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クラーク卿殺人事件

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クラーク卿殺人事件 ~The Load Clark Murder Case~
※流血、死体等の表現があります。
作者:カナヘビ

登場一覧
カーマイクル・クラーク…クラーク家当主。
アルフレッド・クラーク…長男。
アイリーン・クラーク…長女。
マシュー・クラーク…次男。
フランクリン・クラーク…三男。
サリサ・ミスマギウス…アイリーンの手持ちのムウマージ。
ルクシア・アンファロス…マシューの手持ちのデンリュウ。
キース・クレフキ…クラーク家に仕える鍵番のクレッフィ。とてつもない老齢。
ツバキ・タカナシ…クラーク家に仕える家政婦。
アシル・マローワン…クラーク家に居候するブーピッグ。
テリィ・マローワン…アシルの娘のチラチーノ。家政婦見習い。
スティーブン・アンダーウッド…アンダーウッド弁護士事務所所長。
ジェームズ・クーパー…アンダーウッド弁護士事務所で働く青年。
ファイト警視…事件の担当刑事。
レジェン・アーカナイン…ファイト警視の部下のウインディ。

 

1 事務所 

 その電話は、事務所の静けさを突然打ち砕いたのだった。
 所長スティーブン・アンダーウッドの趣味で設置された、もはや化石と言っても過言ではない黒電話は、耳障りな音を室内に響き渡らせた。
 自分の机に足を置き、椅子にもたれかかって転寝をしていたアンダーウッド氏は、あまりに大きな音に驚き、椅子ごと後ろに倒れてしまう。
 アンダーウッド氏はすぐさま起き上がり、悪態を吐きながら、むしりとるように受話器を取るのだった。
「はい、こちらアンダーウッド弁護士事務所です。はい、承っておりますが。はい?」
 面倒くさそうに対応していたその口調は、途中から若干変化する。眉間に寄せていたしわは更に険しくなり、狐につつまれたような表情で頭を掻いている。
「……はあ。わざわざ、こちらに依頼されると? それは光栄なことで」
 口ではそう言っておきながら、その表情は厄介者に出くわしたかのように険しい。
「いいでしょう。承らせていただきます。日時等はどうされましょう? 明日ということで。はい? はあ。分かりました。伺います。では」
 露骨に嫌そうにしているアンダーウッド氏は、投げつけるように電話を置いた。白くなりかけた頭をかきむしり、首を振ってわざとらしく溜め息を吐いた。
 その目を、事務所内に向ける。アンダーウッド氏の電話の様子を見ていた何人かの弁護士は、慌ててデスクに目を戻す。思い出したかのようにペンを走らせる音が鳴り始め、さも忙しいような空気が漂う。
 アンダーウッド氏は顔を曇らせる。確かに暇であるわけではないが、切羽詰るほど急がしいわけでもない。アンダーウッド氏の面倒くさそうな客への対応が、案件の厄介さを周囲に察知させたようだった。その結果、人員全てが一斉に目の前の書類にとりかかったのである。
 アンダーウッド氏は溜め息を吐いた。顔をしかめながらも、1人の青年に照準を定めると、そろりそろりと歩いていくのだった。
「クーパー君。ちょっといいかな」
 アンダーウッド氏が声をかけたのは、青い目と短い金髪が特徴の青年だった。クーパーと呼ばれた彼は、びくりと体を震わせ、アンダーウッド氏に顔を向ける。
「は、はい」
 おどおどとした口調。周囲に合わせて忙しそうにしていたが、彼の机の上には数枚の書類しかない。
「君がこの事務所に入って1ヶ月が経つわけだが。書類整備や誤字脱字チェックだけでつまらなくはないかね?」
 アンダーウッド氏は聞く。
「は、はい。正直、体にカビが生えそうで、つまらないですね。そのうち、カビに体をのっとられて、パラセクトの亜種みたいになるんじゃないかと危惧しています」
 クーパーは真面目に答える。
「そうか。それなら、都合がいい」
 アンダーウッド氏は言うと、周囲を顎で指した。周囲は、やはり忙しそうにキーボードを叩いたり、ペンを走らせたりしていた。
「見ての通り。どうやら、先程舞い込んできた依頼を、みんな受けたくないようなんだ。電話の態度で、内容の厄介さを察知しているんだろう。そこで、だ。ジェームズ・クーパー君にこの件を初仕事として与えようと思ってな」
「本当ですか?」
 クーパー青年は目を輝かせる。
「仕事といっても、遺言書とそれにともなう遺産相続の相談だ。1人のじいさんが、遺言書を書きたいから、それの立会いと調停、保管の依頼だ。そんなに難しくはないから、初仕事にうってつけだろう」
「確かに、そうですね。ありがとうございます」
 クーパーは頭を下げる。
「まあ。がんばるといい。依頼人はあのクラーク卿だが、大丈夫だろう」
 アンダーウッド氏が何気なく付け加えた一言で、事務所内の空気は一気に凍りつく。
「クラーク卿、ですか?」
 クーパーは一瞬目を逸らす。
「そうだ。君も聞いたことがあるだろう。あのクラーク卿だ」
 アンダーウッド氏は真顔だった。嘘や冗談を言っているようには見えず、それが更に不安感を煽る。
「そんな方の依頼を……僕が受けるのですか?」
 クーパーは思わず確認した。
「そうだとも。クラーク卿ほどの金持ちが、なんでこんな並の事務所に依頼をしてくるのかは分からないがな。だが、これはチャンスだ。クラーク卿の依頼を遂行したら、我がアンダーウッド弁護士事務所の名もあがり、依頼が流れ込むかもしれん。そのための大事な仕事だ。それを、君にしてもらおうと言うんだ。光栄な話だろう?」
 アンダーウッド氏は笑顔を作って言った。
 クーパーは困りきった表情をしていた。頬を薬指で掻きつつ顔を暗くし、著名人の依頼を受けるには荷が重いとも言いたいようにも見えた。周囲を見ても、誰も助け舟を出すような様子もなく、ひたすら書類等と向き合っている。
「……はい。光栄です。早速、明日に向けて準備をしたいと思います」
 クーパーもまた作り笑顔で言った。クーパーはすぐさま座り、引き出しからファイルを取り出して必要書類を出し始めた。アンダーウッド氏は満足そうに頷き、軽い足取りで自分のデスクに戻っていく。机の上の書類に手をつけるでもなく、また机の上に足を上げて椅子にもたれかかる。
「あの……」
 書類を忙しそうに書いていた弁護士の1人が、アンダーウッド氏に声をかける。
「なんだ?」
「本当に大丈夫なのですか? クーパーはまだ経験がほぼありません。民事裁判にすら立ったことのない彼に、そんな大事な依頼を任せて、失敗でもしたら……」
「なんだ、君が受けたいのかね?」
「いえ、決してそういう意味では……」
「なら、口出しは無用だ。どうしてクラーク卿みたいな富豪が、こんな中堅弁護士事務所に依頼をしてくるのかは分からないが、そんな有名人の依頼を受けるなんて、みんな嫌なんだ。それを受けてくれるのが、唯一彼だけなのさ。何も言わずに、送り出せばいい」
 言いたいことを言いたいだけ言うと、アンダーウッド氏は体を大いに反り、睡眠の体勢に入った。
 弁護士、事務員ともども、何も言わずに仕事に取り掛かっている。少し騒がしくなったその後は、事務所内には静けさが戻った。紙の上を走るペンの音、ファイルをめくる紙ずれの音が事務所を支配する。その中に、小さいながらも耳障りないびきが聞こえ始めたのは、しばらくしてからだった。

2 クラーク邸にて 

 通話が終わると、受話器は静かに置かれた。握り締められた手は、それなりにしわが多かった。
 クラーク邸の主であるカーマイクル・クラーク卿は、邸内でも広めの部屋を自分の書斎兼寝室として使っていた。おびただしい量の本が壁を多いつくし、そのどれもが古いものだった。部屋の入り口と向かい合うように茶色い巨大なデスクが置いてあり、入り口とデスクの間には応接スペースとしてテーブルとソファーが置かれていた。デスクの後方には大きなベッドがあり、白い布地が日差しを反射していた。
 クラーク卿自身はといえば、白髪が頭上で繁茂する70代前後の老人だった。乾いた唇に、右目にかかった片眼鏡。年齢の割に老いを感じさせない、はつらつとした眼力を持っていた。
 クラーク卿のデスクの上には、写真立てや羽ペン、インクの他に、いくつかの書類が載っていた。既に書き終えているらしいそれを、クラーク卿はデスクの引き出しにしまう。そして、手元にあるベルを鳴らした。
 10秒も経たないうちに入り口がノックされ、失礼しますと声がかけられた。鍵を開ける音と共に入ってきたのは、40代と思われる女性と若いチラチーノだった。
「タカナシさん、テリィさん。朝食とコーヒーは美味しくいただいたよ。ありがとう。ごくろうだと思うが、これを下げて欲しい」
「かしこまりました」
「かしこまりましたわ」
 クラーク卿の頼みに、タカナシと呼ばれた女性とテリィと呼ばれたチラチーノが返事すると、両者は静々とデスクに近づく。タカナシはまず、食器類の載った盆をテリィに渡し、そのすぐそばにあったポットを自分で持った。デスクから離れると、一礼して部屋から出て行った。
 部屋から出たタカナシは、そのままテリィとともに廊下を歩いていき、正面に見える戸に入ろうと手をかける。
「ちょっとちょっと、待ってってばー!」
 慌しい声がどこからともなく聞こえてくる。廊下の向こうから、まるで電車に乗り遅れる寸前のような表情で、1体のクレッフィが向かってきたのだった。
「だからさぁツバキちゃん、待っていてって言ってるじゃんかぁ」
 クレッフィはタカナシの眼前をやかましく上下している。自らの鍵輪に1つだけかけてある鍵を鳴らしながら、クラーク卿の部屋を施錠するのだった。
 その足元から、テリィが進み出てくる。
「ごめんなさいキースさん。タカナシさん、ちょっと待てなかったみたいで……」
「テリィちゃんが謝る必要はないよ。かと言って、ツバキちゃんも謝らなくていいけどね、いつものことだし。んじゃ! 次はちゃんと待っててねー!」
 キースは来た道を戻っていく。それを見届けたタカナシとテリィは、改めて、正面の部屋に入っていったのだった。
 それなりの広さがある調理室。大勢の来客があっても、その人数分の食事は作れる程度の広さはあった。
 タカナシはシンクの前に立ち、先にポットを置いた。テリィから盆を受け取り、蛇口から水を出す。食器洗いを始めたようだ。
 テリィは再び調理室から出た。クラーク卿の部屋の前を経由して、大きな玄関前ホールに差し掛かった。そこを奥へと進み、巨大な扉の前に立つ。テリィは、その下方についている小さな戸をあけて中に入った。
 その部屋は、非常に広かった。クラーク卿の部屋より大きく、テーブルクロスをひいた巨大な長テーブルが部屋の大半を占めていた。
「はい、ルクシア。あーんして」
「あーん」
 テリィの耳に聞こえてくるのは、男女一組の声。テリィは溜め息を吐きつつ、顔を染めて、声の聞こえてくる方向へと行く。
 椅子に座って食事をしていたのは、デンリュウと男性だった。隣に座りあって、それぞれのスプーンやフォークを互いの口に渡していた。
「うーん。ご主人さん、おいしいです」
「じゃあ、ルクシア。君からもおくれよ」
「もちろんです。はい、あーん」
「あーん」
 テリィは、目の前に繰り広げられる光景に、目を背けずにはいられない。恥ずかしいのではなく、痛々しいという意味合いをこめて、テリィは目を向けたくなかった。しかし、皿をさげる必要もあった。毎日のように続くこのジレンマに、テリィは心から疲れているようだった。
「マシューさん。ルクシアさん」
 テリィは声をかけた。互いの口に食べ物を運ぶことに夢中になっていた両者は、声に気がついてその手を止めた。
「ああ、テリィ。皿を下げるんだね? もう少し時間がかかりそうなんだ。アシルは食べ終わってるみたいだから、先にそっちを下げるといいよ」
 マシューと呼ばれた男性は言うと、隣のデンリュウと向かい合って食事の渡しあいを続ける。
 テリィは溜め息を吐き、小さな足をぱたぱたと動かしてテーブルの反対側へと急いだ。
 テーブルの反対側。マシューとルクシアが座っている向かい側には、初老のブーピッグが座っていた。食事は既に終わっているようで手は動かしておらず、目を閉じてステッキを両手で持ち、瞑想をしているようだった。その右腕には、黒い腕でもはっきり分かるような、冷たく黒光りする腕輪がはめられていた。
「お父様!」
 呼びかけられたブーピッグは目を開け、微笑と共にテリィのほうを向く。
「テリィ、おはようございます。いつもご苦労様です」
 アシルと呼ばれたこのブーピッグは、慇懃無礼な口調で言う。
「お父様! わたくし、どうすれば良いのでしょう! マシューさんとルクシアさん、いつもああしてるんですよ! 互いに好きあうことはいいことですけど、ポケモンとヒトなんですよ? さすがに限度がありますわ!」
 テリィは癇癪を起こしているようだった。
「テリィ、こればかりはわたしにもどうにもならないのですよ。あの光景を見て、あなたが恥ずかしくなるのは分かりますが、だからといって周囲に迷惑をかけているわけでもありません。好き合う者達は、見ていて美しいものですよ。決して、壊すべきではありません」
 アシルは諭すように言った。テリィは納得しがたいようだったが、小さく溜め息をついて癇癪をおさめるのだった。
「……分かりましたわ。わたくしも、器が小そうございました。見守らせていただきますわ。さあ、お父様。食器をくださいな」
 テリィが小さな両手を差し出すと、アシルはテーブルの上から盆を持ち上げた。ステッキを器用に持ちながら、やや下げにくそうにしつつも、テリィに盆を渡す。
「お父様、お気をつけて。もう少し、もう少しですわ。はい、受け取りましたわ」
 やっとのことでテリィは受け取ると、盆の重さでよろけながらも体勢を整えた。
「あら、お父様! またお紅茶を残していらっしゃるのですか?」
 テリィは咎めるようにアシルに言った。盆の上に乗せられたカップには、冷めた紅茶が残っている。
「テリィ、何度も言っているではありませんか。紅茶はわたしの口に合わないのです。生き物が飲むとは思えぬほどの、恐るべき毒物の風味が口内に広がるのですよ! そして、今回も。少しは違うだろうかと口に含んでみたものの、次の瞬間には後悔しましたよ。ええ、しましたとも!」
 アシルの苦笑交じりの熱弁にテリィはぐうの音も出ず、仕方ありませんわねとだけ言ってその場を後にする。戸の前に立つともう1度向き直り、頭を少し下げるように一礼して大広間を出て行った。後には、いまだにいちゃつきながら朝食を摂るマシューとルクシア、瞑想を続けるアシルが残された。
 スプーンやフォークが食器とぶつかる音は、その後もしばらく続いた。まるでカップルのように互いに食べ物を渡しあうマシューとルクシア。その頬はほんのりと桃色に染まり、ひとたびでも目を逸らせば死んでしまうかのようにずっと見つめ合っていた。食べ物をすくいあげるスプーンが何度も空振りし、あるいはスープ類などがこぼれたりするが、特に気にする様子はなかった。
 結果、彼らが朝食を食べ終わった後には、スプーンもまともに握れない幼児が一人で食事をしたかのような盆が残されたのだった。その事に気付いていないのか気にしていないのか、マシューとルクシアは特に拭くこともせず、互いに手をつないで、テリィが出たほうではないもう1つの戸から出て行ったのだった。
 残っていたアシルは、大広間が静かになったあとすぐに目を開いた。そして、彼の額の黒真珠が鈍い紫に輝いた。すると、彼の体はふわりと浮かび、椅子からゆっくりと離れて地に足をつけた。次に、マシューとルクシアが残した盆も浮かんだ。空中で皿や椀などがそれぞれ重なりあいながら、アシルのステッキを持つ手におちついた。
 アシルが戸に近づくと、取っ手がひとりでに回り、その道が開く。アシルの黒真珠は紫の輝きをなくしていき、黒に戻る。満足げに顔をほころばせると、アシルは静かに歩いた。
 クラーク卿の部屋の前を横切り、水の音が騒がしい調理室へと行く。アシルがその戸をノックすると、向こう側から開かれた。
「あら、アシルさん。また持ってきてくださったのですか?」
 戸の向こうにいたのは、タカナシだった。
「ええ。いつものことです。あまり気にされないでください。そして、いつものように、マシューさんとルクシアさんはたくさんこぼしています。洗い物が大変だとは思いますが、よろしくお願いします」
 アシルは当然といった様子で答えた。タカナシはしゃがみこんで盆を受け取り、一礼して戸を閉めた。アシルは満足げに頷くと、ステッキをつきながら調理室の隣の戸に入っていった。
 アシルが入った部屋は、非常に質素だった。電気こそシャンデリアだが、家具などはとても少なかった。箪笥は小さいものが1つで、アシルが座れるような安楽椅子が部屋の中央に一脚あった。部屋の端には、小さなテーブルと椅子が数脚、立てかけられていた。ベッドは、ヒトの寝るようなシングルが窓際にあった。どうやら、アシルの部屋らしかった。
 アシルはゆっくりと歩いていくと、安楽椅子に腰掛け、目を閉じた。
 そのまま、アシルは安楽椅子に揺られていた。壁越しに聞こえてくる、小さな水の音を聞きながら。時には忙しそうにばたばたと音が聞こえ、時にはフライパンで何かを焼くような音が聞こえてくる。そういった生活音を聞きながら、アシルは揺られていた。
 突然、呼び鈴のような音が鳴り響く。調理室から出る音が聞こえ、少し静かになる。ややあって、アシルの部屋がノックされた。
 アシルは静かに目を開け、椅子から下りてステッキをつきながら戸に近づく。ノブは独りでに回り、開けられた。
「アシルさん。クラーク様がお呼びになっております」
 戸の前にいたタカナシが言った。そばでは、浮かれたような表情のキースが、1つの鍵をじゃらつかせていた。
「はい、鍵~……って、言おうと思ってたんだけどね。アシル君、ちょっとボクもついて行くよ」
 キースはやや考え込むように言う。
「分かりました」
 アシルは頷き、タカナシに目配せした。タカナシは一礼し、そそくさと調理室へと入っていった。
 特に急ぐ様子でもなく、アシルはクラーク卿の部屋の前にいた。短く2回ノックすると、戸の向こうから返事がした。すかさずキースが鍵を差し込み、体を大きく捻って開錠した。
それを見届けて、アシルは静かに戸を開けた。
 部屋の中を見たアシルは、つい頬を緩ませてしまう。机の向こうにいるクラーク卿は、それは険しい仏頂面で座っていたのだった。
「アシル。……それと、キースもか。まあ、座って欲しい」
 クラーク卿が促す。アシルは一礼し、ステッキをそばに置いてから、机と向かい合わせになっているソファーに座る。アシルは背が低いため、小さなサイコパワーで自らの体を浮かせ、ソファーの上に乗せるのだった。キースは当然座ることなどできず、アシルのそばで浮いていた。
「カーマイクル。もしかして、本当に呼んだんじゃないだろうね?」
 キースが問い詰めるように言う。クラーク卿は頬を薬指で掻きつつ、とてもばつが悪そうな顔で、ゆっくり頷いた。
 キースの顔が強張ってくる。もともと鉱物質の顔が、さらに固くなっているかのようだった。
「あのねぇ、カーマイクル! いくら君が老いたからって、何もピンピンしてる時に遺言書のことなんて考えなくていいじゃないか! 確かに、君ほどの年齢になったら、そういうことが心配になってくるのは分かるけどさ、いくらなんでも後ろ向きすぎるよ! 君がもうすぐ死ぬって言うんなら、ボクなんかどうなるのさ!? だいたい……」
「まあまあ、キースさん」
 アシルが穏やかにキースを宥める。キースの言葉は止まったが、すこぶる拗ねているようだった。
「だいたい、アシル君もどうしてほいほいと弁護士を紹介しちゃうのさ? 疑問持つなり怒るなりするべきだよ」
「申し訳ありません。疑問は持ったのですが、それでありながらクラーク卿の言葉に耳を傾けてしまいました」
「もう」
 キースは閉口してしまう。アシルとクラーク卿を交互に見、呆れているようだった。
「クラーク卿。あちらの対応はいかがでしたか?」
 アシルが聞く。
「とても嫌そうな口調だった。あっちの表情が見えるようだったね。でも、引き受けてはくれた。明日、来るように段取りしたよ」
「ああ、そうでしたか。あのアンダーウッドの対応を受けても依頼をされるとは、クラーク卿は心がお広いですな」
「せっかくアシルが紹介してくれたんだからな。それに、腕はいいと聞いていたからね」
「ええ。口と態度と仕事に対する姿勢は最悪ですが、腕は確かです。他に紹介できる者がいればよかったのですが、他に知っている者がいなかったものでして」
 アシルは済まなさそうに目を逸らしているが、クラーク卿は、いいんだというように首を振っていた。その両者のやり取りを、キースは気に食わないと言いたげな表情で見ていた。
「明日、子どもたちもここに呼んでいるんだ。財産のことについて説明したいから、アシルとキースも同席してくれるか?」
 クラーク卿の頼みに、アシルはゆっくり頷いた。キースは相変わらず不服そうにふてくされている。
「子どもたちって、アルフレッドとアイリーンに連絡はつくだろうけどさ。フランクリンにはついたのかい?」
 キースは聞いた。クラーク卿は俯き、頬を薬指で掻く。
「つかなかった。そもそも、どこにいるのかも分からない。どこで何をしているのか……。あいつには悪いが、アルフレッドとアイリーンとマシューだけで相談することにしたよ」
「まただ! またフランクリンが仲間はずれだよ! 全く!」
 キースはうんざりといった様子で溜め息をつく。アシルは口を挟めず、苦笑しているばかりだった。
「昔からずっとそうだよね? 何かにつけてフランクリンをのけ者にしてさ! 彼が嫌いなのかい?」
「そうじゃない。ただ、本当に都合がつかないだけさ。それに、フランクリンにとって間が悪かったこともある」
 クラーク卿は弁解するように言った。キースは納得していないようで、付き合っていられないと言いたげに目を逸らした。
「まあまあキースさん。クラーク卿に悪気はありません。財産のことを考えたり、子供たちを呼んだり、きっと何か考えがあってのことでしょう。キースさんもお年を召されているのですから、あまりお怒りなさらずに」
 アシルの牽制に、キースの呆れ顔は徐々に苦笑に変わっていく。
「うん。分かった。ボクも、ちょっと熱くなってたよ」
 キースは下を向き、息を整えている。その小さな後頭部を、アシルは優しくさする。
「クラーク卿。わたしとキースさんは、揃ってその話し合いに加わらせてもらいます。お力になれるかどうかは分かりませんが、可能な限り、尽くさせて頂きます」
 アシルは深々と頭を下げた。キースも、その弱りきった顔を上げる。
「はあ。仕方ないな。まあ、君に限らず、ヒューベルトもベオグランドも先に死んじゃってるしね。君もまた、ボクがいるうちに死ぬかもしれないし。もっと前向きにいて欲しかったけど、ヒトの寿命は短いし、そういうことを考えるのは当然なのかな。やれやれ、長生きって、意外とつらいね」
 キースはしみじみと言った。言葉が後半になるにつれて、微かにしわがれてくるようだった。
「ありがとう。アシルとキースがいると、心強いよ。特にキースは、クラーク家のご意見番として、いい役割を果たしてくれると思う」
「ご意見番は言いすぎだって。ただの鍵番さ。君の部屋のね」
 頼ってくるクラーク卿に対し、くすぐったそうに応じるキース。体が不安定に揺れ、付いている鍵が小さな音を出していた。
 アシルは微笑み、ソファーから体を下ろした。
「明日同席させていただくならば、わたしも少しばかり考え事をしなければなりません。クラーク卿、失礼します」
 アシルは頭を下げ、ゆっくり背を向けた。ステッキを手に取り、穏やかな足取りで戸に向かうのだった。キースは横目でちらりとクラーク卿を見たあと、口を引き締めてアシルに続くのだった。
 部屋に残されたクラーク卿は、机の上の分厚い冊子を手に取る。電話帳らしいそれをぱらぱらとめくり、しおりの挟まれている箇所に、軽く手の平を乗せるのだった。

3 弁護士来訪 

 カーマイクル・クラーク卿といえば、この国においては非常に有名な人物である。世界的に有名というわけではないが、影響させようと思えば、世界的な影響を与えることが可能な人物である。
 有名どころでは、たとえば能力増強アイテム。タウリンやブロムヘキシンなど、一般的に基礎ポイントや努力値などといわれる、ポケモンの能力をあげるアイテム。それらを製造しているのが、クラーク卿のまとめる会社である。
 元はといえば、クラーク卿の祖父に当たるヒューベルト・クラーク卿が興した会社である。販売当時は、そのあまりの高値に買う者は少なく、買うといっても数個単位であることが多かった。そもそも、昔はポケモンのステータスについてはあまり知られておらず、アイテムを与えることでの成長など、微々たる物だと思われていた。しかし、時代が進むにつれて認知が進み、ポケモンの基礎ポイントが視認できるようになると、需要は一気に拡大。お守り小判や幸運のお香などの賞金倍増アイテムが普及したことも影響し、100個近くを大人買いする者も現れた。そうして消費が多くなったことにより、企業は見る見る成長していったのである。
 その会社の3代目社長であるクラーク卿も、先代や先々代に劣らない手腕で会社をまとめあげ、会社を存続させている。ここ数年は隠居気味だが、それでも、先導役として会社を引っ張っているのだった。
「ここだな……」
 そんな、誰もが認める著名人の邸宅の前に。ジェームズ・クーパー青年は、引き締まった顔立ちで立っていたのだった。
 来る者を圧倒する、雲突く高さの門。今は開いてこそいるものの、閉まっていれば萎縮してしまうであろう威圧感を放っていた。敷地を囲む塀もまた見上げるほどの高さがあり、一切の凹凸がない、滑らかな壁面となっている。
 クーパーは頷くと、一歩を踏み出した。大きな口を開ける門の中へと、鞄を揺らしながら入っていく。
 塀は巨大だったものの、門から玄関まではそれほど離れていなかった。5メートル程度の敷石の道が続くと、すぐに着いたのだった。敷石の右には芝生、左には砂利が敷かれていて、それらが塀の突き当りまで続いていた。
 クーパーは玄関前に構えると、呼び鈴を鳴らした。ややあって、扉が開き、1人の女性、タカナシが出てくる。
「失礼します。クラーク卿より依頼を受けた、アンダーウッド弁護士事務所の者です」
「はい、お話はお聞きしております。どうぞこちらへ……」
 タカナシは一礼し、ついて来るように促す。玄関からまっすぐ進み、大広間の戸へ進んでいく。
「今、他のお客様が見えております。お帰りになるまで、こちらでお待ちください」
 タカナシは戸を開け、大広間へとクーパーを迎え入れる。
 長テーブルの椅子の1つにクーパーを座らせ、一礼してその場を去る。クーパーを息を継ぎ、楽に椅子に背中を預けた。
「アンダーウッドの所から来たのですね?」
 突然、声がかけられた。周囲を見回すと、そう遠くない椅子に座っているブーピッグが目に入った。
「失礼しました。わたしはアシル。クラーク卿のもとに住まわせてもらっているのですよ。アンダーウッドとはちょっとした知り合いでしてね。しかしよもや、これほどまでの若者が来るとは、予想もしませんでしたな」
 アシルは椅子から降り、クーパーに近づいてくる。微笑みながらクーパーを見ていたアシルは、クーパーの隣の椅子に座った。
「どうも、ジェームズ・クーパーです。アンダーウッドさんの知り合いなのですか。僕も、お会いできて嬉しいです」
 クーパーは笑顔を見せ、手を差し出す。アシルも短い手を出し、互いに握手をした。
「なるほど、あなたなら安心できそうですな。アンダーウッドとは違って、露骨に仕事を嫌がるような態度を見せたりはしないでしょう。今日は、クラーク卿の為によろしくお願いしますよ、クーパー先生」
「先生だなんて。とんでもないですよ」
 クーパーは恥ずかしそうに頭を掻きながら言う。アシルは満足そうに頷き、近くの椅子に座った。
「まあ、座っていると良いでしょう。どなたかお客さんが来ているようで……。お帰りになられたら、タカナシさんが呼びに来られますよ」
「はい、そうさせてもらいます」
 クーパーは答えると、近くの椅子に腰を預けた。鞄を膝の上に置き、大きな広間を見渡す。
「いつも、1体でここにいるんですか?」
 クーパーは話しかける。
「ええ。朝食時には、もうお二方ほどいるのですが、今は部屋にいます。ここにいるか、自分の部屋にいるかですね」
 アシルは答える。
「お二方? こんなに広いのに、人数はあまりいないのですか?」
「はい。いつもこの広い部屋を、わたしとマシューさん、ルクシアさんとで使っております。ああ、マシューさんというのは、クラーク卿の次男にあたるご子息で、ルクシアさんはそのポケモンです。以前は、ここでパーティなどを催していたようなのですが――」
 アシルの説明が続き、クーパーはそれを、身を乗り出して聞いていた。クーパーが聞いてもいないような、クラーク卿の家柄や、身の回りの出来事について話が続く。それらの話を聞く中で、クーパーが一番見ていたのは、説明しているアシルだった。目を輝かせているわけではないが、ただならぬ興味を持った目でまじまじと見ていた。
「む? どうかしましたか?」
 さすがにアシルも気付いたようで、クーパーに問いかけた。クーパーも、自身のしていた無意識の行動に気付き、はっと我に返った。
「すいません。こんなに間近でポケモンを見たのは久しぶりだったので、つい」
 クーパーは気恥ずかしそうに頭を掻いた。アシルは静かに笑みを浮かべる。
「ご自分のポケモンをお持ちでないのですか?」
「はい。一人暮らしで、その余裕が無いもので」.
「そうでしたか。アンダーウッドの事務所にも、ポケモンはいませんからね。ポケモンと触れ合う機会が少なくなってしまうのも、無理はないのかもしれません。仕方ないことではあるのですが、そういった目で見られると、わたしも少々照れくさくなってしまうもので……」
 実際に照れてはいないものの、アシルはやや目を逸らし気味だった。
「これから、クラーク卿と何度も会うことになるでしょうから、徐々にポケモンに慣れていって下さい。わたしならまだ構いませんが、ルクシアさんなどの女性のポケモンをそういった目で見ていると、何か勘違いされてしまいますからな」
「はい、分かりました」
 クーパーは頷いた。
 話の切れ目に、短いノックの音が割り込んでくる。静かに戸が開くと、タカナシが一礼と共に入ってきた。
「お待たせしました。クラーク卿のお部屋へ、案内いたします」  
 クーパーはアシルに目配せし、軽くお辞儀した。アシルも軽く返し、静かに目を瞑った。クーパーはタカナシに目を向け、案内を促した。
 タカナシは背を向けると、静々と部屋を出た。クーパーも続き、大広間の戸を閉めた。
 玄関ホールを横断し、廊下に差し掛かってすぐの、大きな扉の前で立ち止まる。
「ん、来たんだね」
 扉の前には、鍵を1つぶら下げたクレッフィ、キースが待っていた。気が進まなさそうに体を揺らし、じっとりとした目でクーパーを見ている。
「まさか、2人来るなんて思ってなかったよ。カーマイクルは何を考えてるのか知らないけど、まあ仕方ないのかな」
 キースは、扉に向けて顔を小さくしゃくった。
「戸は開いてるから、入りなよ。中にカーマイクル――もとい、クラーク卿がいるよ。用が終わったら、この扉の前で待っててね。ボクが鍵をかけにくるから。せっかく鍵を持ってるんだから、いちいち使わないともったいないからね。こういう感じで使わせてもらってるんだ。じゃ、そういうことだから」
 キースはくるりと背を向け、去っていく。タカナシは一礼し、すぐ近くの戸へと入っていった。
 クーパーは扉の前に立ち、まっすぐ見た。大きな扉を前に、心なしか鞄を持つ手に力が入っているようだった。一呼吸置き、軽くノックする。中から返事が聞こえ、クーパーは扉を静かに開けた。
「失礼します」
 クーパーは一礼し、進み出た。机の向こうに穏やかな表情で座っているクラーク卿も、クーパーに倣って礼を返した。
「よく来られましたね。こちらに座ってください」
 クラーク卿は手で促した。クーパーは、恐る恐るといった様子で席に座る。
「アンダーウッド弁護士事務所から来ました、ジェームズ・クーパーです。本日は、アンダーウッド氏の都合が付かないということで、代理として来させてもらいました」
 クーパーはきわめて自然に、散々練習させられた文句を述べる。少々棒読み気味だったが、クラーク卿は特に気付くこともなく、小さく頷いた。
「そうでしたか。それはご苦労様です。何か、お茶の1つでも出しましょうか?」
「いえ、おかまいなく」
 クラーク卿の誘いを、クーパーは丁重に断る。鞄を机の上に出し、書類を並べる。
「早速、本題に入らせていただきます。私たちに、遺言書を信託していただけるという用件だったと思うのですが」
「そうです」
 クラーク卿は体を少し下げ、引き出しを開いて、中から1枚の紙を取り出した。無駄な皺がつかないよう、慎重に折り目をといていく。
「これです」
 クーパーは両手で丁寧に受け取り、ゆっくり机に置いた。鮮やかなペン字で書かれたその字を、クーパーは読み上げていく。
「私、カーマイクル・ベオグランド・クラークは、以下に、死後の財産分与、配分を、ここに示すものとする。1、長男、アルフレッド。我が会社の代表取締役に任命するものとし、その総資産全てを与える。2、長女、アイリーン。我が会社の発行する株を90%与え、筆頭大株主とする。これにより、長男に対しもっとも意見できる立場とし、互いの切磋琢磨を望む。3、次男、マシュー。我が住居内における永遠の自由を与え、住む者たちと共に暮らしていくことを望む。これらを言い遺し、死に至るものとする。筆者、カーマイクル・ベオグランド・クラーク」
 クーパーは頷き、折りたたんだ。
「内容はこちらで間違いないでしょうか?」
「間違いない。では、お願いできますか?」
「はい。責任を持って、お預かりさせてもらいます」
「ありがとう。後日。請求書をここに送ってください」
「分かりました」
 クーパーは、鞄の中に書類を入れた。ほっと息をつき、額の汗を拭う。
「緊張していたようですね。大丈夫ですか?」
「いえ……。実は、今日が初仕事だったもので。大いに緊張してしまいました」
「そうだったんですか。本当にご苦労様です」
 クラーク卿は頭を下げる。
「では、アンダーウッドさんが待っているので。失礼します」
 クーパーは立ち上がり、一礼する。苦笑交じりの顔で背を向け、重い足取りで歩く。緊張感に満ちたその後ろ姿は、ゆっくりと部屋から去っていくのだった。
 1人になったクラーク卿は、大きく溜め息をつき、椅子にもたれかかった。手のひらで目を覆い、非常に疲弊した様子だった。やがて起き上がり、電話を取って番号を押す。険しい顔で少し待ち、話し始めるのだった。
「もしもし、アンダーウッドさんかな? 先程、そちらの弁護士が来てくださったんだが――」

4 発見 

 大きさにそぐわず、それほど音も鳴らない扉を、クーパーはゆっくり閉めた。廊下には、クーパー1人だけだった。
 数秒ほどして、微かな扉の音を聞いたのか、キースが急いだ様子で来る。
「あ、いたよ。今、話が終わったんだね? 何回も扉の音がした気がしてさ。何回も来ちゃったんだよね。その度にいないもんだから、困ってたんだ」
 キースは満足そうに頷き、所持していた鍵で扉を施錠した。
「それじゃ、気をつけて帰ってね。あ、家の中を探検したりせず、まっすぐ出るんだよ? 近頃、色々と見て回っちゃうヒト多いからね」
「分かりました」
 クーパーは頭を下げ、出口に向かって歩く。その際、1人の男性とすれ違う。スーツ姿で、精悍な顔立ちをした青年だった。クーパーは扉を開け、まっすぐ外へと出て行った。
「アルフレッド!」
 叫び声と共に、キースは嬉しそうに寄っていく。
「キース! 久しぶりだな。まだまだ元気そうで何よりだ」
「何言ってるのさ。ぼくはまだまだ元気だよ」
 キースはふんぞり返るように体を傾けて言う。
「というか、アルフレッド! 呼び鈴鳴らしてないでしょ? ちゃんと鳴らしてから入りなよ!」
「いや、別にいいじゃないか。実家なんだし」
「親しき仲にも礼儀ありだよ」
「やれやれ、分かった分かった」
 アルフレッドは肩をすくめて言う。
 そこに、騒がしさが耳に入ったのか、テリィが走ってくる。
「あら、アルフレッドさん! お帰りなさいませ!」
 テリィはぺこりと頭を下げる。
「お、テリィ! 元気してたか?」
「はい。クラーク様のおかげで、元気に過ごさせていただいていますわ」
「そうか。よかったよ。悪いが、お茶を用意してくれるか?」
「かしこまりましたわ」
 テリィはもう1度頭を下げ、そそくさと去っていく。アルフレッドは満足そうに頷く。
「相変わらず、彼女は可愛いね。チラチーノの特権だろうな」
「そういえばアルフレッド。君、まだポケモンを持ってないのかい?」
 キースは覗き込むようにして聞く。
「いや、持ってる。でもまあ、特に連れてくるような用事でもないと思ったし、置いてきたんだ。留守番にもなるしね」
「そうなんだ」
 アルフレッドは進み始めた。キースと並んで、大広間へと向かう。
 大広間の戸を開けると、中にいたのは1体のブーピッグだった。
「アシル! テリィがいたから、やっぱりいると思ったよ」
「む? これはこれは、アルフレッドさん」
 椅子に座っていたアシルは、ひょいと体を下ろし、嬉しそうに近づいた。
「たいへんお久しぶりです。お会いしたのは、クラーク卿夫人が逝去されたとき以来でしょうか」
「そうだな。あえて嬉しいぞ」
 両者は互いに握手を交わし、同時に座る。その直後、お盆を持ったテリィが静々と入ってきた。
「失礼します」
 少々大きめの盆を、テリィは慎重に運ぶ。盆には4つのコップが載っていて、1つはかなり小さめだった。若干ふらつき気味のその様子を見て、アルフレッドはそっと盆を受け取った。
「ありがとう。ちょっと多いみたいだが?」
「アイリーンさんもいらっしゃると聞いていましたから。あと、キースさんの分もと思いまして」
「おっと、気を使わせちゃったね。ありがとう」
 キースは軽く頭を下げる。
 アルフレッドは盆を置き、コップの1つをアシルに渡した。キースは小さめのコップをサイコキネシスで浮かせ、ちびちびと飲む。
「うん、久しぶりにテリィの淹れた茶を飲んだけど、やっぱり自分のとは違うな。真心や愛が込められてるんだろうな」
「うふふ、たくさん入れさせていただきましたわ」
 アルフレッドが褒めたことが嬉しかったのか、テリィは上品に笑う。キースも味わっていたが、アシルはといえば、好きではない茶の味に苦戦しているようだった。
 ふと、玄関のほうから呼び鈴の音がした。
「あら、もしかして」
 テリィは一礼し、走っていく。戸を開ける音と共に、複数の女性の声が聞こえてくる。「アイリーンだな」
 アルフレッドは微笑んで言う。
 ややあって。大広間の戸が開いた。肩まで伸ばした美しい金髪と、透き通るような青い目。まさしく、眉目秀麗といわれるような女性が入ってきたのだった。
「あら、アルフレッド! それに、キースとアシルさんも!」
「久しぶりだな、アイリーン!」
 2人は駆け寄り、互いに抱擁をかわした。その後ろから、黒いひらひらのようなものが入ってくる。
「む」
 思わず、アシルはうなった。
 紫がかった黒と、山高帽のような頭。少し年のいったムウマージに、アシルは歩み寄る。
「お久しぶりです、サリサさん」
「あら、アシルさん」
 アシルは手を伸ばす。しかし、サリサは応じることなく、アシルの右頬に口付けをしたのだった。
「サリサさん。まだやっておられましたか」
「ええ。あたくしからのプレゼントよ。気に入ってくださった?」
 サリサはいたずらっぽく笑う。アシルは苦笑しつつ、首を横に振るのだった。
「お、アイリーン。お前はサリサを連れてきたのか」
 アルフレッドもサリサに気付いたようで、関心をむけた。
「ええ、そうよ。サリサが、どうしてもみんなに会いたいって聞かなくって」
 アイリーンは小刻みに首を振りながら言う。サリサは気に留めることなく、キースに目を向ける。
「お久しぶりね、キース。会いたかったのよ?」
「久しぶりだね、サリサちゃん。あ、キスはいいよ」
 キースは釘を刺す。サリサはとんでもないと言いたげに、ふふふと笑ってごまかした。
「お二方、こちらにお茶がありますので……。そういえば、1つ足りませんな」
 アシルは盆の上を見て言った。
「さっきね。テリィちゃんが、お茶が足りないって言って、取りに行ってくれたわ」
 サリサが微笑みながら言う。
 その直後。小さな戸が開き、ぱたぱたという音と共に、小さなお盆にコップを載せて、テリィが現れた。
「お待たせしました」
 少々水面を揺らしながら、テリィはお茶を差し出した。
「別によかったのに。まあ、せっかくだしもらっておくわ」
 サリサはサイコウェーブでコップを浮かせ、香りたつ湯気を顔に漂わせた。それを見届け、テリィは静々と下がっていく。
「しかし、父さんの用って何だろうな。急に呼ばれたもんだから困ったぞ」
 アルフレッドが肩をすくめて言う、
「そうね。あたしもちょうど休日出勤の日だったから、友達に代わりを頼むの苦労したわ」
 アイリーンは全くだと言わんばかりに頷く。
 クラーク卿から用件を聞かされていない様子の2人。アシルとキースは思わず目を合わせる。2体の様子を目に留めたサリサは、静かに近づいた。
「あなた達は、ご存知なの?」
 サリサが小さな声で聞く。
「知っておりますが……、それは、クラーク卿が直接お話しされることです。わたし達がいうことではありません」
 アシルは丁重に話すことを拒否する。
「あら、残念」
 サリサは潔く退く。だが、その興味の目は、いまだに注がれていた。
「そういえば、マシューは?」
 アルフレッドが周囲を見回して聞く。大広間の中に、マシューの姿はどこにもなかった。
「そういえば、遅いですね。いつもならば、既に食事に来られて、終わっている時間です。しかし、今日はまだ来られてすらいません。ルクシアさんも同じく、です」
 アシルが怪訝そうに答える。
「ルクシア……ああ、あの可愛いデンリュウね」
 サリサが思い出すように言う。
「おかしいわ。マシューは寝ぼすけじゃなかったはずよ。あの子は昔から早起きだもの」
 アイリーンが不審そうに言う。
「クラーク卿のお話は、マシューさんも加えて行われるとのことでした。ですので、彼も加えてからクラーク卿のもとへ参りたいのですが……。無理に起こすのも気が引けます」
 アシルは困った様子で、考え込んでいるようだった。
「アシル。そもそも、話ってなんなんだ?」
 アルフレッドが聞く。アシルは、静かに首を振る。アルフレッドはじれったそうに頭を掻くのだった。
 その時、大広間の戸が開き、タカナシとテリィが入ってきた。
「失礼します。皆さんそろいましたとのことなので、クラーク卿のお部屋へとご案内します」
 タカナシが業務的な口調で言った。
「お、タカナシ! お前も元気そうだな!」
「おかげさまで」
 アルフレッドの呼びかけに、タカナシは1つ礼をして答える。直後くるりと踵を返し、大広間から出るのだった。
「あのヒト、相変わらず無愛想ね」
 アイリーンが呆れて言う。
 アシル、キース、アルフレッド、アイリーン、サリサの一行は、そろってぞろぞろとタカナシに続く。玄関ホールで立ち止まり、テリィと目を合わせる。
「テリィ。マシュー様を連れてくるから、この方々をクラーク様の部屋にお連れして」
「分かりましたわ」
 タカナシは一礼し、一行の下を去っていく。テリィもまた一礼し、一行について来るように促す。
 大きな扉の前で、一行は立ち止まる。キースが進み出て、鍵を開けた。
「クラーク様、失礼します」
 テリィは言うが、当然取っ手に手が届かない。背伸びしているところに、アルフレッドが進み出た。
「無理するなよ。いつもはどうやって開けてるんだ?」
「いつもは、タカナシさんに開けてもらってたのですが……」
 テリィは申し訳なさそうに返す。
「父さん。入るぞ」
 アルフレッドが言うが、中から返事は返ってこない。首を傾げつつ、アルフレッドは扉を開けた。
 クラーク卿は、デスクの向こうに俯くように座っていた。大勢入ってきたというのに声もかけなかった。
「父さん?」
 アルフレッドが近づく。アイリーンとサリサ続いた。
「やれやれ。自分で呼んでおいて、居眠りなんてね」
 サリサが呆れた様子で言う、
「おや?」
 アシルが辺りをきょろきょろと見る。鼻をひくつかせ、眉をひそめていた。
「え……」
 アルフレッドは凍りつく。アイリーンは腰を抜かしてへたり込み、サリサは唇をかんでいた。
 俯くように座るクラーク卿。その胸の中央には、赤いしみと共に、1本の鋏が突き刺さっていたのだった。
「父さん!」
「カーマイクル!」
 それぞれが呼びかけ、思わず駆け寄る。しかし。
「皆さん! 近づいてはなりません!」
 アシルが叫んだ。
 いつもと違う調子の呼びかけに、一同は立ち止まった。背が低すぎて状況が見えないテリィは、訳が分からない様子で首をかしげている。
「お父様?」
「テリィ。クラーク卿に近づいてはなりません。決して、見てはいけませんよ」
 アシルが呼びかける。テリィはおおよそ察したのか、小さく頷いた。
 アイリーンは腰を抜かしたまま口を押さえ、サリサは必死で目を逸らしている。キースは怒りに震えていた。
「どうしてだよ。誰が! どうして!! カーマイクルを! どうしてだよ!!」
 行き場のない怒りをぶつけるキース。その鍵輪の中から、1つしかない鍵が、静かに落ちた。
 反射的に、アシルは窓を見た。窓の鍵は、きちんと閉められていた。
「クラーク様……!」
 ちょうど、開けたままの扉から、タカナシ、マシュー、ルクシアが入ってくる。予想もしていなかったその光景に、タカナシすらも動揺しているようだった。
「ちょ、父さん!?」
「きゃあああああ!」
 マシューは動揺し、ルクシアは悲鳴をあげた。そのまま、ルクシアは失神してしまう。
「ルクシア!? 大丈夫かい、ルクシア!」
 マシューが必死で揺さぶる。
「タカナシさん。警察と消防へ連絡をお願いします」
 アシルが努めて冷静に頼んだ。タカナシは一礼し、部屋から去っていく。
「皆さん。わたし達も、ここから出ましょう。警察の方が来るまで、大広間にいましょう」
 アシルは呼びかけた。全体的に疲れた様子だったが、それぞれ、ゆっくり出て行くのだった。

5 事情聴取 

 タカナシの通報で、すぐに警察と救急車が駆けつけた。クラーク邸にはすぐ規制線が張られ、近所一帯は騒然となった。どこからか匂いを嗅ぎつけたジャーナリストの群れも集まり、入ろうとする者と入らせまいとする者で押し合っていた。
 そんな最中ゆえに、中の人々は出ることができず、大広間での待機を余儀なくされたのだった。
 大広間には、重い空気が漂っていた。アルフレッドは大きな部屋を周回し、いらいらしながら歩いていた。アイリーンは俯き、テーブルを見てじっとしていた。サリサは険しい表情で、低空を浮いていた。マシューはルクシアに寄り添い、青ざめたルクシアの背中をさすっていた。キースは無表情に浮かび、どことも言えない方向を見ている。タカナシはまっすぐ立ち、手をそろえて指示を待っていた。アシルは椅子に座り、瞑想している。そのそばで、テリィが浮かない様子で佇んでいた。
 ノックが響き、戸が開く。入ってきたのは、木彫りの人形のように彫りの深い顔をした、老年の刑事だった。
「お久しぶりですね、ファイト警視」
 椅子から降りたアシルが話しかける。
「あなたは……アシルさん? ここに住んでおられましたか」
 ファイト警視は軽く頭を下げ、すぐに一同を見渡す。
「皆さん。突然このような事態になり、心身ともに疲れきっていると思われます。しかし、自分は立場上、皆さんの事情聴取をしなければなりません。お疲れのこととは思いますが、ご協力のほどを、よろしくお願いします」
 ファイト警視は頭を下げた。一同は乗り気でない様子だったが、渋々といった様子で了承したようだった。
 最初に、アシルが進み出た。ファイト警視は何も言うことなく、背を向けて外に出た。テリィも続こうとするが、アシルが目で制し、彼だけがついていった。
「ファイト警視。事情聴取の場に、わたしの部屋を提供しましょう。ちょうど程よい広さです」
「そうですか。ありがとうございます」
 ファイト警視は丁重に礼を言う。表情はそんなに変わらないが、やや微笑んでいるようだった。
「ファイト警視!」
 玄関ホールを通りかかると、1体のウインディが待っていた。声も見た目も若く、頭には警察の帽子、顔の下には相応の鞄がぶら下がっていた。
「レジェン。事情聴取を始めるぞ。ついて来なさい」
「はい!!」
 爽やかな返事と共に、浮き足立った足取りでファイト警視に続くウインディ。レジェンという名らしい彼は、物珍しげにあちこち見回していた。しかし、その体重ゆえ、うきうきしたその足踏みが、屋内を軽く揺らしていた。
「レジェンさん、と言いましたかな? もう少し静かに歩いて頂けるとありがたいのですが」
 アシルが声をかける。レジェンは、面食らったようにアシルに目を向けた。
「え? あ、はい」
 アシルは頷き、先に歩く。ファイト警視は義務的に続くのに対し、レジェンは忍び足ながらも、やはりあちこちに関心を向けていた。
 途中、クラーク卿の部屋では、何人もの警官が慌ただしく動いていた。特にそこを見ることなく、彼らは通り過ぎる。
 部屋に入り、アシルは自分の安楽椅子に座る。壁際の椅子とテーブルを指差し、口を開く。
「あれを使うと良いでしょう。軽い話程度ならできます」
 ファイト警視は頷いた。そして数歩進み出たと思うと、皺くちゃの右手を差し出した。
「本当にお久しぶりですな、アシルさん。どこにいかれたのかと、少々ながら心配していました」
 アシルは見上げ、握手に応じた。両者の握手を、レジェンは不思議そうに見ていた。
「ファイト警視。このブーピッグは?」
 ファイト警視は手を離し、振り返る。
「この方はアシル・マローワン。5年前の『来たるべき逆転』の事件を解決した、ゲジョウ・マローワン・シュヴァルツェンベルク卿の弟子にあたる方だ」
「え!? あの事件を解決した探偵の弟子!? はあ……」
 レジェンはたまげた様子で、後ろ足で首を掻く。アシルは穏やかに首を横に振った。
「そう驚くことはありません。シュヴァルツェンベルク卿のミドルネームをもらってこそいますが、わたし自身が事件を解決したことは1度もありません。いつも、卿の後ろから事件を見ていただけでして。しかし、今回はそうもいかなくなりました」
 アシルはその目をファイト警視に向ける。
「ファイト警視。ご迷惑とは思われますが、わたしにも、この事件に関わらせてはもらえませんか? クラーク卿は、シュヴァルツェンベルク卿の親友といってもいいほど、親密な関係でした。その弟子であるというだけで、わたしはここに住まわせてもらっていたのです。感謝してもしきれない、心の底からの恩人なのです。微力ながら、わたしも殺人者を探すことを手伝いたいのです」
 ファイト警視は、じっとアシルを見ていた。アシルの額の黒真珠は、蠢くような碧に輝いていた。
「ちょっと待ってくださいよ。親友の弟子だがなんだか知らないけど、こっちは警察ですよ? 第一、この家の中にいるだけで容疑者だってのに、そんなのを手伝わせるわけにはいかないですよ」
 レジェンが不機嫌そうに言う。
 ファイト警視は顎に手をあてる。レジェンの言うことはもっともであり、私情を抜きにしても、アシルが容疑者であることは変わりなかった。
「せめて、得意のエスパー技を使ってないかどうかくらいは示してもらわないといけないですよ」
 レジェンは得意そうに言った。そもそも、技を使う・使わないなどは自己申告であり、それをいくら言った所で水掛け論になるだけである。よって、証明できないかぎり、アシルが捜査を手伝うことはできない。なぜかアシルが気に入らないレジェンは、そう考えて言葉を発したのだった。
 それに対し、アシルは、自らにはまっている黒い腕輪を見せ付けたのだった。
「大丈夫です。これが、少なくとも殺人を行えるほどのサイコパワーを使えなかったという証明になります」
「なるほど」
 アシルの提示に、ファイト警視は満足そうに頷いた。レジェンは訳が分からず、言葉を発せぬまま首をかしげていた。
 アシルは驚いてファイト警視に目を向けた。
「もしや、教えていないのですか?」
「すみませんな。新米なもので」
 ファイト警視は咳払いし、レジェンと向かい合った。
「これはアンチサイコリングと言って、エスパータイプのポケモンが、その能力を100%出させなくするよう、イッポが作ったものだ。エスパータイプのポケモンは、皆これをつけることが義務付けられている。これによって、生活の必要最低限度のサイコパワーのみが使える状態になっている。ブーピッグの場合、心を操る能力があるが、それもこのリングで完全に抑制している。当然、ポケモンバトルもできない。エスパータイプでないポケモンは、エスパーとしての能力が低く、サイコキネシスなどの威力も知れているため、付けることは義務付けられていない。ちなみに、このリングはイッポの者以外はずすことはできない。つまり、アシルさんは、クラーク卿の殺害に関与できるほどのサイコパワーを出せない、という訳だ」
 ファイト警視の説明を、レジェンは顔をしかめて聞いていた。そして結論が出たところで、恐る恐るといった様子で口を開く。
「あのー、ところでイッポというのはなんでしょうか?」
 ファイト警視は再び咳払いする。
国際超能力警察機構(International Psychedelic Police Organization)、略してIPPO。フーディン、メタグロス、ネイティオ、オーベムといった、事件を解決することに特化した能力を持つポケモン達が所属する組織だ。君も知っているように、警察というのは、毎日難事件ばかり起こるわけではない。泥棒や飲酒運転といった、しょうもない事件が多くを占める。しかし、そんな組織に先程のポケモン達を置いていては、その能力は宝の持ち腐れになってしまう。よって、世界的な超難問、超難事件のみを扱い、エスパーポケモン達の能力を最大限に生かそうというのがイッポだ。これにより、先程のポケモン達の他、事件を解決することに特化した能力を持った者達は、民間の警察組織に入ってくることはない。ちなみに、先程のシュヴァルツェンベルク卿も、イッポのメンバーだったのだ。分かったかね?」
「はい、分かりました!」
 レジェンは元気よく返事をした。ファイト警視は顔を引き締め、アシルと目を合わせた。
「色々と不都合はありますが、いいでしょう。守秘義務に反しますが、警察が得た情報を、極秘裏にあなたに教えしましょう。とはいっても、昔、シュヴァルツェンベルク卿に垂れ流しすぎたせいで、皆にばれてはいるのですが……」
 ファイト警視は頭を掻きながら言う。アシルはありがたいとの意味を込め、深く頭を下げた。
「あれ? ファイト警視とシュヴァルツェンベルク卿って、事件での関係があったんですか?」
 レジェンが質問する。
「イッポが忙しい、手伝う気がないと言いながら、ちょくちょく民事に首を突っ込んでは、嫌らしくヒントばかり残していたよ。天邪鬼なのか、ツンデレなのか、結局最後まで分からなかった」
 ファイト警視は無表情に言う。しかし、その顔には、どこか苦々しさが漂っているのだった。
 その顔を、アシルに向ける。
「事情聴取は受けてもらいます。後、他の方々の事情聴取に同席することは、さすがに許可できません。よろしいですね?」
「ええ、いいですとも」
 アシルは頷いた。
 ファイト警視は、考え込んでいるレジェンの頭に手を置いた。
「レジェン。今日がお前のデビューの日だ。お前が事情聴取をしなさい。自分が記録をとろう」
「は、はい! 分かりました」
 レジェンは張り切って返事した。
  ※
 ここからは、それぞれの事情聴取の会話のみを著すものとする。なおアシルは、彼の事情聴取以外は退室している。
  ※
●アシル・マローワンの聴取
「ええと、まず、名前から」
「アシル・マローワンです」
「ご職業は?」
「無職です」
「被害者との関係は?」
「我が師、ゲジョウ・マローワン・シュヴァルツェンベルク卿の友人です」
「はい。ええと、遺体発見時の状況を聞かせてください」
「発見時は、アルフレッドさん、アイリーンさん、サリサさん、キースさん、テリィと一緒にいました。部屋に入る際はキースさんが鍵を開け、その時に、先程のメンバーで発見しました」
「鍵がしまってたんですか?」
「クラーク邸の鍵の管理システムについては、キースさんに聞いてもらったほうがいいでしょう」
「分かりました。被害者ですが、誰かに恨まれていたというようなことはありませんか?」
「わたしの知る限り、そのようなことはありません。クラーク卿は誰かに恨みを買うこともなければ、恨みを持つこともない、大変素晴らしい器の持ち主でした」
「事件前、被害者に何か変わったことはありましたか?」
「変わったことと言うほどのことではないのですが、遺言書を書きたいから弁護士を紹介してほしいと頼まれました。そして本日、2名来られました。そのうち1名とは実際に会い、お話ししました」
「分かりました。えーと、これで聴取は終わらさせていただきます」
●アルフレッド・クラークの聴取
「お名前をお願いします」
「アルフレッド・クラークだ」
「ご職業は?」
「会社員。いわゆる、サラリーマンだ」
「被害者との関係は?」
「息子。長男だ」
「分かりました。遺体発見時の状況を教えてください」
「……、嫌なことを思い出させるなよ。まあ、仕方ないが。タカナシにつれられて部屋に行ったら、父さんがああなってたんだ。正直、細かいところまで覚えてないし、見るのがつらかったから、父さんの様子も覚えてない」
「分かりました。被害者が、誰かに恨まれていたというようなことはありませんか」
「さあ。昔ならともかく、今はそんなに父さんと会ってないからな。分からない」
「事件前、被害者に何か変わったことはありましたか?」
「特になかったと思うな。まあ、突然こうやって呼ばれたことくらいだ」
「分かりました。ありがとうございます」
●アイリーン・クラークの聴取
「お名前をお願いします」
「アイリーン・クラークよ」
「ご職業は?」
「アパレル関係の会社員よ」
「被害者とのご関係は?」
「そんなことも分からないの? 娘よ」
「いや、一応形式的なものなので」
「面倒ね」
「すみません。ええと、遺体発見時の状況を教えてください」
「覚えてないわ。こんなことがあってショックだったし、お父さんのあんな姿、見たくなかった。あんな、あんな……」
「お、落ち着いてください! 分かりました! もうお聞きしませんから!」
「ごめんなさい。話せる時が来たら必ず話すわ」
「分かりました……。ええと、被害者は誰かに恨まれてなどはいませんでしたか?」
「最近会ってないから分からないけど……、でも、父さんに限ってそんなことはないと思うわ」
「最近、変わったことなどはありませんでしたか?」
「特になかったと思うわ」
「分かりました。ありがとうございます」
●サリサ・ミスマギウスの聴取
「ご、ごほん、お名前をお願いします」
「あら、照れちゃって。女性からキスされたことないのかしら?」
「お、お名前を!」
「ふふふ、サリサ・ミスマギウスよ」
「ご職業は?」
「仕事は特にしてないわ。強いて言えば、主人のパートナーって言うところかしら。あたくしの主人、アパレル関係の仕事をしてるんだけどね。その服選びを、ポケモン目線からアドバイスしたりしてるわ」
「遺体発見時の状況を教えてください」
「あら、いたいけなレディにそんなこと聞くの?」
「お、お願いします」
「ふふふ。分かったと言いたいけど、実は結構、気が動転してるの。何がなんだか分からなくて、頭の中がぐちゃぐちゃなのよ。ゴーストタイプだけど、ああいうの苦手なの。また今度じゃだめかしら?」
「いいですよ。じゃあ、被害者は誰かに恨まれてはいませんでしたか?」
「分からないわ。あたくしは、クラーク卿と直接交流があったわけじゃないから。ちょっと話すことはあっても、基本的には主人を通して間接的に接してただけだったから」
「分かりました。ということは、事件直前の変わったところとかも……」
「さっぱり。ごめんなさいね、力になれなくて」
「ええと、大丈夫です。とりあえず、心が落ち着いたら、事件状況を聞かせてください」
「分かったわ」
●マシュー・クラークの聴取
「お名前をお願いします」
「マシュー・クラークです」
「ご職業は?」
「無職です。仕事に就けなくて、ニートをやってます」
「遺体発見時の状況をお願いします」
「状況って言われてもなあ。父さんを見た途端、ルクシアが倒れてしまって。介抱しないといけなかったから、よく見てないんだ」
「分かりました。被害者は、誰かに恨まれるようなことはありましたか?」
「分からないな。父さんと会うことはあっても、人間関係はよく知らないし。社員とかに恨みを買ってたかもしれないけど、父さんはそういったことはないと思う」
「事件の前、何か変わったことはありましたか?」
「変わったことは……特に無かったんじゃないかな。まあ、兄さんと姉さんを呼んで、兄弟みんなの前で話があると言った事くらいかな」
「分かりました」
 ※
 ルクシア・アンファロスは、彼女自身とマシューの強い希望により、事情聴取そのものを中止。
 ※
●キース・クレフキの聴取
「一体どういうことさ!? 部屋をちらっと見てみたら、警察達が嫌に張り切ってるじゃないか! 目をぎらぎら輝かせてさ! 何が楽しいっていうのさ!? ヒトが死んでるんだよ!? いくら何を聞いても、じじい扱いしてろくな答えが返ってこない! こちとら、まだもうろくしてないよ!」
「すみません! すみません! ええと、事情聴取に応じてください!」
「あ、ごめん。ちょっと気が立っちゃってさ。つい怒りが爆発しちゃったんだ」
「お、お名前を」
「キース・クレフキだよ」
「ご職業は?」
「別に職業ってほどじゃないけど、先々代クラーク卿の時代からずっと鍵番してるよ」
「鍵が1つしかないようですけど」
「うん。クラーク兄弟みんな冷たくてさ。鍵なんていらないっていうんだよ。で、クラーク邸の主の部屋だけ、鍵がついてるんだ。でも、実質使うときって少ないからね。誰かが部屋に入るとき意外は、鍵を閉めるようにしてるんだ。ボクが鍵を使いたいって頼み込んだら、OKしてくれてね。それで、誰かが来たら鍵を開けて中に入れる。そしてボクが自分の部屋で聞き耳を立てて、部屋を出る音がしたら颯爽と閉めにいく。行くまでにちょっと時間がかかるけどね。そして、お客さんをお見送りってわけ」
「被害者が私用で……例えば、トイレなどの場合はどうするんですか?」
「その時はカーマイクルが自分で開けていくんだよ。一応内鍵あるしね。戻ってきたときにはちゃんと鍵閉めてもらうんだよ」
「分かりました。事件の際も、鍵を閉めていたんですか?」
「うん。2人目の弁護士が帰った後、鍵を閉めたよ」
「そして、次に開けたのが、事件の時だったというわけですか?」
「そうだね。もしかして、あの弁護士が……なのかな? 他に誰も入れないし」
「その鍵は、他にあるのですか?」
「ないよ。これ1個だけ」
「わ、分かりました。被害者は、誰かに恨まれていませんでしたか?」
「カーマイクルが!? 誰かに、だって!? 冗談じゃないよ! 君はカーマイクルの何を知ってるのさ!? ボクはね、お腹の中にいる頃からカーマイクルを知ってるんだ! 誰に対しても優しくて、憎まれ口の1つも叩きやしない! ちょっと厳しいことを言うこともあるけど、それも相手のことを思ってのことだよ! 正直なところ、歴代クラーク卿の中でも一番の人格者だよ! それが、誰かに恨まれるだって!? いるわけないじゃないか!!」
「す、すみません! すみません!」
「はあ……はあ……。もう、また怒っちゃった。ごめん、続けていいよ」
「は、はい……。ええと、事件前、被害者に変わったところはありませんでしたか?」
「まあ、急に遺言書を書くって言い出したことだね。ったく、書いて弁護士渡して直後に死ぬなんて。どういうことなんだろ。あと……何か、見た気がするんだけど、なんだっけ。思い出せないや」
「分かりました。ありがとうございます」
●ツバキ・タカナシの聴取
「お名前をお願いします」
「ツバキ・タカナシです」
「ご職業は?」
「クラーク邸にて、住み込みの家政婦をさせていただいております」
「遺体発見時の状況をお願いします」
「はい。クラーク卿の部屋へ行く前、マシュー様とルクシア様が来られていなかったので、他の方々をテリィに任せてお迎えにあがりました。その後引き連れて部屋に行きますと、皆さんが既に発見されていました。すぐにアシルさんから、警察と消防への連絡を要請されたので、クラーク卿はよく見てはいません」
「被害者に恨みを持つような者はいましたか?」
「分かりません。一介の家政婦なので、クラーク卿の細部に至っては介入しておりません」
「では、事件前に変わったことはありましたか?」
「急に弁護士を呼ばれたこと、でしょうか。それから……遠目から、クラーク様に刺さっていたものを見たのですが……どこかで見たような……」
「鋏ですね? どこでみたのですか?」
「今は、思い出せません」
「分かりました」
●テリィ・マローワンの聴取
「お、お名前をどうぞ」
「テリィ・マローワンですわ」
「マ、マローワン? さっき来られたアシルさんの親戚ですか?」
「いいえ、娘ですわ」
「え!? えと、養子か何かで……」
「うふふ、皆さんそう仰るんですけど。血の繋がった、実の娘なんですの」
「まさか!? だとすると、ブーピッグが、チラチーノと……」
「あの、事情聴取だと聞いてきたのですけど」
「あ、いや、すみません。ご職業は?」
「こちらで、家政婦見習いとして働かせてもらってますわ」
「ええと、遺体発見時の状況を教えてください」
「分かりましたわ。と言いましても、わたくし、よく見ていませんの。この通り、体が小さいもので、クラーク様のお姿がよく見えなかったのですわ。見ようにも、お父様から強く止められてしまったのですわ。結局のところ、何も見ていませんの」
「分かりました。被害者に誰か、恨みを持っていませんでしたか?」
「よく分かりませんけど、誰も持っていなかったと思いますわ。クラーク様、大変いい方でしたから。ただ、わたくしはクラーク様の付き合い関係をよく知りませんから、あまり参考にはならないと思いますわ」
「事件前、被害者に変わったことなどはありましたか?」
「そうですわね……。弁護士様をお呼びになったこと以外、特に変わった様子は見受けられませんでしたわ」
「分かりました」

6 往復 

 外の野次馬が少なくなり、静かになり始めた頃。1台の護送車が、クラーク邸の前から発車した。遅い速度で走るその運転席には、ファイト警視が乗っていた。
「なるほど」
 助手席では、アシルが聴取記録を見ながら頷いていた。
「聴取の時間がそれぞれ短いようですが」
「まだ新米ですので。マニュアル通りのことしか聞けていないのです。もう少し雑談でもすればいいのですがね。まあ、テリィさんの時は少し逸れかけたのですが」
 ファイト警視は苦笑する。アシルは目を細めてじっくりと読んでいた。
「確かに、この状況から見るに、犯罪が実行可能なのはクーパー先生しかいないようですね」
「その弁護士はクーパーと言うのですか?」
「ええ。ジェームズ・クーパー。アンダーウッドの下に身を置いているのがもったいない、好青年に見えたのですが……」
 アシルはゆっくり首を横に振る。
「でも、敷地に乗り込んで犯罪を成し遂げるなんて、大胆ですね」
 後ろからレジェンが話に入ってくる。
 普通のパトカーではウインディの巨体は入らないため、護送車の後ろのスペースでレジェンを運んでいた。
「わたしもそう思います。だからこそ、いくつか疑問が浮かんでくるわけですが……」
 アシルは考え込みながら、ファイト警視に事務所までの道を教えていた。
 クラーク邸のあった辺境の村から、ヒトやポケモンの賑わう都会へと車は進んでいく。運転しにくいであろう護送車の車体を、ファイト警視は軽々と進ませていた
 都会の中でも、あまり高くないビルが建ち並ぶ一画に、護送車は止まる。それぞれ戸から出て、ビルを見上げた。
「事務所は3階にあります。参りましょうか」
 アシル、ファイト警視、レジェン共々、歩みだした。
 そこそこ急な階段を上りきり、アシルは戸の前に構えた。右腕を突き出し、静かにノックをする。
 やや時間を置いて、戸が開かれた。目の前には、クーパーが立っていた。
「あれ、アシルさん? それと……」
「クーパー先生。少し、お話をよろしいでしょうか?」
 アシルが切り出す。クーパーは目を丸くしたまま頷き、中へ入れる。
 応接スペースに行くまでに、机に足を投げ出していたアンダーウッド氏が、悪魔を見るような目でアシルを見ていた。
「久方ですな、アンダーウッド」
「ふん!!」
 アシルが声をかけるがアンダーウッド氏はそっぽを向き、新聞で顔を隠してしまった。
「どうぞ、こちらへ」
 ガラステーブルに、椅子が何脚か据えられた、簡単な応接スペースだった。小さなポケモンへの気配りか、椅子には足がかりが付けられていた。アシルとファイト警視は座るが、レジェンは座ることができず、床に直接体を置くこととなった。気を利かせた事務員が、人数分の飲み物を置き、静かに去る。
「クーパー先生、率直に言いましょう。クラーク卿が殺害されました」
 アシルは何の前触れも無く言った。声は全く抑えられておらず、そのせいか、所長机の方向から大いにコケる音がした。
「クラーク卿が、ですか?」
 クーパーは目を丸くして聞き返した。驚いてはいるが、きわめて冷静な様子だった。
「はい。クラーク卿の部屋を出た後、クレッフィが鍵を閉めたのを覚えていますか? あの後、一切鍵は開けられなかったのです。わたし達がクラーク卿の遺体を発見するまで、部屋に入れた者はいません。故に、一番最後に会っているあなたに、大きな疑惑がかけられているのです」
 アシルは説明した。
 クーパーは慌てることもなく、ただ黙っていた。苦い顔をして、俯いているのだった。
「ついては、重要参考人として、任意同行を願いたいのですが。よろしいですかな?」
 ファイト警視が聞く。
「ちょっと待った」
 場外から声がかかった。忌々しそうにアシルが見たその先には、嫌に口がつり上がったアンダーウッド氏がいたのだった。
「話は聞かせてもらった。ただ、だ。このクーパー君も我がアンダーウッド弁護事務所の仲間であり、そしてこのスティーブン・アンダーウッドは弁護士だ。全力で、かばわせてもらおう」
 無駄に大きな声でアンダーウッド氏が言う。アシルやファイト警視はおろか、クーパーすら、ぽかんとした目で見ていた。
「それで、どうかばおうと言うのですか?」
 アシルが聞く。
 アンダーウッド氏は、ふんぞり返りながら応接スペースに近づく。その姿は、見ている者に大きな不快感を与えるものだった。
「クーパーが部屋を出た後、鍵を閉めた。そして、次に死体が発見されるまでの間、誰も入ることはできない。だから、クーパーが殺した。それはつまり、部屋を出る前となるわけだが?」
「当然ですな」
 アンダーウッド氏の物言いに、アシルはいらいらしながら答えた。
 アンダーウッド氏の笑顔が最高潮になる。まるで、水分不足のクサイハナのように汚い笑顔を振りまくアンダーウッド氏は、自分の机に戻る。黒電話の受話器を上げ、ダイヤルを手早くいじった。
「この黒電話、実は外観だけでな。中身はきちんと現代の電話なんだ。当然、通話の録音機能も付いている」
 もはや、比喩するとクサイハナどころか何に対しても失礼になりそうな、虫唾が光速で過ぎ去るような笑顔でアンダーウッド氏は言う。レジェンなどは、胸糞が悪くなったのか、床にうずくまってひたすら自分の腕を見ていた。
 受話器から、テレビの砂嵐に似た音が聞こえてきた。それは数秒続いた後、声に変わった。
『はい、アンダーウッド弁護士事務所です』
『もしもし、アンダーウッドさんかな? 先程、そちらの弁護士が来てくださったんだが、中々いい仕事をしてくれたよ。彼にも礼を言いたいが、まず、彼を送ってくれたあなたにも礼を言いたい』
『あ、そうですかそうですか。いえいえ、こちらは当然のことをしたまでですから』
『彼にも伝えておいてほしい。ありがとう』
『そう言ってくれると、クーパーもやる気を出しますよ。伝えておきます』
『よろしく頼むよ。では』
 短いやりとりの後に、音声はまた砂嵐に変わる。アンダーウッド氏は受話器を置き、見ると病気になりそうな笑顔を、一行に向けた。
「これは、あきらかにクーパーが帰った後の電話だ。とすると、クーパーが部屋を出た後、クラーク卿はまだ生きていたということになるが?」
 アンダーウッド氏の提示に対し、アシルは険しい表情で考えていた。
「そうですな。その音声は、クーパー先生が部屋を出た後にかけられたもので間違いないでしょう。クーパー先生が部屋から出たのは目撃されています。しかし、その音声をちょうど録音していたとは、ずいぶん都合のいいものですな」
「何、再生の仕方を知ってても、消し方を知らないのさ。何かのはずみで、随分前から録音になっててな。録音容量20件は常に埋まっている。古いものから順々に消えていくからな。当然、昨日のクラーク卿との電話も残っている」
「なるほど……」
 アシルは考え込んでいた。横目でファイト警視を見るが、ファイト警視は肩をすくめた。
「分かりました。クーパー先生は、殺人犯ではないようですね」
 アシルは努めて無表情に言った。
 その言葉を聞いた途端、アンダーウッド氏は、見せびらかすように両手でガッツポーズした。アシルは目を逸らしつつ、椅子から降りた。
「では、おいとまさせて頂きます」
 アシルが言うや否や、レジェンがすっと立ち上がり、まるで楽園があるかのような目で出口を凝視した。ファイト警視も立ち、アンダーウッド氏に向かって一礼する。一行は、険悪な空気で事務所を後にしたのだった。
 護送車に乗り込んだ途端、レジェンは思い切り息を吐いた。
「ふうう。なんなんですか、あの気持ち悪い笑顔。あんなグロテスクな代物、初めて見ましたよ」
 レジェンは気分が悪そうに舌を垂らす。
「シュヴァルツェンベルク卿を目の敵にしていましたからね。毎回自ら推理勝負を挑んでは、完膚なきまでに負けていました。その弟子のわたし勝ったということが嬉しかったのでしょう」
 アシルは疲れた様子で言った。
 ファイト警視も運転席に乗り、護送車を発車させる。
「しかし、これで事件は混沌としてきました。何せ……」
 ファイト警視は言いかけ、口をつぐんだ。アシルは瞑想し、車内に重い空気が漂っていた。
「つまり、密室殺人じゃないですか! 密室ですよ密室! まさか初仕事が密室だなんて!」
 レジェンは興奮して後ろから身を乗り出した。
「しかも話を聞く限り、かなり短い時間ですよ! その時間の中で、誰が、どうやって部屋に入り、そして被害者を殺害してどうやって出たのか!? どんなトリックなんでしょうか!?」
 レジェンの大きな声が車の中で響く。その次に聞こえたのは、小さな溜め息だった。
「レジェンさん。あなたは根本的な事をいくつか間違っておられます」
 アシルの声。それは冷静だったが、ほんの微かに震えているようだった。
「誰が、どうやって? そんなことは全く考える必要のないことです。なぜなら、それを知りたいと思う者は、クラーク卿の遺族の中にいないからです。知りたいのは、誰が、なぜ? ですよ。それが分かれば、あなたが知りたくてたまらないトリックとやらも分かってくるでしょう」
 アシルは淡々と言う。しかし、レジェンは理解できないというように首をかしげている。
「なんでって……。それは、トリックを暴かれた犯人が、自分で語るんじゃないんですか?」
 レジェンの問いは、音量が1段階大きくなった溜め息と共に答えられる。
「どうやら、アニメやドラマを見すぎているようですね。そもそも犯罪とは、動機があってこそ初めて発生し、成り立つものです。それは故意か、故意で無いかに関わらず、全ての犯罪に言えることです。殺人者はこういった人物であり、このような状況で、こういう動機を持っていた。一方、被害者も、そういった人物であり、そういった状況で、そういう動機を持たれていた。それらが合致したその時、殺人は発生するのです! それに、犯罪とは、故意にするならば、悟られたくないものです。ならば、被害者と共に山奥にでも出かけ、そこで殺害して埋めてしまえば良いのです。そのほうが、意味も意義もないトリックを使うより、はるかに安全です。にも関わらず、そういった安全策をとらず、複雑怪奇かつ奇々怪々な犯罪手段を用い、犯行に及んだ! それには当然、そうしなければならなかった、あるいはそうでなければ成立しなかった、あるいはそうなってしまった、絶対的必然性のある理由が存在するのです! その理由こそが、犯罪手段を作り、トリックを作り上げるのです! それは当然、動機が分かれば、おのずと手段も分かってくるものです。あなたの見ているアニメやドラマは、トリックを聞いて動機が分かりますか? あるいは、動機を聞いてトリックが分かりますか?」
 レジェンは考え込んでいた。レジェンの答えを待たず、アシルは再び口を開く。
「良いですか? 動機とは、どうとでも後付けできる追加やおまけではありません。それが例え、その場でかっとなったにしても、前方不注意で事故を起こすにしても、犯罪者のエゴにしても、発狂していたにしても、誰でもいいからトリックを使ってみたかったにしても!! そういった動機、理由こそが、犯罪の発生する原因であり、犯罪の全てなのです!」
 アシルの熱弁に、レジェンは曖昧に頷いていた。それを横目で見つつ、アシルは更に続けた。
「それに、あなたはキースさんの聴取を覚えていないのですか? 浮き足立って調査する警官達を、キースさんは怒っていたではありませんか。あなたは、キースさんの前でも、密室殺人だと言ってはしゃぐおつもりですか?」
 キースのことを思い出したのか、レジェンははっとする。その後うなだれ、乗り出した体を引っ込めていった。
「すみませんな、アシルさん。自分の教育不足です」
 ファイト警視が謝罪する。アシルは気にしていないと言うように首を振り、目を閉じた。
「レジェンさん。殺人とは、パズルやクイズではありません。相手の命を奪うという、憎むべき、忌むべき行為。罰せられるべき『犯罪』なのです」

 


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Last-modified: 2015-06-01 (月) 01:44:06
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