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カタコンベの秘密

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 地方出身だと、故郷の話をしてくれと言われることがある。都会出身の人からすれば珍しいのだろう。確かにうまく説明できないけれども「昔からそうだから」という理由で、余所者からすると、奇妙に見える風習・習慣が残っているのは否定しない。
 それらをよく見てみると、理にかなっているものもあれば、そうでないものもある。さて、私の故郷の場合はどうだろうか?

 私の故郷は、まあ、一言で言ってしまえば田舎だ。今は、周囲の村と合併したことで「町」にはなっているが、若者の多くは都市へ出て行ってしまう。私もその一人だ。なぜかというと、産業といえるのは、漁業と林業、あとは鉱業くらいのもので、働き口が少ないからだ。それに、高校までは問題ないが、高等教育や専門教育を受けるとなると、近隣に学校がないため、必然的に、都市へ出ざるを得ない。
 何もないが、自然には恵まれていた。天体観測にはもってこいとかで、近年、天文台がオープンしたと聞く。町全体は山がちで、平地に乏しく、海に面してはいるが、遠浅の海岸ではないので、天然の良港ではあるが、海水浴には使えない。ざっと、説明すると、そんな感じだ。
 次に聞かれるのが、どんな一日を過ごすかということだ。「夏休みなどはどうするのか、何もないなら暇ではないのか?」ということらしい。期待している方には悪いけど、特に変わった過ごし方をしているわけではない。学校が推奨する早寝早起きを実践するというのが基本である。真面目というよりも、町に娯楽の類がないので、そうせざるを得ないのだ。起きていても特にやることがあるわけでもない。
 当然のごとく、夏休みは遊びに費やされた。学校から宿題が出されるが、4日くらいで一気に終わらせて、あとは新学期までひたすら遊ぶ。学校としては、毎日、少しずつ進めて、8月31日に終わらせるというのが理想らしいが、宿題をやっているのは事実だし、そもそも、そんなこと、黙っていればわからないので、何も言ってこなかった。
 今はどうか分からないが、近所の子供たちは、みんなポケモンを持っていた。物心がついた時からそうだった。一緒に遊ぶついでに体が鍛えられたせいだろうか、病気の蔓延で学級閉鎖になったという記憶がない。私にも、ポニータという相棒がいた(今は進化しているが)外国には、亜種(と言っていいのだろうか?)がいるようだが、炎タイプのポケモンである。じっとさせているのは、体に悪いので、体を鍛えるという名目で、背中にまたがりあちこちに出かけた。
 牡なんだけれども、そこまで体は大きくなかった。種族の標準よりはやや小さめらしいが、気にしたことはなかった。体は小さくても、走ればかなりのスピードが出るので、変な乗り方をすると、落馬してしまう。その結果、自然と姿勢がよくなり、体に無駄な肉もつかない。お互い健康そのものだ。
 村には、特に観光地もないが、村のはずれに、いわくつきの洞窟があった。かつて改宗命令を拒否して処刑された異教徒の墓地として使われたとかで、行くと命を落とした異教徒に憑りつかれるから行ってはいけないと、言われていた。「村はずれのカタコンベ」として、村では知られている。洞窟の入り口には「関係者以外立ち入り禁止」の看板が立っている。この「関係者」というのがちょっと引っかかったが、小さい時はそこまで深く考えなかった。
 夏休みになると、ポニータにまたがって、あちこち出掛けるのが、何よりも楽しみだった。外は暑いが、日中は海風が吹き付けるので、そこまで暑いと感じたことはなかった。風を切りながらの山をゆくのは、一度味わうとやめられないものだ。
 中学校に上がっても、生活スタイルは変わらなかったが、それなりにいろいろと知恵がつく。やがて、件のカタコンベのことが気になってきた。中に何があるのか、ひょっとして心霊現象は起きるのか、など変な期待までし、自分の目で確かめたくなってきた。
 夏休みなので、時間はあった。しかし、洞窟の前に一晩中いるわけにはいかなかったので、ビデオカメラを置いておくことにした。ひとまず、夜の9時にカメラを設置し、翌朝の9時にカメラを回収することにした。
 翌朝、私はカメラを回収し、ワクワクしながら、テレビに配線を繋いで、映像を確認して見ることにした。きっと、すごいものが取れているに違いないと期待していたのだが……。その期待は見事に裏切られることになった。
 再生してみたが、特に変わったものは映っていない。虫に鳴き声が聞こえるくらいで、特に変わった現象は起きなかった。テレビから時折流れる虫の音と、部屋に置いてある扇風機が風を送る音だけがむなしく流れる。私は、映像を早送りする。画面の中で時間が速く進むだけで、やはり何も起きない。
 途中で、何か聞こえた。ちょっと期待したが、よく聞いてみると、船の汽笛だった。沖合は貨客船の航路があるので、その船が鳴らしたものだろう。この集落では、特に珍しいことではない。結局、最後まで変わった現象は起こらなかった。
「あーあ、何も映ってなかったな」
「なんか、期待していたわけ?」
「ん、ちょっと……」
 ポニータはもともと興味がなかったこともあり、何か起きようが起きまいがどちらでもよかったようだ。画面の中は朝になった。結局、最後まで何も起きなかった。
「結局、何もなかったな」
 だが、諦めきれなくなった私は、もしかすると、大きい図書館に行けば、地域の記録をまとめた文献があるはずであり、そこから何かわかるかもしれないと考えた。夏休みの課題に「住んでいる地域のことをレポートにする」というのがあり、それも片付けなければならなかったので、ちょうどいいと思ったのだ。全容が見えなくても「仮説」と、レポートのタイトルにつけておけばいいと考えた。

 翌日、ポニータに跨って、町にある中央図書館で、それらしき文献をあたった。が、出てくるのは「凶作で飢饉が起きた」というものばかりで、処刑がどうとか、血なまぐさい記述はなかった。ここで、もしかすると、と私は1つの仮説に行きついた。
 異教徒の弾圧は中央政府からの命令だから、公式の記録に残すはず……。そうすれば、地方政府の手柄にもなるのに。それがないということは……? 戦争中の空襲で失われたということも考えられたが、こんな田舎まで敵機がやってくるのだろうか?
 そのまた翌日、今度は実家の隣に住んでいる農家のおじいさんの家を訪ねた。80代後半だが、病気知らずでボケることもなく健康そのものである。私は、訳を話し、例の洞窟のことについて尋ねてみた。「危ないからやめなさい」と言われるかと思いきや、ついてきなさいと、あっさり案内してくれた。
「滑るから気を付けるんだぞ」
 おじいさんは懐中電灯を持って洞窟の中へ入っていった。私も、ポニータを連れて洞窟の中に入る。洞窟の中は、じめじめとしているものの、ひんやりとした空気に包まれており、外とは別世界である。滴り落ちる雫の音が洞窟内に反響する。少し進むと、何か置いてあるのが見えた。墓標か、はたまたガイコツか? と思ったが、そんな物騒なものではなく、あったのはキノコの原木だった。
 この村は平地に乏しいうえに、やせていて農業向けの土地ではないため、よそに売り出せる特産品に乏しかった。村おこしの一環で研究開発が進められているのが、このキノコの栽培であった。
 つまるところ、この洞窟は異教徒の墓地などではなかったのだ。子供たちに行ってはいけないと大人たちが言っていたのは、洞窟内で子供がイタズラして、栽培と研究開発の妨げにならないようにするためだった。おっかない理由をつけたのはただ行くなと言っても、どうせ聞かないだろうから村の大人たちで話し合ってそういう話をでっち上げた、とのことだった。村の大人たちはみんな本当のことを知っているとも言う。また、この洞窟から人骨が見つかったこともないという。
「なんだ……」
 私は、ちょっとがっかりもしたが、文献にそういった記録がないために、本当は異教徒がどうこうという話自体なかったのではないか? という疑いは持っていたし、そもそもこんな山の中まで宣教師が来たのか? という疑問もあった。よく考えてみれば、いろいろと不自然な点もあった。
 がっかりした私を見て、おじいさんはこんなことを教えてくれた。
「海に行くまでに、石碑があったろ? あれは、本当のことだぞ。書いてある通りにしないと死ぬとも言われたな」
 私は、洞窟を出ると礼を言って、おじいさんと別れた。
「ポニータ、海のほうに行ってみようか?」
「また、謎解きみたいなことするの?」
「夕飯のニンジン増やしてやるから」
 ポニータは幽霊の正体見たり枯れ尾花ならぬキノコの原木になってしまったので「どうせまた肩透かしなんじゃないの」とでも言いたそうだったが、それでも、海風を切りながら、海への道を駆けた。海沿いには漁業関連の施設が立ち並んでいる。山と海の間にある狭い平地に降りていく道の途中に石碑があった。何か石が立っているのは知っていたが、刻まれている文字までは読んだことはなかった。文字が刻まれてから時間が経っているからか、ところどころすり減ってしまっている。
「えーと『……の大惨禍、これより下に家を建てるべからず……五年』?」
 読めない部分もあったが、この石碑より下に家を建てるなと先人たちからの警告、といったところだろう。この「五年」というのは何を意味しているのだろうか? まさか5年おきに天変地異が起きたわけではないだろう。「五年」の前にすり減って読めない部分があった。多分、元号ではないだろうか。

 今思えば、回りくどいことをやっていたと思うが、当時はまだインターネットの黎明期でうちにそんなものは無かった。あれから、10年ほど経って、私は大都会へ出てきて、そこで学校を卒業して、教員となった。そして、今、こうしてみんなにものを教える立場にあるわけだ。私がここで「いい人だったけど、あのおじいさんは私が大都会で学生生活を送っていた時に亡くなってしまった」と、言うと、やっぱり曰くありげな洞窟に関わったからだ、と思う人もいるかもしれないが、祟られたわけでもなんでもなく、天寿を全うしたということだ。亡くなったときは96歳だったと聞く。確かに100歳を超えても元気なご老人もいるけれど、それでも大往生だったと思う。
 その後、故郷は大地震と大津波に襲われて、私や一家は難を逃れたけれども、残念ながら、故郷からも犠牲者が出てしまった。犠牲者の多くは、石碑に書いてあることを無視して、低地に住居を構えていたがために逃げ遅れたとのことだ。ちなみに、今回の大津波は先人たちも予想を超えたものだったからか、例の石碑は大津波の引き潮で流されてしまい、今は新しい石碑が立っている。地震の後には津波が来るのはよく知られているが、故郷は地形の関係で、よそよりも大津波に襲われやすく、石碑はその警告だったというわけだ。
「だから、みんないざという時の備えはちゃんとしておくように。それと、自分のことは自分でできる歳なんだから、災害に直面したら、自分の身をまず第一に守ること、いいね?」
 今年も災害が多く、さらに事情が事情で、せめて土日祝日に遊びに繰り出したいと思う生徒がいてもおかしくはないので、この手の話をしておくようにと上からも言われている。そして、最後に……。もう、みんな、覚悟しているとは思うが……。
「本来なら、明日から夏休み……のはずでしたが! 政府からの臨時休校命令でロスタイムがあるので、一学期を続行しますッ! というわけで、みんな、明日もいつも通りに登校だから、夜更かししないように。それではさようなら」


 ~おわり~


【終わりの後の後書き】

 皆様、短編大会お疲れさまでした。早いものでこの大会も16回目と相成りました。個人的な意見ですけれども、短編大会で問われるのは「着眼点」ではないかなと思いますね。最近の大会はその傾向が強いと思います。
 短編大会にはお題がありまして、今回はちょっと難しかったですね。「かた」で、最初に「『於大の方』(徳川家康の母)っていたよな」と思ったのですが、さすがにそれでは、書けませんでした。「かた」ですと「片」「型」「肩」あたりは結構来そうな気がしたので、あまり来なさそうな「潟」でやってみるかなと思いましたが、やはり何も思いつかず。で、そうこうするうちにエントリー〆切が迫ってきて、本当にこじつけというか、無理やりで時事ネタにしました。
 今回の大会はいろいろ無茶をしました。ちょっと疲れました。で、ふたを開けると3票いただけました。票が入ったのは大変うれしく思います。投票ありがとうございました。
 まあ、これは私だって感づいた方もいたんじゃないですかね?
 令和2年7月19日 呂蒙

 


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Last-modified: 2020-07-19 (日) 18:58:11
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