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センセイの爪

/センセイの爪

author:macaroni



生きるということは、(わたくし)勝手ながらバトンを繋いでいくことだと思っております。
終わる事の無いリレー。
当然私にも順番は廻ってきます。
私はそのバトンを丁寧につぎのランナーへお渡し致しました。
そうしたものですから、私はすっかりリレーを応援する観覧者になったつもりだったのです。
かけっこが得意なお方なら、リレーを2回走る、といった経験もおありでしょう。
ですがどう贔屓目に見ても私はそういった脚光を浴びる様な選手ではなく、言ってみればクラスで13番目辺りのランナーです。
そんな平凡なランナーにもう一度バトンが渡ってきたものですから、さあ大変です。



センセイの爪

「校長先生、こんにちは!」
挨拶をしながら、2、3匹の生徒が廊下を駆け足で通り過ぎていった。
始業のチャイムが先ほど鳴ったので、急いで教室に戻ろうとしているのだろう。
「これこれ、廊下は走ってはいけませんよ」
彼はその生徒を優しくたしなめると、少し微笑んだ。
現在の自分の仕事場である校長室は新校舎2階の一番奥にあった。
数年前校舎を増築する際に作られた校長室はまだ新しい。
校長室まで通じる廊下の壁には、歴代の校長の写真が額に入れられて、まるでどこかの有名人かのように飾られている。
その一番右にあるウォーグルが現在の校長、つまり彼だ。
写真の男はなんだか疲れた様な顔をしていた。
10年前ならばまだ容姿を気にしただろうが、今はもうその行為自体意味を持たない。
歳を取って相応の外見、つまり皺だらけの顔になり目もやや落窪んで来たが、それはむしろ鳥ポケモン特有の鋭さを増す事に一役買っている。
彼はバロック様式の扉を押して(鳥ポケモンである彼でも難なく出入りできる様、押しても引いても開く扉に改築してある)校長室に入った。
内装はいかにも校長室然とした校長室になっている。
深紅の絨毯が部屋中に敷かれ、両脇には隙間無く本の詰まった本棚がある。
正面には大きな窓があり、最も日当りの良い場所にウォルナットのデスクが置かれている。
彼が校長になったばかりの頃はその柔らかさに驚いた椅子も、今ではすっかり彼の尻の形になじんだ。
最近の悩みの種は、脱羽が増えてきて校長室の絨毯が汚れてしまう事だ。
今も抜けた羽が落ちている事に気付きそれを嘴で拾ったあと、校長室の窓からひらりと外に放った。
穏やかな風が羽を揺らす。同時に窓際の小さな花も気持ち良さそうになびいている。
羽先を器用に使って、窓際に置かれた花瓶の位置を僅かに左にずらした。
彼は特別几帳面という訳ではない。花瓶の位置を気にする事くらいしか単純にやることがなく暇を持て余しているだけだ。
校長という職に就いてからというもの、毎日が平凡でやや物足りない。
特に理由もなく花瓶を撫で回していると、彼は校庭にいた一匹のポケモンを目に留めた。
(おや)
こんな時間に何をしているのだろうか。
ここからでは少し遠いが、丸みを帯びた体つきから、あそこにいるライチュウは女性の様だ。
今の時間はまだ学生は授業を受けているはずだが、彼女は授業に出なかったのだろうか。
先代の校長から続いている部活動の活性化が影響して、幸いこの学校は素行の悪い生徒は比較的少ない。
若者の有り余るエネルギーを部活動が上手に消化してくれているからだろう。
彼女もおそらく思春期の鬱屈した気分から授業を抜け出してしまっただけなのかもしれない。
彼は校長という立場から学生に直接接することは少ない上、学校には優秀な生徒指導の先生もいる。
現校長であるウォーグルをかたどった像(彼自身は恥ずかしくてあまり近づかない)の周りを彼女がうろうろしている今も、彼自ら注意しに行こうなどとはかけらも思っていなかった。
しかし、次にそのライチュウがとった行動に彼は仰天してしまった。
その女生徒は、周囲を気にする仕草を見せた後、なんとその像の頬のあたりに口づけをしたのだ。
彼は無意識に自分の右頬を羽先でなぞると、何とも形容しがたい気分になった。
彼女はまるで彼に見せつけるかの様にしっかりと口づけしたあと、何事も無かったかの様にふいと校舎の角を曲がって消えた。
(うぅむ・・・今のは一体・・・?)

午後になると、1年生の学年主任であるゴウカザル先生が校長室を訪れてきた。
「失礼します」
彼は見かけによらずサバサバとした性格で、生徒からもホッキョクというあだ名で呼ばれている。
その事にすら全く関心を示さない程に冷静な彼は、右手に何やら書類を持っていた。
「校長先生、新規部活動の設立要請が出ています」
彼はゴウカザル先生から用紙を受け取ると、その文面を流し読みした。
「ふむ。この『えすあいけんきゅうぶ』というのは一体どういう部活なのか、この申請書を読んだだけでは私には理解できませんな・・・」
主な活動内容は「誰にも言えない悩みを解決」と書いてあるが、いわゆる悩み相談の様なものか。
部員は2名。部長はミルホッグ、一年生となっている。
「しかし一年生で部活動を立ち上げようとするとはなかなか行動力のある生徒さんの様ですな」
「失礼ながら学年主任の私にもよくわからない生徒でしてね」
「と、いいますと?」
「若いくせにどこか達観しているといいますか、とにかく変わった男ですよ、そいつは」
彼はそのミルホッグに少し興味が湧いたが、今はそれ以上に気になっている事がある。
「ところでゴウカザル先生。今年の新入生にライチュウの女の子はおりましたか?」
ウォーグルは昼間見たあの女の子の事を訪ねた。
ゴウカザル先生は首を傾げると尻尾を左右に揺らした。彼が考える時にする仕草だ。
「ライチュウですか?いや、いなかったと思いますが」
一年生では無いのか。
かつて教壇に立っていた頃ならいざ知らず、一日の大半を校長室で過ごす様になった彼は生徒の顔をほとんど覚える事ができなくなってしまった。
それと同じくらい彼も生徒からの認知度は少ないのかも知れない。
ウォーグルは礼を言うと、書類を受け取ってから職員室に彼を返した。
申請書をデスクに置いて彼は椅子に腰掛けると、もう一度あの少女の事を思い浮かべた。

翌日、彼は久しぶりに校内を見回ることにした。
もちろん、例の女の子の事が気になったからである。
休み時間廊下を歩いていると、すれ違う生徒達が挨拶をしてくれる。
ウォーグルの放つ遥かに年長の雰囲気から、彼が校長である事を知らない生徒も一目で理解できるだろう。
校長室から一番近い2年生の廊下を歩いて廻ったが、ライチュウの姿は無かった。
一通りのクラスを覗いてみるものの、やはり彼女は見当たらない。2年生でも無いのだろうか。
そろそろ3時限目の授業が始まるので、見回りを終えて校長室に戻ろうとした時だった。
なにやら校長室の前にひとだかりができている。
「どうかしましたか?」
ウォーグルが生徒達の後ろから声を掛けると、彼らは一斉に振り返った。
「あ、校長先生!先生の写真が・・・」
生徒の集団の中で利発そうな顔立ちのベイリーフが、ウォーグルの写真が飾られている辺りを指した。
そこには確かにさっきまで飾られていたはずの彼の写真が無くなっており、金色の額縁だけになっていた。
「一体誰がこんなことを?」
生徒のイタズラだろうか?
仕事らしい仕事をしていない(実際はそうではないのだが)と思われている校長の事が気に入らない者がこの学内にいるとでもいうのだろうか。
「事情はわかりませんが皆さん、そろそろ3時限目の授業が始まりますよ。教室にお戻りなさい」
まだ写真が気になっている生徒達を教室に返すと、もう一度写真のあった場所を見て彼は首を捻った。
もちろん彼には心当たりが無い。
盗まれたのだとしたら、彼が見回りをしていた間という事になる。
彼は自分の写真にどうしても価値があると思えなかったが、こんなことになるならやはりもう少し写真映りを気にするべきだったと後悔した。

写真紛失事件も気になる所だが、彼にはやらなくてはならない仕事が残っていた。
彼はデスクの引き出しから昨日ゴウカザル先生から渡された部活動設立の申請書を取り出した。
いつもなら学年主任の承認印の隣に校長の印を押して書類は承認されるのだが、今回は学年主任の判子のかわりに赤ペンで「要検討」と書いてある。
つまり、承認するかどうかは校長に一任されているという事だ。
彼はとりあえずそのミルホッグというポケモンに会ってみようと思い、直接彼のクラスを訪れる事にした。
1年生のクラスは2年生のクラスと違ってさらに若いパワーがみなぎっており、より騒がしかった。
彼の姿は教室に見当たらなかったので、適当に近くに居た生徒に行方を聞いてみた。
「あぁ、ボッチですか?彼は最近旧校舎の3階によく行ってるみたいですよ」
ボッチ、というのが彼のあだ名らしい。
あだ名で呼ばれる、という事はクラスの皆から愛されてはいるようだ。
「はて、旧校舎の3階とな」
ウォーグルはその場所を思い浮かべてみたが、旧校舎の3階といえば特に何もない場所として有名である。
その生徒に「ありがとう」と礼を言うと、早速その場所へ向かった。
年老いた身体で階段を登るのにはさすがに応えたが、途中で何度も休憩を入れながらようやく3階までたどり着いた。
予想通りその場所は誰ひとりポケモンもいなく、寂しいところだった。
彼は廊下を歩きながら教室の中を見て回った。
一番突き当たりまで来た所で、見慣れない看板が目に入った。
「フェチ研の部室(かり)」と書かれている。
フェチ研とは何の事だろうと彼は思ったが、部屋の中にミルホッグの姿を見つけたのでとりあえず嘴で2回ノックした。
一瞬の間の後、扉を開けてそのミルホッグが出てきた。
「はいはーい、フェチ研の部室へようこ・・・って、校長!?」
「こんにちは。お邪魔しますよ」
彼は小さく微笑んで、ミルホッグの横を抜けてその部屋の中へ入った。
その部屋はもともと物置になっていたはずだが、今はすっかり物は片付いている。
白い机が二つ置かれており、隅に置かれた本棚はまだあまり本が入っていない。
部屋の中にはもう一匹リングマがいた。
リングマの方はミルホッグとは正反対な気難しそうな顔をしている。
目が合うと、リングマは「こんにちは」と短く挨拶した。
「『えすあい研究部』の事でいくつか質問に来ました」
ウォーグルの後からミルホッグも部屋に入ってきて、二つある机から椅子を引き出して彼の隣に置いた。
「どうぞ座って下さい。ちょうど俺達も校長先生に聞きたい事があったんです」
「ほう、一体なんでしょう」
彼はミルホッグの用意したごく一般的な学校椅子に腰を下ろすと、少し離れて正面に若い2匹が立った。
「なかなか素敵な部室ですね。あなた達が物置の整理を?」
褒められた事で少しだけ照れる様に頭を掻くと、ミルホッグが答える。
「はい。だからフェチ研を是非部活に認めてもらいたいんですけど」
『フェチ研』というのはきっと「えすあい研究部」の事だろう。
「しかしウチの規則ですから。顧問の先生がいないと部活は設立できないんですよ」
そう、彼が提出した申請書には唯一空欄の場所があり、そこは顧問の先生の名前が書かれるはずの場所だ。
ただでさえ部活動が多く、顧問を兼部している先生も少なくないこの学校で新しい顧問を見つけるのは大変である。
ウォーグルの言葉にミルホッグは肩を落とした。彼はミルホッグの事を少し気の毒に思った。
「ところでフェチ研は『誰にも言えない悩みを解決』する部活と聞きましたが」
話題を変えようと、ウォーグルは申請書に書かれた内容について聞いた。
するとミルホッグは少し元気を取り戻した様で、目を輝かせてはきはき答えた。
「はい!」
「ほほほ、それは私の悩みも聞いてくれるのかな」
ウォーグルは冗談半分のつもりで言った。
彼の言葉にミルホッグとリングマは顔を見合わせ、なにやら頷いている。
「うっかり忘れる所でした。今俺達はある生徒の悩みを解決しようとしているんです」
「ほう」
「校長先生、単刀直入に聞きます」
ミルホッグの顔が今までとはまるで別の者であるかの様に真剣な表情に変わった。
長年生きてきたウォーグルは、今までにも何匹かこういう類いの者に出会った事がある。
彼らは総じて皆同じ様に不思議な魅力を感じたが、このミルホッグからもそれを感じ取った。
「あなたはまだ男性としての役割を果たす気持ちは持っていますか」
ウォーグルは慎重に彼の質問を吟味した。
男性としての役割ー
おそらくそれは「女性を愛せるか」という質問と同義なのだと彼は解釈した。
「私は既に若い世代にバトンを渡した身。その役を担うには少々時間が経ちすぎた様に思いますね」
ウォーグルの言葉をゆっくりと咀嚼するかの様に、ミルホッグは黙り込んだ。
そしてふぅと息を吐くと、にっと笑った。
「わかりました。これで俺からの質問は終わりです」
ウォーグルはすっと椅子から立ち上がった。
不思議な事に先ほどまでの疲れはすっかり無くなっている。
将来性のある若者に出会えて、僅かながらエネルギーを吸収したのかもしれない。
「では私はこれにて」
ウォーグルは2匹に向かって軽く頭を下げると、扉の方へ歩いていった。
「校長」
今までずっと黙っていたリングマが、ようやくそこで口を開いた。
「申請書には書けませんでしたが、フェチ研はただの悩みを解決する部活じゃありません」
「うむ」
「ひととはちょっと違う性的嗜好の悩みを解決するんです。だから校長も、もう一度バトンを受け取るという選択肢も考えてみて下さい」
リングマはウォーグルを単なる年長者としてではなく、一匹のポケモンとして見つめているようだった。
なるほどこの2匹はとてもいいコンビだ、と彼は思った。
お互いの足りない部分を上手く補い合っている。
彼はこの部活はきっと承認されるだろうと確信めいたものを感じた。
「顧問、見つかるといいですね」
ウォーグルはフェチ研の部室を出た。



「おし、みんな一旦プールから出ろ!」
体育のゴーリキー先生が号令をかけた。
彼の鍛え上げられた腹筋から発せられるテノールは、水中に居ても聞こえてきそうなほど良く通る。
私は水面から顔だけ出して、他の生徒が次々とプールから出るのを眺めていた。
今日の授業にルルゥはまだ来ていないみたいだ。
「おいフローゼル!早くプールから上がってこい!!」
呼ばれて私ははっとした。
後ろ脚をすいとひとかきして、私はプールの壁まで泳いだ。
縁に前足をかけ、一気にプールサイドへ上がる。
水滴が私の身体をなぞる様に流れ落ちていく。
クラスメイトの視線を感じ、私はほとんど無意識のうちに腹筋に少し力を入れていた。
流線型の体型は泳ぐのには適しているが、陸に居る間は女子である私を悩ませる。
特に最近は夜中にデザートをよく食べるから、下腹のあたりに蓄積した脂肪が気になりだしていた。
「ところでフローゼル、ライチュウはどうした?」
プールサイドに生徒を整列させて出席を取っていたとき、先生が私に聞いてきた。
私は確かにルルゥとはクラスでは一番親しい仲ではあるが、とはいえ彼女の行動を逐一把握しているはずがなかった。
私は「知りません」と応えた。
「ゴリセン、あの仔たまにふらっと居なくなるから」
クラスの他の女子があまり関心も無さそうに言った。
クラスでもほとんど目立たない存在の私が言うのも何だが、ルルゥはかなり変わった女の子だ。
彼女はたまにこうして授業に出ずにどこかへ行くことがある。
そういうときは大抵校内をふらふら歩いていたり、購買で買ったお菓子を校庭で食べていたりなどがほとんどだ。
最初のうちは心配なって彼女を捜したりもしたが、今では放っておくことが最善だと知っている。
ルルゥとは1年生で同じクラスになってから知り合った。
たまたま席が近かった事もあり、私は彼女ともすぐに打ち解けた。
彼女はいつもボーッとしているので、私が気を付けてあげなければ、という気持ちにさせられてしまう。
結局体育の授業には最後までルルゥは現れなかった。

プールの授業の後はいつも私は気分がいい。水ポケモンとしての本能なのだろうか。
身体についた塩素の匂いも実は嫌いじゃない。
鼻歌まじりに教室に向かっていた時、つんつん、と何者かに背中をつつかれた。
振り返るとそこには可愛らしいライチュウが立っていた。
ルルゥは同年代の女の子と比べて体つきもまだ幼く、言われなければ中学生にでも間違われそうだ。
彼女はえへらと締まらない笑いを浮かべ、「ハル」と私の名前を呼んだ。
「さっきねぇ、キスして来ちゃった」
衝撃の台詞にも、私はもう動じない。
しかしルルゥが上機嫌であればある程、私は不安になる。
彼女の事をあまり知らない者であれば、この発言を聞いて「彼氏でもできたの?」とか「いいなぁ」とか言うかもしれない。
だけど彼女との付き合いが2年になる私はそんな事は思わない。
「ルルゥが体育さぼったからゴリセンが怒ってたよ」
だから私はとりあえず関係ない話をすることにした。
「ふぇぇ、どうして話を逸らすの」
私の目論みは失敗し、ルルゥは泣きそうな声を出して私の腕を掴んだ。
ライチュウの手は相変わらずふにふにで柔らかいな、などと私は思った。

「・・・だれと?」
仕方なく私は彼女の話を聞く事にした。
「ふぇ?」
「今度は誰とキスしたの?」
私が話を聞くつもりになった事でまたルルゥはえへへと笑い、機嫌を取り戻した。
「校長センセ」
「は」
私はルルゥの言葉を理解するのに少々時間を要した。
すぐさま校長先生の姿を思い浮かべてみたが、鳥ポケモンだったことくらいしか思い出せない。
「正確には校長先生の銅像なんだけど・・・」
呆れる私をよそに、ルルゥは恋する乙女さながら頬を紅潮させた。
そう、ルルゥはいわゆる『枯れ専』と呼ばれる種類の女の子なのだ。
自分よりも遥かに年上のオスばかり好きになる彼女の性癖は私には理解できないものだった。
ルルゥはその後も「センセイって響きもいいよね」とか「あの爪で優しく引っ掻かれたいなぁ」などどひとりで盛り上がっていた。
「ルルゥは幸せそうだなぁ」
私は思わずため息を付いた。
私はルルゥの事を呆れる反面、うらやましくもあった。
私はまだ恋愛というものを経験した事が無い。
いままでにも「かっこいい男性だな」と思う事はあっても、それが「好き」という感情まで発展しなかった。
同級生にも男性経験のあるポケモンはいくらでもいる。
「ハルちゃんももちろんエッチしたことあるよね」
というような同級生の質問には、いつも曖昧に笑って誤摩化すしか無かった。
もしかすると、異常なのはルルゥではなくて私の方なのかもしれないとすら思えた。

今日は水泳部の練習は休みで、私はまっすぐに家に帰った。
ルルゥはというと、「やる事があるからハルは先に帰って」とどこかへ消えてしまった。
きっとまた校長先生絡みの用事なのだろう。
自分の部屋に閉じこもっている間も、どうすれば恋ができるのか真剣に考えてみた。
今は水泳しか熱中する事が無い私でも、恋をしたら変わってしまうのかななどと思う。
そう思うとやはり怖い。
サイコ・ソーダを飲んで陰鬱な気分を少しでも晴らそうと、私はリビングに向かった。
リビングのソファには妹のブイゼルが座っていた。
妹も私と同じ学校の1年生で、とても私の妹とは思えない程恋多き女の子だ。
彼女は何かを熱心に見つめており、私が部屋に入ってきた事にも気付いていない。
「何見てるの」
私が背後から声をかけると、妹は「うわぁっ」と大げさに驚いてみせた。
その勢いで、妹の手から写真がヒラヒラと落ちた。
「お姉ちゃん、びっくりさせないでよ」
「なぁに?誰の写真?」
妹は慌てて写真を拾って、自分の胸元に隠す様にした。
一瞬しか見えなかったが、リングマの横顔が写っていた様な気がした。
「秘密」
「教えなきゃ今日の晩ご飯抜きだよ」
この家には現在私と妹の2匹で暮らしていて、食事の担当は私になっている。
私は料理が嫌いではないので、料理を始めた頃に比べれば腕前もそこそこ上達してきたと思う。自分で言うのも変なんだけれども。
残念なのは腕を振るう相手が妹しかいないことくらいか。
「えぇ、それって権力の乱用じゃないの?」
妹はしぶしぶといった様子で、でも半ば満更でもない表情で写真を私に見せた。
その写真はいかにも隠し撮りをしたという出来で、ややピントがずれた被写体として、鋭い目つきで遠くの方を見据えたリングマが写っていた。
確かに俗にいうイケメンといわれる部類だなと思った。
だけど少し無愛想な感じもしなくもない。
「おんなじクラスのローリー君」
「ローリー?」
変なあだ名だ。
「ちょっと無口なんだけど、そこがまた最高にクールなの」
妹のはしゃぎ方は、昼間見たルルゥのそれとほとんど同じだった。
恋をしている女の子というのはみな一様にこういう態度を取るのだろうか。
「どうせまた外見重視で失敗するんじゃないの?」
私にできない恋愛をして上機嫌な妹に少しでも対抗したくて、私は嫌味を言った。
面食いである妹は外観だけで男を判断する事が多く、今までも自分勝手な性格の男性とばかり交際して、結局数ヶ月で別れるという事を繰り返していた。
私の放った嫌味の効果は今ひとつで、逆に妹は更に声のトーンを高くした。
「ただかっこいいだけじゃないんだってば!彼、一年生なのに部活を作ろうとしてるんだよ」
「へぇ」
「しかも恋愛相談に乗ってくれる部活らしいよ」
年下なんかに恋愛相談して一体どうなると思ったが、すぐに恋愛経験の無い私が言えた事でもないと気付いて苦笑した。
「お姉ちゃんも相談に乗ってもらえばぁ?」
妹のささやかな抵抗を適当に笑ってごまかし、私は晩ご飯の準備に取りかかった。


翌日、2限目の授業が終わった時に事件は再び起こった。
トイレから帰ってくる途中、廊下が騒がしい事には何となく気がついていたが、どうせ自分には関係がないだろうと私は特に気にする事なく教室に入った。
自分の席の後ろの席には例のごとく突然2限目を欠席したルルゥがいつの間にか座っていた。
彼女は何やら大きな紙の様な物を眺めてうっとりしている。
ルルゥが見つめていたのはA3サイズはありそうな大きさの写真だった。
そこにはやや疲れた表情のウォーグルが写っている。
年老いてはいるもののその立派な風貌から、そのウォーグルがこの学校の校長である事は私にもすぐに理解できた。
「ちょっとそれ、一体どうしたの?」
「誰もいない隙にもらってきちゃった」
「もらったって・・・それ校長室の前に飾ってある奴じゃない」
「だって、こうしていればいつでも彼と一緒にいられるんだもん」
ルルゥは写真に皺ができる程強く校長を抱きしめた。
私は思わず自分の額に手を当てた。
こうなってしまうともう手が付けられない。
このまま彼女を放っておけば一体何をするのかわからない。
友達としてルルゥの暴走を止めたいとは思うのだが、何しろ恋愛経験の乏しい私ではあまりに力不足だ。
かといってこんな事を相談できる相手も居なかった。

『恋愛相談に乗ってくれる部活らしいよ』
ふと、私は昨夜の妹の言葉を思い出した。
友達の恋愛事情が現在の私の悩みになっているのだから、ある意味恋愛相談とも言えなくもないのではないか。
それに写真のリングマに会ってみたいという気持ちも少しはある。
ついでに妹の恋のキューピッドにでもなってやろうという姉の少しばかりのお節介だ。
思い立ったらすぐに行動してしまいたくなるのが私の性格。
時計をチラリと流し見ると、まだ次の授業までは少し時間がある。

「ハル、どうしたの?」
急に黙り込んだ私を不思議に思ったのか、ルルゥが私の顔を覗き込んできた。
私ははっとしてルルゥを見つめ返す。
「ごめん、私ちょっと用事思い出した」
ガタガタと音を立てて椅子を引くと、私はそのまま駆け足で教室を出て行った。
教室の入り口で数匹の女生徒とすれ違ったが、私の剣幕に驚いて脇に飛び退くのが見えた。
「もぅ、最近ハルおかしいよー?」
背後に聞こえた友人の声に、「それはこっちの台詞だ」と心の中でツッコミを入れた。

泳ぎには自身があったが、陸上で走るのが苦手な私はすぐに息切れを起こしてしまった。
クラスの女の子などは私の短い脚を見て「ハルは脚が短い方がかわいいよぉ」なんて言うが、私から言わせれば不便でしかない。
妹の話によると、リングマが作った部活というのは旧校舎の3階に部室を構えているらしい。
この学校に通い始めて既に3年目になるが、この旧校舎の3階には数える程しか来た事が無い。
旧校舎の機能は新校舎にほとんど移行されたので、滅多に訪れないのも当然である。
薄暗い廊下が、私をさらにくらい気分にさせる。
私は自分の行動に早くも後悔し始めていた。
本当にこんな所で活動している部活などあるのだろうか。
もし仮にそんな部活があったとしても、私は一体どう相談すれば良いのだろう。
もやもやとした気持ちのまま階段を上っていた私の耳に、誰かの話し声が聞こえてきた。
「おぉいローリー、勝手にこんな事書くなよ」
どうやら男の子の声の様だ。
廊下を声のした方へ曲がると、ミルホッグの男の子が部屋の中に向かって叫んでいた。
廊下にはゴミ袋や何に使うのかわからない器具などが乱雑に放り出されている。
ミルホッグは窓ガラスに書かれた「小学生以下の妹が居る方大歓迎」という文字を雑巾で一生懸命に消していた。
油性のマジックで書かれたそれはなかなか落ちず、ミルホッグはムキになっている。
私は荒れた呼吸を整えながらゆっくりと彼の方へ近づいていく。
「口より手を動かしてくれないか、ボッチ」
部屋の中から出てきたのは、昨夜写真で見たリングマだった。同じく雑巾を持っている。
リングマは私と目が合うと、ほとんど表情を崩さずに軽く会釈した。
実際会ってみると、彼は写真で見るよりもずっと普通の男の子に思える。
もう一匹のミルホッグはというと、私が背後に立っている事にまだ気付いていない。
リングマが顎で私を指した所で、ようやく彼は振り返った。
眠そうな二つの瞳がわたしの姿を捉えると、「あ、どうもすみません」とミルホッグは大きな前歯を見せて笑った。
一見無邪気そうに見えるその少年は、私の顔を見ながら「あれ」と不思議そうな声を出した。
「どこかで会いませんでしたっけ?」
ミルホッグは私の顔をじっと見つめてくる。
一年生とはいえ、男の子に見つめられるのは苦手だ。
私は彼から視線を反らし、「そんなはずは無いと思うけど」と応えた。「私3年だし」とさらに付け足す。
「でもなんか見た事ある様な・・・」
まだミルホッグは何かを思い出そうとしている。
そんな彼の右肩を後ろのリングマがグッと掴んだ。
「お客さんなんだろ。こんな廊下に立たせておいていいのか」
ミルホッグはまた「ああ、すみません」と言って、私を部屋の中へ導いた。
部屋の中は掃除中だった為か、少し埃っぽい。
中にあった物はほとんど廊下に出してしまったらしく、部屋の中はがらんとしていた。
ミルホッグはガタガタと椅子を運び出して私の前へ置いた。
「どうぞ先輩、座って下さい」
私が椅子に座る間も彼はまだ私の事を観察している。
最初に見た時は普通そうに見えたのだが、彼の一挙手一投足を見ているとやはり少し変わり者の様だ。
そこでミルホッグが「あっ」と大きな声を出したので、私は思わず身体をびくっと震わせた。
「もしかしてブイゼルのお姉さんだったりします?」
「・・・確かに私にはブイゼルの妹がいるけど」
「やっぱり!椅子に座る仕草がそっくりでしたもん!」
ひゃっほう、と歓喜の声を上げてミルホッグはその場ではしゃぎ始めた。
彼の喜びようにあっけにとられながら、なぜ彼が妹の事を知っているのだろうと私は考えた。
そういえばリングマは妹と同じクラスだと言っていたし、そのリングマと仲がいいのならミルホッグも妹の事を知っていてもおかしくない。
もしかしたら彼も同じクラスだという可能性もある。
しかしまだ入学して数ヶ月しか経っていない一年生が、クラスメートの座る仕草など記憶しているものなのだろうか?
少なくとも私には無理だ。

「ブイゼルってだれだ?」
まだ興奮が収まらないミルホッグとは対照的に、腑に落ちない様子のリングマは首を捻っている。
「は?同じクラスに居るじゃん。ほら、お前の席の二つ隣の列で・・・」
「いたか?そんな子・・・」
二匹のやり取りを見て、私は思わず吹き出してしまった。
片思いが実るのはどうやら時間がかかりそうだぞ、と私は心の中で妹を励ました。


うーむ、まだまだ序盤だというのに、約2ヶ月ぶりの更新になってしまいました。
次の更新もいつになるかわからない牛歩執筆ですが、どうかご容赦を・・・

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  • すごく面白いです!
    いつも更新楽しみに待ってます!
    ――ぴか ? 2011-12-04 (日) 21:11:29
  • >ぴかさん
    読んでいただけてうれしいです。
    どうも筆が遅いので続きはお待たせしてしまうかもしれませんが、できるだけ頑張ります!
    ――macaroni 2011-12-04 (日) 21:40:48
  • ローリーは同期だと進化前であっても見向きもしないんですね。
    てか、数ヶ月たって未だに名前どころか存在が認識されて無いブイゼルちゃんの影の薄さって……。
    ――beita 2011-12-05 (月) 15:21:52
  • うおおお!!
    久々の更新キタ━(゚∀゚)━!
    ルルゥちゃんかわいいです!!
    ――ぺぇ ? 2011-12-05 (月) 16:47:39
  • ついでに便乗させてもらって……
       校長キター
    ――ーーーー( ゜∀ ゜)ーーーー! ? 2011-12-05 (月) 21:09:43
  • 「最初のうちは心配<に>なって彼女を捜したりもしたが」 間違いがありました。

    今度は「枯れ専」ですか。ルルゥの校長への愛の深さはかなりの物がありそうですが、銅像にキスしたり、肖像画を盗んで抱きしめてしまうとは、相当ゾッコンなご様子。ハルが呆れてしまうのも少し分かる気がします。このまま行動がエスカレートしなければ良いのですが…
    そして、このお話はフェチ研創設期頃の、しかも最初と思われる相談の様で、かなり後が気になります。執筆頑張ってください。
    ――ナナシ ? 2011-12-07 (水) 13:59:31
  • macaroniさん、お元気ですか?長く更新待ってます、頑張って下さいね、応援していますよ。
    ――7名無し ? 2012-12-30 (日) 21:43:33
お名前:

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