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代理探偵Iのオーダーメイド 移動キャンプの謎

/代理探偵Iのオーダーメイド 移動キャンプの謎

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代理探偵I(エージェント・アイ)のオーダーメイド
-移動キャンプの謎-


水のミドリ



 ワイルドエリアは砂塵の窪地、枯れた木々の散在する荒地を抜けた湖のほとりが、ご主人の今回の目的地だった。と言っても珍しい食材が採れる、もしくは誰かと待ち合わせ、あるいはダイマックスポケモンが暴れている! ……なんてことではない。
 近頃このオアシスは怪現象が起こるとの噂で持ちきりだった。というのも湖畔で夜営したトレーナー数名が、あくる朝の濃霧の中で方向感覚を失い来た道を戻ってしまうという。そう、まるでテントが何者かに動かされたみたいに、だ! ……ワンパチの俺からしても眉唾めいた与太話だが、下っ端のワイルドエリア保全委員であるご主人に指令の拒否権はない。
 色気ない紺のジャケットを芝地に擦れさせつつ、俺とあと1匹いる手持ちポケモンも協力してテントを張っていく。彼女はぶつくさと文句を垂れっぱなしだった。でっぷりと太ったあの嫌味たらしい所長を想像しているに違いない。
「私だって昔はジム廻りしてたんだぞ。ワイルドエリアが楽しすぎてリーグを諦めたのは事実だけど、なんたってこんな探偵もどきみたいな……」
『ご主人、そろそろ休憩にしませんか。ボール遊びがいいです』
「はいはい、いちおう仕事はするから。明るいうちにここらの写真撮っとかなくちゃ」
『わかりました!』
 ご主人の耳には「ヌワ!」としか聞こえないだろうが、俺は元気に返事した。待っていれば必ず遊んでもらえるからだ。かえってここでじゃれついたりすると、夕食のカレーを半分に減らされたりする。それはいやだ!
 ロトム入りスマホを取り出したご主人が、テントを中心に背景を撮影していた。テントの出入口から5メートルも進めば丸い湖が静かに清水を湛えている。その奥には似たような湖沼が2つあって、奥地にはきのみの取れる大樹とポケモンの巣がある程度。さらにその北、ナックルシティ側は高い崖で断絶されている。平地伝いに歩いてきた南側は奇岩の遺跡郡と一面の荒野で、そことオアシスを隔てる穀倉地帯のような丘陵の畝が6つほど、湖を囲うように青々と連なっていた。
 と、首を傾げたご主人が切れ長の目をさらに細め、スマホの画面をつつき回した。(くり)色の癖っ毛をわしゃりと掻く。
「……あれ、ロトム、なんか地図が違わない? あんたのデータ湖が2つしかないじゃない。またアップデートし忘れたでしょう」ジャケットに両手を突っこんだご主人の声は、退屈を極めた仕事にささくれ立っていた。
「しっつれいロト! ボクのデータはいつだって最新情報なんロ!? 地図班がまた更新サボってるだけロトよ!」
「どうだかねェ。スマホは旧世代だしあんたはポンコツだし」
「ロロレロ!? またそーやってコケにしてっ。今に見てロ、ボクのイタズラでアイをたまげさせてやるロトよ……!」
 ご主人はロトムに取り合わず、ファインダーを下ろすとキャンプに必要なものをザックから引っ張り出した。折り畳みのテーブルとビニールチェアを展開し、焚き火台にクッカーをセットし、今晩のカレー用に渋いきのみを塩水へさらして、ひと段落。
 なだらかな丘のふもと、手ごろな倒木に腰掛けたご主人が、隣に下ろした鞄をゴソゴソする。それに気づいたおれは一目散にご主人へと駆け寄った。
『ボールだっご主人これボールだよねイエェェーイぼーるっ早く投げてよボォルゥうう!』
「イニューは今日も元気だねえかぁいいねえ、投げるから取ってき? ほーれ」
『やたあああああ!』
 ぽーんと投げられたボールを追って、おれは短い足をパタつかせた。テントの脇をすり抜け、まあるい池に落ちそうになったそれへ飛びついて――目の前でボールがすくい上げられた。
 ずざざざ……と腹が芝地に擦れて、首毛がバチバチと放電する。おれの鼻先がひょろっちい足にぶつかった。ジメジメしたにおいの主を見上げて睨みつける。
『……なにしやがる』
『貴方が勢い余って湖に飛びこみそうだったので、ついお節介を焼いてしまいました。ボールを前にすると著しくIQを低下させる癖は直した方がいい』
『余計なお世話だ、イソウ』
 ……こいつが、ご主人のもう1匹の手持ちポケモン。旅を始めた当初に博士から譲り受けたメッソンが、キャンプしているうちに進化を重ね今の姿になっていた。テント脇の簡易テーブルにはこの場に似つかわしくないティースタンドと紅茶セットが並べられていて、これがコイツの趣味なのだ。シュートシティのメインストリート――サヴィル・ロウ通りのポケモン用老舗テイラーで繕ってもらった注文仕立てのネクタイをこれ見よがしに首からぶら下げ、まるでフロックコートを羽織っているかのようなもったいぶった所作でボールをしげしげと眺め回す。
『新調したばかりのポケボールには真新しいネイルの跡……無意識のうちに強く握りこんだと見える。服を新調しサロンへ行ってすぐ砂埃に塗れる仕事を任されたせいでしょう。うちのお嬢さん(マイ レイディ)はご機嫌斜めのようですねえ。今日はレモングラスとシナモンのハーブティにしましょうか』
『いいから返しやがれ!』
 節くれだった指で顎をしゃくり、探偵気取りに推理してみせるイソウ。なんて鼻につく奴! 俺が低く唸りを上げると、恐れをなしたのだろう、ぽいとボールを捨てた。
 俺が跳び上がって口で受け止める寸前――
『Bang!』
『あッてめ!』
 横っ腹に水鉄砲をぶちかまされたボールが、ドラパルトから撃ち出された仔竜さながらスッ飛んでいった。ご主人の頭上を飛び越え、なだらかな丘陵の坂に落ち、やけに弾んでこっちへ転がってくる。水流に細工してボールの軌道をオシャレにしたつもりかよ。ともかく、今度こそおれが捕まえるんだ!
 ダッシュして頭から飛びこんでかじりつく。これはおれの!
 見返してやったとばかりに振り向けば、アイツは安物のビニールチェアを安楽椅子に見立て深く腰掛けて、足を組んで新聞を広げていた。人間の文字なんか読めないくせに、利いた風に『ふむふむ……〝Pokemon Homeついに解禁 逃してしまう手違いも〟ですか』なんて感心している。俺も見たことのないポケモンの白黒写真――二足歩行のコータスっぽいポケモンの頭と尻尾からは白い羽が生えている――まで掲載されていたようだし、もっともガラルではそれが1番のホットニュースだから、書いてある文字を推測して(うそぶ)いただけ。
 ちなみに新聞は着火剤として持ってきたもので、おそらく2,3日前のもの。ほやほやの情報は載っていない。単に気取り屋なのだ。
 ボールを咥えていけばご主人にいっぱいなでなでされて、また遠くへ放ってくれる。何度か繰り返しているうち、投げられたボールがテントの陰に落っこちて、おれはグルリと湖側へ回りこんだ。
『あれ?』
 確かにここへ落ちたはずの球がどこにも見当たらない。わずかにファスナーの開いたテントに鼻を突っこんだが、においはここで途切れている。もしやと思い水中へ顔を覗かせても、底まで見透かせる澄んだ湖はごつごつした大きな岩がひとつ沈んでいるだけで何もない。
 誰かがボールを隠した? 俺とご主人は違う、周囲に野生ポケモンのにおいも薄い。となると……またコイツか。懲りない奴め。
『おい、今度はどこにやったんだ!』
『……はい?』
 老眼鏡のように瞬膜を下ろして新聞を広げていたイソウが、仰々しく腰を上げた。やれやれといった調子で、推理ポーズのままテントのファスナー部分を指でなぞる。
『メッシュパネルに乾いていない泥と芝がこびりついていますね。これはボールが隙間にねじ込まれた時に付着したもの』
『でも中にはなかったぞ』
『果たして本当でしょうか』
 コイツの中ではもう謎が解けているようだった。体をかがめてテントの奥に落ちているスマホを取ると、画面の消えているそれを得意げに指で弾く。寝たフリを決めこんでいたロトムが慌てて飛び出してきた。――消えたボールとともに。
『ケテ……』
『出入口のわずかな隙間からサイコキネシスで引きこんで、ボールごとスマホの中に隠れたのですね。テントからうっすらと超念動の光が漏れていましたよ。先ほど「球消(たまげ)させる」と口走っていましたし、なかなかウィットに富んだイタズラでした。……貴方も甘えたいのでしょう』
『うん……最近アイはすっかりボクをモノ扱いでさ。寂しいロ』
 ボールを頭に乗せて飛んでったロトム。残されたイソウが、それでは、とビニールチェアに戻りひとり紳士ごっこを再開した。
『……やるじゃねえの』
『謎を解決するには、まずは思いこみを捨てることが肝要です。ガラルの紳士たるもの、アフタヌーンティと謎解きは嗜んでおくべきものですよ。あとカレー』
 褒めてやったのになんて鼻につく奴!
 反省したロトムも交えてポケボールでいっぱい遊んだ。カレーは渋口だった。イソウが好きな味で、山盛りにした器からボロボロこぼしながら平らげていた。まるで紳士とは思えない食い意地の悪さだった。ご主人と一緒の寝袋にくるまると、暖かさですぐに眠くなってくる。今日もいっぱいあそびました!



 翌朝。
 重いまぶたのご主人とテントを這い出ると、真っ白い濃霧が立ちこめていた。寝ぼけていれば5メートルと離れていないはずの湖の縁でさえ気付かないかもしれない。うんと伸びをする肉球に、短い芝を浸す朝露が冷たかった。
「うぅ寒っぶ、それにしてもすごい霧。……所長の話どおりだ」ご主人はあたりを見回して、ジャケットの裾をすり合わせた。「……朝食用のきのみ、取ってこなきゃ。イニューも一緒に手伝って」
『もちろんです!』
 ヌワン! と元気に吠え返す。お散歩はお気に入りの枝を探せるからボール遊びの次に好きだ。今は見えないが確か北へ進んだ辺りにきのみのなる樹がぽつねんと立っていたから、湖畔沿いにぐるりと迂回していけばたどり着けるはず。叩き起こしたイソウにカレーの調味を押しつけて、いざ出発だ!
「……あれ?」
 昨夜雨でも降ったのか、ぐにぐにと変にぬかるんだ細道を抜けたご主人がふと足を止めた。なんだろうと前を見ると、思いもよらない光景が広がってるじゃないか!
 霧の薄まったそこは、枯れ木の点在する荒野だった。岩が折り重なってできた遺跡もうっすらと見て取れる。――間違いない、俺たちは確かにナックルシティ側の断崖へ向かったはずなのに、方向感覚を失い南へと進んでいたのだ。
 俺たちは不可解な現象のただ中にいた。白いもやがいっそう厚く取り巻いてくるみたいで、ご主人がとっさに俺をすくい上げた。
「も、もういい……私たちじゃ対処できない、所長に報告した方がいいって」
 彼女の声色は、初めてバトルに負けたときのように震えていて。
 こういうとき、俺にもアイツみたいな上背と大きな手があれば抱きしめられただろうか。
『ご主人こっちです!』
 するりと腕から抜け降りて、彼女のにおいを頼りに今来た道筋を遡る。もう自分の地理勘は信じられない。鼻を地面に突きつけて必死に探っていると「いたっ!」と背後から悲鳴があがった。ジーンズの裾が切れて血が滲んでいる。俺を見失って道から外れたところを、植物の棘で引っ掻かれたらしい。
『歩けますか?』
「うん……ありがと、早く帰ろ……」
 俺にできる応急処置は傷口を舐めるくらいだ。足を引きずる彼女を置き去りにしないよう細心の注意を払いながら、どうにか野営地へと戻った。 
 のんきに身だしなみを整えているイソウを急き立てて、霧の中散らばったギアを回収していく。遊び道具を探しているうちに俺は気づいた。テントはペグで固定されたままで、昨日イソウがこぼしたカレーのにおいが地面にありありと染みついている。……テントは移動していなかった? けど南北が逆転したことは俺がこの目で確認している。まるでオアシス自体が湖を中心にグルリと回転したような……。
『――で、お前はどう思うんだ。こういう時こそ推理しないでどうする』鍋の中身を捨てあぐねている探偵もどきにあらましを説明して、俺は食ってかかった。
『私たちの寝ていたテントを、しかも散らばった道具ごと移動させられる道理がありません。貴方のことですから、きっと霧がゲンガーの形にでも見えて錯乱したのでしょう。それより先程帰ってきたレイディが左足を引きずっていたじゃあありませんか。この視界不良の中、貴方はちゃんとエスコートしたのですか?』
『俺のせいって言うのかよ! 』
『どうせ鼻を鳴らして茸でも探していたのでしょう。レイディを扱うのは難しいですかね、ワンワン鳴くことが仕事の貴方には』
『まるでメッソンの頃のお前みたいだな』
『んなッ! ……この話はやめにしようイニューくん、紳士協定を結ぼうじゃないか。さ、もういいから、片付けよう』
『お前からおちょくってきたんだろ!』
『とこロでアイは?』
『え』『My lady?』
 ロトムの声に弾かれて、俺とイソウは慌てて周囲を捜索した。名前を呼びかける水トカゲの傍ら、俺は地面へめりこむくらい鼻をつけた。真新しい彼女の靴のにおいを辿れ! 救護箱を探していたんだろうか、最も強い血の香りはテントから出て、そのまま湖のへりを彷徨って、ふいに消えた。
 ぞっとした。
『ご主人ッ!?』
 しばれる水の冷たさなど気にならなかった。頭を突っこめば、澄んだ水中をはためくジャケットの影。
『ここは私が!』
 イソウが叫ぶなり飛びこんでいく。指先からジェット噴射して、あっという間に湖底へと潜水した。早業だ。ぐったりしたご主人を抱えた彼がとんぼ返りに水底の岩を蹴って――そこで浮動した。
 ……どうしたんだ?
 ぼわり。何だ、湖底の巨巌が一部、波打つように発光した。イソウがそれに指先を向け、目を見開く。
『――謎はすべて解けました! テントが移動した謎は、貴方が仕組んだことだった!』
『いいから早く戻ってこいッ!!』
 水面から吹きこまれた俺の叫喚に、イソウがはっと我に帰る。その銃口からありったけの激流を撃ち出した。



 ズうぅぅ……ん

 重い地鳴りが轟いた。
 何だ!? すかさず湖から飛び退いた。続けざまにミチミチ……ミチッ、と何かを引きちぎる音が四方八方、俺を囲いこむように響いてくる。
『何が起きてやがる!?』
 見えない敵を霧の奥に探す俺の前で、ぷるん、と湖面が妖しく輝いた。何事かと首を突っこもうとすると、粘性の高い網に遮られるような弾力で阻まれる。ご主人は大丈夫か。ご主人! ご主人!
 狼狽して吠えまくる。そのとき――

 メキメキ――ザババぁっ!!

『なあぁっ!?』
 湖が、浮いた。
 まるで巨大な金魚鉢を持ち上げたみたいに、膜に包まれた水の塊が空へと浮かび上がる。それと同時、湖を縁取っていた芝地に亀裂が入り、底が抜けたように次々と崩落していった。俺の立っている足場もついに大きく傾いて、奈落へ――
 いや、ちがう。
 芝地ごと宙へ浮かんだのだ。振り返ればペグを刺したテントも、カレー鍋やランタンも、遊んだままのボールまで、傾きつつ起動する大地になす術もなくひっくり返っていた。
 一目散に本当の地面へと飛び下り、死に物狂いで距離を取る。露わになったダイマックスの闘気がはびこっていた白い霧を吹き飛ばす。数十メートル離れてようやく、元いた地点を振り返った。
 キャンプ場はめくれ上がり、瓦解する岩盤の下から現れる藍鼠(あいねず)の柔い甲殻。
 6つ連なっていた丘陵がミチミチと迷彩柄の膜をはだけ、露わになる鉄針のような緑青(ろくしょう)色の肢。
 汲み上げられた湖の奥には、俺が岩だとばかり思っていた淡青色に鈍く光る大蜘蛛の顔。
『……デカすぎや、しないか』
 2メートル級の個体なら雨の日に幾度となく見たことがある。――それは巨大な、オニシズクモだった。俺たちはあの背中にテントを張っていたのだ!
 鬼蜘蛛の口が開く。やにわに放たれたダイストリームは、水泡の一点をぐにりと内側から引き伸ばした。突出した先端から放り出されたシルエット、ご主人を庇う細い体が飛膜を広げ、重力落下を緩衝しつつ着地する。
『イソウっ!』
 俺が駆け寄るより早く、イソウは抱えたご主人を地面へ横たえていた。気道を開くように顎を上げると、なんの躊躇いもなく口付ける。あっ、と俺が固まるのをよそに繰り返される心肺蘇生。
「ゲエッ! ……えふ、うぅん……」
『ご主人!』
 冷え切った彼女の頬を舐める。かろうじて命は取り留めたようだった。よかった。
 見上げると、下ろされた瞬膜の奥で、イソウの瞳がじぃと座っていた。
『ロトム、彼女を連れて隠れていなさい』
 大蜘蛛へ相対しスラリと立つ。天へ向けられた人差し指から複雑な水流が迸り、中空で弾け、降り出した雨粒を巻きこみながら拡散する。象られた傘の内側でぐったりとしたご主人をロトムのサイコキネシスに預け、イソウは眼前の敵を()めつけていた。
『全く……。カレーの番も満足にできないとは、私はなんと不甲斐ない……!』
 ほんとだよ。文句をぶつける前に薙がれた巨大な肢を躱して、俺たちは大蜘蛛の懐へ飛びこんだ。

 戦況は実に一方的だった。奴のひと薙ぎが木々を刈り取り、水の吐息が大地をえぐる。俺たちの攻撃は効果が薄いようだった。水泡へぶつかる雨滴のように吸収されるだけ。
 他のトレーナーの救援を待つようではご主人の体が危うい。こうなったらもう、一か八かの賭けに出るっきゃねえ!
 隙を縫い奴の真正面へ飛びかかり、電撃を纏わせた牙を油膜へ突き立てる。針穴ほどのわずかな綻びに顔をつっこみ、ありったけの放電をぶちかました。が、届かない。いくら伝導性の高い水の中だといえ、湖の端から端まで通電させるのには高い出力が必要らしかった。
 もっと近づいて、あの顔に抱きつくくらいの至近距離で感電させなければ。前足を水泡に突っこんで水を掻く。しかし俺のもがきと裏腹に、全く進まない。
 はさまった。やばい、息が……!
 ぼるるん! と不意に水泡が揺らぐ。細身の影が俺に覆いかぶさっていて、イソウが器用に張りついているらしい。俺の尻がぐわしと掴まれる感覚。
 よかった、引っこ抜いてもらえる。安堵しきった俺の耳へ、水面を隔てたアイツの叫びが届く。
『行ってきなさいイニューくんッ!』
 俺の尻が激烈に押し出される感覚。ウォシュレットの1万倍くらいありそうな水流を伴ったハイドロカノンが、魚雷さながらに俺を発射させていた。 
『しっ死ぬ、しぬっ――シヌヌヴぁン!!』
 イヌ魚雷と化した俺の体が、キリモミ回転しながら大蜘蛛の顔へ突っこんでいった。



 カッ

 持ちうる電気量を全部ぶっ放したのは、激烈に頭を打ち据え漏電させられたせいだ。着弾と同時に水泡を飛び散る雷撃は、離れたイソウの目には巨大な琥珀のように映ったに違いない。
 やったか!? 手応えに反して、ギロリ、と大蜘蛛の複眼が慟哭する。もうダメだ。手放しかけた意識の端で、俺の背中を分厚い手が覆う。
『よくやりました、さすが私の助手ですね』
『だ――だれが、お前なんかの』
 悪態が泡になって昇っていく。電撃をやり過ごして駆けつけたイソウが、俺を回収がてら尻尾を翻す。隠し持っていたとどめ針が、シュッ、水を掻く音もなく大蜘蛛の頚椎を打ち据える。
 ――俺が体張って致命傷を負わせたってのに。
 ちくしょう。
 いいとこ全部、持っていきやがる。



『――ヴォえっ! えほ、げえぇッ!』
『おや、ワンパチは泳ぎが得意だと聞いていたのですが』
『水中で! 息できる! わけねェだろ!!』
『まあ、それだけ元気なら大丈夫でしょう』
 干上がった湖のクレーターと、瓦礫の山と成り果てたキャンプ場。イソウの声には安堵の色が浮かんでいて、それは俺も同じだった。
 赤い光の拡散とともに解除されたダイマックスの跡に、オニシズクモが蹲っていた。ひょろい腕を持て余しがちに組んだイソウが近づくと、波模様の複眼が敵意に歪む。
『とどめを、刺せよ』
『……ダイマックスした貴方は、大穴を掘ってそこに巨体を埋めることでオアシスになりすました。6つ並んだ丘陵は、さしずめねばねばネットで肢を覆ったところにダイソウゲンのグラスフィールドを展開していたのでしょう。これはボールがやけに弾んだことで気づきました。そして夜になると背中で寝る私たちを起こさずに這い出し、湖を中心に体を180度回転させ、再びオアシスに扮したのです。しかし貴方の力だけではあんな霧を発生させることはできない。協力者がいますね? ずっと気がかりでした。なぜこんな大掛かりなことをするのか。それは……』
『やめろ、彼女に近づくな……!』
 ビッ、とイソウが指先を向けたのは、奥の湖に佇むポケモンの巣だった。水蜘蛛の狼狽が彼の推理を正解だと物語っている。
 と、そのとき。近くの茂みに身を潜めていた小さな影が、縋りつくように飛び出してきた。
『もういい、もういいよっ』
『す、巣穴に隠れてろと言っただろう』
 二足歩行のコータスに頭と尻尾から白い羽が生えたようなポケモン。新聞に載っていた、遠い地方からやってきた種族が、なんでこんなところに。
 イソウが恭しくお辞儀をする。
『カメールのお嬢さん、初めまして。まるで幻想的な素晴らしい白い霧でした。貴女のご主人はたいそう心配しておられますよ、なんせ新聞の広告欄にあなたの写真を載せるくらいですから』
『このひとを責めないで……。初めての土地で迷子になって、私、心細かったの。オニシズクモさん、あなたは優しい方。もし嫌じゃなければ……、私と一緒に来てほしいな』
『きみを守り通せなかったオレにそんな資格はない』
 来てください、いやできない、の押し問答が続いていた。なるほど繋がった。誤って逃されたカメールを保護したオニシズクモは、ガラルでは珍しい彼女を捕まえようと近づくトレーナーを惑わすためにオアシスに擬態していたのか。どうりでロトムの地図データには湖が2つしかなかったワケだ。
 しかしなんだ、カメールのご主人、新聞にポケ探しを載せるくらいなら資産は潤沢なようだし、彼女の面倒を見ていたポケモンなら喜んで引き取りそうな気がする。これくらいの推理なら俺だって働かせられるのだ。
 それと、このふたりが良い仲になっているってこともな。
『レイディの頼みを無碍にするなんて、紳士ではないですねぇ』イソウが(かまびす)しく口を挟む。なお一層きつく睨むオニシズクモにとどめを刺したのは、意外かな、カメールだった。
『それに……その、マスター、ゼニガメのタマゴも欲しいって、言ってたし……』
 …………わお。
 淑女の大胆なお誘いに、その場の誰もが息を呑んだ。当のオニシズクモなんかは水泡が蒸発するんじゃないかってくらい真っ赤になっていた。一撃必殺、勝負アリ。
 こんな時、ガラルの紳士ならどう祝う? 見上げたイソウは、いつのまにか呼びつけたロトムの画面を目にも留まらぬ手さばきでフリックしている。たんたんたんっ、と何かの手続きを終えると、探偵手帳を閉じるようなキメ顔で、言った。
『身の振り方はしっぽり腰を据えて決めてくださいね。おふたりさん、今しがた預かり屋を予約いたしましたよ! これにて一件落着』
『下世話すぎる!!』
 俺は吠えた。



「うーん……、あれ、ここは……?」
 ナックルシティのポケモンセンターで、ご主人がようやく目を覚ました。あれからすぐに救護隊が駆けつけ、意識の戻らない彼女は緊急用のアーマーガアで病室へ担ぎこまれたのだ。
 丸1日は眠っていたと思う。看護師にボールを取り上げられ退屈している俺のかたわら、イソウは読めもしない新聞をロビーから拝借してずっとベッドに寄り添っていた。
『おっと、お目覚めですね。気分はいかがでしょう』
 巨大蜘蛛すら知らないご主人に、この数奇な事件を事細かに伝える術はない。保全委員に配付される保護用モンスターボールを拝借して、カメールはすでにオニシズクモと共に彼女の主人のもとへ転送されていた。彼の処遇も考えれば、あの事件は秘密にしておいた方がいいだろう。おしゃべりなロトムには厳重に口封じし、写真データも消去してもらっている。
 湖で溺れた恐怖が蘇ってきたらしい、ご主人は上体を起こしてイソウへ抱きついた。……こういうとき頼りにされているのが、ほんとはちょっぴり羨ましい。
「い、イソウっ、こ、怖かったよおお……!」
『はいはい。移動キャンプの謎はこの私がすべて解決しましたからね、マイレイディ』
 敵を狙い撃つ無骨な手が、ご主人の頭を優しく撫でる。旅を始めたあの頃は逆で、泣き虫なメッソンがご主人に縋りついてばかりだったのにな。
 先日彼女とのボール遊びの時間に水を差された腹いせに、俺は小さくうなってやった。
『おいおい〜? 俺のケツにハイドロカノンぶっ放したの、忘れてはないだろうなあ』
『さぁ……なんのことでしょう』
『てめ、ひとりだけオイシイ思いしようったってそうは――』
 イソウが片手で器用に新聞を丸めそのまま水鉄砲を撃つ。偶然にも看護師が開けたドアへ狙い撃たれた紙の球が、廊下へ転がり出ていった。
『あっボール! おれボールだあいすき!!』
 看護師の怒鳴り声に振り返る。ベッドの上、健気に笑うご主人の顔を見つけて、まあいいか、と思うのだった。





あとがき

巨大なオニシズクモがまるまる湖、というネタはUSUMでぬしとして出てきた頃からあったのですよ(もしかしたらTwitterで呟いているかも)。でもぬし程度ならそうはならんやろ……と思っていたところにダイマックスがきたらそら書きますでしょ、ってことで書きました。紳士探偵インテレオンとやけに体張らされるガラ悪ワンパチ助手のコンビ、なかなかナイスな組み合わせだと思います。シャーロックホームズを意識して文体とか真似たかったんですけどそんな有名じゃないし時間もないし出版社によって翻訳の雰囲気ぜんぜん変わるので早々に諦めました。助手視点の一人称だったりするのはその名残です。
いつものことながら1万字に収まらんで苦労しました。当初はオニシズクモ戦をじっくり描きたかったのに数段落で切り上げているし、ミステリーの見せ方ももっと工夫したかった。当初は手持ちにマホイップとポットデスもいたんですけどぜっっったいに登場させられない詰め込み具合でした。読み返すと会話文の情報量えげつないな……もっとゆとりのある作品かきたいです。
それにしてもいいコンビを生み出したなあ、まあこの作品続かないんですけど……。



以下大会字にいただいたコメント返信。


・イソウはクールだしイニューは可愛いし、ユーモア抜群で展開も面白くて引き込まれました。
(2020/02/29(土) 20:37)

ミステリーっぽいものは何作か書いてきたのですが、ストーリーを展開させるよりキャラを見せるとしっくりくるんですよね……コナンとか相棒とか、めちゃくちゃキャラがしっかりしてるじゃないですか。ハリウッドに出てきそうな英国紳士っぽいキャラ付けインテレオンさんにしたかったんですけど会話がヌルいですね。キングスマンのコリン・ファースくらい気取らせたかった。


・ボールを追いかける時のイッヌが面白すぎていっぱいちゅき……あとトカゲ。
話そのものもちゃんと練られていて、トリック(?)にはそう来たかぁと関心しました。短編の作り方としてお手本にしたい出来でした! (2020/02/29(土) 22:09)

わたし虫ポケ好きなのにオニシズクモ出せてこなかったので書けてよかったです。ほんとはもっとこう……きけんよち持ちのテブリムが悪寒止まらない、的なオニシズクモの存在を匂わせるような伏線を序盤に敷いておきたかったんですが、1万字じゃあ難しいですね。かなり駆け足気味だしトリックも突拍子ないもので、これ読み手ついてきてくださるのかしら……と思案していたのですが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。短編って奥が深い。


・完成度が高すぎてむっちゃホレボレしました。
まずキャラが立っていて、凄く愛着が湧きました。イソウの探偵キャラカッコいい……
そして、イニューは勇敢なのに、ボールのことになると無邪気になるのがイヌヌワン可愛い。

テーマ「だい」のダイマックスの使い方も秀逸でした。まさかオニシズクモの上に踊らされていたとは……
しかし、彼も憎めないキャラなのがとても良いですね! 大胆な告白をしちゃうカメールちゃんもスキ。
甘えたいロトムもわかる~~~全体を通して、キャラが凄く生き生きしていて楽しいですね。

物語の構成も素晴らしく、伏線からの回収の流れが凄く綺麗に収まっていました。
文章表現も秀逸で、分かりやすいですし濃厚ですしクスッとします。
このボリュームを1万字に収めたのも凄い……凄すぎる。

まとまりのない感想となってしまいましたが、
本当に素晴らしい作品で凄く楽しかったです。ありがとうございました! (2020/02/29(土) 23:32)


ご主人以外には牙剥いて低く唸る可愛げないイーーーヌもボール投げられると尻尾ふって追いかけちゃうのだ……。キャスティングは『シヌヌワン』と叫ばせたかっただけ、『イヌ魚雷』という単語がやけに気に入ったから、みたいなところだけです。可愛ければヨシ。
悪役らしい悪役がいない平和な世界なのに主人公死にかけたりしてるし……いつも私こんな作品ばっかだな。1万字以内にキャラ出しすぎた疑惑は大アリなんですけどみんな可愛かったのでヨシですね。文章も原作意識で固めの単語使ったりトリック仕込むのにオアシスのややこしい方位関係の描写がフンダンだったのですが、分かりやすく楽しんでいただければこれ幸いです。ミステリーなんて流行らないのにこんな褒めていただけると……照れる…………。



コメントありがたく読ませていただきました、励みになります。
読んでくださった方、投票してくれた方、主催者様、ありがとうございました。


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  • この作品、みどりさんでしたか。そうかなぁとは思いましたが、確証が持てませんでした。
    テンションが高い言葉のデッドボールの応酬はみどりさんの作品の1つですよね?
    あと、謎解きと紅茶とカレー? それだけでは不十分ッ!「そんな約束したっけ? 知らないな~」と都合が悪くなったら、しらばくれる度胸と意地の悪さがあってこそガラル紳士というもの。
    今回も面白おかしく拝見いたしました。これからも頑張ってください。大して意味のない長文失礼いたしました。 -- 呂蒙
  • 「作品の特徴の1つ」ですね。「作品の1つ」って何だそりゃ。でも、みどりさんなら言葉の応酬だけで作品に仕上げられそうですね。 -- 呂蒙
  • >>呂蒙さん
    ドッヂボールではなくデッドボール……そんな乱闘騒ぎみたいな会話ばっか書いてましたっけ……書いてましたわ。こう、なんか物語のテンポや雰囲気を損なわないくらいに笑えるギャグは入れがちですね。ギャグそのものが面白いものを書け、となると途端に自信なくすのでそういうのは他の方にお任せしたいかな……。
    そうそう英国人らしい狡猾さ、みたいな面もインテレオンの性格にいれようとしたんですけどうまくいかなかった……ワンパチから奪い取って投げたボールがカレー鍋を派手に倒して大目玉、だけどインテレオンはひとり紅茶しばいて知らんぷり、みたいなシーン入れたかったんですけど文字数が足りないんですよねえぇ。インテレオンいろんなキャラづけできちゃうの、肉でも海鮮でもほうれん草でもイケるカレーみたいで作るのたのしいです。
    コメントありがとうございました! -- 水のミドリ
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Last-modified: 2020-03-01 (日) 21:00:12
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