※本作は、史実を元にポケモン化したフィクションです。
終盤は、史実を改変したif展開となっています。
これは、遠い遠い昔の話だ。*1
◇
「悪い知らせだ、メメントムンドゥス。*2テキが亡くなられた」
「メオのジジィが……死んだ!? ク……クク、ア~ッハハ!」
震えた喉笛を貫いたのは、腹の底から沸き上がる哄笑。
「そうかそうか、前からどっか悪そうだったが、とうとうくたばったか! いいザマだ、地獄に堕ちやがれ!」
「ムンドゥス、あれだけ世話になったメオ先生にそんな言い方は……」
「世話!? ああ、世話になったとも。グレまくってた俺が更正したのは、確かにあの狸ジジィ*4のお陰なんだろうさ。何しろ、奴の指示で俺は金玉を摘出されちまったんだからなァ!」
角を突きつけた俺に、調教助手のヒデキは歳の割に前髪の後退した冴えない顔を澄ましてみせる。*5
「僕も賛成したけどね。せっかくの素質を腐らせたくなかったんだ。実際去勢が功を奏して、今の君はアローラの競犀じゃ一目置かれる存在じゃないか」
フン、と鼻息も荒くソッポを向いてみせる。
昨年秋、去勢犀の出られない若犀のG1、ハイビスカス賞の予選に殴り込んで見事優勝。*62着に下した相手は後のハイビスカス賞犀。
その後まだ若犀の身で、世界中から招待した強敵たちと争うアローラ
「あんだけ厳しく鍛え上げられりゃ、苦労したなりの結果を出さんと割に合わねぇさ。その代償がこのザマだがな」
包帯を巻いた右前脚を、俺はヒデキに見せつける。
「ジジィの猛特訓で壊されたサイホーンは俺だけじゃねぇ。結果すら出せずに消えてった仲間だって何頭もいる。あの
「うん……僕もテキの手法には、必ずしも賛成していなかった。厳しくはしなけりゃいけないとしても、計画的なゆとり*9も考えるべきだって」*10
「ま、そんな日々ももう終わりだ。今後はどこぞの功労ポケモン施設にでも入って、悠々自適に暮らさせてもらうぜ」
「いや、まだ引退はさせないよ。骨折が完治したら、新しい厩舎に移ってもらう」
チッ、どうやらそこまで美味い話はなかったようだ。
「何でぇ、もう行く先は決まってんのかよ。で、次のテキは誰だ? ジジィよりゃマシな奴だろうな?」
「そうありたいと努めるつもりだよ」
「……へ?」
眼を瞬かせた俺に、ヒデキは微かな照れ笑いを向ける。
「試験を受けていることは言ってなかったっけ? お前が休んでいる間に合格したんだよ。メオ先生の厩舎は僕が引き継いだ。これからは僕が、お前の管理調教師だ」
「いやいや待てよヒデキ、あんた騎手じゃねぇだろ? 競犀の
「“テキ”の語原が騎手を転じさせた“
「はー、そうなのか……何かピンとこねぇな、ヒデキみてぇな若造がテキだなんてよ」
「こらこら、あんまりナメた口を聞いてくれるなよ? さっきも言ったとおり相応のゆとりは考慮するとしても、厳しいところはメオ先生に倣ってビシバシ行くからな」
「はいはい、お手柔らかに頼むぜ」
「それじゃ、早く怪我を治して戻ってこいよ。秋にはまた、アローラWCに挑戦だぞ」
「あのクソ厳しいレースにまた出るのかよ……仕方ねぇな。挑戦はジジィのモットーだったしな」
「ああ。何事も先駆者であれ――この方針だけは着実に受け継いでいくつもりだよ。じゃあな」
ヒデキが去り、ひとりになった後、俺は部屋の隅に顔を埋めて、小さく呟いた。
「俺が戻る前にくたばりやがって。泣いてなんてやるものかよ、クソジジィが…………」
初秋。脚を癒し終えた俺を、すっかり様変わりした厩舎が迎えた。*11
「馴染みのサイホーン仲間は多いが……前のスタッフはどうしたんだ?」
「彼らは採用していないよ。今うちにいるのは、僕が厳選した優秀な人員だけだ」
3ヶ月程度ぶりに再会したヒデキは、新鋭のテキとして早くも貫禄を漂わせていた。
「復帰戦は来月のハウオリ大賞典だ。*12まずは体調を整えながら、新しい相方に慣れてもらうぞ」
「相方? まさか、屋根まで変えるのかよ!?」
「不満か?」
「何だかんだいって、みんなずっとつき合ってきた仲だったからな。ジジィも屋根がどんなヘマしたって下ろしちゃこなかったし。雷は盛大に落としてたが」
俺の言葉に、ヒデキは静かに頷いた。
「そうだな。ポケモンも人も、何があっても絶対に見捨てない……メオ先生の厳しさはそのためのものだったよ」
……!!
「僕もお前たちを決して見捨てない。だけど人まで救えるほど僕は強くない。たとえ捨てた仲間たちに恨まれても、僕はお前たちのために最前を尽くしたいんだよ」
「ヒデキ……」
初めて、心から理解できた気がした。
ジジィが俺を去勢したり、厳しい扱きを重ねていたのも。ヒデキが厩務員やスタッフを厳選したのも、すべては俺たちを想えばこそだったのだと。
「……フン、最前ってんなら、俺が納得できる騎手を連れてこれるんだろうな? ヘボい奴だったら、俺も容赦なく振り落とすぜ?」
「ええで。気に食わんかったら遠慮なく落としたってや」
「な……っ!?」
濃いポニ訛りも朗らかに現れた壮年の男。小柄ながら引き締まった体躯に、フーディンを連想させる鋭い眼差しとしゃくれた顎。
直接会ったのは数えるほどだったが、競犀界じゃ知らぬ者はない有名人だった。
「アローラ、メメントムンドゥス」
「アローラ……ってヒロさんじゃねぇか!?*13 何でこんなところにトップ騎手が……!?」
数多くの大レースを制し、年間最優秀騎手も毎年のように獲得。高い実力と誠実な人柄で、人、ポケモン問わず慕われている名騎手である。
「こんなところで悪かったな。聞いたとおりだよ、ムンドゥス」
苦笑しながら、ヒデキはヒロさんを指し示した。
「次走から、お前の鞍上ヒロさんな」
「ちょ、マジかよ凄ぇ!? よく取れたな!?」
「優秀なサイホーンの鞍が空いとるいうんや、喜んで手綱取らせてもらうわ。しがないおっさん*14やけど、よろしゅう頼んます」
「し、しがないなんてとんでもねぇ! こっちこそよろしくお願いします!」
小さな身体と穏やかな物腰にも漂う重厚な威厳に、自然と頭が下がった。
「……にしても、こうしてふたり並べてみると、どっちがテキだか判りゃしねぇな?」
「ほっとけよ!?」
騎手より4歳も若いテキの怒声に、俺とヒロさんは声を揃えて笑い合ったのだった。*15
秋初戦のハウオリ大賞典、俺は4コーナー前で先頭に立つも、回りきる頃には躱されてブッチギられての2着に終わった。
「クッソ強ぇ……あれがアローラ現役最強、ミヤノスティーブかよ」*16
勝ったのはここ数年の古犀戦で、頂点に君臨する王者である。俺が古犀戦に挑戦し始めた昨年秋は休んでいて、奴が戻ってきた頃はこっちが休んでいたので当たるのはこれが最初だった。
「レコードを2秒近くもブチ割られちゃしゃあないわ。それよりよう粘った。上出来や」
「うん。復帰戦としては文句なしだ。スティーブへの借りは、アローラWCで果たせばいい」
俺もヒロさんの騎乗を覚えることができた。さすがはトップ騎手、まるで背中に羽が生えたかのように走りが心地よかった。
敵は強いが、こっちにはまだ伸びしろがある。本番まで鍛え抜いて、必ずこの差を覆してやる!
……と意気込んでいたのだが。
「故障だとォ!?」
「どうやら引退らしい……」
俺の話ではない。ミヤノスティーブのことである。ったく、休み明けに大駆けするから。
「畜生、勝ち逃げされたかぁ……」
「大物が抜けて、古犀戦線が寂しゅうなってもうたなぁ」
「一応、シャンパントースト*17やミヤノアーノルド*18などがいますが……」
前者は去年のハイビスカス賞犀で、予選で俺が負かした奴。後者は去年のルナアーラ記念犀で、俺が角差届かなかった奴。どっちも因縁深い相手ではあるが、
「どちらも安定した強犀とは言えへんしな。今年の若犀でいいのが古犀戦に出てくれば面白くなるやろが……」
「敵が弱くなったって喜んでもいられませんしね。僕らが目指しているのは交流競争アローラWC。招待犀は例年以上の豪華さですよ。去年2着のオーガニズム*19が霞むほどです。ミアレタワー賞*20の1,2着が揃って登録していますし、イッシュからは何といっても……」
「何だあれ。化け物か?」
「どうしてサイホーンの中に、1頭だけコドラが混じってるんだ……?」
晴天に恵まれたアローラWC当日。*21アーカラ島はロイヤルアベニュー競犀場(モデルは東京競馬場。))の下見所にて。
観客たちがどよめく中、ゼッケン8番をまとった俺もまた、前を歩く7番のサイホーンに戦慄を禁じ得なかった。
決して大きな体躯ではない。むしろ俺よりも小柄だろう。
だが、他のサイホーンより黒ずんだ皮膚の内側で、異様に盛り上がった筋肉が躍動している。鋼のように鈍く輝く肉体と、立ち上る獰猛な気配が、体躯をより大きく見せていた。コドラに例えた客の意見にも頷ける。
闘志を瞳に漲らせながら、立ち振る舞いは威風堂々。招待犀ながらまったく動じた様子が見えない。その割に、チャカチャカと轡を鳴らす音や、荒々しく地面を蹴る蹄音がやたらと大きく聞こえるのが不気味だったが。
「いや、轡の音と蹄音はお前のだよ」
厩務員らと一緒に自ら俺の手綱を抑えていたヒデキにツッコまれた。*22
「いつものこった気にすんな。奴が、噂のイッシュ最強か」*23
「ああ。ジャヤカルタ*24……今年のイッシュ古犀戦線を圧倒的な強さで総ナメにした、世界最強とも言われているサイホーンだ」
「ってか本当にサイホーンかよ!? いったいどんな鍛え方をしたら、あんな筋肉がつくっていうんだ!?」
「これは、あくまでも噂だが、な」
低く声を潜めて、ヒデキが耳打ちする。
「筋肉を強化する薬を打っている、かもしれん」
「何だとォ!?」
思わず竿立ちになって、ヒデキと厩務員たちを振り回した。
「どわあぁぁっ!? 止まれ止まれ、落ち着けって!?」
「ズルじゃねぇか!? 禁止とかしてねぇのかよ!?」
「感知されない薬を使ってるんだよ。イッシュじゃ蔓延してるって問題になってる。ジャヤカルタが使っているかは判らんが、あの筋肉をみる限りな……」*25
「何だよ、それ……!?」
猛烈に腹が立った。
調教所の坂路を他犀の倍は駆け上がり、脚が折れるほど身体を鍛えてきた日々が汚された想いがした。
「気合いづいとるなぁ」
暴れている間に停止命令がかかっていたらしい。肩から胸にかけて白く、胴は赤、袖は緑の勝負服をまとい、青いヘルメットを被ったヒロさんがやってきた。前を見ればジャヤカルタの元にも、白と青の服を着た20代ほどの、目元がパッチリとしたとぼけた顔の騎手が歩み寄っている。
「ああ。あのイッシュ野郎にだけは絶対負けねぇ……!」
「なら、その想いをこの世界にぶつけたれ。メメントムンドゥス――
「おう! ジジィが鍛えてくれたこの脚で、俺の名を世界に記憶させてやるぜ!」
決意を込めて俺は、厩務員ふたりとヒデキ、そして背に乗せたヒロさんらとスクラムを組み、戦場へと続く地下道へと潜っていった。
「格好つけてるけど、お前が暴れんようにみんなで抑えてるだけだからな!」
丁寧に均された砂地*26に、色とりどりの勝負服を乗せたサイホーン15頭が駆け出していく。
今回のアローラWCは出走頭数16頭。現在唯一走っていないのは、他でもないこの俺である。賢い俺は下見所からしっかり身体を解しているので、足慣らしに余計な体力を使う必要がないのだ。
「先輩、あの8番さんはどうして走らないんですか?」
「あいつはバカだから、発走前に走ると抑えられずに体力を使い果たすんで、いつも走らないんだよ。近寄っちゃダメだぞ、危ないから」*27
同期で犬猿の仲の1番が、あどけない雰囲気の2番と語らいながら目の前を駆け抜けていく。
「シャンパントーストめ、若犀にいい加減なこと吹き込みやがって!」
「的確な説明をしてくれていたと思うが?」
「玉抜いてんだし、もっと信用してくれてもいいだろ」
「お前が発走前に騎手を振り落として暴走した挙げ句除外を食らったのは摘出後の話だよ!」*28
などと言い合いながら、足慣らし中の敵たちを見回す。
今通り過ぎた2番の若犀は、今年のアローラダービー犀ビクトルライセンス。*29今年の若犀戦はレベルが高いと評判だ。
15番も若犀で、カロスの最高峰競争ミアレタワー賞2着の強者ハナジロー。*30名前の通り角の周りが白い。っていうか名前が見たまんま過ぎるだろ。
そのミアレタワー賞優勝犀が、14番ヴィルメール。*31ロックカットで身体に模様なんか刻みやがって、*32キザな野郎だ――と思えば、まさかの紅一点だった。アローラWCは4年前に、牝犀が世界レコードを出している。*33牝だからって軽視はできない。*34
12番オーガニズムは、去年先着された相手だ。今回で引退らしいので、しっかり借りを返しておきたい。
5番も去年見た顔だ。他地方ではなくハノハノ公営競犀の代表、アバレルヨシムネ。*35名前に反してボーっとした奴で、暴れる度では俺が圧勝している。
知ってる奴、初めての奴、個性的な面々とともに、2400mの発走地点へ。
『発走までの間、マハロ競犀場*36メイン競争の下見所をご覧ください。ルカリオ
場内画面に写された他場の中継に、漠然と耳を傾ける。
『1番ブレイブバンガード。*38現在一番人気です。鞍上は……』
ハッと顔を上げる。
知ってる奴がここにもいた。サイホーンではなく騎手の方。以前の相棒だ。*39
「聞いたかムンドゥス。道は分かれても、みんな頑張ってるぞ」
「そうだな……よっしゃ、俺もやったるぞォ!」
「だからいちいち暴れるなぁぁっ!?」
余談だが、アローラWCから15分後、俺の元騎手は一番人気に応えて快勝した。*40
勇壮なG1ファンファーレが奏でられ、いよいよゲート入り。奇数番から順に狭いゲートに入っていく。ゲート内で辛抱するのは苦手なので、後に回されるのはありがたい。
左周りなので、先に入ったジャヤカルタの右隣に身体を納める。
「アローラ、あんたも玉ナシかい」
「アローラ。ハハ、お互い抜いてる分だけ軽いんだ。頑張ろうぜ!」
9番のシャバハフォルサー*41と、軽い挨拶を交わしていると、
「チッ……ヴィルメールと故郷の話に花を咲かせたかったのに、オカマどもが邪魔しやがって」
不機嫌そうな呟きが、左側から聞こえた。
「おいおい、7番と14番って俺たち抜きでも遠いだろ。にしても、故郷って?」
「ジャヤカルタはカロス生まれのイッシュ育ち。ヴィルメールはその逆やで」
ヒロさんから注釈が入って、俺はなるほど、と頷く。
「つまり、端っから縁がなかったんだな」
「……あ゛!?」
険悪な気配が、ゲート内に立ち込めた。
「おい、今何て言った……!?」
「息かけんな。薬臭ぇんだよ。そんなんじゃ牝に嫌われるだけだぜ」
もちろん検知されない薬が臭うはずもないが、澄まし顔にヒビを入れるのには充分だったようだ。たちまち怖い顔になったジャヤカルタの怒気に、シャバハフォルサーやアバレルヨシムネなどがガタガタと震えだしたが、俺は平然と受け流す。
「ちっとも怖くねぇな。俺を鍛えたテキの方がずっと怖かったぜ。てめぇなんか、俺の敵じゃねぇ」
「貴様、言わせておけば……っ!?」
「文句の前に、もひとつ言わせてくれ」
「why!?」
がしゃこんっ!
「お先っ!!」
扉とともに、一気に視界が開ける。
会心の出足。玉がついていた頃には暴れて出遅れを繰り返していた俺が、この大一番で決めた生涯随一のスタートだ。置き去りにした敵たちを後目に、並ぶ者なきひとり旅――
「アハハ、あんなのによく喧嘩売るよね~」
とはならなかった。すぐ内からの陽気な声に舌を巻く。
「あんたも、周りがビビってんのに平然と隙を打ちやがって。グランプリ犀は伊達じゃねぇな」
「ああいう血の気が多い奴は、幼なじみのスティーブで慣れてるからね」
と笑うのは6番、ミヤノアーノルド。すっかり馴染みとなった先行仲間だ。*42
「goddamn! son of a bitch!!」
イッシュ訛りの罵声が、背後の蹄音にまみれた。ざまあみろ。
「そんなに出遅れんかったで、ジャヤカルタ。すぐに立て直して、群に入れて宥めよった。イッシュのケン騎手、とぼけた*43顔やが見事な手腕や!」
ヒロさんの指摘を受けて、すぐに気を引き締め直す。
「勝負は直線ってことか。望むところだ、迎え撃ってやる!」
1,2コーナーを回りながら、高く掲げた角で風を切るアーノルド。並ぶ俺は角を低く構えた突進姿勢で、同じ先行型ながらまるで対照的だ。
「ハナはもらうよ。抜きたかったらついといで」
飄々とした挑発を受けて、俺は、
「預けとく。直線に戻ったら返してもらうがな」
手綱の指示に従い、前を譲った。
「いいの? ルナアーラの時みたいに逃げ切っちゃうよ?」
誘う奴の唇に、かすかな焦りが見える。
確かに去年、アーノルドにはしてやられた。ハイペースと見せかけての楽逃げ。誰よりも早く気づいて追いかけたが、遅きに失して角先ひとつ届かなかった。ジジィはカンカンで、騎手は怒鳴られるわ俺は調教量を増やされるわ、結果的に骨折の遠因となった苦い思い出である。
だが、下手に競りかけてもペースに巻き込まれて潰される。ミヤノアーノルドとはそういう奴なのだ。
「せやから、その手は食わへんで!」
ヒロさんが導いたのは、奴の2身分直後。
「く……っ!?」
「これで楽逃げもできへんやろ。こっちのペースに合わせるか、自分だけ先に行って自滅するか、好きな方を選びぃ!」
さすがはヒロさん。これで2番手ながら、主導権はこっちのものだ。
「いいだろう。僕もそう簡単には潰されないぞ。勝負だ、ムンドゥス!」
その態勢のまま向こう正面を走り抜け、大樹を左手に3コーナーへ。緩やかながら休みをまったく与えないペースの中、*44追走しようとしたアバレルヨシムネやシャバハフォルサーは早々に脱落。そして4コーナー。残るは直線500m、長い長い登り坂だが、坂路で日々鍛えた俺にとっちゃ平坦な道と同じことだ。
「行けぇっ!」
号令に応えて利き足を奮う。宣言通り、アーノルドを一息に追い抜いた。
「ここまでか……ごめん、スティーブ」
悔しそうな呻きが後方に遠ざかる。
競犀ではみんな、斤量より重いものを乗せて走っている。先に行く奴は、退いた奴の分も背負って走らなきゃいけねぇんだ。
『メメントムンドゥス先頭、あと200m!』
振り返ればビクトルライセンスやヴィルメールたちが追い上げてきている。シャンパントーストも粘ろうとしている。
しかし差は充分。こっちもまだ脚が残っている。このまま押し切ってやる!
「来よったで」
囁くヒロさんの手綱に緊張が走った。
何が、などとは訊くまでもない。
「うわっ!?」「きゃあっ!?」
左後方でシャンパントーストの、ヴィルメールの悲鳴が上がる。
「ひぃっ!?」「げっ!?」
更に外からは、オーガニズムとハナジローの呻きが。
彼らは不利を受けたわけではない。後方から貫いた圧倒的な威圧感に、身を竦ませたのだ。
『来た来た来た! 凄い脚でやってきた!』
直線に響き渡る実況が、開かれた道に砂塵を巻き上げて突進するドス黒い地鳴りを迎えた。
『イッシュ最強、ジャヤカルタが来たああっ!!』*45
「Fuck you!」
禍々しい気を放つ漆黒の獣が、罵声を轟かせる。
「ゲートではよくもコケにしてくれたなカマ野郎! 俺の大砲でケツメドをブチ抜いてやるから覚悟しやがれ!」
毒突きが尻に刺さるほどの位置にまで迫ってきたジャヤカルタ。ほぼ俺の真後ろにいるビクトルライセンスの若い耳には不適切な言葉だ。
「ったく下品なんだよ。てめぇこそ玉を摘出されちまえ!」
「俺の種を落ちこぼれのと一緒にすんな! この競争で勝ったら種牡になって、お前にゃ縁のない牝どもにブチ込む予定になってんだよ! 解ったら玉ナシはさっさと先頭を譲れ! 雑草が俺の花道に生えてんじゃねぇぇっ!!」
残り100mの標識を過ぎて、ジャヤカルタは更に脚色を強める。*46黒光りする獰猛な影がみるみる並び、その勢いのまま通り過ぎようとした。が、
「譲るかボケェっ!」
地面に埋まるほどに角を下げて、俺は先頭に齧りつく。
「未来のない俺たちゃなぁ、ここですべてを尽くさきゃ何も残せねぇんだ! 雑草呼ばわりすんなら抜いてみせやがれ。薬で膨らませた偽物の筋肉で、それができるんならな!」
「Fuuuuck!!」
ゴールはもう目の前。この脚が折れようと粘り抜く!
「負けるな、貫けジャヤカルタ!」
「当たり前だ! この俺が、イッシュ最強が、世界最強が、こんなちっぽけな島の玉ナシ野郎に、ナメられてたまるかああっ!!」
ひと鞭を受けて、ついにジャヤカルタの角が俺の前方へと繰り出された。鞍上で手綱を扱くケン騎手に、レース前のとぼけた雰囲気は欠片も見えない。
彼らの背後から、多くの蹄音が聞こえてくる。後続のそれではない。ジャヤカルタが競犀の本場イッシュで打ち倒してきた強敵たちの蹄音。その上に立ってここに来た者として、ジャヤカルタもケン騎手も決して最後まで止まりはしまい。
だが、それでも俺は、彼らのすべてを打ち砕く。
「ナメてんのはてめぇだァ!」
背負ったものの重さなら、絶対に負けはしないから。
「玉なんかなくってもなぁ、俺にゃふたりのテキに磨き上げられた、でっけぇ
ありったけの気合いを、砂地に叩きつけた刹那。
「ここやぁぁっ!!」
名手ヒロの手綱捌きが、起死回生の一撃を呼び起こす。
グンと突き上がった角先が、先頭を貫いて躍り出たそこが――俺たちが目指してきた、ゴールだった。*47
「勝った、よな?」
「勝ったで」
喧噪を背に、検量室へと続く坂道を降りる。
掲示板の1、2着はまだ上がっていなかったが、ヒロさんは躊躇いなく俺を1着の脱鞍所へと導いた。
「確実に角先ひとつ前に出とった。完勝や。よう頑張った!」
ポンと俺の肩を叩いて整然と鞍を降りたヒロさんは、テキパキと外した装備を抱えて後検量へと向かう。隣で放心したように佇むジャヤカルタから降りたケン騎手が、唇を噛み締めてヒロさんの後を追った。
3着の脱鞍所に手綱を繋いだのはビクトルライセンス。去年の俺より一個上の着順。アローラダービー犀としての意地は通せたか。
ほどなく、奥の壁に数字が張り出された。
ドッと沸き立つ歓声。実況の声が、遠く響いてくる。
『着順出ました! 1着は8番、メメントムンドゥス! メオ調教師の置き土産*48が、世界を制しました!!』
勝った……!
ついにやった。俺という存在を、競犀の歴史に永遠に刻みつけたんだ。それも世界を相手にした、この大舞台で!
ふと、頬を撫でる掌の感触に気づく。
ヒロさんのでも、ヒデキのでもない。しわがれ衰えた、暖かな感触。
懐かしいその温もりが触れた場所に、熱い雫が一滴、伝い落ちた。
見てたかよ。勝ったぞ……。
射抜くような視線を感じて我に返る。
さっきまで悔しそうに着順表示を睨んでいたジャヤカルタが、こちらに目を向けていた。
視線を合わすと、奴は鼻先で不敵に笑い、角先で光射す坂道を指し示す。
さっさと行きな、貴様の勝ちだ。無言の声が伝わってきた。
身体をひと揺すりし、頬の雫を振り飛ばすと、俺は戻ってきたヒロさんと喜びを分かち合っているヒデキに呼びかけた。
「さぁ行こうぜ、ヒロさん、ヒデキ。俺たちのウィナーズサークルへ!!」
◇
それから。
ヒデキはアローラ内外問わず活躍し多くのタイトルを獲得。*49アローラを代表する名伯楽として名を馳せた。
初期の活躍犀にはメオ厩舎からの仲間も多く、*50本当に俺たちのことは最後まで面倒を見てくれた。
ヒロさんはその後も勝ち星を重ね、念願のアローラダービー騎手*51となった後、もう思い残すことはないとばかりに鞭を置いた。
テキに転身後は目立った活躍こそまだないものの、毎年堅実に成績を上げている模様。
あの日ルカリオSを勝ったかつての相方も、その後アローラダービー*52を勝った後にテキとなった。
ハードル競争での大活躍犀*53を出すなど立派に活躍していたのだが、ある日、
……いや、奴のことはこれ以上は語るまい。ジジィに絞られてやがれ、どアホウが。*54
俺たちのアローラWC以後、競犀界には激動の時代が訪れ、血統を繁栄させた仲間は多くない。
ジャヤカルタもまた、時代の波に飲まれた一頭だ。奴の場合、仔の成績以前に受胎率が思わしくなかったのが致命的だった。やっぱりヤバい薬を使っていたんだろう。
しばらくアローラで種牡をやっていたが、やがて生まれ故郷であるカロスの方に帰国したとか。*55くたばったという話は聞かないので、奴なりにしぶとく頑張っていると信じたい。
あのアローラWC仲間で誰が一番血統を繁栄させたか、といえば、ヴィルメール嬢の右に出る者はいるまい。
4頭のG1犀を生み、うち2頭はカロスの殿堂犀。*56最近行われたミアレタワー賞では、彼女の孫と曾孫が上位8着までを独占したとか。*57そこらの種牡顔負けのグレートマザーである。
ハナジローも娘がアローラオークス*58を勝つなど好成績を残しており、あの時こそ8着&13着と奮わなかったミアレタワー勢だが、繁殖では彼らの圧勝となった。
そのふたりも、自身はもうこの世にいない。*59
シャンパントーストとアバレルヨシムネは、競争中の事故で若い命を散らした。*60
ミヤノアーノルドもオーガニズムも、最近になって旅立ったと聞く。*61
そんな中、今でも元気だという仲間の話を聞くと、俺もまだまだ頑張らなきゃなと奮い立たせられる。ビクトルライセンスとは少し前にロイヤルアベニュー競犀場のイベントで顔を合わせた。*62その後もたびたび健在の便りが届いている。*63
さて、そんな俺、メメントムンドゥスはというと……。
「おじいちゃーん!」
牧場の小さなドロバンコたちが、溌剌とこっちに駆けてくる。
「サイホーンのおじいちゃん、また昔のお話聞かせてよ」
「よしよし、じゃあお前ら、こっちきて並べ」
仔供たちを誘い、俺はすっかり衰えた脚を木陰に休ませた。
アローラWC勝利後、イッシュ遠征の計画も上がっていた俺だったが、脚部不安を発祥し断念。
2年近くにも渡る休養を経て復帰したものの、既に体力も闘志も尽きており、惨敗を繰り返した後に競犀場を去った。
以降は故郷の牧場に功労ポケモンとして引き取られ、穏やかで幸せな日々を送らせてもらっている。*64
こうして牧場の仔たちや時折訪れる観光客たちに昔話を語って聞かせるのが、今の俺にとって何よりの楽しみだ。
熱く駆け抜けた世界に、想いを馳せながら――――
「これは、遠い遠い昔の話だ」
元・競馬誌お笑いコーナー常連の[[第十三回短編小説大会>
第十三回短編小説大会のお知らせ]]参加作品
『からたち島の恋のうた・怒濤編』
*メメントムンドゥス~追憶の世界~・完*
【原稿用紙(20×20行)】 32.3(枚)
【総文字数】 9725(字)
【行数】 293(行)
【台詞:地の文】 46:53(%)|4542:5183(字)
【漢字:かな:カナ:他】 32:49:11:6(%)|3183:4823:1107:612(字)
【原稿用紙(20×20行)】 38.7(枚)
【総文字数】 11241(字)
【行数】 364(行)
【台詞:地の文】 41:58(%)|4657:6584(字)
【漢字:かな:カナ:他】 32:48:11:6(%)|3707:5455:1297:782(字)
ポケモン小説を描き出す前は競馬にハマっていたため、いつか名馬物語のポケモン版を描いてみたいと思っていました。
今回大会のお題が『てき』ということで、調教師のテキをメインに据えると速攻確定。
しかし地道で裏方的な調教師の仕事内容をそのまま小説にするのは難しいと判断し、かねてからの計画を実行に移すことにしました。
あくまでも馬を主役として、その上で調教師を語れる名馬――ということで白羽の矢を立てたのが、亡き老調教師の〝遺産〟にして、若き調教師の〝世界〟に対する挑戦の第一歩。ふたりの調教師とのつながりを名前と功績で体現してのけた、1993年ジャパンカップ馬レガシーワールド号だったわけです。
それぞれの元ネタについては、大会後追加した注釈をご確認ください。完全に趣味に走ったせいで、大会時よりますます興味のない人を置き去りにしている点についてはご愛敬。
以下、注釈していない点について。
舞台をアローラとしたのは、メメントムンドゥスにとっての〝国〟に当たるものを1地方に納めるためです。リアルにシンオウ出身にしてチョウジのトレセンに入れてしまうと、ヤマブキのカントーカップに出場したら彼は他地方から遠征してきた他地方産犀になってしまうので。ジャヤカルタから見て『ちっぽけな島国』と言わしめるためにもアローラは最適でした。ちなみにメレメレ島が京都、アーカラ島が東京、ボニが阪神、ウラウラが中山と、4大競馬場を当てはめています。
注釈でも書きましたが、注意書きのif展開はケン騎手のモデルであるデザーモ騎手がやらかした、ゴール板誤認事件のオミットと、それによる1.2着の着差の詰め寄りです。薬物疑惑のあるエリート追い込み馬
対比と言えば、同じ先行馬である
実は僕は競馬を始めたのが1995年からなのでリアルタイムではこのレースを見ていなかったのですが、もし見ていたら応援していたのはパーマーだったでしょう。メジロの勝負服は僕の好きな緑色ですし。
しばらく競馬を見ていなかったので、今回執筆のために色々調べて、あぁやっぱりみんな鬼籍に入っているな……と思っていたら、当のレガシーワールドが元気いっぱい健在で驚きました。放牧地で友達のポニーと寄り添う幸せそうな姿を写真で見て、彼にこの幸福を与えるためにみんなが頑張ったのだろうと痛感しました。
年が明ければレガシーワールドも30歳。どうか彼が末永く幸せでありますように。
※追記。2021年8月18日、レガシーワールド号は32歳で他界しました。ご冥福をお祈りします。
>>2018/12/02(日) 23:18さん
>>ポケモンのスポーツ小説、競馬・競犀小説として長く記憶したい作品でした。男の記号のひとつでもあるモノを取られて、競走馬なら大人しくなっても、サイホーンならかえって激昂しそうですよね。メメントムンドゥス号がメオ調教師を恨んでいたのもうなずけます。
モデルのレガシーワールドも、去勢してもゲートの出以外の気性難がまったく改善しなかった荒くれ馬でしたからね。サイホーンにしたのは、普通にギャロップだと炎のタテガミを描写するのが面倒だったためと、XYで開催されているサイホーンレースなら説明も少なくて済むと考えたからですが、レガシーのキャラ自体突撃屋のサイホーンには合っていたと描いていて思うようになりました。
>>けれどもヒデキ調教師やリーディングジョッキのヒロ騎手に出会ったり、前調教師の思いに触れたり、ライバルの勝ち逃げに歯噛みしたりして、描かれなかったものも含めてひとつひとつの経験が最後の直線で彼の背を押したのだなと思うと胸に迫ります。
モデルからの物語として描かれなかった重要なエピソードとしては、メオ厩舎時代の同期の厩友の話があります。
彼はメオ調教師のハード調教が生み出した集大成であり、当時のアローラダービーなど2冠を無敗で制した同期の最強犀でした。しかし最後の1冠ハイビスカス賞で、シャンパントーストとの激闘の末2着に敗れたのを生涯唯一の敗北として、故障のため競犀場を去っています。
ムンドゥスがメオ調教師の特訓について批判していたとき、ジャヤカルタの薬物疑惑に腹を立てたとき、因縁の深いシャンパントーストに毒づいていたとき、親友ミヤノスティーブの名を呼んでアーノルドが下がっていったとき、そしてジャヤカルタとの譲れない叩き合いの中でも、語られないながらも常にムンドゥスは厩友への想いを強く抱いていたのでしょう。それもまた確実に、彼の力になっていたと思います。*66
>>ゲート内から先行争いにかけての軽妙なやり合いに、実力十分だけどやたら胡散臭い(褒)ジャヤカルタ号との一騎打ち。現実なら二分と数十秒に過ぎないであろうレースシーンでは何分分もの濃い時間を堪能させていただきました。
登場犀たちのモデル馬について一頭一頭情報を集め、実際のレース映像をパドックから返し馬も含めて見ながら、馬たちがどんな話をしていたかを想像して描きました。(コタシャーンとアーバンシーのすれ違い的な関係は美味しかったですw)
加速世界になるのは、スポーツもののお約束です。競馬もので直線がやたら長くなるのはまだマシな方で、これが野球漫画とかだとピッチャーが投げたボールがバッターボックスに届くまで延々としゃべって、その声がベンチやスタンドにまで届いたりするものですw
貴重な一票、ありがとうございました!
得票は1票でしたが、デビュー以来のwiki大会得票記録は継続中です。久しぶりに競馬を語れて楽しかったです。次回も頑張ります!!
・狸吉「♪これから始まる大レース ひしめき合っていななくは 天下のサイホーン16頭 アローラWCめでたいな」
・メメントムンドゥス「何でもかんでも『走れコウタロー』*67にすりゃいいってもんじゃねぇだろ……」
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