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キミノハクメイ哨戒班

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「ルアインさん!? いいですかっ!? もうすぐ夜明けですよ!?」
「ん……んんっ!?」

 マスターのその言葉で、私は体を預けていた椅子から飛び跳ねるように起きた。その衝撃でテーブルに置いていたコーヒーカップがカタカタと音を立てたけど、倒れるほどじゃなかった。本当に椅子から立ち上がる。カフェインが仮眠に最適かは私の体質じゃ分からないけど、少なくとも意識は完全に覚醒しているように感じる。これからの時間はおそらく間違いなく人生の中で一番大切なものだから、「眠い」の一文字目さえ言ってられない。

 このカフェの席からと屋上からの景色はそんなに変わらない。違いは、美味しいコーヒーや軽食を楽しめるかと、屋根とガラスがあるかの違いだけ。できるだけ窓枠を少なくするように発注したという、カフェの壁一面に並んだ大きな横長の窓からは、遠くの山脈の輪郭が赤く染まっているのが見て取れた。

 私は無意識に、左腕に巻いている腕時計を見た。私が登録ポケモンライダーのライセンスを取得した時に先輩がお祝いとして買ってくれた、ラコのパイロットウォッチ。学生アルバイターでも頑張れば買えるくらいの、それほど高くはないモデル。あの時は本気でIWCのマークシリーズをねだったらガチギレされたんだっけ。もうすごい昔に感じる。

「もしかして……もう先輩来てる?」

 私は左横少し下を向いて、私を見上げるデニム生地のエプロン姿のマスターと視線を合わせる。親戚とはいえ再従弟のマスターは、よく「デカ女」と呼ばれる私より15センチほど背が低い。

「ええ、『起きるまで起こさなくていい』って言ってましたけど、さすがにルアインさんが全然起きる気配ないから思わず声をかけちゃいました」
「ありがとう」

 私は胸の高さに掲げた右手の親指を立てた。マスターがため息を一つだけついて、カウンターの反対側に戻っていった。

 私は社長のミリタリー趣味によって特注で仕立てられた、戦闘機パイロットの耐G飛行服を真似して作られた制服のベストの胸ポケットからスマホを取り出す。もちろんスマホロトムは入っているけど、さすがにこの時間は寝ている。その液晶を見ると、アラームがあと25分ほどだった。ライネは私の為に無理をするポケモンじゃないけど、今日は少しだけ急いでくれたのかな。

 私はテーブルの上に散らかしていた紙を、黒い合皮のフライトケースに詰め込む。それからレジに向かうと、そのタブレット端末と自分のスマホを操作して勝手にコーヒーの支払いを済ませた。

「ごちそうさまでした。今日も美味しかったよ」
「ちょっと!? ちょっと!? その鞄どうするんですか!?」

 出入り口のガラス扉に手をかけた私に、マスターが急いで声をかけた。私が視線を向けた先には、空になったカップと私のフライトケースがテーブルの上に置かれている。そして私の手にはさっきまでテーブルの上に置いていた、バイザーとマスク付きのヘルメットだけが握られている。だって先輩のライドに私はついていくつもりだし、その上で荷物にしかならない鞄は邪魔でしかないし。つまりは。

「預かっといてくれる? あとで取りにくるから」
「ここは僕の店でルアインさんの家じゃないんですよ!? それに今は営業中でちょっとルアインさん!?」

 親指を立てた右手を最後になるようにして、私は扉からカフェの外に出た。平日の夜明け前からオープンしている辺鄙な場所の物好きなお店なのに、いちいちそんな事を気にするなんて。といっても、私はただ自分のワガママを通してるわけじゃない。さっきの会計の時に、タブレットの隣に香辛料の小瓶を置いてきた。配達を済ませて立ち寄ったカントーのタマムシデパートの物産展で売られていた、ミアレシティの有名店から直輸入したというものを。

 カフェの出入り口から15フィートほど歩いて、折り返すように階段を上り始める。ここは市街地の端にある小高い山の山頂近く。マスターのカフェは一階はそれで、外の階段を使って上がる屋上は展望台になっている特殊な作り。そして、テニスコートほどの広さの屋上展望台は、私とブレイスと先輩とライネにとって特別な場所。明日からは私とブレイスだけになってしまう場所。

 屋上まで上りきった私は、階段からすぐ近くのベンチにヘルメットとスマホを置いて、一声かけてから先輩とライネと、私の大切な相棒であるブレイスに近づいた。



 夜明けが近いと言っても空はまだまだ暗い。階段から見て展望台の一番奥のベンチの前に先輩とライネが、そこから数歩離れたところにブレイスがいる。私は更に近づいて、私の相棒に並んだ。

「ブレイスの面倒も見ててくれてありがとうございます」
「礼を言われるほどの事じゃない」

 入社したての頃は嫌われていると誤解したけど、今は先輩の淡々とした口調が心地いい。私と同じ制服に身を包んだ先輩から視線を外して、ブレイスのおでこを撫でる。ブレイスが目を閉じて頭の位置を低くした。首の後ろに隠れていた、背中のウインドスクリーン付きの鞍があらわになる。クチバシに軽くキスしてあげると、相棒は愛らしくキュルルと鳴いた。次に私の手は長い首筋を撫でていく。それに合わせて足も動く。

 相棒である先輩にさえなかなか撫でさせないライネと違って、私のパートナーは私とのスキンシップが大好き。そういう意味でも、私がブレイスを選び、私がブレイスに選ばれた事は必然だったと思う。正直、同じ法定最高飛行時速248マイルでも、ライネの背中はブレイスのそれよりも結構怖い。

「先輩に迷惑かけなかった?」
「お前よりは全然マシだ」
「あっ、言いましたね」

 ブレイスの首元を抱いた私が振り返ると、先輩がフンと鼻で笑って、その後ろでライネがクヤクヤと鳴いて笑っていた。本当に先輩もライネもいい性格してるなあ。

「ブレイス、ちょっと前に行くよ」

 ブレイスの首から離れた私はそう言って、先輩とライネに向かって歩き始める。私の目が視界の斜め上にあるブレイスの横顔を映していて、私の耳がコンクリートの屋上に当たるブレイスの爪の音を拾う。

 つまりは、私とブレイスのコミュニケーションはバッチリ。ここまで以心伝心じゃないと、風の音に全てがかき消される空の上でポケモンライドなんてできない。もっとも私はライセンスを取得してから今年で5年目で、初めてブレイスの背中に乗った時は2メートルの高さから振り落とされたっけ。

 先輩の前まで近づく。先輩が太ももについてあるポケットから封が開けられていないタバコと安物のライターを取り出した。先輩は若い頃に禁煙したと聞いていたから、あらかじめ今日はそうすると聞いていたけど、本当にここへ来る前にどこかのお店に寄ってきたんだと思う。

「本当に吸うんですか?」
「今日くらいはいいだろ。お前もイケるクチだろ?」
「まあ、そうですけど」

 そう言って先輩が封を開ける。おそらく初めて見るタバコにブレイスもライネも興味津々で、私と先輩の後ろから首を伸ばして、それぞれのクチバシと鼻の先を近づける。箱の中から取り出された二本のタバコは、まずは先輩が自分の口に。それからライターで両方に火をつけた。

「ほら、ライネ」

 先輩はその内の一本をライネの口に近づけた。立ち上る紫煙で、ライネも、それからブレイスもタバコの匂いは分かったと思う。だけどライネはそれが嫌じゃないようで、先輩と同じくタバコに口をつけた。

「ルアイン」

 先輩が指にタバコを挟んでいない左手の、その親指でブレイスの顔を指した。私の相棒は、頭を小さく動かして先輩とライネのタバコを交互に見ていた。

「構いません」
「じゃあ自分でやってあげろ。お前も好きに吸え」

 先輩からタバコの箱とライターを手渡される。私にそれらを渡した手で先輩は、ライネからタバコを一度預かった。相棒の見様見真似で、ライネが口から煙を吐く。それは人間が吸う量よりも明らかに多いのに、全然咳き込む様子がない。

 先輩と同じように、私も一度に二本のタバコを唇に挟んで火をつけた。苦味と甘みとメンソールの清涼感が私の舌と鼻をくすぐる。その内の一本を、私を見る相棒のクチバシに近づけた。ブレイスは躊躇いもせずそれを受け取った。ライネとルックスの種類が違うけど、ブレイスはブレイスでサマになっている。私はそれぞれの手で、私のタバコとブレイスのタバコを摘む。煙を吐き出したブレイスのクチバシにタバコを戻して、そのまま頬を撫でてあげる。クチバシの隙間から煙を漏らしながら、相棒が小さく鳴いて喜んだ。

「なんだよ」
「いえ、すごくサマになってると思って」

 私たちはいつもの癖でいつの間にか、徐々に明るさを増していく彼方の山々に向かって横一列で並んでいた。左からブレイス、私、先輩、ライネの順番で。その私の顔を見ながら、先輩はポケットから取り出した携帯灰皿に灰を落とした。

 前に見せてもらった若い頃の写真から勇ましさが増したからじゃない。数年前に染めるのをやめて、完全なシルバーヘアーになった今の方が飾らない美しさがあるからじゃない。ライセンス所持の登録ドラゴンライダーとしては堂々の最高齢である75歳の先輩は、これまでずっと私の憧れだった。仕事の上では先輩と後輩の間柄だけど、私とは祖母と孫娘ほど歳が離れている。時には意見が食い違ったり、喧嘩する事があったけど、先輩がいなければ、今の私は確実に存在していない。

「こんな老いぼれ、褒めたって安煙草の一本や二本しか出ないぞ」

 私と同じレプリカの耐G飛行服に身を包んだ先輩が、私を見て口から煙を吐きながら鼻で笑った。そうしながら先輩は、視線を向けないままライネのタバコを受け取って灰を落としてあげた。先輩は安物だって言ってるけど、事務仕事の頃はタバコを吸っていた私には、これが「中の上」くらいの銘柄だって知っている。

「私とブレイスの分もいいです?」

 私のそれぞれの手は、すでに私と相棒のタバコを摘んでいる。

「大先輩にこんな下っ端みたいな事させるなよ」

 そう言いながらも、先輩は私に口を向けて灰皿を差し出してくれた。私もその中に灰を落とす。ニコチンとタールの酩酊感が早く欲しくて強く吸い込む癖がある私と、この中で一番肺活量が高いと思うブレイスのタバコは燃えるのが早い。

 地面に足を着けていると時間の進み方が遅いように感じるけど、実はそうじゃない。カフェの中で見た時よりも、山脈を縁取る空の赤みが増してきた。先輩の灰皿へタバコを捨てさせてもらった私は、ブレイスの首元に腕を回した。器用に長い首を曲げる相棒がそうしてきたので、私からもブレイスの頬に私の頬を擦り寄せる。

「ブレイスはあったかいね」

 ブレイスがキュルルと小さく鳴いた。厚い服に遮られた体と違って、頬からはブレイスの温もりが伝わってくる。盆地の中であるここは朝晩の寒暖差が激しくて、今も真冬ほどじゃないけど少し冷える。

 横目で先輩とライネを窺うと、先輩がライネからタバコを受け取り二本とも灰皿に入れるところだった。先輩が私のようにライネの首に抱きついているのを見た事がない。

 先輩はどこかで線引きをする人だ。それは私に対してもそうだし、同じポケモンライダーや社内の人間に対してもそうだし、創立メンバーの仲間である社長に対してもそう。だけど、先輩がこの仕事を辞めるって一番最初に話してくれたのは、私だった。

 しばらくの間、私たちは無言だった。ゆっくりと、そして確実にここへ夜明けが近づいてきていた。それでも、空はまだ濃い藍色の方が多い。私とブレイスは体をくっつけ合いながら、先輩とライネはそれぞれ自分の足で立つのと宙に浮かびながら、展望台からの景色を眺めていた。

「ねえ、先輩」

 私は町を見渡しながら先輩に呼びかけた。先輩からの返事はない。それでも私は続ける。

「前に先輩から聞かれた質問の答えですけど、きっと九十九年前も同じ空だったんだと思います」
「百年後もな」

 私の隣から、短くそれだけが返ってきた。

「……どうしてそう思うんですか?」

 一呼吸置いて、私は更に言葉を返す。

「お前が私の後を継いでくれるからだよ」

 先輩の声は少しだけ震えていた。あ、ちょっとマズい。そう思った瞬間だった。



 先輩が大声で笑い始めた。私は咄嗟にミア先輩の顔を見つめる。

「ちょっ……! もう……許してっ……! 笑い堪えすぎて……死にそうっ……!」
「先輩!? なんでやめちゃうんですか!? 最後なんですよ!?」
「最後だからっ……! って……カッコつけるもんじゃないでしょっ……!」

 大笑いの合間にそう答える先輩の顔を見て、私はお芝居が完全に破綻した事を悟った。間違いなく私とミア先輩の心を覗いていたライネがニヤつき始めた。先輩が笑っている理由が分からないブレイスだけはキョトンとしている。私はというと、今更ミア先輩にこんな事をさせるのは無理があったと完全に諦めていた。

 私はブレイスの首元から離れて、小走りで階段の近くのベンチに駆け寄り、ヘルメットと録画状態のスマホを回収する。先輩がこんなに笑ってるのにまだ眠ってるよ。寝ぼすけが取り憑いたスマホを胸ポケットにしまいながら、私はもう一度ブレイスと先輩の横に並んだ。

「ブレイスぅ〜、最後に先輩のカッコいい姿を残したかったのに、先輩がNGしたよぉ〜」

 私は、いまだに状況を詰めていない表情を浮かべるブレイスの顔へ頬擦りしながら先輩に視線を向けた。先輩はというと笑いすぎて咳き込んで、背中をライネにさすられていた。もう本当におばあちゃんだなあ。出会った頃はもっとピリピリした雰囲気があったのに。フライトケースに入れてある台本は、あとでカフェのゴミ箱に突っ込もう。

 しばらくして、ようやく落ち着いたミア先輩が顔を上げた。空はさっきよりも赤の領域が広くなっている。本当に夜明けは遅いようで速い。先輩から離れたライネが私たちの真上で一回転したあとにブレイスの左隣に並んで、さっきの私と同じように頬へ頬を擦り寄せた。私がブレイスに認められるよりも、私がブレイスのパートナーとしてライネに認められる方が大変だったのは、社内の人間とポケモンなら誰でも知っている。

「今更こんな芝居はできないって。というか、ルアインから見て私は最初こんなんだったの?」
「もっと酷かったですよ? 『ヘマしたらこの手でぶち殺してやる』くらいの目つきでいつも私を見てましたよ?」
「そりゃあ、あの時のアンタは生意気な小娘だったし」
「自覚あったんですか?」
「多少は。あとタバコ返して」

 私は箱からタバコを一本取り出して、口に咥えて火をつける。それからフンと鼻を鳴らしながらミア先輩に箱とライターを差し出した。「最後まで生意気さは治らなかった」という先輩の言葉は聞き逃してあげる事にした。

 もう一度空と町を眺める。この地域一帯の陸路と空路の中継・卸拠点であり、この地方では初めて「登録ドラゴンライダーによる軽量荷物の地方内即日配達」を始めた「スカイアロー運送会社」がある町を。名前の由来はもちろんイッシュのスカイアローブリッジで、「『橋のように誰かと誰かを繋ぎたい』という思いから社長が命名した」と、社内の誰かから聞いた事がある。あのビール腹の社長、変なところでシャイだからなあ。

「でも」

 徐々にスキンシップが激しくなっていくブレイスとライネに一度だけ目配せしたあと、私は先輩の顔に視線を向けた。先輩は町に目を向けていて、もう一度吸い始めたタバコを指の間に挟んでいた。

「少し厳しすぎたかもしれないけど、私についてきてくれてありがとう」
「今更殊勝にならないでくださいよ。そもそもそう思ってたんなら最初からもう少し優しくしてほしかった。絶対カッコつけてた部分あったでしょ。それから本当に感謝してるならブライトリングのナビタイマー買って」
「自分で買えバーカ!!」

 そう叫ぶとミア先輩は大きく咳き込み始めた。私はタバコを持った右手の手の平で先輩の背中をさすってあげる。時々タバコを吸う。咳き込みながら振り絞った「タバコ呑みながら介抱しない……!」というお説教は聞き逃した事にする。しばらくそうしてあげると落ち着いたので、先輩が持っている灰皿にタバコを入れてから二歩ほど下がる。

「……ありがとう。原因を作ったのはアンタだけど」
「先輩、丸くなりましたねえ」
「誰のせいだと思ってるんだか」
「ところで、そろそろ会社に戻りません? 先輩、照れ隠しに最後の日まで普通に仕事やるなんて言っちゃって」
「……それが登録ドラゴンライダーとしてのプライド」

 先輩は前髪をかき上げた。先輩は肩につかない程度のショートヘアで、私はうなじの位置で長髪を束ねている。もちろんこれはヘルメットを被るため。デザインを真似た戦闘機パイロットのそれよりも随分安価だけど、私たちが被るヘルメットには民間向けの暗視装置やスマホと連動した通話機能が内蔵されている。

 自分のタバコを灰皿に入れて、その灰皿をポケットにしまった先輩が、近くのベンチに置いていたヘルメットを手に取る。

「いかづち様がた」

 先輩が独特の敬称でライネとブレイスを呼んだ。先輩の故郷では、ドラゴンは雷霆の化身と信じられてきた。もっとも、ミア先輩はライネがエスパーとドラゴンタイプで、ブレイスが飛行とドラゴンタイプなのは百も承知。

 呼ばれたブレイスとライネは驚いて体をびくつかせたあとに、それぞれの相棒の隣に侍る。

「ライネ……」
「ブレイスも……」

 私の相棒も先輩の相棒も、顔と股間の毛並みが大きく乱れていた。この時のブレイスは私の手さえ拒絶する。露骨にしかめっ面すんなオラ。会社までのライドが少しでも落ち着けてくれる事を期待するしかない。性格がほんの少しだけクソすぎる私と先輩は当然浮いた話に恵まれないけど、スカイアローの歌姫ちゃんと護神ちゃんは数年に渡る真剣交際の真っ只中。とりあえず、アレな液体で顔がベッタベタになっていないだけマシとしよう。

 私と先輩はそれぞれ、せっかくのイチャイチャタイムを邪魔されて苛立ちを隠せないチルタリスとラティアスが背負う鞍に跨った。エスパータイプであるライネは今日が先輩の現役最後の日と知っているはずだし、そのライネから聞いてブレイスも知っているかもしれない。これらの行動は、もしかしたらポケモンたちなりの抗議かもしれない。

 もう二度と会えないわけじゃないけど、毎日のように顔を合わせる日々は終わってしまう。先輩はこれからの事を考えているのかな。誰にも言ってないけど、私はブレイスが望むならいつでも相棒の座を降りる覚悟はある。それがブレイスによってドラゴンライダーにしてもらった私の恩義だと思うから。あ、これもライネは知ってるんじゃ。今露骨に顔逸らしやがったぞあのクソラティアス。

「ライネ、見て。ルアインとブレイスも」
「っ! ブレイス! 見て、すごい綺麗!」

 先輩がライネの首筋をさすったあとに空を指差した。私もそれを見ると、ブレイスに声をかけながら東の空を指差した。ヘルメットを持っていない片手で鞍のハンドルを握りながら斜め前に身を乗り出して窺うと、さっきまでしかめっ面をしていたブレイスが目を輝かせていた。



 展望台からは、日の出間近の朝焼けによって鮮やかな赤と透明感がある青に染まった空が見て取れた。それがまるでブレイスの青とライネの赤みたいで本当に綺麗。こう言っちゃうとこの風景を陳腐な表現に押し込めるようで、まるで伝説のポケモンをゲットしようとするドラマの中の悪役みたいで無粋な感じだけど、本当にそうとしか私は言えなかった。ホエルオーよりも大きな雲が悠然と高い空に流れている。

 そう、全てのスケール感が良い意味でおかしい。空という巨大なキャンバスに丹精込めて混ぜた絵の具を乗せたみたいで、険しいはずの山々はゆりかごのように見渡す限り全てを優しく包んでいて、私は畏怖の感情と、ちょっと大きな冒険心をくすぐられる。私は、この地方の事を、この地方の空を知っているつもりだった。ブレイスに乗ってホウエンにもシンオウにも行った事がある。この瞬間までの私は、ダーテングのように鼻を高くした小娘だった。その傲慢な長い鼻を、この夜明けがへし折った。だけど私に悔しさはない。空と、雲と、山と、そして大地に広がった目覚めかけている流通拠点の町並みと、その奥ののどかな田園地帯へ目がけて、私の心はこの展望台から飛び立っていた。

 私はブレイスに乗って、ううん、違う、私自身の翼で飛んでみたい。自分ではそう思ってないけど、前に付き合っていた彼氏と博物館に行った時に復元図の前で、「どことなくルアインっぽい」って言われたから、とりあえずポケモンとしての私はアーケオスとしておく。不本意だけど。ミア先輩はどうだろう。私の印象では、昔のシンオウにいたらしい白と灰色の羽毛のウォーグルかな。

 私は力強く羽ばたいてみるみるうちに上昇する。法定速度も保安用品もない、剥き出しの空を。私は層雲を切り裂いて、層積雲の中に潜って、位置エネルギーと運動エネルギーの管理も忘れて、思いのまま風に乗る。高く飛びたければまた羽ばたけばいい。アーケオスの私にとっては、ただそれだけの事。大きな雲を迂回して飛んでいると、私は視界の前方にブレイスの姿を見つける。ブレイスはいつも背負っている鞍がなくて、本来の速さで飛んでいた。一般的にチルタリスはスピードが遅いって言われているけど、それは自分の力で空を飛んだ事がないニンゲンの勝手な評価。アーケオスの私は、ブレイスも立派な翼を持ったこの空の一員である事を知っている。そのブレイスに追いついた私は、ブレイスとじゃれ合うようにエルロンロールやバレルロールを繰り返して、そして私とブレイスは並んで飛ぶ。私はアーケオスとしてポケモンの言葉で話しかけると、ブレイスは笑って答えてくれた。その時だった。ハイヨーヨーで加速をつけたミア先輩とライネに追い抜かれる。その瞬間にウォーグルもラティアスも、私たちに向かって舌を出してニヤリと笑って振り返った。私とブレイスは一度だけお互いの顔を見つめ合うと、「頂上決戦」へと目がけて羽ばたく。私とブレイス、先輩とライネ、どちらがこの空の女王に相応しいか決めなきゃいけない。



「ってところまで考えたんですけど、どうでしょう?」
「アンタ、これからそういう妄想誰に聞かせるの?」
「先輩と違って、私は会社の中にも外にも友達いますよぉ〜?」
「あっそ」

 先輩は素っ気なく答えた。だけど、私の作り話を聞いている間のミア先輩は少し口角が上がっていた。昔のシンオウのウォーグルは素直じゃないなあ。私の言葉をライネがサイコパワーで翻訳してテレパシーで伝えていたようで、ブレイスもライネもすっかり機嫌が直っている。人の姿に戻っちゃった生意気アーケオスに向かって振り返ったブレイスが軽やかにキュルルと鳴くから、私は手を伸ばしてその頬を撫でてあげる。自分の翼はないけど、こうやって相棒を撫でてあげられるのは悪くない。

「そろそろ行こうか」
「はい」

 そう言って、私と先輩はヘルメットを被る。スカイアロー運送会社は対外的には時間厳守がモットーだけど、飛行や休憩のペース配分はライダースタッフ個人に委ねられている。つまり、私と先輩が一緒にここで油を売るのは最後。だけど、最後にこんなにも清々しい空を飛ぶのは気持ちいいに決まってる。

 私も先輩も酸素マスク型のレプリカマスクを装着する。そのあとにスマホを操作して、ヘルメットに内蔵されているスピーカーマイクと無線接続して、インカムアプリを起動する。ブレイスが綿毛のような翼を広げ、ライネが前傾姿勢になる。おっと、その前に。

『ミア先輩』
『なに?』

 私がインカム越しで話しかけると、ヘルメットの透明なバイザーをおろした先輩と目が合う。私は右手の親指を立てながら言った。

『May the THUNDER FORCE be with you』
『なにそれ?』
『今考えた挨拶です』

 ミア先輩は何も返さなかった。だけどライネが飛び立つ瞬間、先輩の目元が綻んでいたのを私は見逃さなかった。



























『ところで、先輩。今晩、飲みに行きません?』
『明日アンタ朝からシンオウでしょ? それに私にはやる事あるから』
『え? 聞いてないですよ』
『言ってなかったから。明日は一般人としてシンオウに向かうアンタとブレイスにスピード勝負を挑むから、そのつもりで』
『は?』
『私とライネに負けたらボーナスカットね。社長に言っとくから』
『は?』
『今ここで勝ったら許してあげる。ライネ、「高速移動」』
『えっ? ちょっ!? はぁ!? 待てやクソババアアアアア!!!』


 了

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ルアイン→einmaleins(ドイツ語で「九九(算)」)

ミア→مِئَة(アラビア語で「100」)

ブレイス→RVR-02 “Vambrace”

ライネ→Vasteel Original またの名を FIRE LEO-04 “Rynex”

「頂上決戦」→「Ⅴ」の5面ボス戦BGM ”Duel of Top”(編曲者は九十九百太郎氏)

『May the THUNDER FORCE be with you』→「Ⅴ」のエピローグ「LAST LETTER」における最後の一文 “May fortune be with you”

THUNDER FORCE→サンダーフォース。略称「TF」。直系ナンバリングタイトル5作目までは「横シュー四天王」に名を連ねる伝説中の伝説、後発の2作はその伝説に続こうと奮闘した、テクノソフト(と版権を継いだセガ)が生み出した傑作シューテングゲーム。



 拙作をお読み頂き本当にありがとうございます。
 ここからは大会投票所にて頂いたコメントの返答を致します。

相棒の種族とか最後の方まで明記されず、細かな設定とか把握するのに苦労するんですけど、そんなことより全体の雰囲気がオシャレでカッコいいんですよ。端々に出てくるアイテムのブランド感からしてイイ。主人公のビジュアル、背が高いくらいしか書かれてないんですけど絶対シュッとしてるもん。あと先輩。オタクはみんなカッコいいババアが好き。先輩の咳き込む姿から『もう本当におばあちゃんだなあ。』としみじみ思ったかと思えば、ラストフライトの感動を出し抜かれる。ライダースーツの75歳は強いなあ。
相棒とタバコ吸うってのがもうカッコいい。タバコ食んでるチルタリス、想像するとやはりサマになるよなあ……。妄想のフライト勝負もね、空に生き様を見いだした者たちのやりとりみたいな雰囲気がしてイイんですよ。
 ストーリー中盤からコメディ要素が強くなる拙作ですが、それでも格好良さを感じて頂けたなら幸いです。特にも作中に登場する腕時計ブランドは「パイロットウォッチに一家言あるブランド」で揃えました。
 ちなみに、これを書いている時には拙作に埋め込んだオマージュ元を公開して、特にサンダーフォースⅤの5面ボス戦を意識して製作しました。シューティングゲームにあまり詳しくない方へ簡単に説明すると、「オタクの99.999%が大好物の『新旧主人公(機)対決』」です。クッソ燃えるので興味があったら調べてみください。

なんというか物語の朝靄の中のような透明感に惹かれました。
 コメントありがとうございます。コメディ色が強い拙作ですが、何か綺麗なものを感じて頂けたなら幸いです。ちなみに、物語の舞台となるカフェ(の屋上展望台)は現実のそれをモチーフにしていて、そこに赴いた日が奇しくも大会エントリー開始日でした。「こういうカフェに行ってきたよ」と写真をアップするのは簡単ですが、私が覚えた感動を文字創作に昇華したくて、あえて画像は伏せました。それに加えて物語前半の裏テーマは「Lie」でして、そういう理由からあなたへそのような感想を思い起こさせたのかもしれません。

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Last-modified: 2022-07-11 (月) 20:22:58
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