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異種族・同性の性行為の描写あり
路地裏の闇に目が慣れるより先に、息遣いが潮騒のように聞こえてくる。あちこちで、鮮明に、排水溝からの湯気と混じって、コンテナと木々と背の高い草で区切られた空き地の“個室”から。
獣道を緩やかな足どりで回遊する影に合流する。歩調を合わせて、穏やかな流れの中で、差し込む逆光の街明かりに縁取られたモンスターたちの輪郭に目を凝らす。
すれ違うオドシシの枝角が翻り、鼻先が微かに僕の肩口の匂いを嗅いで通り過ぎる。歩調は緩めない。なんとなく雌の気配がした。
風が吹く。吐息の音と漏れ出る声が遠くから響く街の喧騒と夜間工事の音に埋もれて霧のように漂う。人の微かな喘ぎとモンスターの漏らす低く喉を震わせる重低音。幸せそうな、心地好さそうな、熱を帯びた息遣いと甘く喘ぐ声がさざめいている。
炎の闘鶏、バシャーモ。
この地方に野生では生息していない種族。祖父母が夕食後に観ていたテレビのバトルリーグ中継で、手に炎を纏ってドームの天蓋近くまで跳躍する姿を見たことがある。モンスターは環境に合わせて不可逆の別種の如き変態を遂げる種族がいる。一般に進化と呼ばれる現象だ。多くの場合、
目の前のバシャーモはそんな先入観とは真逆の印象を受けた。闘族のモンスターの
この場所は様々なモンスターや人間がやってきてセックスをしていく。この場所で初めてセックスするかどうかって観点で多くの相手を見て、
ゆっくりと歩を進める。心臓の鼓動が耳に響く。バシャーモの灯の光の透けた羽毛が夜風に煽られて柔らかく波打つ。
微かにバシャーモの嘴が動く。呟くように。
僕は密かに唾を呑み下す。喉が痛い。
あと五歩。四歩。視界の端で表情を伺う。視線が交差する。ぬるりと街明かりを映した青眼が僕を捉えていた。ドキッと心臓が跳ねる。三歩。呼吸音に耳を澄ます。ざく、と草を踏む僕の靴音が邪魔だ。二歩。少なくとも平静を装っている、深く静かな呼吸。一歩。すれ違う時、偶然触れたように、手の甲を鶏指の背に触れさせる。向こうも触れてきている、そんなコンマ数秒の遅延を経て離れる。力強い鶏指の感触がじんじんと手の甲に残る。
遠ざかる、一歩。すぐに踵を返したい、が欲望を剥き出しにするのは野暮だ。
バシャーモの炎色の羽毛が再び眼に飛び込んできて、心臓が跳ねる。獣道の端まではだいぶある、なのに戻ってきている、のは……胸がチクチク痛むくらい、期待してしまっている。
すれ違ったら後ろにつこう。もし僕を気に入ったなら、歩調を緩めてくれる筈。呼吸が乱れかけて、懸命に整える。初対面でハアハアしているみっともない奴だと思われたくない。
交差する。炎の匂い。抱かれたい。痛みに似た疼きで頭がいっぱいになる。あと二歩、
熱く力強い鶏指が、僕の手を握った。
カッと眼の前が揺らいで心臓が跳ねる。これは、現実だ。夢じゃない。僕は奥歯を噛んで、
さく、さく、さく。草を踏んで歩く。コンテナの裏に回ると街の音が遠くなる。バシャーモの静かな息遣いが
幼い朝顔の蔓のように、僕らは抱き合っていた。陽の匂いの羽毛に顔を埋めて、熱い心音を聴いた。
嘴が額に触れる。見上げる。微かに開いた嘴の奥に桜色の舌。背伸びして、上嘴の鉤先にそっと唇を触れさせると、つんと硬い舌先が僕の下唇をつつく。キス、できるのかな。舌を伸ばして絡めると、嘴で柔らかく甘噛みしてくれる。あやすように。つきあってくれているのだな、と薄々わかる。
僕は息を潜めて彼の呼吸に耳を凝らす。羽毛の表面を微かに撫でて、彼が心地よくなる箇所を探る。
彼が尾羽根を上げて、鶏指を緩く僕の指に絡めて手を導く。指先が熱源に近づく。いきなりそこに触れていいのか不安が過ぎる。ねだるように手が引かれる。彼の深い呼吸は艶を帯びて、体は熱を増している。わかった。僕は左手の指をポケットのローションのボトルの蓋にかけて、右の指先に意識を集中する。
最初はそっと触れる、つもりだったのに、熱く粘液を外まで溢れさせた出口がくいと動いてずぷりと指を呑み込んでいく。わ、もう完璧じゃないか。こんな玄人を相手に僕はどうほぐそうか気を張っていたわけだ。ふふ、と息だけで笑う。
指が溶け落ちそうなくらい熱く、神経を優しく逆撫でしてくる体の中の感触。鳥族は排泄物を溜めないから締め付けは弱いと聞いていたのに、貪るようにしゃぶっている。確かに一部分じゃない、直腸全体でやんわりと、でもぴったりと指を包み込んでくる。
熱い。股間が痛いくらいに勃起している。
ひゅう、と彼の中で風が流れる音。深いゆっくりとした呼吸。微かな腰の動きでどう動かして欲しいのか導いてくれる。力を抜いて、最初はゆっくりと真っ直ぐ動かして、ねだる動きが強くなってきたので指に回転を加えた。かひゅ、と彼の熱い吐息が側頭に掛かって、背に回った力強い筋肉の火山のような熱い腕にぎゅっと抱きしめられる。鶏指の爪が二の腕に添えられて、強張っている。食い込ませてくれていいのに、傷つけないよう気を遣ってくれている。
手を重ねて取り出した僕の勃起ペニスを彼がそっと股間の柔らかな羽毛に迎え入れてくれる。さらさらと沈み込むその感触だけでイきそうなのに、鮮やかな緋を僕の白濁で汚すのは冒涜のような気がして、掴まれたような寸止めの感覚に腰が砕けそうになる。
一緒にイきたい、ちらと脳裏を掠める。指が殆ど無意識に、彼の小刻みな吐息に操られるように、粘液を泡立て腸壁をねっとりと撫で擦る。僕は彼の意思で動く
痺れる感触がじんじんと下部に留まって、敏感になったままの肌が彼の羽毛に包まれて、醒めた頭に彼の陽の匂いが炎の闘鶏の輪郭が艶と共に刻印されていく。風のような彼の呼吸音。リズミカルに跳ねた彼の力強い鼓動。
夜が明ける前に僕らは別れる。またセックスがしたい時だけここに来る。その自由意思を僕は心地よく思っている。
ああ、でも、何故だろう。胸の底が苦しい。
バシャーモの鶏指がぎゅっと僕の肩を抱いてくれる。その熱に蕩けて、胸底の苦痛が和らぎながら鮮明になっていく。
夜の街の光がバシャーモの炎色の冠毛と額冠を照らし、喧騒が風を抜って迫りくる。
僕らは長い間、抱き合って過ごした。夜の闇の中で、安らかな呼吸と心音を聴いていた。
大きな換気扇が光を遮って過ぎる。ロッジ風レストランの三階の個室。冷房が効きすぎた部屋。向かい合って座る男の深い眼窩の奥で、
「俺はこの街が好きだ。この街の人間とポケモンの関係が好きだ」
決然とした声音が階下の賑わいと隔たって、この空間の静寂を際立たせる。
コップの水面が瞬く。紫煙がゆっくりと換気扇の方へと流れていく。
鉄の灰皿に長く伸びた灰を落として、男は僕を睨めつけると、髭に縁取られた口を開く。
「俺はキングスポートの警察学校の出だが、知ってるか? あの街じゃ公共の場でポケモンをボールから出すのは禁止されている。ボールの中で何年も過ごすポケモンも居る。冷凍睡眠みたいにな。あの街の連中はポケモンを大切にするってのはそういうことだって言いやがる。怪我も病気も喧嘩も恋も無い、たまに
男はコップを手に取る。透明な水が男の喉を湿らせる。
「保護区の
換気扇の外を、数匹のエイパムが鳴き交わしながらガタガタと足音を立てて駆けて行った。
「この街は何故、これだけの人間とポケモンがごちゃまぜで
僕は答える。
「ライフラインが整っているからだ。争い合わなくても、水、食料、居場所が確保できる」
ふっ、と男が髭の内側で笑う。
「ハイスクールなら100点満点の答だな」
「カレッジなら?」
「Cってとこか」
「足りない答は?」
「習慣だ。この街に棲んでいるのは
寝る時にもボールに入らずに人間と一緒に暮らす習慣がついた
男は机に肘をついて手を組み、青眼の中心に僕を捉える。
「
鋭く息を吐いて、男は続ける。
「手に負えない乱暴な
まるで、告発するようなことを、男は淡々と語る。
「この街のポケモンは、野良でも人間と親しく付き合う。パートナーの人間に従順だ。良いも悪いもわからずに、言われた通りにする」
男の眼が強く、僕を射る。
「そこにつけこむ奴が後を絶たねぇんだ」
刃を潜ませた声音。
「言葉で助けを求めることも何をされたか訴えることもできねぇ奴を生きたオナホにして悪びれもしねぇクソ変態どもが」
吐き捨てた言葉に滾る憤怒。
そういうものを、この男は見てきた。この男の目には、そういうものが映っている。
「俺のパートナー。な。お前の
不意に彼の話になって、肌を包んでいた熱い羽毛の感触が去来した。
「あいつは」
男は言い淀むように喉を動かして、僕を睨む。
「
俺はそいつに手錠を掛けて、
皮肉に頬を歪ませて、男は僕の言い方をなぞり、吐き捨てるように言った。
鮮明に蘇る。彼の息遣い、眼、溶け合い交わった熱い体。僕と彼との境界が失くなったかのようなあの感覚。
彼が? 道具のように扱われていた? あんなに神々しく強い、彼が?
彼の体は苦痛に満ちた行為で強制的に開発された、と目の前の男は言う。
「だが……」
男は組んだ手を解いて、椅子に背を預ける。
氷の中で蠢くように、男の目の奥で殺気が凝る。
「また、だ。あいつを餌食にしている奴が居る」
男の嗄れ声。男の右腕が動く。机の下で、撃鉄を起こすような金属音。
「俺はそいつが許せねぇ、どうしても」
彼は
言葉が、鋭く突き付けられた。
「お前だよ、
まだ僕がこの街に来てすぐ、小さな出張所で事務員をしていた頃。自分を
廃墟の一角、朽ちかけたトレーラーハウスの前で放尿していたら、白い湾曲した大きな角が夜闇の中から現れた。次いで肋骨めいた白角質が、闇に溶ける黒い体の輪郭を伺わせる。ぼぉふ、と炎を孕んだ息遣い。地獄の猛犬と呼ばれるモンスター、ヘルガーだ。その口から白い牙が覗き、火の粉が散る。紅蓮の瞳に真っ直ぐに見据えられて、僕は息を呑む。巨躯だ。頭の高さが同じでも、四足獣と人間は
至近距離だ、逃げ切るのは不可能。半ば尻もちをつくように地面に腰を落として手足をつく。服従のポーズを取れば、攻撃してこないハズ。ヘルガーは人間を餌にしない。ただ、背を向けて逃げれば本能的に追いかけて襲いかかる。そうして咬まれて大火傷を負った人の話を度々耳にしていた。
街灯の白光の中に、ヘルガーの黒い体が侵入してくる。細く短い毛の陰影が筋肉の形を浮き上がらせて、矢印状に尖った尻尾の先まで高精細に、
微かに漂う硫黄の匂い。速い息遣い。怒っているわけではないが、興奮状態にあるとわかる。刺激しないように、ズボンのチャックがまだ開いているけれど、手を動かすことはできなかった。
熱く太い吐息が掛かる。鼻面が僕の肩口の匂いを嗅いでぐいと首筋に押し付けられる。間近で呼吸する熱い大きな獣は、熱心に体表の匂いを嗅ぎ続ける。大角の下で控えめな耳が思案するように小刻みに動いている。こんな間近でこの角を見られることなんか無い、と竦みの中で僕はヘルガーの後頭部を、背の盛り上がった白角質を見詰めていた。
胸から腹を通って股間を熱心に嗅がれる。掻き分けられれば僕の最も脆弱な箇所を暴かれてしまう。咬まれたら、と想像してしまい、怖気で身が凍る。
熱い吐息を、その縮こまった先端で感じてしまう。だめだ、やめろ、と声にならない叫びが鋭い吐息となって唇を抜ける。ヘルガーが喉の奥で唸る。頭を振って鼻先を股間へと掘り進めてくる。
「や……め……ッ!」
怯えの中の奇妙な恍惚。灼熱の吐息で炙られて、続いて熱い舌が、触れた。
「っ……!」
笑った、ヘルガーが。そんな気配だった。矢印状の尻尾を風に揺れる穂のように振って、頭を押し付けるヘルガーの熱い口の中に、僕は捕らえられていた。水を飲むように舌に舐め上げられて、鋭い牙に甘噛みされて、その鮮烈な不快感が埋め込む灼熱で腰が熔け落ちそうだった。僕は、初めて他者に触れられて、勃起していた。
この瞬間まで、僕はずっと他者に性欲を抱くということがよくわからなかった。性欲自体が無いわけではないけれど、何かを見て興奮するということがどうしても理解できなかった。漠然としたむらむらが、性行為のイメージが、具体的な誰かの像を結んだ途端に急速に萎えた。裸の写真を見てオナニーするなんて正気かと思っていた。発情した裸の人間というもの自体が、僕には無理だった。だって、ねぇ。裸ですよ? あんな情けないものはないじゃないか。
モンスターの交尾の動画を見ると少しだけふわふわした気分にはなる。人間よりはマシ、程度に。けれど、実際に致す段になるとそのイメージを消し去る必要があった。解像度を下げて下げて
だから、目の前のモンスターの
僕は懸命に腰を突き出して、ヘルガーに口淫をねだっていた。ズボンのフックを外して太腿までさらけ出して、見たこともないくらい勃起した自分のペニスが涎と先走りでぬとぬとになってヘルガーの上顎に亀頭を擦り付け、熱い舌に舐められた竿がはちきれそうに鋭敏になっていく。
我を忘れたように熱心に僕のおちんちんをしゃぶるヘルガーの鋭い牙は優しい指のような当たり方をした。熱い吐息に絶えず包まれ、舌が這う度に頭が真っ白になって、僕はこれまで感じたことのない快感の暴虐に溺れていた。
「っあ……ぃく……っ」
気持ちよくてたまらないのだとヘルガーに伝えたかった。つっかえながら声を絞り出した僕に、そんなことはわかっているという風に、笑うように熱い吐息を吐きかけて、ヘルガーは僕のはちきれそうなペニスを口の中全部で包んで甘噛みした。それで、僕は果てた。
あの時の夜風。硫黄混じりのヘルガーの体臭。白濁液を絞り尽くす甘噛みの最中、確信めいた煌々した赤い目が、呆然と荒い息を吐く僕を捉えていた。
痺れた頭が徐々に
彼もイきたいんじゃないだろうか、と僕は聞きかじった性知識で推測した。
ヘルガーの赤い目を見詰めて、背の白角質の間に手を乗せる。微かに目元が緩む。口元が近付いてくる。唇を舐められる。舐め返す。細かな毛の奥に柔らかな口の際、力強い舌。希釈した硫黄の匂いが喉に流れ込む。灼けた蒸気の匂い。交互にお互いの口に舌を滑り込ませながら、手をそっとお腹側へと滑らせていく。
ぐっ、と彼がのしかかってきた。押し付けられたペニスはぐんにゃりして中が固い。掌で覆うと、根本が急速に膨らんでくる。この亀頭球で雌と抜けないくらい強く結合する、ということは締め付ければ気持ちがいいはず。根本の亀頭球を握りしめる手に少しずつ力を込めていき、もう片方の手で粘液を垂らす先端を包み込む。
かっ、はあっ、と彼の息が荒くなって、前脚で抱きかかえられるようにお腹が押し付けられる。挟まれた腕が殆ど動かせない、それでも彼が抉りこむように小刻みに腰を震わせて、僕の指の段差に擦れる度にとぷとぷと濃い粘液を溢れさせた。長い間、ぴったりと密着させて絞り続けた手が疲れて
空が藍色に染まっている。夜明けが近い。薄霧が肌を冷やす。
影色の木々の輪郭が空を縁取っていく。
ヘルガーが立ち上がる。
僕ははだけていた服を収めると、べちゃべちゃになった手を公園の噴水で洗った。
白んだ空の黎明色を映した水面に波紋を刻んで、ヘルガーが水を飲む。
立派な歪曲した白い角の奥、波紋で幾重にも撹乱された精悍な彼の顔立ちを見下ろして、うっすらと、僕は変化を噛み締めていた。
無縁だと思っていた、
水を飲み終わると、彼は振り向きもせずにあっという間に茂みの奥へと行ってしまった。
名残惜しく思いながら、僕は下宿に帰ってベッドに倒れ込み、泥のように眠った。
目覚めた時には日は高く、水道水を飲み干して、昨夜の夢のような出来事を事細かに思い出しては赤面し、体が熱くなって二回抜いた。服に残った硫黄の匂いが時間と共に薄れていって、身が裂けるような寂寥を味わった。
あれが夢ではなかったことを確かめるため。そう理屈をこねて、その夜も公園の隣の廃墟を訪ねた。ヘルガーは表れなかった。朝まで過ごして、その次の夜も廃墟に行った。
三日目の夜、うたた寝をして目覚めた僕の隣にヘルガーが居た。
息を呑み、僕は思わず苦笑した。
「起こしてくれよ」
ヘルガーは目を細めて僕の唇を舐めた。尻尾がぱたぱたと揺れていた。
それから、僕らはかなりのことをした。
熱い舌に肛門を舐められる心地良さに喘ぎながら、汚いよ、と注意しようとして、ヘルガーが火の粉を噛む姿を思い出した。煮沸どころじゃない温度で清められているんだ、彼の舌は。
背に覆い被さった彼の先端が入口を探して滴る粘液を塗りつけていく。彼が僕の中に挿れたがっている、と思った途端に股間が熱く張り詰める。
「いいよ、挿れて」
甘えて言ったけれど、腰を上げて迎えた先端が僕の排泄腔に挿しこまれた瞬間は身を固くした。お尻に物が挟まったような……実際に熱く硬い彼のペニスが挟まっている……拭いようのない異物感。
歯を食いしばっていると、彼は優しく頬を舐めてくれた。安心させるように。頼もしい目つき。舌を触れ合わせて細やかなくちづけを交わす。後ろ脚で力む彼の先端がゆっくりと中へと押し込まれてきた。
「あ……ふっ……」
味わったことのない異物感に、彼と繋がっていると強烈に突きつけられて、それだけでイきそうになる。
排泄の瞬間にしか味わったことのないチリチリした快感……これを性感にしてしまうのか、と微かに躊躇いを感じていたことを覚えている。その境界を踏み越える背徳感自体に興奮していたことも。
ほんの二回で彼が勃起し切る前に呑み込んで亀頭球を咥え込む要領を掴んだ。これまで只の排泄器官だったアナルが瞬く間に性器に変わっていった様には驚くと共に笑った。
僕はこれまで
この街での最初の春はそんな風に過ぎていった。
春の終わり、蛍が飛び始めた夜を境に、彼は廃墟に来なくなった。
一週間ほど後、夏のある日。公園の奥の茂みでヘルガーと再会した。
彼の姿を見た瞬間、僕は勃起していた。けれど、すぐに何かが違うと悟って急速に萎えていった。
親しげに、矢印状の尾を振って顔を舐めてくれるヘルガーは、纏う空気が変わっていた。春の狂おしい昂りが失せて、夏の溌溂を火の粉に乗せて振り撒いていた。セックス? なんだそれ? それよりあそこまで走ろうぜ? そんなノリで彼は僕にじゃれついてくるので、夏の夕暮れはヘルガーと一緒に公園のオーク林を抜けて川沿いを走るのが日課になった。その時まで仕事用の革靴しか持っていなかったから、翌々日に街中のメーカー直営店に寄ってランニングシューズを買った。履く時に気付いた、ロゴマークがヘルガーだ。
彼と一緒に居る時は楽しくて、黒い毛を撫でても全くその手を股間に伸ばす気にはならなかった。けれども春の記憶は鮮明なままで、真夜中には思い出して
現実の彼と記憶の中の彼、何が違うのだろう? この時はまだ、答がわからないままだった。
夏が終わり、酷暑が落ち着いてきた頃。
学生の頃に利用していたコンテンツ販売会社に転職が決まった。殆ど変わらない事務仕事だけれど、給料が二倍になる。つまり、一時間かけてバスで通勤しなくても、職場近くのアパートを借りられる。でも引っ越してしまえば彼から離れてしまう。
どっちつかずのまま候補のアパートを見て回った。
「こんなにいい物件無いよ? なにか引っ掛かってることでもあるのかい?」
会社が紹介してくれた大家さんが、あたしゃどっちでもいいけど、という風に軽く水を向ける。大家さんのパートナーのチラーミィが話している間にも羽箒に似た尻尾で部屋の隅の埃を掃いている。
「……近所の友達に会いにくくなるな、と……」
「いつもそこからバスでこの辺まで通ってんだろ?」
「ええ」
「会いに行きゃあいいんだよ」
「うーん」
「わざわざ来てくれるってのは嬉しいもんだよ? ここに招いてパーティーをやったっていいさ」
「ポケモンなんですけど」
「わお、素敵じゃない。クッキーくらい差し入れるよ」
「あー、魅力的ですねぇ。うーん、もう少し考えます」
窓の下には商店街のオレンジ瓦の屋根が並ぶ。大通りから二本奥まって程よく喧騒から離れた、このレトロな雰囲気が気に入った。
ヘルガーがパートナーだったなら、という想像がふと浮かぶ。
この街にはポケモンとのパートナーシップという風習がある。ポケモンと常に一緒に過ごして影響を与え合うことが理想的な関係だというのがこの街の理念だ。
もし言葉が通じれば、ヘルガーに告白していただろう。つきあってください、と。
どうやったら、彼のパートナーになれるんだろう?
バスは見慣れたアーチ橋を渡る。いつも彼と走ってくぐっている橋。川沿いの草茫々の石畳が、古びた看板のダイナーが、公園のオーク林が、なにもかも離れがたく思えた。
枯れた
ヘルガーの前に、犬種の小柄なモンスターが寄り添っていた。ふさふさの炎色の毛が立派なガーディ。忠実で勇敢な性質から、よく警察や警備員のパートナーになっている。ガーディが誇らしげに上げた豊かな尾の下を、ヘルガーが熱心に嗅いでいる。体高は半分くらい、親子ほどの体格差。
バスを降りて枯れた向日葵の狭間を抜ける。
涸れた噴水の向こう、植え込みの狭間に遠くヘルガーの角が見えている。矢印状の尻尾の先が覗く。
ひぃあん、とガーディの声が耳朶を震わせる。
ヘルガーの尾が揺れる、そのリズムを僕は知っている。
息が止まる。景色がセピアがかって見える。
低木の狭間から垣間見える、それが、どれほど心地よいか、僕は知っている。
湿った息を吐く。深く深く、肺の底から吐き尽くしても細く細く尽きない。
……そもそも僕とヘルガーは……性欲を満たし合っただけの、ただのトモダチだ。
彼は……僕ひとりに縛られような、そんな生き方じゃなかった。
足が道路を踏みしめる。砂利の音が煩い。重い扉。暗い下宿の軋む階段。
大家さんに電話して、引越しの手続きをした。
冷たい水が頬を伝った。幻想が割れて現実に触れた時、涙が溢れてくる。
僕はこうして、初めての
引っ越してからベッドを通販で買っても遅い、届くのに一週間ほど掛かる。
僕は新しい職場の同僚に借りた寝袋に包まって、開け放した窓から眩い月を眺めている。キャンプだと思えばちょっと愉しい。晩御飯もランタンの灯りで食べた。職場の下のダイナーで、冷蔵庫がまだ無いことを忘れて買いすぎてしまった。ミートパイだけでお腹いっぱいになってしまってレモンパイがまるごと二切れ残っている。どうしよう、あれ。
窓の外の屋根はモンスターたちの通り道らしい。ヤミカラスの他にエイパムらしき姿も見えた。それと、ニャース。ふいとこちらを見下ろす額の長金貨に月光が反射した。その後ろから……銀色の髪が風に煽られてたなびく。人間だ、煉瓦色のツナギを着た女性。
深夜に屋根の上を闊歩する奇人になぜそんな顔をされねばならないのか、悩みかけていま僕は寝袋から顔だけを出した芋虫状態なのだと思い至った。
「こんばんは、ごきげんよう」
何だか腹が立ったので極めて丁寧に挨拶してみた。
「ごきげんよう、蓑虫さん。いい月だね」
「蓑虫じゃない、イズムだ。ウェルグッディの通販家具が届くのに七日もかかるのが悪い」
「それは運が悪かったね、私はアシュリー。こっちはキト」
ひょい、とニャースが窓の桟に飛び乗って、体を伸ばしてふんふんと部屋の中の匂いを嗅ぐ。その視線の先は……そうだ、レモンパイがある。
「君、パイ食べない?」
「パイ? なにパイ?」
「レモンパイが二切れ余ってる。冷蔵庫もまだ無いんだ」
「ありがとう、貰うよ」
窓の桟に膝をついて、彼女は床の僕を見下ろす。数秒の沈黙の後に、
「……え、持ってきてくれないの? そこの机の上のパイだよね? 勝手に入って食べていい?」
「よく考えたら僕はいまパジャマだった」
「パジャマだとなにか問題あるの?」
「恥ずかしい」
「……その蓑虫姿よりも?」
「寝袋は
「変なの」
すたっ、と彼女の安全靴に続いてニャースのキトが窓から床に跳び降りた。彼女は軽い足どりで床に寝っ転がった僕を当たり前の障害物みたいに跨いでいく。
さすがに邪魔だったなと壁際に転がり壁に背を預けて半身を起こす僕を、瞳孔を円くしてガン見しながらキトが通り過ぎる。
キトが机に跳び乗ると同時に彼女が言う。
「あ、バリスタマシンだ。開けていい?」
「いいけど、コーヒー淹れるなら僕の分も欲しいな」
「どうやって飲むの?」
「…………そうだね」
僕は観念して寝袋のジッパーを下ろした。
「アシュリーは泥棒なの?」
「は? キミが入っていいって言ったんだろ?」
「失礼、こんな夜中に屋根の上を歩いているから」
「下の道は煩わしいんだ、絡んでくる奴も居てさ」
と、彼女は鬱陶しそうに顔を顰める。
「まあこっちはこっちで、泥棒にはよく間違えられるよ」
「そうだろうね」
「あ、これ」
バリスタマシンの箱を丁寧に開封していた彼女は、広げた説明書を窓にトリミングされた月光で照らして、呻く。
「最初に使う前にバラして洗えって書いてある」
「あ、洗剤はあるよ。そこの段ボール箱の中」
「ミスして壊しても文句は無しで」
「任せた」
シンクに向かう彼女の背後でキトがレモンパイの一切れをぺろりと平らげた。
「……なに、もう食べちゃったの? 私まだコーヒーを淹れるバリスタマシンの分解掃除中だよ?」
振り向いた彼女のすっとぼけた口調に思わず笑ってしまった。
「ぬにゃあ」
掌を舐めて、キトはすたすたと窓枠に跳び乗り、蹲って寝息を立て始めた。先っちょがくるんと巻いた尻尾が風に吹かれた振り子のようにゆるゆると揺れていた。
コーヒーの香ばしい匂いが漂う。
「ん」
と彼女が差し出したマグカップはスポーツ用品ブランドのヘルガーのロゴ入りのマグカップだった。
ああ、やはりまだ未練はあるんだ、こんなことで切なくなるなんて。
「それは君が使って」
「え、またコーヒー飲みに来ていいってこと?」
「ああ、うん」
ふぅん、と納得していない様子で彼女はダイナーのロゴ入りマグカップを僕に渡すと、椅子に腰掛けて、レモンパイを前に手を組んで目を閉じる。
「天の父よ、今日もこうして食事をお与えくださったことに感謝いたします」
アーメン、と息だけで彼女は唱える。
「……もしかしてそれが晩御飯?」
「そうだけど?」
「貧乏なの?」
「キミは随分と直截に物を言うね?」
アシュリーに
「ごめん、言葉が過ぎた」
ふっ、とアシュリーは軽く笑う。
「試しているんだよ」
僕は瞬きしてアシュリーの話の続きを待つ。
「水と食べ物と寝床、あと
「ホームレス、ってこと?」
アシュリーに睨まれて、僕は黙る。
「イズムは興味無い? この街で野良ポケモンがどうやって生きているか」
「……気にはなるね」
ヘルガーは、普段どう過ごしていたんだろう。
「生きているからどうにかできているんだろうって思ってた」
「私はそれを観察してきて、やってみたくなったんだ」
「……野良ポケモンの生き方を?」
「そのまんま真似したいわけじゃない、ただ野良ポケモンが利用できる場所がどれくらい大事なのか、体感してみたいんだよ」
熱いコーヒーが喉を温めて僕はほふっと溜息をつく。
「アシュリーは学者だったんだ」
「いーや、学会にも入っていないし何処にも勤めていない」
「じゃあ在野の研究者だ」
「趣味だよ」
「本にする予定は?」
「まだそこまで考えてない」
「発表することを視野に入れて記録した方がいいよ、すごく価値があることだから」
レモンパイに噛りついていた彼女は、横目で僕を見下ろす。
「珍しいことを言うね、キミは」
「大概の悲しい出来事は知らないから起こる。このことさえ知っていれば、こんなことにはならなかった……君のフィールドワークの成果はそんな悲劇を防げる筈だ。……そう思ったことはない?」
「ああ、確かに、ね」
コーヒーを飲み干して、アシュリーは席を立った。考え込む仕草で窓際に歩いていくと、ひょい、と窓枠に身を踊らせる。
ニャースのキトが起き上がり、あくびをひとつしてきゅーっと伸びをする。
振り向いて、彼女はにやりと笑って言う。
「ご馳走さま。コーヒーとパイとアドバイスをありがとう」
「どういたしまして、気を付けて」
「おやすみ、イズム」
傾いた月が照らす銀髪が夜風に翻る。屋根瓦が鳴る。彼女の足音が遠ざかっていく。
秋の夜、僕はこうしてアシュリーとキトに出会ったのだ。
「イズム」
ある夜、向かい合ってコーヒーを啜っていたアシュリーに単刀直入に訊かれた。
「このカップを見ちゃあ悲しそうに溜息をついているのが気になって仕方が無いんだけど、これって、ふられた恋人が使っていたもの?」
ボウルから水を飲んでいたキトが顔を上げてこちらを見る。額の小判にバリスタマシンの赤いランプが反射する。
「……そうじゃない、近いけど……そんなに態度に出てる?」
アシュリーは銀髪を揺らして深々と頷き、さらっと言った。
「割ろうか?」
「やめて!」
「オーケー、割らない」
ヘルガーのロゴ入りのマグカップを掴んだ僕の手に温かな細い指を重ねて、アシュリーは訊く。
「まだ好きなんだね」
「友達としては」
答えると溜息が漏れる。
「本当は?」
さらりと彼女が訊く。靄々と押し込めてきた僕の心の底まで全て見えているかのように。
月光に似た彼女の声音に導かれて、胸の底の本音が口をついて出る。
「……また抱いて欲しい」
言葉にすると、痛む。
「彼以外、いるとは思えない」
「百億分の一の出逢いだった?」
「そんなわけはない、でも……彼は僕を見付けてくれたんだ。僕には……そんな誰かを見つけることなんか出来ない」
はっ、と乾いた笑いが喉を掠める。
「僕が執着しているのはきっと、彼じゃない、抱かれる心地好さだ」
「……辛いね」
「……ああ、辛い」
彼女が席を立ち、僕の背を椅子越しに抱いた。つんと尿に似た濃縮された汗の臭いが鼻孔を突く。
「アシュリー、シャワーを使っていいよ」
「……私、臭い!?」
愕然とよろめく彼女を見上げて、だいじょうぶ、愛想笑いして、
「ええと……まあ」
そっとシャワーを指す。
「わかったよひっでぇなあ。でもこれたぶん服の臭いだよ」
「洗っとく」
確かに、とシャワーの音を聞きながら納得する。不快な臭いは殆どが抜け殻の服に残されていた。ポケットの中身を机に出す。小銭入れ、ピルケース、折り畳みナイフ、……スマホじゃなくて軍放出品のポケットコンピュータを持っているのが渋い。軍手やタオルは一緒に洗う。洗濯機に入れて殺菌漂白剤に浸す。
「何日洗ってないの?」
シャワールームに訊くと、
「一週間!」
と元気よく答が返ってきた。
「あのね、ニャースの方が清潔にしているよ。人間って種族なんだから、野良をやるにも人間の野良をやりなよ」
「体を洗うのが人間共通の習慣だと思うなよ!?」
「じゃあうちに来た時だけでいいから、シャワーを浴びて洗濯して行って!」
「わかったよ、そうするよ! あー気持ちいい」
「だろ?」
「癖になりそう」
「習慣にして欲しいな!」
シャワーの音が止まって彼女が出てくる。
「あ、パジャマを出すね。下着がトランクスしか無いんだけど」
「いいよいいよ、裸で」
「あ、そう? 寒くない?」
「ベッド使っていい? 服が乾くまで」
「どうぞ」
「悪いね、届いたばかりなのに」
「野生の人間を洗ったんだ、仕方ない」
彼女の裸は人間なのに不思議と醜いとは感じなかった。ああ、こういう生き物なんだ、そんな自然さで目に映った。
濡れたバスタオルを受け取ると、彼女が後ろから僕の背を抱いた。ボディーソープの花の香りが彼女の銀髪に染みついてふわりと薫る。
「これでいいかな?」
「……君に抱かれたかったわけじゃないんだけど」
「わかってるよ、それくらい」
「ま、体温があるのは悪くないね、温かい……寒いだろアシュリー、ベッドに潜りなよ。やっぱり何か着るものを出すよ、冷えてる」
「はいはい」
ワンピースのナイトガウンを引っ張り出してベッドに戻ると、アシュリーとキトは揃って寝息を立てていた。
僕はアシュリーの枕元にナイトガウンを置いて月光色の肩に毛布を掛けると、寝袋を広げた。
駅前広場の竹藪でゴロンダが熱心に竹の枝を裂いている。ようやく気に入ったものが出来たのか、ためつ眇めつ眺めて満足げに口に咥えた。
行き交う雑踏の殆どが人間とポケモンのペアで、体形体格の差をものともせずに歩調を合わせて仲睦まじく歩いている。この中に恋人同士が一組もいないなんて信じられるか? 僕にはそっちの方が悪い冗談に思える。
ロータリーにバスが入ってくる。下町へと帰る系統番号。あのバスはヘルガーの近くを通っていく。
僕には、彼に会いに行く理由が無い。否、会いに行って現実が更新されるのが怖い。
不意に、街路樹の上から声が降る。
「やあ、イズム」
見上げると、アシュリーとキトが数匹のパチリスと並んで枝の上にしゃがんでいた。
「アシュリー、……君は地面に足をつけない呪いでもかかっているの?」
幾分むっとした顔でアシュリーが言い返す。
「降りたら面倒なんだよ、また登らなきゃいけないだろ」
「……? ちょっとよくわからない」
「そんな話はいいから、お節介を言うよ」
「へ? うん」
「あのバスに乗った方がいい、私は占い師のバイトをしていたことがあるんだ」
と、アシュリーは下町に続くバスを指す。アシュリーの占い師姿は容易に想像できた。
心の中を読まれたようで、僕はちょっと嫌な気分になった。
「どうして?」
「ぶっちゃけると三日連続で切ない顔をしているから」
「昨日も一昨日もそこに居たの!?」
「偶然ね」
「声は掛けてくれなかったんだ」
「すぐ行っちゃったじゃないか」
「……まあ、そうだね」
「更にぶっちゃけるとキミが使っているマグカップに書いてあった店名はあのバスの行き先だし、あのチェーンのマグカップはポイントと交換の景品だから、それくらい通い詰めていたってことが推測できるんだよ。で、私が使わせて貰っているカップを見る時と同じ捨てられたメッソンみたいな顔であのバスを見ているんだ、私はこう言うしか無いね」
びしっ、と真っ直ぐに停留所に停まっているバスを指して、彼女は重々しく宣う。
「乗るんだ」
ばちっ、ばちっ、ばちっ、と並んで隣と頬袋を合わせたパチリスが弾ける音を出して放電してキャッキャッと笑い転げてじゃれ合っている。キトがそろそろとアシュリーの背を乗り越えて枝の付け根側に避難した。踏まれたアシュリーが微かに眉根を寄せる。
「なんか……やだな」
「明日は雨だぞ。君が見ないふりをしている間にも事態は刻一刻と変わり続けているんだ」
「君が何を知っているっていうのさ」
「セオリー。ありがちな展開。よくあるパターンだよ。バス代を恵んであげようか?」
「ホームレスからお小遣いを貰うほど僕は落ちぶれちゃいないぞ」
「あのなイズム、私は家が無いわけじゃないんだぞ?」
バスがゆっくりとロータリーを出ていく。
「行っちゃった」
「次のバスは三十分後。知ってるだろ?」
「三十分も待つ気は無いよ」
それじゃ、と手を振って僕は駅前の機材屋に入った。職場で僕はいま集まった写真や音や映像などの素材を整理する事務作業をしているのだが、近いうちに素材を集める業務にも携わることになった。つまりは昇進する予定。学生の頃はもっぱら素材を利用する側だったから、採る方は素人同然だ。日々少しずつノウハウを教わるうちに、私用の機材が欲しくなっていた。
頭が痺れるくらい比較検討して、店を出る頃にはふらふらになっていた。
そのままつい、目の前のバスに乗ってしまったのだ。癖で。
「あ」
扉が閉まり、バスは発車する。懐かしい下町に向かって進んでいく。
バスは見慣れたアーチ橋を渡る。ヘルガーとのジョギングでくぐっていた橋。川沿いの石畳。いま使っているマグカップを引き換えた、相変わらず古びた看板のダイナー。公園のオーク林。バスが停まる。
降りる感覚はここに住んでいた頃と変わらない。足の下で乾いた枯れ葉が潰れる音がした。色とりどりの落ち葉が歩道に積もっている。帰る下宿はもう無いのに。景色はそのままだ。初めての季節の彩りで、分岐した後の世界は賑わっている。否、分岐などしていない。これがただひとつの現実だ。
夕風に微かに冬の冷気が混ざってきた。
ヘルガーと過ごした場所をひとりで巡った。鮮明な熱い記憶は紛れもなく幸せで、今も変わらない。ただ、今はそれが無いという齟齬がどうしようもなく疼く。
このまま此処にいれば、彼に触れることはできたかもしれないのに。夏の日々のように、一緒に過ごすことはできたかもしれないのに。
関わりを断ったのは僕の方だ。僕が、彼を捨てたんだ。
川沿いの遊歩道の藪が揺れる。柔らかな炎色の毛の仔ガーディが二匹、じゃれ合って転がり出てきた。その後ろで成犬のガーディが見守っている。
爪が石畳を叩くチャッチャッという音が駆けてくる、背後から。ハッハッハッハッ、と小刻みな息遣いが近付いてくる。
どくん、と胸が鳴る。
かおんっ。火の粉を散らした熱い鳴き声が、すぐ傍で。
白い大きな曲がり角。炎色の眼。矢印の尻尾を千切れんばかりに振って、彼が。
ヘルガーが、懐かしい熱い舌で、僕の頬を舐めた。
体の中が沸き立つ。胸底の感情が堰を切る。
ヘルガーを強く抱き締めて頬ずりしていた。
考える前に、体が動いていた。
会いたかった。ただ、会いたかった。
ふんふん、と匂いを嗅がれる。見下ろすと、成犬ガーディが澄んだ眼で僕を見上げていた。夏の終りにヘルガーに抱かれていた姿と重なる。仔ガーディが僕のズボンに咬み付く。
「こらこら」
頭を撫でると、仰け反って僕の手を甘噛みし始めた。歯は鋭くて結構痛い。顔を顰めると、ヘルガーが鼻先で仔ガーディを転がす。仔ガーディはヘルガーにじゃれて、そのままふさふさと揺れる母親の尻尾を追いかけ始めた。
僕は、ヘルガーを奪ったガーディの喉をわしゃわしゃと撫でた。熱い毛に埋もれた指が溶け落ちそうな錯覚。ガーディは眼を細めてゆるゆると尾を振って僕を見上げていた。君の旦那は僕の初めての
ヘルガーが頬を舐める。唾液で顔がべたべたになる久し振りの感覚。でも、ここから体を重ねることはもうない。きっと、たぶん。
でも、僕はこの現実を愛しく想う。
僕はヘルガーの角に手を添えて、額にくちづけた。
古い看板のダイナーのテラスで、ヘルガーとガーディ親子と一緒にパーティーサイズのナチョスを食べてきた。ガーディの子供たちが伸びるチーズを引っ張って後退りして尻もちをついた。
バスに乗る僕を見送ったヘルガーは、後ろを追いかけてきて、かおんっ、かおんっ、と力強い鳴き声をくれた。
橋を越えて、ヘルガーは立ち止まった。遠ざかる姿が、後ろのガーディたちと落ち合って、戻っていくのが、見えた。
ヘルガーを抱き締めた熱い感触がまだ腕の中に残っている。それはもう痛みを伴うものではなく、力強い温かさを保ち続けている。
僕は、街明かりに視線を戻した。
コーヒーの匂いで目を覚ました。
開け放した窓にキトが乗って丸まっている。額の小判が腿の白い毛に埋もれている。
テーブルを見ると、アシュリーがヘルガーのマグカップでコーヒーを飲んでいた。
時計を見ると、午前二時。
「おはよう」
アシュリーが囁く。
「こんばんは」
目を擦って、僕はベッドに座った。
「会えたみたいだね、ヘルガーに」
「うん……ん!?」
背中が冷たくなる。
「後をつけていた……のか!?」
「は? キミがバスに乗っているのが見えただけだよ」
「僕はまだ何も話してないぞ!?」
「この時間で火山まで往復できるわけないし、その高さに硫黄の匂いをつけていたらそりゃヘルガーに会ったんだなってわかるよ。スッキリした顔してるし」
「嗅いだのか!?」
「家の中で硫黄の匂いがしていたら嗅ぐよそりゃ」
僕は額を押さえて、アシュリーを睨む。
「なんだよぉ、私が行けって言ったんだから、様子を見に来る義理があるでしょうが」
「覗き屋め」
「あ? 一人にして欲しかったのなら謝るよ」
眉間に皺を寄せて榛色の目を半眼にして、アシュリーが睨み返し、ばつが悪そうに言う。
深呼吸する。肺の底が重い。沈んだ澱を、問いと共に吐き出す。
「君は、僕を見てどう思った?」
「行けって言ってよかったかな、って」
アシュリーは口元を隠すようにコーヒーを啜る。
「……僕が、牡のモンスターとセックスをしていた変態だってことは」
「
「……許されないもの、なんだろ? 君たちには」
「『獣と交わり、これによって身を汚してはならない。これは道にはずれたことである』って?」
アシュリーはさらりと聖書の一節を暗唱して、小馬鹿にしたように目を細める。
「旧約だよ、古い律法。二千年前に無効になってる」
「でも逮捕者は出ている」
ポケモンとセックスをしていた人々が虐待の咎で逮捕されたというニュースを年に一度は見る。
「強姦だろ」
「……そう、なのかな」
かち、とアシュリーがマグカップの縁を噛んで、唸る。
「うーん、警察や裁判所が
マグカップを置いて、アシュリーは視線を窓の外に向ける。
「あいつら犯罪者ばっかりを相手にしているから、みんな犯罪者に見えているもの」
口の端を歪めて吐き捨てるように言う。
「私だって何度も檻にお泊りしたよ」
笑って話すアシュリーが、警察に捕まって留置所に入れられていた、という事に僕は少なからず衝撃を受けていた。容易に想像がつく、そして想像したくない。
「……ありそうなことだけど、許せないな」
「まあ、あるんだよ、そういうことも」
そして不意に、真面目な顔になってアシュリーは言う。
「イズム。キミにずっと話したいことがあったんだ。キミの役に立ちそうなこと」
「……どんなこと?」
「屋根の上を歩いていると、あまり人目に触れないものも見えるんだ。たとえば……ポケモンや人間がたむろして気の合った相手とセックスをしていく、そんな場所も、ね」
「……そんな場所が、あるの? その……売春宿みたいなのじゃなくて?」
アシュリーは神妙に頷いて、重々しく言う。
「ある。イズムは、そんな誰かを見付けることなんかできない、って言っていたけれど……そこでなら、見つかるんじゃないかって私は思ったりする」
これがずっと言いたかった、とアシュリーは呟いて、榛色の眼で僕を真っ直ぐに見る。
「案内できるよ、いつでも」
はあっ、と歯の間で空気が鳴る。喉がからからに乾いている。
唾を呑み下して、僕はアシュリーに言う。
「行ってみたい、そこに」
「OK」
にやっと笑って、アシュリーは立ち上がる。
「行こう」
路地裏の闇に目が慣れるより先に、息遣いが潮騒のように聞こえてくる。排水溝から湯気が立ち、木々と背の高い草の影に幾つもの古びたコンテナが覗いている。
竹の枝葉を加えたゴロンダが立ち塞がって僕を睨み下ろしている。気性が荒く喧嘩っ早いことで有名な、ガタイのいいモンスター。アシュリーが僕の肩に手を掛けて、そっと背を押す。
ゴロンダがくいっと顎を上げて、背を向ける。竹炭色の背の毛がマントみたいに靡いている。振り向くと、アシュリーが神妙に頷き、ゆるゆると手を振って背を向けた。銀髪がふわりと風に踊る。その足元では立ち上がったキトが目を円くしてゴロンダを眺めている。
僕はゴロンダの後について暗闇を進んだ。
ゴロンダが立ち止まって、大きな手で僕の背に触れる。
開けた空き地の獣道を、緩やかな足どりでモンスターたちが歩いている。南の海を回遊する魚みたいに。差し込む逆光の街明かりに縁取られたモンスターたちの輪郭に目を凝らす。
ゴロンダの手が僕のお尻に降りてくる。さわさわと指が輪郭をなぞっていく。見上げると、黒く丸い耳をぴくんと動かして、強面のモンスターは艶めかしい目で僕を見下ろしていた。
「ぁ……」
喉の奥で微かな声が出た。この逞しい体に抱かれることができる、そんな期待が膨らんで股間が熱くなる。
数ヶ月ぶりに、ゆるゆると僕は勃起し始めていた。
この時から半年が過ぎた春の夜に、僕は此処でバシャーモと出逢った。
夏の日差しにきらめく運河を遊覧船が行く。運河沿いの公園には屋台が並んでいる。ドーナツやチュロスの甘い香りが漂う。ポップコーンの屋台の後ろの枝にはポッポが群がっている。プリンやゲンガーの風船が葡萄みたいにぎっしりと束ねられて緩やかな風に傾いでいる。ゲンガー買ってー! とそれを見上げて子供がわめいている。なにか念を押して財布を開く父親の足元で、オタマロ柄の浮き輪を持ったウパーが上下に押しつぶされたようなジト目でその子とゲンガーの風船を交互に眺めている。
階段の下、石畳の手すりに腕を乗せて、美しい炎色が。
バシャーモが、居た。
階段を降りると、振り向いた瑠璃色の目が僕を捉え、冠毛が微かに跳ねた。嘴を微かに開いて微笑む。僕は小さく手をふる。バシャーモは胸を張り、くいと運河の方へ嘴をしゃくる。
バシャーモの隣に並んで手すりに腕を乗せ、彼を見上げる。瑠璃色の目が穏やかに僕を映して、笑うように細められる。温かな炎の香りが漂ってくる。
何かを見付けたように、彼の視線が運河の水面に移る。その視線の先で一秒後、ざばあっ、と大きな音を立てて、大きなコイキングが跳ねた。
「すごいねぇ、跳ねる前に見付けられるんだ」
バシャーモは目元ではにかみ、誇らしげに胸の羽毛を微かに膨らませた。太陽を含んだ羽毛が彼の胸で息づいている。触れれば天罰が下りそうな美しいその輪郭に体を埋めた感触が肌に蘇り、心臓がどくどくと脈打つ。
と、視線を公園の方に上げる。
「ヘリオス!」
と、幾分嗄れた低い声が飛んでくる。スーツを着崩し
その男が漂わせる鋭利で凶暴な雰囲気に、腹の底がずしりと重くなった。
バシャーモは僕の手の甲にそっと鶏指を重ねると、手すりから離れて男と合流した。
……彼にパートナーが居ることは想定していた。
男は親指で僕を指して頬を歪めて「ダチか?」と問う。バシャーモは困ったように目を逸らす。
深呼吸して唾を飲み込み、僕は声を上げた。
「僕は彼の友達ですが」
「おお、そうかそうか」
男はにやつきながら僕の前にやってきて手すりに腕を置いた。バシャーモが影のように男の後ろに立つ。無表情な瑠璃色の目に僕を映して。
男が手を差し出す。銃
「俺はギリー。あんたは?」
硬い手を握り返して、僕は答える。
「イズム・ミドー。あなたは、彼の……」
にっ、と男の頬が凶悪に歪む。
「パートナーだ」
「そうですか」
男の影が陽を遮り、煙草臭い息が掛かる。サングラスが迫り、脅迫めいた声音で男が言った。
「こいつはヘリオス。仲良くしてやってくれ、
「あちゃー」
カフェ・
設置させて貰っていた
ひとまず回収することにした。
「あれ、イズムじゃないか」
通りから陽気なアシュリーの声が掛かって混乱する。ここは地べただぞ?
振り返ると、
ぬにゃ! と仁王立ちのキトがくにっと曲げた前脚を挙げて鳴いた。
「アシュリー、なにやってんの?」
不穏なポスターだ。ハイティーンの女の子の顔写真の上に『
「この子を探してる」
と、アシュリーは女の子の顔写真を指す。イレーナ・アイヴス。14歳。
「この、ウェインのパートナーなんだ」
アシュリーが指した足元の影が僅かに盛り上がり、大きな三角の眼が覗く。ゴーストだ。毒ガスの体を持つ霊族のモンスター。
「いなくなったのがあっち、ウェインが目を覚ましたのがあっち。此処を通った可能性が高い」
ポスターに記された失踪日時を見て、僕は手にしたカメラを握りしめた。
「撮影開始より後だな……」
「え、なに、それずっと撮っていたの?」
「撮ってはいたけれど、5秒毎に1コマだし、ちゃんと通りを向いていた保証も無い、けど……」
「そのデータちょうだい」
「いや、これ会社のだし僕の一存では……その子が映っていたら、そこだけ抜き出して警察に提供するよ」
「それは助かる! でも、警察に提出する前にウェインにも見せてやって欲しいんだ」
アシュリーはビニールの下からポスターを縮小したA4サイズのチラシを取り出して僕に手渡すと、足下のゴーストに目配せして、声を落として言う。
「彼、イレーナがいなくなった前後の記憶が無いんだ」
机にピザの箱を置いて、PCの画面をテレビに出力すると、僕はやや大きな独り言を言う。
「さて、僕はいまから撮ってきたデータの確認をするわけだが、まさかその背後で勝手に忍び込んできた連中が見ていたなんて知る由も無い。セキュリティには万全を期してある。何故か勝手に入っていたコーヒーが旨いなー」
「マルゲリータかぁ、サラミピザがよかったなー」
ピザの箱を開けてキトとゴーストのウェインと顔を揃えて覗き込んでアシュリーが言う。
「ジャンクフードばかり食べていたら死ぬぞ」
「ちゃんと草も食べているもんねー」
「草……雑草食べてそう」
「ちゃんと食べられる草を選んで食べているもん」
「うわー本当に道端の草食べてた」
「おーおー野草の区別もつかない奴がなにか言ってるぞー」
「すごいねアシュリー博士、天才! 野蛮!」
イレーナ・アイヴスが最後に目撃された時間から、スライドショーで写真を流していく。幸いにも、カメラが落下した後で、低いアングルから通りがしっかりと映っている。
ウェインはピザ一切れを長い舌に乗せて一口で平らげると、スープカップをガス状の両手で抱えて、ちびちびと熱いコーヒーを舐めながら、じっと画面を睨みつけている。
同じ目つきで、ベッドの上に膝を抱えて座ったアシュリーも画面に目を走らせている。
キトは飽きたのか、アシュリーの膝の下に丸くなってみっしりと詰まって目を閉じている。
「あった!」
アシュリーが叫んで、僕はスライドショーを止めた。
金髪のポニーテールの快活そうなイレーナ・アイヴスが、並んで歩く大人の男を見上げて何か楽しそうに喋っている。肩にうっすらとゴーストのウェイン。
男は人の好さそうな風貌で、親子と言われれば信じてしまいそうな一枚。
「この人は?」
「イレーナの家族じゃないね。誰?」
ウェインは画面に寄って、貼り付くように男の姿を見詰める。床から少し浮いたガス状の体が傾いていき、困惑した顔で逆さになってこっちを見る。
「知らないの? 見覚えもない?」
ウェインは目尻を寄せた。記憶を絞り出そうとするように。
「無い、か……重要な手掛かりが出てきたね」
アシュリーは立ち上がり、
「イズム、その画像、ここに入れて」
と軍放出品のポケットコンピュータを差し出す。
「わかった……ってなんなのこの液晶は!?」
画面は割れ放題、液晶も半分死んでいる。
「スクロールさせたら読めるから大丈夫」
「あのね……スマホ、買ってあげようか?」
「絶対に落とすし壊すからいい、ケースに入れても割る」
「じゃあ……これあげる」
と、僕は置きっぱなしにしていた
「え……えらく高価なものをくれるね!?」
「それね、ベルトが
「どうして買ったんだよそんなもの」
「買うでしょ?
「うわー、イズムの
「今までどう思っていたの」
「なんか変なチャラいの」
僕は目を閉じて、深呼吸して、窓に歩み寄ると、丁寧に全開にして、営業用
「帰る?」
「ごめんんん、もうちょっと居るー」
「ちょっと傷ついた」
「意外」
目を細めて睨むと、あはは、とアシュリーは
「協力してくれてありがとうねー、イズム。
「えらいねーお礼が言えるなんて。さすがアシュリー博士」
アシュリーの跳ねる銀髪の先にキトが爪を出した手だけを上げてじゃれつく。
床に
「早く見つかるといいね」
口にした言葉は薄っぺらすぎるように思えた。足りない、彼の心痛を和らげることはできない。でも、それ以上の言葉が思い浮かばなかった。
曇った、暗い、夏の夜のことだった。
真夏の日差しが目を射る。5分の
行き交う人とポケモンの輪郭に合成線があるような錯覚。
すれ違った……平凡な中年男性の顔が妙に頭に残る。知り合いにあんな顔はいない。どこにでも居そうな、人の好さそうな……。
僕は立ち止まり、目を擦って振り返る。
行方不明になったイレーナ・アイヴスと一緒にいた男だ。
庭に雑草が生い茂った廃墟のような屋敷に男は入って行った。
アシュリーにメッセージを送信した直後、影がさし、肩を掴まれた。
「おい」
聞き覚えのある嗄れた低声。
ギリーの髭面と、その後ろにバシャーモのヘリオスの美身が塀に身を隠すように立っていた。
彼の炎色の羽毛は滑らかに体に
「なんでお前があいつの後をつけているんだ、
ギリーの指が肩に食い込む。顔を顰めると、
「悪ぃ」
と緩める代わりに陰に引き込まれる。
「ギリー、あなたは……君は何者なんだ」
目の前にIDカードが突きつけられる。ギリー・ガーディアン。ライム市警……。
「刑事?」
「そうだ、やくざに見えたか?」
僕が小さく頷くと、けっ、とギリー刑事は頬を歪める。
「……イレーナ・アイヴスと一緒にいた男があの建物に入って行った」
「だから何故お前がそれを知っていて、追ってんだって訊いてんだよ」
「会社で撮っていた映像に映っていた、警察には提供済みだ。僕はイレーナ・アイヴスのパートナーの知り合いの友達だ」
「ややっこしいな……おい、イレーナ・アイヴスのパートナーって言ったな? あのゴーストは何処にいる?」
「さあ……僕の友達と一緒にイレーナ・アイヴスを探していたのが一週間前……」
チッ、と舌打ちしてギリーは訊く。
「そのお前の友達、名前は」
アシュリーは警察に何度も留置所に入れられたと言っていた……言い淀んでいると、苛ついた声でギリーが言う。
「そいつが危ねえんだよ! イレーナ・アイヴスを殺ったのはゴーストだ」
え……?
ぐらり、と現実が歪む錯覚。
「昨日報道されただろ、イレーナ・アイヴスの遺体が出た。胸糞悪い
「知らなかった、三日前からさっきまで会社に缶詰だったんだ」
「で、その足でジョン・ダンの後をつけていたってのか?」
僕は頷いて、ギリーのサングラスを見上げる。
「名前は知らなかったけど、うん。……アシュリーは、そのゴースト――ウェイン――は事件前後の記憶が無いって言っていたぞ」
ギリーは威嚇するように頬を歪める。
「……そのアシュリーさんに詳しい話を訊きてぇな」
スマホが震える。目を落とすと、アシュリーからのメッセージが一行。
“いま忍び込んだ”
「え、アシュリー!?」
「おい、看過できねぇ文章が見えちまったぞ!」
小さな破裂音がした。
屋敷の三階の窓からキラキラした何かが散った。硝子が割れている。
「銃声だ」
ギリーはヘリオスに目配せして駆け出す。
「
冗談じゃない。
スマホが震える。アシュリーからの着信。初めての。
「イズムだ、三階の窓が割れたのが見えた」
大丈夫かアシュリー、と叫びたかった。が、この声はアシュリーの
ぐあっ、とアシュリーが呻く声。にゃぎゃああ、とキトが暴れる音が少し離れて聞こえる。
「いま刑事とそっちに行く」
ギリーを追いながら、録音のアイコンを押す。
スマホから男のだみ声が響く。
「淫売がッ! お前の猫に八つ裂きにされろ!」
なん、だと? 話が見えない。
薄い硝子が潰れる音。
ぬあああ、にぎぁああああ、とキトの声が酔っ払ったように不気味な唸りに変わっていく。
アシュリーの苦しげな声がスマホから言う。
「銃を持っている、マスキッパが居る。……キトが
「怪我は?」
「肩に食らった、動ける……」
キトの喚き声と重い何かがぶつかる音、蹌踉めく足音、切れ切れのアシュリーの声がスマホから響く。
「奴とマスキッパが下に行った……」
「おい、中のアシュリーさんと繋がってんのか」
銃を抜いたギリーが扉を睨んで言う。
「パートナーのニャースが紫色の噴霧
ギリーは小さく呻くと静かに佇むヘリオスを見上げて言う。
「ヘリオス、マスターキーでぶち破ってくれ」
頷いたヘリオスが鶏指を握り締める。手首から炎が吹き出し、脚の羽毛が逆立ってゆらゆらと炎を纏った。足首からも炎が立っている。
「ライム市警だ! 手を挙げろ!」
ギリーが銃を構えて突入する。背を合わせるようにヘリオスも。
正面の階段の二階の踊り場で、男が方向転換して廊下に逃げ込む。吹き抜けからマスキッパが降りてくる。直後、鋭利な草の葉が無数に渦巻き遅い来る。
ヘリオスの手足の炎が膨れ上がり、草の葉を灰に散らしていく。神々しい、神話のような風景。
スマホと階段の上からアシュリーの上擦った声が響く。
「ウェイン! 助けてくれウェイン! キトに催眠術をかけろ! 早く、ウェイン!」
「アシュリー、イズムだ! いまそっちへ行く」
ギリーが叫ぶ。
「おい、アシュリー! ゴーストから離れろ!」
声が。
「ウェイン、ウェイン……」
知らない少女の声が。響く。
キトの声が止んだ。アシュリーの声も。
ギリーが呻く。
「おい、何の冗談だ」
少女の声は繰り返す。徐々に甲高く、悲鳴のように濁っていく。
「ウェイン! ウェイン! ウェイン! ウェイン!!!」
黒い風に触れたマスキッパがぐらりと傾ぐ。
ヘリオスが駆けた。床を蹴り、軽々と跳躍して二階に浮かぶマスキッパと交差する。
逆手に伸びた鶏指。
バラバラと蔓が落ちて、マスキッパが墜落する。
二階の廊下の奥から数発の銃声が響く。
僕とギリーは階段を駆け上がる。
「アシュリー!」
「私は無事だ! キトも!」
三階の部屋から苦しげにアシュリーが叫ぶ。
「奴を追うんだ!」
「チッ、無事なわけねぇだろうが」
ギリーが低く言う。
「俺が追う、お前は嬢ちゃんを」
「わかった」
三階の扉には鍵が掛かっていた。
「アシュリー、イズムだ! 鍵は外から!?」
「掛けられた、体当たりすれば砕ける」
中からアシュリーが切れ切れの息で言う。
「わかった、どいて」
助走をつけて、思いっきり体をぶつけた。肩が軋み、扉はびくともしない。
「硬いぞ!?」
「ちくしょう、無駄に頑丈な……」
悔しそうなアシュリーの声が返ってくる。
「デマか!? 体当りすれば砕けるってデマか!?」
「ポケモンならいける! 自分で体当たりしたの!?」
「そうだよ!」
「バカじゃ……ごめん、説明が足りなかった」
「っ……あのなぁ」
階下を見ると、倒れたマスキッパを踏んで立つヘリオスと目が合う。
「ヘリオス! 頼む!」
「マスターキーを使ってくれ」
瑠璃色の眼が、わかっている、と僕を見る。
炎を纏った脚が、扉を蹴破る。
ぐじゃぐじゃになった部屋の中で、壁に背を預けてアシュリーが立っていた。
銀髪が赤く染まって、ぱっくりと裂けた右耳からだらだらと血が流れている。
ズタズタに裂けたツナギで縛った肩にも腕にも脚にも血が滲んでいる。下着と包帯と化した煉瓦色の布だけを纏って、アシュリーは疲れた顔でにやりと笑った。
「よぉ、イズム。生き残ったぜぇ」
傍らに、毛糸玉のようにツナギの切れ端で意識の無いキトがぐるぐる巻きにされていた。
爪痕が刻まれた木切れや木屑が何本も転がっている。アシュリー愛用のポケットコンピュータは砕けて、割れたピルケースの中の薬はシートごと踏み砕かれていた。
「生き残ればいいってもんじゃない、でもよかった」
「あいつは?」
「ギリーが追ってる」
その時、二階の奥からギリーの怒鳴り声が響く。
「ヘリオス、来てくれ! ゴーストを止めてくれ!」
ヘリオスの瑠璃色の眼が揺れ、身を翻す。
「ウェインが……おかしかった、行かなきゃ」
「動いちゃダメだ、アシュリー」
「さっきまで死ぬほど動いていたんだぞ、いいからキトを持ってきて」
歯を食いしばるアシュリーに肩を貸して、キトを抱えて、僕らは階段を降りた。
廊下の先で、ギリーが銃を構えている。
その先から、絶叫が響いてきた。
濁った甲高い少女の声。
「ウェイン! ウェイン! ヤメテ! ウェイン! イタイ! イタイヨオーーー!!! タスケテ! ダレカーーー! パパ! ママ! ギャアァアーーーー!!!」
男のダミ声。
「お前だ! お前が殺したんだ! あのガキはギャッ! お前が殺した! お前がゴッ……ガハッ!」
ひしゃげた銃を踏みつけて身構えるヘリオスの前、所々崩れた階段の途中で。
ゴーストのウェインが人間の少女の声で叫びながら、男に覆いかぶさってガスの爪を振るっていた。
ギリーの手が震えている。
アシュリーが呟く。
「イレーナだ」
ギリーが呻く。
「ああ、イレーナ・アイヴスの断末魔だ」
「どうして……それが」
「こいつが」
憎々しく、ギリーは言う。
「売っていやがった、クソ
「密室に閉じ込めて、
アシュリーの冷たい、感情が抜け落ちたような声。
「フラッシュバックして……記憶が戻ったのか。ウェイン、そいつは殺していい」
「ダメだ、ウェイン!」
ギリーが叫ぶ。
「こいつは逮捕しなきゃいけねぇ! 少なくともあと三組は殺られている、吐かせなきゃならねぇことが山ほどある」
ハッ、とアシュリーが嘲笑する。
「無理だろ、ヘリオスくん。ウェインごと燃やすか? そいつを」
僕は、アシュリーに囁く。
「行ってくる」
「あ? ……っう」
キトを床に降ろして、崩れかけた階段に向かう。
「おい!
ヘリオスと視線を交わす。揺れる瑠璃色の眼。微かに開いた嘴。僕は頷いて、階段の縁に足を乗せる。
「ウェイン」
「アアアーーー! ドウシチャッタノ、ウェイン! マッテ、ウェイン! ウェイン、ヤメテ!」
「そいつは、司法に喰わせなきゃいけない」
ウェインのガスの体に触れると、ギッと凶眼に射られる。正体を失くして泣いている、正気の眼。
「こいつの犠牲になった誰かがまだ居るんだ、吐かせて見付けなきゃいけない。
こいつの同類が出てきた時にもっと早く見付けて止めるために、司法はこいつを喰らわなきゃいけない。こいつを裁いて経験を積まなきゃいけないんだ、人間の社会は」
ウェインのガスの手が男の首を絞めつける。男が小刻みに痙攣して、失禁の悪臭が漂う。
「頼む、そいつを僕らに貸してくれ。その後は……君がやりたいように」
ウェインの冷たい手に掌を重ねると、体温が急速に奪われて痛みがはしった。
「キトを止めてくれてありがとう、アシュリーを助けてくれて。ありがとう」
ウェインの手が緩む。男から離し、己のガスの頭に突き刺す。
「ギッ……ギャァアアアオオオオオオオォ……!!!」
濁った少女の声が拡散して、ゴーストの泣き声に変わる。
遠くから、パトカーのサイレンが響いてきた。
「アアア……ア……ウェイン……ン……」
ゴーストの輪郭がぼやけて、姿が掻き消える。泣き声の残響が、昼の光に塗り潰されていく。
振り向くと、ヘリオスが目を細めて嘴の隙間から息を吐いた。
ギリーが我に返ったように駆け寄ってきて、男の呼吸と心拍を確認した。
「よし、生きてるな」
手錠を掛けて、床に寝かせると、無線を手に取った。
「ギリーだ、被疑者を確保した。怪我人が居る、人間二名、ポケモン二名、重症だ。救急隊を寄越してくれ」
その
「あと一時間くらいは保ちそうかな」
「気絶寸前じゃないか」
「まあね」
アシュリーの腕の中でもぞりと布塊に塗り込められたキトが身動ぎする。アシュリーはうっすらと目を開けたキトを覗き込んで、かぷりと額の小判にかぶりつく。びくっ、とキトの毛が逆立つ。
「ぬにゃ!?」
なにひとつ覚えていない様子で、キトがもぞもぞともがく。
「あと百回噛むからな」
真顔で宣告した後、アシュリーは僕を見て、不思議そうに言う。
「イズム、意外と社会を信頼しているんだね」
「システムだけは、多少……僕ってそんな
「私と同じくらいには」
「あ、そう」
アシュリーはちらりとヘリオスを見て、視線をギリーと
そんなアシュリーに促されたように、ヘリオスが静かに歩を進めて隣に立った。
手が触れ合って、重なる。冷え切った手が、熱い鶏指に包まれた。指を絡める。
その胸の羽毛に顔を埋めたかった。
強く、抱き合いたかった。
肩を抱き寄せられる。見上げると、嘴が額に触れた。額と肩から、彼の温もりが内側を伝って体中を包んだ。
「ヘリオス」
囁く。
「僕はイズムだ」
ぎるるる、と彼が甘く喉を鳴らす。
「ありがとう、僕はね」
パトカーのサイレンが止まった。階段を駆け上がってくる足音が近付いてくる。
僕は彼の鶏指を握って、熱い胸底から言葉を吐く。
「もっと君と一緒に居たい」
病室を覗くと、アシュリーは大怪我をした一週間前よりも苦しそうに蹲っていた。
「だ……大丈夫?」
「しにそう」
青ざめた顔で呻いて、アシュリーは言う。
「薬の関係でさ、ピル止められて生理が来た……しにそう」
「……アシュリー、もしかしてフィールドワークのために月経を止めていたの?」
過酷な環境でこんなになっていたら、本当に死んでしまいそうに見える。
「それもあるけどー、そもそも不具合なんだよ、この機能自体が」
眉間に皺を寄せて、アシュリーは呻く。
「科学の力は偉大だわ。はやく化学の力を返して欲しい」
手首を握ると、彼の熱い穴奥がぎゅうっと僕を掴んできた。
嘴をだらしなく開いて、あっ、かはっ、と喉奥から悲鳴に似た嬌声を上げる。
「これ、そんなに好き?」
囁いて後ろから突き上げる。背に顔を埋めて、熱い鼓動を聞きながら、突き上げを速めていく。
僕たちは同時に達した。
彼の穴の底から溢れた熱い精液と、僕の先端から放たれた精液が、どろどろと絡み合う。
その感触で、また硬くなってしまう。
ぎゅ、と手首を掴まれて、引かれる。密着する。彼の熱に包まれる。
窓の外は白い雪が舞っている。
机の上では二つ並んだマグカップの中で飲みかけのコーヒーが冷めている。
温かな部屋の中で、僕は何度でも彼の熱い体とひとつになる。夜が来ても、朝になっても。
彼が部屋に来たのが夜八時。僕らが眠ったのが朝の六時。ということは十時間も延々とセックスを続けていたことになる。そのあと、目覚めたのは昼の一時。
近所のジャックバーガーで向かい合ってお昼を食べる。チーズバーガーにスライスしたオレンの実をトッピングする。モンスターが好む木の実は刺激が強い。この清涼感が好きだ。彼はいつもワームバーガーにチーゴの実を二倍盛りで挟んで美味しそうに食べる。
そのまま手を繋いでイルミネーションで彩られた街に出た。
粉雪が彼の炎に触れて溶けて蒸発する。白い湯気を纏って、僕らは歩く。
クリスマス飾りを集めてリースのようになったヤミカラスの巣を見付けて、彼がくつくつと笑う。
レストランのテイクアウトでスシをおみやげに、彼の家のインターホンを押した。
ジャージ姿のギリーが顔を出して、破顔する。
「遅ぇぞヘリオス、朝帰りにも程があるだろ。もう夕方だぞ? ん? を? スシか? 悪ぃなイズム。入れよ、食ってけ」
そのまま夜が更けるまで彼の家で飲んで、ほろ酔いで帰路についた。
先日、
街頭のヘッドラインニュースを眺めていると、見慣れた人影が歩いてきた。
コートを羽織ってマフラーを巻いたアシュリーのお腹が大きく膨れている。隣には同じくらいの背の高さの恰幅のいい黒い影。陽気な笑い顔が特徴の霊族、子供たちに大人気のポケモン。ゲンガーだ。
「え、アシュリー? どうしたの?」
「よお、イズム」
アシュリーのお腹がもぞもぞと動いて、キトがセーターから頭を出した。
「こいつ寒がってやたらと潜り込んでくるんだよ」
「ぬにゃ」
「小判が冷たいんだよぉ」
ぐい、とキトの頭を前に向けて、アシュリーは、ふぅ、と一息ついた。
ゲンガーはそんなふたりをにたにたと眺めている。
「あ、初めまして。僕はイズム」
「ウェインだよ」
ぽふぽふとゲンガーの毒ガスの頭を撫でて、アシュリーが言う。
「え……ウェインなの?」
あの悲痛な表情は微塵もなく、鷹揚な笑い顔でウェインは僕を見上げる。
「一昨日会った時はゴーストだったんだけどさ、さっき会ったらゲンガーになってた」
「……なんか、やな想像しちゃうな」
半年前。僕はジョン・ダンを殺そうとしていたウェインを止めて、人間の社会がこいつを裁くまで待ってくれ、その後は好きにすればいい、というようなことを言った。
「まあ、そうなんだろうね」
アシュリーはあっさりと言った。
「魂食った顔してるもん」
「わかるの?」
「スッキリしてる」
「……スッキリするものなのかなぁ?」
どれだけ殺しても足りないだろう相手の命を、遂に奪った後は。
「さあね」
皮肉に笑って、アシュリーはキトを抱え直した。
「イズムも行くかい?」
「どこ?」
「教会」
パイプオルガンの音と清らかな合唱で奏でられる
微かな灯りが揺れる。
アシュリーは手を組んで俯き、小声で祈りの言葉を唱えている。隣で、キトが首を真上に向けてステンドグラスを眺めている。
「神様は、助けなかった」
呟くと、アシュリーは緩やかに言った。
「神様が救ってくれるのは肉体じゃない。魂だ」
大きな換気扇が光を遮って回っている。冷房が効きすぎた部屋で、硝子のコップが汗をかいている。
向かい合ったギリーの深い眼窩の奥で
「お前だよ、
ギリーの殺気が僕を刺す。
――彼には区別がつかない。性愛も強姦も同じものに見えている。
この街に来てからの日々が走馬灯のように脳裏を掠める。
初の映像制作を終えて、仕事で羽ばたくための翼がようやく羽化した、とつい先週実感したばかりだった。腹の底の灼熱から芽吹いた鎌が、その翼を刈り取ろうとしていた。
「何故、そう思う?」
喉がカラカラに渇いている。威圧の針で標本にされたように、目の前のコップに手を伸ばせない。
ギリーの青眼に苛立ちが過ぎる。
「パートナーが夜中に出ていったら気になるだろうが」
「後をつけたのか」
「ああ。そしたらお前を。……見た。お前らが」
ギリーの髭に覆われた頬が歪む。
「ヤってるところをな」
ふっ、と僕の口から苦笑が漏れる。
「ストーキングに覗きか、趣味が悪いな」
僕の挑発に、ギリーは歯を剥き出して答える。
「仕事柄、習慣だ」
個室のインターホンが鳴った。店員が鋭く大振りなナイフとフォークを並べ、鉄板の上で脂が跳ねる分厚いステーキをギリーの前に、溶けたチーズの掛かったハンバーグを僕の前に置いて出て行った。
ギリーがナイフとフォークを手にしてステーキを切り始める。
「食え、イズム・ミドー。下手すりゃ
僕を逮捕する、という宣告。
「それならカフェ・
レモネードのセットで、二階のベランダの席で。木漏れ日を浴びて、大通りの喧騒を聞きながら。そんな時をもっと過ごしたかった。
「僕の罪状は」
「ポケモンの虐待。言われねぇとわからねぇか?」
空虚な徒労感が気力を蝕んでいく。
「証拠は」
「俺がアホ面下げてお前らの覗きに徹していたとでも?」
「盗撮か、最悪の趣味だ」
「趣味じゃねぇが仕事だ」
「感想は」
「今すぐ此処でぶっ殺されたいか?」
「そのために今、セーフティーを外した?」
ギリーは答えない。
「法廷に立たされれば僕は言うべきことは言う。現実を知らしめないと社会は変わらないから、癪だけど同じ
じゅうじゅう鳴っていた鉄板が静かになっていく。
「僕を射殺したいだろ、ギリー。そうすれば何も聞かなくて済む。彼を大衆の下卑た興味の俎上に乗せずに済む」
空調の風が束の紙ナプキンを草原のように靡かせる。
「僕は彼を愛している」
ギリーが肉を切るナイフが鉄板を擦る音が響く。
「彼には自分で選んだ快楽を享受する権利がある。彼には様子を見ながら相手を選んでいく権利がある。彼は自分の傷を抉って上書きしていく権利がある」
十枚に断たれた肉が赤みを晒してギリーの鉄板の上で整列している。
「本当に見たのか? ギリー。僕と彼とのセックスが、強姦に見えたのか?」
「見えた、じゃねぇよ」
ギリーのフォークが肉を突き刺す。
「そもそもマトモなポケモンが人間とセックスしたがるわけが無いだろうが。クソ野郎のクソみたいな所業にねじ曲げられちまったあいつの傷につけこんで餌食にしているんだよ、てめぇは」
「……あそこにいた皆を、纏めて侮辱しているのがわかっているのか?」
「てめぇは、あの連中が……人間とヤりがたるポケモンと、ポケモンとヤりたがる人間が、マトモだとでも言うのか?」
「極めてマトモだ。強引に誘うことなど無い、興味を丸出しにするのも野暮な、繊細に意思を読み合う社交の場だ」
僕はナイフとフォークを手に取る。
「勝手な偏見で憐れまないでくれ、あまりにも無礼だ」
エネルギーが欲しくなった。ギリーに僕たちの実際を主張する為の。戦う為の。
ヘリオスを、可哀想な奴だと思われたくない。特に、彼のパートナーには。
彼は、あの瑠璃色の眼で見てどうするかを選んでいる。体を交えている時にもその流れを制御している。彼が欲するものを、彼の行動で叶えている。
冷めた肉汁が口の中で旨味を取り戻す。
食器が鉄板に触れ合う音が、空調と階下の遠い賑わいに重なって響く。
鉄板の上は冷めた油だけになった。
ギリーが煙草に火を付ける。紫煙が細く枝分かれして換気扇の方に流れていく。
「あいつを引き取ってから暫くは、あいつは俺に……求めてきた」
ギリーの声音からは棘が失せて、自嘲の湿り気を湛えていた。
「俺はそれには応じなかった。そんなことをしなくてもお前はここに居ていいんだと伝えてきたつもりだった」
ギリーの口から幾筋もの煙草の煙が吐き出される。
「お前、ヘリオスを愛しているって言ったな」
「ああ、愛してる」
ギリーの彫りの深い眼窩の奥の青眼に、僕が真っ直ぐに映っている。
「あいつのパートナーになりたいのか」
「なりたかったな」
言葉にすると、目の奥がじんと熱くなって痛む。
「でも、そうはできない。彼がもし、記憶を塗り潰す為に僕とセックスをしているのなら。僕が要らなくなる時が来るかもしれない。相手が人間じゃなくてもよくなるかもしれない。その時に、彼の意思ひとつで別れられた方がいい。彼のライフラインを握ってしまえば、簡単には離れられなくなる」
僕は、彼を愛している。僕を欲する時だけ一緒に居て、
僕はギリーを見据えてはっきりと言う。
「彼の帰る場所は、ギリー、君だ」
落ちてきた
「お前、ホント動体視力すごいよなぁ」
ギリーが煙草の灰を炎印の携帯灰皿に落として髭面を歪めて笑う。
ハロウィーンを前に、商店の店先にはかぼちゃランタンが飾られている。パン屋のガラスに貼り付いたパチリスが、中のバケッチャパンを見詰めて逆立ちしそうなくらい首を傾げている。
落ち葉を降らす
彼女は膝に抱えた籠から
僕たちに気付いたアシュリーが手を振る。
「お嬢さん、久し振り」
ギリーがアシュリーを見上げて言う。
「どうだ、ウェインは」
「うちに居るよ。アイヴス家にはもう戻らない」
「……帰れやしねぇよな、可哀想に」
「ウェインは強い奴だ、いつか立ち直る」
塀から落ちかけたキトの首根っこを掴んで引き上げると、
「これ、あげる」
アシュリーは姫林檎をぽいぽいと僕たちに投げて寄越した。ヘリオスは空中でキャッチして、僕はお腹に抱えて受け止める。ギリーは野球のボールみたいに左手で掴み取った。
「市場で貰ったんだ、いつもフードバンクに協力してくれているとこ」
この街のポケモンたちのライフラインを支えている場所のひとつ。
「イズム、この前オーブンレンジ買ったんだっけ」
「ああ、明日届く予定」
「パイ焼かせてよ」
「アシュリー、料理できるの?」
「上手いんだぞ」
「本当に?」
「あのダイナーのレモンパイよりは旨くできるぞ」
「信じられないから作ってみて」
「イズムのとこだけ冷凍セミパイにしようか」
「そういう過剰なサービスはしなくていいですノーマルでお願いします」
アシュリーは相変わらず窓から訪ねてくる。ヘリオスが来ている時には姿を見せないので一度「タイミングが何故か重ならないね」と言ったら「いや、私、濡れ場に突入する趣味は無いから」と真顔で返された。たぶん何度か僕たちの嬌声を聞いている筈で、非常に微妙な気持ちになった。アシュリーの方はそんなものは見慣れていると言いたげだったけれど。
ギリーとはあの後からお互いの家を行き来するようになった。仲が良くなったわけでもない、お互いに見極めようとしているような、そんな距離感。
ヘリオスが僕の部屋に直接訪ねてくるようになってから、あの場所からは足が遠のいた。今の僕には彼ひとりだけでいい。
川面を流れる落ち葉のように、
姫林檎を囓る。しゃく、と新鮮な音がして芳醇な匂いが漂う。肩を寄せたヘリオスの嘴が姫林檎をくり抜く。見上げると、彼の瑠璃色の瞳も僕を見下ろしていた。煌々と微笑む彼の炎色が、熱く胸に満ちていく。
今日も、明日も、彼と一緒に居られることが、奇跡のように思える。だから、その先に何があっても、僕たちはそれぞれが望む場所へと向かっていく。
(終)
あとがき
ここまで読んでくださって誠にありがとうございます。
この小説はある哲学者とその著書『デッドライン』に強い影響を受けて書いたものなので、かなり似た部分があります。よかったら『デッドライン』も読んでみてください。文章も周囲の無関係な人の描写を入れる『デッドライン』の書き方に倣ったら場面の冒頭がかなり書きやすく風景にも広がりが出ました(すぐに自分の手癖に戻っちゃいましたが……)。
私は命燃やし尽くす系のキャラが好きなんですが、今回はその哲学者の影響を受けて、争わずに中庸で安定する、中途半端にも見える絶妙な立ち位置を確信的に選んでいる、そんな主人公を描いたつもりであります。
このお話は11月半ばから書き始めていたんですが、当初は個体名一切無しで「僕」「彼」「彼女」だけで書こうとしていたり、悲劇的な結末しか浮かばなくて現代思想の動画を周回して打開策を模索したり、「彼女」が惨死する展開を体が全力で拒否して書けなかったり、ストーリーもキャラクターも設定も原型を留めぬほど作り直し続けて、なんとか納得のいくお話になりました。これ長いぞエピソード4つくらいあるけどひとつだけでよかったのでは、と気付いた時には既に絡み合って分離できなくなっていました(-△-;)そんな自分との戦いに明け暮れて1月2日の投稿〆切を過ぎてから何度かこれ書き上がらなんじゃないかとエントリー取り消しを考えつつ無事に(←?)6日遅刻で投稿することができました。スミマセン誠にありがとうございます。お陰様で自分の実力を越えたものを生み出せました……。
落ち着いて読み返すと書けていない重要な事柄が幾つかあってうぁあ拙いなぁと思いつつ全体的には気に入っております。ちゃんとしたいなこれ……。
ひとまずは、おつきあいありがとうございました! またお会いできることを心より願っております。
第十二回仮面小説大会 官能部門 投票結果&コメント
↑こちらで頂いたコメントへのお返事↓
こうした境遇は共感するところが多いですね (2021/01/12(火) 00:01)
そう感じで頂けてなによりです、冥利に尽きます。
マイノリティーの葛藤をテーマに、「名探偵」の設定を取り入れた事で現実感を増す技法が素晴らしかったです。洋画のような台詞回しや場面描写に、「名探偵」へのリスペクトを感じました。濃厚な性描写や人と獣の関係性など、BLとしてもとてもいい作品でした。 (2021/01/15(金) 23:20)
洋画っぽさは頑張ったので褒めて頂けて嬉しいです! アメリカの店や植物を検索したり英語→日本語っぽい言い回しを意識したりしていました。
「名探偵」は私が見たかったものがここにあった……って映画だったのでその懐で遊ばせて頂きました。
何気にBLをちゃんと書くのはこれが初めてナンデスヨ、ありがとうございます。
ライムシティものの体裁を取りつつ、ヒトとポケモンとの性愛と葛藤を魅力的に描いた好篇でした。
何よりヘルガー、そしてバシャーモとの行為の描写がとても官能的。主人公の性の覚醒、そのひたむきな悦びを細かな動作で伝える描写力には唸らされます。 (2021/01/16(土) 01:35)
その性行為がどのようなコミュニケーションなのかが主眼なので読者に非言語的な感覚が伝わる必要がありまして……ありがとうございます、ほっとしました。
良かったと思います。 (2021/01/16(土) 22:45)
ありがとうございますー!
退廃的な雰囲気、最高でした! (2021/01/16(土) 23:54)
退廃的……その発想は無かった……退廃的! なるほど、ありがとうございます。
好きになるということはとても幸せで、とても苦しいことにもなり得るんですよね。
せめてその好きが赦される世界であってほしいものです。 (2021/01/16(土) 23:58)
ホントに、ねぇ……。自分は、恋は症状だが愛は覚悟だと思っておりまつ。
赦さないのは結局は人で、その人は何故赦さないのか、赦さない人とどう接して生存していくか、……はあまり書けませんでしたorz
余談です。当初は主人公とバシャーモは性欲+友愛というもう少し冷静な距離感のつもりで、主人公には義気で動いて貰うつもりだったのですが、書いてみるとめっさ惚れていたのでこうなりました(
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