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かたわれのうた

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 かたわれのうた



 かわたれどきに(テッカニン)ぞ鳴く。
 暗い土の布団から、固く閉ざされた魂の牢獄から、解き放たれた喜びに。
 だがしかし、何だこの感情は。胸に穴が開いたような、何かが足りないこの気持ちは。



 ミーーーーンミンミンミンミンミン……



 ジジジジジジジジジジジジジジジジ……



 ツクツクボォーシツクツクボォーシ……



 カナカナカナカナカナカナカナカナ……

 名も顔も知らぬ同胞(はらから)たちが、そこら中で鳴き喚く。いずれも皆、必死の叫びである。己が同胞は皆、早い者なら七日ほど、長い者でも一月(ひとつき)ほどで一生を終える。それまでに(つがい)を探し、子孫を残さねばならぬ。
 そうだ、番だ。今の己には番がおらぬ。己もこうしてはいられまい。いつまで生きていられるか分からぬこの身、早く子を成さねばならぬ。

 それミーーーーンミンミンミンミンミン。己はここに在り。
 やれミーーーーンミンミンミンミンミン。己が心を満たしておくれ。



 ところがどっこい。己が声を聞きつけて、やってきたのは雄の同胞。
「おい、その場所を寄こせ」
「嫌だ。ここは己が見つけた場所だ。留まるなら他を当たるがよい」
 この場所に思い入れがあるわけでも、うまい樹液が出ているわけでもないが、後から来た者にほいほいと場所を明け渡すほど懐が広いわけでもない。
「お前、生意気だぞ。俺と戦え。勝った方が、この場所で鳴く。いいな」
「嫌だと言ったら」
「こうするまでだ」
 彼奴(きゃつ)は急に飛び去ったかと思うと、遠くから加速して、目にも留まらぬ速さでこちらへ向かってくる。望むところだと、己も木の幹を蹴り、同胞に向かって突進した。
 衝撃が全身に響いた。彼奴と思い切りぶつかったのだと認識するまでもなく、己が体は一方的に弾かれた。
 おかしい。体長も速度も大して変わらないはずの彼奴に、己は何故、一方的には弾き返されねばならぬ。加速の差か。ならば己も十分に加速しようではないか。彼奴から目を離さないまま距離を取り、一気に加速して体をぶつける。が、またしても弾かれた。
「どうしたどうした。この場所は渡さないんじゃなかったのか」
 キイキイと笑うような声で煽る彼奴に一矢報いたいところだったが、そのあと何度ぶつかっても、何度斬りかかっても、躱されるか弾かれるかで全く歯が立たない。己は己の無力さを悔いた。悔いたところでどうしようもなかった。見た目は変わらずとも、彼奴は己よりも遥かに強い体を持っているようだった。
 己を打ち負かした同胞は、己から奪った場所で得意げに鳴き始めた。

 ジジジジジジジジジジジジジジジジ。俺は強いぞ。
 ジジジジジジジジジジジジジジジジ。誰と戦っても負けるものか。

 その場所に思い入れがあるわけでも、うまい樹液が出ているわけでもない。今すぐに太刀打ちできそうもない。探してみれば、ここよりも良い場所も見つかるかもしれない。己は未練を捨て、飛んでその場を離れた。



 止まり木を失った己は、別の木にしがみついて声を上げていた。
 だが、いくら大声で鳴こうとも、己が元に雌蝉はやってこない。
 名も顔も知らぬ同胞たちが、そこかしこで尾を交えている。誰も彼もが、後世に子孫を残すために必死である。そんな中で、己はただひとり、相手を見つけられずにいる。
 このまま鳴いていては埒が明かぬ。飛んで回って、雌蝉を探すことにした。
 ほどなくして、雌蝉は見つかった。
 体は己よりも小さく、艶やかな(はね)を持っていた。誰とも近づくことなく、誰とも交わることなくそこにいる。そのつんとした佇まいに、己の心臓は跳ね上がった。
 こちらに気づいた雌蝉が、己を見るなりぶっきらぼうに言った。
「どっかいきな」
「そういうわけにはいかぬ。己は伴侶を見つけねばならぬ」
「ああそうかい。だがあたしはあんたにゃ惚れてない。他を当たるんだね」
「いいや、貴様は惚れておらぬかもしれぬが、己は貴様に惚れたのだ」
「馬鹿言うない。あんたはお呼びじゃないのさ」
「何故だ。何故己はお呼びでない」
「自分の(ここ)に訊いてみな」
 雌蝉は翅を広げてどこかへ飛んでいった。追いかけようと思えばできたが、追いかけても仕方がなかった。あれほど嫌われているのならば、今後どれほど付きまとおうと無駄な足掻きだと思われた。それならば他を当たる方がよい。
 かくして始まった雌蝉狩りは、全くの不発に終わった。最初の雌蝉がきつい性格をしていただけならいざ知らず、まだ誰とも交わっていない雌蝉はいるにはいるが、誰も彼もが己を見るなり否定するのである。己が理由を尋ねても、はっきりと答える者はいなかった。泉の水面に映る己の姿を眺めてみたが、他の雄蝉と何ら変わらぬ。嫌われる原因も分からぬまま、己は雌蝉を探して飛び続けた。



 (テッカニン)の喧騒に包まれた森の中で、ひっそりと体をもたげた。
 軽い体の中には、欠けた魂が入っている。中身が殻を脱ぎ捨てたときに、二つに割れた魂の欠片。歪な感覚が胸に満ちていた。
 思えば随分と軽くなった。(あるじ)と共に在った頃は、今の十倍ほどはあったはずだ。進化する前でさえ、今の五倍弱程度の重みがあった。それが、今はどうだ。満たされぬ魂の欠片が入った、ただの抜け殻。幸いにも頑丈にできてはいるようだが、この不安定な状況は、何時まで続くかも分からない。
 主はどこへ行った。早急に探さねばならぬ。探して元通り、一つにならねばならぬ。それらしき声は五月蠅(うるさ)いほどに聞こえてくる。だが、どれが主のものなのか、とんと見当もつかぬ。空洞に虚しく響いて、訳も分からぬまま消えてゆくだけだ。感じるのは、無いはずの脳が揺さぶられるような、無いはずの胃の中身を戻しそうな、そんな不快感だけだ。
 どれが主だ。
 体の中で、欠けた魂が微かに疼く。疼きの先に主はいる。誰に言われたわけでもないが、確信があった。
 ならば、行かねばならぬ。分かれた魂の片割れを、迎えに行ってやらねばならぬ。
 もたげた体を前へ傾けた。行きたいと思った方向に、体は動いてくれる。生きたいという想いを汲んで、抜け殻は動いてくれる。
 あとは、主さえ見つかれば何も言うことはない。



 真昼時に(テッカニン)ぞ鳴く。
 己が伴侶となるべき者を射止めるために。

 それミーーーーンミンミンミンミンミン。己はここに在り。
 やれミーーーーンミンミンミンミンミン。己が心を満たしておくれ。

 同胞たちが鳴き喚く中、己もまた、伴侶を探していた。幾度となく特攻し、そのたびに玉砕し、当てもなく森の中を彷徨っていた。
 やがて、森の中でも木々が一層生い茂る、暗い場所まで来た。暑さ凌ぎにやってくる雌蝉のひとりやふたりもいようと思ったのだが、あては外れたようだ。
 代わりに、大きな木の洞から赤い瞳が覗いていた。
 洞の中に青白い炎が三つ四つ浮かんでいて、赤い瞳の主の顔が浮かび上がる。妙な凄みが漂っていた。森の奥に迷い込んだ者の魂を狙って舌なめずりをする魔女(ムウマージ)である。ひとたび睨まれたが最後、怪しい魔女(ムウマージ)の影がどこへ行くにも付きまとい、やることなすことすべてがうまくいかず、空を飛ぶ鳥の糞を浴び、あるいは啄まれ、挙句の果てには頭の先から足の先まで余すことなく食い散らかされるといった不幸に見舞われる。そんな妄想豊かに眺めているものだから、やがて相手も己に気づいたらしい。
「貴方、そこの貴方です。何かお困りのようですね。よろしければ私に話してご覧なさい」
 彼女の妖気に引き寄せられるように、己は魔女(ムウマージ)のいる洞の前まで飛んでいった。
「己は伴侶となる者を探している身。しかし、どの雌蝉に声を掛けても断られるのだ。己の身に何かおかしなところがあるのではないか」
「ふむ。ちょっと見せていただきますよ」
 魔女(ムウマージ)は己が目を覗き込んだ。心の底まで見透かされそうな瞳に一抹の恐怖を覚えつつも、そこから漂う妖気には妙な説得力があった。
 しばらくして、魔女(ムウマージ)は口を開いた。
「原因は貴方の魂にございます」
「何?」
「率直に申し上げますと、貴方の魂は欠けているのでございます」
 言われて目を丸くする。もともと丸い目が、余計に丸くなる。
「それはどういうことだ」
「貴方は進化する時に殻を脱いだでしょう? その時に魂が二つに割れて、半分が抜け殻の中に居残ってしまったのでございましょう」
 魔女(ムウマージ)の醸し出す怪しさに見合うがごとく、突飛な話である。当たり前のように脱ぎ捨てた古い殻に、まさか己の魂が持っていかれようなどと。だが、何故だか腑に落ちた。言われて初めて、胸に穴が開いたような感覚の正体に気づいた。
「そうか、魂が欠けておったのか。だから軽いのか。だから彼奴に簡単に弾かれたのか。こうしてはおれぬ。伴侶を探す前に、己が片割れを探さねばならぬ」
 それまで悶々と霧がかかっていた心が、すっきりと晴れたような心持になった。やはり、この魔女(ムウマージ)はただものではなかった。
「して、そやつは今どこにいるのだ」
「具体的には申し上げにくいのです。今ここで申しましても、向こうは向こうで貴方を探して動いていることでしょう。貴方が行くまで申し上げた場所に留まるとも限りませぬ」
「では、どう探せばよいのだ」
 己が首を傾げると、魔女(ムウマージ)は不気味に「ケケケ」と笑みをこぼした。
「割れた魂は惹かれあうといいます。貴方の(ここ)に訊いてご覧なさい」
 魔女は布切れのような手で己の胸を指した。
「そして、貴方のできうる限りの声で、呼んで差し上げなさい。下手に動き回るよりも、一所に留まって鳴き続けなさい。片割れの魂はきっと貴方の元にやってくるでしょう」
 そう言って、魔女は占いを締めくくった。
「かたじけない」
 己は頭を下げて礼を言った。お代になりそうなものを持っていなかった己は、青柑(オレン)の木までひとっとびして、よく熟れたきのみをいくつか持って行った。



 魔女と別れた後、己は再び止まり木を見つけ、そこで片割れを呼ぶことにした。といっても、やることは雌蝉を呼ぶ時と大して変わらぬ。

 それミーーーーンミンミンミンミンミン。己はここに在り。
 やれミーーーーンミンミンミンミンミン。己が心を満たしておくれ。

 魔女のお告げが成就することを願いながら。
 片割れが己を迎えに来ることを祈りながら。



 ぎらぎらと日差しの眩しい午後だった。
 忌々しいほどよく晴れた空に日は高く昇り、太陽光線(ソーラービーム)を容赦なく振りまいていた。
 幸いにして、抜け殻は不思議な力で守られていた。抜け殻が苦手とする火や岩や霊体や、鳥や風や悪意以外の全てを、完全に遮断するふしぎなまもり。無論、太陽光線も例外ではない。進化する前なら干上がっていたであろう光線も、今はそよ風ほどにも感じなかった。
 そう、硬い守りの代償に、ほとんど何も感じられなくなったのだ。そして苦手な攻撃を受ければ、この抜け殻はたちまち崩れ去るであろう。
 ただの容れ物でしかない体を引きずって、木漏れ日の中をゆく。天敵の(スバメ)影坊主(カゲボウズ)どもに見つからぬよう、周囲に気を張りながら進む。
 欠けた魂の疼きが、次第に大きくなっていく。主が近づいているのが分かる。主もまた探しているだろうか。必死に声を上げ、どこにいると叫んでいるだろうか。それともか、己の魂が欠けたことにも気づかずに、のうのうと遊んでいるのであろうか。
 もはや、どちらでもよかった。疼きを頼りに、近づいていけばいい。主らのように大声で呼ぶことはできずとも、行きたい方に動くことはできる。



 待っていろ。今迎えに行く。



 たそがれどきに(テッカニン)ぞ鳴く。
 脱ぎ捨てた殻と共に抜け出した、欠けた魂の片割れは、どこへ行ったと呼びかける。誰よりも大きな声で、誰よりも目立つ声で。腹の底から声を上げる。

 それミーーーーンミンミンミンミンミン。己はここに在り。
 やれミーーーーンミンミンミンミンミン。己が心を満たしておくれ。

 だがしかし、待てど暮らせど返事はないまま、日が暮れようとしていた。
 そもそも片割れがどんな姿をしているのか、己は知らぬ。目に見えるものかどうかさえも知らぬ。同じ虫であろうが、全く別の姿をしているのならば、見過ごしてしまう恐れもある。
 それでも、魔女の言ったことが嘘だとはとても思えなかった己は、叫ぶのをやめなかった。片割れも己を探している。ならば下手に動いて入れ違うよりも、ここで呼び続けた方がよい。
 伴侶と契りを交わし終え、喜びに咽び鳴く同胞たちに負けじと呼びかける。誰に五月蠅(うるさ)いと言われても知るものか。



 背筋に冷気が走った。
 嗚呼(ああ)、と嘆息した。やっとだ。姿を変えた日に脱ぎ捨てた己が片割れが、やっと来てくれた。悪寒が接近の合図というのもおかしな話であるが、魔女(ムウマージ)(いわ)く元々同じだった魂は、惹かれあうという。
 己が体は今まさに、己が片割れの元へ行かんと欲している。
 棘の付いた足が、木の幹から剥がれる。
 羽ばたく必要はない。引かれた先に、片割れはいる。
 体はもう動かなかった。それでよかった。やっと一つになれる。やっと完全になれる。そんな満足感が、全身を駆け巡っていた。
 背と背が触れる。否、触れる感覚はない。ただただ、落ちていく。

 空洞にこだまする(テッカニン)の鳴き声が、短い夏の終わりを告げていた。





 黄昏の薄明かりが、空を鮮やかに染め上げていた。
 目であった場所から、外の景色が見えた。そこに、一寸も動かぬ己の姿があった。役目を終えた体は今や抜け殻となり、一度は脱ぎ捨てたはずの抜け殻に収まっている。全く妙な話であるが、己は確かに抜け殻の中にいる。
 思えば、よくもまあこんな広い森の中で己を見つけたものである。己の片割れは誠に優秀な奴であった。己が鳴き続けたことも、片割れが己を探し続けたこともあって、ようやく一つになれた。終わってみれば長かったようにも、ほんの短い間だったようにも思えた。
 同胞たちはまだ鳴き続けていた。夜になれば静まろうが、朝が来ればまた喚き始めるだろう。外の世界を知った喜びを、己の勇猛果敢さを、あるいは己のように、片割れを失った寂しさを込め、夏を彩るいのちのうたを。
 この姿では、もう鳴くことは叶わない。辛うじてすすり泣くような音を出すことはできるが、(テッカニン)だった頃のようには歌えない。
 だが、最早どうでもよかった。破れた魂が一つになったことで、この上ない満足感に満ち溢れていた。蝉の体と比べれば異様に軽かったが、胸の辺りには確かな重みを感じていた。
 夜になっても、季節が流れても、同胞たちのいのちのうたは、空っぽの抜け殻(ヌケニン)の中にいつまでも響いていた。


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Last-modified: 2020-07-06 (月) 22:33:39
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