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ルカリオとヒスイジュナイパーでバレンタインデー

/ルカリオとヒスイジュナイパーでバレンタインデー
本作は♂同士の恋愛・性的描写を含みます。また、一部多大な解釈違いが生じる恐れがあります。お楽しみください。

 



 さらりとして、熱い。ルカリオがいつも飲む川の水とは違い、温泉水には硬さがあった。
 ヒスイ地方。極寒の大地。その北方に位置する純白の凍土にあって、「雪見の出で湯」と呼ばれるこの温泉は貴重である。いつでも、好きなだけ熱を貪ることができる。そんなものは凍土におけるほとんど唯一の存在といってよかった。
 純白の凍土に棲むポケモンにとって、温泉は必須ではなかった。雪や氷に適応したポケモンだけが、凍土に生きるのだ。温泉の熱などなくとも問題はない。生きるために温泉を必要としているポケモンなど、この凍土のどこにもいない。あってもなくても構わないもの。
 それは娯楽である。凍土のポケモンたちは温泉を娯楽として見なしている。
 ルカリオも同様である。熱い湯に体を浸せば、寒さに凝り固まった部分がほぐれてきて、揉みしだいたように背中の筋肉が緩み、普段よりのびのびと広がるのだ。その熱の心地よさが恋しくなったとき、ルカリオは縄張りである鬼氷滝(きひょうだき)からはるばるとやってくる。
 しかし、この日の温泉は心地よいばかりではなかった。
「いっ、てえ……」
 ルカリオは腕に脚に生傷をこしらえていた。その傷は半端に癒えただけで塞がりきっていないから、入る前からわかってはいたが、湯が染みて痛む。
「だいじょうぶか?」
 ジュナイパーが、ルカリオのしかめっ面を覗きこむ。ルカリオより先に温泉に入っていたジュナイパーは、笠のように広がる頭部の赤い羽根に粉雪を載せていた。その雪も、湯気のなかでたちまち水滴に変わり、羽根の表面を滑り落ちてゆく。
 このジュナイパーというのは、近頃、雪見の出湯にしばしば現れるポケモンであった。人間と行動を共にしているという変わり者で、主人である少女を伴うこともあれば、キャンプ(とジュナイパーは言っていた)で仲間が休んでいる隙を見計らって一匹でやってくることもある。
「いつものことだ」と、ルカリオは言った。「これくらいなんともない」
 人間が呼ぶところの「オヤブン」であるルカリオにとって、仲間内での揉めごとの仲裁など日常であった。傷に染みるのは重々承知、温泉に浸かりたい欲望には逆らえない。
 鬼氷滝に棲む幼いエレキッドが、少し前から熱病を患っている。
 雪と氷に閉ざされた純白の凍土にも、きのみの()る木が少しはある。何匹かのエレブーやゴーリキーはエレキッドのために、病に効くといわれているきのみや、体力をつけるのにいいきのみを求めて鬼氷滝の雑木林へ赴いた。そして林を探索しているうちに、彼らは知らず知らず雪崩坂(なだれざか)に踏み入ってしまったのだ。ルカリオたちは雪崩坂を、オヤブンのガブリアスが仕切る縄張りと認識している。鬼氷滝と雪崩坂のあいだには鋭い牙のような岩肌の山脈が横たわっており、平時であれば互いに縄張りを踏み荒らすようなことにはならない。しかしきのみ探しに気を取られていたエレブーたちは、そこで()()()()をやらかした。彼らは雪崩坂に入りこんだばかりか、そこに棲むラッキーやエテボースに姿を見られ、一匹のエレブーが焦りのあまりに威嚇的な態度をとってしまった。怯えたポケモンたちによってそのことがガブリアスに伝わり、雪崩坂の界隈では鬼氷滝の敵対行動があったと噂になっていた。
 ルカリオは縄張り争いを望まない。噂を知ったルカリオがガブリアスに事情を説明し、仲間のミスと、自分の監督不行届を認めて謝罪することで、誤解は解消された。強かなアイアンヘッドを脳天にもらい、それ以上のお咎めはナシということで決着だ。エレキッドに食わせろとのことで、雪崩坂に生るズリのみなども手土産に持たされた。
 しかしまた、それでよしとしないのが短気なエレブーたちであった。気に入らねえことがあるなら直接言いにくればいいものを、雪崩坂は告げ口なんかする弱虫の集まりだ――それでルカリオが度突かれるなど納得できない――そもそも止めたのも聞かずにおまえがあっちに進もうと言いだしから――いきなり喧嘩腰でラッキーを脅しつけたのはおまえの方だろ――しまいには温厚なゴーリキーたちまで巻きこんで、どんぱちドンパチである。
 体が大きい、すなわち力こぶがデカいことは野生における多大かつ明快な影響力だった。しかしルカリオは仲間から根本的な信望を集めているわけではなかった。言って聞かせることのできるポケモンが、鬼氷滝ではたまたまルカリオであったにすぎない。ポケモンは元来、自分勝手である。ルカリオに本物のリーダーシップが具わっているわけではなく、したがってヒートアップしたエレブーとゴーリキーはルカリオが一喝したところで治まりはしなかった。結局、そこそこにシバき回して頭が冷えるまで、エレブーたちは聞く耳を持たなかった。
 並のポケモンに負けるルカリオではないが、相手の怒りも本気である。全力の攻撃の前に無傷では済まない。その傷に湯が触れて痛い。これ以上の痛みなどいくらでも味わってきたルカリオだが、痛みに耐性がつくわけでもない。どれだけ強くとも痛いものは痛いのだ。
「野生というのも、なかなかどうして、苦労が絶えないな」
 すぐ傍から向けられるジュナイパーのまなざしは労いに満ちていた。
 このジュナイパーは、いつもそんなふうだった。たとえば、ルカリオの左手の、ほとんど根元から千切れてしまった指や、尖端の欠けた片耳を見るとき、ジュナイパーはきつい眼光を和らげる。ルカリオの操る生命エネルギー(のちに「波導」と呼ばれるルカリオに特有の能力)の根幹である頭部の房は、戦闘で真っ先に照準されるためにどれもズタズタの傷痕が走っているが、それを見るときなどジュナイパーは同情の色をほとんど隠そうともしない。頭から伸びる赤い羽の隙間から覗くジュナイパーの目が、こちらを労るように目尻を下げているのを見るたびに、ルカリオはいつのときも釈然としない苛立ちを覚えた。ルカリオ自身、その苛立ちがどういう事情に起因するのか理解できない。至って無害に尽きるただの一匹のポケモンに対して、なぜ腹を立てなければいけないのか、自分でも見当がつかないのだ。
 俺だから、これで済んでいるんだよ。
 おまえみたいに危機感の薄いヤツは野生じゃ生きてゆけない。
 俺を哀れんだつもりで調子に乗るな。
 そんな悪態が湧いてくる。ルカリオは、最初からなんとはなしに、ジュナイパーのことが嫌いであった。
「それで、温泉で気分転換か」
「そういうことだ」
 おまえのせいで台無しだけどな。
 口に出さない分別がルカリオにはあったが、ジュナイパーがいるとムシャクシャする気持ちをどうしようもない。体の疲労は湯に溶けてゆくようでも、心はいつでも思いどおりには操れない。
 それほど疎ましいのなら、それこそ力ずくで追い払ってしまえばよいのだが、それをしないのはここが温泉だからである。ちいさなウリムーたちが、飛沫を飛ばしながらじゃれあっている。ベロリンガが顔以外の体ぜんぶを湯に沈めて目を閉じている。カイリキーが下二本の腕を組んでむっつりと体を暖めている。どれほど血気盛んなポケモンであろうと、この雪見の出で湯では決して争わない。何者からも支配されてはいないはずのこの場所で、ポケモンたちはそれぞれの自由意志で秩序を形成している。そのように自然発生的にこの場所が秩序だっていることの尊さを、ルカリオも重んじる気持ちが強い。だからここではなにもしない。
 ――よそで会ったときも、俺がこんなふうだとは思うなよ。
 ルカリオは、いつもジュナイパーにそう言ってきた。するとジュナイパーのほうは鷹揚に笑いながら、こんなことを言うのだ。
 ――それは怖いな。私は、きみとも仲良くできたらいいと思うのに。
 おまえと仲良くなんて、ありえない。ルカリオはそう思う。
 指がなくなろうが耳が欠けようが、たいしたことじゃない。野生にとって、そんな程度はふつうのことだ。仮に、これがさらに手や足をまるごと失っていたとしてもまだまだ幸運である。生きてさえいれば。敵に食われず逃げおおせて命が無事であるならば。
 ポケモンが、十全に発揮したスペックで本気の闘争を始めれば、どちらかが滅ぶのは当然なのだ。少々体が欠けていたところで、大きな体で目立ち、あらゆる敵意の的になってきたことを考慮すれば、今こうして生きているルカリオはじゅうぶんに幸運な野生といってよい。
 その幸運を、おまえは憐れみでしか見ることができない。
 そうである限り俺は、おまえと仲良くなろうなんて思えない。
 じくじくと、湯の熱さとは別種の熱を全身の傷に感じる。ルカリオは口元まで湯に浸かり、ぶくぶくと泡を吹くのだった。




 のしのしと巨躯がやってくる。
 そうと知りながら無防備の態度を許されるのが、雪見の出で湯の魔法であった。その巨躯の気配といえばまるで敵意がなく、存在を隠すことなどマメパトの糞ほどにも考慮しない、堂々としたものだ。ここにいるぞと言わんがばかり、歩を進める足音も無遠慮に尽きている。弱肉強食の世界において、気配を隠さないことがどれほどの愚かであるか。その愚かを躊躇しない巨躯の、どんなにか力と自尊心に溢れることか。
 存在感。空気が重さを増すように、目より鼻より早く、生物的の本能が存在を察知する。
 雪崩坂のオヤブン、ガブリアスである。
 元より大柄なドラゴンタイプでありながら、なおも大きな体を持つガブリアス。そうでありながらなお、すべてのポケモンが警戒を忘れてしまえる雪見の出で湯は、まさに純白の凍土における聖域であった。ガブリアスの温泉を訪れることなど、今さらポケモンたちは驚きもしなければ逃げもしない。どんなポケモンでも、この温泉へやってくる。完璧な受容。それが聖域の由来だった。
「よう。おまえも来てたか」
 かけられた声は腹に響くように重厚で、空から降ってくるようだとルカリオはいつも感じる。ルカリオは気張らず、片手をあげることで応じた。
 ルカリオとて並のポケモンよりも巨体で、はなはだ目立つ。ガブリアスがひと目で見つけて寄ってくると、ルカリオやジュナイパーとは見上げるほどの体格差があった。ガブリアスを初めて目にするジュナイパーは目を剥きながら、なにを言われずとも、これが雪崩坂の主であることを確信した。どこもかしこもが強靭さとしなやかさに満ちた肢体には、身体を無常の武器とするかくとうタイプ特有の羨望を覚える。ガブリアスの顔の右半分にはクレーターのように肉の抉れた傷痕があり、目が潰れているのだろう、閉じた瞼は落ち窪んでいる。その傷はいかにも、死線の十や二十はゆうに潜り抜けてきていることを証していた。
「おおー、ぬくい」
 ガブリアスはほうと溜め息を吐きながら、ざぶざぶと温泉のなかへ踏み入り、ゆっくりと、少しずつ身をかがめてゆく。湯気のなか、ガブリアスの体に貼りついた雪が溶けて水滴になる。温泉の底に尻をつけたとき、たいした面積もない温泉はあまりの巨体によって目方が増したように水位を上げ、鼻先まで浸かっていたルカリオは沈んでしまわぬよう少し背筋を伸ばさなければならなかった。そうまでしてもガブリアスは腹まで浸かるのがせいぜいだった。両腕の翼で湯を波打たせ、体に浴びる。ジュナイパーの主人ならばそれを「半身浴」とでも言うだろう。
「そいつは?」
 ガブリアスは顎をしゃくる。ジュナイパーのことだ。
「友達」
 ルカリオはそう言った。しかし自分で言っておいて、ルカリオは疑問になる。友達だって? 俺はこいつの友達なんかじゃない。
 ジュナイパーが会釈するのを横目に見ながら、ルカリオは違う話をした。
「この前は、悪かった」
 頭を低くする。エレブーたちの件だ。
「もう水に流した話だぜ。気にすんな」
「面倒かけたろ」
「それもお互い様だろ。一発かまして、筋も通した。後は言いっこなしだぜ」
 あのアイアンヘッドは効いた。ルカリオの頭には今でもタンコブが腫れている。
「思ってたより……仲、いいんだな?」
 呆気にとられたような顔のジュナイパーは、ガブリアスが現れてからこっち、ぼんぐりのように目を丸くしたままだ。
「私はてっきり、群れ同士いがみあっているものとばかり」
「そりゃあ、そういうふうに見せてる部分もあるさ。頭同士が懇意だからって遠慮なしにシマを荒らされたら、たまったもんじゃないからな。舐められたら終わりだ」
 ヒスイの大地は、その地に生きるポケモンにとってさえ過酷に尽きる。純白の凍土はキング・クレベースの加護によって護られているが、なにもそれで安穏と生きてゆけるわけではない。野生も生きることに必死だ。無秩序な殺意を振りかざすだけでは、どんな強力な群れでもあっさり滅ぶ。頭が死に、縄張りの境界線を失って餌場と見なされれば、それだけでおしまいなのだ。鬼氷滝だけが勢力を強めればよいというのではない。ルカリオがある日突然、氷山の角に頭をぶつけておっ()んだとき、外部への抑止力として雪崩坂の牽制が必須になる。逆もまたしかり。それぞれの利益を最大化するために利用しあう。ルカリオとガブリアスとは、そのような関係だった。
 お山の大将を気取るつもりはない。みんなで餓えず、生きてゆく。ルカリオはそのためにできることをやっているにすぎない。今日のように、水面下で好友しておくのもそう。エレキッドの件についても同じなのだ。ルカリオがエレキッドが病気を知っていれば、ガブリアスへ話していくらでも調整できた。きのみを採りに雪崩坂へ入りますよと、少し連絡するだけで問題を未然に防ぎ、エレブーたちは安心して雪崩坂へ入れたのだ。ひと言ルカリオに相談するという発想さえ、ポケモンたちにあれば。
 そういうことを覚えてくれればいいのだが、なににつけても腕っぷしに短絡させたがるポケモンたちにとって、そのワンクッションが難しい。結局いつも、殴ってわからせる以上のことができずにいるルカリオだ。
 そういうやり方があまりよくないということを、ルカリオも理解はしている。力で抑えこめば一方的な抑圧になる。暴力による支配はポケモンの本質ではある。しかしそれを是とすれば次の争いの種になる。その種は巡り巡って、群れを絶滅させる。ルカリオがポケモンたちに一目置かれているのは、ひとえにルカリオが強大だからだ。さらに強いポケモンが現れれば、みんなそちらへ従うだろう。それはそれでよいとルカリオは思っている。それもまた自然の摂理だ。しかしそうなったときでも道理を説く者は必要だった。雪崩坂という、ルカリオが繋いだコネクションを維持する鬼氷滝のブレインが。
 すべてのポケモンは、弱肉強食のカーストからは逃れられない。そういったことを理解するには、エレブーやゴーリキーたちは少し闘争心が強すぎるのかもしれない。
「そう難しい話でもないさ」
 ガブリアスは、やおらルカリオの肩に腕を回した。ツメで胸のあたりをちくちくくすぐってくる。
「未来の[[rb:番 > つがい]]と仲良くするのは当たり前だからなあ?」
 ええっ、とジュナイパーが叫び声をあげて、周囲のポケモンの視線を集めた。ルカリオはかぶりを振る。
「ンな約束してねーよ。現実と願望をいっしょにするな」
「ご近所の連携が強まるぜえ」
「だとしても、俺はそのネタはあまり好きじゃない」
「へいへい」
「離れろよ、もう」ルカリオはつっけんどんに言った。「()()()()ぞ、おまえさ」
「ちょいと子作りに励んじまってなあ」
 ガブリアスは気分を損ねたふうもなく笑ってみせる。わっと立ちこめる湯煙のなかにも、ガブリアスが全身から振りまくオスのフェロモンは紛れていなかった。
「みんなで入る温泉にさあ。持ちこむなよ、そういうの。ばっちいなあ」
「こまけえこと気にすんなよ。そんな綺麗好きでもなし」
 雪見の出湯は、野生がかけ湯も清拭もなしに浸かる未加工・未調整の天然温泉である。いくらか硬質な湯溜まりは実のところ、人間の尺度のような清潔さとは程遠い。あくまで熱を味わうものであり、身を清めるためになど使われていない。
 ぐだぐだと絡んできてガブリアスが離れないので、ルカリオは諦めて自分から距離をとった。少し熱くなってきたところだ。湯から出て近くの岩に腰かければ、雪が体を冷ましてくれる。純白の凍土はほとんどの生き物に厳しいが、今日の雪は穏やかだ。
「なあ」
「あ?」
 ジュナイパーがついてきた。ぽうっとして目元が緩んでいるのを見るに、こいつも湯だったのとルカリオは思ったが、それだけでもないらしい。
「あのガブリアス」と、ジュナイパーは言った。「さっき、その、子作りがどうとかって」
 子作りくらい疑問に感じるほどのことかと思いながら、無愛想でない程度に話に乗った。
「跡継ぎが要るんだってよ。あいつ、戦いは今でもめちゃくちゃ強いけど、あの目だからな」
 前かがみに丸まったガブリアスの背中を、二匹で眺める。
「そう長くないって考えてるらしい」
「そうなのか」
「――ていうのはただの建前で、ただ交尾が好きなだけだと俺は思ってるけど」
「こうび?」
「そう。オスもメスもなしに盛りまくりだよ。長くないとかなんとか言うけど、アッチは死ぬまで現役だろうな」
「その、交尾っていうのをしたら、ああいうにおいがするのか?」
 ルカリオは首を傾げる。
「おまえ、もしかして交尾したこと、ない?」
「ああ、ない……というより、それがどういうものなのか、知らない」 
 今度はルカリオの目がぼんぐりになった。
 ルカリオが見たところ、ジュナイパーはかなり成熟したポケモンである。身のこなしや立ち振る舞いからも、戦えばそれなりに強いと思われた。そういう優秀なポケモンはとっとと番を見つけてしまい、子どもなどいくらでも生み育てているものだと思っていた。
「ガブリアスのにおいを嗅いでから、妙な気分なんだ。胸がどきどきするし、息も苦しい」
 ジュナイパーは寝ぼけ眼のようにまぶたをとろりとさせていた。いかにも極寒のヒスイに適応した立派な羽毛をもこもこと膨らましているのは、湯上がりの寒さによるものとルカリオは思ったが違っていた。
 発情している。隠しきれないオスの欲が、かおりたつようにフェロモンとなってジュナイパーの全身にまとわりついている。ガブリアスの、強者に特有の強烈なオスのにおい……その毒気にあてられてしまっていた。
「なあ、こういうのはよくあることなのか。私はどこかおかしいのか?」
 ――おまえって、なにも知らないんだな。
 ルカリオは過去、ジュナイパーと会うことでその種の失望を何度となく感じてきた。ルカリオは人間のことをあまり知らない。知っていることといえば、凍土の北東あたりに群れて暮らし、凍土のキングを世話していることくらいだ。それでもジュナイパーを見ていれば、人間のところというのはさぞ安全で豊かなのだろうと伺い知れる。ジュナイパーはルカリオの知らないことをいろいろと知っている。それらは人間から輸入した知識であり、またヒスイの旅を通しての経験であった。それに反して、ジュナイパーはあまりにも世間知らずだった。データとしての知識をどれほど持っていても、実際的な経験が足りなさすぎた。ルカリオにとって当たり前のようなことを、ジュナイパーにいちいち尋ねられるのはひどくうんざりさせられる。こいつはなにもわかっちゃいない。そのようなザマで生きてゆけるくらい、人間との暮らしは豊かで満ち足りているに違いない。
 ルカリオがジュナイパーを嫌う理由は、その余裕であった。野生にはいつのときも余裕がない。命を繋ぐ……そのために体を動かし、頭を使う。生きてゆくために直接関係ない事柄に割ける時間も余力もない。明日食うものに頭を悩ませない暮らし。そのポジションを労せず獲得しているジュナイパー。それは凍土のカーストを生きるルカリオを全的に否定する存在だった。俺たちが生存競争に明け暮れているすべての時間を、こいつは人間の庇護の元、ただ安穏としている。そうすることが許されている。どうしてこいつはそうなんだろう? どうして俺はそうじゃないんだろう? その羨ましさ、我が身の惨めさが、ルカリオの気持ちをジュナイパーから隔てる。
 ある時、ジュナイパーはルカリオの体を眺めてこう言った。
 ――そんなふうだなんて。
 野生のポケモンの体が、そんなふうだったなんて。
 ああ、上からの優しさ。上からの労り。
 ルカリオの体。大小無数の傷痕が縦横無尽にひた走る、野生のポケモンの体。
 ごっこ遊びではないのだ。正真正銘、生き残りをかけた生存競争に身を投じれば、すべてのポケモンはこうなる。こうなるか、あるいはこうなる前に死んでしまうかだ。敵の殺意をかい潜るたびに、ルカリオの体には傷が増えてゆく。それはルカリオのささやかな誇りだった。憐れまれる筋合いはない。常に安全な場所にいるおまえは、俺や、俺たちの世界のことなんか、なにも知らないくせに。
 しかし今、ルカリオが感じるのは失望ではなかった。
 昏い好奇心……オスとしての優位性を獲得するための、強い予感。
「おかしくなんかない」と、ルカリオは言った。「体が昂ぶってるだけだ。ちゃんと鎮められる」
 ジュナイパーの縋るような目が、なかなか悪くない気分だった。そうだよな。今、おまえが縋れるのは俺だけだ。
「どうすればいい?」
 どうすればいいかって?
 やり方なんて、いくらでもある。
 おまえの知らないこと……人間では決して教えられないこと……それが俺たちだ。俺たちの命の正体なのだ。そうして繁栄してきた俺たちのことを哀れませはしない。そのことを、このなにも知らない平和ボケにわからせてやる。




「ガブ……なんていったっけ?」
「え? ガブリアスのことかな」
()()()()()」と、ルカリオは繰り返した。「それってなんだ?」
「なにって……名前だよ。ドラゴンタイプの、あのポケモン」
 名前とかタイプとかいうものを、ルカリオは当然知らない。ルカリオたちが姿かたちや、においで判別しているポケモンには、すべて名前がある。それがルカリオの知らない、人間の世界である。
 聞けば、ポケモンとポケモンの技にはタイプというものがあり、それを知っておくことで戦いをいくらでも有利にできるということだった。ポケモン同士の戦いの、そういう理論みたいなものをジュナイパーの主人はそうとう高度に習得しているらしい。
「俺にもあるのか。名前」
「ルカリオ」と、ジュナイパーは言った。「かくとうタイプとはがねタイプを持っている」
()()()()」ルカリオは呟いた。「ルカリオ。ルカリオ……」
 山を下り、平野を縦断しながら、ルカリオは目につくポケモンをいちいち指差してジュナイパーに尋ねた。
「あれはなんていうポケモンだ?」
「あれはマンムーだ。こおりタイプ」
「じゃあ、あれは?」
「オニゴーリ。こおりタイプ」
「あれは?」
「ユキカブリ。こおりタイプ」
「同じのばっかりじゃないか。デタラメ言ってるんじゃねえだろうな」
「本当だよ。ここはそういう場所なんだ」
「じゃあ、おまえは?」
「うん?」
「おまえの名前」
「ジュナイパー」と、ジュナイパーは答える。
「ジュナイパー」と、ルカリオは繰り返した。内心で馬鹿にしていたことも忘れて、こういうときはほんの少しだけ、ルカリオはジュナイパーを尊敬できそうな気がする。
 洞窟を抜け、鬼氷滝の岩山の切り立つ崖を登る。ルカリオが足場から足場へ跳躍するのを、ジュナイパーも空を飛んで難なく追跡した。そうしてしばらく登ると開けた場所に出る。岩肌に不自然に空いた洞穴があった。ルカリオが強引に岩肌を抉って寝蔵にしている。穴を空けて地面を平らにならしただけだが、雪風にさらされず一匹で眠れるだけでもずいぶん落ち着ける。
「なあ、ジュナイパー」ルカリオは覚えたばかりの名前を呼んだ。「メスを落とす方法を教えてやろうか」
「なんだって?」
 怪訝な顔のジュナイパーを洞穴へ引っ張りこみ、押し倒す。ルカリオは覆いかぶさりながら、肌を擦りあわせてジュナイパーを抱きすくめた。胸の棘が刺さらないよう、慎重に。
「重くないか?」
「ああ、いや、まあ、だいじょうぶだよ」
「って、訊くんだよ。重くないかって訊いて、重いって答えるメスは脈なしだ。で、重くないって答えたらこっちのモンだよ」
「どうして」
「重くないって答えるってことは、抱きしめ続けていいってことでもある。重くないと言ってから退けとは言われねえよ」
「な、なるほど……」
「それで、なるべく体を触れあわせるんだ。顔でも、手でもいい」
 ルカリオは立派な羽根に包まれたジュナイパーの翼を握った。
「俺の手、硬いだろ」
 ジュナイパーは頷く。硬いだけではなく、生命エネルギーの酷使によって毛が焼け焦げ、変色している。
「メスの体はもっと柔らかくできてる。オスの体は防御力を上げるために硬く頑丈になり、メスの体は男を癒やすために柔らかく進化してきた」
「そうなのか」
「抱き心地のいいメスが、より多くの子孫を残せたんだ。いろんなポケモンの体が、そういうふうに選ばれ続けた」
「自然淘汰だね」
「とくに、手先は効果的だ。感覚が集中してるだけ、気分への影響もデカい」
「なかなか理にかなってるんだ」
 これくらいができなければ、野生の命は務まらない。ルカリオは仕上げだと言って、ジュナイパーの体を起こした。座った姿勢で体重を預けさせる形になる。
「あとは、好きだって言えばいい」
「それだけ?」
「愛してるでもいい。簡単だろ」
「ちょっと簡単すぎるような気がするね」
「変に気にしなくていい。とにかく連呼しろ。あとは強く抱き締める。もうたまんねえって感じに。それだけでメスは、自分はこのオスのものだって思うんだよ」
「そんなに単純なものかな?」
「逆なんだよ」と、ルカリオは言った。「単純なことしか考えられなかった昔から、脈々と受け継がれてきたやり方なんだ。メスはオスの前でくらい、弱くありたいんだよ。守ってもらうために」
「ふうん……」
 以上のルカリオの講義は、すべてガブリアスの受け売りである。しかしガブリアスの教えはただの知識ではない。行動の実績である。ポケモンの名前とタイプをただ知っていることとは重みが違う。意趣返しのようなつもりがルカリオにはあった。しかしルカリオも実践したことは一度もなかった。今はまだ経験と行動の伴わない智慧にすぎない。
「はあ……はあ……」
 ジュナイパーの苦しげな吐息がすぐ近くにある。
 ガブリアス曰く、強いポケモンは、モテる。とくにオスは超モテる。命の危機を感じるほどの苛烈な戦いのあと、体は濃厚なオスのフェロモンを放出する。危機から生還したオスこそ優等な遺伝子という不文律が、体にインプットされているためだ。並のポケモンが生まれたての赤ん坊に思えるほどの怪物を相手に、日夜戦闘を繰り返す群れのリーダーは、強烈にメスにモテるということで、ガブリアスなどはメスを二十八ほど孕ませているらしい。ついでに言えば、メスのフェロモンの出し方は「平和でいること」だそうだ。
 人間は進化の過程で鼻が退化しており、フェロモンを感知する力も、フェロモンを出す力もほぼ失われている。人間との暮らしのなかで、ガブリアスのような生のフェロモンに触れる機会など、ジュナイパーにはなかったのだ。平野を移動しているときはいくらか落ち着いているようだったが、少し刺激してやればすぐに影響が現れる。
 ルカリオがジュナイパーの股へ触れる。他よりも余分にふさふさした股間の毛をかきわけて地肌を探るのを、ジュナイパーは拒まなかった。その行為がどのような意味をもっているのかもわからず、しかし本能が望むのだ。逞しく成長した健康なジュナイパーの体が、機能の発揮を求めて繁殖欲に疼く。ジュナイパーは今まさにフェロモン大放出中であった。これもある意味、身の危険ではあるなとルカリオは思った。
「こんなことをして……私の具合がよくなるのか?」
「別に具合が悪いわけじゃないんだよ。オスならみんなこんなもんだ」
 わかるだろ、と囁きかけられる。なにがわかるのかということを、ジュナイパーはなんとはなしの感覚によって理解していた。ソコに触れられたい欲望がどんどん湧いてくる。頭がおかしくなったみたいに、そのこと以外が考えられない。そんなところに触れてどうなるという疑問が、疑問でなくなる。その意味を頭では知らずとも体が知っている。
 ルカリオの太い腿によって割り開かれた両脚が、ジュナイパーの股を無防備にする。体の中心を指でつまむように揉まれると、痒みともくすぐったさとも違うものを感じた。初めての感覚にジュナイパーは困惑しながらも、魅了されたように意識が集中する。
 額をあわせながら、ルカリオは信じられないほどの至近距離でジュナイパーを見つめる。微塵も視線をふらつかせることなく、目を覗き続けられるその胆力を、さすがオヤブンだ、とジュナイパーは思った。
 少し、怖い。
 ジュナイパーはルカリオに抱きすくめられながら、大人しくしていた。
「気持ちいいだろ」
「え? 気持ちいい……って?」
「ココを、こんなふうにされると」
 誰にも触れさせたことのない……自分でもそれほどには触らない、排泄のための穴を指で撫でられる。自分のものとは思われない、あっ、という甲高い声が出て、ジュナイパーは恥ずかしかった。
「あ、あ、あっ……」
「ほら、濡れてきてるだろ。交尾したくてたまんねえって、体が準備しはじめてるんだ」
 ジュナイパーは敏感な部分を撫でられているのに、ルカリオの指と、焦げて縮れた毛の硬さがさほど気にならないほど、潤滑のための我慢汁が総排泄腔(そうはいせつこう)から漏れはじめている。
「き、汚いよ……」
 ジュナイパーはそれを尿や糞の類と勘違いしていて、そう言っただけだ。しかしルカリオはその言い草が頭にくる。
「汚いか? 俺たちが、野生が当たり前にやってることを、おまえは汚いって、そう思うわけか」
「で、でも、洗ってもないのに、そんなところ……」
「そうかよ」
 だったらきれいにしてやる。ルカリオはそう言ってジュナイパーを立たせた。脚のあいだへ潜りこみ、思い切り股へかぶりつく。
「ひゃっ! あ、そっ、そんなっ……!」
 急所を護る密度の高い毛並みには、ジュナイパーのフェロモンがたっぷりと溜めこまれていた。体臭と排泄物の混合物。たいして汚いとも思わず、ルカリオはジュナイパーの敏感な穴へたっぷりと唾液を塗りたくり、舌を食いこませて舐めまわす。
「ふうっ、ふう――!」
 自慰もしたことのないジュナイパーのアソコは、きわめて雑魚だった。ジュナイパーの性感帯がどうなっているのかなどルカリオは知りもしないのに、適当に舐めてやるだけで感じまくるジュナイパーは、なかなか可愛い。ジュナイパーの総排泄腔(おまんこ)を責めながら、ルカリオは勃起していた。たまらず前かがみになって逃げを打つ腰を、ルカリオは片腕を回してしっかと拘束する。逃さない。おまえがイくまでこのスケベな穴をいじめてやる。そうしながら片手では自分のペニスを扱いていた。青い毛をかきわけてそそり勃つボーンラッシュをのんびりと慰める。
「だっ、だめ、だ……! 漏れちゃう……おしっこ、出ちゃうよ……!」
 初体験のジュナイパーは、自分の感覚をそう言うしかなかった。これが尿意でないことは、なんとなく理解しながら。
「いい。出しな」
「んふっ、だめだよ、だめ、だめぇ! ひ、あッ――!」
 ふるるる――と、ジュナイパーに特有の不思議な声が、決して不愉快でない感情で奏でられた。体を丸め、ルカリオの頭にきつく抱きついて、震えあがる。ジュナイパーの、ごく少量の精子がびしゃりと叩きつけるような勢いで溢れ出すのを、ルカリオは口に受け止めた。絶頂したあとも穴の外側をくりくりと舌先でほじくってやり、吹雪に凍えるようにガタガタ震えるジュナイパーの体を最後まできちんとイかせ切った。荒ぶる息を鼻からふすふすと吐きながら、ルカリオも身を硬くして自分の手のなかへ射精した。ルカリオの絶頂も早かった。これまでのどのマスターベーションよりも快感は素早くやってきた。オス同士の盛りあいに、ルカリオは存外に興奮していた。
 腕を離すと、ジュナイパーは尻もちのようにへたりこむ。ルカリオは顔を寄せ、べえっと舌を出して口のなかのものをジュナイパーへ見せつけた。
「あう……」
 自分が出してしまったものを見せられる羞恥心に、ジュナイパーは目をそむけたかった。しかしそれが尿などではなかったことに目を奪われる。ついで、ルカリオ自身を扱いていた手のひらも見せられた。いかにもぬるついていそうな白い粘液にべったりと塗れている。ルカリオの舌に載ったものとよく似ていた。奇妙な生臭さと、すり潰れた草葉のような青臭さが洞穴にたちこめる。
「タマゴの素だ」と、ルカリオは精液をごくりと飲みこんで言った。「これをメスのなかに注いで、子どもをつくる」
「これが……こんなのが、ポケモンになるのか」
 いろいろなことがありすぎて、ジュナイパーはルカリオの言葉をそのまま飲みこむしかない。
「生命の神秘だな」
 ジュナイパーはルカリオのペニスを見下ろした。ジュナイパーに比べれば、ルカリオの射精は長い。たっぷりと血を溜めこんで真っ赤に勃起し、根元の瘤まで膨らませ、薄まった精子を地面にびゅうびゅうと吐きだし続けるルカリオのペニスを見ながら、ジュナイパーはつぶやく。
 これが神秘か。ジュナイパーの感性は変わってる。しかしそんなことよりもルカリオは、なにもわかっていないくせにすべてをわかっているような澄まし顔のジュナイパーを、ついに驚かせてやったということに、妙な爽快さを覚えていた。「こいつを抱くことでこんな気持ちになるのは、いったいどういうことなのか」と、自分の気持ちの受け止め方を考えるのに忙しかった。




「あ゛っ、あ、ああ、あ゛ッ、あッ――!」
「気持ちいいか? 気持ちいいだろ。イッてもイッてもおまんこほじるの止まんなくて嬉しいよなあ?」
 うつ伏せになり尻を高く上げたジュナイパーの総排泄腔をルカリオは後ろから執拗に手マンし続けた。とっくに精子を出して感覚が敏感になってしまった穴のなかを、指でこそぐようにゴシゴシ扱いてやると、ジュナイパーは生ぬるい水を穴から噴いて嬉しがる。びちょびちょに濡れて熱く柔らかくなり続けるジュナイパーのいやらしい穴はルカリオの指をきゅうきゅうと抱きして求愛をやめない。
 ジュナイパーがルカリオに会いにやってくるのが頻繁になった。
 いつものように温泉でばったり出会うこともあれば、その不確実さを嫌って最初から洞穴に来ることもあった。後者の場合はジュナイパーは決まって発情しており、どうしてもルカリオに抱かれたくてたまらないというときだ。
 ルカリオというのはそれなりに珍しいポケモンであり、具合のいい同種のメスにはなかなか巡りあわない。つまりルカリオのほうも慢性的に溜まっているというわけなので、発散するために盛りあう相手としてジュナイパーは都合がよかった。オス同士であり、タマゴなどできないこともまた好都合だった。ルカリオとジュナイパーの交尾というのはどこまでいっても睦みあいの領域を逸脱しない。そのことに安心する一方で、ルカリオは時折ひどく残念に感じることもあった。こいつを孕ませて俺のメスにしてしまえれば、もっとよかったと思うのに。人間の手からこいつを奪い、俺の隣こそが居場所であると教育してやれれば。そうすれば、ヤりたくなったらいつでも抱いてやれる。
 三度目か四度目にジュナイパーを抱いたとき、ルカリオは総排泄腔のにおいが変わっていることに気づいた。気づかないわけがなかった。以前のこの穴は排泄器官特有の有機物のにおいしかさせていなかった。そのなかに鼻のツンとするすえたにおいが添加されていたのだ。
 おまえ、自分で弄ってたな。ルカリオが問い詰めると、ジュナイパーはおおいに焦った。焦りながらも、素直に白状した。いつもきみに頼るのは、負担になると思ったんだよ。自分でなんとかしようと思った。でも、だめなんだ。きみにしてもらうほうがずっといい……
 それはジュナイパーの翼では満足のゆくマスターベーションなどできないという実際的な問題でもあったが、同時にだれかに抱かれることと一匹の自慰とでは充足がまるで違うという心情的な感傷でもあった。身悶えするような交尾への欲求を自分に委ねられるということが、ルカリオにとって悪い気分にはならなかった。だったら好きなだけイかせてやろう。俺に抱かれたいと思ったことを後悔したくなるくらいいじめ抜いてやろう。それでもジュナイパーはやってきた。どんなふうにいじめても嫌がらず、ジュナイパーは次を求めた。ルカリオの、野生がもつ無遠慮さが著しい交尾に、ジュナイパーは夢中になった。
「こっちもほじってやらねえとな。おまえ、好きだろ?」
「やっ、あっ! だめ、だ、あ゛っ、あ゛ッ!」
「だめじゃねえよ。前も後ろもいじめてもらえて嬉しいくせによ」
 最初は前の穴だけだったのが、どんどんエスカレートしてゆき後ろの穴も使うようになった。総排泄腔のなかで枝分かれするふたつ管の、両方に指をねじこんでぐちょぐちょにかき回すと、ジュナイパーはぴいぴいと甘え声をあげる。うねる肉壁が激しく蠢いてルカリオの指を強烈な吸引のように締めつけて、これが好きだと明快なしるしを送ってくるのだ。
「ひ、ぎッ――! い゛っぢゃう゛! イッ、ぐうう――!」
「我慢してんじゃねえよ。おら、イけ。イくことだけ考えろ。両方ともガバガバにしちまうぞ?」
「や゛あ゛あ゛ッ!! あ、あ゛――ッ!!」
 指を絞るように狭まりキツくなる前後の穴を、強引に拡げて揺さぶり、攻撃し続ける。弱点を突き、ダメージを与え、叩きのめす。どちらが上か、どちらが強いのか、徹底的に、完璧にわからせる。
 まっすぐにピンと伸びた脚が跳ね、ガクンガクンと尻が突きあがる。擦れて混ぜられた精子が白く粘ついた泡になって締まる穴から引きずり出され、じょろじょろと止まらない潮噴きによって洗い流される。
「しぬッ、しんじゃ――! もおッぎもぢいのやめでえ゛え゛!」
「どこが気持ちいいんだ? ちゃんと言え」
「おちんちんッ――お゛っ、お゛――おしっこのあなっ、うんちのあなっ! どっちもおッ、どっぢも゛ッ! いっでる゛ッ!!」
 排便の予兆のように持ちあげられたままの尾羽がブルブル震えている。ふだんは折り畳まれている両翼が限界まで拡がり、体じゅうの毛がすべて膨らんで平時のジュナイパーよりもずいぶんと大きくみえた。その尋常でないようすからジュナイパーが感じている快感がどれほど強いものかを知り、ルカリオは至上の愉悦に舌舐めずりする。
「じゃあもう入れてもいいな?」
 返事も待たず、水と空気が混ざったじゅぼっという音を立てて指を抜く。ジュナイパーがびくんと波打って体を強ばらせているのもかまわず、仰向けに転がした。
「はっ、はあっ――! ま……まっ……」
「待たねえ」
 本来、ものを入れるようになどできていない生殖器である。たっぷりと弄って気持ちよくさせてからでなくては挿入できない。それでも最初は痛がっていた。回数をこなして太いものにも慣れてきたか、最近ではたいして痛みもしないようだが。
「ッ――!!」
 ぴいい、と高く鳴くような声と、空気の抜けるような音がいっしょくたになった、独特の矯正が小さな洞穴にわんわんと反響する。
「いっ、ててて……すげえ締まりだな。ねじ切れちまうぜ」
「ひ……いッ……ゆ、ゆっ……くり……」
「へいへい。じっくり味わいな」
「あ゛ッ――お゛おお゛……っ! 奥っ、お、ぐ、う……!」
「わかってるって。深ぁくぶっ刺されるの、好きだもんな?」
 細く縮まって拒むような肉穴に、粘液の滑りを借りてジリジリと勃起したペニスを埋めてゆく。わななく両足の鉤爪をルカリオが握ると、ジュナイパーも強く握り返してくる。尖った尖端が手の甲に食いこむが、その痛みくらいルカリオにはどうでもよかった。
「ほら、コブまで入っちまうぞ?」
「はあっ、はあッ!! あ、あっ、当たって、る……!」
「俺のちんぽのことだけ考えろよ。ほお、ら――」
「お゛ッ――!! がッ――!!」
 ぐっ、と腰を押しつけて自然と飲みこむのを待つ。みっちりと拡がった肉の輪が、亀頭球のもっとも太い部分を包みこんだとき、残りの根元までがずるりと吸いこまれた。ペニスを丸ごと熱い粘膜に包まれる快感に、さしものルカリオも息を詰まらせる。太いものを体に詰めこまれたジュナイパーも、空気を求めて喘ぐようにくちばしを開かせていた。
 ルカリオはジュナイパーに覆いかぶさり、くちばしを咥えた。空気を送りこみ、呼吸を思い出させる。
「かふッ、は……はひッ……!」
「ちゃんと息しねえと、本当に死んじまうぞ?」
 ルカリオの亀頭球が、ジュナイパーのイイところを強烈に圧迫する。体の前側、総排泄腔の浅い部分を腹に向けて押しあげたあたり。たくさんの感覚が束になった生殖突起の根元を内側からゴリゴリと摩擦されると、ジュナイパーは泣いて失禁しながらよがるのだ。
「ほら……どうだ。気持ちいいか?」
 瘤が穴を塞いでしまい、出し入れできない。それでも、腰をくねらせて体を軽く揺するだけでもジュナイパーは快感に打ち震える。
「き、きもちぃ……いくう……」
「俺も。なんもしなくてもイけそうだ」
 度重なるオーガズムをもたらす熱くて太いものへ夢中になって貼りついてくる肉壁は、千枚の舌がペニス全体を舐めまわすような快感だ。このときの、オスの快感をわかちあう至福を、ルカリオは力いっぱいジュナイパーを抱きしめて味わいたいと思う。胸のトゲが邪魔だと思う。なにを気にすることもなく抱きしめあう気持ちはどんなだろう? それはルカリオがおそらく生涯でただの一度も体験することのない幸せなのだ。
「ん゛ん゛ん゛……ん゛ん゛――ッ!!」
 ジュナイパーは半ば白眼を剥きながら、強さの増減を延々繰り返す長いメスイキに引きずりこまれる。バーティゴ――空間識失調による浮遊感で全身があらゆる方向へ引っ張りまわされるようなめちゃくちゃな感覚のなかで、ジュナイパーの側もルカリオに抱きついてしまいたかった。頭がどうにかなってしまうほどの莫大な快感の渦には、純粋なおそれがあった。ジュナイパーの翼が体を引き寄せようとするのを、ルカリオは拒む。こんなトゲが刺さったら、ジュナイパーは死んでしまう。ジュナイパーはぴいぴいと切なげに鳴く。どうしてルカリオは私を抱きしめてくれないのだろう? 体をめちゃくちゃにされて、私はこんなに怖いのに、どうしていっしょにいてくれない? ルカリオもできるものならそうしているということが、ジュナイパーにはわからない。 ルカリオの腕に頭を擦りつけ、わけもわからず毛並みをグルーミングする。甘えきったジュナイパーの体のなかで、オーガズムはもはや全容が把握できないほどに広がり、深まり、うずたかく重なってゆき、ある瞬間を境に、ジュナイパーを容赦なく叩き潰した。
「うっ……あ゛――ッ! お゛――ッ!! お゛お゛お゛ッ――ッ!!」
「あーあ、キちまったな」
 ジュナイパーの高い体温に包まれるルカリオのペニスが、快感だけを置き去りにして局所的に存在感を喪失させる。それはまるで結合部で互いが溶けあってひとつになってしまったかのような錯覚であった。体質的には、ジュナイパーのほうがルカリオよりも明確に体温が高い。しかし今、その部分に限っては二匹はまったく同じ温度で、高温だった。自分の体が自分のものでなくなるという所有権の不思議な喪失感を、ルカリオはむしろ求めた。ジュナイパーを占有してしまいたい逆説的な欲求が、灼熱のように胸を焦がす。くちばしごと咥えこむようなやり方で、頭がオーバーヒートしかけているジュナイパーと、とろとろと舌を絡ませた。抜き差しできず、結合部でくっつきあった二匹が緩慢に腰を揺らすと、どちらにとっても激しい快感があった。長いペニスが体の奥深くまでブッ刺さり、パンパンに膨らんた亀頭球がぐりゅぐりゅと内側を引っかく壮絶な感触。ルカリオのペニスの形に馴染んでしまい、熱で溶けてしまったような粘膜はメスの穴となってひとときも離れようとしない。互いが互いの快感を扇動し続ける理想的な交尾のなか、灰色の吹雪の空を暖かな太陽の陽射しが断ち割るような劇的な生じ方で、やがてルカリオに射精感がこみあげる。
「フーッ……なあ、ジュナイパー。俺、イくぞ。おまえの、なかで」
 ジュナイパーは口頭での返事をしなかった。何度もやってくる絶頂の波は、ジュナイパーをいつまでも甘やかす。全身が蕩けてゆくような緩慢な快感と、脊椎に火花が散って腰が砕けてしまいそうな激しい快感。ふたつの絶頂に、高らかな戦慄と、オスくさい咆哮を交互にリピートするはしたない喘ぎ声をとても中断できない。ジュナイパーには余計なことはなんにもわからない。ルカリオが、自分のなかで射精したがっていることの、えもいわれぬ幸福に、どのような反応をするのが正しい態度であるのか、そんなものは……難しすぎる。
 力強い抱擁が許されないぶん、ルカリオはジュナイパーの翼を握って地面に縫い止め、太い腿にジュナイパーの体を挟みこみ、先の曲がった鉤のような尻尾でジュナイパーの尾羽をかっさらい、くちばしごとジュナイパーの舌を吸いあげた。ほかにも、ほかにも、触れさせられる部分がどこかに残っていないだろうか……俺たちが限りなくひとつになってしまうために、できることはなにかないか……そんなことを考えながら、ルカリオは射精した。いつまでもいつまでも、ジュナイパーのなかに残留できるような奥深くにまで注ぎこまれればいいと願いながら、鋼のように硬く張り詰めた真っ赤なペニスを、さらにひと回りむっくりと膨らまし、限界までジュナイパーの体の底へと押しこまれた状態で、びゅうっ、ぶびゅっ、びゅうううっ、と濃厚な白いものを最初に噴きあげる。口づけたまま、ルカリオは鼻にかかった控えめな雄叫びをあげ、それはジュナイパーの嬌声と混じりあった。ルカリオの放つ粘りついた半固形の精子を押し流すかのように、水分の増した薄い精液がさらに中出しされる。狭くきつい尿管のなかにバシャバシャとザーメンを吐き出されて逆流してくる感覚が、もはやジュナイパーには快感と幸福以外ではありえなかった。このオスの吐き出すものが、総排泄腔の内部に余白など残さぬような勢いでジュナイパーの腹を満たしてしまう。これ以上などないほどに生殖欲求が満たされ、感極まって熱くなる目頭からボロボロと大粒のしずくが流れ落ちてゆく。その顔をルカリオが見つめている。目元まで垂れ下がって顔を隠している赤い羽を手でかきあげて、タマゴから産まれたばかりの雛のように弱りきって頼りなさげに瞳を揺らすジュナイパーの表情を、ルカリオは口づけるのをやめずに見ていた。





 こいつといると、雪や寒さなど平気になってしまうなということに、ルカリオは気がついた。
 なんということはないのである。温泉に入れば芯まで体を温めるし、洞穴に帰れば炎のように盛りあうのがこのところのルカリオとジュナイパーだった。すこしばかり雪のなかを歩いたところで、二匹の体温に底冷えは到達しない。
 そういう次第で、ルカリオとジュナイパーが鬼氷滝の崖上から凍土の眺めを一望していても、すこしのあいだくらいなら凍えずにいられるのだった。
「すごい場所だね」と、ジュナイパーは言った。
「雪と氷と岩ばっかりだ」と、ルカリオは返した。
「だけど、きれいだよ。それに、ほら。星や月がこんなに近い」
 行く手には氷塊と岩山。背後には雲のかかったテンガン山。なにが悲しくてこんな場所に生まれねばならぬのかと不運を嘆きたくもなるが、なるほど見あげれば星空と三日月だけは美しかった。
 空とか風景を適当に眺めながら、コトブキマフィンというジュナイパーが持ってきた焼き菓子を二匹で口に運ぶ。それは純白の凍土で手に入るどのような食い物でも再現不可能な、ふんわりとした舌触りのなかにしっとりとした甘さのある、けっこう食いごたえのある甘味であった。ルカリオはこんなものを食べてしまったら、今後ほかのものをまともな顔で食えなくなってしまうと思いながら、夢中で食っていたらいつの間にか一個が消えていた。幸い、ジュナイパーが紙に包んで持ってきたコトブキマフィンは五個あった。ジュナイパーが一個食ったので、残りは三個もある。
「おまえ……いいモン食ってんだなあ。俺も人間に捕まりてえよ」
「いつも食べてるわけじゃないよ。主人がね、今日は記念日なんだって言って、たくさん作ったんだ」
「記念日」と、ルカリオは言った。
「バレンタインデー、なんだって」と、自身も言いなれないその言葉を、ジュナイパーは伝えた。「本当はちょこれーと……とかいうものを作るらしいんだけど、材料が手に入らないから、コトブキマフィンにしたみたいだ」
「甘いモンを作って、たらふく食う記念日なのか? そりゃあ贅沢だ」
 ジュナイパーは笑ってかぶりを振る。ルカリオはこのところ、ジュナイパーのこういう顔に安心感を覚えるようになった。ルカリオがなにをしても、なにを言っても、あたたかく見守る構え。どんな流れにもってゆこうとも、ジュナイパーが合わせてくれる確信と安心は、ルカリオがすこし卑怯だと思うくらいの余裕ぶりである。
「特別な誰かにお菓子をプレゼントして、気持ちを伝えるという日なんだよ」
「ふうん」
 言外にされていることの意味を、わざわざ口にしない分別がルカリオにはある。しかし、それを明確にしてほしいと願いたい気持ちも半分くらいは本当だった。俺は、おまえの特別なのか、と。
「バレンタインはね。私の主人が、元いた場所の風習なんだ」
 それなりに重要そうなことをジュナイパーは言っていたと思うのに、そそくさと話を続けてしまう。その顔が存外に真剣なものだから、問いただすかどうかは後にして、ルカリオはとりあえず続きを促すために尋ねた。
「元いた場所って?」
「うん……」
 自分から話しだしておいて、ジュナイパーは口が重そうに間を持たせる。空を見て、ルカリオを見て、また空を見た。
「あの裂け目」
 空が――晴れたり曇ったりすることはあっても、壊れることなど夢にも思われないはずの空が、割れて砕けたかのようにばっくりと裂けている。ある日、ヒスイの上空に突如現れた空の裂け目。ジュナイパーが言うには、その裂け目から降り注いだ雷に当たって、各地のキングが暴走したらしい。純白の凍土のキング・クレベースも雷を受けていた。しかしルカリオの目にキングはいつもと変わりないように思えた。山のような巨体でゆっくりと凍土を巡り、ときおりルカリオの前にも姿を見せては、けっこう柔和なまなざしをひとしきり浴びせて去ってゆく。あの巨体であるから、雷の一発や二発ではなんともないのだろうと思っていただけに、ジュナイパーの話を聞いてルカリオは驚いた。
 心配はいらない、とジュナイパーは言った。キング・クレベースはジュナイパーの主人が鎮めたそうだ。
「私の主人はね。あの裂け目からやってきたんだ」
「は……はあ? 人間が、あのやべー裂け目から?」
「うん。間違いない。私は見ていたからね。あのとき私はまだモクローだったけど、主人は、確かにあの空からやってきた……」
 ヒスイにやってきた主人の目的は、すべてのポケモンと出会うことだという。光ったり暗くなったり、文字や絵が現れたりする不思議な道具――アルセウスフォン――を通じて、主人は何者かに伝えられた。すべてのポケモンに出会え。
「主人はおそらく、こことは違う世界から来たんだよ。あの裂け目の向こう側に、私たちのこの世界とは別の世界があるんだ」
「違う世界?」と、半ば虚仮にするふうにルカリオは繰り返した。
「そうとしか思えない」ジュナイパーはルカリオが茶化すのも取りあわずに言った。「私の主人は……最初から、ポケモンについてかなりのことを知り尽くしていたんだ。出会うポケモン、ほとんどの名前を知っていた。タイプや性質を理解して、常に有効なポケモンを繰り出して戦った。特別な方法や、特別な道具を使って、次々にポケモンを進化させた……」
 ただの少女だという。ジュナイパーと主人が拠点とするコトブキムラで暮らしている少年少女たちと、なんら変わらない人間のように見える。それほど成熟しているようにも思われない人間が、組織だってポケモンを調査しているギンガ団でさえ知らないような知識を、網羅的に知っている。
「主人は先日、どうやら、ヒスイに棲むすべてのポケモンと、出会い終わったようなんだ」
 ルカリオは、そうなのか、としか思えない。あまりに突拍子のない話である。信じるも信じないもなかった。
「明日の朝、私たちはテンガン山に行くことになると思う」
「テンガン山……」
 ルカリオは背後を振り返る。凍土の岩山などほんの子どものように思えるほどの、天を衝く、とてつもなく大きな山だ。
「あそこでなにと出会い、なにが起こるのか、まったくわからない。だけどすくなくとも……すべてのポケモンに出会うことを、私の主人は、元の場所に帰る手がかりだと考えている」
 そこまで聞いて、ルカリオはジュナイパーが言いたいことがわかる。
「それじゃあ、おまえも……」
「うん」と、ジュナイパーは言った。「私は、戻ってこられるのかどうか、わからない……」
 久しぶりに、あの目を見たと思った。ルカリオの、野生のポケモンの生を哀れむあの目を、またジュナイパーがしていると。しかし、それは見た目が似ているというだけだった。今のジュナイパーはルカリオを哀れんではいなかった。ジュナイパーの目にはただ切実な悲しみが満ちていた。今夜、二匹の別れは二度と会うことのできない決定的なものになるかもしれない。ジュナイパーはそれを悲しんでいるだけだ。
「バレンタインデーなんて……コトブキムラでは誰も知らないんだよ。私も詳しいことなんか知らない。でも、すくなくとも気持ちを伝えたい特別な相手というのは……私にとっては、きみ以外にありえないと思う。だから……巻き添えだというのを覚悟して、言わせてほしい」
 なんだ、とルカリオは言った。かたちとしては、尋ね返した。しかし実のところ、ジュナイパーが口にしなくとも想像はついていた。想像がついたから、自分がだいたいどういうふうに返すのかも、なんとなしに思い浮かぶのだ。
「いっしょに行かないか?」
 ――行かない、と。
 この別れが生き別れになるかもしれないことをわかりながら、俺は、ジュナイパーを見送るのだと。
「悪い」と、ルカリオは言った。ジュナイパーが余計に悲しむと思いながら言った。「俺は、行かない」
「だめか?」困り顔でジュナイパーが笑う。「きみに会えなくなるのは、寂しい」
「そりゃあ、まあ……でも、群れのやつらを放ってはおけねえよ。関わる命の数が、違いすぎる……」
「そのとおりだ」困り顔のまま、ジュナイパーは頷いた。「本当は、望み薄だとは思ってたんだ。仲間をほったらかしにして、自分たちだけが幸せを貪るなんて……そんなきみを、ちっとも想像できなかった」
 肩に体重をかけられる。見た目ほどには重くないジュナイパーの体重など、ルカリオにとっては腹筋の力だけで支えられる。それでも視界は徐々に傾いた。ばふ、と雪に倒れると、体温が預けられた。
「重くないかな?」
 そして、なんかデジャヴ。
「ねえ、ルカリオ」
「あー……ああ、重くねえよ」
「よかった」
 でも退けよ、と言ってみたかった。二匹に次があるのなら、そういうふざけ方も悪くない。でも最後の時間に相手の機嫌を損ねる必要はまったくない。
「私の……」呟いて、ジュナイパーに抱きしめられる。
「へいへい、おまえのだよ」
「うん。私は信じてる。もう会えないとしても、私は、私たちの気持ちがいつまでも変わらないと信じたい。だから行くよ。ほんの子どもなんだ、私の主人は。キングを鎮め、あらゆるポケモンを使役しようと、突然、家族とも友達とも引き離されて、ヒスイに連れてこられてしまった、ただの人間の子どもだよ。守ってあげなくちゃならない。彼女が私を元の世界に連れてゆきたいと言うのなら、私はいっしょに行こうと思う」 
「わかったよ」
「はあ、なんで私たちはオス同士なんだろう。せめて子を産んで忘れ形見にでもできたらよかった」
「おまえがメスだったら、到底動けねえくらいひっきりなしに孕ませてやってたさ」
 けらけらと笑いあう。それからはもう、別れのことなど忘れたようにくだらないことを言っては笑いあった。雪の冷たさに体が冷えると、洞穴に場所を移して笑いあった。ずっとそうしていた。東の空の色が淡くなってゆくのに月が紛れて見えなくなってしまうまで、二匹は互いを疑うことなく、心から信じていた。




 まだリオルだったときは、多少、体が大きいくらいのものだった。ルカリオに進化したのは、当時の群れの頭をやっていた、エレキブルのじいさんに稽古をつけられていたときのことだった。
 それまでは、ほかの弱小ポケモンたちの例に漏れず、最低限の食い物さえあれば満足していた。不満を認識できなかった、と言えばより正確だ。
 群れのなかでも、縄張りを仕切ったり餌場を管理したりと活躍するポケモンがいることくらいは知っていたし、あんなふうに強くて頼りになるポケモンがちょっと羨ましいと思うこともあった。でもそういうのはある才能に恵まれたポケモンが、さらにうんと訓練を積み重ねた結果であり、自分などには程遠い話だと思っていた。やはり、身分相応の生活に満足していたのだ。
 今日も元気で、無事にありつけた食い物は旨い。それ以上は望むだけ残酷だ。
 そう思っていた、まさにその矢先。
 今まで感じたことのない力がみなぎるのを感じながら、全身が光を放った。みるみるうちに体が作り替わり、強大に膨れあがり、光が治まったときには、もうずいぶん長いこと前からそこにいたように、そこにルカリオは存在した。ゾロアークにでも化かされたのかと思ったルカリオはあたりを見回したが、ゾロアークはおろか、自分にきのみを食わせていたエレキブルのじいさん以外のポケモンはどこにも見当たらなかった。
 進化――その現象だけは知っていた。()()が、()()なのか。
 凍土の中心に横たわる氷塊のように巨大と見えていたじいさんのことも、ルカリオはそれほどの差を感じなくなっていた。ルカリオはその場でじいさんに手合わせを頼み、その場で打ち負かした。そのときの、バクバクいう胸の高鳴りも、ごくりと硬い唾を飲んだ音も、はっきりと覚えている。
 俺は、この鬼氷滝で最強のポケモンになったのだ。
 そう認識した瞬間、ルカリオの思考はたったひとつのことで埋め尽くされた。
 ()()()()()()()()()()()()()()
 凍土を守護するキングのように。
 あちこちで縄張りをシメる強大なリーダーたちのように。
 この場所を拠点に、力を整え、基盤を作れれば……群雄割拠、文句なしで特別な、雲の上の連中がしのぎを削る場所に、飛びこめるかもしれない。行動と実績が、そのまま歴史となるその場所に、この、俺が。
 鬼氷滝のオヤブンとしてのルカリオの、その瞬間が始まりだった。 




 ジュナイパーを見送ったその日の夜、空から裂け目が消えた。どこがどんなふうに裂けていたのか、思い出せなくなるほどすっかり元通りの星空だった。
 あるとき、ルカリオはジュナイパーといっしょに時空の歪みを見た。そのときも、別に目的もなくぼうっと凍土を眺めていたのだ。すると視界の一角にドーム状の力場が現れた。すこし前から前触れもなく、凍土のあちこちに現れる。ルカリオは、あれはなんなんだと尋ねた。ジュナイパーは、時空の歪みと言った。あのなかには通常ではありえないような種類や強さのポケモンが現れると説明された。時空というのがどういうものか、ルカリオにはわからない。しかし鬼氷滝に時空の歪みが現れて、ルカリオが偵察に向かったとき、そこには四足の、炎のたてがみをもったポケモンがいた。見るからに純白の凍土に存在するはずのないポケモンだった。茂みに身を隠しながらルカリオがそいつを観察していると、力場は竜巻のような渦になって消えた。見たことのないポケモンもいなくなっていた。あんなふうにわけのわからないやり方でポケモンが出たり現れたりするくらいなのだから、このヒスイでは別世界から人間のひとりやふたり、やってきてもおかしくないのかもしれないなと、ルカリオはそういうことをぼんやりと考えて、考えていたら夜だった。気づけば空の裂け目など、もうどこにもなくなっていた。
 ジュナイパーは、人間といっしょにヒスイの各地でキングを鎮めたと言っていた。黒曜の原野のバサギリ、紅蓮の湿地帯のドレディア……俺はもし、この純白の凍土でキング・クレベースが荒ぶったとしたら、それと同じことができただろうか。空の裂け目、そこから落ちた雷、荒ぶる強大なポケモン……そんな、わけのわからないことに立ち向かい、解決する勇気を持てるだろうか。
 最初のころこそ、ルカリオには多少の野心と優越があった。しかしオヤブンなどと言われてふんぞり返ろうにも、ルカリオにとって大切なことのほんどは、エレキブルやガブリアスが教えてくれたものだった。ただ力こぶがデカいだけ、生存競争のなんたるかをまるで知らないルカリオに、知識を与えてくれたのはエレキブルであり、ガブリアスだった。真実、自分の力で掴みとったものなど、長のポジション、それひとつきり。それだって手助けなしには維持もできなかった。涙が出るほど、ありがたかった。
 俺では一生かかっても、鬼氷滝を平和な楽園にはできそうにない。
 特別という意味でいえば。俺よりもジュナイパーのほうがずっと特別なことを為し遂げているだろう。
 そのことには、薄々気づいていた。でも気づいたときには、そんなことはあまり重要じゃないと思えるようにもなっていた。そもそもルカリオがジュナイパーを嫌っていたのは、ジュナイパーが隠そうともしない余裕と、その無防備な幼さが起因していた。しかしそれは互いの環境が違うというだけのことであり、いっしょにいればそのうち気にならなくなってしまう程度の違いなのだった。思えば俺たちは、お互いのことをあまり知らない。だから最初の十回くらいは、その違いが大きく見えていたかもしれない。しかしそれが百回……二百回……ルカリオとジュナイパーが会う回数を重ねてゆくごとに、二匹は互いの知識を共有し、違いを埋めてゆけただろう。そして違いを認めるだけではない。そこには二匹だけの感情や経験があり、互いの世界を豊かなものへ育ててゆくのだ。しまいには最初に存在した「差」など相対的にちいさなものになり、どうでもよくなるに違いない。そのことを理解したとき、ルカリオは初めて、ジュナイパーのことをとても愛おしく感じた。そのようにして、時々いっしょの二匹で生きてゆけることを無根拠にも信じられた。
 最初にジュナイパーを抱いたとき、ルカリオは思った。
 こいつがどんなに余裕ぶって世間知らずだろうと、俺はもうこいつを嫌いにならない。
 俺は哀れまれるような不幸を生きていない。人間の元で豊かに生きているこのジュナイパーに、こんな顔をさせられるくらい、俺は無力なんかじゃないのだ。まったく太刀打ちできない相手じゃない。俺たちは対等だ。
 そう思っていたのは、ルカリオの側だけだったかもしれない。あるいは、ジュナイパーも同じことを信じてくれていたかもしれない。しかし現実には、二匹の見ているものは、あまりにも違いすぎた。
 心配だ。
 あいつはあの空の裂け目の向こうに行ってしまったんだろうか。主人とともに、その先の別世界に辿り着いて、元気にやってゆけるだろうか。この場所にいるわけがないポケモンだと言われて、いじめられはしないだろうか。
 もう、二度とこの凍土には現れないのだろうか。
 永遠の別れ。それ自体は構わない。ルカリオはジュナイパーといっしょに行かなかったことを後悔はしなかった。後悔は別にところにあった。ルカリオは、ジュナイパーがマフィンをくれたバレンタインデーに、自分の気持ちを伝えていなかった。
 あいつが俺を特別だと言って選んでくれたなら、俺にだって特別なポケモンはあいつでしかありえない。
 いつの間にか、あいつが来ない日々は灰色になっていた。次はいつ会いにくるんだろうと待ち焦がれるばかりの日々だった。ひょっとしたら、温泉には行ったけど俺のところには来なかったのかもしれない。そう思って、ルカリオが温泉に行くこともずいぶん増えた。湯に浸かりながら、やってくるポケモンたちをいちいち目で見て確認した。ジュナイパーが来るんじゃないかと。そんなルカリオをガブリアスはこうからかった。「いったい誰を待ってるんだ?」。言わずもがなだと思うから無視をした。ガブリアスも、ルカリオがこんなふうに待つのはジュナイパー以外にないとわかっていたから、みなまでは言わなかったのだろう。そうして本当に会えた時は、一日じゅう幸せでいられた。それくらい、きわめて単純にしていればよかったのだ、俺は。
 好きだ、と言ってしまえばよかった。
 おまえこそどこにも行くな、俺のところにいろと引き止めてみればよかったのだ。断られてもかまわなかった。大方、断られたであろう。でも言うだけ言って挑戦しても損はなかった。俺はおまえのことが大好きなんだ。おまえがどこにいても、ずっと愛してる。単純でもなんでも、ただ伝えるだけでよかった。
 ガブリアスの受け売りを、結局は活かせなかった。なにもわかっていないのは、ルカリオのほうだった。
 ジュナイパーのことを考えながら、コトブキマフィンはあっという間に食ってしまった。あんなに旨い食い物だったのに、ぼうっと食ったからたいして味もわからないまま、気づいたらなくなっていた。洞穴には包み紙だけが残っていた。もったいないとルカリオは思った。気が狂いそうなほどにもったいない思いをした。野生のルカリオには、もう二度と食えないかもしれないものだ。ジュナイパーが主人からもらって、お裾分けしてくれたコトブキマフィン……
 俺はもう、おまえに会えないのかもしれない。
 仮に会うことができたとしても、俺はバレンタインデーにプレゼントできるような特別なものを、なにひとつ持ちあわせちゃいない。この凍土のどんな獲物を狩ってご馳走にしたって、あのマフィンの旨さにはかなわない。俺が手に入れられるものなんて、おまえにだって簡単に手に入れられるだろう。それでももし、もう一度おまえに会えなら、俺は正直に言いたい。おまえが好きだ。愛してる。次に会えたら必ず言おう。そうして、俺に差し出せるものがあるのなら、それがなんであれそっくり差し出そう。でも、おまえのところに行くにはいったいどうすればいいんだ?
 雪が降っている。なにもかもを凍りつかせ、覆い隠す雪が降る。ジュナイパー……おまえのところには雪が降るんだろうか。きれいなところだろうか。主人や家族はやさしくしてくれるだろうか。俺はおまえが会いにくるかもしれないと思って、そのときに洞穴が空っぽだといけないと思って、今日いちにちだけで全身が筋肉痛みたいになっている。こんな体のときは温泉に浸かりたいと思うのに、おまえとすれ違うのが怖くて、洞穴から出てゆく勇気が持てないんだ。
 そのとき、風切り音がした。幻聴でもなんでもなく、その音は空気の振動としてルカリオの耳をたしかに震わせた。慌てて洞穴を飛び出し、辺りを確認した。崖の上を下を、前後左右を、ぐるぐる、ぐるぐると、何度となく振り返りながら雪の合間に目を凝らした。
 そうして見つけたのは、クロバットだった。鬼氷滝の上空を過ぎ去り、遠く遠くへ飛んでゆく。ルカリオが聞いたのはクロバットの羽ばたきだった。
 自分の馬鹿馬鹿しさに笑ってしまった。はは、はは、と笑いながら、ルカリオは膝を折る。無性に笑えてしまってしかたない。そういえば俺たち、別れた日もずっと笑っていたっけな。
 ひとしきり笑ったあとで、ルカリオは泣きはじめた。俺はほんとうに馬鹿だ。そんなことを思うのは初めてだったが、俺はどうしようもない馬鹿だったのだ。ルカリオが自分の考えの至らなさに困らされたことは、さほど多くはなかった。多くの場合、それは足りないだけの経験を積むことでフォローが可能だった。しかし自分で言ったことを実行できないのは馬鹿の極みだ。経験の伴わない智慧。おれはおまえといっしょだと、誰といるより、どこにいるより、安心感でいっぱいになってしまうというのに、おまえの前に出ると、どういうわけか素直な言葉が出てこなかった。馬鹿野郎、馬鹿野郎……
 伝えたい。伝えたいというこの想い。それだけを俺は大切にしていればよかったのだ。その想いだけが、悲しみも、喜びも、不安も、臆病も、未来も、過去も、真実も、嘘も、なにもかもを蹴散らして永久に絶対的の価値を有するものであった。
 ジュナイパーはもういない。どうしていないのだろう。俺がキング・クレベースからどれほど強力な加護を授かったところで、もう、おまえの翼に触れることすらできはしないのだろうか。それでもルカリオは、これまでのどの瞬間よりも強くジュナイパーを感じてる。かつてないほど正直に、とてもクリアリーに、ルカリオはジュナイパーの存在を感じていた。雪が降っている。雪が降っている。なあ、ジュナイパー、ほんとうにごめん。おまえが勇気を出していっしょに行こうと俺を誘ってくれたように、俺も勇気を出すべきだった。俺は、おまえのことが、好きだった。
 この雪はどれだけ降り積もるのだろう。ジュナイパーがそう言ったことがある。人間の伝説では、四十日間、世界に雨が降り、舟に乗った生き物以外のすべてを滅ぼしたというのだ。少なくとも、この雪は四十日間、降り積もりはしないだろう。ここは世界の終わりではない。たとえば、ジュナイパーの主人が未来からやってきたとすれば、今日も明日も、このヒスイの台地は無事に残っていなければならない。
 雪が降っている。なにもかもを凍りつかせ、覆い隠す雪が降る。雲の向こうに陽が昇り、薄暗闇の朝の気配がやってくる。泣き暮れるルカリオの元にも明日というものは訪れる。ジュナイパーがいない雪空の下、やがて雲は流れ、暖かな陽射しを覗かせるだろう。そのとき、ルカリオの前には乱反射する白く眩い世界が現れる。そうして届かない想いを胸に、ジュナイパーがいない一日が始まる。



 

 バレンタインといえばルカリオですね。そして今年もジュナイパーが熱いです。
 あとはDLCでもなんでもいいのでヒスイクリムガンもお願いしますすぐでいいよ! でも追加進化とかはやだなあ。強くなったらクリムガンじゃねえんだよなあ……

 



 

 


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Last-modified: 2022-02-16 (水) 01:38:14
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