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たった一つの行路 №098

/たった一つの行路 №098

―――「お父さんは?」―――

 あの時の俺はまだ幼かった。
 死というものを受け入れることが出来なかったほどに。
 母さんは涙を流して答えた。

―――「お父さんは私たちを置いて遠いところに行ってしまったのよ……」―――
―――「遠いところ……?それってどこ?いつ帰ってくるの?」―――

 俺は聞くけども、ただ母さんは大粒の涙をこぼすだけだった。
 その涙はお父さんがもう帰って来ないということを表わしていた。
 その時俺はとても寂しかった。
 もう一生会えないという悲しみよりも、今会えないと言う寂しさが強かった。

―――「もう会えないの?」―――

 母さんはその問いに答えないで、家の中に入っていった。
 寂しくなって泣こうとしたけども、俺はこらえた。
 男が泣くなんてみっともないことなんて出来ないって幼いながらにそう思っていた。
 実際にそのときの俺は転んでケガをしても、泣かない子だって母さんから言われていた。
 しかし、たった一人の女の子の言葉がその幼いプライドを取り払ってくれた。

―――「泣いていいのよ?我慢することはないわよ。誰にだって泣きたいときはあるわよ。私のママやパパだって、私だって、そして、あなたもね」―――

 彼女の胸の中で泣いた。
 そのことは今でも覚えている。
 彼女の温もりと父さんを亡くしたことは一生忘れることが出来ないだろう……。



 たった一つの行路 №098



「今の声は……?」

 反対の方向を探していたファイアの耳にもナナキの悲鳴は届いていた。

「こっちか……」

 ガサガサ……

 しかし、そんなファイアの前に野生のポケモンたちが襲い掛かる。
 クサイハナ、ウツドン、モンジャラといった草系ポケモンたちのだった。
 モンジャラやウツドンのツルの鞭、クサイハナの花びらの舞いが襲い掛かる。
 ファイアは右へ左へと俊敏にかわして、至近距離からシャワーズを繰り出して、一気になぎ倒した。

 ガサガサ……

「(後ろにも!?)」

 木のざわめきを聞いて振り向くとピジョンの群れが電光石火で襲い掛かってきた。
 しかし、振り向いた時にはもうすでに迎撃の準備は出来ていた。

「『水鉄砲』!!」

 彼のシャワーズも同じ方向を見て、ピジョンを押し返してしまった。

「よし……居なくなったか?」

 ガサガサ……

「(また!?)」

 ファイアとシャワーズは警戒して、大きな茂みを注視した。
 しかし、その中から出てきたのは1人の女の子だった。

「プハッ!!いやー、もう散々やわ。ポッポに追いかけられるし、ウツドンに葉っぱカッターで攻撃されるし……。ウチ、なんか悪いことしたかぁ?」

 白衣を着て、コガネ弁を話し、三つ編みをした真面目な子に見えるけど、どこかお茶目っぽい女の子だった。
 また、彼女の両手には大きな紙袋が抱えられていて、中からパンやら野菜やらが顔を覗かせていた。

「マサミ!?」
「あ!ファイアはんやない!一体こんなところでどないしたん?」

 頭についた葉っぱを頭を振って落としながらマサミは尋ねる。

「マサミこそ何をやってんだよ!今日は小屋に居るんじゃなかったのか!?」
「ちょいと、食料が足りなくなってしもうたから、買出しに行ってたんや」
「……ナナキは一緒じゃないのか?」
「ナナキなら小屋で留守番してるはずやで?居なかったん?」
「誰も居なかったぜ」
「そらおかしいわ。ナナキは一体何をやってるんやろ?……まぁとりあえず、小屋に行くでー!」
「そうだな」

 すると、マサミはファイアに自分の持っていた荷物を押し付けた。

「ちょっ!?マサミ!?」
「少し位運んでくれてもいいやろ?」
「…………」

 渋々とファイアは荷物を持つしかなかった。

「ハナダシティのジムリーダーはんがウチにくるくらいやから何かあったんやろ?」
「ちょっとな」

 そして、ファイアとマサミは事の経緯を話しながら小屋へと向かって行った。



「いやーほんとに助かりました!ここ、あまり人が来ないからどうしようと思っていたんです」

 ナナキはどこからか取り出したのか、ハンカチで汗を拭っていた。
 マサミがコガネ弁で話すのに対して、ナナキは標準語で話していた。

「それにしても何でポケモンと合体しちゃったわけ?」
「それが……ポケモン転送システムを整備していたら、間違ってスイッチが入ってしまってそれから出られなくなって……」
「あなた……ドジね」
「うっ……」

 ユウナの一言にグサリとクリティカルヒット。
 ナナキは怯んだ。

「とりあえず、小屋に向かえばいいのね?」
「はい。何せ、1人じゃ元に戻れないので……」

 どうやら、コラッタがナナキだということをユウナにわかってもらったらしい。
 ちなみに、ナナキの話を要約すると以下のようになる。
 食料が足りなくなってしまい、ナナキに留守番を頼んでマサミがハナダシティへ買い物へ行った。
 それまで、順調にナナキは仕事をこなしてコーヒーを飲んで休憩をしようとしていた。
 しかし、転送システムのことでちょっと気になることがあり、休憩を中断して整備しようとした。
 だが、誤ってスイッチが入ってしまい、どういうわけかコラッタと合体してしまったという。

「ええと、このあたりよね?」
「あ!ユウナ!」

 小屋のすぐ近くまで来たとき、ファイアとマサミに鉢合わせした。
 相変わらず、ファイアは荷物持ちをさせられている。

「ファイア!?……もしかしてそっちの方がマサミ?」
「ああ!さっき会ったんだ」
「って、ナナキ!?あんた何やってんねん!!」
「マサミ……!」

 姉に見つかってバツが悪い顔をするナナキ。

「ナナキ……何でコラッタになってるんだ?」
「整備中に誤作動を起こしてこうなったんだって」
「仕方がない子やなぁ」

 苦笑いをしながらマサミはウサギを掴む要領でナナキを摘み上げる。

「さぁ、行くで!ナナキを元に戻さな!」

 ズドーンッ!!

 爆発が起こったのは、そんなときだった。

「なんだ!?」
「小屋のほうみたいね」
「小屋で爆発!?」
「まさか!!」

 慌てて3人と1匹は森を出ようとした。

「ちょっ!待ってくれよ!!」

 ファイアは荷物を持っていたために走れなかった。
 先にユウナとマサミが爆心地に行くと、そこには倒れたグラエナ、ヤルキモノ、ギャロップの姿があった。
 そのトレーナーのマサトは息を切らして、ジュプトルを繰り出していた。

「マサト!!」
「ユウナさん!」
「よそ見してていいのか?『エレクトリックリボルバー』!!」

 ズドン! ズドン! ズトン!

 ガンの銃から発射される攻撃がジュプトルとマサトを襲う。
 凄まじい攻撃の嵐にマサトとジュプトルは防戦一方だった。

 ドガンッ!!

「うわぁ―――!!」

 やがてその攻撃は直撃してしまった。

「マサト!」

 ユウナが駆け寄る。

「ようやく仲間が登場か?だが、手助けなんてさせねえぞ!」

 すると、ガンが標的をユウナに代えて攻撃を繰り出してきた。
 リボルバーからの3連射だ。

「っ!!コイりん!『デルタウォール』!!」

 即座に繰り出したレアコイルの三つの三角形の防御壁で攻撃を防ごうとする。

「そんなもので防げると思っているのか!?」
「!?」

 壁は一撃で粉砕された。だが、攻撃は何とか防ぎきった。

「ちっ!」
「(まさか!?ラグナのオーダイルのハイドロカノンをも防ぐこの壁をあっさり破壊するなんて!?)」

 攻撃の威力にユウナは驚いていた。
 しかし、ガンの表情を見る限り、コイりんの防御壁を貫通できなかったことが癪に障ったらしい。
 そして、何とかマサトの元に辿り着いた。

「マサト!?大丈夫?」
「う、うん……。僕はケガをしてないけど……ポケモンたちが……」

 マサトのポケモンはすでに4匹が戦闘不能になっていた。

「さすがにパチリス一匹じゃあいつを倒せないか……」

 そう言って、ガンは新たなポケモンを繰り出そうとする。

「あんた!一体何もんや!!」

 マサミが威勢よく右手で指を差して聞く。
 ちなみに左手はコラッタ(ナナキ)を摘んでいます。

「コガネ弁……お前が天才双子の1人のマサミか……」
「そうや!だったらなんや!」
「実は、ポケモン転送システムの使用及び、ちょっとした情報をもらいにここに来た次第だ」
「ポケモン転送システムの使用やて!?上のほうで大騒ぎになるんや!そんなこと絶対許さへん!!」
「そう言うと思って、もう使わせてもらってるぜ」
「な、なんやて!?」
「俺の仲間がもうすでに小屋を調べているぜ」

 ガンは親指を立ててクイックイッと小屋を指してした。

「はーやっと追いついた……」

 そこでやっと追いついたのはファイアだ。

「……ガン!?何であんたがここにいるんだ!?」

 マサトと戦っていた相手を見てファイアは叫んだ。どうやらファイアは相手のことを知っているようだった。

「お前はファイア!?」

 それはガンも同じらしい。

「ファイア!?あいつの知り合いか!?」
「ああ……知り合いといえば知り合いだが……。ガン!何の用だよ!!」
「何の用とは随分な言いようじゃないか!もちろん、岬の小屋にある情報に用があるからここに来たんだよ!」
「一体何のために!?」
「そんなのこれからの未来のためだ!より良いまちづくりのために決まっているだろ!」
「まちづくり!?だからって、こんなことしていいと思っているのか!?」
「当たり前だ。これはボスの命令なんだからな!」
「っ!?なんだって!?」
「だから、誰が邪魔をしようと、容赦はしない!!例え、ファイア……お前だろうとな!!」

 ガンは容赦なくファイアに銃を向けた。

「お前の相手はこの僕だ!!ラルトス!!『サイコキネシス』!!」
「!!」

 強力な風が巻き起こり、ガンを襲った。

「ちっ!なかなか強力な攻撃じゃねえか……」

 風で吹き飛ばされて、近くの木に撃ちつけられても、大男のガンは立ち上がった。

「だが、次はそうは行かない!」

 そういうと、かなめ石によって封じ込められたといわれるミカルゲを繰り出した。

「(まずい……ラルトスじゃ不利だ!!)」
「片付けてやる!『シャドーボール』!!」

 バシャッ!バリバリッ!

「なっ!?」
「コンピュータの情報を覗くことはプライバシーの侵害よ?あなたのしようとしている事はれっきとした犯罪よ?」
「ガン……3対1だ!この状況で勝てると思っているのか?」

 マサトに攻撃を加える直前に、ファイアがシャワーズの水鉄砲でミカルゲを濡らし、ユウナが10万ボルトでミカルゲを討ったのだ。

「ファイアさん……ユウナさん……」
「ちっ!それならコイツで……」
「そこまでだ。ガン」
「そうよ!ガン!任務は果たしたわ!」
「ラム!?アル!?」

 新たにポケモンを繰り出そうとしたところで、小屋から二人が出てきた。

「な……まさか……!?」

 ファイアはその二人を見て愕然とした。

「ファイア?どないしたん!?あの二人も知ってるん!?」
「女の子の方は知らないけど、左の男の方は知っている……。あいつはアルだ」
「アル?」

 ファイアはじっとアルを睨んだ。

「何で……何でお前ら、こんなことをするんだ!?」

 アルとラムに向かって叫ぶファイア。
 その二人は2枚のディスクをそれぞれ持っていた。

「ガンが言わなかったか?全ては世界平和のためだ。その為にはどんな犠牲もいとわない」

 聡明で美しい顔つきのアルは無表情でファイアに言った。

「ここにもう用はない。引き上げるぞ」

 アルが飛行ポケモンのピジョットを繰り出した。
 そのピジョットは並のピジョットよりも一回り大きく、アル、ラム、ガンが三人乗ってもビクともしないサイズだった。
 そして、飛び上がった。

「逃がさないぞ!!ラルトス!!『10万ボルト』!!」
「コイりん!『ロックオン』!『電磁砲』!!」
「シャワ!『冷凍ビーム』!!」

 それぞれの攻撃がピジョットに向かって行った。
 だが、コイりんとラルトスの電気攻撃はさらに上に伸びて引き寄せられて命中しなかった。

「ファイア!コイツは今度会うときのための餞別だ!」

 ガンが下を向いて、先ほどの銃を構えて放つ。
 強力な攻撃が冷凍ビームを押しのけてシャワーズに命中。
 耐久力があるはずのシャワーズを一撃で倒してしまった。

「くっ……」
「そんな……」
「(電撃を封じたのは『避雷針』ね)」

 ユウナは飛行ポケモンを繰り出そうとした。

「ファイア!何でカイリューを出して追いかけないんや!?」

 マサミがファイアにそういう。

「(ファイアさん……カイリューなんて持っているんだ……)」 
「無理だ。……アルのピジョットのスピードには追いつけない。それに追いつけたとしても、アルに勝てるかどうかわからない……」
「そ……そんなに強いの?あのアルって人……」

 ナナキが少し震えた声で言う。

「いや、アルだけじゃない。ガンって奴も1対1で戦ったら勝てるかどうか五分五分なんだ。それにもう1人あのラムって言う女も同等の実力だと考えてもいい……。つまり、追っていったところで勝てるという保障はないんだ」

 3人が逃げていった方向を眺めながらそういうファイア。

「ごめん……マサミ、ナナキ……。データを守れなくて……」

 頭を下げてファイアは謝った。
 真剣に謝る姿を見てマサミとナナキは戸惑った。

「そのデータのことなんだけど、一体何のデータを盗んでいったのかしら?」
「あ、そういえば!」
「それを調べるのが先決じゃないかしら?」
「そうやな……。ナナキも元に戻さなきゃあかんし。元はといえば、あんたがへましなければこんなことにはならなかったんやで!」
「うぅ……」
「違うよ!ナナキさんのせいじゃないよ!」
「マサト?」

 ナナキを庇うのはマサトだった。

「僕があいつらよりも強かったら……勝てたらこんなことになんてならなかったんだ……」

 拳をギュッと握り締めて俯くマサト。
 ラルトスはそんなマサトを励ましていた。

「とりあえず、データを調べましょう。話はそれからよ!」

 ユウナがそういうと、全員が小屋の中に入っていった。



 カチ……カチカチッ!!

 プシュー……

 キーボードを叩く音。そして、ドアを開く音が聞こえると、煙と共に中から少年の姿が現れた。

「ふわぁ……助かった……!ユウナさん、ありがとう」
「ナナキ!何でウチにはお礼言わんのや!?」
「あ!ごめん!マサミ!!」
「姉さんと呼びぃ!!」

 マサミとナナキのやり取りを見ながらユウナとファイアは苦笑いを浮かべる。
 岬の小屋が襲われてすぐにユウナとマサミはナナキを元に戻した。
 その間にマサトとファイアは小屋の中が荒らされていたために片づけをしていた。
 それから、マサミ、ナナキ、及びユウナは何のデータを引き出されたか、何のためにポケモン転送システムを利用したかのチェックをはじめた。
 初めて触るはずなのにユウナのキーボード捌きや情報を処理する能力はマサミとナナキでも度肝を抜いた。
 次々とファイルや履歴をチェックしていった。
 その間にファイアはみんなのために昼飯を作り、マサトはその手伝いをしていた。

「マサミ、ユウナさん。どうだった?」

 ファイアが昼飯に作ったものは野菜をふんだんに使ったサンドイッチだった。
 しかし、野菜以外にもツナ、タマゴなどの素材も挟み込まれていた。
 材料はマサミが先ほど買い出しに行って買ってきたものである。
 そのサンドイッチに手を伸ばす前に、ユウナは肩をすくめた。

「なかなか骨が折れそうよ。履歴とかファイルとかを調べようと思ったら、パスワードが書き換えられていたわ。まず、パスワードを見つけないことには先に進めそうもないわよ」
「それにしても、ユウナはんがこんなに機械の扱いに慣れているとは思わへんかったわ!」
「びっくりしたよ!」

 ナナキとマサミはファイアの作ったサンドイッチを頬張って、『おいしい』『上手い』とそれぞれ感想を述べながら、ユウナを絶賛した。

「ねぇ……」

 マサトがふと声をかける。

「さっきの襲ってきた連中って何者だったんだろう……?」
「それは、ファイアなら少し知っているんじゃないかしら?」

 ユウナがそういうと、周囲はファイアを見る。

「……ああ。少し知っている」

 ファイアは自分で淹れたコーヒーをコトンと置いて言った。

「……マサトと戦ったあいつ……ガンはアルミア地方で出会ったレンジャーなんだ」
「レンジャー!?レンジャーってあのポケモンレンジャーの!?」

 マサトが驚く。

「ああ。だけど、ガンはレンジャーよりもポケモントレーナーになりたかったって言ってた。だから、一度俺がポケモンを貸してバトルをしてみたんだ。奴は高い素質を持っていた。そのときの俺よりも……」
「…………」
「そして、程なく奴から連絡が来たんだ。レンジャーを辞めて、アルミア地方からカントー地方に来て、SGに入ったと」
「SG?」
「SGやて!?」

 マサトは首を傾げるが、その言葉を聞いてマサミが椅子を後ろに倒して立ち上がった。

「そんな……まさか……SGなの……?」

 ナナキも呆然としていた。

「SGって何かしら?」
「SGはポケモン協会にも信頼されている組織の名前さ。その組織は悪徳な組織を潰したり、争いごとを調停したり、人を探したり、宅配したりするんだ」
「大きいことから小さいことまで何でもするのね」

 宅配なら他の運び屋とかを使えばいいのにとユウナは思ったらしい。

「さっきの騒動の時、ガンは『より良いまちづくりのため』とか言っていた……。もしかしたら、近いうちに大きな何かが起こるのかもしれない。実際にこうやってデータを盗みに来る事までしてきたんだからな……」

 マサミとナナキはその言葉を聞いて息を呑む。
 一方のユウナは立ち上がった。

「ユウナさん?」
「そのSGが何をする気かはまだわからないけど、とりあえず今あるデータを調べないことには始まらないわ」

 そう言って、再び情報との格闘を始めた。
 程なくして、ナナキとマサミもウィンドウに向かって悪戦苦闘をし始める。
 ファイアとマサトは部屋の片づけをするだけだった。



 その日の深夜……。
 もう誰も起きていないはずのこの時間帯にファイアは鈍い光で目を覚ました。
 パソコンのウィンドウの光が目に入ったようだ。
 その光が何かに見え隠れし、ファイアは気になって上体を起こそうとした。
 しかし、手をついた場所がソファの部分でもっとも柔らかく、深いところだったために、ソファからずり落ちて音を立ててしまった。

「……起きたの?」

 その音に反応してファイアに呼びかける声。
 その姿をよく見ると、そこに立っていたのはコーヒーカップを右手に持っていたユウナだった。
 ウィンドウの光が見え隠れしたのはユウナがうろついていたためのようだ。

「うん……ちょっと……」
「……? どうしたの?泣いているの?」
「え……?」

 ファイアは自分の眼元を拭った。
 すると、水滴が指についた。

「きっと……夢のせいだと思う……」
「夢?」
「ああ。俺が子供だったとき……父さんが亡くなって葬式をしたときの夢。母さんが泣いて俺は必死に涙をこらえていた。でも、女の子の言葉で我慢していた物が一気に決壊したんだ」
「お父さんか……」

 カップにお湯を注いで中身をかき混ぜる。
 そして、ためらわずに熱いはずのコーヒーを飲みながら、ファイアの隣に腰掛けるユウナ。

「いいわね。お父さんの夢なんて」
「いい?父さんの夢がいい?……そんなことなんてあるものか……」

 寂しそうな口ぶりでファイアはいう。

「自分の中では圧倒的に強い父さんのイメージしか思い浮かばないんだ。俺はそのイメージを超えることなんて出来ない……。昼にユウナは言ったよな?『あなたが自分のお父さんを気にしているうちは超えられないと私は思う』って。気にするしないの問題じゃないんだ。父さんを思い出そうとすると、それしか思い出せないんだ。だから余計に苦しいんだよ……」
「…………」

 父さんを超えたい思いと、超えられない苦しみ。
 その2面性でファイアは苦しんでいることをユウナは感じていた。

「この気持ち……ユウナにはわからないよ」

 冷静に、しかし感情がこもった声で言った。
 それから、数分の沈黙が空間を支配した。

「……そうね。きっとわからないわ。いいえ…………」

 ふとユウナが口を開き、なおも続ける。

「絶対私にはわかることなんてできないわね」

 コーヒーカップを近くの机の上に置いた。

「人の悲しい気持ち、寂しい気持ちは同じ境遇の人じゃなければわからないもの……。そうでしょ?」

 尋ねられてファイアが「そうだな」と答える。

「だけど、私はその気持ちがうらやましい……」
「……どうして?」

 素直にファイアは疑問をぶつける。
 そして、ユウナは珍しく語った。
 小さい頃……本当に小さい頃に裕福な研究一家で育ったこと。
 でも、お父さんもお母さんも毎日研究で忙しかったこと。
 それでも、とっても優しいお兄さんがいつも面倒を見てくれたこと。
 そして、その後の惨劇……。
 ロケット団に騙されたこと……。
 …………。
 現在に至るまでの経緯をファイアが口を挟みながら語り、ユウナが気付いた時にはかなりの時間が経過していた。

「私は、お父さんもお母さんの顔も覚えていないのよ。そして、兄さんの顔までも…………」
「ユウナ……?」

 俯いているから泣いているのだと思ってユウナの顔を覗き込んだ。
 でも、その顔は無表情だった。

「最近、笑うことも泣くことも減ってきたわ……。だから余計そういう気持ちが私はうらやましいのかもしれない……」
「(そうか……)」

 ファイアはユウナという女を理解したらしい。
 自分をうらやましかっていたのは、まだ自分が母親という甘えられる存在が居るからだと。
 彼女はずっと、騙し、騙され、めげずに一人で生きてきた。
 今は違うらしいけど、それでも一人で生きていると感じているのだろうと。
 ユウナは甘える場所が欲しいのだ。と思ったりもしていた。

「うわぁ……」

 ユウナはコーヒーカップの残りのコーヒーを飲んで顔をしかめた。

「ユウナ?」
「コーヒーがぬるくなってる。淹れなおして来るわ」

 立ち上がって、台所へ足を運ぶ。

「ところで、あなたがさっき言っていた夢に出てきた女の子ってリーフのこと?」
「……違います……。別の人です」

 迷わず答えるファイア。

「ふうん……じゃあ、初恋の人って所かしら」
「え゛?」

 ファイアが奇妙な反応をしたのを見て、ユウナは確信した。
 クスクスッとユウナは笑う。
 淹れたコーヒーを持ってパソコンの前の椅子に腰掛けた。
 そして、キーボードを叩き始めた。

「もしかして、ずっとパスワードを解読していたんですか!?」
「そうよ。一日でも早く情報を引き出して、仲間と合流して、エースを探し出さないといけないからね」
「どうして……?そこまでエースさんのことを探そうとしているんですか?あ、まさかユウナはエースのことを!?」

 さっきの仕返しといわんばかりに、ファイアがニヤリとして言った。

「残念だけど、そんなんじゃないわよ」

 真面目な顔をしてファイアの予想を突っぱねた。

「早く仲間を探し出さないと、元の世界に帰れなくなるから。それに、会わせてあげたいのよ。彼女をエースに」
「彼女?」
「そう、エースを探し出したい張本人にね」
「なるほど…………」

 そういって、ファイアが一つ付け加える。

「ユウナって、婚期を逃しそうなタイプですね」
「私は他人を信用しないから否定はしないわよ」

 と、ドライに言ったように見えたが、立ち上がって、ファイアの頬を抓って、ソファに転がすように放した。

「でも、失礼よ」

 ファイアはユウナの思惑通り、ソファに転がった。
 しかし、そんなことをファイアにしていなからも、ユウナは全く怒ってなかったようだった。



 第二幕 Dimensions Over Chaos
 ハナダ岬の邂逅(後編) 終わり


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Last-modified: 2015-04-20 (月) 20:18:35
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