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本作品は、官能的表現を含みます。ポケモン×人間、アナルセックスの他、軽度の暴力表現も含むのでご注意ください。







地獄への道は善意で舗装されている、という言葉がある。
ならば、極楽への道は悪意で舗装されていることになるのだろうか。

もしもそうであれば、――


◆ ◆ ◆


深い闇の底に沈んでいた意識を引き上げたのは、喉の渇きと空腹による飢餓感、そして自分に落とされた暗い影だった。
無意識に動かした片足に合わせ、冷たい床が唸るような音を立てる。俺の横たわるそこはもう随分長いこと、まともに陽の光を浴びていない。湿気のひどいこの部屋のせいでところどころが腐ってしまったらしく、その場所を踏むと柔らかく沈むような心地がするのだ。板張りの隙間には、残らず、びっしりと埃が溜まっている。
相変わらず薄ら暗い部屋だ。覚醒しきっていない頭と、夜眼に慣れていない視力では何も捉えることが出来ない。六畳一間のこの空間に、一体どれほどのものがあるのだろうか。部屋と同じく暗闇である、俺の思考では判別つかなかった。

「おはよう」

それでも、これだけはわかるというものがある。
俺を見下ろす、一つきりの赤い瞳。闇の中でただただ光っているそれは、俺が認識し得る唯一の輝きなのかもしれない。
紅の単眼は何も言わず、床に転がった俺を見つめたままだ。この、暗澹たる光を中心に目を凝らせば見えてくるのは、惨めたらしい枯れ枝と深い緑の葉、それらを繋ぎ合わせる黒い影から成る老木の姿である。この老木は、巷では森に出る化け物として有名らしい。しかし今、その化け物がいるのは汚れきった狭い一室であり、どうしようもない違和感に俺は思わず笑ってしまう。
一人、噴き出して唾を飛ばした俺を、老木は何を言うわけでもなくただ見下ろすだけだ。奇妙な形に折れ曲がり、その身を床に支えている根元。腹、首、腕の関節にあたるのであろう部所は虚無であり、その代わりに形を成しているのは実体を伴わない影の集合。胴や腕となるのは空洞たる木片だが、汚らしい枯れ色をしたそれらは少しでも力を加えれば、また小さな火でも近づけてやれば、それかあるいは、少量の水に浸し続けて時が経つのを待っていれば、呆気なく崩れ落ちてしまうのではないかと思われる。そのくせ、頭部と両腕の先に群生する葉は青々と生命力に満ち、両の手となる枯れ枝のおぞましい造形さえも何らかの力が通っているのだと確信させるのだ。

「どれくらい寝てたのかな」

頭部の(うろ)の奥で揺れる、赤の光にそう尋ねる。答えは返ってこないが元より期待などしていない。老木は喋らないのだ。まともなコミュニケーションを図るつもりは無い。

「お腹が減ったね」

それでも話しかけるのは、ひとえに人間としての習性なのかもしれない。この空間には俺以外に人がいないから、唯一の存在であるこの老木へ言葉を投げかけてしまうのは、ごくごく自然な行動だと思う。
が、人間でない老木はその法則にのっとってくれることが無い。それでも構わない。どうせ独り言のようなものだし、それに――もしも会話が成り立ったところで、俺は喜ばないだろうからだ。

それはともかく、腹が空いた。死体のように眠りこけてから、どれほどの時間が経っていたのか確認してはいないけれど、俺の胃は確かに悲鳴をあげていた。
何か食べる物はあっただろうかと、小さな台所スペースの方へ意識を向ける。あそこは嫌いだ。腐臭と悪臭が酷い。積み上げた食器にこびりついた油分と、ビニール袋に詰めっぱなしにした残飯と、冷蔵庫に入れるのを怠って腐らせた野菜や果実、肉類が妙な臭気を発しているのだ。近づくと鼻の奥と目が痛くなる。数ヶ月前までは、その臭気に引き寄せられたらしい、ベトベターやドガースの類が窓の隙間などから入り込んでいたものだが、もはやそれすらもいなくなった。あまりの惨状に、彼ら毒物も耐えられなかったらしい。
しかしそれでも、食物はあのスペースに置いているはずだ。気は乗らないが、空腹を満たすためには行くしかないだろう。重い気持ちになりつつも身体を起こす。指の先まで重石がつけられているかの如き感覚に襲われて、まるで鉛のようだった。関節と、肉と、神経の全てが不平不満の嵐を引き起こす。それらを無視して、怠い四肢でどうにか立ち上がる。

「おっ、と――」

しかしその直後、俺は再び床を舐める体勢へと戻っていた。
打ち付けられた身体が軋む。右の肩の骨が特にひどく、鈍い痛みを訴えた。

「どうしたの」

片頬を床に貼り付けたまま、俺は視線だけを上へと動かしそちらを見る。右足首に微弱な苦しさを感じる、くるぶしの上あたりを締め付けるように、根の先端の乾いた部分が巻き付いていた。

「なぁに」

本当は尋ねる必要など無いのかもしれないが、俺はいつだってこの質問をする。俺の足を引っ張って転ばせた、俺を引き留めようとした老木へ、何度でもこの問いを投げかけている。この行為の意味するところなどわかりきってはいるけれど、それでも俺は「どうしたのってば」馬鹿みたいな猫撫で声でこう問うてみるのだ。
老木は答えない。その代わりに、倒れこんだ僕の頰へと腕の先が伸ばされる。葉の青臭さが鼻腔を突いた。柔く撫ぜるような動きで揺らされる枝がくすぐったい。

「あはは」

軽く笑って、横たえた半身を起こしながら目を閉じる。それを待っていたかのように、葉をつけた枝の先端、手にあたるのであろうその尖ったところが瞼をつっついた。先程と同じくすぐったさと、微かな痛み。ちくり、ちくり、と、力の入れ具合を間違えれば眼球さえもすぐに貫通してしまうだろうそれが怖くないと言えば嘘になるけれど、いじらしさが勝っていた。
断続的に皮膚を刺していく先端は少しずつ移動する。鼻のてっぺん、頬骨、こめかみ、前髪を掻き分けた先にある額の、生え際。枯れた部分が僅かに腐っているらしく、その臭いが俺の顔の周囲に漂った。「ん、っ」少しだけ強い力を込めた枝の先が唇を刺して、図らずも声が漏れてしまう。

「やめろよ」

わざと困った顔を作って言い、動きを止めるよう手を伸ばす。しかしそれもまた無駄に過ぎないのだ、顔中を弄くる腕を掴んでやろうとしたそれは、老木の足元から伸びる根によって制されていた。ぎり、と強く手首を締め付ける根、煤けた茶色をした蔓にも似ているそこは、老木の第三、第四の手ともなって俺を拘束する。
見れば、もう片方の左手首さえも同じように捕らえられていた。痛みはある、だけどそれほど気にならない、しかし常に意識を向けざるを得ない程度の強さで巻きつくそれは、俺を床に縫い付けてやまない。抵抗出来なくなった俺を嘲笑うかのように、先端がまた刺激を再開する。ちくり、尖ったそこが口許の柔らかい肉を突くたびに「う」俺の喉は無様に呻いた。
顔のあちこちに与える刺激はそのままに、俺の両手首と両足を捕らえていた根が短くなる。無論解放されたわけではない。巻きつく力は弱めず、老木が俺を引き寄せたのだ。洞の中の、紅い瞳と視線が交差する。老木の顔に頰を擦り付けるかのような至近距離で、俺は「あ、は」短い息を漏らすしかない。
距離が詰められたまま、着衣の隙間に何かが入り込んでくる。黒く、濃厚な闇のようなそれは、老木の身体を繋いでいるものと同じ、影だ。実体のないはずのそれはしかし確かな質量を持っていて、シャツの袖口、裾、襟首、スラックスの裾から遠慮無しに入り込んでくる。喉から首にかけてもじわじわと這い上がってくるそれは、冷たくてざらりと気色が悪く、言いようのない不快感を俺へと与えた。何度やっても慣れない違和感に全身の皮膚が粟立ち、俺は思わず身をよじる。

「……っ、あ」

しかし老木の根による拘束は、そんなことを許してくれない。四肢を這いずり回る影はまるで撫でるみたいな動きをしていて、その嘘のような優しさに息が止まる。反射的に声を抑えかけた俺の口許にあった枝が口内へと入り込み、「っ、んぁ、――――」舌をつついて、声を出すよう促した。聞き分けの悪い子供を諭すような甘い刺激。そのくせ味覚に訴える、枯れ枝と葉の苦味が気持ち悪くて仕方なかった。

「……ぅ、あっ、……これ、やめっ……ろって、」

旋毛。首筋。肩。背中。脇の下から影が回り込み、胸と腹部を撫で回す。骨格に沿って絡みついてくる影の動きに鼓動が早まり、身体が熱くなっていく。
口内に入り込んだ枝は、それとは全く別の物のようにゆっくりと内部を荒らしている。俺の声を少しでも引き出してやろうというように、枯れ枝が口を無理矢理開かせるのだ。粘膜に木皮が張り付く不快さにえずきそうになるけれど、老木はそれすらも許してくれない。

「あぁ、っ、……ね、それっ、ぅあ、」

少し待ってほしいという意味を込め、紅い瞳に訴えてみるが、口から出たのは弱々しい呻きだけだった。下半身を這う影の動きがどんどん速くなっていく。小さなものがスラックスの布地の下で何か沢山蠢いているような、そんな心地がした。ある種抱きしめる風な上半身の影とは違い、こちらの影の動きは荒く、そして激しい。一時の休みすら与えてくれない老木は、俺の両手首を縛る根をより一層強くした。
宙吊りになり、老木に身体を預けざるを得なくなった俺は惨めに声を漏らす。足首から這い上がり、内腿にまでその先を伸ばした影はそれでいて、すでに熱を持っているその場所へは向かってくれない。そこを俺が一番刺激してほしいとわかっていて、わざとそうするのだ。全身をくまなく這い回っているくせに、そこだけは絶対に触ってくれない。
あと少し、先端に影が触れるか触れないかのところで引き戻される。すんでのところで手が届かない、その意地の悪さがもどかしい。

「っふ、ぁ……っ、っ…!」

でも、そのもどかしさすら快感に繋がっていく。
腕に沿って影が動く。足の付け根にまとわりついた影は腰骨をなぞって腹部へ到達する。臍の窪みにそれが入ったところで、両足がびくりと震えたのがわかった。この身に教え込まれた、快楽を感じ取るための手法は末端神経までも行き渡っている。手のひらを掠めた幹の凹凸さえ、弱い痛みを伴う悦びだ。
そしてその間も、口内を弄る枝の動きは止まらない。もっと声を出せというように、上顎を先端が突いていった。無意識に腰を幹のでっぱりに擦り付ける。布越しに感じる木目の突起が、確かな痛みを片端から気持ちよさへと変えてしまった。

「っは、――――っひ、ぁ、あ!」

口内の枝が舌の根元をなぞるのと、擦り付けたそこに影が微かに触れたのが同時に起きたせいで、俺は身体を震わせながら熱を吐き出す。びく、びく、と痙攣する手足から力が抜けて、寄りかかっていた頰が木皮に擦れて傷を作った。下着の中の、べとべとした感覚が気持ち悪い。荒い息を繰り返しながら、俺はこのまま眠りに落ちてしまいたい衝動に駆られた。
しかし、未だ俺の手首の高速を緩めずにいる老木は、俺がそうすることを認めないのである。俺が脱力したことを見逃さず、その隙をついて手首手足を縛っていた根の巻きつきが一気に解けた。自分を支えていたものが突然に無くなり、俺はドサリと音を立てて床に落ちる。久しぶりに感じられる冷たい床の感触に、俺は這いつくばって息を整えた。

「っ、は――なに、ま、っだ……やん、の」

だけど、それは終わりを意味したわけではない。下半身に残っていた影が、スラックスを下着ごとずり下ろして持っていってしまった。
四つん這い状態の俺の、熱を逃がしたばかりで力が入らない足を、今度は両足首に巻きついた根が持ち上げる。抵抗する気力も無いが、ぐり、と仰向けにされながら足を開かされるのには流石に黙って受け入れるだけではいられない。突き刺すような紅の視線に、「ちょっとさぁ」と、照れ笑いを浮かべながら言及する。

「そう、あまりこういう……っ!」

が、老木は俺の言葉など聞き入れず、次なる行動に移っていた。赤い目が妖しい光を放ち、みっともない姿の俺を無言で見つめる。静かな、しかし言いようの無い重圧を醸し出すそれに羞恥を覚えた俺は、足の間に覚えた違和感に声を上げた。

「か、はっ……」

直腸から繋がる排泄口が、目に見え無い力で押し広げられていくのがわかった。臀部の方から少しずつ、しかし着実に込められていく力は、俺の意思とは反してその場所をじりじりと切り開く。内部からの痛みに視界が弾けた。咄嗟に足を閉じようとしても拘束がそれを許さず、むしろ俺が抵抗しようとするたびに開かれていくようだった。

「な、……あぁっ、そ、れ! それ、っ、やめっ……!」

ずん、と押し広げられた体内に質量を感じる。この仕打ちを、俺は何度繰り返されても好きになれない。
俺の内部へ植えつけられたのは小さな種子だ。生命力は一時的なものですぐに萎れてしまうが、成長の早さは目を見張るものがある。早くも体内で発芽したようで、内壁を掠める細い糸状のそれに背中がぞくりと冷たくなった。

「ひ、ぁ……あ、あ……」

そして、それと同時に、一度は引いたかと思った影がまた伸びてくる。さっきはあれほど望んでも触れてくれなかったのに、今度は迷うことなくその場所へと向かってきた黒の塊は、まだ萎えていたそれを包み込み、そして間髪置かずに動き出す。

「っは、――っひ、ぁ、あ!」

ぐちゃ、ぐちゃ、と、濡れた音が部屋に響く。頭を押さえつける片腕の葉が耳朶を撫でるのが、甘い痺れとなって中枢神経を殊更に刺激した。
影は再び身体の至る所に伸びていき、快感全てを引き出すような動きを繰り返している。体内で育っていく芽は蔓となり、奥へ奥へと深い侵入を進めていく。口内をいたぶる枝の先が、歯を一つ一つ突いていく。感覚にならない感覚、最後に歯茎をなぞったそれが通ったところがつう、と裂けて口の中に血の味が広がった。
痙攣と共に、また熱が限界に達する。先端から噴き出るそれを残さず搾り取るような影の動きに声も出ない。止まることなく動き続ける影は、身体の底にある熱をさらに引き出してやろうと無理に体温を高めていく。
赤の眼球が、俺を見下している。嬲るようなその視線が突き刺さる。

「っ、は、ぁ!ぁ、やっ…っひ、ぁああ!」

暴力的とも言える、あまりに大きすぎる快楽に頭がショートしそうだ。皮膚は余すことなく影が這い回り、体内には植えつけられた種から伸びる蔓が侵食している。口の端から涎が垂れていくが、もう抑えることなど出来やしない。舌を引き出すよう付け根を刺激する枯れ枝の苦さなんて、もう気にしていられなかった。
がつん、がつん、と老木が俺に身体を打ちつける。いや、逆なのだろうか。さらなる刺激を求めた俺が、情けなくも老木へと擦り寄ろうとしているのかもしれない。押し寄せる快楽に侵された思考回路では、その判別をつけられない。全身に響くその鈍い痛みは、痺れさえも引き起こし、俺の身体を跳ね上がらせる。

「あ、あぁ、……っ! は、もっ……」

体内を蹂躙する蔓が、さらに奥へとその先を伸ばしていく。我慢出来ず、何度目かになる熱を垂れ流しているそこに根の一層太いのが押し当てられた。そのまま、膨張しきったそこが強く力を込められる。
恐ろしいまでの圧迫感。視界が白くなり、心拍が一瞬、止まった。

「も、っ…………殺しっ、……くれ!」

苦しさに満ちた息の中で、俺の口からその言葉が漏れる。

「殺し、て、殺してくれ、殺して、……死にっ! た、っ……!」

俺がそう口にした途端、まるで待ち構えていたみたいに、老木は赤い瞳をぎらりと光らせた。鋭く、高圧的なそれに背筋が震えるほどの興奮を覚える。
与える快楽はそのままに、片腕が俺の首へと伸ばされた。口内を荒らす先端と同じ形をしたその手が、足を開いて床に喘ぐ俺をさらに地べたへ押しつける。

「んっ――――――!」

二股に分かれた枝と枝が喉笛を押し潰す感覚に、声にならない声が溢れ出した。
そうだ、それでいい。そのまま、俺を終わらせてくれればいい。
枯れゆく日など待たないで、どうしようもなく臆病で卑怯で情けない俺を、今、この瞬間に殺して欲しいんだ。

「あ、あぁ――――殺して、殺し、て――死にたい、ねぇ、――っ、あ、もう、――――――殺し、て、ね、――あ、っあ――――――――――」

身体中を這い回っていた影が、一斉に収縮して引き上げられていく。体内のより深くまで入り込もうとしていた蔓が、細い何本もの線を同時にまとめて戻っていく。口内の枯れ枝は、唾と涎を撒き散らしながら外へ引き出された。全てが無理矢理吐き出されていくようなその感覚が、これ以上無いほど激しくて、俺はがくがくと震えることしか出来ない。
閉められた首の苦痛さえ快楽と混ざり合い、どちらがどちらなのかわからなくなってくる。ただ、朦朧とした中にある両者に何もかもを委ね、ひたすら溺れていきたい。それだけが確かだった。

「あぁ、ころして、ころっ――し、しね、る――――ね、え、あっ! ――――これ、で」

譫言のように繰り返す。ぎりぎりと締められる首は気道が圧迫されているようで、いよいよ息が出来なくなってくる。喉の奥からげえ、と音が漏れる。頭が痛い。耳の底で高音が鳴る。苦しい。気持ちいい。痛い。気持ちいい。
白と黒との転換を絶えずしている視界に、反転した部屋の景色が見えた。
ゴミとガラクタの散乱するそれと共に映った、たった一つの赤い瞳、そこに宿った光を見たその途端、

「あ、っや――――――――――死にたく、な、……い!」

急激に恐怖を覚えた俺の口は、勝手に叫んでいた。

「や、っ、やだ、ころさ……っ、ころさない、でっ……! しにた、やだ、……おねがっ……」

狂ったような譫言が、瞬く間に泣き言へと変わる。その変化を見て取った老木は、刹那の逡巡を見せたものの、首に込めていた力を緩めていった。
拘束を解かれた手足の先と、もう僅かしか残っていない熱を垂らすそこが弱々しく震える。それがまるで他人事のように感じられ、俺は、意識と肉体が分断されたかのような心地に陥った。

「は、……っ、はぁっ、……」

明滅を繰り返す視界。限界まで速度を上げた心拍。肺と胃が収縮と膨張を繰り返し、指先の一つ一つに至るまで微弱な震えに襲われる。陸に打ち上げられた魚のように、阿呆面をして空気を取り込む口は乾ききっていた。


――まだ、生きている。


そのことを実感した俺を、安堵と絶望が押し潰す。幾度と無く繰り返された茶番。その結末はいつも同じで、俺はいつだってこの有様だ。
死にたいけれど、死ぬのは怖い。殺されたくないけれど、殺されなくてはならない。相反する思いは激しく衝突を繰り返して、しかし、結局のところは恐怖に負けて同じ過ちをまた通る。

「ごめん」

汗から始まり、何種もの体液にまみれた、汚物同然の俺を見下す赤い瞳にそう告げる。蔑むように、憐れむように、呪うように恨むように――だけど何より、愛しむようなその瞳。
一つきりの大きな目、そこに宿る赤の色が、いつか俺をこうして見下ろしていた濁った瞳の充血に重なった。

「ごめん。ごめん、ごめんね。本当にごめん」

反復する謝罪の言葉は、果たして通じているのだろうか。可哀想なものを見るかのようなその視線を一身に浴びて、僕は何度も、何度も、その言葉を口にする。はたから見れば、きっと途轍もなく愚かしい姿に違いあるまい。狂ったカセットテープみたいに、同じ言葉だけを繰り返した。
けれど、老木は――彼女は、そんな俺に腕を伸ばす。いつの日かにそうされた、青白く細く柔らかいそれとは違う、枯れ木と影から成る化け物じみた両腕は、それでも俺にどうしようもないほどの安心感を与えるのだった。抱き寄せられるままに身体を預ける。木皮の凹凸が、素肌に食い込んでいたかった。尖った出っ張りが皮膚を裂き、生温かい血が流れる感覚と共に痛みを覚える。それがまた、生きているという事実を知らしめてきて、俺は彼女にしがみついたまま嗚咽した。


ああ、俺のせいなのだ。
これはどうしようもなく、俺のせいだ。彼女を化け物にしたのは、俺なのだ。

善意などではなく。
かと言って、悪意などという立派な意思を伴うものでもなく。
ただ、死ぬことへの恐怖、失いたくない我儘、都合の良い理想だけがそこにあった。

だから、善意も悪意も伴わない、そんな道に突き落とされた彼女は。


「ごめん………………」

あの日、彼女の首をこの手で締めた後――俺は急激に怖くなり、自分のしでかしたことを受け入れられず、そうして、車で運んだ彼女を遠く離れた森へと捨てた。互いに失うのが怖いから、一緒に死のうと約束したのに、彼女を殺した後で俺は恐怖に駆られたのだ。急に死ぬのが恐ろしくなって、自分がしたことは取り返しのつかないことなのだと遅まきながら気がついた。
だから、逃げたのだ。恐怖から。彼女から。死、から。
それと入れ替わるようにして俺の部屋に現れたこの化け物は、俺を恨んでいることだろう。俺を憎み、俺を呪い、俺を殺したいと望んでいることだろう。事実、俺の首に回るこの枯れ枝の両手からは明確な殺意が伝わり、赤の瞳は怒りに満ちている。俺の命を絶ち切ってやろうという強い意志が、枯れた身体から放たれているのだ。

それなのに、どうしてだろうか。
老木は俺を殺せない。俺が死ねなかったように、この老木は俺のことを殺せやしない。
死にたくない、死ぬのが怖い。俺がそう泣き叫ぶたびに、彼女は哀愁を紅に浮かべ、腕に込めた力を弱めてしまう。いつも同じことだ。結局、老木が俺に与えるのは絶命の辛苦などではなく、底無しの快楽に他ならない。
その快楽から俺は逃れることが出来ず、この部屋は格子の無い牢屋となる。いつか行き詰まるような暮らしの中、ただ、何よりも深い闇へと溺れていくのだ。

「ごめんねぇ…………」

決して離れないよう強く抱きしめた身体は、植物特有の臭みと湿気た匂いに満ちていた。
背中に回された腕の先の、葉の感触がくすぐったい。腐りかけ、柔らかくなった幹へと身を委ねると、窓の隙間から漏れ出る光が目に入った。
落日――そんな言葉が頭をよぎったが、実のところは、この光が朝のものなのか夕刻のそれなのかわからない。それすらも感じられなくなったこの俺は、あと、どれほどの時間が経てば死ねるのだろう。
地獄でも、極楽でも。
それ以外でも構わない。
いつになったら、俺は、こいつのことを解放してやれるのだろうか。

「なあ、」

『恥の多い生涯を送ってきました』――
そんな一節から始まる小説がある。実際に読んだことは無い。だからこの『生涯』が、どれくらい罪深いものなのか俺は知らない。
果たして、俺とどちらが、愚かだろう。

「愛してるよ」

その言葉と共に囁くのは、在りし日、こうしてこの部屋で抱き締めた彼女の名前。背後にある台所で、蛇口から水が一滴、落ちる。あの音は、彼女を殺した日から変わっていない。
老木の腕の力が強くなる。俺も出せ得る限りの力でそれに答える。もう、どう足掻いても埋まらない距離を無理に詰めるようにして、人とポケモン、生者と死者、殺した者と殺された者、そんな壁に隔たれた俺達は互いの身体を引き寄せ合う。それでも、歪みきった愛に駆られる愚者であるのには変わらない――そんな理由を、声高に叫ぶかのように。

いつか、その本をもしも読むことがあったならば、どうか俺より罪深くあってほしい。意味の無い願いを脳裏に散らす。このようなこと、考えたところで何にもならない。それに、どうせ叶うはずも、ない。
強く抱く。愛を乞う。皮膚を裂いた木目の突起が引き起こす痛みに、悲しいほどの悦びに襲われる。この、何よりも幸福な牢獄で、彼女の隣で朽ち果て、枯れて、腐敗しきったものに変わっていけるのならば、それでいい。
それ以上は、望まない。




生まれてきてごめんなさい。
あなたと生きて、ごめんなさい。

そんなことを思いながら、俺は凋落の日を待ち続け――


――――今日も、生きている。


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Last-modified: 2015-09-10 (木) 22:16:48
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