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コンフリクト

/コンフリクト


作:稲荷 ?







春の暖かさというものは実に偉大で、祝福すべきものだと俺は思う。
何故ならば、春の程よい気候はガーディの俺にとっても非常に快適であるし、腹を曝け出して眠ったとしても、穏やかな陽光が全てを包み込んでくれるから、風邪を引く心配などしなくても良いからだ。
これは単純そうで意外に重大な問題である。
一日の大半を工場の資材置き場で過ごす俺にとって、腹を曝け出しながら寝るという状態は極有り触れた行為なのだ。
それは欧米人が挨拶にハグしたり、日本人がお辞儀をするのと良く似ている。
身に染みてしまった習慣なるものである。
これは俺の敬愛なるご主人さますら理解しかねることであったから、別に人間共に同意を得られるよう媚びるようとしているのではない。
本当に無意識のうちなのだ。
だけれども、多くの人々は俺の愛らしい姿、もしくは怠惰を極めた姿を見て歓喜し、喜びの雄叫びを上げる。
そしてこの日も日が暮れるまで、資材の積まれた木箱の上で俺は寝ていたのだが、不意に目を覚ますと、そこには推定年齢8歳前後の可愛らしい少女が私を見つめていた。
木箱のお陰で、俺と彼女は対等な大きさとなっている。
「.....」
最初こそ、私は特になにも考えてはいなかった。
深い眠りから帰って来たばかりで、上手く思考出来なかったのだ。
「あれ....」
しかし、次第に状況を呑み込めるほどに脳が覚醒すると、何故ここに少女がいるのか疑問を抱くようになった。
ここは工場の資材置き場、間違っても子供が容易く入る様な場所ではない。
「なんでここにいるの?」
俺は無防備な姿勢のまま、目を細めて尋ねた。
真横から降り注ぐ夕日が眩しい。
だが、少女は無言のまま俺を見つめて、ばっと両手を大きく広げてみせた。
「?」
俺は彼女の素っ頓狂な行為に困惑しつつ、黙って彼女を見つめる。
そして、数秒の沈黙が過ぎると。
「おりゃー」
そんな棒読みの叫び声とともに、俺の立派なたてがみを無遠慮に引っ張ったのだ。
なんたる暴挙、なんたる悪辣。
「痛い!痛いって、ちょ、おまえ」
俺はあまりに突然の事に動揺し、そしてたてがみを引っ張られるあまりの激痛に悶えながら、俺は思わず悲鳴を上げ、そして木箱から転げ落ちた。
乾燥したアスファルトへと身を投げ、たてがみを掴まれていたものだから上手く受け身すら取れない、俺は落下したときの鈍痛と、たてがみに残る痛みに凡そ堪え難い苦痛を感じた。
「あちゃー」
実に他人事の少女の声、それは正しく無関心であり、他人の不幸へ同情するようである。
これはおかしい。
俺は姿勢を整えると、こんどは少女に疑いの目ではなく、警戒の眼差しを向ける。
突然、痛い事をするのだ、ろくでもない奴に決まっている。
「ガーディちゃん、はい」
だが、そんな俺の憤りなど、全く意に介さずに少女は俺に飴を手渡した。
それもミント味である。
颯爽と現れ、俺を痛めつける彼女には心底辟易するが、これは謝意の気持ちなのだろうか。
それともただ余った飴を処分したいだけなのか。
俺は様々な憶測をしつつも、飴を貰う事にした。
ここで無闇に抵抗したところで、本当の能力差などたかが知れている。
人間が身体能力でポケモンに叶うなど不可能なのだから。
「....あいよ」
俺はミント味の飴を口に投げ込むと、その刺激にやや顔を顰めた。
されど、俺は冷静を装い、そして少女に向けるべき正当な眼差しと、もの柔らかな温和な口調で、穏やかな忠告を発する事にしたのである。
「ねえ、お嬢ちゃん。飴は有り難いけどね、ここは小さな子は入っちゃいけないの」
だけれど、幼い少女は首を傾げ、そして滲む夕日に染まり上がった工場の出入り口を指差した。
見れば、そこには大量に箱詰めされたモンスターボールがトラックに搬入されているところだった。
工場前には運送会社の社員に混じって、ここの工場で働いている職員も見える。
「お父さん」
少女は顔色一つかえずにそう告げた。
なるほどと、俺はようやく悟ったのである。
そもそもここには子供一人で入れないのであるから、彼女は親の付き添いで来たに違いなかった。
「ああ、なるほど」
俺はそういうと、少し安堵した。
知り合いと分かれば、彼女を吠えたて、紅蓮の業火で怯えさせずに済んだのだ。
「でもね、今とっても暇なの」
彼女はそう言うと、再び俺のたてがみを掴もうと忍び寄る。
いや、何が楽しいのか全く分からない。知りたくも無い。
されど、彼女が何か天賦の才を授かってしまったのはなんとなく理解できた。
男勝りな性格なのかもしれない。
多分、俺が七転八倒するのをみて楽しんでいるのだろう。
冗談ではない。
俺は華麗に反転すると、資材の上へと着地した。
「おいおい、俺で遊ぶなよ。俺はご主人様の命を受けて、不審者が入らないか見張ってるんだからな」
先ほどまで爆睡していた者のいう台詞ではないことは重々承知していたが、俺は悪びれずにいった。
小さな子供の相手ほど苦労するものはない。
「えー」
少女は少し残念そうな声を上げた、しかし、彼女は何かを考えるように唸ると、目を輝かせこう告げる。
「あっ、鬼ごっこしたいの?いいよ!私が鬼ね」
自由奔放な少女は勝手に快諾すると、木箱をよじ上り、俺へと迫る。
だが、当然のように俺は別の木箱に飛び移り、彼女の来襲を軽やかに躱すのだ。
そもそも根底が違い過ぎる。
人間とポケモンなのだから負ける筈無かった。
「ちょっと!卑怯だよ!」
小さな者の小さな抗議など、俺にとっては実にどうでも良いが、ここは工場の敷地内、怪我でもされればご主人様に大目玉を食らうに違いないので、俺は辟易しつつも彼女の抗議を聞いてやる事にした。
無論、真面目に聞くのではなく、半分は聞き流しているのだが。
「ねえ!降りて来てって!」
抗議もいよいよ佳境に入るかと思われたその時、唐突に彼女の声色が変わった。
それは、感情の昂ることを示す、紛れも無い震え声。
泣きそうで、卑小な者の発する最後の叫び。
「....」
俺は周囲を伺う事にした。
もう既にトラックの姿は見えないが、工場はまだ稼働しているようだ。
俺は不意に、彼女の名前を今だ聞いていないことに気がついた。
知った所で何ら変化は無いのだが、とりあえず、親を呼ぶ時には役立つだろう。
「そういえば、名前はなんていうの?」
相も変わらずの穏便な姿勢で俺は問う。
答えにはあまり期待はしていなかったが、彼女は微かに涙を流しつつも答えた。
「あ、茜....加藤茜」
俺はその名前を聞くや否や、工場前で荷物搬入の後片付けをする50代の男を睨んだ。
「末吉か....あの野郎」
やや怨念を込めつつ、加藤末吉という派遣社員を睨む。
職場に小さな子供をつれてくるとは、どんな考えをしているのだ。
いや、仮に連れ込んだとしても放置とは、どんな教育方針なのだ。
一介のガーディに教育の素質を疑われるなど、彼にとっても心外であろうけど、彼女の横暴によって俺が苦心するなんてことは許さないので、俺は言わせてもらおう。
「ねえってば!」
実に騒がしい彼女の声を聞き、俺はやっと資材から飛び降りたのであった。
「なんだよ。ここは入っちゃいけないんだって」
俺は改めてご主人様の命令を確認した。
ここは危ないので一般人の立ち入りを禁じているのであって、親族だからという免責特権ははなから存在しないのである。
「じゃあ、あっちで遊ぼう」
彼女はそう言うと大きな倉庫の扉を指差した。
出荷前のモンスターボールがここに収められているのだが、どちらにしろ立ち入りは禁じられている。
俺は少し顔を歪めて、首を振った。
そもそも遊んでなどいられない。俺は警備をしているのだ。
「だめだってば」
多分、何故駄目なのかを理解すらしていないのだろう。
「お家どこ?」
俺はまた当たり障りの無い微笑みを浮かべながら、彼女へと尋ねる。
工場で暴れられる前に、彼女を家に帰さねばなるまい。
「えーっとね。大きな桜のある家」
予想にはしていたから、俺は彼女の大雑把すぎる回答にも満足だった。
それに桜のある家なんてものは珍しいし、街を飛ぶポッポにでも聞けば直ぐに分かるであろう。
真っ赤な夕焼けに染まる街を見据えつつ、俺は彼女を引き連れつつ、工場を出たのであった。












案の定ではあるが、桜のある家というものは直ぐに見つかった。
築30年の木造アパートで、その外見は戦後のプレハブ小屋を思わせるほどに質素なものである。
「ここー」
少女の間延びした声に、俺は若干の安心感を覚え、大きな欠伸をした。
これでもう、少女が遊びに来て工場に被害が及ぶなんてことにはなるまい。
しかし、久々に街に降りて来ると、春の訪れは様々な場所に影響を及ぼしていた。
見た事も無い新興住宅群があちこちに生まれ、反対に古い建物はどんどん更地になっていく。
駅前には新しいショッピングモールまでできるらしい。
「じゃあ、俺は帰るよ」
彼女は頷くと、そのまま自宅らしい部屋の前まで走り出す。
洗濯機などが無造作に置かれ、日用品が散乱している惨状に、彼女があまり恵まれていないことが分かった。
だからといって、俺に出来る事は何も無いのだけれど。
「何処行ってた!この野郎!」
俺が踵を返し、工場への帰路に付こうとした瞬間、背後から怒号が飛んだ。
不味い。
これは相当にお怒りだ。
人間とともに長い間居たせいか、俺は声色で感情を読み解く力みたいなのが備わったらしい。
ご主人様に話したら、それは空気を読む力ということが分かり、俺はこれが一種の自慢でもあった。
やがて何がを叩き付ける音が聞こえ、先ほどの少女の泣き叫ぶ声が聞こえる。
なんとなく、予想はついた。
彼女は暇を持て余すあまり、親の職場まで付いて来てしまったに違いない。
「....」
なんとなく、見過ごせなかった。
俺は再び彼女の家に向かい、わざと大人ぶって泣き叫ぶ少女と怒号を上げる母親に介入することに決めたのだ。
「ちょっと、奥さん」
俺は明朗な紳士として、母親に声を掛けた。
だが、この母親は俺を恐ろしい形相で睨みつけると、少女を一瞥して。
「てめえ、また変なの連れてきやがって、おい!」
と荒い口調で叫んだのだ。
「へ、変なの....」
少女は涙を流し続けるのみでまともに話せそうにない。
俺はとにかくこの暴君らしき母親を宥めるべく、穏便に語りかけた。
茶髪で、ピアスして、マニキュアして、マスカラまで使うこの女は相当なものだ。
「変なのじゃありませんよ。自分はモンスターボール製造工場の警備員をやらせて頂いています。ランドルフと申すものです」
そういえば、今まで一回も少女に名乗っていなかった。
大層に大仰な名前だが、これがご主人の趣味なので致し方ない。
「は?」
母親はそう言い捨てると、俺に一歩近づいた。
香水の強烈な匂いが俺の鼻を一瞬で麻痺させる。
この女は不味い。相当に不味い。
児童虐待で訴えられるレベルだ。
「ぐっ....あ、あの。彼女も悪気があってやったわけじゃないんで...その、どうか穏便に」
よく見れば、この女が身につけてる者全てがブランド品の数々である。
「ちっ」
この女はそう舌打ちすると、俺と少女を一瞥し、玄関に入った。
複雑な家庭環境なのだろう。俺は″空気を読んで″これ以上深入りしないことにした。
「....大丈夫?」
俺は次第に回復する嗅覚を労りつつ、肩を震わす少女にも問いかける。
あれが母親とは、なんと可哀想な子なのだろう。
ガーディが介入できるような事ではない。何も救ってはあげられないのだ。
「....うん」
彼女は微かにそう答える。
送り返そうとしたのが誤りだった。
何処の家庭も恵まれているというわけではなかったのだ。
このまま彼女を家に入れるのは、獰猛なキバニア溢れる池に生肉を投げ込むのと等しい。
「私ね...あんまりお母さん好きじゃないの」
彼女の妥当な告白であるが、俺は生唾を呑んだ。
家庭崩壊の一歩手前であるということを警鐘した方が良いのだろうか。
俺は無言で頷く。
だけど、いくら火力に漲り、そして身体能力があったところで、社会的なものは覆す事が出来ない。
俺はなぜか漠然と無力感を覚えた。
俺は近くに居るのに、何もしてやれない。
溢れんばかりの力は使う所など無いし、支援出来る財力を一介のガーディが持つ筈なかった。ましてや、社会的地位すら獲得できるか怪しいのだ。
彼女は家に帰さねばならない。
だが、それが本当に正しいのだろうか。
「あ、お父さん!」
不意に彼女の明るい声が響く、見れば工場の道から窶れた加藤末吉が歩いて来るではないか。
彼女の反応から、末吉は恐らく善意に溢れた模範的な父親なのだと思い至る。
これで、一先ずは安心だ。
「茜!いい子にしてたか?」
末吉の問いに彼女はやや閉口し、そして助けを乞うように俺を見つめる。
「あ....」
末吉は俺を見つけるや否や、少し強張った表情になった。
それもそのはず、俺は工場の警備員としているが、実質は工場長のお気に入りポケモン。
つまるところブルジョアなのだ。
だが、普段は誇れるこの肩書きも、今の俺にとっては仇となった。
案の定末吉は頭を下げて、やや上擦った口調で
「お、お疲れ様ですっ」
そう言ったのだ。
いつもなら威風堂々としている俺もこの時ばかりは苦い顔をした。
あまり親がペコペコする姿を子に見せるのは教育上宜しく無い気がする。
だから、俺は″空気を読み″つつ、颯爽と歩き始め。
「こちらこそお疲れ様です!いつも我が社で獅子奮迅の労働して下さり、感謝に堪えません」
などと適当に答え、そのまま工場へと足取り軽やかに戻ったのである。
真っ赤な夕日は既に地平線へと沈み始め、世界は茜色に染まっていた。











「ガーディちゃん!あーそーぼ」
俺は不意に聞こえる呼び声に目を覚まし、眠たげに頭を擡げた。
ほんの僅かな微睡みのつもりであったのに、いつしか深い眠りへと誘われている。
俺はこの穏やかで、平穏すぎる春に少し慄然とした思いを抱いた。
「こっちこっちー」
俺は大きく欠伸をすると、声のする方向へと足を進める。
この工場は当然のことではあるが、立ち入り禁止なので、四方は有刺鉄線付きの厳重な警備が施されている。
そして、その声はフェンスの向こう側からしているらしかった。
聞き慣れた声に、覚醒した脳はある決断を下す。
「.....なんで、お前がここにいるんだ」
フェンスの向こう側にはガーディの人形を抱えた、加藤茜が仁王立ちで俺を出迎えていた。
「遊びにきたの」
彼女はそれが当然の様に語る。
むしろそれ以外の何があるのだと言わんばかりの顔で、俺へと期待の眼差しを向けている。
本来ならば、俺は彼女の誘いを断り、また深い眠りにつくべきなのだろうけれど、俺は彼女の複雑且つ極めて重大な家庭を知ってしまっているのだ。
そう易々と断れない。
そして俺がなにより注視したのは、彼女の持つガーディのぬいぐるみであった。
薄汚く、酷く窶れているから、かなり古いものなのだと推測出来る。
大切に扱われてたかどうかなどは知る由もないが、少なくとも大切そうに両手で抱きしめている分には大事に思っているのだろう。
ガーディが好きなのだろうか。
いくらブルジョアの居眠り警備犬だとは言え、ガーディが好きだといってくれるのは嬉しい。
「じゃ...遊ぼうかな」
俺にはそんな台詞は全然似つかわしく無いくせに。
それでも、あの言い様も無い無力感を脳裏に思い浮かべて苦しむよりは遥かに楽であった。
不遇なる彼女を少しでも楽しませてあげたい。
ブルジョアの俺がそんな願望を持った所で、それはただの悪口にしかならないだろうけれど、俺の良心は彼女のためになれと叫ぶのだ。
「わーい」
やはり間延びした彼女の喜ぶ声に俺は頷く。
きっとこの判断は賢明であったのだろうか。
俺は資材の上へと飛び乗り、あの時と同様に軽やかなステップで有刺鉄線を飛び越えた。
「さあ、何で遊ぶ?」
俺は笑顔でそう尋ねた。
今日一日くらいは彼女と楽しく遊ぼう。
余計な邪推は捨て、久々に野原を走り回ったりするのも悪くは無い。
「うーんとね。鬼ごっこ!」
彼女の提案は俺の予想の範疇であった。
「よし、分かった。どっちが鬼だい?」
何故か、俺は妙に感慨深かった。
こんな幼いやり取りなど、柄ではないのに。
それとも、これは善意の齎す満足感なのだろうか。
「うーんとね。じゃあ、ガーディちゃんが鬼!」
まえのように本気を出すなんて不粋な真似はしない。
彼女を楽しませればそれでいいのだ。
「よーし行くぞー」
彼女の楽しそうな笑い声が響く、この道は、工場の裏門に続いているだけだから車なんて通らない。
それに脇道にそれると山道に入れるので逃げる道は沢山あるのだ。
万一、彼女を見失っても、俺にはこの嗅覚という武器がある。
最初の鬼ごっこはかなり白熱した。
2人しかいないのだからそれは当然でなのではあるが、俺は程よいスリルを味合わせるべく距離を調整したり、ステップを踏んだり、一気に加速したりと忙しい。
「きゃー」
楽しげな叫び声に俺もやや調子に乗り出す。
嗚呼、こんなことをしたのは何年ぶりだろうか。
もう、こんな楽しいことなんてあり得ないと思っていた。
少女は山道を往く。
舞い散る桜を浴びながら、綺麗な町並みを眺めつつ。
これほどの幸福を俺は果たして知っていただろうか。
何故、こんなにも俺は胸を熱くしているのだ。
走馬灯のように、小さかった頃の俺が脳裏に鮮烈に蘇った。
「こっちこっち!」
少女は脇道にそれて広葉樹林の繁る獣道へと走り出す。
俺もそれに続き、茂みを走り続けた。
この山は何度か着た事がある程度でそれほどに熟知はしていないけれど、もう野生のポケモンは出なくなってしまったらしい。
みんな、山を捨てて街へと、人間社会へと溶け込んだのだ。
やがて、彼女は広葉樹林を抜け、この山の頂上へと辿り着いた。
「うわぁ!」
彼女の歓喜した声に、俺も思わず鬼ごっこなど忘れて頂上へ立つ。
それは、言語を絶するほどに素晴らしい光景であった。
複雑な形で縫い巡らされた道路を横断するように創られた国道と線路、駅から建設途中のショッピングモール、ホテル、病院、植物園、この街で最も高いマンション。
何もかもが眼下に一望できたのである。
「凄い....」
俺は目を見開き、思わず驚嘆した。
日頃から微睡みを住処としていた俺にとって、これほどの情景をみることなど稀であったから、感動の余り涙が込み上げてきそうだ。
少女は暖かい風に髪を靡かせながら、倒木に座り込んで
「綺麗ねー」
そう、誰かに同意を求めるように言った。
俺は無言で頷く。
雄大で、壮大で、威厳に満ちあふれた街の風景をながめていると、今まで走っていた疲労感など初めから存在しなかったかのように消し飛ぶ。
この記憶は、きっと生涯忘れる事の無い、極めて異質なものになるだろう。
なぜならば、この日を境に茜は毎日の様に俺を遊びに誘い、山を練り歩く事が日課となった。
今まで睡魔の虜であったのだが、身体を動かす本能が再び現れて来たのだろうか。
そして不意に俺は思う。
これは、人間の言う友達というものではなかろうか。
ポケモンに友達という概念はあるし、俺も居ないという訳では無い。
だが、こんなにも一緒に居て楽しく、充足感を感じる友達は未だかつて知らなかった。
それは俺が、この閉鎖的な工場の中で生まれ育った為かもしれない。
とにかく、茜は俺の中でもかなり特別な人種として記憶されるようになったのだ。








異様に静かであった。
いつもなら茜は昼過ぎには遊びに来ていたのに、今日は来ないのだろうか。
それに、いつも騒々しい労働者の活気溢れる声も、何も聞こえない。
不気味な静けさである。
「......」
俺は明らかに人数の足りていない労働者を見据え、そして微かに焦燥感を募らしていた。
「ランドルフ、ご飯にしよう」
ご主人様が背後から声を掛ける。
相も変わらずの作業着姿で、やや太った40代前後のおっさんではあるが、俺のご主人様であり、固い忠誠を誓っているのだ。
剽悍な面持ちのまま、俺は工場の機械から飛び降り、やや虚ろな作業員の合間を縫ってご主人様のもとへと走る。
「さ、今日は質素に和食だよ」
ポケモンフードに和食があるのか俺は首をひねったが、正直、そんなことよりもこの人員の減り方の異常性が気になった。
まさかストライキでも起こしたのだろうか。
それとも、新手の病気なのか。
俺の中に様々な憶測が沸き上がるが、どうしても、あまりにも残酷な理由が脳に浮かんでしまう。
そんなこと、無いと信じたいが。
「...ご主人様、付かぬ事をお伺い致しますが、今日は人の数が少ないですね」
俺のそんな呟きも届かないのか、ご主人様は少し苦い顔をして、無言で和食ポケモンフードを皿に盛りつける。
「なにがあったんですか」
自分でも分かるほど、声が震えていた。
甚だ異常事態だ。
だけども、ご主人様は何も言わない、肩を震わせ、微かに涙を流しているのが見えた。
「...仕方ないんだ」
ゆっくりとご主人様は椅子に座り込んだ。
給湯室から蒸気の吹き出す甲高い音が聞こえる。
「....私だってこんな決断はしたくなかった」
俺の中の憶測は急激に収束していく。
最初から思い至る、あまりにも残酷な現実。
だけど、俺は未だそれが信じられなかった。
突然の解雇など、あまりに残酷ではなかろうか。
「避けられないんだ。この不況で、会社の業績は落ちる一方。このままじゃ正社員の生活すら危うい」
俺は何も言わなかった。
ただ、沈黙を貫いて、ご主人様の話に耳を傾ける。
恐らく、苦渋の決断なのであろう。俺は忠誠を誓っている身であるから、その判断にとやかくいうつもりはない。
「だから、派遣社員を切って行かなきゃならなかった。これが残酷だって事は知ってる。十分理解してる。だけど....」
そういうと、ご主人様は顔を俯けた。
大粒の涙が、足下の革靴を濡らす。
長い沈黙であった。
しかし、不意に、金属製の階段を駆け上がる様な、足音が俺の耳に飛び込む。
誰だろうか。
「.....」
やがて足音は確実に迫っている。
この部屋の前の連絡通路を渡り、廊下を伝う。
しかし、ご主人様は何も聞こえていないのか、俺の側を通り過ぎると、やや笑顔を見せてこう言った。
「...泣いている場合じゃないね。少し洗面所にいってくるよ」
扉を開ける、途端に早まる足音。
だけれど、その足音は明らかにおかしい、なにかを引きずる、金属の、不快な音を発している。
不味い。
「ご主人様!危ない!」
俺はご主人様へ飛び掛かり、給湯室まで突き飛ばした。
その刹那、俺の背中に鈍痛が走り、苦悶に表情を歪める。
「がっ」
ご主人様はそのまま部屋に転がり込んだが、俺は鉄パイプによって地面に叩き付けられる形となり、無防備なまま地面に激突する。
何か固いものが砕ける様な音がして、言語を絶する激痛が俺を襲った。
「うぐっ....」
視界がおかしい。
どうやら、片目が潰れたのか。
俺はかなり不鮮明な視界のまま、鉄パイプを握りしめる男を睨んだ。
そして、俺は息を呑む。
不明虜で顔はよく見えないが、こいつが持っている人形には、見覚えがあったからだ。
「....か...とう」
そう、それは血塗れのガーディの人形だった。
薄汚く、酷く窶れたそれは、まるで今の俺の様に血に汚れ、あらぬ方向に四肢が曲がっている。
「はは...流石、忠義に篤いですな」
嘲笑する声が聞こえ、俺はなんとかからだを起こそうと力をいれるが、どうも相当なダメージのようだ。
激痛に阻まれ、上手く身体が動かない。
ご主人様の悲鳴が聞こえる。
もう駄目なのか。
俺は宙を仰ぎつつ、滲んだ視界の中、鈍い音が身体の中に響く。
このまま死んでは駄目だ。
末吉は彼女の栄えある未来を奪ったのだ。
俺の尊敬するご主人様を殺そうとしているのだ。
「.....」
口に溜まっていた血反吐を吐き出すと、俺は給湯室へと入って行く加藤の姿を見た。
「お前が悪いんだ!お前が俺をクビにするから!お前が悪いんだ!自業自得だ!」
上擦った絶叫とともに金属の掠れる不快な音が数回木霊する。
彼女も、ご主人も。俺が護らねば。
「″かたきうち″」
あり得ない出来事ではあった。
恐らく、これほどの満身創痍で立ち上がるなどと夢にも思わなかったのであろう。
既に血を流して倒れているご主人様に止めを刺そうとする加藤は全くの無警戒であった。
俺は砕けた骨を内臓に突刺し、激痛に悶え、潰れた眼球のまま、血を吐き散らしながら絶叫する。
「この野郎ぉぉ!!!」
その刹那、加藤の身体は弾き飛ばされ、鉄筋コンクリート製の無機質な壁に激突した。
無論、生身の人間が無事な筈が無い。
その弾みなのか、火災報知器が鳴り響き、スプリンクラーが部屋全体に降り掛かる。
冷たい。
身体の熱がどんどん奪われて行く。
「....お...俺は....ついていきま..すよ...ご主人様...」
壁に寄りかかったまま、意識の無いご主人様にそう言うと、俺は落ちているガーディのぬいぐるみを抱えた。
俺と同じ、ぼろぼろで、もう治し様がないぬいぐるみ。
だが、俺は妙にこのぬいぐるみが大切なものに思えてならなかった。
それは茜が大切にしていたからなのだろうか。
「....きっと....また遊べる...はず...」
俺は割れた窓ガラスから外を見上げた。
まだまだ春らしい暖かい日差しが照りつけているのが見える。
もう、俺はいきて帰れた所で、すべきことはないのであろう。
ご主人様も、茜も、ましてやここまで満身創痍なのだ。
死こそが最善策だと、信じようではないか。
死後の世界でも、きっと会えるはずだ。







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非官能の部はかなりの激戦だったようで初心者の私としては凄まじかったです(ガクガクブルブル
こんな作品にも投票してくださった方、有難う御座います。
次回こそ優勝を目指して頑張ります。


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Last-modified: 2014-05-13 (火) 17:56:48
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