ポケモン小説wiki
アウフヘーベン

/アウフヘーベン



作:稲荷 ?



※注意!この作品は官能的表現を含みます




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私がこの手記を記すことが、皆様の目にはいささか滑稽に映るかもしれません。
しかし、私が数十年間の間に絶え抜いて来た一切のヒミツを、どうしても、私の生きているうちに告発したいと思いまして、これを書き記し、親愛なる貴方の元に送ります。




私が生まれ育った家は平均よりも僅かに裕福で、餓えを知らず、過不足なく愛を貰い、誕生日には家族団らんと祝ってくれる様な、まさしく理想の家族でありました。
父親は株の売買を行っていて、いつもモニターと睨み合っていました。
私の幼い記憶によれば、父親は呻き声を漏らしていたり、苛立って何処かに電話をかけていたり、項垂れていたりと、恐らくはあまり腕の立つ人間ではなかったようですが、裕福であったことを考えれば、それなりに資産を築ける人に違い有りません。
それに、時折上げる嬉しそうな声が聞ければ、私に新しい玩具すら買い与えてくれた良い父親でした。
母親はまさしく専業主婦、といった感じで、一昔前の良妻賢母という訳でもない、全く今らしい堂々とした母親でした。
朝昼晩と欠かさずに料理を作ってくれた有り難みが大人になった今、漸く思い知らされます。
そして、私には弟や妹、そして勿論姉や兄などといった存在を持っていませんでしたので、私はいつも親のポケモンと遊んでいました。
父の持つネイティオの"ティム"はポケモンにとっては長生きした雄の老年のようで、一日中ほとんど動かず、まるで時の果てを見つめているような不思議な目で世界を見つめていました。
当時の私にとって、ただぼんやりと眺めるだけのティムは非常に退屈な遊び相手でした。一度だけ、どうにか驚かせてやろうと爆竹を鳴らしてみましたが、たいして驚く素振りも見せず、父親にきつく叱られたのを覚えています。
そういうわけでして、私の一番の遊び相手となると、母親のポケモンでもあるリーフィアの"リーフ"しか居ないのでありました。
気の優しい雌のリーフはまるで私の姉のような存在で、時折家事をやっていたような覚えもあります。
リーフなどという実に安易な名前は母親が名付けたもので、どうやらイーブイの頃からリーフィアに進化させることは決まっていたようです。
生憎な事に、当時の私は無知な少年であったために、イーブイがどのように進化するのかなんて考えもしていませんでした。
それは無垢な子供が結婚をすれば自然に子供を授かるのだと考える様な、実に純朴で、世間知らずから来る思考。――――まさに、それが私を苦しめる発端というわけですが――――ともかく、私はリーフを唯一無二の親友としてすっかり仲が良くなっていたのでした。





当時の子供というのは、まさしく失われた10年を生きて来た訳ですから、親に無理を言っても贅沢はさせて貰えませんでした。
株で生計を立てていた父親も項垂れることが多くなってきて、幼い頃に当たり前の用に見て来た理想の家族像なるものが、本当に尊いものであると知りました。
小学生のころにもなると、ポケモンバトルが漸く娯楽として許されるようになって来ました。
私が子供のころから、ポケモンセンターは無償でポケモンに治療を施してくれたので、それが当然のことだと思ってました。
視野が狭く、ニュース番組よりは国営放送の子供向け番組を見ていた方が性分に合っていた少年でしたから、それが福祉政策の一環であって、ポケリンピックのための国策だと知ったのは高校生のころになります。
ともあれ、ポケモンバトルという娯楽が子供達の放課後の遊びになるのはそう時間はかかりませんでした。
子供は、何事も他者への羨望の念を抱くものです。
それは、大人よりも遥かに短絡的でありながら、実に簡単なもの。
私もその例に漏れず、リーフを従えて初めてのポケモンバトルを挑むことにしました。
相手は家の近所に住む一つ上の少年で、いつも丸刈りの典型的な野球少年といった風貌でした。
初めての戦いというのは、悲惨なものでした。
先ず、私はポケモンに支持を出すことなんてろくにした事も有りません。
一緒に遊んでいたリーフは対等な立場にして、唯一無二の親友。
姉のような存在だったのですから、どうしても私には躊躇が生まれてしまいました。
それに、そもそもリーフは戦った経験など、ほぼ皆無に等しいのであります。
自在に草木を操るにしろ、技の躱し方にしろ、受け身にしろ、相手を攻撃する躊躇いにしろ、ほぼ無いわけです。
結果は最初から分かっていました。
なす術無く敗れた戦いに、私は嗚咽を零し、泣き崩れ、ポケモンセンターにまで親が迎えにきた記憶があります。
傷だらけのリーフを見た時に、私は酷い自責の念を覚え、嘆き悲しんでいました。
それが、私にとって当然の反応です。無垢な少年であった私にとって、まだイデオロギーや民族などは無価値であり、他者が傷つく姿でさえ、心苦しいものに映ります。
だからこそ、私はこの野蛮な遊びから手を引きました。
リーフは幾たびにも励ましてくれましたが、やはりリーフ自身、自分には戦いの才がない事を知っているらしく、無理に私を外へとは連れ出しませんでした。
今思えば、私の初恋の相手こそ、リーフのことだったのかもしれません。
無垢な少年ゆえに、私はその恋という概念を理解出来ず、安易に友情とひとくくりにし、親友と思っていたのかもしれません。
いや、私は確かに、いつしかリーフのことを恋しく思ってました。
それは私が小学生もいよいよお兄さんと呼ばれるくらいの年頃のこと。
その当時は、まだ地域コミュニティが死滅したわけでは無かったので、私の家の近所で小さなお祭りが開かれることがありました。
"小さい"といっても屋台の数は20個ほどあり、遊ぶには事足りたのですが。
そこで、私は友人と着慣れない和服を着て、綿飴を頬張っていました。
勿論、母親がリーフを連れて行くようにと言っていたので、リーフも一緒に繰り出して、友人のポケモンと他愛も無い雑談を交わしていたように思います。
そして花火を楽しみ、いよいよ屋台も閉まり始め、友人もぞろぞろと帰り始めた時、私はある違和感を覚えました。
和服の帯の辺りに挟んでいた筈の財布が、無い。
それに気づいた瞬間、私は全身から嫌な汗が吹き出すのを感じ、途端に絶望が打ち寄せて来ました。
震えた声で、微かに「財布を落とした」と呟いたのをはっきりと覚えています。
友人は驚いた声を上げて、一緒に祭りの運営のテントに尋ね出てくれたのですが、見つからず、もう夜も遅くなって来て、家に帰らないと叱られるなどと理由を付け、早々に切り上げ始めました。
いよいよ私は家に帰るのが恐ろしくなりました。
まだ財布には大金があったはずなのです。
具体的に何円かは分かりませんが、母が絶対に落とさないようにと、言いつけが合ったので、私はますます参ってしまいました。
私はもう一度、祭りで歩いた場所を巡って、黒い革で出来た財布を捜します。
不幸な事に祭りも終わり始めていたので、明かりは徐々に心細いものになって、人気も少なくなって来ました。
数人の大人が私に声を掛けてくれましたが、私は財布を落とした事が親に知れるのは困ると思って訳を話さず、ただ散歩してるだけと無理矢理な言い訳をしていました。
何故、ここまで私が怯えてたのか。それは私自身もよく分からないのですが、恐らく、幼い私は理解していたのかもしれません。
これから後に起こった、陰惨な出来事の原因を、あの頃の私も勘づいていたのでしょう。
とにかく、私は狼狽しながら茂みを荒らし、唯一残ったリーフとともに財布を捜し続けました。
リーフは私が代わりに謝るから、もう帰ろう。明日、明るくなってから捜そう、と何度も私に帰るように促しましたが、半ば意地になっていた私はそれを拒否し続けていました。
「あれも拒否、これも拒否、その挙げ句に徒手空拳」という言葉がありますが、私はまさしくその状態でした。
意地を張り、孤立無援。リーフだけが、私のもとに最後まで付き添ってくれました。
しかしながら、どうしてか、私の鮮明な記憶には一緒に財布を捜すリーフの姿ばかり描かれているのです。
キャベツのような、レタスのような尻尾。艶があるクリーム色の体毛と、光を吸収する輝かしき葉緑素の色。
黄金色のような黄土色のような、不思議な瞳。
それらが、私の絶望に溺れた感情を和ませてくれました。
彼女の励ましも、心の内ではとても有り難いものでした。
結局、どうなったかは覚えていません。
父親が迎えにきてくれたのかもしれませんし、いい加減に諦めてリーフの言う通りにしたのかもしれません。
それでも、あの暑い夏の熱帯夜に茂みを巡ったリーフの姿を覚えています。





いつからか、ニュースにはいつも食事を待つ人々の長蛇の列が現れるようになりました。
それが何故なのかは知りませんが、私の父親が泣きながら母親に何かを話していることもありました。
連日連夜、今まで私とは無縁だった単語がテレビに並び、博識そうな専門家が悲惨な世の中を解説し続けていました。
電車が遅れる事も珍しく無くなって、アスファルトにこびり付いた染みが年度末の道路工事によって無惨にも壊されていくこともよく目にしました。
私の家は、裕福でした。
それも過去の話になりはじめ、目に見えるほどの贅沢が出来なくなりました。
慎ましくも生きることこそが、都会人なのだと知りました。
ティムが老年で亡くなり、一族の墓地に埋葬されました。
退屈な奴だと思っていたのですが、私が感じ取った死は余りにも身近すぎて、いつも夕日を眺めていたティムの座布団の定位置に虚無が生まれるのを見る度に、悲しくなりました。
父親も笑顔を見せる事が少なくなり、モニターの前で苦い顔で珈琲を飲んでいることが増えました。
それでも、まだ私は無邪気に友人と遊び、大人とはやはり違う生活を歩んでいます。それが、私のある種の防御だったのかもしれません。
それも、もう、過去の話になってしまうのが残念ですが。
夏の夜のことです。
私はふと、目が醒めました。
寝る時には付けていたクーラーも、タイマーで切られていたせいか、じめじめとした不愉快な暑さが私を起こしたのです。
ようやく私は部屋が貰えていたので、私が先ず目にしたのは自分の白い天井でした。
ベットの上から見る光景に変哲はなく、いつも通りの染みが見えます。
喉が渇いたので、私は起き上がって時計を見ました。
時計の針は蛍光塗料が塗ってあって、夜の暗闇でも薄気味悪く光り続けています。
大体1時くらいを指していることが分かると、まだそんな時間かと、熱帯夜の長さにうんざりしました。
机の上に乱雑に置かれたランドセルには明日の時間割通りの教科書が押し詰められています。読みかけの図書室から借りた冒険小説の表紙が、酷く私を馬鹿にしてるように思えました。
リーフが良く言っていました。熱中症になる前に水をよく飲むようにと。
私は両親を起こさぬように扉を静かに開けて、忍び足で一階の台所に向かいました。
と、その時。
きぃー、と玄関のポケモン用の通用口が開く独特の金属音が聞こえて、ぱたん、と閉まる小さな音が聞こえました。
普通なら、泥棒を疑って怯えるべきなのでしょうが、私はどうにも好奇心に駆られました。
リビングの大きな窓のカーテンの隙間から外を見ると、そこにはリーフが月明かりを浴びてきょろきょろと周囲を見渡し、住宅街の静かな夜道を歩き出しているのが見えました。
どうして、リーフが?
レタスのような、キャベツのような尻尾の彼女に月明かりは似合いませんし、こんな深夜に一人で外出など、到底信じられませんでした。
私は喉の渇きなどすっかり忘れて、慌てて靴を履き、裏の勝手口から回って外に出ました。
好奇心と深夜の見慣れない風景に興奮し、少し走っただけで心臓がばくばくと音を立てます。
植込みに隠れながら、街路を覗くと、大きな近所の公園へとリーフが歩くのが見えました。
街灯の明かりが確かに彼女を照らします。
私はいつにない緊張を味わいながら、後を追って暗い公園へと足を進めました。
快晴のようでした。空には星が瞬き、月はほぼ満月のようでした。
街灯には羽虫がたかり、友人と騒ぎ立てる公園に人影はありませんでした。
今はリーフとその数十メートル後ろを私がこっそりと追うだけ。
時間が経つにつれて、私は彼女の行動に疑念と、そしてただならない不安を抱き始めます。
行き先も、その訳も、全く知らない訳ですから。
それに、公園を超えた住宅街にまで進んでいくと、もう私の知っている町並みとは全然違うものになります。古い家屋が並び、鬱蒼とした雑木林が跋扈する。
整備された新興住宅街とは雰囲気が違いすぎました。
やがて、リーフはシルバーの車の手前で止まり、何か合図をすると、車の扉が開き、すぐ近くの家に連れて行かれました。
私はすぐに、誘拐の可能性を考え、携帯電話を持って来なかった自分の愚かさを呪いましたが、ぐずぐずする余裕もないと、自問自答を重ね、決死の覚悟を決めて、家の裏に回ることにしました。
最悪の決断でした。
ろくに手入れもされていない茂みをかき分け、ヤブ蚊に刺され、恐怖に怯えた私が裏に廻ると、窓から明かりが漏れているのが見えました。
せめて、中の様子だけでも、と私はその窓を見つめるため近づき、息を潜めました。
そして、遂に、見てしまったのです。
無垢な世界において、最悪の穢れ。私が今まで目を背け続けた"現実"と"大人"の世界。
「.....」
その風景。
リーフは確かに、居ました。
数人の男らに囲まれ、今までとは全く異なる様子を見せ、聞いた事も無い喘ぐ様な声。
どうしてか、私の耳元でそれが聞こえる様な奇妙な感覚に陥って、それが滴る水音であることも、彼女の背後で一心に腰を動かし、唾液をリーフのクリーム色の体毛に染み渡らせている男の恍惚の声も、何もかも、全てが私の目前で行われていたという事実。
ぱちゅ、ぱちゅと快楽に身を捩らせたリーフを見た瞬間。私はもう、戻れないのだと知りました。
昂っていた感情は今や急速に恐怖と怒り、憎悪と羨望、失意と慄然とした思いに掻き消され、今までのリーフの姿が走馬灯のように私の目前を駆けました。
舌をだらしなく出した彼女の姿が、今までの鮮やかな記憶を上書きしていきます。
見知らぬ男の"何か"をくわえて、何かを飲んでいます。
行為が一度終わったとしても、また別の男が跨がり、彼女はお腹を見せて笑みを浮かべながら何か喋っていました。
男のそれが彼女の身体を掻き回し、喜々とした喘ぎ声がまた聞こえます。
もっとその行為を求めているのだと、私はとっくに気づいていました。
視界が急速に曇って、涙があふれました。
無知は罪だったのです。好奇心は己を殺すのだと、私は初めて知りました。
それからのことは、良く覚えていません。
でも随分と長い間、それを眺めていた様な気がします。彼女との思い出が、感情が、何もかも崩れていくことが、私にとって辛いものでした。
一人で家に帰りました。
ただ酷い喪失感と、心の虚無が私を襲っていましたが、私の本能はしかと反応していました。
暫く、得体の知れない恐怖と快楽の狭間で、私は泣き、噎び、気がつくと寝てました。
それでも私はリーフのことを憎んだりはしません。
きっと、あれはリーフではない何かに違いないのです。
父親が笑わなくなって、母親もいつになく疲れた表情をして、テレビの大人達は明日食べるものさえ無くて、電車が遅れるのが当たり前になっているのだから、リーフも、変わってしまう筈だ。そう思って、私は過ごします。
リーフを見る度に、あの記憶が、白濁に汚れた姿が蘇るのは、私が穢れてしまったからに違い有りません。
それこそ、"大人"なのかもしれませんが。
それ以来、私はリーフに接するときもどこかぎこちなく、愛想笑いが増えました。
都会人の慎ましさを知り得た私は、余計な詮索を止めることにしたのです。
きっと、多くの大人はそれが正解だと知っているから、遠慮深いのだと思います。
私は中学校に進み、高校に進み、それからも順当な生活を送った訳ですから—————









—————手記を記し終えた男は立ち上がって、溜め息をついた。
ボールペンを机の上に転がし、スマートフォンで時刻を確認する。
もう、23時を回っている。
窓の外からは都市の夜景が見える。マンションの一室から見える風景は格別なのだと皆が言う。しかし、私にはどうしてもそれが正気には思えない。
隣の部屋の住人であるカップルは心中を図っていたらしいし、不動産としての価値も皆無に等しいだろうに。
それに、あれほど男を悩ませたあの故郷はもう存在しない。
両親は10年前に死んでいるし、リーフはそれよりちょっと前に病死した。
男の家は更地になっていて、今は知らないアパートが建てられている。
公園からは遊具が消えて、グラウンドもアスファルトに固められた。
忌まわしい記憶の廃屋も今は新しいマンションの建築予定地として取り壊されてしまっている。
あの頃の友人とは離散してしまった。会話する事もなければ、町中であっても笑顔で手を振る程度。都会人の慎ましさを知っているからこそ、私はそれだけに留める。
それでも、私の心に深く刻まれた陰惨な記憶。あの出来事は忘れないだろう。
私は無知すぎただけだ。父親の株が失敗して、多額の負債を被っていたにも関わらず、私が少しだけ貧乏になった、とだけしか感じなかった理由。
大不況で何百人が自殺したあとでも、我が家が首を吊らずに済んだわけを。
あの生活費、あの出所は、恐らく――――







仏壇に手を合わせる。結局、私は知らなかっただけなのだ。







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Last-modified: 2015-05-25 (月) 23:00:22
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