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カタストロフィー

/カタストロフィー

作:稲荷 ?










「本当にいいんですか?」
私はやや苦めのアイスコーヒーを口に含みながら、私は訝しげに男へ問いかけた。
男は純白の白衣を纏い、胸には彼がポケモンを調査する研究所の職員だということを示すバッチが輝いている。
「ええ、勿論ですよ。せっかく協力して頂けるのですから」
男はサラミを食べながら答えた。
恐らくは研究に没頭しすぎたためなのか、髪はぼさぼさで髭も剃ってない。
正直に言って、純白な白衣とは全くの不釣り合いな風貌である。
「まあ、私も気になる事ですし....」
私は自らが腰に携えているモンスターボールへと視線を落とす。
つい先日、私の手持ちのツチニンがめでたくも進化した。
私が子供のころから連れ添っていたポケモンの進化なのだから、それはそれは実に感慨深く、そして言いようにもないほど胸打たれるものである。
だが、驚くべき事にツチニンの進化は普通ではなかった。
いや、そもそもポケモンの進化ということ事態普通ではないのだが.。
「まさか、ツチニンが増えるなんて....」
私はそう嘆いた。
そう、ツチニンは進化するとテッカニンとヌケニンに分離するのだ。
ポケモンに対する知識よりも、人類の歴史に詳しい私にとって、進化によって分離するなど、実に突拍子も無く、そして恐ろしい話であった。
「まあ、それが普通ですよ。今更に限った事ではありません」
研究員は相変わらずサラミを貪っている。
そしてオレンジジュースを一気に飲み干すと口を開いた。
「そういえば、何故、ポケモンの研究依頼を出したんです?手持ちのポケモンを研究するなんて、随分勇気のあることですよ...帰って来れるか分からないのに」
研究員は再びサラミを口に放り込み、くちゃくちゃと汚く咀嚼する。
個人的には食べる時には口を閉じてもらいたいのだが、この研究員はお構い無しに食べている。
「....いや、私も凄く悩んでいるんですよ。ツチニンは私とずっっと一緒だったから、凄い懐いてくれていたんです。だけど....」
私は言葉を詰まらした。
こんなこと、言っていいのだろうか。
「だけど?」
研究員は少し身を乗り出して言葉の続きを待った。
それはまるで物語の続きに目を煌めかす少年と同じで、この研究員の精神年齢の低さが伺われる。
「....テッカニンはツチニンと同じ様に懐いているんですけど....ヌケニンだけ、どうも私から距離を置いているみたいで」
「ほう」
研究員はまた、サラミを頬張ると頷いた。
そして横目で周囲を伺い、雲一つ無い晴天を見据えると私に告げる。
「同じ個体のはずなのに、性格に差異があるということですね」
私は無言で頷いた。
内心、私はヌケニンが気味悪くて堪らなかった。
伝承では魂を抜き取るだとかと囁かれ、そしてあの表情では何を考えてるかすら理解できない。
ただ、気がつけばそこを漂い、私の後ろに不意に現れたりと不気味なのだ。
中身はテッカニンと同じ筈なのに、何故、ヌケニンだけ暗いのだろう。
そんな私の邪知が、この研究依頼の根底にあるものだった。
「まあ、ここでグダグダ語っても仕方がないですね。最終確認も済みましたし、さあ、行きましょうか」
研究員は賢明にもそう言うと、最後のサラミを呑み込んだ。
「ええ...」
しかし、研究依頼をすると言っても、私の中にはヌケニンを愛する感情もあった。
いくら性格に差異が出て、不気味であると言っても、ヌケニンの中身は私とともに幼少期を過ぎ、楽しい日々を送ったツチニンではないか。
平等に愛する事はできないのだろうか。キチンと可愛がってはやれないものなのか。
そう糾弾する心も、結局は私の忌むべき邪知によって掻き消されてしまうのだが。
「この近所に浦馬研究所という同僚の創設した研究所があります。そこに行きますよ」
研究員は顔色一つかえずに代金を払い、カフェを出た。
時期的には春といっても、日差しは着実に強くなっている。
運動でもすれば汗ばんでしまうだろう。
私は飲みかけのアイスコーヒーを残し、口に残る苦さに少し顔をしかめた。
平日の昼間のためか、駅前広場は閑散とし、相変わらずの光景が広がっている。
梅の並木も、梅が散り始めたせいで、少し物悲しい。
「こっちです。案内しますよ」
研究員は梅の並木道を指差し、彼の言う浦馬研究所へと足を進める。
この一歩一歩の度に、私は決して戻れぬ道を歩んでいるのだという奇妙な感覚に囚われた。
赤色灯を煌めかす警察車両が国道沿いを疾走し、梅の木々はやがて桜の並木へと変化を遂げていく。
「.....」
研究にポケモンを出すということは、それは臨床実験へと捧げる生け贄とも同義である。
大抵のポケモンは不治の病だとか、行き先が無いだとか、そんな理由ではあるので、私のように進んで生け贄に捧げる人は珍しいかもしれない。
研究などと呼べば体はいいが、実情は悍ましい実験台なのだ。
「さあ、そろそろです」
すでに研究同意書も書いた。最後の確認も了承した。もう、迷いは無い筈だ。
ポケモンの研究所というのだから、もっと立派な建物を想像していたが、現実はそうもいかないみたいだ。
恐らくはかつて工場だったらしき、大きな施設には真新しい研究所の看板が掲げられている。
「...元々はモンスターボールを作る工場だったみたいですがね、派遣切りに逆上した社員が工場長の一家を血祭りにあげるなんて事件があって、閉鎖されたんですよ」
私は少し身震いした。
派遣切りに逆上、今の私のすることは派遣切りに等しい。
気味が悪いから捨てる。その行為がどれほど身勝手で、驕傲に満ちたものか、私は重々知っている筈だ。
だから、逆上されても文句は言えない。
深夜に私が変死体として発見されたとしても、何も言えないかもしれない。
「ま、こんなでかい建物ですが、使ってるのは隅っこだけですから」
鉄筋コンクリート製の薄気味悪い研究所に入ると、私の心拍数はいよいよ深刻なまでに早まってしまった。
すると見た目20代前半の若い男が満面の笑みで私達を迎える。
「いやぁ、君が提供者だね。いやはや、どうもどうも。私は浦馬研究所の所長をしています、浦馬竜樹といいます。宜しくお願いします」
威勢のいい声に、私は当惑しつつも頷く。
こんな奴に、私のヌケニンは好き放題やられるのだ。
私は複雑な感情であった。
「さあ、とりあえず現物を見せてくれないか?」
「まあまあ、浦馬さん。落ち着いて下さい。そんなに焦るんじゃないよ」
ボサボサ頭の研究員はそう宥めていたが、顔には薄ら笑みを浮かべていた。
彼等に取って、ポケモンなどただの実験台に過ぎないのだ。
好都合の実験台。
こんな奴らにヌケニンを売り渡していいのかという善良な心が再び私の中で声を張り上げ始めた。
だけど、もう、今更引き返す事など許されない。
私は、可愛らしいツチニンであるテッカニンと共に生活すると決めたのだ。
震える手で、ヌケニンのモンスターボールを握る。
リリースはボタンを長押しで出来る筈だ。
「いいですよ、いつでも構いません」
浦馬に促され、私はモンスターボールを掲げた。
青白い光とともに、ヌケニンが、私の目の前に姿を現す。
その不気味な姿を晒しつつ。











私がツチニンと出会ったのは、今からかれこれ20年近くも昔になる。
母方の実家である地方の農村で、畑作業を眺めていた時に不意に姿を見たのである。
当時は、まだ何も知らない少女であったのだから、興味を持つのは当然で、私はツチニンと遊ぶ事にした。
最初こそ、警戒されて意思疎通すら叶わなかったが、次第にツチニンも私に興味を持ち、共に夏を過ごすパートナーにまで成長した。
川で遊び、夏の入道雲の下、遥かな田園風景を望みながら村を歩く。
なんと充実し、素晴らしい世界なのだろう。
「ねえねえ」
私はまだ幼かったから、ひたすらに純粋にそう思っていたのだ。
「なあに?」
ツチニンの少し高い声が私へと問いかける。
「これからもずっと友達でいようね」
遥かな青空を臨みながら、私はそう言うのが常であった。
一方のツチニンも、私のことを大層気に入ってくれたらしく、余裕綽々の快諾である。
しかし、ツチニンと共に会えるのは常に夏であった。
というのも、私の親の仕事の都合上と、棲んでいたマンションがポケモン禁止であったために、共に暮らす事が出来なかったのだ。
だから、私は夏が大好きだった。
年に一度の親友であるツチニン、歪み無く晴れ渡る快晴と、繁茂する植物、そしてこの強烈な日差しを浴びながらも美しくざわめき続ける木々の存在が私を夏の虜にしたのだ。
しかし、毎年のように夏に会えるとは限らなかった。
高校受験で、毎年のように来訪し続けていた山村へは行けなかったりと、様々な予定で夏の来訪の予定は大きく狂わされたためだ。
だが、それでもツチニンは私を待ち続けてくれていた。
「ツチニーン!」
そう叫ぶと、ツチニンは必ず姿を現し、共に日暮れまで山を駆け回り遊ぶ。
これが如何に楽しいか、凡そ私の能力では筆舌に尽くし難く、とてもではないが、他人に伝えられるものではない。
「ねえ?何して遊ぶ?」
私の問いに、ツチニンはいつも答える。
「小川で魚釣りがいいな」
また、ある時は
「土の中に迷路を造ろう!」
雨が酷いときは
「家で遊ぼうよ」
小さい頃の私には考えも付かないことだが、ツチニンは小さい私が安全であるように配慮までしていたのだ。
そう思い知った時、私の胸の内は感動に揺れ動き、涙が溢れるほどだった。
ツチニンは優秀だ。
山を熟知し、微かな気温の変動で天気を予測までする、ツチニンらしからぬツチニン。
それと同時に、とても優しいのだ。
現代社会に欠乏した、人間性を培う唯一のポケモンなのだ。
その証拠に、私が中学2年の朧げな記憶ではあるが、一回だけ山遊びに行っていたら嵐に遭遇したことがある。
ツチニンの提案で、無謀な下山はやめる事となり、私とツチニンは小さな洞穴に避難することとなった。
「凄い雨」
洞穴から外を見ると、ここは滝なのではないかと疑うほどの豪雨で、尋常ではない天候だと私は知った。
そういえば山を登っているあたりから雷鳴は鳴り響いていた気もする。
「....とりあえず、雨に濡れちゃったから、焚火を起こそう」
ツチニンの目は殆ど見えないらしかったが、その精巧な触覚でツチニンは洞穴に散っていた枯れ葉を集めた。
幸いな事に、この洞穴は誰かがいたようで、沢山の藁が積まれていたし、火打石も放置されていた。湿気が心配であったが、この洞窟は異様に乾燥している。
「丁度いいね、火を起こすよ」
私はツチニンの集めた枯れ葉に火花を散らし、息を吹いた。
やがてぱちぱちと何か焦げる匂いがして、仄かに明るく炎が上がったのだ。
「雨....止まないね」
私が不安げにそう言うと、ツチニンは無言で頷いた。
ツチニンもこんなことになってしまった事に不安を覚えているのか異様に無口であった。
そしてただひたすらに外を見つめ、雨の止む時を待っているのだ。
そういえば、ツチニンは種族上、水と炎は苦手であった。
気が滅入るのも当然だと私は思う。
だから、私はツチニンに声をかける事にした。
雨は止む気配が無かったが、ツチニンと楽しく会話をしていれば時間もあっという間に過ぎてくれる。
されど、特に語る様な博学も持ち合わせていない私に出来る面白い話と言えば、それは都市伝説だとか、今聞けば笑い飛ばしたくなるほどのポケモンにまつわる不可思議な話ばかりである。
だけれど、ツチニンはそんな私にも大仰に反応し、私の下らない会話を盛り上げてくれたのだ。
いつしか私の濡れた服も乾き、雨も小降りになりつつあった。
日は暮れ始めていたが、どうやら下山できそうだ。
「山の様子を見て来るよ、土砂崩れとか起きてたら危ないからね」
ツチニンは外に出ると周囲を伺うようにして、やがて山林へと分け入る。
どこまでも賢明なツチニンだと私は思った。
5分もしないうちにツチニンは戻って来た、今度は笑顔で叫ぶ。
ツチニンの笑顔というものは判別が難しいが、私に取っては笑っているように見えたのだ。
「大丈夫!下山できそうだよ!」
私はその言葉を信じて、無事に祖母の家へと行き着く事が出来たのだ。
叱られはしたが、祖母も私の無事を喜んでいたようだし、そして聡明なツチニンの判断で私は怪我一つなかったのである。
そして、ツチニンは明らかに年々成長し続け、今年、ようやく進化したのだ。
待ち続けていた進化に、私は驚喜したものの、直ぐに恐ろしい事実を知ったのだ。
ツチニンが二つに分かれてしまった事に。
ヌケニンは酷く無口で、何も語らず、私の後を不気味に這って廻る様なことしかしないが、テッカニンは前通り明るく、私とともに居てくれる優しい存在であった。
それでも、彼等の中身は一緒なのだろうか。
あの、夏の思い出が遥か20年分あり、それを今も思い続けているのだろうか。
「ねえ、ヌケニン」
ある日、私はヌケニンへと尋ねた。
それでも、ヌケニンはその空虚な眼差しを何処かへと向けるだけで、私の言葉に何も答えようとはしない。
「何か言ってみて?」
無言、耳の痛くなる様な静寂。
「ご飯は何がいい?」
沈黙、ぽっかりと浮かぶ気配だけ。
もう、私は不気味で堪らない。何度も言うが、私はヌケニンの相手をする自信が無いのだ。
だから、こんなにも残忍な選択をしてしまったのだろう。








青白い光が、今、目の前で形成されている。
「....」
私の回想はまるで走馬灯のように鮮烈で、極めて美しいものではあるが、私の意思を変えるには及ばなかった。
もう、変えられない。
どう足掻いても、これは定めだ。私の下した、最後の審判だ。
「それでは、ヌケニンはこちらが責任を持って飼育します」
私にですら分かる大嘘を浦馬は吐くと、ヌケニンに付いてくるように命じた。
だが、ヌケニンはこちらを見据え続けている。
あれほど空虚な目なのに、その双眸で見つめている。
私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
何故こちらを見るのか、その答えは分かるようで分からない、霞を手で仰ぎ続けている様な、奇妙な感覚。
私は顔を伏せ、背を向けた。
もう帰ろう、家でテッカニンが待っている。
もう、余計な事は忘れるのだ。
「ねえ」
不意に、聞き慣れた甲高い声が響いた。
私は驚きに顔を上げ、慌ててヌケニンへと視線を戻す。
そして、私は絶句した。
「どうされました?」
私が帰ろうとした為か、先行していたボサボサの研究員が訝しげに声を上げる。
そして数秒と掛からないうちに、彼は絶叫した。
なんたることだろうか。
ヌケニンは確かにこちらを見つめていた。
黒い、感情の掴めない不粋な顔であるが、確かに私を見つめている。
「....」
その後ろ、ヌケニンの後ろ。
浦馬が、ゆっくりと倒れる。
力なく、まるで生きるということを吸い取られてしまったかの様に。
「...で、伝承通りだ。く、くそ」
研究員は信じられないといった表情で、壁際に立て掛けてある鉄パイプを取った。
私は震えるばかりで、何も出来ない。
ヌケニンの後ろにある忌々しい深淵を覗くと、魂を抜き取られる。
その悪魔的な伝承は事実と化したのだ。
「ねえ」
また、ヌケニンは微かな声で私に問いかける。
何を言おうとしているのか、だが、私はすっかり恐ろしくなってしまって、首を振った。
「こ、来ないで」
しかし、私の拒絶などおかまい無しに、ヌケニンは着実に近づいて来る。
それが一歩と表現できるかどうかすら、甚だ疑問ではあるが、私に接近しているのは紛れも無く事実だ。
悍ましい姿のまま、何処か悲しげに見える姿で、私へとゆっくりと迫る。
「くらえ!このっ!」
研究員は鉄パイプを使ってヌケニンを殴打した。
だが、どういうわけだろうか、鉄パイプは非ぬ方向に変形し、まるで目に見えない壁に阻まれたかの様に研究員は転倒した。
「あっ」
そして、研究員は二度と動かなくなる。
彼も又、忌々しい深淵へと魂を呑まれたのであろう。
「...なんで?」
ヌケニンは私に尋ねながら、ゆっくりと近づく、最早、化け物以外の何ものでもない。
私は蹌踉けながらも、部屋の扉を開けようとするも、扉はロックが掛かってびくともしない。
「なんで捨てようとするの?」
私はもう半狂乱になりながら、ドアを力の限り押した、引く事もためした。だけど、ドアは開かない。
「どうして?」
次第に、その甲高い声は低く、唸る様なものへと変わって行く。
嗚呼、私はなんと身勝手なのだろうか。
監視カメラがこちらを見つめているのが分かる。
都合良く警備室に人など、いないと分かり切っているが、私は監視カメラに手を振った。
「どうして裏切るの?」
その声は、私が知る限り、この世の中で最も悍ましく禍々しい声に違いなかった。
耳障りで、これが耳元で囁かれると、全身が凍える様な感覚がする。
「ねえ」
私は結局、悲鳴を上げる事は無かった。
なぜならば、振り向けばそこには真の闇に包まれた、悍ましい深い深い暗闇があったからだ。
「.....」
私が忌々しい深淵を覗く時、忌々しい深淵も私を覗くのだ。
だれかがそんな事を言っていたと不意に思い出した。
「ずっと友達でしょう?」
ヌケニンとテッカニンで何が違ったのか。
記憶も、意識も同一ならば、この差異はどこで生まれたものなのだろうか。
私は漸くそれを知る事となったのだ。
だが、それを世間や学会などに言う事は出来まい。
私はもう、呑まれてしまったのだ。
恐らくはこの悍ましい深淵から逃れるなんてことは叶わないだろう。
それは、ここで永遠に意識のみを保ち続けるということであり、私の意識が自壊するのも時間の問題であった。
強欲で、それでも自制を続け、私に嫌われまいとした不憫なヌケニン。
彼が何故、私と距離をおいていたか。
彼はやはり優しかったのである。


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Last-modified: 2014-04-07 (月) 14:07:00
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