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スパイラル -ゼロ-

/スパイラル -ゼロ-

written by アカガラス ?



『スパイラル』に登場するアノンの物語です。この小説を読む際には『スパイラル -鎔- ? ?』まで読み進めることをお勧めします。



スパイラル -ゼロ- 



時々夢を見る。時間、場所、状況、何の関係もない。規則性なんて存在しない。
ただ一つ決まっていることは、必ず「彼」が登場することだった。その彼が出てくる夢を見ることが私の一番の楽しみだった。
夢の中でしか会えないのは寂しいことだった。それでも幻想の中で帰ってきてほしいと言うと、決まって数秒後には現実の世界に戻ってきてしまう。
だから夢の中に一秒でも長く居座って彼との時間を過ごせるように、弾けそうな想いは宝箱の中にしまっていた。
けれど一日、三日、一週間と日が経つにつれて、どうしようもなく我慢できなくなって、結局想いは飛び回る。
すぐに夢から覚めて、後悔先に立たずと自責の念に駆られるも、同じことの繰り返し。
ああ、私はなんて莫迦なんだと。それでも満足感に似た何かがちらついて、学習することを拒んでしまう。
こんな風になってしまったのは、やはり彼がこの世を去る前にしっかりと想いを伝えられなかったのが響いているんだろう。
何に対しても気弱で、軟弱で、私なしではてんでダメだった彼。強気で引っ張っていたのは私のはずなのに、最後の最後で後ずさりしてしまった。
『凛……僕は』
彼が今際(いまわ)(きわ)に私に近づいてくれたとき、私も応えるべきだった。
『僕は、君のこと……』
彼の声が胸の奥で光りだす。心地よい痛みを与えるそれは、続きを見せぬまま儚く散ってゆく。
彼の終わりは蜉蝣(かげろう)の如くあっけなかったが、懸命に生きたしるしは残る。
けれど、彼はまだ足りないと言わんばかりに私のもとへとやってくる。
足りないに決まっている。たかだか十一年の命にどれだけ多くのものを残せようか。
私は、望みすぎだ、と声をかける。彼は、凛にはまだわからないかもね、と笑う。
じゃあ好きにすればいい。私の心は彼――君にとって最も居心地のいい場所らしいから、わざわざ止めることはない。
いつまで君は繋ぎとめられたままでいてくれるのか……。私が死ぬまで? それとも、ある日突然いなくなるの?
暑さが本格的になり始めた七月中旬のあの日、最後の別れに全てを失ったと思った。
でもそのちょうど一年後、コウの家に転がり込んだ日、希望を知ることができた。
運命とか偶然とか、そんな単純な言葉では片づけられない。幸せも不幸せも全部君が教えてくれた。
私が君にできる唯一の恩返し。ありがた迷惑かもしれないけれど、それでも構わないよね。
アノン……君の名前を背負って生きていくことを。




物心ついたときには、私は人間の元で暮らしていた。
と言っても特定の人間と主従関係を結んでいたり、人間の家庭に入り込んでいたわけではない。
孤児院……それが私に与えられた場所だった。
幼くして親を亡くしてしまったり、捨てられてしまったり、かつ野生でも生活ができないという悲惨な境遇をもつポケモンが預けられる場所。
人間と同様に設けられているそれは、『善意』ある人間によってつくられた。
人間社会というのは発達すると便利なもので、野生に放たれればすぐに死んでしまうような弱いポケモンも助けてくれるようなシステムになる。
自然という社会の中で不適合者は無情にも淘汰されていくが、『善意』ある人間にとってそれは許されないことらしい。
自然の流れに逆らっている点でそれは大いに非難されるべきなのかもしれないが、とりわけ私のような体の弱いポケモンには都合のよいことだった。
もともと私は人に卵という形で所有されていたらしいが、孵る直前にその人は亡くなった。
病気なのか事故なのかは知らないけれど、できることならその人の顔を見てみたかった。
孵化寸前の卵を持っていたということは、おそらく私と一緒に暮らすつもりだったんだろう。
その人の性格は明るく誰にでも優しい、と人づてに聞いてから、不幸によって立ち消えになった生活にも思いを馳せるようになった。
そんな幼子には似合わない大人びた心情も、さほど時間はかからずに失われた。
そもそも私は孤児院という名前の響きからは想像できないほど充実した生活を送っていたわけで、浅い過去への思い入れなど初めから無いに等しかったのだ。
それが子供の子供たる所以で、私も例外ではなかった。
たとえ自らの境遇が不幸であろうと、埋め合わせなんていくらでもできる。子供の専売特許だ。
それは孤児院で暮らす子供たちにより顕著に表れる。
孤児院の「みんな」とじゃれあい、転げまわり、ご飯を食べ、昼寝して、また転げまわる。人間の言葉でいえば「幼稚園」という表現が一番しっくりくるらしい。
そんな日々を過ごして……私は紛れもなく幸せの真っ只中(まっただなか)にいた。今でも昨日のことのように思い出せる。間違いなく本物の幸せの形だった。



そんな生活の中、ある日突然に異変は起こった。
この孤児施設はポケモンセンターに付設されており、私はその病弱な体ゆえに定期的にそのポケモンセンターで検査を受けていた。
その日は丁度検査を受ける日で、私と孤児施設の職員の女性――ショウコは待合室に並べてある椅子に座って待機していた。
休日だったため、周りには人間やポケモンがごったがえし、少々息苦しく感じた。
まだイーブイだった私は、ちょうどショウコの腕と胸の間に挟めるように抱きかかえられていた。
この女性は自分より小さなポケモンを抱えるのが好きだった。歩くのに疲れた時にはなかなか利用しがいのある性格である。
「凛、具合はどう?」
「……今日はあんまりよくないかも」
彼女はいつものように頭を撫でてくれた。背中をさすってくれるほうがありがたいのだが、どちらにせよ気持ちいいことには変わりないので、黙って彼女に身を委ねた。
そのときだった。
「どいてください! お願いします! 速やかにどいてください!」
ポケモンセンター内が一気に騒がしくなった。立っている人間やポケモンは廊下の端に掃けたり、空いている椅子に腰掛けたりした。
数人の医師や看護師、そして寝台車がロビーを突っ切る。そして私たちの目の前を通り過ぎた。
寝台車には白い布が掛けられており、何が運ばれているのかわからなかった。
しかしながら寝台車はわりと小さく、布の盛り上がり方もさほど大きくなかったため、私と同じような大きさのポケモンかもしれないと思った。
その(せわ)しい集団は、左右二方向に分かれる廊下を左折して視界から消えた。喧しい足音だけは未だに響いている。
「手術室の方向だね……」
ショウコは寝台車の消えた廊下を見送りながら言った。私は彼女の顔を見上げた。ショウコは眉間に深い皺を作っていた。おそらく私も同じような顔をしているのだろうと思った。
これが「彼」との初めての出会いになったのだが、その時の私には知る由もなく。この小さなポケモンセンターに珍しく重症患者が運ばれてきたという事実だけが記憶された。
数分と経たずうちに待合室はいつも通りの静けさを取り戻していた。そう、まるで何事もなかったかのように。
「凛ちゃーん」
女性看護師が私の名前を呼ぶ。ショウコは私を抱いたまま立ち上がって、診察室へと入っていった。



それから数日、特にこれといって変わったことはなく、ただ遊ぶだけの日々を過ごす。
この日はかくれんぼで遊んでいた。体の小さなポケモンたちに、孤児院という敷地も含め妙に広い場所はかくれんぼに最適だった。
数ある遊びの中で、私はこのかくれんぼが一番好きだった。一度隠れてしまえば、あとはじっとしているだけ。
鬼ごっこのように走り回る遊びは病弱な私にはあまりにも負担の大きすぎるものだったから、大勢で遊べる遊びは限られる。
かくれんぼはその点においてとても都合のいいものだった。
孤児院内の子供たちが一斉に中央ロビーに集まる。何かしらの遊びを始める際に、この場所は常に集合場所になる。
子供たちの中でリーダー役を買って出ているコロボーシのオンプは、早速かくれんぼを提案した。
「どうかな。昨日は影踏み鬼やったし……」
「いいよ、それでいこう」
「うん、賛成」
特に反対意見もなく、オンプの提案は可決される。オンプの信頼度は抜群だった。
「じゃあ僕が鬼をやるから、みんなは隠れてね。制限時間は一分。よーい……」
オンプが手で自分の目を覆い隠した。頭を一たび揺らすと二本の触角がぶつかり合って、ころん、と木琴のような音を出す。
これが始まりの合図だ。
「おっしゃ、今日こそ勝つ!」
「私も見つからないようにしなきゃ!」
それぞれが最後まで隠れきることを決心し、思い思いの場所へ散らばった。その間にもころん、ころん、と一秒ずつタイムリミットが迫ってくる。
私も一歩遅れて中央ロビーを離れた。隠れる場所はもう決めてあった。
西側に伸びる廊下をまっすぐに進んでいくと、突き当りに広い部屋がある。ここで働く人間や遊び回る子供たちに食事を作る場所、すなわち調理室だ。
常に戸が開きっぱなしにしてあるこの部屋からは、おなかを鳴らすのを誘うような匂いが漏れ出してくる。大好きな場所の一つだ。
入り口を潜り抜けると、何人かの職員が作業をしていた。真っ先に目についたのは、調理台で野菜を切っている恰幅のいい女性だった。
私はまな板から小気味いい音を響かせている彼女のふくらはぎを鼻でつついた。彼女は手を止め、こちらへと振り向いた。
「あら、なーに凛ちゃん? ご飯はまだまだ先よ?」
「かくれんぼしてるの」
それだけ言うと、彼女はしゃがんで私に目線を合わせた。威圧感が押し寄せる。
「今日はどこに隠れたいの?」
「あっち……」
私が目を向けた先には流し台があり、その下には収納棚が設置されている。自力では戸を開けられないので、調理室に隠れるときはいつも彼女に協力してもらっていた。
「鬼は……」
「今日はガルムじゃないから大丈夫。前みたいなことにはならないよ」
ガルムというのは私の一つ年上のワニノコのことで、孤児院内きっての暴れん坊だ。ガルムが鬼役になるとさまざまな場所をお構いなしに引っ掻き回すので、人間たちは恐れ(おのの)いていた。
特に調理室は何度も被害を受けており、彼女はガルムという疫病神をしきりに気にしていた。
「ならいいけど……」
そう言うと彼女は手にしていた包丁をまな板の上に置き、私を持ち上げた。
「ん……また重くなったんじゃない?」
「成長してるもの」
「相変わらず大人ぶった口ぶりね。もっと子供らしくしなさい」
彼女は収納棚の扉を開けると、そこに私を押し込んだ。彼女が私のためにわざわざ空にしてくれた場所だ。狭いながらも、快適に過ごせそうなところだった。
あとは見つかるのを待つだけ……いやいや、見つかったらだめだ。鬼が降参するまで隠れ続けなければいけないんだから……。
彼女が戸を閉めると、周りが暗くなった。頼りになるのは戸の隙間から差し込む淡い光だけだ。
しばらくはこの光と漂ってくる匂いで気を紛らわそうと思った。基本的に待つことは苦にしない性格だ。
しかし……
「凛ちゃん、出ておいで♪ そこにいるのはわかってるよー」
ころん、ころん、と独特の音を響かせて、鬼は陽気にやってきた。
戸が静かに開いて、私はあっけなく見つかった。あまりに早すぎて、まったくと言っていいほど楽しむことができなかった。
「早すぎるよー!」
私は頬を膨らませて、オンプにもっと気を遣えとアピールする。鬼に容易に読まれるような場所を選択した私が悪いのかもしれないけれど、主張せずにはいられない。
「凛ちゃん甘いねー。本気で勝ちたいなら敷地全部使わなきゃ。調理室なんて安直すぎるよ」
彼は、見た目に似合わず大人びた話し方をしていた。ただ、私とは性質が違う。
彼は私の八歳年上で、中身は大人と相違ない。しかし未だにコロトックに進化していないという事実が、万人に対する違和感を確実なものにしていた。
進化障害。それが彼の患っている病の正体であり、完治することはほとんどないそうだ。野生へと放り出されてしまったら、生き延びることは難しい。彼はそれを真正面から受け止めていた。
「さて、僕は戻るよ。あと十五匹もいるからね」
短い足を懸命に動かしながら、彼は次のターゲットを仕留めに去って行った。
かくれんぼの参加人数は十七匹。鬼役のオンプを考慮すると、私が一番はじめに見つかったことになる。勝つためにはもっと頭を使わなければいけないと思い知らされた。
ルールでは、全員が見つかるまで見つけられた者は中央ロビーで待機することになっている。一番初めに見つけられたというのはなんだかきまりが悪かった。
「どうせばれないのだから……いいかな」
私は外へと抜け出すことにした。孤児院の敷地をでるわけではないから、事務室のおじさんに頼めば玄関を開けてもらえる。
中央ロビーから真南に向かう廊下を抜ける。玄関はお世辞にもきれいとは言い難い。あまり掃除されていない個々の臭いは好きになれなかった。
玄関横に敷設されてある事務室の戸を鼻で小突くと、いつも通り、小さなおじさんが出てくる。その(はげ)しく禿げ散らかしている天辺を手入れしてはどうかと心の底から提案したかった。
しかしそれをショウコに話したとき、言うべきことと言わなくてもよいことの区別をつけなければいけないと諭された。
扉を開けてくれたおじさんに一言二言礼をし、外へと飛び出す。太陽光が眩しくてうまく目を開けられない。
「凛ちゃーん」
薄目を開けると小さな人影が飛び込んでくる。ショウコだった。彼女はちょうど孤児院の敷地に入る正門を通り抜ける最中だった。
多分食材や雑品などの買い出しに行っていたのだろう。彼女は買い出しに進んで手をあげるような希少種の女性だった。
右手にはパンパンに膨れ上がったビニール袋がぶら下がっていた。そして左手には……正確に言えば左腕には何かが抱きかかえられていた。
彼女が好んで抱きかかえるものといえば小さなポケモンだ。孤児院のポケモンを買い出しに付き添わせるようなこともさほど珍しいことではない。
しかし、ショウコが近づいてくるたびに姿形がはっきりしてくるそれは、まったく見たことのないポケモンだった。
灰色がかった体に大きな耳。さわり心地のよさそうな尻尾。一体何者なんだろうと身構える。
「あれ……?」
私はそのポケモンの奇異な部分に目を奪われた。
それから少しの間、ショウコと少し話をした気がする。今日はスーパーの特売日だったの、とか、新しいお友達なの、仲よくしてね、とか、とにかく当たり障りのない会話だった。
私はショウコの話よりも、そのポケモンに夢中になっていた。
左耳が大きく欠損し、右腕のないポケモンなど一度たりとも見たことがなかった。何かしらの事情があることは間違いなかった。
……運命の歯車というものが存在するならば、その時にはもう廻りはじめていたんだろう。幸も不幸もすべてを巻き込んで。




孤児院に新たなポケモンがやってくるのは珍しいことではなかった。
怪我や病気を理由に一時的に居座ってすぐに野生に帰ってしまうポケモンもいれば、私のように自立するめどが立たないポケモンもいた。
ときには人間のもとで新たな生活を歩み始めるポケモンもいたし、そのような意味でここは出会いや別れが多い場所だった。
幾度も友達を失って寂しがっては、またやってくる新たな仲間に胸を躍らせる。
そんな他者との関わり合いが流動的な生活では、なかなか親友というものはできない。
それこそ去りゆく友達が普通とは違う『何か』を持っていなければ、記憶の中に留めておくことは難しかった。
だからこそだろう。彼がこの孤児院にやって来たことは、私の脳裏に強くこびりつくような出来事だった。
人もポケモンも、自分と大きく異なる者については意識せずとも注目してしまう。
「みなさーん。今日は新しいお友達の紹介がありまーす」
孤児院で暮らす何十匹ものポケモンが中央ロビーに集められている中、ショウコの第一声はこれだった。
皆一斉にショウコの立っている方向に向き直り、各々がショウコに抱かれている彼を受け入れる体勢を作る。
新しい友達が増える――一、二週間に一度の割合で訪れるこのイベントを楽しみにするものは少なくない。私もそのうちの一匹だ。
ざわついていた集団は徐々に静まり返るが、ところどころで声を潜めた会話が行われていた。
「おい、あれ見ろよ……片耳が欠けてるぞ」
「右腕もないみたいだね……」
私の隣にいたリオルの虎鉄(こてつ)とジグザグマのミラは、彼の異質さを興味深そうに噂し合っていた。
ショウコの両腕にしっかりと収まっていた彼は、左腕で彼女の体にしがみついていた。
集まっているみんなに背を向け決して顔を合わせようとしない姿が、ここの子供たちには滑稽に映る。
「なあ、あいつなんで耳も腕もねえの?」
虎鉄がにやにや笑いながら耳打ちしてくるが、私が知る由もない。
「さあ……事故か何かに遭ったんじゃないの?」
「おれは絶対あんなふうにはなりたくないなー」
「そんなこと言ったらあの子に失礼でしょ」
「何、お前あいつのことが好きなのか?」
この年代の男の子は、論点をずらして男と女の話に持っていくのが大得意だ。
そして女の子はいつも男の子の卑怯なやり口にげんなりさせられる。
ショウコ曰く、男はいつまでも子供っぽいままなのだから仕方ないことだ、適当にあしらいなさいとのことだった。
「ミラ、虎鉄があなたのこと好きなんだって」
「そ……そうなの?」
「え、い、いやちがっ」
「嬉しい! 私もずっと前から虎鉄君のこと大好きだったの!」
「はあ!? 俺は別に……くそっ、凛てめえっ!」
虎鉄は頭に血が上りやすいから、男の子の中では比較的引っ掛けやすい部類だ。
そんなことより、一向にこちらに顔を向ける気配を見せない彼に私は少々苛立ちを感じていた。
緊張していたり怖がっていたりするのならばまだよかった。新入生にはよく付き纏うものなのだから、しょうがないの一言で済む。
しかしショウコの体に必死にうずくまろうとする彼の態度は、まるでお前たちと仲良くする気はさらさらないと、鋭利な刃物を突き立てているように思えた。
彼の背中から漂ってくる無言の圧力は、ここの集団にも伝わり始めていた。
ショウコが自分の体から彼を引き離そうとしても、彼の強く握った手がそれを頑なに拒む。
流石に様子がおかしいのではないかと、周りはざわめき出した。
「早く降りてくれないと、みんなに自己紹介できないでしょ」
ショウコの優しい語りかけにも、彼は正しい反応を示そうとはしなかった。
そんな態度を見せ続ければ、一部のポケモンの反感を買ってしまうのは至極当然の流れだった。
「ねえ、こっちを向いてくれないかな」
とある女の子はショウコのように刺激の少ない言葉を選んで、彼が心を開くのを促した。
「せめて自己紹介だけでもしてくれよな」
とある男の子は彼の緊張をほぐしてあげようと、彼が自己紹介しやすい環境を作ろうとする
問題なのは、隣にいる『野蛮な男の子代表』の虎鉄の言葉だった。
「おい、さっさとこっち向けよ馬鹿野郎。わざわざてめえのために時間とってやってるんだろーが」
みんなが一瞬にして凍りついた。ミラは虎鉄の乱暴な口調に目を白黒させている。
「虎鉄の言うとおりだぜまったく。てめえのせいで大事な大事な遊び時間がなくなるじゃんかよ。そんなにショウコの胸が好きか、このドエロチンチラが!」
こんな時に限って虎鉄の悪友、暴れん坊ガルムが出しゃばってくる。黙って後ろで大人しくしてればよかったのに。
ガルムの暴言はここにいるポケモンたち全員にはっきりと伝わってしまい、ただでさえよくない雰囲気を余計に悪化させた。
人間の理解できない言葉で話したことだけが唯一の救いだ。ショウコの耳に入ったらまず無事では済まない。
「なんとか言えよコラァ!!」
右目に十字傷の入った、いかにもヤ○ザのような目つきでガルムは彼を睨みつけた。
その様は、とてもじゃないが私と年が一つしか離れていないとは思えない。
ガルムの怒号に中央ロビーはいよいよ静まり返り、新たな仲間への歓迎ムードはほとんど崩壊した。
そして、それに追い打ちをかけるような事態が発生する。
「黙れ」
ショウコの腕の中から、鳥肌の立つような唸りが聞こえた。
ショウコの「え、何?」という言葉だけが沈黙した空気に花を添える。
彼が初めて発した言葉は、私たちの歓迎ムードを完全に瓦解させるには十分だった。
ガルムのようなドスの利いた声でもなければ、馬鹿でかい声を出したわけでもない。
しかし非常に高圧的で敵意を剥き出しにしたその声は、ガルムへの返し言葉とわかっていても不愉快な気持ちにさせられる。
「ああ!? 上等だゴルァ!!」
当然ガルムの逆鱗に触れないわけがない。言葉も動きも本格的にヤ○ザとなって彼に襲い掛かる。
ガルムは集団を無理やりかき分けながら、口腔内にエネルギーを蓄え始める。
暴れん坊が狂い始めてしまったと周りは悲鳴を上げ始め、ショウコも身の危険を感じたのかガルムを制そうとする。
「ガルム、やめなさい!」
「うるせえ!」
ガルムが彼に攻撃しようとすれば、ショウコも巻き込んでしまうことは明白だった。
「ショウコ、逃げて!」
私はありったけの力を振り絞って叫んだ。ガルムの『水鉄砲』がショウコもろとも彼を吹き飛ばすのも時間の問題だ。
私は逃げ惑うみんなの隙間を縫うように走って、私はガルムに『体当たり』をしようとした。
それが私がショウコや彼を守ってあげられる唯一の方法だった。
しかし、そんなものは全くのおせっかいでしかなかった。彼は、見た目からは想像できないほど強かったのだ。
彼は身の危険が迫っていると察知すると、瞬時に体を翻してショウコの腕から飛び降りた。
それからのガルムとの一戦はここに長々と記す必要もない。
彼は光弾……『スピードスター』を一発だけガルムに当てた。
「ぐあっ!?」
ガルムは苦々しい呻き声とともに、前のめりになって倒れてしまった。
目の前で起きた信じられない出来事に、みんなが目を点にした。
予備動作の速さは、ガルムの『水鉄砲』のそれとは比べ物にならないほどだった。
片腕をガルムにかざした瞬間に勝負が決まったのだ。驚くのも無理はなかった。
「マジかよ」
「すごい……」
あのガルムを一撃で倒した。とても同じ子供とは思えない。その場に居合わせた子供たちは誰もが一様にそう感じたことだろう。
彼は単なる自己紹介だけでは不可能な、とてつもなく大きな衝撃を私たちに与えたのだ。

ショウコがガルムを隣のポケモンセンターに連れて行く間に、彼はいつの間にか消えてしまった。
集まっていた子供たちは、まだ半分以上ロビーに居座っていた。
彼の実力を目の当たりにして、ある者は興奮し、ある者は怯え、ある者は恍惚の表情で彼の消えた後を見つめていた。
「チラーミィ……だっけか。あのポケモンの種族名」
「確かそうだったと思うよ。……ガルムの奴、いい気味だな。これで少しは大人しくなってくれればいいけど」
「あのチラーミィがガルムの代わりになっちゃったりしたらどうするんだよ」
「それはそれで困るけど……」
皆が皆、彼の話題を口にしていた。彼は一瞬でみんなの認識を変えてしまった。
片腕片耳……純粋な子供たちの前では嘲りの対象にしかならないそれは、彼の圧倒的な力を抑えるために神様が奪い取ったものだと解釈されるようになった。
「ねえ、凛ちゃん……」
近くに寄って来た、不安げな顔をしながら私に話しかける。
「私、あの子と友達になれそうにない……」
ミラがぽつりと呟いた言葉は、孤児院中に住む子供たちの総意を代弁したものだったのかもしれない。
しかし、桁外れの力を誇示したからといって彼を拒む理由にはならなかった。
彼と友達になれば面白そうな気がする。いやきっと面白いはずだ。
私は、彼とみんなの橋渡しをする役目を担うことに決めた。それが彼と仲良くなる一番の近道だと信じて。




彼はいつも同じような場所にいた。
遊戯部屋でも、ロビーでも、廊下でも、そして外でさえも彼は端っこにいることを好んでいた。
そうすることで、彼は話しかけられるきっかけを断ち切っているつもりだったのかもしれない。
実際、独特な雰囲気を持つ彼に話しかける勇気を持ち合わせている者はほとんどいなかった。
一体彼は何をしにここへ来たのだろうか。そんな疑問の声は少なからず上がってはいたものの、もちろん誰にも答えられない。
ときどき、ゲームに負けた者が彼に話しかけるというおかしな遊びが行われることがあった。
発案者はガルムや虎鉄など悪ふざけが好きなしょうもない連中ばかりで、仲間内からは酷い嫌がらせだと苦情が起こった。
彼に話しかけるきっかけを作ろうという意気込みだけは正しいが、結局機能することはなかった。
たとえ負けても男の子は喚いて拒絶する、女の子は泣いて怖がる、まったく話にならない。
そんな光景を、彼は冷ややかな目で見つめていた。怒ることも笑うこともせず、無表情を貫き続けていた。
私はいつしかその真っ黒な瞳に好奇心をくすぐられるようになっていた。
自分と同じ子供を、どうすればそんな冷めた目で見られるのか不思議でしょうがなかった。
彼が孤児院にやってきて一週間余り、誰も彼に話しかける者はいない。
これでは埒が明かないと、私はついに彼に接触する決心を固めた。

その日はやけに日差しが強い日で、ポケモンたちのほとんどは室内での遊びに没頭していた。
だから彼はポケモンたちのあまりいない外を選んだらしい。
孤児院の敷地を四角く囲んだ石垣があり、その内壁に沿うようにして樹木が植わっている。
彼はその隅で、まるで灰色の石垣に同化するように座っていた。
そばに生えている木でしっかりと日陰を確保しているあたり、彼もまた普通のポケモンなのだと認識させられる。
芝生の庭を走り回っている数匹のポケモンたちを、彼はいつも通りの虚ろな目で追っていた。
直立不動で、目の首の微かな動きさえなければ完全に石像と見間違えてしまいそうだった。
私は四角い庭を対角に横切り、彼に会いに行った。
彼に近づくほどに足取りは重くなる気はするが、そんなものは好奇心が吹き飛ばしていった。
彼のそばへ歩み寄ったとき、漆黒の瞳はまだ子供たちを追っていて、間近で見るほどその不気味さは際立つ。
私に気づいていないふりをしているのか、それとも本当に気付いていないのか判断はできなかった。
それでも私は彼がこちらに顔を向けてくれるのを待った。
この時の私はやはりどこかで彼に恐怖心を抱いていて、むやみに話しかけるのはいけないことだと決めつけていた。
彼がガルムを一撃で倒した光景が脳裏に浮かんだ。彼の近くに立つと、ガルムがそのまま私に置き換わってしまうような錯覚に陥る。
知らないうちに足が震えていた。肉球がじわりと汗ばんできて、目も少し湿っぽくなってきた。
これはいけないと思い、出直そうかとも考えた。
が、彼は突然私の方向を向いた。
「あわ!?」
驚いて声が上がる。驚いたのはお互い様らしく、彼も目を少しだけ見開いていた。
その様子からすると、彼は私に全く気が付いていないようだった。
「お、おはよう」
ショウコ曰く、初対面の人やポケモンに挨拶するときはにこやかな笑顔でいなさい、だそうだ。
厳密に言えば初対面ではないが、初めて話しかけたのだからほとんど違いはないだろう。
が、にこやかな笑顔とは程遠い、彼の雰囲気に気圧(けお)された、ひきつった笑顔になってしまった。
無表情で虚ろな目をしている彼が、簡単に返事をするとは思えなかった。
それでも私はひきつった笑顔を保った。彼の何を考えているかわからない瞳に見つめ続けられるのは、はっきり言って苦痛でしかない。
それでも我慢し続けて数十秒……
「……お……おは……」
返事とは言えないような返事が来た。口はほとんど動いていないのに、私には彼が精いっぱいの意思表示を示そうとしているように見えた。
「いい天気だね」
「うん……」
何を話していいかわからず、定番の天気の話に逃げる。
その間、私は彼の放つ疑念の籠った視線をひしひしと感じていた。たぶんこの一週間、まともに子供たちと話していなかったのだろう。
完全に警戒されている。友達になるのは一筋縄ではいかないらしいと直感した。
「名前はなんて言うの?」
「……名前?」
「そう、名前。教えてよ」
仲良くなるための第一歩は、当然自己紹介が必須だが……。
彼はまばたきを数回繰り返し、私から目をそらした。名前を教えることに何か不都合でもあるんだろうか。
「私の名前は凛よ。ショウコがつけてくれたの。あなたにもそういうの、あるでしょ?」
「……ない」
「え?」
予想の斜め上を突き抜けた返事だった。名前がない? そんなことありえるのだろうか?
「お、親からつけられる名前のことだよ? 私はわけあって人間につけられたけど……」
「……親って何?」
開いた口が塞がらないとはこのことを言うのだと思い知らされた。話が全く通じない。
同じ言語を話しているはずなのに、まるで異世界の住人と会話しているようだった。
「僕……変なこと言った?」
うん、すごく変だよ、なんて言おうものならガルムの二の舞になる気がした。
いや、別に変じゃないよとはぐらかしたものの、内心どうしたものかと悩んでいた。
「とりあえず、名前がないといろいろと不便だよ。今自分でつけてみたら?」
「……どうやって?」
「何でもいいから好きな言葉を自分につけたらいいじゃない」
私がそう言うと、彼は左腕を自分の顎に宛がって頭を働かせ始めた。
そのときの彼は、無機質的な瞳でいったいどこを見ているのかわからなかった。
仮面が張り付いたかのような無表情は、恐怖以外の何ものでもなく、よくこんな奴に話しかけられたなあと今更ながら自分に感心した。
彼が十二分に思考を巡らせた後、ようやく出した答えは想像を絶するものだった。
「……オレンの実」
「……なんで?」
「好きだから」
これは突っ込んだら負けというゲームなのだろうか。突っ込んだらその無表情は少しでも綻ぶのだろうか。
「やっぱりショウコにつけてもらおうよ。絶対に気に入るから」
「……うん」
特に不服そうな顔をすることもなく、彼は静かに頷いた。



最終更新日 11/05/23
  



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Last-modified: 2011-05-23 (月) 00:00:00
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