ポケモン小説wiki
僕の初めて(後) (1/2)

ヤシの実

同じ日に二作投稿しました。
これも未完成の為に1/2と付けさせていただきました。(12/10/15)

初めての外 


 真っ暗な空間が広がる。一筋の光も見えない漆黒の闇、耳に入る音は何もなく周りに存在する物は何も無い。無の世界。
 しんとした闇の空間は、何者の存在を許さないの漆黒の闇に僕は居た。辺りを見回しても、一寸先も闇。ここが何処なのか、そして何故ここにいるのか。
 一人ポツンと、地面の感触も無いそこに立っている僕は誰か居ないのか、声をあげた。だが、返事は返ってこない。帰ってくるのはこだまする自分の声だけだった。
 ここは何処だろう、何時から居たのか、今の自分には何一つ分からない。僕はただひたすら、闇の中で佇んでいた。
 どれほどの時間が経過したか分からない。短かったような、長かったような、今の自分には時間の経過する感覚がおかしくなっていた。
 やがて僕は、その闇の中を真っ直ぐと歩き出した。不思議と不安や恐怖はなかった。だが、寂しい感情はあった。闇の中で、僕だけ一人…
 誰か居ないのか?疑問に思って、歩きながら誰かを呼ぶように再び声をあげた。だが、こだまするだけで、やはり返事は返ってこなかった。 
 闇の中を進み、更に進み、もっと進み、ひたすら進んだ。どのくらい歩いたか、そんなの知りようが無かった。まるで、出口の無い迷路をひたすら進んでいるかのように…
 いつしか僕の心は、寂しさに満ち、孤独、空虚感が。冷えた体が温もりを欲するようなそんな感覚が、溢れるように僕の心を蝕んだ。
 温度は特に感じなかった。だが、時間と共に僕の心は寒さに凍てつき、それを止めたくて、必死になって誰かを呼び続けた。
 やがて僕は駆け出した。胸を締め付けるような孤独感に耐え切れなくなり、がむしゃらに走り出した。誰でも良い…出てきてくれ…お願いだ…!
 駆け出した先は、やはり闇が続く。いくら進んでも、闇は続く。そればかりか、この締め付けられる孤独感は膨らんでいくばかり。
 ふと誰かの事を頭で思い出そうとしたが、何も思い浮かばなかった。。いつも一緒にいた仲間がいるはずだったのに。
 生き物の温もりが欲しい。その筈なのに、今の僕の頭には誰一人思い浮かぶ名前や顔がなかった。
 漆黒の闇はいつまでも続き、終わりはなかく、僕の心中苦しめた。膨らんでいく孤独感はいまでも爆発しそうだった。
 しかし、そんな続く漆黒の闇の先に何か変化があった。視線の先に小さな赤黒い火の玉が小さく照らされている。僕はそれが何なのか、じっと眺めていた。
 するとその火の玉は、向こうの方から近づいてくる。それは近づく度に僕にある事を教ええくれた。それは、小さな火の玉では無い……正確には火の玉ではあるが、小さくは無い。むしろ大きい。
 遠くから見ていたから小さく見えていた。火の玉は近づくにつれ、その大きさを増していた。そして、僕の目の前にまで来た頃には、自分の数倍の大きさにまであった。巨大な炎とも言える。
 いや、洞察している所じゃない! この炎は何か奇妙だ。
 まるで僕を襲うかのように近づく、巨大な赤黒く燃える炎から発する高温の熱は刺すように痛く、熱く感じた。
 僕は思わず逃げ出そうと体の向きを変えた、その時。巨大な赤黒い炎は、目の前で二つに割れるように飛び出した。
 逃げ出そうとする僕を逃さないかのように、僕の周りを威嚇するように周りを囲んだ。二つに分かれた炎は、一つは鳥の様な形で空を飛び回り、もう一つは狂犬の如く走り回る。
 熱い……二つの炎から発する熱が僕の体を焼く。逃げたくても逃げられない。
 踊り狂うふたつの炎は、僕を囲みながら徐々に近づいてくる。それにともない、刺すような暑さも増してきた。
 たまらず僕は、その交差するように動く二つの炎の間を抜けるように飛び出した。
 夢中に駆け出した。後ろを振り返る余裕が無い。背後から感じる僅かに感じる熱が、僕に炎が迫ってきている事を教えてくれたからだ。
 全身に流れる汗、息切れしそうな吐息、恐怖のあまりに無我夢中で逃げる。逃げても逃げても、火の玉は追いかけるのをやめない。触れる物を瞬時に焼き尽くさんばかりの炎が、今まさに自分の背後に迫ってきている。
 漆黒の闇を映す視界が歪む、執拗に追いかける炎に恐怖の余り、自分が涙を溢している事に気づかずに走っている。
 懸命に逃げるも、背後から伝わる熱は徐々に増していく、自分の毛がチリチリと焦げていくのが分かる。赤黒い炎が、もうすぐそばにまで来ていた。
 恐怖と涙で歪んだ顔を背後に向けた。驚くべき光景だった。二つの炎は、いつのまにか人の形をして、山のようにでかくなり、一つの巨大な炎となっていた。これに包まれたら、間違いなく死ぬ……
 捕まる……嫌だ、嫌だ、嫌だ! 死にたくない……! こっちに来ないでくれ……! 助けて……!
 何も分からないまま、僕はこの漆黒の闇の中で絶命するのだろうか。そんな事さえ考えた。自分の死を覚悟した、その時だった。
 目の前に漆黒の闇を蹴散らさんばかりの閃光が輝いた。僕はその眩しさのあまり、逃げ出していた自分の足を止めてしまった。
 視界を奪われた僕は、今度こそ迫る炎に命を奪われる事を覚悟した、が、炎はやってこない。それどころか、背後に伝わっていた熱も感じなくなった。
 目の前の閃光が弱くなったのを確認し、思いっきり後ろに振り返る。二つの炎はいつの間にか消えていた。闇の中に消えた炎に戸惑う僕。
 すると、今度は背後から、先ほどのの光が、僕の背後に迫って来るのを感じた。ギョッとして再び振り返る。この光もまた、僕の命を脅かす者だろうか?
 光はゆっくりと近寄ってきた。不思議と、その光に対して恐怖を感じなかった。いや、むしろ暖かさを感じる。心地の良いとさえ思えた。
 やがて光は、僕の目の前にまで来ると、そこで止まった。呆然と眺める中、よく見てみると、光の中に誰かいるのを確認した。
 光の加減で、はっきりとは見えなかったが。一匹の猫が、澄ました格好でこっちを見ていた。
 青白く光る閃光に祝福されたようなその、スラッとさせた魅惑なボディ、黒真珠の如く、潤ったその瞳。ユラユラと宙を踊るチューリップの様な尻尾。
 その瞳は優しく、見る物を心地よくさせる微笑みを見せた。やがてその猫は、涙と汗で不恰好になっている自分に顔を近寄せると。素敵と呼べるその笑みを浮かべる唇を、僕の口に重ねた。
 あまりの事に、僕の目は大きく開かれた。体がまるで痺れたかのように動く事ができなかった。だが、不思議と抵抗する気はなかった。
 その猫は、一度僕の唇から離すと、再び重ねた。
 今度は深く、唇同士がしっかりと重なった。とても深いキスだった。驚きのあまり、流れを止めた涙が、再びこぼれる。顔が熱くなるのを感じる。
 猫の前足が、唇を重ねたまま、涙を伝う僕の頬に触れる。優しく、甘く、心地の良い。抱擁されたそんな感情が僕を包んだ。
 そして、唇は離れた。その猫は、優しい瞳を保ったまま、頬が穂のかに赤くなっていた。潤んだ瞳が僕の体を求めるかの様に見つめていた。
 胸の中で、鼓動が速くなっていくのが分かる。僕もまた、全身の体が熱くなっていくのが分かる。その猫の求める期待に答えたい。抱きしめたい。
 抱擁してくれるその行為に甘えたい。本能に従うように、僕はその猫を強く抱きしめゆっくりと前へと押し倒した。


 甘い一時を感じたその夢を打ち砕いたのは、顔面から伝わる強烈な痛みだった。鼻先から熱い熱が伝わる。
 顔から床に落ちた衝撃で、大きな音が響いた。痛みは顔面のみならず、体もきしむ様に痛んだ。
 痛みのあまり、薄ら涙目になりながら閉じていた瞼を開く。穂のかに漂う甘い香水の香り、薄ピンク色をした壁、女性用の家具を揃えた部屋が映し出された。
「ここって……」
 起きたばかりで意識がはっきりしない中、薄ピンク色の壁をジーっと見ていた。
 気が付けば、僕の体は被っていた布団を引きずったまま、ベッドからはみ出る様に崩れ落ちていた。重たい瞼が僕の視界を遮ろうとするのを堪えながら、ゆっくりと体を持ち上げた。
 顔面を前足で摩りながら、落ちた布団をそのままにして再びベッドに戻った。痛みで目が覚めても、まだ瞼が重い。頭がもっと睡眠を欲求している。
 瞼を閉じ、再び眠りの世界へと入ろうとした途端、ボーッとした視界の中で何か音が聞こえ、耳をピクリと動かした。
 何かが走るような音、段々と強さを増しながらこっちに近づいてきている。そして、扉の開く音が聞こえた。
 閉じそうな瞼を何とか細めにして、扉のほうを見る。そこにはウェイトレス服を着た茶髪のショートヘアーの人間の女が、慌てた表情を浮かべて僕を見ていた。
 何事かと言った顔で、こっちに来ると僕の前で視線に沿う様に屈んだ。
「大丈夫? 今大きな音がしたけど…」
 心配そうに見つめながら僕の頭を摩った。痛いのは頭じゃなくて顔の方だけど、喋るのが面倒で口にしなかった。
「何処か打ったの、痛くない?」
「ううん……」
 曖昧な返事をしながら、僕は顔を左右小刻みに震わせる。その女性の体からは、穂のかにコーヒーの臭いがした。
 綺麗なその瞳を見返す僕。その女性は僕が何事も無い事を知ると、安心したような笑みを浮かべた。
「良かった。まだ安静が必要な体なんだから、ゆっくり休んでてね」
 そう言って、僕が何事も無い事を知ると、元来た扉の方へと戻って行った。
 その方をジッと眺めている内、徐々に頭の中がはっきりする。今思い出した。僕の事を心配するこの女性は、マスターの幼馴染である、喫茶店サティのウェイトレスのユカだ。
 そして今僕がいるこの部屋、女性の匂いがするフカフカなベッドの持ち主であるユカ本人の部屋だった。ここで、ようやく眠気が覚めた。
 ベッドの上で身を起こした僕は、落ちてグシャグシャになった布団を口で引っ張り、汚いながらも何とか元の状態に戻した。
「……はぁ」
 ため息をつく。あの変な夢のおかげで気分が浮ついている。
 時計を見た。時間はすでに9時を指している。昨日は早めに寝たのに、よほど疲れていたんだろうか?
 考えても仕方が無い、お腹が空いたからとりあえず降りることにした。
 階段を降りると、コーヒーの匂いが漂う。まだ朝だと言うのに店内はすでに席が人で埋め尽くされていた。
 サティは人の客だけでなく、ポケモンと一緒に喫茶店を満喫できる開放的な為、その客のポケモンがあちらこちらに見える。
 カイナシティのイベント開始から3日目だけあり、まだまだこの町は賑わいが続いている。
 店内は客の注文の対応に忙しそうに動き回っているウェイトレス達。その中にユカもいた。
 僕は辺りを見回した。見慣れた店内と綺麗なウェイトレス、だがひとつだけ物足りなかった。ミナが居ない。
 サティの看板猫としていつもいるはずのエネコロロのミナ姿が見えなかった。
「ミナの奴、何処にいるんだろ?」
 僕はミナを探そうと歩き出そうとした。
「キャッ、キャッ」
「おい待て~」
「うわっ!?」
 進もうとした矢先に二匹のポケモンが横切った。プラスルとマイナンが追いかけっこをしていた。危うくぶつかりそうになり僕は体を反らす様に避けた。
「危ないな……」
 僕の心配を他所にプラスルとマイナンはお構い無しと、追いかけっこを続けていた。
 そんなやんちゃな二匹の後ろ姿に溜め息を吐く。そして再び前に進もうとしたが。
「きゃあっ! もぉ、危ないわよ……?」
 ウェイトレスの悲鳴に、僕は驚いて後ろに飛んだ。またもや危うくぶつかりそうになったのだ。
「あっ……」
 見上げた先のウェイトレスは、僕を見下ろしながら軽く溜め息を吐くと早足で行ってしまった。
 どうやらここで動き回るのは色々と迷惑をかけてしまいそうだ。ミナを探すのを諦めてマスターの所に行こう。
 再び二階にあがり、マスターを探した。けど、どの部屋を探してもマスターは居なかった。
「マスター……何処だろ?」
 マスターだけでなく、バリヤンさんやコイラーさんもいない。
 もしかして、もう下に降りているんじゃないかと思って僕は再び僕は階段を降りるた、その時。
「あ、昨日のグラエナしゃん」
「え?」
 階段の下り先に、聞き覚えのある声に目を向けると、見覚えあるラッキーが居た。
「ここで会うなんて偶然でしゅね。覚えていましゅか?」
 目が会うとニコッと微笑むそのラッキー、だが覚えてるかと問われても…記憶が無い。寝ぼけていて頭がはっきりしないのか、それとも覚えいられるほどの印象のあるポケモンじゃないのか。
「えっと……さぁ……ハハハ……」
 苦笑しながら、首を傾げる。
「さぁ……って、アンタひどいでしゅね!! あのクショ忙しい中で肩を貸してあげた恩を忘れたんでしゅかぁ!?」
 知らないと答えると、顔を真っ赤にして怒鳴りだした。思わず引いてしまう僕だが、しかし知らないのは知らない。肩を貸した?何の話だ?
「そんな事言われても……その……何処かで出会ったかな? 僕と君……」
「んもぉぉ! あれだけ怪我ちたから頭でも打ったんじゃないじゃないでしゅか!? ぽけもんしぇんたーで一度会ってるはずでしゅ!!」
 ひどい言われ様だ。激怒しながらそのラッキーはぽけもんしぇんたーと口にした。その台詞が何故か、僕の頭の中で引っかかる。
「ぽけもんしぇんたー……ん……」
 どうにも気になる。深く思い出そうと、眉間にしわを寄せて考えた。寝ぼけた頭が段々とはっきりしだす。そしてあるひとつの答えが浮かび上がった。
「君、もしかしてあの時ポケモンセンターに居たラッキー……?」
 それを口にしたら、それまで沸騰したやかんの用に怒っていたラッキーの表情は、パァッと明るくなった。
「思い出してくれたんでしゅね。当然名前も思い出したんでしゅよね。ね?」
「名前……うぅん……えっと、ゴメン、ハハハハッ……」
 再び苦笑し、謝った。さすがに名前までは思い出せなかった。何しろあの時、ポケモンセンターには多数のラッキーが忙しそうに動いていたから。
「うー、もぅ! やっぱアンタアホでしゅ! 頭打ったに違いないでしゅ! 思い出せでしゅーー!」
 また沸騰したやかんの用に怒ってしまい、この階にまで響く声で怒鳴りだした。
「あ……あぁ……あれ?」
 ラッキーの怒りに押された。しかし、今の怒鳴り声で、僕の頭の中は急にスッキリした。そして、この怒りっぽいラッキーの事をはっきりと思い出した。

 僕が黒尽くめの男、クロカゲのヤミカラスとバトルし、大怪我を負わされて気絶してしまい、ポケモンセンターに運ばれた。
 そして、その時に僕の治療を担当した。体は他のラッキーと比べて一回り小さく、言葉遣いも幼かった。
 その時、重症だったストライクの分のベットが足りず、僕は自分からベットを譲った。その時肩を貸してくれた。あの時のラッキーだ。名前は……
「コラッキー……あの時の君か」
「ん? よーやく思い出してくれたんでしゅか、まったくもう……」
「うん、ようやく思い出したよ。あの時は、ありがとう」
「あ、別にいいんでしゅよ。ポケモンの治療をするのは当然の事なんでしゅから」
 感謝を口にするとコラッキーは照れながら手を振った。ミナと同じくらい感情の激しい奴と一瞬思ってしまった。
「それより、体の具合はどうなんでしゅか?」
「大分よくなってきたよ、他と比べて体の治りは良いからね。まだ体の何処かが痛むけど」
「そうなんでしゅか、あの時のストライクしゃんが、あなたの事を感謝してたんでしゅよ、フフフ」
 そう言って口に手を当ててコラッキーは笑った。どうやらあの時のストライクは無事みたいだ。
「それはそうと、今日はポケモンセンターお休みかい?」
「そうでしゅ、ぽけもんしぇんたーもようやく落ち着いてきたから久しぶりに休暇をとったんでしゅよ」
 当時のポケモンセンターは、クロカゲのポケモンによって、多くのポケモンが怪我をした為にその対応に追われていた。
 行列を作るほどの利用者は外にも溢れかえっていて、まさに大混雑だった。それが今では迅速な対応とのおかげで、通常の状態に戻りつつあった。
「そういえば、君はどうしてここに?」
「久しぶりにお友達に会いにきたんでしゅよ、この日の為にちょっとおめかしをしたんでしゅ。綺麗でしょ?」
 そう言ってコラッキーはその場を一回転した。おめかしをしたと言っても、何処が変わったのか、僕にはいまいち分からなかった。
 気づく所と言えば……頭に付けてあるリボンぐらいだった。被っていたナース帽は無かったぐらいだ。おっとそんな事をしている場合じゃない。
「そうだ、マスターを探していたんだ。ごめん、今マスターを探してるんだ。また後で」
 階段を蹴る様に下り、コラッキーの横を過ぎようとした。
「グラエナしゃんのましゅたーなら、お外にいましゅよ」
「え、本当?」
 ちょうど階段を降りきった所、その言葉を聞いた僕はその場で足を止めた。
「何だかお出かけするよう格好だったので、挨拶しときまちたよ」
 その言葉を聞いた僕は慌てて玄関に向かって駆け出した。あまりに寝坊した為に、置いて行かれるかもしれないと思ったからだ。
「やばい、置いて行かれる! コラッキー、ありがとう」
「あ、グラエナしゃん……」
 礼を言う、コラッキーの返事を聞かぬまま僕は走った。客で満席状態の店内で駆け出していたら危ない為、厨房から裏口の扉から表に出た。
 見上げる空は快晴の空。今日も良い天気であった事を僕は感謝した。何せ今日は、昨日の夜に約束した豪華客船「マリン・ブルー号」の一般公開の日だから。
 店の角を曲がって、表の出入り口の扉の所に着いた。しかし、そこにマスター達の姿はなかった。
 僕は辺りをキョロキョロと探すが、人が行き来するだけでマスター達は見当たらない。
「はぁ……」
 まさかとは思うが、店の中にも居ないし、外にも居ない。本当に置いて行ってしまったのだろうか? そう考えるだけで溜め息が出てしまう。
 喫茶店の前で、元気なく尻尾を下げて座っている僕は、何だか捨てられた野良犬のようだった。早く戻ってきて欲しい、そう願った。
 テンションが低い状態だったその時、背筋が凍るような視線を感じた。
 誰だ……!? 咄嗟に警戒し、周囲を見渡した。
 しかし、周りには通行人ばかりが映るばかりで、この刺す様な視線の主は見当たらない。今でも自分を見ている。
「誰なんだ……!?」
 この視線には隠しようのない殺意みたいなのがあった。いつ襲われてもおかしくない。自身の本能がそう告げている。この人ごみの中で一体誰が自分を見ているんだ?
 視線を鋭くして周囲に気を配る。その時、背後から音がした。後ろからか!僕は咄嗟に背後に振り返る。いつ攻撃されても対応できる用に構えた!
 いつでも来い!もし襲ってくるのなら相手になってやる!僕は覚悟を決めた。
「おいコラ!」
「うわっ!?」
 僕の予想とは全く反対にさっきまで振り向いていた方向から自分を呼ぶ声がした。驚きのあまりに横に大きく跳躍し、上手く着地出来ず態勢を崩してしまった。
 その声の主は、僕の事を睨みながら見下ろし、頭に花のヘアバンドを被ったエネコロロ。ミナだった。
「あ、ミナ?」
「あ、じゃないわよアンタは! 何お店の前で怖い顔してるのよ! お客様が逃げちゃうじゃない!」
 言われて見ると、通りの人の一部が僕の事をジロジロ見ていた。警戒の夢中のあまりに気づかなかった。
「全く、朝から寝ぼけて馬鹿やって。えいぎょうぼーがいよ馬鹿!」
 そう言ってミナは前足で僕の頭をグリグリ踏みつけてくる。僅かに出ている爪が当たって痛い。
「クロイズ、そんな所で何しているんだ?」
 ミナの後から、両手にビニール袋を持ったマスターがやってきた。僕はミナにグリグリされつつも真顔で言う。
「マスター、さっき妙な視線を感じたんだ。怪しい奴かも知れな…イテテ!」
「あやしーのはアンタよ馬鹿犬! アタシ達が買い出しに行ってる間に何してんのよ!」
 そんな事言って、ミナは前足に更に力をこめて踏みつけてくる。痛い、本気で痛い。
「ミナ、痛いって、後顔を踏まないでくれよ。人が見てるって……」
 必死に言ってもミナは聞こうとはしない。そこでマスターが割り込んできた。
「まぁミナ、早く荷物を店に届けないと」
「そうね、こんな事している場合じゃなかったわ。早く行きましょ」
 マスターの言う事を聞いてようやく僕は鬱陶しい前足から解放された。しかし、ほっと一息吐いたのもつかの間。目の前に居るにも関わらず、僕を踏みながら前を行った。
「……大丈夫かクロイズ?」
 心配そうにマスターを声を掛けた。大丈夫な訳がない。こんな人通りで顔を踏みにじられ、しかもその後踏んで行った。とんでもない雌だ…
「あー、俺はこれを店に届けに行くから、お前も早く入れよ。もう少ししたら出発するからな」
 そう言ってマスターも店の裏口に向かって行った。残されたのは顔の毛を乱され、通りの人笑われる僕だった。
「何でこうなるんだよ畜生……」
 泣けるものなら泣きたい。っていうかミナを泣かしてやりたい。
 さっきまで気になっていた鋭い視線の事などすっかり頭の中から消えた僕は、トボトボと歩きながらマスターの後を追っていった。

 この日、本当なら朝早く行って行列を並ばずに過ごそうとする筈だった。しかしバイトのウェイトレスの一人が風邪で休んだ為、仕方無くユカが一時仕事に入っていた。
 10時に他のウェイトレスが来る予定だから、その時に出発する事になり、已む無く行列を並ぶ事になる。今日も暑いそうだ。
 もうすぐ10時になるが、サティは相変わらず忙しく、ウェイトレスが客の対応に追われていた。
 マスターが出発の支度を済ませ、他の用で外に出ている間、僕とバリヤンさんとコイラーさんの3匹で客室で待っていた。退屈でしょうがない。
「ふわぁ……まだかな、早く行きたい」
「10時まで後ちょっとや、それまで待っとき」
「クロイズ、タイチョウノホウハイイノカ?」 
 退屈そうに床で伏せている僕にコイラーさんが聞いてきた。
「うん、ほとんど良くなったよ。もう心配も要らないし」
「デモ、カオノホウガチョットオカシイ。マダケガシテイル」
「あぁ、これね……」
 ミナに踏まれた後がまだ残っている。鏡を見た後は自分でもみっともないと思った。体の方はほとんど良くなったけど、顔だけはひどいままだ。
「アクア・マリン号ってどんな船なんやろうな」
「後にも先にも一回きりになるから、存分に見ておきたいな」
 僕たちポケモンが、人間達の造る建造物の中でも、特に優れた建造物に乗れるなんてそうそう無い。世間的に言う金持ち以外は。
「ナニガツンデアルンダアノフネニハ、ピカピカヒカルモノガタクサンナノカ? ピカピカ?」
 三つのつぶらな瞳を宝石のようにキラキラさせながら宙を飛び回っている。コイラーさんも興味津々だった。
「コラ、コイラー。じっとしとかんかい!」
「はしゃぎたい気持ちも分かるよ。バリヤンさんだって、そうでしょ?」
「ハハ……しゃあ無いなぁもう」
 図星らしく、照れながら笑った。僕ら三匹とも今日と言う日を楽しみにしていた。自然も良いけど、こんな賑やで面白い物がある人の住む町も悪くは無い。そんな会話をしている時、扉が開いた。
「おい、そろそろ出発するから」
 マスターだ、いよいよお出かけだ。相変わらずの服装だが、不思議と今日は輝いて見える気がした。
「オデカケダオデカケダ! ジェットデイクゾ!」
「ちょ、こらコイラー! 待たんかい!」
 コイラーさんが扉を高速で出て行き、バリヤンさんもその後を追う様に行った。僕も続こうとしたが、ふと気になった事があった。
「ねぇ、マスター」
 僕の声にご機嫌そうに振り向くマスター。
「その、ミナの事なんだけど、その……昨日の事、もう良くなったの?」
「その事か。大丈夫、ミナはユカと同じで、あのくらいの事でめげるはずがない。お前が寝坊している間にも、ちゃんと頑張っていたぞ」
「そぉ……なんだ。良かった」
 ホッとした。無論、怒って顔を踏んづけた様子からして、元気では無いとはとても思えないけど。
 昨日の事――サティが閉店する時刻の時、クロカゲが来た。僕はあの男のポケモンに大怪我を負わされた為、何だか気まずかった。
 そんな中、珍しくクロカゲと会話が出来た。クロカゲは昨日ユカと一緒にビューティーコンテスト会場に行った時、相手は参加者としてその場に居た。
 その事を話すと、あの男は参加者の一員であるのに関わらず、まるではなから関心が無い言い草をしていた。それに止まらず、参加者達を含め、コンテストそのものを茶番だと、嘲笑した。 
 全力で挑み、演技力の限りを尽くした全ての参加者達への侮辱。奴にとって、美を追求したパフォーマンスなんて、唯の馬鹿げた滑稽にしか思えないのだろう。そうと受け取っていいほど、クロカゲは虚仮にしていた。
 自然の摂理からはみ出た、着飾った生き方。野性の本能が腐った成れの果てだと、コーディネーターと共に頑張っていたポケモン達でさえ、そう言って馬鹿にした。
 怒りと悲しみに震えていたユカ。しかし、彼女はウェイトレスと言う立場で、客を叱咤する事が叶わない。屈辱で震えていたそんな時、同じ気持ちでいたミナが、凄まじい反発を起こしたのだ。
 自分やコーディネーター達の夢を、嘲笑うクロカゲに向かって、ミナは叩き付ける様に言った。
 ――コンテストの良さも理解出来ないで、アタシやユカちゃんの夢を馬鹿にしないでよ!
 力強く言ったあの言葉が、当時の様に再現される。家庭事情で、叶いそうに無い夢を、それでも追い続けたい。そんな気持ちが、僕には伝わった。強くなる以外何も考えもしなかった自分がちっぽけに思えるほど。
 しかしその後、彼女は後悔した。客に心地良い一時を過してもらう喫茶店で、やってはならない行為だからだ。看板猫として、有るまじき態度。あの時ミナが見せた悲しそうな表情が、何とも痛ましかった。
 それでも、ミナは昨日の事なんて忘れて、僕が眠っている間にもしっかりと頑張っていた。とても強い子だ。感心できる。
「まぁ、本人曰く「いちいち気にしてなんかしてたら、看板猫なんてやってられないわ」って言ってたな。メンタル面では、お前よりも強い。少しは見習った方がいいな」
 それではまるで、僕がへたれみたいじゃないか。からかう様に言うマスターに、ブスッと膨れて睨む。 
 けど、マスターの言うとおり、彼女は強い。バトルの強さじゃなくて、なんていうか、心の強さ見たいな物を感じた。
 仕事以外では感情剥き出しで、外見に似合わず暴力的だけど、主人思いで、優しい所があって、自分の夢が叶えられない状況にいても文句ひとつ言わずに毎日頑張っている。
 あんな男の為に、余計な涙を流して良い訳が無い。
 何時も苦労しているのだから、少しは報われてもいいはずだ。
 不思議だ。僕はミナの事を、昨日よりも沢山考えるようになっている。なんでだろう。
「う~ん、お前さ、ミナの事が気になるのか?」
「え?」
 話題を変え、唐突な質問に僕は戸惑う。
「いや、クロイズがミナの事を気に掛けるなんて珍しいなって思ってね。間の抜けたように、強くなる事しか感心のないバトル馬鹿のお前がさ」
 馬鹿にした口調を含めながらも、マスターは微笑ましいなといった顔色を浮かべた。
「そうかな……僕は別に、元気ないんじゃなかと気になっただけで――」
 何故だか僕は、何かを誤魔化すような気持ちになって喋っていた。気になっているのは本当だが、どうしてか、マスターの言う事に素直になる事が出来なかった。
「気でも、あるのか……?」
 まるで、僕の心を探るような声で言った。その言葉に、まるで隙を付かれたように体がビクッと震えた。
「な、何でそんな事言うの?」
「そうじゃないかと、俺は思うんだ」
「何で僕が、その気にならなくちゃいけないんだよ。ミナとはまだ知り合ってから二日程度しか経っていないし、それに――」
「クロイズ」
 喋りかけの最中、マスターは有無を言わせない、落ち着いていながら圧倒するような、張りのある声を上げた。その声に、僕は思わず萎縮した。
「小さい頃にあったお前は、俺に挑んで掛かってきたよな。最初はまったくと言っていいほど弱かった。頼りなかった。俺達の仲間になってからも、そんな調子が続いていた」
 その口調は、昔の事を懐かしんでいる。
「バトルで負けるたびにお前は泣いて、顔を下に落としていた。そうする度に強さへの渇望も大きくしていた。毎日、自分の弱さを押し殺すように、必死に足掻いて頑張っていた。そうしていく内に、強くなっていた。今では、俺達のメンバーでも頼りになる存在になった」
「マスター……」
 僕は、改めて褒めてくれるマスターに表情を和らげて見上げた。それに応えてくれる様に、やんわりと返してきた。しかし、次第にその顔が静かに沈んでいくのに気づく。
「けれども、お前はまだ強さを求める。高みに上りたがる」
 バトルをするポケモンならば、求めて当然な理屈を、どうしてか残念そうに言った。僕は不思議に思って、言い返す。
「それは、いけない事なの?」
「そうじゃない。けど、あのクロカゲと言う奴に負けてしまって、お前が気に病んでると思ってな……それが原因で、また強さ求めて、渇望しているんじゃないのか?」
 まるで心奥底の本心を見透かしたかのように言っていた。僕はと言うと、否定できず、下を向いた。
 クロカゲのヤミカラスと戦うまで、殆ど負け知らずだった。二日前に行ったバトルで、無残に敗北してしまった事が、今でも心の中で傷として疼いている。
 マスターや仲間達には話していないが、内心更に強くなりたいと、まるで野生の頃に嫌っていた自分の姿が重なり、そう思ってしまっている。
 また負けた――完敗だった。こんなんじゃダメだ。自分はまだ弱い。頼りない。勝てない。強くない。ポケモンセンターで目が覚めた時に、心の底から沸いてくる自己嫌悪が、僕を苦しめる。
 だから、まだまだ強くなりたい。理由なんてどうでもいい、勝って、相手を見返したい。マスターに認めてもらいたい。誰よりも、誰よりも……
 ずっと、そう考えてきた。何の為に強くなるかなんて、そんな事思った事すらなかった。ミナに会うまでは――
 ――強くなるのは良い事だけど、その強さを得て何に使うかが問題でしょ!
 彼女は、ひたすら力を求めたがる僕にそう言ったのだ。あんな事を言われたのは、初めてだった。旅先で出会った、自分の強さを評価してくれるトレーナーやジムリーダ、マスターや仲間達にさえも言われた事がなかった。
「強さを何のために使うか……」
 自分にしか聞こえない音で、呟いた。理由なんてどうでも良かったはずなのに、何故かその言葉が急に気になりだした。
「もしも俺の言った事が事実なら、気にしないでくれ。バトルで勝つ事だけが、クロイズの全てじゃない。がむしゃらに頑張ろうとしなくてもいいんだ。あぁ、リーグ戦の事も考えると、別に頑張るなとも言わない。だけど、時には自分の好きな風に生きてもいいんじゃないか?」
「好きな風にって、何をすれば?」
 僕が聞くと、マスターは呻って考える。顔を上げると、やや言い難そうに顔を反らしながら口を開く。
「そうだな……何と言うかな、恋……とかしてみたらどうだ」
「恋ぃ?」
 何を言うかと思えば、マスターらしくない拍子抜けた返答に、僕は脱力した。恋? 一体誰と? どうすればいいんだ?
「ま、まぁそういう事だ。お前ぐらい大きくなったグラエナなら、誰かに興味を持ってもおかしくない。トレーナーとして、そういう事にも感心を持ってもらいたいんだ」
「う~ん……」
 そんな事を言われてもと、僕は困った顔で首を傾げた。強くなる事意外に感心がない僕に、今更誰に興味を持てばいいのだろうか。
 疑問に思う中、ふと、ミナの事が思い浮かんだ。何故だろう。
「リーグまで、まだ時間はゆっくりあるんだし、考えてみてくれ。きっと、強くなるだけが人生じゃないって事に気づくさ」
 マスターは踵を返して、部屋から出て行ってしまった。残された僕は、一人ぽつんと、マスターの言った言葉を疑問に思ったままボーッとしていた。
 普段から考える事あまりしない僕が、珍しくずっと静止したまま、思考をめぐらせていた。時間が止まったような部屋で、ずっといた。
 その内、ユカの仕事が終わり、行く仕度を終えたマスターに声を掛けられ、危うく置いていかれる所だった。

 晴天の空、照り付けるような夏の日差しは、昨日よりも強く、瞼に照りつける。その中で、数羽のキャモメが群をなして上空を飛んでいる。
 眩しい日をなんともなさそうに大空を独占して飛ぶその姿が、なんだか気持ち良さそうで、僕には羨ましく思えた。
 それにくらべ、今の僕達は正直うんざりだった。熱を沢山吸収したアスファルトの地面、太陽の暑さ、人の放つ熱気、そしてなによりもこの長蛇の列。
 それも、半端の無い行列だった。ミロカロスが体を伸ばした長さほどの横列が出来ている。まるで、巨大なハブネークを思わせる。大きい分、移動も遅い。ちょこっと進めば、すぐにストップ。その繰り返し。
 先へ続くのは、本日一般公開されている豪華客船『マリン・ブルー号』だ。
 いくら特別なイベントだからと言って、この数は無い。人だけでなく、一部はポケモンを出して並んでいるのもいる。その中には、マグマッグがいた。熱中症でも起こさせる気か?
 日傘でも欲しくなるくらいだが、無論それだけじゃ足りないくらい暑い。正直言って、死にそうだ。
 マスターとユカは、列の中でお互いはぐれないようにと隣りあわせで居る。僕はと言うと、人とポケモンの放つ熱気に耐えれず、少しでも熱から逃れようとユカの日傘の下にいる。
 今どの辺りかは分からないが、空を浮遊するコイラーさんに尋ねて見た所、「マダ、オサラノヨウニチイサクミエル」と教えてくれた。先はまだまだ遠い。
「あぁも~、あっつぃぃっ!」
 ユカの後ろで付いてきているミナが、この暑さに耐え切れず叫んだ。毛玉の尻尾もぐだぁと地面すれすれの所で垂れ落ちている。
「暑いとか言うなよ。こっちまで暑くなるじゃないか」
「うっさいわね! 暑いものは暑いの。それに、どうして進まないのよぉ!」
 八つ当たるように言う。未だに進みそうにない行列とこの暑さを僕のせいみたいに言ってくる。
「僕に言ってもしょうがないだろ。ミナは短気すぎなんだよ」
「なんですってぇ!? 誰が短気よ、この馬鹿犬!」
「そこが短気なんだろ、じゃじゃ馬!」
 指摘するように言い返す。そして意味も無く口喧嘩が始まる。ただでさえ暑いのに、余計な口論で更に加熱していく。
「二人とも止めろ。回りが見てるぞ?」
 マスターが御でこを抑え、溜め息混じりに止めに入る。しかし、そんな注意を無視して僕達は言い争っていた。
「本当に進まないわねぇ、これじゃ中に入るまで、後二時間はかかるかもしれないわ。ごめんね、急な仕事が入ったせいで、早めに来ていれば……」
 ユカが視線を地面に落として、申し訳無さそうに詫びる。
「おいおい、別に大丈夫だって。入れない訳じゃないんだし、気にするなよ」
「でもぉ……」
 気を使うマスターだが、それでもユカの表情は沈んだままだった。
「ユウタさんの言うとおりよユカちゃん、そもそもこいつがノタノタしてたのが悪いんだからっ」
 ミナが肩を持つように言いながら、蔑むような目を此方に配り、事もあろう出発の遅れを僕のせいにしてきた。
「何で僕のせいになるんだよ!」
「みんなが仕度を済ませて、いざ出発する時に、あんたはずぅっと二階でボーッとして待たせたのが悪いんじゃない!」
「そうは言っても、たかが数分程度の話だろ!?」
「こっちは数分どころか、一秒も休まる時間が無い中で仕事をしてたのに、気楽で良いものよね! あ~羨ましい事。バトルの時でもそうやってボーっとしてたんじゃないかしら?」
 皮肉の篭ったいやらしい口調で、僕の心の隙間をチクチクと突いてくる。本当に嫌な性格をしている。出遅れた理由が、ミナの事で考え事をしていたんだと、それを口に出来ればどれだけ気が晴れるだろう。
 だが言いたくない。ミナの為に自分の気持ちを曝け出すなんて、なんだかプライドが許さなかった。
「どっかの誰かさんが、僕の顔を踏んづけたおかげで遅れたんだけどな! まったく、酷く暴力的な猫だったよ。仕事では愛想良いくせに、猫をかぶるってこういう意味なのかなー?」
 仕返しに、ミナに負けじと皮肉たっぷり言い返す。当てはまる箇所を容赦なく突く。しっかりと効いた様子で、彼女は怒りでわなわなと震えていた。
「ほ~、それならもう一度踏んで差し上げましょっかぁ子犬さん? 今度はそのお顔がボコボコのぐちゃぐちゃになるまでした方がよさそうですしねぇ?」
 頭中に血管を浮かび上がらせたミナが、威圧的な足取りで近づいてくる。
 僕は思わず後ずさる。しかし、背後の人だかりのせいで逃げ場が直ぐになくなる。
 彼女はそれを好機だと思い、怒りの篭った薄ら笑みを浮かべる。そして、勢い良く飛び掛ってきた。
「うわ、やめろ……いだぁっ!」
 ミナは僕の上に乗りかかり、体制を崩してそのまま熱の溜まった地べたに崩れる。
「今度はもっと足跡を残してやるぅ~!」
「ミ、ミナやめなさいっ」
「おいコラ……」
 再び、辺りは騒然と化した。昨日とは人の数が違うだけに、周りの注目が集まりまくる。
「は、離れろよミナぁ……!」
「うっさい! この、このっ!」
 ミナは僕にのっかったまま、前肢をげしげしと顔面にぶつけてくる。周りの驚いた視線に同ずる事もなく……
「なんや、また夫婦喧嘩かい。羨ましいな~」
「マタヤッテル、フタリトモムラムラシテルノカー!」
 コイラーさんとバリヤンさんが、可笑しそうにクスクスと笑っている。マスターとユカは、流石に他人の振りが出来ず、この惨事を溜め息を吐いていた。
 あぁ、最悪だ。船の中とは言わず、一層の事海の中へダイブしてしまいたい……そう思った、そんな時――
「あの、すみません」
「え……?」
 背後から若い男性が声を掛けてきた。マスターは振り返る。
「そのグラエナのトレーナー……さんでしょうか?
 その男は、やや言い難そうな口調で、そう尋ねてきた。一見して、爽やかそうな印象をしている。
「そうですが……」
 突然のお尋ね者に、マスターは戸惑った様子で頷いて答えた。すると、その男はみるみる表情が明るくなり、笑顔に変わる。
「やっぱりっ! やっと見つけましたよ」
 やっと見つけたと言わんばかりに、男はその場で喜びを口にした。 
 そしてマスターの横を過ぎて、今見っとも無い姿で倒れている僕のそばに寄って来た。
「君が、あの時のグラエナかぁ」
 男は身を屈め、顔をニコニコとさせながら頬に触れてくると、マズルに触れそうになるほど近づけてくる。 
 緑色のかかった、少し女性のように思えそうな流れた髪型をしている。
 服装は、上と下の両方共、純潔そうな赤いジャージを着込んでいて、とても似合っている。どこか、他のトレーナーとは違う気品らしさを感じた。
 腰の辺りには、モンスターボールが付けたあった。六つも。
「あの、内のグラエナが、何かご迷惑でもお掛けしましたか……?」
 まだそうと決まった訳ではないのに、マスターは申し訳無さそうな声で聞いた。
 その男は静かに立ち上がり、ゆっくりとマスターに振り返り、軽く会釈すると言う。
「いいえ、とんでもない。むしろ感謝したいほどですよ」
「感謝?」
 心当たりはあるかと、マスターの視線が僕に向いてくる。
 しかし、僕は人間に感謝されるような事をした覚えは無い。顔を左右に振って知らないと合図する。
 マスターは首を傾げ、男の方に向き直る。すると、その男の真上から、何かが羽を羽ばたかせながら降りてくるポケモンが見えた。しかし、日差しが邪魔して正体を確認する事ができない。
 見えない速度で、羽を羽ばたかせながらゆっくりと、その男の横に降りた。そこで、ポケモンのシルエットがはっきりと映し出された。
「ストライク?」
 黒光りする鋭い眼光で、男とマスターを交互に見つめる。その目が僕に向けられた途端、わずかに緩んでいく。僕も唖然とて相手を見返すと、ある事に気づいた。
 腹部に何重にも巻いた白い包帯が目にとまる。背中には、千切れた箇所を固定するかのように、医療テープが貼られてある。
「そのストライクは、あなたので?」
 マスターが聞くと、男は笑顔で頷く。
「はい。見ての通りちょっと怪我をしてますけどね」
 ストライクの背中の羽を、撫でる手付きで触れながら、僕の方に向くと言う。
「でも、このグラエナのおかげで大事には至りませんでした。本当にありがとう」
 僕は何のことだか分からず、首を傾げる。しかし、次に言った言葉が、この疑問を解いてくれる。
「二日前のバトルで負けてしまい、相棒を大怪我して急いでポケモンセンターに運んだのですが、ベッドが全て埋まっていると聞いて手の施しようがありませんでした。しかし、何処かのグラエナが僕のストライクにベッドを譲ってくれたとジョーイさんから聞いて……」
 薄ら消えかけていた過去が思い浮かぶ、全身を打撲する怪我の中、モニター越しのジョーイが大怪我をしているポケモンがいると聞いて、しかし内勤のジョーイが搬入は難しいと言い返し、危機的な状況にあった。
 それを耳にして、後先考えずに僕はそのポケモンの為にベッドを譲り渡すと言った事があった。後になって、コラッキやマスターに叱られる嵌めにはなった。
 その時のストライクが、この男の相棒だと言う。
「ジョーイさんに受け入れは難しいと言われた時は、絶望的でした。今こうやって、飛べるくらいに元気になったのは、紛れも無くあなたのグラエナと言う訳なんです」
「なるほど、そう言う事ですか……」
 マスターがしぶしぶ納得する。
「ふぅん、アンタそんな事したんだぁ。怪我してたのは自分も同じなのに、無理が利くお馬鹿さんなのね」
 そのお馬鹿さんは余計だと、ミナを鬱陶しげに睨む。
「本当に、あの時はありがとうございました」
 深くお辞儀をして、マスターに礼を言う。
「い、いや、こいつが勝手にやった事なんで、俺はなんというか……」
 気恥ずかしそうに手を振った。それでも、純粋な少年のような目で迫る。
 その時、男は急に顔をハッとさせ、言い忘れた事があったように慌てて言葉に出す。
「おっと、申し送れました。僕はコウイチと言います。こんななりですが、一応エリートトレーナーをやってます」
 コウイチと言った男は、恥かし気に頭を掻いた。よくよく見ると、少しダボダボではあるが、エリートトレーナーと呼ぶに相応しい服装だ。顔立ちのせいであまり似合っていない。
「エリートトレーナーって、何よ?」
 ミナが僕に聞く。
「トレーナーの中でも、優れた性質とバトルの腕前を持った人の事をエリートって言うんだ」
「それって、すごいの?」
「当たり前だろ、エリートの意味知ってるの?」
「ば、馬鹿にしないでよっ! それくらい知ってたわよ、ちょっと試してみただけよ!」
 どうだろうか。慌てて言い直す仕草が見て分かる。
「なんや、あのストライクがベッドを譲ってやった相手と言う訳かいな」
「まぁね。どんな相手かは見てはなかったけど……」
 そう言って、もう一度ストライクの顔をちらっと向けると、その視線にストライクが気づいた。すると彼は、何か言いたげに口元をもじもじさせながら、やがて口を開いた。
「あの時は……ありがとう……」
 食料の為に獲物を狩り、バトルの時は容赦なく相手を打ちのめそうと思えるほどの刃な目付きとは裏腹に、あまりにも頼りの無く、潰れたような感謝の言葉が出た。
 その続きを口にしようと、再び口元をもじもじさせる。目付きは、時折横を向いたり、クロイズに向いたりと忙しく移り変わる。
「ベッド……その、良かった……」
 何が良かったのか、事情を知らないミナとバリヤンとコイラーがお互いに顔を見ながら、理解に苦しんでいる。当の本人である僕は構わず返す。
「気にしないでいいよ。僕が勝手にやった事だから。体の方はもういいの?」
 ストライクは恥ずかしそうにコクンと、二回頷いた。顔を赤くし、まるで顔だけがハッサムの色になっていた。その次に何を言っていいか分からない様子で、下を向く。
 このストライク、見た目とは裏腹にポケモン同士とのコミュニケーションを得意ではないようだ。爽やかそうに話すコウイチとは逆に、会話すらまともに出来そうになかった。
 僕が話し終えてから、少しの時が流れる。その間にトレーナー同士は調子良さそうに会話を弾ませていた。
 どうしたらいいか――もう一度、こちらから声を掛けたほうがいいのかと、そう思う。とりあえずと、僕が声を出そうとする前に、ストライクの方が口を開く。
「君……も、あの……黒いトレーナーと……戦ったの?」
「え、あ……うん。戦ったけど……」
 唐突な質問に、トーンの低い声がこちらにもうつってしまった返事を返す。クロカゲのヤミカラスと戦った苦い思いが頭によぎる。
「そう……なんだ。俺も……戦った。けど……相性、悪くて……負けた……」
「そうなんだ……」
 トラウマの事もあるけど、どうにも相手の不安定な口調が僕自身にも同調してしまう。調子が狂いそうになるのをなんとか抑える。
「そんなに強い相手だったの? 始めてあったとき、アンタボロボロだったし」
「メッチャツヨカッタヨー。ケド、クロイズモガンバッタ。ガンバッタ!」
「あんたには聞いてない!」
 僕の代わりに、退屈そうに宙に浮いていたまま答えてくれたコイラーさんを、ミナが一蹴する。
「でも、今まで戦ってきた鳥ポケモンの中でも信じられんくらい強かったなぁ。ボール越しに絶句してしもうたわ」
「うん、僕もあんなのは初めてだった……」
 バリヤンさんの言う通りだと、情けない自分に少ししょんぼりした。
「そのポケモンも、あのいけ好かない真っ黒オヤジの手持ちでしょ。なんか性格悪そうなのを想像してしまうわ」
 まだ会ってもないそのヤミカラスの事を、ミナの中で勝手に印象付ける。
「悪そうなって言うか、いかにも見たとおりの性格だったな」
「見た目通りって、どんな性格なのよ?」
「う~ん……なんて言うか、いかにもミナみたいに高飛車って言うか、それとは逆にミナには無い大人びた感じがあってだなぁ、ミナほど口は悪くないんだけど……ってあれ、ミナ何そんなに顔を赤くして……うわっ!」
 僕自身、気づかない内にミナの怒りを買ってしまったみたいだ。彼女は怒りまかせに、奇怪な怒号をあげたまま飛び掛ってきた。
「またかいな……こんなくそ暑いなかよーやるわ……」
「ニヒキトモ、ゲンキッゲンキッ!」
 二匹に笑われ、ストライクはおどおどした感じで見られ、周囲の呆れ笑いの篭った視線に晒される。相変わらずミナはお構い無しで、恥ずかしい思いをするのは僕のみだった……
「え、本当ですか!?」
 驚く声を聞き、ミナに乗りかかられたまま顔だけを見上げる。マスターが衝撃を受けた様子で相手とやりとりをしている。コウイチは自信たっぷりに、胸を張って話す。
「えぇ、ここで長時間並ぶよりも、VIP専用に入ればすぐです。僕のストライクを助けてくれた御礼になれば良いのですが」
「VIP席って、マリン・ブルー号の……? マジで?」
 ユカが現実でないものを見ている様子で、半信半疑に尋ねている。
「えぇ、自慢じゃありませんけど、僕の家はちょっとした資産家でしてね。父にお願いすればあなた達も船内にいち早くご紹介できると思うので」
 それを聞いてマスターが悩む。勝手な解釈だが、コウイチの申し出に是非ともお願いしたいと思っている反面、申し訳ないとも思っているのだろう。長い付き合いだからそう思えてくる。
「一般公開で入るよりもずっと良いですよ。どうですか?」
「いいじゃない。こんな所で並ぶよりずっといいわ。行きましょ、ユカちゃん!」
「え、ちょっとミナ……」
 マスターが返答する前に、ミナが勝手に申し出を受けた。未だに現実から覚めない様子でユカは戸惑っている。
「それじゃ、決まりですね!」
 ミナの言葉に、コウイチは嬉しそうに言って二人の答えを待たずに了承してしまった。隣のストライクも若干表情が緩やかになる。彼はマスターが何かを切り出す前に、ストライクを連れて列から出て行ってしまった。
 すっかりその気になってしまい、今更訂正しようの無くなってしまった僕達は、るんるん気分で彼の後を追っていくミナを見て、慌てて追いかけて行った。
 長蛇の列から孤立するように離れた僕達は、コウイチの案内で着いて行く。しかし、クスノキ造船場とは逆の方向を歩いていた。やや歩いて、最後列の看板を掲げている案内人を見かけたが、それすら通り過ぎてしまう。
 どうして造船場から離れていくのか理解に苦しむ。僕だけでなく、マスターやユカも戸惑っている様子だった。それでもコウイチはお構いなしに前を進んでいく。どんどん列から離れていく。
 内心僕は焦りを感じる。嘘を付かれているんじゃないかと疑ってしまう。しかし、今更あの長蛇の列を再び最後列で並ぶのは到底無理だ、暑さと人の熱気で倒れてしまいそうだ。
 列から離れて歩いている内に、やがて一本道の道路に出た。
 その道路は、一方がクスノキ造船場に続き、反対方向は大通りへとつながっている。走る車は無く、人が集まっているカイナにしては随分寂しい場所だった。ここから見える長だの列が小さく映っている。
「こっちですよ」
 手招いて、更に誘導していく。正直言って、不安になってきた。
 どこまで僕達を誘うのだろうか。変な場所に連れて行かれるんじゃないかと疑心暗鬼に陥る。もし考えている通りならば、勝手に彼の言葉を鵜呑みにしたミナを憎みたくなる。
 そう思ってる最中、コウイチは何やらポケットから薄い平らの物を取り出すと、それを二つに折り割ってそれに向かって喋り始めた。
「あー、もしもし、僕だ。――うん、そうだ。すぐに来てくれ」
 単純にそれだけ言うと割ったそれを再び折り戻し、元のサイズに戻した後にポケットに収める。
 僕らはと言うと、たったそれだけの会話をしたコウイチに唖然とする。
 誰もが一体何を話していたのか聞きたがってはいるようだけど、誰も口には出さなかった。
 一刻が過ぎる。相変わらず照りつける太陽はじりじりと焼きつくように暑い。正直言って、もうここにいるのもうんざりに思えてきた。その時だった。
「あれは?」
 最初に異変に気が付いたのはユカだった。指をさして僕達に教える。大通りの方から黒く光る一台の車が走ってくる。コウイチ以外の僕らは目をぱちくりさせながら見ていた。
 それは高速に動くもとても静かな走りだ。全身黒真珠に輝くボディが太陽光を受けて眩しく反射させる。その車は、コウイチの手前まで来るとゆっくり減速し、やがて止まる。
 滅多に車を目にする事のなかった僕からしても、それはルール違反に思える幅をしていた。コウイチの前で止まったその車は、僕が知っている車の二倍分の幅があった。
 中央の座席が開き、黒い服を纏った白い髭をした老人が出てくる。背筋をピンと伸ばしたまま老人は、年を思わせないはきはきした口調で言う。
「お待たせいたしました、お坊ちゃま。そちらがお客様ですね」
「うん、そうだよ。相棒の恩人だからね、丁重に頼むよ」
 老人はかしこまりましたと言わんばかりに低くお辞儀をした後、僕らの方に進み寄る。
「お坊ちゃまから話は伺っております。是非ともお礼をしたいと言う事で、どうぞ中へ……」
 静かに言うその老人を前に、夢が現実化の区別が未だに出来なかったマスターとユカは、目の当たりの光景をただ呆然としていた。

 昼が過ぎ、日が地平線の彼方へ落ちようとしている。オレンジ色に照らされた空は夜を迎えようと夜の色へと変わっていく。
 キャモメの集団が消え行く情熱色の夕日に向かって列を並んで飛ぶ姿は、何だか渋いものを感じる。
 豪華客船マリン・ブルー号の甲板から身を乗り出すように、海に沈んでいく夕日を名残惜しそうに見つめているのは、僕とミナの二匹だ。風に吹かれて漂う潮の香りが鼻をくすぐる。
 この時間帯は僕達以外誰も居ない。すでに一般公開が終了している時間帯で他の乗客たちは、船内に集まって豪勢なパーティを行っている所だ。
 そのパーティはと言うと、ダイニングルームで行われる。人間の金持ち・有名人・何やら偉い人達と言った特別な種類の人ばかりを集めたパーティだ。
 豪華な食事やら大演奏などを堪能し、皆がこの豪華客船の初の船出を祝うようにパーティを楽しんでいる。マスターやユカはコウイチと共にそのパーティに参加している。
 しかし、生憎僕らは人ごみに溢れる所に居るはもう御免だった。すでに長蛇の列を並んでいたおかげで人の集まる社交場にはうんざりしていた所だった。
 ミナが船の外に出て見たいという理由で、僕も人ごみを避ける口実で付き付き合った。
 一緒に甲板にでるなり、ミナが何かに興奮しながら僕の名を呼んでくるから仕方なく来てやった先で見たのが、今見ているオレンジ色に輝く夕日の姿だった。絶景とも呼べるその光景は、演奏や美術品や上手い食事に溢れるパーティなんかよりもずっと素晴らしかった。
 人間達が作り上げた、どんな綺麗な物を並べても決して代償になんかできない美景が、そこにある。
「綺麗ねぇ……」
「海にいるポケモンは、みんなこの光景を目にしてるのかな」
 溜め息を漏らす様にミナが呟いた。僕も同感に思い、小さく頷いた。
「アタシ、ずっとここに住んでてたけど、カイナからこんな景色が見られるなんて知らなかったな……」
「そうなの?」
「うん。だって何時もこの時間帯は仕事中だもん。ずっと住んでいながら、なんで気づかなかったんだろうなアタシ……]
 その口調はまるで今までずっと知らずに損してきたような言い草だった。僕も長い旅を続けて色んな自然を見てきたけど、こんな美しい景色を見たのは初めてだった。
 バトルばかり考えてきて、感心のなかった世界に初めて目を向けるようになって、初めて見る物ばかり目の前に広がってきた。
 もし、僕が別の事に感心を向けるようになれば、この光景ばかりではなくて、ミナが教えてくれたポケモンコンテストの時と同じように、沢山の感動や魅力を知れたかもしれない。
 今まで、強くなる事が全てだった僕の心理が、いかにちっぽけなものだったかと反省させられる。。
 この世界は広い。探せばまだまだ見た事の無い物が沢山あるのかも知れない。この時僕は、初めてそう思うようになってきた。もっと見てみたい。
 そんな事を考える最中、僕は昨日のサティでマスターと交わした会話の事を思い出した。
 ――強くなって、お前はどうしたいんだ?
 バッヂをすべて手に入れ、近々リーグ戦に出場し、ポケモンマスターの座を掛けて戦う。そして、すべてが終わった時、その後はどうするんだろう?
 あの時の質問に僕は答えられなかったが、今なら言えるんじゃないかと、そんな気がした。リーグ戦を終えて、旅の終着点に着いたとき僕はマスターに告げてみようと思った。
 しかし、心の奥底で何かが引っかかった。それは僕自身がやりたい上で、どうしても必要な何かがあった。それを具体的に言葉に表すのが難しく、自分でもはっきりしない。何だろう、このもやもや感は――
「ねぇ」
「うん?」
 沈んでいく夕日に見惚れている中、ミナに声を掛けられる。
「クロイズってさ、今まで色んな所を見て回ったんだよね?」
 唐突とも言える質問に、僕は少しだけ戸惑いながら聞き返した。
「そうだけど、突然どうしたの?」
「ううん。アタシさ、ずっと仕事で忙しくて友達作りとか旅をした事がなかったからさ、外の世界を旅してきたクロイズが羨ましいなって思ってね」
 やんわりと語るその表情は、何処か遠くを見るような様子だった。
「そうは言っても、僕は強くなる事ばかり拘ってきたから、旅路の事なんてほとんど感心なかったよ」
「それでもアタシは羨ましい。強くなろうとする中で、沢山の相手と戦ってきたんでしょ。それだけでも、色んな物をみてきたはずよ」
 言われて見れば、そう言えなくもない。幾度と無く多くのトレーナーのポケモンと戦ってきた。相性の有利な相手から不利な相手まで。はたや想像の出来ない戦い方をする相手にも出会ってきた。説明しきれないほどの戦いが、僕を強くしてきた。
「アタシもさ、クロイズみたいに自由に旅をして、コンテストを回っては挑戦していって勝ったり負けたりを経験しながら、少しずつ理想な自分になれたらいいなって思ってね」
 沈みかける夕日から顔を背け、笑みを作りながらも何処か切なさを含んだ顔を僕に向けてくる。
「でも、そんなのは夢よね。しょせんはさ……」
「夢……」
「うん、夢なのよ。アタシにはサティでお手伝いをする看板娘としての役割があるの。だから決して叶う事の無い夢……」
 寂しそうに笑うミナがなんだか痛々しくて、僕の胸にチクチクと突き刺さる感覚を覚える。
 ミナには分かっているのだ。どんなに願ったところで、自分にそんなチャンスは訪れない。これは運命なんだという事が。
 世界を旅してきた僕と、一つ屋根の下でずっと同じ事を延々と続けてきた彼女。目標に向かって走り続けてきた僕とは違い、夢に向かって努力をする自由すらない彼女の現状。不平等で理不尽とも言える現実に、やるせない気持ちになる。
「夢だから、決して叶わない……ミナは、本当にそう思っているのかい?」
「え?」
 ミナが意外そうな顔で驚くが、構わず続ける。
「夢だからと言って、決して叶わないと決め付けるのは早いんじゃないか? 僕だって、小さい時はすごく弱くて、いくら戦っても強くなる気配すらなかったさ。それが、今のマスターとの出会いによってがむしゃらに頑張ってきて、自分でも信じられないくらい強くなれた」
 僕は、ミナ自身が叶わないと言った言葉を否定するように言う。
「どんなにダメな奴でも、どんなに不自由な奴でも、それでも諦めずに頑張ろうと努力を続ければ、それは決して夢で終わる物じゃないんじゃないか」
「アタシには、そんな力も根気も無いわよ……」
「叶えたいんだろ、例えそれが叶わない夢であっても?」
 聞き覚えがあると言わんばかりにミナの綺麗な目が大きく開く。それもそのはず、彼女自身が口にしていた言葉なのだから。
 いくら口で叶わないと言っても、本心ではそれでも叶えたいという思いがあの時から伝わっている。諦めたくない、大変な環境にいても尚コンテストに出て自分の魅力を観客に見せたい気持ちが、今でも彼女の中に残っている。
 だから僕は、何時でも真面目に頑張ってきたミナに対して、夢を叶える手助けにはならなくても、せめて励ましたかった。我ながら勝手な言葉だとは思う。それでも――
「だから、相談して見たらいいんじゃないか。君のご主人にさ」
 是非そうしろと、押し付ける様に言った。しかしミナは、再び寂しい笑顔に戻って言う。
「口ではそう言っても、無理なものは無理よ。我侭言って、ユカちゃんやそのお父さんに迷惑かけたくないし――」
「それは違う、我侭なんかじゃない!」
 思わず声を荒げてしまったい、ミナがビクッと震えた。驚かせて申し訳ないと思いつつも僕は続ける。
「ク、クロイズ……?」
「君は今日までずっと頑張ってきたじゃないか。仕事三昧名日々を送っても文句一つ言わなくて、客に喜んでもらえる為に、やりたい事も我慢してきたんじゃないか。そんな君が望んだ夢を叶えられないなんて、あんまりすぎるじゃないか!」
 何故だか僕は、ミナに押し付けられた理不尽な運命を、代わりに怒る気持ちになって叫んでいた。
 とは言え、小さい頃からミナを見ていたわけではなく、どの位頑張ってきたかなど想像がつかない。ましてや出会ってまだ三日目でしかない僕が彼女のこれまでの人生についてどやかく語る資格も無い。自分勝手にミナの人生を報いたいなと吼えてるだけなのかもしれない。
 しかし、ユカがプレゼントしたと言うあのヘアバンドが、今まで仕事を頑張ってきた証じゃないかと僕は思った。
 何故そう思ったかは、あのヘアバンドはユカが気分的なものでプレゼントしたものではなく、ずっと仕事を手伝ってきたミナへの感謝なのか、或いは好きな事をやらせてあげられない不自由に対する詫びかもしれないと、勝手に推測したからだ。
 例え僕の推測が外れていたとしても、ミナはユカに愛され、またミナもユカの事を愛している。それだけは、絶対に間違ってはいないと思う。だからこそ――
「だから、少しだけ素直になっても良いんじゃないか?」
「そんな事言っても、駄目だなんて言われたらそれでおしまいじゃない……アタシの都合なんかで、納得してくれる訳ないわよ……」
 その通りかも知れない。事実、サティは繁盛している喫茶店だ。ミナが抜けることによって、どれだけの人気を落としてしまうか、僕には分からない。
「言って駄目だったらそれもしょうがないかもしれない。結局は僕のお節介かも知れない……」
「そうよね……アンタめっちゃお節介よそれ……」
 小さく呟くミナの言葉がチクッと刺さる。
 重々承知だと言わんばかりに、逃げる様に視線を海へとやる。しかし、ここまで言っておいて今更それは無いと自分を叱りつける。
「でも、言うだけ言ってもいいんじゃないか……? 僕も……その、頼んでみるから。ユカさんに……」
 苦し紛れにもならない言い草だと、僕は自身の無責任さと不器用さを呪った。
「それこそお節介と言うのよ……もぉ、馬鹿じゃないの?」
 呆れたと言わんばかりにミナは苦笑する。そんな事分かってる。馬鹿だと言われてもしょうがない。恥ずかしさともどかしさにどうにかなってしまいそうな僕は、やけくそに思った言葉をそのまま口にした。
「僕はミナに、好きな事をやり通せる自分になって欲しいんだよ!」
「……っ!」
 それまで悲しそうだったミナがハッと驚き、瞳が大きく見開かれる。
 恥ずかしい言葉を言ったなと、後になって身に染みてくる。それでも最後まで言い切ろうと、最後はやんわりと言う。
「君が目を輝かせながらコンテストを語る姿が、とても素敵だった。何時か叶えたいって気持ちがひしひしと伝わってくるんだ! 僕はそんな君を応援したいんだ! だからさ、決して諦めようだなんて思うなよ、夢なんだろ……」
 ミナがシュンと押し黙る。甲板に視線を落とした目は、悲しげに曇る。励ましどころか、帰って彼女を傷つけてしまったんじゃないかと、僕は今更ながら自分の発言を後悔しそうになる。
 会話が途切れたまま、やがて耐え切れなくなり、撤回して謝ろうと口を開いた瞬間、涙声に近いミナの声が届く。
「クロイズ……」
 僕の名を呼ぶ彼女の目は若干潤んでいて、湿っている。
「クロイズ……アタシ……」
 潰れそうな声で、それでも一生懸命に喋ろうとする。
「あなたの言うとおり……やりたい……」
「ミナ……」
 ようやく、素直になってくれた。
 顔を上げた彼女の顔は何時しか涙の筋を作り、笑顔弾ける愛らしい顔を歪ませていた。潮の風に吹かれ、僕とミナの体毛が靡いていく。
「このまま、夢のままでなんかで終わりたくなぃ……ポケモンコンテストに、出たいよぉ……ぅっ……ぅっ……」
 懸命に漏れ出る声を抑えようと、それでも込み上げる素直な気持ちに抗えずにミナは呻き、しゃくり上げる。
 水に溢れたコップから漏れ出るみたいに、これまで押し隠してきたポケモンコンテストに出たいと言う気持ちを吐き出した。
 涙で湿る瞳の奥に、一筋の光が歪みながらも浮き出てくる。多分、ミナ自身でも始めて誰かに見せる、自分の気持ちの表れなのかもしれない。これまでずっと、自分の主人にも誰にも言った事の無い初めての本心だったと、僕は静かにそう受け取った。
 やがて、溢れる気持ちに押し潰されそうになった彼女は顔をくしゃくしゃにしながら僕に近づく。ミナの方から首を絡めるようにあわせる。
 湿り気を帯びながら震える彼女を背中で預かる。雌の香りが鼻を擽る。体毛越しに伝わる肌の温もりをしんみりと感じ取りながら、僕は黙って受け止めた。
「ミナ……」
 なんだろう、この高鳴る胸の鼓動は――彼女を慰めているはずの僕が逆に彼女に抱かれている不可解な心理に囚われていた。不謹慎ながら、不思議と僕は心地良いと感じてしまった
 幾度と無く抱かれた事はあった。ジム戦で最後の相手に勝利し、マスターに抱きしめてもらった事を思い出す。それ以外にも旅先で出会ってきた子供やトレーナーやらにスキンシップで抱かれた事もあった。嬉しいと思ったし、逆に鬱陶しいなと感じた事もあった。
 けど、こんな気持ちは初めてだ。体が芯から暖まるような、それとは別に胸が圧迫されそうな位の鼓動に、なんとも言えない気持ちに陥った。
 それをどう表現したらいいか分からない。しかし、今確かに言える事あるとすれば、何時までもミナとこうしていたい。微弱に震える彼女を抱きながら、そう願っていた。
 ミナの泣く声と甲板に吹く潮風以外は何も聞こえてこない。時間ばかりが過ぎ、やがて彼女の震えは治まる。全てを吐き終えても、未だに僕の首に擦り寄った状態のままで鼻をすする。落ち着いたか気になった僕は声を掛けて見る。
「落ち着いた?」
「潮風が染みる……すんっ……」
 もう安心してもよさそうだ。大泣きしてた事をはぐらかす言い草するミナに、ホッと一息を吐いた。どうやら僕の方も落ち着いてきた。胸の高まりはもう平常に戻っていた。
 間近で香ってた雌の匂いが離れていく。再び僕の視界に現れたミナの瞳は泣いた後の痣が残り、少し可笑しかった。思わず噴出しそうになった。
「何よ……アタシに何かついてるっていうの?」
 ムッと膨れ上がり、それが更に可笑しく見えて余計に笑いそうになった。下を向いて懸命に堪えようとするが、どうしても耐えれなかった。逆にミナはムカッと怒り、前肢で僕の頭部を叩いた。
「いててっ、叩くなよ……」
「笑うからいけないんでしょ、全く……。あーあ、アタシとした事が大失態だわ。よりによってクロイズなんかに泣き付くなんて、一生の恥だわ! もうお嫁にいけない!」
 そんな言い方はないだろうと、痛む頭を前肢で擦りながら不貞腐れる。せっかく胸を貸すつもりで慰めたのに、大失態なのはむしろ僕の方だった。でも――
「むぅ……まぁでも、あれだけ泣けば胸につっかえていたものも和らいだだろう。少しは楽になったか、ミナ?」
「……うん、大分軽くなったかな」
「それは良かった良かった。ふふふ……」
 僕は元の元気になった彼女を見て嬉しくなり、前肢を伸ばした。ヘアバンド越しにミナの頭部を優しくなでた。ついつい人間の親が子を褒めるみたいに、自分もそうしてしまった。
「ちょ、何すんのよ。この馬鹿犬……!」
 罵倒するも、声に張りがなかった。内心喜んでくれているのか、ただ恥ずかしいだけなのかは分からなかったが、ともかく、もうミナは大丈夫だ。それだけで僕は満足だった。 
「ハハ、それだけ悪口が言えれば十分さ」
「馬鹿にしないでよ、もぉ……!」
 ムッとしたままなミナは瞼に残った水滴を前肢で拭う。再び甲板に拭いてくる潮風が冷たく感じて外の背景に目をやる。
 キャモメの姿は何処にも無く、綺麗だった夕日は既に水平線の彼方に消えてしまい、空は暗く星達が輝いている。ミナを慰めている間にすっかり夜になってしまった。
 船の窓から所々明りが灯り、夜の暗さを打ち消すほどのカラフルな色でライトアップさせていた。
「すっかり暗くなったな、そろそろマスター達の元に戻ろう」
 彼女は小さい声で「えぇっ」と言う。そろそろ食事の時間だし、中に戻ってご馳走をたらふく召し上がろうと考える。踵を返し、ミナの先を行く。
「クロイズっ」
 張りのある彼女の声に、僕は顔を背後に向ける。何時に無く、仕事以外で真剣な表情の彼女の視線が、真っ直ぐに僕に向けられる。
 名を呼び終えた後に、何かを言い出そうとするも、言い難そうに口ごもっている。それでも、ようやく彼女は言いたい言葉を口にした。
「ありがとう……とっても嬉しかった……」
 感謝の言葉は大きめに、その次の言葉はとても小さく響く。告白をする少女のようにもじもじとし、頬を赤く染めて下を向く。
 やがて意を決して、パッと表を上げた。そんな彼女の見せる表情に、僕は思わず見惚れてしまった。
 看板猫としての営業スマイルでも到底見せない、夜の暗闇を振り払わんばかりに弾ける笑顔が見せてくれた。船体のライトアップがそれに加わって反射し、より可愛らしく照らされる。
 始めて見る、心の底からの笑顔とでも言えそうな素敵な表情だった。また、胸の鼓動が高鳴りだした。
「えっと、アタシ先にユカちゃんの所に行くね……」
 元の表情に戻ると途端に恥ずかしそうにする彼女。俯きながら、逃げるように行ってしまう。僕はそんな彼女の後を、消えるまでジッと眺めていたのだった。

コメントフォーム 

感想、指摘などお待ちしています。

コメントはありません。 Comments/僕の初めて(後) (1/2) ?

お名前:

トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2012-10-14 (日) 00:00:00
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.