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かなった日

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かなった日 (作者: ハコ)
 
 
 

「く……そっ、くそぉっ!」
 薄闇の中で僕は毒づいた。出口までもう少しだというのに、その夕闇の光が果てしなく遠い。
 木の実を採って、帰る途中だった。美味しそうな木の実をじっくり選別している間に日が傾いていきて、日暮れの前にねぐらに帰ろうと、近道になりそうな洞窟に入ってしまったのが失敗だった。
「ぐぅ……、このっ……!」
 暗がりの洞窟を駆けていたら、丁度目の前を横切っていたズバットと衝突してしまった。相手はそれが随分気に入らなかったらしく、因縁を付けられて、そしてこの有様だ。視界の悪い中で僕は反撃もままならず、随分長い間、一方的に相手の攻撃を受け続けている。
 相手が滑空してきた瞬間に体当たりを狙うものの、ズバットはそれを見透かしたようにひらりと身をかわし、そのつばさで切り裂くような一撃を与えてくるのだ。
「はあ……っ、はあ……!」
 拾った木の実など、とうの昔にどこかに落としてしまっていた。一体どこに落としたのか、そんなことを考える余裕さえ今の僕には無い。本当は僕くらいの体の大きさなら、みんな自力で獲物を捕って腹を満たすことが出来るのだけれど、出来損ないで未熟な僕にはそれが未だに出来なかった。……今にも太陽は山の後ろへと隠れようとしているのに。そうすればこの洞窟は真の暗闇に包まれて、そして僕はこのズバットのエサになってしまうのだろう。
 そんなのは真っ平ご免だ。だけど――
「うわぁっ!?」
 ズバットのつばさが僕の横腹に直撃した。視界が反転すると同時に一瞬呼吸が苦しくなり、全身に痛みが走る。立たなくちゃ。そう自分の脚を叱咤するのだけれど、もう体力の限界で、全く体に力が入らない。自分の荒い呼吸の音と、僕を嘲笑うかのようなズバットの鳴き声と。聞こえるのはそれだけで、見えるのは暗い暗い洞窟の天井だけだった。
 ああ、もう駄目なのかな。自分の心のどこかで溜息を吐いた。いつまで経っても半人前で、自力で獲物を捕ることも出来なくて、みんなに馬鹿にされっ放しで――。そうして、こんな誰も知らないような小さな洞窟でひっそりと死ぬんだ。
「く……そう……」
少しだけ悔しいなと思ったら、目に涙が溢れてきた。天井近いどこかでズバットが向きを変え、その鋭い牙を僕に向けて滑空し始めるのが分かる。次に衝撃を受けた瞬間、今度こそ僕の視界は本当に真っ暗になるんだろう。
 ほんの少しだけ。どうせ死ぬと分かっているのなら、最後の最後に少しだけ抵抗してやろうと、本当にそんな気持ちで体に力を込めた。

「ギッ……!?」
 何かが何かに衝突する音と、ズバットの苦しげな鳴き声が聞こえた。てっきり僕の体にズバットの牙が食い込んだと思ったのに、不思議なことに痛みは全く無い。
 パタパタと相手が羽ばたく音が聞こえる。キーキー高い鳴き声が耳障りだ……と、そんなことを考える余裕がある自分に気がついた。そういえば、尻餅をついて仰向けに倒れていたはずなのに、今はきちんと四本の脚で地面を踏んでいる。上がっていた呼吸も落ち着いて、体の痛みも殆ど引いてしまっていた。
「…………?」
 一体何が起こっているのだろうと、そんなことを考えている暇は無いようだ。日は沈みきろうとしている。洞窟の暗闇は更に濃く、出口の光もとても弱々しい。暗がりの中に目を凝らしてみるものの、先ほど目頭に溜まった涙のせいもあって、相手の姿は全く捉えられない。
「うわっ……と、とと……」
 刹那、風を切る音が聞こえて、僕は咄嗟に横に飛び退いてズバットの一撃を避けた。避けることが出来た。そのまま相手がどこに向かったか、風の音と空気の流れで感じることも出来る。
そうだ、と僕は思いついた。どうせ視界が役に立たないのなら、それ以外の感覚で相手の動きを捉えれば良いんだ――。僕は一度だけ頭を振ると、体勢低く構えて、しっかりと目を閉じた。
「…………」
 意識を集中する。血液はとうに沸騰しているはずなのに全く泡立っていない、そんな感じだ。洞窟の中は静かなもので、だからこそ相手の滑空する音はよく聞こえる。僕の頭上で旋回をして、狙いを定めて、そして勢い良く急降下してくる。
 僕はその瞬間に合わせて後ろへ飛んで、その地面からの反作用を利用して、
「――食らえっ!」
 力強く、ズバットへ向けて体当たりを繰り出した。
「ギィィッ……ギッ!?」
 瞬間、小気味良い衝撃を全身が駆け抜けて、一拍遅れてまた何かが衝突する音が聞こえた。当たった、という喜びも束の間、僕は着地のバランスを取るのをすっかり忘れて、綺麗に横倒しになってしまった。誰も見ていなくて良かった、とそんなことを思いつつ、その場にゆっくり立ち上がる。高揚した気持ちを抑えて、警戒を解かぬまま体当たりをした方へ向かってみると、ズバットが地面に横たわって小さく痙攣していた。きっと体当たりで吹っ飛ばされて、壁に激突したのだろう。
「よ、よかった……」
 勝ったというより、助かったという思いの方が強かった。何度かその場で深呼吸をして、酷く興奮してしまっている頭を落ち着ける。獲物にしよう、という気は不思議と起こらなかった。別に好き嫌いがあるわけではないけれど――
――――。
 普段の僕なら気づかなかっただろう。しかし、暗闇の中で緊張しきっていた僕の感覚は、その微かな気配を逃さなかった。慌ててその方向に振り返ると、洞窟の出口に誰かの影が薄っすらと見えて、そしてすぐに消えた。
「だれだっ!」
 その影を追うようにして僕は駆ける。別に、体当たりの着地に失敗したのを見られたのが恥ずかしいとかそういうわけじゃないけれど。……あんなに遠く感じていた出口までの距離は、走ってしまえばあっという間で、僕は内心驚いた。洞窟の外に広がる空は殆ど暗く、もう日は沈み切ってしまったらしい。出口の先に続く一本道にはしかし、もう何の影も見当たらない。
 あれは一体誰だったんだろう。そう考えながら辺りを見渡してみた。
「あっ……?」
 洞窟の出口のすぐ脇に、僕が採った木の実と―― 一匹の小さなエネコが倒れていた。慌てて駆け寄って声を掛けるが、眠っているのかすっかり気絶しているのか、何れにせよ全く目覚める様子は無い。
 僕は先ほど出口に見た影と、目の前のエネコを重ねてみる。この子だったのだろうか。違う、とは言い切れないけれど……あの影は、もう少し大きかった気がする。
「うー……ん」
 ともかくここに放っては置けないだろう。こんなところで夜を過ごしたら、まず間違いなく凶暴な野生ポケモン達のエサになってしまう。毎晩毎晩半分骨になった姿で夢に出てもらっては困るので、僕はそのエネコを自分の寝床に連れて帰ることにした。
「勝手に逃げてもらえば良いだけだし……ね。うん」
 エネコの体を背負いながら、そう自分に言い聞かせる。今初めて意識したことだけど、この子、女の子だ。背中から伝わるその感覚から、先ほどの暗闇の中とは種類の違う高揚感を感じてしまい、僕はそれをごまかすように自分が採った木の実を口に咥える。力を込めすぎて、甘い果汁が口の中に広がってしまった。
 そういえば……と、僕は頭の中に沸いた変な感覚を打ち払うように考える。あの時、ズバットの一撃を避けられたのは一体どうしてだったんだろう。その前も、僕の体力から考えれば、随分長く動けていたような気がするし。
「…………」
 この子が助けてくれたのかな、という考えがよぎって、きっとそうだと自分の中で結論付けた。助けてくれた子にはきちんと恩返しをしなくちゃいけないんだから、寝床に連れて帰っても、別に全然問題無いよね――。
 
 
 
 ……笑ってしまうような考えだが、今から思えば、結局自分を納得させたかっただけなのだろう。あの時、洞窟の中で一体何が起こったのか、未だに自分の中で結論付けることは出来ないけれど。それでも、あの時エネコに出会えたことは間違いなく幸運だったのだと思う。
「ねえ、早く寝ようよ。……もう、何考えてたの?」
「ああ、ゴメンゴメン」
 僕は苦笑いを返しながら、彼女の催促に応えるように寝床へと向かう。その苦笑いはどうしても、ちょっぴり締まりの無い笑みになってしまって。そして彼女を不思議そうな表情にさせてしまうのだ。
「うん、ちょっと。昔のこと思い出してただけだよ」
 そう濁すように言ってエネコロロの体を抱き寄せてやる。昔のことには違いないのだから、嘘ではあるまい。柔らかい毛皮の中から温かい体温を感じていると、彼女が頬をすり寄せてきた。
 そう、間違いなく幸運だったのだ。僕に守るべきものを与えてくれて、身も心も強くしてくれて、そして最愛の相手となってくれた存在。それは、今自分の目の前で安らかな表情を浮かべている。いくら分からないことがあっても良い。目の前の、この存在だけは確かなのだから。

 眠る前に、その幸運との思い出を辿って――そして僕は今夜も良い夢を見るのだろう。
 
 
 了
 
 
 
 





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Last-modified: 2013-01-22 (火) 00:00:00
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