作者:DIRI
「うぅ……」
まず感じたものは寒さだった。そしてその次に痛み。痛みを感じていると言うことは死んでいないと言うことだ。素直に神に感謝した。目を開けるだけでも気怠いのだが、そうしなければどうなるか分からない。息苦しい訳ではないので陸地にはいるのだろうが、体が不安定な気がする。目をこじ開けると、どうやら川岸に流れ着いているらしい。寒い訳だ、下半身が川の中に使ってユラユラと揺れているのだから。体が冷えて上手く動けないが、このまま川に揺られていればいずれ更に体温が下がる羽目になる。なんとか川から這い出すと、もう一度神に感謝した。溺死体が二番目に葬儀屋が見たくない死体だからだ。そんなものリジーに見られてたまるか。しばらく経って落ち着いた辺りで辺りの様子を見る。敵がいるかどうかの確認もそうだが、何よりアレンがいないかどうかが問題だった。孤立した状態では危険は今までの数倍に跳ね上がる。それに仮に俺だけ帰還した場合、オリバーにどう弁解して良いのか全く見当がつかない。軍人になった時点で殉職は覚悟の上だろうが、それでもだ。結果的に言うと、彼は少し離れた川岸で未だに半身を川に浸けていた。藻掻いているので死んではいない。神は俺達をまだ見捨ててはいないらしかった。疲れ切って重たい体を動かし、アレンを助けると、体を休めるにはちょうど良さそうな大木の
「アレン、ベストとボディアーマーを脱げ。いつまでも濡れたものを着ていたら風邪を引く。頭痛にうなされながら戦闘は出来ないぞ」
オレは装備を解除しながらアレンに言ったが、アレンは動こうとしない。抵抗しているようにも見えるが、今までの彼の挙動から見て抵抗と言うよりは無視なのだろうと思った。だが風邪など引かれては困る、現在戦力が俺とアレンの二匹だけの状態、そんな状態で一匹が病気で戦力として乏しいとなれば一匹よりも更に危険が増す。足手まといがいては困るのだ。しかし置いていく訳にも逝かない状況である。
「“命令”だ、アレン、一旦武装を解除しろ」
アレンはまた無視するのかと思ったが、しばらく経ってからベストを脱ぎ始めた。気恥ずかしいのかは分からないが何故か俺に背を向けている。彼の普段はあまり見ない胴の体毛が現れた瞬間にどこか妖艶に見えてしまった。俺には同性愛の気はないはずだが……。ともかくそんなことは置いておいた方が良い。銃などの武器はなくしていないが動作不良を避けるために乾かしてメンテナンスをしなければならない。AKほどの信頼性はM8はともかくM9やP90、Five-sebeNには期待出来ないからだ。アレンに銃をメンテナンスするよう言っておき、俺は自分の銃を点検した。分解することは出来ないが、バレルの水気を取って砂や小石などが入っていないかを確認し、スライドの動きにも問題がないか確かめる。どうやら俺の銃は問題なさそうだが、アレンはいつまで経っても俺に背を向けたままで銃を手に取りもしない。命令無視はいただけない。注意しようとアレンに近づいた、その時だった。
アレンが振り返る。その目は今までのそれと違い、全く曇っていなかった。透き通っているとは言いがたいものの、今までのものと比べると全くの別物とすら捉えられた。そして、その目ばかりに気を取られていてはいけないと視線を少し逸らした時、俺は驚愕した。胸がある。アレンの胸はまさに雌のそれとしか言いようがない。彼はいつも死んだ魚のような目をしていたために誰も興味を示さなかったのだが、雌と見まごう程の――それもそれなりに美人の――容姿を持っているのだ。それが目の前でこれである。どう反応すればいいのか分からないため、俺はただうろたえていた。
「アレン? 一体……どうなってる……?」
答えが返ってくるはずもないと承知で俺は言った。
「私はアレンじゃない」
遂に俺はうろたえることすら出来ず、その場で硬直してしまった。喋ったのだ、今まで無言だったアレンが。しかも、まるで少女のような声で。俺と同い年のはずだが、少なくとも間違いなく雄の声ではない。それに付け加え、喋った内容のこともある。アレンでないとは一体どういう事であろうか。
「アレンは偽名。私の本当の名前は、アリス・ヴァレンタイン。ガンマ・チーム隊長、カーラ・ヴァレンタインの従姉妹」
……気絶してしまいそうだ。
その事を聞いた後数分は時が止まったように動けずにいた。結局、先に動いたのは彼……もう“彼女”と言った方が適切かも知れない。
「驚いたよね……当然だよ、信じられないよね」
今までのアレンが嘘だったかのように、“アリス”は饒舌に話していく。“アレン”は嘘の存在だったと言うことだろうか。
「私が今まで黙ってたのはこの声のせい。オリバーの声ならまだ雄にも聞こえるけど、私の声じゃ一言喋っただけでばれちゃう。だから今まで一言も喋らないで黙ってたの……。デイブ、今までごめんなさい……」
アレン、もといアリスは俺に深々と頭を下げた。うろたえてはいるものの、俺はとりあえず彼女に頭をあげるように言った。それでも数秒は頭を下げたまま俺に謝り続けていたが。
「……私がね、今話そうって決心したのはベストを脱いで裸になったからじゃない」
アリスは頭を上げつつそう言った。別に裸と言っても、俺は基本的に任務の時以外は裸なのでどうとも思わない、むしろそう思う方が異常なのだが。言葉を続けようとする彼女の瞳には先程の言葉通り、何かを決心したという意志がはっきりと映り込んでいた。
「周りに誰も居ない……本当に二匹きりになれたから」
「……何を決心したんだ?」
饒舌さは変わらずとも、おそらくここで俺が相づちを打たなければ話が進まないと言う気がした。それが吉と出たか凶と出たか、それはさておいて、彼女は言葉を選びながら話し始めた。
話し始めた瞬間に分かったことだが、彼女は物事を説明する時に手振りを付ける癖があるようだ。
「まずね、私とオリバーのことについて話しておくね。私とオリバーの父親はカーラの父親の弟なの。だから私の姓もヴァレンタイン。それがね、今までどうして“アシッド”って名乗ってたかって言うと……オリバーの話になる。オリバー・アシッド、彼は“アレン・アシッド”の弟で、アリス・ヴァレンタインの妹なの」
自分の胸にそっと手を置くアリスは悲しげな表情をしていた。しかしそんなことよりもまず、彼女の言葉の意味がよく掴めなかった。オリバーはアレンの弟でアリスの“妹”、ここが一番気にかかる。そんな俺を見て、アリスはまた話し始めた。
「私、アリス・ヴァレンタインが“アレン・アシッド”を名乗っていたのは、オリバー・アシッドっていう“存在”が出来たから」
「と言うと?」
「アレンが私、アリスの虚偽の人格だったように、オリバー・アシッドも彼女の別の人格なの」
両手の人差し指をくっつけていたアリスはそれを二つに引き離した。それに気を取られることもなく、俺は疑問を口にした。
「“彼女”?」
「……オリバー・アシッドは……アレン・アシッドの弟、アリス・ヴァレンタインなんて人物は知らない。私の妹の名前はオリビア、“オリビア・ヴァレンタイン”。オリビアはオリバーと同一人物なの」
「二重人格!?」
聞いたことがある。意志を持った者の人格がいくつかに別れて独立しているとか言うものだった。正しくは確か“解離性同一性障害”だったはずだ。
どうしてそんなことになったのか、俺は詳しく話を聞いた。
「オリビアは昔……そう、まだ7歳の頃だった。……
うなだれるように俯いて、悲しそうに過去に起きた出来事を話しているアリスは見ているだけでこちらの気分も盛り下がる。
「そんなことはもう起きてしまったことだ、振り返っても仕方ない。……それに仮にお前がいたとしても、強盗が犯す相手が増えただけだったろうよ」
「多分ね……」
それがどう繋がっていくのかを話を促して聞く。
「二重人格ってホントは解離性同一性障害って言うんだって。小さい頃なんかに
そこで俺は首を傾げた。なんだか釈然としなかったのである。
どういう経緯でアリスの妹であるオリビアがオリバーという人格を作り出したのかは分かったのだが、オリバー自身は本格的な性的経験はないと言っていたはずだ。それに二重人格であるなら、新たに作り出されたオリバーは奥に引っ込んでしまうのではないかと思ったのだ。その事についてアリスに聞くと、また一層悲しそうな顔をして、呟くように彼女は説明した。
「普通なら、ね……。お医者様もそう言ってた。解離性同一性障害は、本当に最初からある“
小難しい言葉が幾つか出てきたので、最後に出てきた“主人格”について聞いた。
「生活してる中で一番表に出てきている同一性、人格のこと。みんなオリバーが基本人格だと思ってたでしょ? ホントはそうじゃない。一番長くオリバーが表に出てきてるからみんな誤解してたの。こんな事を言われてもまだ本当のことなのか信じ切れてないでしょ? 解離性同一性障害って言うのはそう言うものなの。だから私も現実逃避してるんだってしばらくの間思ってた。だけどオリバーはオリビアとは全く別の人格。自分にはお兄ちゃんがいたはずだって言ったり、私にはじめましてって言ったり、ありもしない昔のことを話したり……。とにかくオリバーは、オリビアとは全く違う記憶に性格、全く別の人なの。私も信じられなかったし、あなたも信じられないでしょ? でも事実なの」
彼女の言う通り、にわかに信じることが出来ないような内容である。しかし彼女が意味もなく嘘を吐く理由は見あたらないし、何より説得力があった。
しかし問題は、どうして俺にこんな事を話す決心をしたかだ。俺に話した所でどうなるというのか。俺が知る秘密が増えただけで、他に何があるというのか。もし彼女が俺に何か協力を求めるとしても、少なくとも多少は俺の性格を知っているアリスが、ただ話をされて秘密を知っただけという理由で協力すると考えるには理由が小さすぎる。あまりに安直で、ただ弱みをさらしたに過ぎない。
「信じる信じないは……とりあえず置いておくことにする。どうしてこんな話をした? 俺に何か出来ることがあるとでも?」
「ええ。多分、デイブにしか出来ないこと」
「俺にしか出来ないこと?」
皆目見当もつかない。俺にしか出来ないことと言えば、せいぜいこの体躯での
「デイブ、あなたならきっと出来る、オリバーを裏に戻してオリビアを表に出すことが」
「一体どういう事だ? 俺に何が出来る?」
アリスはすっと俺の方に近寄ってきた。魚が水の中を泳ぐような滑らかさで俺のすぐ前に来ると、そっと俺の頬に触れる。何をしたいのかは謎だが、その程度で焦ったりなどはしない。俺は瞳を覗き込んでくるように視線を向けてくるアリスをずっと見つめ返していた。
「オリバーは雄、オリビアは雌、人格によって異なってることはよくあること。でもね、オリバーはそんなことは気にしてないって言う。さっき言ってたよね、バイだって。でもそれは見栄を張ってるだけ、ホントは雄でいたいの。だから周囲の環境を自分の考えで合理化してる。私が雌だって事はオリバーも知ってた。最初は本当のお兄さんだと信じてたけど、隠し通せるはずがないからばれちゃったの。それで兄って言う名目の姉って言う、一種の弱みを握られた。見てたんだよね、私がキスされてる所。あれはオリバーが自分が雌だって思われたくないから、雄だって思いたいからあんな事するの。弱みがあるから抵抗も出来ない。それでも抵抗はする、私がオリバーを殴ってるとか噂が立ってるけどあれは事実」
「ちょっと待ってくれ」
俺は一旦彼女の言葉を遮った。
「お前が雌だって言う弱みを握ったとしてもそれはオリバーにも同じ事が言えるはずだ。オリバーが自分のことを雌だと思われたくないならお前もあいつの弱みを握ってることになるだろう? どうして一方的に……」
「私の性格を知ってるからよ」
また悲しそうにアリスはそう言うと、俺から少し離れて自分の頬を撫でた。
「私はオリバーを苦しめたくはない。人格は違っても血の繋がった姉妹だもの。けどオリバーは違う。血は繋がっているとしても別人の人格、私がどうなろうとそんなに気に病むようなことでもない。そこに漬け込むのよオリバーは。私が弱みを握ってもそれが使えないって知ってるから……。だから私に為す術はなかった」
オリバーの性格からは考えられないが、事実なのだろう。少し混乱してきた。
「話を戻すね……。オリバーは雌だけど雄、そしてオリビアには“レイプされたって言うトラウマ”が残ってる。同じ事をされそうになった時、オリバーは自我を守るために人格をオリビアに入れ替えるはず。だから……」
「俺にオリバーをレイプしろと!? 冗談でもごめんだ!」
俺はアリスを怒鳴りつけた。レイプなど生き物としての利に反している。それに俺は既に既婚者なのだ、その俺に何故そんなことを強要するのか全く意味が分からない。今はただ怒りが湧いてきてアリスに怒鳴り散らすしか考えられなかった。
「オリバーを元のオリビアに戻すためにトラウマを掘り返すだと!? 言ってることが滅茶苦茶じゃないか!」
「聞いて! デイブ、聞いて」
アリスは俺をなだめようとしている。まだ怒りは燃えさかっているままだが、彼女の言い分を聞くために一旦怒鳴るのをやめて彼女を睨み付けた。それに一瞬だけ彼女はたじろいだものの、ゆっくりと俺を刺激しないようにしながら言った。
「ふりだけで良いの。あなたならそれが出来ると思う」
「何を根拠に」
「根拠なんて無い。でもあなたならきっと出来る、私がそう思っただけ」
「
俺はアリスの言葉を一蹴し、責めるように鼻を鳴らした。思想などでやっていける世界ではない。思想は思想、現実は現実だ。上手くかみ合うことなど希である。
その時、彼女が泣き始めた。まさか泣いてしまうとは思っていなかったため、少し動揺したが、怒りが収まった訳ではない。言葉を掛けてやる必要もないのだ。それからしばらくの間、木の虚からは少女がむせび泣く声が木霊していた。濡れた体がまだ乾ききらず、毛がぺたりと寝てしまっているアリスは体のラインが強調されていて艶めかしく見える。かといってそれでどうという訳ではない。彼女は俺が不快になるようなことを強要しようとしたし、俺はそれで機嫌が悪かった。彼女が泣いている間中、俺は濡れた装備を乾かそうとしていた。ボディアーマーのセラミックプレートはともかく、
「……くそっ、通信が取れないか……。使い勝手は良いが防水性は良いとは言えないな」
無線は壊れてしまっていた。マイク部から水が侵入して無線本体がやられてしまったらしい。防水性は生活防水程度のものか。これではカーラとも本部とも連絡を取ることが出来ない。完全に孤立してしまった。
「……アレン、夜はここで明かすことになる。
俺は“アリス”ではなく“アレン”に指示を出した。あくまで俺の部下は――直属でなくとも――アレンだからだ。俺が彼女をそう呼んだ理由は彼女もよく分かっているはずだろう。
しかし、彼女は命令には従わなかった。あくまでも彼女は“アリス”でいるらしい。
「色々隠してたことがあったから……この際全部話すよ」
「……はぁ……断っても無理に続けるんだろう? 勝手にしてくれ」
少しばつが悪そうに笑ったあとに彼女は今まで“アレン”と言う殻に包まれていた“アリス”の真実を語りはじめた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「キャーーー!!」
私は子供部屋の扉を開けた数秒後に、自分でも耳が痛くなるぐらいに甲高い悲鳴を上げた。悲鳴の原因となった光景は今になっても忘れることが出来ない。私はその頃8歳の幼気な子供だった。でも目の前で起きている“それ”はその8歳の少女には“過激”過ぎた。見ているだけで悲鳴を上げてしまうのならば、8歳の私よりも幼かった7歳のオリビアにはどれだけ辛かっただろうか。彼女の苦しみを分かってあげたいと思うけれど、やはりそれはどこまで迫ってこようとエゴで止められてしまう。
目の前には明かりのついた部屋の中で一点だけ影が落ちたかと思ってしまうような黒い塊。黒い塊の下には私の妹、オリビアがいた。子供だったから何をしているかなんて事は分からなかった。ただ分かったことは、その黒い塊、ブラッキーはオリビアに悪いことをしている。一瞬のうちに色んな悪いことが頭の中を駆けめぐった。そして子供の中で一番悪いと思える事柄の“殺人”に行き当たる。オリビアの心配をするよりも先に、恐怖が全身を支配した。動けない。蛇に睨まれた蛙のようだ、この間本で見たことわざがぴたりとあてはまった。その時は怖いから動けないのだと単純に思っていたけれど、今となっては恐怖の対象になっているものの矛先が自分に向くのを恐れていたからだと解釈出来た。
私の悲鳴を聞きつけた父が何事かと血相を変えて階段を駆け上がってきた。その頃ブラッキーはと言うと、慌てふためき逃げるべきかオリビアを人質に取るべきかを考えているようだった。それでも、父が軍人であり、オリビアをとても可愛がっていたと言うことがあったために、数秒の思案が命取りになった。惨状を
その驚きのお陰なのか、しばらくの間恐怖を忘れた。目の前にある頭からほとんど黒に近い色の血と
オリビアは父が病院へ連れて行き、レイプされたショックのせいで昏睡状態に陥っていたため入院した。その晩父はオリビアにつきっきりだったそうだ。私はというと、事件から三十分ほど経ったあとに、初めて恐怖で泣いていた。母は心中を察したのか、私が床につき寝付くまでずっとそばにいて私をなだめていた。
次の日、私は学校を休んだ。次の日も、その次の日も……。私自身事件の光景がトラウマになり、子供の精神力では耐えきれるような状態じゃなかった。友達がお見舞いに来ても――多分事情を知らないか、重大なことだと解釈していなかったのだろう。まだ小学二年生だった――会いもしなかった。会っていたとしても、多分私が目に見えてやんでいるのが分かっただろうからそれで正解だったんだと思う。今となってはどうでもいい話だけど。
「オリビアが目を覚ましたの?」
四日後にその事を聞いた時、嬉しいのだがどうなっているのか分からずに怖いというのも混ざり込んで、私は感情を出せずにいた。心中を察したのか、そればかりに気が行って気付かないのかは分からなかったけれど、両親は特にその事をどうと言ったりはしなかった。多分問いかけられるとグシャグシャになっていたと思う。そう言う所ではとてもありがたいと思っていたのを覚えている。
病院に着き、オリビアがいる病室まであと数メートルという所まで来ても、まだ何となく、事後のオリビアと対面するに当たって恐怖があった。当事者という訳ではなく、単なる第一発見者だから、被害者の姉だから何となくきまりが悪かった。
「大丈夫?」
そう聞いた。一番最初は何となく素っ気ない態度になってしまったのだが、これが感情を押し込めた結果だった。これでも上出来だったと思う。その時のオリビアは体毛と同じ真っ白なベッドの上で、まだ少し虚ろ気味な瞳で辺りをキョロキョロと見回していたのだが、私の声に反応して私を見た。
この時、何となくだが雰囲気が今まで見てきた彼女と違うような気がした。瞳が虚ろなのは差し置いても、お転婆で気の強い、まさにじゃじゃ馬と呼ぶに相応しかった彼女の雰囲気は一変していた。子供目に見てもそれがはっきりと分かる。いや、むしろ“子供だから”分かったのかも知れない。雰囲気の変化と呼ぶにはその変わり様は顕著すぎた。まるで別人を見ているような感覚、錯覚だと良いなと頭のどこかで思った。しかしそれは彼女の一言で粉塵に還された。
「はじめまして、お姉ちゃん」
オリビアと両親が一緒に診察室に入り、オリビアは既にオリビアでないと言うことが告げられた。解離性同一性障害。自己を守るための解離が度を強くしすぎ、更には解離の先が“別の誰か”であったために、解離したその人格は影を潜めて“別の誰か”が肉体を支配する。簡単に言えば、多重人格だ。そして今日、その日こそ、“オリバー・アシッド”の誕生日だった。
両親は絶望と言うよりも、ただ唖然としていた。娘の口から出てくる言葉と言えば、「僕はオリバー・アシッドだよ」「僕のお兄ちゃんはどこに行ったの?」「アリス……? それってだぁれ?」。冗談を言っているとしか思えなかったのだろう。そして、苦ではあろうがと思ったらしい強姦事件のことについて聞くと、彼女は「その悪い人は捕まっちゃったの?」と、事件の事すら全く知らなかったらしい。
私はただ、何となく呆けたままだった。色んな思い出が――と言っても、まだオリビアは7歳だったので、彼女との思いでは数秒にも満たない程度で再生は終わった――頭を巡る。一つ思ったことと言えば、“オリビアにはもう会えないかも知れない”。それだけは嫌だった。気が強くて、よく私に突っかかってくる生意気な妹だったけど、そう言う彼女がたまらなく好きだった。もう会えない、“もしか”の話だったが、それでも悲しくて泣いてしまっていた。泣きわめく訳でも、むせび泣く訳でもなく、ただ静かに、床を見つめて涙を流した。母はそんな泣き方が出来る子供は少ないと言っていた。私は異常なのだろう。何となく今でもそう思う。
オリバーはただ戸惑っていただけだった。当然に、私のことも含めた全てのものが、
私は“
欲を言えば、オリビアにまた会いたいというのも紛れもない事実だった。だから、私は彼をオリビアに戻す方法を考え続けていた。色んな事を試してみた。中にはオカルトじみたことをやってのけたこともあったし、科学的根拠もそっちのけな神頼みに走ったこともある。しかし、“案の定”それは無駄に終わった。オリビアは戻ってこなかったのだ。絶望ではないけれどそれに似た感情が胸を締め付ける。そのうちに、私はアレンが常にそうだった虚ろな、死んだ魚のような瞳を隠しきれなくなってしまった。
私がアレンになってから、時間は止まることも巻き戻ることもなく進んでいった。そして私が16の頃、彼は唐突に言った。
「軍隊に入ったら強くなれるよね?」
まさしく唐突すぎたそれに、両親は狼狽し、私は呆れた。父は軍人で、現在でもカーラの父親と同階級である陸軍少将を勤めている。しかし、女性軍人というのはあまりに少なかった。“オリバー”が雄だとしても、実際は“オリビア”の身体だ。そう、本当は雌。それを認めたくが無いために言ったのだろう。思春期なりの至りとも言えた。それに、彼は銃に触れたことすらなかった。素人が銃を下手に扱うとどうなるのか分かっていた父は私にも
しかし、オリバーの意志は折れることはなかったのだ。どんな妥協もせずに、ただの意地にしか見えない程までに軍人になることを望んでいた。哀れな境遇と言ってしまうのは自分の首を絞めることになるのだけれど、そんなオリバーを前に、父親としての情が流れ込んでしまったのか、父はオリバーに軍隊に入隊することを許可した。さすがに、これを虚ろな瞳で見守っている訳にもいかないと思った私は父に相談した。そして結果として、私達は“アシッド兄弟”として軍隊へ入った。
入隊した時だけは本物の履歴書を使い、あとは偽装した履歴書にすり替えて誤魔化した。ここにはアリス・ヴァレンタインもオリビア・ヴァレンタインもいない。いるのはアレン・アシッドとオリバー・アシッドだ。父と伯父……カーラの父親が助力してくれた。しかし、個人情報以外のことについては一切手出しをしなかった。訓練ではひいきをすることもなく、他のみんなと平等に扱われた。オリバーは強くなろうと必死に勉強し、必死に訓練に励んだ。しかし、体質のせいがあるのか筋力などはいくら経ってもつかず、その代わりに技術が瞬く間に向上していった。
気が付けば、オリバーは腕前を買われて特殊部隊に入隊し、私も一歩遅れてそのあとを追った。射撃の腕前は買われていたが、体力面に関してはあまり好評を得た訳ではなかった彼は、耐久力の要求される“
彼女にはばれてしまった。何と言っても、世話になった伯父の娘なんだから当然のことだった。理由を知った彼女も秘密は守ると言ってくれたから彼女は大きな障害ではなかった。それでも、数が圧倒的に小規模になった特殊部隊の詰所ではオリバーや私が本当は雌だとばれるリスクはとても高かった。それを何とか誤魔化してくれたのは他ならぬカーラ、彼女は障害所か道にある障害を蹴散らす先行隊になってくれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あとはあなたも知っての通り」
「今の今まで、隠し通してきたって訳か」
オリバーがシャワールームで他の連中と一緒にシャワーを浴びていることはよくあることだった。それでばれなかったのは不思議だが、彼なりの隠し方があったのだろう。今更ながらオリバーが雌であったと思うと少し気恥ずかしい。
「オリバーは肉体的には弱くても精神的な面では強い。だから彼はなかなかオリビアに戻ろうとはしなかった。それで一ヶ月ぐらい前……あなたが結婚して少しした時ぐらいに思いついた。“トラウマに反応してしまう障害なら無理にでもトラウマを呼び起こしてしまえばいい”って。簡単なことなのに気付かなかった……」
「権利の侵害でもある」
咎めるような視線を向けながら俺は言った。アリスは決まり悪そうに手元に落ちていた葉っぱを爪で弾いた。
「そう言われるんだろうなって……分かってたんだけどね、私ももう待てないの。オリビアよりオリバーといた時間の方が長いんだよ? 分からないよね、どんな気持ちか……」
「知りたいとも思わないな」
「でしょ? だから、あなたが何と言おうが、私は私なりに彼女を“治療”する」
彼女はオリビアを治療すると言った。果たしてそれは治療と言っていいのか、俺は迷った。厳密に言えば、オリバーがオリビアに戻ることもなく、記憶なども一貫した生活を送っていたのだからそれによる弊害というものはなかった。それにあくまで精神的な“障害”であり、“病気”ではない。生活の中で実害があるものは“治療”と呼ぶべきであろうが、これは治療するまでもない事柄のような気がする。俺も何となく、雰囲気でならアリスの気持ちは分かる。大切に思っていた兄弟が突然別人になってしまったのでは、動揺もするだろうし、なによりもう一度兄弟と会いたいと思うのは当然のことだろう。しかし、オリビアはオリビア、オリバーはオリバーのはずだ。別の人格というものは結局、一つの個性だけではない、二つ目の個性を持っていると言うことではないのか。
オリビアがどういう少女だったかというのは詳しく知っている訳ではないが、聞く所によると元気がよくて生意気な、負けん気の強い少女だったらしい。そう、それがオリビアだ。一方オリバーは気弱で淑やか、優しい性格の少年だ。両極という訳ではないが違う二面性。今現在もオリビアの人格はオリバーの人格に押さえ込まれ、心の奥に幽閉された状態でいる。アリスはそれを解き放とうというのだ。心にある鉄格子を
そうなると、果たしてオリバーはどうなるのだろう。オリバーはまた幽閉されてしまうのか。オリバーが幽閉されるに伴いアレンは封印される。アレンの存在はオリバーがいたからこそあったものだ、彼が引っ込めばアレンは消える。それが現実的な問題の一つだ。
今は俺が一匹だったからパニックなど、その他様々なことは起きていない。しかし、それでは全く安心など出来やしない。今まで隠してきたと言うことに対し、怒りを爆発させる者がいるかも知れない。まだ隠し事があるのではと彼女たちに対し疑心暗鬼になるものが出るかも知れない。そしてカーラがよく被害を被り掛けているように、特殊部隊の控え、まだ制式に配属されておらず、サブチームとして行動している連中は“バカ”が多い。雌がただでさえ少ない中に、カーラと同等の容姿を持つ少女が二匹いたとなればその先は想像に難くない。カーラのように、気に入らなければとか何かやろうとしたからなどという理由で簡単に人を殺すような、そう言う気性の持ち主でなければ自分の身など守れまい。告訴するにせよ被害が治る訳ではないのだから。
つまり、諸処の事情を含めた上での行動であるのか、それともただ感情的なことで決めているのか、そう言うことが彼女の行動理由としてどう作用しているのかが俺は知りたかった。感情的なことであれば俺はやめておけと言う。他に考えがあるのならば構わないかも知れないが、俺には安直な考えで行動しているようにしか見えなかった。
「アリス……その、“治療”って言うのはよく考えてから何がなんでもしようって思ったのか?」
「当然でしょ! オリビアに早く会いたい、私のオリビアに!」
「お前の言動からは深く思慮したような様子が見られない」
冷静に俺は言った。彼女はやはり感情的になりすぎているのだろう。だから考えがおかしくなっているのだ。
「仮にオリビアがオリバーを押し込めて出てきたとして、それでオリビアがトラウマをお前が思っている以上に引きずっていたらどうする? お前が知っているオリビアじゃない、オリバーでもないような全くの別人のようなオリビアだったら」
「そんなことないはず、オリビアはオリビアだもの」
「そうだな、あくまでこれは“もしか”の話だ。だが“もしか”の話だからこそ色んな事が過程として立てられる。もしお前が望んだようなオリビアでなかったらお前はどうする。オリビアを自分好みにするのか? それじゃDVと何ら変わりない。結局先は見えない、それでもお前はオリビアを無理矢理引っ張り出したいと思うのか?」
アリスは黙り込んでしまった。おそらく俺の言葉のせいで望んでもいないバットエンドが色々と頭の中を巡っているのだろう。俺はアリスが何かを言うまでじっと彼女を見つめていた。
そして彼女はゆっくりと、そして小さく頷いた。
「それでも……良い方になるって信じて、賭けてみたい」
「……そうだろうな、俺もそうするだろう。だが問題は幾つもある。なんとかなるものもあるだろう、だがな、俺が一番お前に考えてもらいたいことがある」
「え?」
アリスは首を傾げて俺を見つめた。途端に無性に虚しくなった。彼女は感情でしか動いていなかったらしい。俺は憐憫の目を彼女に向け、一言だけ言った。
「オリバーはどうなる?」
強烈なパンチだったのだろう。アリスは目を見開いて固まってしまった。アレンはアリスという雌が演じていた架空の人物ではあった。しかし、オリバーには実在する兄だったのだ。兄を慕う弟は兄に懐くもの、兄とてそれがいつも煩わしいとは思うまい。アリスのように、特殊な兄弟であってもそれは同じ事だ。オリビアよりオリバーといた時間の方が長いという彼女は、見事にある考えを欠落させていたのだ。オリビアを取り戻した所で、今度はオリバーを失った虚無感が彼女を襲う。いつまでも終わらない鼬ごっこ、それを彼女は今演じようとステージに足をかけていたのだ。アレンとオリバーは、オリバーが軽い脅迫を行ってはいたものの決して兄弟仲は悪くなかった。間違いなく、楽しいと思ったこともあったはずなのだ。だからこそ感情でオリビアばかりを追いかけていたアリスを見て俺は虚しかったし、何となく悲しかった。
彼女は多分、しばらくの間眠れないだろう。それで良いぐらいだ、彼女には悩んで悩んで、悩み続ける時間が必要なんだ。オリバーもオリビアも、間違いなくアリスの兄弟なのだ。真剣に悩んで、真剣に配慮して欲しい。俺は切に願っていた。感情などでは全て丸くなど収まらない。そもそも全てが丸く収まることなどありはしないのだ。どこかで妥協が必要になる。今回などが良い例だ。今までのオリバーの人格の移り変わり方から見て、オリビアが一度出てきてしまえばオリバーは奥に引っ込んだままになってしまうか、下手をすればすぐにオリバーが出てきてしまってオリビアは一瞬しか表に現れないと言うことすら考えられた。しかし、これは俺が深く考えることではなかった。これはアリスが考えるべき事だ。アリスが考えなければならない。彼女たちの両親が考えることでもなく、
「ねぇ、デイブ」
十数分程経った時、彼女は口を開いた。一瞥した様子ではまだ迷っている風ではあったが、何か言おうと決めているようだった。
「……あのね、これはオリビアとは全く関係ない話。ただの個人的な話」
「個人的な? 何を突然……」
思考を割り切ったのだろう、オリビアのことは一旦置いておき、その個人的な話とやらに論点を置いているようだった。突然そんなことを言われるとは思っていなかったので少し呆けたが、相づちを打って話を促しておいた。
「たくさん……隠し事してきた私のこと、デイブは嫌い?」
また呆けてしまった。個人的な話とは言ったが、突拍子がない。少し混乱したが、単に率直な考えを返すことにした。
「嫌いかと言われても、正直アレンの時は大した印象を抱いてなかった。それにお前には悪いが同情もしてる、そう言うことを加味して言えば別に嫌いじゃないが……」
アリスは俺の返答を聞き、可愛らしく笑うと、その笑みを妖艶なものに変えていった。あの微笑にはどこか心当たりがあったため背筋がゾクッとした。
「私は好きだよ、デイブのこと」
未だ聞き慣れていない少女の声でそんなことを言われてしまえば動揺もしてしまう。そしてその言葉と同時に、彼女の妖艶な微笑に見覚えがあった理由が分かった。リジーだ。リジーが俺を誘惑する時に必ずあの笑みを作っていた。ここでパニックになってはいけない。俺の勘違いと言うことも十分に有り得ることだ。だがそんな考えは虚の入り口から洩れてくる月明かりに照らされた、アリスの純白の身体が俺に覆い被さった時点でどこかへ行ってしまったのだが。
まだ若干湿気ている彼女の長い体毛が頬をくすぐる。俺は唇を奪われていた。パニックに陥ることが一番の愚行だと理解してはいるものの、予期していない所かあるはずがないと思っていたことが我が身に起こればパニックになるのは必至だった。まさかオリビアのことで悩んでいたはずのアリスが、突然俺にこんな事をするとは思ってもみなかった。第一こんな事をする理由すらサッパリだ。ただ今はそんなこと考えている余裕もなく、口の中に入れられた舌を押しだそうとしたり、押さえ込まれた両手を解放させようと藻掻いたりで必死だった。
リジー相手にほとんど抵抗出来ないのだから逃げられるはずがなかった。彼女はかなり小柄だが、それでも俺の二倍以上、リジーよりも大きい。加えてカーラに鍛えられたお陰で華奢ながらジムやセオドアを相手にしているような手強さだった。
アレンはゆっくりと口を離すと、頬を少し染めながら頬笑んだ。俺はと言うと突然のことだったのでむせ返っている。今まで俺の唇を奪ったことがあるのはリジーだけだったのだが、ものの見事に、ついさっきまで雌とも思っていなかった相手から奪われているのである。その彼女は俺の咳がやむのを待ってから、誘惑するような猫なで声で話し始めた。
「私ね、オリビアのことがあったあと引っ越したの。それまでは私田舎に住んでた」
「何を……放せ!」
しかし彼女は万力が締め付けるように俺が動くことを許さない。やはり上を取られている時点で負けが確定しているようなものだった。俺が藻掻くのを意にも介さず彼女は続ける。
「学校でも消極的な方で、昔から声が高かったからよくからかわれてたの」
時間が止まったような錯覚に駆られた。目の前にいるアブソルの、幼さをにじみ出させる笑みを見て引っかかりを感じた。
「ホントに女の子がするようなことしかやらなくて、それに高い声が甘ったるく聞こえたんだろうね、みんな私を“
脳天を殴られたような気がした。
「それ、言われるの嫌だったんだ。それでもみんなやめてくれなくって……。でもね、ある人がみんなにやめろって言ってくれたの。すごく嬉しかった。すごく彼が頼もしかった」
「お前……」
「私が昔住んでたのは
そう言われた時に目の前でちらつく残像がアリスと完全に重なった。
「もう一度聞くね、デイブは私のこと、嫌い? 教えて、“
幼少の頃、そう、まだ俺が軍人になるとは思っていなかった頃だ。いつも教室の窓辺にいて、授業中でも校庭を窓から眺めているアブソルがいた。校庭には時には体育の授業で運動をする生徒がいたり、近所の住民が暇を持て余してやってきたりしてはいたが、やはり何もない時の方が多かった。そんな彼女に目がいくのは必然だったのかも知れなかった。何を見ているのか、風で動いている落ち葉だろうか、それともアブソルらしく、これから起きる災いを察知しているのだろうか。そう言うことを考えながらも、彼女に話しかけずに、ただ遠くから一瞥するだけでいた。子供というのはそう言うものだ。興味はあってもいざ聞こうとするとあと一歩踏み出せないことが多い。
結局彼女に気付いていながら、彼女に話しかけることすらなく一年が過ぎた。小学二年生になった時だ。俺には友達が少なかった。理由というのは両親のことだ。ジグザグマの父親にイーブイの母親、なのにその息子であるはずの俺はジグザグマ。姉もイーブイであるにかかわらず、俺はジグザグマだった。そして俺が両親から受け継いでしまった“先天性進化不能症候群”、これも大きな理由だ。少ない種族であるイーブイの子でありながらその配偶者の種類として産まれ、進化することすら出来ない遺伝子を持った俺は“出来損ないのデイブ”と卑称で呼ばれた。言うなればそれは“悪意のない”イジメだった。
だからこそ、俺はあの時彼女の味方をした。ただ声が高いと言うだけで軽蔑したあだ名を付けられて虐められている彼女を見て、行動しなければと思ったのだ。彼女のためでもあったし、何より自分のためでもあった。“砂糖菓子”と言われていた彼女を救おうとした。結果、小学生というものはまだ悪いことを素直に認めると言うことが出来る時期だったため、みんな態度を改めてくれたのだった。それが中学生や高校生の時だったらと思うとまさしく黒歴史に変わっていただろう。
それから、彼女とは仲良くなった。最初は小学生特有の雌雄の壁があったものの、次第にそれはなくなって普通に遊んでいるような仲になった。そして遂に、彼女が窓から見ていたものを聞く時が来た。
休み時間、いつものように窓の外を見つめていた彼女に対して、俺は“いつも何を見てるの”と聞いた。しばらく、彼女は振り返らなかったが、おもむろに振り返ると俺の鼻をつついて一言だけ、
“幸せを探してるの”
そう言った。その時の無邪気な、純粋無垢な笑顔を俺は今鮮明に思い出していた。
その後彼女にその事について問いかけると、彼女独特の声で、楽しそうにこう言ったのを覚えている。
“アブソルって災いポケモンなんて言われてるでしょ? 災いって怖いこととか笑顔じゃ無くなっちゃうようなことばっかり。それならね、私災いじゃなくて、みんなを笑顔に出来る幸せを見つけたいの”
何となくだが、その頃はその言葉に惹かれた。多分、あの時辺り、彼女に恋をしていたのだと今更ながら思う。その時は恋というものがどういうものなのか理解していなかったのだろう。現に今、思い出してからそうなのだろうと思った程だ。
そしてその言葉を聞いた二日後に、彼女は学校へ来なくなった。両親は事情を知っていたようだったが、子供に話せるような理由ではないため、あまり簡単に訪ねていかないようにと言われただけだった。無論幼い俺が聞くはずもない。彼女の家へ訪ねていっても、彼女の母親から門前払いを喰らった。そしてそのまま、彼女は引っ越していってしまったのだ。俺は寂しいと感じたものの、時が経つに連れてそんなことは忘れていった。
そして今、全て思い出した。目の前には初恋の相手がいる。混乱を通り越して、なんだか頭が真っ白だった。だが一言だけ先に言っておく事が出来た。
「出来損ないは少なくともお前の上司だ」
アリスは小さく笑った。何となく懐かしく感じる。
「アリス、多分な、俺はお前のことが好き“だった”よ。だが今じゃ妻帯者だ」
「わかってる。けど、そう言って貰えてよかった」
そう、これで全て丸く収まる……。などと一瞬でも考えた俺は間抜けだった。さっき自分で言ったはずだ、全て丸く収まることなんて存在しないと。
また俺は唇を奪われていた。さっきよりも抵抗する余地がない。されるがままだった。濃厚すぎる口付け、口の中をアリスの舌が蹂躙している。舌を絡めると言うよりも俺の唾液を吸い取ろうとしていると言う方が近い。湿気った彼女の身体から漂う雌の香りに思考を蝕まれる。今程ジグザグマの鋭い嗅覚を呪ったことはない。リジーになんと言い訳をすればいいのか、そればかりが頭の仲をゆらゆらと漂っていた。
「んふ……デイブ……」
彼女から抱きしめられると、なんだか自分がぬいぐるみにでもなった気分だ。まるで身体が言うことを聞かない。
もはや色んな事を知りすぎて、ショックを受けすぎて、全くもって行動を実行する気力がない。俺は多分されるがままに夜を過ごすのだろうと思った。森の中で敵の魔手が近くにあるかも知れないという状況でなければ、罪悪感を押しつけるものすらない。それでも背徳心等々に潰されて気を失ってしまいそうなのに。
「私ね……あの時からずっとデイブのこと好きだった。今でも大好き、あなたが結婚してもその気持ちは変わらないの」
もうぼんやりとした意識でしかない。クラクラしてしまって逆上せているような感じだ。彼女の声にも若干エコーがかかって聞こえる。頭を振って意識を正常に戻したいが、こうもきつく抱きしめられているとそれすら出来ない。
「でも、でもね、いつまでも諦めの悪い雌でもいられないでしょ? だからあなたと……一度だけ……」
ああ、もう悪い結果しか先に見えない。身長体重筋力と精神面で劣勢の状態にある俺にどうやって回避しろと言うのか。もはやどうしようもない、俺も諦めの境地にいる。
諦めの境地の中、出てくる言葉は“不倫”という文字だ。不倫の本来の意味は人の道から外れることらしい。どういう理由にしろ、婚姻の後に妻以外の雌と既成事実を作ってしまうなどと言うことは、人の道だけでなく雄としての道からも外れている。泣いてしまいたい気分だったが、あいにくそれも難しい状況だ。
「それだけで諦めがつくから……私のためと思って、お願い」
そう言う彼女の目は一寸たりとも動かず据わっている。多分何をしてでも既成事実を作るつもりだ。そして彼女の手は俺が何か言う前にするすると俺の腰に伸びてきていた。
万力に締められて身動きが取れない状況を想像して頂きたい。そしてそこから一物への攻撃だ。避けようがない。彼女の手がモノに触れた時、唯一幸いだったのは情けない声が出なかったことだろうか。湿気た体毛のせいで逆に快感が強くなるのがネックだ。逃げ切れないなら適当に終わらせたかったが、それを許すまじと彼女の手は執拗にモノを扱いてくる。自棄になりかけるが、それではこの展開に甘んじているも同然だ。喘ぐことだけは必死に耐えた。それでも快感のせいで朦朧としていた意識ははっきりとしてくる有様だったが。
「……妄想の中じゃもっと喘いでたんだけどね」
突っ込みたくても口を開ければ喘ぎ声が出るだろうから突っ込めない。つまり彼女は俺のことを考えて自慰していたと言うことか。寒気がした。
結局俺が手で折れることはなく、彼女は扱くのをやめて舌をはわせた。さすがに堪えきれずに声がもれる。この状態でも腕だけはがっちりと捕まえられて身動き出来ないようにしている辺り、彼女が嫌に俺に固執していると言うことが分かる。あいにく、生物には限界があって俺も例外ではない。リジーが卓越しているお陰で堪える分にはまだ余裕があるが、行為自体が屈辱的なものである。リジーは俺のことをMだと言って笑っていたが、マゾっ気があったとしてもほんのわずかなものだ。要するに屈辱は屈辱だ。相手がリジーならば踏みにじられようが耐えられるがアリスでは無理がある。そもそも強姦まがいのことをされているのだ。強姦された――実際の被害者ではないものの――ことで今まで様々な苦悩を負っておきながらとは思うが、収まりがつかないと言うのは俺も十分よく分かる事柄なので仕方ないのかと割り切った。しかしその行為自体を良しとした訳ではない。
しかし、誠に遺憾ながら抵抗する術はないのだ。彼女が思いとどまればいいと願うが、ここまで来て止まるとは到底思えない。全くもって遺憾だ。明日からの作戦に支障が出そうだと思ったものの、モノに歯が当てられたことにより一瞬でその考えは地平線の彼方へ飛んでいった。痛みまでにいたらない、くすぐったいようなかゆいような、そんな感じがモノを這う。背筋が反射的にゾクッとしたが、だからといって彼女の手の力が緩む訳でも、ましてや舌の動きが止まるなどと言うこともなかった。
いつの間にか、モノは彼女の口の中に収まり陵辱されていた。今では罪悪感と同様に羞恥が湧いてきてしまい、もはや何も出来る訳がなかった。何も出来る訳がなかったし、いつまでも耐えることが出来る訳でもない。限界が迫ったモノはビクビクと痙攣しはじめる。それを感じたアリスは、軽くモノを吸いながら口を離し、モノが完全に彼女の口から解放されると同時に照らし合わせたかのように俺は射精してしまった。
無論、屈辱的であったと同時に快感を感じているのも事実だ。生物はどこかしら薄情な所がある。リジーへの言い訳は……多分これではダメだろう。“哲学的”すぎる。素直に謝った方が良いのだろうか……。
「デイブったら酷い……ベトベトじゃない……」
我に返り、アリスを見た。目の前にいるアブソルの白と黒のツートンカラーは、更に白が黒を覆い隠していた。要するに俺が出した精液が、彼女の顔にかかっている状態だ。どうやらあまり顔を離していなかったらしい。彼女は蜘蛛の巣が顔に張り付いたような顔をしつつも、目の奥では楽しそうに笑っていた。おそらく嬉しいとでも感じているのだろう。
リジーとこう言うことをした記憶がある。リジーはそれを理由に執拗に責めてくるのだが、アリスの場合は一旦片手を放して顔に付いた精液をすくい取ると、いたずらが成功した時の子供の笑みに似た微笑をたたえ精液を舐めた。リジーが同じように精液を飲んだことがあったが、くわえたまま飲まれるのと身体に付着したものを舐め取るのでは後者の方が見ていてこそばゆい感じがした。
これで彼女が満足してくれれば万々歳だが、あいにく事が上手く運ぶというのは計算しつくした作戦の、絹のような綿密さが必要であり、もはや行き当たりばったりのこの状況では“あり得ない”と言って差し支えない。無論ご多分にもれずその有様であった。あらかた顔に付いていた精液を舐め取り終えたアリスは、自分の秘部を俺のモノにあてがおうとしていた。不覚ながら、彼女が精液を舐め取る様を見ているうちにまた大きくなっていたのである。
「アリス、ダメだ、やめてくれ……」
俺なりの必死な訴えを今の彼女が聞くはずもなかった。完全に彼女は“俺という存在”に餓えている。全くもって度し難いことだ。さすがに8歳の時の事を10年後まで引っ張り、今の今まで恋い焦がれているとなると理解しがたかった。お互いが知ることはなくとも両想いであった当時はまだしも、俺が既婚者となった今でも初恋を諦めないとなると質が悪いとしか言いようがない。
果たして、彼女が待ちこがれていた瞬間が訪れる。俺の制止の言葉をことごとく聞き流し、ゆっくりと身を降ろしていく。大きく、硬くなったモノが彼女の秘部へ入り込んでいく。どうやら俺のこういう姿を妄想までしていたためか、俺が彼女を愛撫した訳ではないにかかわらず、彼女の秘部は愛液で濡れていた。その為に特に抵抗無く、するりと入っていく。
しかし、当のアリスはモノが奥へ入り込むと快感を感じた恍惚的な表情に、どこか戸惑いを感じているような様子だった。まさか、とは思うが……。そのまさかだったようだ。
「……私……ずっとあなたと一つになる瞬間を待ちわびてたの……だから私ね……」
「俺以外の雄に……処女を渡したくなかったって事か……?」
お互いに若干息を切らせながらの会話。彼女は未だ処女だそうだ。と言っても数ヶ月前まで童貞だった俺がとやかく言えることではないが。ここまで俺のことを思ってくれているとなると、何となく悪い気がした。俺が今まで彼女の恋愛のチャンスを奪っていたような気さえする。しかし、この気持ちが行きすぎてブレーキが利かなくなると完全な不倫になってしまうと気付き、今一度気を引き締めた。
「デイブと一度だけでも一つになれれば……私、新しい生き方が出来ると思うの……だから……」
「アリス」
俺は一言でアリスを制した。ここまで来てしまってはさすがに後戻りする気も起きない。彼女がやってきたことだ、俺の意志ではない。それだけで十分だと思った。
「俺が何と言おうが、お前がつらつら言い訳がましいことを並べようが……結局お前は俺とヤる気でいるんだろう? それなら時間の無駄だ……」
「……じゃあ……」
「勘違いするな……。俺は“ただされるがままになってるだけ”だ」
その言葉を聞いた彼女は、ほんの数秒だけ呆けたあと、頬笑み腰を落とした。わずかな抵抗を感じたが、モノはアリスの秘部の奥にまで達する。その際、アリスが苦痛に顔を歪めた。かなり力んでしまっているようで、俺が抵抗しないようにと――もはや建前としてわずかに力を入れているに過ぎなかった――掴んでいた手をギュッと握りしめている。
「……大丈夫か……?」
「うん……平気……っ」
「ホントか?」
「……22口径で……撃たれるのと比べたら随分マシ……」
彼女の言葉に偽りはないらしく、一分と経たないうちに痛みで顔を歪めていると言うことはなくなっていた。
現在、騎乗位の体位を取っていた。雌優位の体位ならばこれが一般的だ、“無理矢理”という建前もこれなら説明がつく。アリスは緊張しているのか、しばらく動かなかったが、意を決したようにゆっくりと腰を動かしはじめた。リジーは元娼婦であるが故に技術があり、俺はそれに酔いしれていたのだが、アリスは経験は初めてで技術など皆無で、逆にそれが必死に動く要因となって俺は快感を感じていた。リジーには悪いが、どことなく妥協しているような部分すら感じてしまう。
グチュグチュと卑猥な水音が川のせせらぎの音を上回るほどに木の虚に響く。アリスは初めての快感に酔っているようだ。俺はと言うと、ある意味神経を張りつめていた。あくまで“無理矢理”という建前がある以上、出来るだけ自ら動かないようにと神経をすり減らして、快感に喘ぎ、口から垂れる涎すら気にならない程に恍惚感に侵されたアリスを見ていた。少女の声は徐々に艶めかしくなっていく。喘ぐアリスはもはや長年持て余してきたであろう性欲の虜だ。
初めてにしては持続するアリスのせいで、俺も限界寸前だった。いっそ自分から動きたくなる衝動を必死で押し殺し、彼女が絶頂に達する時を待っていた。そして耐えた甲斐あって、アリスの喘ぎ声が切羽詰まったものになっていく。そろそろ終わりか……と、気を緩めてしまったのが失敗だった。
「んはっ、あぁぁぁっ!!」
「ぅっ……あっ……」
嬌声をあげたアリスに続き、俺も必死に堪えようと押し殺した声が出る。しかし堪えた結果虚しく、またも射精してしまったのだ。あろう事か、アリスの中にだ。
アリスは崩れ落ちるように俺の上に倒れた。息が荒く、おそらくあと数分は会話する気にもなれないだろう。俺は何とか彼女の下から抜け出して、大体一時間ぶりの自由を味わった。
「デイブ……ありがとう……」
アリスはまだ倒れ込んで呼吸が荒いままそう言う。俺は小さくため息を吐いてから、一瞥することもなく彼女に言った。
「俺は“無理矢理”ヤらされた訳だし、リジーへの言い訳やらを考える必要がある。言うなら“ありがとう”じゃなくて“ごめんなさい”だ」
「……ありがとう」
あくまで自分のペースを貫く彼女は尊敬に値するかも知れない。それよりも多分、今の“ありがとう”は、行為を黙認してくれた事へ対しての言葉だと思う。
さて、さすがにこのまま夜を過ごす訳にも行かない。特にアリスは。俺は彼女に体を洗ってくるように言い、彼女が結局やらなかった銃のメンテナンスを代わりにしておいた。今回のことは一夜限りのこと、酔った中での夢のようなものだ。悪夢かどうかは後付になる。今はもう、過ぎた夢の話などどうでも良い、現実が一番重要だった。
あとがき
どうも、DIRIです
えっと~、どうでしたかね、わかりやすすぎましたかね? 何となく不安です(汗
まず基本的に言うと、アブソルは私の中で既に“雄っぽい雌”って相場が決まっているので、今回は“雌っぽい雄、だけど実は本当に雌”というはちゃめちゃなキャラクターに挑戦してみました、しかも姉妹で(爆
強姦って、私的には大好物なんですけど、実際やられたとしたら…って思うと、怖いって言うか、実際ハッピーエンドものばっかりでおまけに強姦しかほとんどやってなかった私ですが自分で改めて実際どんなものかを再確認と言うことでオリバーを使いました
多重人格は前からオリバーの設定にあった訳じゃなくて、アレンを雌にした際にちょうど良い理由になるかも知れないと思って加えた設定でした。Wikipedia万歳ですね、ちょうど発生する理由とかも今作にちょうど良いものだったのでラッキーでした(笑
さて、次で終わらせるつもりで書きますが…、どうなるかはまだ分かりません、予想以上に長くなる可能性もありますから
期待せずに続きをお待ち下さい…
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