ポケモン小説wiki
ライムジャックの平凡な日常

/ライムジャックの平凡な日常



ライムジャックの平凡な日常 


作者:COM

 雄大な山々が連なり、多くの木々と清流を蓄える自然の中、そこにそびえ立つのは自然とは真反対の存在。
 天を衝かんと伸びる直方体は太陽の光を反射し、ギラギラと光り輝く。
 それも一つや二つではなく、数え切れぬ程の巨大なビルが萌木のように立ち並び、その裾野には黒いアスファルトの大地とその上を闊歩する人間の姿がこれまたアイアントの大群のように数え切れぬ程歩いている。
 だがその人工物の林の中には人間よりも大きいものや小さいもの、果ては空を飛び交うもの達まで多種多様に存在しているではないか。
 交通整理をするカイリキーに警察官と共に行動をするガーディやウィンディの姿、空を飛び高所で作業をする人間の元へ荷物を届けるウォーグル……と、挙げればキリがないほどだ。
 その街の名はライムシティ。
 誰もが夢見た『人間とポケモンが共存する街』を一つの形として体現した街だ。
 しかしそこにいる人間の中には元ポケモントレーナーはいても、現ポケモントレーナーはいない。
 だが、誰もがポケモンとの絆を大切にして生きている。
 そして同じように、ポケモンも人間をパートナーとして認め、大切にして生きている。
 そんな理想を叶えた謂わば御伽噺のような街……。
 その一角に居を構える男は朝の日差しを受け、窓の外にいるポッポやマメパトの鳴き声に誘われるようにベッドから上半身を持ち上げて一つ大きく伸びをし、酸素の行き渡っていない脳に酸素を送り込むように大きく欠伸をする。
 申し訳程度のブランケットを胴の上から剥ぎ、上げた腕の一方を自らの寝癖でボサボサになってしまった頭に降ろし、もう一方の手をベッドへと下ろそうとしたが、その手は彼の横にあった黒い塊に遮られた。
 太陽の光を十分に吸い取って暖かくなったその黒い塊の上を遡ってゆき、彼が頭を置いていた方の端まで動かしてから頭と同じようにワシワシと撫でる。

「よう。よく寝たか?」

 彼の言葉に答えるようにか、はたまた撫でられたことで目が覚めたからか、黒い塊はムクリと彼の腕を持ち上げるようにして頭を上げ、一つ大きな欠伸をしてみせた。
 欠伸を終えると一つガウと彼の言葉に答えるように鳴き、一頻り彼に頭を撫でてもらうとベッドから降りて共に行動を開始した。
 彼の名はジェイコブ・スミス。目鼻立ちの整ったブロンドのよく似合う男。そして彼の横に居たポケモンはレントラーだ。
 彼等は元々この街に住んでいたわけではなく、元々は別の地方に住んでいた一般的なポケモントレーナーとそのパートナーという関係だった。
 別段その関係性に不満があったわけでもなかったが、同時にトレーナーとしての彼等は平々凡々か中の下程の腕前で、大会やジムに挑むなど夢のまた夢といった調子だった。
 それだけが理由ではないが、早々にポケモントレーナーとしての自分を見限り、ポケモンと人間が共存するこの街でジェイコブは自分の店を構え、腰を落ち着けることにしたのだ。
 ベッドから降りるとジェイコブはインスタントのコーヒーをカップに注ぎ、パンを何きれかと冷蔵庫から取り出したパックに入った野菜とハムをテーブルに置き、簡単なサンドウィッチをこさえてコーヒーと共にゆっくりと頭を起こすために流し込んでゆく。
 二きれ目を口に咥えたまま、可愛らしいイワンコが表紙に書かれた箱を上の棚から取り出し、それをそのまま壁の隅に置かれている皿へ傾けるとカラカラという軽快な音と共に皿にポケモンフードが満たされてゆく。
 咥えていた二きれ目を口に押し込んでから餌用の皿の横にある水用の飲み皿を一度綺麗に洗い、今一度水を注ぎ直して早速朝食を食べているレントラーの横へそっと置き、自らも椅子に座って残りをゆっくりと口に運んでいった。
 ある程度目が覚めたところでテレビの電源を入れ、今朝のニュースを見ながら身だしなみを整え、下着だけだった服装からきっちりとしたフォーマルな服装に着替え、自らの予定帳を開いて予定を確認する。

「今日は……ダニーが予約を入れてるのか。後はターナーさんが依頼してた道具の修理の受け取り予定日か。そんじゃ今日もよろしく頼むぜ、マーシー」

 マーシーと呼ばれたレントラーは口の中を空にすると元気にガウ! と吠えて答え、残りをガリガリと小気味のいい咀嚼音を立てて食べてゆく。
 朝食を終え、作業用の厚手の服とジーンズに着替えるとリビングから階段を降りて下の階へと移動する。
 階段から降りた先には左の壁から右の壁まで、様々なアンティークの道具や小物、専門知識を持っている人でなければ分からなさそうな機械まで様々な品が並んでいる。
 表通りのガラス窓のブラインドを上げ、入口の掛け札を『open』に裏返して鍵を開ける。
 アンティークショップのような空間だが、奥のカウンタースペースには料金の目安となるメニューが貼られており、そこには修繕や取り寄せ、代理等々、様々な項目が並んでおり、どうにも壁や商品用の机の上に並ぶ品々とは関係性が薄い文字が並んでいた。
 不思議な空間ではあるものの、店としての雰囲気は損なってはいない。
 しかしそのままその場で客を待つのかと思いきや、彼はカウンターの裏にある開きっぱなしになっている戸口へ移動し、その後を追うようにマーシーが消えてゆく。
 その空間は彼の工房。
 壁から机の上の収納箱までありとあらゆる機材や部品が所狭しと並んでおり、机の上には今の仕事で請け負っている修理用の材料や機械が纏めて置かれている。
 かなり狭い空間に大人一人とレントラー一匹ではかなり狭く、わざわざマーシーまで入る必要はなさそうだったが、横にある機械からケーブルを引っ張り、それをマーシーの尻尾の黄色い飾り毛の部分へと繋ぐ。
 それを合図にするようにレントラーの体が淡く発光し、尻尾から電流をその機械へと伝えていた。
 わざわざこの狭い空間にマーシーまで入ってきた理由はこの電源替わりにするためで、後は作業が終わるまで暫くこうして電気を放出し続ける。
 普通に電気を引いて作業場にした方が理に適っているように思えるが、これがジェイコブとマーシーの今の絆の形だ。
 それに出力の切り替えも長年の阿吽の呼吸で楽に行えるうえ、案外電気代よりも食費だけの方が安くつくようだ。
 そうして機械を動かし、預かっている道具の修理を続けていると、入口の戸を開ける鈴の音が店内に響き渡った。

「いらっしゃいませ……ってなんだ、今日の客第一号はダニーか。朝っぱらからとは仕事は遂にクビになったか?」
「おいおい。それが一番のお得意様に言うセリフか? ジャックほど器用じゃないが、俺を手放すほどチーフも馬鹿じゃない。今日は非番さ。仕事持ってきてやったついでに今日の仕事の後の予定をおさえに来ただけだ」

 入ってきた男性の顔を見るとジェイコブはそんな軽口を飛ばしながらダニーと握手を交わし、手で酒を飲むようにジェスチャーをしてみせる。
 彼の名はダニエル・ウォーカー。ナッシーのような大きく広がったパーマの似合う黒人の男性で、彼の愛称はダニーだ。
 ジャック、基ジェイコブとは同郷にして旧知の仲であり、彼と同じく早々とポケモントレーナーを辞めた人物だ。
 彼もジャックと同じくライムシティに居を移し、今はそれなりに楽しく生活している。
 ダニーはこの街で整備士をしており、仕事柄よくジャックの店を利用する……というのを口実に飲みに誘いに来ている。
 この日もダニーの勤務先の故障した機械を片手に来ていたところだ。

「今日は予約があるからそっちの修理が先だ。別に今週中だったら大丈夫だろ?」
「もちろん。新品以上に調子が良くなって返ってくるからどれだけかかろうが大好評だよ」
「なら決まりだな。飛び込みの依頼が無けりゃ定時に終わる予定だ」

 そう言ってダニーから機械を受け取り、軽く笑い合いながら会話を終えると、その日は別の予定もあると言ってすぐに店を去っていった。
 しかしそこで作業に戻ろうとしたところに飛び込みの依頼が無ければ、と念を押したせいか、入れ替わるように人が入ってきた。

「ここか。マジでなんでも扱ってるって噂の何でも屋は」

 入ってきた男はにやけた表情を浮かべながら呟くようにそう言い、店内をぐるりと見回してみせる。
 明らかに怪しい言動の男だったが、ジャックとしては慣れた手合いだったのか軽く溜め息を吐いて小さく頷いた。

「ああ。ただし、『法に触れないものなら』なんでもやってるよ。修理だろうが骨董品の取り寄せだろうがな」
「とぼけんなって。今は他の客もいないんだからな? ポケモン用の媚薬とかも扱ってるんだろ?」

 ジャックの返答を聞くと男はにやけた表情のまま言葉を返した。
 どうにも彼はジャックの裏の顔を知っていると言いたげだが、ジャックにはそんな顔はない。

「扱ってるよ。当然薬剤師資格も取ってるから合法でだがな。その口振りだとどうにも真当な使い方をする予定には見えんから売るつもりもないがな」
「おいおい! Smith's jack in all trades(スミスのなんでも屋)ってのは名前だけか? 俺だって客なんだぜ?」

 随分とグイグイ来るその男に根負けしたのか単にそういう輩が多いからなのか、一先ずダニーから受け取った機械を作業場に置き、カウンター越しに男と話すこととなった。
 その如何にも怪しい男の名はウェスカー。
 何処で聞きつけてきたのか分からないが、妙に癇に障るにやけ面を浮かべて覗き込むようにジャックを見ている。
 『スミスのなんでも屋』というのは彼の店の名前だ。
 なんでも屋の名前の通り、彼は持ち前の器用さと勤勉さを武器に、三十二歳にして十分な技量と知識を備えたなんでも屋となっていた。
 とは言っても薬学に関してはポケモンセンターを尋ねるのが普通のためあまり活躍することはなかったが、噂が噂を呼んでこういう輩がしばしば訪れることがある。

「で、何故ポケモン用の発情促進剤が必要なんだ? デビューしたての酪農家か別の街の育て屋か?」
「んな訳無いだろ。俺の愛しのレディをメロメロにするために使うに決まってんだろ?」

 ポケモン用の媚薬、要するに発情を促し繁殖に適した時期を調整するための薬品は存在する。
 通常はポケモンドクター等から育て屋のようなポケモンの繁殖を促す必要のある人々が定期契約をして購入するものだが、この街では発情促進剤を必要とするのはモーモーミルクの生産をしている酪農家が殆どだ。
 稀に本当に訳ありで数日分だけ必要な人間が訪ねて来ることもあるが、そういう人物なら第一声で彼のような言葉はまず飛び出さない。

「あのな……。ここはライムシティ。人間とポケモンが共存する街だ。だからこそモンスターボールも無いし、ポケモンバトルも条例で禁止されている。理由は知ってるよな?」
「ポケモンは人間の道具ではなく、大切なパートナーだから。だったか? だから何度も言ったように俺の愛しのレディ、サーナイトと身も心も一つになりたいってだけだ。別に他人のポケモンに使うなんて言ってないだろ?」
「そこが問題だ。お前のサーナイトは当然パートナーとしてアンタの事を信用、信頼しているんだ。だからこそ逆の立場で考えてみろ? 友人や親類として信頼している相手からいきなり薬を使われて、無理矢理関係を持たされるんだ。アンタはいいにしても相手のサーナイトは酷く傷付く事になる」
「傷付くわけないだろ? 俺達は正真正銘愛し合ってるんだ」

 分かりきっていた押し問答にジャックは少々辟易していたが、ちゃんと理解させてから去ってもらわなければ面倒なリピーターになることは目に見えていたため、根気よく薬を提供できない理由を説明し続けた。
 というのも愛し合っていると言っているウェスカーの言葉を聞いた時点で、それは彼と彼のパートナーの同意ではないと分かりきっていたからだ。

「本当に愛し合っているならポケモンが理性的でなくなる発情促進剤を必要としない。ポケモンの方から控えめにアプローチしてくるか、お前の方から誘ってみればすぐに分かる。今時一部の悪用しようとするバ……輩のせいで睡眠薬だって適量以上は絶対に処方しないからな」

 懇懇と説得すること二時間強、別の客が訪ねてきてくれなければそれでもウェスカーは折れることはなかっただろう。
 挨拶もそこそこにそそくさと去ってゆき、ただただジャックに心労を与えただけで一銭にもならなかったが、仕事上致し方ない。
 気持ちを切り替えて次の客と話を始めたが、どうやら稀な事は本当に起きるらしく次の客も同じ内容の依頼だった。
 ただし今度は、"正しい理由で"である。

「なるほど。つまり数日友人宅にパートナーのミミロップを預けなければならないから、間違いが起きないように発散させておきたい……と」
「はい。彼女も理解してくれると思いますし、自制してくれるとは信じていますが、万が一が起きてはならないので……」
「とりあえず理由は分かりました。……が、それだけの理由でしたら多分普通にポケモンセンターに行っても処方してもらえると思いますよ」

 依頼人のジョーンズの内容も同じく発情促進剤を三日分処方して欲しいというもの。
 ジョーンズのパートナーはメスのミミロップで、預け先にはオスのポケモンがいるため、万が一にもミミロップが有する異性を虜にする体質で過ちが起きないようにしたいということだった。
 しかしその理由だけならば、ポケモンセンターが一時的に預かってくれるのはライムシティでも同じ事。
 少々費用は掛かるが、普通の社会人に払えないような額でもない。
 わざわざジョーンズが自分の元を訪れた理由はなんとなく察していたが、念のため彼の真意を理解するためにも本当の理由を訊ねるが、なんとも歯切れの悪そうな表情をし、視線を泳がせた。

「いえ、少々意地悪な質問だとは理解しています。ミミロップが愛しているのはポケモンではないから、普通のドクターには診せられないということですよね?」

 ジャックがそう言葉を重ねるとジョーンズは耳の先まで真っ赤にし、もじもじとしながら小さく頷いた。
 ジョーンズの恥ずかしさは単に一般的ではないパートナーとの関係性を指摘されたこともあるだろうが、それをズバリとジャックに言い当てられたところも大きいだろう。
 だが彼の愛と、同じく彼のパートナーのミミロップとの愛はそれこそ人種は疎か、種族の壁すら越えた純粋な信頼関係の上に築かれたものだと様子を見ていればすぐに分かったからこそ、敢えて言葉にして彼に伝えた。
 その後は特に立ち入った話をすることもなく、件のミミロップの薬に対する抵抗感や処方上の注意等を伝え、別に一つ準備が必要だと言ってジョーンズのハンカチを預かって代金を受け取った後、明日今一度来るように伝えた。
 薬剤師であって医者ではないジャックからすれば、問診は完全に門外漢ではあるが、こんな稼業である以上どうしても面倒な客も多いため相手の真意を会話の中から見抜くのは慣れている。
 そのため問診というよりはその真意を確かめるための問答だったが、彼がそれを口にすることは特にない。
 ジョーンズは何度も頭を下げてから店を後にした。
 その後は暫く人が訪れることもなかったため、午後に道具を引き取りに来る予定のターナーという農家のお得意さんの道具の最終調整を行ってゆく。

「どうもターナーさん。しっかりご依頼通りの仕事はこなしたぜ」
「ほぉ! 流石はスミスさんだ。これでまた暫くは買い換えなくてよさそうだな!」

 ターナーさんが農家用に改造された虫除けスプレーの散布機を目を白黒させながら笑顔で受け取り、帰っていったことで一応の今日の仕事は終わりとなる。
 後は今日受け取ったダニーの工具とジョーンズとジョーンズのパートナーのミミロップのために必要な薬を処方してもらうためのカルテを書き、もう一つ道具を作る。
 普通に診療所に掛かるよりも割高となるが、こういったジャックなりの気配りがあるからこそ、良くも悪くも噂になってくれる。
 マーシーの協力を得て端材や歯車等のパーツから必要なものを集め、削り出し、一つの小さな道具を組み立ててゆく内に日も暮れ、その日は静かに流れていった。

「すみませーん。もう店閉まりましたか?」
「そうだな。お前がそうやって紛らわしい入り方をしなけりゃすぐにでも店を閉めるよ」

 鼻をつまんでわざと声色を変え、入口の戸を叩いて予告通りダニーがやってきた。
 軽口を叩きあってから店を閉め、二人の行きつけの店へマーシーも連れてゆく。
 向かったのはなんの変哲もないレストラン。
 夕食と一緒に旨い酒が飲めるからと選んでいる店だ。
 そこでジャックとダニーはお気に入りのいつものメニューを頼み、マーシーには少し上等なポケモン用に味付けを変えてある料理を注文する。
 仕事の手伝いをしてくれたことへのご褒美も兼ねてなのだが、同時にマーシーの小さなお友達にも電気を分けてやるためだ。

「お、リトルダニー。元気にしてたか?」

 全員の料理が届いた頃にダニーの胸ポケットから黄色い小さなポケモン、バチュルが飛び出してきた。
 机の上を右へ左へと少しばかりの大冒険をした後、ジャックの手元に来て全身をその手に擦り付ける。
 そのバチュルの名前こそリトルダニー。
 なんとも安直な名前だが、当のダニーとリトルが気に入っているのなら何の問題もないだろう。
 元々ダニーはポケモンを必死に集めようとしていなかったこともあって、手持ちのポケモンと言えるようなポケモンはほとんどいなかった。
 そんな中、いつの間にか胸ポケットに入り込んでいたバチュルは逆に気が合ったのか、どんなことがあっても離れようとしないパートナーとしてダニーにくっついているのが当たり前になり、いつの間にかリトルダニーとマーシーは同じタイプだからか、単に電気が欲しい関係からか、当然のように仲良くなっていて……とポケモンぐるみで彼等は仲がいい。
 リトルダニーはジャックの手元を離れると、彼の横に行儀良く座っているマーシーに飛びつき、そのふわふわの黒毛の中に消えていった。
 ジャックとダニーが談笑しながら料理と酒を楽しんでいる横で、ぴょこぴょこと楽しそうに跳ね回りながら料理を食べたり、マーシーの背中の上に乗ったりと忙しないリトルダニーを楽しそうに眺めるマーシーという構図が出来上がっている。
 フォークで少しのチキンを刺し、皿に付いたソースを絡めて口へ運び、続けざまにビールを流し込む。
 マーシーの着いている席には四足歩行のポケモンが食べやすいようになったボウル型の食器があり、そこにポケモン用のこれまたチキンがほぐし身とミックスベジタブルで混ざり、人間からしてもいい匂いのするソースが絡めてある料理となっている。
 リトルダニーにはその体格に合わせたミニチュアの皿……ではなくバチュルサイズで考えるならば大皿が置かれ、そこにマーシーと同じ料理が乗っている。
 人間の料理は定額、ポケモンの料理はその種族の体格と食べる量によって決まっているためマーシーの料理は若干高く、リトルダニーは無料だ。

「で、今日は何の用で誘い出したんだ? ただの愚痴か?」
「違うよ。感謝のお便りって所だ。ずっと調子の悪かった機械が直ったおかげで残業も大分減ってな。こうして美味い酒がゆっくりと飲める。そう言って同僚もチーフも喜んでたんだ。伝えなきゃ損だろ?」
「そいつは確かに有り難いな。明日のやる気に繋がる」

 大抵の場合、酒の席の話は仕事の愚痴か世間の出来事、若しくは二人の趣味の話だ。
 内容も他愛のないもので、残業が増えただとか犯罪が増えただとかのよくある内容ばかりだ。
 しかしその日はなんとなくジャックの方から話題を振った。

「なあ、お前はリトルの事をどう思う?」
「唐突だな。可愛い俺の相棒さ」

 答えが分かりきっていたジャックの質問にダニーは少々不思議そうに小首を傾げつつ、白い歯を見せながら答えてリトルダニーの頭を人差し指の腹で撫でた。

「まあそうだろうな。俺もマーシーは昔からの付き合いで大切なパートナーだ。そこにはそれ以上もそれ以下の感情もない」
「まーた面倒な依頼か? お前がそういう小難しい悩みを相談する時は不満がある時だ」

 長い付き合いだからか、ジャックのたった二つの言葉からダニーは見事にその心中を言い当てた。
 ジャックは神妙な面持ちでチキンを刺したままのフォークをソースの上で転がし、それを見ながらダニーはビールを一口流し込む。

「受けた依頼には不満はない。寧ろ彼のサポートになれるのならと思って心血を注いでいるつもりだ。ただな……その前に断った奴と依頼の内容自体は同じなんだが、どうしてああも考え方が違ってくるのかと不思議でな……」

 そう言ってジャックはフォークを置き、美味しそうに料理を食べるマーシーの頭を優しく撫でた。
 マーシーの性別はメスだ。
 しかし幼少の頃から寝食を共にし続けた彼等は互いに信頼しあう関係にはあるが、ポケモンとトレーナーという関係を越えるような事態には至っていない。
 例えそうなったとしても、大切なパートナーだからこそお互いの心を大事にしたいと思うからこそ、ジャックには以前にも断ってきた依頼人達の浅はかさが理解できなかった。

「んなもん単純だ。俺達はトレーナーにならなかった。で、故郷に帰って一言目の言葉を覚えてるだろ?」

 ダニーが口元こそ笑ってはいるが、真剣な眼差しでジャックにそう訊ねた。
 その質問の答えはジャック自身もよく分かっていたからこそ、小さく何度も頷く。

「『よくもおめおめと帰ってこれたものだな』……。仕方がないと言えば仕方がないさ。同郷から何人も優秀なトレーナー、延いては新チャンピオンが誕生してるんだからな。その後輩にも期待するのは当然だろう。……が、まさか『よく頑張った』の一言も無いとは思わなかったよ」

 ジャックの言葉は悲哀に満ちたものではなく、どちらかといえば驚きに近いものだった。
 家族以外に自分の選択を受け入れてくれる人間はおらず、結局家族に申し訳が立たないともう一度旅に出ると嘘を吐いて家を出た身としては、家族とそれ以外の仲が良かったと信じていた住人達との温度差が辛かっただろう。

「価値観なんてものはな、時と場所で簡単にひっくり返るもんさ。そうだろ? ライムシティで一番のなんでも屋さんよ?」
「ライムシティでそこそこの整備士とそこそこのなんでも屋……だろ?」
「いいんだよ。酒の席ぐらい話を盛っとけ!」

 そう言ってもう一度グラスを合わせて音を鳴らし、残りのビールを鬱屈とした思いと共に流し込んだ。
 その後は数時間も経たない内にお開きとなり、互いにまた明日のためにということで次の事を話しながら別れた。


 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 翌日、いつものように軽く朝食を済ませ、ジャックはワシワシとマーシーの頭を撫でてやりながら作業場へと入っていき、残りの仕事に手をかける。
 その日は特に来客もなかったおかげで昼を過ぎる前に全ての依頼されていた道具の修理と、ジョーンズのミミロップのために作っていた道具の最終調整まで済ませることができた。
 後は来客を待つのみとなったこともあり、ジャックは普段あまり出来ない軽いスキンシップをマーシーと行い、ブラッシングをしてやると嬉しそうにその大きな鬣をゆらゆらと振り、ゴロゴログルグルと喉を鳴らしてジャックの手の下に頭を滑り込ませた。

「すみません。遅くなりました」
「いえいえ。時間通りですよ」

 ジョーンズが訪れるとそんな会話を交わし、処方箋の説明を軽くしてから近くのドラッグストアを教え、最後に準備していた道具を渡す。

「これは……?」
「ミミロップがもしもの際に使う処理用の道具です。ジョーンズさんの臭いを染みこませているので身に付けているだけである程度精神を安定させられますし、人参のロケット型にしているのでアクセサリーにしか見えないでしょう? 葉っぱの部分を素早く二回、右に捻れば電源が入りますのでミミロップにも説明してあげてください」

 そう言ってジャックは少々太い万年筆サイズの人参のロケットのようなネックレスをジョーンズに渡した。
 少々雑に扱っても壊れないように全体的に丈夫に作り、衛生面も考えてステンレス製の綺麗な道具に仕上がっているうえ、ポケモンの嗅覚なら分かる程度にジョーンズの匂いを染みこませたスポンジが中に組み込まれている。
 その道具と説明を聞いてジョーンズは何度もジャックに頭を下げ、満面の笑みで店を去っていった。
 ジャックが仕事のやりがいを感じる瞬間は正にこの瞬間だ。
 作った道具を受け取った人間が、とても嬉しそうに笑顔を溢す瞬間。
 それだけでも貰った代金以上の価値はあるだろう。
 とはいえ仕事は仕事、普通の医者に掛かるよりも高い金額をとっているのだからこそ、仕事はしっかりとこなさなければ信用も失う。
 信用と信頼をモットーに仕事をこなしているからこそ……面倒にも巻き込まれることも間々あるのだが。

「スミスさん!! ごめんなさい!! 警察にはもう連絡しましたが、処方箋の書類を盗られてしまいました!!」

 数十分と経たない内にジョーンズが顔を青褪めさせて店に飛び込んできた。
 なんでもいきなり後ろから書類の入ったファイルを強引に奪い取り、あっという間に逃げてしまったのだという。
 それを聞いた瞬間、ジャックは顔を手で押さえて大きく顔を顰めながら天を仰いだ。

「他の金品は無事だったんですが、薬が悪用でもされたら……」
「すまない。そいつには心当たりがある。書類の方はすぐに準備するから安心してくれ」
「え? いやでも……盗まれたのは自分の落ち度なので……」
「いや……あのバカにはなぜ乱用したら駄目なのかをキチンと説明しておくべきだったのかもしれないな……。まあつまり、完全に俺のせいだ」

 そう言って謝るジョーンズに深く頭を下げてから、すぐさま必要な処方箋を再度印刷し、渡して彼には店を去ってもらった。
 考えうる中で最悪の事態だ。
 だがジャックが口にした通り、ウェスカーは強盗が目的だったのではなく、その薬そのものが初めから目的だったのだともう目星が付いていた。
 深い溜息を吐いた後、到着した警察へ犯人の詳細な情報を伝えたが、全ての結果は翌日のニュースで知ることとなった。

『先日、ライムシティの郊外にあるモーテルにて、ウェスカー氏がサーナイトに暴行を加えられている所を確保されました。サーナイトは酷い興奮状態にあり、薬物を使用された痕跡があり、男に服用させられた可能性が非常に高い状態です。現在は衰弱し意識を失っているため、意識が戻り次第、薬の入手経路や犯行動機等の事情聴衆が行われることとなっています。ライムシティニュース、続いてのニュースは……』

「ま、そりゃそうなるよな……。ポケモンの体力を舐めすぎだ……」

 ジャックはいつものようにサンドイッチを口に詰め、コーヒーで流し込んだあと、テレビへ向けて独り言を呟いた。
 危惧していたのは、サーナイトが道具のように扱われることではなく、()()()()()()()()()()()ポケモンが、誤って人間を殺してしまうことだ。
 ポケモンは人間のパートナーとして高い共感性と理解力を持っている。
 だが人間の言葉を理解することはできても、あまり複雑なことまではできない。
 共生するために得た能力である以上、野生のポケモンは本来高い戦闘能力を有しており、知恵に特化した人間如きでは例えコラッタ一匹でも命の保証はできないだろう。
 だが多くの人間は人間社会で深い絆を結び、共に生きるために従順になったポケモンばかりを見てきたがために、野生でのポケモンというものを忘れてしまっている人が多くいる。
 そういった勘違いをした人々が今回のようにポケモン達の理性という箍を外し、本能のままに行動するようにさせ、理性が戻った時に深い絶望を与える切欠となってしまう。
 ウェスカーのパートナーだったサーナイトも、本来そうするつもりは微塵もなかったとしても結果として最悪の結末を迎えたことに酷く傷付いたことだろう。

「やっぱり……ポケモンドクターもどきみたいなことは辞めた方がいいのかねぇ……」

 ポツリと呟き、マーシーと視線を数秒合わせたあと、徐ろに頭を撫でる。
 グルグルと上機嫌に喉を鳴らしながら自分からジャックの手に頭を寄せていき、至福の表情を見せるマーシーは幸せそのものだ。
 その気になればマーシーはジャックなどものの数秒で噛み殺せるだろう。
 はたまたその雷で焼き上げるか……なんにせよ今ジャックに好意を寄せ、頭や腹を撫でられることに至福を覚えている生物が本来持つ力とは、それほどまでに恐ろしいものだ。
 十歳の少年がポケモントレーナーとして旅立てるようにするために、モンスターボールにはある種のリミッターが設けられている。
 モンスターボールで捕獲したポケモンは、トレーナーに対して必ず従順になるようインプットされ、同時に盗難に遭わないよう、盗難に遭っても容易に違法な販売を行わせないようにするために、捕獲したトレーナーと指示を出すトレーナーが一致しない場合、その実力に見合わなければ非暴力的な手段で不従順になる。
 ポケモンという一生物のバトルという競技、これには古くから続く歴史があるが、ポケモンを道具のように扱うことに異を唱える組織も世界には存在する。
 その考え方に対する反対の意見として、一つの答えを出したのがライムシティであり、それは同時にこの街には信頼という不確かで、人によっては薄氷のような関係で成り立っている事も意味する。
 ジャックがマーシーとの絆を壊すような事をするつもりはないが、逆もまた然りとはいかない……と今一度考え込む。
 が、悩んでいたがために止まっていたジャックの手を抱き抱えるようにギュッと引き寄せ、頬を擦り寄せ続ける様子を見る限り、考え過ぎだとすぐに思い直せたようだ。
 その後は残りのサンドイッチとコーヒーを胃に押し込み、その日も仕事に取り掛かったが、彼の持つスマートフォンが一つ小さく震える。

『薬の処方と道具の製作、ありがとうございました。おかげで安心して出張に行けます』

 送られてきたメッセージと共に仲睦まじいミミロップとジョーンズの写真が画面に写る。
 一人と一匹の関係性は、世間一般からすれば異常なものだ。
 だが、確かにそこに写る二人には少なくとも、思わず口角が緩むほどの確かな幸せが感じ取れる。

「……ま、結局は俺がもっと警戒すればいいこと、か」

 一組の不幸な出来事を引き起こしたのも事実だが、一組の小さな平穏を守ったのもまた事実。
 彼がもしも薬を出し、道具を作ってあげなければこの笑顔も無かった。
 一時の気の迷いとはいえ、自分が何故なんでも屋を始めたのかを今一度思い出し、足元でジャックの決意を感じ取ったかのようにガウと一つ鳴いてみせたマーシーが凛々しい瞳でジャックを見つめる。

「悪かったな。残りの仕事もさっさと済ませよう」

 そう言って頭を撫で、机の上の道具と向き合う。
 Smith's jack in all trades(スミスのなんでも屋)
 骨董品の取り寄せや道具の修理からポケモンとのちょっと特殊な事情までなんでも請け負う、ライムシティの片隅にある小さな店。
 今日もまた一人、その戸を開ける音が響く……。


お名前:
  • ライムシティらしい、お話の流れやキャラの掛け合いがとても素敵でした。
    そしてまさに『人間とポケモンが共存する街』のお話になっていて、映画ではあまり描かれなかった日常を堪能することが出来て面白かったです。

    展開も〆も良かったですし、後マーシーの仕草が可愛らしくて大好きです。
    吠えたり、尻尾使ったり、バチュルを楽しそうに眺めていたり……想像するだけで頬が緩みます。
    素敵な作品ありがとうございました! -- からとり
  • >>からとりさん
    コメントありがとうございます!
    映画では尺の都合であまり日常というか、ライムシティの普通といった所は描写されていなかったので、もしそういった景色が描かれるのなら起きるであろう日常やトラブルをテーマに書きました。
    また機会があればこんな感じの緩い作品を書こうかと思います。 -- COM
  • これまではtwitterの方でコメントしていたのですが、こちらから失礼します。
    ライムシティの悲喜劇的な一コマを通して、ゲームとしての『ポケットモンスター』では当然のように扱われる人とポケモンとの関係が、いかに困難で、故に尊いものなのかを感じさせられる作品でした!
    それにジェイコブもダニーもトレーナーとして挫折した=従来のポケモン世界から疎外された、という設定にも深い意図を感じました。彼らの視点だからこそ、ゲームだとメタっぽくなってしまうテーマに説得力が生まれるのだなあ、と。
    会話の運びも軽妙だし、それぞれの相棒のマーシーとリトルの動作も可愛らしく、イメージがぱっと浮かんできますね…… -- 群々
  • >>郡々さん
    ライムシティの設定もゲーム版「名探偵ピカチュウ」の世界観から作られたものだと思いますが、それだけで片付けるには壮大な設定だと思ったため、気が付けば自分もその世界で生きている人々やポケモンに思いを馳せていました。
    あまり重い設定にもしたくなかったのでライムシティに来た経緯はそれなりの理由にしましたが、それ以降はハリウッド映画の何気ないワンシーンのような軽さにしたつもりですので、そういったイメージが湧いたのならよかったです。 -- COM

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照


トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2020-10-19 (月) 03:49:41
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.