作者:COM
吐く息も白く凍てつく冬景色。
ざぐざぐと積もった新雪を踏み固める音が一つ、山林の中を行く。
蓑と笠で厳重に身を包むその傘の上には軽く雪が降り積もっており、長い距離を歩いてきたであろう事が見て取れる。
一つ小さな丘を越え、笠に乗った雪を払いながら眼前の山村を見つめて一つ息を吐く。
その男の眼前の木々は開け、小さな山村が広がっていた。
男はそのまま村まで歩みを進め、建物の戸を叩く。
「御免」
「あんた誰だ? 知らん顔だが何処から来た?」
「ああすまない。申し遅れた。俺は兵六という者だ。流れの猟師をしている。見ての通り雪の奴に降られてな。一晩泊めてもらえると助かる」
兵六と名乗った男は傘の雪を払い落としてから家人にそう願い出た。
家人はその申し出に対して怪訝な表情を浮かべる。
「一つ条件がある」
「条件とは?」
「猟の腕は確かか?」
その問を聞き、兵六はにいと歯を見てせ笑った。
蓑と傘を壁に掛け、煙管を一つ吹かす。
「まさか馳走になるとはな。だが有難い」
「逃げられちゃ困るんでな。前金代わりだ」
ただ雪を凌げればと立ち寄った民家で膳を仕立ててもらい、満足そうに兵六が笑ってみせると家人はもてなしたにも拘らず表情は渋いままだった。
まだ雪深いというのにも拘らず、その家には家人以外の男女までも揃って口々に兵六を見ては喧々諤々と言葉を交わす。
「逃げやせんさ。俺の目的は狩りなんでな」
「相手が妖術を使う化け狐でもか?」
煙を嗜み、余裕綽々といった様子の兵六に今一度言葉を重ねる。
「見て分かるだろう? 俺の本分だ」
兵六はそう言い、後ろの壁に掛かったもう一つの衣、革だけになっても猛々しさを残した月輪の熊の皮をそのまま使った羽織を親指で指しながらそう言ってみせた。
その下には彼が猟で使っているであろう火縄銃が壁に立てかけられている。
「本当か? 妖獣を狩れる狩人なんざ皆都にしか住んじゃいない。ただの猟師ならそこらに居る。飯の為に吐いた嘘なら早めに白状せい。儂等はもう切羽詰った状況なんだ」
「狩れる」
たった一言の返事だったが、その場にいる者が皆おおと声を上げるほどだった。
それほどまでに妖獣狩りとは至難の業だということでもあるが、同時に自信に満ちた兵六の返事が心底嬉しかったというのが心情だろう。
「ただし幾つか条件がある」
「なんだ?」
「なあに。難しいことじゃない。知っているとは思うが、雪の深い日は得物が役に立たん。今すぐにというのは無理だ。俺の要領でやらせてもらう。それと――」
そう言って同じように自分の後ろを親指で指した。
それを聞いて家人は一つ深い溜め息を宙に向かって吐く。
「構わん。あの化け狐を確実に始末してくれるのなら出せる物をなんでも出してやる」
「交渉成立だな。では、その化け狐とやらの子細を聞かせてもらおう」
家人の返事を聞いて兵六は今一度にいと笑ってみせ、家人から化け狐の話を聞き始めた。
事の始まりは数年前、漸く田畑も仕上がり村として申し分ない仕上がりになった頃から近くに作物を狙って来る獣がちらほらと見られるようになった。
追い払っても追い払ってもキリがなく、痺れを切らした村民が罠を仕掛け、見事に獣を仕留める。
初めの内は野鼠や野兎程度だったが、猪までもが山から下りてくるようになり、村人も矢や槍まで持ち出して本格的に獣狩りをし始めた頃、その辺りでは見かけぬ白い子狐が罠に掛かった。
珍妙な狐は皮を売れば金になるとあっという間に捌かれたが、これが不味かった。
その日を境におどろおどろしい殺気を漂わせる化け狐が村の周囲の山々に出没するようになったのだ。
初めこそは山神を怒らせたのだと狩りを止め、お供え物などして祟りを沈めようともしてみたが、それは祟りなどではなく、黒い爪で人々を裂いてゆく紛れもない獣だった。
村人が森に踏み入ると必ず存在を嗅ぎつけ、怨嗟に満ちた瞳で見つけ出し、惨たらしい死体に変えてゆく。
誰も森に近寄らなくなると次第に化け狐は大胆になり、夜になると村のすぐ傍にまで出没するようになった。
近くの猟師に頼んだりもしたのだが、あっけなく返り討ちに遭い、村傍の土手に死体がこれ見よがしに置かれたのがつい数ヶ月前とのことだった。
「このままではいずれ皆殺しだ。頼む……! 何とかしてくれ……!」
「ああ、そういうのはいい。妖獣だ、と言い切ったという事は何かしら面妖な技を使ってみせたのだろう? どんなだった?」
積もりに積もった村人達の身の上話を兵六はあっさりと聞き流し、その化け狐の特徴を聞き返した。
暫し彼等は呆気に取られていたが、兵六の目は真剣そのものだったため、余計な言葉は返さずに聞かれた事について返してゆく。
「ああ……。そもそもあの狐は二本足で飛ぶように歩き回っててな。全身の毛が怪しく輝いて揺らめいたかと思うと青黒い炎を纏ってな……。そのままその炎をこちらに向けて飛ばして触れた者を焼くんだが……その炎で焼かれた者は決まって生気が抜かれたように冷たくなるんだ」
「白い毛に二本足、黒い爪の狐で青黒い奇怪な炎を操る……と。成程、それだけ情報が得られれば十分だ。後の事は俺に任せておけ」
実際に襲われる様を見たことがあるという村人の話を聞くと兵六は何度か遠くを眺めるように頷き、村人に言葉を返した。
兵六の頼もしい返事を聞くと口々に助かったと言葉を交わし、頭を下げたが、礼なら全てが片付いてからでいいとも返した。
その日はそれで解散となり、兵六は一息つくと火縄銃の調子を見ていた。
それから弓と矢筒、そして鉈を丁寧に見た後、用意された床で眠りに就く。
そうこうすること数日、雪が降り止み、数日の晴れ間が続いた。
「うん。今なら問題なく火が付く。今日中に済ませよう」
そう言って兵六は遂に今まで丁寧に整備していた火縄銃に遂に火薬と弾を込める。
弓に弦を張って調子を確認し、装備を次々と担ぎ上げてゆく。
村人達の視線を感じつつ、山へと入ってゆく。
いつもならば誘い出し用の罠の一つでも使うところだが、向こうから仕掛けてくるという情報もあったことで何処から襲われても対処できるようにするために崖を背にして迎え撃つことにした。
しんと静まり返った森の中はとても静かで、とても化け狐が現れるような気配はない。
だからこそ兵六は静かに息を潜めた。
とても静かな森であることは確かだが、それと同時に凄まじい殺気をも感じ取れたからだ。
火縄の先端が間違いなく燃えている事を確認しつつ、武器を構えながら静かにその時を待つ。
不意に崖の影が伸びたのを見ると兵六はすぐさまそこから飛び出し、振り返りながら銃を構える。
先程までいた場所には土煙が巻き起こり、その中心には件の憎しみの炎をその目に宿す白い狐が、瞳をぎょろりとさせながらこちらへ鋭い殺気を向けていた。
けたたましい咆哮を上げて兵六を威嚇した後、その化け狐は聞いた通り、飛ぶような速さで飛びかかってきた。
そこへ向けて一度、乾いた破裂音と共に火縄銃が火を噴き弾丸を撃ちだしたが、ひらりと躱してその鋭い爪を振り下ろす。
いつもならば狐の爪はそれでもう赤く染まっている頃だが、同じように兵六も前へ飛び込こんで身を躱し、火縄銃から鉈へと持ち替えていた。
今一度狐から攻撃を仕掛けたが、今度も兵六はその攻撃を躱して代わりに腰の巾着から玉を一つ取り出して紐を引き抜きながら投げつける。
すると途端に煙が立ち込め、視界を一瞬にして奪い去る。
付け加えるならその煙には独特の匂いが含まれているため、狐ですら目の前にいた兵六の匂いを追うことができなくなった。
これまで起きたことのない状況に追い込まれた事で狐は初めて同様を見せたが、逆に兵六はこの状況に慣れていた。
煙の中を突き進んできた兵六があっという間に狐の背後を取って、背中を思い切り殴りつけた。
先制こそ決まったがその程度ではびくともしない狐は、振り向きざまに爪で兵六がいるであろう場所を切りつけたが、その爪はただ煙を掻いただけ。
狐を殴りつけたと思ったその衝撃はただの棒きれ。
煙に驚き、棒きれの攻撃に今一度驚かされたその隙に兵六は狐の膝裏を蹴り、体勢を崩した。
「そのまま動くな。俺の言葉は分かるだろう? 動けばそのままお前の喉を切り裂く」
体勢を崩して倒れた狐に馬乗りになり、首のすぐ横に鉈を突き刺して兵六は狐にそう告げた。
「何故獣の言葉を……いや、そんなことはどうでもいい。お前、あの村の人間ではないな?」
兵六が急に狐にも通じる言葉を発したことでまたしても目を丸くさせたが、狐にとってそれは別にどちらでもよかった。
問題は兵六が村の人間であるか否かだけだ。
「その通りだ。一先ず現状俺がお前を一度殺したようなものだ。それは分かるな?」
「フン。だからどうした。実際に喉を裂いていないなら殺していないのと同じだ」
「まあ待て。要は俺の方がお前より強いわけだ。とりあえず俺の言うことを聞きな」
「聞かなければ?」
「言った通りだ。村と関係のない人間に喉を斬られて終わり。とりあえず大人しく俺の話を聞きな」
「断る」
言うが早いか、話で聞いていた青黒い炎が狐の全身を覆っていた。
それを見て兵六はすぐさま飛び退くと、湧き上がった黒い炎が周囲の煙すら巻き込んで燃え上がった。
すぐさま狐も起き上がり煙に紛れた兵六を探そうとしたが、今一度足元に違和感を覚えて足元を見るといつの間にか縄がぐるぐると生き物のように巻きついてきていた。
「その炎のようなのも既に調べてある。実際は怨嗟の念が具現化した霊障だとかで炎のような見た目をしているが燃えるわけじゃない。だからその縄も燃やせんだろう?」
「こんな紐如き……!」
「斬ったところで次々投げるだけだ。観念しろ」
「誰が人間なんぞに……!」
そう言いながら狐はすぐさま紐を切ったが、先程もそうしたのであろう。
煙の中から風を切る音と共に紐が飛んできて今一度足に絡みついてゆく。
更に二個三個と飛んできた紐が腕をも巻き込んで絡みついてゆき、遂に身動きが取れなくなった。
「投げ縄だ。面白いもんを考えつくもんだろ? まあ俺が考えたわけじゃないがな」
そう言って薄れ始めた煙の中から両端に重りの付いた縄を持った兵六がしたり顔で現れた。
「これが本当に最後だ。あの村に固執するのを止めろ。お前がその気にさえなってくれたんなら俺もお前を殺さずに済む」
「どういうことだ? 殺すために来たんだろう?」
「他の狩人はそうかもな。ただまあ俺は色々あってそうじゃない」
そう言って兵六はにやりと笑ってみせた。
森に入ってから数時間と経たずに戻ってきた兵六の姿を見て、村人達は未だ信じられないといった表情を浮かべていた。
だが実際に兵六は目隠しと後ろ手に結んだ縄で身動きを取れなくした化け狐を連れてきているのだから夢でもなんでもない。
「約束通り狐をとっ捕まえたぞ」
「何を言っているんだ!? そんな奴早く殺してくれ!! こうしている間にもまた呪い殺されでもしたら……!」
「最初に約束したはずだ。俺の狩りの始末に文句は付けないこと。生きてようが死んでようが狐は捕まえて、晴れてこの村から居なくなる。そっちの約束はきちんと守っている」
慌てふためく依頼してきた最初の宿の家人にそう言って諭すが、どうも気が気ではない様子だ。
尋常ならざる業を使う妖獣など普通の人間からすれば恐怖そのもの。
例え捉えた状態でも何をするか分からないと考えるのは当然といえば当然だろう。
「し、しかし……」
「大丈夫だ。俺が責任を持つ。それよりも次はそちらが約束を守る番だ」
「ほ、報酬だったな……。そちらの言う物を準備しろ……と」
「お前さん。子狐から剥いだ毛皮、まだ持ってるんだろ?」
兵六がその話をした途端、家人はぎょっとした表情を見せていた。
「そ、そんなものは持っていない!」
「持っていないはずがない。子狐を捕まえたと言っていた以上、持っている」
「もう売り払っている! だからそんなものは持っていない!」
「だったら最初から『売り払ったから持っていない』と答えるはずだ。でなけりゃ狐が作物や小さい獣を無視して執拗に村人だけを襲い続ける説明がつかん」
兵六の問いかけでしまったといった表情に変わったが、持っているのであれば話は早い。
「大方、見かけない狐の皮だからと戦利品にしていたんだろう? それが報酬だ。それ以外は最初の約束通り、当分の食料を所望する」
「値打ち物の刀……とかでは……」
「ああ大変だ。ついうっかり手が滑ってこいつの縄を解いてしまうかもしれんなぁ」
「お、脅すのか!? 卑怯だ!」
「前金だとか言って飯を食わせて断れないようにした奴が吐く言葉かね?」
家人が何か言えば言葉を返し、ぐうの音も出ないようにさせてから、漸く隠し持っていた子狐の皮を報酬として受け取り、後は礼もそこそこにその村を後にした。
後ろから恨み言の一つ二つが聞こえてきたが、初めにそれでいいと契約したのは彼等の方である以上、しっかり仕事は果たした。
村から大分離れたところで兵六は狐の目隠しと口を縛り付けていた縄を解いた。
「ほれ、約束通りお前さんの子供の形見だ」
「ああ……やはり……」
そう言って家人から受け取った子狐の皮を化け狐に見せてやると、大粒の涙を流して膝から崩れ落ちた。
狐の親子は、遠い遠い土地から住処を追われて旅をしてきた。
住む場所を失い、せめて子だけでも満足に食わせるために食料の多い場所を求めて彷徨った。
その結果、村傍の山へと至る。
魚も野鼠や野兎も多く、木の実やきのこ、豆も豊富なこの土地でなら、子狐を満足に食わせてやれると思っていた矢先、腹を空かせていた子狐は村の方から漂う匂いに誘われて、罠に捕まってしまったのだった。
「お前達が住処と食い物を求めてこの地へ来たように、人間もただ生きるためにこの地を拓き、人が住みやすいようにした。許せとは言わん。せめてこれが自然の摂理だと理解してくれ」
「……既に我が子は死んではいた。だが確かにお前は約束を果たした。……それにもう取り戻すものもない。何処へでも好きに連れて行くといい」
狐の落胆ぶりを見る限り、逃げ出すようなことはないと分かっていたが、念のため数日の間は腕を拘束する紐は解かずにいた。
報酬としてもらった食料のおかげで暫くは長い足止めを喰らわずに場所を移動することができ、もう到底村の場所へは辿り着けないであろうところで漸く兵六は狐の縄を解いた。
「まさか本当に殺さずに解くとはな……何が目的だ?」
「お前さんを捕獲する時に言った通りだ。俺はただ賢い妖獣らと人間とがいつか笑い合って暮らせるようになったらいい。そう思っただけだ。ほら行くぞ?」
そう言って兵六は狐についてくるように促した。
狐からすれば聞きたいことなど山ほどあったわけだが、それ以上に兵六の目的が分からず、もう暫くは兵六との約束通りにすることにした。
その約束というものだが、まず村人達には狐は依頼通り村から姿形無くすこと、その際の方法については例えどんな方法であっても文句を言わないこと、そして報酬は兵六が告げた品物と幾日か分の食料を用意すること。
狐の側には人を殺す事以外で狐の望む事を一つ叶え、その代わり必ず兵六の言うことを聞き入れる事だった。
狐の願い出は他でもない、
「俺の狩りはいつもこうだ。おかげで儲からん」
そう言って自虐的に笑ってみせたが、狐からすれば全くもって意味が分からない。
「あのまま首を切ってしまえばもっと食料ももらえただろう。何故そうしない?」
「言っただろう? 俺は少しでも人と妖獣との蟠りを解消したい。なんでもずうっとずうっと海の向こうの国々じゃあ妖獣を使役する人間までいるそうだ」
「所詮道具と同じだ」
「そう思うか? 聞いた話だと向こうの将軍家のようなところに代々使える妖獣として丁重に扱われているそうだ。なんならそこらの下人なんぞより扱いもよかろうて」
暫し兵六と狐は問答を繰り返したが、話は平行線のままだった。
「例え住処を追われた身であっても、お前の力を必要とする者も必ず何処かに居る。その人間を見つけるまでは静かに俺の下人の真似事でもしておけばいい」
そう言って兵六は狐を言い聞かせた。
暫くの間は特に代わり映えのない日々だった。
山から山への移動の合間に罠を仕掛けて獣を捕り、木に実る実を取って食料とし、狐にも分け隔てなく与えた。
初めの内は逃げ出さないか見張ったり、眠っている間に寝首を掻かれないかと警戒し合っていたが、それもその内なくなった。
随分と打ち解けたある日。
「あんた妖獣が狩れるのかい!? だったら話が早い!」
今なら村の外に狐を待たせ、その間に村で狩りの依頼があるか聞けるだろうと立ち寄った村で、早速妖獣による被害があったとかで兵六に依頼が舞い込んできた。
村の女達に囲まれた村長らしき人物が随分と弱った様子で溜め息を吐きながら兵六に話しだした。
「妖獣……には違いないんじゃが……。ここじゃなんだ。他で話そう」
そう言って村長は村の若い衆から離れて自らの家へと招き入れた。
その際にちらと村の様子を見たが、これまでに妖獣にやられたという村とは打って変わり随分と活気に溢れている。
「すまんな。さて、件の妖獣じゃが……ちょいと前からでかい鼠のような獣が村に度々現れるようになってな」
「鼠……作物を食い荒らされた。とかですかね?」
「いや。ちょいと齧られる事はあっても食い尽くされるようなことはない。問題はな、その鼠共、やたらと逃げ足が早い上に家の柱を齧っていくんじゃ」
「柱? これまた珍妙な」
「被害はそれぐらいじゃ。女衆の方がどうもその獣が気に食わんようでな。何とかしてもらえると毎日のように儂の所に何とかしてくれと乗り込んでくることもなくなるじゃろうて」
「はあ……」
これまでの依頼の中でずば抜けて珍妙な依頼だった。
死者は居らず、時々子供や女衆に追い掛け回されてはいつの間にか逃げおおせる妖獣達の光景がこの村での日常風景になっていたほどだ。
聞く所によると大体一週間に三度、森の方から三匹の妖獣がやってきては好き勝手に走り回って森へと帰ってゆくのだという。
いつものように兵六は自身が妖獣狩りを請け負う際の約束を取り付け、来るであろう妖獣を待ち受けた。
「来たぞー! とっ捕まえろー!!」
そんな声が響いたかと思うと村の中が騒がしくなった。
茶色い綿毛のような鼠がそれぞれバラバラに村の中を走り抜け、それを村人達が総出で捕まえようとしているが、そこは獣。
機敏な動きで躱し、小さな体を活かして小さな隙間を縫って逃げてゆく。
「こりゃあ……祭りかね?」
早速仕事に取り掛かろうとしていた兵六だったが、様子を見る限りただの乱痴気騒ぎ。
とても妖獣被害の真っ最中とは思えない。
「やっぱりお前さんの仕事だ。悪いが件のびっぱとかいうのを捕まえてきてくれ」
「村に入って大丈夫なのか?」
「村人に危害を加えなきゃ俺がきちんと説明するさ」
兵六の言葉を聞くと狐は飛ぶように駆け出し、村の中を縦横無尽に駆け回る鼠へと駆け寄ってゆく。
「うわぁ!? なんだ!?」
「山姥だ! 山姥が出たぞ!!」
先程までの大騒動とは打って変わり、狐の通った辺りから一際大きな悲鳴が聞こえて静かになってゆく。
それから数十分と経たない内に涙目になった鼠三匹を抱えた狐が兵六の元へと戻ってきた。
「ご苦労さん!」
「お前の仕事だろうに……まあいい」
「驚いた……! あんた妖獣を使いこなしてるってのかい?」
「まあそんなところだ。子細はまた後で話すから暫く待っていてくれ」
白い狐と共に森の中へと消えていく兵六を見て村人達は目を白黒させていたが、一先ず自体は収束したことで村の中は少々の喧騒を残しつつもいつも通りに戻っていった。
「やだよう! やだよう! 食べないでおくれよう!」
「母ちゃん助けて!」
「離せったら離せよう! 腕に噛み付くぞ!」
「ほらほら大人しくしろ。誰も取って食ったりせんから」
口々に命乞いをするネズミ達に兵六がそう言うと、暴れていたネズミ達は動きを止めた。
「本当?」
「本当本当。離してやってくれ」
「いいのか?多分逃げ出すぞ」
「大丈夫だ。逃げたら今度からはもう村で遊べなくなるだけだ」
兵六の言葉を聞いて大人しくなったネズミ達をそっと地面に下ろしてやると、少しだけ狐の方を見上げて怯えた後、兵六の後ろへと隠れた。
「襲わない?」
「大丈夫だから。落ち着いて俺の話を聞きな」
その場に座り込んで鼠達に何故村の中で暴れて、否遊びまわっていたのかを問いただした。
するとやはりというかなんというか、子供らしい楽しそうだったからという答えが帰ってくる。
やはりといった調子で兵六はがっくりと肩を落としながら長い溜息を吐いた。
「お前達としては人間と追いかけっこでもして楽しかったんだろうがな。勝手に作物を食べたり、家を齧られちゃあ堪らんのだ」
そう言って暫くは鼠達にこんこんと説教をし、兵六の話していることを理解したのかしょんぼりとしたところで一先ず説教は止めた。
悪さをするために村に度々入っていたわけではないことを知り、今一度鼠達に提案を持ちかけた。
「お前さん達は別に人間の事を恐れてるわけでもないし、特段敵視しているわけでもないんだろ?」
「うん」
「だったら話が早い」
そう言うと今度は何かを三匹に告げてから連れて村の方へと戻っていった。
一度は村の外に連れて行かれた鼠達が何事も無かったようにまた連れて来られた事で村人達は何事かと集まっていたが、彼等を含めて依頼者である村長に告げた。
「今後はこいつらに名前でも付けてやって、仕事を依頼するようにしてやってくれ」
「仕事?」
その妖獣達はこれといって害意があったわけではなく、村の子供達との追いかけっこが発展した程度の考えだった。
だから今でも人間と一緒に遊びたいだけであることを伝え、今までのような関わり方では人間に迷惑を掛けているだけだということを反省させたことも村長達に伝えた。
また、その妖獣達は元々木やら岩やらを齧る事を得意とする種族であるため、食料を分けてあげる代わりに木を樵るのを手伝ってもらうようにするよう言った。
「木を切り倒す? この小さいのが?」
「百聞は一見に如かず。実際の仕事振りを見てもらえれば納得するだろう」
そう言って村人を連れて山へと戻り、手頃な木の前まで行く。
そして兵六が木を齧るように言うと、鼠達は俄然やる気を出してガリガリと木の根元に噛み付く。
三匹がかりということもあってあれよあれよという間に木の根元が削れてゆき、もはや立っているのがやっとの状態まで仕上げてくれた。
それを兵六が押して倒し、一仕事を終えると巾着から豆を練りこんだ団子を取り出して一匹に一個ずつくれてやった。
「どうだ? こいつらは賢いから人の言葉を理解できるし、噛む力は恐ろしく強い。可愛がってやればもっと懐くだろうし悪い話ではないだろう?」
「ま、まあ。元々大きな被害があったわけでもないからそれで構わんが……。その……これであまり高い金を要求されると……」
「はっはっはっ! 大丈夫だ。こいつらを末永く可愛がってやって欲しい。俺からの要求はそれだけだ。とはいえ、心ばかりの食料を分けてもらえると助かるがね」
そう言って兵六が笑ってみせると、村長としては報酬が唯一の気掛かりだったのか、ほっと胸を撫で下ろしていた。
その日は狐共々村に泊めてもらい、子供達の注目の的となっていた妖獣達との触れ合い方を教える笑顔の絶えない一日となった。
「あれでよかったのか?」
「あれで。とは?」
「村人が約束を守るとも、鼠共が約束を守るとも決まったわけではない」
「そうだな。だがそれは当人達の問題だ。俺に言われたからそうする。では人と妖獣が手を取り合って生きることはできない」
兵六の言葉を聞いて狐は暫く静かにしていたが、ぽつりとそうか。とだけ答えた。
また別のある日、立ち寄った村では他の妖獣に襲われた村と同じように村民の様子は何処物憂げだ。
「ほ、本当に妖獣を狩れるのか!? あの憎き化け熊を!?」
兵六が聞いたのは妖獣被害に遭う大抵の村と同じ悲痛な声。
村人が語る事情も大方は同じ内容。
身の丈を優に超える巨大な熊が村人も作物も根こそぎ奪っていくというもの。
通常の熊よりも大きい上、大きな音を立てても逃げるようなこともなく、大木すら一撃で薙ぎ倒すほどの膂力を有しているという。
強いだけならまだしも、こちらの行動をよく覚えているらしく、一度使った罠にはかからなくなるせいで今ややりたい放題という状態まで来ていたそうだ。
「どうするんだ?」
戦いに備えて道具の整理をする兵六に狐がそう話しかけてきた。
最近では兵六と共に村まで同行することも増えたが、妖獣を従えた狩人ということで信憑性に泊がついたのか、すんなりと狩りの依頼をされるようになった。
「どうもしない。いつも通りあちらの出方を伺って、話し合えそうなら話し合う。無理なら狩る。ただそれだけだ」
「もしもだ」
道具の手入れと準備を続け、視線も向けずに答えた兵六に狐が言葉を続けた。
「私が今裏切って人間を襲えばお前はどうする?」
「答えが必要か?」
「必要だ」
「分かっているだろう。ただ狩るだけだ。たらればの話をするほど暇はない。しっかり休んで英気を養え」
兵六の答えを聞いても暫く狐はただ黙っているだけで特に何もしなかったが、求めているであろう答えが返ってこない事を悟ってか、何も言わずに横になった。
狐は屡々兵六に対してそのような問答をすることがあった。
問の内容は似たような他愛のない仮定や、もしも一度大丈夫だと判断した妖獣が襲ってきたらというものが殆どで、あまり立ち入ったような事は聞かない。
兵六自身も恐らく狐が聞かんとしていることは分かっているが、間接的に聞こうとしている限りは答える気はなかった。
翌朝、装備を整えて山へと繰り出す。
大抵の場合と同じ、自らの縄張りを示す新しい傷がそこらの木に刻み込まれている。
これがただの熊ならば、そこが彼等の縄張りであり、これに近寄りさえしなければ襲われるようなこともない。
ましてや人間は武器を持つ。
これまでに村人も当然熊を倒すために武器を手に山へ向かったはずだろう。
野生ならば不必要に怪我をする状況を避けるため、攻撃されれば逃げるのが鉄則だ。
相当な下手を打って人間を舐めているのだとしても、罠などで痛手を受ければ人間を避けるようになる。
逆にその罠を避けるということはそれを理解できるほど頭が良く、それでいて人間を舐めているということだ。
それは狩人である兵六からすれば好都合でもある。
人間を舐めている個体は山では当然敵無し。
故に獲物を狙っている時でなければ気配を殺さない。
容易に件の化け熊を見つけることができた。
「居たな……。分かってると思うがこういうのは俺の領分だ。手を出すな」
狐にそうとだけ告げると銃を構えて姿勢を低くし、背後を取れる位置へと移動する。
そして巾着から一つ玉を取り出し、玉から伸びた紐を勢いよく引き抜いてから熊の斜め前へと放り投げた。
熊が地面に落ちた玉に気を取られた次の瞬間、轟音と共に玉が弾けとんだ。
簡単な音では怯まなくなっていた熊もこれには相当驚いたらしく、少々混乱させることに成功した。
「おい熊。俺の言葉が分かるだろう? そのまま動くなよ」
「あぁ? なんだてめぇ」
兵六の声に気が付いた熊は兵六の方へと振り返り、随分と苛立った表情で言葉を返す。
「妖獣狩り用の銃だ。お前さんの自慢の毛皮でも防げんぜ」
「だからどうした人間風情が。その程度で俺より強くなったつもりか?」
無数の傷を蓄えたその熊はそれまでに幾人もの人間からの反撃に遭いつつも、それらを屠ってきたのだという驕りを見せる。
兵六もその数多の人間と同程度に考えていただろう。
「一つ聞く。何故人間を襲う? 食料が足りないか? それとも人間が恐ろしいか?」
「はっ! 寝言は寝て言え。お前等が勝手に喰われに来てるだけだろうが。弱いくせになに対等になったつもりでいやがる」
「なら人間を殺すのは、生きるためじゃあないってことか?」
「いいや。生きるためだ」
「ほう? なら止めろと言ったなら止めるか?」
化け熊の意外な返答に兵六は少しだけ眉を動かしたが、そのまま質問は続けた。
すると熊はにやりを笑って兵六の方を見る。
「止めるわけないだろ? 適当な数を残しておけばまた勝手に食料を増やしてくれるんだ。こんな楽な餌場はない」
「交渉決裂だな」
言うが早いか、兵六は嫌な笑みを浮かべる熊に向けて引き金を引いた。
爆音と共に放たれた弾丸は熊の腹より少し下、足の付け根の辺りを貫いた。
「っ!? 人間風情がふざやがって!!」
兵六は経験上、妖獣の頭へ向けて撃つことはない。
まず最後の交渉の余地が無くなるというのもあるが、交渉のために奇襲を仕掛けない都合上急所へ向けた攻撃は躱されやすい。
熊は恐らく兵六が狩ってきた獣の中で一番数が多いため、腹から下の辺りならば致命傷を避けつつ当てやすかった。
今回も引き金を引く瞬間に躱そうとしてきたため、頭ならば当たらなかっただろう。
軽い出血があったためやはり動きが鈍っており、いつもならばすぐさま襲いかかっていた熊も距離を保ったまま隙を窺っていた。
当然兵六も隙を見せず、銃からすぐに弓と鉈へと持ち替える。
相手が怯えたり、姿を隠したならば弾を込めなおす隙もあるが、身構えられれば相手を見たままでも構えられる弓の方が勝手がいい。
弓を兵六が弓を引き絞ると同時に熊は話で聞いていた木を薙ぎ倒す程の膂力で近くの木を抉り取り、兵六の方へ向けて倒れるように木へ体当たりを繰り出す。
一つ弓を射ちながら倒れる木を躱し、次の矢を番える。
が、熊は倒れた木へと体当たりを再度行い、倒れた木を兵六の方へ吹き飛ばしてきた。
突然の事で兵六も肝を冷やしたが、すぐさま前へ転がり込んで木の下を潜って躱したが、熊との距離を詰めすぎてしまった。
木を一撃で抉る程の腕が振り下ろされ、地面を背にした兵六はただ転がって躱すしかないが、攻撃の合間に巾着から取り出した玉を放り投げており、兵六を追い回していた熊はその玉が放った爆発と閃光をモロに浴びることとなった。
一瞬の隙を突いて兵六は起き上がり、鉈で両の足の付け根を斬りつけて動けないようにした。
「諦めろ。腱までは断ち切ってはいないが深い傷だ。無理に動けば血を失って死ぬ」
「糞が……! 俺が人間如きに……!」
「最後の忠告だ。今ここでもう人間は襲わんと誓え。それができるなら命までは奪わん」
「糞……分かった。諦める」
その言葉を最後に、熊は戦意を失った。
暫く様子を窺ったが、その場凌ぎのために吐いた嘘ではなく、本当にもう抵抗する気が無いのだと理解し、兵六が鉈を鞘へと収めた瞬間、熊の豪腕が兵六へと振り抜かれた。
この不意打ちは流石の兵六でも対応できず、咄嗟に腕で顔だけは防いだため吹き飛ばされるだけで済んだ。
「雑魚が……! 俺を舐めるからだ」
「そうだな。手加減されていることも分からん雑魚は死ね」
言うが早いか、熊の喉を狐の爪が引き裂いた。
熊は何かを言おうとしていたが、それもただ吹き出す血の勢いを増すだけだった。
「生きているか?」
「死ぬほど驚いた。まさかあそこまで油断させるために嘘を吐く奴もいるとはな……」
狐は吹き飛ばされた兵六の元へと駆け寄り様子を窺ったが、普段通りの調子で言葉を返してきたため、とりあえず身体を引き起こした。
「手を出すなと言ったろうに……」
「出さなければ死んでいたのはお前だ」
「どちらにしろあの怪我は自然に治すことは無理だ。俺に手を出した時点で死ぬのはもう変わらん」
「お前は何故、たかだか獣に情けをかける? 今だって死ぬところだっただろうに」
「右腕は暫く使い物にならんだろうが、それでも死んじゃいない。それで十分だろ?」
「私の時もそうだった。わざと攻撃を外す。そうしなければお前ほどの腕なら全部怪我もせずに仕留められたはずだ。何故そこまでして獣と人間を引き合わせたいんだ?」
熊の攻撃を防いで折れた右腕の応急処置をしながら、兵六と狐は言葉を交わす。
今回の件は流石の狐も抑えきれなかったのか、今まであまり直接聞こうとしなかった、兵六の執拗とまで言える獣を救おうとする姿勢を遂に問いただした。
「……海の向こうにある国じゃあな、もう随分と前から人と獣……確かぽけもんだとか呼んでたか? まあ要は人とその獣らが仲良く暮らしているそうだ」
「だからそれを真似したいと? わざわざこんな命懸けの真似までしてか?」
「俺にはな。昔、妻と息子がいた」
そうして今まで、兵六が語らなかった過去を、ぽつりぽつりと話し始めた。
兵六は元々、狩人ではなかった。
どこにでもいるただの百姓で、妻と息子に恵まれありふれた生活をする、凡庸な存在だった。
だがそれでよかった。
田畑を耕し、野菜と傘とで日銭を稼ぎ、同じ日々を繰り返す。
幸福な日々だった。
だがそんな日々は血の惨劇と共に終わりを告げた。
近くの山に住み着いた化け熊が、山に近い位置に住んでいた兵六の家へと来たのだ。
そこに兵六もいたのならば恐らく、その場で兵六も死んでいただろう。
街へ傘を売りに行った兵六を迎えたのは物言わぬ死体となった最愛の妻と息子だった。
何もかも失った兵六は正に鬼の名が相応しかっただろう。
それまでの全てを投げうち、憎き熊と相討ってでも殺すと覚悟し、山へと入る。
兵六は山中を探して歩き回り、そしてとうとう熊を討ち取った。
「そこで俺は何を見たと思う?」
「他の群れか?」
「だったら生きちゃいないさ。他でもない。その熊が育てていたであろう子熊だった」
結局のところ、熊も生きるため、子を育てるために餌を求めて村へと下り、偶々近かったが故に兵六の家を襲ったにすぎなかった。
兵六も生きるために肉を、野菜を食らう。
だからこそ怯える小熊を見て、兵六の胸の中には虚しさの感情が湧き上がってきた。
生きるために殺した熊と己の復讐心に駆られてただ殺したのとではその意味が大きく変わる。
最早生きて帰る気のなかった兵六はそんな子熊を見て、自責の念から育てることにした。
自らも人の子であったが故に、そのまま小熊が死んでゆくのは居た堪れなかった。
だが前途多難であることは言うまでもない。
乳離れが住んでいたことが唯一の救いだったが、言葉も通じない子を育てなければならないのは苦痛と呼んで差し支えなかった。
しかし次第に子熊の言葉を理解し、子熊もその辺りから兵六の言うことを聞くようになり、心にも余裕が生まれた頃、子熊と共にその山を離れることにした。
自分のせいで人に慣れた熊が人里に現れ、襲ってしまうことも、逆に子熊が無抵抗なまま人に殺されるような事も避けたかったからだ。
だが存外その危険性は少ないと思い知らされたのは、旅の最中訪れた港町で見た、不思議な書物とそれらを見せる異邦人の一団との出会いだった。
怪訝な表情を浮かべる町民の視線の先には、その異邦人と並んで楽しそうに手を振る見たこともない獣の姿。
なんでも獣は彼等の言葉でぽけもんと呼ばれる存在で、そこにいた火を自在に操る猿は彼等の国では鋳造の手伝いをしているのだと語った。
「ポケモンが恐ろしいのは当然の事です。皆さんはまだポケモンがどういう存在なのかを知らないのですから」
そう言って彼等はとある書物を取り出した。
珍妙な生き物が書き記された紙束、その中にその猿も書き記されており、そして同時に子熊の名も記されていた。
ヒメグマと記された名から取り、子熊に姫菜と名付けてやった後も暫くは変わらぬ旅の日々が続いていたが、ある日を境に姫はあっという間に大きくなってしまった。
ポケモンにだけ見られる特殊な成長である進化だったが、その変化は兵六にとって複雑なものだった。
あの日殺した熊と同じ姿になった姫菜はただ自らの変化に戸惑っていただけだったが、兵六からすれば妻子の無残な姿と己の殺した母熊との記憶が一度に蘇ってしまう。
「おひめよ。俺が憎いか? お前も決してあの日の事は忘れてなどいないはずだ。今のお前ならば俺をどうにでもできる。お前に殺されるのならば悔いはない。ただ、出来ることならば静かに生きて欲しい」
「忘れたことはないわ……。お父さん。でも、それと同時に一緒に過ごした日々も決して忘れた事もない。ずっと苦しんでいた事も知っているけれど、それ以上に私はお父さんや他の人間と一緒に生きていきたいの」
姫菜のその言葉を聞き、兵六は泣き崩れた後、自らの生きる道を決めた。
「おひめがこの国で生きていくにはまだまだ難しい。だからこそその学者に託した。彼等ならば邪険に扱うことも無いと信頼できたからだ。そして俺は決めた。この国でも人と獣が共に歩んで行けるよう、誰もがぽけもんという名を聞いて首を傾げぬよう生きられる世界の土台を作れるのならば、その為にこの身を捧げよう……とな」
「姫菜への償い……か」
「いや、お前さんみたいに分かり合える獣もいる。そうして分かり合えた獣と人とが暮らすようになれば互いの意識も変わるだろう」
「だがこの熊のようなのも生まれるだろう」
「だろうな。だからこそ正しく畏れるべきだ。共存を望む獣なのか、はたまた仇なす者なのか。様々な考えを持つ人間がいるようにそういう獣がいることを知り、住む世界を分けてゆけばきっと世界は変われる……。俺のようにただ獣に怯え、徒に命を奪うような事を避けたい。それが俺の本心だ」
「……辛いことを思い出させたな」
「いいや。一時も忘れないようにしている。そこが俺の原点であり、俺の目指す理想だ」
「そうか……」
そう言う兵六の顔を見て、狐は初めて微笑んだ。
その日の晩、兵六と狐は村に盛大に歓迎され、心ばかりのもてなしを受けた。
妖獣を狩った時、兵六は報酬として空いている納屋などで一晩泊めてもらう事を報酬としていたが、今回は大怪我を負ったこともあり、傷が癒えるまでの間貸してもらう事を報酬にして欲しいと言ったが、恩人を納屋に暫く置くわけには行かないと客人として空いていた家を暫く使わせてもらうこととなった。
暫くは山に何かしらの変化がないか伺うために様子を見て回っていたが、大きな群れではなく、やはり群れから離れた個体が幅を利かせていただけだったようで、山は静かそのものだった。
村人からちょくちょく礼の品ももらっていたが、流石に頼りきりになるわけにはいかないことと、罠に使う茸類や豆類は自生していることが多いため、それらを採るついでに食べられそうな物を集めていた。
「決めた」
そんな兵六にしては平穏な日々が続いていたある晩、急に狐がそう口にした。
「この村にするか?」
「いや。私が決めたのは、兵六。お前と共に旅を続ける事だ」
そう言ってにやりと笑ってみせた。
狐の方は嬉しそうにしていたが、兵六の方は渋い表情を浮かべた。
「言っただろう? 生きやすい土地か、一緒に暮らしていけそうだと思えた村が見つかるまで。それが俺と共に旅をする期間だ」
「そうだな。だが、それは生きていく場所を決めてない獣に限った話だろう?」
「俺は旅から旅への根無し草だ。ついてきた所で何処にも定着できん。それに助手は求めてない」
「お前の本心なんぞもうお見通しだ。人間の問題に獣を巻き込みたくない。どうせそんな所だろう?」
いつもならば兵六はすぐにしたり顔で答えていたことだろう。
だが寝転がる兵六から返事はない。
「図星だな。お前の昔話を聞いて確信した。お前はなんでも自分で背負いすぎる」
「別にいいだろう。俺の人生だ。好きに生きる」
「なら私も好きに生きる。それで構わんだろう?」
それを聞いて兵六は上体を起こそうとしたが、それよりも早く狐が兵六の身体に跨り、それを制する。
「お前の番になれば、私の居場所はお前の横だ。人間ならばそうなのだろう?」
「は?」
「狐は案外執念深いぞ? 一度決めたら余程の事がない限り必ずやり遂げる」
「いやいやいやいや待て待て待て待て」
「そのまま動くな。私の言葉の意味は分かるだろう? 動けば腕の怪我に響くぞ?」
必死に逃げ出そうと藻掻く兵六の身体を優しく押さえつけ、そっと顔を舐める。
「お、お前本気なのか!? 俺と旅を続けるためだけにそこまでするつもりなのか!?」
「ただ繋ぎ止める為だけに好きでもない相手とわざわざ目合いたいと言うと思うか? お前の覚悟を知れたからこそ、お前と添い遂げたいと私が決めた。私の覚悟が分かったのならさっさと逸物を勃てろ」
「無茶を言うな! 獣なんぞ今まで抱いたことも抱こうと思ったこともないわ!」
「なら私がその気にさせてやろう」
そう言うと狐はもう一度、二度頬を舐め、そのまま唇を舐め、舌をほぼ無理矢理兵六の口の中へねじ込んだ。
暫くは兵六も必死に拒もうとしていたが、物欲しそうにじっと兵六の目を狐が見つめ続けると、観念したかのように自分から唇を預けた。
何度か舌を絡めて唾液を交わす。
その隙に腰紐を解いていたのか履物をするりと下ろし、遂に兵六の逸物とご対面……したが、夕刻の朝顔のようにしんなりとしている。
性的対象と見れない者と接吻を交わした程度ではその程度なのは当然だが、これには狐も少しだけ傷付く。
身体を少し後ろへとずらし、そっと口を兵六の逸物へと近付ける。
久方振りの雄の香りを堪能しつつ、そっと舌を這わせる。
生暖かい感触に流石の兵六も甘い息を漏らしていたが、焦ることなくゆっくりと味を堪能しながら兵六に少しずつ甘い刺激を与えてゆく。
兵六には当然その意思はなかったが、それでも刺激されれば興奮してしまうのが雄の性。
甘い刺激の連続に少しずつ兵六の逸物は硬さを増してゆく。
ある程度の硬さを持ったのを見て狐はすぐにそれを口へと含んだ。
吐息混じりの嬌声が溢れ出し、狐は思わず頬が緩んだが、口全体を使って兵六の逸物を弄ぶ。
裏筋を遡って根元までを滑らし、舌が戻り際に亀頭の根元へと絡み付いて更に刺激を与える。
側面から絡み付き、根元で渦巻いてから巻き付いたまま引き上げ全体を刺激する。
狐の口淫が素晴らしいのか、はたまた長い禁欲で兵六が淫行に弱くなっていたのか、それともそのどちらともだったのか、なんにしろ既に兵六の逸物は我慢汁が溢れ出すほどには興奮しきっていた。
新鮮な雄の味を満喫していたかったが、このままでは大切な子種を無駄にしてしまうためそっと口から解放する。
「お前も久方振りだろう? 折角ならお互いに愉しもう」
そう言いながら身体を上へとずらす。
自らの唾液で滑らかになった兵六の逸物に自らの女陰へと宛てがう。
熱した鉄の棒のように熱くなった兵六の物が自らの陰唇を分け入り、陰核と擦れ合って狐にも快感をもたらした。
お互いの熱を混ぜ合わせるように二度、三度お互いの性器を擦り合わせ、狐の身体を押し返すほど元気な兵六の逸物を自らの中へと迎え入れた。
にゅぷりと狐の恥肉を押し拡げながら兵六の逸物が狐の中を貫いてゆく。
これには流石の兵六も堪らんと根を上げるように嬌声を堪えきれずに出した。
「んっ……! どうだ? これでも獣のでは満足できないか?」
「待ってくれ……! 降参だ! もう果ててしまう!」
絶え間なく与えられる快感に兵六は漸く根を上げたが、狐はそれを嬉しそうに眺めていた。
どんな形であれ、漸く兵六が自分に対して本心を吐露したように感じられたからだった。
「ならば答えてくれ。私を番と。必ず、最後まで添い遂げてくれると。私とお前がこの先背負うはずだった罪を、後悔を! 半分、私に預けてくれる……と!」
「……卑怯だ。そこまでの覚悟を見せて、男として退けるわけがない。分かった。俺の妻になってくれ」
兵六の言葉を聞き、そっと唇を重ね合わせた。
そしてそのまま腰をくねらせる。
ぐりぐりと一番奥へ押し付けるように動かしていたが、あっという間にびくりと兵六の逸物から子種が吹き出し、狐の中を満たしてゆく。
どくどくと脈打つ度に息も忘れる程の快感の波が兵六へと襲い掛かり、息を荒げる。
脈動が弱まり、押し拡げるほど太かった兵六の逸物は少しずつ硬さを失ってゆく。
ズルリと引き抜き、溢れ出る精液を勿体無いとばかりに狐は舐め上げ、兵六の力を失った物も丁寧に舐め上げてご満悦といった表情を浮かべてみせた。
「折角だ。人間との間に子を孕めるかも試してみるか?」
冗談混じりに狐がそう言ってみせると、意外にも兵六の逸物がぐいと力を取り戻した。
「おや? もう獣の女陰がお気に召したか? なんなら孕むまで続けてもいいぞ?」
「女房を満たせてやれんなど男の名折れというだけだ。お前も逝かせてやる」
そう言って兵六は挑発的に女陰を爪で開いて見せていた狐に覆い被さった。
妖艶な笑顔を浮かべる狐は兵六の右腕を庇うように抱き寄せながら、もう一方の腕で逸物を探り当てて自らの女陰へと導く。
既に液で満たされた膣内は容易に兵六の逸物を受け入れてゆく。
「安心しろ。私の方が丈夫だ。身体を私に預けないと右腕に負担が掛かるぞ?」
そう言って更に抱き寄せ、両足で兵六の腰を挟み込んで根元までずぷりと差し込む。
結局狐の方が兵六の身体を自由に動かしており、挟み込んだ足で自分の中へと誘われた兵六の逸物をぐりぐりと動かされて負けじと兵六も自ら腰を打ち付ける。
ぐちゅぐちゅといやらしい水音が立ち、次第にその音を早くさせてゆき、呼応するように呼吸を荒くしてゆく。
「な、なんと……いう名器か……!」
荒い息遣いだけをさせていた兵六が不意にそう呟いた。
突き進む度に狐の内側が絡み付き、今すぐに果てろとでも言うようにぞりぞりと逸物を削り取っているような感覚。
それでいて狐の呼吸に合わせて内側がぎゅうと収縮しては優しく絞り上げてゆく。
荒々しくも優しい抱擁は兵六自身と彼の逸物の同時に味わわされる。
思わず腰が退けそうになっても狐の足ががっちりと捉えており、上体を起こそうにも両手でしっかりと抱き抱えられている。
なんと心地良い地獄の責め苦だろう。
情けない事にもう二度目の吐精をしてしまいそうだった。
逝かせてやるなどと豪語していたが、余裕の混じった妖艶な笑みが兵六を見上げ、あまつさえ舌を絡めてくる。
結局抗うこともままならず、ビクビクと情けなく腰を震わせ、二度目の精を狐の中へと放っていった。
だが今度は止まらない。
「お、おぉ……! ま、待ってくれ! 暫しの暇を!」
「女房を満たしてくれるのだろう? というのも私も盛りが来たようだ。一度逝かねば収まらない」
いつの間にそうなっていたのかと言うほど、自然に狐は発情していたらしい。
盛りのついた獣は凄まじいと言うが、全くもって兵六の腰をぐいぐいと動かすのを止めない。
二度目の吐精も全て終え、再び硬さを失おうとしていた逸物を断続的な快楽をもってして今一度いきり勃たせようとしてくる。
「さ、竿がはち切れてしまう!」
「女房を満足させてくれるのだろう? ならもっと気張れ」
言うが早いか、がっちりと兵六の身体を捕らえてぐちゅぐちゅと音が立つほど腰を振りしだく。
最早兵六から漏れ出す声は悲鳴だが、それでも確かに逸物は今一度力を取り戻した。
しかし兵六の逸物の先端にはそれまでとは明らかに違う感触。
こりこりとした強い抵抗が先端を滑り、そしてつぷりと奥の奥まで逸物が辿り着いたのか、全体が激しく収縮した。
それまでずっと余裕を見せていた狐も漸く甘い息を漏らし、より一層足に力を込めて兵六を引きずり込む。
兵六の声にならない悲鳴を無視して、藻掻く獲物の喉元に食らいつくように逸物を奥の奥へと飲み込んでゆく。
狐の荒い鼻息と共に根こそぎ奪い取るように膣内全体が収縮し、出涸らしのような精を一番奥で吸い上げていった。
「も……もう勘弁……」
「なんだ……雄のくせにだらしない……。まあいい。次はもっと満足させておくれ」
「け、獣の体力……恐るまじ……」
兵六の体力と右腕の療養中でもあったため、本当は既に二度逝かされていたがそれは兵六には伝えず、お互いの呼吸が整うと狐はそっと兵六の身体を布団の上に置いてやった。
心地良い疲れに身を任せ、最後にどちらが言うでもなく、唇を交わした。
数日後、未だ腕の傷は癒えてはいなかったが、どうにも人と獣の目合いの声が漏れていたらしく、好奇の視線が向けられるようになったことで居た堪れなくなり、村を出ることにした。
逃げるような旅の始まりだったが、しかし足取りは軽かった。
これもまた一つの、人と獣の絆なのだろうという確信めいたものを感じながら、兵六は狐と共に久方振りに笑いながら森へと消えていった。
「そういえば。お前に名を考えてやっていたのだった」
「名? お前の兵六のようなものか?」
「そうだ。というよりどうやって名を付けずに子や仲間を見分けるのだ?」
「臭いだ。人間には分からぬやもしれぬが、臭いはそれだけで誰かを区別するには十分すぎる」
「成程。だが確かに人間には臭いなど差が分からぬ。だから俺からお前に名を贈らせてくれ。いつまでもお前では味気ない」
「いいだろう。何という名だ?」
「常世。最後まで俺と居てくれると言ったからな。これからもよろしくな。おつね」
兵六の言葉を聞き、常世は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
彼等がこれから幾人もの人と獣とを救い、結んでゆくのだが……それはまた、別の物語。
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