のやりとりを気にもかけず悠然として、畳の上にふてぶてしく構えている。さて、同じ識神としてどう接したらいいかしら?
私はおずおずと近寄って話しかけた。
「えーと、まぁ、あれよ、あんな主人と私だけど、暫くなりとも宜しくね?」
私なりには、だいぶ気をつかって話したつもり。
というか、最上級の丁寧さだ。
そしたらこいつ、なんて答えたと思う?
「こちらこそ宜しく」?
「お世話になります」?
残念、はずれ。
厳めしい鉄面皮の下から帰って来た答えはこちら。
「気安く話しかけるな」
だとさ。は?
「我は
……な、何よこいつ。
誰も引き取りたがらない訳ね。
この私が珍しくも友好的かつ平和的で控えめな態度で接してやってんのに、これがそのお礼だっていうの?
カチンと来た。
「あんたねぇ、何気取ってんのか知らないけど」
畳を引っ掻きながら、さっきとはうってかわって冷たい口調で私は言った。
「礼儀ってもんが分かってないみたいね」
私がぐっと睨み付けてやると、首をぐいっと伸ばしてこっちを見下してきた。
「犬っころ、我の言った事が聞こえんか?我は雷神の化身、
「あら、それにしちゃ随分と落ちぶれたものね。何であんたの主人はそんな優秀な識神を置き去りにしたのかしら?」
正直、今の私の台詞は反則すれすれ。
主に捨てられるって事に触れるのは私達の間で物凄い無礼に当たるし、普通は口が裂けても言わないような言葉。
まぁ、捨てられたって決まった訳でもないし、気にくわない奴だけど。
だから、清明が
「スサ、言葉が過ぎるぞ」
「だって、こいつだって褒められたもんじゃないわよ?初対面の相手に向かって、“気安く話しかけるな”?ばっかじゃないの」
私は思いっきりライコウに向かって、べぇーっと舌を出した。
「あんたねぇ、神様気取ってんのか知らないけど、この私を怒らせない方がいいわよ。ついこの前、モノノケ一匹ぎったぎたにしたんだから」
ライコウは鼻で笑った。
「ふん、あんな不浄の輩、相手にする気にもならぬ。三流には三流が相当であろう?貴様が手を汚してればよいではないか」
奴は爪の手入れをしながら、相変わらず人を小バカにして話して来る。
「なら言っとくけど、近いうちにあんたも手を汚す羽目になるわよ」
歯を食いしばって答えた私に、奴は返事もしない。
嫌 な 奴 !
「まぁまぁ、二人とも喧嘩しないで、さ」
清明が向こうからやって来て、機嫌をとるようにそっぽを向いた二人に向かって一枚の札を取り出した。
びっしりと漢字の書かれた、私達の召喚札より小さな木簡。
「何それ?」
私が“絶対に”ライコウの方を見ないようにしながら尋ねた。
「フム、これはちょっと変わった札で、唐から仕入れた最新の陰陽道具。一枚しかないけど。ポケモンじゃなくても技を発動する術式が書かれてて、これがあれば少しお前達も楽にっておい、返せスサノオ!」
私が札を引ったくって裏を見ると、空欄があった。
なるほど、ここに技を書くらしい。
へぇ、最近は便利な物もあるもんだ。
清明に札を帰しながら私は言った。
「じゃ、大爆発って書くことね。ひょっとしたらあんたと一緒にそこのいけすかない虎もぶっ飛ばせるかもしれないし。いい厄介払いになるんじゃないかしら?」
ちょっと想像してみてちょうだい。
初夏のお寺の縁側で、一人の人間と一匹のウインディが真面目くさって神妙な顔で座ってる様子を。一見すると、人間の方はきちんと座禅を組んでいるように見えるし、ウインディは由緒正しい模範的お座りをしてるみたい。
ただし、よく見れば人間がこっそりと座禅を胡座にしたのに気付いたろうし、ウインディの方は退屈のあまり背筋が丸いのがすぐに分かるはず。
そして、二人とも目が完全に死んでる。
あーイラつく。
ここは平穏京の東はずれ、天耐宗の寺院である六波羅蜜寺*4。
かれこれ二時間近く、私達はここの縁側にて精神修養なるものをひたすら続けていた。
何でこんな事してるか分からないでしょ?
私にも分からないのよ……っていうか、話違うし!
何で私達が天耐宗の修行しなくちゃいけないのさ!
私達の後ろでは、一人の坊さんが一心不乱に読経を続けている。
この一見冴えない坊さん、この人物が最懲なんだってさ。
い~や、こいつにはまいったわね。
ポケモンの私を見てびっくりするどころか狛犬と勘違いして、恭しい態度を見せたかと思いきや、今度は仏道入門の勧誘の雨霰、こっちがやっとの思いで断れば、
「ではここで出会ったのも何かの縁です。少しばかりご一緒に精神修養でも」
と来た。
ぐえ。だから宗教に絡むのは嫌なのに……
この坊さんのしつこさはさっきまでのお話で十分わかったから、仕方なく私達は座禅なるものを体験する羽目になった。
う~、こんな暇があったら早く用件なり頼みなり言っちゃいなさいよ!
イライラして尻尾を振ると、清明がジロッとこっちを睨んだ。きっと我慢しろって言いたいんでしょ、この陰陽師さん。
わかってるわよ、それぐらい。
ここできちんと関係を持っとかないと、仕事にならないってんでしょ。
私は視線を前にぐいと戻すと、いつ終わるともしれない腰の痛みとまた付き合い始めた。
いたた、まだ二十代だってのに腰痛持ちとかもう、洒落にならないわよ……
ふと見上げれば、前庭の枯山水を紋白蝶がのんびりと横切って来た。
はたはた、ふわふわ、気まぐれに飛びながら暢気なもんねぇ。
静止した空気の中をひらひらと舞い遊びながら、蝶は真っ直ぐ私の方に飛んでくる。
その天衣無縫な飛び方を眺めて、ちょっとは気をまぎらわせられるかと思いきや。
なんと紋白蝶は“はな”にとまった。
……あの~、“はな”違いじゃないかしら……?
そう、悪戯な白い蝶は私の鼻の上に着地したのさ。
清明と私、二人で目を丸くする。
う、軽く湿った鼻のあたりがむずむずする。動くな、このバカ蝶!
くしゃみが出そうになって、私は思わず歯を食いしばった。
くっ、くぅ~っ!頼むから動かないで!
目をギュッとつぶって我慢するけど、せ、生理的反応ってのは、お、抑えるのは、か、簡単じゃな……
へくしっ!!!
盛大な私のくしゃみに驚いて、白い妖精は再び飛び立った。
それと同時に、単調に続いていた読経の声が止んだ。
後ろの坊さんがおっしゃるには。
「あぁ、もうこんな時間になってましたか。失敬、失敬。さて、もうそろそろこの辺にしておきますか。ま、ま、お茶でもどうぞ」
……殴り飛ばしていいかしら?
私、言葉より先に手が出るタイプなんだけど、いいわよね?別にいいわよね?
「さてと、改めて自己紹介申し上げますと、私は最懲、仏教の本流である唐に渡って学んだ真理を伝えるべく修行している次第で……」
ま~た 始 ま っ た。
私は思わずうんざり顔の清明と顔を見合わせる。
熱心なのは構わないけど、本題はいつになったら教えて下さるのかしら?
平穏京の住人の一つの特徴として、表現が遠回りって事が挙げられるんだけど、コイツの場合単なる自慢話とか勧誘活動にしか聞こえない。私はね。
なんというか、無駄ばっかだし要領を得ない。もっとズバズバ言えばいいのにさ。
いい加減帰るわよ?
私は注意を促すのに咳払いした。
「エヘン」
反応なし。今度は淡々と自らの宗派についてどうのこうのと言っている。
「ゲホン」
こうか が ないみたいだ……
「コホン」
「エホン」
このあと、私のこれ見よがしな欠伸10回と盛んな咳払いでやっと、この坊さんは話を本題に移した。
「さてと、では本件に入りますか。識神さん、喉の調子が悪かったら何時でもお茶をどうぞ」
……あんた、ひょっとして挑発してんの?
今にも噛みつかんばかりの私には目もくれず、冴えない坊さんはゆっくりと語りだした。
「あれは先月の半ばでした……」
警備四日目。
今のところ、不審な事は何も見当たらない。
空振り続きで普通なら飽き飽きしてくる頃だけど、今回は珍しく私と清明、二人とも頑張っていた。
理由は簡単、あまりにも怪しすぎるから。
事件の概要はこーちら。
一)最澄と空回の間で大事な経典の貸し借りがあった。
ニ)空回がある時返却を渋った。
三)それでも最澄は取り返した。
四)空回から六波羅蜜寺に手紙が来て、経典を渡さなければ物の怪(ポケモン)をけしかける、という脅迫まがいの内容を送って寄越した。
以上、事の顛末でした。ちゃんちゃん。
いや、何よりひっかかるのは相手がポケモンの話を持ちかけてきたこと。
この平穏京広しと言えども、ポケモンを操るのは陰陽師ただ一集団。
確かにポケモンを怖がらない人はたまにはいるけど、流石にポケモンを捉えて自分の目的の為に使役する、なんて真似する人間なんて陰陽師以外に聞いたこと無い。
それなのに「物の怪をけしかける」だなんて、随分と大それた話なわけ。
私は“キレる”頭で色々推理しながら、まんじりとも出来ない四日を過ごしていた。
ポケモンを操るにはまず拘束の手段がいる。陰陽師の召喚札の類いね。慣れぐらいでは言うことを聞く訳がないから、あの手紙がこけおどしじゃないなら、何らかの捕獲・拘束手段を持ってるのは間違いないと見ていい。
じゃあどうやってその手段を手に入れたか。陰陽師の召喚札の術式は複雑な上に、十二支しか捕らえられないし。
その空回なる人物は唐に行った経験はあるんだろうけど、単なる修行僧がそこで新たな陰陽技術を学ぶとは考えにくいし……。
あれこれ推察しているうちに、今日も月はゆっくりと天球を巡って行った。
……じれったい、もしくはせっかちな読者の為に言っておくと、結局その晩に動きは あ り ま し た。
私の愚痴っぽい皮肉な話や、痛い話に興味の無い人は、もうそろそろ読むの止めても良いわよ。あんまりかっこいい話じゃないしね。
それでも構わない人は、ま、勝手に続けてちょうだい。
最初の変化の兆候は寅の刻、場所は六波羅蜜寺の裏にある松林の地面からだった。私達が立っている松の木立の地面には、一面に枯れた松葉が落ちている。
その松葉の分厚い層の下で、砂が動き始めた事に、清明が気付いた。
「スサ、砂が動いてる」
押し殺した声で、清明は呟いた。
私も足裏で何かの動く気配を感じた。
「……素敵な予兆を教えてくれてありがとさん。楽しくなりそうね」
私は皮肉で返す。気分が全然乗って来ないからね。
やれやれ、何だか分の悪い相手の気がするのは気のせいかしら?
ずずず、と流砂の様に砂が渦巻いて、ある一点に集まり始めた所で私は清明を軽く鼻面で小突いた。
「ねぇ、やっぱり岩とか地面タイプのお出ましじゃないの。気乗りしないわねぇ、この仕事。これで相手がガブリアスとかフライゴンとかなら、私帰るから」
生憎、清明が何て言ったかはわからなかった。
丁度その時地面から、太く渦巻く砂の柱が音もなく、二人の眼前で立ち上がったからだ。
砂粒の一つ一つが柱を構成し、、かつ圧倒的な質量を持って柱は突っ立っていた。その脅威を孕んだ姿に、私達はじりっと一歩後退りする。
見ている間にも、砂の柱は高さを増し、次いで大きく膨らみ始めた。
日の出前の群青の空の下、大気中に砂が拡散する。砂柱は松林の空気にほどけていき、視界がぐっと悪くなる。「すなあらし」だ。技か特性か知らないけど。
全身に吹き付ける砂が私の体力を削る。清明と私、二人は完全に砂嵐の渦中に取り残されていた。清明の水干の袖は強風にはためき、私の鬣が逆立つ中、遂に砂嵐の主は姿を見せた。
七尺を超える巨体に重厚な鎧、砂塵の中でその大質量を持った体はそびえ立ち。背中に並んだ無数の衝角は堅固に重なり、萌木色のそいつはは軋んだ咆哮をあげた。力と暴威がそいつの中に存在し、またそいつの露払いをしているかのように。
もうもうたる砂ぼこりを巻き上げて登場したのは、バンギラス。
しかも、レベルも相当な感じ。
あっちゃー。
ヤバい、か~えろっと。
私はクルッと回れ右をして、黙って都の方へすたすた歩き始めた。
そうはさせまいと、清明は背を向けて立ち去る私の尻尾をグイッと掴む。
「おい、ちょっと待てスサ。ガブリアスでもフライゴンでもないだろ」
……いいわよね、あんたは戦わないし。
「ちょっと、離しなさいよ。あんなのに敵いっこないじゃないの。起死回生だって忘れちゃってるし、どうやって戦えってのよ?!」
正直、すでに逃げ腰の私。
ふさふさの尻尾なんて、股の間にすっかりしまっちゃって。
清明に気付かれないといいんだけど。
「炎もノーマルも悪も半減、こっちはただでさえ砂嵐で削れてくのに?ばっかばかしい、一撃でももらったらこっちはお釈迦よ?!」
「お釈迦なら後で供養してやるさ。とにかく、手合わせしないでは帰さないぞ。ほら、何で尻尾隠してんだよ!」
あ、やっぱり気付いた?
だって、怖いものは怖いし、ねぇ。
「だったらあんたが行けばいいじゃないの。言っとくけど、戦う義務なんて私には無いのよ?もっと適任でも探して来なさいよ!」
「こら、今更何言ってんだ。モノノケ仕留めた時には調子に乗って、誰彼かまわず手柄をべらべら喋ってたくせに。こっちは耳にタコができるかと……」
「うっさいわね、あんただって私の手柄の恩恵にあずかってたくせに!」
「は?天満宮焼き払って一ヶ月の夜警当番にしたのはお前じゃないか!」
陰陽師と識神が仲間割れ、ホント、敵を前にしてやる事とは思えないわねぇ。
まぁ、一因は私にも有るのは分かるけど。
何でこうもまあ、凸凹コンビなのかしら?
あ、今気付いた。二人とも凸だから噛み合わないのかも。
二人でギャーギャー活気に満ちた罵り合いをしている間、バンギラスはうんざりした顔で聞いていたけど、暴君はやがて唸る様に口を開いた。
「……で、貴様ら俺とやりあおうってのか?」
なかなか凄味のある、低い声。
指をバキバキ鳴らしながら、萌黄色の巨体の持ち主はそり立った。
それに対する我らが清明の答えには、私は度肝を抜かれたわね。
「そっちが引き下がらないなら、そうせざるを得ないね。スサノオ、目にも見せてやれ」
え?
清明の挑発的な口調に、バンギラスは顎をさすりながら私を見下ろした。
「ほぉ、こんなチンケな負け犬が?俺とタイマン張るってか?コラッタ位でかろうじてってあたりのダメ犬に何が出来るんだ?」
「そう言ったモノノケを血祭りに上げたばかりだ。な、スサノオ?」
私はおそろしく自信の無い返事をした。
「いや、まあ確かにモノノケは倒したけど……」
「ほらみろ、スサに八つ裂きにされたくなかったら引っ込んどけば?」
……清明、黙ってていいわよ。
バンギラスは不審そのものの顔で嘲った。
「ふん、こんな毛玉がねぇ。すぐに叩き潰せそうだけどな」
「スサ、黙らせるなら今だぞ」
私は慌てて遮った。
「いや、ち、ちょっと待ちなさいよ。あんたは何言おうと勝手だけど、戦うのはこの私よ?!」
「だから戦えって言ってるだろ。やってやれない訳じゃないだろ?あんだけ言われてんだぞ、悔しくないのか?」
「ま、そりゃ悔しいし、やってやれない訳じゃないけど……」
「じゃあやれ」
「いや、だからね、私は……」
「早くしろ」
いつまで経っても揉めている私達を見て、しばらく蚊帳の外だったバンギラスが煮えを切らした。
「おい、そこのチビども、二人まとめて潰すぞ」
「ほら、早く行けってば」
清明は私のお尻をドンと蹴った。
こ い つ!
いがみ合う二人の板挟みになって、忍耐の限界に達した私は遂に怒鳴った。
「ちょっと、私を巻き込まないでくれるかしら?!喧嘩するなら仲良く二人でやってちょうだい!第一、私はそこに突っ立ってるモヤシみたいな人間の言いなりにはならないし、同じくぼーっとしてる杉の木ヤローなんかとかかわり合いになるのも御免よ!」
二人は奇妙な同調を見せて、思いっきり嫌そうな顔をした。
「モヤシ……」
「杉の木……」
まぁ、清明は日頃私の毒舌に慣れてるとしても、特にバンギラスは怒らせたのはまずかったかもね。
うん、青筋立てて怒ってるあたり、私の未来は明るいとは言い難いかも。
案の定、バンギラスも吠えた。
「じゃあお嬢さん、お手合わせ願おうか!」
そう言うが早いか、巨躯に似合わない素早さで、奴は再び地面に潜り込んだ。
げ、穴を掘る、か。
タイプ不一致だって、あんな奴の抜群攻撃を食らえばひとたまりも無い。
そもそも相性最悪のバンギラスとやりあって、勝てる見込みは薄い。
何より最悪なのは、砂嵐のせいで、私は立ってるだけでも辛いこと。
うん、撤退の言い訳にはこれで十分ね。
私は慌てて踵を返して、死に物狂いで逃げ出した。
清明?あんなのは放っといたって構わないわよ!
太陽が登って白み始めた空の下、私は四肢に鞭打って駆ける。
砂嵐の影響域を逃れ、切り株を飛び越し、穴を掘るから逃れようと必死に松林を疾駆する。
よし、あと少しで平穏京の姿が見えるはず!
だけどさ、物事って大抵悪い方に転ぶのよね。
松葉を蹴散らし、松の林の出口まであと一歩ってところで、いきなり私の体が地面に沈み込んだ。砂地が私の周りで螺旋を描く。
「?」
みるみるうちにすり鉢状に地面は抉れ、その真ん中には脚を砂に取られて脱け出せない私が残された。
う~ん、砂地獄とはね。なかなかステキなことしてくれるじゃない。
必死にもがいても、身体は更に沈むだけ。私はすぐに抗うのを止めた。
体力の無駄遣いは何の意味もないからね。
逃げられない以上、私には戦うしか選択肢はない。
いや、訂正。
砂から脱け出せないから、あいつに近づく事も難しい、が正しい。
砂柱がまた立ち上がり、砂地獄の渦の外縁にようやくバンギラスが姿を現した。
こっちを見ながら、松林の中をしれっとした顔でやって来る。
「どうだ、砂地獄の居心地は?」
奴の嫌味に、私は応酬せずにはいられなかった。
「ホント、最っ高。ありがたすぎて涙が出るわ。特に、毛の間に砂が入るあたりが、もう、ね」
こういうのを皮肉って言う。
因みに、自分がまずい時に使うのは得策じゃない。
バンギラスはニヤリ笑いを浮かべた。
「だろ?じっくり料理して欲しいか?それとも、手っ取り早い方がお好みか?」
手を擦りながら、奴はジリジリ近づいて来る。
しかし、決して砂の渦の圏内には入ろうとはしない。
でも、もう少し近づいてくれたら……
ふと、足裏の肉球に硬い感触。見れば、それは地面に張り巡らされた松の根っこだった。
これがあれば……頭のキレる私には、ある一計が浮かぶのに時間はかからなかった。
よし、これならうまくいくかも。
なら、次いきましょ。
巧妙な作戦を成功させるのは、タイミングと準備の二つ。
まずは下ごしらえよ?
私は奴に答えた。
「私は手短な方が好きだけど。まぁ、あんたに私が一発で仕留められるかは、疑問の余地はあるけどね」
強がりやら挑発やら、そういうのは私の得意分野。何でか知らないけど。
それでしょっちゅう墓穴を掘るってのは前にも言ったかしら?
結局、今回はそれが役に立つんだけどさ。
「お前達二人とも、やけにべらべら喋る野郎だな」
気に障ったかのように顔をしかめるバンギラス。
私は更に追撃にかかった。
「あら、減らず口で悪かったわね?まぁ、あんたみたいな木偶の坊じゃ、私の洗練された皮肉に嫉妬したって仕方ないわね~。うん、やっぱり体に対して頭の小さい間抜けって……」
私の“冴えた”言い回しに、バンギラスの体が次第に怒りで膨れ上がる。
「貴様、そんな事言える立場だと思ってんのか?あ?」
「そりゃ、もちろん。あ、しかめっ面は良くないわよ?あ、そうじゃなくても救いようのない間抜け面かしら?」
「いい加減にしやがれ!!」
バンギラスからは先程までの薄ら笑いは消え去り、泣く子も黙る600族の憤怒を湛えてこっちに迫って来た。
よし、引っかかった!かかったわよ!
流石にここまで好き放題言わると、奴さんの堪忍袋の緒も切れるらしい。短気は損気だってのに、ねぇ。
肩を怒らせ、こっちに向かってずんずん歩いて来た奴に向かって、私は勢いよく跳躍した。松の根っこを足場にして、ね。
私はバンギラスの肩に飛び付くと爪を立て、奴の肩越しに向こう側へと再度跳躍する。突然の反撃にうろたえた奴を、跳躍の反動で砂地獄に蹴落とすかの様に。
いや、蹴落とす気満々だけどさ。
緑の巨体は、さっきまで私が囚われていた砂の螺旋の中に落っこちた。
ただでさえこっちに突っ込んで来た上に、私の親切なオマケまでついてるから、止まりたくても止まらない。結果、私は砂地獄の外、あいつが砂地獄の中っていう喜ばしい構図になった。
我ながら賢い!なんてね。
「何すんだゴルァ!?このアマ!」
砂地獄の中ではバンギラスが地団駄踏んで猛り狂っている。
その度に体が沈むのに、馬鹿ね。
「あ~ら、ごめんなさい。私、悪気は“あまり”なかったんだけど」
激昂するバンギラスを尻目に、舌を出して目配せを送る。
「あんた、やっぱ頭悪いわねぇ。砂地獄の中だからって何も出来ない訳じゃないのよ?足場があれば抜け出せるし。まぁ、あんたは体重くて脱け出せそうにないみたいだけど?」
怒らせるのもこっちの策略、冷静さが欠けると簡単な失態を犯しやすくなる。
弱点タイプでも、こうやって勝機っていうのは見つけ出すものよ?
お分かり?
だけどこいつ、残念ながら私の挑発にはもう引っかからなかったのよね~。
しかも一旦落ち着いて砂地獄の中から私を睨むと、奴は反撃してきた。
とある分野で。
「へん、貴様だって体重なら俺とあまり違わないくせに、よく言うぜ」
グサッ!!
うっ、心に大打撃!砂嵐より今のはこたえる。
体重ネタは女にとったら死活問題なのに……。
いや、私はそれなりに健康的かつ魅力的な容姿を保ってるつもりよ?
……自分では。
だけど、いかんせんウインディってのは少し大きめで、っていうかだいぶ大きめで、従って体重もそれなりに……ハァ。
私の体重?聞かないでちょうだいよ!
う゛~、今年の夏は気合い入れてもう少し痩せなきゃ、だわね。
やれやれ。
まぁ、こんな話は置いといて、と。
どうやって攻めるか。
攻撃するだけなら炎の渦でもいいんだけど、効きが弱いし、時間かかるし。
こっちは砂嵐で体力削れてくから、さっさとケリつけないといけないし。
よって却下。
かといって他も神速、火炎放射、噛み砕く、と全部バンギラスの半減技。
あ~あ、揃いも揃ってついてない技ばっかり。
そこで私はある事に思い当たった。
そうだ!ミカズチ――あのウザいライコウ――がいるじゃない!
電気はバンギラスに等倍だし、いくら砂嵐の特防上昇っていっても、伝説級の一致技ならかなり効く……はず。岩に対して私より弱くないし、ずっと働いてないし、もうそろそろ役に立ってもいい頃だし。いけすかないし、尊大だし、とにかくムカつく野郎だけど、こういう時はきちんと働いてもらわないと。
丁度いい具合に、清明がやっとこさこっちに走って来た。
砂地に時折足をとられながら、ゼエゼエハアハア息を切らして急な斜面を駆け下りて来る。
日頃、いかに運動が足りないか示す好例ね。
私の隣までたどり着いた時には、惨めな陰陽師の息は完全に上がっていた。
「……す……スサ……ハァ……主人を……置いて……ハァ……逃げる……ヒィ……し、識神が……どこに……フウ……いる?」
「まぁ、そう言わないで見てみなさいよ。とりあえず、捕まえておいたわよ?」
私は相変わらず砂地獄の中でもがいているバンギラスを顎でしゃくった。
四苦八苦しながら這い出そうとするその身体は、身動きする度に深く沈んでいく。
清明は喘ぎながらも言った。
「……!……よ、よくやった……?でも、何でお前は、もっと攻撃しないんだ?」
「だから、私じゃ決定打は打てないの。私は半減されちゃう技しかないから。もう、早くミカズチ呼び出して終わらせなさいよ!」
「ミカズチ?あー、そんなの、ハァ、いたな。そんな名案があるなら、ヒィ、もっと早く言えよ」
……私をけしかけたの、あんただったわよ?
清明が水干の懐から古びた木の札を引っ張り出し、解放の文言を呟くと。
どろん!
白雲と共に、私の大っ嫌いなライ公、じゃないや、ライコウが召喚された。
ミカズチはじろり、と辺りを一瞥。
視線が清明、私、バンギラス、そして清明と一巡する。
「まさか、我をくだらぬ用事などで呼び出したりしてはおるまいな?」
寅の識神は鉄の額の下から黄色い眼で清明を睨みつけた。
「でもって」
今度は馬鹿にした目付きで私に矛先を向けると。
「状況ぐらい説明しろ、三流」
……神よ、私に忍耐を……
私は奴への罵詈雑言を無理矢理飲み込んで説明した。
「見れば分かるでしょ、あんたの仕事はあそこの砂地獄の中にいるバンギラス倒すの。雷なり何なり、早いとこ仕留めちゃって」
「要するに……」
バンギラスをちらっと視界に収めると、再度ミカズチは私の方を見おろした。
あからさまな侮蔑の表情を浮かべて、一言。
「貴様じゃ手におえなかったと?」
……神よ、忍耐はいりません、私に復讐の機会を……
本当なら張り飛ばしてやるところだけど、仕事の都合上、私はまたしても込み上がる悪態の数々を飲み込んだ。
「仕方ないじゃない!私、半減技しか持ってないのよ!」
ミカズチに借りを作る事ほど癪に障る事もないけど、ここは奴の力に頼った方が得策。
「ふむ、準備不足としか言えまい」
ミカズチは私を鼻で笑うと、まだもたもたしているバンギラスに視線を戻し、口を開いた。
「我は建御雷神なり。おい、そこの貴様、名を名乗れ。貴様のようなポケモンの底辺ごときに名乗る名前が有ればだが」
相変わらず尊大なミカズチの口調に、バンギラスは喚き返した。
「は?てめーの名前なんて俺が知るか!!今度は貴様が相手か?冴えないワン公ばかりで嫌になるぜ!」
奴はそう叫ぶと、砂地獄から身体を持ち上げた。
まずい、そろそろ効果が切れてきたみたいね。
「そんなでけえ面引っさげて来ると、痛い目見っぞ!何で頭に金物乗っけてんだ?工事現場のおっさんか?」
砂を勢い良く撥ね飛ばして、完全に砂の監獄から脱出したバンギラスがこっちに突進して来る。私と清明は急いで岩かげに身を引いた。
それでもミカズチは動かない。
奴は一心に集中して空を見上げていた。朝焼けに染まり始めた空に、黒い積乱雲がどこからともなく集まり、巨大な円を描き出す。
一面に黒い煙は広がり、松林は薄暗がりに包まれる。
あたかも、外の世界から切り離されたかの如く。
明け初めたばかりの朝に暗闇が垂れ込める中、雲間で一筋の光が走ったかと思うと、轟音を立てて大電圧がバンギラスめがけて落下した。
と、思ったんだけどなぁ。
ミカズチ渾身の一撃はバンギラスを逸れて、近くの松を直撃した。
バシッと鋭い音を立てて幹が割れ、とばっちりを受けた松が燃え上がる。
一方、ミカズチはと言うと、突っ込んで来たバンギラスに見事にはねられ、ニ丈程離れた地面に何とか踏み止まった。バンギラスが仕掛けた砂地獄を電光石火でかろうじて避けている。
すかさず、二発目の雷。
これもハズレ。
今度は別の松が炎上した。
三発、四発、ハズレ、ハズレ……。
ここで私はミカズチの致命的欠陥に気付いた。
こいつ、ど下手!!!!
いくら命中不安のある技といえ、えーと、雷の命中精度は七割でしょ、つまり外す確率が十分の三。四連続で外す確率はこれの四乗。
つまり、一万分の八十一……って、外し過ぎでしょ!!これは!
あ、今十万分の二百四十三になった。
あ~あ、目も当てらんない。
もう黙ってられなくなった私は岩かげから飛び出し、丁度岩雪崩を避けて逃げて来たミカズチと合流した。急いでミカズチに耳打ちする。
「この下手くそ!!いい、私が出来るだけアイツを釘付けにするから、そこを狙って。次外したら、容赦しないから」
ミカズチは反論の声を上げたが、その頃には私はもうバンギラスに向かってバネの様に跳躍していた。まったく、世話のやける奴だ。
悪態をつきつつ、私はバンギラスの周りをぐるぐる回っていた。
出来るだけ奴が動けない様にね。
炎の渦で周囲を取り巻き、緩急つけながら奴の攻撃をかわす。
神速で岩を避け、火炎放射で威圧し、持てる力と技を駆使して奴を囲い込む。
獲物を追い詰める猟犬の様に。
空に稲光が光り、本日六発目の落雷。
近くにいる私の毛を逆立てる程の威力のそれは、バンギラスのすぐ側の地面に落ちた。
惜しい!
えと、雷って確か十発しか撃てないはずよね?
七発目はバンギラスと言うより寧ろ私寄りに落ちた。
といっても腕はお粗末なもので、優に一丈は離れた場所に。
「どこ狙ってんのよ!」
私は苛立って声を張り上げた。一発当てるのに、どんだけ苦労してんだか。
おっと、またまた砂地獄が来るか。
勢いをつけて松のがっしりとした幹に爪を立てて駆け上がり、それを蹴ってひらりと別の幹に飛びうつる。次から次へと幹を蹴って跳躍しながら、バンギラスを着実に釘付けにしておく。
私の華麗な動きがバンギラスは気に入らないらしい。
「逃げんな、この臆病者!いつまでも逃げてばかりじゃねえか!」
八、九発目。もうみんな分かるわね?
稲妻は奴を掠りもしなかった。
そろそろ私も息が切れてきたところで、炎の渦も維持が難しくなって来る。
遂に紅蓮の環が途切れ、奴は火炎の円環から抜け出して大きな咆哮を上げた。
私も私で地表に降り立ち、隙あらば躍り掛かろうと姿勢を低く構える。
両者が一丈近い間合いを隔てて睨み合った、その刹那。
大気を震わせ、これを最後とばかりに稲妻が巨大な電弧を描いて落下した。
これまで外してきた、百億分の五万九千四十九という驚異の低確率を裏切り、今度こそ雷は命中した。
……私に。
「あ゛う゛う゛う゛あ゛あ゛あ゛っ!」
高電圧が全身を駆け抜け、衝撃が私を襲う。
筋肉が不自然にひきつり、視界にまばゆい火花が散る。
全身を電流の投げ矢に貫かれ、体が宙にふっと浮いた。
電光が地面に流れて、辺りに静けさが戻って来た時、そこに残されたのはかんかんになったウインディだった。
「この!」
私はあちこち焦げ目が入った体でミカズチの隠れている岩かげに飛び込むと、自分のした事に茫然自失のライコウをぶん殴った。
「ど阿呆!!」
バシーン。
林に小気味いい音がこだまして。
「ここまで外しておいて、最後の一発が私?ふざけんのもいい加減にしなさいよ!!!!」
今度は“私の”雷が落ち、ミカズチは首をすくめる羽目になった。
「このゴミ!!後でぶっ×××(いつも通り)!!!あんた、あと他に何の技持ってんのよ?電磁波なり何なり、役に立つ技は?」
私が息巻いて掴みかかると、ミカズチはいつもの傲慢さはどこへやら、蚊の鳴く様に自分の持ち技を口にした。
「電光石火、噛みつく、神通力……」
ドカッ。
「つっかえないわねぇ!もう!いいわよ、あんたもう引っ込んでなさい、私が行くから!清明、この阿呆片付けといて!」
バシッ。
私は更に一発お見舞いし、岩かげから飛び出してバンギラスと再び対峙した。
後ろで清明がミカズチを札に回収する。
さて、ここからはもう誰にも頼れない。
既にけっこうな疲労の蓄積を無視して、私は地に足踏ん張って奴を睨んだ。
そう、私はスサノオ、陰陽寮随一の識神。
ここまで来ておいて、引き下がる訳にはいかないのさ。
狙うは火傷。それ無くして私に勝ち目は無い。
私は深く息を吸うと、紅よりなお濃い
バンギラスは土中に潜って回避し、渦を巻く焔は獲物を捉え損ねる。
私は舌打ちして、穴を掘るを警戒して自分の周囲に炎の渦を張り巡らした。
これなら私を襲っても、奴も炎の渦に巻き込まれるから迂闊に接近した攻撃は出来ないはず。
だから奴の次の一手は……
予想通り、砂が私の足元で流動する。
砂地獄が私を飲み込む前に、私は神速で移動した。
土中から奴が姿を現したけど、そこには私はいない。
松を駆け上がり、奴の体を飛び越しての跳躍。
優雅な弧を描いて、私の身体は緑の巨体の上を通過した。
この時点で私は次の一手を考えていた。
背後をとって、至近距離で火炎放射。
火傷させたら、炎の渦で時間稼ぎしておしまい。
回復は清明に頼む。
以上。
うん、振り返ってみると、我ながら浅はか。安直。
私はあいつの全ての技も知らなかったから、空中にいる私に対して浴びせる物理技なんて知らなかった。
そして、雷には麻痺がつきもの。私の跳躍は少しばかり遅すぎた。
「甘いな」
奴は頭上を越える私を見るや、四つ目の技を繰り出した。
ストーンエッジ。
黒曜石から打ち出した石器の様に鋭い岩の刃が、私の全身を捉えた。
脇腹をざっくりと、続いて前足に鈍い衝撃。
空中姿勢を崩して落下する私の背中側も、鋭利な細片に容赦無く切り裂かれ。
耳元をのこぎり歯の岩が通過し、とどめはみぞおち。
尖った岩の先端が、みごとに私の肋骨の下に食い込んだ。
苦痛の悲鳴を上げて、私は不様に砂の大地に叩きつけられた。息が苦しい。
「ゲホッゲホッ……うう……」
激しく何度も咳き込みつつも、次なる攻撃に備えて立ち上がろうとする。
駄目、脚に力が入らない。
ふらふらとよろめきながら上半身を起こしたところで、力尽きて再び砂地に倒れ伏す。
もう駄目、私疲れた。
突っ伏した私の口の中に、砂のじゃりじゃりとした感触と苦い敗北の味がじんわりと広がる。それと、怒りも。
ミカズチめ、覚えてなさい。
今度会ったら、五体満足じゃ帰さないんだから。
弱りきって動けない私の上に、巨体の黒々とした影が落ちた。
「よぉ、もうへばっちまったか?」
痛みに震える私が突っ伏したまま見上げれば、朝日を後光の様に浴びてバンギラスが勝ち誇った笑みを浮かべていた。
改めて日の光の下で見ると、いかに自分達が無謀な戦いをしていたかが分かる。
地殻の土中から摂取した鉱物が析出して出来た堅牢な鎧、大質量から繰り出される強力な攻撃。オマケに、嫌味。これ、大事。
こんな三拍子揃った相性悪い相手に、喧嘩売る方が間違ってる。
それでも反骨精神豊かな私は砂を吐き出すと、奴に憎まれ口を叩いた。
ま、俗に言う負け惜しみかしら。
「ふん、あんたに心配されちゃ世話ないわよ」
「相変わらず生意気だな。まさしく負け犬じゃねえか」
「覚えてなさい、今度吠え面かくのはあんただから。ついでにその不細工な顔も整形してあげる。この下衆野郎……イタッ!」
バンギラスが私の顔を思いっきり蹴っ飛ばした。
奴の蹴りは私の顎を的確に捉え、私は一丈あまりはね飛ばされ。
間髪入れず、仰向けに倒れた私の無防備なお腹に奴の片足が下ろされる。
「んぎゅっ!痛い痛い痛い痛い!!止めてっ!!」
お腹に物凄い圧力がかかり、私は思わず悲鳴を上げる。
内蔵が圧迫され、今にも潰されてしまいそう。
「退けなさいよ!!痛いっ!痛っ!この馬鹿っ!重いっ!!」
「あ?聞こえねぇなあ、もういっぺん言ってみろや?」
バンギラスが更に体重をかけ、その足が私のお腹に深くめり込んだ。
「あ゛う゛っ!痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!!放しなさい!!!うぅぅぅっ!放して!痛゛いっ!!止めてっ!!!お、お願いっ!!!」
激烈な痛みに、私は身悶えしながら懇願した。
プライドも何も、そんな場合じゃない。
ただただ今の耐え難い痛苦から逃れたい。ぎゅっとつぶった目に、涙が滲む。
「けっ!口ばかりじゃねぇか、ええ?痛けりゃ命乞いとくらあ、この駄犬め。結構な元気づけでももらっときな!」
そう罵ると奴は内蔵破裂寸前まで踏み込んでいた足を一度上げ、それから再度しこたま私の身体を蹴飛ばして地鳴りを響かせ去って行った。
横ざまに倒れたまま、私は微動だに出来なかった。
苦痛に思わず流れた涙は砂地に染みて乾いていくも、四肢には疲労と消耗が重く覆い被さり、最早ぐったりとして言うことを聞かない。
私は橙色の体を投げ出して、半分帳を下ろしかけている目蓋の下からぼんやりと、痙攣する前足を眺めていた。
そして、敗北の屈辱という辛酸。
これは負けず嫌いの私にはなかなかこたえる惨敗だ。
荒い息で身を横たえる私に、今度は小さな影が覆い被った。「一旦引くぞ」
そいつが呪文を唱えると、私の傷だらけの体は煙と消えた。
同時に、私の意識も真っ暗な闇に囚われる。
最後に私の耳に届いたのは、最早誰も止める者のいないバンギラスが六波羅蜜寺の塀を壊したような、くぐもった衝撃音だった。
軒の瓦には菖蒲の葉がずらりと並び、黒と白との幕と
あいたたたた……。
陰陽寮の縁側に、包帯であちこちぐるぐる巻きになったウインディが伏せっている。
ちえっ、我が病床に侍る身は無し。
喉が渇いたんだけど。誰か水持ってきてくれないかしら?
いや、動けない程の重症じゃないけどね。一応私怪我人だし。
私は
「清明、喉渇いた~」
……かいつまんで話すと、昨日の一戦の後、清明は私達を連れて一旦撤退した。
むろん、守り手のいなくなった六波羅蜜寺はバンギラスのしたい放題にされたとのこと。
後に清明が仕入れて来た情報だと、バンギラスは経典を奪うなんてしちめんどくさい事はせず、中の坊さん共を追い払って、がら空きになった六波羅蜜寺に空回が居座った、みたいな感じらしい。
今度は難攻不落の攻城戦になりそうねぇ。
程なくして、
飲み水と言うには明らかに多すぎ。
悪意と言うか、冗談と言うか。
「これぐらい有れば足りるか?もっと欲しい?」
「ご苦労様、随分と手の込んだ冗談ね」
「反応してくれてどうも。流されたら水の泡だったぞ」
片手をひらひら振りながら、奴も縁側の縁に腰を降ろす。
「さて、患者さんはご機嫌いかがかな?」
「最悪。脇腹がの傷がずきずきするし、前足挫いたっぽいし、耳の端切れたし」
草履を履いた足をぶらぶらさせている清明に唸る。
「大丈夫、きちんと消毒して手当てしてあんだから。文句言うなよ、識神稼業に生傷は絶えないもんだろ?」
「別に好きで識神やってる訳じゃないわよ」
「そういえば、よくもまあ素人がバンギラス捕まえたよなあ。どこで知識を得たにせよ。しかも使役してるんだろ、あんな性格なら反抗してもおかしくないのに」
「知~らない、私だって召喚札がなかったら、今頃どっかにいなくなってるかもしれないわよ?」
「ありそうで困るな」
清明が苦い顔をした。
「もし私が逃げたらどうするの?」
「え、逃げたら?う~ん、今度はもっと優秀で賢いのを捕まえる」
「は?!それって私が馬鹿だって言いたいの?この……あっつっ、イテッ」
いきり立って立ち上がろうとした私の脇腹に、突如痛みが走った。
じわっとした熱い感じが包帯の下で拡がる。
それを見て清明が言う。
「あ~あ、傷口開いちまったじゃないか。しかも包帯ずれたし。ほら、横になれって。包帯替えて巻き直すから。今取ってくるから、暫く待ってな」
水干を翻して、陰陽師が立ち上がる。
「優しく巻いてよね。染みるんだから」
小声でぶつくさ言いながら、私はゴロンと縁側に横になった。
縁側の檜材が初夏の日差しを浴びて、古びた木材特有の光沢を見せる。
ずーっとここでのんびりしていたいものねぇ。
平穏な暮らしってこんなもんかしら?
ま、私が平穏のうちに暮らすなんて百年先でも無理だろうけど。
確かに清明の言う通り、識神はかなりキツイ仕事。
引退までこきつかわれる見返りに私達が得るのは、食事に困らないぐらい。
もし私に選択肢が有れば、喜んで野生を選んでたはずなのにねぇ。
四肢を無造作に投げ出して待っていると、包帯と薬箱を持った清明がやって来た。
「少し染みるけど、我慢しろ。近いうちにもう一戦交える事になるかもしれないし」
と言うと、私の包帯を交換し始める。
手際はなかなか悪くない。
識神を酷使する陰陽師は、識神を操る他にも回復の役割も同時に果たさなくてはいけない。いや、細かい事を言えば、それこそ毛の手入れやら散歩やら、識神の世話は義務のはず。
(そこの清明はまーーーったくしてくれないけどね)
だから、彼らは傷ついたポケモンの回復は慣れっこってわけ。
「そういえば、ミカズチってどうしたの?」
すっかり渋い顔の清明。
「あのライコウだろ?えーと、今はいないよ」
「え、何で?あの馬鹿寅に言ってやりたい事もやってやりたい事も沢山あるんだけど」
私の言ってやりたい事っていうのは勿論説教、私のやってやりたい事っていうのは仕返しね。お分かりだとは思うけど、念のため。
「うーん、いや、俺は帰って来てスサの手当てをした後、ミカズチ呼び出して叱ろうとしたんだけど、あの識神、めちゃくちゃに沈んでてさ。下向いて何にも言わなかったから、とりあえずお前はもうお払い箱だって言ったら……」
そこで清明は一旦話を止めた。
「言ったらどうしたのよ?」
私が促すと、舌を出して清明は言った。
「……逃げられた」
は?!
もしも私が噴火を使えたら、陰陽寮の寝殿造の建物はあっという間に焼け落ちてたと思う。
「何で取り逃がしてんのよ?!この抜け作!!札なり何なりに呼び戻せばいい話じゃないの?!」
「いや、それが札をくわえて逃げてったから……」
「あ~、もう!どうしてくれるのよ……ハァ」
駄目。怪我してるし、怒る気力も湧かない。
私の予定では、奴を炎の渦でカリカリに炙りながら延々と説教してやるはずだったのに……。
清明にとっても、これはまずい。
識神を逃がすなんて言語道断、ましてや封印の召喚札すら無くす事は完全に支配力の欠如。大目玉は確定事項だわ、ね。
しばらく押し黙ったままだった二人は、ぼんやりと中庭を眺めていた。
「まぁ、あんだけ雷外したからな。役に立たないどころか迷惑な奴だったから、都合良く自分からお払い箱になったってあたりか。案外責任能力は有るかもしんないな」
不意に清明がちゃかした。
私もニヤッと笑う。
「ふふ……まあ、スッキリしたってあたりかしら。今頃どっかで怯えて震えてるか、責任感じて入水自殺してるかもね」
清明は首を掻きながら苦笑した。
「かもな」
そこで一転、事務的な口調になって言う。
「一週間後でいいか?討ち入りは。回復は間に合うとは思うけど?」
「任しといて。今度こそあの樅の木野郎ぶっ飛ばすから」
私はニッと笑って目配せする。そうだ、私の復讐相手はもう一人残ってた。
何としてもあのバンギラスには借りを帰さないとね。
「わかった。抜かりなく準備しとけよ、スサ」
清明が立ち去り際に言った。
「ご心配なく」
私はふーっと深いため息をつく。
あのミカズチがねぇ。
いや、あのミカズチだからこそ、か。
尊大で、傲慢で、役立たずで。
ミカズチが私達のとこまで、ずっとたらい回しにされてきた理由がはっきりとわかった今、私は何となくミカズチが逃げた理由がぼんやりと分かる気がする。
異常なまでの自尊心と、それに釣り合わない実力。
長い間危うい均衡を保っていたそれが、昨日崩壊した。
その崩壊は必然ではあったものの、劣等感をどこかで抱いていた奴にはあまりに決定的な打撃だったのね。
そして、最後の陰陽師、清明からの解雇通告で決壊した訳だ。
ここまで読んだ読者なら、私の心情が微妙に変化したのが分かるわね?
勿論あいつが私にした事は許さないけど、今私はミカズチを少し悲しい目で見ていた。
もし本当に野生に戻ってしまうなら、傷だらけのプライドを一生抱えて悶々と生きる羽目になるだろう。
しかもそのプライドは、野生では知り得なかった陰陽道・日本神道の世界観に植え付けられたもの。
哀れとまでは言わないけど、私は妙な寂寥感に襲われた。
私が識神でなくなるとしたら、どんな気持ちになるのかしらね。
昨日の一戦で、私は身体を怪我した。
だけどミカズチは多分、心を怪我したのね。
識神と陰陽師、両者の在り方に私はしばし首をひねった。
私と清明は日頃いがみ合う仲だけど、仕事の時は一応仲間でもある。
私は今の生活に満足しているかと言われたら全然違うけど、かといってそれほど嫌いな訳じゃない。
識神にとっての幸せって何なのかしらね。
あれこれ思案しながら、私は五月の風にまどろんだ。
暖かい。
日だまりの優しい腕に抱かれて、意識が夢と現を往復し。
母親の懐とはこんなものだろうか。
昔唐にいた頃の記憶の糸は途切れてしまっているけれど、この暖かい感触と柔和な優しさにはどこか覚えのあるような……
回想を巡らせながら、私はいつの間にか浅い眠りに落ちていった。
庭の姫百合の朱色が滲んでゆく……。
お母さんが私のふさふさした毛並みを整えてくれる。
その優しく大きな前足は頭の鬣を撫で、私の傷ついた前足をいたわる様に手に取ってくれる。
改めて感じる、暖かい。
やがてその手は私の胴へと回り、脇腹の裂傷と打ち身の部位をゆっくりと、包帯の上からさすり始めた。
これがまた、気持ちいい。
私はその優しさにしばらく身を委ねていたけど、あまりの心地よさにぐっと伸びをした。
そこでハッと気付く。
これって夢じゃん。
目をごしごし擦りながら頭を起こせば、もちろんそこには母親の姿は無い。
でも、どうも実際に誰かがいた気がするんだけどなぁ……
ま、日だまりの気持ち良さのせいであんな夢を見たのかしらね。
空を見上げれば、お天道様は西に少し傾き始めていた。
あれ?
大きく欠伸をしながら再度目もとを擦った私の視界に、今度は意外な物が飛び込んで来た。
「……ん?」
それは私の身体のすぐ側に置いてあった。いや、それらと言うべきか。
そこにあるのは、
それがいくつも縁側の上に無造作に転がっている。
私は匂いを嗅いでそれが何か分かった。
岩技半減のヨロギの実。これまた珍しいわね。
最初は清明が取ってきたのかと思ったけど、すぐにこの辺りにはヨロギの木なんて生えて無いことを思い出し。
じゃあ、一体誰が?
答えはすぐそばにあった。
ヨロギの実に混じって、一枚の古びた木の板が落ちている。
使い古され黒ずんだ木簡には
とにかく、それは確かにそこにあった。
ははん、そういうことね。
合点のいった私は一人頬を弛めた。
ヨロギの実と召喚札。
それはミカズチの詫び状であると同時に、また一緒に仕事をさせて欲しいという意思表示だった。
私は札を手繰り寄せて、あっちが聞こえないにも関わらずそっと言った。
「馬鹿ねぇ、もっと素直に言いなさいよ」
勿論、応答無し。
私の声に答えたのは、一羽のほととぎすだった。
日輪が傾いて、菖蒲の飾られた軒先を透かして輝いた。
六波羅蜜寺強襲は事前の綿密な偵察と幾度にもわたる作戦会議の末、正面からの強行突破という案に落ち着いた……って、それじゃあ打ち合わせの意味無いわね……。
まあいいや。私好みだし。分かりやすいし。
時刻は亥の刻。
ありゃ、この一文だけで三回も“亥”って漢字入ってる。
空には分厚い黒雲が展開し、月の光を遮っている。
夜陰に乗じて中へ乗り込み、空回本人をバンギラス召喚させないうちに取り押さえれば……ってのがこちらの作戦。
とは言うものの、今すぐ門に向かって突撃出来る訳じゃない。
なにしろ、警備の寝言宗門下の僧達が篝火を焚いた門の辺りを中心に、お寺をぐるりと囲む塀の外側をうろちょろしてるからね。
いや、突破出来なくはないけど、応援を呼ばれたら面倒だし。
こっちに注意を引き付けるのは出来るだけ避けたい。
まぁ、そこで我らがライコウ、ミカズチの登場なんだけどさ。
ってな訳で、私と清明は六波羅蜜寺の正面門から少し離れた山吹の茂みに隠れてミカズチの合図を待っていた。
「ねーえ、まだ?ホントにアイツで大丈夫なの?」
そわそわと地面を引っ掻きながら、清明に耳打ちする。
「知るかよ、そんなの。とにかく、ミカズチが敵を引き付けてくれないとこっちは何も出来ないんだから、お前もアイツが一晩逃げおおせるのを祈ってた方がいいぞ」
うわ、望み薄いこっちゃ。
根拠はないけど、アイツがヘマをやらかすのが眼に浮かぶようだ。
「でももうそろそろ始めてもいい頃なんだけど……あ、お前もう少しそのボサボサ頭下げろ。っていうか、何でそんなに鬣に気合い入ってんだ。見つかったらどうすんだよ」
清明に頭をグイッと押さえつけられ、私は声を潜めて毒づいた。
「あっ、ちょっと、せっかく一時間かけてきれいに整えたのに……ふん、どうせこれから濡れてぺしゃんこになりますよーだ」
それから二人は、次第に濃くなる暗闇に目を凝らしてミカズチの合図を待った。
十分後。
空を覆っていた黒雲から、にわかに雨が降り始めた。
合図だ。ミカズチの雨乞い。
ブルルッ!
濡れるのが苦手な私は思わず身震いした。
う~、これから乗り込むってのに、無闇に身体を冷やしたくない。
私は茂みの中で立ち上がった。
「さて、いよいよかしら?」
「まだ待て、焦るな」
勇み足の私を制して清明が言った。
「まず、ミカズチの陽動で門衛がいなくなったら、あの門をぶち破って中に入って……」
清明が全部言い終わらないうちに、六波羅蜜寺の裏側に必中となった雷が青白い電光を残して落下した。
落下地点との距離が近すぎるせいで、閃光と雷鳴がほぼ同時に私達に届く。
見張りの門衛達が、何事かと裏に向かって走り出した。
すかさず二発目の雷が、先日戦った松林の辺りに吸い込まれて行く。
陽動にはこれで十分だった。
ガヤガヤとした声が徐々に遠ざかり、門の付近は一時の静けさに包まれる。
「行くぞ」
次第に強くなる雨足の中、二つの影は頑丈な寺の門へと忍び寄り、そこで一旦停止する。
「いいか、一、二、三で突入するぞ。お前は東側、俺は西側を探す。空回を見つけたら、何か呼ぶ前に取り押さえろ。こっちが先に見つけたら犬笛で呼ぶか直に召喚する。質問あるか?」
「い~や。ミカズチがどのくらい持つか心配だけど、それ以外は特に。アイツ、バンギラスが来てたらヤバそうな気もするんだけど……」
裏山の方を見やると、雷がまた更に一発落ちた。
「ま、今のところ大丈夫か」
清明が閂に両手を掛けた。
「いいか、行くぞ、一、二、三、行けっ!」
ガスッ!
あ痛ッ!
てっきり開くと思って突っ込んだ私は、開かなかった扉に鼻面を思いっきりぶつけた。
「ちょっと、何で開けないのよ!」
若干涙声ながらも、私は清明に向かって吼えた。
「開かないんだよ!これが!」
ガタガタと扉を押しながら、清明が怒鳴り返す。
何度押しても、門は固く口を閉ざしたまま。
「……あんたが非力なんじゃないの?何その貧弱な腕は?」
清明の棒切れの様に細っこい腕を見ながら指摘すると、不服そうな返事が帰って来た。
「じゃあお前がやってみろよ!」
はいはい。やればいいんでしょ、やれば。
前足にぐっと体重をかけて、清明の倍近い力で扉を強く押す私。
あれ?開かない。
どんだけ強く扉をどついても、一向に開く気配すらしない。
「あれ~、おっかしいわね……。よし、アンタちょっと下がってなさい。もし鍵がかかってるんなら、扉ごとぶち破るから」
私は数歩後ろに下がって、頭を低く下げてから今度は神速で突っ込む。
蝶番ごと弾き飛ばそうって算段だ。
ドンッ!
鈍い衝突音が響いた後には、うずくまって頭を抱える私が残された。
う~、今のは痛かった!
清明の奴がニヤニヤしながら私と交代する。
「あ、開け方分かった。頭を使えよ、スサ」
「使ったわよ……」
頭を押さえて、やや涙目の私が口を尖らす。
「だから、そうじゃなくって。押して駄目なら引いてみろって事」
得意気にそう言うと、清明は閂に手を掛けてグイッとこちら側に扉を引っ張った。
……効果無し。
「あれ?」
焦りを募らせ、今度は障子戸を開けるみたいに横へ。
「ん?おかしいな……」
上へ、下へ。それでも、扉は頑として開こうとはしない。
降りしきる雨の中での苦労も虚しく、ただただ時間だけが過ぎていく。
「う~ん、マズいな。何か他に開ける手思いつかない?」
「アンタが例の札で大爆発」
べしっ。
「痛っ、叩くこと無いじゃないの。私がせっかく考えたのに。じゃあ、こういうのは?実は扉に見える壁だとか」
べしっ。
「あーもう、この役立たず!いいよ、お前にはもう何も期待しない!」
「仕方ないじゃないの!雨じゃなかったらこんな木の板焼き尽くせるけど、こんな大雨で湿気ってちゃ火も付かないわよ!……あ、でも要するに中に入れればいいんでしょ?方法ならなくもないわよ」
「有るなら先に言えよ!」
「期待しないんでしょ?」
ツンとそっぽを向く私。
「分かった、俺が悪かったから!頼むってば!」
「やれやれ、仕方ないわねぇ。ちょっとばかし荒っぽいけど、そこは勘弁してね?」
そう言って私はとびっきりの笑顔を清明に見せた。
「?」
「おい、離せ!このやろ、首絞まる!」
「ぐちゃぐちゃうっさいわね。文句言わないの」
あれから数秒後、私はエネコロロがエネコの首筋をくわえて運ぶが如く、清明の水干の襟をくわえて立っていた。
新米陰陽師は宙ぶらりんになったまま、ジタバタと暴れている。
「死ぬっ!離せ!息できない!」
だんだん顔が青くなってくけど、ま、多分気のせいよね。
「べ~つに少しぐらい息しなくたって大丈夫よ」
ギャアギャア喚く清明をなだめすかしながら、門から数歩下がる。
多分大丈夫。ま、これが失敗しても“私は”平気。それが大事。
「おい、どうする気だ?いい加減離せってば!」
「分かってるって。助走つけたら離してあげるから」
「助走?!何でそんな事……あああぁぁぁ!止めろぉぉぉぉぉ!」
私はゴタゴタ言ってる清明をしっかりくわえ直すと、門に向かって再度猛進した。
一旦首を横に曲げると、今度は思いっきり勢いをつけて前に振りだす。
そして、くわえていた水干を同時に離した。
「行っけえぇぇぇぇぇっ!」
清明の体が宙に放り出される。
要するに、私はあいつを投げた訳だ。
ポイッ。
「〇☆▽△□×∞〒¥!」
意味の分からない悲鳴を上げつつ、清明は低い軌道ながらも放物線を描いて門の向こうに消えた。
よし、上出来。
直後響いたベシャッて音と悲鳴から察するに、軟着陸とはいかなかったみたいだけど。 さて、今度は私。
助走をつけて塀の壁に跳躍、そこから漆喰の壁を後ろ足で蹴って、前足の爪を塀の屋根瓦に引っ掛ける。
強靭な筋肉がしなり、何枚か瓦を落としながらも私は体を塀の屋根に持ち上げ、そこから境内の中に飛び降りた。
「あらよっと」
ビシャッとあたりに泥はねを飛ばしつつ着地、そして泥まみれになって大の字に突っ伏している清明を見つけた。
あらまー、可哀想に。
泥とほとんど同化している奴を口でくわえて立たせると、私は愛想良く尋ねる。
「あれ、あんた何でそんなに泥だらけなの?」
「……のせいだろ!」
泥と一緒に怒声を吐き出す私のダメ主人。
「他にもやりようがあったじゃないか!」
怒りのあまり、潜入中なのも忘れてあーだこーだ喚き散らしている。
あー嘆かわしい。
「もうちょい静かにしなさいよ、随分とご機嫌斜めね。ホントならもっと感謝してくれてもいいのにさ」
「何が感謝だ」
私の言葉はぴしゃりと撥ね付けられた。
「んじゃ、坊さん探しに行ってくるわよ」
機嫌の悪い陰陽師を残して、私は境内の東側に一歩踏み出した。
その時。
「その必要は無いかと思うが」
私達の真後ろ、飛び越えて来た門の方から聞き覚えの無い声がした。
私達が素早く身を翻すと、そこには一人の高位の僧が立っていた。
豪奢な
識神と陰陽師の侵入にも全く動じる気配を見せず、滝の様な雨も意に介さずに冷静な目でこちらをねめつけている。
その手に握られたのは、一枚の木簡。
ピンと来た。
「行けッ!召喚させるな!」
清明の号令と同時に、私は駆け出した。狙うは空回ただその人。
稲妻の様な速さで、木簡を叩き落とそうとあと一歩まで迫る。
だけど、空回は平然と構えていた。
大きな狛犬が今にも飛びかからんとするのに、微動だにしない。
訝りながら疾駆する私の視線と、空回の視線が空中でかち合った。
瞳が……青い?!
私はあと一歩の所で急停止した。雨でぺたんこになった鬣がゾワッと逆立つ。
空回、いや、空回の姿をした何かはニヤッと口の端を歪めた。
「スサ、どうした?」
清明が隣に駆け寄って来る。
「何してんだ?早くしろよ!」
どうやら空回の不審さに気付いていないらしい。
でも、私は確かに空回の瞳の奥で悪意に満ちた明るい青い光を見た。
コイツ、絶対おかしい。
歯軋りしながら私は唸った。
「コイツ、ただの人間じゃないわよ!」
「は?どう見ても人間……」
「目!目がおかしいの!」
「え?」
二人で押し問答していると、空回はゆっくりと右手を上げた。
途端に二人共ふっつりと黙り込む。
「もう結構」
相変わらず不気味な笑みを顔に貼り付けたまま、ソイツは語り出す。
「どうやら識神の方が鋭い目を持っているようだ。確かに、私は空回であり空回でない……体は確かに空回のものだが……いや、ものだったと言うべきだな……中身が違う……」
清明が眉根にシワを寄せる。
「だから、こんな物はそもそも要らないのだ」
ソイツは懐から何かを取り出し、こっちに放って寄越した。
パシャッ。
水溜まりに落ちたそれは、仏教の経典。二人の僧の争いの原因は泥に汚れて転がった。
ソイツの目に、また青白い光が愉快そうに光った。
「……」
清明は何か呟いたかと思うと、目にも止まらぬ早業で弓に矢をつがえた。
キリキリと極限まで引き絞り、目の前の敵に矢を向ける。
やっとコイツが変だと気付いたらしい。
「何がしたい?」
心なしか、声が上ずって震えている。
「別に。お前達とは本来関わりの無い事だった。私の目的はこの六波羅蜜寺を取り壊すだけの事だ」
奴はそう言って立派な本殿の方を指差す。
「壊す?アンタなんかこの建物に恨みでもあんの?それともここに別荘でも欲しいのかしら?」
日当たりは悪くはなさそうだけど……んなわけ無いか。
「何故この場所を壊したいか、お前達には解るまいし、語ってやるほど私は親切ではない。まぁ、ゆくゆくは解るかもしれないが。私の仮説が正しければ、ここには大いなる秘密が埋もれている……」
「宝探しでもしたいの?」
私の軽口は誰にも受け止められずに宙を漂った。ああ、お恥ずかしい。
「とにかく、ここを壊すと決めた以上、次に必要なのは味方だ。私は最懲と空回の対立に目をつけた。空回はこの六波羅蜜寺に眠る経典が欲しかった」
僧の中に潜むソイツは、今度はさっき投げ捨てた経典を指差す。
「私は空回を焚き付け、その野望の手助けをする代わりに、ここの本殿を壊せという条件でバンギラスの札を彼に渡した。だが彼は約束を反故にした。密教の本座に居座るや否や、本殿を我が物としたのだ。そこで私は代償に……」
そう言ってまたゾッとする笑みを浮かべる。
「この体を頂戴した。だが私は直ぐにこの場所を壊さなかった。お前達陰陽師が邪魔立てしたからだ。一度は追い払ったが、また来ると私は踏んでいた。ならば本殿と陰陽師、両方一度に始末してしまおうと」
「え?何か私アンタの恨み買うような事したっけ?忘れてるかもしれないから、あったら教えてくれない?」
あ~あ、軽口が止まんない。悪い癖だから直さなくちゃいけないのは承知なんだけど、不安になるとついつい強がっちゃうのよね……。
「お前達は知るまい。私と陰陽道の百年の確執を。まあよい、せいぜい私の通り道に出た事を後悔するのだな」
根の生えた様に立ち尽くす私達の隙をついて、奴は木簡を掲げて複雑な何かを唱えた。
空中に黒々とした渦が巻き、空間に身を捩り出す様にバンギラスが姿を現す。
やれやれ、またこの顔合わせか。
私はサッと退いた。
雨中の決闘、と言うと聞こえがいいけど、実際にやってみるとこれほど厄介な条件は無い。
泥んこになるのはもちろん、炎技は威力半減だし、水吸って体は重いし、何より視界が最悪。
私達はさっきからじりじりとバンギラスに押され気味だ。
私がせっかく覚えてきたアイアンテールもなかなか当たらないし、清明の妻黒の狩股*10は鉱物の鎧に跳ね返された。
こちらは防戦一方、あっちは攻勢一方。
気づけば背後に本殿の影。
「早く入れ!スサノオ!」
後ろを振り向いて見れば、清明が弓を放り出して本殿への階段をかけ上がって中に入るとこだった。
逃げるが勝ち……って時もある。うん、きっと今はその時に違いない。
「待ちやがれ!素直にしてれば直ぐに楽になれんだぞ!」
後ろから追いかけて来るどら声を無視して、私も清明を追っかけて中に入った。
私は清明を追って迷路の様な薄暗い廊下をどんどん走る。右、左、右、右、左……。
あれ、見失ってしまった。
「清明!」
私の声は木造の建物に吸い込まれ、寺の中は奇妙な静けさに包まれる。
聞こえるのはザーザーと雨が屋根を叩く音だけ。
「清明?清明!」
不安に駆られてキョロキョロ廊下を見回している私の耳に、今度は外から物騒な声が届いた。
「隠れても無駄だ!地震!」
……これはマズい!
地の底から突き上げる様な衝撃が本殿を基礎ごと揺るがす。
柱は軋み、歪み、目の前の壁には見ている先からギザギザしたヒビ割れが走った。
激しい揺れに翻弄されてよろめきながらも、私は出口を探して駆け回った。
このままだと閉じ込められる!
オロオロしながら辺りを見回していると、バシッという鋭い音が頭上から聞こえた。
見上げると、屋根の重量を支えていた親梁がちょうど折れるところだった。
あちゃー、駄目だこりゃ。
天井全体が一気に落ちてきて視界を遮り、屋根瓦、梁、垂木、その他もろもろの建材が私の上にどっと崩落してきた。
そして、全てが闇に押し潰された。
……何も見えない。
真っ暗な瓦礫の中で、私は今にも梁とおぼしき木材に押し潰されようとしていた。
ぐえ。重いったらありゃしない。
唯一自由な前足で、もがいたり引っ掻いたりしながら瓦礫の山を押しやる。
数分間の格闘の末、何とか頭だけは外に出すことが出来た。
ふう。危うく窒息死だったわね。
一息ついて辺りを確認する。
本殿はすっかり倒壊していて、辺り一面に瓦やら漆喰やら仏像の破片やらが散乱していた。
生意気にも私の体を下敷きにしているのは丁度屋根の部分らしい。
動くものの姿は見えない。敵も、味方も。
さ、まずは早くこんな場所から脱け出さなくちゃ。
じたばたやりながらやっとこさ上半身を引っ張り出し、今度は腰の辺りを押さえつけてる梁を退かそうと踏ん張る。
よし、もう少しで後ろ足も……このっ……スサノオ様を下敷きにするとは……あと一息……。
「動くな」
私の前に影が差した。
その声にヒヤリとしたものを感じた私はピタッと足掻くのを止める。
首だけをゆっくり上げると、会いたくもない空回もどきが、私の額に清明の弓を向けて立っていた。
「ご苦労。探す手間が省けた」
狙いをつけたまま奴が言う。
「お、お坊さんは無闇な殺生は良くないのよ?」
恐怖に駆られて私はしょうもない事を口走った。
あわわわわわわわわわ、ちょ、ちょっとタンマ!
「残念ながら私は仏教徒ではない上に」
弓がギリギリと音を立てて更に引き絞られる。
「仮にこの体の前の持ち主がそうだったとしても、今や何の関係も無い」
グイと鏃を私の額に近づけ、薄気味悪い笑みを浮かべる。
その瞳の中に青白い揺らめきが踊った。
「では、安らかに……?!」
奴が最後まで言い終わらない内に、私の上を何かが物凄い速さで駆け抜け、空回の体にとびかかった。
間髪入れずに弓をもぎ取り、近くの塀の上に軽々と飛び上がる。
弓をくわえたまま、そいつは言った。
「仏教に殺生は禁忌。破戒の出家は牛に生るるという言葉を知らぬのか?」
そいつの背後で雷が光った。
「ミカズチ!」
間違えようが無い。あの尊大な物言いといい、演出の雷といい。
そう、確かにそこには白い犬歯を光らせたライコウが立っていた。
ヒュー、なかなか格好いいじゃない。
「僧侶に弓は要るまい?」
ミカズチがぐっと顎に力を入れると、くわえた弓がバキッと真っ二つに折れる。
思わぬ敵の登場に虚をつかれた空回の姿の何かは、後退しつつあった。
「新手か。仕方あるまい、お前達の始末はまた後でつけてやる」
じりじりと下がりつつ、その眼は憎々しげに私達を捉えて離さない。
「私の目的は果たした。六波羅蜜寺は最早存在しない産物になった。空回の体はもう要らないから、お前達にくれてやろう」
そこでひとしきり高笑いすると、空回の体はバッタリと前のめりに倒れた。
唐突に、その体から黒い蒸気が立ち上ぼり始める。
靄は次第に集まり、風も無いのにたなびく一枚の黒い衣となる。
次いで顔が現れた。いや、顔じゃない。面だ。それも真っ黒の。
眼窩の位置に二つの穴が空いていて、例の青白い光がその奥でこちらを睨んでいる。
その衣とも生き物ともつかない化け物は、屍衣の如き気色悪さを呈して揺らいだかと思うと、地面に吸い込まれて消えた。
「また会おう」
最後に青白い二対の目を光らせて。後には空回の
あまりの不気味さに、私とミカズチは言葉を失ったまま雨に暫く打たれていた。
「……あれは何だったのだ?」
やっとミカズチが口を開いた。
「……さぁ。何かが
私は肩をすくめて見せた。
「それより、ここから出してくれない?まだその辺にバンギラスが残ってんのよ。こんな状況で奴と鉢合わせしたくないのに」
私は神経質に周囲に目をやった。
「承知した。しばし待って……うおっ?!」
ミカズチが塀から降りて私の方に一歩踏み出した先、地面が渦を描いて罠となり、その黄色い脚を呑み込んだ。
「俺様の事お呼びか?」
やたら嬉々とした吠え声が上がり、目の前の地面からバンギラスが現れる。
私は奴との嬉しくもない三度目のご対面となった。
「ったく、誰も呼んでないわよ……」
がっくりとうなだれる私。
二人とも身動きが取れないってのに、どうやったら勝てんのよ。
勢いの衰えない雨の中にいるのは、まだぴんぴんしてるバンギラスと、下半身が瓦礫の下敷きのウインディ、そして砂地獄に囚われたライコウ。
因みに安倍清明二十歳未だ生死不明。余談だけど。
「いい、ミカズチ」
私は出来るだけ落ち着いた声で言った。
「雷で仕留めてちょうだい。雨だから大丈夫でしょ?」
ミカズチは首を振った。それも、横に。
「いや、その、さっきの登場ので確か十発目だった故……」
は?
「この間抜け!!ど阿呆!格好つけた登場の仕方なんてしなくて良かったのに!」
私の雷がまた落ちる。ミカズチと一緒にいるだけですっかり習得してしまった。
「あ~、もう!どうしてくれんのさ!!!」
私は頭をかきむしった。
あ~あ、この分だと逆鱗習得まで時間はかからないかも。
「……何だかお前ら楽しそうだな。漫才のつもりか?」
バンギラスがやけに上機嫌で近づいて来る。
「ちょ、ちょっと待って。私達もう戦う必要は無いのよ。だって私達はお寺が無くなっちゃったからあんたを止める必要は無いし、あんたは主人がいないんだからわざわざ私達を痛い目に合わせる必要は無いのよ?」
私が必死に説得しようとすると、バンギラスは暫し考え込んだ。よし、このまま済めばいいんだけど。
「不必要な暴力は避けるに越した事は無いし、ね?」
にっこり笑って付け加えた今の台詞、我ながら説得力が無い。いや、私だからかしら?
「でもよお」
「ん?」
「そのくせお前らさっきまで俺様に雷当てようとしてたよな」
「あ……」
見事に矛盾を点かれて絶句する私。
「戦う気満々じゃねぇかぁぁぁ!!!ふん、やっぱりお前らまとめてぶっ飛ばしてやる!食らえ、アイアンテー……」
ピカッ。
雨空に光が走って。
「ン?」
バンギラスと私、二人揃って真上を見上げる。
再度雲間で光が閃き、次いで遥か上空から大気を引き裂いて白い光の柱が落下した。
あたりが一瞬真昼の様に、いや、それ以上に明るく照らし出される。
光の洪水に、私は思わず目をつぶった。
そして凄まじい轟音。
全身にびんびん響く大音響が私の鼓膜を打つ。
いやはや、あれはとんでもない雷だったわねぇ。
雨雲から振り下ろされた大電弧は、狙いたがわず今度こそ、小山の様に立ちはだかるバンギラスを直撃していた。
迸る電流が奴の身体から大地にことごとく流れ、稲光の残像が消え去ってみれば。
お寺の境内のど真ん中、今にも巨大な尻尾を振り下ろさんとしていたバンギラスが、黒焦げのうつ伏せになって倒れている。
あ~れま、完全に気絶してる。
バンギラスの方を確かめると、私はミカズチの方を向きながら言う。
「いやー、別にここまでやらなくてもよかったのに。っていうか、まだ一発撃てたのね」
ん?
ミカズチもおかしい。
ただポカンと宙を見上げて、口を半開きにして雨に打たれている。
何故か放心状態らしい。
「お~い、聞いてんの?」
何回か名前を呼んで、ミカズチはようやくハッと気付く。
「な~にビビってんのよ?あんたのお手柄じゃない、もっとエラそうなフリでもしたらどうよ?」
「……」
相変わらず反応が薄い。
今度は視線を虚空に迷わせて、「あー」とか「うー」とか言い出す始末。
「はっきりしないわね、何か言いたいならきちんとした日本語話しなさいよ。別に雨だからどうせ必中でしょ、なんて言わないわよ?あんたにしたらよくやった方じゃないの?」
私がいらいらしながら促すと、ミカズチはぼそぼそと口ごもった。
「いや……あれは……その」
一旦そこで口をつぐむ。
「何か言いたいの?」
私が詰め寄ると、どこか言いずらそうな顔をしながら寅の識神はある事実を口にした。
「……あれは我が雷ではなくてだな……ただの雷……」
え゛?
私の顎がカクンと落ちる。
「ええぇぇぇ?!じゃあ、バンギラスに当たったのは……?」
私が黒焦げのバンギラスを顎で指すと、ミカズチはゆっくりと頷いた。
「うむ、この中で一番背が高かったからであろう」
……何か感動して損した。
ハァ。
特大のため息をついて、私は頭を振った。
やれやれ、最後までこの調子か。
ミカズチに手伝ってもらいながら瓦礫から脱け出すと、私は改めて六波羅蜜寺の残骸を眺める。
「さて、もうそろそろ清明でも発掘しようかしら?それともこのまま帰る?」
本格的な夏が近づく平穏京、陰陽寮の釣殿では一人と二匹が
「じゃ、私からね。あそこの岩の影に泳いでる白地に黒い模様の奴は?」
私が問題を出せば、すっかり調子を取り戻したミカズチが答える。
「簡単。白写りであろう?では今此方に泳いで来たのは何か?」
「あの白と茶色の奴?え~っと、あれは……確か……落ち葉
「うむ。まぁ、基本的な事は知ってるようだな」
「なめてもらっちゃあ困るわよ。じゃあ、あの白と橙と黒のブチのキラキラしたのは?」
「孔雀黄金。手ぬるい。彼方の白地に赤のは?」
「へ?馬鹿にしないでよ。紅白に決まってんでし……じゃなかった、銀鱗紅白!」
「引っ掛からなかったか」
「危なかったけどね。あの赤地に黒い斑点の奴は解る?」
「無論。緋写り。では……今向こうに泳いで行ったのは?」
「う……三色っぽいけど……なんか違うし……」
「もう降参か?」
「まだそんなこと言ってないわよ。あ、思い出した、
「
「……浅黄?でも赤っぽいし……え~と……」
拙い記憶の糸を手繰りながら、私は頭を捻った。思い出せ……ない。
「無理しなくてもいいのだが?」
ミカズチが頭を傾げて、私を横目で見ながら言う。
「うっさいわね、気が散るじゃないの。う~ん、地の色が赤っぽいし……何て言ったかしら……え~と……」
暫く唸った後、やっとこさ私はある名前に思い当たった。
「思い出した!赤松葉でしょ!」
私はミカズチに向かって勝ち誇った様に言うと、ライコウは首を横に振った。
「残念、ハズレ。あれは光り物だから……」
「銀鱗赤松葉?」
私が後を引き取って言う。
「いや、それも違う。あれには赤松葉黄金という名前があってだな……」
「あ~、わかんないわよ、もう!」
私は夕空を仰いだ。
あ~あ、コイツの日本好きには敵わない。日本文化に関する造詣が深過ぎる。
てっきり単なる日本新道の熱心な信望者かと思いきや、茶道、和歌、行事、挙句の果てには錦鯉の品種まで、その無駄に広範で深遠な知識を今日一日でずずいと披露して下さった。
おえ。もう勘弁。もうお腹一杯。
コイツ、本でも書けばいいのに。
ま、端午の節句が元は女の子の行事だなんて*11知りたい人はいないと思うけどね。
我らがライコウ君は縁側に伏せると、二対の犬歯を見せて大きな欠伸をした。
「まだまだ修行が足りんな。識神たるもの、日本文化を理解せずして勤まるものか」
そう言って巨大な黄色い身体を猫の様に丸める。
三犬だってのに、おかしな喩えだけどね。
「我は疲れた。昨日の夜は働き通しだった故。そろそろ一眠りさせてもらおう。貴様は暫し日本について思いを巡らすがよい」
ミカズチの薄い色の瞳がゆっくりと閉じ、次いで白煙を上げてその身体は木簡へと吸い込まれて行った。
どろん!
ふー。
重い吐息をついた私も、憂鬱を体現するが如く組んだ前足に顎を乗せる。
「どうした、スサ。せっかくミカズチが戻ったんだ、もっと嬉しそうな顔しろよ」
小袖*12姿ですっかりくつろいだ風の清明が眉を上げた。
今朝発掘されたばかりにしてはこっちがムカつくほどぴんしゃんしている。
「何でコイツがいつもの調子になったのを私が喜ばなくちゃいけないのさ。多少高慢なのは直ったけど、この性格にはもううんざり。まったく、耳が痛いったらありゃしない」
コキコキと凝った首を回しながら私は唸った。
「で、結局今回の顛末はどうなったの?」
あの後私達は事後処理を
「どうもこうも無いさ。経典も無くなったし、そもそも六波羅蜜寺自体が瓦礫の山になっちまったから、何もしようがないだろ?」
「すっきりしないわねぇ。お寺はすっきり無くなったけど。あ、あと例の黒い覆面ヤローは?」
「さっぱり情報なし」
清明は首を左右に振った。
「っていうか、ホントにそんな奴いたのか?」
「いたに決まってるじゃないの。あんたも空回の中に何かが巣食ってんのは見たでしょ?」
「いや、そりゃ分かったけど、あの後俺は瓦礫に埋まってたからなぁ。いやいやいや、お前が嘘つきだとは言ってないぞ」
清明は牙を剥いた私の方を見て慌てて言った。
「これから分かるかもしれないけど、望みはあまり無いな。でも、あの識神を封じる技術がどこかに流出してるって事なら、一大事だけど」
やおら、清明は立ち上がると大きく伸びをして、日輪を物憂げに睨みながらその青白く細い腕を組んだ。
「ここ数年、陰陽師は減って来てる。だから封印の術式は知ってる人自体あまりいないはずなんだけどな。今現存する札はたったの十二枚。各方位には識神が一匹ずつ。極秘の呪文だから、新しく作りたきゃその十二枚のどれかを手本に写し取るしか無いから、陰陽寮からは流出したとは考え難いし。だとしたら唐から知識を得るしかないな。あっちだって守りは堅いと思うんだけど」
首筋を掻きながら、清明が大欠伸。それに釣られて私もズラリと並んだ鋭い犬歯を見せて欠伸した。まったく、二人とも昼日中だってのに。
多分、陰陽師や識神の大半が慢性的な睡眠不足に悩まされているのは間違いない。
基本的に夜間勤務が多すぎだからね。私達には睡眠が必要なのよ、睡眠が。
「ま、黒幕探しはまた後でね。私も疲れちゃった」
「ああ、気長に待つさ」
その後は二人で黙ったまま、南中を通り過ぎて傾いていく太陽を見送った。
庭の箒草が風にサワサワとそよぐ。
そんな午後の到来を眺めている私の心の中に、フッと思い浮かぶものがあった。
聞きたいような、聞きたくないような疑問が。
「ねえねえ、ちょっといい?」
私が袖をくわえて引っ張ると、清明は腰を降ろした。
「ん?何かいい駄洒落でも思いついたのか?」
「んな訳無いでしょ、この馬鹿……えーとね……いや、やっぱり何でもない。気にしないでちょうだい」
私は急に方向転換した。やっぱり聞くのは止めた。
「は?」
疑問符を沢山浮かべた清明を他所に、私はまた縁側に伏せた。
清明は暫く首を傾げて不思議そうな顔をしていたが、やがて視線を前に戻す。
この時ばかりは清明の無頓着に感謝した。
私はふーっとため息を一つ。
実を言うと私が聞きたかったのは、もし清明が陰陽師を引退したら、私を連れて行くのか、それともミカズチみたいに私もここに残されるのかって事。
今回ミカズチと一緒に仕事をして、私の心に引っかかっていた疑問。
実はこれ、とてつもなく意味深な質問でもある。
つまりこの質問の本質は、識神は陰陽師にとって一時的な道具なのか、生涯の相棒なのかっていう、陰陽道が生まれてから百年来続く永久の命題って訳さ。
定義で言えば、陰陽師にとって識神は単なる道具。
識神は封印の呪鎖で木簡につながれている限り、主人の手となり足となり、あくせく働かなくちゃいけない。
もちろん、その間にもある種の絆っていうもんは働くんだけど、それがどんだけのものかは分からない。
ミカズチみたいに陰陽寮に残されるのか、はたまた終生の相棒としてどこまでも一緒にいるのか。
それを聞いてみたかったのさ。
だけど、私は聞けなかった。
一つは、私自身どっちがいいのか自分でも分からなかったから。
確かに清明とは仕事上一定の付き合いもあれば、寝食も共にする仲ではあるわよ、それはね。
ただ、あんな癪に障る奴放り出して自分の思うまま生活してみたいという気持ちも少なからずある。
機会があれば唐に里帰りもしてみたいし。
清明が嫌いって訳じゃないけど、すき好んで一緒にいたいって訳でも無い。
私の心の天秤はどっち付かずのまま、左右に揺れている。
もう一つは、それを清明の口から聞くのが何だか怖かったから。
安易な質問をして、揺れている天秤に決定的な質量を加えたくなかったって事。
この二人の微妙な距離感、付かず離れずの均衡を悪戯にいじりたく無かったから。
だから私は聞けなかった。
そう、今が大事。
お互いいがみ合い、喧嘩しながらも何とか仕事をこなして行く。
それだけで二人とも手一杯だし、それでまあまあ上手くいってるんだ、わざわざ確認なんて下手な事はしないに限る。
それに、まだまだ時間はある。
それも、嫌というほど。おえっ。
出来れば早いとこ片付けたい問題だわ、ホント。
いよいよ嵐山の方に傾いていく午後の太陽に照らされて、私の視界の端で何かがキラッと光った。
ん?
顔を少し上げて焦点を合わせてみれば、それは池に並んだ蓮の葉の上の水滴だった。
撥水性の強い水上葉の舞台に転がる水の宝石が、日の光を反射して白く煌めいている。
あたかも玉髄か宝玉、金剛石でもあるかの様に。
蓮葉の
にごりに染まぬ
心もて
何かは露を
玉とあざむく
突然吹き抜けた一陣の風に乗って、姫百合の朱色の花びらが青空へと消えていった。
お わ り
~カーテンコール~
スサノオ
「予定より分量が多くなっちゃったけど、これで十干十二支~信仰対立編~はおしまい。最後まで作品を読んでくれた方々、ありがとうございました!今回はどうだったかしら?最澄と空海の対立という史実を元に、コメディだかホラーだか分からない話を展開してみました。え、すっきりしない?ま、謎も含めての長編なんだから、気長につきあってちょーだい。コメントがあれば下にお願いね。歴史ものってどう思われてるか分からないし。じゃ、次回をお楽しみに~」
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