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ルカリオとガオガエンでバレンタインネタを本気出して書いてみた

/ルカリオとガオガエンでバレンタインネタを本気出して書いてみた
本作は♂同士の恋愛・性的描写を含みます。





「いらっしゃませ! ワットショップです」
 ルカリオは巨人の寝床から雪中渓谷へ至る山道に立っているリーグスタッフを訪ねた。カンムリ雪原のあちこちの巣穴から(ワット)なる通貨を集め、わざレコードと交換するためだ。
 カンムリ雪原で唯一のこのワットショップへ、ルカリオはこの数ヶ月、何度も足を運んでいる。トレーナーを伴わず、いつも一匹でやってくるポケモンが珍しいのだろう。リーグスタッフはルカリオのことをすっかり覚えていて、今では顔馴染みになっている。ルカリオがやってくると、何を伝えることもなく商品を見せてくれるようになっていた。
 ルカリオは商品の中から最も高価なわざレコード9「かみなり」を選び、手持ちのWで購入可能な分だけ交換した。
「はい、どうぞ!」
 わざレコードを買い求めたルカリオは次に、この店員とのあいだでだけ通じるジャスチャーをして、今日の目玉商品が何か尋ねた。
「今日の目玉商品は……サンのみ! はやいもの勝ち、お値段たったの1980W!」
 お決まりの謳い文句にルカリオは頷き、サンのみの購入も決める。
「お目が高い! お買い上げ、ありがとうございます」
 ルカリオは買ったものをリュックサックにしまった。立ち去る際、リーグスタッフは律義に「また、よろしく頼みますよ」と言った。いつ来ても、このスタッフの対応はトレーナーに対するものと変わらない。ルカリオのことはトレーナーのお使いとでも思われているのかもしれなかった。
 買い物を済ませたルカリオは、次にフリーズ村を目指した。行商人にわざレコードを売るためだ。売った金で食料や消耗品を買い、日々の蓄えとする。
 通貨という概念を当然のように理解しているこのルカリオは、カンムリ雪原へやってきてからの数ヵ月間、そのようにして生計を立てていた。ただし、望んでそういう暮らし方をしているわけではない。ルカリオが生きてゆくためには、それしか方法がなかったのだ。
 言うまでもないことながら、ルカリオにはトレーナーがいた。彼らの出身はイッシュ地方。イッシュの各地を冒険し、カロス地方やホウエン地方、アローラ地方の旅を経て、ガラル地方にあるこのカンムリ雪原まで、長い年月を共にしたトレーナーだった。別に凄腕というほどのトレーナーではない。あれはランクバトル専門のトレーナーで、どちらかといえば冒険そのものは目的としていなかった。ジムチャレンジや島めぐりにも、それほど関心がなかった。ルカリオが経験した旅というのはあくまで、イッシュでは出会えないポケモンをゲットし、バトルの戦術を広げるためのものだった。それでも主人とあちらこちらを旅して回るのは楽しかったし、新たな仲間たちとランクバトルを戦う日々は充実を感じた。勝利も敗北も、山ほど経験した。環境によってランクバトルに挑むパーティは入れ替わり、色々なポケモンと色々な戦術で戦ってきたものだが、ルカリオはいつのときもパーティの軸だった。持ち物を変え、技を変え、特殊な訓練によって能力を調整し、ルカリオは常に相棒として戦い抜いてきた。世界に名を馳せることは叶わないまでも、そういう生涯を共にしたトレーナーだった。イッシュにいた頃からずっと一緒にいたトレーナーだった。主人であり、友だった。ランクバトル界隈では完全に無名のトレーナーではあるが、ルカリオにとってはたった一人の、かけがえのない人間だった。
 あいつは今、どこでどうしているのだろう。
 生きているのか、死んでいるのかもルカリオにはわからない。ルカリオの主人は、このカンムリ雪原で行方不明になってしまった。ロトムじてんしゃで凍てつきの海を探索しているときに、運悪くギャラドス同士の縄張り争いに巻き込まれ、ルカリオはトレーナーとはぐれてしまったのだ。はかいこうせんやハイドロポンプが起こす大波に飲み込まれ、ルカリオのトレーナーは瞬く間にルカリオの目の前からいなくなってしまった。
 かみなりパンチでギャラドスたちを叩きのめし、ルカリオは血眼で主人を探した。海に潜り、氷山を探り、波導を巡らせた。それでも見つからなかった。どれだけ探しても、凍てつきの海の厳しい寒さに身が凍えるばかりだった。主人を探しながら、ルカリオは凍てつきの海で何日も過ごした。海に潜り、氷山を探り、波導を巡らして。しかし主人の遺体はおろか、彼が身につけていた物の一つすらも見つけることはできなかった。野生のタマザラシやコオリッポに声をかけて回っても、そういう人間は見たことがないと首を振るか、あるいは違うトレーナーを見間違えただけという結果に終わった。
 このようにして、ルカリオはトレーナーを失った。事実の上では、ルカリオは野生のポケモンになってしまった。しかしルカリオは、タマゴからリオルとしてこの世に誕生した瞬間からトレーナーの元で生きてきたポケモンだった。今になってトレーナーがいなくなったからといって、では心機一転、今日から野生として生きてゆこうとは、到底考えられなかった。
 ルカリオにとっての最大の問題は、食事であった。生きてゆくためには当然、食わねばならない。しかし生まれてこの方、ルカリオにとって食事とは加工された食材を主人が調理し、それを摂取することだった。この手で生きたポケモンを殺して食うことなど、恐ろしくてできるわけがない。主人を探していた当初などは、きのみを食べてなんとか凌いでいた。死に物狂いだったし、それでもあの氷塊海を動き回る体力を維持するため、食えるものを目につくまま口にしていた。しかしそんな無理を気力で押し通せたのも最初の数日だけ。みるみる体が衰え、以前ほどの力が出なくなっていった。生きる力を維持してゆくためには、ある程度の栄養が必要なのだった。人間を遥かに凌ぐ身体性能、技を放つためのエネルギー、それらの燃料をきのみだけで賄うことは不可能だった。
 結果、ルカリオはポケモンでありながら、人間のように日銭を稼いで生きてゆくことを与儀なくされた。
 幸いにして、ルカリオは主人と共にした日々の中で、人間の生活様式をおおむね身につけていた。カンムリ雪原のあちこちでは様々なアイテムを発見できたし、それらが人間にとって価値のあるものであることをルカリオは理解できた。金目の物を集めて行商人に売り、日銭を得ることはそれほど難しくなかった。また、ルカリオはポケモンとしては人型に近く、両手である程度、道具を扱うことができた。イッシュの家では、毎日のごはんを主人が作るのを手伝っていたし、旅を始めて頻繁に野宿するようになってからは、一緒に野営の準備もしていた。なんとかして金を稼ぎ、フリーズ村で必要な買い物さえできれば、ルカリオにとって人間と同じように生きてゆくことは十分に可能だった。
 ただし、ルカリオが生命を繋ぐことに費やす時間は、そのまま主人を探す時間とのトレードオフだった。金銭を得るということは忙しく、ルカリオが活動できる多くの時間はそのことに使わざるをえなかった。雪原を駆け回り、ダイマックスポケモンをやっつけて得た物を売り、買い物をして食事を済ませる頃には、ルカリオはへとへとに疲れてしまっていて、そこから凍てつきの海まで出かけていって主人を探すだけの余力は残っていなかった。
 自然、ルカリオが凍てつきの海を捜索するのは十分な蓄えができたときだけに限定された。この時点で既にかなりの日数が過ぎている。ごく当然の発想として、主人はもう生きてはいないだろうことをルカリオも考えてはいた。しかし主人の死を目の当たりにしたわけでもなく、実感としての死がしっくりと胸に落ち着かないルカリオには、今でも主人が恋しく、たとえ毎日ではなくとも探し続けようと考えていた。それは友としての最低限の義務であると感じていた。
 あるいは、主人はまだ生きているかもしれない。それは薄い望みには違いないが、ルカリオはどれだけ小さな可能性であろうと見逃さないことを考えた。その場合、闇雲に探し回っていては、このカンムリ雪原で自分たちはすれ違いになってしまうだろう。カンムリ雪原を出るにはフリーズ村を必ず通る。アーマーガアのそらとぶタクシーを手配するにしても、必ず村に戻ってくるはずだ。したがって、ルカリオはフリーズ村の南、巨人の寝床の街道付近を当面の住処に決めた。出稼ぎや捜索は、主人が行動しないような深夜から明け方までに限定し、目立つように昼間でも焚き火をして過ごした。寝るときも、主人が見ればすぐにそれとわかるよう、目につきやすい場所にシュラフで寝た。
 寝るといっても、安眠といえるような心地よい眠りは多くない。捜索ができなかった日などは、ルカリオは主人に申し訳なくて、はぐれた日のことを夢に見た。ギャラドスたちの暴れる海の上を、主人がロトムじてんしゃで走る夢だ。ルカリオは主人の腰に掴まり、後ろに乗っている。そしてギャラドスの争いに巻き込まれ、なす術もなく主人と離れ離れになってしまう。
 夢の中で、ルカリオは何度もあの日と違う行動に出た。主人の行き先を変えさせたり、先んじてギャラドスを倒したり、駄々を捏ねてテントに居座りキャンプを離れなかったりした。しかし何をどうやっても、最終的には主人はルカリオ共に凍てつきの海へ行くことになる。そこでギャラドスの縄張り争いが始まり、ルカリオと主人ははぐれてしまい、深い絶望の中、ルカリオは主人を探して凍てつきの海を彷徨うのだ。
 そのような眠りがルカリオにとって体休まるものであるはずはなく、疲労と悲しみばかりが累積した。そうして日々を送り続け、心と体が疲れ切ってしまい、糸が切れたようにぷっつりと眠りに落ちたときだけは、夢も見ずに眠ることができた。ルカリオにとってまがりなりにも安眠といえるのは、そのとききりだ。
 ルカリオは、巨人の寝床に棲む野生のポケモンからは目の敵にされている。ある日突然やってきて、我が物顔で棲み着き始めたこのルカリオのことを、野生のポケモンたちはたいそう目障りに思っていた。毎日毎日、やっていることは人間の真似事。トレーナーもいないくせに旅荷物を抱え、火を焚いて料理など始める。何もかもが気に入らない。自分はただの野生とは違うのだと言わんばかりで、実に偉そうだ。ルカリオは気性の荒いガチゴラスやニドキングなどに何度か襲われた。しかしいくつもの冒険を乗り越え、ランクバトルで勝つための訓練を受けたルカリオにすれば、いかに強力なカンムリ雪原のポケモンであろうと、物の数ではなかった。かくとうとはがね、この二つのタイプの相性補完はとても優秀で、そこに多彩なサブウェポンまでも合わされば、ちょこざいな野生ポケモンごとき如何様にでもなった。このあたりで幅を利かせているポケモンを三匹ばかりねじ伏せて見せしめにすれば、ルカリオに余計なちょっかいを出すポケモンはもういなくなった。今ではルカリオの住処に近づくポケモンはいない。野生には鬱陶しくてたまらないが、強すぎて追い出すこともできず、放っておくしかなかった。
 そんな調子だから、ルカリオは野生で新しく仲間を作ることもできず、いつまでも孤独だった。孤独なまま、一ヶ月、二ヶ月と日々は過ぎていった。主人が現れることもなく、その痕跡を見つけることもできない毎日。しかしそのようにしか、ルカリオは生きてゆけなかった。




 行商人が、いつもと違う道具を売っていた。テントである。比較的安価で、その気になれば数日分の蓄えと引き換えで買ってしまえた。ルカリオは特別寒さに強いわけではなかった。シュラフがあるとはいえ、寒くて野ざらしがつらい日はある。風雨を凌ぎ、毛布とシュラフにくるまって寝られる。その誘惑は大きい。
 だがテントで寝てしまっては、いくら目につきやすい場所といっても主人はそのまま通りすぎてしまうだろう。仮に入り口を開けておいても、わざわざ中を覗き込んでルカリオに気づいてくれるかどうかは怪しい。だいたい、入り口を開けっ放しにして寝るのなら野ざらしとあまり変わらない。テントは設置するのがそれなりに手間だし、ルカリオは住処を離れることも多い。果たして買う価値があるのかどうか。
 しかし、これを買い逃せば次はないかもしれない。いらなくなったら売ってしまえばいいのだし……
 結局、村を出たルカリオは、日持ちする食材を詰め込んだリュックサックを背負うほかに、コンパクトに袋詰めされたテントも小脇に抱えていた。
 主人に気づいてもらえないかもしれない問題には、テントを使う際はなるべく寝ないようにするという本末転倒気味な対策をとることにした。それでも雨の日に雨宿りの必要がなくなるのは大きなメリットだ。街道から離れずに主人が現れるのを待つことができる。ただルカリオは主に夜に活動しているので、昼間はどうしても眠くなる。テントを使って昼間を起きていようとするなら、夜のうちにしっかり寝なくてはならない。必然、夜の活動時間も少し見直さなくてはならないが、そうするとおおよその主人の行動時間にも食い込んでくるだろう――
 買ったはいいものの、やっぱり扱いが難しそうだ。ルカリオは、この買い物は早くも失敗だったような気がしてきていた。このテントを買うだけの金を食い物にあてていれば、それだけ主人を探す時間を増やせたと思うと、何やら買ったばかりのテントが憎たらしいような気持ちにもなってくる。しかし買ってしまったものはしょうがない。まずは使い心地を試さなくては、不要かどうかも決められない。
 いつもの街道へ戻ってきたルカリオはテントの設置を始めた。石を退けたり、適当に地面をならしたりして場所を整え、インナーテントを広げる。入り口の場所を間違えないよう確認しながらグラウンドシートを引っ張り、ペグを打つ。二本あるポールを両方ともスリーブに通して、インナーテントを立ち上げたら固定する。インナーテントのウォール部分についているフックをポールにかけ、フライシートを被せてマジックテープで固定し、最後にロープをペグ打ちすれば完成だ。
 初めて使うテントの形状を確認しながらの設置だったが、ルカリオの作業は慣れたもので、設置は正味二十分程度で終わった。三角形に近い半円型の、どうということもない一人用テントだった。本体は白でフロアは黒というシンプルな色合い。ドアパネルは大きく、開けておけば街道を通る人間の姿を見逃すこともなさそうだ。
 ルカリオがテントを設置するあいだに、何人ものトレーナーが街道を通り過ぎていった。そのうち何人かは、トレーナーなしで、一匹だけでテントを設置しているルカリオのことを物珍しげに眺めていった。ガラル地方ではカンムリ雪原でしかゲットできないポケモンが数多く生息しており、トレーナーはいくらでもやってくる。ルカリオは波導を感知することができるため、行き交うトレーナーたちをいちいち目で追って確認はしない。波導とは生命が持つエネルギーそのものであり、同じものは二つと存在しない。主人の波導が近くを通れば、すぐにわかるはずだった。
 ルカリオというポケモンは特別珍しいわけではないが、どこにでもいるというほどありふれているわけでもない。見た目が良く、人間に馴染みやすくて戦闘力も申し分ないため、人気の高いポケモンでもあった。当然、ルカリオをゲットしようとするトレーナーもいるにはいる。そういうときはルカリオがモンスターボールを見せてやれば、こいつは既にゲットされているポケモンだと理解して、トレーナーは去ってゆく。もちろんこれはルカリオが入っていたモンスターボールではなく、行商人から買って持ち歩いているだけだ。ルカリオが入っていたモンスターボールは、主人と共に失われてしまった。ルカリオは、主人を見つけられないまま誰かにゲットされるわけにはいかなかった。この対処法は、今のような生活を始めた最初の頃に、自分をゲットしようとするトレーナーに出くわして学んだことだった。
 ルカリオは一旦テントを離れた。少し離れた場所にどかんと存在する大岩を持ちあげる。そこには穴が掘られており、野営の際に使う道具が一式隠されてあった。住処を離れる際、ルカリオはこのようにして荷物を保管していた。大部分は食料だ。冬のうちは、足の早い食材でもこのようにして保管しておけるが、もう少し暖かくなってくるとこれも何か工夫しなくてはならない。
 ルカリオは穴からシュラフと、調理器具をいくつか持ち出した。テントの使い心地を試すといっても、寝るとき以外にはやるべきこともなし、飯の支度でもすることにしたのだった。岩を置き直し、必要なものを抱えてテントに戻る。
 枯れ枝や草を手頃な大きさの石で囲い、ほのおタイプのわざで着火燃料に火を点ける。キャンプ用の簡易コンロでも買えばこの手間も省けるのだが、時間を節約したところでなにができるわけでもなく、結局今まで買っていない。安易に荷物を増やすべきでもない。
 取っ手の付いた小さな鍋に、川で汲み置きした飲み水を注いで火にかける。沸騰したらパスタ麺を半分に折って茹で、茹で上がったら鍋を脇に置いて、次に火にかけるのはスキレット。熱したスキレットにクリームソースをあけ、湯を注いで作るスープの素を加えて煮込む。こうすればゆで汁に塩を使わずともパスタに味が増す。主人がよくやるアレンジレシピだった。
 調理のあいだも、ルカリオは周辺の波導を探り続けていた。主人を探す以外にも、自衛の意味があった。近頃ではすっかりなくなったが、最初の頃は料理のにおいにつられて野生のポケモンがやってくることがあった。いいにおいだと思って近づいてくるのではなく、自分の縄張りで強いにおいを出されるのが鬱陶しかったのだ。当然、そんなのはルカリオの知ったことではない。その都度、インファイトやアイアンヘッドで返り討ちにしているうちに、ここらにたむろするポケモンはめっきり数を減らした。野生生物というのは力に敏感だ。手を出しては危うい相手のことは素早く学ぶ。
 そのような波導の探知に、あるものが引っかかった。それはフリーズ村の住人であるらしかった。波導の煌めきがみるみる弱くなってゆく。今まさに、一人の人間の命の灯が消えようとしている。しかし取り立ててルカリオの関心を引くことでもない。年寄りの多いあの村のこと、老衰か病気か。
 ルカリオが死の瞬間を感知するのは、旅の中でもよくあることだった。一番多いのが、強い野生ポケモンの餌食となる弱いポケモン。それを感知したところでルカリオは、そして主人も、割って入ったことは一度もない。彼らも生きるために必死だ。強者が悪であるわけでも、弱者が善であるわけでもない。そこには弱肉強食というきわめて自然な命の営みがあるだけだ。
 不運な事故に見舞われたトレーナーや野生のポケモンを察知して、救ったことは何度かあった。ルカリオの先導で現場へ辿り着いた主人は、適宜助けを呼んだり、手当てをしたり、ポケモンセンターへ運んだりした。ルカリオは決して冷酷なポケモンではなかった。人間と共に生きるポケモンであったルカリオには、普遍的な思いやりの心がある。しかし今、小さな村で一人の老人が死に瀕していることがわかったところで、自分の出る幕ではないだろうとルカリオは思った。老いや病で死のうとしている人間にしてやれることなどルカリオにありはしないだろうし、またそのような義理もなく、そのような筋合いでもないだろう。さらに言えば、老人は一人ではなかった。すぐ近くに別の人間とポケモンがいる。その人間、あるいはポケモンに老人を救う手立てがあるのなら、老人は助かるかもしれないし、そうでなければ彼らが老人の死を看取るだろう。少なくとも、誰にも知られずひっそりと死ぬわけではない。
 そのこと自体に、ルカリオは何を思うこともなかった。ただ、老人の傍にいるポケモンのことは少しだけ気になった。その波導はガオガエンというポケモンのものだった。
 ガラル地方には、ニャビーやその進化系が生息するという話は聞かない。割に珍しいポケモンといえるだろう。しかしルカリオがガオガエンを気にする理由はそれではなかった。ルカリオには昔、ランクバトルに挑む際によくパーティを組んだ親友のガオガエンがいたからだった。
 ガオガエンはガラルにおけるランクバトル、特にダブルバトルのレギュレーションでは非常に人気のあるポケモンであり、環境の一角をなしたポケモンだった。ルカリオもダブルバトルに高い適正のあるポケモンであった。ルカリオとガオガエンは同じ環境を長らく戦い続けた。また、アローラ地方でのランクバトルにおいては、ダブルバトルに限らずシングルバトルでも、ルカリオとガオガエンの並びは非常に良い相性を生んでいた。
 ガオガエン……
 主人を失った悲しみがあまりにも大きく、これまでルカリオはあまり考えてこなかったが、ルカリオは主人と同時に気の知れたパーティの仲間たちをも失ってしまっていた。ガオガエンだけではなく、ルカリオには多くの仲間がいた。イッシュの頃からずっと戦い続けていたカバルドンとカイリュー。起点づくりやサブエースとして先発を務めたガブリアスや、ルカリオに代わって強烈な技を何度も受けてくれたバンギラスにランドロス。壁貼りとおきみやげで強力な起点となったラティオスやユクシー。圧倒的な突破力だけでなくおいかぜでサポートもしてくれたファイアロー。多彩な戦法で相手を翻弄し続けたロトムたち。見た目に反して対策なしでは突破不可能なナマコブシ。強力な特性でなんやかんやできる雑に強いミミッキュ。他にも、他にも。ガラルに来てからもエースバーンやゴリランダーをはじめ、ストリンダー、オーロンゲ、ドラパルトといった新たな仲間が加わっていった。ウーラオスなどはまだパーティの入って日が浅かったものの、非常に高いポテンシャルを感じさせるポケモンであり、これからはこいつと一緒に戦ってゆくのだろうなと思っていた。
 会いたい。
 あいつらにまた会いたい。仲間たちと激しいバトルを戦い抜いていた、あの日々に戻りたい。
 ルカリオは思いがけない形でかつての記憶を掘り起こしてしまった。いっそ、生死不明のまま行方知れずとなった主人よりも、主人がいないことで会う手段を断たれてしまった仲間たちへの寂寞の方が、より現実的で切実であった。ポケモンセンターのないフリーズ村ではパソコンが使えず、よしんばパソコンにありつけたところで、主人のIDがなくてはボックスを操作することもできない。長年を付き添った主人のこととはいえ、さすがのルカリオもそこまでのことは知らない。
 ボックスに預けられたままの仲間たちを想い、ルカリオは打ちひしがれた。どうしておれは、こんなところで一匹でパスタなんて茹でているんだろう? おれはこのままずっと、野生に還ることもできず、人間の見よう見まねをして、孤独なまま生きてゆくしかないのだろうか。
 一匹だけで生きるための多忙さはむしろ、ルカリオにとって幸福だった。とりあえずの目的をもって動き回っているあいだは、余計なことを考えずに済んだ。心を凍らせ、主人を探し出すことに盲目でさえいられれば、我が身の孤独のことなど目を背けていられた。
 しかし今、寂しさは唐突に具体的な姿形をもってルカリオの前に現れた。ルカリオの傍には常に主人と仲間たちがいた。生まれてこの方、真の孤独などただの一度も体験してこなかったルカリオにとって、この寂しさという感情は何よりもつらいものだった。かつて自分は孤独ではなかったという事実を嚙みしめるほどに、身を苛む孤独は強くなっていった。
 完成したパスタを味もわからぬまま腹に収め、ルカリオはテントに閉じ籠った。敷き物の上でシュラフに包まり、薄い毛布をきつく抱きしめて、ルカリオは主人を失ってから、初めて泣いた。大好きな主人。大好きな親友のガオガエン。だけどもう会えない。会えないんだ。こんなことをいつまで続けていたって、おれは彼らのところには帰れないのだ。それを理解し、認めてしまったが最後、涙は次から次へと溢れてきた。毛布を噛み、涙に濡らして、ルカリオは必死になって嗚咽を堪えようとした。
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 泣くな。泣くな。泣いたら考えてしまう。こんなことは無意味だと、気づいてしまう。おれのやっているあらゆることに意味がないのなら、おれはこれからどうすればいい? 何を希望にして、何のために生きてゆけばいい?
 ルカリオは、そのようなポケモンであった。生きてゆくことの価値を問わねばならぬほどの悲しみを味わったことはなく、また、それほどに深い悲しみに呑み込まれたならば、声をあげて泣いてもいいということさえ知らないポケモンであった。ルカリオが生まれ、生きてきた環境はその意味において恵まれていた。恵まれていたという、かつてはそうであったが今はそうでなくなった事実が余計につらかった。
 主人を失い、野生からは嫌われ、ルカリオは孤独だった。悲しくて、悲しくて、ルカリオはもう泣き暮れる以外のどんなこともできそうになかった。




 飢えても枯れても、ルカリオはテントに引き籠るだけの日々を送った。どれだけ強い空腹を感じても、食事を用意するだけの気力はどこからも沸いてこなかった。テントを出るのは便意を催して用を足すときだけ。それ以外は何もせず、テントの中に敷いたマットの上で横たわったり、うずくまったりしているだけだった。波導による探知も、とうにやめてしまっている。
 主人や親友たちのことだけを繰り返して思い出し、頭の中で思い出を反芻していると、ときどき無性に泣けた。泣いて泣いて、もう一滴も涙なんか出ないと思っていても、不思議と涙はまた滲み出てくる。しかし涙が出たところで、ルカリオはもう悲しいとか寂しいとか、そんなことさえも感じなかった。
 ルカリオは、今はまだ死んではいないというだけの屍であった。それもそう遠くないうち、本当の屍になるだろう。ルカリオはほとんど、自分自身をほったらかしていた。飲まず食わず、体の中のものをひり出し続けていれば、勝手に野垂れ死ぬ。
 どうでもいい。だからどうだというのだろう。おれはもう主人には会えない。二度と仲間たちとランクバトルには出られないのだ。だったらおれは生きてなどいたくない。何が悲しくて生きねばならない? おれに与えられていた幸せの報いとして、これほど深い悲しみが待っていたのだというのなら、いいだろう。命をもって償ってやる。だからとっとと死ね。死ね、死ね、死んでしまえ。
 そう思いはしても、ルカリオは自らの命を絶とうとはしなかった。死を恐れたというよりは、自殺する気力すら残っていなかったのだ。こんな体、どうせ放っておけばすぐに死ぬ。何もかもがどうでもいい。死神が命の糸を切りにくるのを待つだけの毎日だった。
 そんなある日のこと、ふと表が騒がしいことにルカリオは気付いた。気付いたところで何もしなかったし、なんとも思わない。トレーナーが野生のポケモンと戦っているか、野生同士で喧嘩しているか、そんなところだ。自分には関係なかろう。
 それでも、ルカリオの体は騒ぎたてている連中の波導をキャッチしていた。頭から伸びる房の部分が感じたところによると、その気配はガオガエンのものであるようだった。繰り出す技や、特性。立ち回り。唸り声に吠え声。感じようと思って感じれば、それらの情報は確かにガオガエンのものだった。
 ルカリオは動かない。あれは確かにガオガエンだが、あいつはおれの親友じゃない。似て非なる気配を感じても、懐かしい親友との思い出がまた蘇ってくるだけだった。
 ああ、ガオガエン。おれたちは最高のコンビだったよな。おれはエースで、おまえは裏選出の要。シングルじゃ同時選出されることは少なかったけど、おれたちは互いがいてこそのパーティだった。メガボーマンダのインチキじみた強さに文句を言い合い、アッキのみミミッキュやムラっけオニゴーリにぶちキレて、リベロエースバーンに何度も叩き潰された。だけど仲間と協力して打ち勝ったときには肩を組んで雄たけびをあげた。そうやって、またおまえと戦えると思ってた。レギュレーションが変わって、おまえは出禁を喰らっちまって、それでも次のシーズンにはまたおまえと組むんだって、本当にそう思ってたんだよ。ガオガエン、ガオガエン……
 不意に、たまさか強い叫び声があがった。ガオガエンの悲鳴だった。その苦しげな、痛ましい声に、ルカリオはほんの少しだけ現実に意識を引き戻された。やられそうなのだろうか? ガオガエンはさほど無力なポケモンではない。それでもカンムリ雪原の野生ポケモンは強力だ。生半可なポケモンでは太刀打ちできないほどに。
 そこでようやく、ルカリオは自分の意思で波導を操った。ガオガエンは一匹だった。トレーナーがいない。おそらく仲間もいない。そしてガオガエンを襲っているのは複数だった。あれは、プテラだ。それからデンチュラに、タチフサグマ。ローブシンもいる。ガオガエンは野生じゃない。ガラルに野生のガオガエンなどいるわけがない。なのにトレーナーはおらず、ガオガエンは多勢に無勢だった。
 全身に力がみなぎってゆくのを感じる。心が、確かな指向性を持って思想する。ルカリオは一も二もなくテントを飛び出した。
 巨人の寝床には深い闇が降りていた。夜なのだ。おまけに深い霧に包まれていた。しかし波導を操るルカリオに、視界の有無は関係ない。あっという間に気配の元へ駆けつけると、思った通りだった。ガオガエンがリンチされている。
 ガオガエンにとって相性の悪い、いわタイプとかくとうタイプの技が次から次へと浴びせかけられる。空から、地上から、背後から、ガオガエンは痛めつけられていた。たまらずに逃げ出す隙を探るガオガエンの行く手を、タチフサグマが回り込んで阻む。たたらを踏んだガオガエンが体勢を整えるが、そいつを突破する時間は与えられなかった。ローブシンが振り回す石柱が、まともに直撃した。
 硬いものが肉の体に叩きつけられる、嫌な音がした。完全な決定打だった。成人した人間よりも大柄な体が地面と水平に吹き飛び、全身を木に打ちつけられる。すかさずデンチュラがエレキネットで縛りつけた。
 ガオガエンはもはや声もあげない。見るからに瀕死寸前であった。それでも獲物をいたぶり足りないのか、プテラが容赦のないストーンエッジでとどめを刺そうとしている。
 ルカリオは激情を叫んだ。波導を放ち、辺り一面に立ち込める霧をいっぺんに吹き飛ばす。野生のポケモンたちはぎょっとルカリオを振り返った。
 それだけであらかた事は決していた。巨人の寝床を住処とするポケモンの全てが知っている。現在、この界隈でキレると最もヤバいポケモンがこのルカリオであることを。そこからのルカリオはどうということもしていない。つるぎのまいによるバフをかけるだけで、野生のポケモンたちはイトマルの子を散らすように逃げていった。
 ルカリオはガオガエンに駆け寄り、しぶとく残り続けるエレキネットを引っぺがした。ガオガエンは気を失っていた。ぐったりと崩れ落ちる体を抱き留め、担ぎ上げる。平時のルカリオならば、ガオガエン一匹程度の体重は問題なく支えられた。しかしそこまでが限界だった。ルカリオの体は自分で感じている以上に衰弱していた。栄養失調で体は痩せ細っている。脱水症状によるひどい頭痛や、低血糖による極度の脱力感に眩暈、悪寒、熱感と、ルカリオの体はありとあらゆる不具合を訴えていた。
 今にも倒れ伏してしまいそうなほど意識が朦朧とする中、ルカリオは二匹分の体を引きずるようにしてなんとかガオガエンをテントに運びこんだ。この辺りでルカリオの頭痛は吐き気をももたらしていた。脳が締めつけられるように頭が痛い。このまま倒れ込み、気絶してしまえれば楽になれる。そしておそらく二度と目を覚ますこともないだろう。しかしルカリオは歯を食いしばり、体を動かし続ける。テントを出て、這うようにして荷物を隠した穴まで辿り着く。渾身の力で岩を退けた。
 そこでとうとう、ルカリオは吐いた。ろくに固形物などない体液ばかりの吐瀉。今や貴重な水分を吐き戻し、嘔吐の苦しさに、マメパトの糞の更に残りカス程度の体力をさらに削られる。
 寒い。凍えるような寒さを感じる。それなのに体の奥底は熱かった。というよりも、ルカリオの体温らしきものはもはや体の決定的な部分にしか残されていなかった。
 ようやく吐くものが何もなくなったとき、ルカリオの目はひどく見えづらくなっていた。呼吸の仕方がわからない。それだけでなく、ここがどこだか、まったくわからない。思考がまともに働かない。おれはここに何をしに来たんだったっけ?
 ルカリオは、もはや物を考えるだけのエネルギーすら節約すべき状態にあった。それでも集中力を振り絞り、それこそ命を削りながら穴からリュックサックを引っ張り出した。もはやリュックサックの中から目的の物とそれ以外を取捨選択できる思考力すら、ルカリオには残っていない。たいして重くもないリュックサックが持ち上げられず、地面を引きずって、カラナクシのような速度でテントへ戻った。
 ルカリオの記憶はそこまでだった。以降のことは、もう何も覚えてはいない。ルカリオは自分が何をしているのかもほとんどわからず、視界すら定かでないまま、荷物の中に入っていた道具を次から次へとガオガエンに使っていった。もしもの時のために売らずに取っておいたキズぐすりやなんでもなおしなどの回復アイテムと、ほしのかけらなど何の効果もない換金用アイテムとの区別もつかず、ただこのリュックサックの中にあるものを使えばガオガエンを救えるという目的だけで動いていた。そうして最終的に、苦しそうだったガオガエンの呼吸が穏やかなものになると、正真正銘、ルカリオは体力だけでなく精神力をも使い果たし、倒れた。




 ガオガエンが目を覚ましたとき、まず気付いたのはひどいにおいだった。ただの悪臭というのではなく、嗅ぎなれたようなにおいから薬のようなにおい、色々なにおいが一つの場所で入り混じった混沌としたにおいだ。
 目を開けると、見も知らぬテントの中だ。体を起こしたガオガエンは、自身に寄りかかるようにして突っ伏しているルカリオに気づいた。その体があまりに軽かったことに驚かされる。
 ガオガエンは気を失う寸前のことを覚えていた。やたらと不機嫌な野生のポケモンにいきなり襲われて、一切の誇張なしに殺されるところだった。ガオガエンには知る由もないことだが、ルカリオが巨人の寝床に棲みついたことで気が立っていた野生のポケモンは、ガオガエンがよそ者であるという理由だけで容赦しなかった。身構えることもできないまま不意を突かれ、ガオガエンは痛烈に叩きのめされていた。野生のポケモンたちの殺意は本物だった。食うために狩るのではなく、ただの腹いせ、サンドバッグとしてガオガエンを殺しにかかっていた。
 しかし、目を覚ませばこの状況だ。
 ガオガエンは倒れているルカリオを見た。こいつが助けてくれたのだな、と推測できた。しかし、ルカリオは目も当てられないほどに痩せこけている。キャタピーよりもか細い呼吸をする口からは、ぷんと酸っぱいにおいがした。吐いたのだろう。全身も清潔とは言い難く汚れていて、ひどい体臭は悪臭となってテント内の空気が重たく感じられるほどだった。こんな、ほとんど死にかけているようなポケモンが、本当に野生のポケモンを追い払ったのか?
 ガオガエンは自分の体とテントの中が異様に汚れていることにも気がついた。物が散らかっているだけではなく、薬やら食料やら調味料やら衛生用品やら、手当たり次第に蓋を開け、捻り出し、振り撒いて、中身をことごとくぶちまけている。そしてそれらが全て自分の体を中心に広がっていることにも、ガオガエンはすぐに理解した。それらは取りも直さず、自分のために使われたものであった。
 ルカリオがやったのだろうと、ガオガエンは思った。でも、いったい何をどうすればこうなる? なんでもなおしやげんきのかけらは、まだわかる。ポケモン用のボディーシャンプーも、傷口を洗おうとしたと言われれば、百歩譲って納得してもいい。だがオリーブオイルだのシナモンだのヤシのミルクだの、どう考えても無関係な食料品まで片っ端からぶっかけられていた。ひどいにおいの原因はそれでもあった。
 白痴だったのか?
 いや、そうではないだろう。ルカリオはどう見てもまともな健康状態ではない。そのうえ知的障害までもっていたら、あの状況の自分を助けられるわけがない。このルカリオは健常だ。それなのに、いったいなぜ……
 改めてテントの惨状を見ると、それは明らかに、ルカリオがガオガエンを助けようとした痕跡であることがわかる。何が何でも、なりふり構わずに助けようとしたのだ。治療とはまるで関係ないものまで、全てぶちまけてでも。
 そうして、ルカリオは今、死にかけている。
「くそ……クソ! なんだってんだよ?」
 ガオガエンはルカリオを抱きあげる。あまりにも細いその体は、もはや生命と呼べるものが全て抜け落ちてしまっているかのように軽い。トレーナーは? トレーナーはどこにいる? こいつのトレーナーはいったい何をやってるんだよ!
 テントを飛び出す。未だ濃い霧が立ち込めており、夜も明けてはいなかった。ガオガエンは、ここが巨人の寝床であることがわかった。自分が襲われた場所もすぐ近くだ。
 どうする? ガオガエンは迷った。フリーズ村はすぐ近くだ。しかし不用意にうろついてまたあの野生ポケモンたちに襲われたら、今度こそオレは助からない。そしてオレだけでなく、この弱り切ったルカリオも道連れだ。
 考えてながら、ガオガエンは小さなスキレットと鍋が放置されていることに気付く。それは料理をした痕跡だった。乾ききり、汚れがこびりついている。使われてからそれなりの時間が経過しているようだった。近くには木製の器がひっくり返って落ちていた。
 そうだ、食い物! ガオガエンはとんぼがえりの技のようにテントに戻った。あれだけ調味料が揃っているなら、食い物も残っているかもしれない。とりあえず今は、このルカリオに何か食わせた方がいい。
 残っているどころではなかった。テントの中には、ルカリオがリュックサックをひっくり返して散らかしたままの食材が豊富に揃っていた。ほとんど手付かずで新品のような状態のものばかり。しかしそれらの多くはキャンプカレーを作るための食材であり、料理などわからないガオガエンは結局、一番わかりやすかったきのみを食わせることにした。運がいいのかどうなのか、サンのみが一つ転がっている。とても珍しく、栄養価が高くて味もいいきのみだ。
 ガオガエンはサンのみに噛りつき、柔らかくペースト状になるまで咀嚼して、抱きかかえたままのルカリオに口移しで与えた。ルカリオの口はカサカサに乾いていた。粘膜を包む唾液すら失われている。
 頼む、飲む込んでくれと祈るような気持ちで見守っていると、やがてルカリオの喉がゴクリと動いた。ガオガエンは強張っていた心が脱力し、ほっと安心した。
 ガオガエンはゆっくりと時間をかけて、口移しにサンのみを流し込む。何度でも、何度でも繰り返した。完治していない傷が痛むのも、気になりはしなかった。意識を取り戻したガオガエンが活動したことで、修復が始まろうとしていた傷が再び口を開き、カッと熱をもっていた。じくじくと痛み、血が滲み出しているのもガオガエンにはわかっていた。無論、あのようなめちゃくちゃな治療では当然のことではあった。どれほど高性能な回復用アイテムがあったところで、患部に正しく使わなければ本来の効果は出ない。それでもガオガエンの状態は、死に瀕しているルカリオよりよっぽどマシであった。全快ではなくともガオガエンの手足は問題なく動く。
 こんな状態のポケモンを放置するトレーナーの無責任さに、ガオガエンは腹が立った。ルカリオを介抱しながらも、ガオガエンは我を失いそうなほどに怒っていた。
 だが、そうではないのだとやがて気づいた。このルカリオには多分、トレーナーなどいないのだ。
 少し前、フリーズ村の年寄りのあいだでも噂になっていた。近頃、トレーナーのいないルカリオが村に買い物をしにくるのだと。財布を持たず、現金だけを剥き出しで持ってきて、食い物や飲み物や、生活に使うようなこまごまとしたものを買えるだけ買い込む。そしてトレーナーと合流するでもなく、そのまま一匹きりで村を出てゆく。
 のんきな年寄りたちは、きっとお使いでもしているのだろう、偉いよねえなんてにこやかに話していたが、今のガオガエンの考えではそれは違っていた。ルカリオにトレーナーはいない。なぜって、トレーナーがいるのなら、オレにもっとまともな治療ができたはずだから。あんな小さなスキレットと鍋で料理して、たった一つしかない器で人間とポケモンが一緒にメシを食うわけがないから。そして何より、ルカリオがこんなになるまで放っておくわけがないからだった。
 ガオガエンは、ルカリオが孤独であることを半ば確信していた。それだから村で買い物なんてして、こんなふうに生きているのだ。そうして死にかけている。この痩せっぽっちの体で、野生のポケモンに殺されかけていたガオガエンを救い、自分は死んでしまおうとしている。
 死なないでくれ。ガオガエンはルカリオにサンのみを食わせているあいだじゅう、そう願い続けた。おまえはきっと、オレの命を救ってくれたんだよな。だったら死なせたりするもんかよ。ガオガエンは見も知らぬポケモンに助けられて、ありがとうの一つも言えないまま死なれるなど、絶対にごめんだった。
 ガオガエンには、知りたいことが山ほどあった。オレを救ってくれたのは、本当におまえなのか。だとしたら、なぜオレを救ったのか。どうしておまえはこんなところでこんな暮らしをしているのか。おまえには、オレが想像したように本当にトレーナーがいないのか。
 絶対に訳を聞かせてもらう。だから、死ぬんじゃねえ。死ぬんじゃねえぞ。




 ガオガエンが思っていたよりは、ルカリオは早く気が付いた。あるかなきかという程度だったルカリオの呼吸はどんどんと深くなり、しかしそれで安堵する気にはなれなかった。それが本当に具合が悪そうに、喘ぐような息の仕方だったからだ。むしろ気を失っていた方が苦しまずに済んだかもしれないと思うほどに激しい息遣いは、ただでさえガオガエンの不安を煽った。浅くなったり深くなったり、止まったかと思えば苦しそうに唸ったりと、見ているだけでも気が気ではなかった。少しは体力が戻ったのかもしれないが、どうしよう。とりあえず食いかけのきのみだけでも食わせ切るべきだろうか。それとも危険は承知の上で村へ連れていって、誰かに助けを求めた方がいいか。
 そうしてガオガエンが迷っていると、ルカリオは目を開けたのだった。
「どう……した……」
 掠れきった、弱々しい声でルカリオが言った。どうした、だって? ガオガエンは面食らった。目を覚まして最初に言うことが、それなのか。まるで自分の状況がわかっているみたいだ。
「それ」
 胡乱な眼差しをガオガエンの持つきのみへ向ける。ルカリオにはまだよく目が見えていなかった。
「く、くわせ、て」
「あ、ああ……」
 言われた通り、ガオガエンはルカリオの口元へきのみを添える。ルカリオは口を開きはするが、果肉を齧りとって咀嚼するだけの力はまだ取り戻せていなかった。かすかにかぶりを振る。
 実際には、ガオガエンはルカリオが何を求めたか、最初からわかっていた。口移しで食わせてくれと言われていることは。しかし意識を失っている相手にするのと、意識を保っている相手にするのとでは、まるっきり事情が変わる。率直に言えば恥ずかしかったし、ルカリオからしてみれば、いったい何をするんだと気を悪くするかもしれないとも思った。
 だが、どうやらルカリオは途中から気が付いていたようだった。ガオガエンは開き直ったような気分になって、再びサンのみを齧った。噛み砕き、唾液で柔らかく溶かしたものをルカリオの口に注ぐ。干からびた舌の上に、ゆっくりと、少しずつ。
 流動食のようなサンのみを食いながら、タマゴから生まれたばかりのエレズンよりも弱い力で、ルカリオは自身を抱きかかえるガオガエンの手にしがみついていた。それがあまりにも哀れで、ガオガエンはいたたまれなさに目頭を熱くさせていた。かわいそうに。いったいなにがあったんだ。こんなところに取り残されて、おまえはどんな気持ちで暮らしていたんだよ。こんな状態だったのに、いったいなんで、どうやってオレを助けてくれたんだ?
 ルカリオが咳き込んだ。さほど大袈裟な咽せ方ではなかった。しかし咳をして体が揺れると振動が苦しくて、ルカリオの呻きはどんどんせぐりあげるようになっていった。ガオガエンはおろおろと見ているしかなかった。何か手を貸してやりたいが、もちろんどうしようもない。ルカリオは嘔吐を堪えるように口を引き結ぶが、それがかえって咳を悪化させる。とうとう堪えられず、ルカリオは少し戻してしまった。せめてと思い、ガオガエンはルカリオが吐いたものを腕の毛で拭ってやった。自分でも驚いたことに、汚いなんて微塵も感じはしなかった。
「ご、ごめ……」
 ヒュウ、ヒュウ、と苦しそうに喉を慣らしながら、水っぽく絡む声でルカリオが言った。ガオガエンはかぶりを振る。いいんだ。いいんだよ、こんなのなんでもない。今、苦しいのはおまえの方なんだから。何も気にするな。
「水……」
「水が欲しいのか。汲んできてやろうか?」
 ルカリオはゆるゆると首を振る。そして震える手を伸ばした。そちらを見れば、蓋の開いたボトルが転がっていた。それはルカリオが汲み置きした飲み水であり、わけもわからずにガオガエンにぶっかけたものだった。ほんの少しだが、まだ残っていた。ルカリオの体を揺らさないように、ガオガエンはそれを拾いあげる。今度は躊躇なく口に含み、ルカリオの口の中へ注いだ。ルカリオは静かにそれを飲んだ。飲み切って、まだ飲めそうだと思ったガオガエンは、そのまま残っていた水を全て飲ませた。
 ルカリオは長い息を吐いた。猛烈な空腹を感じるが、ひどい吐き気が治まらず、食欲が完全に失せてしまっていた。息をするだけでつらい。頭が割れるように痛い。気持ち悪い。寒い。なのに体が熱い。
 フウフウと熱い息を吐くルカリオを、ガオガエンはじっと見ていた。見ているだけでこれだけ具合が悪そうなのだから、相当つらいのだろう。できることなら変わってやりたいと思った。どうにかして、少しでもルカリオを楽にしてやりたくて、ガオガエンは言った。ベロバーのないしょばなしのように小さな声で。
「何かしてほしいことはあるか?」
 どろんと濁った目が、ガオガエンに向けられる。ルカリオは疲れ切っていて、自分が今、何を望めばいいのかなど考えることもできなかった。
「ちょっと、休む……」
「ああ」
 ガオガエンは散らかったものをテントの端に寄せ、可能な限り静かにルカリオをシュラフに寝かせて毛布をかける。ルカリオは目を閉じる。ただ横になっているだけでも、ルカリオは苦しみ続けた。何もしていなくとも吐き気がする。吐きそうになるのを何度も堪えた。その苦しさにぼろりと涙がこぼれて、苦しい呼吸に鼻水まで吹き出すが、落ちていたタオルを見つけたガオガエンは、そのたびに甲斐甲斐しく拭った。ガオガエンの献身をありがたいと感じながらも、その気持ちを声に出すことさえ吐き気が襲ってきそうで、言えなかった。
 そうしながらも、やがてルカリオは眠りについた。ガオガエンはずっとルカリオを見ていた。オレが目を離しているあいだにこいつは死んでしまうのではないかと思い、恐ろしかった。ルカリオが眠れたのは、夜明けも近くなってからのことだった。ガオガエンは眠らなかった。朝になり、どんどん陽が高くなっても一睡もしなかった。ルカリオのことを案じていたというのも理由の一つではあるが、それだけではなかった。気がつけばわけのわからない状況で、ただ目の前のルカリオを救うことに必死になっていたが、本当はガオガエンには、ほかに考えなくてはならないことがあった。
 次にルカリオが目を覚ましたとき、オレはいったいどうすればいいのだろう。オレは何をして、どんなふうに生きてゆけばいいのだろう。
 生きる方法や目的を見失っているのはルカリオだけではなく、このガオガエンも同じだった。




 もう昼になろうかという頃になって、ルカリオは目を覚ました。ガオガエンはまだ起きていた。眠れそうな気など欠片もしなかった。 
「具合はどうだ?」
「さい、あく」
 ルカリオは重たい体をなんとか起こした。頭痛はいくらかマシになっていたが、吐き気はまだ残っている。体がちょっと動くだけで、まるで内臓が揺さぶられたような衝撃を体内に感じる。喉がカラカラで、口の中がゲロくさい。テントの中もひどいにおいだった。
「すげえにおい……」
「ああ」ガオガエンは無理に笑った。「おまえもくっせえぞ」
 ここへきて、ガオガエンはようやく安心した。ルカリオはまだ調子が悪そうだが、気はしっかりしてきている。自分で体も起こせていた。呼吸すらやめてしまうんじゃないかと思うほどの衰弱ぶりからは間違いなく回復している。
「よかった……」
 ルカリオが呟いた。ふらふらと宙をさまようみたいに手を伸ばし、ガオガエンの腕に触れる。
「ん?」
「生きてる」
 ガオガエンは絶句し、そのまま全身を震わせた。馬鹿野郎。それはこっちのセリフだ。おまえはこのまま死んじまうんじゃねえかって、何度思ったことか。ヒヤヒヤさせやがって。
「おまえが、オレを助けてくれたんだな?」
「うん」
 やっぱりそうか、とガオガエンは思った。
「ありがとうな」
「こっちこそ」ルカリオは笑った。変化の乏しい、儚い表情だったが、それでも笑って言った。「いろいろ、させちゃったな」
 そんなことを言われたら、ガオガエンはどうしても思い出してしまう。人間がするみたいに、口と口をくっつけ合って。しかしもうそれを照れるような気持ちにはならなかった。そうすることは当然だと思った。それでおまえが元気になってくれるなら。
「いいんだ」
 言ってしまってから、何か感極まったようになってしまって、ガオガエンはひしとルカリオを抱きしめた。息絶えて長いあいだ放置されてしまったオーロットのように、ルカリオの体は力なく、素直に抱き寄せられた。しかしガオガエンのその行いはまずかった。ルカリオの胸に鋭く伸びたトゲが、逞しいガオガエンに胴体にぶすりと食い込んでしまった。
「いってえーー!!」
 飛び退くように離れ、鳩尾のあたりを抑えて悶絶する。そんなことをしていると思い出したかのように全身の生傷もズキンと痛み、ガオガエンは目にいっぱい涙を浮かべて声にならない悲鳴をあげた。そのおかしいことといったら、ルカリオは、はは、はは、と笑って肩を揺すった。それがまたしんどくて、おえっ、とえずいても笑いはおさまらない。こんなに愉快な気持ちになれたのは久しぶりだった。体中あちこちが痛くて、ガオガエンはとても一緒になって笑う気にはなれなかったが、それでも気分は明るかった。
 安心したら、腹がグウと鳴った。ルカリオではなくガオガエンの方だった。そういえば昨夜から何も口にしていない。
 ルカリオはすっと微笑むように目を細める。痩せたルカリオよりも自分の方が飢えているみたいなみっともなさに、ガオガエンは恥ずかしくなった。
「なんか食うか?」
「え? ああ……いいのか?」
「もちろん。おれも、腹に何か入れないと……」
 それなら、またきのみでもとガオガエンは思った。ルカリオはきのみもまめに集めていたので、リュックサックをひっくり返したときにそこらじゅうに色んなきのみがゴロゴロと散らばっていた。とりあえず体力をつけるには手っ取り早い。しかし、ルカリオはガオガエンにこんなことを言った。
「メシ、おれの代わりに作ってくれないか」
「へ?」ガオガエンは仰天した。「お、オレが?」
「ああ。大丈夫、やり方は教えるから……」
 簡単なものでいい。それに、自分で作るメシって旨いんだ。ルカリオはそのように言った。表のスキレットや鍋を見てまさかとは思っていたが、このルカリオは料理ができるのだ。ガオガエンはさらに驚いた。
 まあ、そんなに言うならとガオガエンもやぶさかではない。料理などしたこともなかったが、ルカリオにできてオレにできないものでもなかろうと思い、従うことにした。
 ルカリオの指示で、ガオガエンは荷物の隠し場所へ向かった。テントを出ると、もうすっかり陽が高い。とはいえ、昨夜は野生に襲われたばかりだ。ガオガエンの足取りはおっかなびっくりだった。
 ルカリオに教えられた方へ向かって歩く。というよりも、途中からはルカリオがリュックサックを引きずった跡に沿って歩いてゆくだけでよかった。街道に唐突な感じで大岩が鎮座しており、その傍らに穴が空いている。覗き込むと、穴の底には水の入ったボトルがいくつか落ちている。ルカリオの荷物はリュックサックにしまえるものだけでほとんど全てであり、今は穴の中にはボトルしかない。料理に使うのと、飲むためのと、二本のボトルを拾って、ガオガエンはテントに引き返した。
 以前に使ってそのままの小鍋を、水で軽く洗う。パスタを茹でただけだから、それほど汚れていないはずだとルカリオは言ったが、実際には土埃や木の葉が入り込んで割と汚かった。とはいえポケモンが食うものだし、ガオガエンにもそこまでの潔癖さはなかった。
 ガオガエンの技で火を起こし、パックされた米と水を鍋に入れて煮込む。要するに粥であった。調味料はルカリオがテントで撒いてしまって、わずかに残るものだけ。病み上がりのルカリオには体にやさしいものしか食えないし、どのみち凝った料理は無理だった。
 グツグツと煮立ってきたら、かろうじて残っていた調味料で味をつけ、スプーンでかき混ぜる。栄養を摂るためのゆで卵を落として、完成だ。
「悪いんだけど、皿は一つしかないんだ」
 ルカリオは言った。表に転がっている木の器だ。自分が食うだけなのだから、一つあれば十分だったのだ。さすがにクリームソースの汚れをきれいにするには、次にいつ汲みに行けるかもわからない飲み水はもったいない。今日のところは鍋から直に食うしかない。ついでに言えば、スプーンもフォークも一つきり。ルカリオは調理するのも食うのも同じスプーンとフォークを使っていた。
 ガオガエンはルカリオの言うことに文句など何もない。食わせてもらう立場なのだから贅沢が言えるわけもなかった。それよりもちゃんと粥ができているかが心配であった。料理など初体験のガオガエンには、味見という概念もなかった。
 敷き物の上に鍋を置き、まずはルカリオが食う。ほのおタイプのガオガエンとは違い、ルカリオは熱いのが苦手なので、スプーンですくった粥をしつこく吹いて冷ました。
「旨いよ」
 じっと見つめてくるガオガエンに、ルカリオは言った。それは本音だった。久しぶりに口にする食い物らしい食い物は、掛け値なしに旨かった。唾が湧くほど旨かった。
 ガオガエンにスプーンを渡す。熱さは問題じゃないが、本当に旨いのか疑わしく、すくった粥におしるし程度に口をつけた。
「おお……ちゃんとできてるぜ」
 粥だ。ガオガエンは人間のメシなど食ったことがないし、それが旨いのかどうかもわからない。元より、特別旨いといえるような料理でもない。ガラルのトレーナーたちが作るキャンプカレーの方がよほど旨いだろう。だが少なくともおかしな味はしない。ブイヨンのほのかな塩味に、柔らかく煮込まれた米。誰が食ってもまごうことなき粥だった。
「簡単だったろ?」
 確かに難しいことはしていない。ガオガエンは言われた通りにやっただけだ。しかし体調を崩したポケモンが、自分で食うために粥を作ろうと思うものだろうか? 少なくとも、ガオガエンは腹を壊したときに薬を与えられた覚えがあるくらいで、食うものはいつもと変わらないポケモンフーズであった。手軽だし、栄養にも配慮されている。味だって肉や魚の風味が効いていてそれなりに旨い。
 ポケモンフーズは高価(たか)いのだと、ルカリオは言った。自炊した方がよほど安いらしい。そういうものなのか、とガオガエンは思った。ガオガエンもフリーズ村で人間と暮らしていたが、物の値段など気にしたことがなかった。そういう心配をするのはポケモンの仕事ではない。
 そのうち、もっといいものを食わせてやるからな。
 何の気なしにそう言おうとして、ルカリオは思い留まった。
 ルカリオは、その気になればもっと複雑な料理ができる。自分だけで本格的に料理を始めるようになったのはごく最近のことだが、主人が家で作っていたいろんな料理のレシピはだいたい思い出せる。このごろは体を維持するための義務として、簡単なものを作って食うだけだった。でもガオガエンがいるなら、粥なんて言わずにもっといいものを――
 馬鹿だ。何を考えているんだ、おれは。ガオガエンは、自分がこんな調子だから気にかけてくれているだけだ。向こうにはいつまでもルカリオと一緒にいる理由などない。だったら考えなしに滅多な約束をするべきじゃない。
「それにしても、やっぱちょっとくせえな」
 くさいのは自分の体でもあるとわかってはいるが、ガオガエンは顔をしかめた。ドアパネルを開けっぱなしにしていても、なかなかにおいが消えない。せっかくのメシも魅力半減だ。
「そうだな。もうちょっと動けるようになったら掃除しないと」
 ルカリオも苦い顔でそう言った。もう何日も体を洗っていない。ポケモンなら少々の体臭はあって当然でもあるが、こんな体をガオガエンに世話されていたことに、少しも心が引きつらないわけではない。できることならすぐにでも川に飛び込んで毛の汚れを洗い流してしまいたかった。
 ルカリオにはあいかわらず食欲はなかったが、体は食い物をいくらでも要求していた。食いながら、そういえばこれだけ食ってるのに気持ち悪くならないなということに気がついた。吐き気は空腹のせいでもあったのだ。
 一本しかないスプーンをガオガエンと代わる代わる使い、鍋がきれいに空になるまで二匹は食い続けた。当然ながらガオガエンが半分以上食ったが、ルカリオもゆで卵まできちんと食べた。しかし食事をするだけでひどく疲れてしまった。体がグラグラして、やたらとダルい。水を飲み、横になってしまうと、もうそれ以上は動けなかった。
「寝るか?」
「うん。まだしんどい」
 おれが起きるまで一緒にいてくれるか? ルカリオはガオガエンにそう頼んでしまいたかった。わざわざそんなことを言わなくとも、黙って行ってしまったりはしないと思う。でも明日はどうだかわからない。次に目が覚めて、おれの調子が戻っていたら、それじゃあ元気でとガオガエンはいなくなってしまうのではないか。
 そうしたらおれはまたひとりぼっちなのだと思うと、たまらなかった。
 そうだ。おれは寂しいんだ。寂しくて寂しくて、それで死のうとしたんだ。だからおれはガオガエンを引き留めたい、一緒にいてほしいと思っている。でもガオガエンにそこまでの義理はない。そんなことまでは頼めない。
 そうして寝るに寝られないでいたら、ガオガエンの方が先に寝てしまった。座り込んだままぐうぐう寝息をたてて、船を漕いでいる。無理もない。ガオガエンとて十分に重症で、ルカリオはそれを中途半端に手当てしただけだ。体力の消耗は大きいはずだった。どうせなら横になって寝かせてやりたかったが、フロアはルカリオが汚してしまってスペースがない。自分で片付けようにも体がつらい。
 ごめんな、と思いながらルカリオは目を閉じた。眠ろうと思いさえすれば、眠気はあっという間にやってきた。この日、ルカリオは夢を見なかった。体調不良で気絶するように眠ったのではなく、ただぐっすりと眠った。それが何よりありがたかった。




 ハッと目が覚めたとき、ガオガエンはシュラフに寝かされ、毛布をかけられていた。テントの中は真っ暗で、ガオガエンの目は夜目を利かせている。
 テントにはルカリオはいなかった。大慌てでドアパネルを開くと、うっすらと膜がかかったような霧の中、ルカリオの姿はあった。拳を突き出し、素早く引く。回避行動のように身を翻し、体勢をニュートラルへ戻す。すぐ近くにルカリオがいたことに安堵するよりも、霧の中で舞うようなその動作の美しさに見惚れるよりも先に、ガオガエンは狼狽した。
「おい、何やってんだよ!」
 バタバタと四足から二足へ移行するように駆け寄ると、ルカリオは涼しい顔で振り返った。「体がだいぶ(なま)]っててな。リハビリだ」
「馬鹿野郎!」ガオガエンは本気で怒った。「まだ休んでろ! こんなに痩せて、急に動けるわけねえだろが!」
 ガオガエンが手首を掴み上げるのを、ルカリオはそっと外した。それから無造作に――石ころを頭上に放るみたいにして、腕を振り上げた。
 それだけの動作で、世界が二つに割れた。ルカリオの腕の軌道上、まっすぐに霧がかき消され、阻むもののなくなった月明かりが二匹を照らした。「これでもか?」とでも言いたげに、ルカリオがにんまりと笑う。ガオガエンはあらゆるリアクションを封じられてしまい、ただあんぐりと口を開けた。
「な。ちょっとそのへん歩かないか。水浴びでもしに行こう」
 脈絡のない誘いに、ガオガエンはとっさには返事ができなかった。み、水浴びだって? 今からか?
 今度はルカリオがガオガエンの腕を取った。手を引いて歩き出すルカリオを振り払うわけにもいかず、ガオガエンは戸惑いながらもついていくしかなかった。
 廃屋の前を行き過ぎ、シャンデラやイシヘンジンがうろつく街道を歩いてゆく。ルカリオの足取りは、思いの外しっかりしていた。それでも枯れ枝みたいに痩せ細ったルカリオが霧の中を歩く姿は、ガオガエンには幽霊か何かみたいに思えた。
 やがて小さな泉に辿り着いた。ドジョッチやナマズンが水面に顔を出したり、また沈んだりして、のんびりと泳いでいる。
 ルカリオは泉の水に足を浸して、ぶるりと身震いした。
「うう、冷たい。この時期の水浴びはつらいな」
「そりゃそうだぜ。なあ、やっぱりまだよした方がいい。体が弱ってるんだ。風邪引いちまうだろ」
 ガオガエンを振り返るルカリオは、たおやかに微笑んでいた。「毛が濡れても、おまえが乾かしてくれるだろ?」
 そりゃあ、できないことはないが。
「思い切って入っちまえばなんとかなるもんだ。行くぞ」
 ざぶざぶと泉の中へ歩いてゆき、とうとう頭から飛び込んでしまった。とても放ってはおけないので、ガオガエンも後に続く。ただ水に浸かるくらいならほのおタイプのガオガエンも平気である。技として水で攻撃されるのとは、威力そのものがまるで違う。だがそれはそれとして寒いのは苦手だ。そのようなわけで、ガオガエンはちょっとした小技を披露した。
「あれ、あったかい」
 ガオガエンがルカリオの傍にやってくると、トドゼルガの吐くハイドロポンプのように冷たかった水がぬるま湯くらいの温度になった。
「もっと熱くもできるぜ」
 オーバーヒートの要領だ。体に貯め込んだ熱を水に伝わらせ、温める。あまり本気を出すと水中のポケモンたちに被害が出るが、自分たちの周囲くらいなら問題はない。ガオガエンから離れれば、冷たい水に温度は失われ、元の水温に戻ってゆく。
「これなら平気だろ?」
「ああ、すごいな。まるで温泉みたいだ。すごく気持ちいい」
 真冬の泉の中、ルカリオは肩まで使って心地良さそうにほうと息を吐く。ガオガエンの心配もよそに、のんきなようすだった。
 ルカリオは手で体を撫で擦り、汚れを水に溶かしていった。ガオガエンもそれに(なら)うと、まだ真新しい傷口に水が沁みる。住処の水に汚れを持ち込まれ、傍にいたバスラオが迷惑そうな顔をして離れていった。
「具合、良くなったのか?」
「だいぶいいよ。本調子には程遠いけど」
 ルカリオというポケモンは、体に異常があると波導を操って回復力を高めようとする体質なのだそうだ。訓練すれば意識してできるし、無意識にでも体が勝手に対応するので、怪我や病気の治りはずば抜けて早いという。
「ここまでひどい状態になったことはなかったから、自分でもどの程度なのかわからなかったんだけどな。おれも正直ビックリしてるよ。目が覚めたら、嘘みたいに体が軽くなってた」
 まだ少し体がフラつくが、体の熱感は消えていたし、頭痛も吐き気もきれいさっぱりだった。
「トレーナーがいれば、ポケモンセンターに連れていってもらえるし」
 ガオガエンはずっと気になっていたことを尋ねる機会を得た。「おまえのトレーナー、どうしたんだよ」
「わからない」と、ルカリオは言った。「海で波に呑まれて、はぐれたんだ。ずいぶん捜したんだけど、どこにもいない……」
「それで、あそこに棲んでるのか」
「そう。この島を出るなら、必ずフリーズ村を通るはずだから、もしかしたら会えるかもしれない」
 自分から訊いておいて、ガオガエンはなんとも返しようがなくなってしまった。ただ、こいつはトレーナーに捨てられたわけではなかった。それだけは違っていてよかった――などとは、決して口には出せないが。
「そっちは?」ルカリオが問い返してくる。「野生ってわけじゃないんだろ?」
 ガオガエンは頷いた。
「ついこのあいだ、死んじまってな。もうトシだったみたいだ」
 ルカリオは、自分がそれを知っているということを思い出した。死にかけているところを波導で感知した、あの老人だ。あのあと、ルカリオは我が身の寂しさに気持ちが沈み込んでしまい、それどころではなかった。結局あの老人はそのまま死んでしまったのか。
「バアさんだったけど、足腰はシャンとして、気もしっかりしてたんだ。あの村の年寄りの中じゃ、一番活き活きしてたよ」
 背は低いがしゅっとしていて、歩くのに杖なんかもいらなかった。いつも身綺麗にして、物腰はおだやかで優しく、頭も切れた。淑女という言葉が服を着て歩いているような、ド田舎の老人には珍しい人間だった。
 しかし実のところ、ガオガエンもあまりよく知らないのだ。オレがバアさんのところに来てから一年も経ってない。なんでもそれなりに腕の立つトレーナーだったという話で、ガラル地方のランクバトルに復帰するために、ガオガエンはポケモンホームからバアさんにもらわれた。あのバアさん、その気になれば、バトルだってまだまだ強かったはずだ。しかし老人は若者とは違って体力が続かない。結局、ガオガエンはランクバトルはおろか、通常のポケモンバトルだってまったくの未経験のまま、バアさんは体を壊し、死んでしまった。それまでのあいだ、ガオガエンはほとんどペットみたいな感じでトレーナーと過ごしていた。ポケモンホームでは基礎的なトレーニングと、自然に覚えた技を使いこなす訓練くらいはしていたが、そんな程度のレベルアップではカンムリ雪原のポケモンたちとは渡り合えるわけもなく、ガオガエンの初戦はあえなく惨敗となって終わった。
「バアさん、身寄りがなかったんだってよ。それでオレ、どっかの施設だか研究所だかに引き取られるみたいでな」
「で、夜のうちに逃げてきた?」
「そういうこと」ガオガエンは苦笑した。「オレ、あのバアさん、けっこう好きだったから」
 ポケモン研究だかなんだか知らないが、まあ多分、どこに引き取られようと悪いようには扱われなかっただろう。しかしガオガエンはそんなところには行きたくなかった。バアさんが目指していたランクバトルってやつに、なんとかして出たかった。逃げ出してどうにかなるモンでもなかろうが、ガオガエンが引き取られるであろう場所はどう考えてもバトルとは無縁っぽかったので、可能性がすっかりゼロになるくらいならば、無謀でもなんでもとにかく逃げ出すしかないと思ったのだ。
「おれのトレーナーも、ランクバトルが専門だった」
 遠くを見るように夜空を見上げて、ルカリオは言った。
「そうなのか?」
「うん。もう何年もやってる。あっちこっち旅して回って、色んなポケモン捕まえて――」
「その話、聞きてえな。ランクバトルってどんなだ? ダイマックスってのがあるんだろ? バアさんちのテレビで観てたんだ」
 横を見ると、好奇心が剥き出しの無邪気な顔があった。ルカリオは思わず頬が緩んでしまった。こいつ、あくタイプのくせに、大それた悪事なんかちっとも働きそうにない。
 ガオガエンが温める泉の温泉に浸かりながら、ルカリオは語った。イッシュ地方から始まった、ランクバトルのための旅のこと。カロス地方ではメガシンカ、アローラ地方ではZわざという特別なレギュレーションがあって、それがガラル地方ではダイマックスであること。それぞれの地方でのバトル環境のこと。それらに合わせて、ルカリオは色んな仲間たちとパーティを組んで挑戦してきたこと。中でもアローラ地方でパーティを組んだガオガエンとは相性が抜群だったこと。当時、最強の名をほしいままにしていたメガガルーラを、エースのメガルカリオが次々に叩きのめし、しかしメガルカリオの対策としてギルガルドやタスキミミッキュを出されると手も足も出ず、そうした時はチョッキガオガエンを軸とした裏選出が見事に刺さったこと。しかしそれもホウエン地方のランクバトルでメガボーマンダが活躍し始めると、まとめて薙ぎ払われて悔しかったこと。ぐうの音も出ないほどの敗北も、飛び上がるほど喜んだ勝利も、親友のガオガエンと一緒に分かち合ってきたこと。そうしてガラル地方でもガオガエンと戦ってきたのに、ある日レギュレーションに変更が加わり、ダブルバトルで強力だったガオガエンが出禁になり、いっしょにパーティを組んだのはそれきりになってしまったこと。
 あの日――ガオガエンがトレーナーを失くしたあの日、ルカリオは波導でそれを察知していたこと。病の床で死んでゆこうとする老人の傍にいたガオガエンに気づき、親友のことを思い出して寂しくなり、このまま孤独に生きてゆくのが急に馬鹿馬鹿しくなってしまったこと。
 そして、ガオガエンが村から逃げ出したあの夜、ルカリオはまさに死を望んでいたこと。なのにガオガエンが野生のポケモンに八つ裂きにされそうになっているのがわかって、何故だか体が動いたこと。自分が何故ガオガエンを助けたのか、その理由は今でもよくわからないこと。
 ルカリオは語りまくった。湯が熱くなってくると泉から出て体を冷やし、寒くなるとまたガオガエンの横に戻ってきて、ガオガエンと出会うまでの話を語り続けた。
「ずっと寝て過ごしてて、死にかけてることもわかんなかったんだな。いきなり動いたりして、いっぺんに具合が悪くなってさ。頭がどうにかなってたんだ。手に持ってるのがキズぐすりなのか、ベーキングパウダーなのかも区別できなくなってた。でもおれは回復アイテムは絶対に持ってるんだから、それだけは間違いないんだから、ぜんぶ使えばいつかはヒットするって、それだけは思って」
「なるほどねえ」ガオガエンは濡れた手でぺろりと顔を撫でた。「色々ぶっかけられてたのはそういう訳か」
「ごめん」
 はにかみながらルカリオが言い、ガオガエンもニッと笑った。オレたちどっちも、相手のおかげで命拾いできた。それでいいじゃないか。
「これからどうするんだ?」
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 その問いかけに、ルカリオは苦しめられた。もはや生きることに希望などひと欠片も持ち合わせてはいなかったから。何をしたところで意味などないという無力感は、ルカリオから生きる活力を容易に奪い去ってしまった。おれの夢、誰にでも存在すべき当然の明日、そんなもの、もう消えてなくなった。だとすれば生きていたってしょうがない。そう思って死を望んだのだ。
 今、ルカリオには何もなかった。体の汚れと共にさっぱりと洗い流されたように、目的意識も、強い回帰願望も、死への渇望も、孤独も、もう感じていない。何もかもを失い、空虚の内で死に瀕したとき、たった一つルカリオに残っていたのは、おかしなことに、生への執着であった。ガオガエンの腕の中で、サンのみを与えられているあいだじゅう、ルカリオは己のちっぽけな生にしがみついていた。生きていたいと、死にたくないと体があがき続けた。死んでしまった方がマシだと思える体調不良の苦しみの中でさえ、ルカリオは生きたいと願ってしまっていた。
「とりあえず、またトレーナーを捜すよ」
 何をしても自由だと、ルカリオは思った。自分の置かれた状況に対して、そんなふうに感じられたのは初めてだ。しかし考えてみれば、ルカリオは実に自由であった。しなやかに動く手足があり、健全な心と豊かな知識がある。野生のように生を繋ぐことだけに命を費やす必要はなく、人間の模倣のような生きる術をもち、そこいらのポケモンを軽く蹴散らせるだけの実力がある。ルカリオになし得ないことは現実に数あれど、同時になしうることも少なくない。この空の下、ルカリオはどんなことでも挑戦できる。生きているのだから。
 生きた主人を見つけだす。それはもう不可能かもしれない。不可能であろう公算が大きい。しかしやはり、相棒でありながら主人を守ることができなかった自分の、せめてもの礼儀だ。これを終わらせずに、ルカリオは「次」を想像することができない。過去を整理しないままで、新しい何かへは踏み出せない。
「おまえは、どうする?」
 同じ問いを返されて、ガオガエンは返答に窮した。とりあえず村から逃げてきたはいいものの、具体的なビジョンは何もないのが現状だった。そもそもガオガエンの生涯にビジョンなど不必要であった。目の前のことに、物理的な反射としての対応だけをしていれば、ガオガエンは生きてこられた。何をやりたいから、ではこれをこうしようと、そんな複雑な目標を設定して生きていない。
 できることなら、バアさんの未練だったランクバトルで戦ってみたい。しかしガオガエンにはそのための方法論が必要で、そんなものは頭の中をどうひっくり返したところで出てこない。無力さに自分自身を見限ったルカリオよりも、ガオガエンの方がむしろ目的意識を欠いている。
 オレはどうすればいいだろう。自分の力で生きてゆけるほどの強さはなく、ルカリオのように知識や知恵があるわけでもない。温室育ちでぬくぬくと生きてきたガオガエンが、リアルな命の営みが繰り広げられる世界へ飛び込んだところで、できることは限りなく少ない。
「もし、よかったら……」
 これを言うのは卑怯かもしれないと、ルカリオは思う。自分がガオガエンを救ったことを材料に脅迫しているようでもあるし、行く宛のないガオガエンを独りよがりに利用するようでもある。
 しかしルカリオはもう孤独ではいられなかった。誰にも顧みられることもなく、空虚さだけを携えて死んでゆくのは怖かった。ルカリオは痛いことよりも、苦しいことよりも、怖いことが苦手だった。ガオガエンの優しさに触れてしまった今、またあの孤独に戻ることには耐えられそうになかった。
「これからも、おれのところにいてくれないか」
 言ってしまってから、やっぱりだ、とルカリオは思う。
 さもなくばおれは死ぬと、ガオガエンを脅している。ルカリオの真意はどうあれ、事実の上ではそうなってしまうのをどうしようもなかった。オレは今、ガオガエンの弱みにつけ込んでいる。
 ガオガエンにとっては、まさしく掴みたくてたまらない手を差し伸べられたようなものだった。オレは多分、このルカリオに頼らなくてはあっさり死んじまうだろう。人間の元を離れて生きるのであれば、とりあえずの手段はまず何よりも必要で、断る理由だって一つも思いつかない。
 おまえがそう言ってくれるなら。それが本音だった。
 ただ、これはガオガエンのただの見栄であるのだが、ただの思いつきで飛び出してきたことの浅はかさ、情けなさ、そして死にかけていたポケモンに逆に助けられるというみっともなさが、嫌になるほど自覚されてしまう。二つ返事をするのは躊躇われた。「おまえのためだ」という顔をして、のうのうと提案を受け入れることはできない。そこまで無神経にはなれない。
「いっこ、訊きたいんだけどよ」
「うん」
「オレ、おまえの親友に似てるか?」
 その言葉に、ルカリオは親友の姿を幻視する。こいつと、親友、二匹のガオガエン。
 しかしそれは似ても似つかないものだった。確かに、ルカリオが波導でガオガエンの存在を知ったとき、親友の面影をまったく見なかったわけではない。でも最初だけだ。どちらもガオガエンだが、おまえとあいつは違うんだ。
 ルカリオはかぶりを振って否定した。
「全然。あいつは、もっとガサツだったし、ビビりだった」
 言って、少し考えてみる。あいつなら……おれの親友のガオガエンなら、死にかけたおれを見てどうしただろう。
 あたふた狼狽えて、それから助けを呼びにいくんじゃないかな。それがどうというわけじゃない。対応としても決して間違いではないだろう。でもあいつなら、間違いなく口移しなんてしない。命を救われた相手が目の前で死にそうになっていても、もっと違うやり方を選ぶだろうと思う。
 違うのだ。どちらが優れているというわけではなく、それらはまったく異なる存在だ。
「そか」
 それでガオガエンは、自分が何を言うべきだったのか、わかったような気がした。
「面倒かけるかもしンねえけど……オレからも、頼んます」
「うん」
 断りはしないだろうと、ルカリオは思っていた。それでもやっぱり、ほっとした。
「だからさ」
「ん?」
「もう、死ぬんじゃねえよ?」
 ルカリオの願いは、自分本位な願いだった。利害の一致。そう、利害の一致だ。だから断られるはずがない。そんな思いが離れなかった。
 しかし、ガオガエンの一言はどんなにか温かかった。
「うん」
 うん、うんとルカリオは頷いた。ガオガエンの言葉を噛み締めながら。
 約束する。もう死にたいなんて思ったりしないよ。おれは生きたいから。おまえがそれを教えてくれたから。
 ガオガエンの言うように、ルカリオは色んな部分で「面倒」を見ることになるだろう。すなわち、ルカリオにできることはゼロじゃない。ガオガエンに教えてやれることや、鍛えてやれることもいくらでもある。そのことでガオガエンは生きる力を身につけてゆくだろうし、ルカリオの側にもそのような意義が切実に必要だった。我が生は決して無意味などではないと信じられる根拠が。
 でも、本当はそんなのどうでもよかったのかもしれない。
「そろそろ戻ろうか」
「おう」
 ほかほかと湯気を上げる体を、ガオガエンが炎で乾かす。帰り道、手を握ったのはルカリオだった。握り返したのはガオガエンだった。
 今はただ、今日のことを考えるのだ。明日のことを考えるのだ。一日いちにち、やり過ごして生きてゆけばいい。
 とりあえず――帰って掃除かな。
 テントを買って正解だったと、ルカリオは思った。




「いつもこんなにたくさんのじゃがいも、何に使うんだい?」
 買い物用のリュックサックに商品を詰めてもらいながら、ガオガエンはニッと笑ってみせた。この日、フリーズ村に来たのはガオガエンだけだ。ルカリオはいなかった。
 その昔、ここの八百屋はそれはもうチンケな店だった。だがあるとき、道楽みたいな八百屋のままではだめだと野菜以外にも色々売ることになった。今では物を売るだけではなく、技術も人手も売ってる。八百屋とは名ばかりの、ほとんど何でも屋だった。ルカリオが普段使っている道具のほとんど全ては、この八百屋で購入したものだ。
 じゃがいもは唯一、仕入れではなく店で作っている。ガオガエンはここのじゃがいもが好きだった。ガオガエンだけじゃない。フリーズ村の住人は、みんなここのじゃがいもが好きだ。食えばその旨さがわかる。中でも、ガオガエンはこのじゃがいもを使ってルカリオが作るフライドポテトが大好物だった。じゃがいもをどんなにたくさん買おうが、三回もフライドポテトにすればなくなってしまう。
 ガオガエンが買い物を任されたとき、ガオガエンはいつもじゃがいもを大量に買う。ルカリオほど上手に計算ができないので、先にルカリオに頼まれたものを買い、あとは残った金をみんなじゃがいもに使ってしまうのだ。ルカリオにもその意図はわかっていて、リュックサックにゴロゴロと詰め込まれたじゃがいもを見ると、「はいはい、フライドポテトだな?」、笑うのだった。揚げ物は専用の鍋を用意しなきゃならないし、油だって大量に消費するから、頻繁に要求されるとルカリオは困ってしまうのだが、うまいうまいと食うガオガエンを見ていると、「仕方ないな」という気になってしまうのだった。
 最初、ルカリオがガオガエンを連れて村に来たとき、年寄りたちは「おや」という顔をした。つい最近亡くなったバアさんとこのポケモンがいなくなっちまったという話は、村のみんなが知っていた。ガオガエンを引き取りにきた研究所の人間が行方を訊いて回ったからだ。
 バアさんと仲の良かった者は、「あんた、どこに行ってたんだい」とガオガエンに声をかけてきた。引き取ってもらわなくていいのかと何度も訊かれ、その度にガオガエンは、「オレにその意思はない」ということを身振り手振りで伝えた。そして、みんな最後にはルカリオを見て、「お友達といたいんだね」と納得してくれた。ガオガエンがニカッと笑うだけで、どんな説得も無駄であると誰にだって察することができた。
 それからも、その研究員だかなんだかは一度もルカリオとガオガエンのところに来なかった。誰も告げ口なんかしないだろう。ルカリオとガオガエンが金を貯めて村へやってきて、仲良く肩を並べて人間みたいに買い物をする、その楽しそうで幸せそうな姿を見れば、そんな気が起こるはずもなかったのだ。
 それでも、あの金はどこからきているのだろうと誰もが一度は思った。どこかで悪事を働いているんじゃないかと勘繰るところだが、ルカリオとガオガエンがそういうポケモンじゃないこともまた、誰もが知るところであった。というのも、フリーズ村には若者が少なく、だいたいいつも人手に困っている。そういうお悩み相談が何でも屋もとい八百屋には集まっていて、二匹は日頃からそういうところへ行き、手助けできることは手助けして、ささやかに報酬やお駄賃などを頂戴していたのだった。村の人間にしてみれば、二匹は野生でありながら非常に評判のいいポケモンであった。とくに八百屋などはもっぱらの太客であるこの二匹を重宝している。ルカリオがガオガエンと暮らすようになって食い扶持が倍になったことで、買い物量が増えたのは当然のことだった。二匹と八百屋と村の住人たちのあいだには、そうしたポジティブな循環が生まれている。
「はいよ。重たいから気をつけてね」
 八百屋の親父はいつもの調子でそう言った。村の年寄りならいざ知らず、人間とはパワーが違うので、もちろんガオガエンはパンパンに膨らんだリュックサックを軽々と背負った。そして店を後にする前に、「何でもご相談ください」の掲示板を見た。ガオガエンもルカリオも、稼ぎになりそうな話にはいつでもアンテナを張っている。
 その中で、ガオガエンは一枚のチラシに目をやった。それは住人の悩みではなくて、商品の宣伝であった。
「ああ、それが気になるのかい。来週には入ってくるよ」
 親父の言葉に、店の中のカレンダーを見て、ガオガエンは頷いた。次に来るときは、じゃがいもを買う量を少し減らさねえとな、とガオガエンは思った。
 ガオガエンが村を出てテントに戻ると、ルカリオは鍋でシチューを煮込んでいた。シチューのいいにおいがすることには、テントからだいぶ離れた地点からでも気づいていた。この日は残り物をまとめてぶち込んだ無節操なシチューだったが、この手の料理は大概の食い物を強引に調和させてしまうものだから便利だとルカリオは言った。
「おかえり」
 ルカリオはごく普通にそう言ったつもりだが、ガオガエンが視界に入ると、なんとはなしに表情が優しくなる。ガオガエンの方も、それでいつもいい気になる。そうか、そうか。オレが帰ってきたのが嬉しいか。
「ただいま。旨そうなにおいがするぜ」
「すぐ食うか?」
「食う」
 テントに荷物を置き、熱に弱いものは土に掘った穴に保管する。以前使っていた隠し穴はもう使っていない。いちいち手間だし、ルカリオが気にしていたほど、このテントはほったらかしにしていても野生に近づかれることはなかったのだ。ここにあるものなど野生にとっては無価値なものばかり、せいぜいが調理せずそのまま食える食料やきのみだが、それだってルカリオの住処を荒らして報復を受けるリスクを冒してまで欲しがるようなものじゃない。そのような狼藉者が現れたなら、ルカリオは波導を辿って必ず痛い目を見せてやったし、おれたちには構うな、そうすればおれたちも手は出さないという自身のスタンスを、野生のポケモンたちにいやというほどにわからせてきた。ガオガエンが受けたリンチなど生易しく思えるほど苛烈に、しかし決して致命傷にはならず回復不可能な損傷も一切残さないという、絶妙な手加減のなされた、きわめて高度なお仕置きをもって。
 濡らしたタオルでテーブルを拭く。テントの外に置いた木製のテーブルは、フリーズ村の住人がいらなくなったものをもらった。テーブル以外にも、揺り椅子や物干し竿なんてものもあった。テントの中には敷き物ではなくブランケットを敷いていて地面の凸凹を気にせず寝られるし、ルカリオは以前は渋っていた簡易コンロも購入した。今ではこの場所は本格的に二匹の拠点の様相を呈していた。生物が生きるとはそこに水があるかどうかということでもあり、水場が傍にないのが不便といえば不便だが、歩けば泉や川があるのでなんとかなる。フリーズ村へ連絡するこの街道からは離れられない。その条件は何よりも優先される。
「今日は行くのか?」
 それぞれ二つに増えた器とスプーンを用意しながら、ガオガエンは言った。食料の蓄えができたら、凍てつきの海を捜索する。ルカリオは今でもそのルーティーンを守っているし、ガオガエンが一緒に行くこともあった。
「そのつもりだ」
 ルカリオがもうもうと豪快に湯気をあげる鍋を持ってきた。先にできていた米と一緒にシチューを器に盛る。ガオガエンは、シチューといったら米と別々に食うものだと思っていた。バアさんはそうしていたのだ。最初は驚いたが、洗うものが増えるし、結局シチューは米で食うのだから別にいいとルカリオは言った。
「オレ、ちょっと巣穴でも回ろうかと思ってるんだが、いいか?」
 今日はおまえを手伝えないんだというつもりでガオガエンは言ったのだが、ルカリオの反応はちょっと予想と違った。
「今日も行くのか? 買い物したばかりだし、今日くらいはゆっくりしててもいいんだぞ」
「まあ、そうなんだが」
 そうなんだが、どうしても買いたいものができてしまったから、ちょっとでも多く金になるものを集めたいんだ。
「おれは構わないけど、そっちは一人で平気か?」
「心配すんなって。もうそこまで弱っちいオレじゃねえよ」
 二匹の共同生活が始まってから、二ヵ月ほどが過ぎていた。この二ヵ月で、ガオガエンはルカリオにみっちりとバトルの稽古をつけてもらった。元が強力なポケモンであり、ガオガエンは鍛えれば鍛えるだけ強くなったし、カンムリ雪原の手ごわい野生のポケモンは腕を磨くのに最適だった。以前は行商人に売って金にしていたけいけんアメやふしぎなアメも使って能力を上昇させた。Wショップのわざレコードで高度な技も修得した。すこし前まで、ルカリオはガオガエンだけでどこかへ行かせるのが心配で心配で、どこへ行くにも、何をするにも二匹は一緒だった。しかし今はもうその必要もなくなっている。
「わかった。でも無理はするなよ。荒稼ぎしようなんて思わなくていいからな」
「おう」
 二匹は熱々のシチューを食った。ルカリオは吹いて冷ましながら、ガオガエンは熱さをものともせずに忙しなく食う。んまい! そう言って自分が作ったものを嬉しそうに食うガオガエンを見ていると、ルカリオは自分にとって、主人を見つけることと、ガオガエンと暮らすことの、どちらがより大切なのかわからなくなってくる。それでもガオガエンに対しては様々なことを天秤にかけてでも、それでも尊いなと結論づけてしまい、優先的に選んでしまう。大切にしたい。単純に。魅力的。一緒にいたい。こいつに時間を費やすことが、おれにはたまらなく愛しい。
 現在のルカリオには情景が溢れている。ガオガエンに旨いものを食わせてやりたくて料理をするのもそう。人間一人サイズのテントでせせこましくくっつきあって二匹で寝るのもそう。主人との生活で知った色んな知識や、ランクバトルで戦ったポケモンたちのことを話して聞かせるのもそう。
 ある日、二匹で星を見ながら、星座について話したことがあった。十三星座のそれぞれの特性について。ルカリオはその中ではスコルピ座が好きだった。力と変化の象徴だ。自分の器を超えた願いを司ることもある。そしてふと気になって、こんな話を聞いて楽しいかとガオガエンに尋ねてみた。
「楽しいぜ。おまえの話はなんだって面白い」
 急にそんなかわいらしいことを言うのだから、ルカリオには、こいつが何故「あくタイプ」になんて分類されているのか、いよいよわからなくなってしまうのだった。
「また見てるだろ」
 ガオガエンがにわかに恨めしそうな目をルカリオに向けた。そりゃあ見るさ、とルカリオは思っている。ガオガエンの生活の一部始終を観察することが、ルカリオには楽しくてたまらない。ガオガエンが視界に映ると、なんかいい。メシを作るのも、金を稼ぐのも、自分のためだけにやるより遥かに有意義だと感じる。
「見るために食わせてるんだ」
「変態だな」
 試しに口説いてみたら、ガオガエンは辛辣だった。ルカリオはちょっぴり傷つく。こういうところ、なんだかんだあくタイプなのだよなとも思う。しかしガオガエンが本気で嫌がってはいないことをルカリオもわかっているので、別に気にしない。今もでっかいじゃがいもを頬張ってもぐもぐするのを、わざとゆっくりやっている。変態に見られているのをわかって自分から見せているのだから、変態はお互い様だなとルカリオは思った。
 そのようにして、二匹はたっぷり時間をかけてシチューを食い尽くした(ガオガエンがおかわりを平らげるのをルカリオはずっと眺めていた)。調理器具と食器を持って、腹ごなしも兼ねて川まで歩き、汚れものを水洗いする。すると草むらから懐っこいアーケンが二匹のところによちよちと歩いてきたので、撫でて遊んだ。
 おやつにフライドポテトを作った。ガオガエンは大喜びした。ガオガエンは、八百屋の親父が作るじゃがいもの一番旨い食い方はフライドポテトにすることだと考える。ルカリオはフォークに刺したポテトを差し出して、ガオガエンに与えた。与えまくった。口の中のものを飲み込む時間も与えられず、次から次へと差し出されて、ヨクバリスのほおぶくろのようにガオガエンの頬が膨らんでもまだ食わせてくる。いくらフライドポテトが旨いといったって、こんなんじゃ味なんてわかりやしない。「もういい、もういらねえ!」とガオガエンが首を振って嫌がっても、ルカリオは「そう言うな、ほら」と口に詰め込んで意地悪をした。ホクホクのポテトで口の中が満タンになって、ガオガエンは誰にも見られてはならないような不細工な顔で苦しそうに咀嚼していた。さすがにかわいそうになったので、ルカリオは水で流し込ませた。ようやっとポテトを飲み込んだガオガエンは「コラ!」という顔でいかくしたが、ルカリオの特性はせいしんりょくだったので通じなかった。
 深夜になってから、二匹は別々に出かけていった。ルカリオが凍てつきの海の方へ歩いてゆくのを見送りながら、ガオガエンは相棒の主人が見つかるのを願えばいいのか、それともこのままずっと見つからない方がいいのか、わからなかった。ルカリオのその行いは、言ってしまえば儀式(セレモニー)のようなもので、本当に主人、あるいは主人の痕跡を捜し出すことを目的にしているのかは怪しいものだった。
 雪中渓谷の巣穴には、こおりタイプやエスパータイプのポケモンが多く、いずれもガオガエンが得意とする相手であるので、ガオガエンの稼ぎ場はもっぱらそこだった。Wを集めながら、トレーナーたちに混じってダイマックスポケモンを退治して回る。トレーナーたちは「誰のポケモンだ?」というような顔でガオガエンを見たり、迂闊なトレーナーはガオガエンにトレーナーがいないことになど気づきもせず、見なかったりした。ガオガエンはダイマックスポケモンとの戦い方をルカリオからバッチリ叩き込まれているため、他のトレーナーの足を引っ張りはしない。高い耐久力で敵のわざを耐え抜き、タイプ相性による火力を出し続ける。時には自分の意思でダイマックスもした。そんじょそこらのトレーナーよりもよほど戦い慣れたガオガエンは誰にも邪魔には思われなかったし、戦いの後にはトレーナー抜きで戦うガオガエンに優しくしてくれる者もいて、ほとんどの場合は気持ちよくさよならできた。その場限りの即興のチーム。こういうのを人間の言葉では「一期一会」というのだと、ルカリオは言っていた。
 いい具合にリュックサックが満たされてきて、頃合いだと思ったガオガエンはテントに引き上げた。Wも巣穴のポケモンも無限に湧いて出てくるわけではない。また、どれだけの収穫が得られるのかも時の運だ。いつでも欲しいと思っただけ手に入るとは限らず、ルカリオとガオガエンが手分けしても収穫は単純に二倍になりはしないので、こうして日毎に稼いでおくことが大事だ。
 帰り道、ガオガエンはWショップに立ち寄った。リーグスタッフに目玉商品を見せてもらうためだった。ルカリオと同じく、ガオガエンもお得意様である。今日の目玉は「ヨロイこうせき」だった。ガオガエンには、それがいまいち何に使うものなのかわからない。きのみじゃないならいいやと、スルーしてそのまま帰った。
 テントには先にルカリオが戻っていた。目的が目的だけに、「今日はどうだった?」などとは尋ねない。あそこにはルカリオにとって喜ばしい結果など何一つ存在しないだろう。ガオガエンは捜索については何も言及しない。今日もガオガエンは、自分の収穫のことだけを話すつもりだった。
 気のないようすで揺り椅子に腰かけるルカリオに、ガオガエンはただいまを言おうとして、はっと口を噤んだ。ルカリオの傍らには見慣れない自転車が立っていた。その自転車がどのような意味を持つのかを想像し、ガオガエンには口にするべき言葉を思いつけはしなかった。
「おかえり」
 ルカリオは普通にそう言った。落ち込んでいるとか、ショックを受けているとか、当然喜んでいるようすでもなかった。それが意外だった。しかしそれで安心すればいいのか、それとも心配してやるべきなのか、それもガオガエンは判断がつかない。そしてルカリオは、また意外なことを言った。
「ガオガエン。ここを出よう。おれたちはこのカンムリ雪原を出るんだ」




 凍てつきの海の浜辺に主人の波導を感じたとき、ルカリオは飛び上がるほどに驚いて、しかしそこに期待するような気持ちは少しも湧かなかった。感じた波導は生命力と呼ぶにはあまりにちっぽけで、それが生きた生物の発するエネルギーでないことは見る前からわかっていた。だからあえて急ぎはしなかった。事実を受け止めるだけの心の整理はできているつもりだ。それだけの時間があった。
 浜辺には自転車が流れ着いていた。主人がこのガラル地方で乗り回していた、ロトムじてんしゃだ。ずっと乗り続けていた大切な旅の足だったから、主人の波導の残滓が残っていたのだ。
 そうか、とルカリオは思った。やっぱり死んでしまったんだな、と。この氷海の真っただ中、波にさらわれてロトムじてんしゃを離れてしまった人間が生きているわけがない。おれはもう、本当に主人には会えないのだ。かつての親友や仲間たちのところへも帰れないのだ。死んでしまった。本当に死んでしまったんだな……
 色々なことを思った気がするし、たった一つのことしか思っていなかったような気もする。いずれにせよ、ルカリオは主人の死を受け入れていた。奇跡のような確率で、主人はまた生きていると信じることもできた。主人の遺体をこの目で確かめるまで、そう信じることもまたルカリオに許された自由の一つだった。あるいは、主人が生きているかもしれないというのは事実の一つの側面ではあったかもしれない。だが少なくとも、そこに願望を持ち込むべきでないとルカリオは思った。それは希望ではなく、単なる空想、妄想に過ぎない。そんな不確かで頼りないものだけを拠りどころに生きてゆけるほど、おれの心は強くない。
 死者が、死の際まで使っていたものとは思えないくらい、ロトムじてんしゃは損傷していなかった。まったく頑丈にできたアイテムなのだった。太いタイヤは空気すら抜けていない。ルカリオがテントまで押して帰るのに、何の苦労もなかった。
 スタンドで自転車を自立させ、ルカリオは揺り椅子に腰を下ろした。別に座りたかったわけではなかった。そこに揺り椅子があったから座っただけだ。そして考えたのは、海で溺れ死ぬのは苦しかっただろうなということだった。人間は簡単に死んでしまう。ちょっと熱かったり寒かったりするだけで、人間はすぐに体調がおかしくなるのだ。そういう弱い生き物だから、おれが守ってやらなくてはならないはずだったのに、おれにはきっと油断する気持ちがあったのだ。ホウエン地方やアローラ地方の大海原だって、おれたちは旅をしてきたのだから、今さら海の一つや二つ……そんなふうにどこかで思っていた。それが大いなる失態だったのだ。同じように海で溺れかけても、おれはこうしてピンピンしているのに、主人は戻ってこられなかった。ごめんよ。こんな馬鹿な相棒で。本当にごめんよ――
 自分で思っていた以上に、ルカリオは取り乱さなかった。悲しみ、悔やむ気持ちを抱えながらも、ルカリオは次のことを考え始めていた。これからどうしよう? もうこのカンムリ雪原にいる理由はない。いてもいいし、いなくてもいい。だったら、そうだ。ガオガエンと一緒に旅をしてみるのはどうだろう? ガオガエンの夢はランクバトルに出ることだ。ガオガエンは強力な「いかく」の特性を持つ珍しい個体で、それはそのままランクバトルのパーティにガオガエンを採用する最低条件でもあった。ガオガエンはじゅうぶんに戦えるだろう。おれも、またランクバトルに出たい。研鑽と創意工夫の渦巻く、血沸き肉躍るあの舞台にまた立ちたい。だったらまずは特訓だ。バトルタワーに挑戦して、ランクバトルに向けた特訓に必要なアイテムを揃えるところから始めよう。パワーリストやパワーウェイト。きんのおうかんにミント。それから、仲間も集めないとな。でも、ランクバトルってポケモンだけで出られるんだろうか。主人はどうしてたんだっけ。特別な手続きをしていたような覚えはない。たしか、ロトム図鑑で出場するポケモンを登録するだけでよかったはずだ。であればロトム図鑑を手に入れなくてはならない。ラテラルタウンの掘り出し物市で見つかったりしないだろうか――
 ルカリオは帰ってきたガオガエンに、そういう話をした。おれたちでランクバトルに出ようと。自分たちだけではどうにもならないこともあるかもしれないが、そうなったらそうなったで、ランクバトルを志すトレーナーを探すことだってできる。だからそのためにできることを始めよう。このカンムリ雪原を出て、夢を叶えるのだと。
「いいぜ」
 ガオガエンはそう言った。
「すげえ楽しそうだ。オレも行きたい。おまえと一緒なら、きっとどこへだって行ける」
 それはガオガエンの本音だった。十割、ルカリオの提案に同意していた。それがいい。そうしよう。オレたち、こんなところでくすぶっているだけで終わるタマじゃねえよな。
 でもな――
「でも今は、先のことなんか考えるな」
 ガオガエンはルカリオの肩に手をそっと置いた。
 ガオガエンの言わんとするところは、ルカリオにはちゃんと理解できた。
 そうかな。そうかもな。ルカリオは頷いた。
 とりあえず水浴びしようぜと、ガオガエンは荷物を置いて支度を始める。ルカリオは生まれつき人間と暮らしていたためか、割に綺麗好きなところがあって、出かけたあとの汚れを寝床には持ち込みたくないと考えていた。どんなに疲れていても、寝る前には必ず水浴びをしたがった。ガオガエンはそういうことはあまり気にしない方である。水浴びもそんなに好きではない。それでもこのときばかりは自分からルカリオを水浴びに誘った。
 二匹で川へ行き、シャンプーも使って体を洗う。三回に一回くらいはシャンプーで綺麗にするというのがルカリオの方針だ。ただ泉でシャンプーを使うと汚れと泡が残り続けるので、シャンプーを使うときは面倒でも川まで足を伸ばすようにしていた。ガオガエンが気を利かせて寒さを和らげてくれるが、寒いものは寒いので、あまり時間をかけずに手早く体を洗い、濡れた毛を乾かして、とっととテントに戻った。
 ガオガエンはルカリオに、これまでの旅の話を聞かせろと言った。冒険とか観光とか、あるいは旅ではなくランクバトルとか、イッシュで暮らしていた頃のこととか、そういうルカリオの思い出話を。そうして、ブランケットの上に寝転がりながら聞いた。そのあいだ、ガオガエンはルカリオの手を握り続けた。ほの暖かいガオガエンの大きな手を感じていると、ルカリオはどんなに過去を鮮明に思い出しても、以前ほどはつらくなかった。それでも不意に気持ちが込み上げてしまったとき、ガオガエンは我慢せずに泣いちまえと言った。
 ルカリオは大きな声をあげて泣きはしなかった。はっ、はっ、と不規則な息を吐いては吸い込むような、静かな声で泣いた。はらはらと、黒と青の色をした顔の毛を滑り落ちてゆく涙を見て、ガオガエンは「綺麗だ」と思った。ルカリオはいつだって綺麗だった。バトルのときも、メシを作るときも、水浴びのときも。強いポケモンは涙まで綺麗だ。こいつには汚いところなんて一つもないのかもしれないとガオガエンは思った。
 ガオガエンもトレーナーを亡くしている。でも、オレにはこいつの気持ちはわかってやれないだろう、とガオガエンは思っていた。オレとバアさんのあいだには絆と呼べるほどの繋がりはなかった。そんなものが生まれる前に、バアさんは逝っちまった。おっとりと優しくて、でも立ち姿はキリッとしていて、身なりが綺麗で、他の年寄りたちの着ているものなんかボロ切れみたいに見えてしまった。そういうバアさんがある日、体を壊してベッドから起き上がることもできなくなった。ガオガエンが両手で握ったバアさんの手のからは、スルスルと命が抜け落ちていくのがわかった。それはとんでもなく恐ろしいことだった。絶望していたのは、死にゆく老女ではなくガオガエンの方だった。ついこのあいだまでオレのことを、柔らかい声で「ガオガエン」とか「ガオちゃん」とか呼んでいた人間が死んでしまう。バアさんの体に見えるものは、もう二度と動くことのないただの物体になってしまう。それはいったいどういうことなのか、ガオガエンには信じられなかった。死ぬな。死んだらだめだ、バアさん。ガオガエンは怖くて、悲しくて、何度も声をあげた。この人の命を繋ぎ止めるものは何かないのかと、涙を流して震えていた。
 オレでさえ、バアさんが死ぬときはそんなだった。ルカリオの悲しみはこんなものじゃない。オレのときよりもっと、あらゆる意味で悪い。主人が死んだ悲しみだけでなく、仲間と離れ離れになった寂しさだけでもなく、主人を守れなかったという自責の念が、大きな傷になって残っている。
 ガオガエンは以前から、ルカリオに対して自分の上位互換であるように感じていた。特訓で磨き続けたバトルの強さに、旅で培った豊富な知識。人間みたいに買い物をして、自分で料理を作る。いいヤツだと思っているし、こんなすごいポケモンを他に知らない。だからガオガエンは、ときどき惨めに思った。ルカリオが経験と努力によって身につけたものの恩寵を受け続けるだけの自分のことを。オレにできてルカリオにできないことなど何もない。したがって、オレがルカリオにしてやれることも何もない。
 でも、それは違う。オレは今、ルカリオの手を握ってやれる。悲しみを分かち合うことはできなくても、一緒にいてやれる。
 図らずも、ルカリオが最初に孤独を理解して泣き暮れた同じ日に、ガオガエンもまた泣いていた。トレーナーの死という悲しみに泣いた二匹のポケモンは、その悲しみの果てに出会っている。
 オレはバアさんが死んだからここにいるし、おまえは主人を死なせちまったからここにいるんだ。オレたちって本当は、最初からそんなふうだった。だったら受け止めなきゃいけない。新しいことを始める前に、目の前にある悲しみから手をつけなくちゃならない。オレたちにはこれからがある。いつか今日のことを思い出して、この悲しみをあのとき片づけておけばよかったなんて後悔しなくていいように。どれだけつらくても、悲しくて胸が潰れてしまいそうでも。
 オレがいるから。こうして手を握っててやるから。そうしたら、一匹だけで悲しむよりも、ちょっとはよかったって思えるかもしれないから。オレがおまえにしてやれるのはそのくらいだ。でもオレ、そのくらいのことができてよかったって思う。おまえを死なせずに済んで、泣きたいときに一緒にいてやれてよかった。それはどんなに強いおまえにも絶対にできないことだ。オレがおまえにできる一番の恩返しだ。
 しゃくりあげるのを堪え切れなくなったルカリオは、喚くような大声を上げた。ガオガエンは起き上がり、腕を伸ばしてルカリオを抱きかかえた。いつかそうしたように、抱きかかえた。黙って、ただ抱きかかえていた。ルカリオの気が済むまで抱いていようと思った。
 そして、この強くて利口なルカリオが初めて、出会ってから初めて、主人を失ってから初めて、身も世もないようにむせび泣くのを、全身で聞いていた。




「一番早くて、明後日だってさ」
 村から戻ってきたルカリオの言葉に、ガオガエンはビリリダマみたいに目を丸くして驚いた。明後日だって? そんなに早いのか。
「最後のチャンスってわけでもないし、別にいつ出発してもいいけど……どのみち荷物は減らさないとな。全部は持っていけない」
 なまじテントに腰を落ち着けてしまったものだから、あると便利だと思うものはけっこう買い揃えてしまったのだった。ルカリオは、いつかはカンムリ雪原を出ようとか、なんとかランクバトルに出る方法はないかとか、前々から考えてはいた。しかしそれは、主人が昔、旅行パンフレットを広げながら「ここはいいな、あそこに行けたらいいな」などと喋っていたときのようなもので、ちゃんとした計画を立てていたわけではなかった。
 カンムリ雪原を出る方法として、ルカリオはそらとぶタクシーのアーマーガアに連れていってもらうことを考えた。あれは金を取られるわけでもなし、アーマーガアに相談して、運ぶだけならポケモンも運んでもらえるはずだと目算していた。それがだめなら山越えである。カンムリ雪原の北には険しい山脈が横たわり、ハロンタウンとのあいだを断絶してしまっている。まあ、人間には無理でもポケモンなら越えられないことはない。
 しかし実際には、フリーズタウンで捕まえた気の良いアーマーガアがルカリオの頼みを快く引き受けてくれたというわけだ。
「お、オレ……ちょっと出かけたいんだけど」
 腕組みしながら捨てる物と残す物を選んでいるルカリオに、ガオガエンは焦る気持ちを抑えながら言った。今度はルカリオが「え?」という顔になる。
「今からか? どこ行くんだよ」
「ああ~……」
 なんと言って誤魔化したものか、ガオガエンは咄嗟には思いつかない。へどもどして煮え切らないガオガエンに、ルカリオはますます怪訝になる。
「掃除が嫌だからってんじゃないだろうな?」
「ちっ、ちげえって! ちゃんとした用事があるんだよ……」
 ふうううん? と、ルカリオは思い切りジト目をくれる。用事ねえ。おれとおまえ、二匹だけで暮らしてるのに、こんなに急に、おれに言えないようなどんな用事ができるっていうんだ? ガオガエンは気まずさと焦りで視線があっちこっち飛び回る。
(つがい)でもデキたか?」
「ばっ、馬鹿! ンなもんできるわきゃねーだろが!」
 もちろん冗談だ。これだけ一緒に暮らしているのだから、ガオガエンにそんなのがいたら、いくらなんでも気づかないわけがない。しかしアズマオウ並に口をパクパクさせて否定するガオガエンは、なんだか必死で可愛い。こいつをからかったり驚かせたりするのは楽しい。でも、困らせたいわけじゃない。
「わかった、わかった。いいよ。行ってこい。メシまでには帰れるんだろ?」
「お、おう。多分……」
 どれくらい時間がかかる用事なのか、自分でもわからないらしい。ますます気になるが、ルカリオはもうそれ以上は突っ込まない。なにやら慌てて走ってゆくガオガエンを黙って見送った。
 で、ガオガエンはもうすっかりパニックだ。まずい、まずい。明後日だって? まさかこんなに早く話がまとまるなんて思わなかった。もうちょっと日に余裕があると思ってのんびりしていたのに。
 二足から四足になり、足音も隠さず疾走するガオガエンを、何事かと野生のポケモンが目を向け、また逃げてゆく。派手な色合いの毛並みであるし、体も小さくはないので気配は賑やかだし、甚だ目立つ。
 あっという間にフリーズ村へやってきたガオガエンは、脇目も振らずに八百屋へ走った。
「おお、なんだなんだ? そんなに慌てて、どうしたよ?」
 八百屋の親父は、遠くから自分とこの店に向かって突撃してくるガオガエンに仰天した。ハフハフと息を荒げながら、ガオガエンは店先に並ぶ商品に目をやった。
「あ、ああ、これかい。ウチでも今日から売り始めたよ」
 ある。店の一番目立つところに、チラシで宣伝していたアレらがでんと鎮座している。それはいいのだが……
 問題は、ガオガエンには金がないということだった。つい昨日、八百屋で買い物をしたばかりなのだ。しかもカンムリ雪原から出ることも具体的に決める前だったから、いつもみたいに残った金はみんなじゃがいもに使ってしまっていた。ガオガエンは店先でウググと唸りながら頭を抱えたくなる。
 しかし、まだ望みはある。それは八百屋の実態であるところの「何でもご相談ください」の張り紙。ガオガエンは藁にも縋る思いで親父の手を引き、ガイガイとまくし立てながら、張り紙を指さし、目当ての商品を指さし、何か仕事はないのかとジェスチャーも交えて一生懸命に伝えた。ガオガエンには文字が読めないし計算もできない。どのくらい稼げばいいのか、またどの依頼がどの程度の報酬なのかもわからない。
 いつものようにダイマックスポケモンを退治しても金目の物を集めることはできるのだが、物を金に換えてくれる肝心の行商人が、いつでも村にいるわけではないのだ。ガオガエンとルカリオが村で買い物をするためには、行商人がやってくるタイミングに合わせなくてはならない。そして行商人は、昨日を境に何日か村へは来ないことがわかっている。仕入れだのなんだの、ガオガエンにはわからない事情があるのだろう。
 ガオガエンもルカリオも、基本的には根無し草だ。明後日、カンムリ雪原を出発するのは不可能でもなんでもない。できることをあえて先延ばしにする言い訳をガオガエンには考えられる自信がないし、何よりルカリオと一緒にガラル地方を旅すること自体は、ガオガエンも楽しみだったのだ。そうなれば明日一日は、出発の準備と休息にあてるべきだろう。
 旅先で同じものが手に入るかどうか、金を稼げるかどうか、カンムリ雪原を離れたことのないガオガエンにはまったくわからない。今日しかない。親父に仕事を見繕ってもらい、今日のうちに全てこなして、なんとか報酬を得るしか手はないのだ。
「わかった! わかったからそう揺らしなさんな! 少し落ち着いとくれよ!」 
 ガオガエンの言いたいことは親父になんとか伝わったらしい。親父はいくつかの張り紙を見て、一度店に引っ込み、依頼主に電話をかけた。何度か電話を繰り返して、ガオガエンのところに戻ってくる。
「あんた、地図はわかるかい? ここが今いる八百屋。で、お客さんの家がここだ」
 これまでは、お悩み相談の依頼をこなすときはルカリオが先導してくれていた。今はガオガエンだけだが、地元のことだし、村を隅々まで知り尽くしているとは言わないが、地図さえ見れば目的の場所まで行くのは簡単だ。親父はガオガエンにタウンマップを持たせてくれた。
「仕事の説明は向こうでしてくれるよ。あんたが行くってことは伝えておくから。終わったら戻ってきなさい。次の依頼を手配してあげるよ」
 ガオガエンの表情は一気に晴れた。そうと決まれば仕事である。喜び勇んで、ガオガエンは店を飛び出していった。
 そのような次第で、ガオガエンは村を飛び回り、働きまくった。雪下ろしと言われればシャベルを担ぎ、畑仕事と言われれば土にまみれ、古い家財を捨てたいと言われれば重いものを運び出し、知り合いから預かっているエレブーがやんちゃで困っていると言われれば、バトルでストレスを発散させた。
「やあやあ、お疲れさん。大変だったね」
 最後の依頼を終えた頃には、すっかり日が傾いていた。ガオガエンはダイマックスポケモンを何度も相手にするよりよほど疲れたような気がしていた。金を稼ぐことの本来の大変さが身に染みる思いだ。高く売れる物を集めて金を儲けるという自分たちのやり方は、実はかなり効率的かつ省力的な方法なのではないかと思った。無論、それが可能なだけのバトルの強さがあってこそではあるが。
「じゃあこれ。あと報酬のお金ね。代金は引いておいたよ」
 元々、代金ギリギリになるよう合わせて計算してもらった報酬だ。親父の取り分を引くと残った金はオニスズメの涙ほど。それでも労働の対価は尊い。目的の品を手に、ガオガエンは感慨深かった。
「しかしあんた、よく働くねえ。ウチの店員になる気はないの?」
 親父の息子が二代目になるらしいのだが、サボってばかりでボンクラ仕事しかしないという、てんでやる気がないようすだそうだ。働きぶりを認められて存外嬉しいガオガエンだったが、自分はこれから旅に出る身であるから、せっかくの誘いには曖昧に笑うことしかできなかった。
「またおいでね。これ、サービスしとくよ。いつもウチで買ってくれるからね」 
 昨日もたくさんじゃがいもを買ったのに、また一袋分もらってしまった。思えば、村を出てから親父にはずいぶん世話になったものだ。旅に出たら、ここのじゃがいもはもう当分食えないのだ。改めてそのことに思いを馳せると、ガオガエンは寂しい気持ちがした。
 あんたンとこのじゃがいもは旨かったよ。ありがとうな。ガオガエンはそんな思いを込めて、伝わらないことは承知の上で、親父にガウガウいった。今日一日の感謝や、自分が旅に出ることをちゃんと伝えられなくて切ない。わかってるのかどうなのか、親父はうんうんはいはいと頷くだけだった。
 ともあれ、無事にブツは買えた。体は疲れていても、足取りはウキウキと軽くなる。早くルカリオに見せてやりたい。寄り道せずに、そのままテントへ帰った。
「ああ、おかえり」ルカリオはテーブルに器を並べているところだった。そしてガオガエンの身なりを見て、「なんだ? ずいぶん汚れてるな」
「ただいま。ちょっと、仕事してきてよ」
「ふうん? 大事な用事っていうから何かと思ったけど、仕事だったのか?」
 ルカリオは小首を傾げるが、深くは追及しなかった。「今日はポークチャップだぞ。もうすぐできるけど……先に水浴びかな」
 帰る途中から、ケチャップのような匂いがするなとは思っていた。ポークチャップなる料理がどんなだか知らないが、ルカリオの作るものだからきっと旨いのだろうとガオガエンは思った。
 ガオガエンのウキウキはソワソワに変わってきていた。できるだけ、なんでもないふうを装いたい。
「なあ、ちょっとこれ、見てくれよ」
「ん? なんだ、これ……あっ」
 ガオガエンは八百屋で買ってきたばかりのものをルカリオに差し出す。ちょっぴり上等な紙袋を受け取り、中身を出すと、赤を基調にしたカラフルなラッピングで、リボンに真っ赤なバラの花が一本添えられた、ハート型の箱だった。
「へへ……これ、おまえにやる。本当は、まだちょっと早いんだけどよ。バレンタインデーって言うらしいな?」
 ルカリオにも、当然バレンタインデーの知識はあった。そうか。こいつ、今日はこのために出かけてたんだな。ルカリオが生まれたイッシュ地方ではバレンタインデーの文化は少し趣が異なっているのだが、カントー地方やジョウト地方、ガラル地方ではこうやって――
 ん? ちょっと待て。この色、この包装、この箱の形……そうだ。間違いない。
「おまえ、これ……あっ、開けていいか?」
「お? おう」
 嬉しさに破顔しかけていたルカリオが、急に血相を変える。
 ガオガエンはもちろんルカリオにプレゼントするために買ったのだから、いつ開けようとルカリオの好きにすればいいのだが、苦労して買ったものだから、もうちょっと驚くとか喜ぶとか、リアクションしてもらいたかった。しかし、ルカリオはそれどころではないといった感じで、丁寧な包装を大急ぎで剥がし始める。何をそんなに焦っているんだろうかと、ガオガエンは疑問に思った。
 ルカリオが慌てた理由は、すぐにわかった。
「あっ……えっ、ええ?」
 包装の中身は、ハート型のボックス。紙よりずいぶん丈夫にできていそうな、美しいボックスだった。蓋を開けると、中にはルカリオの想像どおり、チョコレートが入っていた。バレンタインの、特別なチョコレートだ。ボックスの中は三段重ねになっており、一段一段が四角い枠でいくつも区切られていて、そこには色んな形の――丸とか、四角とか、ハート型のチョコレートが入っていた。色も違う。一つ一つ味が違うのだろう。
 だが、それらはいずれも溶けている。辛うじて元の形状がわかる程度の面影を残し、溶け崩れているのだ。
「あ、ああ、そんな……」
 体温で溶けてしまったのだ。ガオガエンの――ほのおタイプのポケモンの、傍にいるだけでほかほかとあたたかい、電気ストーブのような体温が、村を出てテントに戻るまでのあいだにチョコレートを溶かしてしまっていた。
 ガオガエンはチョコレートという人間のお菓子がどんなものか知らなかった。食べたこともないし、熱に溶けてしまうなんて想像もしなかった。八百屋のチラシを見て、知識としてぼんやりと知っている人間の行事に乗っかってみたくなったのだ。
 それなのに……せっかく今日一日、苦労して手に入れたチョコレートだったのに。チラシの写真みたいに、綺麗なお菓子をルカリオにプレゼントしてやれるはずだったのに。
「ご、ごめん……こんなはずじゃあ……オレ、おまえになにかプレゼントしてやりたくって……」
 ショックを受けたのは、ルカリオではなくガオガエンの方だった。ルカリオに日頃の感謝の気持ちを伝えられればと思っていた。記念日のプレゼントだし、店で一番いいものを買うためにガオガエンは頑張った。それだけに失望は大きかった。一度くらいルカリオの前で格好をつけてみせたかった。オレは料理なんてできないから、その代わりに旨いチョコレートをルカリオに食わせてやりたかった。それなのに、こんなことになるなんて。
 チョコレートが溶けたみたいに、ガオガエンも力を失ってその場に崩れ落ちた。座り込み、ガックリと肩を落とす。なんだか急に疲れてしまった。
 ルカリオはチョコレートボックスをテーブルに置き、屈んでガオガエンの肩を抱き寄せた。
「大丈夫だよ。食えなくなったわけじゃない。これだけ寒いんだ、すぐに冷えて固まるよ」
「そうなのか? でもよ……」
「それにさ。おれも実は、用意してたんだ。チョコレートじゃないけど、バレンタインのお菓子」
「え……」
 ガオガエンは顔をあげる。本当に? だって、バレンタインはまだ先だぞ。
 おかしいな。ルカリオは笑って言った。おれたち、まるっきり同じこと考えてたんだ。
「旅に出たら、何かと忙しくなるだろ。やるなら今日しかないかもって思ってさ。作って待ってたんだ。だから、デザートに一緒に食おう」
 でも、その前に水浴びしねえとな。ルカリオは強引にガオガエンを立ちあがらせた。 
「ほら、そんな顔するなって。バレンタインは気持ちを伝える日だぞ。おれ、まだおまえの気持ち、もらってない。それともそんな泣きベソで気持ちを伝えるつもりか?」
 ちぇ、だ。ガオガエンは拗ねたいような気がした。格好をつけるつもりだったのに、励まされてしまった。ルカリオの方がよっぽど男前だ。
「おまえは何を作ったんだ?」
「それは見てのお楽しみ」
 やっぱり適わねえや。オレの相棒は、いつだってオレより一枚上手なのだ。




 ルカリオが作ったのはパイだった。モモンの実を甘く煮て、オーブンの代わりにスキレットに皿を敷いて蒸し焼きにした。
 イッシュでは、どこの家でもよくホームパーティを開く。何かの記念日や行事でなくとも、何かと理由をつけては、本当にことあるごとに開くのだ。パーティのために、ホストは朝早くからずっと料理を作る。パイはオーブンでデカいのを一気に作れるし、大勢で囲んで食えるのでパーティに出すものとしてはポピュラーなお菓子だ。
 イッシュにもバレンタインデーの風習はあった。二月十四日が「愛の日」であることも変わらない。女から男へ、ではなく、男が女に向けて、気持ちを伝えるチャンスの日。贈るのはチョコレートではなく、メッセージ・カードやハートのバルーン。豪華なディナーや花束、アクセサリー。ただ、「愛の日」というのは恋人たちの日ということではなくて、もっと広義的な、家族や友人なども含めた特別な日という感覚だ。ルカリオが用意したパイも、特別には違いなくとも、あまり重過ぎる意味を持たせないようにと、気軽な気持ちで食えるものを選んだのだった。
 ガラルの人間たちは情熱的だ。バレンタインのチョコレートにバラの花をくっつけてくるなんて。
 しかし、それをガオガエンが理解しているのかどうかで、話はまったく変わってくる。人間の風習をちゃんと理解してチョコレートを買ったのか、それとも深く考えずに行事に便乗してみたかっただけなのか。
 水浴びで体を綺麗にしてからメシを食い、ルカリオが作ったパイとガオガエンが買ったチョコレートをテーブルに並べた段になって、ルカリオは言った。
「な。それ、スプーンで中身、見てみてくれよ」
「え?」
 ガオガエンは、スキレットで作られた小ぶりなパイに目を落とす。中身を見ろったって、これ、小さくてもパイらしく網目の形がよくできてるのに、崩しちまうのがもったいない。
「どうせナイフなんかないし、崩して食うしかないんだからさ。気にしないで、ほら」
「んん……」
 よくわからないが、言われたとおりにスプーンを手に取り、真ん中のあたりを生地ごとくり抜く。さっくりとした手応えに、ごろごろとしたきのみと、とろりと溢れるシロップの重さ。見ろと言われたので、ガオガエンは顔を寄せ、スプーンですくったものを確かめる。
「あ……」
 モモンのみは、小さなハート型に切り取られていた。
 ルカリオは照れくさくなり、それを隠したくて笑った。
「バレンタインなんだからと思ってな。村で型を見つけて、やってみた。イッシュ流、ガラル風って感じかな」
 ころころと笑うルカリオから、ガオガエンは目を離せない。
「な、ガオガエン。おまえはバレンタインがどんな日か、ちゃんと知ってたのか?」
 ガラルに生まれて育ったおまえは、この地の文化としてのバレンタインを、どのくらい知っているんだ?
 おれにくれたこのチョコレートには、いったいどんな意味があるんだ?
 聞きたい。それがたまらなく知りたい。でも聞きたくないとも思う。明らかになってしまっては、なんだそんなものかと興醒めしてしまうかもしれない。
 ルカリオは胸がドキドキして、息が苦しかった。ガオガエンも、自分が何を尋ねられているのかが理解できて、同じくらい胸が苦しい。
「し、知ってる……」
 知っていた。ガオガエンは知っていた。バレンタインは愛を伝える日であることを。いつかバアさんの家のテレビで再放送のドラマをやっていて、それで観ただけだけど、オレには関係ない話だなと思って気にも留めなかったけど、知識としては知っていた。でもルカリオは、何の気のないプレゼントとして受け取ってくれると思ってた。それでオレは、いつもありがとうな相棒って、これからもよろしくって、それだけ言えればいいと思って……
 しかし、ルカリオはパイに包むモモンのみをハート型にしてしまっていた。その時点でガオガエンのチョコレートが意味するものは、まったく変わってしまわざるを得ない。オレが知っていることをルカリオが知らないわけはないとは思ってた。でもだからって、こんなふうになるなんて予想できるわけがない。バレンタイン当日でもないのに、オレたちどっちも、同じ日に同じことを考えた――
 チョコレートは渡した。でも、オレの気持ちはまだ、届けていない。ありがとうのほかに、届けるつもりのなかったオレの気持ち。
「す、好き、だ」ガオガエンは言った。「おまえのこと……好きだ」
「好き」と、ルカリオは繰り返した。「それって、どんなふうに?」
 硬い唾を飲み込む。二匹はどちらとも、相手の目を見つめたまま動けなかった。
「愛してる」
 言った途端、ガオガエンの頭に湯気が上りはじめた。本当に湯気が出ているのだ。ガオガエンの体の中で熱が高まって、冬の寒空の下でそこだけが局所的な熱帯となっている。
 本気なんだ、とルカリオは思った。こいつは本当の意味でおれのことを好きなんだ。
「それ」
 ルカリオが指差したのはチョコレートのボックスだ。ガオガエンがチョコレートを見て、それから自分に目を戻すのを待ってから、ルカリオは言った。
()()()()
 あのときしてくれたみたいに。あのときとはまったく違うように。
 ぶわりと、ガオガエンの赤と黒の毛が膨らむ。それらが体に着地するまでたっぷり間をもたせてから、やがてガオガエンは黙ったまま手だけを動かし、ルカリオを誘った。ルカリオは立ちあがり、おずおずとガオガエンの膝に座り直す。
 溶けて固まり、形が崩れたチョコレートをガオガエンが一粒摘まみ、口に運んだ。噛み砕き、舌の上で唾液に溶かす。外側のチョコレートが割れると、中からとろりと違うものが溢れるのがわかった。
 ルカリオがそれを見ている。ガオガエンが、見ているルカリオの顔を上に向かせると、いよいよ鼻息が荒くなった。一度目は、気を失っていた。二度目は、食う力がなかった。だけど今は違う。オレたちはお互い、行為そのものを目的にしている。
 鼻先同士がぶつからないように、顔を傾けて、ガオガエンは口づけた。ルカリオは最初から口を開いて受け止めた。口の中のものを流し込む。生あたたかい液体となったチョコレートが注がれて、ルカリオは歓喜に打ち震えた。
 ガオガエンの口の中へ、舌を差し出す。チョコレートにまみれたその舌を舐めると、ビクリと体が震えた。そうしてガオガエンの方からもルカリオの舌を舐め始めると、くっつけ合った口の中で、溶けたチョコレートを唾液と一緒に何度も交換した。
 愛してる、と言われた。
 愛なんて言葉……ルカリオにはそれがどんな感覚だかわからない。でも、言いたかった。おれも愛してるよと。おまえのことをずっと、ずっとずっと好きだったよ。おまえがおれのことを、そんなふうに想っていたなんて知らなかったよ――
 甘さと苦さを口の中で味わい、飲み込む。その途端、カッと喉が熱くなった。心情としてではなく、肉体的な感覚としてそれは起こった。
「ん、ぐ……」
 ルカリオは悟った。これ、ボンボンだ。ガオガエンが買ったチョコレート、ウィスキーボンボンだったんだ。
 別に、ポケモンに酒が飲めないわけではない。でもそうとは知らずに無警戒で飲んでしまったから、ルカリオは目を白黒させて驚いた。ルカリオが呻いたので、ガオガエンは慌てて口を離す。
「どうした。大丈夫か? 苦しかったか?」
「ん、いや……これ、酒が入ってるな。ちょっとビックリして……」
「あれ、マジか……」
 ガオガエンはバツが悪くなり、頭を掻いた。中から何か出てきたとは思ったが、あれは酒だったのか。
「知らないで買ったのか?」
「一番見た目がいいのを買ったんだよ。値段とか、中身とかよくわかんなかったし……」
 チョコってすンげえ甘いのな。ガオガエンはガオガエンで、そう言って驚いている。
「オレ、今日は失敗してばっかりだ。かっこわりい……」
「そんなことない」
 ルカリオはにこりと笑って、ガオガエンの顔から長く伸びる赤い毛の部分を両手で掻き撫でた。
「なあ、好きだよ」
「あ、あえ?」
「おれもガオガエンのことが好きだよ。愛してる」
「い、今……そんな話、してなかっただろがよ……」
 ガオガエンは照れてモゴモゴいう。ルカリオは体を擦り寄せた。くっついていると暖かい。冬毛がふさふさしていて、毛布みたいですごく気持ちいい。
「ルカリオ。オレも、その……いいか?」
「いいって? 何がだ?」
「だ、だから……」
 口ごもりながら、一瞬だけテーブルに目を滑らせる。
「オレも……おまえのパイ、食いてえな……」
 そんなおねだりをされたら、断れるわけがない。もちろんルカリオはスプーンに手を伸ばしたが、それはそれとして一つ思った。
 やっぱり、変態はお互い様だ。
 久しぶりに作ったモモンのみのパイは、上出来だった。 




「はあっ、はあっ!」
 熱い。体がたまらなく熱い。少しだけ開いたドアパネルから吹き込む夜風がすごく気持ちいい。
 テントのブランケットの上にごろりと横になって、ルカリオは背後からガオガエンに抱きしめられていた。ガオガエンに比べて三分の一ほども細い体を大きな手でまさぐられると、それだけでどこもかしこも気持ちよかった。くすぐったくて、嬉しくて、もっとしてもらいたくなる。ガオガエンの足のあいだに通した尻尾が、ぶんぶんと空気を切って動き回っていた。
 二匹はどちらも飲酒の習慣などなかったので、ボンボンを食っていると段々と体がふにゃふにゃになってきた。切り株の椅子に座っているのもだるくなってきたので、テントの中に場所を移し、それでもボンボンを食うのをやめなかったので、もう体を起こしているのも面倒になって、こうして寝ながら体を触り合っている。
 ルカリオの体が熱いのは、ガオガエンがくっついているからでもあり、アルコールのせいでもあり、発情しているからでもあった。好きで好きでたまらないガオガエンと人間みたいにキスなんてしていたら、もっともっと愛し合いたくなるのを抑えようもなかった。耳の裏や首筋、肩、背中、脇腹、腿に足の付け根、尻尾の根元など直接的な性感帯こそ避けているのに、どこを触ろうが何も知らない甘ったれのキルリアみたいに可愛く鳴いて嬉しがるこのルカリオに、ガオガエンもオスとしての欲望がどこまでも高まってゆくのを感じる。けっこう最初のうちから二匹はチンポをガチガチに勃起させていて、でもお互いそれに触ってしまっていいのか探り探りのままで、まだ一度も触れていない。興奮の強さに反してまったく刺激を受けていない二匹のチンポは、びゅうびゅうと我慢汁を哀れなほどに漏らしていて、その生ぐさいようなオスのフェロモンをテントの中にむんむんとブチ撒き続け、エロ汁のにおいを嗅ぎとってはスケベな気分を勝手に昂らせるという、非常に効率のよい永久機関となり果てていた。
 ガオガエンに触られて気持ちいいし、柔らかい毛に包まれて気持ちいいし、酒で頭も体もふわふわするのも気持ちいいし、大好きなポケモンとこんなことをしているのも気持ちいい。何もかもがポジティブな感覚しか与えてこない状況に、ルカリオは頭がおかしくなりそうだった。一つ不満があるとすれば、おれだってガオガエンに触りたいのに後ろから抱っこされているからあんまり触れないということだ。
「後ろから抱っこされるの、好きなくせに」
「後ろから抱っこは誰だって好きだろぉ」
「悪い悪い。ほら、チョコだぜえ。あーん」
「あ~……」
 寝る前のこんな時間に、こんなに甘いものを食いまくって、おれたち間違いなくデブるなとルカリオは思ったが、旨いものは旨いのだからこの快楽を享受せずに生きるなどクソである。口に入れられたチョコレートを強く吸って割ると、アルコールの強いウイスキーの原液がじわっと広がる。甘さと苦さの絶妙な兼ね合いがなされた風味。そこへ顔を覗き込むみたいにガオガエンが口づけて、二匹で仲良く半分こした。
 このようにして、ルカリオとガオガエンはボンボンを急速に消費していった。チョコレートとウイスキーと唾液の化合物を舌に乗せてとろとろと絡ませ合い、酔っぱらっているせいで口から溢れて零れ、互いの毛を汚してもちっとも気にならない。そんな体を触り合うものだから口の周りといわず体のあちこちがチョコレートとウイスキーと唾液に汚れていて、相手の体からいいにおいと自分のにおいがするというたまらない興奮材料になってしまい、歯止めのかけようがなかった。
「んふっ、んん、んやっ、んっ!」
 ねちゃねちゃと茶色い糸を引きながら口の中を貪り合い、ガオガエンがいよいよ辛抱できずにルカリオのチンポに悪さを始める。とっくに皮がズル剥けて亀頭球までパンパンに膨らんでいる可愛い可愛いチンポを、チョコレートまみれの手で包み込みニギニギしてやると、エッチな気持ちよさにルカリオがキスを振りほどこうとする。わかってる、わかってる。ちょっと触られただけで射精しちまいそうなんだよな。根元から先っぽまで、じっくり三回も擦ればびゅーびゅー精子を吹いてキュンキュン甘え声を出しながらイッちまうんだろう? ガオガエンにはそれがちゃんとわかっていた。なぜって、オレも同じだから。この手でルカリオをよがらせている。オレの手が触れるだけでルカリオはもっともっとと媚びて鼻を鳴らす。体じゅうどこもかしこもエロくなっちまって、そんなルカリオをもみくちゃにして虐めているだけでチンポが興奮して仕方ない。
 ルカリオ。大好きな相棒。オレのまったくの上位互換。そんなやつがオレごとき存在に心の底から淫乱にさせられている。オレに愛されたくて愛されたくて、触る前からチンポをぬるぬるに濡らしている。それは童貞のガオガエンにとっては暴力的なまでの色香であり、媚薬であった。めちゃくちゃに抱きしめて、呆れるほど長い時間キスをして、思い切り気持ちいい絶頂で甘やかして、おまえのことが大好きなんだと骨の髄まで覚えさせてやりたい。酒でぐらぐらする体でぐったりとルカリオを押し潰し、根元から先っぽまで、ぐっちゅりとシコってやる。
「ふんんんっ! あふっ、らめへ……でひゃうぅ!」
 ガオガエンの手をルカリオの両手がぎゅっと握って制止する。愛情たっぷりの手コキを拒絶されるのは寂しいが、ルカリオの口からエロい言葉が聞けそうなので、ガオガエンはキスをやめた。
「なんでだ? なんでいやがるんだよ。ん?」
「きっ、きもちいい、から……」
「気持ちいいのがいやなのか?」
「ち、ちがう……いやじゃ、ないから……だめ……」
 呂律が回ってないのがまたエロ可愛いが、言葉選びはまだるっこしい。「もっと正直に言えよ。ちんちんイッちゃうんだろ?」
「うっ……そう……ちんこ、きもちよくてぇ……おれ、おれ、すぐ出ちゃう……」
「じゃ、イくとこ、見して?」
 ガオガエンの口からは、酔いにでろでろに蕩けた、スケベなオスの声が出た。そんなふうに色気たっぷりにエロい要求をされて、ルカリオは心がどんどんメスにされてしまうのを感じていた。なんでだ。最初はおれが主導権を握っていたのに、いつの間にか立場が逆転している。ガオガエンのやることなすことに、いちいち胸がときめいてしまって、苦しい。ずるい、ずるい、ガオガエンはずるい。おれだって触りたい。ガオガエンを気持ちよくさせてやりたい。おればっかり気持ちよくさせてもらうのは卑怯だ。
「ほら、手どけな? 足開いて……」
 命令し、ガオガエンが体を離した。身を縮めて恥じらうルカリオをじっくりと観察できる位置につき、素直になるのを待つ。
「う、あうぅ……」
「顔も隠すんじゃねえよ? ぜんぶ見せろ」
 ああ、だめだこれ。どうしようもないだろ。
 言う通りにしてしまう。何が何でも従いたいと思ってしまう。ガオガエンに屈服して、ガオガエンが思った通りに扱われたいと心が強烈に欲望している。胸がきつい。息が苦しい。こんな姿を見られるのは恥ずかしいのに、嬉しい。格好悪いおれの姿を求めてくれるおまえがたまらなく愛しい。もっと見てくれ。もっとおれに夢中になってくれ。もっとおれでエロくなってくれ。
 自分で足を抱え、ケツ穴まで丸見えにする。真っ赤に腫れてビンビンのチンポと、すぼまった肛門のむっちりした肉の色が、下半身の青い毛色に映える。そのコントラストは体のエッチな部分だけを強調しているかのようだ。キンタマは根元にぎゅうっとせぐりあげて縮こまり、準備万端。ガオガエンはヒュウと口笛を吹く。こりゃ一生のオカズだぜ。
「よしよし。言うこと聞けたお利口さんには、ちんちんいい子いい子してやろうな」
 ルカリオへの欲望が狩猟本能をかきたてるのか、次から次へと生唾が湧き上がる。それをチンポへだらだら垂らしてやってから、しっかりと握って、まずは一回。亀頭球は根元から引っ張り上げるように。竿は手のひらの毛で唾液のにおいをま舞踊にすように。そして先っぽまで到達すると、じゅるんと根っこまで一気に扱き下ろし、手のひらの筒をチンポに貫かせる。
「ふあああッ! あッ! だめ、もうイくッ! 我慢できないぃぃ!」
 ルカリオは尋常ならざる快感を受けて、声を抑えることもできない。こんなのおかしい。今まで射精なんていくらでもしてきた。パートナーのいないオスがみんなそうであるように、ルカリオも数えきれないほどの数、自分を慰めてきたのだ。でもこんなに気持ちよかったことなんか一度もない。チンポが気持ちよくて両脚が震えたことなんて――
「誰が我慢しろって言ったよ? ほら、チンポシコってもらえて気持ちいいだろ?」
 ぐじゅ、ぐじゅ、音をたて、ガオガエンの手がまた往復した。
「うあッ! あああ! 気持ちいいっ! 気持ちいいよぉ! いく、いく! イッ、くぅぅ――」
 もう本当に限界だったのだ。ガオガエンとイチャイチャするのが気持ちよくて気持ちよくて、ルカリオはチンポを触られる前から感度が高まり過ぎていた。
 びゅうっ、びゅううう、びゅっ、ビュ~~~ッ――
「よォくできましたァ!」
 噴水のようにザーメンが吹き上がると同時、ガオガエンはめちゃくちゃにシコってやった。小便じみた勢いと長さで放たれるチンポミルクが出なくなるまで責め続ける。テントの中は一気に生臭さと青臭さを増し、今まさにオスが盛っているというその証拠はより動かしがたく、より強固なものへリアルタイムに更新されてゆく。
「はうッ、あうぅぅッ! きもちいい、ちんこ溶けそぉ……!」
「へへ……可愛いなあ。どんどんエロい顔になってンぜ」
 ルカリオの体は、肩と尻を起点にして完全に仰け反り切っていた。腹を突き出して背中を浮かし、快感に耐えられなかったチンポをイかせて本気汁を漏らし、テントの天井方向に放たれたそれを自分の顔にまで浴びせかける。体はオスの本能に従い、ガオガエンに種付けしようとキンタマが馬鹿になったように精子を吐き出しているのに、ガオガエンからの寵愛を求めるルカリオの心は今、完璧なまでにメスだった。苦しげに追い詰められた表情は一変し、切なく眉間に皺を寄せ、泣き出しそうな表情でぺろりと舌を垂らし、ふにゃふにゃでトロトロなイキ顔をガオガエンに見せる。びちゃびちゃとオス臭く体を汚してゆく大量の精液は、ルカリオが持つオスのポテンシャルを感じさせる。しかしルカリオがチンポをビンビンにさせるのは自身と同じオスなのだから、このザーメンは全部が無駄汁。いくら出してもチンポが気持ちいいだけ。そして量が多ければ多いほど、ルカリオがどれだけムラムラしていたのか、ガオガエンにイかされてどれだけ気持ちよかったのかがよくわかり、ガオガエンは興奮する。ガオガエンに比べれば大人と子供ほどに差のある小さな体で、ルカリオは今、文句なしに過去最高のチンポイキをキメていた。
 はふはふと乱れた息をして、ルカリオの潤んだ目がぼんやりと上向きになる。熱に浮かされたようなそのトロ顔に、ガオガエンはまたディープキスをした。力の抜けたベロを掻っ攫い、下からではなく上からも汁を絞り取る。きゅふ、と鼻にかかった空気が愛らしい音をたてて抜け、そのままきゅうんと甘え声に変わり、ルカリオの両手はやわくガオガエンの頭を包んだ。




「ふあっ! ああッ! いっちゃう! いっちゃうからぁぁ!」
「んん? もっとしてくれってか?」
「あッ! やめでぇ……! あ、あたまっ、ヘンになるッ!」
 ルカリオは四つん這いで後ろからケツ穴をほじられながら、同時にチンポを扱かれていた。ガオガエンがミルタンクの乳を搾るように根元の瘤を揉み、ぎゅうっと引っ張りながら扱き下ろす。肛門には指が三本も突っ込まれ、中に入り込んだ空気が時々ぷすっと抜ける音がして、たまさかルカリオは恥ずかしがった。聞かないでくれと羞恥に顔をくしゃくしゃにするルカリオは、まったくの逆効果だった。もっと聞かせろとガオガエンのサディスティックな部分を調子づかせ、きつく閉じようとするアナルをぐっぽぐっぽとほじくり返す。排泄に使うそんなところを着実に性器に仕立て上げられてゆく背徳感も、今は感じている余裕がない。昂り過ぎたルカリオの体はガオガエンに与えられるどのような刺激をも求めてしまう。チンポの裏側あたりにあるオスの弱点を尻の穴からぐりぐりと虐められ、こそぐように指を擦りつけられるとメスじみた快感がでんじはの痺れのように全身に広がってたまらない。体中全部を前立腺刺激の気持ちよさで満たされながら、手コキでオスの快楽まで加えられると、ルカリオはキュンキュン鳴いて許しを請うしかなくなる。おまけに、ガオガエンはルカリオをイかせるときはチンポをしゃぶった。脚のあいだに頭を潜り込ませ、あたたかくぬるついた粘膜で愛おしく竿を包み込む。亀頭球を口吻で甘噛みし、鋭い牙で傷つけないよう、大事に大事に吸引するのだ。
 じゅるるっ、ずずっ、くぽ、くぽっ、ずぞぞぞ――
「あふっ、やああ! それ気持ちいいッ! フェラチオしちゃだめええぇ!!」
 あえて空気を孕ませて吸ってやると、スケベな音と刺激が増してルカリオは嬉しがる。どぷどぷとガオガエンの口に精子を送り込んで種付けしながら、反動できゅっ、きゅうっときつくなるアナルにもじゅぽじゅぽ指を出し入れさせる。口では何を言おうが、前も後ろも、ガオガエンに責めてもらえることを歓迎してくれる。責めれば責めるだけルカリオの体はエッチになってゆくものだから、どんなに嫌がられてもガオガエンはやめられそうにない。ガオガエンは決してルカリオに苦痛を与えてはいなかったし、ルカリオはオスとメスのオーガズムを同時に味わうことに戸惑っているだけだ。ガオガエンは、それをルカリオが受け入れるまでエッチする気満々であった。オスがケツをほじられて気持ちよくなるのは当然とルカリオが受け入れ、ただの言葉であってさえもガオガエンから愛されることを拒絶しなくなるまで、徹底的によがらせるのだ。
 ガオガエンは指を抜き、ケツ穴にキスをする。口に受け止めた精子をどろりと注ぎ入れ、自分自身に種付けさせてやった。このようにしてガオガエンはルカリオとの交尾の潤滑油の代わりとしていた。その意味においては、チョコレートも素晴らしい働きをしていた。唾液に溶かしたチョコレートを性器に塗りたくるとぬめりを持続させてくれるだけでなく、排泄器官独特の臭気もごまかしてくれる。甘くコーティングしたチンポとアナルはいつまでだって舐めしゃぶることができそうだった。それでも最初、アナルを舌で愛撫したときルカリオは「そんなところを舐めるな」と弾かれたみたいに嫌がった。しかしガオガエンが、「ちゃんと洗ってきたんだろ? きれいなにおいだ」、そこを使うことをちゃんと想定して清潔にされていることを指摘すると、何も言い返さずに黙ってしまった。
 だいたい、出会ったときからして口移しできのみを与え、与えられた二匹だった。今さら汚いなどと思いもしない。ルカリオとてガオガエンの尻なら一切の躊躇なく舐められる。あんな場所がこんなに感じやすいということをガオガエンにも教えてやりたいし、そうやって気持ちよくなってもらいたい欲望はルカリオにも当然あるのだから。
「が、おが、えん……」
「ん? どうした。疲れたか?」
 ルカリオは腕で体を支えていられず、くたっと脱力して横たわる。ガオガエンも添い寝するように寄ってきて抱きしめてくれた。エッチではルカリオにたくさん意地悪をするのに、優しい声をかけながら頭を撫でてくるのだから、やっぱりずるい。逆らえない。
「もう……もう、しよう? おれ、交尾したいよ。ガオガエンと交尾……」
「これを入れたいんだな?」
 にゅっと、ガオガエンはルカリオの足のあいだからアソコを自己主張させる。自身の体毛よりも濃い赤色に怒張したチンポは、根元方向に先端の向いた細かな返し針が生えている。
 でっ、かあ……――
 かっこいい。オスとしての強さ、繁殖能力の優秀さを物語るようなデカチンに、ルカリオはムラムラといやらしい気分を盛りあげる。ガオガエンとしては、単に体格が違う故の相対的な差でしかなく、特別デカいチンポを持っているとは思っていない。これは自分の個性ではない。まあ大事なオスのシンボルを気に入ってもらえて悪い気はしないし、自分のチンポを見てムラムラするルカリオはとてもエロくて可愛いので、ガオガエンも気分良くルカリオの前でオスらしくいられたのであった。
 ガオガエンが、とん、とルカリオの下腹部に指を置く。それがするすると腹を這い上がってきた。
「こぉ~んなとこまで入っちまうぜ?」
 想像し、ごくり、と生唾を飲む。
「トゲトゲで、ケツん中いぃ~っぱい引っかかれるんだぜ」
 きゅう、とまた胸がきつくなってしまった。おれはマゾなのだろうかとルカリオは思った。こんなふうに脅されているのに、ぜひそうしてほしいと感じてしまう。ガオガエンに酷い目に遭わされて、嫌がっても嫌がっても好き勝手におれを甚振ってもらいたい。
「一番奥の、入っちゃいけねえとこまでほじくられて……びゅうびゅう射精されて……中出しで腹を満タンにされちまうんだぞ?」
 グルグル、狂暴な唸りの混じる声で囁かれる。ぞくりと背筋が震えた。そんなことをされたら、おれはいったいどうなるのだろうという恐怖と、愛してやまないガオガエンだからそんなことさえもされてしまいたいという安心が綯い交ぜになる。ほとんど完全に、ガオガエンに心を明け渡して屈服するルカリオは、ぺったりと耳を寝かせてしまって、震えて怯えながらも興奮していた。
「そ、それ……されたい。ガオガエンの中出し……欲しい……」
 ルカリオはもはや、自分だけ何度イかされても足りなくなってしまっている。ガオガエンとの完全な合一を望んでいる。おれたちが確かに愛し合っていること、オス同士の交尾はそれに付随する結果でしかない。つまるところ、ルカリオは何よりも深く、より確かな形で、少しでも多くの手段でガオガエンを感じ、愛したかった。ガオガエンが気持ちよくなっているところを見たいというごく自然な性欲の裏には、子を作り種を存続させる本能さえも超越した、根源的な淫心があった。
「じゃ、そろそろ交尾しちまおうか……」
 横になり、ルカリオが大好きな「後ろから抱っこ」のまま、ガオガエンは腰をずらしてアナルにチンポをなすりつける。まだ一度も射精しておらず、半勃起と完全勃起を行ったり来たりしながら我慢汁でびちょびちょに濡れたチンポは、ルカリオの尻の青色の毛に埋まりながらメキメキと硬さを増した。その凶悪さと力強さ、圧倒的なオス臭さにルカリオは息を飲む。
 すりすりと仲良く頬擦りをしながら、ぐっと腰が突き出された。散々にほじられて物を受け入れることを覚えてしまったアナルに、にゅるりとチンポが入り込んできた。
「あふっ……あうぅぅ!」
 たいしてイイところに当たるわけでもないのに、ルカリオはガオガエンの腕の中で震えた。ガオガエンと交尾できることが嬉しくて嬉しくて、それはもはやオーガズムとはまるで次元の異なるところで感じる快楽だった。
「入るときは楽だろ? でも抜くときは――」
 ほんの先っぽだけが括約筋をくぐり、それが抜かれる。竿の返し針がちくちくと肛門を引っかいて痛痒い。
「んっ! ふう、ふぅ……」
 そんなところが痒くなってしまって、ルカリオは恥ずかしい。でももっと掻いてほしい。おれの代わりにトゲトゲで尻の穴を掻きむしってほしい。
「これがもっと太くなると、どうなると思う?」
「あっ、あっ……それ、イイよぉ……」
 引っかき過ぎて傷つけてしまわぬよう、ガオガエンの腰振りはゆっくりだ。ぬるぬると尻の中の深い場所を目指して入り込むチンポが、抜けてゆくときにカリ、カリ、と狭い肉の輪に引っかかる。指で責められていたときにはなかった刺激にルカリオは夢中になる。
「根っこの太いとこがなあ。ケツ穴びっちり開いて、トゲが中からキャッチするんだ。そのまま引っこ抜いたら、どうなるんだろうな? んー?」
「ひあ、あッ! め、めくれちゃっ……ふんんん!」
 それはすでに起こりかかっている。根元に向けて太くなってゆくガオガエンのチンポは、少しずつアナルへの圧迫を増してゆき、メスの快感を思い出させるようだった。太いものが抜けてゆく排泄性感に思わずいきむのを、逆向きの突起が引っ張り、めくり出させるみたいになる。それを押し込むようにチンポを突き入れられると、ルカリオは深い安心を覚えた。
「すご、いぃ……こんなの、こんなの……」
「すげえだろ? ビラビラに捲れた変態アナルにしようなあ」
 じゅぽ、ぬぽっ、ぬっこぬっこ、ぐぷっ――
 緩やかなリズムでケツほじが繰り返される。ルカリオはケツに生じる色々な感覚を受け止めること以外、何も考えられなくなりつつあった。アクアリングで少しずつ体力が回復してゆくように、じわじわとアナルの気持ちよさが再び深く、上質なものへと育ってゆく。ふんだんに射精させられたチンポが性懲りもなく勃起して、この交尾を喜んだ。
 実のところ、ガオガエンもとっくに限界が近かった。触る前から寸止めに近いほどギンギンに盛り切ったチンポは、唾液とザーメンとチョコレートでトロトロに仕上がったルカリオの肉穴に包まれ、ドクンドクン脈打ちながら射精したくてたまらなくなっている。トゲが肉壁を掴まえて強烈にチンポを摩擦する。中から引っ張られるのを嫌がるアナルがきゅうきゅう狭まって吸引される。その快楽たるや。でもこんなところで達してしまうのはもったいないので、ガオガエンは射精のタイミングを必死にコントロールして腰を振っているのだった。
 フウッ、フウッ、ガオガエンは鼻の穴を膨らませて荒い息を吐く。怯えたコリンクのように震えて擦り寄ってくるルカリオを抱きしめ、ぴったりと頬をくっつける。
「ああ~……すンげえ。ケツ気持ちいいぜ、ルカリオ」
 自身の尻とガオガエンの腹に挟まれ、体から横に逃がしたルカリオの尻尾が、ぱたぱたと揺れ動いた。熱っぽく呼吸を乱し、鼻が高くてか細い音を慣らす。ガオガエンは自分の尻尾でルカリオの尻尾を掴まえた。絡ませ、擦り合わせ、拘束する。ルカリオはガオガエンと触れ合う場所が増えたことが嬉しくて、尻尾は一層元気よく動いた。
 ずるずるずる、と長いストロークでチンポが抜けてゆく。同じだけのストロークで突き込み、うねる肉穴をかきわけてまっすぐに伸ばしてゆく。二匹は息を詰まらせ、また震える息を吐き、交尾の快感を分かち合う。やがてルカリオが、弱り切った小さな声で、甘えているようでもあり泣き出しそうでもある可愛い声で言った。
「い、きそぉ……」
「気持ちいいか?」
「きもち、いっ……ガオガエンのチンポ、気持ちいいよぉ――」
 ルカリオは切なさのあまり、本当に泣き出してしまった。何故泣くのか、自分でもわからない。悲しくて泣いているので、嬉しくて泣いているのでもない。アルコールでふわふわと浮かされ、アナルでたくさん気持ちよくされ、感極まって泣きたいから泣いている。ガオガエンは抱きしめる腕に力を込めた。
「オレもイきてえ。一緒にイこうな」
「うん、うんっ」
 ルカリオに負担をかけたくはないが、ガオガエンにもそろそろ余裕がない。腰を密着させ、ずん、とルカリオのケツ穴の奥にチンポを捻じ込むと、腸の曲がりくねった突き当りに先端がぐいっと食い込んだ。
「ぐふ、ぅ……」
 ルカリオは苦しさに呻く。腸をチンポで満たされる奇妙な満腹感と、内臓が中から押し上げられる恐怖に、クンクンと鼻が鳴ってしまう。でもそれがまったく不快ではなかった。ガオガエンに与えられるものであれば、この苦しささえ愛おしい。
「もっと……もっときて。乱暴にしてもいいよ。手加減しないでくれ……!」
「ああ……ああ……!」
 どんなふうにしてもいいというルカリオの誘いに、ガオガエンは飛びついた。体を起こし、抱きしめたルカリオの体ごと、思い切り引き寄せる。股間に尻を強烈にくっつけさせ、ルカリオのケツの穴の中にある、もう一つの穴をぐりぐりとこじ開けた。
「かはッ! がっ……あ゛ッ――!」
 前立腺による快感がでんじはだとすれば、S状結腸をすりつぶされる快感はでんじほうのようだった。四肢の先端にまで電流がひた走り、びくんと体が跳ね上がった。それは快感で震えたというよりも電流による物理的な反射に似ていた。
 ガオガエンはルカリオの体を揺さぶる。両腕に閉じ込めた小さな体をガクガクと上下に揺らし、ルカリオが苦しむポイントばかりをチンポで突き回した。
「お゛ッ……お゛お゛ッ! お゛ぇ……」
 締め上げられるような抱擁と、決して触れられてはならないはずの場所を本気でファックされ、息苦しさと軽い吐き気が込みあげる。それでもルカリオはチンポを萎えさせはしなかった。荒々しくオス臭いガオガエンの本気のファックが嬉しかった。ルカリオの中で果ててしまいたくてバキバキに硬くなっているガオガエンのトゲチンポに肛虐される。苦痛はもはやその至福のエッセンスでしかない。
 ガオガエンはルカリオを揺さぶるだけでなく、自らも腰を突き出すように打ちつけた。濡れた毛と肉が衝突する音が、交尾の激しさを示した。
 ジュパッ、ジュパッ、パンッパンッパンッ!
「うあ゛ッ!! あ゛あ゛――ッ!!」
 肛門がめくれる。ケツの中身が引きずり出される。トゲの食い込んだ腸壁ごと体内を揺さぶられ、アナルをゴシゴシ扱かれる。それを拒否することはルカリオには許されていなかった。ルカリオに残された唯一の権利は絶頂することだけだった。
「ココにっ! この、一番キツいココに、種付けしてやるからなッ! 孕めよルカリオ! タマゴ産んで、いっしょに育てような!」
「孕むッ! 育てるよ! ガオガエンの赤ちゃん欲しいよおッ!」
 ガオガエンは牙を剥き、鼻面に皺を寄せた獰猛なケダモノになった。こいつはオレのモンだ。オレだけがこいつの相棒なんだ! ずっと一緒にいる。一緒に生きて一緒に死ぬんだ。これからは毎晩セックスして、いっぱいキスして、夢を追いかけるための旅をするんだ!
 誰にも渡さねえからな。過去にすらおまえを奪わせない。オレの救世主。オレが守った命。愛してる、愛してるんだルカリオ。オレはずっとそれが言いたかった!
「あああ、イく! イくぞ! 一緒に、一緒にイくぞッ!」
「あ゛ッ! あ゛ッ! やッ、あ゛――ッ!! いっぢゃうッ! イッぢゃうぅう!!」
 びゅばっ、ぶびゅッ、ビュッ、ビュ~~~ッ――
 ガオガエンの求愛を受け、ルカリオもケダモノの雄たけびをあげた。
 狭いS字がちゅぱちゅぱ吸いついて気持ちいいのだろう、ガオガエンがオスのボルチオばかりを責めたてて、ルカリオは視界がバチバチと真っ白に明滅するのを見ている。ぶわりと体を空高くに奪い去られて浮遊するような、強烈な前後不覚に陥りながら、ルカリオは完璧にメスイキした。とてつもないオーガズムに引きずりこまれ、気持ちよくて気持ちよくて、わけもわからずに失禁していた。はがねタイプの面目躍如のようにカチカチに硬いままのチンポをぶるんぶるんと上下に揺らし、妙にさらさらした透明な液体を潮吹きする。
 脳みそが破裂する急所を突かれたかと思うような、死にたくなるほどに激しいケツイキが、ルカリオの頭をぐちゃぐちゃにかき回した。
「ぎもぢッいッ!! ひぬ、ひんじゃうッ!! 中出し気持ちいい――ッ!!」
 何か叫んでいないと気が狂う。致命的なまでに理性を追い詰められる中、ルカリオはガオガエンに媚びることを選んだ。自分もまたガオガエンを求めていること、全身全霊で求めていることをわかってほしい。おまえとの交尾はどんなにかおれを淫らなだけの生き物に変えてしまう、それくらい気持ちよくて感じまくってイキ散らかしていることが、百分の一でもいいから伝わってほしい。
 オスの泣き所へたっぷりの精子をびゅーびゅーと注ぎこまれ、ビクンビクンと激しく脈動してうねり、チンポを締め上げて吸い尽くすケツ肉は、まるで口の中でもぐもぐと味わうように腸全体に精子を行き渡らせる。すでに許容量いっぱいいっぱいだったアナルが、軟便をひり出すかのように汚らしい音をたててザーメンを溢れさせた。それでもガオガエンの射精は止まらなかった。二度と抜けることのない楔のように、体の奥深くまで貫いたチンポは圧倒的な存在感で腹の中に居座り続け、ルカリオがどれだけ漏らそうが結腸の奥に本気汁を流し込んだ。
 二匹は幸福の極みの中にいた。馬鹿みたいに幸せだった。オスとオス、何も生じることのない、余剰行為としての交尾だ。それでもこの幸福は本物だった。決してボンボンに酔った弾みのことではないのだと、どちらのポケモンも確信していた。この幸福こそがまさに愛であり、そこには性別の隔たりなどない。しかし幸福が本物であるからこそ、二匹には決して子を設けることは叶わず、またどれだけ強く抱き合っても、どれほど長い時間をかけて語り合っても、二匹は厳然と二匹であり、決して一つにはなれはしない事実の悲しみが、裏返しのように存在してもいた。切なくて、限りなく一つに近づきたくて、二匹はどちらも身を離せなかった。抱き合い、触れ合い、口づけ合った。
 そんなことをしているうちに、ルカリオはまた勃起してしまっていたし、ルカリオの尻の中でもガオガエンは復活していた。なんかこのままいつまでもヤッていられそうな感じがした。これが性欲か、本能ってすげえなと、二匹は下半身の逞しさを笑いあった。
 延長戦に突入してもいいし、このままグダグダとイチャついてもいい。いずれにしろいいという理想的な幸福に二匹はいた。でも明日はさすがにテントを掃除して荷物をまとめておかなきゃならないし、やることはとっとと済ませて体を休める時間も確保したい。結局、続きはまた今度ということに落ち着いた。
 残ったパイを食った。おかしな食い方はせずに、普通に食った。二日酔いになっても困るので、チョコレートは取っておいた。形は悪くなってしまったが、味は変わらない。それほど足の早い菓子でもないので、旅をしながら少しずつ食えばいい。
「水浴び……行くかあ?」
 ガオガエンは言った。言葉通りではなく、行きたくないという意味だった。日に何度も水浴びするのも、今から出かけるのも面倒だ。
「いや……明日でいいよ」ルカリオも同意見であった。「ブランケットも、もうじゅうぶん汚いし」
 色んなものに汚れている。どうせ明日には洗わなきゃならない。水浴びもそのついででいい。
()()()()まま寝るのも、たまにはいい」
 ルカリオはそう言って、くつくつ笑った。元よりフェロモンなんてそういうものであるから、ガオガエンのにおいに包まれて寝られるなら、今日くらいは悪くないということだ。
「オレさ」と、ガオガエンが言った。「おまえに世話になってばっかりで……なんつうか、ちょっとしたコンプレックスだったんだよな」
「そんなこと気にしなくていい。おれが好きでやってることだし、おまえがいるから、毎日楽しい」
 ガオガエンは頷く。それはわかっていが、今はそういうことを言いたいのではなかった。
「バレンタインにプレゼントしてえなって思ったのも、それが理由でな。おまえはだいたいのことは自分でやっちまうだろ。オレにできることで、おまえにしてやれることはねえのかなって」
 手を握ったのはルカリオだった。握り返したのはガオガエンだった。
「でも、いっこ見つけたぜ。エッチなら、オレはいっぱいおまえにしてやれるからな!」
「いやそういう話かよ」
「よかっただろ?」
 よかったけどさ。ルカリオには決して不満がないわけではなかった。
「じゃあ、次はおれがおまえを抱こうかな。ちっとも触らせてくれないんだもんな」
「げえ……」
 これ以上お株を奪われまいとして、ガオガエンは焦った。本気の焦り方だった。そこまでこだわるほどのことかよと、ルカリオは笑った。でもルカリオもけっこう本気だったので、これはいつかバトルが発生するかもしれないなと思った。メス役のガオガエンというのもなかなか可愛いんじゃないかと思うので、こっちとしても譲れない。
 その時は、絶対メロメロにさせてやる。
 その迫力はマジでガチだったので、ガオガエンは不覚にもキュンとしてしまうのだった。





    エピローグ




「これ、バレンタインのお返し」
「え? おう、さんきゅ」
 フリーズ村の入り口でルカリオが何かくれたのだが、何かの種みたいだということしかガオガエンにはわからなかった。
「イッシュにもなかった風習なんだけどな。ホワイトデーっていうらしい」
 まだ一ヶ月以上も先のことだけど、忘れないうちに渡しておこうと思ったという。ガオガエンはその乾いた種を触ったり、においを嗅いだりするが、一向に用途がわかりそうにない。
「で、なんなんだこれ?」
「一発で気持ちよくなれるアイテム」
 なんでおまえはそんなものを持っているんだと、ガオガエンは思った。オレなんかよりこいつの方がよっぽどあくタイプなんじゃないか? せいぎのこころはどうした。
「ちなみに、ホワイトデーは三倍返しがメジャーらしいぞ。期待してる」
「この種が、オレのチョコの三倍なわけか?」
「やらないのか? なら返してもらうけど」
 色々と納得がいかないガオガエンだが、結局は好奇心が勝った。
「やる。どうすりゃいい?」
 砕いて歯茎に塗るのだと言われた。ガオガエンはその通りにしてみたが、なんか思ったより気持ちよくない。
 もっと無条件でハイになれるかと思ったのに、つまんねえの。
「おれにもくれ」
 そう言って、ルカリオも歯茎に塗った。しかし表情は何も変わってない。
「なあ、これ本当に気持ちいいか?」
 ルカリオはちっとも悪びれずに言った。「全然。質、悪いからな」
 なんでそんなもん渡すんだよ。
「ちょっと憧れだったんだよ。チョコをつまみに薬ヤるの。もらったチョコなら、なおいい」
 ガオガエンは初めてルカリオに「こいつ死ねばいいのに」と思ってしまった。
 アーマーガアが飛んできた。そらとぶタクシーのアーマーガアだ。空の彼方からガラルを縦断し、トレーナーたちを運んでくる。
「まずはどこに行く?」
「ハロンタウンかな」
「何かあるのか?」
「何も。でも、冒険ってのはいつだって草原から始まるもんだろ」
「気に入った」
 旅荷物を詰め込んだリュックサックを背負い、手を繋いだ二匹のポケモンは、アーマーガアの雄大な姿を見上げた。



 

 まあ間に合わなかったんだがな!(pixivに2/18投稿)

 



 


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Last-modified: 2021-02-28 (日) 00:40:00
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