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やくやくどくとく

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Writer:赤猫もよよ
イラマチオ等、やや過激な性表現が含まれます。ご注意ください。

やくやくどくとく 


 多岐に渡る他人には言えない仕事の中でも、僕の就いているものは余りに異質だ。
 個人的にはザングースという種族の特性を生かした中々に素晴らしい仕事だと思っているのだけれど、どうも世間一般の常識ではそうでもないみたいで。
 仕事のことを話した友人達から総じて連絡が取れなくなったとき、僕はこの仕事を、彼女を除いて内緒にしようと決めた。これ以上友人を失うのは得策じゃなかったし、それに、これは個人的な理由なんだけど、彼女と二人きりで秘密のお仕事をしている、という風にした方が僕のモチベーションが上がるのだ。
 変な奴だと思っただろう。でもね、そうでもしなくちゃ、こんなおかしな仕事にやる気を持てるわけがない。
 おかしな仕事。つまるところ薬物の実験体――いや、薬物というにはあまりにいびつ。
 つまるところ、「毒を飲む」というお仕事に。



 毛皮が汗でひりつくやっかいな夏がようやく過ぎ去り、落ち葉と腐葉土の黄茶色が眩しい秋の早朝。断固睡眠を要求し続ける僕の思考回路とは真逆に、割れるように清々しく透きとおった空がりんりんと広がる枯れ森の小道を、のそりのそりと僕は歩いていた。
 どこへ向かうのか、と問われれば、彼女の家と答える他ない。そこが僕の仕事場だからだ。
 暫く歩いて、肌に蔦の這う小さな木造の小屋に差し掛かった。どうやら彼女はもう起床しているようで、屋根から伸びる煙突からは紫紺色の濃煙が細くたなびいていた。
 不幸にも近くを通りがかってしまったのだろう、びくびくと痙攣する小さな鳥ポケモンの亡骸(正確にはまだ死んでないが、どうせもうすぐ死ぬので不適切な表現ではない)が転がる庭を踏み越えて、家主の性格のように歪んだ木製の扉を二度叩く。
「入って」
 中からモモンの砂糖漬けのように甘ったるい女性の声(何故か妙にくぐもっている)が聞こえたのを確認してから、意を決して戸を開く。
「うわあ。またえらく汚しましたね」
 戸の奥に開けていたのは、台風でも訪れたんじゃないかと見紛うほどに物どもが散乱した部屋の惨状だった。本という本は床に飛び散り、薄紫色のカーテンには仰々しい風穴が開き、彼女お気に入りの太枝コレクションはその悉くが天井に突き刺さって前衛的な空間づくりに一役買っている。部屋中央に陣取っていた筈の調合用の鉄の大釜は、すっぽりと綺麗に彼女の頭に被さっていた。
「おやまあ、台風一過ですか。今日も美しい顔だ、具体的にはメタリックで素敵」
 僕が冗談交じりに惨状を茶化すと、
「煩いわね」
 と不機嫌そうに言って彼女は釜を脱ぎ捨てる。案の定、釜で煮られたように煮えくり返った表情のテールナーがそこにいた。


「どうして上手くいかないのかしらね。これで十二回目の失敗よ」
 僕の用意した木の実の朝餉に齧りつきながら、彼女は憂い気な瞳で呟いた。「五千飛んで十二回」
「才能ないんじゃないすかね」
「はっきり言うわねアンタ」
 我ながら確信を突いた発言だと思ったが、どうもお気に召さなかったらしく右の尻を枝で二回小突かれた。
「ちょっと! 二回叩くなら左と右に分けて下さいよ痛ったいなあ! 均等配分という概念を知れこのバカ!」
 すると無言で左の尻を二回叩かれた。均等配分という概念を知ったらしい。彼女は賢い。
 彼女にとって失敗の連続は日常茶飯事であり、故に普段通りに鼻で笑い飛ばしてくれることを期待していたのだが、どうにも今日の彼女は冗談が通じないようだ。釜が弾け飛ぶなどという大事件があった後だから少し敏感になっているだけだと思いきや、なんだか様子がおかしい。具体的に言うなら瞳に殺意が籠っていた。明確に僕の尻を破壊しようという殺意が。
「と、ところで今は何の薬を作ったのでしょう?」
 このままでは尻が四分の一カット。お安くお買い求めいただけてしまう。
 なかなか落ちない、かつては釜の中身であった極彩色の泥塊を爪でごりごりと削り取りながら、それとなーく別の方向の会話を投げかけてみた。
「今作ってたのは身体のしびれを取る薬よ。クラボの皮を干したものに死んだヒトカゲの尻尾を混ぜて、後は硫黄とゴルーグの生き血とナッシーの向かって右側の奴の唾液と――」
「ゴルーグって血ィ通ってんすかね」
 反応は上々。自分が憤っていたことも忘れつらつらと言葉を羅列することに夢中な彼女を見て、僕は己の尻の平穏が今しばらく保たれるであろう未来に向かってそっと乾杯をした。
 間違っても「それってクラボの実を齧れば解決する話なんじゃ」なんて言うことは出来ない。億が一にも口を滑らせた場合には、対になって存在する器官(肺とか耳とか玉とか)が全て一個ずつ破壊されること間違いなしだからだ。無論尻も含める。
 陽が天頂に昇り詰める程の時間を掛けて、ようやく部屋は元の様相を取り戻した。本来の僕の仕事内容にお片付けは含まれていないのだが、釜を煮る以外の事にとんと興味のない彼女はどんなに部屋が汚かろうと放置の一択をとるので、こうして頻繁に掃除をしてやらなければならない。
 ここまでしてやってるんだから感謝の意ぐらい表明して貰ってもなんのバチも当らない筈であるのに、一向に彼女がしおらしい素振りを見せる様子はなかった。
 見返りも何もないのにどうして僕がこんなことをやっているのか。少しばかりこっぱずかしいが、それ即ち――愛である。
 いわゆる、一目惚れというやつだった。街で憂い気に俯く彼女の横顔を見た瞬間、僕の心臓からあふれんばかりの恋情が流れ出し春色の海を作ったのだ。生まれて初めての恋を感じ、青く蒼く輝く空さえも彼女の毛並みの前ではドブに等しいのではないかと思ったほどに。
 が、しかし。求婚ははらりと断られ、彼女の恋人が物言わぬ大釜であることを僕は知った。
 その時点で毒気を帯びた変人だと悟っておけばこの腹を下し続ける毎日もなかったのだろうが、恋は盲目とはよく言ったもので。その場の勢いで彼女の助手――といえば聞こえはいいがただの実験体である――として職を得てしまい、今日に至るのだ。
 毎日のように顔を合わせて理解したのが、彼女はどこか浮世離れした感性の持ち主ということだ。
 繁殖した黴が文明都市を築こうとも、陽の当て具合で傘の色が変化するキノコがいくら生えようとも、危機感を覚えるどころか嬉々としてそれを薬の材料にしたがる傾向がある、と言えば彼女が如何にイカれているか、またその薬は全て僕が飲み干す羽目になる、と言えば何故僕が博愛的スピリットを発揮しているか理解してくれるだろう。
 つまるところ、僕がこのように彼女に振り回され胃を痛めているのも、惚れた弱みというヤツである。
「もういい加減に汚すのやめてくださいよ! さもなくば掃除にも賃金発生しますよ!」
「今日のは事故だから仕方ないでしょう? ほら、本業をなさい」
「賃金未支払いの癖にえっらそうに……」
 渾身の懇願もするりと受け流し、彼女は薬品棚から何本かの薬瓶を取り出して机に置いた。瓶はすべて同じ色、形であり、彼女の薬品管理におけるずさんさが見て取れる。
「いつも起こってることを事故と呼ぶのは卑怯ですよ先生。まったくもう」
 机の上の瓶の中身を一瞥する。相変わらず何が入ってるのか知れないが、地獄の火山岩のように濁った赤色の液体が一つ、色こそ透明だが鼻の中に蒸れた枯草のような芳烈と泡が広がる液体が一つ、深緑色だと思ったらどうも陽の当て具合で色が変化するらしい液体が一つ。さてはあのキノコ入れたな。
「あの、これ飲んでも平気なんすかね。僕死にませんよね」
「そんなこと知らないわ。ていうかあくまで私が作ってるのは薬だから、死ぬとかそういうの無縁だと思うけど」
「なんと無責任な」
「そもそもザングースだから多少の毒なら平気でしょう? 仕事なんだから文句言わず処理してよ」
「今毒って言った! 薬じゃないって自覚してる!」
「シャーラップ!」
 どうもこの人は、人を廃棄物処理場か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。
 確かにザングースに優れた薬毒耐性が存在するのは事実だけれど、飲んだら死ぬものを飲んだら無論死ぬというのに。
「仮にこれを飲んで僕が死んだらどうするんですか」
「その時は毒タイプのポケモンを雇うまでね。ああ、ザングースの耐性って大したことないんだなあって思いながら。鼻で笑うわ」
「クソッ! 死んでやるもんか! 血も涙もない女狐め!」
 ザングースという種族の誇りに掛けて、死ぬ訳にはいかなかった。あとは未だ払われていない莫大な給料と、それから僕自身の真の目的の為にも。
 真の目的とはつまり、口に出すことも憚られるようなアレの事であるが、この場でそれについて言及するのは避けるべきだろう。
 何せ今の状況、下手をすればこのこっぱずかしい目的とやらが辞世の句となりかねない。そんな恥ずかしい一生の締めくくりは御免だ。
 瓶の底から黙ってこちらを見つめる赤い液体をそっと慎重に恐る恐る口に運び、軽く口腔内で転がしてから一気に飲み下す。
「どう? なんか変わった事とか」
「……ん、特にないですね」
 味は土の苦みと青臭さが入り混じった酷いものだが、喉が焼けるような痛みも無ければ腹痛を起こしそうな要素もない。
 舌に多少の痺れこそあれど、全身を削ぎ落したくなるような身体の痒みや幻聴幻視の類に悩まされてきた身としては、最早何もないに等しい。
「味はどう?」
「壁みたいな味ですね。クソまずい」
「効き目は? 一応滋養成分を含んでると思うんだけれど」
「……特にないですね」
「副作用は? どっか気持ち悪いとか」
「それも特に。作った方の人格が現れてるかのようにクソ不味いですけど。そう、まるで作ったお方の人格が現れてるかのように!」
 僕が見え透いた挑発をすると、彼女は冷たい顔をしてこちらを睨みつけた。しまった殺される。
「減らず口が叩けるなら大丈夫そうね」
 へへえ、と言って僕は平伏した。温情にあやかっていこう。
「ごもっともでござい。この通りぴんぴんしておりやす」
「少し弱ってくれた方が煩くなくて良かったのに」
「殺生なお言葉!」
 頭を下げているので分からなかったが、どうも彼女は本気で残念そうに深い深い溜息を吐いたようだった。
 それが本気に見せかけた冗談であろうことは分かっていたが、どうしてか僕は顔を上げることが出来なかった。恐らく、きっと冗談めかしているであろう彼女の顔が、怖くて見ることが出来なかったのである。
「金払ってるんだからさっさと役目を果たして頂戴。ワタシは少し眠るわ」
「僕……いえ、薬を見ていなくていいのですか。もしかしたら成功してるやもしれませんが」
「効き目があったらメモっといてよ。あ、そうそう、裏庭に洗濯物置いといたからついでに洗っといて」
「たまには一緒に洗って友好を深めるというのも」
「意味分かんないし面倒だからやっといて」
「殺生なお言葉!」
「じゃ、寝るから。言っとくけど寝室に入ってきたら灰になるまで焼くわ。灰になってからも焼くから」
「二度焼きは基本ですもんねって熱っヅ!」
 そう言って彼女は枝の先から炎を迸らせ、僕の鼻先をこんがりと焦がした。威嚇の為に焼かれた僕の鼻先の心中やいかに。
 押し問答を繰り返すうちに、なんだかんだで一人部屋に取り残された僕は凛と机の上に佇む二本の薬瓶を見ながら途方に暮れた。なすべき事は山ほどあったが、どうしてか何もしたい気分ではない。
 椅子に腰掛け、今までこの空間で積み重ねてきたことを回顧してみる。
 しばらく思い耽って何となく理解したのだが、どうも彼女は僕の事を、自在に使える手足だとかただの毒見係のようにしか見ていないのではないだろうか。
 かつてより一度たりとも僕を気遣う発言が飛び出したことはなく、僕が病気だなんだで弱っていた時も失敗作の薬だけは毎日欠かさず飲まされた。ぐいぐいと、こうぐいぐいと。
 共に過ごせばなんやかんやで、実験狂いの彼女でも僕に対する親愛の情ぐらい湧くだろう――などと甘い事を考えていた自分にも落ち度はあるだろうが、しかしこの塩っ気たんまりな対応はあまりにもあんまりではなかろうか。
 具体的にはもっとこう……いつもお疲れ様のチューとかあってしかるべきではないか!
「ああ……やんぬるかな、やんぬるかな」
 愚痴りながらも、すべきことはせねばならない。僕は両腕に透明の薬品と可変性新緑の薬品を持ち、一気に嚥下する。本当は一本ずつ飲み干して正確に効用を確かめなくてはならないのだが、どうにもやってられない気分だった。
 口の中に地獄が広がり、焼けるような冷たさが全身を総毛立たせた。立っていられないほどの強烈な眩暈に襲われ、地面にがたりと倒れ込む。地面からのいつもお疲れ様のチューを頂いて、大変悲しい次第。ご所望なのはお前のじゃない。
「手足の痙攣……それから……意識の……ああ、混濁……」
 死にゆく身体に鞭を振るってどうにか起き上がり、朦朧とした意識で症状を紙切れに書き込んでいく。どうしてこんな事をしているのか、この見返り無きインフェルノに意味はあるのか――などと考えていると、不思議と目頭が熱くなるのは薬のせいだと信じたい。
 くらり暗転。
 

 やがて明転。
 暫くして目を覚まし、遅れて自分がまだ生きていることに安堵する。窓から射す日は既に茜色に染まり、今日の昏睡が随分と長時間のものであったことを理解する。命の摩耗が著しい。おろし金で削られている。
「おはよう。今日は一段とねぼすけね」
「お陰様で。良い悪夢でしたよ」
 ぼろっちいソファに突っ伏す僕を見下げる彼女の瞳に微塵も心配の色はなく、研究者としての実直な瞳――といえば聞こえはいいが、「はよ効き目を教えろやああん」みたいな感じのソレ――が僕を射抜いていた。落陽をそのまま落とし込んだかのように輝く彼女の琥珀の瞳はとても美しく、しかしその瞳の中に僕が映る事はないのだった。
「この、メモに残ってる症状。どっちの薬が引き起こしたものかしら。摂取してから発病までの時間は? 早く再実験に取り掛かりたいの、さっさと教えて」
 手に取ったメモをひらつかせ、彼女は僕に問いかける。
「あー……それはですねえ。すんません、一気飲みしました」
「はぁ!?」
 彼女は素っ頓狂な声を上げ、ついでに尻尾に差していた枝の先からも火柱が上がった。
「な、何考えてるのよ! それじゃあどっちがどっちの効能だとか分かんないじゃない! ワタシ教えたでしょ、こういうのは一つずつ味わうように飲みなさいって! ほんっともう……使えないわね……!」
 彼女は相当に苛立っている様子で、自身の毛羽立った毛並みをわしゃわしゃとかき乱した。
 たしかに、まあ、本来すべき手順を取らなかったことに関しては僕にも落ち度があるだろうが、何もそこまで怒らなくても。
「えぇ……いやいや、あんなクソマズ確定のクソドブみたいな液体を二度も味わえとか冗談じゃないっすよ!」
「何よ、口答えする気?」
「ノン口答え、イエス正当な抗議! ていうか言わせてもらいますけどね! いつになったら成功するんすかアンタの実験! 毎度毎度毒みたいなの飲まされて気絶して! おまけに強い口調で怒られる! こっちだって勘弁してほしいですよ!」
「なッ……分かってるわよ、私だって……そんなことぐらい……」
「……先生?」
 火には油を、と言わんばかりに燃え盛ることを予想していたのに、彼女の反応は思いの外弱々しい。表情こそいつものすまし顔を保っているが、普段の燃えるような刺々しさは鳴りを潜めている。
 図星を突かれた事に対しても暴力的に開き直るようなタイプだと考えていたばかりに、なんだか拍子抜けだった。
「……今日はもう帰っていいわ。また明日来て。……来たければ、でいいけど」
 彼女はそれだけ言い残して、自分の部屋の奥へと消えていった。常なら尊大に空を切るその肩が、ひどく小さいものに見えた。



 翌日。あれだけ怒っておいてのうのうとやってくる自分の図太さたるや、生半なものではないと思う。開口一番昨日の礼とばかりにわんじゃか罵られるものだと覚悟していたが、おずおずと戸を開いた自分を待っていたのは、椅子に腰かけたままぼうっと一点遠くを見つめている先生の姿だった。
「あのう、先生」
「……え、あ、ああ。来たのね、薬は用意してあるわ」
 白濁色の薬瓶をくゆらせる動きも、妙に精彩を欠いている。目の下には地獄の煤のような隈がこびりついており、普段より清らかな睡眠を欠かさない先生にはあるまじき表情となっていた。 
「どうしたんすか。似合わぬ恋煩いでもしましたか」
「……ん、いいから」
 挑発にも乗らない。これはいよいよおかしくなったか、と思いつつ薬瓶を手に取った。
「今日は……がんばったから」
 そんな言を背に受けて、僕はぐいと薬瓶の中身を飲み干した。渋みと酸味を足して二で割らない不味さの奔流をぐっと耐え忍び、待つこと数十分。
「……そろそろ、効きはじめる、はず。上手くいっていれば」
 後半を半ば自分に言い聞かせるような様子で、先生はもごもごと口の中で言葉を転がした。いつものアイアム自信!みたいな態度はどこへやら、何故だか妙にしおらしい。もしや毒でも飲んだのだろうか。
「ね、どう。効いてる?」
「……」
 いつもより前のめりな姿勢に違和感を覚えつつ、身体の不具合を探る。いつもならそろそろ地獄への誘いのような腹痛やら頭痛やら吐き気やらが百鬼夜行のようにずんどこ押し寄せてくるのだが、今日に限ってはなにもない。
 本当に無だった。体調が悪くなることもなく、逆に良くなることもない。凪いだ波打ち際に立たされているような、無味無臭の平穏風景。空前絶後を覚悟していた身としては、逆に気持ち悪いぐらいだ。
「……どうなのよ、黙ってないで教えなさいよ!」
 ぐい、と迫られる。ちょっとしおらしくなったと思っていたが、僕に迫る態度はやはりいつも通りのソレだった。昨日ぎゃんぎゃん吠えたてたのも、彼女にとっては気にすることのないそよ風のようなものだったのだろう。
 ……なんだか、癪に障る。こちとら毎日のように命を削って児戯に付き合ってあげているというのに、向こうから一切のフィードバックがないとはこれいかに。せめて、何か一つぐらい、僕にとって嬉しい事があってもいいではないか。
 そんな不満の花が一分二分と咲いていき、やがて満開になった時、僕はある悪だくみを思い付いた。少しばかりワルが過ぎるかもしれないが、お灸を据えてやるには十分だ。
「あの、先生。……効いてきました」
「……えっ、本当? 本当の、本当に!?」
 全くもって嘘である。ぱっと顔を綻ばせる先生を見て、僕は心の中でいやな笑みを浮かべる。
「で、どう。どんな感じ? 効能として予想しているのは胃粘膜の増加と」
「むらむらします」
「……は?」
 マメパトがいわなだれをぶちかまされたような顔だった。
「ですから、むらむらします。いわゆる?媚薬的な? アレだと思います」
「……マジ?」
「マジです。ああ、すごい効き目だあ。これは処理が大変そうだあ!」
「しょ、処理って……! ちょっと、お手洗いで済ませてよ!」
 かあ、と先生の顔が火照る。なんとなく想像はついていたが、このテールナー、性の方面に関しては初心もいいとこだ。
「いやいやいや、無理っすよ。これは一人じゃあ手に負えないです。責任を持って先生にも"お手伝い"してもらわないと」
「…………お手、伝い? な、なにをしろってのよ……」
 色々な意味での矛先がまさか自分に向くとは思っていなかったのだろう。先生はどことなく弱々しげに眉をしかめる。
「カマトトぶっちゃって! 性欲処理の手伝いですよ、やることなんざ決まってるでしょ。――セックスですよ、セックス!」
「セッ……!?」
 二の句を継げず、先生はこれ以上ないほどに動揺を見せた。テールナーの金色の毛並みが、斜陽に炙られたようにほんわりと赤らんでいく。正直あの先生がこの上なく恥らっているという事実だけで胸がすくような気持ちになったが、しかし、ここで止まっては面白くもなんともない。
「で、どうなんすか。手伝ってくれますか? くれますよね? なんたって、元はと言えば先生の薬がヘンな効果を見せたせいですし」
「わ、わたしは……」
 ぐい、と詰め寄る。煩悶と逡巡、それから読みづらい何かの感情が、泳ぐ彼女の琥珀色の瞳を満たしていた。
「う……わ、分かったわよ……。て、手伝うわよ……! セックスでもなんでも、やってやるわよ!」
 ふん、と鼻を鳴らし、彼女は半ばやけくそ気味に啖呵を切る。どこまでも負けず嫌いな先生は、ちょっと強めに押してやると直ぐに手玉に取れてしまう。有体に言えば、チョロいのだ。
 僕は心の内で肉食獣めいた狡猾な笑みを浮かべた後、腰掛けていたソファからおもむろに立ち上がった。気勢とは裏腹に二、三歩後ずさる先生を手招きで呼び寄せて、僕は声を掛けた。
「じゃ、早速。しゃぶってくださいよ、せんせ」
「――は?」
「なんでもするって言ったでしょ、ほら早く早く」
「しゃ、しゃぶるって……な、何を……きゃっ!」
 左手を先生の後頭部に回し、そのまま僕の股間へと半ば無理矢理に彼女の顔を押し付ける。
「しゃぶるもんなんざ一つしかないでしょうが。ほおら、出てきた」
 憔悴にあえぐ彼女の吐息が敏感な部分に何度も掠り、呼応するように僕の雄がむくむくと勃ち上がる。一日ばかり禁欲したぐらいでこうも元気になってくれるとは、自分のこととはいえ少しばかり驚きだった。
 目の前に突き付けられた男性器をしばらく呆然と見つめていたが、先生はやがて観念したようにため息を吐く。
「分かったわ。……言っとくけど、私、こういうの初めてだから。あんまり、期待しないでよ……?」
 生まれて初めて水に足を付ける水鳥のように、先生は恐る恐る僕の雄の先端に唇を宛がった。何をすればいいか分からない、とでも言いたげに不安を覗かせ、上目づかいで見つめてくる姿が、情欲と共に猛烈な支配欲を湧き上がらせる。
「咥えただけで終わりですかあ? ほら、きちんとご奉仕して下さいよ。舌で」
 僕の言葉に鞭を打たれ、渋々と言った様子で先生は僕の雄に舌を絡めはじめた。気持ちよくさせよう、などという意志のまるで感じられない、舐めるだけで精一杯――とでも言わんばかりの稚拙な舌使い。頬に汗を滴らせ、必死に舐めしだくその姿は笑ってしまうほどに健気で、とてつもなく可愛らしい。
「ヘタクソだなあ。全然気持ちよくないんですけど、先生? もっとこう、奥まで咥えこんで下さいよっ!」
 みみっちく先端を舐るだけなんて、奉仕される側としては面白くもなんともない。
 僕は再び先生の頭を掴むと、そのまま竿を口の奥へと捻じ込んだ。んぐ、とくぐもった声を漏らし、先生は大きく目を見開く。
「ほら、口全体! ちゃんと使って!」
「ん、んぐう……ッ!」
 僕は頭を掴んだまま腰を振り、先生の引き締まった喉の奥へと雁首を突きたてる。竿に熱い頬肉が幾度となく擦れ、雷光にも似た刺激的な感覚が身体を駆け巡った。
 イラマチオの刺激が強かったのか、先生の目尻から一筋の涙がこぼれ落ちる。味わったことのないだろう経験の連続に、思考が追い付いていないのだろう。喉を塞がれているせいで息が苦しいのか、顔を赤らめふう、ふうと荒く鼻息を漏らしている。
 その様子がまるで性の味に興奮しているように見えて、辛抱たまらない。あの城壁ばりに積み上がったハイ・プライドな先生を屈服させているかのような錯覚に陥って、奇妙な全能感が高ぶりを加速させる。
 何度となく突き立てる、突き立てる。口の中に溢れた唾液が潤滑液となり、竿の滑りを鋭くしていた。ぬちゃぬちゃと粘りつくような水音が断続的に響く。雁の先端から飛び、先生の口端から溢れた粘液が頬を伝い身体に垂れるが、彼女は最早それを気にする事すら出来ない。徐々に怒張する口の中の灼熱を必死に転がすだけで精一杯の様子だった。
「ん、ふぅうう……っ……」
 染み出す精液の味に病み付きになったのか、それとも酸欠気味の頭を抱えて混乱しているのかは分からないが、彼女は身体を沸騰させ、理性の雫を一滴残らず霧散させていた。僕が腰を振らずとも、彼女の口は竿を捉えて離さなくなっていた。まるで乳を強請る幼子のように、舌を巧みに使って竿の先端を、雁を、裏筋を余すところなく舐め取っていく。
「ん……っ。せんせ、ちょっと上手になりました? フェラの才能ありますね……んッ!」
 刺激の針を突きたてられ、僕は精をどっぷりと噴き出した。
 流石に数度目の吐精を受け止めきれなかったのか、先生は竿から口を放し、唾液と精液が入り混じったねばっこい液体を吐き出す。頭を垂れ、げほ、げほとえずく姿は大変に弱々しく、心の内に芽生えていた強烈な加虐欲求がむくむくと膨れ上がる。
 これ以上は危険だ、と耳打ちをする理性を振り払って、僕は鼓動となって胸を打つ本能のままに身体を突き動かした。
 項垂れる先生の肩を掴み、そのまま床へと押し倒す。先生の身体の上へと覆い被さり、うつろな熱情に揺れる琥珀色の瞳と視線が合った。
「僕ばっかり気持ちよくなっても悪いですからね。ほら、先生にもおすそ分けですよ」
 仰向けになった事で、灰黒い毛に覆われた先生の秘所は丸見えだった。性の熱に当てられたのか、まだ何もしていないのにそこはじんわりと湿り気を帯びている。
 皮膚を傷付けないよう慎重に、爪の先を先生の割れ目へと忍ばせる。
「ん、んっ……!」
 爪を動かした瞬間、先生は押し殺すような小さな声を上げた。この刺激は不慣れなのだろう、ぴくんと身体を跳ねあげる仕草が可愛らしい。
「せんせ、ちょっと弄っただけでもうドロドロじゃないですか。まったくエッチだなあ」
「う、るさ……ひうっ! ちがっ、あ、やっ……」
 言葉を紡がせはしない。少し強めに弄ってやると、効果抜群とばかりに黄色い嬌声を漏らした。愛液がとろりと垂れはじめ、僕は口を付けてそれを舐め取ってやることにした。
 くすぐるようにざらついた舌先を動かし、舐め上げる。痺れるような苦みが口一杯に広がり、背徳の味を嚥下する。
 時には荒っぽく、時には繊細に、舌を動かして先生を責め立てる。抗えない快楽の波に押さえつけられた体を捩らせながら、先生は幾度となく矯声と共に飛沫を噴きだした。
「ひ、ああっ! あ、んっ……!」
「あはは、もうべとべとですよ。せんせ、こういうの大好きなんですねえ」
 しとどに濡れそぼり、ひくひくと刺激を求めて震える秘所を見やり、僕はそろそろ頃合いであることを確信した。先程から全く弄っていないのに未だ怒張を貫く僕の雄をそっと宛がい、静かに奥へと踏み込んでいく。
 一度も使われた事がないのだろう、そこは大変に狭く、キツい。常時竿を襲う圧迫感は奥へと進むたびに強さを増していき、しかしその刺激は鳴りやまぬ麻薬のような快楽を僕にもたらした。
 最奥へと辿り着くと共に、僕の先端は精を吐き出した。先生の中を自分が満たしていくという充足感。そしてなおも昂ぶる支配欲。先生の身体をすべて自分のものにしたい、という毒気を帯びた感情が、ずぶずぶと音を立てて広がっていく。
 欲望のままに腰を振る。奥を何度も突き立てる。その度に先生が獣のように吠え、喘ぐ。息をするように毒を吐くあの先生が、まるで赤子のようだ。
「あはははっ! せんせ、せんせ! もっともっと気持ちよくなりましょうよお!」
「ひ、あっ……うう、ん、くぅうっ……!」
 毒気を帯びた彼女を制するのは、快楽という名の猛毒だったのだ! 真理を得たような気分になって、なんだか清々しささえ覚える。
「ほらもっと! いきますよ! ……せんせ?」
 幾度となく責め立てる度に新鮮な嬌声を上げていた先生だが、急にぐったりと目を閉じたまま動かなくなる。
「せ、先生……? 大丈夫ですか、先生!」
 肩を揺さぶってみても反応はない。どうやら気を失ってしまったらしい。
 少しやりすぎたかもしれない――と、冷や水を差されたような気分になる。僕は先生を抱き上げると、そっとソファーに横たえた。
 湧き上がっていた支配欲求が徐々に萎んでいくにつれ、自分の犯してしまったことの恐ろしさを自覚する。
 少しお灸を据えてやるつもりだったのだ。こんな乱暴なことをする予定ではなかったし、もう少しだけ僕の事を見てくれれば、僕のことを好きでいてくれれば、それだけでよかった筈なのに。
「……う」
「……せ、先生?」
 しばらく様子を見ている内に、先生はゆっくりと意識を取り戻した。状況が理解できないのか、不安に曇る僕の顔を見上げて眉をしかめた。
「……アンタねえ!」
「――んがっ!」
 それから数秒。ようやく記憶を取り戻したのだろう、音速を誇る先生の鉄拳が僕の眉間を鋭利に貫いた。
「モノには限度ってもんがあるでしょう! いくら薬が効いていたからって! やり過ぎよこのバカ! ふやけ白饅頭!」
「すんません! ごめんなさい! でも殺さないで! なるべく殺さないで!」
 反射的に立てかけてあった木の杖を振り翳す先生に向けて、僕は頭を垂れて命乞いをした。全力でソファに額を打ち付ける。今度ばかりはどう考えても僕が悪いのだし、どんな処罰でも甘んじて受け入れるつもりだった。でもなるべく痛くしないでほしかった。
「……い、いや殺しはしないわ。ちょっと、薬が効きすぎてただけかもしれないし」
「あ、あのう……その事なんですけど……」
 この際全てを白状すべきだ、という良心の要求に、こんどは一も二もなく従うことにした。本能がそろそろ「死にたくない」から始まる辞世の句を考えておけ、と囁いている。お命だけは、どうか、どうか。
「…………薬の、効き目、ウソ……なの? ……てことは、また失敗?」
「……本ッ当にッ! すいませんでしたッ!」
 ソファから飛び降り、そのまま土下座の姿勢で床に身体を叩き付ける。ザングースのふんにゃりとした体型で果たして綺麗な土下座が出来ているのか、はともかく。大事なのは誠意、ごめんなさいというハートなのだ。
「な、なんで……? なんで嘘ついたのよ……」
「だ、だって先生薬のことばっかで……僕のこと全然心配してくれないですし……! 僕先生のこと大好きなのに! 先生は僕のこと嫌いなんじゃないかって、思って、思ってえ……」
 すいませんでしたあ! と叫び、世界を揺らせとばかりの威力で額を地面に打ち付ける。
「わ、わかったから! と、取り敢えず落ち着きなさい! そのごつんごつんするのは止めて! ……ていうか、私も謝んないといけないし」
 どこか宥めるような先生の声。
 我憤怒を得たりとばかりに怒り狂うとばかり思っていただけに、僕は当惑を浮かべながら垂れていた頭を上げた。
「な、なんで先生が謝るんすか」
「いや、だって……キミからの好意、ぶっちゃけ気付いてたし」
「……へえ?」
 傾げすぎた首が一回転して、素っ頓狂な声を上げる。僕から向けられる桃色の矢印に気付いていたとは、その、つまり、もしかして、僕から向けられる桃色の矢印に気付いていたということ……なのか?
「ええっと、えーと、つまり、僕が抱いていた淡い恋心っつーのは」
「はい、筒抜けでした」
「おあーッ! アンタ薬物にぞっこんラブなジャンキーフォックスじゃなかったんですか! なんでいっちょ前に人様の好意を理解してるんですかァ!」
「その言い方やめなさい、あらぬ誤解を招くわ。……悪いけど、人並みに好意を理解することぐらいできます!」
「……じゃ、知っててわざと塩っ気たっぷりな対応してたんですか?」
「あー。えっとねえ、それは……」
 気まずそうに言葉を切って、先生は視線を落とし頬を掻いた。
「申し訳ないな、って思ってて。私、才能ないから……なんか、付き合わせてごめんなさい、みたいなのが先に来て……だから、そういうの向き合えないっていうか……愛で繋ぎ止めるの、ずるいかなって思って……だから蔑ろにして……あの、ごめん」
「先生……」
 ぽつぽつと言葉を漏らす。やり場のない感情を表現するかのように、震える先生の手はソファの布地をぐっと握り締めていた。行く先が全て自分の道、とでもいわんばかりにゴーイングマイウェイな彼女の中の、ヒトの形をした葛藤に触れる。
 強いヒトだと思っていた。いや、実際強いヒトなのだろう。ただ、強いヒトにもそれゆえの不安があって、そのもろい部分はただ生き様の眩しさに隠れて見えなかっただけなのだ。僕はようやく、それを知ることが出来た。あれ程遠かった先生が、今は少しだけ近くにいるように思えた。
「……お給金だってまともに払えてないし、何度やってもまともなものは出来ないし。いつか愛想尽かされるんじゃないかって、わたし……」
「僕が先生を見捨てる訳ないじゃないですか! 惚れた弱み、舐めないで下さいよ!」
「うん……ごめんね……」
 先生は急に厳冬の訪れた森のようにしおらしく、怖いぐらいに弱々しい。憔悴しきったその姿は、あまり見ていたいものではなかった。
「先生、元気出してくださいよ。僕、先生が成功するまで見てますから……」
「……ん」
 じんわりと染み出してきた目元の涙を拭ってやる。はてさてどうしたものか、才能ばかりは僕にもどうしようもない。いつしか成功することを祈って、地道に支えてあげるぐらいしか手段はない、のだろうか。
 と、そんなことをぼんやり考えていると、ふと身体が妙に火照りだしてきた事に気付く。さっきエキサイティングしていた頃より時間が経ってすっかり萎えきってしまった筈なのに、なぜか、下腹部が煮え湯でも注ぎ込まれたように熱くてたまらない。役目を終えた、とばかりに下半身の毛に埋もれていた筈の僕の雄が、急に猛りの咆哮をあげ始めた。
「せんせ、せんせ」
「……何よ」
「すんません、こんなタイミングでほんと申し訳ないんですけど」
「何」
「一発ヤらせて頂けませんか?」
 言葉と共に怒張する。天を貫く、紅い鉾。もう、こらえきれない。
「…………はあ!? い、今!? ていうか、このタイミングで普通言う!? ちょっとソレ向けないでよ!」
「はい! 僕だって同じ気持ちですよ! でもなんか尋常じゃなくむらむらしてきて……ぜんぜん原因も――」
 と、そこまで言葉を連ねたところで。僕はある一つの可能性に行き当たった。
「あの……先生、もしかして、なんすけど」
「うん。私もそれ、思った」
 二人で顔を見合わせ、そしてそのまま視線を机の上の薬瓶へと動かした。今はもうほとんど空瓶だが、その底には僅かに白濁色の液体が溜まっている。つまるところ本日のお薬であり、僕が数刻ほど前にぐいぐいと飲み干したもの。まるで効果のない失敗作だと思っていたが、まさか、もしかして。
「……遅効性?」
 僕が滑らせた言葉に、先生はゆっくりと頷く。
「可能性は、有る、かも。……ゴメン、ちょっと確認させて! 実験するから私の部屋にきなさい!」
「急に元気になった! ていうか僕の昂ぶりはどうすればいいんですか!」
「そんなの後よ、後! ほら、早くなさい!」
「そんなあ!」
 急転直下、迎春。先生の顔に花が咲く。
 こんなにも楽しそうな先生を見るのは久方ぶりで、ああ、その笑顔に僕は惚れたのだ――。



 落ち葉と腐葉土の黄茶色が目に悪い秋を抜け、一面の銀世界。敷き積もる雪路を踏み踏み、今にも落ちてきそうなほどに青い空を眺めぼんやりと歩く。
 どこへ向かうのか、と問われれば、彼女の家と答える他ない。そこが僕の仕事場だからだ。
 しばらく歩き、少しばかり豪華になった木造の小屋へと差し掛かる。二、三度戸を叩き、僕は中へと入る。
「お早うございます、先生」
「おはよう、助手くん」
 新調したての椅子に腰かけて、駆け出し魔女は風流に紅茶を啜っていた。ほんわかとした笑みを向けられ、頬が熱くなるのを感じる。
「あ、せんせいいなあ。僕にもお茶淹れて下さいよ」
「仕事」
「ケチだなあ」
「まだまだこれからだもの。私の助手として、きちんと働いてくれないと。はいこれ」
 僕は肩を竦め、手渡された薬瓶を見て溜息を吐く。まったくもう、そんな事を言われれば、嫌でも頑張るしかないじゃないか。
「……効用、もう少しきちんと確かめたくて。たまには、いいでしょ」
 先生は懐からあるものを取り出すと、僕の目の前にそっと置いた。僕らにとってもう見慣れたものとなった、白濁の薬品。
「わあせんせ、すっかり中毒ですねえ! ジャンキーフォックス!」
 大仰に声を上げ、先生をからかってみる。白濁の液体。僕らの出発点にして、つまるところ、愛の媚薬。
「うっさい! ……待ってるから、ね」
 先生の頬に茜が射す。バーカ、と言い残して部屋へと逃げていく先生を見送り、僕はくつくつと蠱惑的な笑みを漏らした。
 世に役立つ薬を作るという夢に向かい、先生はひたむきに走っている。しかしその傍らで、毒のように身体に染み込む白く濁った愛の味を、未だに忘れられないでいるのだ。
 いじらしいお方だ、と思う。愛をもたらす毒を盛って、愛という名の毒を制することでしか、雄の身体を求める自分を正当化することができないでいる。先生の全てが大好きな自分としては、そんな凡人じみたところも愛おしいのだけれども。
 目の前に置かれた薬瓶を仰ぐ。白く濁った媚薬を飲み干す。
 
 ――口の中に広がる薬毒は、いわゆる役得の味がした。

あとがき
6票で同率優勝を頂きました。お久しぶりです。もよよです。
ストレートで軽快な作品を書こうとアルコールの力に頼ったせいか、見返すのがとても怖い作品ですね。漫才ってシリアスより難しくて、これ面白いのかな……と首を捻りながらセリフを書いていました。上手くいったようで嬉しいです。
果たして助手くんの存在は先生にとって薬か毒か、その辺が裏のテーマとして隠されてたりなかったりします。ライトな作品なので僕には珍しく気負わずに読める作品になったのではないかと思います。すけべシーンは半分オマケ。


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Last-modified: 2018-01-29 (月) 00:00:58
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