Wirter:Vanilla ?
※ポケモンの話ではない、と考える方が、自分一人なのではないか、と思ってしまうほど、ポケモンらしからぬ作品ですので、その点をご了承の上でお読み下さい。
かれこれ、自転車を走らせて100時間だったか、200時間だったか。
画面の前に居る彼は、それだけの時間、僕を動かす指令を与えた。
結果として僕は指令に従う役割を演じて、自転車を疾走させ、卵を孵化させては、その個体の情報を判別させる作業をさせて――。
僕の役割というのは、画面の前の彼にとって、それ以上でもそれ以下でもない。
だけど、僕はこの世界に於いて、ただ他人――彼――の意思に従属する奴隷のような存在、ということはない。
彼がレポートを書かせる役割を演じさせるか、レポートを書かずにか、何にせよ電源というものを切った瞬間、その時より
この世界には奴の世界にはない「彩り」が生まれる。
24時間が一日で、8760時間が一年で、876000時間が百年。
百年が彼の、相当「長い」と言われる寿命らしい。
彼は僕のために、そのなかの数百時間を彼の世界で演じさせてくれた、ということだ。
これは感謝すべきなのか、そうでもないのだろうか。
何万だか、何億だか、何兆だか――彼の世界の宇宙の時間は、何だか途方もなく長いらしい。
僕には良く分からないことだ。
彼の世界に於ける時間と、この世界の時間は意味が違う。
この世界は全てが絶対的で、彼の世界は全てが相対的で。
相対的な彼の世界には、この感覚を理解することができないのだろう。
一秒も一瞬も刹那も、三分も一日も一生も、果ては無限の時間でさえも。
この世界では動いていない。
そしてそれゆえに、この世界は美しい。
彼の世界にとって、この美しさはあり得ないものだ。
それゆえに、永遠に分かり合うことが出来ない。
とても残念だと思う。しかし、別に何とも思っていない。
むしろ、何とか思えているのだろうか?
僕はここで、一体何をしているのだろう?
僕は一体、何かをしているのだろうか?
何かが出来たことが、一度でもあったのだろうか?
意味の意味って?
時間って長いの?
心ってどこにあるの?
言葉って喋るものなの?
記憶ってどこにあるの?
設定って変えられないの?
相対と絶対は、どっちが大きいの?
意味に意味はあるの?
0と、1が――
「電源」
――あぁ――そうだそうだ、ちょうどさっきレポートを書いたんだったね、僕は。
「電源」
ところで、君は”意味が在る”って、どうして”言得る”んだい?
あとがき
ごめんなさい!私にも意味がわかりません!
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(こじつけ)
まず、この作品……おかしいです。誰が見てもおかしい。私が見てもおかしい。
笑ってしまう、ということではなく、「違和感」の方が近いでしょうか。
DSの電源を切った後、主人公がこんなことを思うはずがありません。
私の思う「絶対」の世界は、「思う」という行為ができません。
なぜなら時間が無いからです。
しかし、全ての場合における時間を含むものが絶対だとも思っています。
矛盾です。おかしいのです。
人間の感覚に、絶対ということはありません。(私が思う限りは)
私が思う限り、一番絶対に近いのは「反射行動」が全ての時間に行われている昆虫や微生物なのですが、
しかしそれすらも
「相対的に感覚器官で状況を判断・理解し、集合知である本能・遺伝的に仕組まれたアルゴリズム(プログラム)(←のようなもの)
によって、有益か不利益かということを「判断」しています。
……だって、熱いと手を引っ込めるじゃないですか。
熱くないときに、手を引っ込めることはできません。
でも、この世界には無いことがポケモンの世界では日常茶飯事で起きています。
それぞれの中に「それはないだろう!」という感覚はあるかと思いますが、
私の中で「そんなこともあるんじゃない?」という判断基準に至った場合は、「アリ」です。
「ナシ」と思う人が沢山居る、ということは分かります。
しかし、私の
「目的合理的行為」(目的に対して、少ない時間などの、生命活動において有益とされるものかどうかを判断する行為)
の基準からすると、「ナシ」とされる方達の声を無視してでも、「アリ」としたがっている、自分の主張を貫きたい、と、
日本語になっているかとても不安ですが、そう思っています。
ただ、Wikiという公共性のある場所で、「不利益となる」という判断を、
相対的に公正に、私の分かるような形で提示して頂ければ、その時は少し自重というか、隠れてぼちぼちやっていこうかな、
とする次第でもあります。
自分でも自分の事が未だ分かっていない青二才な作者ゆえ、皆さんには苦労をかけてしまうことがあるでしょうが、
人間とはそのようにして生きていくように生まれてきたと、私は現時点で思ってしまっているので、
どうか厄介させていただければ、と思います。
……論旨が定まってません。
そして更に思ったことは……
私の矛盾というのは、数千年だか数万年だか分かったものではありませんが、実は解決させるのかもしれません。
紛れもなく、それは人類の手によって行われるでしょう。
なぜなら、絶対に近づけば近づくほど、人は本能へと還ってゆくからです。
矛盾を感じることを辞めてしまえば、それは矛盾たり得ぬ……、ということです。
あなたは今までに食べたパンの数を覚えているでしょうか?
それでも、人を殺した人数なら覚えているでしょう。
つまり、「たり得ぬ」とは、(私の中では)そういうことなのです。
(パクリで申し訳ありません。分かり易くする最大限の努力です。)
<いいわけ>
私のことを良く知らずに、「ポケモンの作品が読める」と思って、履歴に載ったこのページを開き、
結果的に「ポケモンの一匹も出ないで終わってるじゃねーかなんだよこれ!!」と思った方にとって、この作品は意味不明ですし、
私としてもこのWikiにおいて、ケモナーたる方が多く来ている空気を読まずに、
全く現実世界の感覚から見た、そもそもありもしない矛盾について作品として提出することは、
実に不愉快極まりない行為だったと思っています。
今の私がもし投稿せずに居れば、恐らくその事に気付き、ハードディスクに封印していたことでしょう。
ただ、私は即決しなかったことは何だかんだ理由をつけて「まぁ、無難で良かったじゃないか」などと言ってしまう法則があるので、
思い立ったものを即座に書き留めなければ、それはこの世に文章として現れることが永遠に無い、ということになってしまうのです。
「勢い」「鮮度」「即決」を重視して書かないと、自分でも書きたいものが何であったのか、全く分からなくなってしまうのです。
作品の公開もまた然りで、「やっぱこれここがおかしいよ……」ということに気付いた時、その矛盾を解消するのに手惑い、
結局面倒になって放り投げてしまう、ということを何度もやってきました。
そんな私だからこそ、推敲をほとんどマトモにせずに、兎にも角にも出来上がったら公開してしまえ、という、
このWikiでは少数派かもしれないというか、小説書きとしてはあるまじく、恥ともされる行為を、淡々とやっていくのではないかと思います。
なぜなら、書いて発表して感想を貰って叩かれて、そこで初めて小説書きとして大きな前進ができるのではないか、と、
また、そのことが自分にとっての創作活動の動機たる、「幸せ」な状態なのではないか、と、最近思っておりまして。
プロでもなく、お金を取るでもなく公開している身としては、どうか容赦して頂けると幸いです。
……さて、作品の2倍ほども書いてしまいましたが……mixiで私の日記を逐一読んでいない限りは、
私が標準と多少なり凄絶なり、かけ離れた部分があることなど、私を見知らぬ皆さんは知る由もありませんし、
「それを読んで分かれ!」などとリンクを貼っても、日記は恐らく数万文字に達していまして、
そのような対処をするのは余りに雑と思い、こうして文章(理解不能かもしれませんが)として、言い訳のように書いてみた次第であります。
今後とも宜しくお願い頂ければ、実に幸いです。
1月3日 Vanilla
(で、結局この作者自身も「そぐわない」とか評価しちゃってるこれはどうするのよ?)
(過ぎたるは及ばざるが如し…… ……私のために、私を戒めるために、こっそり置かせてください。)