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レンズ越しの君

/レンズ越しの君

レンズ越しの君 

writer――――カゲフミ

―1―

 ポケモンセンターの自動ドアから僕は外に出る。すぐ後ろに僕の主人も続く。長ったらしい宿泊の手続きとやらがようやく終わったのだ。
彼の要領が悪いのか、センターの人の手際が悪かったのかは知らないけど妙に時間が掛かった気がする。待ちくたびれてしまった。
僕は真っ先に、センターを出てすぐの所にあった階段に向かって進む。早足、いや小走りくらいのスピードで一直線に。
元々素早い種族の僕だ。走りは洗練されてなくとも、瞬発力はある。人間が到底追いつける速度ではないだろう。
後ろから僕のトレーナーの声が聞こえるが、待たない。何しろ僕がここに来るのは今日が初めて。
彼から次に行く町がどんな場所なのか、何があるのか聞かされて、昨日はわくわくしてなかなか眠れなかったくらいだ。
この階段の先に何が待っているのか、僕は早く自分の目で確かめてみたい。足を踏み外さないように慎重に、夢中で階段を下りていく。
下りきった直後、階段の堅い地面とは全く異なる感触が僕の前足に纏わりついた。一つ一つの粒が細かくてさらさらしている。
色も随分と白っぽいし、こんな地面は見たことがない。試しに前足に力を込めてみるとずず、と沈んでいくものだから僕は慌てて後ろに飛びのく。
うっかり足を踏み入れると、この細かい砂の中に体ごと埋もれてしまわないか心配で。僕は岩タイプや地面タイプじゃないから砂まみれは勘弁だ。
「やーっと追い付いたぞ、エレク」
 僕が足元に戸惑っている間にトレーナーのライノーが息を切らしながら階段を下りてくる。こんな短距離で息が上がるなんて運動不足なんじゃないの。
軽く深呼吸をして息を整えると、彼は僕に構うことなくすたすたと砂の上を進んでいく。ああ、なんだ。歩いても大丈夫なのか。
僕よりは明らかに体重があるライノーが平気なら僕が行っても沈んだりしないだろう。それでもいくらかは慎重に、砂の上に残った彼の足跡を踏むようにしながら。
慣れない感覚にそわそわしながらも、なんとか彼の足もとまで辿りついた。今度は僕が追いかける番になっちゃったな。
「砂浜は初めてだよな。落ちつかないか?」
 ふうん。ここは砂浜って言うのか。普通の地面とも、舗装されたコンクリートとも違う。表面がでこぼこしているのに、足を乗せてみるとこんなに柔らかい。
砂に飲み込まれたりはしなかったけど、何だか足元を砂に掴まれているみたいで心地よくはなかった。ライノーを見上げながら僕はこくこくと頷く。
「大丈夫さ、すぐ慣れるって。それよりエレク、見てみろよ。綺麗なところだろう?」
 何のために聞いたんだよという突っ込みを入れたそうな僕の視線をさらりと受け流して、ライノーはぐるりと辺りを見渡した。
僕もそれにつられて自分の周りを見回してみる。砂浜は想像以上に広く、この町の東西を横断するかのように長く伸びていて。
空から降り注ぐ太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。夏場なら間違いなく強い日差しの照り返しに瞼を細めずにはいられなかっただろう。
もう季節は秋に差し掛かろうとしているというのに、この眩しさは砂浜ならではのものか。足元ばかり見ていたせいで全体像に全く気が付いていなかったな。
僕の視界に広がるこの白い輝きは、街中では到底味わうことができないもの。話には聞いていたけど。サザナミタウン、確かに綺麗なところだな。
「今回はこの砂浜と周辺を背景にしたいと思う。よろしく頼むぞ、エレク」
 うんうん。せっかくここまで来たんだから、サザナミタウンにしかない特徴を生かさないと。砂浜に海に、取り入れられそうな場所は結構ある。
僕が首を縦に振ったのを見て、ライノーは鞄からカメラを取り出した。最近のカメラは軽量化しているものが多いみたいだけど、彼のはがっしりしている。
レンズの部分にも厚みがあって対象をしっかり捉えられるらしい。彼、ライノーの仕事はカメラマン。それも対象は人間じゃなくてポケモン専門の。
そして今日のモデルは僕だ。僕の種族はサンダース。イッシュ地方じゃかなり珍しいポケモンらしくて、写真を出せば皆の注目を集めることが多いんだとか。
現に僕の写真が何ページにも渡って掲載された写真集をライノーに見せてもらったことがある。エレクのおかげだな、ってライノーは嬉しそうに話してくれたっけ。
ただ僕がいるだけでは写真にならないから、ライノーの写真の腕前があって成り立つことだと思うんだけど。その辺は彼の謙虚さを感じる。
まあ、自惚れになっちゃうかもしれないけど、僕の容姿はそれなりに整ってる方なんじゃないかなあとは。
そもそも、ある程度の自信がないと写真のモデルなんてやってられない。もちろん、僕が輝けるのはこまめなライノーの手入れがあってこそ。
どんなに忙しくても寝る前のブラッシングは毎日欠かさずやってくれるんだよね。一本一本の毛が堅めで絡まりやすい僕としては非常にありがたかったりする。
「そうだな……まずは波打ち際まで行って、海を眺める形で座ってくれないか?」
 海の方を指さすライノー。波打ち際ね、分かった。おっと、まだ完全には慣れてない砂浜だし、転んだりしないようゆっくりと。
やや小さめの歩幅で僕は海に向かって歩みを進めていく。波が近くなればなるほど地面が湿り気を帯びてきた。僕の足跡の形がはっきり残る。
晴れていて風もほとんどない海は穏やかだった。きっと夏場は人がたくさんいて、こんなふうに静かな海の写真は撮れないだろうなあ。
サンダースの僕は目立つし、遠巻きにじろじろ見られたりやたらと頭を撫でられたりすることもあって落ちつかない。それを考えるとこの時期に来たのは正解だ。
波が打ち寄せても濡れないであろう安全地帯に目星をつけて、僕は腰を下ろした。濡れるのは嫌だからね。
前足はまっすぐ伸ばしたまま後足を曲げてお尻を地面につける、いわゆるお座りのポーズだ。水気が少しあるせいか若干の冷たさを感じた。
海を前にしてたそがれるサンダース、か。海とくれば何となく水ポケモンのイメージが湧くけど。
海の青と僕の黄色、そして砂浜の白。色合いとしては悪くなさそうだし、結構絵になるんじゃないだろうか。ああ、自分で言うことじゃないかな。
背後からライノーの足音が近づいてくるのが分かる。カメラを構えながらベストな構図を考えているのだろう。
写真のモデルになって間もないころは自分がカメラを向けられていると意識してしまって、体や表情が強張ってしまったこともあったけど。
今は写真に映ることは僕の日常の一部になっている。ライノーが呼吸をするのと同じ感覚でシャッターを切るように。
僕は無意識のうちにそのモデルになる。彼の要求がない限りは意図して笑ったりポーズを取ったりはせず自然な雰囲気を残したまま。
海を眺めながらそんなことをぼんやりと頭に浮かべているうちに、かしゃり、かしゃりと後ろで音がする。同じ写真でも何枚か撮って、一番良い奴を選ぶんだっけ。
ライノーの指示があるまで僕はこの体勢。モデルの辛いところだね。とはいっても、今回は普通に座ってるだけでいいから動きが入らない分ずっと楽だ。
走ったり飛んだり、大きな動作が入るときは微妙な角度や光加減の違いで何度もやり直したこともある。
写真に妥協はしないのがライノーだ。さすがに僕が疲れはじめたら休憩を入れるくらいはしてくれるけどね。
「よし、いいぞエレク」
 僕に声を掛けたのと、構えていたカメラを下ろしたのと。この二つが重なれば撮影が一区切りついたというライノーのサイン。
僕もすっと立ち上がって彼の足もとまで行く。地面が湿っていたから後足とお尻がちょっと冷たくなっちゃったかな。
それを察したのかライノーは僕が座っていたときに付いた砂を手で軽く払ってくれる。うん、それでこそライノー。気が利くね。
「じゃあ、次は砂浜を軽く走ってみてくれ。本気は出さなくていいぞ。カメラで捉えられなくなる」
 そう言ってライノーは数歩下がり、海の方にカメラを向けてしゃがむ。なるほど。海を背景に砂浜を走る僕を撮りたいわけか。
ライノーの前を通過するようにして走っていけば問題ないだろう。砂浜を走るのは初めてだからなあ。転ばないようにしないと。
まあ転んだら転んだでハプニング的な写真として、ライノーはちゃっかり撮影したりするんだろう。僕としてもそれはちょっと恥ずかしいから出来るだけなしの方向で行きたい。
今日はまだまだ砂浜と付き合わなくちゃならなそうだし、今のうちに慣れておいた方が良さそうではある。
何歩か下がって助走を付けられる距離を取ると。カメラを構えたライノーの少し先を目指して、僕は駆け出していた。

―2―

 砂浜での撮影はそれほど滞ることなく進んだのではないだろうか。写真を撮り直すようなことも、僕がうっかり転んでしまうようなこともなかった。
波打ち際を中心にあちこち移動を繰り返せば、さすがに僕も慣れてくる。もう砂浜で走っても足がもつれない自信がついた。
まあ、ようやく僕の体が砂浜になじんできた所で場所を移ることになったんだけど。砂浜の写真は満足のいくものが撮れたらしい。
もちろん僕はライノーの都合に合わせるまで。ただ、今の僕なら最初の写真よりももっと洗練された走りを見せられるから。そこのところはちょっぴり残念だ。
「ここにするか」
 砂浜に通じる階段を上ってポケモンセンターを通り過ぎた先にはいくつものベンチとパラソルが並んでいた。おそらく休憩用に作られたものなのだろう。
パラソルは傘の部分に白と青が交互になるように塗られたもの、そしてベンチは水色という涼しげな色合いの組み合わせだ。
ベンチに背もたれはなく、机を挟んで向かい合って座れるようになっている。二つのベンチに挟まれた机の真ん中にパラソルが固定されていた。
海で泳ぐような時期でもないせいか誰の姿もなく閑散としている。風ではたはたと揺れているパラソルがどことなく寂しげだ。
その中の一つを選び、ライノーは立ち止まる。遠くからじゃ分からなかったけど、ベンチに座るとパラソルが日陰になるようになってるのか。
この派手なパラソルはただの飾りじゃないわけだ。なるほど、考えて作られてるんだなあ。と、そんな工夫に感心しつつ、僕はライノーの指示を待つ。
「エレク、ベンチの上に乗って座ってくれるか?」
 ベンチに、か。これくらいの高さ、飛び乗るのは造作もないことだけど。野ざらしになってるベンチだし、板も薄めであんまり頑丈そうには見えないなあ。
勢いよく乗ったらベンチの木が割れちゃいました、なんてことになったらライノーも呑気にハプニングだなんて言ってられなくなるだろう。
僕はベンチの真ん中部分の前まで行くと、後足で地面を蹴ってひらりと上に乗っかる。少し木が軋む音がしたが、ひびが入るような気配はない。
そんなに体重は重くないとは思うけど、一応慎重に。ベンチの細長い板と板との間にある隙間に足を取られないようにライノーの方に向き直って。
波打ち際での格好と同じように僕は腰を下ろす。ここは砂浜と違ってお尻に砂が付くこともないし湿ってもいなかった。
その点では快適だったのだが、砂に比べると板が堅いのでどうしても座り心地が悪くなってしまうのが玉に瑕か。少しお尻が痛い。
「そう……そのままだ」
 真剣な顔つきでライノーはシャッターを切っていく。僕の正面、斜め前、横、そして背後。あらゆる角度からベンチに座る僕を写真に収めていった。
ただ、場所こそ違うもののこれって今日最初に撮ったのとほとんど同じポーズなんだよね。さらにはベンチの色も何となく海を連想させる。
割と構図が被ってるんじゃないかなあこれ。そんな僕の心配をよそに、ライノーは写真を撮り続けている。
確かに僕はモデル歴はそれなりに長くとも、写真に関しては素人。彼がここを選んだのなら僕はそれに従うまでだ。
「次はベンチの上に伏せるようにしてくれないか。横向きにな」
 伏せ、か。やるのが砂の上じゃなくてよかった。僕は後足だけでなく前足も板の上にぴったりと付けると、ベンチと平行になるようにして伏せる。
顔の角度はどんなもんかなとライノーに目で窺うと、右手を下に振るような合図。ん、もうちょっと下か。
前足と頬の毛が触れ合うくらいに顔を下げたところでライノーは満足げに頷いてくれた。ベンチの上に顎を置かないぎりぎりのライン。微妙に辛い体勢だ。
早く済ませてくれると助かるな、と前を向いたまま思っていたのに。ライノーがシャッターを押す気配がない。
何やら肩に掛けた鞄をごそごそとあさってるみたいだけど、何やってるんだ。おや、出てきたのは帽子……かな。
僕の黄色より少し薄い色合いで妙に大きな帽子だ。つばの部分から細い繊維のような物が飛び出していてぎざぎざしている。
「これを乗せて、と」
 ライノーは僕の頭にそれを乗せる。人間用の帽子だ。サイズも合わないしそもそも僕には長い耳がある。
それが帽子で押さえつけられて少し垂れるような形になった。帽子を被るんじゃなくて、本当に乗せてるだけ。ちょっとちくちくするなあ。
僕の目が隠れない角度に帽子を調整すると、ようやくライノーは写真を撮り始めてくれた。
耳が少し塞がっているせいかシャッターの音がくぐもって聞こえる。構図のワンパターン化を防ぐにはこういう小道具も大事なんだっけか。
別の要素を一つ加えるだけで随分写真の雰囲気が変わるらしい。確かに僕も帽子一つで視界とか聞こえる音とか違って感じられる。
だけど、普段何も身にまとわずに生活している分、違和感と言うか。被り心地はそんなにいいものじゃなかった。それでも顔には出さず。モデルの辛いところだね。
「エレク、目を閉じてくれないか?」
 しゃがんで僕と目線を合わせるようにカメラを向けながらライノーは言う。普通、写真は目を開けて映るもの。
ただ、ライノーとの場合はそれに限らない。目を開けている時と閉じているとき。一つの動作が加わるだけで。
起きている僕と眠っている僕、二種類を表現することが出来る。もちろん本当に眠ってるわけじゃない。
目を閉じて数秒で寝ちゃう特技なんて僕は持ってないけど。目を瞑るだけでも写真にすれば眠っているように見えるんだし、きっと問題はないんだろう。
少し濁ったライノーのシャッター音が僕の周りで踊っている。この瞬間、僕はベンチの上で眠るサンダースを演じているんだ。
写真を見る人がまるでその風景の中に入ってしまったかのような臨場感を出したいとライノーはよく口にしている。
それはきっとライノーだけが頑張っても、僕だけが頑張っても成し得ないことのはず。お互いに力を合わせて初めて成り立つもの。
大げさな演技はできなくても、僕の仕草の一つ一つがライノーの理想に少しでも近づけてたらいいな、なんて。
「よし……エレク、お疲れ様」
 ライノーの声がしたのと同時に僕は目を開ける。途端にふっと頭が軽くなって、視界が開けた。帽子を取ってくれたんだろう。
そして今度は帽子じゃなくて、温かい彼の手が僕の頭に乗せられる。うん、何かを乗せてくれるならこっちの方が断然いいな。
帽子みたいにずっと一人占めは出来ないけれど、そこにあるだけでとても安心できるからね。何度か頭の毛をわしゃわしゃした後、ライノーは手を引っ込める。
「日も落ちてきたし今日はこの辺でセンターに戻るか」
 彼の言葉で僕はふと、空を見上げる。いつの間にやら太陽が傾き始めていた。パラソルの影になっていて分からなかったな。
僕らが砂浜に到着したころはあんなに眩しさを主張していたのに、今は随分と大人しい。吹き抜ける風もどこか肌寒さを含んでいるような気がする。
もう秋だもんね。日が沈むのも早くなったし、朝と夕方は結構冷え込む。周りがどんなに夏を演出していても、季節の移り変わりには逆らえそうにはない。
「おっと、その前に……」
 帽子を鞄にしまうと、再びライノーは鞄をごそごそと。今度は何が出てくるんだか。そんなに大きな鞄じゃないのに、色々入っていたりするんだよね。
彼が鞄から取り出したのはカメラを固定するための三脚だった。それをベンチの前に立てて、慣れた手つきでカメラをセットする。
新しく訪れた場所では僕と一緒の写真を撮るとライノーは決めている。写真集用じゃない個人的な記念撮影として。
ベンチに座ったライノーに寄りかかるようにして僕も腰を下ろす。いつも僕を撮ってばかりのライノーが写真に映るのはこのときだけ。
カメラのランプの点滅が早くなっていく。もうすぐ自動でシャッターが押される合図。ライノーの仕事の写真じゃないから畏まる必要はないんだけど。
それでもより良い顔つきで映りたいと思うのは一種の職業病みたいなもの。
隣のライノーをちらりと横目で窺ってみると、特に表情を作っている感じはない。いつも通りの彼だ。
モデルとして写真に映ってばかりいると普段の写真でどんな風にすればいいのか分からなくなってくるなあ。
まあ、とりあえずは不自然でないくらいに笑っておこうか。無難にね。僅かに微笑んだ僕の前で、かしゃりとシャッターの切れる音がした。

―3―

 ポケモンセンターに戻った僕らはライノーが今晩予約してあった部屋に向かった。外はすっかり薄暗くなっていて、野外での写真撮影は出来そうになかった。
都会ならともかく、リゾート地では季節外れになると売り上げが見込めないからなのだろうか。ポケモンセンター周辺に夕食を食べられるような店はないらしい。
ライノーもあまり期待はしていなかったようで、やっぱりそうかと苦笑しながら。僕を部屋に残し、センター内にあった売店に夕飯を買いに行ってくれた。
街によって周辺施設に差があるのは仕方のないこと。ただ、ポケモンセンターはどの街に行っても似たような作りで同じ施設が揃っている。
売店の品ぞろえに違いはありそうだけど、僕とライノーが今晩食べる分くらいは売っているんじゃないかな。そう信じたい。
「ただいま」
 ドアが開いてライノーが入ってくる。手にはビニール袋が提げられていた。床の上に寝そべっていた僕は立ち上がって彼のもとに向かう。
袋があるってことは品切れで何も買えませんでしたってわけじゃなさそうだけど、どことなくライノーは浮かない顔をしているような。
部屋の机の上に袋を置いて彼が取り出したのはおにぎりが二つ。そして電気タイプのポケモン用のフーズが一缶。一番小さいタイプの缶だ。
そして少し大きめの水が入ったボトルが出てくると完全に袋がしぼんでしまった。
どうやら買えたのはこれで全部らしい。うん、ライノーが微妙な表情をしていたわけが分かった。
「すまんなエレク。どうやら売店は明日大幅に入荷予定だそうだ。食料は買ってから来るべきだったか」
 タイミングも悪かったわけか。確かにこれだとちょっと侘しい夕食だなあ。まあ、食べられるだけありがたく思わなくちゃね。
買いに行ってくれたのはライノーだし、彼が申し訳なく思う必要なんてない。気にしなくていいよ、の意味を込めて僕は小さく首を横に振る。
ライノーが僕の気持ちをくみ取ってくれたのかどうかは分からないけど。彼はそっと僕の頭を撫でてくれた。
「よし、じゃあ飯にするか」
 そう言ってライノーはポケモンフーズが入った缶を開けると、中身を使い捨ての容器の上に盛っていく。この皿は売店が用意してくれたものらしい。
缶に入ったままだと食べづらいから、このサービスは非常に助かるな。品が少なかったお詫びのつもりなんだろうか。
フーズのボリューム不足からくる物足りなさは僕の気合いと。ライノーと一緒に夕食を食べることで埋め合わせることにしよう。
一匹でひっそりと食べるよりはこっちの方が断然いいものね。彼が食べるのを見ていてもお腹は膨れないけど、気持ちは少し満たされそうな気がする。
ライノーがおにぎりの包みを開け始めたので僕も皿に盛られたポケモンフーズに口を付ける。それなりにお腹が空いていたからか、悪い味には感じない。
でも何と言うか無難に落ちつけている雰囲気はある。きっと、どんな電気タイプのポケモンでも嫌いにならないような味付けをしているのだろう。
この量だとお互いに短い夕食時間になりそうだなあと思いながらも、僕は黙々と皿の上のフーズを平らげていった。

 僕もライノーも食事を終えて、水も飲んで一息ついたところ。量が少なかった分は水を多めに飲んで誤魔化した感はある。
まあまあお腹は膨れたし、空腹で夜眠れないなんてことはなさそうだ。床の上に四肢を投げ出して、前足の上に顎を乗せるような形で僕はくつろいでいた。
夜になって気温が下がったせいか、床の上はちょっと冷たい。それとは対照的に部屋に置かれたベッドの上はあたたかそう。
でも、ここはそもそもポケモンを出したまま入る部屋じゃないんだよね。僕は大きなポケモンじゃないから、別に大丈夫だろうってことでライノーは出してくれている。
そんな僕が、彼用のベッドの上に堂々と寝転がるのはやっぱり憚られる。ライノーがいいよと言ってくれたら、遠慮なく乗っちゃうけどね。
ただ、当の彼はまた鞄を覗きこんでいる模様。僕がベッドの上でのんびりできる望みは薄そうだ。
あっちこっち探してるのは鞄の中身がちゃんと整頓されてないからなんじゃないのかなあ。
三脚とか帽子みたいにすぐに出てくることもあれば、今みたいに時間が掛かることもある。大きな鞄だから荷物が多そうなのは分かるんだけど。
やっと彼が机の上に取りだした四角いやつはええと。ノートパソコン、だったかな。撮った写真を大きな画面で見ることが出来る機械だ。
カメラのデータを読み込ませると、パソコンの画面に表示される仕組みになっている。ライノーは今日の写真を確認するつもりか。
他にすることもないし、僕も見たいな。僕は体を起こして椅子に座ったライノーの元まで歩いていく。そして、後足で立ち上がる形で前足を彼の膝の上に置いた。
「ん、お前も見たいのか?」
 僕はこくこくと頷く。ライノーは椅子を引いて立ち上がると、僕の両脇を抱えるようにして抱き上げると椅子の上に乗せてくれた。
椅子の上は少し安定が悪いけど、ここなら画面は良く見える。ライノーは僕の隣に立ち、パソコンを操作しながら一枚ずつ今日撮った写真を表示していった。
最初は波打ち際で撮った写真。僕の後姿が映っている。砂浜と海と僕。それぞれが写真の中で綺麗にまとまっていて。
ぶれてる感じもしないし、僕から見れば良く撮れてるように思える。でも、ライノーは何やら難しそうな表情で画面とにらめっこ中。
彼からするとどこか納得いかない部分があったのだろうか。それはおそらく僕の目では到底判断できないようなことなんだろうけど。
次々と写真を表示していくライノー。砂浜から、ベンチへ。そして一緒に映った記念撮影。ざっと見た感じ、目を閉じたりしてるのはなかったから一安心だ。
ただ、ライノーも完璧じゃない。微妙にぼやけている感じの写真は僅かながらあった。これは送れないなあと苦笑しながら彼は素早く次の写真に移ってしまう。
ちらりと彼に視線を送ると、何やら引き攣った笑顔で誤魔化されてしまった。失敗した撮影を僕にじっくり見られるのが恥ずかしいのかな。
今日撮った写真の表示は一周して、最初の風景に戻ってきた。海と砂浜と僕が映っている写真だ。
実際に砂浜で海を見たときと、こうやって写真として見るのとではかなり雰囲気が違うように感じる。
海があって砂浜があるのはもちろん分かるんだけど、何だろう。波が打ち寄せる音とか、足元の砂の感触とかそういった臨場感がないからなのか。
写真だけでそこにある風景を全て感じ取るのはやっぱり難しいことなのかもしれないな。
そんなことを考えながら僕が画面に見入っていると、突然画面が真っ暗になる。慌ててライノーの顔を見上げると、彼が何やら操作していたのが分かった。
どうやらノートパソコンの電源を落としたらしい。そしてそのまま僕を抱き上げてベッドの上に乗せる。いきなりだったのでちょっとびっくり。
僕の体重が掛かってベッドが少し弾む。どうしたの、と僕はライノーと目線を合わせる。彼の顔つきは少し強張っているようにも思えた。
てっきり今夜は僕もベッドの上で寝てもいいのかと内心期待していたのだけど、どうやらそんな雰囲気ではなさそうな感じだ。
「なあ、エレク。もう少し……頼まれてくれるか?」
 そう言ってライノーは鞄からカメラと、そして。黄色と桃色の混じった細長い木の実を二つ、取りだした。
彼がまだ僕の写真を撮るんだということは分かる。でも、どうしてそこで木の実が出てくるのかは分からなかった。
一つだけ分かるのは、これまで何度も同じ状況になったときに必ず見せていたライノーの表情だけだ。
そして今日も彼は不自然な笑顔で僕に語りかけている。カメラを前に緊張しきっていた、昔の僕のような笑顔。
表情を繕う、と言えば聞こえは悪いけど。僕も写真のモデルとして作り笑顔は幾度となくやってきている。そんな自分の顔を何度も写真で見るうちに。
相手の笑いが心からのものじゃないかどうかくらいは判断が付くようになっていた。ことに、僕のトレーナーであるライノーのものなら尚更のこと。
そうか……またなんだね。分かったよ、ライノー。もう少し付き合うよ。付き合うからさ、そんな顔しないで。
小さく頷くと、ライノーはありがとうと微笑んでくれる。ベッドの真ん中まで移動して、心の中でため息をついた後。僕は彼からの指示を待った。

―4―

 ライノーが取りだした木の実はナナの実だ。自然のものは房状に実るらしいけど、彼が持っているやつは一つ一つ切り離されている。
その片方の実を持ち、ライノーは半分くらいまで皮を剥く。ナナの実の皮は繊維が強いせいか剥いた部分が繋がってぶら下がっていた。
剥いた実の先端を僕の前に差し出すライノー。ええと、ナナの実は僕も好きだけどこれ食べちゃってもいいのかな。
「実の先の方を舐めるようにしてくれないか。潰さないように優しくな。終わったら後で食べていい」
 舐めるって、こうでいいのかな。若干眉をひそめつつも、僕は口を開けて舌を出すと実の表面に這わせてみる。
皮を剥いた実の部分はあまり弾力もなく、随分と柔らかい。甘さと若干の苦みがほんのりと伝わってきた。
出来れば大げさに舌を出すような感じで下から先端へ、とライノーから注文が入る。そんなに舌が長いわけじゃないし、限界があるんだけど。
一応僕も出来る範囲で舌を伸ばして、ぺろりと実を舐め上げた。片手で木の実を支えたライノーは、もう片方の手でシャッターを切っていく。
そんな体勢だとかなり撮りにくいんじゃないかなあ。片手が塞がってる分、ピントも合わせづらいだろうし。手ぶれも起こりそう。
けれどもライノーはお構いなしに、ナナの実を舐める僕の様子をひたすら撮影する。カメラを持つ彼の手が震えているように見えたのは、片手で重かったからなのか。それとも。
何度も何度も舌を這わせたせいか表面が僕の唾液でてらてらと光っている。ベッドを汚したりしたらセンターの人に怒られるんじゃないかな。
それを懸念したのか、ライノーは一旦ナナの実を引っ込める。そしてそのまましゃがむと僕を手招きした。おや、どうやら食べても良さそうな雰囲気だ。
僕はベッドから下りると無言で差し出されたナナの実に齧りつく。唾液でふやけてしまっていて歯ごたえはほとんどなかった。
剥かれていた部分がぽきりと折れるような形で僕の口の中に収まった。多少食感が変わったところで木の実の味に違いはない。
ナナの実は甘味と苦味の入り混じった僕の好きな味、のはずなんだけど。どうしてだろう。
味はちゃんと分かるし、食べられるのは嬉しい。でも、素直においしいと感じられない僕がいたんだ。
どこか釈然としないものを抱えたまま、僕はライノーが剥いてくれたもう半分の実を口に入れる。
夕食のポケモンフーズが少なかったせいか、僕のもやもやした気持ちとは裏腹にすんなりと喉を通っていく。
僕が一本目を完食したのを見届けたライノーは再び立ち上がって、二本目を取りだす。ああ、そういえば二本あったな。まだ終わりじゃないのか。
「じゃあ、もう一本だ。エレク、ベッドの上で仰向けになってほしい」
 仰向けか。何となく嫌な予感が頭を過ぎったけど、別に無理な注文というわけでもないし。僕はベッドの上に飛び乗ると、中央でごろりと寝転がる。
四足歩行のポケモンの多くは自身の弱い部分であるお腹を見せることを嫌う。だから僕が今やっているのは服従のポーズとも呼ばれているらしい。
服従だなんて前向きじゃない表現だけど、これは僕がライノーを信頼してる証でもあった。
ライノーは仰向けになった僕の前足の間、丁度首の白い飾り毛の辺りに半分剥いたナナの実を持ってくる。
「それを前足で抱えるようにして、さっきと同じ感じで舐めてくれ」
 ちょっと難しい。二足歩行のポケモンならともかく、僕のような四足歩行の前足は物を掴んだりするのは不向きなんだ。
たぶんライノーが言ってるのは両方の前足でナナの実を挟んで舐めてほしいってことのはず。頭では理解できても、なかなか実現には至れずに。
差し出されたナナの実を上手く支えられずに僕が苦戦していると、ライノーが助け舟を出してくれた。
持ち上げるのが無理なら胸にナナの実を置いて、前足を添えるだけでもいいらしい。それなら出来ないこともない、かな。
首周りの白い飾り毛がいい感じにナナの実の支えになってくれている。ライノーが実から手を離しても、左右に倒れてしまうようなことはなかった。
皮の残った実の下半分に前足を当てると、僕の顎と口先に触れている実の先端に舌を滑らせていく。
実を折ってしまわないようある慎重に、それでも舌に多少の力はこめながら。ぺろぺろと何度も何度も。
「ああ……そうだ。その感じだ」
 ナナの実にはぎりぎり僕の前足が触れるか触れないかぐらいの位置だったのだけど、ライノーとしてはこれで良かったらしい。
写真の角度によっては僕がちゃんとナナの実を持っているかのように見えるんだろう。正直、褒められたところで嬉しくもなんともない。
一体、何をやってるんだろう僕は。いくらライノーの注文だからってこんなこと。極力何も考えないようにしてたけど、やっぱり無理だった。
これが普通の写真じゃないってことくらい僕にも分かる。たぶんナナの実は雄のアレに見立ててるんだろう。
可愛いポケモンにぺろぺろされてると置き換えればどきどきするんだろうか。僕も雄なんだけど、そこら辺の性別はあんまり関係ないのかなあ。
そして極めつけはベッドの上だ。怪しげな雰囲気を出す条件はここぞとばかりに揃っている。この写真、ライノーはどこに載せるつもりなのやら。
実を言うと、今日みたいな要求をされたのは一度や二度じゃなかったりする。ほとんどの場合、外での撮影が終わった後に。
今夜のようにポケモンセンターの一室だったり、あるいはライノーの部屋だったり。さすがに野外でこれをやってと言われたら僕も拒否していた。
ひらひらした変な服を着せられたり、仰々しい鎖の付いた首輪を付けられたり、顔や前足にクリームを塗りたくられたこともあった。
どの写真も一般向けとは到底思えない。少なくとも僕は、他のポケモンがそんな恰好をしている写真集なんて見たことがないし。
ひょっとしてこういうのがライノーの趣味、なんてあんまり考えたくはないんだけど。ナナの実を舐めながら、僕を撮り続けているライノーをちらりと横目で見る。
顔はカメラで隠れていて良く分からない。でも、口元はぎゅっと堅く結ばれていて。砂浜での撮影のように楽しんでいる気配は感じられなかった。
それに、こういう写真を撮るときはあれこれ注文はされても、やり直しを言われたことは一度もない。自分の写真には細かいところまで拘るのがライノーなのに。
もしかすると僕と同じようにライノーも何か理由があって嫌々ながらやっているんだろうか。だからこそ、普段の徹底した撮り直しもしないで。
それとも。個人で楽しむ用だから、多少ぶれていようといまいと関係ないってことなのかなあ。願わくば前者であってほしい。
「よし。ここまでだ。エレク……ありがとう」
 ライノーは構えていたカメラを机の上に置くと、僕の胸に置かれたナナの実を持ち上げる。唾液でふにゃふにゃになって今にも崩れてしまいそうだ。
それを阻止するかのように、僕は無心で実に齧りつく。好きなはずの味なのに、もぐもぐと口の中で何度咀嚼しても。やっぱりおいしく感じられず。
ナナの実を僕に差し出すライノーの顔は穏やかに微笑んでいる。あくまで表面上は、ね。全く、表情を繕うのが下手なんだから。
どうして彼がそんな顔つきをしているのか、僕には判断がつかない。言葉を話せたなら、引き攣った笑顔のわけを尋ねることが出来るだろうか。
何か思うところがあってもはっきりと言葉に出来ないのがもどかしくはある。でも喋ることが出来たとしても、僕にライノーを問い質せるような度胸はきっとない。
変な写真の件だって、嫌なら首を横に振って拒否すればいいだけのこと。僕が本気で嫌がっているのが分からないライノーじゃないはずだ。
分かっていながらそれを僕がやらないのは。もし断ってしまったら間違いなく、不安定なライノーの作り笑顔を壊してしまうことになるから。
僕の態度で彼をがっかりさせてしまうのが、失望させてしまうのが怖い。言うことを聞いてくれないモデルなんて、必要とされなくなるような気がして怖かったんだ。
結局のところ、僕は臆病で目の前の出来事に流されているだけ。自ら流れを変えてやろうと行動を起こそうとはしていない。
ライノーのおかしな注文だって気が進まないながらも、僕に出来ないことじゃないからと自身に言い訳をして承諾している。
もちろん写真が怪しくなるよう仕向けているのはライノーだ。彼には何らかの意図があって、僕の撮影を行っているはず。
それが何なのかは想像がつかない。だけど、はっきり意思表示をせずに何となくで引き受け続けた結果が、今の状況ならば。
妙な写真が徐々に増える結果になったのは僕にも原因があったのかな、なんてぼんやりと考えながら。僕は剥かれたもう半分の実を口に入れた。味は分からなかった。

―5―

 撮影も終わって、再び机に向かいパソコンのスイッチを入れたライノーを、僕はベッドの上で寝そべりながらぼんやりと眺めていた。
きっとデータの整頓でもしているんだろう。でも、映っているのはどうせ変な姿の僕。わざわざ確認しに行くほどのものでもない。
そんな僕をよそにライノーは微動だにせず頑なに画面の方を向いている。おや、変だな。手が動いていない。作業するならパソコンを見つめてるだけじゃだめなはず。
凝視してしまうくらい、僕の写真に見とれているわけでもなさそうだ。ライノーは眉間にしわを寄せて、どこか苦い表情をしているのだから。
どうしちゃったんだろうなあ、ライノー。ああいう写真を撮ることに何か後ろめたい理由がありそうなのは、僕にも何となく分かるけれど。
それを感じ取ったところで何かが変わるわけでもなく。そこからどうすればいいのか、何をすべきなのか。未だに判断が付かずにいる。
ライノーは。とても僕に良くしてくれるいいトレーナーだ。カメラマンならモデルを大切にするのは当然のことなのかもしれない。
だけど僕は、仕事での義務以上の愛情のようなものを彼からそこはかとなく感じていた。
そんなライノーだから、僕はちょっとくらい妙な注文をされても渋々受け入れてきた。それでも、やっぱり今日のように釈然としないものは残ってしまう。
回数を重ねるごとに僕の心の中でもやもやがどんどん大きくなってるのが分かるんだ。もう昔みたいに純粋な写真だけを撮ってはくれないのかなあ。
そう思うと無性に寂しくなって、僕はベッドに顔を伏せていた。鼻先が引っかかって完全にはうつ伏せになれなかったけど。
別に泣いたりなんかしてない。ただ、行き場を失った僕の感情を隠してくれるものが欲しかっただけ。
「エレク、今日はお疲れ様」
 顔を上げると、いつの間にやらライノーが僕の前に立っていた。片手にはブラシが握られている。ああ、そういえば今日はまだだったね。
撮影に気を取られて完全に忘れてしまっていた。僕は起き上がってベッドの上から降りる。そして、ライノーに背中を向けて腰を下ろした。
仕事が終わった後のブラッシングの時間。彼が言葉を伝えずとも、ブラシを持っていれば容易に察しが付く。
昼間の砂が残っているかもしれないし、潮風で若干べたついていた感じはあった。梳いてくれるならありがたい限り。
ライノーはしゃがむと僕の頭から後頭部にかけてブラシを当てる。毛の質が硬めな僕に合わせて選んでくれた歯のしっかりしたブラシだ。
固まっていた毛がばらけていく感触が何とも心地よかった。僕の心の中のもやもやもその硬い毛先でほぐれてくれればいいのにな。
「すまんな、あんな真似させて」
 頭が終わって僕の背中辺りにブラシの毛先が移り始めたとき、ふいにライノーが口を開いた。
あんな真似、というのはおそらくさっき撮った写真のこと。ライノーが僕のああいった写真について言及してきたのは今回が初めて。
今までは決して話題には出そうとしなかった。撮り始めて間もない頃、僕が何か言いたげな目で見つめていてもそれとなくはぐらかしてしまう。
そんな行為を繰り返されるうちに、きっとあの撮影は彼が触れてほしくない事柄。僕の中では腫物のような扱いをしていたというのに。
突然ライノーから話題を振られたのだ。僕は思わずライノーの顔を見ようとして、自分の首がそこまで回らないことに気が付いた。
精一杯首を捻れば彼の表情が分からなくもないけど、痛くなってしまいそうなのでやめておく。
「イッシュ地方じゃサンダースは珍しいって、俺が前に言ったの覚えてるか?」
 彼に背を向けたまま、僕は小さく頷く。その事実はこれまでの撮影で、僕は何度も実感していた。
街を歩けば遠巻きに僕のことをちらちら見る人が必ず出てくる。写真を撮ってもいいですかとライノーがお願いされたことだってあった。
サンダースという種族がどこにでもいるようなありふれた存在なら、そうはならないだろう。
「最初のうちはな、貴重なサンダースの写真集ってことで注目を浴びて、評判も結構良かった。それで、調子に乗っていたのかもしれない」
 僕の背中をブラシで梳きながらライノーは続ける。面と向かって切り出さなかったのは、やっぱり言いづらいものがあったからなのかな。
いつもやっているブラッシングの最中なら、何とか話ができそうだから。ブラシを動かす手から、ライノーの気持ちが伝わってくる気がする。
「半年くらい前から売れ行きが落ち込んできて、俺の写真を評価してくれている人にも言われちまったんだ。お前の写真には光るものがない、ってね」
 僕の背中がぴくりと揺れる。電気タイプの僕を前にして光るものがないとは失礼な人だ。そりゃあ放電で発光するとかそういう意味合いじゃないのは分かってるけど。
ライノーの写真に対する頑張りは近くにいた僕が一番よく知っている。それでも、頑張りは必ずしも結果に結びつくわけではないらしい。
「自分なりに努力してきたつもりだったんだけどな。なかなか厳しいもんさ」
 乾いた笑い声を零すライノー。彼が僕に対して弱音を吐くなんて初めてのことかもしれない。
弱音というよりも、撮った写真の送り先がどう評価しているかも詳しく聞いたことがなかった気がする。
ライノーの方からもあまり話そうとしなかったのは売れ行きを考えると話しづらかったからなのか。
こんなとき何か優しい言葉でも掛けられれば良かったのだけど。背中を向けたままでは何もできず。僕に出来たのは黙って彼の話の続きを待つことだけだった。
「それで、その人から提案されたんだ。お前のサンダースで一風変わった写真を撮ってみないか、とね」
 なるほど。ライノーが僕の写真に手を加え始めたのはその人がきっかけだった、ってわけか。
考える人も大概だけど、あっさり乗っちゃうライノーもライノーだよ。
僕の横目に冷ややかなものを感じたらしく、彼はばつが悪そうに空いていた方の手で自分の頭をかく。
「俺もどうせ売れないだろうと思ってたさ。だけどその人の指示でもあったし、物は試しで撮って送ってみて。いざ売り上げを見てみたら。普通の写真集を軽くしのいでると来たもんだ。苦笑いしか出てこなかったよ」
 売れないよりは売れる方がいいのは当然だ。ただ、何となくで撮った写真が評価されたとなればライノーも複雑な気分だったのだろう。
僕だってそう。あんな恰好をした写真の評判が良かったなんて聞いても嬉しくもなんともなかった。
「ちょうど一般向けの写真集だけだと生活が苦しくなってきた頃だったし。次も頼むぞと言われて……俺は、断れなかった」
 僕の背中に当てられたブラシは完全に止まっていた。持つライノーの手は小さく震えているようにさえ感じてくる。
いたたまれなくなった僕は立ち上がって、くるりと彼の方に向き直って座った。きっとライノーは苦悶に歪んだ表情をしているのかと思いきや。
幾分かの自嘲は含まれていたものの、至って静かな笑みがそこにあった。僕に少しずつ抱えたものを打ち明けて、気持ちが楽になったのだろうか。
「もちろんこれは言い訳だ。カメラマンを続けたいからってお前にあんな恰好をさせていい理由にはならない。すべては俺の実力不足が招いたことさ」
 正直、ライノーが頑張っている姿を見てきた僕としては。その結論に納得しきれない部分があるのだけれど。
写真集の売り上げが伸びなければ、結果としてライノーの腕前が良くないからとなってしまうのか。どうにもやりきれないものが残る。
「エレクも普通の写真じゃないなってうすうす気づいてたんだろう?」
 少々遠慮がちに、僕は頷く。そりゃあ、あれだけ存分に工夫を施されれば、よっぽど鈍くない限りは気づくよ。
気づいてはいたけど、ライノーにあんな写真をどうするのと尋ねる勇気がなかったからね。
こんな風に彼から切り出されれば、いくら僕でも気づかなかったふりまではしない。
「いつか理由を言おう言おうと思って、結局言えずじまいで。お前が拒否しないのをいいことに甘えていたんだ。……すまなかった、エレク」
 これまでのように、きまり悪そうに視線を逸らしたりすることなく。僕の目をまっすぐに見てライノーは言った。
眉間にしわを寄せているわけでも、引きつった笑顔で繕われたわけでもない。彼の自然な表情。僕も彼の顔をしっかりと見る。
言葉を話せなくたって、伝えようという強い気持ちがあれば何か通じるものはあるはずだ。今のように。
これまで僕はそれを試みようとせず、ただ彼の出方を伺っていただけ。たぶん、それじゃいけなかったんだ。
僕もライノーも、お互いに思うところはあっても。なかなか本心を相手に伝えられずにいた。こんなに近くにいたのにな。
「俺さ、頑張るから。あんな写真に頼らなくても大丈夫になるくらい、頑張ってみせる。だからエレク、俺の大事なパートナーとしてこれからも付いてきてくれるか?」
 僕の片方の前足をぎゅっと握ったライノーの熱意ある眼差し。昔にもこんなことがあったような気がする。
ああそうか。ライノーに、これからカメラマンを目指すからモデルになってくれと頼まれた時だ。彼の生き生きとした顔つきは、あの時となんら変わっちゃいない。
綺麗に積み重ねられた写真に不純物が混じり始めてからは、ライノーがどこか遠いところに行ってしまったような距離感を感じることも多かったけど。
やっぱりライノーはライノーだ。僕の大切なパートナー。どんなに時間がたってもそれだけは不変の事実。
もちろん、不安が完全になくなったわけじゃない。頑張りがちゃんと形になるかどうかは分からないし、また今日のような写真を撮ることだってあるかもしれない。
それでもいいんだ。僕は前向きに頑張るライノーをずっと隣で応援していたいんだから。どこまでも付いていくよ、ライノー。
任せときなよ、と自信ありげに小さく微笑むと。僕はしゃがんだままのライノーの胸にそっと顔を寄せた。

 END



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最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • あれっ、2011年終わりに釣られた…?
    色々と今後に期待してますw
    ―― 2011-12-29 (木) 14:29:11
  •  非エロととはなんだったのか……サスガダァ
     カゲフミさんはぎりぎりの境界線で焦らすのがお上手で(ry こんなことしてれば好きな食べ物の味なんてそりゃどっか行きますわね。エレクはライノーの行動に対して何か突っ込むべき部分はなかったのだろうかと思いますが。無言の信頼関係こそ写真家とモデルの友情ってわけですね。執筆頑張ってくださいませ。応援しております
    ――ウロ 2011-12-29 (木) 14:54:07
  • 非の話のはずなのに変な風に話をとってしまいました。
    色々事情あっての撮影でしょうから、仕方無いんでしょうね。引き続き頑張ってください。
    ――GALD 2011-12-29 (木) 21:03:55
  • 一番目の名無しさん>
    はい、非です。何やら怪しい雰囲気にしてしまいましたが非なのです。

    二番目の名無しさん>
    ほのぼののみを期待していらっしゃったのなら、なんかすみませんとしか(

    三番目の名無しさん>
    釣るために書いたわけではありませんが、一話二話からだと内容の違いに驚かれるかもしれません。

    ウロさん>
    今回はわりとぎりぎりセウト的な何かを目指してみました。言いたいことがあっても言えない微妙な心持ちがいまのエレクだと思います。無言の信頼関係、が悪い方向に傾かなければいいんですけどね。

    GALDさん>
    変な風になるよう仕向けたのは私ですから問題ありませんw
    むしろそう思ってくださった方がうれしく思います。ライノーの様子から、事情があるのは確かですねえ。

    皆様、レスありがとうございました。
    ――カゲフミ 2011-12-31 (土) 20:48:18
  • >ひらひらした変な服を着せられたり、仰々しい鎖の付いた首輪を付けられたり

    ……その写真、言い値で買いましょう
    ―― 2012-01-09 (月) 12:11:56
  • 見方によっては性的な表現ともとれるので一般の方々への販売は行っておりません。
    まあ、一般じゃない方向けの写真なんですけどねw レスありがとうございました。
    ――カゲフミ 2012-01-11 (水) 14:32:07
  • 物書きや絵師、音楽家などのような創作職はなかなかに脚光を浴びることは出来ない。その例外ではないカメラマンのライノーの苦心が表れていて、なるほどと思わせられました。

    サンダースのエルクをモデルにして写真を撮り、生計を立てていくのが困難になったライノーがとった行動は、確かにお金は稼げますし、そこまで苦労せずとも生活をしていくことが出来るようにはなります。
    でも、カメラマンという仕事に誇りを持っているからこそ、ライノーはエルクに打ち明けて、そういう仕事を請け負わないことを強く誓ったんでしょうね。

    途中の雰囲気は明らかに「そういった需要向け」の描写ではありましたが、特にやましい気持ちなく読むことが出来ました。というのも♂にあまり興味が(殴

    なにはともあれ執筆おつかれさまでした。
    今後も楽しみにしております。
    ――ウルラ 2012-01-29 (日) 02:12:40
  • 今更と言う感じですが、カゲフミさんの小説は地の文が大切にされていて
    読んでいてとても安心するというか、心地よいというか。

    そんな文章を書けるカゲフミさんを心から尊敬します。

    感想を書こうと思ったのですがうまく言葉がまとまりませんでしたorz
    とにかく、完結おめでとうございます。これからも期待しています。
    ―― 2012-01-31 (火) 13:12:13
  • ウルラさん>
    そうですね、ライノーも苦労しているうちの一人なのかもしれません。
    ライノーの頑張りが形になるかならないかでそういった写真を撮るかどうかは変わってくるので、エレクも彼が絶対にああいう写真を撮らないと誓ってくれたとは思ってないのではないでしょうか。
    きっとエレクは前向きに頑張るライノーをどこまでも応援していきたいのだと思います。
    ♂に興味がないのであればウルラさんは写真集の購入層からは外れるわけですね(
    レスありがとうございました。次回作も頑張ります。

    二番目の名無しさん>
    とにかく地の分を書けば書くほどいいのではないかと思ってる節もあるのですが。
    地の文が多すぎても読みづらくなりますからね。程よいバランスは難しいですが、そういっていただけるとありがたいです。
    これからもがんばりますね。レスありがとうございました。
    ――カゲフミ 2012-02-06 (月) 18:15:34
  • サンダースの写真集・・・欲しい!!
    ―― 2014-07-31 (木) 16:41:45
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Last-modified: 2012-01-28 (土) 00:00:00
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