「それは“シンクロパス”って言うの」
「“シンクロパス”……?」
ラグナは自分の手元にあるトランプケース型のアイテムを見て復唱する。
「人間がポケモンに憑依して、指示と行動の間に生じるタイムラグをなくし、さらに自分の力とポケモンの力を掛け合わせることができる道具なの」
アルフの遺跡から戻ってきて2日ほど経った。
その間に様々なことがあった。
まず、マイコンの幹部:ミントと名乗っていた女を警察に引き渡した。
これで“甘い光<スウィートライト>”と呼ばれる5幹部のうち一人が減った。
だが、幹部が一人減ったとしても、マイコンがジョウト地方を襲撃し続けている事態は変わらなかった。
下っ端の一人ひとりの強さが半端じゃなく強い上に、まだ大幹部と頂点<ボス>がいるのだから。
「でも、この“シンクロパス”はポケモンと使用者が同じ性別じゃないとシンクロできないの。そして、使用者である人の精神状態が安定している時じゃないと効力が半減されてしまうの。おとといのあたしみたいに我を忘れて怒っている時とかは……」
「……なるほど。シンクロだから、ポケモンと心を合わせなくちゃいけねぇってわけか」
「うん……」
オトノは元気なく頷く。
2日の間に、マホの小さな葬儀も開かれた。
オトノはその中の丸一日を、その為に使っていた。
そして、妹のような存在のために、涙を枯らすほど、泣き続けた。
「自分がついていながら、こんなことになってごめんなさい」と、マホの母親にずっと謝り続けていた。
その真摯さとマホに対する愛をわかっているために、母親はオトノを責めはしなかった。
それでも、母親はこの悲しみと怒りをどこにぶつければいいかがわからなくて泣いていた。
―――「マイコンなんて……いなければ、こんなことにはならなかったのよ……」―――
オトノは涙を流しながら、マホの母親の言葉を聞いていた。
その間、ラグナはオトノの家で休んでいた。
正直、葬式というものには出る気はなかったし、あまりマホのことは知らなかったから。
ただ、オトノとマホの家はお隣さんだったため、たまにラグナは窓から顔を出して、隣の様子を見ていた。
涙を流しながら、忙しく働くオトノ。
よっぽど、そのマホのことを可愛がっていたのだろうと、ラグナは黙って見守っていたのだった。
「あたし、思ったの」
不意にオトノが口を開いた。
「マイコンがいなければ、きっとマホが犠牲になることはなかったのよね……。マホのお母さんの話を聞いて、ずっと思っていた……」
「正論だな。奴らがいなければ、確かにマホは死ぬことはなかった。だが、そんな“たら”“れば”の話をして何になるんだ?過ぎちまったことはしょうがねぇだろ?」
「うん。わかっている……」
ラグナに言われてしゅんと落ち込むオトノ。
何か言い返してくるかと思っていたラグナは拍子抜けをして、頭を軽く掻く。
それから、10分ほど静かな時が流れた。
ラグナもオトノもその重い雰囲気の中を漂っていた。
「今までに、マホのほかにもマイコンの犠牲になった人がたくさんいると思うの」
その静寂を払ったのはオトノだった。
「あたしは、もうマホみたいな犠牲者を出したくない……」
「そうか」
淡々とラグナは返事をする。
「で?どうする気なんだ?」
「マイコンを……マイデュ・コンセルデラルミーラを倒す。……それしか、ジョウト地方を……いいえ、世界を救う方法なんて有りはしないわ」
「……?」
そうオトノが言っているのだが、視線はラグナをじっと見ていた。
その視線が気になって、ラグナはずっと不思議に思っていた。
やがて、次の言葉でその意味が分かった。
「ラグナ……あたしに力を貸して!!」
「…………」
オトノはずっとラグナに頼みたかった。
つまり、それは「一緒に旅に出てマイコンを倒そう」と言う提案だった。
「あたし一人じゃ不安だから……。それに、あたし、ラグナがミントと戦っているのを見て思ったの。ラグナならマイコンの連中に対抗できるんじゃないかって!あと…………」
オトノは立ち上がって窓を開いた。
彼女のセミロングの黒髪が微かになびく。
「お母さんとお父さんのことを探したいの……」
「親?」
「うん……。このシンクロパスを送ってきたのは、お母さんとお父さんなの。けど、それ以降は手紙も連絡もよこさなくなったわ。これって、このパスでヒワダシティのみんなを守れってことだと思って、あたしはずっとこの場所にとどまり続けていた。でも、それだけじゃ駄目だってわかった。あたしはマイコンを倒すために旅に出る!」
オトノは真剣な目でラグナを見据えた。
今のラグナにはSHOP-GEARに帰るという目標がある。
そのことで一瞬だけ……ほんの一瞬だけ迷った。
だが、そんなことで迷うなんて自分らしくないと、ふっと笑いながらラグナは言う。
「やるんなら、頂点<ボス>の首を取ってやるか」
そういって、ラグナはシンクロパスを懐に収めた。
「ありがとう…………ラグナ…………」
オトノは窓の外に顔を向けたまま、聞き取れないほどの小ささで静かに呟いたのだった。
ラグナから見て、彼女がどんな表情をしていたのか、確認することはできなかった。
1日が経過した。
2人はヒワダシティの西玄関にいた。
「目的地は、コガネシティか」
「そう!そこで物資を整えて、まずはカントー地方へ行くの!」
オトノは先を歩いて言う。
「コガネシティか。あそこには確かゲームコーナーがあったな」
「ラグナ、遊んでいる暇なんてないんだからね!」
「いや、遊ぶことなんて考えてねぇよ!」
「本当に?」
「本当だっての!」
眉間にしわを寄せて睨むラグナ。
「なんてねー」
オトノは笑顔でラグナの肩を叩く。
「ラグナがゲームコーナーに行かないってことはわかってるよ。そんな怖い顔をしないでよ」
そう言うと、オトノは両手を広げてクルクル周りながら先に進んでいく。
「……ん?」
すると、ラグナは違和感を感じた。
「おい、オトノ」
「え?何?」
先ほどよりもいっそう眉間にしわを寄せたラグナの表情を見て、オトノはハッとする。
「……まさか……」
バッとモンスターボールに手をかける。
「野生のポケモン!?……それともマイコン!?」
真面目な顔で警戒するオトノ。
「いや、てめぇ……荷物は?」
「へ?」
「昨日、あれだけ入念に荷物のチェックをしてなかったか?それなのに何で手ぶらなんだ?」
「…………」
3秒の沈黙。
「…………!!!!」
3秒後の驚き。
「……い、家に忘れてきたのかも……」
「何やってんだ、てめぇ……」
「待ってて!すぐに取ってくるから!」
そういうと、急いでオトノは走っていった。
走ると、腰周りに巻いている布が風になびく。
「(ちっ、何でスカートじゃねぇんだよ)」
腰回りの布の下にはしっかりと水色のハーフパンツを穿いている。
ゆえにパンチラとかそういうラグナの期待するシーンは生まれなかった。
「(にしても……やっぱりどこかオトハに似てやがるな……)」
オトノが荷物を取りに戻って、ようやく2人はヒワダタウンを出発した。
「ウバメの森か……」
「ここでラグナは倒れていたんだよ?」
片方の肩に掛けるショルダーバッグを下ろして、オトノはラグナの様子を再現した。
「てか、一人で運んだのか?」
「そうだよ。だって、こんな深い森の中で人に出会うことなんてないもの。なんとか一人で運んだよ」
「そうか……。悪かったな。あと、助かったぜ」
面と向ってラグナはそう言ったあと、前を向いて先に進む。
遅れてオトノも進んでいくが、その足取りは微妙におかしかった。
「(……ラグナって……あんな笑顔をするんだ……)」
オトノの顔は赤かった。
そのことをラグナに悟られないためにも、後ろを歩いていた。
「そういえば、オトノ」
「へっ!?な、なに!?」
声が不自然に裏返る。
その声を聞いたラグナが怪訝な顔をして振り向いた。
「どうした?」
「い、大丈夫だよ」
そっぽを向いてオトノはやり過ごす。
「それより、話はっ?」
「ああ。このシンクロパスについて聞きてぇんだがよ、このシンクロパスって誰が作ったんだ?」
「誰が作ったか、か……。実はあたしもわからないのよね」
腕を組んでその質問に答えるオトノ。
ちなみに、腕を組んでいると、ちょうど腕で胸が押し上げられるようになる。
「……ラグナ?」
「なんだ?」
「どこ見てんの?」
ラグナの視線が気になったか、オトノは冷ややかな声で聞いてみる。
「決まってんだろ!」
おくびもせずにラグナは言う。
「お前の胸だ!」
パチッ!! と平手打ちの音が森に響いて消えた。
「ラグナの、えっち!」
そういうと、オトノは先に行ってしまった。
「あ、オイ!」
慌ててラグナは追っていく。
「(ラグナって、相当えっちなのかな……。あたしの胸ばっかり見ている気がする……)」
オトノにしてみれば、自分の胸はコンプレックスでしかなかった。
それをラグナにまじまじと見られて、恥ずかしい以外のなにものでもなかった。
「(なんで、こんなに胸が大きくなっちゃったんだろう……)」
自分の胸元を押し上げてから、小さくため息をついた。
このとき、自分のことしか見えてなかったオトノ。
迫り来る気配に、触られるまで気付くことはなかった。
「え!?」
そして、触られた時には遅かった。
ぐるり腕を巻き取られ、足をがっちりとホールドされる。
柔らかくてぷよぷよした細長いものが、オトノを蹂躙していた。
「う、動けない……!!」
『ふふっ♪ヒワダタウンの人間だねー♪』
首をぐるりと後ろにまわすと、そこに居たのはクラゲポケモンであるドククラゲだった。
「まさか……マイコン……?」
『そうだよ。駄目じゃないか、こんなところでボヤボヤしてちゃ。僕みたいな人間に捕まっちゃうよ……と忠告してももう遅いけどね♪』
子供のような楽しそうな声でドククラゲは手……もとい触手をオトノの手や足にグルグルと絡みついていく。
『それにしても、大きそうな胸だねー♪ 触らせてもらうよー♪』
「い、イヤー!!や、止めてよ!止めなさいってー!!」
モンスターボールに手を伸ばすことはできなかった。
完全に動きを封じ込まれて、相手の為すがままだった。
触手はオトノの首をも巻きついて締め付ける。
「く……」
唇を噛み締めることしかできない。
『じゃあ、お楽しみの時間だよー♪ そこの茂みに連れて行ってと』
もし、オトノが一人だったとしたなら、恐らくこのまま犯されていただろう。
そう、一人だったとしたなら……
ヴァリヴァリヴァリ!!!!
『っ!!!! ぐわぁぁぁっ!!!!』
迸る強烈な回転と電撃攻撃がドククラゲを襲った。
緩む戒めの触手。
そのまま落下するオトノ。
トスッ
だが、地面には落ちなかった。
「オイ、しっかりしろ」
「う……うぅ……?」
あまりの触手の首絞めに気を失いかけていたオトノ。
「(……え?)」
そして、気がついたときには、ラグナに抱きかかえられていた。
「……っ!!(赤面)」
「オイー平気か?」
「へ、平気よ。大丈夫よ!」
「あ、暴れるなっ!!」
ゴタゴタとオトノが暴れると、ラグナはバランスを崩して倒れてしまった。
「……!!」
「(……柔らけぇ……)」
そして、オトノがラグナを押し倒しているような感じに重なってしまった。
さらに言うなら、ラグナの顔を胸で押しつぶしているようである。
「ら、ら、ラグナのえっち!!」
ビシバシ!
「今のは俺のせいじゃねぇだろ!ぐほっ!」
オトノの往復ビンタ。
『くつぅ……何時までラブコメをやっているんだよ?』
「いてて……やっぱアレだけじゃ勝てねぇか」
顔を抑えてラグナはドククラゲを見る。
彼の傍らには先ほど回転しながらかみなりのキバを繰り出したレントラーが居る。
『痛かったよ……正直、痛かったよー!!』
「うるせぇ!てめぇはもっと人の痛みを知れっ!!」
ラグナはシンクロパスを取り出した。
レントラーとシンクロして、一気に勝負を決める。
『なっ!!それはシンクロパス!?』
『『回転雷牙<かいてんらいが>』!!』
先ほどと同じ技。
だが、威力は桁違いだった。
まして、電気属性で打撃技の攻撃。
ドククラゲがそのままで耐えられる要素はどこにもなかった。
『うわっ!!』
ドククラゲは木にぶつかって、トレーナーとポケモンが分離して気絶した。
その様子を見てから、ラグナは元に戻った。
「で、今度こそ大丈夫かよ?」
ラグナは手を差し出した。
その手を取らずにそっぽ向いたオトノだったが、強引に右手を取られて、引っ張られて立たされた。
「ったく、行くぜ」
「……え?ちょっと待ってよ!!」
ウバメの森。
このまま2人は何も喋らずにこの森を抜けることになる。
ラグナって……えっちだけど、とってもカッコイイ……
見た目は不良っぽいけど、何だかんだで助けてくれるし……
頼りになるわ……
…………!?
……あれ?
この痛みはなんだろう……?
それに、この気持ちってなんだろう……?
不意にオトノは不思議な気持ちに揺らされる。
何はともあれ、コガネシティはもうすぐである。
「え?なに?ヒワダタウンへ行った女が行方不明?」
とある部屋の一室。
黒いスパッツを穿き、白の半袖のTシャツに水色のカーディガンを羽織った女が足を組んで、パソコンを打ちながら、部下に向って聞き返す。
「はい。突然連絡が絶たれました。もしかしたら、例のオトノにやられたのかもしれません」
カタカタカタと女はパソコンを打っていたが、止めて立ちあがった。
「オトノの情報は充分に知っていたから、あの諜報員を送ったのに……全然使えなかったみたいだね。せっかく、必勝法を教えてあげたのにね」
「どうしましょう?」
「そのオトノって女……“本物の甘い光<スウィートライト>のミント”が天国へ送ってあげようかしらね」
すると、不敵に女……ミントは微笑んだのだった。
たった一つの行路 №181
第三幕 The End of Light and Darkness
ウバメの森を抜けて…… 終わり
鋭い鉄の魂……2つの大都市を繋ぐ箱舟に推参