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お慕い申し上げます

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「『生態系を破壊する恐れがあるため、駆除作業の実地を行います。つきましては発見次第足捕獲、もしくは殺害……死体、生体に関わらず、協力いただけた方には、一体に付き粗品にて謝礼をします』……か。なんだよこれ、酷いな」
 街の掲示板に、無骨な画鋲で張り付けられたポスターを見て、男の子は眉を顰めながらつぶやいた。
 ポケモンの世界的なトレード規制緩和により、現在世界中で深刻な問題となっている生態系の攪乱。その波はこの地方にも及んでいた。例えばこの地方の首都近郊では現在ケーシィ族が猛威を振るっており、幼い頃はテレポートで逃げ回りながら、同種を頼ったり、食べ残しを食べながら成長し。他種のポケモンに対峙出来るだけの力を手に入れたユンゲラー時代からは、この近辺に多い草タイプのポケモン(と、言ってもそこに毒タイプが混ざっているのだから、どちらかと言えば毒タイプのポケモンと言ったほうが正しいのだろう)を圧倒し、食料となしている。
 記憶力もよく、そして知力の高さを活かして同族との意思疎通を円滑にこなすこの種族は、草と毒を兼ねるポケモンのどこを食べれば毒に侵されず安全であるかをきちんと把握することが出来る。サイコパワーで体を動かす彼らはたとえ満腹でも体を動かすことに支障もなく、いかなる時でも狩りが出来、食料をため込んでしまうという性質がこの上なく厄介だった。
 悪タイプもゴーストタイプも付近にはおらず、肉食性の虫タイプが少ないこの地で適応した彼らは、瞬く間に数を増やし、いつかは生態系を崩壊させてしまう事が危惧されて、この度大々的に駆除活動を行う事となった。その舵取りはポケモンレンジャーを主導に行われる。先ほど、男が見ていたポスターには、それに加えて一般トレーナーの協力も仰ぎたいという事である。また罪のないポケモンを大量に殺すことになるため、出来る事なら引き取ってくれという無言の圧力でもあった。
「……ちょうど、欲しいと思っていたポケモンではあるけれど。こりゃ、この機会に捕まえておかないといけなそうだな。個体数が減る」
 小学校を卒業したらポケモンを持つことを許すと親に言われて、それを心待ちにして過ごしていたが、もうそれを待てるような様子ではない。一応、今の自分は一〇歳を迎え、年齢的にはポケモンを持つことを許される年である。両親との約束を破ることになってしまうが、事情が事情だ、分かってくれるだろう。

 ◇

『と、言うのがもう一〇年前……懐かしいですね』
 そんなポスターが掲載されて二日後、主人となる男と彼女は出会った。今日はそれからちょうど十年経った日で、あのころとは比べ物にならないくらいに二人は成長していた。主人はレンジャースクールを首席で卒業し、最初からレンジャーランクが三の状態で入隊した。そしてこの三年で出世してレンジャーランクを五まで上げ、リーダーレンジャーを名乗ることも許された。今では任務によっては部下の指揮を任せられる身分となっている。
 そのパートナーであるフーディンは、主人の後ろから肩に腕をかけ、テレパシー入力に対応したスマートフォンに表示された文字を見せた。
「何、リアン?」
 今日発売の漫画を読んでいた主人は、本を逆さに伏せて、彼女が差し出す文字を見た。
「ふーん……そう言えば、そうだったな。あぁ、あの時期はそう言えばちょうどお前らが子作りを始める時期だったな……春先の、温かくって食料がどんどんとれるようになるから、子供が出来ても飢えないで済む」
『なんか興味がなさそうな感じですねぇ。私にとっては、貴方と出会った日は誕生日と同じくらいの大事な日なんですよ?
 でも、誕生日は流石に覚えていませんからね。だから、私はその日、貴方に出会う事で生まれたようなものなんです……ですから、もう少し興味を示してくださいな。私一人盛り上がっていたら寂しいですよ、泣きますよ?』
 背中から、主人をぎゅっと抱きしめリアンは問う。
「興味ないというよりは、眠いんだよ。夜勤明けなんだぞ?」
 それに対する主人の返答はそっけなく、そして覇気もない。昨夜は不逞の輩が攻撃を仕掛けてこないよう、レンジャーベースの哨戒活動をしていて、今は日の出を見送ってからようやくシフトを消化しレンジャーベースの自室にてくつろいでいる最中だ。もうそろそろ寝ておきたい主人にとって、この人懐っこさは少しばかり鬱陶しい。
「まぁいいや、抱きしめてあげるから、今はそれで我慢してくれ」
『はいな!』
 主人が甘えていいと宣言すれば、リアンは小躍りして主人の体に飛びついた。そんな彼女の頭を撫で、顔を撫で、そのまま押し倒されて頬ずりまでされて。全く、この程度で喜ぶのだから単純なものだと思いながら、主人は黙って目を閉じる。
 ちょうど眠気も訪れたところだ、このまま彼女を抱いて眠るのも悪くないと、体から力を抜いた。結局話もしてくれずに寝るという主人の選択に、リアンは若干の不満を感じもしたが、疲れているのだからと無理やり納得した。だから彼女も、風邪をひかないように布団をかぶり、二人並んで眠るのであった。


 翌朝、ではなく夕方。いつの間にか起きていた主人のキスと抱擁で目覚めた。
「おはよう」
 リアンはそれに驚き目も白黒させながら、筆談用のスマートフォンを探すが、それは主人の手に握られていた。返して、と仕草で訴えるが、主人は笑って首を振るばかり。代わりに、主人は彼女の腕へ石の付いた腕輪を取り付けた。
「お前を捕まえた日、覚えていないなんて嘘だ。寝て起きて、落ち着いてからプレゼントを渡したかったの……本当はこんな日に夜勤なんてしたくなかったんだけれどな」
 そう言って、主人が微笑んだ。その表情を見送ってから、リアンは自分の腕に取り付けられた腕輪を見る。あまりお洒落という感じではない、しっかりとした無骨な作りの腕輪には、見覚えのある虹色の炎のような文様が見え隠れしている。それを見ているうちに、主人がリアンへとスマートフォンを渡した。
『これ、メガストーンですよね』
 文字を打ちこんだ画面を見せて、リアンが尋ねた。
「あぁ、レンジャーなら基地から借りられるけれどさ……レンタルだけじゃ書類欠かされたりして色々不便だからな、貯金はたいて買ったんだ。本当はキーストーンも欲しいところだけれど、それはちょっと探しても見つからなくってね。あっても、俺の給料の半年分だ、少しきつい」
『十分ですよ、レンタルすればいいんです、そんなの』
 リアンは自分の腕に取り付けられたフィーディナイトを見て微笑む。
『貴方の愛、確かに受け取りました』
 リアンはその文面を見せて、満面の笑みを浮かべるのであった。
 そんな大満足なお目覚めの後に、二人は揃ってお風呂に入る。ポケモンにも使えるシャンプーを彼女の体にまぶし、主人は泡まみれになった彼女の体から泡を貰って体をこする。昨夜の仕事中や寝ている間、そして何よりも行為の最中に掻いた汗を泡でからめとり、そして泡ごとシャワーで洗い流す。その間、欲求不満が収まっても主人の体が愛おしいのは変わらず、リアンは主人の背中を流し、脇のあたりを念入りにこすりあげ、割れた腹筋やその下にある性器、内またも足の指の間も、念入りに撫ぜるようにして垢と汗を落としていく。
 そんな彼女の愛を受け止める主人の方も心得たもので、彼女が洗いやすいようにとサイコキネシスで体を浮かされても、慌てず騒がず、ふわふわと浮かんだ状態でも平然と身を任せている。はた目には主人に良いように使われている彼女だが、嫌な顔一つせず、むしろ嬉々としてやっているあたり、彼女の忠誠心や懐き具合がうかがい知れるというものだ。

 そうして風呂上り、上半身裸の主人の膝枕に収まっているリアンは、頭を撫でられながら主人の前にスマートフォンを浮かせて文字を打つ。
『朝も言った通り、今日が貴方と出会って十年目なのですが……私、貴方といつまで一緒にいられるでしょうか?』 
「さあな。寿命で別れるとしたら、お前は俺よりも先に死ぬだろう。職業柄そうなる危険性も高いし、俺もお前も十分注意しないとな」
『寂しいな。私なら、貴方が忘れてしまったこと、すべて覚えていられるのに。でも、死んでしまったらさすがにそれも不可能になってしまう』
「なに、死ぬときに墓場まで持って行ける思い出の量は一緒さ。記憶力がいい分、短い年月でも人間と何ら変わらない、構わんだろう?」
 主人の言葉に、リアンは分かってないなと首を振る。
『たとえそうだとしても、貴方が私を失うのが嫌です。貴方の隣に、私がありたいのです』
「子供でも産めよ。お前の子供なら男でも女でも、可愛がれる自信がある。俺はそれで十分だと思うな。生きるってのは、何も生物学的に生きている必要はないだろう?」
『ご主人はそれが、最善の手段だと思うのですか?』
「さあな。どんな手段をとっても、不満なんてもんは残るものなんだ。だとしたら、今の時点で最善と思う手段を取るしかないだろう?」
『どうやっても、私が死ぬのは悔しいです……寿命の違い、歯痒いです』
「だろうな。俺だってお前が大事だ、離したくない。お前が居なくなると、一人きりだし。だからお前、子供を産めと言っているんだ」
 言いながら、主人はリアンの頬を撫でた。ヒゲの付け根を引っ張ってやれば、リアンはくすぐったそうに悶えて身をよじる。そんな彼女の仕草に癒されながら、主人は次のシフトまでの時間をゆっくりと過ごすつもりであった。
 やがて、主人が飽きて、彼女をひざまくらに乗せたまま漫画を読み始めると、彼女はもう甘えられるのも時間切れかとふてくされて、電子書籍を読み始めた。そんなまったりとした夕暮れ時を終え、二人はまた夜勤のシフトを消化するのだ。

 こんな変わり映えのしない毎日ばかりで、あとどれくらい主人と思い出を作れるだろうか。
 それを考えると、目の前に暗雲が立ち込めるように不安が渦巻いてくる。なるべく考えないようにしたいが、他のレンジャー隊員のポケモンが天寿を全うしたり、二階級特進をしたり*1。老体を理由に引退をしている姿を見ていると、やるせない。いつかは自分も、そうやって力が衰え、そして新しいポケモンにとってかわられてしまうのだと思うと、寂しさのあまりまだ見ぬポケモンに嫉妬心も湧き上がる。
 考えても仕方のない問題を考えると、吐き気に似たような感覚がこみあげて来る。こんな時、何もかも忘れさせてくれるように、主人が自分を強く抱きしめてくれればいいのに。彼女は欲求不満を訴えるように、主人に肩を寄せた。そのしぐさで甘えたいのだろうと予想した主人は、彼女の頭を優しくなでて、彼女の腕もそっと抱き寄せた。
 それだけでは欲求不満だが、今は哨戒任務中である。そうしてくれただけで彼女は満足であった。

 そうして、夜が明けて今日もシフトが終わる。ピジョットを連れたレンジャーと交代して業務を引き継ぎ、今日の仕事は終わりとしたいところだが、この日はそれだけでは終わりそうにないようだ。交代を終える時間を見計らったように、胸に着用していた無線機がピコンピコンという耳障りな電子音と共に自己主張する。
 送信元は、レンジャーベース全体の指揮を任される、佐官の上司だ。どうやら、何か別の仕事が入りそうな予感である。予感というよりは、これまでの経験から導き出される確信めいた推論であるが。
「はい、こちらサフラン一等使役曹。ご用件をどうぞ」
 リアンの主人たるサフランは、リアンに話しかける時とは違う、凛々しくよく通る声で無線に応える。
「あぁ、お前はシフトが今終わったところだろう? 少し、緊急の仕事について話がしたい。今日の夜八時。要は今日の二〇時に話が有るから、忘れずに第三ブリーフィングルームへ来て欲しい。詳しくはメールを送っておくから、目覚ましアラームはきちんとかけておけよ」
「了解です。それまで休息をとっておきます」
 いつも、仕事の始まりは二一時である。ブリーフィングがその時間という事は、つまるところ仕事が一時間早まることとほとんど変わりはない。全くめんどくさい事だと心の中で毒づきながら、サフランは部屋へと戻って行くのであった。


「トレーナーズスクールでポケモン虐待の疑い? またそんな、警察に任せ解けばいい案件じゃないですか」
 サフランが思わず声を上げる。ミーティングルームで知らされた今回の仕事の説明は、何とも風変わりなものであった。
「そうだ。確かに、普通の人間がポケモンを虐待している程度ならば、警察に出も任せればいいのだが……今回は流石に警察に任せられる規模じゃないんだ。なんでも、このトレーナーズスクール、昨年あたりから給食に出すポケモンの肉を自前で用意するようにしたそうだ。酔狂なことだが、その決定を下した理事長兼校長いわく、ポケモンがどのようにして食材にされるかを生徒にもわかりやすく示すためだとかで。
 肉は最初から切り身の状態で工場から出荷されるのではなく、生き物を切り裂いて、その体の一部分を食べているのだという事を学ばせるためにな。色んな業者からミミロップやらケンホロウやらポケモンを購入して、それを理事長兼校長であるイバラが自ら捌いて熟成させて、給食に出す……その、なんというか、さっきも言った通り目的は食育と言うのが建前だが、本当の目的がどうもそうではないようでな」
 佐官の上司、エンバクが資料に目を通しながらため息を漏らす。
「じゃあ、つまり虐待するために自前で用意したと?」
 ミーティングルームに出席する他の隊員が質問をする。
「断定は出来ないが……どうも、捌く場面を誰も見たことがないらしい。ただ、死体というか、剥ぎ取られた皮や骨がな……なんというか、拳やら刃物やらでで打ち据えられたような跡があったりするらしいのだ。骨も妙なひび割れが入っていたり、爪が剥がされた跡があったり。その死体の隠し撮り写真もあるのだが……まぁ、これについては後で希望者に資料を渡す。見てもあまり気分の良いものではないから、気分を害したくなければ見なくともいい。
 これについては、鑑識に見せても明らかに故意に付けられた傷であると断言されている。それも、動けないように拘束された状態で、執拗に攻撃されたような跡だと、言われていた」
「『なんですかそれ、同じポケモンとして許せません!』……と、こいつが言っている」
 サフランは、リアンがスマートフォンに表示した言葉を、代理で叫んであげる。
「だろうな、リアンちゃんの言う通りだ。肉はケンタロスとか、キングラーとか、ゴーゴートだとか、多種にわたるが……そのすべてに似たようなことをされていることが写真で分かる。これが本当ならば痛ましいなどというレベルの話ではない」
 エンバクはそう言って、隊員に何か質問がないかと見回した。すると、リアンが控えめに手を上げている。普通は人間しか発言しないものだが、彼女だけは特別扱いで、当然のように発言が飛んでくる。
「サフラン、読んでやれ」
 と、エンバクに言われて、サフランはリアンが正面に浮かせたスマートフォンの記述を読み取る。
「えーと……『そう言えばこのトレーナーズスクールって、昨年スクールバスが課外授業に向かう際に事故に遭ったところですよね? 何か関係あるんですか?』と、言っております」
「『関係は不明だ』という報告を受けている。だが、関係があってもおかしくないし、関係が無くてもおかしくはない……まぁ、あるのだろうなとは個人的には思うが、それについては相手を締めあげればわかることだ。現状は不明だし、関係の有無に捜査には支障はない」
 リアンの発言を代弁したサフランの言葉に、エンバクは資料を見もせずに答えた。
「『分かりました』……と、言っています」
「うむ。ついては、この仕事なのだが……やはり証言だけではレンジャーを使って乗り込むのも少々大げさということもあり、色々と操作をしていたのだが、この件に付随して不審な点もいくつか浮かび上がっている。まず、この屠殺場はなぜかまともな窓が付いておらず、中の様子を確認することが出来ない。やましい事もなく、普通にポケモンを殺して食料にするだけであるならば、別に見せたってかまわないはずだ。子供の目に触れさせたくないという理由ならば、わざわざ学校でポケモンを殺す必要もないわけだしな。
 また、この理事長兼校長、ポケモンの所持制限が無制限となっており、理論上は百匹だろうと二百匹だろうと同時に所持することが許可されているわけだが、トレーナーが登録したポケモンの数とボックスに預けられているポケモンから推測するに、現在は四五体ほど持ち歩いていることになっている。これが警察に任せられない理由だ。警察はこれだけの数を相手にすることを想定した訓練は行っていない」
「テロでも起こす気かって数ですね……どれくらいのレベルだかわかりますか?」
 エンバクのもたらす情報を聞いて、青ざめながら苦笑して他の隊員が尋ねる。エンバクは資料をめくった。
「レベルについてだが、校長はジムリーダーとしての資格を持っている。要するに、バッジ八個を取るのに必要なだけの強さは当然備えているという事だし、それ以上のレベルのポケモンばかりであることは説明しなくとも分かるだろうが……そうだな、特にレベルの高い六体については、平均六〇レベル以上と思ってもらったほうがいい。
 その他のポケモンについても、そこまで強い者はさほど多くないだろうが、それでも一般隊員には少しばかりきつい相手もいるだろう。さらに言うと、先ほどリアンが言及した事件の被害者たちが持っていたポケモンも一部引き取っていて、その行方が不明だ。現状、八〇匹は手元にいると見積もっている。
 もし相手に抵抗されてしまった場合には、死傷者が出てもおかしくないレベルのポケモンを有している為……今回は、レンジャー・ポケモン共に精鋭たちを集めての突入を行うことになる。ついては、ここに集めたのは士官クラスのリーダーレンジャーばかりで……六五レベル以上のポケモンを所有し、なおかつそれに勝利できるだけの実力を備えたレンジャーのみだ」
 サフランとリアンは周囲の隊員を見回す。確かに、かなりの実力者ばかりが揃えられているため、ちょっとやそっとの相手では負ける気がしない。それだけ要注意人物ということか。
「作戦当日は、ターゲットとなるイバラの動向を監視。肉を解体するために建設された屠殺場に向かった際は、ルカリオやヨノワール、バチュルなど監視に適したポケモンで出来る限り監視をする。それで情報を得られた場合、相手の行動を確認次第突入を行う。確認できなかった場合は、屠殺場を出てきた時点で内部の調査及び身柄を一時的に拘束する。
 許可については裁判官から令状を貰っているから、後でそれを渡しておく。装備についてだが、隊員にはメガストーン及びキーストーンの貸し出し。また、一部非殺傷兵器の携行を許可する。また、第一級以下のポケモンも二匹まで貸し出しも許可するから、大まかな作戦を決めた後に申請してくれ」
 エンバクは、そう言ってテキパキと作戦の概要を説明していく。屠殺場の見取り図を見せつつ、隊員のポケモンやそれに見合った装備などを上手くチョイスし、レンタルするポケモンに関しても滞りなく決めていく


 翌日、作戦決行前の夕方、ポケモンレンジャー全体で育成されたポケモンの管理が行われる受付にて。ここでは、何かの任務に赴く際や、訓練などに必要なポケモン達のレンタル全般を取り扱う事務所が存在する。

 待ち合い席や整理券を自動で配布する機械があったりなど、その見た目はポケモンセンターとあまり変わりない様相を呈している。今は夕方で人も少なく仕事も暇なため、サフランは世間話をしながら、事務仕事を眺めていた。
「それでさ、俺も上司や同僚がどういったポケモンを借りようとしているかを見て、いろいろ考えたわけよ。他の隊員と連携んするにはどんなポケモンがいいかとか、いろいろ考えてさ」
「でも、そういうのって付け焼刃で変なポケモンをレンタルしても、調子が崩れることが多いでしょう?」 
 事務仕事を行うのはポケモンの育成及び健康管理を任される、育成科に属するレンジャー隊員であり、そのシフトは日によって変わる。今日は良く慣れ親しんだ相手なので、サフランの事もよくわかっている口ぶりだ。
「あぁ、だから結局いつも通りの無難なポケモンを選んだ」
 サフランは自慢げに、そして親しげに笑顔で語っている。
「案の定ツボツボだったわけですね。サフランさんも好きですねぇ……毎回それじゃないですか。もっとこう、可愛いポケモンとか格好いいポケモンとか、リアンちゃんのお婿さん候補とか選んであげましょうや」
 育成科の男がそう言って苦笑する。
「はっは、お前が言いたいのは最後の一言だけだろ? 俺も、リアンには毎日言っているんだよ、お前もそろそろ子供を産んだらどうだってさ。でも、こいつもこいつで思うところがあるらしいから、その願いは効いてくれなくってな……だから、俺はこいつを守るために必要なポケモンを選ぶしかないってわけだ」
 サフランはそう言ってリアンの肩を抱き、胸の前へとよせる。そんな乱暴で強引な仕草にリアンはドキッとくるものを押さえられず、顔がにやけてしまい、その表情を悟られないように顔を伏せた。レンジャーのポケモンの健康管理や育成をしている者ともなれば、そう言った表情の変化を読み取ることなどお手の物。自分達が育てるポケモンのように、特定の主人を持たないためにレンタルされて使いまわされるポケモンには見られない、リアンの自然な表情に、つられるようにして顔が綻んだ。
「その子は対戦じゃ、消極的過ぎて話にならないような子だ。プロトレーナーさんからも匙を投げられて、レンジャーなら有効利用できるだろうって、安値で買い叩けたくらいだし」
 育成科のレンジャーが、ツボツボのモンスターボールを渡しながら言う。
「それでも、サフランさんみたいな人達が使ってくれるから、その子も喜んでる。いっそのこと手持ちにしてあげたらどうだい?」
「いや、レンタルにはレンタルなりの良さがある。だれもがこうやって、この子の良さを共有できるからこそ、輝けるっていうのもあるんじゃないかな? 俺以外にも、この子を使ってあげている奴はいるんだろう?」
「その八割方がサフランさんなんですよ。皆、薄情ものでね」
「おやおや、ツボツボ……強いのにな」
「同感です。サフランさん以外がほとんど使わないのがもったいないくらいですよ。対戦じゃ使い物にはならないのは同意ですけれど、それだけでポケモンを判断してはいけない良い例です。個々の能力ばっかり見ている人は、それが分からないのですよ」
 そう言って、育成科の男はツボツボが入ったモンスターボールを撫でて笑った。
「では、この書類のチェック項目をすべてチェックし、サインと捺印をお願いします」
「はいはいっと」
 ポケモンレンジャーがこうして借りたポケモンで何かトラブルを起こしてしまった前例はいくらでもある。小さなものなら器物破損、大きなものならば流れ弾による住居の燃焼や死亡事故など、様々だ。そう言った際に、こうした書類での手続きをきちんとしておくことで、保険が下りるケースは少なくない。
 もちろん、万が一にもレンジャーに悪用されないためだとか、管理責任の所在をはっきりさせるためなどの理由もある。この書類が厳密でなかった頃は損害賠償や管理責任の追及などに時間と金を相当吸い取られていたようである。
 厳密なルールが設けられた初期は面倒くさがられていた書類の記入だが、年月が過ぎても特に記入事項に変更があるわけでもないので、一年もすれば隊員も慣れるものだ。サフランもまたすっかり慣れてしまって、いつものように特に深く読みもせずにチェック項目を埋めていく。
「はい、ありがとうございます。怪我などなきよう、ご武運を祈ります」
 すべてを記入し終えたことを確認して、育成科の男はその書類をバインダーに挟み込み、敬礼をした。
「よし、リアン行くぞ」
 肉声では喋ることが出来ないリアンは、サフランの呼びかけにキューッと鳴き声を上げる。そのまま手をつなぐと、遠目には恋人か何かにしか見えないようなシルエットで、二人ならんで歩くのであった。


 そうして、移動中の車内。この作戦に関係のある話をしている者もいれば、全く関係ない話をしている者もいるし、黙って作戦へ神経を研ぎ澄ましている者もいる。サフランとリアンはと言えば、他愛のない世間話をしており、この仕事で死ぬ危険性はないと楽観視しているように見える。実際、今回の仕事は敵は一人である。大量のポケモンを所持しているとて、手練れ揃いのポケモンレンジャーが負ける要素はない。
 車内には、小型から中型のポケモン達も入り乱れているために、マイクロバスほどの大きさに一〇人と八匹ほどで少々狭い。別に、車内でポケモンを出しておく必要はないのだが、だからと言ってボールに閉じ込めっぱなしは無粋であるという考えのものが多い証拠である。
「なぁ、リアン」
 他愛のない話の話題もひと段落したところで、サフランが改まって声をかけると、リアンはなんでしょうかとばかりに首をかしげる。
「昨日言っていた、スクールバスでの事故ってのは、どういう事故なんだ?」
 サフランが問うと、リアンは分かりましたとばかりに頷く。車内で本を読んだりすると酔いやすくなるものだが、これはリアンも同じようで、車に乗っているとあまりスマートフォンを使いたがらない
「あ、それ私も気になってる。聴かせてくれるかしら?」
 と、ネイティオを連れた女性レンジャーに尋ねられると、リアンは苦笑しながら『どうぞ』と書いて了承した。テレパシーでスマートフォンに入力することも車酔いの原因なのだ、ちょっとばかし憂鬱である。
 ともかく、リアンは手短に済ませようと、事件の概要をかいつまんで説明を始める。
「ほぅ……『小さな子供が、高速道路の上にかかる橋の上から石を落として遊んでいて、それが原因で自動車数十台を巻き込んだ凄惨な大事故が起こったという事なんですよ。その中でも最も被害状況がひどかったのは、これから向かう学校のスクールバスの一団でした。丁度野外実習に向かう途中で事故に出くわしたスクールバスは……数名。確か七名の生存者を残して壊滅状態になりましてね。教員を含む一学年、計五六人が丸ごと死亡したという事です。他にも重傷により、ポケモントレーナーを続けるのが困難になってしまった生徒及び教師もおり……それにより事実上授業が不可能になり……その、学年は学級閉鎖となりまして。
 生徒たちの精神的なケアも合わせて、来年度まで休学して一学年下の子達と仕切りなおすか、もしくは転校するかというような選択が取られることとなったというわけです。もちろん、保護者には相応の保証が出ましたが、保険会社から支払われる額のみでしてね。それでは精神的苦痛には到底足りないとの不服申し立てがあり、現在学校と保護者の間で裁判中でして。学校に罪はないのですがね、本当に何もかも不幸な事なのです』」
「酷い話だな、そりゃ……擁護する気はないが、校長先生が狂って何をしても不思議じゃないわなぁ」
 保護者のいたたまれない気持ちを考え、サフランは言う。
「ふむ、事件の事は何となく聞いていたけれど、その後の経過についてはあまり知っていなかったわ。そう、そんな事になっていたのね……というか、その石を落とした犯人についてはお咎めなしだったよね?」
 ネイティオを連れた女性レンジャーが尋ねる。
「『えぇ、そうですよ。年がまだ八歳だということもあり事実上の責任能力及び支払い能力がないという事で、無理なんです。たとえ慰謝料として給料の差し押さえをしても、遺族全員にいきわたるには、千年単位の時間が必要です。ですから、半ばやけくそというかなんというか……怒りのやり場がないのでしょう、保護者達も。だから、学校に責任を求めてしまう』」
「ふむ、犯人の名前も公表されていないんだろ? 確か、まだ犯行当時の犯人が八歳だとかで」
「『ええ、なので刑務所にも捕まっておりません。やるせないですね』」
 リアンの言葉に、サフランはあぁと頷いた。
「『本当はこの話、あんまりご主人には聞かせたくなかったんですよね』」
 ため息つきつつ、リアンはネイティオを連れた女性にスマートフォンを見せて愚痴る。
「なぜ?」
 と、女性レンジャーが尋ねる。
「『見ていればわかります。じっくり見てあげてください』」
 と、書き込んでリアンはがっくり項垂れた。
 ともかく、リアンに言われたので、女性レンジャーはサフランの様子を見ていたのだが、彼は何の脈絡もなしに、体を震わし縮こまっている。目には涙も浮かんでいるし、握りしめた拳は血管が浮き上がって見える。
「ねぇ、リアンちゃん。ご主人、様子おかしいけれど大丈夫?」
「『いつもの事です。うちの主人、親に言われた言葉なんですが……"人の痛みを想像できる子になりなさい"という教えを、忠実に実行しているだけなんで。うちのご主人、変態で変人で、サイコパスですから、想像の仕方が大袈裟なんですよ。だから蕁麻疹が出たりします』」
「へぇ、人の痛みを想像するとは、それはまた殊勝なことで……それはいいんだけれど、貴方のご主人に対する評価も大袈裟過ぎない?」
「『いや、この程度で大袈裟と言っていたら、私の精神が持ちませんから。今なんていい方です……ご主人が本当にすごいときは、見た目からしてやばくなりますから』」
 と、リアンは項垂れた。
「『ところで、貴方と一緒に動くのは初めてですよね? 確か、シャクナさんでしたっけ?』」
「そうそう、自己紹介していなかったわね。私シャクナ。この子の名前はネイティオのゲイズ。特性はマジックミラーよ。ここでは新入りだったわね」
 シャクナはネイティオを指さして微笑むが、ネイティオは一切表情を変えず、ただ夜景を見ているだけであった。
「『そうですか。私の名前はリアン、特性は精神力なんです。見ての通り、女の子ですよ』」
 リアンは文字を打ちこんで、微笑んで見せる。
「『シャクナさんはどうしてこのレンジャーベースに?』」
「それはね、別のレンジャーベースで上司を殴って左遷させられてね。情報及び通信兵科のオッサンから胸を揉まれるセクハラされたもんだから、背負い投げをしたら腕を捻って関節を壊してしまって。セクハラに対する抵抗にしてはやりすぎって大目玉よ。そうそう、こっちに配属されるにあたって、貴方のご主人……サフランさんも問題児とか変人とか聞かされているけれど、なんというか納得だわ」
「『あぁ、変人なのは否定できません。それに、今のところは静かですが、確かに問題児でもありますね。お恥ずかしい』」
「いいのよ、私も同じ問題児だから。問題児同士、上司には睨まれないように注意しましょう」
 リアンが顔を伏せてもじもじとする仕草を見て、その頭を撫でて上げながらシャクナは言う。
「それにしても、貴方はよく喋るのね。うちの子は、ずっと景色を見てばっかりで何もしゃべらないから、なんというかこんなポケモンが特級ポケモン以外にもいるだなんて、面白いわ」
「『いえいえ、私がしゃべらなかったら、ご主人はきっと日々の生活に押しつぶされているでしょうから。私は、大好きな主人のためにも、黙っているようなことは出来ないのですよ』」
「ふぅん、いい子なのね……って、こんな会話をしていても、ご主人まだ震えているけれど大丈夫なのかしら?」
 リアンの会話方法は文字媒体であるため、リアンがなんと言っているのかは、スマートフォンの画面を覗いていないサフランには一切わからない。とはいえ、自分のポケモンが別のレンジャーと話をしていたら、その話の内容が少しくらい気になってもいいはずだというのに、サフランは全く見向きもしない。
「『今のご主人は自分の世界に入っておりますゆえ。あぁ、ご主人がポケモンだったら、瞑想を効率よく行える優良な個体だったのかもしれません』」
 呆れ気味に入力して、リアンは苦笑している。
「『そろそろ、文字を入力するのも車酔いのせいで難しい感じです。すみませんが、この辺で』」
「あぁ、ごめんごめん。それじゃ、そろそろ黙ろうか」
 どうにも、血の気の抜けた表情をし始めたリアンを見てシャクナは苦笑しながら会話を打ち切った。
 そうして目的地に輸送車が到着する。輸送車は学校の駐車場に止めるわけにはいかず、付近の路上に止められた。夜はあまり来るもの通行量も多くないため、誰かの迷惑になることもないだろう。

 秘密裏に行われる突入作戦は、まず最初に探知能力が特別優れたルカリオによる状況確認から行われる。紅白の手旗を持たせたルカリオと、リアンが屠殺場に近づくと、ルカリオが探知の結果をリアンに話し、それを翻訳して作戦の指揮官に内容を送ることで、現在の状況が伝えられる。
 現在、中ではやはりと言うべきか拷問じみた屠殺を行っているらしい。必要以上にポケモンが痛めつけられ、どう考えても肉を得るという目的では説明がつかないような事をやっているようだ。内部にはルカリオの波導による感知を防ぐ素材でも使われているのか、それ以上の詳しい事はあまり分からないが、少なくとも十以上のポケモンがボールの外で周囲を警戒しているという事も分かったようだ。
 ただ、ポケモン達の警戒も、連れてきたルカリオの探知ならば警戒網の外からだって探知可能である。このルカリオは多数の候補の中から、特別に探知能力が高い個体を選び出し、そして探知のためだけに努力を注ぎ込んだ、探知に関してだけはエリート中のエリート個体だ。バトルやその他もろもろ別の役割を持たせたポケモンごときの探知に負けるはずがない。
 その代り、このルカリオは戦闘面においては全く役立たずで、覚えている技と言えば緊急事態にも対応できる癒しの波導と、逃走用の神速くらいなものであるが。ともかく、索敵に特化したルカリオのおかげで中の様子をある程度把握できたところで、次は準備の時間である。

 サフランとリアンは、まずツボツボをボールから繰り出してガードシェア。ツボツボはレベルにして七〇に届くか届かないかと言ったところだが、それでもレベル八〇を超えるリアンを軽く超える防御能力を持っている。リアンも特殊耐久力は瞑想などで底上げすることも可能だが、物理耐久は上げることが出来ない。その上、相手が黒い霧を持っていたり、パワースワップやガードスワップなどをされてしまえばせっかくの事前強化も台無しだ。そのため、ツボツボを用いた強化が二人の間では通例となっていた。
 それが終わったら、、今度はツボツボをボールの中に入れ、一度仕切りなおしてからパワートリック、からのパワーシェア。こうすることで、もともと高いリアンの特攻はさらに高まり、ついでに物理攻撃力もたかっていく。ツボツボほどの尖った性能を持ったポケモンならば、非力なフーディンですら物理攻撃すら視野に入るほどの攻撃力を得られるのである。
 もちろん、威力としては対戦であればネタとしか言いようのないものであるが、これは対戦ではなく闘争だ。特殊技では対処できないタイプのポケモンが現れた時には、炎のパンチや冷凍パンチで対処が出来るし、接近されてしまったときは下手に特殊技を使うよりかは物理技の方が速い。そう言った利点を生かすために、リアンも拳法の基礎的な動きくらいは習得済みである。

 同じような強化を、他の者達もやっている。あるものは蝶の舞いを限界まで積み、またあるものは気合をためつつ加速している。
「おい、ちょっとそこのマリルリ、こっちに来てくれ」
 と、サフランはメガシンカする前にリアンの目の前に他のレンジャーの手持ちであるマリルリを絶たせる。瞑想を積み終えたリアンは、メガシンカによって特性をトレースに変えて、目の前のマリルリの特性、力持ちをトレースする。こうすれば、もはや力の弱いフーディンであろうと全く問題なく物理攻撃も可能になる。そうして一通りの強化を終えたところで準備も完了し、後は突入を待つばかりだ。突入までに大勢でぞろぞろ歩いて近寄ると、その足音でばれる可能性がある。
 そのため、一行は相手が感知できない距離からテレポートで一気に距離を詰め、敵が襲撃を仲間に告げる間もないうちに突入、制圧する。この作戦の陣頭指揮を執るツユクサ隊長が手を挙げて合図すると同時に、テレポートで一行が移動する。間髪入れずに、リアンとゲイズがアシストパワーで扉を引き千切る。限界まで瞑想を積んだ二人のパワーはそれを容易に可能とするだけの力を持ち、また余計なものを破壊しない繊細な作業すら可能としている余裕ぶりである。
 一斉に、室内にいたポケモン達が振り向く。身構える余裕を与えようはずもなく、ドーブルとニャオニクスとレパルダスが前に出て、ダークホールと守る以外の技を封印した個体が猫の手をすることによりドーブル、レパルダス、ニャオニクスの全員で一斉にダークホールを放つ。ドーブルはとぐろを巻く(尻尾がニャルマーの様にらせんを巻いている)、レパルダスは爪とぎを積んでおり、奥の方に隠れたポケモン以外はすべて眠らせる勢いだ。
 リアンも負けてはいない。彼女はキャンディと呼ばれる、口の中でのみ爆発する兵器の麻酔効果がある弾頭を、敵の口の中にトリックの要領で次々と放り込む。口の中に異物が入り込んだと思った頃には、それを吐きだすよりも先に、湿度、温度、電磁波、明るさなどを感知した弾頭が口内で破裂、麻酔液を口内の血管に直接叩きこむ。昏倒するまでには十秒とかかるまい。
「く……神秘の守りだ!」
 いきなり攻めたてて来るレンジャーに驚きつつも、ターゲットであるポケモンスクールの理事長兼校長であるイバラが、奥の方にいたクレッフィに命じる。クレッフィは言われてすぐに神秘の守りをしたが、それでもその場にいた半分以上のポケモンが眠りについてしまった。
 そうしてポケモンがバタバタと倒れて見通しが良くなってみると、最奥にいる人間の横には、鎖で緊縛されたケンタロスが見るも無残な傷を負いながらも、苦痛に喘ぎつつ蠢いている。
「ポケモンレンジャー……くそ、嗅ぎつけられたか」
 奥にいたイバラ、隊員たちの赤い服を見てそう呟く。
「ポケモンを不必要に痛めつけているのではないかという通報があって、色々と調査したが……どうやら、現行犯のようだな。令状はいらん、捕縛するぞ」
 ツユクサが指示を飛ばすが、その指示が終わるよりも先に、リアンはイバラを捕らえんとアシストパワーでイバラとその周りにいたヤミラミ、エルフーンク、レッフィを浮き上がらせる。周囲を悪戯心の特性を持つポケモンで固めているあたり、相手も用意周到である。
「逃げるぞ!」
 だがしかし、イバラがポケモンに逃走を命じると、リアンが攻撃を加える寸前で、そばにいたオーベムがテレポートを発動させ、逃げ延びてしまう。

「あ……逃げられた……くそッたれめ! 扉締めていなかったから……テレポートで来ちゃってるじゃないか」
 シャクナが苦々しげに毒づく。シャクナが指摘した通り、この建物は扉を閉めてさえいればテレポートは不可能なようになっているのだが、後続の隊員たちが扉をあけっぱなしにしていたため、テレポートが可能になってしまったようだ。とはいえ、退路を確保するためには開けっ放しにしておく必要があるので、言いがかりとしか言いようがないが。
「あいつ、恐ろしく的確な判断だ! 神秘の守りの判断も、逃げの判断も早い……ありゃ、プロのトレーナーだ。スクールの校長なだけあるよ」
 眠っているポケモンも含めてすべてもぬけの殻となった室内で、換気扇とシャクナの声が良く響いている。
「『判断が速かろうが何だろうが関係ありません、追いますよ? 相手のテレポート先、補足完了しています! ポケモンをボールに入れて一か所に固まってください!』」
 リアンはサフランの腕に装着されているデバイスにそう文字列を送り、サフランはそれを読み上げ他の隊員に伝える。
「だそうです、ツユクサ隊長、どうします?」
「もちろん頼む。迅速にな。半分はここに残って調査及び報告だ、事前の打ち合わせ通りB班がここに残れ。ケンタロスの治療を忘れるな」
 ツユクサが命じている間、サフランの目線は、傷だらけのケンタロスを見て、怒りに満ちている。リアンはそれに気づいていたが、見ない振りをした。ああなってしまうと、主人に余計な話を振ると不機嫌になることは経験上明らかだからだ。
 なので、リアンは事前の打ち合わせ通り、この場にいた半分だけをテレポートで追跡する。行きますよという合図の代わりにホイッスルを吹きならし、テレポートをする。テレポートした場所は、広大な敷地を持つ学校の屋上であった。
「あれ、誰もいない?」
 と、誰かが言う。それはおかしい、リアンのミラクルアイの精度は非常に高く、それゆえテレポート探知の目は確かである。今までテレポートした敵の居場所を間違えたことなど、少なくとも正規のレンジャーになってからは一切なかったはずなのに。助けを求めるようにサフランの方を見るリアンだが……
「胸糞悪い……あのおっさん、どうやって苦しめてやろうか……」
 サフランは自分の世界に入り込んでぶつくさとつぶやいているばかりで、リアンの事など欠片も気にしている様子はない。そうだった、ご主人はそういう人なのだとため息をついて、リアンはツユクサ隊長に直接スマートフォンを見せる。
「『連続でテレポートを使っているようです。ミラクルアイで探知できることをきちんと知っているようで、何度もテレポートをするという対処法も知っているみたいですね。相手もかなりの知識を持っています』」
「ならば、こちらも連続で追いすがるしかない。補足は出来そうか?」
「『この人数を運ぶのは厳しいです。メガシンカしててもあと二回が限界ですよ。それに、相手は適当にテレポートをすればいいだけですが、私は補足してからテレポートをしなければいけません。とても、追いきれません』」
「……そうか。だがまぁ、出来る限りやってみてくれ。もしかしたら案外見つかるかもしれない」
「『期待しないでくださいよ』」
 隊長にテレポートを命じられて、気が進まないがリアンはそれに従ってテレポートをする。が、そこでも不発。残されたターゲットの匂いは空に飛び立つでもなく、忽然と消えてしまっている。さらにもう一度テレポートをしたが、それも不発に終わった。相手は恐らくポケモンをすべてボールにしまう事でエネルギー消費を抑えてテレポートしているだろうし、持っているポケモンの数も正確には不明なため、テレポートを使えるポケモンは数匹いるのだろう。
 ミラクルアイによる追跡も時間が過ぎれば不可能となってしまうため、何度も何度もテレポートをされてしまえば、当然のように差を広げられてしまう。もはやイバラは、恐らくすでに悠々ととどこかへ飛び去っていることだろう。
「く……無駄足だったか」
 ツユクサが悔しげに歯噛みする。リアンは頭を下げて追跡の失敗をわびたのだが、ツユクサはリアンの頭をぽんぽんと叩いて励ました。
「別にお前が悪いわけではない。奴が一枚上手だったというだけだ。私達が挑発で相手のテレポートを封じればよかった話だし、挑発の他にもいろいろ手はある。完全に我々の対策不足なだけで、お前が頑張っていないわけではない。だから謝るな、指揮官の責任だ。……上に報告しないとな」
 リアンを励ましたツユクサ隊長は、間を置くこともなしに独り言をつぶやき無線機を取り出す。隊長から自分は悪くないとは言われたものの、やはり取り逃がしたことに対する失望は大きく、リアンは大きくため息をついて、いまだ焦点が定まっている様子のない主人の元にトコトコと歩いて行く。
「『ご主人、すみません。貴方が捕まえたがっているのは分かっていますが、捕らえられませんでした』」
 と、書かれたスマートフォンをサフランに差し出すと、サフランは焦点の定まらない目で彼女の手首をつかみスマートフォンを見る。サフランは何も言わなかったが、優しく頭を撫でてくれた。リアンは顔を伏せながらももっと撫でてとばかりに頭を寄せる。やれやれとばかりにもっとリアンの頭を撫でてあげるサフランであったが、しかしその表情は険しく、体中に蕁麻疹が出来るくらいに怒りに満ちており、リアンを撫でていないほうの手ではかゆそうに体を掻き毟っている。
 リアンは、あとでご主人にかゆみ止めの薬を飲ませて上げないといけないなと、撫でられることを喜ぶ余裕もなく考えざるを得なかった。

 結局、その日は各自捜索を開始したものの、一時間経っても匂いすら痕跡を見つけることは出来ず、ひとまず捜索は打ち切られ帰還となった。サフランはリアンが渡してくれた薬を飲んで何とか痒みを押さえる事には成功したものの、憔悴しきった様子のサフランは、まだケンタロスの痛みの想像が頭にこびりついて離れない様子であった。
 そのままではとても眠れないため、帰還した際は睡眠薬のお世話にならざるを得なかった。サフランはいつもそうだ。親に人の痛みが想像できるようになれと言われて育ったのはいいが、親が死んでからというもの、それが高じて想像力が豊かすぎるようになってしまった。それはもはや、病気と言っても差支えないほどに。
 眠っていても悪夢にうなされる主人を横目に、ベッドの中のリアンはこれ以上ご主人が苦しまないでほしいと祈るばかりであった。


 そうして夜が明けて翌日の昼頃。屠殺場の調査を行っていた班からの結果が報告されるとのことで、レンジャー隊員はブリーフィングルームに集められて、資料を渡される。
「昨夜の調査結果が、その資料に掻かれている。これから説明するのは全てそこに書いている内容だが……質問事項などの確認や、今後の動きに関しての通達もあるので、一度全員に周知してもらいたい」
 サフランは、あの日の怒りを思い出さないように努めて、その資料を開く。その場にいる全員が資料を開いたのを見て、説明役のエンバクはコホンと咳払いをして今分かっている状況を伝え始めた。

「今回発見したのは、複数の大学チームで共同研究された伝説のポケモンであるゼルネアスのゲノム解析から得られた論文の写しだ。色々と小難しい理論やら、物質の合成回路やらは割愛して、希望する隊員にいつでも見せられる状態にしておくが、その論文には要約すると。
 ポケモンの生命エネルギー……ほら、あの例のワープパネルなんかに使われているあのエネルギーをゼルネアスに注ぎ込むことで、細胞分裂を促すテロメアを言う物質を修復するエネルギー波が放出されるそうだ。テロメアという物質は細胞分裂を行うのに必要であり、それは細胞分裂を行うごとに短くなっていくそうで……それがなくなると細胞が分裂できなくなる、らしい。
 ゼルネアスの力を利用すれば、その短くなったテロメアを再び活性化させることが出来るそうだ。今でも研究がなされている動物のクローン体は、最初からこのテロメアというものが短いままに生まれるから、すぐに細胞が老化して死亡してしまうそうだが、この方法使えばクローン体も長生きさせることが出来るらしく、クローン研究の業界では特に熱心に研究が進められているらしい。かつて歴史上にも何度か登場しており、このエネルギー波は『奇跡の光』として、それを浴びたものを長生きさせる力があったと伝えられている。
 極端な例では三〇〇〇年も生きた人間が存在するくらいだから、人によっては喉から手が出るほどに欲しいものだろう」
 資料には論文の写しの写真などが載っている他、簡単な不老不死の原理についてが書かれていた。そこまで聞いて、サフランはふむと考える。

「では、その生命エネルギーの採取方法だが……ホウエン地方にあるデボンコーポレーションという会社では、ポケモンを殺すことなく、少量ずつの採取を可能とした特許技術を保有している……が、この技術の欠点は、一匹のポケモンを殺して得られるエネルギーの数百分の一しか採取不可能で、また大規模な設備が必要という事で、個人で運用がほぼ不可能という事だ。それでも、ワープパネルなどに使う分には十分な量が取れるから採算は取れているとの話だがな。
 だが、生命力にあふれたポケモン。つまり若く健康なポケモンを、『生きることに執着させた』状態……つまり『拷問してで殺す』ことにより、ポケモンの生体エネルギーが効率的に採取出来るそうだ。
 多少の技術と知識を要するものの、個人レベルでもそのための装置を作ることは可能で……要約すると、イバラの目的は、ゼルネアスに働きかけて奇跡の光を発生させたいという事。そして、そのための手段として、ポケモンを甚振り殺していたのだと推測されている。」
 ただ、目的は不明だ。例の事件では、彼の娘も命を失っている……だから、クローンをつくるために行っているんじゃないかという説もあるし、そんなこと関係なく不老不死にでもなりたいだけなのかもしれない。結局、どんな可能性も捨てきれないため、今後の方針としては警察と連携してゼルネアスが眠っている生命の樹の警備を強化するとともに、この地方からの逃亡を警戒して港、空港、国際鉄道に警戒を敷く予定だ」
 資料にはゼルネアスが眠っている場所に関する情報や、警戒の対象となっている主な場所のピックアップが乗せられている。
「それでだ。そのゼルネアスが眠るという生命の樹なのだが、学者の話によるとその気は一定周期で大きく成長する性質があるらしい。その一定の周期というのが、春分……つまり、イースター付近でな。それだけならともかくなのだが、今年は春分と満月が重なるという、中々に珍しい日なんだそうだ。これを逃すと、同じ条件の日は相当後になってしまう。
 知っての通り、月の力はフェアリータイプの力を強化する。だから、その日がねらい目ではないかと我々は睨んでいる。そのため、春分の日には最大限の警戒を行い、襲撃に備えることになる。ついては、そのための部隊編成とポケモンの編成についてだが……ゼルネアスが眠っている場所は観光名所であり、一般市民も多くが出入りする場所であるため、インフラの整備などもされている。だが、その日に限っては特例を設けて、一般人には詳しい理由を告げずに道路の整備や周囲の木々の手入れと言った名目で半径約五〇〇メートルの距離範囲で封鎖を行うことになる。
 本来は、その日に急激に葉を生い茂らせる生命の樹を見物する客が訪れるため……観光産業への影響が懸念されるが、背に腹は代えられまい。基本的な連絡事項は以上だが、何か質問は?」
 エンバクがそう言って周りを見回すと、一人の隊員が手を上げる。
「ゼルネアスに生命エネルギーを注ぎ込むというのは具体的にどのような方法がありますか?」
 と、隊員が質問する。
「ゼルネアスが通常の、オドシシのような形態の場合は経口……生命エネルギーを含んだ溶液を口から摂取することで問題ない。他には、注射針のようなもので注入してもいいし、坐薬のように肛門に突っ込んでもいい。また、ゼルネアスが樹のような形態になっている場合は、溶液を樹皮に塗りつける、根っこから吸収させるなどの方法がある。要するに、なんであれゼルネアスの肌や体内に溶液を触れさせればいいというわけだ。他に質問は?」
 それ以降、特に質問が上がることもなく。そこから先は細かい人員の配置についての話が始まる。探知に優れたポケモン、高機動のポケモンをそれぞれ配置し、広い範囲をカバーしつつ、すぐさま救援に入れるようにという事らしい。それで、サフランはその実力を買われて、樹の最も近くでの警備ということになったのだが、それはある意味では厄介払いと言えた。
 優秀な隊員、そして優秀なポケモン達が多数在籍しているポケモンレンジャーである。そんなポケモンレンジャーたちが警備しているというのに、中心部まで侵入されるというのはどうにも考えづらい。しかも、中心部を守っているという事は、前線に救援に向かえと言うような命令も出されることはないのだろう。
 それを理解して、サフランは面倒くさそうにため息をついた。

 ブリーフィングが終わり、自室へ戻る最中の事。
「奴ら、俺に仕事を回さない気かい。最終防衛ラインにつくという事は実力を買っているのだとか、体のいい事は言っているが……全く」
 愚痴を漏らすサフランに、リアンは『まあまあ』とばかりに背中を軽く叩く。
「今回だって、お前らポケモンが強すぎて俺に仕事が回ってこなくって暴れたりないっていうのに。これじゃリアンが暴れる必要すらなくなっちまうわな」
 今回の仕事における役割に不満を持って、サフランはぼやく。
「『自業自得ですよ、ご主人。普段の素行が悪いから、相手を傷つける可能性の低い所に回されるんです』」
 愚痴るサフランに、リアンはそう言った。
「自業自得なのは、犯人の方だろ。俺は……ただ抵抗を続ける犯人を動けなくしただけであって、ちょっと骨が折れたりとかするだけだ」
「そーれがいけないんでしょう?」
 言い訳を始めるサフランに、後ろから呆れたような女性の声。
「なんだ、シャクナか? 聞いていたのかよ」
 その正体は、ネイティオのゲイズを連れた女性、シャクナであった。彼女は問題児とはいえ、仕事中に問題を起こすようなことはしないせいか、サフランとは違って中ほどでの警備を任されていた。
「うん、聞いていたよ? なんかさ、アンタの顔がずっと不機嫌だったからねぇ、気になってて。サフラン君、何でも今までの仕事で問題児扱いされるくらいにターゲットをボコボコに叩きのめしていたんだって?」
「悪いかよ」
「まぁ、私達下っ端にとってみれば、いいぞもっとやれっていう感じなんだろうけれどさ。でも、上司としては頭が痛いんだろうね。マスコミにも、過剰な暴行として問題視されているようで。なんだっけ、怪我をしたポケモンの治療費の寄付を募っていた業者が、自分でポケモンを怪我させているマッチポンプだった、なんて事例では、貴方……あごの骨を粉砕して、流動食以外のものを二度と食べられないようにしたとか、そういう伝説には事欠かないと聞いたわ。
 被害者の人権を重視する団体からすれば、貴方のような人は格好の批判の的。『ポケモンレンジャーに権力を持たせ過ぎないように』という思惑を持っている奴を調子づかせている原因になるからって、貴方は問題視されているそうね」
「……そんな奴の言葉に、耳を貸す必要はないさ。民意は、俺の事を支持してくれる。それに、ぬるいお仕置きじゃ真似する奴が増える。数年間刑務所に入るだけで大金が手に入るなら、繰り返す奴もいるだろう。だったら、二度とステーキが喰えない体にされでもしないと、犯罪はやめられないだろ?
 俺だったら、一生遊んで暮らしているお金を貰えても、そんな生活は嫌だね。堅い肉を喰えない生活は」
「だから、貴方は顎を砕いたのね。いやぁ、酷い事件だったと聞いたけれど、貴方は上司に怒られてなお、むしろ誇らしげとはねぇ……」
「ふん、随分前から、3Dプリンターで人口骨は作れるらしいがな。けれど、人口顎を取り付ける手術が出来るまでに、胃袋まで退化してしまえばいい。流動食以外は受け付けない体になってしまえばいいんだ」
「なんとまぁ……リアンちゃんはご主人の事を人の痛みが分かるような人だと言っていたけれど……本当にそうなの?」
 サフランの言い分を聞いて、シャクナはリアンに問う。リアンは画面を見せるまでもなく、本当ですよとばかりに両拳を握って体の前でぶんぶんと振る。
「へぇ……どうしてそう思うの?」
「俺が、三日間流動食しか食べず、また一切口も利かない生活を体験したからだ。ついでに、その時は手も動かせないように両手を手錠で拘束して首から数十センチメートルしか動かないようにしたっけな。体がかゆくっても掻くことすらできないわ、服を脱ぐのもリアン任せになるわで酷いもんだったぞ」
「どういうSMプレイよ……」
「プレイじゃねーよ、俺が傷つけた奴がどんなに辛いかを想像するためにやっただけの事だし。いやあ、あの時は中々つらかったし、アレが何年も続くとなると、さすがに厳しい。それに、骨が砕かれる痛みも知っている。俺の左手の薬指なんだがな、昔万力って工具で押しつぶして砕き壊したんだ。俺の両親が死んだとき、どれくらい痛かったのかを想像するために」
「え……?」
 サフランが、第一関節から先のない左手の薬指を見せつける。シャクナはその傷跡を見て絶句する。
「俺は、誰かがどれくらい苦しいのかきちんと想像している。だからこそ、何かの犯罪の被害者が、どれくらい加害者を恨んでいるかだって想像する。俺の想像が、外れている可能性は確かに有る……だから、少しは手加減しているつもりだぞ? 殺したら意味がないしな。苦しみを知っているからこそ、苦しみから救ってあげたい人がいる。だが、その逆もしかり……俺が被害者の苦しみを知っているからこそ、加害者に苦しみを味あわせてやらなきゃいけないことだってあるのさ」
「……あぁ、そう。なるほど、悟ってるわ」
 サフランが真顔で言うのを見て、その異常な習慣にシャクナは絶句して、言葉を紡げないでいた。ゲイズの見透かすような視線がサフランを見ていたが、サフランはあんなネイティオに何が分かるとばかりに冷たく睨み返した。
「なるほど、リアンちゃんが貴方の事を『変態で変人で、サイコパスで想像の仕方が大袈裟』って言っていたけれど、そういうこと。確かに、そこまで行くと普通の人はドン引きだけれど……人の痛みを想像するってことは、根は優しいのね、痛みが分かるからこそ暴行するだなんて、ドSの所業かとも思ったけれど、そういうパターンもあるのか」
「一人で納得するなよ……と、思ったが、俺の事を評価してくれてるのか、それ?」
「さあね。私としては、貴方の本質というものが少しだけ見えた気がするけれど、それもまだまだ完全じゃないしなぁ。ちょっとだけ、興味がわいたし、これからは一緒に仕事をする機会も多くなると思うからもっといろんな話をしてみたいと思った、かな。
 なんにせよ、こんな会話だけであなたの評価を決めるのはもったいないし、かといって上司にとって貴方が迷惑なのも納得と言ったところかかしら? 少しは、上司の苦しみも想像してやりなさいな」
「う……上司の胃痛の種だとか、そう言われると、少し辛いけれど。立場による痛みは、中々想像できないんだ……」
「じゃ、出世しないとね。私もあなたも、出来るかどうかは怪しいけれど」
「うるせぇ……それに俺は、権力には興味がない。こいつと一緒に、楽しくやれればいいんだ」
「あら、良かったねリアンちゃん。ご主人はあなたの事が大事だってさ」
「当然だろ。俺の唯一の家族なんだ」
 二人の会話を聞いていると、リアンは顔が熱くなるのを抑えきれない。恥ずかしくて目を伏せたリアンの頭を主人が撫でるので、それを見たシャクナは微笑ましい表情を取った。今まで反応を見せなかったゲイズも、この仕草には何かときめく者でもあったのか、顎に翼を当てて何かを考えていたようだ。変わらないその表情からは、彼の思惑は何一つ読み取れないが。
 今まで、サフランが他人の痛みを理解するためにやっている行為というものを知られると、たいていの人は気味悪がったりしたものであるが、意外や意外、それを知ってもむしろ興味を持ったこの女性、シャクナはサフランとの距離感を上手く縮めている。嫉妬心もあって、あまりサフランがモテて欲しくないと思っているリアンだが、やっぱり主人には幸せになって欲しいと望むところもある。
 こんな風に、気軽に主人と話し合える存在が居てくれたことに、思いがけずリアンは安心するのであった。
「ところで、リアンちゃんは、サフラン君に懐いているわけだけれど、どんな風にして出会ったのかしら?」
「ああ、こいつはね、ミラクルアイが得意でね。戦闘中でもほぼノータイムでミラクルアイを発動させることが出来るから、ほら……昨日さりげなくヤミラミにアシストパワーを当ててただろう?」
「そう言えば……すごいわね。さりげな過ぎて見逃すところだったけれど、思い返せばあいつ悪タイプよね」
 シャクナがリアンの事を見て褒める言葉を口にすると、リアンは誇らしげに胸を張って見せる。
「『私、ガス室から逃げたんです。本来は、ミラクルアイを使えないとテレポートで脱出できないガス室から……ケーシィ時代のころは使えないはずのミラクルアイで脱出して。それで、ご主人の目に留まったんです』」
「こいつは相当な逸材だってね。十年ほど前にね、俺が住んでいたところで、生態系保全のためにフーディン系統の駆除の話が出てたんだ。正直な話、俺としても全員助けてやりたかったけれど、無理だったから、実力が一番高そうなケーシィの子を救ったんだ。それが、こいつだった。いつか将来必ず役に立つと思って、ミラクルアイが得意なこいつを選んだんだ」
 サフランがリアンの頭をポンとたたいて力ない笑みを浮かべると、シャクナは頷いて二人の仲を納得する。
「なるほどね。サフラン君はリアンちゃんの命の恩人なわけか」
「それでいて、リアンは俺の命の恩人でもある。テレポートで、大型バスに轢かれそうになるのを、逃がしてくれたんだ」
「そう……そりゃ、仲も良くなるはずね」
 重い話になりそうで、若干苦い顔をしながらシャクナは言う。
「『私達は血のつながりよりも強い絆で結ばれておりますから』」
 このまま暗い話に突入しないようにと、リアンは誇らしげにそう言って見せた。
「そっか、ならずっと傍にいてやりなさいよ。二人とも、お互いが大事なんだから……だからサフラン君、貴方もやりすぎて警察のお世話にならないように注意しなさいよ。貴方、話を聞く限りじゃ悪い子じゃないみたいなんだし、リアンちゃんに余計な心配をさせてはいけないよ」
「肝に銘じるよ」
 シャクナの説得とも説教ともつかない言葉に、サフランは苦笑した。

 シャクナと別れてから個室に戻って、サフランとリアンは明日の朝までのフリーな時間を満喫するべく、お昼に流れるワイドショーを流しながら、ベッドの上で胡坐をかきながらまったりと過ごしていた。ただし、テレビの内容はあまり頭に入っておらず、サフランは今回の件の重要人物であるイバラの気持ちを想像している。その想像が全くの的外れな想像なのか、それとも大体あっているのかはわからないが、なんにせよ酷い精神状態であることは明らかで。
 少しでも気を紛らわしてもらおうと、リアンは胡坐をかいている主人の脚を枕にして寄りかかる。こういう時、やはり主人は何も言わずに撫でてくれる。そうするだけの心の余裕があるうちはまだ大丈夫だ。本当にやばいときは、そうやって甘えた振りをしても反応してはくれない。だから、今は甘えた振りをすることで、少しでも主人の気が紛れればいい。
「『ご主人、先ほどはシャクナさんと仲良く話しておられましたね』」
 やがて、主人の顔からは険しいものが取り除かれ、落ち着いたところを見計らい、リアンは文字を打って主人に見せる。
「どうした? 嫉妬でもしたか?」
 と、尋ねると、リアンはううんと首を振る。
「『いえ、逆に安心しました。ご主人と普通に話してくれる女性がいることに』」
「そうか。嫉妬どころか、むしろいてくれてよかったってところか」
「『嫉妬がないと言えば嘘になりますがね。ですが、やっぱり主人の幸福が一番ですよ』」
「そう言ってくれるのはお前だけだよ」
 サフランはため息をつく。
「『一番じゃないだけで、同じようなことを言ってくれる人はいるはずですよ』」
 サフランのネガティブな言葉を否定するようにリアンは言う。
「そうかな? 俺はそういうのよくわからないから……だから、お前だけは、なるべく俺の傍からいなくならないでくれよ?」
「『言われなくとも分かっております』」
「それと、いつかレンジャーの仕事を引退するよりも前に、子供を丈夫に産めるうちに産んでおけよ。お前の寿命は俺よりも短いんだから、もしもの時は、俺がダメになる」
「『縁起でもないこと言わんで下さいな。私は、死にたくないからしなないように頑張りますので』」
「頼むよ。お前の子供なら愛せる自信があるから」
 リアンの答えに、サフランはぼそりとつぶやき、彼女の喉を撫でた。こうすると、まるでエネコのように甘えた声を出すから、可愛がる方としてはたまらなく愛おしい。
 「『ところで、サフランさんは先程イバラさんの気持ちを想像していたようですが、何かわかりましたか?』」
「さあな。ゼルネアスをどうこうしたところで死んだ人間が生き返るわけでもあるまいし、かといってクローンを作ろうにも、その記憶は別物になってしまうはずだ。例え、姿形だけでもそのままならそれでいいというかもしれないが、それにしたってクローンを作る技術や設備があるとも思えないし……そうなると、奴の目的が何なのかだよな。娘を失って悲しいって時に、まさか不老不死になろうなんて思うか?」
「『さぁ? 私は今現在、なれるもんなら不老不死とまではいわないですが、せめて人間と同じくらいには生きたいですが。案外、不老不死になるためではなく、若返って子作りに励むため……だったりするのかなぁ? なんだか、東方の国の民話には、川から流れてきた大きなモモンを食べたら若返ってそういうことをしたっていう童話があるそうですけれど。今回の件、イバラさんの妻は計画の事を何も知らなかったようですが、長い寿命をプレゼントでもするつもり……なわけ、無いですよね?』」
「それはそれで面白い見解だが……それならいっそのこと養子でも貰ったほうがよさそうだな。っていうか、さ。しかし、そう考えるとあれだなぁ……いくら若返っても、卵子の数って一生のうちに一定だろ? 若返っても、不老不死になっても、一〇〇歳になったらどうあがいても子作り不可能なんだな。若返って子作りなんて説だとイバラさんの妻、卵子の方は大丈夫かって話になる」
「『種族によるとは思いますが、人間だと確かにそうなっちゃいますねぇ。とはいえ、今回のお話とは関係なさそうです。ご主人の言う通り、養子でも貰った方が早そうですし』」
「なんにせよ、相手の気持ちを想像しても分からない時は、きちんと理解するために話しを聞いてやることも大事だ。イバラとかいう校長は結構な人格者らしいのに、そういうことをするってことはそれなりの理由があるわけだろうし。ならば、話を聞いてやることで、少しでも悲しみや怒りを理解してやるべきだ」
「『ですねえ。貴方も私も、二人だからこそ悲しみを乗り越えられましたし』」
 そう言って、リアンはサフランの胸に体重を預けた。サフランはリアンの背中を抱いて仰向けになり、二人そろって天井を見上げる。彼女の重みを感じるサフランと、主人の温かみを感じるリアン。どちらの感触も慣れたものである二人だが、それでもその心地よさはどれだけ年を重ねても変わらない。安心して、二人はゆっくりと時間が流れるのを感じていた。



 数日経ち、春分の日の夜。満月はフェアリータイプの力を高めると言われているが、それもそこまで大げさなものではなく、ちょっと調子がいいなと思える程度である。ただ、それはポケモンの体が小さいからである。ゼルネアスは、周囲に命を与える存在であるためだろうか、周囲の生物が受け取った月の光すらも我が物とすることが出来、月の力を見た目以上の範囲で吸収できる。そのため、他のポケモンよりもずっと力を受け取ることが出来、それが満月ともなれば非常に強い力となるだろう。
 そうでなくとも、この春先は草木が芽吹き、新たな命が孵化し、また生まれる時期である。ゼルネアスの力が最も活発になるのもこの時期であり、ゼルネアスが眠りにつくことで姿を変えたこの生命の樹も、周囲に命を育む力が溢れるのである。
 それゆえ、この場所はポケモンがたくさん訪れる。特に多いのはフェアリータイプのポケモンで、デデンネやモンメンなどの小さなポケモンはもちろん、グランブルのような大きなポケモンも引き寄せられるように集まってくる。本来ならば、この時期はポケモントレーナーがポケモンを、特にフェアリータイプのポケモンを労わるために訪れる時期であり、観光収入を考えればこの時期に大規模な封鎖をすることは避けるべきである。
 春分が祝日になる土地ではないためこの日は平日だが、それにしたって祝日や日曜日などが関係なく仕事をしているようなポケモントレーナーもいるので、そう言った層からは不満の声も漏れている。しかし、イバラがこの日に何かゼルネアスが眠るこの場所へ悪さをしかねないともなれば、それを黙って見過ごすわけにはいかないし、もしも戦闘になった際には、一般人に誤射をせずにいられる余裕が作れるかどうか怪しいような強敵である。
 やはり、一般人の立ち入りを禁ずることは間違っていないのだ。

 その警備網の中心で、サフランとリアンは暇そうにしていた。
「来ないな」
 サフランがぼやく。
「『いい事じゃないですか、平和です』」
 と、リアンはスマートフォンを見せた。
「いや、いい事なんだけれどさ。でも、こうやってじっとしているのは辛いもんがあるぜ。ま、いつもの事だし、だからと言って敵の襲撃があってほしいってことじゃないけれど……」
「『要は別の仕事がしたいんですね、分かってます』」
「そう、体を鍛えたり、パトロールに出たり。そっちの方がいろいろ楽しい。ま、給料もらうためにはどんな仕事もまじめにやらなきゃいけないわけだけれど」
「『それ以上に、出世しないと行きたい任務にも行けない可能性もあります。その時に備えて、ある程度わがまま言える立場になりましょうや、ご主人』」
「出世したら余計我儘言えない立場になりそうな気もするけれどな。まぁ、それは場合によりけりか」
 仕事中、常に警戒していなければならないという心構えで挑むべきではあるが、そんなものは建前でやはり長く集中し続けることは不可能だ。交代蟻とはいえ、八時間の間これと言った休憩もなし。食料もその場で食べ、トイレ(観光地なので一応公衆トイレがある)以外は基本的に持ち場を離れずに行うため、変わり映えのない景色の中でずっと立ちっぱなしというのはやはり精神衛生上よくない。
 せっかく月夜の晩の、涼しげな夜風に吹かれているのだから、少しくらいは恋人のように話しているのも悪くない。
「ダメだねー。そういうこと言っていると、俺達が追い越しちゃうよ?」
 そうやって仲良く話していると、こんな調子で他の隊員も集中力を切らして、やっかむ形で会話に参加してきたりもする。ハブネークを連れているこのレンジャー隊員は、キビト。スクール時代からのサフランの同級生で、数少ないサフランとまともに会話をしてくれる人物である。
「うるせーなキビト。お前の実力でこれ以上出世できるのかよ? 俺は品行方正だったらもっと昇格していたって上司に言われているんだぞ? お前品行方正なのに、今の階級が俺以下じゃないか」
 そんなやっかみに、これ以上ないくらいの弱点を突く返しをするのも面白いもので。
「あー、そんなこと言うならもっと強くなって見返してやるからな? 待ってろよ、お前を顎で使ってやるからな、待ってろよ!」
「二回言わなくっていいから」
 こんな調子でおしゃべりをしていると、それだけで大分気もまぎれてくるものだ。そうして、気分転換も終えたところで空を見てみれば、真円を描く満月が頭上で輝いている。眩しいくらいに太陽の光を照り返してくれるその衛星を見つめていると、今度はゆっくり訪れたいものだと欲求が湧き上がる。
 こういう場所は任務なんかよりも、プライベートでリアンと楽しむ方がよっぽど有意義だ。だからと言っていちゃつくわけにもいかず、サフランはとりあえずリアンの手を取り、彼女と手を温め合って、それだけで我慢することにした。任務でこんな場所に居たくないと多少の不満は残るものの、リアンが握り返してくれたので、それがまた幸せだ。

「風が出てきたな……」
 不意に、不穏な風が舞う。これは嫌な予感だとかそういった類のものではない。肌の上を這い回るような悪寒だ。誰かがどこかでポケモンの技か、もしくは特性で砂嵐を起こしたのだろう、すでに遠方では砂の壁が立ち込めている。しかも、広範囲だ。カバルドンが、地震の特性のみでは飽き足らず、全精力を注いで砂嵐を起こしてもこうはなるまい。恐らくは十か二十か、かなりの数のポケモンを利用して砂嵐を起こしている。
 半径五〇〇メートルの警戒網の外周がほぼすべて砂嵐で埋まっている。
「こりゃ、少なくとも二〇以上はいるな……レックウザでいれば楽なんだが……キビト、警戒怠るなよ」
「こっちのセリフだ。お前こそ、お嬢ちゃんの可愛い顔が傷つかないように、せいぜい守ってやるんだな」
 すでに周囲にいるレンジャー四人は自分のポケモンに防塵ゴーグルを装着している。リアンもメガシンカさせたところで一気に警戒心を高め、配置についたところで、次に見たのは大量に飛び回るミツハニーである。レンジャーには優れた感知器を持つルカリオが多数在籍している。レンジャー隊員やレンジャーのポケモンにはルカリオが波導で識別出来るように専用のドッグタグをつけているが、それを持っていない人間が入ってきたら、その方向をレーザーポインターなどで指し示すようにルカリオは教育している。
 教育されているがしかし、こうまでミツハニーが大量にいる状態では、たとえ本命の招かれざる客が侵入しても、ルカリオがそれを感知することは敵わないだろう。なんせ、ミツハニーの数は軽く二百は超えているだろう。これでは何か怪しいポケモンがいたとしてもそれを感知するのは不可能だ。ビークインを数匹用意すればこの数を実現できるのだから、攪乱に置いてこれ程コストパフォーマンスに優れたポケモンもおるまい。
 そうこうしているうちに、砂嵐の範囲は広がってきて、うっすらではあるが自分達が守っている生命の樹がある場所まで迫ってくる。だが、その場にいるレンジャーはその場から動かず、警戒を続ける。
「来たぞ、ファイアローに乗ってやってくる不審者が一人!」
 エルフーンを連れたレンジャーがそう叫ぶ。
「一人で何とかできそうか? 複数のポケモンが迫ってくる以上、あまり一人相手に複数のレンジャーが集中するのは良くない」
 サフランが問うと、彼は問題ないと即答する。
「エルフーン一匹じゃ相性が辛いが、今は俺がいる。炎にも翼にも、レンジャーの装備なら簡単にへこたれはしない」
「了解、引き続きこちら側の警戒を行う」
 サフランがそう言って前に向き直ってみるが、しかし拍子抜けなことに、ファイアローは囮で注意を逸らして別方向からという事もない。ならば、上から……などと思って上空を見ても、それらしき影はない。下は流石にないとは思いつつも、掘り進む際の特有の振動もなく、地面は穏やかなものだ。
 やがて、ファイアローとその上に乗っていた不審人物とレンジャーが戦闘を開始する。最初こそ、エルフーンが補助技による消極的な攻めに終始していたが、搦め手を十分に終えたところで、上に乗っていた不審人物を蹴り倒した隊員が、発射式のスタンガンを射出して、ファイアローの体に高圧電流を流し込む。精鋭ばかりが集められた最終防衛にあたる人員は、当然のことながら素人では相手にすらならなかった。
「捕縛完了……おっと」
 エルフーンのワタ胞子でがんじがらめにしたことを、他の隊員へと伝わるように大きな声で宣言すると、前方からはエアームドに乗ったレンジャー隊員が現れる。ゴーグルをしており顔は伺いしれないが、階級を見る限りはリーダーレンジャーよりも下の一般隊員の階級のようだ。背中には大掛かりな麻袋と重火器らしき装備を背負っており、基本的に軽装が多いレンジャーにしては珍しい。
「おや、持ち場を離れて大丈夫なのか? 見ての通り、もう捕縛は終えているから持ち場に……」
 エルフーンを連れたレンジャーが語り掛けるが、それを遮るようにエアームドに乗ったレンジャーがまくしたてる。
「持ち場については上司から許可をもらっている」

「それよりも、緊急事態なんだが……その、無線が使えなくてな。マジックルームが乱発されているらしく、通信がまともに機能しない。……それで、伝令があるんだが」
 エアームドに乗って来たレンジャー隊員は思わせぶりに言って、ポケモンを繰り出した。その編成は、ユレイドル、ドンカラス、プテラと、よくわからない編成だ。
「ユレイドル、あのフーディンに胃液だ」
 自身の種族名を呼ばれて、何事かとリアンが振り返った時にはもう遅い。胃液を浴びた彼女はトレースの特性が消えてしまう。リアンが何故と考える間もなく三羽の飛行タイプのポケモンが吹き飛ばしを行い、周囲にいたレンジャー隊員とそのポケモン。そしてファイアローに乗っていた不審者は全て吹っ飛ばされた。唯一吹っ飛ばされなかったのは、エアームドに乗ってやって来たレンジャー隊員と、それを触手でがっちりつかんで離さないでいるユレイドルだけであった。
 リアンに胃液をかけた理由は、恐らくメガフーディンの特性がトレースであったため、万が一にも吸盤の特性をトレースされないためだろう。実際は、エルフーンの悪戯心をトレースして、即座に相手を弱まらせることを念頭に置いていたのだが、念には念を入れるあたり、冷静な判断だ。
 と、理解したころには、すでに相手は背負っていた巨大な荷物を捨てて、個人用の重火器のような何かを生命の樹に向けている。吹き飛ばされたまませめて重火器にサイコキネシスをかけて狙いを逸らそうとしたリアンだが、相手の方が一瞬早かった。空っぽになった銃身を逸らされ、よろめきはしたものの、放たれた弾頭は樹に着弾して大きな音を立てる。
「くっそ……てめぇ、何やってやがる!」
 地面に転がった主人をサポートするべく、リアンはサイコキネシスで強引にサフランを立ち上がらせた。それに戸惑うことなくサフランは駆けだし、エアームドに乗ってやってきたレンジャー隊員へ膝蹴りを放つついでに押し倒す。心臓付近へ強烈な打撃を喰らいながら倒れて、その上サフランのヒップドロップが容赦なく加えられるのだ。加えて、顔を掴まれ後頭部をを勢い良く地面に叩き付けるように倒されている。そんな攻撃を喰らってしまえば、よほどの強者でもなければそれだけで戦闘不能だ。事実、その一撃だけで敵はぐったりして、抵抗を続ける様子はない。
 が、サフランはとりあえず数発、馬乗りになって殴り飛ばす。そんな事よりも、手早く拘束して生命の樹を何とかするべきであるし、とりあえず正体を暴く方が優先すべきであることなのだが。
「何をしやがった? お前は何者だ!?」
 彼はそれを聞くのが遅い。サフランは相手を観察しながら尋ねたが、よく見てみれば股下のレンジャーは服が安っぽく、その上まだ汚れていない新品だ。剥ぎ取ったゴーグルもまた、レンジャーの正規品とは細部が異なる。恐らくは通販で買えるようなコスプレグッズの一種だろうが、素早く移動するポケモンに乗ったまま堂々としていれば、砂嵐による視界の悪さも手伝ってばれるようなものでもなさそうだ。
「分かっているだろう……数日前に、顔を見た事があるはずだ。あのフーディンには見覚えがある」
 息も絶え絶えに偽のレンジャー隊員は言う。
「イバラか……」
 殴られたおかげか、すでに血塗れになってはいるものの、まだ顔は原形をとどめている為、確かに言われなくとも分かると言えばわかる。興奮しているサフランは別かもしれないが。
「協力者はあいつ一人か?」
 首を引っ掴み、喉仏に親指を当てつつ、脅すようにサフランが問う。協力者はすでに仲間の手で拘束済み、抵抗は出来まい。
「協力者はあいつだけだ……」
「そうか」
 数十人のレンジャーの包囲を突破する策に経った二人で挑むとは、無謀なものだと思いつつもそれを成し遂げた事にはある意味感心だ。
「で、何をしたんだ?」
「生命エネルギーをあの樹に打ち込んだ。これで、周囲にいる生物の寿命を延ばすことが出来る。年を取らない人間になりたくなかったら、ここから離れることだな」
 イバラに言われて樹の方を覗いてみると、生命の樹は表面に少しあとが残っているくらいで目立った傷はない。しかし、淡く神々しく光を纏った姿は、良くも悪くも異常事態としか言いようがない。吹き飛ばしを行った飛行タイプのポケモンを仕留め終えたレンジャーたちも、不思議そうにその光を見つめている。
「不老不死にでもなる気か? そのために、ポケモン達を甚振ったのか?」
 サフランは耳を引き千切らんばかりに引っ張り、尋ねる。そもそも、ここまでべらべらと目的を離すという事に、何か違和感を感じてもいいのだが。
「……そんな事のために、ポケモンをを苦しめたりなどしない」
「うるせぇ! てめえが苦しめたことに変わりはないだろ!?」
 と、サフランは耳を引き千切る。叫び声が上がり、さすがにこれ以上はまずいと他のレンジャーがサフランの脇を掴んで引きはがそうとするが、サフランはその腕をつねり、その激痛で以って強引に振り払った。
「ダメだよ、リアン。サフランはこうやって止めなきゃ。ヴェノム、蛇睨み!」
 と、キビトは自分のパートナーであるハブネークに命じる。ハブネークに睨まれ、動きが鈍くなったところで、キビトはサフランの胸を蹴り飛ばし、喉を踏みつけた。普段のリアンであればそれを全力で止めたりでもしそうなものだが、こればっかりは主人が悪いので目を瞑ることにする。
 サフランが麻痺で無防備になったところで、がら空きの胸を蹴り飛ばされて、今度はサフランが呼吸を乱してしまっている。その横で、先ほどまで淡い光を放っていた生命の樹が、激しく輝きだした。その光を浴びるだけで、エルフーンはもこもこと背中の綿が肥大化していく。
「っていうか、この光浴びてて大丈夫なのか? エルフーンがすごいことになっているぞ?」
 いまさらながらにキビトが尋ねると、他の二人も思い出したようにやばいと口にしながら、それぞれが連れているエルフーンやバルジーナと共に離れていく。
「リアンちゃんも、早く! サフランと一緒に逃げようぜ! これ浴びると、寿命伸びるとかだけれど……何が起こるかわからないし」
 キビトがリアンを急かすが、リアンは迷っていた。寿命を延ばす光を浴びれば寿命が延びる。イバラがどういうつもりでそんなことをしようと思ったのかは知らないが、若い状態を保って主人とともにあれるのであれば、そんなに嬉しい事は他にない。ならば、この光を浴びてしまいたい。普段はさっと考えてさっと行動できるだけの頭の回転の速さだが、今この瞬間だけはリアンの考えが鈍った。
 いつの間にか、リアンは立ち上がったサフランに背中から腕を掴まれ、びくりと体を震わせた。しかし主人がこの場を離脱しようとした際に、リアンはサフランの脚を浮かせて抵抗した。人間は、宙に浮かされてしまえば当然踏ん張ることも出来ず、そのまま足が空を切るしかない。
 気合でサイコパワーを振り払って、地面に降りるまでの数秒、リアンはサフランの事を泣きそうな目で見つめて首を振る。
「リアン……お前、長生きしたいのか? いや、愚問か」
 強引に連れて行こうとサフランは手を強くひこうとするが、しかしリアンは頑なに退かなかった。
「お前、数少ない我儘の機会が、こんなところかよ」
 毒づきながらサフランは言う。リアンが目を逸らしたが、サフランはそれ以上何も言わずにリアンの頭に手を置いて、彼女に頷いた。
「わかった、付き合うよ」
 ため息交じりにサフランは微笑んで見せる。リアンは嬉しかったが、その反面で主人に申し訳なく、顔を伏せていた。やがて、生命の樹からあふれ出していた光が収まる。
「これで、寿命が延びてしまったのかな……というか、こんなことをして、いったい奴は何が望みだったんだ? ポケモンを虐待したことはともかく、天然記念物を傷つけかねない事をして……何十年檻に閉じ込められても寿命が延びていればそれでいいっていうのか?」
 ぐったりしながら横たわっているイバラを見下ろして、サフランが独り言ちる。すると、リアンはサフランの服の裾を掴み、先程イバラが投げ捨てていた荷物の方を指さした。大きな麻袋に包まれたそれは、何かの生物なのだろうか、かすかに動いているし、うめき声のようなものも聞こえた。
「『人間の子供です。爆弾などのものは仕掛けられていないようですから開けても大丈夫だとは思いますが……』」
 ミラクルアイを使いながら、リアンが告げる。
「子供……なぜそんなものを連れて……? 連れて来るにしてはまるで荷物のような置き方ってのは一体……」
 なら、早い所助けてやろうと、サフランは麻袋に駆け寄り、中にいる子供を解放しようとする。拘束されているのだろうと高をくくっていたサフランだが、そんな生優しいものではなく、子供は口にガムテープを張られたうえで、四肢を切断されている。本来四肢が生えているべき場所はひどいケロイドになっていて、恐らくは切断した後に炎で焼いて止血したのだろう。それを癒しの波導などで強引に直したのか、醜い焼跡がそのまま残っている。
「うわぁ、こりゃ酷い」
 サフランも嫌悪感を催して、取り繕う事も出来ずにそう呟く。
「でもまて、この子供の年齢は……例の事件の……」
 言いながらサフランがちらりとイバラを見やる。駆けつけた他の隊員もサフランと同じように苦虫を噛み潰したような表情を取るのを尻目に、サフランは問う。
「お前さん、この子供達が例の高速道路に石を落とした奴らか? そいつらのせいで、スクールバスが巻き込まれた大事故が起こったとか聞いたけれど」
「……よく知っているじゃないか。本来なら犯人のは非公開だが、ひょんなことから知ってしまったな……反省している様子もないから。永遠に苦しませてやりたかったんだ。四肢もなく、その状態で寿命を延ばされる苦しみで、償わせたかったんだ」
 サフランに胸を蹴られた痛みに顔をしかめながら、イバラが吐き捨てた。サフランはそれを呆れた様子で見下ろすが、それ以上はしなかった。また殴られると思っていたイバラとしては拍子抜けだ、ポケモンを甚振ったことであれだけ殴られたのだから、今度はそのまま殺されてもおかしくないと思っただけに、なんというべきか予想外に薄い反応だ。
 ともかく、サフランは彼を捕縛するため後ろ手に手錠をかけ、持っているモンスターボールをすべて没収の上、リアンに渡した。すでにメガシンカを解いていたリアンは、渡されたそれを見て何をするべきかきちんと理解して、倒れているポケモン達を回収し、そのボールにロックをかけて外に出られないようにする。
 その間、サフランはイバラを見下ろしながらため息をつく。
「はぁ……お前、復讐するなら周りに迷惑かけないでくれよ。巻き込まれたポケモンが、浮かばれねぇ。だが、結局お前がやったことは、最後の最後に苦しめただけで、ポケモンを殺すこと自体に罪はねぇ……きっちり償って、出直して来い」
 本心ではもっと殴ってやりたいと思っていたサフランだが、これ以上やった場合は流石に上司から問題行動ととられる恐れがあるため、それ以上の事はしなかった。降格処分や僻地に左遷などでもされたら、自分の目的に支障を起こす可能性がある。来るべきその時に向けて、任務に志願すれば許可を得られるような隊員であらねばならない。
「おい、サフラン。どうしてポケモンを甚振ったことには怒って、子供を傷つけたことには怒らないんだよ……お前、おかしいぞ? 殴るのはいい事じゃないけれど、子供の四肢を切断なんて異常なことをする奴は……殴れよ、そこは」
 子供を見ても怒りを覚えなかったサフランに、キビトは不信を覚えたらしい。殴ることは悪いと思いつつも何故だと問えば、サフランはキビトは何も知らないのだなぁと呆れた表情を取った。
「いや、憶測だけれど……このガキ、イバラが巻き込まれた事故って奴の原因の子供だ。と、思って聞いてみたから案の定だったから、だったら怒る必要はないだろ? そりゃ、俺だって普通に生きている子供をこんなことされたら怒るさ。だけれど、こいつは自業自得だから仕方ないだろ? 少しだけ話してみたけれど、四肢をなくして何も出来ない苦しみを、何百年も味あわせたいんだとさ。俺も気持ちわかるよ」
 こうして説明すれば分かるだろうと、サフランは当然のようにそう説明する。キビトは、このイバラという男が交通事故の件は知っているはずだから、こう説明すれば分かるだろうと踏んでいたのだが彼は分かっていない様子。
「いや、だからって、さすがにこれはひどいだろ?」
「そうか? 何十人も死んでるんだし、このガキが何十人分も苦しんでもお相子じゃないのか?」
 サフランがキビトの言葉に疑問を持って尋ねると、今度はキビトが呆れた顔をする。
「お前、おかしいよ。怒りを感じる気獣がおかしい」
「いやだって、俺だって同じことされたら似たようなことをしたいと思うし……それでも、ポケモンをむやみに傷つけるのは間違っていると思うから怒ったけれど、復讐自体はそんなに変な事じゃないだろ? お前こそ、あのおっさんの痛みを理解してやれよ、あの餓鬼のせいでスクールの一学年丸ごと死んだし、子供も巻き込まれたし、そのほかにだって被害者はいるんだぞ?
 だから、復讐くらいは許してやれよ……他人を巻き込むような復讐はダメだけれど」
 サフランはまるでキビトの方こそおかしいという風に、冷静に返す。その冷静さを見て、キビトはサフランが自分の言葉に何の疑問も持っていないことを察したらしい。
「お前、やっぱりおかしいよ。お前自身が復讐なんて暗い目的で生きているからそうなるんだな」
 キビトは酷く侮蔑した目でサフランを見て吐き捨てる。
「人にとってはくだらない事でも、本人にとっては重要な事なんていくらでもあるぞ? そうやって、否定するのは良くないんじゃないかな? 俺だって、復讐なんてしないほうがいいと思うけれど……タバコやお酒と同じで、心の支えをなくしたらいけない。アンタにとっては、トップレンジャーになることが目標なように、復讐が人生の目的になることもあるのさ」
「分かんねえな。復讐なんて生産的じゃないのに」
「言ったろ? 酒やたばこと同じく生産的じゃないんだろう? 生産的じゃなかったらする価値がないなら、タバコも酒も必要ないのさ。そんなことよりも他の奴に報告する役割取られちゃってるぞ? 報告したから出世できるってわけじゃないけれど、きちんと仕事してるアピールしたほうがいいんじゃないのか?」
「あ……」
 サフランに言われて、そう言えば自分が仕事をしていないことに気付く。他の隊員が様子を見に来たり、無線で連絡を取り合っている中、キビトは突っ立って話しているだけ。
「ふん、もう大した仕事なんて残っていないさ。そんな事よりも、そいつをむやみに傷つけた件についてはきちんと報告するからな。減俸や降格にでも怯えるんだな」
 キビトに負け惜しみを言われ、サフランはつまらなそうに頭を掻いた。
「そんなことはどうでもいいわ……俺が怖いのは、リアンと俺が死ぬことと……俺の復讐の標的が、幸せなまま死ぬことだけだ。キビト、俺はお前みたいに幸せに生きているだけの奴とは……違うんだよ」
 そう言って、サフランは拳を握りしめる。
「俺は、復讐なんか考えている奴なんかには負けないからな。絶対出世してやる」
 怖い顔をしているサフランに、キビトは憎まれ口を叩いて踵を返した。そのまま喧嘩に突入するのではないかと、ハラハラしながらリアンが見ていたが、サフランはリアンに気付くと、さっと抱き上げてお疲れさまと耳打ちした。キビトの言葉にむっと来ているようではあるが、個人的なことで殴ったりするほど、サフランも馬鹿ではない。リアンは言葉を話せなかったが、クゥと小さく鳴き声を上げて『ご主人もお疲れ様です』と耳打ちした。


 日が変わって午前二時あたりに帰還してから一夜明けて、二人は翌日の一〇時近くまで眠っていた。だが、どういうわけか先に目覚めたサフランはがんじがらめに縛られており、四肢をピクリとも動かせない状態のまま眠っている。目は覚めているし、喉も乾いたので何か飲みたいのだが、その状態では何もすることも出来ず。リアンが起きるまで待とうかと思っていても、彼女はすやすやと寝息を立てているばかりで起きそうにない。
「ふむ……あの餓鬼どもの気持ちになろうと思ったが、これはハードだ」
 朝は尿が溜まっている為トイレにもいきたいのだが、このままではいけない。リアンを起こすしかないのだが、常にこの状態となるであろうあの子供は、いつでの呼び出せる母親なりなんなり介護の人が、近くにいるとは限らないのだ。そうなると、オムツの中に排泄するくらいしかないのだが、この年になってそれをするのも恥ずかしいものがある。
 あの子供も年はまだ八歳ほどだというから、オムツを履かされるだけでも苦痛だろう。ともかく、待つことにしよう。
「ふぁ……」
 もじもじしている間に、時計を見てみれば正午ごろ。サフランが待ち構えていたリアンの目覚めがやっとのことで訪れる。彼女は眠い目をこすってこちらを見ると、驚き面を喰らっていた。 しかし、昨夜していたことを思い出して、リアンはハッとして文字を打った。
「『忘れてた、縛ったまま寝てたんだ。そのせいで気が気じゃないからなかなか眠れなかったんだけれど……大丈夫ですか?』」
 と、リアンは尋ねる。
「フーディンが何かを忘れるとは、新鮮だな」
「『そういう問題じゃないでしょ。ああもう、大丈夫みたいですね!』」
「いや、リアン。もう膀胱がパンパンなんだが。漏れる寸前だ」
「『なら早くトイレ行きますよもう! ってか、私を起こせばいいでしょうに』」
 リアンは呆れと怒りをないまぜにした様子で打った文字を見せ、サフランの体を浮かせてトイレに運ぶ。
「いや、しかしすまないな。四肢が無くなった人間の気持ちを知りたいだとか妙な事を頼んでしまって」
「『もう慣れましたよ……貴方がそうやって異常なことをしたがるのは、昔っからですし。というか、おしっこだけですよね? 今回は縛っているだけだから、ズボン脱ぐ必要があると非常に面倒なんですが』」
「あぁ、大丈夫だが……そうだな、大の方も体験しておいた方が」
 と、サフランが言いかけている最中に、リアンから突っ込みの拳骨が見舞われる。如何に物理攻撃力に乏しい種族と言えど、不意打ちで殴られると結構痛い。サフランは痛みに顔をしかめてつつ、悪い悪いと謝った。結局、リアンは呆れながらサフランのパンツのジッパーを開き、中の性器を掴んで尿を便器の中に導いた、コントロールの仕方がよくわからないので、こぼれそうになった分はきちんとサイコキネシスで空中に押しとどめて、便器の中に突っ込んだ。
 もう二度とこんなことやるものかと思いながら、リアンはトイレを後にする。
「すげえなお前、介護業界でも引く手あまただわ」
「『ご主人以外の体なんて触りたくないですから、そんな業界には行きませんよ』」
 リアンはもう一度主人を殴る。いつもは簡単に防がれてしまうため、今日ばかりはここぞとばかりに殴ってやる。今度は殺気よりも威力を強めに打ったため、サフランは痛いと声を上げた。
「『で、何かわかりました?』」
「いやぁ、色々分かるよ。今回リアンを起こさなかったのも、その一つでさ……裕福な家庭ならばともかく、貧しい家庭だとヘルパーを雇えるかどうかも分からない。一応、障碍者として年金などが支給されるかもしれないが、親がきちんとそれを手配してくれるかわからない。
 それに、ヘルパーだって常にいてくれるわけじゃない。となれば、何かが起こった時に誰かを頼れるかどうかわからないという事だ。そうなったら、排泄だけでなく喉が渇いたりしたところで水を飲むことすら辛い。四肢が無くても水を飲めるようにしなきゃいけないし、常にオムツを着用していなければいけない。
 それだけでも不快なのに、退屈でも本を読むことすらできない、ゲームなんてもちろんできない、体を使った遊びも無理だ。何から何までないない尽くしで、将来がひたすら不安だし……それに、これが事故ならば同情もされるだろうけれど、『何十人も死傷者を出した事故の引き金になったから復讐されました』なんて理由で怪我したと知られたら、軽蔑される可能性もある。
 誰かを頼ることすら怖いのに、誰かに頼らなければ生きていけない。体のどこかがかゆくても掻くことすらできない。これから自分はどうなるのだろう、どうやって生きて行けばいいのだろう? 母親に捨てられないだろうか、何を楽しみに生きて行けばいいのか、もう何もかも不安になって、死にたくなってくる。
 誰かに偉そうにすることすらできないからな……もう、今まで殴っていい気になっていた自分は、殴られようと蹴られようと、唾を吐きかけられ用途も何も出来ない。一人で飯も食えない……これは辛いぜ」
「『それに付き合う私も大変なんですよ!』」
 不機嫌そうに差し出された文章に、サフランはうんうんと偉そうに頷く。
「そう、そこなんだよリアン。自分以外の周りの人間も大変そうだからな。だから、いつか自分を見捨てるんじゃないかというような妄想が常に付きまといかねないんだ。それを払拭するには、自分の神経がよほど図太いか、もしくは家族がよっぽど手厚くその子を保護するかのどちらかだ。
 だけれど、あの四肢を切断された餓鬼は今まで好き放題やっていたそうじゃないか。そいつがまともな母親か、もしくは甘やかすだけ甘やかした母親なのかはわからないが、もしも前者ならば……その不安は相当なものだ。場合によっちゃ被害妄想だって生まれるかも知れないぞ? 母親がわざと何かのトラブルを起こして帰れないという事にして、自分を放置して殺すんじゃないかとか。例えば、事故を起こし足り巻き込まれたりしたことにして、夏に放置をされたりとか……そういう被害妄想に取りつかれて、人格だって変りかねない。
 しかも、それが、寿命が延びたせいで最悪何百年も続くというおまけつきだ。自殺も出来ないとなれば、もはや絶望しか残っていない。後悔して後悔して、だからと言って勉強とかをする気になるかどうか。もはや頭を動かす事しか出来ないのに、頭を動かす事すらしなくなったら、そいつはもう人間として終わりだな。そうやって生きるのは苦痛でしかない、となれば復讐は成功するんじゃないかな。とても、胸がスカッとする復讐になるだろうね」
 と、サフランは言う。
「正直な、俺は今のこの状況に興奮しているよ。縛られるのが好きなわけじゃなく、こんなに絶望的な状況にさらされている人間が、存在しているという事に、興奮している。俺が苦しめてやりたい奴に同じことが出来たら、どんなに嬉しくて楽しい事かと想像すると、その瞬間が待ちきれない気分になる。早く復讐できる相手に出会いたくなる」
「『でも、サフランさんはまだ誰に復讐すればいいかもわかっていないのに……それは、気が早くありませんか?』」
 リアンに問われて、サフランは苦い顔をする。
「分かってる。でも、こうしていないと、自分が自分でなくなるようで……辛いんだ。恨みを忘れたくないんだ、俺は」
 そう言って、サフランは変わらない現状にため息を漏らした。
「『私も、忘れられないから辛いもんですよ。本当、復讐できる相手を早く見つけたいもんです』」
 そんな風にご主人がしおらしくなった時は、リアンはなるべく主人と同じ気持ちになるよう振る舞っている。そうしないと、心が弱ってしまうであろうことを、リアンは何となくだが悟っている。だから、今はとりあえず主人の言う事をなるべく肯定してあげることにして時間を過ごした。


 そうして十数分後、結局介護が面倒なので、昼食を終えたらもう縛るのは終わりだとリアンに言われて、サフランは渋々ながらそれを了承して昼食を食べる。リアンが持ち前のスプーンで食べさせてあげることも考えたが、サフランはそれを断って犬食いで食べる。人間の顔は犬と違ってマズルもないため、非常に食べにくくてかなわない。
 サフランはリアンに無理を言って頼み込んだ結果ESPにも目覚め、オレンの実くらいなら持ち上げる程度のサイキッカーなのだが、あえてそれも使わない。思いっきり口を汚しながらの朝食を終えてから、サフランは戒めを解いて(というよりはリアンに強引に解かされて)今回の事件について、ポツリポツリと話を始める。
「あのイバラ校長、生徒からも保護者からも評判が良かったし、俺と同じで、他人の苦しみを理解してあげようとする、良い教師だったって噂だ」
「『それがどうして、あんなことになったのでしょうかね? やっぱり、ご主人と同じ理由なんでしょうか?』」
「だろうな、人の痛みが分かるというか……人の不幸は基本的に自分にとっても苦痛と捉えているんだろうね。その上、死んでいった人の恨みや憎しみも想像してしまう。俺がそうなんだけれど、多分あの人もそういうものなんだよ、きっと」
「『ふむぅ、人間っていうのは、本当にいろいろ考えているものなんですね』」
「フーディンは事実を覚えておくのは得意だけれど、未来を予測したり、推論をするのは苦手なようだな」
「『そんなことが出来るなら、ポケモンは人間よりも高度な文明を築いておりますゆえ』」
 サフランの言葉に納得し、リアンは頷きながら文字を打ちこんで見せる。
「そうだな」
 と、サフランは笑う。
「話の続きだけれど……人格が良く出来た校長先生と、高速道路に石を落としていたあのガキはその真逆でね、あのガキにとっては人の不幸は蜜の味なんだ。どうにも、イバラの話を聞く限りじゃ、引っ越しした先でむしろ、あの大事故を起こしたことを自慢していたらしい。『俺はあの事件の犯人なんだぞ、逆らったらお前の家を燃やしてやるぞ! 俺は幼いから警察に逮捕されないから、覚悟しろ』ってさ。それで、暴力を振るったり、無理やり物を奪ったりとやりたい放題さ。反省して、つつましく暮らしているのならば、きっとイバラさんもそこまで怒りはしなかったんだろうね。
 そこまでくるとね、如何に他人の不幸が自分の不幸という気質の持ち主であっても……『あのクソガキを殺したらみんな幸せになるんじゃないか』って考えてしまうのだと思う。だって、自分勝手に生きているあのガキを、そのまま野放ししておくのはやばい。他の誰かが不幸になるし、死んだ人達も救われない。そうやって憎しみも増してしまったんだそうだ。
 それで、生体エネルギーを利用して、長い時間をあの体で過ごさせるという復讐を思いついたんだとか。悪いことをすると酷い目にあうぞっていう、生き証人としてな」
「『それはつまるところ、他人の失敗と、その結果からやってはいけないことを世間の皆に学ばせるために……ですかね? 要は見せしめ?』」
「だろうね。あんな姿を見れば、他の人間は馬鹿なことをしにくくなるだろうよ。そしてそれが、何百年も生きる……見せしめとしては最高じゃないか。本当は長い時間をかけて生体エネルギーを集めたかったけれど、急ごしらえであんな形になったらしい。少量のエネルギーを生命の樹に打ち込んでも、あの寿命を延ばす光が発生しないとかで、必死だったそうだ。それさえなければ……ポケモンがむやみに苦しまずに終わったのかもな。そう思うとやるせないよ」
「『ですねぇ。無関係なポケモンが巻き込まれるって、辛いです』」
 その書き込みをサフランに見せてから、はぁとリアンはため息をついた。

「『それにしても、なんで人間って復讐するんですかね? キビトさんも言っていたけれど、その行為に生産性なんてないのに」
「生産性がないってのは、確かにその行為自体に生み出すものがないという点ではそうかもしれない。けれど、巡り巡って生まれるものはあると思うけれどなぁ……それに、ゼルネアスの対になるイベルタルってポケモンが象徴するのは破壊だ。破壊と生命が表裏一体であることなど分かり切っているはずだろうに。何か不要な物、悪影響のあるものを排除しないと、生きる場所が奪われっぱなしなんだよ。
 汚染物質を垂れ流すような産業廃棄物は、きちんと処理するに限る。復讐の意義ってのはそんなもんだ。それが逆恨みである場合を除けば、悪い事じゃあないんだと俺は思うよ。さっきお前さんが言った通り、見せしめにもなる。
 見せしめのせいで、『復讐が怖いから人に恨まれるようなことはしない』なんて考えは少し殺伐として嫌な世の中かも知れない。理想は、復讐への恐怖で平和になるよりも、助け合いの善意で平和になってほしいけれどね。でもそれはちょっと難しいと思う……皆、楽をしたいし、自分の好き勝手にしたい欲求は少なからずあるから。だから、抑止力が必要なんだ。それは、必要悪なんだと思う」

「『うーん……分かったような分からないような。だってそれ、全体的な意義の問題ですよね? そんな、復讐をしたい人間がみんな、"人類の今後のため"だとか崇高なことを考えているのでしょうか?』」
「まぁ、結局は言ってしまえば感情の問題だよ。『憎いな奴が近くにいて欲しくない』、『のうのうと生きていて欲しくない』。そういう感情だ。人間は、しがらみが多い。愛だとか、友情だとか、絆だとか、そう言った心情的なものはもちろん、財産や名誉、権力などもある。ポケモンは、大袈裟に言ってしまえば命だけあればいい。だから、命が一番大事なんだ。そういうところが人間とは違う。
 でも、人間は感情豊かになってしまったせいかな、命よりも大事なものがあるようになってしまった。命よりも大事な何かを失ってしまったら、もはや何もいらないからその原因を排除したいっていうことがある、。命よりも譲れないものがあるからこそ復讐に走るのだろうな。
 何よりも大事なことは、『苦痛から解放されること』になって、その『苦痛』というのが復讐の対象がのうのうと生きていること、という感じで」

 そこまで言って、サフランは自問自答する形で考える。
「俺は……いや、命より大事ってことはないか。復讐は大事だけれど、お前のためにも死ねないし、お前を失いたくはないし。復讐はするけれど、生き残らないとな」
「『当たり前のこと言わんで下さいな。私は貴方が大事で、貴方も私の事が大事なわけですし。お互い、どうあっても命を投げ出すような真似は慎みましょうや』」
「そうだな……でも、目の前に復讐したい相手がいて、刺し違えれば何とか復讐できるその状況になったら、分からない……願わくば、そうはなりたくないもんだ。はぁ、生き残ったらどうしよう……寿命も延びちゃったし、この際伝統芸能とか、工芸でも継承するかな……百年間現役で技術を持ち続けたらありがたがられるだろうし」
「『いいですね、私も手伝いますよ。ジョウト地方の建築技術とか、アルトマーレのガラス工芸とか、いろいろ覚えましょう』」
 リアンが打ち込んだ文字を見てサフランは微笑み、リアンを抱きしめてあげる。
「そうだな」
 囁きながらぎゅっと抱きしめてあげると、僅かに興奮したのか、彼女の手の平に力が入るのを感じる。そのまま彼女を引き寄せてベッドに寝かせると、リアンは寝返りを打って、サフランに微笑みかける。その頬を優しくなでてあげると、もぞもぞと胸に飛び込んでくるので、サフランはその頭を抱きしめてあげた。

「『ところでですね、ご主人』」
 ご主人の胸に収まりながら、リアンがふわりと浮かせたスマートフォンをサフランに見せる。
「どうした、リアン?」
「『発情期が突然訪れたのですが、どうしましょう?』」
「突然ってわけでもないだろう。春先だし、それに……もしかしたらゼルネアスの力の影響もあるだろうし」
「『そうですね。でも、そんな事はどうでもいいのです。貴方に、抱いてもらいたくってうずうずしておりますし……』」
「ふむ、そうだな。とりあえず、発情期はともかくとして、ゼルネアスの件で精密検査を受けに行った方がいいかもな。そうなると、病院とポケモンセンターの予約が必要か……次の休暇は四日後だし、その日かな」
 独り言を始めるサフランに、『あのぅ、無視しないでください』とばかりにリアンは彼の頬をつつく。
「分かってる。じゃ、今日はあれだ……お前の望み通りにしよう。どうしたい?」
「『貴方となら、何でも』」
 と、リアンが返せばサフランは悪戯っぽく微笑み、彼女の頬を撫でる。
「そう、なら何でもやってあげちゃうよ」
 言いながら、サフランはリアンを持ち上げ、胸から顔までスライドさせる。お互いの息が触れ合う距離になったところでサフランが彼女の長いひげを撫でる。引っ張ったり撫でられたり、付け根をくすぐられたりなど、最初からがっつくような刺激を与えたりなどしない。物欲しそうに覗かせる舌は、口付けを求めているのは明白だけれど、早すぎたらつまらない。
 せっかく、レンジャーとして昇格して宿舎に個室を与えられたのだ。だれにも見られないのをいいことに、時間をかけてねっとりと楽しまなければもったいない。

 食べているものや、毎日歯磨きをするように躾をしている影響だろう、リアンの口臭は人間のものとそう大差ない。嗅ぎ分ければわかるが、人間の匂いが嫌いでなければ、彼女の匂いは苦にならない。ポケモンにしては獣臭さがないのは少し残念だが、変な匂いよりかは悪くない。
 生暖かい空気を交換し合うように呼吸していると、かすかに息苦しさを感じてしまう。特にサフランは、リアンに乗られてもいるので息苦しさはひとしおだが、その苦しみを味わうのもまた一興だ。次第に、性欲に押されて集中力も無くなってきているのか、リアンが滾る唾液をぽとりと垂らす。
 生温かなそれが口元に落ちたので、サフランはそれをぺろりとなめとる。人間のものとよく似ているせいか、味はしないというよりは感じない。ただ、少しだけ体温が違うのだろうか、それだけは感じられた。
「じゃあ、始めるよ」
 唾液がスイッチとなってしまったのか、サフランが言うなり口付けをする。待ち構えていた主人の唇に触れ、リアンは尖ったマズルの先まで舌を伸ばす。二人の舌先が触れ合う。普段触れない場所同士が触れ合い、二人は今、自分が非日常の中にいるのだと、実感した。ときめくような甘いキスは、リアンが上であるせいか必然的に唾液がサフランの口の中に流れていく。残念ながら喉を鳴らして飲む程の量はないが、彼女を感じるのは十分すぎるほどの量だ。
 二人の体を、体温、触感、嗅覚、味覚で存分に味わい、生暖かい息が顔にかかる心地よさに、徐々に興奮は高まっていく。普段、発情期でない時でも、リアンならば頼めばやらせてくれるだろう。しかし、サフランとしては相手が乗り気でなければ意味がない。嫌々やらされる行為などでは、自分まで嫌な気分になってしまう。
 憎い相手を犯すならば嫌がっている方がそそるのだが、リアンはもちろんその逆だ。彼女が興奮している。それを想像すると、興奮する。人間には発情期はないが、それでも性的な欲求が湧き上がることは普通の男ならば経験している。けれど、同じくらいに欲情しても、リアンがそれを口にして体を求めるのは恥じらいが阻害するはずだ。
 その恥じらいすらも上回る性欲を持て余しているとなれば、普段の自分よりも欲情している、そういう事なのだろう。そんな彼女を今から愛でるのだ、熟成されたチーズやワインを目にしたような高揚感が胸を包む。

 リアンは口を離すと、ベッドに右手をついて、サフランのシャツの下をまさぐる。首筋から入り込んだ手が、鎖骨を撫で、逞しい胸筋をふれる。もっとやってみろとばかりに挑発的な表情でサフランは見上げ、リアンを誘っている。反応も薄くどうしたとばかりに嘲笑するようなその顔を見ていると、悔しくなったリアンはサフランの服を脱がせようと、サイコキネシスで服をめくる。その強引な服の脱がせ方だが、サフランは逆らわず、半裸の裸体を晒す。上着もシャツもすべて脱げたところで、サフランはリアンの手をちょいと引いた。
 それは、抱きしめてやろうという合図。強引にではなく、あくまでリアンの意思に任せるという体だが、今のリアンが逆らえるはずもなく。もちろん、逆らえないのは主人に対してではなく、自分の欲求に対してである。主人の言う通りにしなければ、きっと主人は先へ進ませてはくれないだろう。主人のペースに合わせなければと、リアンはすっかり主人にペースを握られているのだ。
 そうして、今度は歯だと肌が直接触れ合うようになる。一緒にお風呂に入れば、触れ合うことなど日常茶飯事だが、今日は触れ方がいつもとは違う。布越しで無く抱き合うなんて、何か月ぶりかの行為である。フーディンの黄色い部分は短い体毛が上半身や膝、手首などの茶色い部分は固くなった皮膚組織がある。リアンの茶色い部分がサフランの胸に触れると、そこから直接温かみが伝わっていく。鍛え上げられた肉体は、固く熱く、たくましく、それに抱きしめられると、それだけで下半身がきゅんとうずいてしまう。
 彼の息遣いも、より鮮明に感じられて、服の分厚さ、たった数ミリ距離が縮まっただけなのに、まるで今まで壁を一枚隔てていたかのように主人が近い。また口付けをし、今度は鎖骨、脇、わき腹と撫ぜていく。骨盤あたりにはまだ、分厚いパンツが彼の下半身を守っている。これも、また一センチメートルにも満たないが、分厚い壁だ。
 パンツのホックをはずして脱がせようとしても、サフランはリアンの腕を掴んでそうはさせない。
「まだだよ、リアン」
 囁くように、そういうと、リアンは意地悪とでも言いたげに物欲しげな顔をする。
「そんな顔をしてもだめだ」
 押し倒された体勢なのに、心は完全に優勢なサフランが、リアンの手綱をそう言って締める。まだ、次の段階に行かせてもらえないならばと、リアンはサフランに媚びることを選んだ。彼女は四つん這いになって、可愛らしいピンク色の綺麗な舌で、寝汗が残りかすかに塩の味がする彼の体を這っていく。ぞくぞくするくすぐったさと、それに伴って芽生える快感が、主人を満足させている。
 サフランは、舐められるのが好きだ。ガーディなどが愛情表現でなめまわしたりして来ることに、彼が笑顔で対応しているのを、リアンは間近で見てきている。最愛のパートナーであるリアンにそれをされたら、嬉しさもひとしおというものだろう。リアンも、愛情表現に舌を使うというのはあまり慣れたものではないが、主人が喜んでくれるなら、何でもしたい。
 首筋を舐め、甘噛みし、痛くない程度に爪を立て。自分の存在をこれでもかと刻み付けるように、リアンは行動する。そうして、サフランの気分は盛り上がり、彼もまたそろそろ欲求を押さえるのが難しくなってきた。だから、リアンが顔を舐めている時に、そっと頬を撫でて導き口付けをして、今度は彼女の茶色い胸に触れた。
 乳房のない堅い胸だが、こうして優しく触られることに慣れていないのか、これまでの行為で興奮して敏感になっているだけに、体が震えそうになるのを耐えようとしているのが分かる、生姜色の下半身にはまだ触れない、腹まで撫でて、サフランは四つん這いになっていた彼女の体を再び抱き寄せる。
 今度は、サフランが撫でる番だ。背中を撫でて、腰を撫でて。そこから下に手が到達したときは、さすがのリアンも表情を変えた。じらされることに対する苦痛もあれば、焦らしからの解放への期待もある。まだ、サフランはリアンの尻を撫でるだけで、肝心な場所には触れようともしない。
 分かってる、サフランは意地悪だ。愛おしい子に意地悪をするのが大好きで、それを嫌がるような相手だったらそれも自重するが、リアンはそんな主人の愛を受け止めるのが大好きで、いじめられるのも甘える事の一環のように好んでいる。いわゆる、Mという奴である。
 サフランは、リアンの尻を撫でるのを止めると、自分とリアンの位置を入れ替えて、今度は自分が上になる。彼女を見下ろすと、いつもと違って彼女の股間が自己主張をしているのが見えた。充血して、少し盛り上がっていて、腫れているかのようなわずかなふくらみが、とてもいやらしい。
 それをじっと見つめていると、リアンは恥ずかしそうに内またをこすりあわせる。見られたくないのもあるのだろうが、それで気を紛らわせているように見える。だけれど、そんな風に隠すことを許しては面白くない。恥ずかしがる彼女を見下ろしているサフランは、意地悪な目をしてリアンが持っているスプーンを奪う。それを使ってサイコパワーを高め、サイコパワーによって体を動かしているているフーディンにとっては、スプーンを奪われることは、抵抗するすべを奪われることを意味している。
 なら、奪い返せばいいのだけれど、主人がそれを望むのならば、奪い返すのは無粋だ。リアンは観念して力を抜いた。すると、それをいいことにサフランはリアンの股を開く。完全に外気にさらされた秘所は、涼しい空気に触れて、酷く驚いていた。
 他人が見ているようなところで、こんな風に股を開くことなどないので、この体勢をするのはいつもドキドキだ。閉じてしまいたいくらいに恥ずかしいのに、反面主人がこうして自分を欲してくれることがたまらなくうれしい。この時間が早く終わってほしいような、逆にこの時間が永遠に続いてほしいような。この二つの想いに板挟みにされるのが、彼女にとって至福のひと時だ。
 リアンの痴態をじっと見つめ、それを十分に楽しんだところで、サフランはリアンの腕を開いて、彼女を大の字にする。今度は彼が非リアの首筋に噛み付き、そして舌に食いつかんばかりの口付けをする。リアンは思わず動きが鈍った体でサフランの体を抱き込む。身を縮めて彼を抱きしめるが、下半身は膝でからの体を挟むだけ。足を彼の体の後ろ側まで回して抱き着くのは、さすがに恥ずかしくてできなかった。
 彼女の控えめな抱擁に気を良くしてサフランがリアンの首筋をくすぐっていく。くすぐったいのだろう、体をぴくぴくと動かしてはいるものの、しかし恍惚としたその表情は明らかに感じている。こうなってしまうと、いわゆるメロメロ状態となった彼女のサイコキネシスは乱れっぱなしで、文字を打つなど細かい作業は難しい。つまり、言葉を交わす手段はなくなってしまうのだが、それでも問題はない。
 長く暮らしていたこともあって、リアンが求めていることならば大体わかる。もっと、強くかみついてくれと言わんばかりに首を寄せてきたので、その通りにしてやる。少しくらい痛みを感じさせるつもりでリアンの首に噛みついたが、今ではそれも彼女を興奮させるだけで、苦痛らしい苦痛を感じている様子はない。
 それどころか、リアンはサフランの顔をやんわりとつかんでもっともっととせがんでくるのだから、力の加減が難しい限りだ。これだけ強く噛んでも大丈夫なのは毛皮があるからだろうと、サフランも調子に乗ってもっと強く噛んで見せた。さすがに痛いのだろうか、少し体を悶えさせて、サフランの頬に添えていた手も離してしまった。少々やりすぎてしまったが、口を離してみればリアンは笑っている。
 大丈夫かと問えば、リアンはうんと頷いた問題はないようだ。

 そうしてリアンを微笑みながら見下ろしていると、彼女も耐え切れなくなったのか、スプーンを没収されて重くなった腕でサフランのパンツのホックをはずしている。わざわざ体を動かさずとも、睨むだけでそれくらいはずせるだろうに、こうして手で外すあたり、サフランが手を掴んで止めるなら諦めようと思っていたのだろう。
 今回はその手を止めることなくリアンに任せて上げた。パンツのホックをはずすと、その下にある下着もずり下げる。すっかり立ちあがった逞しい性器を見て、リアンは物欲しげに口を開けた。リアンはサイコキネシスで主人を持ち上げ、サフランもまたそれに逆らうことなく、服を脱がされるのも、押し倒されるのもされるがままにしてあげた。
 陰毛からそびえたった生殖器は熱を持っていて、その温かみを包むようにリアンは手を握る。普段はスプーンばっかり握っているその手は、握力を使う機会も殆どないのだろう、子供の手の様にすべすべで柔らかい。軽く握ってみると、筋肉がほとんどないその手は、耳たぶに包まれているかのように心地よい柔らかさだ。軽く握った手の平から、リアンがそれをいつくしむように扱っているのがよくわかる。上下にゆするその手つきは、腫れものを触るかのように慎重で、刺激としては物足りないけれど、そのぎこちなさが自分で性欲を処理するのとは全く違う焦燥感を掻き立てる。じれったいが、それゆえに長く続けていたくなる。
 リアンも努力してはいるが、どうすれば相手が気持ちよくなるかなんて、他人にはわかりにくいもの。少しスピードを速めてみたり、握る力を強くしてみたり。そうした試行錯誤をしてくれるのが嬉しいが、そのどれもこれもが空振りなのはご愛嬌だ。長年、自慰によって少しずつ変形した性器には、自分の手が最もなじむ形である。リアンがいきなり握りしめたところで、それよりも気持ちよく感じるのは難しいだろう。
 けれど、そうして精一杯頑張る姿はたまらなく愛おしい。性器を口に含んで精一杯気持ちよくさせようとする姿は、淫乱という印象よりも、本当に自分を好いてくれるのだろうという印象の方が前に出る。こちらを見る余裕もないのは、それだけ夢中というよりは必死なのだろう。
「いい具合だ。だけれど、やっぱり限界があるね」
 そう、必死さは認められるが、しかし実力が伴っていなければどうしようもない。そもそも口という器官はそんな事のために使うものではないから、気持ちよくなくとも仕方ない。いくらやっても射精まで導くには相当の時間がかかるだろう、それまで楽しむのも一興だが、彼女を待たせすぎるのも良くないし、一度出してしまっては彼女を楽しませることも難しい。
 リアンは暗にまだまだ気持ちよくないと言われたわけで、何度目かの挑戦(リアンなら正確に覚えているだろうが)とはいえ、上達できていない自分が歯がゆい様子。見返してやりたいとばかりの彼女の表情は、サフランをいくばくか喜ばせた。実際に上手くならずとも、そういう努力さえあれば、いくらでも楽しくやることが出来るだろう。やはり、性行は技術よりも気持ちの問題だ。最悪、どれほど技術が無くても、気分さえ満たされればやった意味はある。
 サフランの性器から口を離し、改めてその裸体を観察する。風呂の時などは特に意識もしていなかったが、肉付きの良さは格闘タイプのポケモンにも見劣りはしない。さっきもあの腕、あの胸板で抱かれた時、その肉厚な筋肉の固さと熱さに、自分の中のメスが目覚めるのを感じたものだ。今回は、抱かれるなんて生易しいものじゃない。
 その下にある立ちあがった性器で、自身の雌を穿たれるのだ。ついにその時が来たのだと思うと、期待で胸が高鳴るのを感じる。緊張して体が震えそうになり、下半身は嫌でも感覚が鋭敏にってしまう。不安もある。何度か性行を経験したことはあるため、痛みについて心配する必要はなかったが、上手く出来なかったらどうしようという思いはいつもある。
 上手くいかないというのは具体的にどういうことかと聞かれると、リアンとしてはよくわからないのだが、主人が楽しめなかったらどうしようだとか、漠然とした不安があるのだ。そんなリアンの不安など、サフランは気にしてはいない。最初はその不安げな表情をいぶかしみ、『怖いのか?』と尋ねたりもしたものだが、今はそんな心配なんて無用だと、囁いたり撫でたりしてあげることで、リアンを宥めている。
「リアン、お前がそんな顔してちゃ、俺は思いっきりできないよ。もっと、物欲しそうな顔でもしてくれよ」
 微笑んでそう語りかけると、リアンはぎこちない笑みを浮かべて頷いた。その笑みがぎこちないのは、一歩間違えると色欲に塗れた表情になってしまいそうで、それがはしたないからあまり自然な表情は出来ないのだ。やれやれと思いつつも、そんな恥ずかしがり屋なところが可愛くて、サフランはリアンの頭を撫でて軽くキスをして、リアンを押し倒す。ベッドの上、肩幅より広く足を開いたまま、胸を高鳴らせてその時を待ちわびるリアンの姿は、老け顔と称されることもあるフーディンであっても、なまめかしく可愛らしい。
 キスをしたまま、手をぬめる液体に塗れた場所へと伸ばす。チョンと触れるだけで今の彼女には十分に刺激的らしい、甘い声が漏れると、それを同意とみなしてサフランは指をめり込ませていった。胎内に他人の体の一部が入るという恐怖感と嫌悪感、だがそれが愛する主人のものだと思えばそんな恐怖も嫌悪感も拭い去られてしまうよう。
 指が根元まで大した抵抗なく入り込み、それを往復されて、内壁が擦られ、揉まれ、圧迫され。それらの緩急が、間断なく秘所を刺激している。体が熱いのに、息が震える。体の奥底から快感が掘り起こされていくようで、甘い吐息は荒々しく。なのに、口はふさがれているから息苦しくってしょうがない。互いの二酸化炭素が含まれた吐息をじかに交換し合っているから、それも息苦しさを手伝っているのだろう。
 根負けして、リアンが口を離すと、サフランは口の周りに付いた唾液を舌なめずりする。
「どうだった?」
 よかったです、と言おうにも、今は手元に文字を書き起こす手段もなく。だから、リアンは親指を立てることでよかったよと意思表示をする。それに気を浴したサフランは、微笑んで彼女を見下ろす。
「いいね?」
 何が、とは言わないが、ここまで来て他の事だと思うはずもあるまい。リアンがこくんと頷くとサフランは分かったと小さくつぶやき、とっくに臨戦態勢になっていた性器を押し付ける。彼女の濡れた割れ目にそれを押し当てれば、先端はずぶりと肉の壁の中に沈み、歓迎されるようにもみほぐされていく。
 リアンは思わず下腹部に力が入るのを押さえられず、サフランの性器を咥えこんで離さない。それには当然、力を入れられた側にも快感が生じて、サフランは嬉しそうに声を上げた。
「いいね」
 と、だけ簡単に囁くと、褒めて盛らって嬉しいやら恥ずかしいやら、リアンは控えめに頷いた。いまだに垢抜けないリアンの恥ずかしそうな仕草は、あざとく無しに可愛がりたいという欲求を奮い立たせる。ゆっくり前後に往復運動を始めれば、気持ちいいのだろう腰を前に突き出すような体勢を取り、男性がより深くまで付切れやすい格好に。
 次第に体を揺らすようになった彼女は、サフランの往復とリズムを合わせて同じように往復する。そうすることで、動く距離も増え、擦れ揉まれる刺激も強くなり、腰を打ち付ける時の衝撃も相応に強くなる。それらの複合効果で、快感が上り詰めるスピードはさらに上がっていく。息が合った二人の躍動を自覚すれば、嬉しさも手伝って二人の気分は最高潮に。
 二人とも、体が息切れし始めても止まることは出来ず、本能のままに体をゆすり合った。決して芽生えることはないであろうが、リアンは雄の精を搾り取るためにサフランの性器を締め付け、それに応えるようにしてサフランはメスを孕ませるべく、彼女の中にありったけの子種を放った。
 しばらくの間、性器の脈動と共に射精をして、その間二人の体はぴたりと密着したまま、受精を確実に行うべく奥底に届く体制をしていた。射精も収まった頃に、サフランはずるりと性器を抜いて、快感の余韻を噛み締めるように大きくため息をついた。
「リアン……まだ、満足したかどうかは分からないけれど、ひとまず俺は休むぞ」
 いつもより少し荒く息をついているが、鍛えているだけあってこの程度で呼吸を乱すほどにはひ弱ではない。ただ、一度出すものを出してしまえば性欲が萎えてしまうのはどうしようもなく。リアンを気遣い、隣に座ってそっと胸を撫でてあげるようなことは忘れずとも、さっきまでの興奮は冷め止んでいた。
 リアンはまだまだ欲求不満だが、サフランの体がそういう風に出来ていることは知っている。だから、我儘を言わずにそれでひとまず我慢をするのであった。
「なぁ、リアン。ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
 と、前置きをされてリアンは慌ててスマートフォンを手に取る。
「聞くまでもないことかもしれないけれど、お前……昨夜はどうしてあんなことをした? 長生きしてどうするつもりだ?」
「『貴方の傍に、出来るだけ長く居たかったからです』」
 サフランの質問にリアンは即答する。
「やっぱり聞くまでもなかったか」
 それに対するサフランの返答は、満足そうに微笑みながらのもので、リアンは怒られたり内心呆れられていたりしているのではないかという懸念が杞憂であったことにホッとする。
「『私がしたことは余計だったのでしょうか?』」
 と、リアンが入力した文字を見せると、サフランは首を振って否定する。
「分からんよ。きっと、いつかお前が傍にいてくれてよかったと思える時が来る。でも、その反面で、お前も長く生きることが辛いと思う事が増えると思う。なんせ、フーディンっていうのは何もかも覚えていてしまう生物だからな。長生きすることが辛いこともあるだろうし……何より、俺達に子供が生まれたとしても、その長生きが受け継がれるわけではないだろう。そうなったら、俺達はいったい何人の死を見届けなければならないんだろうなという話でもある。
 だから、分からないのさ。お前がしたことが果たして正しかったのか、それとも余計な事だったのかなんて。お前が一緒にいてくれるというのは嬉しいけれど……まあでも、人生の大半を復讐に費やしているんだ。もし、普通の人生が歩めるようになるのならば、余生が長いというのはお得かもしれない。そうやって、プラスに考えることにするよ」
 あくまで優しく笑ってそう言ったサフランを、リアンは直視できなかった。サフランに半ば肯定されるようなことを言われても、だからと言ってリアン自身が自分のしたことを肯定するには至らず、まだまだ渦巻く自己嫌悪。それすらも受け入れ、包み込むようにサフランはリアンの事を黙って抱きしめる。
 言葉なんて必要ない、不安になった時は抱きしめて肯定してあげればいいのである。
「嫌だったら、逆らってたから大丈夫。だから、変に思いつめるな、リアン」
 まだ顔を上げることが難しいリアンだが、サフランに優しく諭されて、表情が綻ぶのを抑えきれずにおずおずと頷いた。
「『これまでも、これからも。ポケモンレンジャーの手持ちとして、そして貴方に使える一介のポケモンとして。私は貴方に一生お仕えし、お慕いしたく申し上げます。私は最大限そのために尽くしますので、どうか一緒にいてください』」
 その文面をサフランが読む間、リアンは期待に満ちたまなざしで彼を見つめていた。そうして、彼が読み終えスマートフォンを返して一言。
「改まる必要はないから。よろしく」
 結局、何があろうと自分を受け入れてくれるような人は主人くらいなのだ。だからこそ、主人を死なせないよう頑張ろうと、抱きしめられた腕の中でリアンは今の幸せが続くことを祈った。


*1 殉職すること

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Last-modified: 2015-05-15 (金) 21:20:28
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