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二番目でもいいから

/二番目でもいいから

SOSIA 番外編.3

二番目でもいいから 

Written by March Hare
ちゅうい:R18表現があります。

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◇キャラクター紹介◇

○橄欖:キルリア
 シオンの側女になりたい侍女。二番目はわたしです。
 変わらずの石で進化を止め、高い感情受信能力を持ち続けている。

○シオン:エーフィ
 ランナベール軍の未来の総指揮官となるべく修行中。橄欖の想い人。

○孔雀:サーナイト
 シオンとちゃっかり義姉弟の関係になった。橄欖の姉にして恋敵。

○鈴:ミミロップ
 シオンを狙う新顔。今は穏やかにしているが何をするかわからない要注意人物。

○紗織:ケンホロウ
 シオンを狙う新顔その二。最近シオンと二匹で行動することが多いので要警戒。

○フィオーナ:エネコロロ
 シオンの一番のひと。橄欖にとっても恩人で、彼女だけは別格。


etc.


1 


 あのとき、わたしはシオンさまを庇って瀕死の重傷を負った。死を覚悟して、言うならこれが最後のチャンスだと思って告白した。
 それからずっと、シオンさまの中でわたしは二番目だった。フィオーナさまがいないときには心の支えになった。もしも寂しさの隙間に入り込んでお誘いしたら、受け入れてくださったかもしれない。
 近づいていた。一時はフィオーナさまに匹敵するくらい。それなのに今は。
「ただいま――ふぇっ!?」
「おかえり、シオンくん♡」
「ちょ、お姉ちゃ――んんっ……」
 橄欖以上の重傷を負い、シオンに看病されたのを機に姉弟のごとく親密になり、遺言で恋心を伝えた挙句に不死鳥の力で蘇るという孔雀の暴虐は許せない。全てを犠牲にして手に入れたものを手放さぬまま、その犠牲をチャラにしてしまうなんて反則だ。
 シオンが帰宅するなり抱き上げてキスを仕掛けた孔雀は反省の色も見せず、橄欖に流し目を送ってくる。今はわたしの方が上よ、と。
「姉さんったらフィオーナさまがおられないのをいいことに……」
 以前ならここできつい物理的な突っ込みの一つでも入れてやるところだが、最近の二匹は本当に仲の良い姉弟みたいで、どうにも水を差すことが躊躇われる。
 シオンさまが姉さんだけの弟だなんておかしい。姉さんの弟なら、わたしの弟でもあるはずなのに。
「ちょっと孔雀、あんた紫苑にいきなり何やってんのよ!」
 孔雀が飛べなくなった今、フィオーナの移動はゴルーグの二郎が、シオンの移動は紗織が担当している。彼を連れて一緒に帰宅した彼女が、橄欖の代わりに孔雀に突っかかった。
「あらー紗織姉さん、嫉妬ですかー? わたしは可愛い弟におかえりのキスをしただけなのですが」
「だ、誰が嫉妬なんて……!」
「おやおや素直じゃないねえ。いいじゃないか、キミはいつも紫苑と二匹(ふたり)きりで空の旅を楽しんでいるんだろう?」
 そこへ現れた鈴が肩を竦めながら、さり気なく孔雀に近づいていく。
「おおっと鈴姉さん、シオンくんは渡しませんよー」
「お、腕を上げたね」
「あの、僕を取り合いしないでくれる?」
 この家はもうダメかもしれない。孔雀だけでも大変だったのに、この二匹の魔の手からシオンを守りきることなんてできるのだろうか。冬も終わりに近づき、いよいよ卒業論文の執筆が佳境を迎えたということでフィオーナは二郎、一子と共にジルベールに滞在している。不在の間、シオンの身の安全は橄欖に託された。秘めた想いが露見してしまっても、彼女は橄欖を信頼してくれている。
 守らねば。孔雀や鈴の魔の手から。
「夕食の用意はできてるけど、先にお風呂にしてもいいわよ? それとも、お姉ちゃんが欲しい?」
「そんなことより降ろしてよ……」
「つまらないわねー。シオンくんったらぜんぜん動揺しないんだから」
「孔雀っ。冗談でも紫苑にそんなこと言うなんてあんた――」
「あらあら紗織姉さんの方が動揺しちゃって」
 などとシオンを床に降ろしながら紗織をからかっている今は、まだ実害はない。気が抜けないのは夜が更けてからで、特に明日はシオンが休みなので、今晩は要注意だ。
「シオンさま」
 喧嘩を始めた紗織と孔雀を横目に、シオンに近づいて小声で囁く。
「今宵は特にお気をつけください。姉さんや鈴姉さんがどのような悪巧みをしているかわかりませんから」
「ありがと。でも僕だってもう慣れたから……」
「油断は禁物だよ?」
「っ……鈴姉さん」
「ま、ボクは孔雀やキミと違って紫苑にこだわってはいないからね。そりゃチャンスがあればとは思っているけど」
「チャンスなどありません。わたしがシオンさまをお守りしますから」
「愛人のキミがかい?」
「だ、誰が愛人ですか! わたしはシオンさまの侍女です!」
「前に二番目は自分だとかなんとか熱弁してなかったっけ?」
 このひとときたら、余計なことばかり覚えているんだから。
「いえ、あれはですね、その……ぁあぁシオンさま、そのような目でご覧にならないでっ」
「や、べつに否定はしないよ? ある意味フィオーナより近い存在でもあるし……」
「ひどいわねシオンくん。二番目はお姉ちゃんでしょ?」
 孔雀が橄欖とシオンの間に再び割り込んできて自己主張する。
「好きだって言ってくれたじゃない。キスしてもらったことも忘れてないわよ?」
 え、何それ。聞いてない。シオンさまが姉さんに? 自分から?
「あれは成り行きっていうか……お姉ちゃんのことも好きだけど、誰が二番なんて決められないよ」
 しかも否定しないし。好きってはっきり言うし。ずるい。わたしもシオンさまを弟みたいに可愛がりたい。どうして姉さんばかり。
「どっちでもいいわよそんなこと。紫苑もいちいち馬鹿姉妹に付き合ってないで食事にしたら? 帰りの空路でお腹が空いたとか言ってたでしょ」
「そだね……」
 紗織に言われてしまった。シオンにとって橄欖と孔雀のどっちが上かなんてどうでもいいんだ。どっちも大事だよって、そう答えるに決まってる。でも、姉弟みたいな孔雀との関係は、侍女であることを抜け出せない橄欖よりは一歩先に進んでいることは確かだ。
 最近は紗織とも仲良くなっているし、このままでは二番目の座は危ういどころか陥落寸前だ。何か距離を縮める方法を考えないと。
 孔雀について食堂へ向かうシオンの背を見ながら、考えていた。
 こうなったら、あの手を試してみようかな?

2 


 フィオーナがいないと一匹で食事をすることになるけど、給仕をしてくれる使用人との距離が近いので、話し相手には困らない。たまには皆で一緒に食べてもいいのではないかとシオンは思うのだが、橄欖曰く使用人としてそこは譲れないらしい。
「西の国ではワインをお茶みたいな感覚でみんな飲んでるって聞いたけど、そうでもないんだね」
「昔はそうだったみたいだけど……場所にもよるんじゃない?」
 ランナベールに来て日の浅い鈴はこちらの文化に興味を持って、いろいろ聞いてくる。ていうか、結構お喋りだ。余計なスイッチが入ると孔雀よりも厄介だが、普段話している分にはシオンも楽しいし、彼女が加わって賑やかになったのはいいことだと思う。
「アザトから紅茶が入ってくるようになりましたからねー。酔わないどころか目が覚める……というのはなかなか当時の人々には画期的だったようですよ。ジルベールではまだ食事にはワインが好まれているようですが、ランナベールは多国籍料理と言いますか、文化も雑多ですからね」
 曖昧な知識しかないシオンの代わりに、孔雀が答えた。この家の厨房を預かっている彼女の方がそのあたりは詳しい。
「それにシオンくんは紅茶がお好きですからね。フィオーナさまのご要望でワインをお出しすることもありますが」
「孔雀もお茶には詳しいよね? 陽州にいた頃から好きだったでしょ」
 そうだったんだ。ま、好きでなければ緑茶から紅茶、華州の烏龍茶などなど、各地の茶葉を取り揃えたりはしないか。
「ええ。お茶を淹れる甲斐があるといいますか……最近は橄欖ちゃんにその役を取られちゃいましたけど」
「でもいいじゃない。ますます姉弟……いやそれ以上の縁を感じるね?」
 や。いきなりお姉ちゃんを焚きつけるようなこと言い出さないで。否定しづらいし。さすがに食事の邪魔になるようなことはしないと思うけど。
「や、やめてください……そんな、照れるようなこと……」
「へ?」
 思わず声に出てしまった。孔雀の反応がまるで初心な乙女みたいで驚いた。孔雀は鈴の前だと、ときどき別人みたいになることがある。何でもずっと大人しい少女だったのに陽州を出て変わってしまったとか、今でも本質は変わっていないとか、鈴が言っていた。
「シオンさまは」
 それまで黙っていた橄欖が、孔雀とシオンの間に流れたほんの少し甘い空気に割り入るように、口を開いた。
「お酒はお好きではないのですか?」
「え?」
 おかしなことは言っていないが、話の流れからして、もしかして橄欖はお酒が好きだったりするのだろうか。あまり想像できないけど。
「あんまり飲まないけど、好きと言えば好きかな?」
「そうですか! それなら良かった……」
 なんかすごい笑顔になってるんですけど。見るからにお酒なんて弱そうなのに。
「意外そうな顔してるね、紫苑?」
 鈴は妙に楽しげだ。
「もう四年前かなあ。二匹が先に陽州を出ることになったから、夕食に招待したんだよね。たしか真珠も来てくれたかな。橄欖は十八になったばかりだったっけ。そろそろ飲める年だろうってことでそのとき初めてお酒を出したんだけど」
「り、鈴姉さん、その話は……」
 止めようとしたのは橄欖ではなく孔雀だ。何か恥ずかしいエピソードでもあるのだろうか。
「ん? キミが一杯も飲まないうちに潰れちゃった話もする? みんなで介抱するの大変だったんだよねえ」
「何それ、面白そう。聞きたい」
「シオンくんっ。べつに聞いても面白い話じゃないから!」
 孔雀の慌てようも気になるし、橄欖のことも。
「紫苑が聞きたいって言ってるのに、キミは主人の意向に背くのかい?」
「シオンくんはわたしの弟ですから! たしかにご主人さまでもありますけど、そこは足してプラマイゼロということで……」
「わけわかんないこと言ってないでさあ。姉弟ならなおさら、思い出を共有させてあげようよ」
「そんなこと言って鈴姉さんは面白がってるだけでしょう? 橄欖ちゃんも何とか言ってぇ」
「ふふ。姉さんが慌てている今の状況だけですでに面白いと思いますよ」
「橄欖ちゃ~ん……」
 鈴が来てから孔雀の意外な一面がたくさん見れて、それにつられるように橄欖も本心を表に出すことが増えて。
 最初に思った通り、鈴のことは好きになれた。
 もちろん、家族の一員としてだけどね。

3 


 両親を失い当主を引き継いだ鈴は叔父に引き取られたが、十六のとき自立して本家に戻ってきた。兄弟もいないし、小間使いはいるが家族はいない。それから数年が経ち、他の当主たちも皆大人になった頃。
「孔雀、昔から結構食べるよねえ。開斗ほどじゃないけどさ」
 先陣を切って大陸へ渡る巽の姉妹の出立前に皆で晩餐を囲もうと八卦当主達を家に招待したのだが、来てくれたのは当人達と真珠だけだった。急な思いつきだったので連絡がつかなかったりそもそも家が遠かったりで、仕方のないところではあるが。
「ぁ……ごめん、なさい。わたしったら食べることに夢中で……」
「恥ずかしがることないでしょ? 褒めてるつもりなんだけどね。それに作ったボクとしてはたくさん食べてくれる方が嬉しいし」
「あれだけ日頃から鍛錬していれば腹も減るだろう。まあ遠慮せずに食え」
「真珠の言う通り……だけどそれボクのセリフでしょ」
 鈴と真珠のやり取りを見て、孔雀が小さく笑う。橄欖はいつもの無表情で、何を考えているのかわからない。
 静かだ。
 暗い、とまではいかないものの、孔雀は小さい頃から大人しい性格だし、橄欖はもとは元気で快活な女の子だったのに、親を失って以来感情を失くした人形のようになってしまった。
 もう少し賑やかな夕食にしたかったが、この面子ではどうしようもない。
「鈴姉さんのお味噌汁、やっぱり美味しいです」
 声は小さいが、孔雀も一応は会話を弾ませようと努力はしているみたいだ。
 鈴は自分も味噌汁を口にしながら頷いた。
「ありがとう。ま、今日の味噌汁は小間使いに作らせたんだけどね? ボクの力っていうよりは卯月家代々のレシピのお陰かな」
 今日のメニューのうち自分で腕を振るったのは鯖の煮付けで、定番の味噌煮ではなく醤油ベースで煮込むのが卯月家流だ。孔雀はそれも美味しそうに食べてくれて、見れば茶碗の米はもう空になっている。
「おーい(さく)、孔雀にご飯のお代わりをあげてー」
 小間使いのニョロゾ、咲が孔雀から茶碗を受け取って厨房へと消え、すぐに山盛りのご飯をよそって戻ってきた。
「ありがとうございます、こんなに」
「多かったら残していいよ?」
「いえ、食べられる……と思います」
 孔雀は遠慮がちに茶碗を手にしたが、箸の進む勢いは変わらない。サーナイトの細い身体で大食いというのも珍しいが、孔雀はあれでかなり筋肉質だったりする。牡に生まれていたらエルレイドになりたかったといつもこぼしていたりするし。
「橄欖は……」
 孔雀以上に無口な橄欖はというと、見た目通り、食は細いみたいだ。
「わたしは……結構です……」
「橄欖、そんな調子で長旅の体力は持つのか?」
「こう見えて……健康体ですから……」
「そうか。ならいいが」
 どう会話が弾まない。真珠も昔はともかく今は落ち着いたし、鈴一匹が盛り上げ役ではちょっと無理がある。
 アルコールでも入れば変わるかな?
 そんな思いつきで、咲を呼んだ。
「咲、蔵からアレ持ってきてアレ」
「失礼ですが鈴様、アレ、とは」
「お酒だよお酒。いいのがあったでしょ?」
「は、はい。すぐにお持ちいたします」
 咲が離れるか離れないかのうちに、真珠が翼の先でつついてきた。
「おい、鈴……」
「橄欖も十八だし孔雀はハタチでしょ? 大丈夫大丈夫」
「そうじゃない。お前の心配をしているんだ」
「ボク? 今日は可愛い男の子もいないし、酔っても何もしないよ」
「いたら何かするつもりか。まったくお前という奴は……」
 はっきりとは覚えていないが、いつかの酒の席で給仕の少年に手を出そうとしたことがあったような気がする。ま、そんなことは果てしなくどうでも良いんだけど。
「孔雀と橄欖はお酒は飲めるの?」
 今は場を盛り上げることが先決なわけで。
「実は飲んだことがありません……祝祭の席でもわたしは食べるばかりで」
「あはは。やっぱり。橄欖も初めてだよね?」
 橄欖はこくりと頷いた。
 やがて咲が一升瓶を抱えて戻り、厨房から徳利、猪口を用意してきてくれた。
 ひとまず四匹分、咲が注いで回った。
「とりあえず孔雀と橄欖の旅の無事を祈って乾杯、かな?」
「うむ。飲み過ぎるなよ鈴」
「か、乾杯……こうですか?」
 孔雀の反応がやけに可愛くてつい顔が綻んだ。橄欖は相変わらず無表情で盃を掲げた。
 くいっ、と猪口を傾けると、同時に真珠が、続いて孔雀と橄欖も二匹に従った。
「ちときついがうまいな」
「卯月家秘蔵の日本酒だからね。二匹はどう?」
「これがお酒の味……なのですね……」
 意外なことに孔雀より先に橄欖は答えた。っていうか、小さめの盃とはいえ猪口の中身を一気に飲み干してるし。
「橄欖、初めてなのに大丈夫?」
「大丈夫……とは……?」
 見たところまったく平気そうだ。もしかして強いのかもしれない。遊び心半分で、徳利を橄欖の前に置いた。
「気に入ったなら好きなだけ飲みなよ。食べる方が少ないならお酒くらいはね?」
「こら鈴、無茶を言うな。橄欖、酔いが回ったと思ったらやめておけよ」
「さすがにやばそうだったらボクが止めるから」
「事が起こってからでは遅いのだぞ」
 と、橄欖の隣の孔雀を見ると。
「りりりんねーひゃん……わらひ、これ……らめみたいれふ……」
 孔雀が真っ赤になって目を回していた。
「ぷ……あはははは! 呂律回ってないよ? へー、孔雀ってお酒ダメなんだぁ」
「笑っている場合か。孔雀、平気か?」
「らら~りるれろりらる~」
 孔雀はそのまま仰向けに倒れてしまった。手に持っていた盃の中身が畳にこぼれたところで鈴も我に返った。
「あれ? もしかして本当にやばいかな?」
「おい、孔雀!」
 真珠が孔雀の側に屈んで呼び掛けるも、まともな返事が返ってこない。
「ふにゃら~」
 などと言葉にならない言葉を発するだけで。
「どうかなさいましたか!?」
 咲も慌てて駆け寄ってくる。こうなると笑い事では済まない。弱いなんてもんじゃない、まったく体が受け付けないタイプだったんだ。
「真珠、孔雀の意識があるうちに水を飲ませてあげて。それから横にして寝かせないと……咲、客間に布団の用意を」
 橄欖がお酒を飲む手を止めて水の入ったコップを真珠に手渡した――ってまだ飲んでいたのか。
 真珠が水を飲ませると少しは目が覚めたみたいだが、今度は頭が痛いと言い出した。
「ご、ごめんなひゃひ……うぅ」
 孔雀はそれから厠で吐いて、また水を飲んで、咲の用意した布団で横になった。さすがの橄欖も心配そうで、孔雀の代わりに何度も謝っていた。
「申し訳ありません……姉さんがこんなに弱いとは……知らなくて……」
「勧めたのはボクだし、謝るのはボクの方だよ」
「孔雀自身も知らなかったのだろう。仕方あるまい」
 孔雀の容態が落ち着いたので居間に戻って、さてどうするべきかという話になった。孔雀があれではしばらく帰れそうにないし、酒も料理も残っているし、ということで三匹で晩餐を再開することにした。
「それにしても、普段澄ました態度の子があんな風に変わると面白いよねえ」
「お前な……それでも医者の家系の女か」
「いや、見慣れちゃったっていうか?」
 代々癒やしの能力を使って人々を癒してきたせいか、瀕死のポケモンも不治の病に侵されたポケモンも、小さい頃からたくさん見てきた。そのせいで少し感覚が麻痺しているところはあると思う。
「それはそうと橄欖、お前……」
「……はい?」
 鈴と真珠のやり取りを他所に、橄欖は一匹飲み続けていた。あまり喋らないせいもあってか、ペースがおかしい。徳利と猪口で飲んでいたはずがいつの間にか瓶から直接グラスに注いでいるし、一升瓶の中身がすでに底を尽きかけている。
「……いや。信じられんが、平気そうだな」
 それも顔色一つ変えず、まるで酔っている様子もない。
「お酒って……不思議ですね……水だったら……こんなに飲めないのに……」
「不思議なのはキミだよ!」
 孔雀が一滴も飲めなかったこと以上に、まさか橄欖がザルだなんて思いもしなかった。
 これは笑い話のタネになりそうだ、なんて考えながら、無事仇討ちが成功して、また笑って語り合える日が来るのだろうかと先行きの不安を抱えて――

4 [#2kM7KLQ] 


「まさかその仇の息子にこの話をするなんてねえ」
 鈴とシオンは笑っているが、孔雀は顔を隠して座り込んでいる。余程ダメージが大きかったらしい。
「孔雀さんが飲めないのも意外だけど、橄欖が強いってのもびっくり……今でもお酒は好きなの?」
「はい……実はときどき、ひとりで飲んでいたりします……」
 この屋敷で働くようになってから、仕事が終わって夜にひとりで飲むお酒がささやかな楽しみだったりする。
「へえ。橄欖って趣味の話とかしないから全然知らなかった」
「私も知らなかったわよ。鈴、お喋りなあんたがそんな面白そうな話をどうして今まで黙ってたわけ?」
「話す機会がなかっただけだよ。それにしても紗織ってこの手の話には興味がないと思ってたけど」
 "面白そう"なんて口にするのは紗織らしくない。橄欖がそうであったように、彼女も少しずつ変わってきたのかもしれない。シオンの影響か。
「興味がないって……橄欖、あんたも何笑ってんのよ。私を何だと思ってるわけ?」
「あははっ」
 シオンがそのやり取りを見て、我慢できずに吹き出した。
「紫苑まで! もう、あんた達は――」
「いいじゃない。紗織さんも、鈴さんも、橄欖も、お姉ちゃんも……それと、僕も。みんな陽州の仲間って感じでさ」
「……それは、そうね」
「おや? 紗織姉さんが簡単に引き下がるとは」
 話が逸れたことで立ち直ったか、ここへきて孔雀が会話に入ってきた。
「アレアレ? やっぱり紗織も紫苑には弱いのかな?」
 鈴も勢いづいて、ここぞとばかりに紗織を弄りにかかる。
「な、何勘違いして――紫苑、誤解するんじゃないわよ? 私はただ、陽州が懐かしくなって……ちょっと、聞いてる?」
 皆でシオンを囲んで笑いに包まれて。こういうのも悪くないと思う。
 悪くはない、のだけれど――
「……誰にも渡しませんから」
 聞こえないぐらいの小声でつぶやいた。
 正妻のフィオーナ以外は皆、立場は同じかもしれない。でも、あとから来た鈴や紗織にそんなことを主張されるのはごめんだ。
 好き勝手してきたくせにシオンと仲良くなった孔雀も。
 ここまでずっとシオンの心を第一に考えて、自分の気持ちを抑えて、信頼関係を築いてきたのだから。

         ◇

 湯浴みのお世話の後、勇気を出して誘うことにした。夕食ときのお酒の話があったのだから、自然な流れで誘えるはずだ。
「シオンさま」
「んー? なぁに、橄欖?」
 シオンの体を拭きながら、話しかけた。
「シオンさまもお酒がお好きだと聞きましたが……もしよかったら、今晩どうですか」
「お酒? 明日は休みだし、いいかも」
「本当ですか!?」
「そんなに喜ばなくても」
 やった。これでまた大きく二匹の仲を進展させられるかもしれない。いくら姉さんがシオンさまと姉弟になったところで、二匹で一緒にお酒を飲むなんていう恋人のようなイベントは永久に発生しない。姉さんは飲めないんですから。
「ふふっ。わたしの秘蔵のコレクションを用意しておきます。本日の雑務が終わりましたら、お呼びしますね」
 これも孔雀や鈴からシオンを守るため。
 自分の部屋で保護していれば安全だから。フィオーナの命令には背いていない。

         ◇

 今日の家事、雑務を手早く片付け、厨房からグラスを、今日は二つ。孔雀や鈴にばれないようにこっそりと持ち出した。自室に戻って準備を整え、いざシオンを呼びに行く。
 部屋にシオンを入れるのは初めてのことだ。
「一緒にお酒を飲もうなんて、まさか橄欖に誘われるとは思ってなかったよ」
 誰にも出くわさないことを祈りながら廊下を歩く。
「あまり飲んでいるところを見ないものですから、シオンさまはお酒はお好きでないのだとばかり思っていました」
「好きか嫌いかって言われたら好きだけど、誘われたら飲むくらい……って橄欖、どこへ?」
 階段を降りて、一階のロビーから南館の廊下へ差し掛かったところでシオンが立ち止まった。
「わたしの部屋……ですが」
「え」
 心の声が聞こえる。
 食堂かリビングルームだと思ってた。まさか橄欖の部屋だなんて。
「さすがにそれはまずいんじゃないかな……いろいろと……」
「姉さんや鈴姉さんに邪魔をされたくありませんし……」
「橄欖を信用してないわけじゃないんだけどさ……」
「わたしはあなたをお慕いしています。ですがこれまで一度も、あなたに悪さをしたことはありません。姉さんとは違います」
「や。そう言われると余計に……」
 最近は少し積極的になりすぎたのかもしれない。シオンに警戒されている。でも、簡単に諦めてたまるものですか。
「一緒にお酒を飲むくらい……いいじゃないですか。本当はわたしだって、あなたの一番になりたかったんです。でもシオンさまにはフィオーナさまがいるから、わたしは二番でいいと思っていました。それなのに、姉さんといつの間にかあんな仲に……好き放題してきた姉さんが抜け駆けなんて、ずるいです。わたしはそんな姉さんからあなたを守る苦労ばかりで。少しくらい報われたいと思うのはわがままですか?」
 情に訴えるなんて、卑怯な手だ。こんな言い方をしたら、シオンが断れないとわかっているのに。
「橄欖、お姉ちゃんに嫉妬してたんだ」
 返ってきたのは意外な言葉だった。否定できない。その通りなのだから。
「だって……姉さんはわたしと同じ立場なのですよ? フィオーナさまはわたしにとって特別な存在です。あの方の幸せ無しにわたしの幸せはありません。だからわたしは、身を引いていたのです。でもあなたが姉さんに……あんなに距離を縮めて、姉弟として仲睦まじくすることを許すなら……」
 覚えずと、手が伸びていた。飾り毛を持ち上げて、シオンの頬を撫でた。
「わたしだって、遠慮しなくていいですよね?」
「……っ」
 息を呑んだシオンの胸が僅かに高鳴ったのを、橄欖の角は見逃さなかった。手に取るようにわかる。シオンにも橄欖に対する気持ちがないわけではない。橄欖はそのことを知っている。
「……わかったよ。この先のこと……きみにはずっと、消えてほしくないから。僕も覚悟を決める」
 どんな意図でシオンがその言葉を発したのか。自分の感覚に、間違いがなければ。
 間違いなんてあるはずない。
 橄欖の目的を知った上で、誘いを受ける、と。

5 


 よく考えたら、橄欖の部屋に入るのは初めてだ。カーペットやカーテンなどは紺色を基調にした落ち着いた雰囲気で、ベッドとナイトテーブル、執務机に加えて、丸テーブルと小さなソファが置いてある。ただ、端に大きな酒棚があるのには驚いた。テーブルの上にはグラスが二つ、用意されている。
 後から入ってきた橄欖はすぐに部屋の鍵を掛けて、部屋を見回すシオンに歩み寄ってきた。
「シオンさまっ」
 ――で、抱きつかれた。
「わわ……っ」
 部屋で二匹(ふたり)きりでお酒を飲もうなんて誘われたからにはこうなることは予想していたけど、橄欖がこんなに積極的だとは思っていなくて戸惑った。
「柔らかくて、暖かくて……いい匂いがします。姉さんはいつもいつも、こんなことして……本当に、ずるいですね」
「あはは……サーナイトは抱擁ポケモンだから抱きつき癖でもあるのかなって思って許してたけど」
「む。サーナイトなら許せて、キルリアのわたしではダメってことですか?」
「や、橄欖の方が優しくていいかも……?」
 孔雀はもともと力が強いし、特殊能力を失ってからさらに鍛え始めたせいか、最近では抱きしめられると少し苦しいくらいだ。
「ふふっ。今夜はもう、あなたはわたしのものですからね」
 これが橄欖の本性なのか。いつも抑えていただけで。軛を失った橄欖はシオンに向ける熱っぽい視線を隠そうともしないし、笑顔が崩れないというか、頬が緩みっぱなしだ。あの孔雀の妹なのだし、血は争えないということか。
「んーっ」
「んむ、んんんっ!」
 キスまでされた。かなり強引だった。
 もしかして、橄欖ってお姉ちゃんよりもずっと、積極的な性格だったりするのか。
「座って待っていてください」
 橄欖は抱き上げたシオンをソファに座らせて、酒棚の前に立った。
「シオンさま、お好きなお酒はありますか?」
「えーと……ブランデー? かな」
「なるほど。ブランデーでしたら、ジルベール産の二十五年物が……あっ、先日手に入れたコーネリアスからの密輸入品もありました」
 密輸入品って。
 ランナベールに通す方はオープンだけど、休戦中とはいえコーネリアスはベール半島二国との国交を表向き断絶しているから、そういうことになるのか。
「ひとまずこのあたりからいきましょう! あ、よろしければカクテルも作りますよ? 一通りの材料もシェイカーもありますし、足りない分は厨房からこっそりと――」
 ワインよりは蒸留酒のブランデーの方が好みかな、と軽い気持ちで答えたのだが、橄欖のお酒好きはどうも本物らしい。
「ストレートをお勧めしますが……シオンさま、お酒はお強いのですか?」
「それなりには飲める方だけど……フィオーナよりは強いかな?」
「それなら安心です」
 一応貴族の嗜みとして、ブランデーは香りを楽しむために常温でとか、水で割ったりはせずにチェイサーを用意した方がいいとか、一通りのことはフィオーナから学んでいる。
 しかし今はプライベート、二匹で部屋で飲むくらいなら気にしなくていいだろう。とはいえ、ブランデーが注がれているグラス、さすがに大きくはないだろうか。ブランデーってそんなに量を飲めるものではないから、舐めるように味と香りを楽しむものだと教わった、ような。
「ではでは、シオンさま。今夜がわたしとあなたにとって思い出の一夜になることを願いまして、乾杯といたしましょう!」
 橄欖、飲む前からテンション高いし。
 サイコキネシスで持ち上げたグラスを重ねるのも今ひとつなので、申し訳程度に尻尾で支えて乾杯した。一口飲むと、アルコールの熱い感覚がふわりと広がった。わざわざ密輸入されるだけのことはある。香り高さは当然ながら、こんなに深いコクと甘みのあるブランデーは初めて味わった。
「あぁ……シオンさま……お酒を飲んでいるところも可愛いですね……」
 橄欖はグラスを片手にこちらを見つめていて、いつもより数段大人っぽく見える。つい忘れてしまっているけど、橄欖の方が年上なのだ。
「橄欖も、なんていうか……うん」
「仰らなくてもわかりますよ。こんなわたしに少しでも魅力を感じていただけたのなら、光栄の至りです」
 伝わってしまう。シオンが橄欖をどう思っているのか、何もかも。
「ねえ、シオンさま……」
 中身がもう半分になったグラスを置いて、橄欖はシオンの隣に座った。
「わたし、不安なんです。これはまたいつもの夢なのではないかと……」
 橄欖はシオンの首に手を回して、頬を寄せてきた。さらさらした髪が首にかかって、くすぐったい。
「ですから、少し……わたしの頬を、(つね)っていただけませんか?」
「夢じゃないよ」
 その頬を甘噛みして、傷つけないくらいの力加減で、きゅっ、と捻った。
「っ……ふふ、痛い、痛いです……ふふふ」
 橄欖は痛いと言いながら、喜んでいる。少し様子が変だけれど、酔っているわけではなさそうだ。そうしてシオンから体を離さぬまま、念力でグラスを手元に引き寄せた。
「お酒は強いと仰っていましたが……随分とゆっくりですね」
「や。橄欖が早すぎるんだって」
「そうなのでしょうか……あまり人前では飲まないもので」
 会話の合間にも、橄欖はグラスを傾け、シオンが半分も飲まないうちにグラスを空けてしまった。
「そういえばシオンさま、チョコレートはお好きでしたよね?」
 橄欖は立ち上がって、棚から箱を取り出してきた。
「わぁ……」
 箱を開けると艶やかな丸いチョコレートが並んでいて、見るからに高級感のある艶やかな輝きを放っていた。これまでは一匹で楽しんでいたのか、端からいくつか減っている。
「ブランデーによく合うんですよ」
 などと言いながら、二本の指でつまんで差し出してきた。
「はい、どうぞ」
 橄欖の動作があまりに自然だったので疑問を持たずに口を開けてしまった。
 苦みと甘みが程よくマッチしていて、口当たりはまろやかで濃厚。なるほど、ブランデーにもぴったりだ。
 そういうことではなくて。
「って、これじゃまるで恋人みたい……」
「そうですね」
 橄欖はニコニコと笑っている。
「そうですね、じゃなくて」
「二匹きりなのですから、いいじゃないですか。今はフィオーナさまも姉さんもいませんし、わたしが一番ということで」
「……いいけど」
 橄欖はちゃんと大人の魅力は備えているけれど、やっぱり一進化のキルリアということもあって、年上なのに年上という感じがしない。
 フィオーナも、それから孔雀も、素敵な女性だけれど、可愛い、と思えるところはそんなになくて、だから橄欖に対して抱くこの気持ちは新鮮にも感じる。
「わたしのことを可愛いだなんて……シオンさまには言われたくありません」
「い、言ってないよね?」
「ほら、そういうところ、シオンさまの方がずっと可愛らしいじゃないですか」
 でもやっぱり橄欖の方が少しアダルトで、すぐにペースを握られてしまう。
 橄欖は二杯目のブランデーを(あお)りながら、シオンの頭を撫でている。
 こんな扱いを受けるなんて思っていなかった。今までずっと、自分よりもシオンの心を再優先に考えて、遠慮していたから。
「なんか……こんなに真面目に積極的なひとって、初めてかも」
 たぶん、孔雀はおちゃらけた人柄を演じることで奥手の自分を隠そうとしている。演じているだけなら、積極的にもなれるから。でも橄欖は心の底から、まっすぐに愛情をぶつけてくる。何も隠すことなく、演じることもなく。
「今、姉さんのことを考えていましたか?」
「や」
「ふふ。わたしはそれくらいで怒ったりしませんよ。だって今、確信していますから」
 頭を撫でるだけにとどまらず、ぎゅっと抱きしめられて、頬ずりまでされた。
 橄欖の口元からほのかにブランデーの香りが漂ったとき、その妖艶な微笑みにひどく胸が高鳴った。
「シオンさまにはわたしが必要だということ」
「ふ、ぁ……」
 やばい。もういろいろとやばい。
 お酒が回ってきたせいもあるかもしれないけど、何もかも忘れてしまいそうだ。
「そう……今は何もかも忘れて……わたしだけを見てください」
「橄欖……」
 どちらからともつかず、互いに唇を重ねていた。
 これはもう言い訳はできない。
 一方的に悪戯をされたわけでもなく、自分の意思で、橄欖とキスしてしまった。
「んっ……シオン、さま……」
「…………」
 気まずくて何も言えず、ブランデーのグラスを傾けた。
「んぁっ……こほっ、こほっ……!」
 その挙句に咽せてしまった。きついお酒を一気に飲むものじゃない。
「あははは! シオンさまったらもう……! いちいち可愛いんですから!」
 橄欖は吹き出しながらも背中をとんとんと叩いてくれて、その手つきがまた優しくて。
 彼女の魅力に完全に囚われてしまった自分がいる。
「ごめん……」
「謝ることなんてありませんよ。わたしはあなたの侍女ですから。あなたのお世話をするのが生き甲斐なんですから」
「生き甲斐だなんて、そんな」
「もっとお世話を掛けてくださっていいのですよ? わたしはその方が喜びますから」
 橄欖の目が妖しく輝いている。さっき頬をつねったときといい、ときどきおかしな反応をする。
「あ。気づかれてしまいましたか……」
「橄欖ってもしかして」
「それはもう……シオンさまになら、何をされても嬉しいですよ?」
「真性のマゾヒストってやつ……?」
 橄欖は頷く代わりに、満面の笑みを見せた。
 そこ笑うところじゃないから。
 ずっと前から、その気がありそうだとは薄々感じていたけど、自ら全力で肯定されるとさすがに驚きを隠せない。
「……でも、シオンさまもどちらかといえばこちら側ですよね?」
「や、やめてよ……僕は……」
 フィオーナとの関係を見ているこの家の者たちには容易に想像がつくだろう。シオンがわりと一方的にやられることが多いというのも。
「Mどうしというのも意外と、相性は良かったりするみたいですよ」
「はっきり言わないでっ」
 でも、否定はできない。橄欖との関係が心地良いのも、いい意味でお互いに遠慮し合っているからというところはあって。
「……ふふふ。あ、グラスが空になっていますね」
 と、二杯目のブランデーが注がれた。二杯くらいなら大丈夫だと思うけれど、グラスが大きかったのもあってすでに理性のタガが緩くなっているのが自分でもわかる。橄欖はというとすでに三杯目に突入しているが、上機嫌なのは飲む前からだし、変わっていないように見える。酔っているのかどうか全くわからない。
「ああ、幸せ……あなたと二匹(ふたり)、こんな時間を過ごせるなんて……」
 そうして二匹の夜は更けてゆく。
 決して止まることのできない、坂道を転がり落ちるように。

6 [#6AF7GZ4] 


 少し体に熱を感じるのは、お酒のせいでしょうか。
 それとも、あなたのせいでしょうか。
「かんら~ん……ちょっと強すぎじゃなぁい?」
 自分はどうだかわからないけれど、シオンは早くも酔ってしまったみたいだ。
 しなだれかかってくるシオンの体を支えて、その首や頭を撫でているだけで、幸せな気持ちに満たされる。
 もう夜も更けてきたが、時間なんて忘れてしまうくらい。何時なのかなんて、気にしたくない。
「そう……でしょうか。そうなのかもしれません」
「ふぇえ……頭がふわふわするよぉ……」
 コーネリアスの輸入物だったあのブランデーを二杯、それから、せっかくなので二十五年物のジルベール産を一杯勧めて、そのグラスが空になる頃にはこの有様である。
 橄欖はというと、合わせて五杯目。まだ頭ははっきりしているし、経験からしてまだ倍は飲んでも大丈夫なのだけど。
「少し休憩されますか? 酔いが覚めると良いのですが……」
「休、憩……橄欖が、お世話……してくれる……?」
 シオンの受け答えが少しおかしい。見た目より相当酔っているのかもしれない。
「はい。もちろん、わたしが――」
 ソファに腰掛ける橄欖の膝の上に、シオンが完全に身を投げ出して、抱きとめる格好となった。
 可愛い。
 可愛くて、暖かくて、少し甘いような芳香がして、ビロードみたいな毛はすべすべで、その下の肌は柔らかくて――何かが胸の奥ではち切れた。
「――休憩でしたら、ベッドにお連れしましょうか」
 そのまま抱き上げて、ベッドの脇へと歩いていく。
 今しかない。このまま。気が変わる前に。
「んふ……ありが、と……?」
 シオンをベッドに寝かせた。もちろん、ただ寝かせただけではなく。
「シオンさま……今夜はわたしに……」
 脇腹に頬をくっつけて、背中を撫でた。彼のすべてが愛おしくて、もう抑えられない。
「……ご奉仕させて、くださいね」
「……っ……知ってた、けど……」
「まだ理性が残っているのですか?」
「自分では……わかんないよ……もう何も考えたくないくらい、ふらふらだし……」
 シオンは今にも眠ってしまいそうな声で答える。
「シオンさまにはもう、拒絶する力も残っていないと……そういうことですね」
「橄欖のこと……拒絶なんて、するわけないじゃない……」
「嬉しい、です」
 シオンが受け入れてくれるというのはこれ以上ないくらい嬉しいことだけれど。
 考えてしまう。もしも姉さんに、いや、フィオーナさまに知れることがあったらと。
「でも……わたしは、お酒に酔って、抵抗できなくなってしまったあなたを犯してしまう、悪い女ですよ?」
「橄……欖……?」
「あなたの意思なんて……もう関係ありません」
 だから、これはわたしが勝手に、一方的にしたこと。その建前だけは守っておきたい。もしも知られてしまったときのために。
「ふふふ。覚悟してくださいね、シオンさま」
 微笑みかけながら尻尾の付け根を撫でる。そこは自分では触れられない場所で、性感帯でもあるのだと、橄欖は知っている。
「ぁあぅ、そ、そこ……だめ、なのぉ……」
「……ふふ。あははっ……シオンさま、可愛い……!」
 シオンさまが。わたしの手で触れられて、悦んでいる。
 今まで触れ得ざるものだった彼の深いところへ。ついに、わたしは手を出してしまったんだ。
「シオンさま、何をしてほしいですか? わたし、シオンさまのためなら本当に何でも……何でもしますから」
 尻尾の付け根だけでなく、腿の内側や脇腹の際どいところを愛撫しながら、問いかけてみる。
「ぅああっ……か、かんら……んっ、だめぇ、ぞくぞく、して……僕……ふぁぁっ……」
 答えなくても、分かりますとも。わたしはあなたの心を知ることができるのですから。
「ここですか……? ふふふ。ここがいいの? シオンさま……あは……わたし、シオンさまとこんなことしてる……!」
 頬が緩んでしまうのを止められない。夢にまで見たシオンとの愛の戯れ。それがいま現実のものになっている。
 シオンさまにご奉仕して差し上げようって、そう思っていた数分前の自分はどこへ行ってしまったのだろう。自分の欲望ばかりが込み上げてきて。
「か、ひぁぁっ、ら……んん……っ、ちょ、ちょっと、待ってぇ……ぁあう」
「どうしたの……いえ。どうされましたか?」
 いけない。もうシオンが主人だってことも忘れかけている。わたしの、わたしだけの、愛するシオンさま。
「……トイレ……連れてって……おしっこ……」
 お酒を飲み過ぎたせいかもしれない。でも、知っています。シオンさまはいつもフィオーナさまの手で、愛撫されて――
「……お断りします」
「えぇっ……」
 別荘に避難したとき、フィオーナさまとの行為のあとで濡れていた毛を拭いて、舐めてしまったこともありました。
 わたしはどうしようもなく変態で、シオンさまのなら、それはもう至福の聖水に思えてしまいます。
「わたしに……かけて……ください……そうして、ほしいです」
「そ、そんな、こと……」
「抵抗しても、だめですよ? わたし、今夜は無理矢理にでもって、決めたんだから」
 横になったシオンの後足を、腕の力と念力を使ってこじ開けた。体毛に埋もれていた彼の性器が、もう半分くらい露わになっている。
「ちゃんと、感じていただけてたんですね……嬉しい」
「か、橄欖……っ、ちょっとぉ……」
 股の間に自分の体を滑り込ませて、そのままシオンの体をぎゅっと抱いた。足を開きっぱなしにするのも辛いはずだ。橄欖の両足が挟み込まれる格好となる。
「ふふふ。ふへへへへへ、あはははっ。ぁぁ、ぁあ、シオンさまぁ……ふふふっ」
 きっと今の自分はすごく見るに耐えない顔をしている。シオンが酔っていなかったら、さすがにここまで自分をさらけ出すことはできなかったかもしれない。
 自分が酔わない体質だからあまりわからなかったけど、お酒の力ってやっぱりすごい。
 さすがにシオンも身を捩って離れようとしたが、まともに力も入らないみたいだ。
「逃がしませんよ?」
「は、わぅっ……!」
 念には念をと、金縛りでシオンを動けなくした。それから脇腹を、太腿を優しく撫でてあげる。
「ひぁ、ぅぅ……橄欖っ……手……つめたいよぅ……」
「わたし、体温が低いんです。ひんやりして気持ちがいいでしょう?」
「ふぇ……そんな、とこ……ぁぁんっ……! だめ……だってぇ……橄ら……ぁ、ぁっ……」
 お尻の方から手を回して、袋に触れた。思っていたより柔らかい。こんな感触なんだ。
「ひ……っ! や、やめ……」
「ほーら、シオンさま……我慢しないで……気持ち良くここでしてしまいましょう?」
「や、やだ……橄欖……そんな……ふぁあぅ……も、もう、だめだって……」
 両腿の内側を撫でて、それから細かな体毛に埋もれた乳首のひとつにキスをした。
「ぁ、ぁ、やぁああぁっ……!!」
 瞬間、ついに我慢しきれなくなったのか、シオンは橄欖の狙い通り、そのままおしっこを漏らしてしまった。
「あはっ、シオンさまぁ……! シオンさまの……ぁぁあ……わたし、もう……!」
 勢い良く足に、お腹に浴びせられたおしっこは思っていたよりずっと熱かった。
「ふぇ、えっ……や、やだ、止まらないよぉ……橄欖、離してよっ……!」
「嫌ですぅ……離しません、絶対に……あぁ、体が熱い……です……ぁ、ぁあん……っ」
 シオンの体の中から出てきたものを浴びているのだと思うと気持ちがどうしようもなく昂ぶって、変な声が漏れてしまった。
 体の中心まで熱くて、頭の方まで熱にほだされたみたいで、もう何も考えられないくらいに興奮している自分がいる。
「あ、は……ふふ……や、ん、はぁぁっ……! もうだめ……シオンさま……シオンさまぁっ……!」
 もう何も考えられなくなって、叫びだしたくなる。
 あなたに聖水を浴びせられるなんて。わたしにとってこんなに至高の悦びはありません。
 もっと。
 もっとわたしを汚してください。
 いいえ。この世で一番綺麗なあなたの体から出てきたものなのですから、汚いはずがありません。汚して、なんて表現は間違っています。
「わたしをもっと……綺麗にしてください……ぁは……橄欖は幸せです……」
「ふぅ、はぁ……か、橄欖……?」
「はぁぁ……シオンさまのおしっこで……こんなに……濡れて……」
 それだけではないことは自分がよくわかっている。聖水を浴びているときから、いや、その前にシオンを愛撫しているときからずっと、自分の股の下から嫌らしく愛液が溢れ出していて、腿を伝っている。
「んぁ……あれ……? もう……おしまい……ですか……?」
 衣の胸から下はぐっしょりと濡れてしまって、ベッドの半分と、カーペットの床まで滴っている。後のことを考えて少し冷静になりかけたが、すぐに理性なんて心の底に沈んでしまう。念力を使ってシオンをまだ濡れていないベッドの奥に仰向けにさせた。
「はぁ……はぁ。下のお世話……最後までさせていただきますから……」
「っ……ちょっと、何……ひぅっ」
 答えを待たず、シオンの股の周りや腿に舌を這わせていく。
「わたしが……ん……っ、舐めて、綺麗にして……あげますから……じっとして……」
 少ししょっぱいような、苦いような。味なんてわからない。それでも不思議と魅力的な匂いがする。きっとわたしが変態だから。こんな行為に悦びを覚えてしまう。いっそ何もかもお世話させてほしい。わたしが何もかもしてあげたい。
「や、やめ、て……」
「やめません」
「ひぁあっ、ほんとに……ぅあっ……! あたま、真っ白になっちゃう、からっ……」
「ん、はふ……いいじゃないですか……はい、終わりましたよ」
 ああ。もう死んでもいいくらい幸せ。
 さすがの姉さんもフィオーナさまもここまでしたことはないだろう。
 シオンさまのお世話係、侍女だからできること。そんな特権を味わっている気がして、胸の奥が一層熱くなってくる。
「はぁ……シオンさまぁ……」
 前戯というには派手にやりすぎてしまったかもしれないけれど、シオンのピンク色の性器は完全にその姿を現し、屹立していた。
「……つん」
「はわゎっ……! つ、つつかないでっ……!」
「可愛らしかったもので、つい」
 優しく包み込むように手を添えて、その先を銜えた。
「ひぅっ……橄、欖っ……!」
「ん……任せて……ください……はむ……んん……」
「ぁ、あっ……んああっ……! ゃ、……ふぁぁっ……ぁんっ」
 舌に合わせて尻尾をぱたぱた動かしながら、喘ぎ声を上げてくれる。自分の行為でシオンがちゃんと気持ち良くなってくれているんだ。そう思うと嬉しくて、また体が熱くなってくる。
「今度は……ん、きちんと……ご奉仕……っふぁ……させて……いただきます……から……」
 さっきは自分の欲望で暴走してしまったけれど。
「ら、だめぇ……ぁっ、ひっ、んんぅ……!」
「……出したくなったら、いつでも……はふ、出して、くださいね……ん」
 自分のしていることとか、シオンさまの声とか匂いとか温もりとか肌触りとか、いろいろなものが橄欖の理性をまた消し飛ばしてしまいそうになる。でも、今はどうにか理性を保っている。自分本位にならないように。
「ぁぁあ……っ、く……ゃ、も、もう……」
 おしっことは違う、ほんの少し甘いような、不思議な味のする液がシオンの中からじわじわと溢れてきて、その度に口の中で彼が動いているのがわかる。もっと、もっと彼が欲しい。
「ふぁ、く……んんんっ……」
「だ、だめ……っ、だめだよぉ……ぁ、ぁ、橄欖っ、かんら……ぁ、ぁ、ぁ、ぁああああっ……!」
 強く吸い上げたそのとき。
 一際大きくシオンの体が跳ねて、口の中に一気に熱いものが広がった。
「ぁぁ、ゃ、ああぁ、や……!」
「んふ……ん、ん……」
 彼がどくん、どくんと脈打ちながら吐き出した精液を、零さないように飲み込んでいく。
 想像していたよりも苦くて、でも、ほんの少しだけ甘くて。
「ん……ぷはぁ……ごちそう、さまです……」
「はぁ、はぁ……か、橄欖……っ」
「わたし……ちゃんとご奉仕できていましたか……?」
 シオンは荒い息を整えるのに必死で、答えてくれない。
 わたしにはあなたの心が読めてしまうから、黙っていてもわかる。
 ちゃんと、満足してくれてる。
「シオンさまの、飲んじゃいました……ふへへへ……」
 理性の糸が切れて、だらしなく笑ってしまった。
 つつ、と口の端から涎が垂れてきたのがわかった。ああ。わたしって本当、気持ち悪い。
「かん、らん……口……」
「ふぁい?」
 シオンが頬を染めてこちらを見ている。
「……あっ」
 手で拭ってみたら、涎にしてはひどくベタついていた。
「これ、シオンさまの……」
 涎じゃなかったみたい。手についた精液を舐めて、最後の一滴まで、飲み下した。
「もったいないですから。えへへ」
「……っ」
 シオンはそっぽを向いてしまった。
 ――見ている方まで恥ずかしいよ……。
 そんな心の声も、わたしにとっては至上のご褒美です。
「シオンさま、わたし……」
 自分で下半身に触れたら、べっとりと愛液がついてしまった。
「……もっと、あなたがほしいです」
 もう体が熱くて熱くて、これ以上耐えられそうにない。 

7 


 こんなに汚い手であなたに触れるわけにはいかないから、自分で舐めて、綺麗にした。
 シオンの性器は力を失って少しずつ小さくなり、また毛の中に埋もれそうになっている。
 たぶん男の子の体って、立て続けに何度もできるようにはできていないと思う。
 でも、わたし、このままじゃ足りない。
「シオンさま……」
 埋もれそうな彼の性器を両手で包み込んだ。
「ぁっ……い、今は、まだ……触らない、で……」
 激しい行為に疲れたのか、シオンは今にも寝てしまいそうだ。
 彼のことを思えば一度寝かせてあげた方がいいかな、なんて思った。
 でも、もう午前二時を回っているし、寝てしまったら朝まで起きないかもしれない。
 それより何より――
「だめ、です……わたし、我慢できません……」
 こんなに昂ぶった気持ちを、火照った体を鎮められそうにない。
 冷める前に、食べてしまいたい。 
「でも、シオンさまのご命令ですから……触らないでおきます」
 直接触らなければいいんだ。
 橄欖はサイコキネシスを展開して、無数の糸をシオンのものに絡みつかせた。
「ひぎっ!?」
「……強かった、ですか?」
「な……何して……ぁ、ぁうっ……やめてよぉ……! さ、触っても、いいからっ……はぅう、やめてぇ……」
「……はい」
 サイコキネシスでどうにかシオンを復活させようとしたが、橄欖は孔雀のように器用ではない。しかもESPが強すぎて手よりも刺激が強くなってしまうみたいだ。
 ま、触ってもいいと許可が下りたのですから気にしないでおきましょう。
「つんつん。元気になーれ」
「ちょ、は、ふ……直接は、やめてっ……」
 でも、どうしたら良いのかわからない。孔雀や鈴なら心得ていそうなものだが、橄欖はそこまで知識があるわけではない。ただ自分の変態的な欲望のままに突き進んだり、受信する感情に従ってシオンが気持ちよくなることをしただけ。
 あまり強い刺激を与えないようにゆっくりとしてあげればいいのかな。
「なるほど。ではこうして……」
 お腹とか、お尻とか、腿とか、乳首とか、尻尾の付け根とか。
 体のいろいろなところを撫でたり、舐めたりして、少しずつ。
「ん……どう、ですか……?」
「へ、変な感じだよぉ……ぁ、うう……は、っん……!」
 反応は上々だった。たぶんこれで間違ってない。
「ふふふ……リラックスしてくださいね……お姉さんが良くしてあげるから……」
「か、橄欖……っ? ふぁ、ぁん……」
 さっきまでの激しさはなく、シオンの反応も弱々しくて、つい子供みたいに扱いたくなる。
「姉さんばかりでなく、わたしのことも……呼んで……ほしいな……お姉ちゃんって」
 本当の兄弟姉妹みたいに仲の良い陽州の仲間が羨ましいから、孔雀とシオンも姉弟になったのだという。
 だったら、わたしだって。
「ぁぅ……ふぁ……ぁぁぁ……」
「ねぇ、シ……ゎふっ!?」
 ぴしゃぁぁっ、と。顔におしっこをかけられた。
「っ……もう、シオンさまっ!」
「ご、ごめん……なんだか力が抜けちゃって……」
 嬉しくないと言えば嘘になるけど、からかわれている気がしてむっとしてしまった。
「わたし、もう遠慮しませんから……」
 袖で顔を拭って、また半分くらい元気を取り戻してきたシオンの性器を、ぱくりと咥えた。
「ひぁあっ……!」
「ん、もう……シオンさまと……はふ……繋がる、まで……」
「ちょ、ふぁ、やぁんっ……ま、待っ……ぁ、ぁっ……!」
 舐め回して、吸って、口の中で転がして、根本を甘噛みしたりなんかして。
「待ちません……っ、シオン、さまと、わたしも……はむ、んっ……姉弟に……なりましょう……?」
「ゃ、やっ……つ、強すぎるよぉっ……かんら……ぁああっ……!」
 空いた片手で、体毛の下に埋もれた乳首をつまんでみたり。
「っ、は……それとも……わたしと、あなたなら……姉弟以上に……なれるかな……ぷはぁ……」
 我ながら貪るみたいな愛撫だった。口を離すと、シオンのものはまた屹立して、外に出てきてくれた。
「はぁ、ふぅ……か、橄欖っ……強引すぎだよぉ……」
「わたしだって……さっきから……いいえ。ずっとずっと前から、我慢してたんですから。あなたの侍女として……あなたを側で見守るようになってからずっと……!」
 シオンの体を仰向けにして、自分の秘所を上からあてがった。
「橄、欖……」
「あなたを汚してしまうこと……お許しください……」
 すっ、と腰を落とすと、彼のものがそんなに大きくないせいか、潤滑液が溢れていたせいか、すんなりと中に入ってきた。その瞬間、震えのような電気のような、激しい感覚に、頭の先まで貫かれた。
「ぁああぁっ……! こん、な……ふくぁ、ひ、はぁぁっ……!」
 入っただけで。頭が真っ白になって、現実世界から離脱してしまった。数秒、気絶していたのかもしれない。次に自分を認識したときには、シオンの胸の上に倒れ込んでいた。
「ぁひっ、ふぁ……シオン、さま……わたし、シオンさまと……ひとつに……ぁあっ! あ、頭が……どうにかなりそう……です……っ」
「お、落ち着いて……っ、ふぁ……ぼ、僕も……嬉しい、かな……」
 くずおれた体を抱きしめられている。シオンさまに。
「ぁ、ふ……わ、わたし……でも、シオンさま、そんな……はぅ……っ」
「初めて……なんでしょ……? ゆっくり、しよ……? ね?」
「は、は……っ、はい……」
 まさかこんなに。自我を保てなくなるほどの快感に襲われようとは、予想していなかった。
「動いても……いいかな……」
 答える代わりにシオンの体を抱く力をぎゅっと強めた。
「ん……橄欖……っ、ぅ……」
「ぁは、ゃ、あぁっ……! シオンさまっ……ぁ、わたし……いや、ぁ、あああっ……だめ、シオン、さまぁっ……! ぁ、ひゃぁぅっ……!」
 抱き合っているシオンが見えなくなる。声も聞こえなくなっていく。
 ただ体の奥で、ひとつになって、動いているのがわかる。
 腰を動かすたびに、突き上げられるたびに、失神しそうなくらいの快感に全身を襲われて、耐えることができずに叫んでしまう。
 自分がどんな声を出しているのか、どんな表情をしているのかわからない。
 でも、あなたの感覚と、あなたの心だけははっきりと感じられる。
 今、二人の感情が高ぶって、頂点まで――
「ぁふ、んぁ、ぁ、ぁ……橄欖っ、橄欖っ……も、もう、僕……ぁ、ふぁ、あああぁっ……!」 
「シオンさまぁっ……ゃ、はん、ぁ、ぁ、ぁああぁぁぁ~っ……!」
 どくん、とわたしの中でシオンさまが脈打っている。わたしの中が、熱いものに満たされていく。
「はぁっ、はぁ……シオン、さまぁ……はぁ……」
 どうにか現実の世界に帰ってきたけれど、強い快感の余韻がまだ残っていて、ちょっとした刺激でまた我を忘れそうになる。
「わ、わたし……」
 縋るようにシオンを抱きしめて、意識を繋ぎ止める。
「橄欖……これでもう……言い訳できなくなっちゃったね……」
「……シオンさま……わたしは……」
 最後までしてしまった。わたしはあなたの侍女なのに。
 完全無欠の、問答無用の不貞行為だ。
 主であるシオンと体の関係を持ってしまった。
 それなのに、あなたと抱き合っていると、あなたの温もりをこうして感じていると、そんな背徳感さえ心地良く感じてしまう。
「僕、やっぱり……橄欖のこと、好きだよ……二番目かもしれないけど、それでも、きみが好き……」
「二番目で……いいんです。二番目でも、わたしにはもったいないです……」
 好きだって何度も言ってもらえて嬉しかった。
 言葉にしなくても、今ここにある関係がすべてを物語っている。それでも、直接言葉にされるとこんなにも嬉しい。
「でも……今だけは」
 二番目でもいい。わたしは絶対にフィオーナさまには勝てないってわかってる。
「今だけは、あなたの一番でいさせて……わたしに、夢を見せて……ね?」
「橄欖……」
 お互いに強く抱き合って、またキスをして。
 どちらとも離れられなくて、繋がったまま――
 二匹は眠りに落ちたのだった。

8 


 カーテンの隙間から差し込む淡い光と、鳥の声で目が覚めた。
 時計を確認すると、朝の五時。昨日はあんなに夜更かしたのに、朝早く目覚めるのは使用人の性か。
 シオンさまと、一夜を共にした。男女の仲になってしまった。
 まだ可愛く寝息を立てているシオンの背中を撫でながら、頭は冷静にこれからのことを考えていた。
 ベッドの半分とカーペットがびしょびしょになってしまったのもなんとかしないといけないし。
 何より、シオンが橄欖の部屋にいることがまずい。どうにかして屋敷の者に見つからように部屋を出ないといけない。
「シオンさま」
「ん~……? むにゃ……」
 起きてくれない。確かにいつも起こしに行くよりは少し早い時間だけれど、起きてもらわないと困る。使用人は早起きだし、もう誰か起きていてもおかしくない時間帯だ。
「朝ですよ、シオンさま」
「ぇ……もう朝ぁ……? でも今日は、休みだよぅ……」
 薄っすらと目を開けたシオンは、まだはっきりと覚醒してはいないみたいだ。
「ここがどこだかわかりますか」
「ぇ……? 僕の部屋……じゃ、ない……? えぇっ……!」
「おはようございます」
「お、おはよ……ぅう、あたま痛い……」
「昨夜のことは……覚えていらっしゃいますか」
 思い出すと恥ずかしくなって、つい声が小さくなってしまう。
「えっ、と……橄欖とお酒飲んで……それから……ぁっ……」
 シオンは頬を染めて橄欖から目をそらした。お酒のせいで忘れてしまった、ということはないらしい。
「ぼ、僕……橄欖と……」
「はい……わたし、シオンさまをお酒に酔わせて……襲っちゃいました……」
「……」
 沈黙が気まずくも初々しくて、ほんのりと胸が温かくなる。
「まずい、よね……さすがに誰にも知られるわけには……」
「まだ起きているひとも少ないですから、今のうちに……わたしが先に出て、合図を出しますので」
 ここ南館一階の使用人部屋から、同じく南館二階のシオンの自室まで。見晴らしのいい中央ホールの階段を通るのは危険だから、南端の階段を使うのが吉だ。ただ、その間に孔雀、鈴、紗織の部屋の前を通ることになるのが不安要素だが、感情の受信に集中すれば彼女たちが起きて部屋から出てくるときはわかる。
 そんなこんなで部屋を出て、確認。紗織の気配は感じない。もう部屋を出ているのか。鈴は穏やかに眠っている。孔雀は今起きたところか。朝食の準備をする前に、シオンの部屋にちょっかいでも出しに行こうか、なんて不純なことを――
「シオンさま、急いで!」
 孔雀の行動理念は本当にわけがわからない。
 シオンが階段を上って二階に姿を消したとき、孔雀が部屋から出てきた。
「あら橄欖ちゃんおはよう」
「おはようございます姉さん」
 どうにか自然に取り繕うことはできた。危ない。
「今日は早いのね」
 橄欖はいつも、屋敷の仕事が始まるぎりぎりの時間まで寝ていたりする。起きて顔を洗って、厨房で紅茶の支度をして、シオンを起こしに行く。シオンの仕事が早かった頃は、起床時刻は三十分も変わらなかったりした。
「ちょっとシオンくんの寝顔でも見に行こうかなーって思ってたんだけど、見つかっちゃったわ」
「朝から何を考えているんですか姉さんは……」
「べつに、可愛い弟の寝顔を見て、今日も一日頑張るぞーって気合入れるだけよ? ……ところで橄欖ちゃん」
「はい?」
 孔雀が顔を近づけてきたので、思わず後ずさった。
「ちょっと、姉さん……」
「気のせいかしら。シオンくんの匂いがするわよ」
「ま゛っ」
 どきりとして、変な声を出してしまった。まずい。せっかく平静を装っていたのに。
「わたしたちの衣とか髪って匂いがつきやすいのよねえ。それに、動揺しているのがまるわかりよ?」
 孔雀は胸の角を指さしながら、あやしい微笑みを浮かべている。
「わ、わたしはただ……」
「べつに、橄欖ちゃんが変態なのは知ってるから、何をしてても驚かないけど?」
「へ、変態って……」
 ひどい言われようだが、否定できないのも事実だ。むしろ、ここはいっそ利用してしまった方がいいかもしれない。
「ど、どうせわたしは変態ですよ……昨日、湯浴みのあと……シオンさまの体をお拭きして差し上げたタオルをこっそり……」
「ほほう。部屋に持って帰ってそれに包まって寝たりしたわけ?」
「……は、はい。悪いですかっ」
 適当なことを並べ立てながらも、一緒に過ごせない夜はそうするのも悪くないかもしれない、なんて思ってしまった。
「あーあ。こんな妹を持ってしまって姉さんは残念だわ……」
 どうにかして孔雀を誤魔化し、その場はやり過ごすことができた。
 絶対に叶わないと思っていた夢が叶った日の朝。
 橄欖は一度部屋に戻った。これからどうにかして片付けなきゃいけなくて、頭を抱えたくなるのに、どうしても笑みがこぼれてしまう。
「シオンさま……」
 この想いは、わたしだけのものだ。
 フィオーナさまにだって負けやしない。

9 


「おはよ、みんな……」
 シオンが起きてリビングルームに入ってきたのは十一時半を過ぎてからだった。
「おはよ、じゃないわよ。もう昼前よ?」
「いいじゃないか紗織。ボクだって休みのときは昼まで寝てたりするしさ」
「あんたを基準にしてどうすんのよ……ていうか紫苑、まだ眠そうね」
 昨日はお酒をあんなに飲んだ上に、わたしと遅くまで激しい運動をしていたから。
 なんて、自分だけ秘密を知っていることに特別な心地がして、頬が緩みそうになるのをこらえた。
「おはようございます、シオンさま。よく眠れましたか?」
「そこそこ……ふゎぁ……」
 あくびをするシオンさまも可愛い。抱きしめたくなる。
「紫苑~! 今の最高、可愛いよ!」
 なんて思っていたら、鈴は思うだけでなく即、実行に移していた。
「ちょ、鈴さん……っ」
「今、厨房の方で孔雀が仕上げをしてるから……お昼ごはんができるまで、ボクの胸でもう一眠りするかい?」
「鈴! あんたいい加減に……!」
 紗織が叱責するものの、抱き上げられたシオンは満更ではなさそうに、目を閉じている。
 少し寝かせてあげるくらいならいいかもしれない。
「でもほら、紫苑も眠そうだしね?」
 鈴はシオンを抱いたままソファに座って、背中を撫でている。あれくらいなら健全だし、咎めるほどでもないのではないか。
「そういう問題じゃないでしょうがっ。橄欖、あんたも何か言いなさいよ!」
「はい? わたしですか?」
「おや。言われてみたらキミが何も言わないのも珍しいね。いいのかい? 紫苑の二番目をボクがいただいちゃっても」
 鈴の挑発を何とも感じない自分に驚いた。これが心の余裕というものなのか。
「二番目はわたしですから。誰が何と言おうとも、わたしがシオンさまの二番目です」
 満面の笑みで言い切ると、さすがに鈴も紗織もきょとんとして顔を見合わせた。
 悪戯くらい、シオンさまさえ迷惑に思わないのなら、好きにさせてあげてもいい。
 あなたたちができるのはどうせ悪戯どまり。
 わたしはシオンさまと、切っても切れない絆を結んだのだから。

 わたしはあなたの護衛で、侍女で、そして、側女になりました。
 この世でわたしとあなたの二匹だけが知る関係。
 それって、本当は――


「――本当は、一番だって思いたいですけど」



 -Fin-


あとがき [#4quV05Q] 


書いているうちにやりすぎました。


コメント欄 

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 禿げ散らかしそうなくらい橄欖がかわいい
    ―― 2015-12-31 (木) 14:42:34
  • 禿げ散らかしそうなくらい橄欖がかわいい
    ―― 2015-12-31 (木) 14:42:29
  • 禿げ散らかしそうなくらい橄欖がかわいい
    ―― 2015-12-31 (木) 14:42:30
  • 禿げ散らかしすぎた
    ―― 2015-12-31 (木) 15:21:10
  • >名無しさん
    本編で回収できなかったフラグをようやく回収できました(*´▽`*)

    >禿げ散らかしすぎたひと
    ありがとうございます(・ω・)
    でも、髪は大事になさってくださいね。。。 -- 三月兎
  • 橄欖さんがしあわせそうで何よりです…ふへへへ いじめられてるときのシオンくん本当にかわいすぎる。彼が攻め側に回る日は来るのだろうか… --
  • ありがとうございます(^q^)
    そう言われると、シオンが攻めに回るところも書きたくなります( -- 三月兎
  • 2人とも可愛くて悶え死ぬ所でした -- ポケモン小説 ?
  • 今回も楽しく拝見しました。
    やっぱり、シオン君はイジめられていないと、シオン君じゃないですよね。
    シオン君のためにも、ランナベールに日本の大奥文化を導入しませう。
    拙い文章、失礼致しました。 -- 呂蒙
  • >ポケモン小説さん
    そう言っていただけるとすごく嬉しいです!
    ありがとうございます!!

    >呂蒙さん
    いつもコメントありがとうございます!
    ヴァンジェスティ家ではフィオーナの方が強いので大奥は難しいですけど、シオンくんはこれからも使用人たちにいじめられちゃうのだと思います(^o^) -- 三月兎
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Last-modified: 2016-01-28 (木) 18:23:05
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