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作 「マッスルドリンコ 木綿味」
もくじ
大きくて白い綿飴をいくつも浮かべる青い夏空のてっぺんには、さんさんと光を投げつけてくる憎たらしい球体が一つおさまっている。まったくもって暑い。いくら数百歳の年老いた緑の下にいるとはいえ、これではその内に干からびてしまいそうになる。
ああ、あのキンキンに冷えた芸術的な氷菓子を頬張りたい。一口含みさえすれば、一瞬にして暑さを忘れ、全身が透き通るような冷たさを頭に直接叩きつけられる、あの甘い物体が欲しい。混じりっけの無い、紛れもないサイドンであるボクが、人間が作ったモノなんかをここまで求めるのも癪だけど、でも…欲しくて欲しくてしょうがない。――そうだ、こんな時こそ
「ねぇ、キール。暑いから、アレ買ってきてくれない? わかるよね?」
ボクはボーッとして重い頭をどうにか横に傾けて、ボクと同じく、暑さに項垂れているドククラゲに声をかけてみた。
何故に陸地であるここに、ふだんは水中で暮らしているドククラゲがいるのか。そしてそのドククラゲが、何故にボクの身体に絡みつくようにして座っている(?)のかというと、それはつまり…その、ぼ、ボク達がそういう関係だからだ。
何を好き好んでドククラゲなのかって? 確かによく言われるけれど、そういう奴らの大半がドククラゲの、というよりもキールの良さをわかっていないんだ。
見た目のグロテスクさとは裏腹に、しっとりとしていて、触れるとしびれるような感覚を与えてくれる触手。大きな体の割には小さくて可愛らしい目。それに、それに…ちょっと恥ずかしいけど、き、キスの時には言い表せないほど刺激的な口。どれもこれもみんなキールのいいところで、ボクがとても好きなところだ。だけどやっぱり、一番好きなのは、
「え? 何がいいかって? うーん…」
力無くゆらゆらと触手を動かしながら、キールがアイスをどれにするか聞いてきたおかげで、危ういところで思考の暴走が止まった。やっぱり暑いのはだめだ。頭だけじゃなくて、心までがほてってきちゃう。
「キールが想う、ボクの好きなモノを選んできて」
ちょっと意地悪な、ううん、大分意地悪な言い方だと自分でも思う。案の定、目の前の最愛の人はたくさんある触手をこれでもかとウネウネさせながら視線を泳がせている。水の中で泳がずに陸地で泳いでいるなんて、なんだかおかしい。ふふふ。
「――あっ! ね、ねぇっ! そんなに走らなーくー…てもいいのに。あーあ」
一生懸命なキールのジェスチャーを微笑ましく見ている隙に、キールはあっという間に走り去ってしまった。――何年も付き合っていて未だに疑問に思うんだけど、キールはあのウネウネした触手でどうやって走っているんだろう? 水の中ならわかるけど、草むら・砂利道・舗装された道の数々を疾走できるというのは…うーん、いや、やめよう。こんなことを考えていても暑いだけだし。
「ふぅ…暑い」
風はない。近くに川はあっても、水が苦手なボクはその恩恵を受けることができない。ボクが唯一好んで触れられるのはキールの水だけだ。そう、キールだけがボクの渇きを癒してくれる。望めば好きなだけ注いでくれるんだ。
――でも、
「…キス、してくれなかったな」
些細なことだった。ただ、普段通りのキールだったなら、ボクから離れる時は必ず「モーザ…」とボクの名を呼びながら、あの逃れようの無い触手と口を伸ばしてくるのに、今はそうならなかった。それだけのことだった。
キールは焦っていたに違いない。ボクから難題を押し付けられて、いつものように一生懸命になって、――この猛暑の中、しかも、自分が最も苦手とするはずの陸上という環境の中なのに、ボクのためにと思って、それで…。
そう、わかってる。ボクにはキールのことは嫌ってほどわかる。だけど、だけど、ボクはそんなキールのことを少し疑って、それで、そんな自分が少し嫌になって…。
「……」
ザザァーッ、と音を立てて頭上の緑がしなやかに揺れた。その風はあくまで頭上にしか吹かず、ボクの身体を撫でることはなかった。だけど、どうしてだかボクは、一瞬、全身を覆うかのようにまとわりついていた猛暑が失せていったのを感じていた。少しだけ、寒かった。
蒸し暑い。じわじわと照りつける光に対して風はあまりにも頼りなく、いや此処が○○である以上はそれは仕方ない事なのだけれども、それでもどうにもならないほど暑くて仕方が無い。
これで背を預けた大樹の影から抜け出たらどれだけ暑苦しいのか、考えるだけでなお暑くなる。――が、それでもモーザの訴えを無視するわけにはいかなかった。ただでさえ、モーザが少し恥ずかしく、そして嫌そうにしていたのをいつものように言いくるめ、強引にくっついていたのだ。その分をどうにかして返さなくてはいけない。
といっても、もしもすでに暑苦しいとかうざったい、気持ち悪いと思われていたら、返すも何もあっという間にオレは”ひんし”になってしまうが、恐らく…いや、モーザに限ってそれはないだろう。うん、無いはず…だ。
まぁなんにせよ、ご機嫌をとっておくには越したことないし、オレが「動けるドククラゲ」であることを証明し、漢としての株を上げておくためにも、アレ、つまりはアイスを全力で買いに行くのは決して間違ってはいないはず。うん、そうにきまっている!
「うおおおお! 店はどこだああ!」
80本ある足を全力で動かしつつ、オレはモーザのアイスのために街の中を爆走していた。ほんの数年前まではこんなことをしていたら、あっという間に警察犬のガーディが飛んで来て終了だったが、今じゃせいぜいすれ違う人間やポケモンの目が飛び出るくらいで済む。ポケモンながらこんなことを思うのもどうかと思うが、住みやすい世の中になったもんだ。
チリリーン
「いらっしゃいま、ぶううううううううううううううううううっ!」
ようやく見つけた店に入ると、何やら店員が口から盛大に唾を飛ばしながら台の上に突っ伏した。何か悪いもんでも食ったんだろうか? それで、急に腹が痛くなったとか? まぁ、オレとしてはあの「ぴこぴこ鳴るきかい」をちゃんと使ってくれればそれでいいんだけどな。
「むっ…少ない」
足を「ひんやりするながいはこ」の枠にひっかけ、体を少し持ち上げて中を覗き込んでみたが、そこには、――このクソ暑い中で生きる奴みんなが同じことを考えていたのか、アイスがほとんど入っていなかった。オレが買おうと思っていた『じゃいあんとぱふぇアイス・かい(さんじゅっぱーせんとぞうりょうちゅう)』も当然のことながら無い。どうしたものか。
「おーい! アイスはここにある分しか無いのか―?」
顔を上げて店員に聞いてみるも、未だに腹が痛いのか、台の上に突っ伏したままで話にならない。くそっ! 使えない奴だ。これだから人間は困る。他のに聞こうにも、この店にはそいつ以外に店員っぽいのはいないし、客もオレしかいない。こんなんでやっていけるのか?
と、今はそんなことを言っている場合じゃない。オレは今こうしてひんやり空間を堪能しているが、モーザは今もなお猛暑の中でオレをまっているのだ。早いところアイスをもっていってやらないと…。
「これ、もらっていくからな! ――金、おいとくぞ。釣りはいらないからな」
とりあえず残っていたアイス、――ほろ苦くて深い甘みのある半分氷で半分液状の奴と、食べるとスッとする香りが脳天を抜けるらしいカチカチの奴を足で取り、使い物にならない店員の目の前に「大金」を置いてオレは店を出た。いそがねば!
「ぜーっ、ぜーっ、うぐっ!」
滅茶苦茶に焦っているせいで、足がもつれにもつれて転ぶ。頭を固い「あすふぁると」の路面に打つ。どうしようもない程に痛い。アイスまで落としてしまった。何だか情けなくて泣きたくなる。
だが、こんなところで泣いてなんかいられない。オレのことをモーザが待っているんだ。
封が切れないからちゃんと確認はできないが、外見からしてアイスも大丈夫なようだし、――スッとする方の入れ物が少し歪んでしまったが、これくらいだったら許容範囲内だ。気を取り直して再び走り出す。
「ひーっ、ふはーっ、ふひーっ」
すでに購入し、転びながらも帰路を全力疾走している中で今更だが、甘いものが好きだと言っていたのだから、きっとモーザは何を買って行っても喜んでくれるだろう。あの、食べきれるものは誰もいないという『ハイパーかきごおり~みっくすぼんばーあじ~ かきげんていばん』でもだ。
しかし、オレはそんな妥協を、――少なくとも、モーザに関しては絶対にできないような漢だった。そう、だからこそオレはモーザとの膨大な会話の記憶を辿り、かつてモーザが洩らしていた味を持って帰ることにしたのだ。その味とは、つまり…
「あー、美味しい」
「何、食べてるんだ? モーザ」
「ちょこちっぷこーひーと、ちょこみんとのアイス」
「ちょこちっぷこーひー? ちょこみんと? それって、美味しいのか? まぁ、モーザが言うならそうなんだろうが」
「うん、美味しいよ。ちょこちっぷこーひーはね、にがーってなるんだけど甘いんだ。それで、ちょこみんとはね、スッてするの。眠い時とかね、頭がスッてするから、眠くなくなるんだよ」
「なんだかよくわからないが…しかし、よくそんな小さい入れ物の中身を、そんな小さいやつで掬えるな」
「キールと違ってボクは器用なんだよ。――それよりも、ほらっ! わからないなら食べてみなよ!」
「ちょっ!? って、むぐぅ!? むっ!」
「おいしいでしょ? ちょこちっぷこーひー」
「むぐむぐ…うん。たしかに、ほろ苦くて、甘くて……うまい」
「でしょー。ふふふ」
「ちょこ…みんと、だっけか? そっちの方はどうなんだ? 食わせてくれよ」
「ふえっ? えーっと…今、食べきっちゃった」
「なっ!? なにー!?」
「ご、ごめん。――じゃあ、こ、今度食べる時は一緒に食べようよ。ね? それでいいでしょ?」
「むぅ…。まぁ、それでもいいが」
「えへへ。約束だね。キール」
「早く、帰ってこないかな…」
鈍重なボクの身体を支えてくれている木に対してか、または風のありかを示してくれる草むらに対してか、もしくは絶えず流れ続けている川に対してか、ボクは一人で呟いた。
アイス…というよりも、ああ、どうしてボクはこんなに。
「少し離れてるだけなのに…ね」
そう、たったそれだけ。キールはあと少しすれば、息をぜーぜー切らしながら戻ってきて、それで、少し申し訳なさそうな顔をしてアイスを渡してくれる。そうしてくれる。そしてボクはそれを受けとって、出来る限りの笑顔でお礼を言う。二人でまた木の下で隣り合わせに座って、話しながら冷たいアイスを頬張る。
なんてことはない。ただ待ってさえいればいいんだ。そうすれば、すぐにでもまた幸せな気分になれて、
「遅いな、キール……」
なのに、どうしてボクはこんなに不安なんだろう。手を組み合わせて、足の先をゆらゆら揺らして、キールが来る方向を、自分でもわかるくらいに表情を歪ませて見ているんだろう。するべきことはわかっていて、結果すらもわかっているというのに。どうしてボクはそれをすることができないんだろう。そんなことはキールも望んでなんかいやしないのに。
キールはボクが不安そうにしていると、いつもあのたくさんの触手でボクのことを包んでくれる。「こうすれば離れたりなんかできないよ」そう言ってボクのことを包んでくれる。キールの触手は少しひんやりとしているけど、でも、柔らかくて、本当はとても温かい。キールに包まれていると、ボクはとても安心することができるんだ。
「もしかして、どこかで転んじゃったりとかしているのかな」
決してキールの触手は陸上を移動するのに向いてはいない。あれだけ走れる方がおかしいんだ。キールはそれを「漢なら当然だ」って言っているけど、本当は凄く無理をしているんだ。ボクが、ボクが水を怖がっているから、ボクが水辺にはいけないから、いつもキールは無理をしているんだ。
わかってる。ボクはキールに甘えっぱなしで、わがままなことばっかりしているんだって。アイスだって、本当は陸上を普通に歩けるボクが買いに行くべきなんだ。でも、キールはボクが人間を怖がっていることを知っているから、代わりに行ってくれている。そのことには一切触れずに。
なんてキールは優しいんだろう。不器用で、案外臆病だけど、ボクが苦しい時には絶対にわかってくれる。傍にいて支えてくれる。ボクはキールと出会うことができて、好きになることができて、愛しているって言えるようになれて、本当に幸せだと思う。これからもずっと一緒にいられることを本当に嬉しいと思う。
――だけど、
「……」
手の届く所にいない。すぐに戻ってくる。また話せる。でも、今はすぐ傍にいない。それだけでやっぱりボクは不安定になっちゃうんだ。
キールに会いたい。早く、早く会って、たくさん話をしたい。そのまま日が暮れるまで一緒にいて、それでお家に帰って、ご飯を食べて、それで、それで…
「キール……」
どうしようもなく悲しくなる。どうしてキールがいないんだろう? そんなふうに思いながら、一方ではボクがそうさせているんだって声が聞こえてきて、耳と胸がすごく痛くなる。自分で原因を作って、自分で勝手に苦しんで、それで、そうすることで、ボクはキールを悲しませちゃっているんだ。キールはそんなことをボクにしたりしないのに。ボクが、ボクだけが、そんな、ひどいことを…。
「迎えに、行った方が……いい、のかな?」
街に行くのは怖い。人間がたくさんいる所は嫌いだ。あんな恐ろしい生き物がいる場所には行きたくない。ボクに”彼”がいた時はまだ大丈夫だったけど、今はもういない。ボクは一人ぼっちだ。
でも、大切な人はいる。その大切な人が今、もしかしたらとても苦しんでいるかもしれない。ボクよりも傷ついてしまっているかもしれない。そう思えば、この鈍重な体だってすっごく早く動くかもしれない。
だけど、やっぱり怖い。それに、もしも、もしもキールが、ボクに…。
「うう……」
信じなきゃいけない。ずっと信じる。何度そう言ってきたんだろう。何度そう繰り返してきたんだろう。どれだけキールに注がれたって、ボクっていうコップはすぐに中身が空っぽになってしまう。キールはボクがそうならないようにって、いつもいつも注いでくれているのに。それこそ、ついさっきまで注いでくれていたのに、ボクはもう…空っぽだ。
一度は浮かしかけた腰が、いつも以上に重く感じた。一度それを降ろしてしまえば、もう二度と上げられないんじゃないかって、そう思うくらいに。
楽になってみようか? きっとそうすれば、ボクはとても楽になれるはずだ。ずっと今までだってそうしてきたんだし、今更…
ザザァーッ!
「わっ!?」
さっきまでちっとも降りてこなかった風が、今になって突然ボクの顔を掠めていった。大抵の物をはじき返してしまえるボクの固い皮膚にも、それはハッキリと感じられて、驚いたあまり、ボクは浮かしかけていた腰を思いっきり地面に降ろしてしまった。
いたずらな風はボクを通り過ぎて、草むらを揺らして、その先の木を揺らして、そして、さらにその先に、キールが来る方向に、キールの元へと…。
「……」
たったそれだけ。風がボクを驚かして、吹き抜けていった。そしてその風はボクにキールの場所を教えていった。それだけだ。でも、
「あははははっ!」
キールが今のを見たらどれだけ笑うだろう? それとも心配するのかな? 怪我はないって言ってくるかな? ”彼”はどっちなのかな?
「……よし、迎えに行こう」
そうだ。迎えに行って、たくさん言ってやろう。遅い、暑い、のど渇いた。文句のバーゲンセールってやつだ。それで、しょげているキールの触手を一本手にとって、そのまま繋がって戻ってこよう。うん、そうしよう。
「あーあ、やっぱりボクは……」
どうしようもない。こればっかりはもう、ボクがボクを制御できるわけないんだから、仕方ないんだ。そういうものなんだよね。”彼”もきっと…そう言っていたんだ。
思い切ると、腰の重さなんかまるで無くなった。きっとキールが買って来てくれるであろう『ど・らんぶるぺっぱー』のことを考えると、さっきまで忘れていた猛暑が戻ってきた。早く食べたくて仕方がなくなった。
単純かな。でも、キールはそんなボクのことを……!!!
「ただ…いま…」
行きに三分。店で一分。帰りで四分。計八分。自分としては精一杯の速度で頑張ったと思う。ぜひゅぜひゅとちょっとマズそうな音が漏れているが、それくらいは少し休めば治る。
出迎えてくれるつもりだったんだろう。立って迎えてくれたモーザにアイスを二つ差し出す。店員が使えなかったせいで袋はなかったが、モーザはお礼を言ってそれを受けとってくれた。――しかし、
「うっ…」
モーザはどこまでも平坦な声で、「買ってきた中には無いアイスの名」を告げてきた。
店にはそれしかなかった。店員に聞いても出してくれなかった。それならそうと最初に言って欲しかった。――モーザの訴えに対して異存もなく買いに行ったのはオレなのだから、そんなことは、いや、例えそうでなくてもオレにはとてもそんなことは言えない。モーザはオレのことを信じて、きっとそれを買って来てくれると思って、敢えて具体的な名前を言わなかったのだ。にも拘らず、それに答えられなかったオレが悪い。
「ごめん…」
どれだけ情けなくたって、素直に謝るほかはない。他から見ればこれは理不尽極まりない光景なのかもしれないが、今のオレにはこうすることしかできなかった。
我ながら何と不器用なのかと思う。「ごめん」 と、たった一言しか言えないのだから。
今に始まった話じゃない。いつだってそうだ。ただ、今回は特にそれが……。
「次は、次こそはちゃんと欲しい物を買ってくるからな。モーザ」
オレがしょげていると、モーザはそれとは反対に笑顔になった。そしてオレがモーザとの会話の記憶の中からアイスの好みを判断し、選んできたことを、オレが言わずとも汲み取り、モーザはオレのことを許してくれた。隣に座ることを許してくれた。
ああ、たとえオレがどれだけ情けなくたって、モーザはオレのことを許してくれる。嬉しいって言ってくれる。オレのすることだったら、最後にはなんだって笑顔で応じてくれる。
モーザもいつだってそうなのだ。オレが苦しんでるときにはいつも微笑んでくれて、オレに力をくれる。モーザは自分の身体のことをゴツイと言ってとても嫌がっているが、しかし、その優しくてキレイな手で、一生懸命にオレのことを包んでくれる。こんなモーザのことを愛おしく思わずにいられるはずがない。
「ふふふ」
何を笑っているのか? とモーザに聞かれても、オレは笑うのを抑えることはできなかった。大きな木の下で、隣合わせで座り、アイスを一緒に食べようと、そう言われるだけで、たったそれだけでオレはこんなにも幸せになれるのだ。
そのことを拙い言葉でモーザに教える。モーザが恥ずかしげに俯きながら、うやむやに返事をする。そんなモーザの可愛らしい反応を見るだけで、オレは、もう……。
「ああ、冷たくてうまいな」
誤魔化し半分にそう一人ごちる。
買ってきたのがアイスで良かったのかもしれない。モーザが嬉しそうにアイスを口に含んでいるのを見てそう思う。
口に含んだ瞬間に、全身を貫くような冷たさが走る。猛暑と呼ぶにふさわしい暑さを忘れる。そして、最愛の者と一緒にいられる喜びのあまり、暴走しかける意識に冷静さを戻してくれる。もしも買ってきたのがアイスで無ければ、今頃はもう、互いに消耗しきって倒れてしまっていたかもしれない。モーザがそこまで考えてアイスを頼んできたはずがないとは思うが、しかし、それでも良かったと思わざるを得ない。そう、特別なことはできなくても、こうして二人だけの時間が持てているのだから、他には何もいらないのだ。
――だが、
「な、なあ、モーザ」
突然のオレの呼びかけに対し、キョトンとしながらも、モーザはオレだけを見つめてくれる眼を向けてきた。それ以外にも意識は無限に溢れているだろうが、オレにとっての意味はそこに集約されている。
そんなキレイなモーザの眼を見て、オレはその数瞬前に感じたことを撤回しようとしていた。
「た、食べさせてもらっても……いい、か?」
聞くところによれば、人間は恥ずかしい時には顔を真っ赤にさせるらしい。本当に恥ずかしい時には、顔をまるでオクタンのように真っ赤に染めるのだと。
モーザは人間じゃない。あたりまえだ。モーザが最も毛嫌い、最も恐れてきた生き物の人間であるはずがない。
しかし、もしもモーザが人間であるとするならば、今、間違いなく顔を真っ赤に染めているはずだ。それほどまでにモーザはオレの発言で慌てていた。
食べ終わったアイスの容器を手に持ったままぶんぶん振りまわし、オレに対して「何を言っているの」「バカじゃないの」などと厳しく言ってきている。――が、その言葉と表情は一致しておらず、とにかく焦っているのだというのがよくわかる。
「駄目…か?」
そのたった一言でモーザはピタリとおとなしくなる。決してわかっていてやっているのではない。――が、オレはモーザが、オレがお願いをしさえすれば、たとえどのようなことだってやってくれることを知っている。どんなに恥ずかしいことだって、オレがこのようにねだればやってくれるのだ。それは何よりも、オレのことをモーザは信頼してくれているからだ。決して自分を裏切りはしないと、これ以上に無いほど信じてくれているから。そして頼ってくれているからだ。
……ああ、これではモーザのことを笑ったりなんかできない。きっとオレの顔も、――モーザの手の上の小さな容器に入っている、甘い甘いアイスに口を伸ばしている今、もしも人間だったのなら、どうしようもない程に真っ赤になっているに違いない。
「ありがとう、モーザ」
心からそう思う。今回だけじゃなく、何度思ってきたかわからない。本当にモーザと出会えてよかった。
絶対に離したりなんかしない。独りになんかしないし、ならない。オレはもう二度と大事な者を手放したりなんかしない。
一人で震える必要など無い。底知れぬ海の深さに涙を隠す必要もない。オレにはモーザがいるのだ。ずっと一緒にいてくれると、一緒にいると、お互いに言葉以上の意味をもって約束できる相手をみつけられた。オレはもう、独りなんかじゃないんだ。だから、
「も、モーザ?」
突然モーザは両手でオレの足を二本とり、妙に怒った顔で迫ってきた。原因がまるでわからないが、モーザはそんなオレに構うことなくどんどん近付いてきて、そして……
「い、一体どうしたんだ? オレ、何かまずいこと言ったか?」
「……本当にわからない?」
「う……。ご、ごめん。わからない」
「………アイス」
「へ?」
「アイス……全部、食べた。ちょこみんと味のやつ」
「あ……」
「た、食べさせてあげるとは言ったけど、全部食べていいなんて言ってないもん! 返してよ! ボクのアイス! ちょこみんと!」
「そ、そ、そ、そんなこと言われても」
「うわーん! ちょこみんとー!」
「うう………。――あ、そうだ」
「ふ? なに?」
「いや、方法が一つある、と思って」
「なに? なになに? 早く言ってよ。早く早く早く早く!」
「く、苦しい。わ、わかったから、ちょっと待ってくれ」
「待つ待つ。ほら、待ってるから、早くちょこみんとちょこみんと!」
「よし、じゃあ目をつぶれ」
「ふえ? 目? 何で?」
「いーから! ほら、とっととつぶれ」
「むー、何でそんなに偉そうなの?」
「よ、よ、余計なことは言わなくていい!」
「ふふふ。はーい」
「まったく、こいつは……」
「何か言った―?」
「何にも言ってない! ――なあ、モーザ、オレのことを信じているか?」
「当たり前じゃない。ボクはキールのことが大好きなんだよ? 信じているに決まってるじゃない」
「そ、そうか。そうだな。お、オレもだからな。オレはモーザのことが好きで、」
「”大”好きでしょ?」
「……そうだ、モーザのことが大好きだ。他の誰よりもな」
「……えへへ、うん。嬉しい。やっぱり何度聞いても嬉しいよ」
「ああ、だから、オレがこれからすることも信じてくれるな?」
「何をするか教えられなくても? 目をつぶったままでも?」
「そうだ。――できるか? と、聞くのは間違ってるか。なぜなら、」
「できるよ、と返すのも間違ってるかな。だって、」
「オレはモーザのことを愛しているから」
「ボクはキールのことを愛しているから」
「……」
「……」
「ふふふふ、ははははは!」
「あははははっ!」
「じゃあいくぞ、モーザ」
「うん、キール」
完
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