リザードン(♂)とトロピウス(♂)が、ただ恋愛してるだけの、まったりしたお話です
エロはたいしたことないです
一人称は苦手です。何故一人称になったかというと、二年前の自分がそれで書き始めたせいです。その理由はわかりません_| ̄|○
何故リザードンとトロピウスというカプなのかというのも、よくわかりません。なにせ二年前の記憶の彼方なので……_| ̄|....○
それでも良いよという方は、どうぞお進みください
空蝉
リザードンとトロピウス
どこもかしこも痛い。
体が動かないからどうなってるか分からないが、ひょっとしたら足首から先は無くなってるかもしれない。
ああ、もう痛みも感じなくなってきた。目の前のものも見えない。
死ぬのか、俺は。
口の中に甘い味が広がって、夢中で飲み込んだ。もう一度それが来る気配がして口を開けてみたら、今度は驚くほどの辛みが入ってきて、一気に目が覚めた。
「あれ、もう気付いたの?」
耳元に届いた穏やかな声に目を向けると、緑色の帽子のような額の下から、大きな目が俺を覗き込んで笑っていた。
「すごい怪我だったのに、回復早いなぁ。びっくりだよ」
ゆったりとした口調。こんな話し方をする奴は今まで見たことない。
誰だ? そして此処は何処だろう。
「お前が……助けてくれたのか?」
だんだんと体に感覚が戻ってくる。と同時にあちこちの傷が疼き出した。
「助けたことになるのかなぁ。僕不器用だから何もしてないんだけどね。なんかボロボロだったから、とりあえず止血だけはしてみたけど……まだ痛いかな?」
「……いや、大した事はない」
言われてみて気付いた。疼くような鈍痛はあるものの、体が壊れるような痛みはもうほとんど残っていない。止血と……多分、口に入れてもらった木の実の効果だろう。
「君ってリザードン、だよね。僕初めて見たな」
「そうか。……お前は」
「トロピウス」
目を細めて告げられたその名に覚えは無かった。互いに初対面なのは住む場所に全く共通点が無いせいだ。
視界に映る範囲を見回してみる。鬱蒼とした森───普通の状態だったら、俺がこんな森の奥深くに入る事はないだろうな。
「君、随分な目に遭ってたみたいだけど、理由は後で聞くことにするよ。まずは傷を治さなくちゃね」
「え……」
見上げると、トロピウスは口に木の実をくわえていた。食わせてくれるのかと思ったら、トロピウスはそれを自分で噛み始めた。
なんだ、くれるんじゃないのか───ぱりぽりと咀嚼する音を、ぼんやりと聞いていたら、ふっとトロピウスが顔を近付けてきた。
何をするんだろう、と思う暇も無かった。
「う!?」
トロピウスの顔が目の前にあった。口と口とが触れ合う感触。
「んー!」
ぐいぐいと口を押しつけてくる。訳が分からなくて口を開けば、細切れになった木の実が押し込まれた。ほんの少し甘みのある、でもあまり旨くもない木の実の味。
「おまっ……」
「ちゃんと食べてよ」
口の中に木の実を入れたまま文句を言おうとしたが、ピシャリと遮られた。
じっと見つめてくる真剣な目に気圧されて、反論も出来ないまま仕方なくそれを飲み込む。
「……お前な」
「次はこれ」
「口移しはやめてくれ」
何を考えているのか、当たり前のように木の実を口の中で噛み始めたので、前もってそう言った。
「今更恥ずかしがらなくていいよ。さっきから何度もやってるし」
「いや、自分で噛めるから」
「……あ。そっか」
そっか、じゃねぇだろ。今気付いたのか? 天然か、こいつ。
「そういえばそうだよね、さっきは君が意識朦朧だったからそうしたんだ。ごめんごめん」
はい、と言って、今度は丸ごと木の実を寄越してくれた。もちろん『手』なんて使えないから口でくわえて受け渡すのだが、噛み砕いたものをがっつり流し込まれるよりは余程マシだ。
ああ、よく考えたら多分これが俺のファーストキスなんだ。
「念のため聞くが、お前雄だな」
「そうだよ?」
「───そうか」
……一瞬でも『僕っ娘』を期待した俺が馬鹿だった。
「もっと食べる?」
地味に打ちひしがれる俺の気も知らず、トロピウスは足元に散らばった木の実をより分けている。
「ああもう何でもいいから適当にくれよ」
半ばやけになってそう言った俺に、トロピウスは一瞬首を傾げて不思議そうな顔をしたが、特に気にする様子もなく、木の実をいくつか俺の頭の近くに転がしてきた。
「ここに置いとくね。口届くかな」
「なんだ、もう行っちまうのか」
どうせなら食い終わるまで付き合ってくれたらいいのに。
「ごめんね、うちに卵を置いたままにしてるんだ。早く帰って世話しないと」
「え」
卵って───お前まさかのリア充……?
「た、卵? おまえの?」
「うん、僕の」
「……」
訳もなくがっくり来た。
なんだよ『僕っ娘』どころか、立派に雄のヤルことヤってんじゃねぇか。
ちくしょう……こっちは童貞だってのに……
「どうしたの? やっぱり食べれない?」
「ちげーよ」
のほほんとした天然ボケが、なんだか急に「大人の余裕」のように見えてくる。
「明日また来るよ。それまで体冷やさないようにして、じっとしててね」
ああ、なんか台詞の一つひとつが眩しいぜ……ちくしょうこのリア充め。
「へいへい」
横柄にそう返して目を閉じる。まったく、これじゃただの不貞腐れたガキだな。
情けねぇからさっさと行っちまってくれよ───そう心の中で願ったが、トロピウスはそのまま動かなかった。俺の様子を伺っているんだろう。
しばらくしてようやく納得したのか、大きな足がのしのしと草を踏む音が聞こえて、その音が森の向こうの方へ消えていく。そして。
突然、バッサバッサと空を切る翼のような音がして、体の上を緑色の風がぶわっと吹き抜けた。
「は!?」
慌てて目を開ける。
上空を覆う薄暗い葉陰の合間に、空の光が眩しく揺れている。その光を横切るように、大きな影が一つ、空を渡っていくのが見えた。
「あいつ……」
飛ぶんだ? あの体で? あの葉っぱで?
「マジか? ……すげぇな」
トロピウスの姿はすぐに見えなくなったが、俺はそのまま呆然と空を見上げていた。
あいつの起こした草の匂いのする突風。その余韻がまだこの周りで騒いでいるんだろうか、俺の尻尾の炎が、いつになく揺れているような気がした。
けれど、風がもらたした実際の影響はもっと深刻だった。
「と……届かねぇし」
突風に煽られて転がった木の実は、俺の首がギリギリ届かない草むらの中に落ち着いていた。
◇
「なんで食べてないの?」
翌日またやってきたトロピウスは、手付かずのまま転がった木の実を見て呆れたように言った。
「アホか、お前が飛び立った時の風で吹っ飛んだろうが。おかげで腹ぺこだ」
「あれぇ、そうなの? ごめんごめん」
案の定、悪びれもせずトロピウスは笑う。
「でも、ほらいっぱい木の実持ってきたから、昨日の分まで食べたらいいよ」
そう言って、くわえていた籠を地面に置く。中には言葉どおり色々な木の実が入っているようだ。
「このへんに置けばいいかな?」
籠をひっくり返して、俺の頭の周りに木の実を転がす。
美味そう。見たことないのもあるけど。
「んー…もうちょいこっち。っていうか、ちょっと体勢つらいんだけど、手伝ってくれるか?」
寝返りもうてない状態で、ずっと同じ姿勢でいるせいか、背中や肩が痛くなっていた。
「まだ体動かせないんだ?」
「うん……まあな」
「そっか。ごめんね、気付かなくて」
トロピウスは右向きに倒れている俺の背側に回り込んで、翼の下に首を入れた。
「ちょ、くすぐんなよ」
「何言ってんの」
わざとじゃないんだろうが、脇腹のあたりをごそごそするのがくすぐったい。文句を言ってみるが、それも無視してトロピウスはそのまま「よいしょ」と俺の体を転がした。
「痛え、もちょっとそっとやってくれよ!」
「しょうがないでしょ、君重いんだし」
腹ばいになって少しは楽になったが、急に体勢を変えたせいで、忘れかけていた痛みがぶり返す。背骨が歪むような鈍痛が治まるまで、しばらく息を詰めてやりすごした。
「翼、痛そうだね」
トロピウスが俺の背に顔を寄せて呟いた。
「え……?」
翼にそっと頬ずりしてくれているようだが、怪我のせいなのか何なのか、触れている感覚はなかった。気遣うようなトロピウスの声と仕草に、ふと不安がよぎる。
何より大切な翼。首を高く持ち上げられないから背の様子は分からないが、どうにかなってるんだろうか。
「……どんなふうになってるんだ?」
「右側が半分ぐらい破れてる……このままじゃ飛べないかも」
不安そうな声。きっとトロピウスにとっても、空を飛べなくなるのは恐怖なんだろう。翼を持つ者に共通する感情だ。
「骨はどうだ? 折れてないか?」
「骨は無事みたいだけど……でも」
「そうか」
とりあえず折れてないなら何とかなるだろう、ホッと息をついた。
「破れてるだけなら多分大丈夫だ。時間が経てばまた繋がってくるから」
「ほんと?」
背の方から首を伸ばして、伺うように見下ろしてくる。
まだ納得してなさそうな顔。ちょっと心配性なのかもしれないな。
でも見ず知らずの俺のことを、まるで我が事のように心配してくれる、その気遣いが無性に嬉しかった。長く流れ者として生きてきて、これまで誰かに心配してもらったことなんてなかったんじゃないか?
「その……心配かけてすまない」
『ありがとう』と伝えたかったが、何だか恥ずかしくて言えなかった。
「いいんだよ、そんなこと」
けれどトロピウスは、何故か少し寂しげに笑った。
「遠慮なんてしなくていいよ。痛くて辛い時に、心配かけて悪いなんて思わないで」
「……」
なにこいつ。すげぇ良い奴……。
何か小さな、ほわっとしたものが、胸にじんと沸き上がってきた。
「あ、そうだ。リザードン」
思い出したように、トロピウスが顔を上げた。
「ん、どうした?」
こういう何気ない会話ってのも、良いもんだな。
そんなふんわりした幸せにも似た気持ちは、トロピウスの言葉でぶっ飛んだ。
「言い忘れてたけど、リザードンの右足の先、踵しか残ってないよ」
「……へ?」
なんだと!?
翼が無事だったから良かった、とか何とかトロピウスは可愛く笑って言ってたような気がするけど、そんな言葉は頭に入っていなかった。
足! 足、途中から無いの!?
そっちのが全然ヤバいじゃん!
「うわあぁぁぁ!」
「リザードン!? どうしたの?」
何だか急に足が痛くなってきたような気がする。
泣きたい。っていうか、泣いていた。
俺、俺……歩けなくなるのか?
◇
「……具合はどう?」
昨日の今日で、トロピウスは少し警戒気味に声をかけてきた。
結局昨日は、あのあと俺は落ち込みまくり、方やトロピウスはそんな俺にオロオロして、ろくに話も出来ず終わってしまったのだった。
独りになって落ち着いて考えてみたら、トロピウスが真っ先に心配していたように、足が多少不便でも翼が無事ならそれで良かったんだと思い直せた。進化するまでは自分の足で歩くしかなかったけど、今は翼がある。
空を飛べる。だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせた。
「ああ、もう大丈夫。……ごめん、昨日は取り乱して」
まずは、トロピウスに謝りたかった。
歩けなくなるかもしれない、その不安が大きすぎて、昨日の俺はトロピウスの慰めも全然受け入れられなかった。多分そのせいでトロピウスも嫌な思いをしただろう。
「ううん、僕の方も言い方がまずかったと思うし……」
小さくごめんと呟く表情には、影が差しているように見えた。
のほほんと呑気に笑っている、トロピウスはそんな印象だった筈なのに。
俺のせいで傷付いたんだ───そう気付かされて、改めてズシンと後悔に陥った。
俺の心が弱かったから。
そうだ。最初から、俺はこいつに迷惑かけてばっかりだった。
怪我の手当をしてもらって、木の実を食わせてもらって。
昨日だって、木の実をたくさん持って来てくれた。
今日もだ。
それなのに俺は、何一つこいつに返してやれてない。
情けねぇな……俺。
「足、きっとよくなるよ。僕できるだけ手伝うからさ」
「トロピウス……」
「ほら、木の実。昨日もあんまり食べれなかったし」
こんな俺なのに、こんなやつ見捨てたっていいぐらいなのに、それでもこうして俺を元気づけようとしてくれている。
どんだけ優しいんだよ。
「リザードン」
腹ばいのまま動けない俺に目線を合わせるように、トロピウスが首を下ろして表情を伺ってくる。
まっすぐな瞳が、俺を映してる。
───俺も、返さなきゃダメだ。この瞳に。たとえ拙い言葉でも。
俺の中で、何かが命じた。ちゃんと言えと。
「ああ……え、あ、ありがとう……トロピウス」
嬉しいとか、ありがとうとか、ごめんとか……いろんな思いがごっちゃになったまま初めて口にした感謝の言葉は、動揺のためか少しどもってしまっていた。それでもトロピウスの表情にふわっと笑顔が戻る。ちゃんと伝わっただろうか。気付いてくれただろうか。
「食べれる?」
トロピウスが赤く熟れた木の実を口にくわえて寄越してくれる。俺は少し頭を持ち上げてそれを受け取った。
「頭、上げれるようになったんだね」
言われて気付いた。ほんの少しだけ、体が動くようになっていた。
口の中に広がる甘酸っぱさを味わいながら、今度は自分からトロピウスの足元の木の実ににじり寄ってみた。
ああ、頭ってこんなに重かったっけ……そう思っていたら、いつの間にかまた地面に突っ伏していた。
「リザードン、無理しなくていいよ」
苦笑しながら、またトロピウスが木の実を口移しで渡してくれる。
情けない、そんな気持ちも無くはなかったが、それよりも何故か嬉しい気持ちの方が何倍も大きくて、思わず笑っていた。
「美味い、ああ……美味いなぁ」
気持ちが高揚して、思わず呟いていた。
ボロボロの体に柔らかなエネルギーが染み渡っていくような感じ。それがこの実のせいなのか、嬉しさのせいなのか、それとも両方ともなのかは分からなかったが、こうして食っていると、生きているという実感を全身で感じる。
「すごい食欲」
そう言ってトロピウスが笑う。
「ああ。いっぱい食って早く体治さねえと」
「うん、そうだね」
早く動けるようになりたい。
そして、早く空を飛びたいと強く願った。
───大きな、不思議な翼を持つ、こいつと一緒に。
「なぁ……あ、あのな」
「うん?」
声をかけてしまってから、躊躇った。それを告げて、もし拒絶されたら。
でも、これだけの恩をもらってるんだ。今の俺に返せるものはこれぐらいしかない。だから、一方通行でもいいから伝えたかった。
「リグールだ」
「……え?」
「名前。えと、俺の」
はっとして、トロピウスが目を丸くする。
余程親しくないと異種族に自分の名を明かさないというのが、俺たちの暗黙の了解だった。
それは、名を知られることで身に危険が及びやすくなるとか、呪いをかけられるとか、よくわからない理由だったような気がするが、真偽はともかく自分の名は秘めておくというのが当たり前になっていた。
トロピウスは突然俺が名乗ったことで、戸惑っているのだろう。
何度か目をぱちくりさせて、じっと俺を見つめていた。
「……リグール」
確かめるように、呼んでくれた。
何故か胸が熱くなって、俺は横たわったまま何度も頷いた。
「あ……でも、お前は嫌なら名乗らなくていいから」
本当は、知りたい。こいつの名前。それでも、こればかりは無理強いはできないから。
しかし、尻込みする俺とは裏腹に、トロピウスは潔いほど迷いはなかった。
「ミノリだよ」
いともあっさりそう告げて。
満面の笑みを向けてくれた。
「ミノリ……ミノリ?」
「うん」
通じた。心が通じてくれた。
名を告げあった、ただそれだけのことなのに、ミノリとの間の垣根が消えて一気に心が近付いたような気がした。
嬉しさなのか、緊張の糸が切れたせいなのか、鼻の奥が痛くなって、泣きそうになった。
それを誤魔化したくて、これまでの経緯をいろいろ喋って聞かせた。
何処ぞの異種族相手に無謀な闘いを挑んで、こんな瀕死の大怪我を負ったことも。
ミノリは、こんな馬鹿満載な話に、上から目線の正論を振り下ろすようなことはしなかった。ただうんうんと聞いてくれて、色んな縁があるもんだね、と言って笑った。
縁───そんな言葉をもらったのは初めてで、今まで知らなかった何かがぽろりと目の前に転がり出てきたような、視界がぽっと開けたような驚きを感じた。
ミノリと俺が出会った、それを「縁」と言ってくれるのなら、この体中の傷に感謝したいぐらいだった。
嬉しかった。
ここに辿り着いた、それまでの道のりのすべてが、ミノリの言葉と笑顔で報われたような気がした。
ミノリ……ミノリ
名を呼べば、嬉しいのに、同時に痛みが走る。
胸が高鳴れば高鳴るほど、同じだけの強さで刺してくる、冷たい刃。
分かってる、この痛み。
俺は───ミノリを
好きになってしまったんだ
息苦しさで目が覚めた───ような、気がする。
熱い。どうしたんだ?
「え……?」
視界に広がるのは、夜の森、でなはく。
「なんだ? ようやっとお目覚めかい? リグール」
薄暗い洞窟の中。辺りを照らしているのは、ゆらゆら揺れる赤い炎。
「ダンネル!?」
炎の持ち主は、一回り大きい同族のリザードンだった。忘れもしない、昔俺が属していた群れのボスで……反乱を起こした俺を叩き潰して追い出したやつ。
「どうしてお前……」
どういうことだ? 俺は確かあいつの森に居たはずなのに。
「ふうん、”あいつ”ってなぁ、これのことか?」
「……ッ! ミノリ!」
ダンネルの体の下に、ミノリがいた。
「ミノリ! ミノリ! ちくしょう、なんで……」
駆け出そうとしたが、体が動かない。
「ははっ、なっさけねぇザマだなぁ、リグール。相変わらずよぉ!」
「ふあっ!」
ダンネルに突き上げられて、ミノリが悲鳴を上げた。
「!?」
改めて視界に広がったその光景に、言葉を失う。
仰向けに転がされたミノリ。その後ろ脚を大きく割り開いて覆いかぶさり、ダンネルがバシンバシンと激しく腰を打ち付けている。
「あッ、ああんッ!」
ミノリのむっちりとした腰肉に太い爪が食い込んでいる。きつく抑えつけられた体。無防備な尻の狭間に、じゅぶじゅぶと水音を立てながら激しく出入りする赤黒いペニス。
ダンネルが凶悪な笑みを浮かべながら、繋がったところを見せつけるようにミノリの丸い脚を持ち上げる。
「いや……やあぁッ!」
「ミ……ノリ」
ボロボロに泣きながら、それでもミノリの雄も熱を含んで勃ち上がっていた。
「リグール……いや、見ないで……」
「ちゃんと見てやれよぉ、可愛くイクところをなぁッ!」
口から炎と咆哮のような声を上げて、果てを目指すようにダンネルの突きが激しさを増していく。
「あっ、やだぁ! も……ああんッ!」
もう、目が離せなかった。
快楽に翻弄されて蕩けたミノリの表情。ねとねとに濡らされて艶を帯び、揺さぶられるまま為す術もなく震える体。男を銜えさせられ激しく責められている尻穴。物欲しそうに汁を纏って震えているミノリのペニス。
「あ…ミノリ……ミノリ」
「犯りてぇんだろ? 好き放題してぇんだろ!? こんなふうになぁッ!」
「ミ…ノ───」
乗り上げて、押さえつけて。
ずぷずぷとミノリを犯す、それが。
───俺、だったら
「ん…ぅあ、リグール……!」
もう完全に理性を失ったような乱れた表情で、ミノリが首をもちあげてくる。
唾液で濡れたその口に、俺は噛み付くように口付けた。
いつの間にか、ダンネルと入れ替わって俺がミノリを犯していた。
「熱い……リグール、あんっ」
「ミノリ……ミノリ」
豊満な体を狂ったように抱きしめて、夢中で腰を振る。
「気持ちいい……! ミノリの中、気持ちいいッ!」
柔らかな肉にキツく包まれる、貪られるような凄まじい快感。
「もっとして、リグール……あ、好き…好きだよ……っ」
「俺もだ……っ」
もう何も考えられなかった。
ただ、ただ
ミノリが欲しくて
欲しくてたまらなくて
「ミノリ───俺の、俺のものだあぁッ!」
意識が弾ける。
◇
「……あああ……」
やっぱり……っていうか。
「いくら何でもありえねぇだろ、これ……」
寝そべる腹の下に、青臭い汁気が溢れている。
ただでさえこんな満身創痍の体で、しかも男をオカズに夢精するとは───激しく自己嫌悪に陥った。
───俺のものだ!
「はぁ……」
夢の中で叫んだ自分の言葉に、虚しいため息をついた。
違うだろ?
俺のものなんかじゃない。分かってる。
ミノリは妻子持ちの男。ちゃんと家庭を持ってる。俺が入り込む隙間なんてこれっぽっちもないんだ。
ああ、ちゃんと分かってるさ。
でも。
「……熱い」
体の熱は、まだちっとも冷めていなかった。一回やそこらじゃ鎮まらないのはこの種族の体質だから仕方ないんだけど。
「ふぅ」
一息ついて、腹ばいの腹の下に腕を入れる。
しかし体にろくに力が入らない状態では、腕が根本まで届かなかった。
「しょうがないか……」
べとべとに濡れたままの先端だけいじりながら、下腹を地面に擦り付ける。擦り付けてみて気付いたが、下は土ではなく丈の短い草がくまなく覆っていて、しっとりとした柔らかな感触があった。
ミノリの葉っぱも、こんな感じかな……
思い浮かべるのは、やっぱりミノリの姿だった。
夢の残像を追うように、目を閉じて空想に耽る。
むちむちの体、どんな抱き心地だろう。長い首をべろべろに攻めて、意地悪な台詞で泣かせてみたい。
中は熱いだろうか、噛み付いたらどんな味だろうか。
なぁ、感じてるところ見せてくれよ。
───あん、あぁッ、もっと……っ!
夢の中で聞いた声を脳内再生する。
「くぁ……っ」
口元の草を噛み千切る。ふわっと広がる緑の匂い。多分、ミノリと同じにおい。
ミノリの背中に顔を埋めて、わさわさと暴れる葉っぱを噛みながら背後から責める───そんな妄想が俺の下半身を掻き立てる。
「はぁ、くぅ……っ」
なけなしの体力で腰を擦る。
熱い……体が熱い。この熱を早く出してしまいたい。草を掻き分けて、深く埋めたその先に。
ミノリの体の中に。受け入れてくれる一番奥の熱いところに。
ミノリ、好きだ。
やっぱり好きだ。
体がこんなに熱くなるぐらい。
お前のことしか考えられなくなるぐらい。
無理だって分かってるけど。
無駄だって分かってるけど。
ああ、来る、熱い塊。炎の激流。
もえる───
◇
「何これ!? どういうこと!?」
どすどすと駆け寄ってきて、ミノリが叫ぶ。
「黒焦げじゃん! 何したの!?」
証拠隠滅しただけです。
───と、言いたいところだったが、当然そんなことは言えなかった。
自分のモノながらあまりの惨状だったから、そこら一帯まとめて燃やしてしまったのだ。
散々やらかした挙句に火を放ったおかげで、もう瞼を上げるのも億劫なぐらい疲れ果てていた。
「……ごめん……」
「ごめんって! こんな森の中で火なんか出して、火事になったらどうすんだよ! 草とか木はどんなに怖くても逃げられないんだから!」
「……」
ミノリは本気で怒ってるらしい。
……そうか。そうだよなぁ。
草だもんな、本能的に怖いんだよな、火が。
「ごめん、ほんとごめん……」
「……リグール」
ミノリの真剣な目が覗きこんでくる。
黒目がちの大きな瞳。そんな可愛い顔でじっと見つめんなよ───って、今そんな甘い場面じゃないから。
「反省してる?」
「し、してる」
「ほんと? もうしない?」
疑いの眼差しが痛い。
「もうしません……海より深く反省してる」
ふっと、一瞬の空白があった。
「……海?」
微かに首を傾げて、ミノリが呟いた。
「海、知ってるの?」
「え?……ああ、まあ。あちこち彷徨ってきたし……海がどうかしたのか?」
ついさっきまでぷんぷん怒ってたのに、そんなこともコロっと忘れたかのように、ミノリの表情がいきなり柔らかなものになっていた。
「うん、海……良いよね」
「なんだ、お前も知ってるのか」
「まあね。子供の頃は海の見える森に住んでたんだ。ずっと南のね、一年中海で遊んでた」
へぇ、意外な過去。
「海、好きか?」
何気ない問いかけだったが、ミノリは少し黙り込んだ。
「好き……だよ。いつか、いつか……子どもが生まれたら、一緒にあの海に行こうねって」
「……ああ、そう……」
なんというか───言葉を返せなかった。
子どもが生まれる、そんな今更な現実に、軽くヘコんじまって。
「ま、とりあえず今回のことは反省してるみたいだし、これからは火気厳禁ってことで気をつけてね」
「う、わかった……って言っても、これは消せないぞ?」
尻尾の炎。これは消せない。
「そうなの?」
「消えると死ぬ。多分」
「そっか、じゃあ仕方ないね」
そう言いながら、尻尾の炎にふーっと息を吹きかけたりする。なんだかくすぐったくて恥ずかしい。
「それぐらいじゃ消えねえよ。ってか俺を殺したいのか?」
「ふふっ。……あ、でもそう言えば今晩雨降るんだ。ちょっとマズいよね」
「まぁちょっとぐらいの雨なら大丈夫だけど……」
上空は大きな樹が鬱蒼と覆ってるから直撃は少なそうだし。
「ううん、リグールは寝転んでるから分からないと思うけど、実はここ、ゆるい谷底になってるんだ。普段は水がないけど、大雨が降ったら川になるの」
「げっ」
そりゃヤバい。身動きとれないまま川に飲まれちまう。
同じことをミノリも考えたんだろう、きょろきょろと周囲を見回して避難先を探しているようだった。
「移動した方がいいね。少し斜面を登れば水の道からは外れるから。首につかまれる?」
そう言って、手助けのつもりなのか、突っ伏した俺の脇腹に頭を突っ込んでくる。
しかし疲労困憊の俺の体はずっしり重くて、腕を上げることもできなかった。
ああ、あれに体力を使い果たしちまったんだな……。
こんな大事なときに。自分の馬鹿っぷりが情けなくて泣きたくなった。
「リグール?」
「……ごめん、力入んねぇ」
「そんな……ちょっとだから頑張ってよ」
分かってる。頑張りたいけど。
「困ったな、今日は火事の匂いで慌てて来たから、木の実取ってこれなかったんだ。ちょっと食べたらだいぶ違う筈なのに」
「……ごめん」
ほんとマジごめん。俺馬鹿すぎ。
しばらく考えて、ミノリは俺に顔を寄せてきた。突っ伏してる俺の目の前に、ぺたんと首を降ろす。
な、なんだ? えらく近いんですけど。
「仕方ない。特別だよ」
「え……」
「ほら、取って」
「え、え? 取るって何……これ?」
ミノリの顎の下にぶら下がってる、黄色い房。
体の一部だろ? どう見ても。あ、でもなんか甘い匂いがする。
「えと、こ、これ……食えんの?」
「そうだよ。超美味しいんだから」
「マジか」
なんかすげーな……体から食いもん生えてるって。どういう動物だよ。
「でも良いのか? 三本しかないぞ?」
「だから特別に一本だけね。次が出てくるのに半年ぐらいかかるから」
「そ、そうなのか」
特別。いい響き。
まるで俺がミノリの特別になれたような───いや、都合のいい妄想はやめよう。
とりあえず今は体力回復が優先だ。
「ごめん、じゃあいただきます」
ミノリの喉元に食い付くように、歯で実を一本もぎ取る。
こんな状況じゃなかったら、結構燃える構図なのに、残念だ。
「取れた? 皮むける?」
「いいよ、このままで」
「ダメだよ。皮はあんまり美味しくないし。ちょっとそのままくわえてて」
そう言ってミノリは、俺がくわえた実に口を寄せて皮を剥き始めた。
「……」
ちょっとまて。
鼻が触れそうなぐらい近くで、細長い実に添って上下するミノリの口。
あれを舐めるような仕草にも見える、その動きはどうしようもなく卑猥で。
妄想が湧き上がる。
こんなふうに、俺の───
いやだから待てって。
何なんだ、何なんだこのシチェーションは!
さっきから何の罰ゲームだよ。
勘弁してくれ、頼むから。
「はい出来た。おいしいよ。……って、なんで涙目なの?」
「……あのな」
泣くわ、ほんとに。これ以上何かあったらマジで頭沸くぞ。
ああ、それにしても美味そうな匂い。とりあえず食っちまおう。
ミノリの実り。なんつって。
期待混じりのミノリの目。そんなに俺に食われてぇか。
視線を受け止めたまま、思い切って丸ごと口に入れた。
その瞬間、甘く濃い香りが口の中いっぱいに広がって、鼻に抜ける。
息を吐いたらこの香りが逃げてしまいそうで、一瞬呼吸が止まった。
「どお?」
「ん……」
瑞々しくもあり、舌の上にしっかりと残る濃厚さもある、紛れも無くこれは極上の果実だ。
「美味い……」
それ以上の言葉を伝えられない自分が情けなかった。
こんな捻りも何もない言葉なのに、それでもミノリは嬉しそうに照れくさそうに笑ってくれた。
「えへへ。良かった」
後味に浸っている俺を満足そうにじっと見つめている。
「あのね、その実食べたら、僕のこと好きになっちゃう効果が」
「ぶッ!」
惚れ薬か! っていうか、もうすでに惚れてるから効果分かんねぇんですけど。いや、むしろこれのせいで惚れたって事にしちまえば好都合じゃねぇ?
「……無いから、安心してね」
「………」
ああそうですかい。どこまで天然なんだよ……。
「さて、動けるようになった?」
後味と爆弾発言の余韻が終わった頃、ミノリはそう言ってまた首を降ろしてきた。
脱力しきった体に力を入れてみる。さっきとは違って、血と熱が巡る感覚。
ずる、と重い腕を引き寄せ、ミノリの首にギリギリすがりついた。
「もう少し。頑張ってリグール」
「……っ」
腕の力をたよりに、鉛のように重い頭を持ち上げる。
「そのまま僕の背中に頭乗っけて」
言われるまま、ミノリの首元にしなだれかかるような格好で、上半身を預けた。
久しぶりに頭が地面から離れたような気がする。上体を持ち上げたせいで、頭からすーっと血の気が引く感じがして軽くめまいを起こした。
「これで引っ張るよ。大丈夫?」
「ああ。多分」
このでっかい腹はさすがに載せられない。
「いくよ」
ミノリがゆっくり歩き始める。投げ出されたままの腹と足と尻尾は、まるで根が生えたようにべったりと地面に張り付いていて、引きずられるのを拒んでいる。
「しっかり掴まってて」
「ん」
少しでも力を抜けば、また地面に逆戻りだ。そこからもう一度この体勢になるのはかなりキツいから、必死に首元にしがみついた。
抱きしめる腕に感じる、ミノリの首の感触。やわな感じは無く、しっかりとした筋肉の弾力だ。
そしてやっぱり、俺の首と擦れるたびミノリの肌から草の香りがした。
自分と同じぐらいの重さを背負って、しかもそれを落とさないよう気遣いながら斜面を這い登る歩みは、ゆっくりでいて力強かった。
がっくりと重さに任せてうなだれたままの頭をほんの少しずらしてミノリの顔を見上げてみる。
かなり必死なのだろう、厳しい眼差しでまっすぐ前を見据え、口をぐっと結んで歯を食いしばっている。
そんな横顔を見つめて、ああ、こいつやっぱり男だ……なんて、今更で場違いなことを思った。
「リグール、もうちょっとだからね。……どうしたの?」
ふと振り返ったミノリが、俺の視線に気付く。
「ん、いや……よく見たらお前って男前だなって」
「ぷっ、何いきなり」
笑う振動が背中から伝わってくる。
必死の気合いがここで途切れてしまったのか、ミノリの表情はいつものような柔らかさに戻っていた。
「そんな事言われたの初めてだよ。ぼーっとした顔だとはよく言われるけど」
「いや、それは俺も否定しないが」
「何それ。どっちなんだよ」
「今お前真剣な顔してたから一瞬そう思っただけ。でも結構イケてるって自分でも思わねぇ?」
「どうだろうなぁ」
「嫁さん、カッコイイとか言ってくんねぇの?」
「……は?」
何か突拍子もない事でも言われたかのように、ミノリは目をしばたたかせた。
「あ、嫁……嫁、ね」
そう呟いて、少し間があった。
「嫁、いないから」
「え……」
いない───?
「彼女、死んじゃったんだ。だから、いないの」
重いはずの頭を思わず持ち上げていた。
間近で見た、ミノリの少し寂しげな表情。
「ごめん……! 俺……」
拙い事言っちまった。
まさか、そんな。
「謝らなくていいよ、ちゃんと言わなかったのは僕の方だし」
「ご……ごめん……」
「いいってば」
困ったように笑う。その何とも言えない複雑な表情に、俺はどうすればいいのか分からなかった。
どうすればいいのか分からなかった。
ミノリに同情する思いと
これはチャンスだと歓喜する思いが
頭の中でぐるぐるとせめぎあって───
◇
厚い雲が垂れ込め、月も星も無い闇の夜。
どこからか風が来るのか、ざわざわと木々のざわめきが聞こえてくる。
ああ、これは夢だ。俺はまた夢を見てるんだ───不思議なほどそんな実感があった。
視線の先に、誰かがいる。
やっぱり、ミノリだ。
大きな体を丸めて、何かを抱えている。
時折首を動かして、それに何か話しかけている。そして愛しげに頬ずりする。───小さな、ひとつの卵に。
「ミノリ」
声をかけたが、俺の声は届かないようだった。
近付こうと歩いても、一向に近付けない。
目の前に居るのに届かない、俺とあいつの間にあるのは、見えない壁。
「ミノリ……」
ミノリは泣いていた。
足元に散らばる誰かの白骨を掻き寄せて。
白骨と卵を抱いて、ミノリは独り、泣いていた。
◇
涙が、落ちてくる───
ぽつり、ぽつりと背を濡らす、雨。
とうとう降り出したか。
地面にべったりと倒れ伏したまま、濡れた空を見上げる。
後味悪い夢だった。
「ミノリ……」
死んじまった連れ合い。
それが最後に残してくれた卵。
どれほど大切でかけがえの無いものか。どれほどの覚悟で育てているか。
チャンスかもしれないなんて浅はかな気持ちは、いつの間にか立ち消えていた。
やっぱり無理なんだ。駄目なんだ。
どんなに好きでも。どんなに近付きたくても。
あいつは
壊しちゃいけない「絆」の向こう側に居る……
何度目かのため息の後、また空を見上げた。
雨足はどんどん強まっていて、水が地面を叩く音が、何か酷い雑音のようにゴウゴウと轟いている。
ミノリの言ったとおり、今朝方まで転がっていたあの場所はそろそろヤバくなってるようだ。
尻尾の先を引き寄せて、破れた翼の下に匿う。
とにかく早く雨が止んでほしい。雑念を払うように、ただそれだけを願った。
◇
雨、そんなもんじゃない。まるで滝の中だ。
雨音と雷鳴が凄まじすぎて、さっきから耳の聞こえ方がおかしい。
それから変な匂い。こんな水地獄のような中なのに、何故か嗅ぎ慣れた焦げ臭いような匂いがする。
「ヤバいな……」
谷の方はもう完全に濁流になっていて、土を大量に含んだ泥が周囲の土を少しずつ崩しながら、こっちの方へせり上がってくる。
ここは谷から続く斜面の途中にある小さな足場だ。ここが崩れるのも時間の問題かもれない。
もう少し上に行かなきゃ
力の入らない手足を必死で踏ん張らせる。
けれど、やっとの思いで土を捉えた片足は、水で緩んだ斜面をずるりと掘り崩しただけで、この重い体を持ち上げてはくれなかった。
崩された土が、足元の他の土まで巻き込んでどろどろと流れ出ていく。足場がどんどん削り取られていく。
「ヤバい、ヤバい」
手近な木の根を掴む。そうしている間にも、足元から腹の下あたりまで、まるで砂山が流れるようにぼろぼろと地面が無くなっていくのが分かる。
───怖い……
「ミノリ……助けてくれよ」
体の震えが止まらない。
滝のような雨に打たれて、体温もずいぶん下がってしまった。
翼の下に隠してはいるが、尻尾の炎も弱くなってきたようだ。
寒くて───怖くて死にそうだ……。
破滅的な音を立てて落雷が空間を震わせる中、滝のような雨音に混じって、木が幹から折れるバキバキという音があちこちで響く。
大地が轟く音。
生き物なのか何なのか分からない悲鳴のような音。
降り注ぎ、押し流そうとする、水の力。
───怖い……嫌だ、怖い!
立て続けに上がる破壊音。
駄目だ。もう崩れる、山が崩れる!
「ミノリ……ミノリッ!」
泣きながら叫んでいた。
もう手の力が保たない。
崩れる土と一緒に、落ちる───
「リグールッ!」
轟音を掻き消すような、バッサバッサと大きな羽音と突風が来た。
「ミノ……」
斜面をずるずる滑り落ちながら見上げた先に、大きな葉っぱを羽ばたかせるミノリの姿。
「今そっちに行く!」
狭い木々の合間をあの巨体でどうやるのか縫うように飛び、崩壊しつつある斜面の下側に回ってきた。
「ミノリ……っ」
ズドン、と振動を感じて、体の下を見るとミノリが斜面に横倒しになって胴体着陸していた。
「ミノリ!? 大丈夫か!」
「リグール、そのまま乗って!」
滑り落ちる先はミノリの背中。
俺を下から受け止めるために、ミノリはこんなとんでもない体勢で着地してくれたのだ。
「……っ」
藁をもつかむ思いでミノリの首にすがりつく。
「ミノリ……」
「良かった、間に合って」
こんな生死の境目のような非常時なのに、ミノリの声はいつものように穏やかに響いて、俺は思わずミノリの首元をきつく抱きしめていた。
「そう、その調子でしがみついてて。絶対落ちちゃダメだよ」
昼間とは違って、今は全身をミノリの背に預けている。
ミノリは葉っぱの翼を持ち上げて、俺が落ちないようにくるんでくれた。
「じゃあ、走るよ」
「え……」
言うなりミノリはどろどろの斜面を水平方向に走りだした。
「ちょ……ぅわッ!」
どすどすどすどす。泥に足を取られながらも、その足元が崩れ始める前に次の足を踏み出し、ひたすらその繰り返しで前へ前へと突き進む。
「崩れる……ヤバい、ミノリ」
ミノリの走った跡がどんな有り様になっているのか、恐ろしくて振り返れなかったが、きっとかなりの確率で斜面崩壊を起こしているだろう。
「大丈夫。こんなぐらい大丈夫だよ」
「でも……」
「怖くないよ。水も土も怖くない、僕が居るから」
◇
口の中に、あの芳香が広がる。
舌の上を滑って、喉に落ちていく濃く甘いかたまり。
それを味わいたくて口を閉じようとしたら、何か柔らかいものを噛んだ。
「痛……舌噛まないでよ、リグール」
笑みを含んだ声がそう言って、また口に触れてくる。
口移しで、また流れこんで来た───ああ、これは、ミノリの果実だ。
「あ……気付いた」
目の前に、見慣れた笑顔があった。
「ミノ……リ」
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
「……あぁ、助かった……のか」
あの脱出劇の途中から記憶が無かった。訳が分からないうちに気を失っていたらしい。
雨音は相変わらず激しく耳に響いているが、体にはぱらぱらとしか降りかかってこない。上を見上げてみると、上空を大きな木の傘が覆っていて、さらにミノリの翼が俺の尻尾を雫から守ってくれていた。
「燃えちまうぞ……それ」
翼と言っても葉っぱだ。火に近付けたら危ないはず。
「うん、火がだいぶ大きくなってきた。さっきはもう消えかけだったからどうしようかと思ったけど」
そう言いながらも、翼を炎にかざしたまま。
「リグール……あったかい。良かった」
噛みしめるようにそう告げてくれた、ミノリの心底安堵したような表情に───俺は、どうしようもなく泣きたくなった。
胸が、痛い。
助けてもらって、優しい施しをもらって、嬉しい筈なのに、それを凌ぐほど、苦しい。
ミノリの笑顔が愛しくて、愛しくて、愛しくて、辛い───
「ごめんな……」
「どうしたの」
「お前の実、また俺のために……」
生まれてくるガキに食わせなきゃなんねぇのに、そう呟いたら、ミノリは小さく首を振った。
「目の前で死にかけてる君を放っておけなかった。当たり前のことだよ」
「ごめん」
「謝らないで。あんな怖い所でひとりにさせて、僕の方こそごめんね」
そう言って、こつんと額を合わせてくる。
やめてくれ。勘違いしちまう。
好きだ。お前が好きだ。そんな気持ちが止められなくなる。
お前の大切なものを壊して、そこに割り込んでしまいたくなる。
「もう、お前は戻ってくれ」
「リグール?」
「俺は大丈夫だから。卵置きっぱなしだろ。早く帰ってやれ」
俺なんかのせいで、卵に何かあったら取り返しがつかない。
「ん、分かった。じゃあ君が眠ったら帰るよ」
「駄目だ、すぐ……」
帰れ、と言おうとした言葉が喉元で詰まる。
俺の肩にそっと載せられた、ミノリの頬。
「……どうしても、君だけは守りたかった」
「ミノリ……?」
「守りたいものを守れないのは……もう嫌だったんだ」
「……」
守りたくて、守れなかった───きっとそれは、かつてミノリが大切にしていた存在。
「少しだけ、ここに居させて」
そう言って、頬で俺に触れてくる。
体温を、鼓動を、確かめるように。
「お前は……ちゃんと守ってくれただろ」
「リグール」
「だからもう死なない、俺は絶対に」
俺の言葉に驚いたように、ミノリが顔を上げる。
首を降ろして、横たわる俺に視線を合わせた。
何を伝えれば良いのか分からなかったから、ただ見つめ返した。
ミノリは俺の目を見て何を察したのか、ふっと泣きそうな顔で笑った。
「……そうだね。今の君なら、絶対死にそうにない」
そしてそんな顔のまま、俺の尻尾の炎にふーっと息をかけたりして精一杯ふざけてみせる。
身動き一つとれない自分の体を、この時ほど感謝したことはなかった。
もし動けたなら、間違いなく俺はミノリを抱きしめてしまっていた。
◇
雨は峠を超え、ごうごうと騒いでいた風の音もいつの間にか鎮まる気配を見せていた。
ようやく水の恐怖が去って、安心した途端、気疲れなのか何なのか、疲労感がどっと押し寄せてきた。欠伸が出るのは気が抜けた証拠だ。
ミノリもそんな俺の気配に気付いたのか、寄り添っていた体を起こして立ち上がった。
それを目で追おうとするが、瞼が落ちようとする力のほうが強かった。
「おやすみ、リグール」
囁くような声。
「……ミノリ」
ふわふわとした心地の中、夢の世界の言葉が勝手に出てくる。
「お前の実、食ったら好きになるって……多分ホントだ……」
だって、二本も食っちまって、俺は、もう───
最後の方の言葉は声になったかどうか、よく分からない。
意識はもう、ほとんどあっちの世界に行ってたから。
ただ、その意識の隅っこに、途轍もなく都合のいい幻聴が聞こえたような気がした。
「……じゃあ、これは君以外には食べさせられないね……」
翌朝は、前夜の嵐が嘘のような快晴だった。
首が動く範囲で辺りを見回してみると、森の中にしては随分明るくて、ちょっと苦手な樹林の圧迫感があまりない。どうやら尾根のあたりに居るらしかった。
ミノリがおぶってここまで走ってくれた、それは記憶を繋げてみれば確かなのだが、その記憶自体がひどく曖昧だった。夢と現実が混ざったような、ぼやぼやとして所々断片化した変な感覚。
おまけにものすごく気持ちの良い夢がその記憶の最後にくっついていて、いっそ全部まるごと夢だったんじゃないかという気さえしてくる。
そしてその日の昼頃、ミノリはやってきた。これまで通り、籠に木の実をたくさん詰めて。
昨夜、俺たちの間の空気が何かいろいろ変わったような気がするが、ミノリはというと全く相変わらずで、まるで何もなかったかのようにのほほんとしている。
やっぱり夢だったんだろうか。というより、どのへんから夢だったんだろうか。
少なくともミノリの顎の下の黄色い実が一つしか残っていないから、俺が二本目を食ったあのあたりの記憶は間違いないんだろう。でもまさか「ゆうべ俺は変なこと告ったりしなかったか」なんて聞くことも出来なくて、何だかもやもやした気持ちのまま、表面的には何も変わらないやりとりを続けていた。
それから数日、同じようにミノリに木の実を差し入れてもらって、俺はようやく自力で起き上がれるようになった。
そこからの回復は順調で、十日ほどしたら歩き回れるようにまでなった。
右足はミノリの言ったとおり損傷が激しくて、足首から先がごっそりちぎれたような状態だったが、尻尾を杖代わりにバランスをとって歩くことにもすぐに慣れた。
それからしばらくして、俺はミノリが山の中腹に見つけてくれた岩の洞穴に引っ越した。水が乏しく風が強いから森の住民には人気のない物件らしいが、俺にとってはすこぶる居心地の良い住まいだった。
周囲に岩しかないここでなら、思う存分火を使った鍛錬ができる。それと、こっそり自慰に耽ることも。時々何の前触れもなくミノリが訪ねてくるから、あれの後始末だけはいつも念入りにしていた。まあミノリも雄だから体の事情は多分察してくれるだろうけど。
◇
鬱蒼と茂っていた緑の木々は、いつの間にか色づき、あっという間に葉を落とした。
ここに来てまだそれほど経っていないような気がするが、このあたりは山が高いから冬が来るのが早いのかもしれない。
最近ミノリは姿を見せなくなった。
好物の木の実がたくさんなる丘のあたりに何度か通ってみたが、結局会えずじまいだった。
とうとう卵が孵って、子守りに忙しいんだろうか。
会いに行きたい。その気持ちは日に日に強くなるのに、何故か尻込みする気持ちも同時に強くなってくる。
親父の顔になってガキを可愛がるミノリ、そんな姿を見たら辛くなりそうで。
いやそれよりも、ガキを持った途端、異種族の俺のことを敵視するようになるかもしれない。そっちの方が確実に堪える。
そんなうじうじした気持ちで立ち止まったまま、何日か過ぎた。
やっぱり会いに行こう。
手土産に木の実を持って行けば喜んでくれるかもしれない。ガキの世話でろくに食べてないかもしれないし。
ミノリの好きそうな木の実をいくつか選んで山を降りる。
ミノリの棲家は確かこの入り組んだ谷の奥の方。途中に沢がたくさんあって歩きにくいから、今まで近付いた事もなかったが、場所ぐらいはきちんと聞いておくべきだったと後悔した。
森は落葉して多少明るくはなっているが見通しが悪い。意外と複雑な地形で、これではどこに棲家があるのかわからない。治ったばかりの翼で少し飛んでみたが、上から見てもそれらしいものは見つからなかった。
「まずったなー……」
うろうろと歩き回るうち、日が傾いてきた。
今日は諦めて出直すか、そう考えたとき、ふとどこからか視線を感じた。
「ん?」
「うわっ、わっ」
振り返ってみると、木の上に小さい地味な鳥が居て、俺と目が合った途端慌てて逃げようとした。
「おい……」
「うえっ、ヤバっ、こっち来んな変態!」
「は!?」
何だよいきなり変態って!
「おいコラお前!」
確かポッポとかいう奴だっけ。そう言えばこのあたりではよく見かける鳥だ。
「こっち来んなって、変態! シッ、シッ」
「何なんだよ、おい。いきなり初対面でそりゃねぇだろ」
どんだけ失礼な生き物なんだよ。ミノリに火気厳禁の約束してなけりゃ、こんな奴速攻燃やしてたな。
「なんで俺が変態呼ばわりされなきゃなんねぇんだよコラ」
「だって変態だろ? 有名だぜ、アンタ」
「はぁ?」
ポッポは枝をぴょんぴょん渡って間合いを取りながら、それでも飛んで逃げるつもりはないらしい。時々振り返って俺の様子を面白そうに観察している。何だか珍獣扱いされてる気分だ。
「ぷぷっ、死にかけなぐらいズダボロ状態のくせに、あんな派手に公開オナニーしてりゃ有名にもなるって! アレ見た後、みんな興奮して大変だったぜ」
───げっ
「み、みみ、見てただとー!?」
アレって、アレって……あの時のやつだよなぁ! 夢の続きで……うわあああ。
「おうよ、そこら中から集まって見てたぜ。知らねぇのは当のミノリさんぐらいだろうなぁ」
「あわわわ……」
「当のミノリ」って言ったな。ってことはミノリがオカズにされてたってのもバレバレなのか。
最悪すぎる……。
「んで何だ? こんな所うろついてるってことは、とうとうストーカーまで始めやがったのか?」
「んなワケねぇだろ! ……て、いや、ミノリの棲家探してるのは事実なんだが……」
「うわー怖ー、やっぱストーカー」
「ちげーよ、ただ最近顔見ねぇから心配で……食い物でも持ってってやろうかと。べべべ別に、押しかけて襲ったりとかしねぇぞ!」
「胸張って言うセリフじゃねぇだろ、馬鹿」
突っ込みを入れてから、ポッポは少し考えるように間を置いた。
「……ミノリさん、顔見せねぇのはいつもの事だよ。毎年この時期そうなんだ」
素っ気ない振りで言ったポッポの表情は、さっきまで悪乗りしてたときとは違って、妙に陰気臭い雰囲気に変わっていた。
「そ、そうなのか? 毎年この時期って、なんで……」
「なんでって、そりゃお前……って、知らねぇの?」
「だから何なんだよ」
ポッポは言いにくそうに口ごもった。
ふっと、嫌な予感がした。駄目だ。
「そりゃぁ……」
聞いちゃいけない。
ミノリに関わる、重大なこと。聞きたくない。でも。
「アリンさんが死んだの、ちょうどこの時期だったからな」
「───……」
自分でも信じられないほど、その言葉の意味を冷静に理解できた。
その言葉が示す、とんでもなく残酷な───「現実」も。
「アリンってな、ミノリの嫁だな」
「……ああ」
「いつ、死んだんだ」
ポッポは何かを数えるように視線を泳がせた。
「さぁ……もう五年ぐらいになるか」
◇
藪を漕ぎながら走る。足が水に浸かるのも構わず、沢を渡る。
ポッポが教えてくれたのは大まかな位置だったから、その周辺を片っ端から探し回った。
夕焼け空の下、森の中はもう薄暗い。
「ミノリ……、ミノリっ!」
焦る心でミノリの名を呼ぶ。
「あ……」
沢と尾根の途中、斜面を覆う灌木と笹が不自然に途切れた所に、ひっそりと目立たない、それでもかなり大きな巣穴があった。
「これ、か」
見つけた。ミノリ。
走り回って上がった息を整える間もなく、入り口に足を踏み入れた。
「ミノリ! 居るんだろ、ミノリ!」
尻尾の炎で暗い洞穴の中を照らす。
「ミノリ!」
「リグール!?」
奥の方で、ミノリの声が答えた。
弾かれるように、その声の方へ走る。
「リグール! 駄目だ、来ないで!」
焦ったようなミノリの声。
それでも既に俺はミノリの目の前まで来てしまっていた。
「ミノリ……」
炎の明かりが揺れる中、久しぶりに会えたミノリの顔は、ひどく動揺して強張って見えた。
「リグール……」
身動ぎして、体の下に何かを匿うような仕草。
大切そうに守る、それは。
くすんだ色に変色してしまって、もう、とっくに死んでしまってる、卵───
「おま……なんで、何でだよ……それ」
重い足を引きずるように、ミノリに近付く。
「なんで……そんな、そんな事なってんだよ……」
死んじまった嫁が、最後に残してくれた卵。
ミノリを孤独から救ってくれる、嫁の面影を映した唯一の家族……そうなる筈だと信じてた。
男手一つでもミノリなら立派に育てるだろう、ガキと一緒に生きて親父としての幸せを掴むんだろう。そう思ったからこそ俺は身を引いた。ミノリが幸せになるならそれを祝福したかった。
なのになんで、なんで……こんな酷い事になってんだよ……!
「……」
凝視する俺の視線を避けるように、ミノリは俯いた。
「ごめん……リグール」
「ミノリ、お前……」
「ごめんね……君に、嘘ついてた」
俯いたまま、ミノリが呟く。
「苦しかったんだ……こんな現実、忘れたかった。だから、君に嘘を」
「そんな嘘ついたって、お前……お前余計に辛いだろうが」
現実が変わるわけじゃないのに───
「うん……嘘つくの、辛かった。……でもね」
今にも泣きそうな震える声に、はっとした。
「少しだけ、嬉しかったんだ。僕がもうすぐお父さんになるって、君が、信じてくれてたから。なんだかそれが本当になるような気がして」
抱き寄せた卵の上に、雫がぱたぱたと落ちる。
「生まれるのを信じて、心待ちにしてた、まだ希望があったあの頃の時間に……君といると戻れるような気がしたんだ」
卵の世話をする、そう言ってたときのミノリの顔。嘘ついてるようには見えなかった。
当たり前に嬉しそうで、少し誇らしげで。
あのときミノリは、どんな思いだったんだろう───そう思うと、沸き立つ気持ちを抑えることが出来なかった。
きつく、きつくミノリを抱きしめていた。
「ちゃんと生まれるって、信じてたのに……! アリンと最後に約束したのに……いつかその日が来るって、いつまでもいつまでも待って……諦められなくて……っ」
腕の中で、ミノリが声を上げて泣きじゃくる。
「大切な……大切な家族だったのに、守れなくて……!」
「もういい……わかった、ミノリ……」
「う……うああぁ!」
泣きながら卵を抱いていた、いつか見た夢でのミノリの姿。あれは、ある意味本当の姿だったんだ。
最愛の妻に先立たれて、唯一望みを繋いだ子どもも、顔さえ見せてくれずにミノリを置いて旅立ってしまった。
ひとりここに残されて。
「幸せ」も「希望」も何もかも、ミノリは全部とっくに失っていたんだ。
こんな現実、酷すぎるだろ……───
「……っ、う」
気持ちがぐちゃぐちゃのまま、俺の中の何かが切れた。
胸の奥からこみ上げてきたものを、止めることが出来なかった。
呼吸が苦しい、えづくようなその感覚───ミノリを抱きしめたまま、こらえ切れず俺は咽び泣いていた。
「……ごめんね、リグール」
少し落ち着いたらしいミノリが、おずおずと、ようやく顔を上げてくれた。
涙の跡が痛々しい。
何かを考える前に、その濡れた頬を舐めていた。自分でも不思議なほど、下心の欠片も湧き上がらなかった。
ゆっくりと何度も舐めているうちに、ミノリが首を伸ばして俺の頬を舐め返してくれた。
その優しさに、引っ込んでいた涙がまた溢れそうになって。つい俯いてしまった視線の先に、それを見つけた。
「あ……」
ミノリの腹と足の間に収まった、小さな卵。
きっと、たくさんの涙を吸ってきたんだろう。
「触っていいか?」
ミノリの大切な宝だったもの。たぶん今でも。
ミノリは小さく頷いて、卵を少しこっちに寄せてくれた。
「……」
卵に触れるのは初めてだった。
命の入っていない冷たい卵。それでも、手に優しく馴染む表面の感触とその丸みを撫でていると、不思議と穏やかな気持ちがした。ずっと抱きしめていたいような、ふわっとした幸せな気分になれた。
無言で撫で続けている俺を、ミノリはじっと見つめていた。
「リグール、優しい顔してる……君の体は暖かいから、卵を抱くのに向いてるかもね」
ひっそりと告げられた言葉が何故か気恥ずかしい。
もしここから自分の子どもが出てきてくれたらどんなに嬉しいだろう。そんな事を考えていた。親になるってこんな気持ちなのかな。───きっと、ミノリも。
ただひたすら子どもが出てきてくれるのを待ちわびていたミノリの気持ち、そしてそれが叶わないと分かったときの酷い絶望が、改めて身を持って分かったような気がした。
「リグールなら、いつか自分の卵を抱くときが来るよ」
そう言って、ミノリは少し寂しげに目を逸らした。
「ミノリ……」
その言葉は俺の未来の姿を語っていたが、同時に、ミノリ自身の孤独を伝えていた。
この先もずっと残された者として生きる、そんな諦め。
「お前だって、また」
「……」
ミノリは俯いたまま首を振った。
「そんな物好きいないよ。僕みたいな弱い雄なんて」
「弱くなんてねぇよ。お前すげぇよ。俺の命救ってくれたの一度や二度じゃなかった。火ついたままの俺をおぶって助けてくれたじゃねぇか。おっかねぇ筈なのに、そんな事出来る奴居ねぇよ」
「……それは、君が……」
「少なくとも俺は惚れるぞ」
勢いのまま、封じていた筈の言葉がいとも簡単に転がり出てきた。気持ちを抑えなきゃならない理由は、もうどこにもないから。
抱きしめたミノリの体が、わずかに強張ったような気がした。
「俺が……俺が、お前のそばに居たら駄目か?」
独りにさせるぐらいなら、もう少し近付きたい。孤独を埋めるほど、もっともっとミノリの懐に入り込んでしまいたい。
「ガキが生まれたら故郷の海に連れて行くんだって言ってただろ。それ……俺と一緒じゃ駄目か?」
「リグール……」
「お前が好きだ。ずっとそばに居たいんだ。出来ることなら、つがいになりたいぐらい。卵は……抱かせてやれねぇけど」
ミノリが見上げてくる。驚いたような、困ったような、複雑な表情で。
嬉しいような気配は無い。困ったような───それが、ミノリの本心なのかもしれない。
ああ、駄目かもな……直感的に、そう感じた。
「今すぐ返事しなくていい。泣いてるお前につけこむような真似はしたくねぇから」
「……」
「一晩ゆっくり考えて、明日の朝、答えを聞かせてくれ。もしお前が俺を受け入れられないなら、はっきりそう言ってくれ。その時は……俺はこの森を出て行く」
「そんな……」
動揺なのか、ミノリの瞳が揺れている。
こんな時に、ミノリを追い詰めるような選択を迫るなんて最低だと自分でも分かってる。それでも、このまま中途半端に折り合いをつけられるほど、俺自身、精神的に余裕は無かった。
追い詰められてるのは、俺も同じだったから。
ミノリは思い惑うように視線を彷徨わせて、苦しげに頷いた。
「……わかった」
そのまま重苦しい一夜を過ごすことになるかと思っていたが、意外にそうでもなかった。
朝まで一緒に居たいという俺の願いを、ミノリはあっさり聞き入れてくれて、卵を挟んでふたりで添い寝をした。
嫁が生きていた時は、毎晩こうして一緒に卵を温めたのだと、幸せだった頃の思い出話を聞きながら、まるでもうミノリとつがいになったような錯覚に陥っている現金な自分に苦笑した。
真夜中の冷気が流れこんで来ると、ミノリは無意識に俺に擦り寄ってきた。
最初で最後になるかもしれないから、寒がるミノリを精一杯抱き包んで暖めてやった。
この熱でミノリの心の悲しみが少しでも溶けて、俺の方へ流れてきてくれればいい、そんな事を願いながら───
いろいろ思いを巡らせすぎて、眠ったのか眠れなかったのかよく分からないままに夜が明けた。
多分ミノリも同じだったのだろう、少し疲れたような仕草をしつつ、それでも相変わらず卵を守るように座っていた。
日が昇ってもまだ薄暗い洞内で、俺の尻尾の炎だけがゆらゆらと揺れている。その赤っぽい明かりに照らされたミノリの顔は、揺れる陰影のせいで迷うような表情にも見えたが、その目だけは何らかの意思を映していて、少し離れて佇む俺をじっと見上げていた。
「答え、出たか」
「……うん」
ミノリはゆっくり立ち上がった。
卵を背後にして、俺の正面に立つ。そのままでは見下ろすような格好になってしまうから、首を降ろして目線を合わせてくれた。
黒くて大きくて、優しげな瞳。
初めて会った時から、心惹かれた。そんな気がする。
その瞳が一度閉じて、少しの間があって。
もう一度開いた時には、揺るぎない強さを帯びてまっすぐに俺を見つめていた。
「リグール……この森を、出て行ってほしい」
───真正面から来た。
「……」
あまりにも率直すぎて、一瞬言葉に詰まった。何を言っても、未練がましい悪あがきに聞こえてしまいそうで。
言葉の代わりに、ため息が漏れた。
ある程度覚悟していたとは言え、やはり面と向かって言われると相当こたえる。
「やっぱ……俺じゃ駄目か」
自嘲気味に呟く。
ミノリはそんな俺を───俺の戸惑いも葛藤もすべて見逃すまいとしているかのようにじっと見つめたまま、そっと首を振った。
「君が駄目だとか、そういう事じゃないんだ。……リグールはすごく良い奴だと思う。まっすぐで、男気があって、自慢の友達……だけど」
ミノリは言葉を探すように口をつぐんだ。
「……だけど……君と僕が結ばれる、そんな未来を思い描くのが辛かった───それが、答えだよ」
俺と結ばれる未来が、辛い
ああ……
思わず、天を仰いでいた。
完璧な敗北。
───いや、いっそここまではっきり言い切ってくれて、もやもやしていた気持ちが逆に吹っ飛んだ。
下手に希望を持たせるような言葉より、よっぽど良い。ああ、そうだ。
小さく息をついて、ミノリの視線に応える。
大丈夫だ。震えてはいない。
「……そっか。よくわかった」
「リグール……」
何か言いたげなミノリの顔。何を言いたいのか、何となく分かる。
でも、それじゃ俺の気持ちにけじめがつかないから。
「んじゃ、俺、行くわ」
───バイバイ、ミノリ。
最後ぐらい格好つけさせてくれよ。引き止めたりすんなよ。揺らいじまうから。
「元気でな」
必死の笑顔で、ミノリの姿を目に焼き付けて、そのまま背を向けた。
この洞穴を出たら、お別れだ。
そしたら、泣いても大丈夫かな。
「リグール……待って」
……だから引き止めんなって。
お前の声聞くだけでも悲しいんだから。
一応、出て行く足は止めたが、振り返れなかった。
顔がぐちゃぐちゃになりそうで。
「最後にひとつ、我儘聞いてくれる? 君に手伝ってほしいんだ」
「……なんだよ」
なんだよ、なんだよ。
たった今振られたばっかだってのに。
こんなに胸が痛くて泣きたくなるほど傷付いてるってのに。
頼られて嬉しいって、ほんと馬鹿だ……。
体の向きは外のまま、顔だけを少しミノリの方へ向ける。
俺が振り返ったのを確認してから、ミノリは後ろを向き首を降ろしてしばらくじっと卵を見つめた。
「この卵……土に返したい」
「え……」
ミノリの大切な宝物。
諦めきれないまま五年……ちょっとどころの時間じゃない。それだけの時間手放せなかった、抱き続けてきた、心の拠り所───の筈なのに。
「もう、終わりにしなきゃ。……君のおかげで、決心がついたよ」
「ミノリ……良いのか」
後悔しないのか? それだけが心配だったが、ミノリはしっかりと頷いた。
過去を捨てて───卵も、俺も、全部手放して、ミノリは新しい道を生きることに決めたのか。
俺が告ったおかげで、その決心がついたのか。そう思うとなんだか複雑な気持ちになった。
「……わかった」
わだかまりはいろいろある。でも、ここまで来たら最後まで付き合ってやる。
ミノリは変わろうとしてる。惚れた相手が辛い過去から解き放たれて一歩踏みだそうとしてる、その背中を俺が押してやれるなら、もう悔いはない。
ミノリの中で、俺の存在意義はあったって事だ。それだけでいい。
◇
薄雲が広がる冬空の下、日差しの温もりも無くしんと冷えた空気の中をミノリの先導で飛んだ。卵は俺の腕の中だ。
寒々と葉を落とした落葉樹の尾根を超え、大きな谷へ。
急傾斜の谷の奥に、ひときわ大きな断崖があった。その中ほどを縦に走る、白い筋。
「滝か?」
どれぐらいの落差があるのだろう。冬場にしては水量の多いその滝は、ざあざあと大きな音を轟かせながら、かなりの高さから一気に滝壺に落ち込んでいた。
ゆっくりと旋回して、滝壺のそばに降りる。そこは滝を囲んでなだらかに傾斜した広場で、周囲の一帯が大きな器のような地形になっていた。
「……すげぇ」
飛び散った水しぶきは寒風に晒されて、いくつものつららとなってそこら中から垂れ下がっている。よく見ると滝そのものも、流れ落ちる形のままその一部が凍りついている。初めて見る水と氷の不思議な造形だった。
「ここでね……アリンと出会ったんだ」
思い出の場所か。
「……ってことは、アリンは水の種族か何かか?」
「うん、オーダイル」
───は?
「え……え?」
「強くて格好良かったなぁ……えへ」
えへじゃねぇだろ! 嫁の方が格好良すぎるだろ! どういうカップルだよそれ!
───思わず突っ込みたくなったが、あまりの衝撃で言葉が出なかった。
ミノリの嫁っつーから、もっと可愛い系なのかと思ってたけど。不謹慎だが一瞬ワニとトロピウスの絡み場面を想像しかけて、しかも途中で画像生成不能に陥った。
「……」
軽くフリーズしている俺をよそに、ミノリは滝壺に近付いていく。
ざあざあ、ざあざあ。
途切れることのない激しい水音。その音は雑音のようでもあり、何か大きな生きものの命の声のようでもあった。
水際に佇み、言葉もなく沈黙するミノリ。
きっとアリンのことを思ってるんだろう。
「ミノリ」
卵を抱えて、ミノリのそばに立った。ミノリとアリンの近くに、この卵を持って行ってやりたかったから。
「ありがとう、リグール」
ミノリは俺の腕の中の卵に何度も頬ずりした。それはもう、愛しげに。
これが本当に最後の親子の触れ合い。土に返してしまえば、もう二度と触れることはできない。
思う存分最後の名残を惜しんでから、俺たちは広場の脇の斜面を少し登って小さな平場に立った。そこには果樹園のように木の実のなる木がたくさんあって、冬のこの時期でもまだいくつか実が残っていた。
「ここの木の実は森のみんなの食糧なんだ。でも全部取っていかずに、いつもこうして少しだけ残しててくれるの」
「なんで?」
ミノリはひときわ大きな木の前に立って、落葉した枝に揺れる淡い色の木の実を見上げていた。
この木だけは、かなりたくさん実が残っている。
「この下に、アリンが眠ってるから」
「……」
ここが、ミノリの嫁の墓。
そうか……彼女のために、ミノリが実のなる木をたくさん植えて、ここにこんな果樹園ができたのか。
「立派な樹だな」
俺の言葉に、まるで自分が褒められたみたいに嬉しそうに、ミノリは「うん」と言って笑った。
アリンの木に寄り添うように、小さな穴を掘った。俺もミノリも、体が地面を掘るのに適してないから随分手こずったけど。
「木の実、いっぱい入れようぜ」
周囲の木から実を集めて入れた。まるで酒でもつくるように、色とりどりの木の実を穴の中に詰めていく。
そして溢れんばかりの木の実の中に、卵を置いた。
「リグール、これも入れて」
ミノリが顎を上げて、最後に一本だけ残った黄色い実を差し出す。
それをそっともぎ取って、卵の上に載せた。
「ほらチビ、母ちゃんと父ちゃんの木の実。食いきれねぇほど腹いっぱいだぜ。なあ……良かったなぁ」
卵にそう声をかけてやった。
美味しい木の実に囲まれて嬉しそうに笑ってる、ちっこいワニノコの姿がふと目の前に浮かんで、何だか急に泣けてきた。
「アリン……待たせてごめんね。今、そっちに行くから。よろしくね」
ミノリもやっぱり泣いていた。
それから、穴を土で埋め戻した。
◇
「今まで……ありがとう」
新しく出来た小さな墓の前で、ミノリは礼を言った。
少し寂しげな表情。でもその瞳は沈んではいなかった。
きっと、大丈夫だ。ミノリなら───何の根拠もなく、そう自分に言い聞かせる。
俺の仕事はこれで終わった。だから、もうここから去らなきゃ。
「幸せになれよ。ミノリ」
本当は俺が幸せにしてやりたかった。
「リグールも……幸せに」
ミノリはそう言ってくれたが、俺は肯定の言葉を返せなかった。
ああ、まだ未練残ってやがる。
最後に抱きしめたかった。
ミノリの葉っぱのにおい、いっぱい吸っておきたかった。
だけど、俺はそこから一歩もミノリには近付けなかった。
俺とミノリとの間には、もう見えない壁が出来ていたから。
「……さよなら。リグール。ありがとう」
穏やかで、優しい声。
そして、口の動きだけで、何かを言った。
ミノリが何を言ったのか、俺には分からない。
だから、同じように声には出さずに、俺もミノリに告げた。
───『おまえが好きだった』と
◇
風に任せるまま、森を離れていく。
目の前がよく見えない。涙で潤んじまって。
「みっともねぇな。たかが失恋でよ」
わざと口に出して言ってみる。そうでもしないと心がどこかへ行っちまいそうだったから。
「俺は本気になったらモテるんだ。ヘコんでる場合じゃねぇ」
……なんて。空に涙飛ばしながら言う台詞じゃねぇな。
さあ、どこへ行こう。
北、南、東、それとも西───やっぱ、南かな。
───子供の頃は海の見える森に住んでたんだ。ずっと南のね、一年中海で遊んでた
───海、好きか?
───好き……だよ。いつか、いつか……子どもが生まれたら、一緒にあの海に行こうねって
こんな時でも、やっぱり思い出すのはミノリの言葉。ミノリの表情。
あいつが行きたかった、海の見える森。ずっと南の、この海の向こう。
「行くか」
ちょうど冬の北風が吹いている。風に乗れば難なく行けるだろう。
高度を上げ、南に首を向ける。
風を読み、加速する。
目の下に広がる広大な森は、標高が下がるにつれ人間の手が加わってくる。集落、町、それからもっと大きな建物だらけの街。
その向こうに広がるのは、青く輝く大きな海───
そのとき、後ろから微かに何かの声が届いた。多分、俺を呼ぶ声。
「ん?」
ゆっくりと旋回して目を凝らす。
小さい何かが追ってくる。あのサイズって、あれだよな。ポッポ。
「おーい! 変態! 待てゴラァ!」
やっぱり。
「変態じゃねぇ! こんな所まで追っかけて来て何ほざいてやがる!」
「うるせぇ! ゴタゴタ言ってねぇですぐ戻れ! ミノリさんが危ない!」
「何!?」
ようやく追いついたポッポが、すごい形相で睨みつけてくる。
「ミノリさん、滝に身投げしたんだよ!」
「なん……っ」
「てめぇがミノリさん捨てて逃げたせいだ! この最低野郎!」
「ちっ……違」
違う! 捨てられたのは、俺の方で……
いや、今そんな言い合いしてる場合じゃない。
「あの滝か!?」
「そうだ! さっきの所だ! 早く行け!」
また見てたのかよ!
怒鳴ってやりたかったが、そんな暇も惜しい。すぐさま全速力で翼を羽ばたかせて、今来た道を戻った。
急ぐ行く手を阻む向かい風が恨めしい。だがこんな風なんかに負けてられるか。
「ミノリ……なんで、なんでだよ……!」
お前、新しい道を生きるんじゃなかったのか?
誰かと幸せになるために、俺と別れたんじゃなかったのか?
───いや、違う、違う! そうじゃない!
ミノリから離れることを最初に選んだのは、俺の方だ。
自分が辛かったから。
そうだ。ミノリが受け入れてくれないなら、いっそ離れてしまった方が楽だから───そうやって、俺は自分の逃げ道を作ったんだ。ミノリを追い詰めて、無理な二択を選ばせて。
俺は気付いてた。気付いてるのに気付かない振りしてた。ミノリは俺を受け入れられない、だからって俺が去ることも望んじゃいなかったってこと。
『幸せになれよ』そう言った俺の言葉に、ミノリは返事をしなかった。
───もう、終わりにしなきゃ。君のおかげで、決心がついたよ……
終わりって、決心って、こういう意味だったのか?
「畜生……畜生ッ!」
自分の愚かさに腸が煮えくり返る。
『捨てて逃げた』───ポッポの言葉が、刺さる。
谷の断崖が見えてくる。
一気に高度を下げ、滝壺の広場を目指す。
そこには何匹かのポケモンが集まっていて、滝壺の方を見ながらオロオロしていた。また何匹かは水に入っていて、顔を出したり潜ったりを繰り返している。
「おい、変態が来たぞ!」
他に呼び方ねぇのかよ!
降りてくる俺を見つけたポケモンたちが、水際近くに俺の着地場所を空けた。
「ミノリは……!」
「滝壺の中よ! さっきからウパーたちが潜ってるけど、どうしても動かせないみたいなの!」
「……っ」
轟音を立てる滝の下。あそこにミノリが……
渦巻く水の方へ、足が向かう。
「アンタちょっと! 水に入る気!? 死ぬわよ!」
「わ、分かってるよ! でもミノリが……!」
滝壺周辺の水面に氷が張ってる。氷水みたいな冷たさだ。
寒さに弱いミノリの体が、あんな所で保つ筈ない。
「俺が、行く」
「無理だって……」
「黙っててくれ! 集中するから!」
一喝してから、意識の波を鎮めた。
血とともに体を巡る、炎の脈動に思念を合わせる。これが、炎と一体となる感覚。
体温が急上昇する。ふう、と吐き出した息に交じる、高温の火の粉。
体の表面から陽炎のように熱気が立ち昇る。
周囲のポケモンたちがざわついて後退した。
───よし、行ける。
気を奮い立たせて、飛び立った。
炎の粉を撒き散らしながら上空で静止し、滝壺に狙いを定める。
そして、その一点に向かって、火の玉のように火炎を纏いながら突っ込んだ。
「……ぐっ……!」
想像以上の水圧だ。上から容赦なく抑えつけるような。
俺の体から吹き出す炎の熱が周囲の水を沸騰させる。水中からボゴボゴと噴き上がる大量の蒸気の泡。
一段と深くなったところにウパーとヌオーがいる。あそこか。
大量の葉っぱが積み上がって大きな塊になってる。近付いて掘り崩そうとしたが普通の葉じゃなかった。磁石みたいに強固に噛み合っていて、頑としてほどけない。ミノリが作り出した葉の塊か。
畜生……なんでッ!
「ミノリ……ミノリィィッ!」
勢いに任せて火炎を吐く。これまでとは比べ物にならない勢いで爆発的に水が沸き立つ。
落下する滝の水圧を押し上げるほどの水蒸気。破壊的な音を立てて沸騰する熱水の中、ついに葉の塊が崩れ始める。
まずいな、もうあんまり炎がもたない。
ミノリ……早く出てこい!
「いた!」
散り散りに舞う葉の中に、小さく蹲ったミノリの姿。
「ミノリ! ミノリッ!」
水底に沈んだミノリの体は、氷のように冷たく、固くなっていた。
燃える体のまま抱きしめ、必死で引きずり出す。
「重……っ」
苦しむ俺に気付いて、遠巻きに見ていたヌオーも駆けつけて来て、一緒に押し出してくれた。
少し移動すると落水の位置から外れたのか、ふっと水の重圧が消えた。
よし、これで水上に出られる。
───と、その確信が油断になったのか、くらりと唐突に目眩が来た。
全身に感じる。水の冷たさ。
「!?」
気が緩んだ一瞬、全身を覆っていた炎が僅かに途切れたらしい。
ゾクッと背筋を駆け抜ける冷たい塊。分かる、これヤバいやつだ。
尻尾が───
ざばぁと水から顔を上げた。
途端に周囲から歓声が上がるが、それどころじゃなかった。
ほとんどヌオーに後ろから押してもらって、何とか岸にたどり着く。
「ちょっと! あんた火が……」
誰かが叫んでる。
尻尾……確認しなくても分かる。火が消えてる。呼吸も止まってる。
目を開けてる筈なのに、暗い。意識がどこか真っ暗な所に落ちて行きそうなこの感じ。ヤバい。
周囲の雑音が消える───そのとき。
「ミノリさん! 死んじゃ駄目だぁ!」
はっきりと、その言葉が頭に届いた。
「───!」
ドクンと強く心臓が脈打つのをリアルに感じる。何度も、激しく。
急激に血が巡る。それから、炎も。
漲ってくる熱い何か。
ミノリ───……ッ!
バンッ、と硬い音を立てて、突然背から尻尾にかけて火を吹いた。
「わッ! 危ね!」
周りを取り巻いていたポケモン達が驚いて飛び退く。
しっかりと目を見開く。大丈夫だ、見えてる。死んでない。
まだガンガンする頭を持ち上げ、何とか身を起こした。
「ミノリ……ミノリ!」
傍らに倒れたままのミノリに這い寄る。
ぐったりとして、血の気のない顔。まるで、死者のような。
「ミノリィッ!」
声の限り叫ぶ。
冷たい体を抱き包み、火の気を呼ぶ。
「おい! ミノリさん燃やす気か!」
「手加減してるって!」
火傷するギリギリ手前の熱気でミノリを温める。
「ミノリ……目を開けてくれ」
強張った体をさする。冷たい頬に熱い息を吹きかける。
間近で見つめるミノリの静かな寝顔。その安らかさが悲しかった。
「ごめん……ごめんな。ミノリ」
苦しかったんだな……辛かったんだな───こんな所で凍え死ぬのを選んじまうぐらい。
「ごめん……お前寂しがってるの分かってたのに……独りにしちまって」
もうどこにも行かないから。
お前を追い詰めたりしない。友達でも何でも構わない、ずっとそばに居てやるから。
「頼むから……アリン……こいつ連れて行かないでくれよおぉ!」
ふわりと、ミノリの体から何かが離れた───ような、気がした。
強いて言うなら……霊魂、のような。
「ミ……ノリ……?」
まさか……まさか。
「ミノリ、おいッ! 嘘だろ!?」
ほんとに、お前───行っちまうのか!?
「嫌だ……死ぬなミノリ。俺を置いて死ぬな!」
ミノリの頭を抱き上げ、熱い頬を擦り付ける。舌でミノリの口をこじ開けて、熱い息を直接吹き込む。
「あ……」
ミノリの口の中に、縮こまった丸い舌を見つけると、本能的に自分の舌を絡ませていた。
深く濃い舌の交わり、疼くような痺れが体を突き抜ける。
「ン、……ふッ」
何やってんだ俺。
こんな時なのに夢中でキスしてる。
息が上がる。熱くなる体。駄目だ、これ以上熱気出したらミノリが発火しちまう。
熱い───
ぴく、と舌に動きを感じた。
「!」
逃げた。ミノリの舌が。
追いかけて、捕まえる。そして熱く絡ませる。
「や……ん」
ミノリが嫌がるように顔を背ける。
「ミノリ……ッ!」
周囲から、おおと感嘆の声が沸き立った。
「すげぇ、エロい起こし方だなオイ!」
「ベロチューですね」
「さすが変態」
とか好き勝手言ってる。お前ら黙ってろ、頼むから。
「リ……グー、ル」
「ミノリ、ミノリッ!」
瞼が震えて、僅かに瞳の光が覗いた。
「ああ……ミノリ!」
ミノリの頭を抱きしめた。安堵からか目にじわっとした熱さがにじむ。
「ミノリ、ごめんな。俺が悪かった……」
「リグ……ど、して」
俺を見上げるミノリの表情が、悲しげに歪む。
「どうして……ダメ……行って、リグール」
「ミノリ?」
ぽろぽろと、ミノリの大きな黒い目から涙がこぼれる。
「僕のそばに居ないで……ここに居ないで」
「何言ってんだよ、俺はここに居る。もう寂しい思いなんてさせないから」
「……出てって」
「なんで」
ミノリの言いたい事がわからない。俺が出て行ったせいでこんな事になったんじゃないのか?
「寂しかったんだろ? 俺のせいで……」
「違う」
ミノリは力なく首を振った。
「ダメだよ……そばにいると僕はきっと、君の未来を台無しにしちゃう」
───俺の、未来……?
「どうして戻ってきたの。君の幸せを壊したくないから……僕のことなんて早く忘れて新しい世界で生きてほしいから……だから、追い出したのに」
───俺の幸せ? 新しい、世界……?
そのために、ミノリは俺を───
「……んだよ……」
なんだよ。
ああ、なんだこれ。
「……ざけんな。ふざけんなよ……俺の未来だの幸せだの」
胸がぐらぐらする。沸き立ってる。
吐く息が、すでに怒りの炎で渦巻いてる。
「俺の生き方操ってるつもりか! 冗談じゃねぇ! 俺の未来は俺が選ぶ! 何が幸せかは俺が決める!」
「わざわざ後ろ指差される未来を選ぶのか!? 一時の感情で未来捨ててどうすんだよ! 道を外れるには早過ぎるんだよ、君は!」
俺の剣幕にビビるかと思いきや、ミノリは触発されてブチ切れたらしい。
「こんな男やもめに熱上げるなんて正気じゃないだろ! よりによって僕だぞ! 君はあの大怪我のせいで気に迷いが出ただけなんだ。どうせすぐ目が醒める」
「迷いなんかじゃねぇよ! お前俺を信じてねぇのかよ!」
「信じられる訳ないだろ! ここまで期待させといて……っ」
ミノリの言葉が詰まって途切れる。
「期待させといて……それに心預けて───そして君が去ってしまったら……っ」
「生きていけない───だから死のうとしたのか?」
「……っ」
肯定の表情を浮かべるミノリの顔を見て、心の中の何かが折れた。
───なんだよ、なんだよこの脱力感。無力感。
最悪だ。
「お前……お前、いい加減にしろよ……」
駄目だ、声が震えてる。
「俺は今まで散々痛い目遭ってコテンパンにやられてきたけどなぁ……今これほど惨めな気持ちになったことねえよ」
「……リグール……」
「お前俺を何だと思ってんだよ。正気じゃない? そうかもしんねぇけどな、道外れてるなんて百も承知なんだよ。だから必死で折り合いつけようとした。だけどどうしても出来なかった」
お前の嘘に気付かないまま、お前を守るために必死で自分を抑えてきた。───つい昨日までは。
「俺を信じられない? そんな訳分かんねぇ理由で、惚れた相手が死のうとしたんだぞ。俺は……もがき苦しみながらお前の事だけ考えてんのに。この屈辱わかるか?」
どれだけ惨めかわかるか? 抱えきれないほどのこの思いを端から信じてもらえない、その絶望が。
「お前を失うぐらいなら俺は一生自分の気持ちを封じたっていい。それで一生お前のそばにいる。そんな覚悟ももうとっくに出来てんだよ。これが一時の気の迷いか? 俺はそんな薄っぺらい男か?」
「……」
「信じられないからって……それぐらいで捨てちまうぐらいの命かよ、お前の命は!」
勢いのまま、ミノリにのしかかる。
「そんなにいらないモンなら、お前の命、俺がもらう!」
「リ……」
「今ここでブチ犯すッ!」
「おお、いきなり本番か」
「いよいよだな。ちょっと詰めろや」
「押さないで、ちゃんと並んで座ってくださいよ」
「おい、誰か婆さん呼んで来いや、始まるってよ」
───またか!
振り返って見ると、さっきより明らかにポケモンが増えていた。しかもみんな正座してこっち見てやがる。
「おいお前ら! なんで当たり前に見物してんだよ! なんで場所取りしてんだよ! なんでババァ呼ぶんだよ!」
「いや、わしらも心配でなぁ」
「説得力ねぇわ!」
「だって森の中じゃ娯楽なんて無いし」
「娯楽かよ! こっちは必死なんだ! どっか行け!」
「チッ、しょうがねぇ。おい、夜まで待てってよ」
「言ってねぇよ! 二度と来んな!」
どうなってんだよ、ここの性モラルは!
◇
なんだかんだで森のポケモンたちを追い払った頃には、気の昂ぶりもほとんど収まっていた。
そういう意味では邪魔が入って良かったのかもしれない。
あのまま事に及んでたらどんな暴挙に出たことか。
「……冷えきってるな」
ミノリがガタガタ震えてるのに気付いた。触れてみると驚くほど冷たい。さっき暖めたのが、もう冷めちまったのか。
そりゃそうだな、あんな氷水の中にずっと居たんだから。体が大きい分、一度冷えると温まるのに時間がかかるのかもしれない。
「熱過ぎたら言えよ」
蹲るミノリの背に覆いかぶさるようにして、熱を送る。
「……ごめんね、リグール」
小さく蹲ってミノリが頭を下げる。やっぱりだいぶしょんぼりしてる。
「……」
かなりいろいろぶちまけちまったが、ようやくミノリに届いたってことか。ずいぶんこじらせてたんだな、お互いに。
「二度とこんな事許さねぇからな」
俯いた頭を何度か撫でていると、ミノリはおずおずと顔を上げた。
「リグール……あのね、やっぱり……」
「お前また俺に考え直せとか言おうとしてるだろ。言ったらマジで今ここで犯すからな」
「だ、だって」
「お前が何て言おうと俺はもうお前を手離すつもりはねぇよ。いい加減観念して、お前もそろそろ本心見せたらどうだ」
「……そんな……」
ミノリは困った顔で地面の方に目を泳がせている。
「本心って……そんなの、そっ、ん」
「?」
「ひ」
急にミノリの動きが止まった。
「……ックシュン!」
くしゃみかよ!
めっちゃ鼻水出てるし!
「う、寒い……」
「おいおい」
そのへんの草で顔拭いてる。ぶるるっと震えて本当に寒そうな様子に、思わず苦笑した。
「そっか。それがお前の本心なんだな」
「ふぇ?」
「寒いって、今言ったじゃん」
「え、今のは……違」
狼狽えるミノリの顔、可愛い。何か言い訳しようとしているようだが、そんなの言わせるつもりはなかった。
「寒いから、あったまりてぇんだろ? 俺にあっためてほしいんだろ?」
「え……」
「俺と一緒にいろよ。もう寒い思いなんてさせねぇから」
「リグール……」
ぽかん、と俺の顔を見つめてる。
話の流れについて来んの遅ぇよ。
ようやく頭の整理がついたのか、ミノリは上目遣いに俺を見上げて、ごにょごにょと言いにくそうに呟いた。
「えと、君に……あ、あっためてほしい……」
「ほんとか?」
すかさず問い返す。
「う、ん」
「これからずっと?」
「……ずっと」
ミノリを、ずっと───
「内側から、あっためるんだぞ?」
「う、わ、分かってるよ、そんなこと! もう!」
その言葉を聞くと同時に、ミノリをきつく抱きしめていた。
まだ冷たい肌。もっともっと熱くしてやりたい。
血の気のないこの頬を赤く火照らせたい。
寒さじゃない何かで、このむちむちの体を震わせたい。
「ミノリ……! はぁ、ミノリ……」
「ちょ、何、ここで!?」
「ああもう、我慢できねぇ」
体勢はすでにマウンティングポジションだし。体中ドクドクしてるし。首筋にちょっとキスでもすれば、そのまますぐ突入できるぞ、俺は。
「や、やだ、見られてる」
おろおろして抵抗しながら、辺りの気配を伺う。
「俺が追っ払ったよ。誰も見てねぇから」
いや、あいつらなら絶対見てる。でも、どうせどこでやっても見られるんだから同じことだ。
いいから黙って見とけよ。絶対しゃべんなよ。奇声とか上げんなよ。
「ミノリ、聞いてくれ」
ゆるい抵抗を封じるように、抱き包む。
「お前が好きだ」
これだけは、ちゃんと伝えたかったから、最初に言った。嵐に流される前に。
「お前の抱えてるモン、全部まとめて……お前が好きだ」
悲しみも、孤独も、お前を形作ってる一部だから、全部ひっくるめて暖めてやる。
「リグール……」
ミノリの抵抗が消える。
俺の言葉をかみしめてるのか探ってるのか、ミノリの黒い目がじっと俺を見つめてくる。
「リグール」
その瞳が潤み、表情が僅かに歪む。悲しげにも見える表情。ミノリが泣く前に見せる表情。
耐えるように口を噛んで、ミノリが首を上げる。
「僕も、君が好きだよ」
軽く、触れるだけのキス。
それだけで、十分だった。留め金を外すには。
俺の方から口付けを返す。たぶん、十倍ぐらい激しいやつ。
「ん、ん……ッ」
さっき意識のないミノリにしたときのように、舌を捕らえて絡ませる。逃げようとするから、だんだん噛み付くみたいになってくる。というより、まるで食ってるような。
「ふぁ、熱……っ」
涙目になってミノリが嫌がる素振りをする。そんな仕草にまた体の芯の火が灯る。
「熱い……口、熱い……っ!」
ああ、火吹きかけてた。
「ごめん……っ、なんか、コントロール効かねぇ」
「やだ……火はやだ」
ヤバい、ビビらせてる。
ふぅ、と息をついて、一旦身を起こした。
体の下で小さくうずくまって怯えてるミノリ。こんなおっかねぇ顔で見下ろされたら余計に怖いかもな。
ゆっくりと、もう一度ミノリの背の上に身を伏せる。
食っちまいたいぐらいだけど、そこをぐっとこらえて口を付けずに頬擦りしてやった。
「絶対燃やさねぇから……ちょっと熱いの、我慢してくれるか?」
強張る体をほぐすように、首筋を熱い手でゆるゆる撫でる。
「……う」
撫でてるうちに、ミノリの表情からだんだん恐怖の色が消えていく。そして代わりに恥ずかしそうな表情に変わってくる。
「俺が怖いなら、やめてもいい」
これは卑怯な誘導。
ミノリがもう怖がってないのは分かってる。ただ、言わせたい。それだけのための。
「……ばか。ここでやめる気なんて、さらさらないだろ」
ところが意外とミノリは冷静に返してきた。そりゃそうなんだけど。
「なぁ、怖くないから続きしてって言えよ。おねだりされてぇよ」
言いながら、ミノリに乗り上げたまま、上でズリズリしてみせる。
っていうか、今俺の方がおねだりしてねぇ?
ほら、ミノリやっぱりニヤけてる。
「おねだり上手だね、リグール。可愛い」
くそっ、その台詞言いたかったのに。
このままじゃミノリに主導権取られそうだな。何だかんだ言ったってあいつは嫁持ち、こっちは童貞。経験値違って当たり前か。
「怖くないから……して? リグール」
「お前、わざとらしいぞ」
「そんな事ないよ。ほんとはまだちょっと怖い……こっちは初めてだし」
こっちは、か。
「俺はもっと怖ぇよ。こっちもそっちも初めてだからな」
言っちゃった。まぁどうせバレるだろうし。
ミノリはちょっと驚いた顔をして、それからまじまじと俺の顔を見つめてきた。
「初めてなんだ」
それがどうした。
「じゃぁ僕教えてあげ」
「いらねぇから!」
兄さん女房ってこれだから……。
「いいから。俺に任せてくれよ、な?」
格好悪いのだけは勘弁してくれ。今更だけど。
ミノリは少し考えてから、ぱたんと首を地面に降ろした。そしておもむろに、俯せになっている体の向きを横向きに変える。
「じゃぁ……任せるから」
「……!」
腹から脚の柔らかそうなところが露わになる。今まで何度も見てきた筈なのに、とんでもなくエロく見える。
たぶん、男の下でこの体勢になるのって相当勇気要るよな。それでも……任せてくれたんだ、ミノリは。ふつふつと喜びが湧き上がる。
首筋を撫でて、追うようにキスを落としていく。
首元の葉っぱを掻き分けて、草の匂いの染み付いた肌を舐める。
「ん」
ぴく、と反応する体。葉っぱで隠れてるところは弱いのかもな。
前足の付け根と胸の境目、むちむちした肉の間に顔を突っ込んだ。ぎゅっと挟まれたら肉まみれで窒息しそう。気持ちいい。ここでも全然イケそうだ。
「あ、何してんだよ……!」
そこを鼻先でぐりぐりしてたらミノリの脚が暴れる。暴れるって言っても、短すぎてただパタパタしてるだけなんだけど。
「や……噛んだらダメ」
「だって旨そう……食いてぇ」
「やだ、あ」
甘噛みしながら、噛む範囲を広げていくと、ミノリがの体がびくんびくんと何度も跳ねて、身をうねらせた。切なげに細めた目が見上げてきて、その表情はまるで誘ってるようだ。
「お前の一番気持ちいいとこ、どこだ?」
わざとらしく聞いて、的外れな所を舐める。
「く、あッん、ばか」
丸い前足で俺の頭をぽかぽか叩く。そしてそのまま、下の方へ押しやろうとする。
「ああ、ここもいいな」
後ろ脚と腹の間。ちょうど卵が収まってたあたり。ここはぷにぷにして他よりもずっと柔らかい。
「違う……や、そこじゃな、い……」
ここでも十分感じてるくせに。
がぶっと食い付いてやったら、大げさなほどミノリの腰が跳ねた。
「あんッ! も……意地悪ッ!」
だいぶ声に余裕が無くなってる。ちょっと可哀想になって、待ち焦がれてるそこに顔を寄せた。
見たところまだ反応してなさそうだが、中はどうなってるんだろう。
体の中心線にあるひっそりと目立たない割れ目。筋に沿ってゆるく舐めたら、途端に高い悲鳴が上がった。そのまま焦らすように閉じた縁のあたりをゆるゆる何度も往復する。
「や……ん、や、あ!」
ミノリの腰が揺れる。続きをねだって。
反応はすぐ現れた。割れ目が少し開いて、中のものが外に出ようとしてる。
「はぁ……」
自分の息がかなり熱い。火傷させないようにだけ気をつけて、割れ目に舌をねじ込んだ。
口先で捕まえて引きずり出す。
「ひゃあッ!」
熱い口の中に含み、舌できつく巻いてしごき上げる。自分でやるときと同じだけど、ミノリの反応の方が凄かった。
「やッ! あ、ああっ……」
もう抵抗のかけらもない。身をよじって、俺の口に突っ込んでくる。
深いのが好きなのか。ミノリの顔じゃセルフでもあんまり奥まで入らなさそうだから、サービスで思い切り深く咥えてやった。
「はぁ、あ……ッ」
「気持ち良さそうだな……ん?」
「あ、いい……気持ちい……っ、口熱くて気持ちいいっ」
このまま追い上げていったらすぐにでもイッてしまいそうだ。
「なぁ、お前何回ぐらいイケるよ」
「ふぇ?」
「一晩で何回できる?」
「う……えっと、一、二回……」
少なっ……やっぱ種族の体質なのか。
「じゃ、一緒にイクか。入れていいか?」
言いながら中心を下に辿る。ぷりぷりの肉の感触の先に見つけた小さな窪み。
そっと指の先を入れようとしたが、条件反射で閉じようとする。
「力緩めとけよ」
「ん……」
口をそこに移して、まだ閉じたままの穴の周りを舌先でチロチロ舐めてやる。
「や……くすぐったい」
「ああ、ちょっと緩んできた」
舌先を滑り込ませる。十分に濡らしてから爪先を差し込み、尖った先端で傷つけないように気をつけながら、ゆるゆる抜き差ししてみる。
「……う」
「大丈夫か、増やすぞ」
入っている指に添わせて、もう一本指を入れた。抵抗があるかと思ったが、むっちりした弾力でしっかり指を咥えこんでくる。
これ、入れたらめちゃくちゃ気持ち良さそう。
「はぁ……リグール」
短い後ろ脚をもじもじとうごめかせて、ミノリがもどかしげに俺を呼ぶ。
「ねぇ……もういいから」
「もう、欲しくなった?」
顔を上げて、ミノリを上から見おろす。地面にぺったり降ろしたままの顔は、ほんのり赤みを帯びて期待の色を滲ませていた。
「……欲しい……入れて」
「ん」
こんなに素直に求めてくれる、ちょっとした感激だった。いそいそと体をずらして、横向きのミノリの脚をまたぐようにして位置を合わせる。
先端が触れると、ミノリの口から微かな声が漏れた。
ゆっくりと腰を進める。拒む力に逆らって、みっしりと食い込んでいく俺の肉棒。
「っく、んん……」
「大丈夫か、ミノリ」
ミノリを気遣いながらも、俺の体は初めての交尾に歓喜して震えていた。
自分のモノで繋がってる、深く挿し貫いて犯してる、神経が焼き切れそうなリアルな快感。
きつい圧迫感にゾクゾクと何かが背を駆け上がって、たまらず腰を小刻みに動かした。
「ひゃ、あッ」
ミノリの中で俺のがドクドク脈打ってるのが分かる。どんどん育ってる。
本能のまま勝手に体が動き出す。小刻みな動きから、だんだん大胆な動きへ。突いて引く、その動きが、深さがエスカレートしていく。
「リグ……リグール、あッ、や、だ……なんか……へん」
苦しげだったミノリの声が、すこし揺らいでる。
苦痛のような表情の中に僅かに浮かぶ、たぶん、悦楽の色。
ミノリは感じてる。そう確信して、ミノリの中を少し強引にえぐって性感を拓いていく。
「あ、あんっ」
「ミノリ……どう?」
「ん、あ……わかんな……っ」
狼狽えるその声がもう蕩けてきてる。見てるだけで気持ちいい。喘ぎ声にも劣情が揺さぶられる気がする。
もっと動きたい。もっと鳴かせたい。もっと叫ばせたい。頭も体もぐちゃぐちゃになるほど。
咄嗟に引き抜いて、ミノリの体をうつぶせに転がした。
「リグー……ああああっ!」
後ろからずぶっと突っ込む。深く入っていく快感がたまらなくて、ギリギリまで引き抜いてまた突き入れた。
「ヤバっ、これ……」
気持ちよすぎる。
パンッ、パンッと音が立つほど肌をぶつける。
きつく包み込んでくる肉を突き上げると、その刺激からか目の前に光が弾ける。
「ひぁッ! 待っ、リグール! あぁんっ……」
呼吸が追いつかない。溺れる、まさしくそんな状態で、逃げようとするミノリの体を捕らえてしっかり密着する。密着したまま突き入れる。
「ミノリ……はぁ、最高、気持ちいいッ」
「いや……やん、ダメぇッ!」
腕の中でミノリの体がビクンビクン震える。電気なんて出してないのに。
腕を伸ばしてミノリの腹の下を探ると、ミノリのものが限界近く膨れ上がってべとべとに濡れていた。俺に後ろ突かれてこんなになっちまったのか。
たまらなく嬉しくなって、そのままきつく掴んで、腰の動きに合わせて上下に扱く。
「ひあ、あッ……それ、やぁっ!」
「ミノリ……っ、イイのか!?」
「リグ……イイ……イイのッ!……イッちゃう、ダメぇ」
ミノリの口からはもうまともな言葉が出てこない。
「良いぜ、イケよ……俺も、もう」
腰の動きを加速させる。自分も壊れそうな勢いでただひたすら突きまくる。
「や……あ、あんッ、もっと……あ、ああぁッ!」
葉っぱの翼が暴れる。草の匂いの中、思考も何もかも白く霞んでいく。
「も、やあぁぁ───ッ!」
「くあ……っ」
ひときわ強い震えの後、ミノリの体が強張った。全身に響く細かな振動。ミノリの精が弾けた気配。
それに触発されて、俺のものも動きを変える。
中へ、奥深くへ種を植え付けるための。
「ミノ……俺の熱いの、受け取れ!」
膨らみながら突き上げてくる熱の塊。ぐっと腰を押し付ける。噛み合う限界まで深く。
「はぁ、あ……リグ……あ、いやあぁぁッ!」
俺の子種だ。お前に俺の子孕ませてやる!
「熱……っあ、あああ」
どくどくと惜しげも無くミノリの中に射精する。
熱さにおののいて逃げようとする腰をしっかり捕まえて、最後の一滴まで絞りだす。
一瞬だけ意識が途切れて。そしてすべてが終わった頃には、ミノリは俺の下でぐったり力尽きていた。
「……っはぁ、はぁ、ミノリ、大丈夫か」
「う、熱い……」
大丈夫だ、意識はある。
「おしり、熱い。ばか」
……おいおい、身も蓋もねぇな。
「もう寒くねぇだろ?」
「う……」
体から湯気が立つほど熱くなってる。ミノリも俺も。
赤く火照った頬のまま、ミノリが恨めしそうに見上げてくる。そんな表情にも何故か胸が満たされる気がした。満足感のような、達成感のような。
「ミノリ……最高気持ちよかったぜ」
「……う、ん」
「お前は?」
「……」
顔を覗きこむと、ミノリは目を逸らしてモゴモゴ何か言ってる。それから、ぽつりと一言。
「……よ、かった、よ?」
ホッとして、思わず抱きしめた。
ここまで来て、万一これで嫌われたりしたら泣くに泣けない。
「ミノリ、好きだ。やっぱ、好きだ」
「リグール」
「手放さなくて良かったって……今、本当に思う」
あったかい体、ぷりぷりの肌。見つめてくる黒い大きな瞳。
俺のものだ、そう実感したくて、そこらじゅうにキスをした。
後戯のついでにミノリの尻や腹の汚れも綺麗に舐めてやる。同じものの筈なのに、ミノリの方は随分甘く感じた。体に果物が生えるぐらいだから、アレの成分も違うのかな、なんて馬鹿なことを考えながら、ゆるゆるとした幸せに浸る。
草の匂いも、雄の匂いも、何もかも愛しい。
「リグール……嬉しそう」
「ああ! もうめちゃくちゃ嬉しい」
俺の言葉を聞いて、ミノリの表情が柔らかくほころんだ。
「大好きだよ……リグール」
「ミノリ……」
初めて、ミノリの方からそう告げてくれた。
これまでは俺が半ば強引に誘導して言わせてたのに。
「……君のことが気になって仕方なかった。倒れてる君を初めて見た時……ドキッとしたんだ。雄なのにね。たぶん、それからずっと……」
そこで言葉を止めて、何か思い巡らせるように、少しだけ目を伏せて。
「もう、言っても良いよね。ずっとリグールが好きだったって」
小さく呟くようなその言葉───ああ、アリンに言ったのか。
アリン……気のせいかもしれないけど、彼女の存在感、俺も感じたような気がする。
ミノリが意識を取り戻す寸前。
───アリン……こいつ連れて行かないでくれ!
俺がそう叫んだ瞬間、ミノリの体からすっと離れて行った何か。ミノリの魂が抜けたのかと思ったけど、ひょっとしたらあれがアリンだったんじゃないだろうか。
「何度でも言えよ。俺が好きだって。俺とくっついて幸せだって。お前はそうしなきゃならないんじゃねぇのか?」
そうでなきゃ誰も報われない。お前が自分の幸せを認めてやらなきゃ。
お前から離れてったアリン。都合良く解釈するぞ。彼女はミノリを俺に託したんだ。俺がミノリを幸せにすると信じて。
だから言えよ。安心させてやれ。幸せだって。
これからもっと幸せになるって。
「……そうだね。もう嘘はつかないよ。リグールが好きだ。君と一緒に居たい。リグール、一緒に……幸せになろう」
ああ、また。
「……お前なんでいつも肝心な所で俺の言いたい台詞持ってっちゃうわけ?」
ここ決め台詞なのに。
「あれ、そうなの?」
きょとんとして首を傾げる。
負けるわ。ほんとに。
頬に軽くキスする。
口にも。弄れるようにぺろぺろ舐めてから、額を合わせてミノリを正面から見つめる。
「俺がお前を幸せにしてやる。一緒に、幸せになろうな」
「うん……リグール、好き」
何の躊躇いもなく好きと言ってくれるミノリは、どこか吹っ切れたような穏やかな笑みで素直に俺に甘えかかってくる。
そんなことされると、また……。
「ミノリ……、また、したい」
「う……もう?」
「今度はもうちょっと優しくするからさ」
「……それって、さっきは優しくしなかったってこと?」
「ち、ちげーよ。その……嬉しくて気持ちよすぎてたがが外れたっていうか……分かるだろ!」
だって初めてなんだし。
ミノリは恥ずかしげに少し顔を背けて、いかにも「仕方ない」風に一息ついた。
「いい、けど……とりあえず場所変えようよ」
「ん、あー……そうだな」
何もここで第二ラウンドいかなくてもいいか。誰の目もない巣穴の方がミノリも安心して乱れてくれるだろうし。って、いやまぁ、巣穴でもどこでも誰かの目はあるんだろうけど。
それより、よく考えたらアリンの墓の目の前じゃん、ここ。さすがにヤバい気もする。
「じゃ、行くか。俺の棲家のほうでいいな」
「いいよ」
そうと決まれば善は急げ。ミノリの気が変わらないうちに。
体の下に飛び散っていた汚れ物は、とりあえず適当に砂利を転がしてごまかして、いそいそ飛び立つ。
少し高いところで振り返ると、ミノリはまだ滝壺のほとりに佇んでいた。
斜面の上、アリンの墓の方をじっと見上げてる。
上空でしばらく待っていると、ようやくミノリが飛び立って追いついて来た。
アリンと、ちゃんと話ついたか?
そんなことは聞かなくても分かる。ミノリの顔を見れば。
ちらりと振り返って見た、アリンの墓。
そしてその横のちっこい墓。
心配すんなよ。俺がちゃんと幸せにするから。
あとな、ミノリの「家族」はお前たちだけだから。
だから、ミノリが死ぬ時は、絶対ここに帰してやる───
その後何があったかってーと、まぁ第二ラウンドは本当にもうイチャイチャメロメロで上手くいったというか、いや最終的には第何ラウンドまでやったかよく分かんないというか、ミノリは当然そんなに保たないから途中で寝ちまって、仕方ないから股とか脇とかぷりぷりの体のあちこちでたっぷり堪能させてもらって───で。
……めちゃくちゃ怒られた。
さらに追い打ちをかけるように、翌朝巣穴の外には山ほど木の実が差し入れてあって、それがまた滋養強壮系っぽいのばっかりだったから、ミノリは拗ねて丸一日ぐらい口も聞いてくれなかった。
だから見てもいいけど余計なことすんなよと……さすがに俺もちょっとへこんだ。
そうこうしてる間に冬本番になって、ミノリは半分冬眠モードのようになってしまい、結局そのまま雪解けまで過ごした。
◇
平地に比べて春が来るのが遅いのかと思っていたが、雪が溶けたら一気に春めいてきた。
茶色い枝ばかりだった木々はいつの間にか新緑の小さな芽をつけていて、気の早い樹は我先にと淡い色の花で華やかに着飾る。
冬を眠って越してきた生き物が這い出てきて、森も随分賑やかになってきた。
半年ちょっと過ごした洞穴は、今はもう空っぽ。旅立つ支度はすっかり出来た。
「なんか、逆だよな」
「何が?」
「普通は、春になったら北に渡るもんだろ?」
俺達は逆。今から、南へ渡る。
「きっとリグールにはすっごく暑いと思うよ」
そう言いながら、ミノリはニコニコと嬉しそうだ。
遠く長く離れていた故郷の森。海の見える森。
───いろんな想いはあるだろうけど、少しずつ昇華していけばいい。
「……さて、行くか」
「よぉ、お二方。出立かい?」
と、また見計らったようにポッポが声をかけてきた。
「やぁ、マー君」
……マー君? え、そうなの?
「マー君たちにも、いろいろお世話になったね。ありがとう」
「なんの。ミノリさんのためだもの」
なんだこの和やかムード。なんか俺の時とえらく態度違くね?
「アリンさんたちの墓のことは心配しなくていいから、ゆっくりしてきな。帰ってきたときびっくりするぐらい、果樹園広げといてやるからよ」
「ほんと? ありがとう」
嬉しそうに笑う。皆に慕われてたんだな、ミノリは。
「おい変態」
その呼び方やめろ。
やっぱ俺にはその態度かよ。
「いいか、ミノリさん大切にしなきゃ承知しねぇぞ」
「うるせぇ、当ったり前だろ!」
「ちょっとでも粗末にしたらなぁ……」
「んなワケねーだろ! 邪魔だ。シッシッ」
俺たちのやりとりをぽかんと見ていたミノリが、困ったように笑い出す。
「リグール、森のみんなとも仲良くなったんだね」
「仲いいのか!? これが!?」
「違うの?」
違うだろ? いや、もうどっちでもいいけど。
「んじゃ、あと頼んだぜ、マー君?」
「るせー、さっさと往ねや。ミノリさん、元気でな」
「うん。みんなにもよろしく」
ミノリの大きな葉っぱがザワザワと開く。
新緑色の綺麗な翼だ。
俺も翼を広げて、風を捉えた。
岩の洞穴の前を吹き抜ける風。
少し南よりの風だから、進みにくいかもしれないけど。
ゆっくりでいい。ゆっくり行けばいい。風に乗りながら。
遠い国へ。
遠い海へ。
さあ旅立とう
大切なものを連れて
あの、海へ───
ここまでお読みいただいてありがとうございました(^▽^)ノ
空蝉
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