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依存関係 -11-幸せごっこ

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空蝉

前回に引き続き謎展開です……○| ̄|_



おさらい
焔(ホムラ)=エンテイ=宿六
白糸(シライト)=キュウコン=デレ
スイクン=空k(ry






 ───眩しい。

 ゆっくりと眼を開けると、木洩れ日が描いた小さな模様が地面の上で揺れていた。
 日はもう随分高い。
白糸(シライト)……」
 半分寝ぼけた頭のまま、まず彼女の名を呼ぶ。
 だらりと寝そべったまま周囲を見回すが、近くには気配を感じない。(ホムラ)は起き上がるのも億劫なのか、ずるずると腹這いのまま日向へ移動した。


「まあ、なんてだらけよう」
 不意に頭の上の方からくすくすと笑う軽やかな声が響いた。
 焔がようやく顔を上げると、畳んだ大きな葉を銜えて、妻が呆れ半分の笑顔で見下ろしている。
「よくお休みのようでしたから、先に木の実を取りに行っていたんですよ。召し上がるでしょう?」
 言いながら焔の目の前に葉を広げると、小振りな木の実がいくつか転がり出た。
「最近よく召し上がりますものね」
 嬉しそうに笑って、一番よく熟れたものを口に銜え、半分寝そべったままの焔の口元へと運ぶ。
「ん?」
 その行動の意図が読めずに首を傾げる焔に、白糸はじれったそうに吻先を寄せる。
「あーん」
 甘えるような声でそう言われて、ようやく焔も気付いた。気付いたのだが、とても恥ずかしい気がして素直に口を開けるのが憚られる。
 どうにも煮え切らずにもじもじしていると、木の実を銜えたままの白糸に半ば強引に口付けられた。
「ほむらさま……」
「ん……」
 口移しで与えられた小さな木の実。何とも言えない顔で咀嚼する焔を、白糸は満足そうに頬を染めて見つめている。
「おいしいですか?」
「……うむ」
 ではもう一つ、と木の実を銜えようとする白糸を、焔は慌てて止めた。流石にこんな恥ずかしい食事にはこれ以上耐えられそうにない。ただでさえ熱い顔から、本当に火が出そうだ。
 辛うじて「自分で喰える」と言った焔に、白糸はとろけるような笑顔で言った。
「しっかり食べて力をつけておいて下さいな。もうすぐ父親になるんですから」

 その言葉に、焔の動きが止まった。
 口の中で転がしていた木の実のかたまりを、思わずそのまま嚥下し───噎せてもがく。

「焔さまっ、あなた!?」
 苦しげに息を詰めている焔の背を、白糸が慌ててさする。
 盛大に咳き込んだ末にようやく落ち着いた焔は、未だ荒い息のまま白糸を見遣った。
「お前……まさか」
 意図せず疑うような言葉になってしまったが、白糸はそれには気を向けず、嬉しそうに微笑んで頷いた。
「ええ。仔が出来たんですよ」

 仔が出来た。
 焔にとっては、初めて面と向かって聞く言葉だ。

「……」
 呆然と口を開けたまま目の前の顔を見つめる。
 あまりにも焔が凝視してくるので、白糸は恥ずかしそうに大きな尻尾で顔を隠した。
「そんなにじっと見ないでくださいな」
「あ、ああ……すまない」
 焔は慌てて彼女から目を逸らす。それでも、どうにも気になってちらりちらりと彼女の方を伺ってしまう。そんな焔の様子に、白糸は困ったようにくすくすと笑った。
「堂々となさいませ。正真正銘、あなたの仔なんですから」
「……う、む」
「私は嬉しいのですよ。……あなたは?」

 不意に向けられた問いに、焔は答えに行き詰まる。
 直接腹に仔を宿す女ならば実感も湧こうが、男である自分にとって仔が出来たというその現象はあまりにも唐突すぎて、嬉しいだとかそんな事よりも前に、そもそもそこに居るのは何なのかという初歩的な事でつまづいている。情けないがそれが焔の現状だった。

 それでも、期待の眼差しを向けてくる妻に何を言うべきか、それぐらいは判っていた。
「あ、わ……私も嬉しい。あまり無理はするなよ」
 たどたどしい気遣いであったが、白糸は心底嬉しそうに笑ってくれた。

「……」
 その花咲くような笑顔に、思わず焔は見惚れていた。掛け値無しに彼女の笑顔は美しいと思う。
 じゃれついてくる時も、こうして語り合っている時も、焔と一緒にいる時の白糸はまるで幸せの絶頂に居るかのような輝きを見せてくれる。自分は決して愛情表現に長けた質ではないと焔は自覚しているが、そんな自分と一緒に居てどうしてこんなに幸せそうなのか不思議なぐらいだった。
 それでも、彼女が笑ってくれるのならそれに報いたい、拙いなりに尽くしたいという思いが日に日に強くなってくるのが自分でも判る。
 幸せにしてやりたい。誰よりも必要とされたい。我が妻ならば尚更だ。
 まだ見ぬ命。そこに居るのが、自分と彼女とが確かに夫婦の契りを交わし、自分が彼女に与えた情愛の証であって欲しいと願う。

 ───私と、白糸が……?

 ふと、目の前を違和感が通り過ぎた。
 彼女の細い腰に目が止まる。仔を宿している筈の、それでも華奢な体躯。焔と体を重ねるには、あまりにも小柄すぎる彼女の身体。
 焔の中で記憶と思考が渦を巻く。何故今まで気付かなかったのだろう。
 どうしても、どうしても、思い出せない。何故思い出せないのかすら判らない。

 ───どうやって……契ったんだ?

 どう考えてもおかしい。そのような経験を忘れる筈がないではないか。いくら何でも交わった記憶がないというのは、何かの毒にでも当たって意識が混濁したまま行為に及んでしまったか、何か事故でもあってその時の記憶が消し飛んだか───始めから、そんな事実が無かったか……。
 急激に沸き上がる何とも言えない不気味な不安に、焔の鼓動が早まっていく。

 自分は一体どうしてしまったのだろう。
 自分の記憶は一体どこへ行ってしまったのだろう。

「白糸……」
 果て暗い奈落を覗き込むような恐怖、そして自分が自分でないような心細さが焔を襲う。けれどそれを受け止めてくれるのは、今はこの妻しか居ない。
 呼ばれる声に応えるように、白糸が焔に寄り添ってくる。焔はその艶やかな毛並みに頬擦りして、彼女の身体に負担がかからないようそっと抱き寄せた。
「どうなさったんです? 急に甘えて……」
 抱かれながら白糸が焔を見上げる。焔のすべてを受け止めるかのようにまっすぐに見つめてくる紅い瞳は、どこまでも深く澄みきっている。見ていると何故か辛くなって、焔は彼女の首筋に顔を埋めて目を閉じた。

「しばらくでいい……このままで───」


 こうして触れ合っている実感も、この腕の中の者を大切に愛おしく思う心も本物である筈なのに。
 彼女に宿った新たな命は、これからの自分たちの幸福を指し示す一筋の光である筈なのに。
 何故こんなに、流れゆく砂を掴むように不安で仕方ないのだろう。
 何故自分の足元は、こんなにも心許ない小舟のように不確かなのだろう。


 ───白糸……お前の其処に居るのは、本当に、希望なのか……?








 夢を見ていた。

 またあの焼かれる男の夢だ。
 嫌だ、見たくないと心は拒むのに、体が勝手にその場まで引き寄せられていく。そして無理矢理、体の中から火の力が吸い出されていく。
 全身から爆発的に吹き上がった炎は、まるで操られるかのように、一直線にその男へと降り注いだ。

 この世の終わりのような悲惨な絶叫。
 その声が───そして意に従わない自らの火の力が恐ろしくて、自身も同じように叫んでいた。








 木々の梢が眩しい光を散らしながら揺れる中、焔は独り細い獣道を辿っていた。
 何となく心に引っかかる気掛かり事があって、少しの時間独りになりたいと思っていた。そこへちょうど妻が水場へ行ってしまったので、何も告げずにこっそりと散歩に出たのだった。
 何故かその気掛かりを彼女に相談するのが躊躇われた。今自分の中にわだかまっている不安や懸念の原因が、ひょっとしたら彼女にあるのかもしれない、そんな当て所もない予感があったせいで、自分独りだけでそれを確かめたかったのだ。
 取り越し苦労ならそれでもいい。この気掛かりが、『気のせい』で済むのなら、いっそそうしてしまいたいというのが本音だった。


 変わり映えのしない景色が続く。歩いても歩いても、まるで進んだような気がしないこの感じ……初めてではないような気もするが、それも定かでない。どこをどう歩いたのかすら、もう覚えていない。自分はこんなにも物覚えの悪い方向音痴だったかと首を傾げたくなる。
 ひょっとしたら道に迷ってしまったのかもしれないが、いざとなれば妻が探しに来てくれるだろうと気安く考えてそのまま進んだ。


 ふと立ち止まり、周囲を見回す。
 此処はもっと暗く陰鬱とした森だった───形にならない思い出の欠片がそう告げる。
 どこまでも深い深い暗闇。生命の気配が欠片も感じられない不気味な森。そしてこの細い道は、死者の通り道ではなかったか。

 ───誰かに会った、確かに此処で。

 ゆらゆら揺れる炎のイメージは見えているのに、まるで遠くにある霞の像のように淡く朧げで、その記憶の実体にどうしても辿り着かない。掴めそうで掴めない、大切な事の筈なのに思い出せない。
 息苦しくなるほどのもどかしさに思わず天を仰ぐと、空の青さが目に刺さった。眩しすぎるその色がまるで虚像のようだ。目に映るものが、ことごとく偽物のようにさえ思えてくるこの違和感は何なのか。
「……」
 焔は立ち止まったまま目を閉じてみた。当てにならない視覚なら閉ざしてしまった方が良いのかもしれない、そう考えてそのままゆっくりと歩き出した。無理矢理塗り潰されたような断片的なイメージを、四本の脚の感覚だけを頼りに辿っていく。


 いつの間にか、葉擦れの音が消えていた。耳に届くのは、自分が下草を踏むかさかさと乾いた音、ただそれだけだ。
 森に特有の、木々の青々とした匂いも感じられなくなった。
 自分の周りの空間から少しずつ何かが───虚像と呼ばれるものが削ぎ落とされていくのが判る。そして一歩進むごとにこの空間の真の姿に近付いていく確かな手応えを感じる。何もない暗闇が延々と海のように横たわる、その見覚えのある光景が足元の感覚から伝わってくる。


 前方にうっすらと見えるのは、横に三つ並んだ石の筋。

 ───これを跨ぎ越せば……




「待って、これ以上進まないで」
 不意に、はっきりとした声が焔を呼び止めた。
 驚いて目を開けると、暗闇に変わった森の中、三つの石の前に小さな獣が立ち塞がって焔を睨み上げていた。幾つもある尾が威嚇するように逆立っているせいで、小柄な体が倍ほどに大きく見える。
 小さいながらもどこか気品のあるその風情は、確か妻の類縁の種だったと焔は思い出す。
「そこを通してくれないか、ロコン」
 穏やかに告げたつもりだったが、目の前のロコンは更に毛を逆立てて、気の強そうな目が睨み返してきた。
「この先に何があるか知ってて言ってるの?」
 詰問するような口調には明らかな苛立ちが混じっている。どうして彼女がこんなに怒っているのか、焔には判らなかった。
「いや、知らない。……しかし知っているかもしれない」
「ふざけてるの? 馬鹿にしないで」
「そうじゃない。何故か判らないが、記憶がどうにもおかしいのだ。その理由を確かめたくて此処まで来た」
 とつとつと訴えるような焔の真摯な様子に、ロコンは小さく溜息をついた。
「理由はそれだけ? そんなつまらない事で此処に入ろうなんて馬鹿じゃないの? 帰った方が良いわ」
「しかしこのままでは……」
「良いじゃないの、記憶が飛んで姐様(ねえさま)夫婦(めおと)になれるんなら。どうせろくな記憶じゃないんでしょ。そんなもの惜しむより、燃え尽きるまでの短い間、そのまま姐様と幸せごっこでもしてた方がよっぽど有意義よ」
「……え」
 記憶が飛んで───そう言った彼女の言葉に、焔は自らの違和感の理由を確信した。そして彼女が『姐様』と呼ぶその者、焔の妻がそれに関わっていることも。
「私の記憶がおかしい事と、白糸と……どんな関係があるのだ?」
「それを知ってどうするの? 姐様があなたの記憶をどうにかしたかもしれないって、それを確かめてどうするのよ? それで姐様を恨んで責める? そんな度胸もないくせに。 暢気なものね、自分がどれだけ余計な事してるか、判ってるの?」
 弾丸のように捲し立てるロコンの言葉の勢いに飲まれてしまって、焔は一言も返すことが出来なかった。

 それを確かめてどうする───改めて、自分自身に問いかける。
 知ったところで、気は多少晴れるかもしれないが、それ以上に辛い思いを味わうであろうことは容易に想像できる。白糸の心を傷つけるかもしれない。今のささやかな幸せを棒に振るような危険を負ってまでそうするだけの度胸が今の自分にあるかと問われたら、確かに答えに窮するかもしれない。


「姐様を悲しませるようなことはやめてよ。どうせあなたもうすぐ死ぬんだから、それまで精一杯姐様を幸せにしてあげて」
「私が……死ぬ? 何故だ?」
 思わず問い返していた。彼女の言葉の中に含まれていた死の宣告はあまりにも唐突で、焔の理解の範疇を越えている。
「だからそれ知ってどうするの。知ったところで運命は変えられないわよ。この森に入ったら誰も生きて出られないんだから。命が尽きるまで貪り尽くされるだけ。どうやって貪られるか知りたいなら教えてあげるけど」
「……」
 命が尽きるまで。焔にとってはまるで実感のない言葉だが、ロコンはあたかも彼の死に様を知っているかのように呟く。
 釈然としない表情で押し黙る焔を見上げて、ロコンは僅かに首を傾げた。
「あなた不思議ね。自力でで此処まで来た男は今まで居なかった。暗示が解けちゃったのかしら」
「暗示?」
「そう。必要な時だけ、呼ばれた時だけ此処に来るようにってね。今までの男たちはそうやって導かれるまま此処へ来て……みんなすぐ死んでったわ」
 そう呟くロコンの視線の先は、三つの石で封じられた道の向こう側。つられるように焔も目を向ける。


 知っている、覚えている。この先は灼熱の火炎地獄。
「ああ……思い出した」
 此処を何度か通ったことがある。ロコンの言うように、何かに導かれて。夢だと思っていたあれは、現実だったのか。この中に入った途端、否応なしに体の中から炎の力が引きずり出される。このところやけに体が疲れやすいと思っていたが、これが理由だったのかと焔は納得した。


「行く? 通っても良いわよ。命を縮めたいならね」
 皮肉混じりに問うロコンに、焔は溜息をつく。此処が何の為の場所なのか、おおよそ察しがついた。
「これまで来た男たちというのは、炎の気質の者か」
「そうよ」
「そして彼らの炎の力を奪って死に至らしめたのは……白糸、だな」
 焔の落ち着いた問いかけに、ロコンは暫し口を閉ざした。まっすぐな視線を受け止める気丈な目が、躊躇いのためか僅かに揺れる。
「……そうよ。でもみんな幸せそうだった。姐様愛しさに自分の炎を全部捧げてね。姐様も……彼らを本気で愛してた」
「……白糸が?」
「そうよ。可笑しいでしょう? すぐ死ぬのに……姐様が自分で喰ってしまうのに、身も心も縋っちゃうぐらい溺愛して……あとで悲しむのは自分なのに」
 ロコンは辛そうに顔を歪めた。
「姐様は男の命を喰ってしか生きていけないくせに、どうしようもない寂しがりでいつも誰かに愛されてないと駄目な女なの。可哀想なぐらい……愚かだわ」


 愛されていないと駄目な女───焔は妻のことを思い浮かべた。
 ロコンが見てきたであろう白糸の『過去』が、今まさに自分の上にも繰り返されているのが焔にも判る。
 まるで貪るように幸せを謳歌していた彼女。大袈裟なほど幸福な女を演じていたのは、自らに幸せであると言い聞かせるための自己暗示だったのだろうか。
 愛し愛される幻想を追いながら、束の間手にした男にありったけの情愛を注ぐ。
 仔が出来た、それすら愛される為の行き過ぎた妄想なのだとしたら。
 自ら喰う運命の男に、そうまでして縋ろうとする彼女の寂しい性分を思うと、焔は死の恐怖よりもむしろ彼女への哀れみの情が募ってくるのを感じた。

 あまりにも脆い砂の上の虚像。彼女と向き合うとき、幸福を感じると同時に何故すべてが儚く思えたのか、その理由が今はっきりと判った。


「そうか……私は白糸に炎の力を喰われて、いつか尽きるのだな」
「そうよ。怖い? 嫌なら代わってあげてもいいわ」
「ロコン?」
 思いも掛けないその言葉に、焔は驚くように目線を下げた。
「姐様の夫君の座をあたしに頂戴よ。ねえ、あたしは姐様と一日でも夫婦になれるんなら喰われたっていいのに、姐様はあたしを選んでくれない。どうしてあたしでなくてあなたなの」
 毛を逆立てたロコンの体から炎がゆらめく。最初に会ったときに見た彼女の苛立ちはきっと自分に対する嫉妬のせいなのだと焔はようやく気付いた。
「……こんなに慕ってるのに、姐様の糧になれるなら本望なのに……どうしてあたしは男じゃないんだろう」
「ロコン……」
「あたしはずっと此処に居るのに。姐様の側に居るのに……」
 情念の強いのはこの種族の気質なのか。
 到底受け止めきれないロコンの想いに、焔はただ耳を傾ける。自分には訊いてやることしか出来ないと彼は知っていた。
「行きなさいよ。行ってせいぜい姐様に炎を捧げるがいいわ」
 突き放したようなロコンの言葉は、自らの炎を愛しい者に貰ってもらえないやるせなさからだ。それを感じた焔は、小さく首を振った。今日は呼ばれてもいないのだ。わざわざ彼女の目の前で妬ませるようなことをする必要もない。今ここを通らなくても、どうせ夜になればまた暗示か何かにかかって、自分の意志に関わらず引き寄せられてくるのだろう。
 それにあの焼かれる男を、好きこのんで見に行きたいとは思わなかった。
「いや、やめておく。今日は此処で帰るとしよう」
「……エンテイ?」
 戸惑うようなロコンの声に、焔はふと懐かしい響きを感じた。


 自分は確か、そんなふうに呼ばれていたな……と、遠くかすれかけた記憶のかけらに思いを馳せる。
 どうせろくな記憶じゃないとロコンは言った。多分その通りなのだろうと自分でも思う。それでも隠された記憶の綾の中から、時折誰かが焔に呼びかけるのだ。
 『エンテイ』と。


 愛しくもあり切なくもある記憶。
 これを失ったまま、自分は死ぬのだろうか。そう思い至ったとき、初めて焔の中に死への戸惑いが生まれた。








 どこをどう通ったのか判らないまま、焔は日暮れ頃(ねぐら)に辿り着いた。
 いや、辿り着く前に、塒の方からものすごい形相で駆けて来た白糸に、体当たりに近い勢いで抱きつかれた。
「あなた、あなた……こんなに遅くなって。私がどんなに心配したかお判りなんですか」
 涙声で恨み言を言いながら焔の大きな身体に首を擦り付ける。心細さのままに甘える様子は、まるで彼女の方が迷子になっていたかのようだ。
「ああ、すまない。心配をかけたな。少し探し物をしていて……」
「探し物?」
「うむ」
 首を傾げる白糸の前で、焔はぶるっと首を振った。その反動で、もっさりとしたたてがみの根元から、鮮やかな色の木の実がいくつも転がり落ちる。
「まあ」
 驚いて目を丸くする白糸に、焔は木の実を一つ銜えて差し出した。
「えー、まあ……しっかり栄養のあるものを喰っておけ」
 焔の言葉の意図を察して、白糸の頬にぽっと熱が差す。途端に恥ずかしげにはにかむ彼女へ、焔は顔を寄せた。
 親から餌をもらう仔のように、白糸は口を開けて待つ。
 触れるか触れないかの微妙でぎこちない口付けには大いに不満を感じたものの、白糸は口移しで貰った木の実の甘さを噛み締めて、嬉しそうに目を細めた。
「それからこんなふうに勢いよく飛びついてくるのは駄目だ。今はもっと体を大事にせねばならん」
 小言めいたその言葉にさえ、彼女は幸せを感じるようで、にこにこと微笑みながら何度も頷いている。
 呆れるほど可愛い女だと焔は思う。
 そして同時に、これが夢まぼろしの幸せごっこでなければもっと良かっただろうにとも思う。


 自分の表情に翳りが差すのを感じて、焔はふいと白糸に背を向け塒の方へ歩き始めた。
 白糸はまだ何も気付いていないのであろう、まっすぐに焔を信頼しきって付いて来るのが気配で判る。


 今日ロコンに会って、焔は自らの疑念を解く糸口を確かに掴んだ。
 けれど、それが本当に良かったのかどうか、未だに判らない。ロコンは「どれだけ余計な事をしているか」と言ったが、知ろうとする行為によって疑念が絶望に変わるのなら、焔のしたことは間違いなく余計な事だ。

 どうせ死ぬなら、騙されたまま死んだ方が幸せだったのかもしれない。ロコンの言ったのは、この事だったのかと今更ながらに気付く。
 けれど、知る事によって、何かを変えることができるのであれば。


 そっと、背後を振り返ってみた。
 そこには、愛されている事を疑わない幸せそうな笑顔があった。

 夢まぼろしで終わらせてしまうにはあまりにも哀れだと焔は思った。





なんか……これで良かったんだろうか

依存関係 -12-君恋し

空蝉



何でもコメントどうぞ。


最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • とりあえずテスト○| ̄|_
    ――空蝉 2011-01-22 (土) 17:24:13
  • エンテイ…
    こういう展開になって来ると、続きに期待したくなりますね…
    期待しております。

    あと、つちへんに時でなんて読むんですか?
    ――散香 ? 2011-02-01 (火) 19:49:38
  • >散香さま
    謎すぎる展開なので期待はずれにならないか心配ですが頑張ります!
    塒……そう言えばふつう見かけないですね、変換そのままでした。ねぐら、ですね
    コメントありがとうございました!
    ――空蝉 2011-02-02 (水) 00:36:23
  • 切ないですね…
    ちょいと涙ぐんでしまいました。

    焔はどうなっちゃうんだろうか…
    …何だかスイクンの存在を忘れてしまいそうです(苦笑)

    続き、期待してます。
    ――スペード ? 2011-02-02 (水) 19:07:49
  • >スペードさま
    コメントありがとうございます!
    作者のくせに何処が泣きポイントだったのかよく判ってないという体たらく(……)なんですが何か感じていただけて嬉しいです。やっぱりスペード様は感受性が強いのかもですね
    次回もスイクンはバッチリ空k(ryを担当してくれる予定ですよ(笑)
    またおつき合いいただけましたら幸いです
    ――空蝉 2011-02-04 (金) 00:10:18
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Last-modified: 2011-01-22 (土) 00:00:00
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