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えむないん =M500= 2

/えむないん =M500= 2

作者:DIRI

えむないん =M500= 2 


第三幕 


 
 「……リジー……」

妙な気分である。彼女の名を聞いてからと言うもの、ずっとまぶたの裏に彼女の顔があるのだ。それが煩わしくて仕方ないけれど、どこかまぶたの裏の光景に呆けてしまう。彼女に名前を聞いたのは既に三日前だというのに。口の中に含むように呟き、好物であるミックスオレを少し口の中に含ませて、言葉が出て行かないように飲み込む。

「あの雌に食われたんだろ? デイビィ?」
「何をくだらないことを……」

ベータ・チームのメンバーの一匹で、俺の義兄に当たるサンダースのハービーが俺の呆けた様子をクスクスと笑っている。食われた、と言うのはおそらく、もとい、確実に性的な意味でであろう。ミックスオレの缶の縁を思わず噛んでしまう。

「そんなことになったら恥ずかしくて表を歩けないだろうよ」

俺はそう返したものの……。ハービーは俺に対する必殺の言葉を隠し持っているのを知っているだけに気が重い。現実に言えばハービーだけでなく、十数匹の者達がそれを知っているのだが。

 「『痛みを忘れさせる方法知ってるよ』って、甘い囁きが聞こえてくるんだろ?」

……自分の職分を忘れてハービーを射殺しそうになるのは毎回のことである。そんな彼も俺の顔色を窺っている辺り俺との実力の差というものをよく分かっている。俺とハービーとの差は雲泥の差という程大きくはないものの確実に俺が上である。実力が上だからこそ、妙に落ち着きというものがでるのだ。確かにあの時録音したラジオテープの中身が露呈され、最初にハービーからその話が出てきた時は動揺したが、あまりにしつこいのでもう慣れてしまっていた。彼を叩きのめすことは簡単だが、そんなことをしてしまえば俺をからかう連中の思うつぼである。特殊部隊の中では仲間という意識が一番重要、そのくらいに考えておかなければならないので俺の評判を地に落とそうとする輩こそ居ないが、笑いのネタぐらいにはしておきたいのだ。隊長の妙な癖、変な嗜好など、笑おうと思えばいくらでも笑いのネタは作れる。それを阻止するべく少々笑われそうなことを隠ぺいしてきた俺なので、こんな状態は悔しくもあったし、何より気恥ずかしい。果たしてミックスオレというのはここまでに苦くて酸っぱい感じがしただろうか。

「ハービー、オフの日には覚えておけ。お前の給料より高いものをおごってもらう」
「うはっ、やり方が汚いぞ……」

領収書を彼名義にして請求してやれば簡単なことである。それ以前に彼は俺の家に居候同然で住み着いているからそんなやり方でなくとも家から追い出そうとすれば搾り取ることは可能だ。義兄と言えど彼は俺とギリギリで一つしか歳が変わらない。姉婿であっても立場は俺の方が上なのだ。

 「収容所へ行って来る」

俺はそう言うとハービーと別れた。「最近通い詰めで何をしてるのかな?」などという言葉を全て聞く前にまだ半分程中身の入っていたミックスオレの缶をハービーに投げつけておいた。彼の悲鳴は気分の良い響きである。

 「リジー、調子はどうだ?」

「良い訳無い」、と言うのがいつもの返事である。食事もまずければ不衛生、後肢の片方を鎖で繋がれているため動きづらいし部屋が狭くて窮屈。そして一番彼女を苦しめているのは……

「シャワー浴びたい~」

……と言うことである。

「お前が何か肉体労働をしている訳じゃないから水道光熱費節約のために週に二回だけだと言ってるだろう」

意外とセコいのがこうゆう施設の面白い所であり、不便さの一因でもある。彼女は不満たらたらだが、今日はそのシャワーが浴びられる日である。その事を伝えたら歓喜している辺り、やはり清潔好きなのは雌らしい所だ。とは言っても、彼女の場合は見た目も可愛らしく、嗜好も雌らしいのだからそのまま、という感じもする。

「それで、今日も……」
「お仕事ね、はいはい、分かってますよ」

彼女は顔をしかめるものの、どこか楽しそうだ。やはり一日中こんな所にひとりぼっちなのは退屈なのだろう。ここには暇を潰せるものと言ったらチェスの駒と盤しかない。しかも白の駒のクイーンが紛失してしまっているので一人でチェスをすることすら出来ない。第一彼女はチェスのルールを知らないらしかった。

 「それで? 今日は何をお求めですか?」
「……資料の中に見覚えのある奴がいないか確認して欲しい」

そう言った後、俺は少し舌を出して唇を舐めた。彼女の小さな笑みが了解を意味しているのは二日前から分かっている。彼女も俺が出したサインのことをしっかり理解しているのだ。

「じゃあ……まずはこいつからだ……」

銀色のアタッシュケースの中からメモ用紙と資料をとりだして彼女に見せながら、俺は彼女の証言をメモしていった。

 
 「んふ……」
「んっ……」

ピチャピチャと、控えめではあるが卑猥な水音が収容所にこだましている。音源は言うまでも無かろうが、俺と彼女。その唇が重なり合って、舌を絡め合っているその音である。彼女の甘い唇は、熱を持った舌が絡みついてくることによって蜂蜜のように甘く、濃厚であり、彼女の舌は燃えさかる炎のようだ。でもその炎は優しく俺の口の中を愛撫して、俺を焦がすどころかとろけそうな快感を与えてくれるのである。こんな事になっている理由は言うまでも無かろう。……いや、言わなければ分からないかもしれない。決して俺は欲に耐えきれずに彼女を襲った訳ではなく、娼婦である彼女の身体を買った訳でもない。……先日の「痛みを忘れさせる方法」、それである。効果は短いが確かに効き目があるものなのだ。それが欲であると言うことは重々承知の上だが、医者が苦手である俺は病院にも治療室にもあまり行きたくない。フレッドともお互いが新入りの状態でなかったらおそらくろくな関係になっていなかっただろう。痛みを忘れる方法が自分の快楽込みで得られるのなら誰しもそれに飛びつくだろう。それが自然と言うものだ。ちなみに言っておくが既にラジカセは止めてある。
 彼女の手はまだ少しピクピクと震えている。M500を撃った時の反動がまだ腕に残っているのだ。先日は驚きであまり意識して感じなかったが、一昨日は彼女の腕が俺の胸を撫でている時に震えているのをしっかりと感じられた。昨日も同様である。「まだ腕が痺れてる」と彼女は言っている。反動のすさまじさのうかがい知れる一言である。それでもまだ痛む腕で俺の傷を負っている胸を撫でてくれるのは、彼女なりの恩返しと言うことらしい。彼女の身を二度危険から守り、退屈な収容所生活での話し相手になってくれるからだそうだ。売春婦と言うこともあってか、彼女の手つきは優しくもあり、どこか妖艶でもあった。そんな風に胸を撫でられ、舌を絡ませ合っているのに欲望の湧かないものがいるのなら名乗り出て欲しい。しかし、俺は彼女の前で醜態をさらすことはなかった。欲望は確かに湧いてくるものの、それを抑え込める理性ぐらいはしっかりと持ち合わせているのだ。俺は欲に飢えた獣になったことなど一度もない。

 「んはっ……」
「はぁ……」

唇を離し、まだお互いを繋げている唾液の橋を恍惚な表情で見つめていた俺。それを見たリジーの可愛らしい顔が笑顔になり、いっそう可愛く見える。童顔という程ではないが、彼女はまだ幼い顔立ちをしている。歳を聞いた所、特に嫌そうな顔もせずに17だと教えてくれた。……俺よりも年下だったと言うことに少し驚きを隠せなかったのは少々彼女を傷つけてしまったようだったが。娼婦という仕事に加えてその少々幼げな顔より大人びている洗練されたプロポーション。それらが少なくともハービーと同じか、それ以上だと思ってしまう要因だったから。彼女は歳を間違われることよりも、娼婦であると言うことによって偏見が生まれているのを嫌がっているようだった。

「……デイブ、いつまでもこんな事してられないんだからね?」
「分かってるさ……。だから今してもらってるんだろ?」

彼女は小さく笑うと、俺の胸にゆっくりと顔をうずめた。体の表面がゾクッとするようなくすぐったい感触を感じ、そのあとすぐに体毛の表面をゆっくりと舌が這っているのを感じた。

「ぁ……は……」

小さく喘いでしまうのはどうにも耐えられない。彼女の舌が俺を愛撫しているのもあるし、彼女の暖かい吐息が肌にふわりと当たるのが一番の要因かもしれない。彼女の愛撫はとにかくじっくりとしているのだ。俺の胸にある体毛の先端を舌の先でくすぐるように舐め、それから体毛の表面だけをなぞるように舐め、次は地肌に当たるギリギリの辺りまでを、遂に地肌に舌が触れたかと思ったら、分単位の時間をかけてゆっくりと舐め上げていき、俺が痛みを完全に忘れ去るまで舐める。それまでの時間は十分以上。そこまで焦らされていると俺も頭の中が真っ白になりかける。彼女の卓越した能力は焦らしであるという考えしか残らないのだ。更にその間、先程のキスで少し荒くなっている彼女の呼吸が耳に入り、彼女の呼気がずっと肌に当てられるのだから喘いでしまうのを堪えるのに必死になってしまい、妙に力んでしまうから彼女の愛撫に余計快感を感じてしまう。

 「ん……デイブ……」

今口を開いてしまえば喘いでしまいそうで、それが怖くて俺は口を閉じたまま、顔を彼女の方に向けるしか出来ない。確かに先日ヒビを入れられたプライドに自らこの行為を要求するという“くさび”を打ち込んで広げてしまってはいるものの、まだ傷の入っていないプライドは守りたいのだ。自分勝手かもしれないが、今彼女に弱みを握られるのは少々困る。痛みを忘れる方法を実行してもらう時は彼女が俺の上に覆い被さっている状態なのだ。そのまま全ての主導権を握られてしまえば何をされるのかは分かったものではない。

「デイブ……私……」

受け答えすることすら不可能である。舐める合間にしゃべる彼女、そのしゃべる時の振動がくすぐったい。それを更に耐えなければならなくて、口をきっと締め、目も固く閉じてしまわなければいけない。……それが間違いだったのだろうか。

「っぅあっ!?」

思わず声が出る。耐えていたそれを簡単に崩してしまった彼女の行動。そんなもの確認する余裕などない。ただ必死で彼女から逃れた。

「リジー!! じ、冗談はやめろ!!」

彼女の元から逃れ、息を荒げながら俺はリジーを怒鳴りつけた。リジーはしゅんとしているようだが、訳の分からない怒りが湧いてきて彼女に敵意のこもった視線を送り続けることしか俺は出来ない。さすがにこれ以上怒鳴るのは俺の理性が良しとしない。

 「……ゴメン……デイブ……。私……」

俯きながら彼女は俺に謝ってきた。それが耳に届くものの、やりようのない怒りが腹の底で煮えていて、俺は言葉を返すことが出来なかった。それが彼女の罪悪感に冷たい火を付けたのだろうか、彼女の足下に数滴の雫が落ちた。

「私……耐えきれなくて……。今までずっと身体を売ってきてたから……身体が求めてるの……」

怒りの根本がふと消えてしまう、そんな少々の虚無感を与える瞬間であった。落ちる雫が涙であると気付かない者はいないだろうし、俺だって雄である。雌の涙には弱くて当然なのだ。それはもちろん、任務外の場合のみなのだが。

「デイブにはそんなつもり無いって分かってるけど……私が……」
「もう良いよ、リジー……。わかったから」

こう言う他何があっただろうか。少なくとも俺にはこの言葉しか見つからなかったのだ。彼女の涙で居たたまれなくなっている自分がもの凄く情けないという事実をいち早くかき消したいのだ。それでも、一番の原因と言えば彼女が震えるその手で触れたであろう雄のそれであるが、誰かに触れられることなど一度もないからそれが熱くなるのを感じずにいられないのだ。それもまた情けなく感じてしまう。だが冷えた頭で何とか理性を働かせてしまえばそれは元に戻る。

 「……ごめんなさい……」
「……謝らなくていい。もう怒っちゃいない」

何となく、気恥ずかしかったのだろうか、俺は頬を掻いていた。次に何を言うべきか考えるが、彼女の気が晴れるようなことを言える自信は全くもってない。彼女が泣いている。泣いているから泣きやませてやりたい。それだけのことであるのに、それが出来ない自分がまた情けないのである。

「……お前も……まだ17なんだし」

やっとの事で、何とか出てきた言葉がそれである。

「第一、娼婦なんてやってること自体犯罪なんだ。今までのことはお前に何らかの責務を課す必要があるかもしれないが……お前は17の雌、雄の身体を求めるんじゃダメだ」

どこか説教臭い。そう思いつつも、優しい口調で俺は続ける。

「俺にはよく分からないが……。17歳の雌ならもっと純情なんじゃないか? 誰かに恋をしろとは言わないが……お前がそんな、身体を売って生活する姿は俺には想像出来ない。想像出来るもんじゃない。……真っ当に生きていけない、そんな理由があったのかもしれないが、俺はお前がそんな風に生きていくのを考えたくも聞きたくもないし、ましてや見たいだなんてこれっぽっちも思わない」

時間のせいだろうか、それとも俺の言葉で何か変わったのだろうか、彼女はまだ目に涙を溜めているものの、泣くのをやめていた。

「……真っ当に生きて欲しいんだよ。お前にはたっぷり時間もある。だから……何とか、変われるように努力してみたらどうだ? 俺も協力してやる。俺に出来ることならなんだってしてやる。だから……」

ジャラリと鎖の動く音がしたかと思うと、俺の身体はリジーの腕に抱かれ、唇はまたもや彼女に奪われていた。声も出ない程の驚愕であり、差し入れられたその舌は先程のそれとは違う。遠慮無しに、卑猥に動いてくる。コンクリートの壁と床、何も置かれていない空間に舌の絡まり合う音が響いている。
 もはや俺には何も出来ない。俺はジグザグマ、彼女はブースターなのだ。ジグザグマの平均身長は40センチ、俺はそれを少々超して42,1センチだが、ブースターの平均身長は90センチ。小柄な彼女は身体検査の時に79,4センチであると書かれていた。身長だけで大体37センチも違うのだ。体重も無論体格差から彼女が重く、いくらトレーニングをしてきたとは言え、こうもがっちり押さえつけられていると全くという訳ではないが抵抗出来ないのだ。

「んふぅ……」
「はぁ……り、リジー……一体……」

その先の言葉は言えなかった。彼女の首から胸の辺りまでを覆っているふわふわした毛の中に俺の頭が押し込まれてしまったからだ。息が苦しい。それほどに密度が高い毛である。

「私……これで最後にしたいの……」
「……な、何……を……?」

言葉を発することすら困難なのだ。無論、言葉を発するのが難しいのであれば呼吸するのだって難しい。例えるならば軟らかい枕に顔を突っ込んでいる状態である。そんな毛に埋まる俺の顔は更に彼女が抱きしめたことによって奥までめり込む。……毛の柔らかさではない、彼女の肉体の柔らかさまで感じられてしまう。

「……私を……犯して……」
「っ!?」

予想だにしない、まさにそれである。酸素が行き渡らずにボーッとし始めた脳でもそれがどういう行動を指しているのかは容易に理解出来た。だからこそパニックに陥ってしまうのだ。だがパニックに陥ることこそ一番の愚行であると職業柄良く理解していた。パニックになれば冷静な判断と行動が下せなくなって悪い方へ転がっていくしかないのだ。だが、冷静になろうとしても呼吸のままならないこの状態では不可能である。

 「デイブ……あなたなら……あなたなら私を……」
「リジー……やめ……ろ……」

何とか言葉を紡ぎ出し、窒息しそうな中で彼女の体毛の隙間からわずかに酸素を吸う。彼女がシャワーを浴びた後だったならば、俺の理性というものは壊れていたかもしれない。少し汚れたほこりっぽいにおいの中に彼女のにおいがして、嗅覚の鋭い鼻がヒクヒクと動く。身体は正直なもので、欲情しているのである。だが俺は理性をまだ保てている。だから全力で……彼女の腹部を殴りつけた。

「ぅぐっ!」
「っぷはっ! はぁ……はぁ……」

全身が酸素を求めている。あと数秒は話すことは出来ない。だから腹を押さえてまた泣きそうな顔で俺を見ているリジーに何か言うにはあと数秒の時間がいるのだ。その数秒が、命取りだった。

「ゴメン……デイブ、ゴメンね……。私……私……」

すすり泣きながら俺に謝罪する彼女。声をかけようとしても、彼女の瞳からこぼれていく涙がそれを押しとどめてしまう。何度も声をかけようとするが、彼女がすすり上げるそれにかき消されて、悔しいけれど、それにすごく情けないけれど、その場を俺はあとにした。資料はあとで看守に取りに行かせればいい……。
 


第四幕 


 
 「…………」

仏頂面で、自分の手首をじっと見つめているのはブラッキーのジムである。自分の手首から先は既に存在しない。存在しないからこそまた存在を感じたくてじっと手首を見つめているのだ。

「……ジミー、そう悪く考えることはない。利き手じゃなかったんだし……」

俺は彼に慰めの言葉をかける。そんな慰めはむしろ心に空いた傷に触れてしまうことになるのはよく分かっていたが、彼に話しかけないとほぼ無音のこの病室に居たたまれない気持ちになってしまうのだ。この病室にはジムと俺しかいない。彼にはもはや親類はいないのだ。無口な彼のことを知ろうとして彼の素性を調べた所、彼の過去が少々ながら分かった。彼の両親は、彼がまだ幼い頃に過激派の宗教団体の起こしたテロに巻き込まれて惨殺されている。残されたのは彼と、三つ下の弟だけ。だがその弟も栄養失調から病気にかかり亡くなっている。更に彼は親族から存在を黙殺されていたのだ。彼の親族はすべてエーフィ。ブラッキーや他の種類のポケモンなど一匹もいない。ここから大分北の方に住んでいたネイティブ、彼が無口なのはそこにも理由があった。時々彼が理解不能な言葉を呟いているのを聞いたことがあったが、それは彼の母語だったのだ。

「隊長……」

今までジムの方から話しかけてきたことは一度もなかったので、思わず驚いてしまった。だがそんな驚きはすぐにしまい込む。彼が話しかけてきたと言うことはよほど何か言いたいことがあるのだろう。

「今はプライベートだ。デイブで良い」
「……デイブ……」

俺は「それでなんだ?」と彼の言葉の続きを促した。第二の母語を扱い切れていないのが無口の理由かもしれないが、それ以前に彼は誰かと話すこと自体が苦手らしく、こちらから彼の言葉を促してやらないと全くと言っていい程会話が進まないのだ。

「……ジャックは……?」

そう、消え入りそうな声で俺に聞いてくる。それがどんな意味であるのかはすぐに理解出来た。理解出来たからこそ、彼のとても何かを心配してるようなそんな瞳から思わず目を逸らしそうになってしまうのだ。だが、それは彼の上司として、雄としてためらわれた。

「……上の連中が処分を考えている。隊長命令を無視した独断の行動、それでお前が手を失うことになってしまった。……その後、捕虜にしたあのブースターの口を割らせようと彼女に怪我を負わせている。更には無許可の発砲をしようとまでした。……下手をすれば、除隊させられるかもしれない」
「上に伝えて欲しい」

俺の言葉の最後を遮る程の即答、そしてはっきりとした彼の言葉が彼の伝えて欲しいことの思いの強さを表していた。彼は普通、呟く程度にしか声を出さないのだ。それがはっきりとした口調になれば真剣さもよく伝わってくる。よく伝わってきているからこそ、俺は彼の方に少し身を乗り出した。

「自分が手を失ったの、どんな思いでか」

自分がどういう思いで手を失ったのか。一言で言えば、ジャックの存在が大事だったからだ。ジムにとって、ジャックは実の弟に等しい存在だった。ジムの弟の名前はジョン……ジャックだった。名前が同じ事と同時に、歳まで同じであるという偶然。ジムがジャックに実弟を重ね合わせたのは当然だったのかもしれない。実の弟と同じように、ジムはジャックの世話を焼いてやり、くだらないことで喧嘩したり、時には彼の相談に乗ってやったり、ジャックが仲間を思う以上にジムはジャックのことを気にかけていたのだ。ジムが身を呈してまでジャックを守った理由、それはジャックの存在を失いたくなかったからだ。彼を失ってしまえばジムはまた空っぽになってしまう、ジム自身が一番よく分かっていたのだから。ジムが彼を除隊させたくないのはそれにも通じる。特殊部隊という防壁の無くなってしまった一個人の存在は余りにも脆すぎる。既にジャックも幾つもの命を奪っているのだ。それらに対する報復が起これば、既に隊員でない個人のことになど警察などのほとんど形骸化している機関でしか対処しないのだ。それをジムは恐れている。だが、ジャックはジムやセオドアのことを思うあまりに抵抗出来ない捕虜の一般市民に手を上げ、更には自衛目的ではない発砲の未遂まで犯している。彼は自分の首を絞めてしまっているのだ。ジャックはそれがジムを苦しめる毒になっていることなど全く知らない。……俺が両者の思いをまとめてやらなければならない。彼等を率いる隊長として、そして何より彼等の友人として。

「……ああ、伝えておく」
「……ジャックの才能……無駄にさせない……」

ジャックの才能はジムを上回る。それはジャック以外はみんな知っていることである。だが、彼がこんな事を言ったのは先程の言葉が気恥ずかしかったからだろう。彼のいつもの呟くような語気がこれが本当の理由ではないことをよく表していた。

 「ジムさん、包帯を替えに来ました」

そろそろ面会時間が終わろうかという所で看護婦のシャワーズがやってきた。……ジムの目が急にせわしなく動き始めたのを俺は見逃さなかった。

「あ、お邪魔でしたか?」
「いえ、そろそろ話題も尽きたので引き上げようとしていた所です」

ジムが寝ているベッドの高さに合わせている椅子から飛び降り、俺は何気なく窓の外を見た。薄く雲の張った空からゆったりとした陽光が差している。ひなたぼっこをするにはちょうど良いくらいだろう。……ピントを本題に合わせると、やはりジムが恨めしそうな顔をして俺を見ているのが見えた。

「じゃあ、また暇が出来たらお見舞いに来る」
「……ああ……」

シャワーズ……名札にはミランダと書いてあったのでこれからはそう呼ぶことにする。ミランダはジムが俺に返事を返したことに少々驚いていたようだった。これまで雌に無頓着だった彼が二人きりであれば気恥ずかしくて何か言おうとしても声が出せないのだろうと言うことぐらい容易に想像が付く。だからこそ俺はジムをミランダと二人きりにしてやっているのだ。人の事情に首を突っ込む趣味はないが、機会があるのなら是非とも協力させてもらいたい。俺はそんな性格である。ジムの手の包帯を替え始めたミランダを確認してから俺はジムに『口説いて見せろ』と口の動きだけで伝えた。返ってきたのは『黙れ』と言うものだったので、思わず吹き出しそうになりながら俺は病室をあとにした。
 
 
 「……セオドア……」

ジムの病室をあとにした俺はセオドアのいる集中治療室(ICU)を見ていた。身体のあちこちに医療機器に繋がれている管が付けられていて、セオドア自体は全く動きもしない。窓越しに様子を見ることしかできない自分が情けなかった。

「……あなたが……主人の上司ですね?」

振り向くと、そこにはレントラーがいた。彼女が誰であるかなどはすぐに分かった。セオドアにしつこく「綺麗な雌だろ?」と自慢されていたのだ。彼女はセオドアの妻のエミーだ。娘のシエラは見あたらないので、どこかで預かってもらっているのだろう。

「はい、私がエドワードの上官、デイビッド・ジョーンズです」

俺は彼女に会釈した。彼女も会釈を返したが、心ここにあらずと言った様子だ。

「……彼の調子はどうですか?」
「エドワードは相変わらずです……。昏睡状態で、私が呼びかけても反応すらしてくれません」

窓の向こうを見る彼女の瞳は悲愴に満ちていた。だが逃げてはならない。逃げることこそ彼にとって、彼の家族にとって一番の不義なのだ。

「私が……周囲に気を配っていれば、彼はこんな事には……」
「隊長さん」

俺の言葉を遮る彼女の目には、見たことのない色が宿っていた。怒りではない。哀れみでもない。もっと複雑で、どんよりとした色。それがなんであるのかは分からない。

「……エドワードは……私の夫は、もしもこんな事になってしまった時、隊長さんを責めないでくれと言っていました」
「え?」
「その時は全部自分の責任だから、隊長にこれ以上重荷を掛けないでくれと、夫は常日頃私にそう言っていました」

……予想だにしないことが最近多すぎるのではないだろうか。自分の愛妻の話しかしないセオドアが俺のことをそんな風に思っていただなんて。俺の隊に配属された当時から、彼は俺のことを今と同じように友達として接していた。そんな風だから自分の妻の話しかしない、そう思っていたのに。

「外では彼、私や娘の話しかしてないと思いますけど、家ではずっとあなたのことを話してるんですよ。今日の隊長は機嫌がよかったとか、隊長とこんな話をしたとか。その時の夫が一番生き生きして見えました」
「…………」

思わず歯を食いしばり俯いてしまう。セオドアが……そんなに自分を気にかけてくれていたとは知らなかった。チームの中で最年長の彼が一番みんなのことを見ていないと思っていたが、それは違ったらしい。彼は彼なりにみんなに気を配っていたのだ。

「隊長さん、あなたはまだ若いんですから、何もかも背負い込むことはないんですよ。辛くなったら私のことだって頼ってくれて良いんです」
「しかし、エマさん……」
「“さん”は要りませんよ。エミーで良いです」

優しく頬笑んでいる彼女は、俺にどんな気持ちを抱いているのだろうか。怒り? 恐怖? それとも哀れみ? 彼女の思っていることを見透かすことは出来ない。しかし、彼女は頼ってくれて良いと言ってくれたのだ。頼れるのは自分だけだった昔からすれば、今の言葉が歓喜する程に嬉しい。でもそれはためらわれた。彼女の夫の上司だからではない。彼女が年上だからでもない。彼女が優しすぎるからだ。全く怒りのない瞳が俺を見据えているのだ。それが俺にとって、逆に恐怖だった。責任は俺にもあるはずなのだ。だがセオドアは全て自分の責任だと彼女に言ってあり、彼女もその通りだと信じている。裏切られるなどと言うことはない。そんなことよりも一番恐怖なのは優しさ。それなのだ。

 「……失礼します……」
「隊長さん、夫を信じていて下さい」
「……言われるまでもありません……」

俺は病院をあとにした。様々な恐怖が入り交じった施設から一刻も早く抜け出したかったから。

 


第五幕 


 
 リジーが俺を襲い、ジムとセオドアのお見舞いへ行ったあの日から数日が経った。セオドアの意識は未だ戻らず、ジムの傷もまだ治るめどが立たない。そしてリジーはあの日からどんどん痩せていっていた。

「……リジー……どうして、何も食べない?」
「…………」

気まずいなどとは言っていられないので翌日も彼女の所に足を運び、彼女から情報を聞き出すことをしていた俺。だが、一日にして彼女がやつれている様子が分かってしまう程に彼女の様子は変わっていた。顔色が悪く、毛の艶も失せ、何をするにも気怠そうにしている。何より、俺が会いに行っても何一つしゃべらなくなってしまったのだ。昨日は試しにカーラに尋問を頼んだが、相変わらずの様子だったそうだ。だから今日は尋問でもなんでもなく、ただ彼女のことが心配だから面会をしているのだ。

「随分顔色が悪いぞ? 毛の艶も悪くなってる」
「…………」

彼女は無言で、ただ俺と目を合わせないようにしていた。目の下にできているくまが更に目立ってしまっている。

「……どうしたんだ? 俺が……いけなかったのか?」

彼女がこんな風になった当日から言おうとは思っていたことである。だがこれを聞くのがとてつもなくためらわれたのだ。この事を聞いてしまって同じようなことになってしまえば、もう収拾がつかなくなってしまう。だが、彼女は俯いたまま答えなかった。

 「頼むよリジー……答えてくれ。俺は……お前が心配なんだ」

その言葉に反応するように、彼女の耳が動いた。そして彼女はようやく俺と視線を合わせてきた。その目はどこか虚ろで、曇っているように見える。

「……あなたが……」

彼女はそう言ったあとに、突然嘔吐した。当然何も食べていないのだから出るのは胃液だけだ。俺は彼女に駆け寄り、背中をさすってやった。

「大丈夫かリジー?」
「……そんな訳無い……」

彼女が口を聞いてくれるだけで、嬉しいというか、何だかよく分からない感情で俺の中が溢れるのだ。だからどんな言葉であっても彼女が俺に話しかけてくれたというのが重要なのだ。

「どうして食事をとらない?」

俺は同じ質問をした。彼女がしゃべってくれたのならきちんと答えてくれると期待して。

「……あなたは多分、分かってくれない……」
「どうしてそう思うんだ」
「……あなたには分からない……」

彼女はそんな調子だ。俺が何を聞いてもろくな答えが返ってこない。イライラが溜まる。大体収まってきた胸部の痛みもまた再来してきそうなのだ。

 「……この前の、あの事を言っているのか?」

俺にだって思う節がなかった訳ではない。だがその答えが自分にとってどんな者になるのかさっぱり分からないがために言いたくなかったのだ。

「……そう」
「……教えてくれ、あの時何を言おうとしていたのか」

彼女は少し沈黙し、大儀そうに口を開いた。

「……あなたなら私を変えてくれる。そう思ったの」

俺は首を傾げてしまった。

「俺はお前を変えてやる手伝いくらいならしてやれるが、俺がお前を変えることなんて出来ない」
「いいえ、出来るの」

更に首を傾げてしまう。彼女の言いたいことが一体何なのか分からないのだ。彼女を変えるきっかけを俺が作ってやれたとしても、結局は彼女が動かなければ変わることなど出来ないのだ。他人を変えてやることなど、銃を持たずに敵地に赴き任務を遂行する程に難しい。

「どういう事だ一体?」

聞くしかない。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥である。すると彼女は呆れたと言わんばかりに深くため息を吐いた。それにまた首を傾げると彼女が俺から少し顔を背けて呟いた。

「……あなたが好き」

それを耳が聞き取って脳に伝わったあと、それを理解するのに数秒の時間を有した。その間俺はボーッと彼女の少し赤らんだ頬を眺めていた。そして、脳が彼女の呟いたことの意味を理解した途端に、俺は思わず声を出してしまった。

「なんだって!?」

驚きのあまり声が裏返ってしまった。それほどに驚愕したのだ。彼女は捕虜であり、俺は彼女を捕まえた張本人なのだ。確かに彼女とは大分うち解けて世間話をする程の仲にはなっていたが、まさか彼女が自分に対してそこまでの好意を持っていたとは夢にも思わなかった。だからこそ、俺はその好意のことを安易に信じることが出来ないのだ。

 「待て、それは……ストックホルム症候群じゃないか?」
「?」
「こんな閉鎖的な空間にいて、会いに来るのは俺くらい。俺が来なければ自分は他の連中にどんな扱いを受けるか分からない。だから俺に対して異常なまでの好意を……」
「違う!」

彼女は大声を張り上げていた。食事を摂らずに弱った体でよくもと思う程の怒号である。

「私は……そんな意味の分からない精神病みたいなものじゃなくて真剣にあなたが好きなの」

そんなことを言われて動揺しない雄がどこにいるだろうか。彼女は今はやつれているが、元通りになれば可愛らしい顔をしていて、今までの職業を除けば非の打ち所の無いような雌なのだ。彼女の瞳は先程までの曇りなど見あたらず、しっかりと光の宿った視線を俺に向けている。そしてその言葉にも偽りの欠片も見あたらないのだ。

「…………」
「デイブ……急にこんな事言って困惑してるのは分かってるけど……私、今すぐあなたの答えを聞きたいの」

一体俺にどうしろと言うのだろう。彼女を受け入れるか否か。それだけのことではあるが、俺と彼女の運命を少なからず変えてしまうのだ。イエスと答えれば、彼女は歓喜してこちらの調査にも進んで協力してくれるかもしれないが、俺には未だ彼女のことを好きと言える程に好意を持っていない。ノート答えれば、彼女の現状を更に悪化させてしまうかもしれない。……それは困る。彼女から情報を得なければいけない俺の立場からしても、一個人としても。

「……正直に言って良いか?」
「……うん」

深呼吸し、頭をすっきりさせてから俺は彼女に返答した。

「……正直、お前と恋人同士の関係になれと言われたら素直にそうは出来ない。だがお前のことは好きだ。友達として、一匹の雌として」

彼女はどう反応するのだろう。それが一番怖い。だが今更何を後悔しても遅いのだ。

 「……わかった。ありがとうデイブ……」

彼女は小さく頬笑んだ。表情は笑っているが、目がどことなく晴れていない気がする。

「これで良いのか? リジー、お前が俺をそんな風に思ってるだなんて知らなかったから正直動揺したが、お前が真っ当に生きてくれるならお前ときちんと恋人になれる程に好きになれる。わかるか?」
「ええ」

彼女の笑みはやはり可愛らしいのだ。どんな状態であっても。どんなことを言われた後でも。

「ちゃんと食事も摂るようにするし、情報も提供する。だから……嫌いにはならないで?」
「……なる訳無いだろ」

俺は背伸びして彼女の頬にキスをした。

「協力するから、頑張れよ」
「……ええ、もちろん」

本当にそうしてもらいたいものだ。彼女と恋人というのもそれなりに悪くはない気がする。しかし今は仕事中なのでその考えはしまっておかなければ。早くこの事件を終わらせて、彼女を自由にしてやりたい。その為にはやはり彼女の協力が必要だし、俺ももっと頑張らなければ。

 この先、俺は幸福だったのだろうか? それとも……悲愴にまみれていたのだろうか?


あとがき

最近長期休学と言うことで既に昼夜が逆転してしまっているDIRIです。
昼に起きてゲームしてちょっと勉強して小説という流れで生活していますがどうも寝不足です。
えむないんはちょっとこれから先が本題になっていきます。任務のことが本題なんですが、今は基盤を固めている所です。
今回の官能表現、やはり微妙ですね。ちょっとだけでした。デイブは欲に溺れない理性を持っているので色々と大変です(苦笑
彼の過去もちょくちょく語っていきたいと思いますので、期待せずにまったり続きを待っていて頂きたいです。


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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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