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アンニュイ

/アンニュイ

作:稲荷 ?











「5日の深夜に何処で何をしていたかをお伺いしたいのですが」
私の家の玄関に突然押し掛けたバクフーンはそう言いつつ警察手帳を提示する。
「...桜ヶ丘署のクバロフさん?露西亜系かしら」
私は突然の来訪に辟易としつつ、壁にかけてある時計を見つめた。
時刻は朝の7時を示しており、常識的に考えれば彼の来訪時間は早すぎる気がする。
「いや、露西亜系というわけでもないんですけどね...まあ、とにかくお話を伺えたらなと」
彼はやや笑みを浮かべてそう告げる。
温和で、敵意が無い事を示す笑みなのだろうが、生憎なことに時間が悪い。
「こんな朝っぱらからご苦労なことですこと」
「そうですね」
皮肉にもクバロフは悪びれることもなく平然と言う。
「それで何?5日の深夜で何があったか言えば良いの?」
まだまだ二度寝していたい時間なのだ。私からすれば、早く終わらせたかった。
任意なのだから断る事も出来るであろうが、迂闊な返答をして、このクバロフとかいう新人警官に疑われると困る。
私はエーフィという性質上、彼の感情を汲み取る事が出来る。
だからこそ、彼がこの上なく面倒な性格で、組織が彼を活用出来るにはほど遠いことが理解できたのだ。
「え、ええ、知っている限りお願いします」
彼はやや困惑したらしかった。
どうやら、私が喋るのを渋るとでも予想していたのだろう。
ここまで典型的な警官もいるものだと私は少し驚いてしまった。
「えーっとね、確か5日の23時くらいだったかな?」
新人警官のクバロフへと私はその時起こった全てを打ち明けるのだった。






私の出会ったその男は実に冷静で、これから自らの行おうとする重大な決断にも、全く狼狽える様子は無かった。
彼の感情を読み取れる私でさえ、彼のその異様なまでの落ち着きは異質であり、同時にそれは一種の狂気じみた何かを感じさせるに十分である。
「君は僕を止めるのかい?」
男は落ち着き払った声でそう告げる。
深夜の踏切は静寂に包まれ、雑踏とした商店街の面影は何処にも見られない。
気味悪いほどに明るい月光と、全ての色彩を葬るナトリウムランプの無機質な色合いのみが、この街の全てを取仕切っているのではないかと思えるほどだ。
「....」
彼の冷静さ、あるいは異常さに私はすっかり当惑していた。
何も自殺を企てる連中の心境を私は生まれてこのかた何十人と見て来たし、自殺を思いとどまらせようと、あらゆる手段を講じてきたつもりだ。
だから、自殺する前の心境はある程度知り得ているはずである。
大抵は、緊迫、絶望、悲観、恐怖、そういったものに追い詰められてこそ、人は最後の死を選ぶものなのだが、この男はまるで違う。
微かに悲観している感情を察して取れるが、それよりも大きい何かが彼の心中に蠢いているのだと思う。
「貴方は...自分が何をしようとしてるか、ちゃんと分かってる?」
私は彼の異質さに怯えつつも、口を開いた。
「ああ、もちろん。自殺だよね」
彼の反応は実に冷淡としたものである。
機械的で、もはや全てを諦めている様な。
そんな漠然とした感情が、あることは私に理解できた。
「...どうしてそんなに冷静なの?」
私の質問に、彼は眉一つ動かさずに答えた。
しかしながら、その双眸はしっかりと私を捉え、目には何か明確な決意でもあるのではないかと思うほど、焦点が定まっているのだ。
「そうかい?冷静に見えるかい?」
「ええ」
男の問いかけに私は頷く。
すると男は今までの凍り付いた表情から、不意に満面の笑みを浮かべた。
「そうか...僕は、遂にここまで来たか」
男はそう言うと、胸元のポケットから、一枚のメモを取り出し私へと差し出す。
綺麗に折り畳んでいたせいか、文字の乱れもインクの滲みもなく、実に明瞭とした文字でとある住所が書かれている。
「....これは?」
私の問いかけに彼は一息ついてから答える。
「僕の唯一無二の友達の住所さ。今から言う事を、彼に伝えて欲しい」
男は静かにそういうと、妙に感慨深い表情で自らの手を見つめた。
踏切の警報音が喧しくも鳴り響き出し、眩い赤色灯の光が点滅を始める。
「....」
彼は私との距離を詰めると、周囲に誰もいないことを伺い、その忌々しい心境のうちを語り出したのであった。
曰く、彼が生きる毎日は実に充実したものであり、経済力も、親の愛にも常に恵まれている筈であった。
だが、いつ頃からだろうか。
彼の貧弱な心情の中に、か細くも、何か、小さな不安の種が不意に芽を出したのである。
彼は良識溢れる友人に恵まれ、傍からはその人徳のある明るい少年であると刮目されていたようで、彼もその点に関しては一切の疑問を抱いていなかった。
事実、幼少期は常に明るく振るまい、人を負傷させるような暴力的な真似は一度もした事が無かった。
彼は、まさしく模範的少年であったのだ。
されど、彼の内面は非常に脆く、不安であった。
誰もが推し量れないことではあったが、彼の心は実に傷付き易かったのである。
これは自分に害を与える存在などただの妄想に過ぎず、被害妄想であると彼は知り尽くしていたが、それでも、彼の恐怖と漠然とした不安は途切れる事無かった。
″嫌われる″という恐怖。
彼が最も恐れたのは他人からの拒絶である。
もっとも、私は明快にして他人を蹴散らすだけの実力は幸いにして持ち合わせているから、彼の主張するような恐怖が今ひとつ理解できなかったが。
だからこそ、彼は模範的少年であり続けた。
他人を失望させないため、他人から嫌われないため、他人を思うが故。
そして彼は自らを殺したのだ。
好きな事も、嫌いな事も、感性も、時間も、ましてや感情さえ、彼は制御し続けた。
やはり、未だ私には理解の出来ない事である。
自らを殺してまで他人に嫌われまいとする彼の行動原理が、甚だ信じられないのだ。
異質だ。
私はそう確信せざる得ない。
そう思い至った頃、彼は私を見つめていたその視線を深い暗闇へと落とした。
「....さあ?分かっただろう?僕が...もう耐えられないことを」
その声は震えていた。
目に涙が溜まり、やがてそれは大粒の涙となって薄やみのアスファルトへ滴る。
「僕はね...もう期待ばっかりに答える人生なんて嫌なんだよ。どうせね、これからの人生なんて決まってる。就職したら朝から晩まで雑巾みたいに扱われて、使えなくなったら捨てられる....そうに決まってるじゃないか」
そこには最初の冷淡とした彼は無い。
完全に情動にとらわれ、錯乱しきっている。
だが、私に浮かぶ感情は憐れみでもなければ、同情の美徳でもない。
憤りである。
無力のままに、ただ勇気が無いだけの我が儘でしかない。
「貴方の言い分は...まあ、分かったわ。...それで、貴方はその感情を他人に伝えようとしたの?」
彼は暗闇に落とした視線を私へと向けた。
また踏切の警告音が騒がしく鳴り響く。
そろそろ終電のはずだ。
「貴方は逃げてるんでしょ?変化を恐れて、周囲の空気に合わせて、ずっと殻にこもったまま」
彼は涙のせいか、赤く血走った目で私を見つめる。
何を考えているのか分からない。
あまりにも様々な感情が彼を巡っているのだと思う。
遮断機が道路と水平になるように幕を下ろし、列車の接近を伝えている。
「人は成長とともに変わるのよ。勿論、ポケモンもそうであるように」
彼も分かっている筈だ。
私はゆっくりと彼へと歩み寄った。
線路の果てからは列車の眩いライトが大地を照らし、そして轟音を響かせながら線路を駆ける。
「空気を読めだとか、ムラ社会だとかで辛いのは仕方ないのかもしれない」
地面に微かな揺れを感じる。
列車が迫っているのだ。
もう、あと数十メートルまでしかない。
彼は狼狽しきった様子で、不規則な呼吸をしていた。
「他人を思いやる事も大切...だけど、それで貴方が死んだら意味ないじゃない」
私がそう言い切るや否や、彼は何かが吹っ切れたように、膝をついた。
背後では列車が駆け抜け、車軸の唸る轟音が耳を劈く。
「ああ......」
男は私を見据え、そして、最後に口を開いた。
「僕は――――」
彼も胸の内では分かっている。
それは当然のことである。自分の意見を主張することなど、人間に元来備わった本能でもあるのから。
列車が駆け抜け、警報機の耳障りな音も途絶える。
彼は茫洋としたまま、私を見つめた。
「恐ろしいんだ。みんな、心の内では僕を煙たく扱ってるんじゃないかと思うと、僕はずっと良い子でありたいんだ」
彼は蹌踉けながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「....だけど」
彼は僅かばかし笑ったような気がした。
「今、君のおかげで僕は知ったんだよ」
「そう....それなら良かったじゃない」
私は彼を静かに睨むと、踵を返して都市の闇へと消えて行く。
途中一度も振り返りもしない。
なぜならば、彼の固い決心を私は嫌なほどに感じ取ったからだ。
はたして、そこまで生きにくい世の中なのだろうか?
そこまで、人は追い詰められているのだろうか?
「僕には無理だ。きっと、僕の代わりが居る筈だ」
そんな呟きが微かに聞こえた気がした。
再び警笛が鳴り響く。
きっとこれが最後の終電だろう。






――――それからどうなったんです?
などという不粋な事は流石のクバロフも尋ねなかった。
時刻は既に8時近くにまでなっていたが、クバロフは苦々しい顔をしつつメモを取り続けていた。
「これが私の知りうる全てよ」
「そうですか....なんか申し訳無いですね、嫌な事を聞いてしまって」
やはりこいつは面倒な性格だ。
自らの信じる善にとらわれ、自発的な行動が多い、そのくせ組織の統制にはあまり従わない。
警察の職務より、他人の心情を優先してしまいそうな奴だ。
「謝らなくて良いよ。君は警察なんだから当然でしょ?」
クバロフは無言で頷いた。
「さあ、そろそろお引き取り願えるかしら?今日は会社がお休みだから、寝ていたいの」
そう言うとクバロフは慌てたように
「ああ、すいません。それでは失礼します」
彼は頭を下げてそそくさと家を出た。
きっと、彼は自殺の裏付け捜査でも命じられたのだろう。
私は自殺幇助になるのであろうか?
...それは分からないが、きっと彼もまたこの醜い人間社会に溶け込んで行くのだろうなと私は思った。
「さ」
私は静かに部屋に戻った。
誰もいない静寂に包まれながら、もう一度、私は夢の中へと。
醜い社会から隔絶された世界へと旅立つのだ。
















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Last-modified: 2014-05-03 (土) 14:37:27
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