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三月兎。

/三月兎。

Lem
この作品には暴力を伴う流血表現、同性愛表現等が含まれます。
苦手な方はページを閉じるなり戻るなりして頂く様お願い申し上げます。

三月兎。 


 誰を愛し、誰に愛され、誰と供に生きるのか。
 限られた生の中で選択肢を選ぶ。
 それが流されるままの一生にあるとしても。



 朝靄が漂う日は大体晴れる。
 たまに降る時もあるが、確実性の無い天候の方が自然としてはらしく感じる。
 雨は嫌いだ。
 だが今は雨が降ってくれる方が自分の心には有り難い。
 心が叫ぶ悲鳴を誰に聞かれることもなく、手掴んでは水面の奥へと押し込める。
 感情は要らない。必要なことだけを淡々とこなしていく。
 そこに混ざる声は邪魔でしかない。 
 自分の声も、他人の声も、死者の声も、何もかも。
 反抗的な眼差しを向け、奉仕の強制を拒み続ける眼下の兎を少年が組伏せ、命令に従わない態度には暴力を以て服従を強いる。
 灰色の毛並みはどちらのものとも知れぬ血糊を帯びて黒く変色し、対する少年の腕から脚も灰色兎の抵抗による生傷が赤黒く腫れていた。
 鈍い音が部屋中に響き渡り、たった今新たな傷が生まれる。
 口腔が切れたのだろう。
 口先から零れる血反吐が舌先を染め歩き、顎下を黒く塗り込める。
 止血の為に口を閉ざしたくなるも少年がそれを許さない。
 指先の代わりに突き込まれた肉の先端は少年らしさを何処へ置き忘れてきたのか、薄皮の奥で脈動する血色がどす黒く噛みつかんとして睨んでいる。
 嗄れ声が一際高く上がる。少年が灰色兎の片耳を頭ごと引き上げ、苦痛に呻きながらも意図を察した灰色兎が眼前の火掻き棒へと舌先を這わせる。
 始めは緩やかに、徐々に加速化して伴う快楽に惹かれ、がっつく灰色兎の食欲に押されて少年は掴んだ片耳を弛ませた。
 その隙を見逃さなかった灰色兎は意趣返しを歯茎に込め、直後に上がる少年の苦鳴と弛んだ片耳を再び掴み上げては怒りを露にする少年へ、投げ掛ける兎の眼差しは焔の如く燃え、対する少年の双眸は暗く、昏く、淀み果てながらも。
 不思議と瞳の奥に宿る生気の輝きは両者の奇妙な共通点として鏡合わせる様に火花を散らしていた。
 嗄れ声が再び哭く。
 片耳だけでは足らぬと両の耳を引き上げさせ、やり直しを請求する。
 どれだけ抵抗しようとも辿る道筋は何一つ変わらない。
 決して変えられない運命へ抗うことの虚しさを少年は叩き込む。
 何度も。何度も。何度でも。
 口腔内を掻き回される血の味が少年の味へと刷り込まれ、心と体を蝕んでいく。
 咽喉を貫く痛覚を快楽で染め、嚥下する灰色兎の恍惚の微笑みへ少年も微笑み返し、粒として溢れる涙を拭う様に頬撫ぜた。
 窓を濡らす結露の跡が双方の繋がりを滲ませ、続く雨粒が亀裂を走らせる。
 一瞬で引き裂かれた二つの残影は雨に溶け、地に流れて消えていった。


―― 一月 ――
 不幸は突然にやってくる。
 それまでの何でもない時間が実は幸せの色だったと気づく時、人とは何故こんなにも鈍感で愚かなのかを嘆き悲しむ。
 不幸の度合いが大きければ大きい程に対比の記憶は後悔を乗せて心を押し潰していく。

 ○○年△月◇日 (土) 雨。

 両親の訃報が受話器越しに伝えられた。
 何かの聞き間違いだろうと再確認を乞うも帰ってくる言葉は同じだった。
 死因は未知の病原体の感染により引き起こされた多臓器不全。
 数か月前から流行り始めたそれは某国の研究所から漏れた生物兵器とも、ゲテモノを食したキャリアとも幾つもの噂が飛び交い、世論を瞬く間に恐怖で染め上げると同時に諸国へと感染拡大していった。
 今や何処の街も人は表を歩かず、今年で高校卒業シーズンを控える少年も休校により、明けない春休みにうんざりしていた。
 そこへ先の訃報である。
 瞬く間に少年の視界は暗雲に閉ざされ、受話器を戻した後も何をしていたのか全く記憶に無い程に思考が停止、否、時間が停止していた。
 寝食も忘れ、身を案じた親戚が少年を尋ねた時のやつれ様は死人のそれに近く、不憫を感じた大人達が泊まり込みで事態の収集を図っていた。
 本当に両親は死んだのか、通常ならば身元確認を通して死亡届等の手続きを踏まえていく。
 然しながら今回の出来事はあまりにも事態が重く、二次感染の防止が優先された。
 少年の両親のみならず感染に因って病死した者は全てが近しい者に看取られること無く火葬され、遺骨が少年の元に帰ってくる頃には月末近くを過ぎていた。
 葬式は近親者のみで行われ、全ての行事が完遂された後も少年の身元を誰が引き取るかの話で揉めていたが、当の本人は上の空で位牌と対峙したまま動かない。
 誰が引き取ろうが少年にとっては全てが同じで、無意味に感じるものだったろう。
 外では雨が降り続け、通夜の重苦しい空気と静寂さを隠すように外界を遮断している。
 そして少年は知る事になる。
 本当の不幸はここから始まるのだという事を。
 来訪を告げるチャイムが家内中に響き渡った。
 他に来てない近親者が居たかの確認を取る声が方々で上がり、非常識に苛立つ声が来客を確認させるべく足を急がせる。
 玄関前に屯する喪服の内一人が雨樋の中で立ち尽くし、顔を見合わせるや礼と同時に家主の確認を問うた。
 奇妙なのは故人ではなく、世帯主の確認を尋ねるかの様な探り方であり、不信感を抱きつつも現時点での当主の名を告げた。
 即ち、少年の名前である。
 感謝の礼を告げると喪服の男は無遠慮に家屋へと足を踏み入れ、静止の声も無視して大多数が集う居間への扉を開き、右往左往の視線を巡らせる。
 大部屋の片隅で縮こまる小さな影を視認し、周囲の怒声を踏み越えて少年との距離を詰めていく。
「お初にお目にかかります。貴方がこちらの当主、○○様で間違いありませんか?」
 不審者が発した声に静まる雰囲気の中、少年は身動ぎもせず黙して男と対峙する。
「沈黙は肯定と見なしますが宜しいですか」
 無返答。
「申し遅れました。私、こういう者で御座います」
 正座を組み、男が名刺を取り出して少年の視界の下へと滑り込ませる。
 少年が確認するよりも早く横からそれを掠め取り、親戚が代弁する。
 無作法に気を悪くする事もなく男は一礼を返してから故人の下へと足を運ぶ。
 鈴が鳴り、一拍の間を置いて男が立ち上がるや蜘蛛の子を散らすかの如く親戚一同が距離を取り始めた。
 喪主を務める初老の背後に隠れ、後退る老男の背を押して対話を図らせる。
 老男の手には先の名刺が握られており、そこには口にするのも憚られる組の名と紋が刻印されていた。
「その様子では私の素性は御存知の様で。嗚呼、そう怯えなくとも宜しい。必要な情報さえ頂ければ直ぐにこの場をお暇致します」
「……何の用ですか」
「単刀直入に申し上げます。こちら○○様の後見人はお決まりですか?」
「……」
「おや、未だで御座いましたか? 貴方は? 貴女は? ふむ、困りましたね。誰も手をお挙げになられないのであれば、こちらの請求額は全て○○様に一任して貰わねばなりませんが」
「……あいつは何をやらかしたんだ? 何故こんな法外な額を突き出されている?」
「申し訳ありませんが、これは部外者には聞かせられない問題で御座いましてね。嗚呼、貴方が後見人になられるのであれば問題なくお聞かせできますが、如何でしょう?」
 沈黙の中で飛び交う小声の応酬に男は頭を抱えながら溜め息を吐いた。
 あまりにも部外者が多すぎるからだ。
 これでは何時まで経っても本題に入れず、最終的には面倒な方法を取るしか無い。
 最もそれが本業ではあるのだが。
 意外にも声を挙げたのは大人ではなく、唯一子供と呼べる者。
 現当主である少年であった。
「これ迄の取り次ぎ有難う御座いました。後の面倒は全て僕が引き継ぎます。どうぞお引き取りを」
 大人達へ深く頭を垂れて礼を交わす少年。感服して拍手を打つ男。やりきれなさの中で面倒事から解放されて安堵を吐く部外者達。
 喪主を筆頭に続く足音が玄関へと吸い込まれ、先程までの賑やかしい雰囲気は幻の如く掻き失せ、少年と男だけが取り残される。
 開け放しにされた襖を男が丁寧に閉じ、改めて少年の前へ正座を組んで礼を交わす。
「結構な御点前で御座いました。改めまして私、こういう者で御座います」
 手渡しの姿勢を組む男に倣って少年も深々とそれを受け取り、紙面の刻印を目通しする。
「世間知らずなので失礼を承知で伺いますが、暴力団に属する御方ですか?」
「似ていますが少々違います。とある資産家グループの傘下に与する総務部の者で御座います。必要とあれば汚れ仕事も引き受ける職務ではありますが、表向きは調査の類を主としております」
「そうですか。そちらの請求額は何ですか?」
「では御説明させて頂きます。坊っちゃん、御両親の職業は存じておりますか」
「医学に携わる者です」
「ふむ、それ以外には?」
「質問の意図が分かりません」
「……宜しい。嘘をつく眼では無い様だ。坊っちゃんを信じましょう。医学に携わる者ではありましたが、それは表向きの顔でありましてね。本来の仕事は密売人です」
 明かされた衝撃の真実へ対する少年の表情は俄然として冷徹を貫いている。
「あまり驚きになられませんね」
「……いえ、驚いてますよ。ただ現実味が感じられないだけです。仮に両親の犯罪が本当だったとしても、その二人はもう居ない。空虚の心へ言葉を投げ入れても素通りしてしまうだけです」
「御尤もな反応でありましたね。では御見せしたいものが御座います」
 男が柏手を打つと音も立てずに襖が開かれ、同じく喪服に扮した別の男が手荷物を運んでは退室する。
 解かれた風呂敷から現れる物々しい器具を訝しげに眺める少年へ、男は「贈り物です」と断ってから器具の角度を調整する。
「……何の卵です? いえ、誰からの贈り物ですか」
「これは失礼しました。正確には形見と申し上げた方が宜しかったですね」
「……密輸品ですか」
「御推察の通りで御座います。御両親は数多の密輸品を依頼により本国へと輸出するブローカーとして任についておりました。所が彼方さんにばれてしまいましてね。身柄を勾留されているのです」
「……どういうことです? 両親は死んだのでは無いのですか?」
「生きておりますよ。ただ生きておられると色々と都合が悪い事情がありまして。口封じとしてお二人には死んで貰う必要があったのです。偽造死を選んだ以上御両親は坊っちゃんに会う事は叶いません。幸いな事に今は世界中で混乱が起きていますからね。適当な死を偽造するには打ってつけなタイミングで御座いました」
 何が何だか分からないといった表情が少年を歪ませる。
 男はその顔が見たかったと言わんばかりの薄ら笑いを貼り付け、さてと本題への切り返しに入る。
「先の請求額ですが、あれは元は御両親から坊っちゃんへと贈られる保険金を含む遺産として支払われる物でした」
「……それが何故請求額に?」
「御両親の偽装死に掛かる経費が想定以上に膨れ上がってしまったからで御座います。偽装させる事に関しては容易かったのですが、後処理がそれはもうかなりの面倒事を引き起こしましてね。遺産は借金へと形を変え、こうして坊っちゃんの下へと馳せ参じた次第で御座います」
「……クソ過ぎるだろ」
「ふふ、そうですね」
 笑い事ではない。だが人は絶望に追い込まれた時こそ不思議と笑ってしまうのだ。
 救えない生き物だと卑下する事で人は人である事を認め、諦め、受け入れる。
 渇いた笑いの後は深い溜め息を吐き、改めて請求額に目を走らせる。
 カンマが一つ、二つ、三つ……四つ。
「これでも大分抑えた方なんですよ。見立てでは五つ目は下らないとさえ言われてましたからね」
「……俺にどうやってこんな大金払えって言うんです?」
「払えませんでしょうねぇ。ですから坊っちゃんの後見人、親戚一同、一族郎党から回収するつもりでした。それでも全回収には程遠いのかもしれません。ですが○○様はこう仰いました。『後の面倒は全て僕が引き継ぎます。どうぞお引き取りを』と」
 そんなもの言葉の綾ではないか。
「私は借金取りではありませんからね。とはいえ仕事としてやれと命じられれば請け負いますが。家族を守るために我が身を犠牲にするその自己犠牲の精神にはほとほと感服致します」
 不可視の刀を首下に当てられている不快感。
 真綿で首を絞める閉塞感。
 言葉の一つ一つが少年の心を凍てつかせ、白磁の大地が広がり続ける。
「金になる方法を教えて貰えませんか」
「○○様は聡明であらせられますな。常人にはそこまで割り切ったり、プライド故に人を頼る事を恥とする者が殆どで御座います」
「退路を断たれたらやることはもう前に進む以外に何もないでしょう」
「御立派で御座います。微力ながら私もお力添えをさせて頂きます。そうですね……先ずは即金に変換できるものの処分から始める事でしょうか。この家の中にある物、次に家、それでも足りなければ……」
 流れる男の視線に少年もふと気になっていた一つの問題を思い出す。
「……さっきも聞きましたけれどそれ何の卵なんで……す?」
 答えは直ぐに出た。男からの口ではなく、ひび割れた卵を突き破って出てきた命の形として。
「……困りましたね」
「……何がですか?」
「坊っちゃんには直ちに死んで頂かねばなりません」
「……はい?」
 冗談の類だと信じるには男の声は先の会話のどれよりも低く、黒い丸縁眼鏡の奥から覗く眼差しは豪雷によって引き起こされた闇に呑まれ、男の真意を読むには死を経た先にあるものだと少年は理解した。

 
 この世の命ある物は全てが生と死を繰り返し、流れる時間の下流から目覚めの石を拾う。
 始まりと終わりを繰り返し、異なる一日を記録する。
 数珠繋ぎに連なる記憶の先は果てしなく広がる深淵が覗き、対峙した直後に全てを忘れる。
 恐怖という原初の記憶から目を背け、彩られた世界の色を写し取り、記憶の項を塗り込める。
 赤く。赤く。赤く。
 只管赤く、足掻く意思を塗り込めて。

―― 二月 ――

 激痛が走り、一時の死から目が覚めた。
 痛みの正体を確認すべく無意識に従って飛び起きるも、少年は自分の首が何者かに押さえ付けられ、拘束されている状態にある事を瞬時に理解する。
 同時に問題の対処方法も身体に刻まれており、振り上げた拳が対象の股座にぶら下がるものを掠める。
 直ぐ様に拘束が解かれ、少年は頚筋を、襲撃者は股間をそれぞれ抑えて痛みに耐えながら回復を待った。
 軽い挨拶が終わり、一時休戦の最中で家族団欒の一話が始まる。
 白地のシーツベッドは張り替えてないのか所々が激しく乱れ、血痕が至るところにぽつぽつと染み付いている。
 その上で悶絶する灰色の小柄な兎が背を丸めて身悶え、憎悪の籠った呻き声を少年に向けて敵視していた。
 受ける少年の双眸もまた似た眼差しを向けはするものの、躊躇いや迷いを含む濁り目である。
 頚筋を抑えた側の手が離れ、子兎の垂れた耳へと伸びる。
 唸り声を一際高く発するもののそれ以上の反抗を見せることはなく、置かれた手指の奇妙な愛撫に大人しく身を任せている。
 安らぎと呼べるかは判断しかねる空白を置いて来客を告げるチャイムが響き渡る。
 こちらの返答の有無は関係無く、来客は真っ直ぐに寝室へと足を運び、ノックの挨拶と共に扉が開かれた。
「おや、お楽しみの最中で御座いましたか」
「……まぁそんなところ」
「これは失礼致しました。御進捗の程は如何で御座いますかな」
「アンタの指導は忘れちゃいないさ。この惨状を見れば大体察しもつくだろ」
「ふふ、頼もしい限りです。私目も骨身を追って教示した甲斐がありますよ」
 シニカルな笑顔を貼る男へ少年は先の兎が向けた憎悪と同じ色を男へと向けていた。
「本日付で残り二月を切りました。進捗率も申し分無い様ですのでこの辺でお暇致しましょう。では又来週に様子を伺いに参ります」
 軽く一礼を交わし、去る男を少年が静止した。
「何か御不足が御座いましたかな?」
「無いよ。アンタ等との約束は必ず果たす。だからその日まで来ないで欲しい。家族との時間を邪魔しないでくれ」
「了解致しました。本来なら断られる条件ですが、坊っちゃんと私の仲ですからね。必ず上に通して御覧にいれましょう。それでは又、ごきげんよう」
 最後まで含み笑いを崩さず、男が去った後も少年は憎悪を扉に投げ続けている。
 傍らで呻く子兎は男の来訪と同時に切り替わった少年の暴力に組伏せられ、歯茎を剥き出しにしてもがいていた。

 食卓を囲む一人と一匹の食事風景は質素なものだが、好きな様に飲み食いして良いと少年は子兎の食事を自由にさせていた。
 少年が子兎に行う数々の虐待に対する罪滅ぼし等とは虫の良すぎる話であったが、そうでもしないと少年は自我を保ち続けることが出来なかった。
 偽造死とはいえ、二度と逢えない家族との死別を経て少年に残された家族はもうこの子兎一匹だけを思えば、拠り所の扱い方に慎重にもなろう。
 そもそも虐待を行うことすら少年は望まなかった。
 一月前、少年は遺産の全てを引き下げる代わりに戸籍の剥奪を強いられた。
 当初は戸籍は残したままで長期的な返済プランを画策していたのだが、そこで番狂わせが起きて計画は頓挫する。
 卵が孵ってしまった為である。
 本来ならばその卵も少年から権利を売買した後でしかるべき場所に戻す手順を予定されていたという。
 しかし卵が孵った後では国際的な問題が絡み、売買記録の隠蔽も難度が数倍に跳ね上がる。
 完全に隠し通すのはほぼ不可能に近く、更にまずいのはこの国には居ない新種に加えて亜種である事実であった。
 この事実を知るのは現場に居合わせる男と少年のみであり、急遽の対処を図るべく、男は少年に死の提供者となり、少年は家も名前も存在も抹消され、ロストナンバーとして現在は男の属する施設内に保護されている。
 拉致監禁の間違いではないのかと内心思うところはあるものの、少年も子兎も互いに離れようとはせず、知らず知らずの内に固い絆が結ばれている繋がりを感じていた。
 後々にそれが幻想だと何度も自責を伴う鎖になるとしても、それまでの時間は確かな家族の一つであった。

 保護から一週間後、男が少年の下を訪れる。
 それまでの間に顔を見合わせなかったのは上層部で少年と子兎の処分についてどうするかが会議され、報告も兼ねての見舞いであった。
 結論から述べれば、どちらとも殺処分の決定に傾きかけているという。
 道徳を責める少年へ男は優しくも残酷な現実を突き付け、少年の心を挫いていく。
 法は人を守るが、今の少年は『人』としてカウントされない。
 詰まるところ子兎と同等であり、故に殺処分の対象として差し支えない物の扱いとされていた。
 少年一人だけなら諦めて運命を受け入れただろう。
 しかし少年はたったひとりの家族の為にも引き下がる訳には行かなかった。
 生きて最後まで見届ける事の責任を放棄したくなかった。
 少年の決意に心打たれたのか、或いは端から勝算はあったのか。
 男は望みの薄い道を提供した。
 それは茨の道で両親同様に二度と戻れなくなる一方通行の脆い崖だと言う注意勧告に、少年は何を聞いたところでそれ以外に生きる方法が無いのであれば選ぶしか選択肢は無いと決断する。
 迷いの無い双眸に強い意思を覗き見た男もまた覚悟を決めた眼差しで少年と対峙した。
「ではこれから私のやり方を覚えて下さい。本日付から一週間、私は貴方を犯します」
「……は?」
 当然の反応である。
「貴方の心に刻まれるあらゆる感情を全て覚えて下さい。不快感も憎悪も殺意も絶望も全てを経由して挫かれる貴方自身も」
「いや、ちょっと……触るな!」
「勿論反抗しても構いません。それも交えて全て覚えてください。一週間後には貴方があの子兎に同じ事をするのです」
「……何の必要があってそんなことを」
「モンスターボールの仕組みを知っていますか?」
「……ポケモンを捕まえる道具だろう?」
「ええ、そうですね。ですがあれはちゃんとした制約がありましてね。『人が』使ってポケモンを従属させる物です」
「……だから?」
「貴方は人ではありません。あの道具は人のゲノム情報と各国の住民基本台帳ネットワークに登録された個人情報を照らし合わせて機能のオンオフを切り替えるのです」
「つまり俺にはモンスターボールを使えない?」
「いえ、まだ使えます。まだ、ね。だからこそ不味いんです。貴方の戸籍は消滅しましたが、仮想サーバーの幾つかにはまだ残骸が残っており、その情報を拾うことで貴方がモンスターボールを使う事は可能です」
「使えば俺の偽造死もばれるって事か」
「そういうことです。貴方があの子兎とこれからも供にあることを願うのならば、貴方はここで調教術を学ばなければなりません。あの子兎が貴方の番であるという事を自覚するよう徹底的に指導しなければなりません。お分かり頂けましたか?」
「あんた、頭おかしいんじゃねぇのか」
「理屈で説明できれば言葉だけで済ませたいんですけれどね。生憎と相手は獣です。獣には獣の対話で。貴方も獣です。ですから私も獣の対話を以て接する必要があるのです。もう宜しいですね。そろそろ始めますよ」

 それから一週間を掛けて少年は男に抱かれ続けた。
 手取り足取りあらゆる開発を仕込まれ、雄としての尊厳を挫かれ、堕落していく人の心を男は殴り、叩き、絞め、溺れさせた。
 少年が男に屈服する刹那で約束の一週間が過ぎ、男は指導を切り上げた。
 寝具から離れる男の背を少年の手が未練がましく伸びては落ちる。
 窓辺から射す月光でさえ男の背に影を届ける事も叶わず、明かりから程遠い部屋の片隅で闇に溶け込む子兎が全てを観ていた。


―― 三月 ――

 あれからどれだけ経ったのだろうか。
 数多の昼夜の中で子兎は争い合う内に成長を迎え、垂れた耳は微かな音をも逃さぬ様に屹立し、薄い灰色の毛色は蔓延る闇を吸って濃く染まっていた。
 本来ならば触れると柔らかな毛並みが返ってくるそれ等は淫汁で地肌まで貼り付き、乾いた部位には毛玉で毛羽立ち、獣臭と淫臭と血の鉄臭さが入り乱れては立ち籠る。
 何度換気を行っても数時間後には元の木阿弥となり、時間すら惜しまれて選択肢から消え失せた。
 室内は不浄で満ち満ちており、ベッドルームから離れた部屋の片隅でさえ痕跡がこびりつき、今もまた新たな浸淫に因って壁紙を濡らし穢していく。
 衣服すらも纏う事を忘れ、全身は古傷から生傷、火傷に擦過傷、打撲傷、咬み傷の痕跡が至るところに刻まれ、直視に堪えない有り様を呈しながらも目を背ける事が出来ない陽根に視線を奪われる。
 その間近で頬張り慈しむ灰色兎の上目遣いの蕩け様は完全に少年の番として屈服し、炎が揺らめく双眸の中に溜まる涙が宝石の粒として零れ落ちていく。
 それでも少年は手を緩めなかった。
 掴む長耳を緩めればまた反抗し逃げる手立てを算段する。
 徹底的に犯らなければ何もかもが喪われる。
 少年の心には責務等はもう何処にも存在せず、ただただ溺れる手で藁をも掴み続ける一心で支配されていた。
 そこには生きる為に抗う獣の姿だけがあり、人としての形だけを保った何かが在るだけだ。
 見方によっては完全な畜生に墜ちた獣だからこそ灰色兎も靡いたのかもしれぬ。
 頚筋を咬み背後から貫く少年と、貫かれつつも喰われる事の悦びに打ち震える灰色兎。
 獣の慟哭が迸り、世界がまた一つ染みていく。
 染み、沁み、滲み、浸み。
 
 狂った世界の中で観客が感動に震えて拍手を奏でた。
 結合を解かず、首だけが音のする方向を向こうとするが、徹底的に手を抜かない少年は咬みの拘束も解かず、強引に向きを変えたことでバランスを崩して体勢が崩れ、灰色兎のより深い穴蔵を貫いた。
 声にもならぬ嬌声が掠れて漏れ、呼吸を阻害されて過呼吸気味になる灰色兎を横から男の手が伸び、口端を塞いでは開きの繰り返しで調整する。
 次第に呼吸が落ち着くのを確認して男は嘆息を吐いた。
「いやはや。犯れと言ったのは私ですが、これ以上続けると壊れてしまいますよ、坊っちゃん」
 冷ややかな笑顔が少年の目元を隠し、驚いて離れた刹那に鳩尾を打たれ、急速に意識が薄れる少年の最後の吐精は酷く甘く、桃源郷にある極楽浄土の一端を脳髄に刻み込んで崩折れた。
 そのまま少年を担ぎ上げた所で結合がずるりと抜け、限界まで吐精した糸が後を引いて灰色兎の尻上に吸われ、一線を引いた端々の奥で空洞が物寂しげに収縮していた。
「貴方の番を少々お借りしますよ。一週間程度の休暇を与えますのでゆっくり静養なさって下さいね」
 息も絶え絶えで全身に力の入らない灰色兎の返事を男は待つつもりは無かったが、微かに尻尾が揺れたのを脇目が捉えた。
「主人に似て律儀ですね」
 シニカルに吐き捨てる男を自動施錠の音が見送り、部屋には泥と化した灰色兎の敷物が取り残されていた。


 少年の意識が微かに戻り、重くのし掛かる目蓋を薄目で開く。
 話し声も微妙にだが聞き取れる。
 培養槽の中でぼんやりとする少年に気付いた男が周囲の科学者にハンドサインを送り、数人が退室すると男と二人きりの状況が形成された。

「先ずはおめでとう、と言わせて貰いましょう。貴方は見事に私の課題をこなし、あの子兎の従属化に成功しました」
「これで準備は万端です。後は貴方を消す事で我々上層部の憂いもクリアする事ができます。本当に良く頑張りましたね、坊っちゃん」
「おや、まだ眠いのですか? 構いませんよ。まだ貴方が消えるまで時間が必要ですからね。もう少しお休みなさい。あの子兎も直ぐに逢えますよ」

 言いたい事を告げた男は踵を返し、部屋から退室する。
 去り行く背中を少年の手が追うも空しく空回り、再び意識は水泡に呑まれて消えた。


―― 夏月 ――

 声が聞こえる。
 傍らで、耳許で、鼻先から漏れる呼吸が肌を擽り、口端を小さな舌が割り入って舌上に触れる。
 小さな奉仕に身を任せ、薄目を開けて愛し子の顔を覗き見る。
 目が合い、目配せを交わして微睡みの交接を楽しむ。
 灰色の頬にするりと伸びる細長の黒手が絡み、撫ぜられる心地好さに身を寄せる灰色兎の腰をもう片方の手が引き寄せた。
 密着度が増し、離れることの無い様に長尾を巻いて抱き締める。
 下流のせせらぎ、木漏れ日の暖かみ、微風の葉擦れ。
 佇む背景の中で薄れる記憶の在処を手探るも、影は蜃気楼の如く湧いては消え、確かな感触を残すのは灰色兎の過剰な愛情表現と狂喜的なまでに肉欲の解消をせがむ態度である。
 面長で針金の如く細い空色の蜥蜴の下腹部で灰色兎の陽根が擦れ、蜥蜴の肉襞の入り口を割り開く。
 肉襞に収納された蜥蜴の双首が陽根と絡み、緩やかさと激しい刺激が交互に織り交ざり、どちらが先とも知れずに果てた。
 襞の中を滑る感触は肥大化を続ける双首の露出を円滑に運び、根本までが体外に吐き出され、持て余す肉欲を灰色兎が妖艶に笑う。
 蜥蜴の尾が解かれ、灰色兎の身が自由になる。
 何処にも逃げ場は無く、逃げる必要も存在しない。
 肉欲の繋がりだけが二匹を幾重にも絡ませ合い、死が二匹を別つまで解かれる事の無い縺れ合いを。

 太陽が観ていた。
 月が観ていた。
 それでも二匹の宴は、終わらない。


 ふと昔話を思い出す。
 人間とポケモンは同じであった等という話だ。
 それが真実なのか偽りなのか作り話なのかはさておき。
 科学はそんな逸話を現実にする。
 人が獣に変わる様を実際に目撃した時、科学の発展は勝利と敗北のどちらと呼べるのだろうか。

 報われない一家族の話をしよう。
 濡れ衣を着させられた両親と。
 別の犯罪者が残した証拠隠滅と。
 善良な市民が願いを込めた贈り物と。
 願いが呪いに変わった少年と。

 全ての後処理を終えて最後の証拠の隠滅を図るべく、自らの額に引き金を弾く男と。



 後書

 もしかしたら変態の路線がちょっと違ったかもしれないと読み返して思った午後のひととき。
 人間の業についてをテーマにしながら書いてみたものの、シリアス成分が強すぎて変態成分が薄くなった感がします。
 今年に入ってから色々ろくなことが起きないので、自分の中で風化させたくないなぁと一種の忘備録として所々にリアルを織り交ぜたかった。
 結果、自分でもどうコメントを付けていいのか分からない作品が仕上がったのですが皆様の目にはどう映ったのでしょうか。
 心優しいお方の感想をお待ちしております。

 主催者様、参加者様の方々、読者様の方々。
 お疲れさまでした。ありがとうございました。また次回もよろしくお願い致します。

 追伸
 ちょっと愚痴になりますが許して。認証パスワード大嫌い……。
 今回は余裕をもって30分前にエントリーの準備に取り掛かったのに、9回も読み取り辛い文字を織り交ぜられて10回目でやっとエントリーできたよ。また1分前のギリギリだよ。
 なんであんなに識字率が低い単語になってるのあれ……。

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Last-modified: 2020-06-02 (火) 22:05:45
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