お母さんがミシンで作ってくれた、わたしにぴったりのワンピースドレス。小さめの衣装鏡の前でくるりと1回転すると、あまり広くない子供部屋に白のフリフリがふわっと舞い踊った。お母さん譲りの金髪を後ろで結んだふたつの三つ編みが、鏡の中で尾を引いてなびく。
肩掛け鞄に必要なものをそろえる。裏手の川で汲んできた水をブリキの水とうに入れて、コルクでしっかり栓をした。かさばらない着替え。ドレスで泥んこになるのはまっぴらごめんだけれど、汚れたままなのはもっとイヤ。お母さんだって『備えあれば患いなし』なんて難しい言葉で言っていた。
あと、もし万がイチ迷子になってしまったときのために、伯母さんの目を盗んでキッチンの木棚からとってきたクッキーを3枚、麻の布でつつんで壊れないようにそっとしまう。伯母さんのつくるクッキーはいつも美味しい。香ばしいからす麦と三温糖のやさしい甘さがいつまでも口の中に残って、ヤミツキになっちゃう。幼いころ、わたしのお母さんにレシピを教えてもらったんだって。今回も美味しく焼けているかな……おっとダメダメ、これは非常食なんだから。兄さんに借りたカンテラの携帯燃料も大丈夫。旧式ですぐに暗くなってしまうのが不安だけれど、贅沢は言っていられない。貸してもらえるだけでもありがたく思わなくっちゃ。
それから忘れちゃいけないのが……虫取りあみ。これがなくちゃ、肝心な目的が果たせない。
「今夜も冒険するのかい、ステラ」
「伯母さんが起きてきたら、いつもみたいにうまくはぐらかしてね」
机に向かって乳鉢を抱え硬いカゴの実と格闘していたリューン兄さんが、手を休めてわたしを振り返った。耳が隠れるくらいの金髪、わたしよりも5つ年上で、パン屋さんで売る新しいジャムを作っている。ぼんぐりから出ていた相棒のミズゴロウが、ズリの実をつまみ食いしながらまどろんでいた。
「寝る時間だって言うのにまったく……誰に似たんだか」
「そりゃ兄さんでしょ。小さいほうのカンテラ、借りていくからね」
ふたつ並ぶベッドを渡るようにして窓際に到着。木の格子を押し開くとびゅう、と夜風が流れ込んでカーテンを吹き流した。9月あたまのルネシティはまだ熱気がこもっているみたいで、生暖かい風がわたしの頬をくすぐっていった。
「あまり遠くまで行くなよ。それと『流星の入り江』には近づくんじゃないぞ」
「わかってるって。兄さんも心配性なんだから」
2階から裏庭に鞄と靴とあみを投げ、カンテラを落っことさないように慎重に梯子を下る。
大きなお城の城壁みたいな土の壁にまるく切り取られた夜空に、手を伸ばせば届きそうな星が散りばめられていた。澄んだ夜のにおいを吸い込んで息をつく。
「あっ!」
いつもは絵に描いたみたいに動かない星が、今夜は線を引いたようにすっと落ちてくる。立て続けに2個、3個と、まるで競い合うかのように地上を目指して一直線。
そう、今夜は星が降る夜だ。
わたしだって、このあみで星のかけらのひとつくらい捕まえてやるんだから。
よるのこうしん scene b
水のミドリ
『ステラ、あなたのお母さんはね、お星さまになったのよ』
ちょうど1年くらい前。小学校2年生に進級して、学校にもそろそろ慣れてきたころ。
お昼休みにお母さんの包んでくれたくるみのパンを友達とお話ししながらかじっていたところに、担任の先生が切羽詰まった様子でわたしを呼び出した。「いい? 大事な話があるから落ち着いて聞いてね?」と落ち着かない様子で前置きして、そう切り出された。
「え……え、それって」
「とにかく、すぐ親戚の人が来るから、それまで一緒に待っていましょうね」
わたしよりも取り乱して、先生はしきりにごめんなさいを繰り返していた。どうして先生が謝るのかそのとき分からなかったけれど、それは彼女なりの優しさだったんだと思う。
ずるい。そうやって大人たちははぐらかした気になっている。もうサンタクロースだって信じていないのに、お母さんがお星さまになってわたしを見守ってくれているなんて、そんな、そんな。
それから伯父さんと伯母さんの家にリューン兄さんといっしょに預けられることになった。お父さんはわたしが生まれたときにはもういなくって、お母さんもコンテストのお仕事でルネの外にいることがほとんどだったから特別寂しいってわけじゃなかった。けど、家具を片付けてがらんとした部屋にぽつんと立っていると、どうしようもなく辛くなってきて、わたしは兄さんの手を握ってグッと我慢した。
「ほんとうに今日は星が降ってくるのね。……まるでお空が泣いているみたい」
今も手に汗をかいている。滑り落ちそうになった虫あみを握りなおした。夜の12時を過ぎると外にほとんど人はいない。ぼんやり
迷路のような白石の階段を下り続けると、だんだんと強くなる海のにおい、波のおと。
海の向こうにうっすらと見える、ルネをぐるりと取り囲む
『お母さんはね、お星さまになったのよ』
信じているわけじゃない。もしお母さんがお星さまになったとしても、空から落っこちてきたそれをこの虫取りあみで捕まえられるなんてこれっぽっちも思っていない。あみを持つのは、もっと別の理由がある。
ルネは狭く伯父さん伯母さんの家も近かったから、幸か不幸か学校が変わることもなく。友達と離ればなれにならなかったのはよかったけれど、お昼ご飯のグループからわたしを引き抜かれた友達が影からこっそり様子を窺っていて、わたしのお母さんが死んじゃったってことは、すぐにクラス中に伝わった。
「ねぇ知ってる? 願いをなんでもかなえてくれるポケモンの話」
「そ、そんなことくらい知っているに決まってるじゃない!」
同級生でいつも高飛車なシギのいつもの自慢話に、わたしは咄嗟に嘘をついていた。お金持ちだしお母さんも優しい(らしい)し、彼女なんかに負けたくはなかった。そんなわたしを見透かしたみたいにシギはにまついてポケットに手を突っ込んでごそごそすると、わざとらしく手を開いてみせた。
そこには、ルネの入り江に打ち寄せるさざ波みたいに穏やかな水色をした石のかけらがあった。
「これね、そのポケモンの涙なの」
自慢げに見せびらかせて、取り巻きの女の子たちが「わー、すごーい」と言った。
「星の形をした幻のポケモンはね、1000年に7日間だけ目を覚まして、出会った子供たちの願いをなんでも叶えてくれるんですって。そしてこの涙の形の宝石が、そのポケモンに会うための切符なのよ」
きゃあきゃあ騒ぎ立てる女の子たちを後目に、そんなワケないでしょ、と心の中で悪態をついた。
「『流星の入り江』でお父さんが拾ってきてくれたのよ。ためしに石にお願い事をかけてみたら叶っちゃったの! もうそろそろ弟か妹ができるのよ! これで幻のポケモンに会って直接お願いしたら、もっとすごいことも叶えてもらえちゃうんだから」
盛り上がる同級生たちから離れるように、わたしはさっさと教室から飛び出した。これ以上シギの話を耳にしていれば、飛びかかってしまいそうだったから。
でも、もしかしたら。
なんでも叶えてくれるなら、お母さんにもういちど抱きしめてもらうことだって、できないはずがない。それくらいできなきゃ、マボロシなんて大げさに呼ばれやしないだろう。
それから次に『流星の入り江』に星が降る夜に向けて、わたしは着々と準備を進めてきた。
「おっとと、足元はちゃんと見なくちゃ……」
火口の壁に囲まれた
運ばれてきた砂で波打ち際はかろうじて砂浜が広がっていて、そこにバッグを置いておく。ほとんど波は立たないけれど、”備えあれば患いなし”、ちょっと離れたところにカンテラを置いた。靴も脱いでいざ宝探しだ。
空のむこうから雨のように降ってくる流れ星は、どれもわたしを避けるようにそれてゆく。隣の島のトクサネというところはルネよりもたくさん星が落ちてくるみたいで、街のそこかしこに穴が空いているんだって、鳥ポケモンを育てている家の子が言っていた。きっとどの星もそこを目指しているんだろう。
「ちょっとくらいわたしに分けてくれてもいいのに!」
静かな海の向こうに悪態をつくと、かなり沖の方にひとつかけらが落ちた音がした。思わず駆け寄ったけど、どう頑張っても届きそうになかったし、どこに落ちたかも正確にはわからない。
「……もう、バカにしないでよっ。こっちは真剣なのよ!」
叫んだ瞬間、ふっ、とあたりが真っ暗になった。
振り返れば、カンテラの明りが消えていた。暗くてよく見えないけれど、荷物を置いていたはずの砂地は静かな波の下に隠れてしまっている。そんなはずはない、ちゃんと波打ち際から離れた絶対に濡れないところにバッグをおいたはずなのに!
いつの間にか、わたしのおへそあたりまで水がせり上がってきていた。ドレスも水を吸って重たくなっている。そこでやっと気づいた、満ち潮だ。流れ星が落ちてくるのを待つあいだ、結構な時間が立っていたらしい。
急いで戻ろうと駆けだしたのがまずかった。足がもつれ、海に顔をつっこみ肺に塩水が流れ込んでくる。濡れたドレスがわたしの体をからめとった。
ああ、最悪。もがいてももがいても星の明かりが遠くなっていく。ぼわぼわしていた耳の奥も、そっと蓋をしたように何も聞こえない。だんだんと息も苦しくもなくなってきた。
ああ、でももうどーでもいいや。意識がだんだんぼんやりしてきた。どっちが上かもかわからない。体がふわふわして、このままお母さんと一緒になれるかな。薄れてゆく視界のおく、赤い光がきらめいた。遠く宇宙に燃える星みたいな真紅。すごくキレイだし、優しく包み込んでくれる感じがなんだか温かい。まるでそう――お母さんみたいな。それがだんだんとわたしに近づいてきて。
「――っばはッ!!」
お腹をおもいっきり押し上げられて、海の上に吹き飛ばされたわたしは勢いよく口から水鉄砲を噴き出した。宙に舞い上がって、そのまま顔から水面にダイブ。痛いなんてもんじゃない、まどろんでいた意識を強烈に引き戻された。
「げほえほぉっ、ぁ、なによぉ……」
浮き輪みたいにわたしの身体を支え海面に漂っているのは、でこぼこした形の黄土色をしたなにか。さっき光って見えたのは、真ん中に紅く光る宝石が埋め込まれているからみたい。こんな見た目でもちゃんと泳げるみたいで、しばらく必死にしがみついていると海の中に足がついた。砂地までわたしを運んでくれたみたいだった。
なんとか水の中から這い出して、水を吸って重くなったスカートを絞る。暗がりの中で鞄を見つけ着替えを引っ張り出したけど、満ち潮にさらされたそれもドレスと同じくらいびしょびしょだった。欠けたクッキーを齧ってみても塩水の味しかしない。
あれだけ捕まえようと必死だった星の散らばった夜空を仰いでも、今はただ寒くひとりぼっちが強くなるだけ。おそるおそるあたりを見渡しても、暗がりがそこらじゅうに広がっている。
月明りのしたでよく見てみると、”なにか”は星の形をしていた。紅い宝石が、ゆっくりと明るくなって、またゆっくりと暗くなる。それだけ。動いてくれないかと待ってみると、生ぬるい海からの風が崖の上の木々を騒めかせて、わたしは首をひっこめた。
「……助けてくれて、ありがと。優しいのね」
ちかちか。中心が淡く点滅した。『そうだよ』って言っているみたい。
「あなた、ポケモンよね? わたしステラ。あなたは……あなたは、お星さまなの?」
ちかちか。また同じ光り方。『そうだよ』だ。
「なんだか本当におしゃべりできているみたい。見かけによらず表情が分かりやすいのね」
ちかちか。『そうなんだ、みんなから言われるよ』。
ふだん学校で友達もいないからか、すぐに打ち解けたわたしは寡黙でおしゃべりな友だちとお話ししていた。流れ星を捕まえるなんてことも忘れて、いつの間にか冷えた身体もだんだんと温まっていた。
「きょうはなんだか疲れちゃった。また来るから明日もここにいてくれる?」
ちかちか。『もちろん』だ。
肯定の返事を受け取ってから、すっかり重くなったドレスを引きずってわたしはなんとか帰る家を目指していた。
「どうしたんだい!? 全身びしょ濡れじゃないか!」
「ちょっと転んで、海に落ちたの」
「まさか『流星の入り江』に近づいてはないだろうね? あそこは本当に星が落ちてくるから、当たったら大変だぞ」
「う、うん、もちろんよ」
兄さんにはわたしが星を探しているとは言っていない。きっと虫あみをもっていくものだから、少年みたいな趣味をしているんだと意外に思われているのかもしれない。
リューン兄さんとわたしの部屋は2階の角っこだから、兄さんがそのままにしておいてくれた梯子を上って窓から部屋の中に戻ってこれる。明日のお仕事も早いはずなのに、わたしが帰ってくるのを待っていた。こうすれば伯父さんと伯母さんにばれずにすむ。
「探しているものはみつかった?」
「ううん、ダメだった。明日も探しに行くつもり」
「おれの冒険セットをかしてあげるよ。水辺なら……たしかすぐ乾くジャケットがあったはずだ」
「あ、ありがとう」
お母さんが死んじゃうまで、兄さんはポケモントレーナーをやっていた。リーグなんてのにはまだまだだったんだけど、駆け出しトレーナーの必需品はすべてそろえて屋根裏にしまってもらっている。近くの海辺を調べるのにはもったいないくらいだ。
濡れた髪をタオルで吹き落としてくれる兄さんが、梯子を引き上げて屋根裏に上ってくれた。ぽんと投げられたほこりまみれのリュックを開けてみると、中からは丁寧にたたまれたベージュのシャツが。
「ちゃんと合うかためしに着てみたらどうだ」
「あっち向いててね?」
「はいはい」
ごわごわの生地に袖を通し、慣れないズボンに足を入れる。昨日と同じみたいに鏡の前で一回転。思い出せばこれも、兄さんの門出を祝うためにとお母さんが寝る間を惜しんで編んでいたんだ。探してみればたくさんある。バッグ、カンテラ、わたしの自慢の金髪だってみんなお母さんから貰ったものなんだ。
次の日の朝、いつものようにパン屋さんへ働きにリューン兄さんが家を出ると、わたしはすぐさま兄さんの本棚を調べ回した。奥の方からボロボロになった分厚い図鑑を引っ張り出すと、パラパラとページをめくっていく。図鑑にはこれまで見つけられてきたポケモンの姿かたちや生態、鳴き声、覚えるワザなんかがところどころ図を入れて詳しく描かれている。いわゆる”ポケモン図鑑”と呼ばれるもの。広げるたびにホコリが舞ってせき込んだけれど、案外早く目的のページにたどり着いた。
「あった! きのうと同じポケモン!」
押絵には、昨日の暗い海でわたしを助けてくれた星型がでかでかと描かれていた。
No.120
ヒトデマン ほしがたポケモン
たかさ:0.8m
おもさ:34.5kg
タイプ:みず
ちゅうしんの あかい コアを てんめつさせて よぞらの ほしと こうしん している らしい。からだは ちぎれても じこさいせい するぞ。*1
……やっぱりだ。夜空の星とこうしん?して、子供たちの願いを叶えるエネルギーを受け取っているに違いない。願いを叶える星型のポケモンは、ヒトデマンのことだったんだ!
夜になるのを待って、わたしは昨日と同じ道を急ぎ足でたどった。暗くなるまでうずうずして学校では先生の話もろくに頭に入ってこなかったし、いつもみたいにシギが自慢げに威張っているのも気にさわらなかった。
むしろ心のうちではしたり顔でさえいた。あんたは涙のかけらしか見つけられなかったけど、わたしはそのポケモンと友達にまでなったんだ! わたしの方が先に、願いを叶えてもらえるんだぞ!
約束通り『流星の入り江』でヒトデマンは岩にへばりついていた。星明かりのもと遠くからわたしが手を振ると、ヒトデマンも応えるようにコアをちかっ、ちかっと光らせた。
昨日と同じヘマはしない。カンテラは砂浜には置かず、ちょっと高くなっている岩場にがたごとと乗せておく。燃料が漏れてしまわないよう水平にすることだけには気をつけて。これで潮が満ちてきても真っ暗になるなんてことはない。
はだしの足にひたひた打ち寄せる波が心地いい。星が降ってくるのは昨日がピークだったみたいで、雲ひとつない空を見つめていても、10分に1個落ちてくるかどうかくらいだった。
「ねぇ、あなた、宇宙と”こうしん”しているんだってね」
ちかちか。昨日と同じ『そうだよ』の光り方。岩場に腰かけて足元にひたひたと夜の海の冷たさを感じながら、湿った砂浜に背中を預ける。何百、いや何千もの星の輝きがわたしを見下ろしていた。このうちどれがこのヒトデマンとこうしんしているんだろう。砂浜の砂粒みたいな星のじゅうたんの中からそれを必死に探し当てようとしても、きっと永遠に見つからないんだろうけれど。
……お母さんもだ。
お星さまになった、なんて、慰めでもなんでもない。いくら必死になって探そうったって、見つけられっこないじゃない!
溺れるくらいあんなに必死になって、わたしは何をしているんだろう。……星のかけらが願いを叶えてくれるなんて、最初から信じていなかったはずなのに。お母さんに見つけてもらえるようとびっきり可愛いカッコして、言いつけを破って真夜中に家を飛び出して伯父さんと伯母さんと兄さんに心配かけて。
ほんとうは、気持ちの整理なんてとっくについていたのかもしれない。お母さんが死んじゃったのも、もう絶対に会えないってことも分かっていたんだ。それでも何かにすがってなくちゃと思って。そうでもしなければ、いつかお母さんを忘れてしまいそうで。
「お母さん……」
そっと呟いたわたしの震えは、足元の波間に打ち消された。どのくらい横になっていただろうか、夜空に線を引く流れ星もだんだんと感覚が広くなってきていて。……もう探す理由もないけれど、記念に持ち帰るのも諦めた方がよさそうだ。
ちかちか。ちかちか。ヒトデマンが点滅していた。『大丈夫だよ、元気出して』。おめでたいことに、お母さんの名残を探すわたしには、その光がいつも見ていた優しい笑顔に重なって見えた。
「あなた……本当はお母さんを知っているの?」
そうだ、子どもの願いを叶えるって噂されるくらいなんだ、夜空の星ぜんぶとこうしんしてたって不思議じゃない。このヒトデマンも、なにかお母さんのことを知っているはずなんだ!
ちかちかちか。さっきと同じじゃない――『そうだよ』じゃない光り方。たぶん、『ちがうよ』。
「はぐらかしたってダメよ、わたし知っているんだから。ポケモン図鑑にだって書いてあったのよ!」
ちかちかちか。――ちがうよ。
「それで、それから、あなたが幻のポケモンなんかじゃないって知っているけど、お星さまとこうしんしているのなら、お母さんとお話しすることもできるのよね!? なら、わたしの願いも叶えてくれるよね? もういちどお母さんに抱っこしてもらえるんだよね……っ? ねぇ、ねえ!」
ちかちかちか。ちかちかちか。――ちがうよ、きみは勘違いしているんだよ。
「そうやって光ってばっかりで……っ、なんで、なんで何にもいってくれないのよぉ……!」
思わずわたしは力任せに、その黄土色の星の一片を掴んで揺さぶっていた。ヒトデマンは中心をデタラメに点滅させ、嫌がっているようだった。掴んだ部分が硬くなったり柔らかくなったりを繰り返した。
「もういいっ、もう知らない!」
揺さぶり疲れて、わたしは掴んでいた黄土色をぺっと突き離した。ヒトデマンは中途半端にはがれた包帯みたいに横岩にへばりついて、宙に垂れ下がった一片は重くしなっていた。
「ほんとは、ほんとはぜんぶ分かってるんだから! 言ってみただけなんだからっ!!」
あふれ出る涙をぐっと堪えようと見上げた星空から、なにかピカッと眩しいものが。流れ星のようにすとんと降ってきた、透き通るように澄んだ水色のかけら。ヒトデマンの近くに落ちて、ぽちゃっ、と小さな水の柱を立ち上げた。
「ほ、ほんとうに星が堕ちてきた……。あ、早く捕まえないと!」
赤く鼻をぐずつかせた顔をごわついた生地の袖で無理やりぬぐい去って、わたしは星の落ちてきた位置を確かめた。ぱしゃぱしゃ水を跳ね上げて駆け寄ると、水面に顔を突き込んだ。波模様のできた海の底の砂に、うっすらと輝くかけらが突き刺さっている。
「ヒトデマン、あれはあなたに任せるわ!」
さっきまでの泣き虫はどこへやら、しゃんとわたしが言うと、とぽん、と今まで動こうとしなかったヒトデマンが岩肌から滑り落ちた。
涙と海水でじくじくする目をこすって顔をあげると、あとからいくつもいくつもかけらが落ちてくる。ぱたぴちゃとぷん、とリズムに乗せて、水の柱が立った。
「わ、すごいすごい! いっぱい持って帰って、兄さんに自慢して――」
ちょっと離れた岩場に置いてきた虫取りあみを取りに戻ろうと振り返ったわたしは、影を踏まれたようにそこから動けなくなった。
その瞬間、切り崩れた崖から大岩がけたたましい音を立てて転がり落ちてきていた。
ぱらぱらと降ってきた小石は、ルネの外壁が崩れる予兆だったんだ。そういえば昨日は大雨が降っていた。緩くなった岩のかみ合わせがずれて、重さに耐えきれず滑り落ちたんだろう。
ああ、だめ。逃げなきゃいけないのに、体が凍てついたように動かない。そのくせ頭ばかりがよく回って、どうでもいいことを考えている。わたしを押し潰そうとなだれ込んでくる暗褐色の塊はもう目前に迫っていた。
お願いお母さん、助けて――
そのとき見た光景を、わたしは絶対に忘れない。
足元の海の底からまばゆく光輝いた星型が流れ星のように飛び出してきて、わたしと岩の間に躍り出た。一瞬のことだった。目のくらむような光が収まっておそるおそる目を開けると、夜空に輝くどの星たちより強く真ん中をひらめかせて、岩を纏うようにしてヒトデマンが宙に浮かんでいた。見慣れた星型――じゃない、星をふたつ重ね合わせ、ゆっくりと回転させている。兄さんの天体図鑑でヒトデマンの次のページにあった、ここからもっと遠く遠くの宇宙の色に変わっていた。
なにがなんだか分からずに、浮遊する岩をよけてわたわたと水しぶきをあげながらわたしは波打ち際の外に逃げてこれた。振り返ると、大岩を従わせた宇宙色の、前後の星型が擦りあわされるように1回転して、
ちかっ。
その光り方が、わたしが泣き止んだときに見せたお母さんのフッと溶け出すような笑顔のようで。
「あ――」
瞬間、瓦礫が浮力を失って倒壊して、岩の陰にヒトデマンの光が見えなくなった。
ひとつだけ、不思議なことがある。
泣きながら家に戻った私は何事かと起きてきた伯父と伯母にこっぴどく叱られ、解放された後は緊張のゆるみと疲労からすぐに眠ってしまっていた。外出不可という1ヶ月の厳しい謹慎処分が下されたにもかかわらず、どうしても気になっていた私は翌日またこっそり夜の海まで抜けだしたのだ(これにはさすがの兄さんも呆れ顔だった)。崖崩れは大人たちの間でも大きく問題視されたみたいで、『流星の入り江』の海食崖とその周辺は杭とロープで進入禁止にされていたが、そんなもので当時の私が引き返すはずもない。あの日と同じように、けれどもうすっかり冷たくなった海風に揺られながら、私は入り江から海を見つめていた。前日の雨嵐なんてなかったかのように広がるどこまでも宇宙色の空。今にも落ちてきそうな星々を見ても、もう涙は出てこなかった。
あの日落盤の起きた崖の下は見るも無残に大岩があたりを占拠していて、さすがの私でもひょいひょいと足を踏み入れるのははばかられた。けれど私をかばってくれた宇宙色が気になって。大人たちに見つからないか、また崖から流星が降ってきやしないだろうかとびくびくしながら、波打ち際を1時間ほど二重星の面影を探し回っていた。
そこでふと疑問に思ったのだ。
崖が崩落したとき、初めに落ちてきた透き通るように澄んだ水色のかけら。あれは間違いなく水の石だった。私が助かったのは、水の石でスターミーへと進化したヒトデマンが強力な
では誰が。そう、あれは偶然なんかじゃない。あのときより前からずっと、お星さまになって私を見守ってくれていたのだ。なだれ落ちる岩に隠れるスターミーの光の中、漠然とお母さんの笑っている顔が浮かんできたのは、星と交信すると言われているヒトデマン族を介して、私に伝えたいことがあったからなのではないだろうか。
ね、ほんとうはそうなんでしょ。
ちかちか。
あとがき
タイトル詐欺でした。カードは関係ありません。
ジラーチの出てくるお話として七夕あとに思いついたので7日は間に合わずとも7月には仕上げようとしたのですが間に合わず。アッサリを狙ったのですがくどい感動モノになりました。とっちらかったのでこれ以上キレイにまとめるのはあきらめました。
あとがきくらいはあっさりしますか。
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