―Y宅―
ずぼら飯という料理がある。
これは料理ですと宣おうものならプロのシェフは漏れなく「料理を舐めているのですか」等と青筋を立てながら静かなる怒りを言葉に乗せるのだろう。
トレーナーも兼任しているのであれば相棒を代弁者として決闘を申し入れるかもしれない。
そんな物語には関わりたくないのでこれは私の心にだけ打ち明ける一つの真理である。
ずぼら飯は料理である。
誰がなんと言おうと料理である。
料理とは時間との闘いだ。
如何にして無駄を省き、献立のレパートリーを増やし、味の配分を整え、冷めることなく全ての調和を取り持たせられるか、挙げれば挙げるほど枚挙に暇がない。
そういう猥雑な思考を切り捨て、シンプルに特化したものがこのずぼら飯なのである。
その味わいは一期一会。
究極の手抜きにしか成し得ない妥協の味は下手をすれば麻薬の如き中毒性をも孕んでいる。
故にこれも一つの料理であると私は声高々に物申したい。
物申さないけれど。
これはあくまで私に対する言い訳に過ぎず、世に知ろしめたい主張でもない。
後ろめたさは置いていけ。
そういう自分も愛していく。
それがずぼら飯との向き合い方だ。
朝から惰眠を貪り、お昼前に差し掛かる辺りで寝癖もそこそこに、空腹を満たそうと冷蔵庫や炊飯器の残り具合等を品定めしていく。
丼の中に冷飯をよそい、昨晩の残り物をinしてチン。
女子力など置いていけ。
女子の全てが女子をしている等と思うな。
肯定の相槌を打つレンジを撫でながら本日のメインディッシュの出来具合を確かめる。
もう、匂いだけで舌鼓を打つ。
空腹の前にはどんな出来であれ食えれば良しというシンプルさだけが正義なのだ。
テレビを点け、丼の中をかき混ぜながらテーブルの前に座る。
「いただきます」を言う頃には既に一口頬張っているのだが、細かいことは気にしない。
ニュース、主婦の知恵袋、昼ドラ、通信販売、料理番組、政治絡みのディスカッション。
あまり目新しい物もないのでチャンネルを一周した辺りでテレビを消す。
丼の中はまだ半分以上残っている。
黙々と食べ進めていると食べ物の匂いに釣られてきたのか、テーブルの横で可愛らしい兎が前のめりにこちらの様子を伺ってくる。
最初は丼、次に私の顔、また丼。
露骨だなお前。
「エースバーンもご飯食べたいの?」
聞くまでもないだろうけれど意思疏通は大事である。
全力で頷く兎の笑顔が今の私には眩しい。
「分かった分かった、今作るからちょっと待ってなさい」
まだ食べ残しがあるけれど胃袋がやや悲鳴を上げ始めていたので箸休めに軽く運動するのも丁度良い。
キッチンに向かう途中で何かを思い出した様に後ろを振り向く。
「……言っとくけど私の分食うなよ?」
案の定手を伸ばしかけた兎を牽制し、やたらともちもちしている二の腕を掴んで対面側に座らせる。
二、三度と注意した所で頭を撫で、我が子を信じてその場を離れる。
さて、やりましょうか。
冷蔵庫から卵を、肉とネギ代わりに適当な木の実をそれぞれ2つ。
アクセントとしてマトマの実の尖端を少々。
溶いた卵に刻んだ木の実を絡め、丁度一人分残っていた冷飯を放り込んだら全体へくぐらせる。
馴染むまでの間、フライパンを熱し、次の調理過程に必要な器具を取り出しておく。
油を引き、フライパンの調子が整った所でいざ勝負。
油ハネも恐れない強引な冷飯の投下。
触れた箇所から即座に飛び散る食材の香りや焼き揚がる音が目まぐるしく伴奏する。
そんな変化を楽しむのもいいが、生憎とこれは悠長に待っていられる暇はない。
取手を力強く握り、持てる限りの全力を以てフライパンを振り回す。
宙を舞う飯の塊は回数をこなすにつれて空中で分解し、数十回程で独特の味わいを纏う焼き飯に変換された。
最後に盛り付ける為の大きめなお玉が欲しいのだが、一般家庭にそんなものを常備している家は稀だろう。
よって別の方法で代用する必要がある。
と言ってもそんなに難しいことではない。
一旦深めの丼に炒飯をよそい、その後で大皿に丼をひっくり返して盛るだけで完成する。
洗い物が増えるのがネックだがまぁ許容範囲内だ。
引き出しから専用スプーンを取り出し、お待ちかねの兎の下へ配膳タイム。
まだかなまだかなと全身を揺らしながら目前の誘惑に堪え忍んでいたのであろう様相が遠目からでも確認できる。
机上に残された私の膳はちゃんと手付かずの状態で保たれていた。
偉いぞ我が子よ。
「はーい、出来上がったよー。ほら、お手を拝借だ。お手」
言うが早いか差し出した掌へ丸々としたお手々が飛び乗ってくる。
専用スプーンもといお子様にも優しいスプーンを兎の掌に握らせ、持ち具合を確認してから大皿を置く。
跳び跳ねるような笑顔を見せてくれるものの直ぐに真顔に戻るや、解せない表情でこちらの顔を伺ってきた。
「どうした? 遠慮せずに食べていいよ?」
大皿、顔、大皿、顔。
終いには悲痛な鳴き声を上げ始め、よくよく観察してみると時折視線が私の膳に流れているのが分かる。
「あー……もしかして、こっちが、食べたかった?」
意図を察してくれたのが嬉しかったのだろう。
先程の萎れ花は何処へやら。
「えー……いやいや、こっちのが絶対に美味しいよ? 愛情たっぷりだよ?」
抗議の声。頑固だなお前。誰に似たの。
……私か。
飼い主に似るなら好みもまぁ似るのだろうか。
だからと言ってずぼら飯まで好まなくてもいいだろうに。
愛情込めて作った料理よりずぼら飯が良いとかお母ちゃん泣いちゃうでしょうが。
複雑な面持ちで嘆息しつつ、可愛い我が子の我が儘をそっと胸の内に抱き締めてやろうと自分の膳に手を伸ばす。
先程作った炒飯を崩しては掬い、丼の中のスペースへと詰め替えていく。
削れていく山場を眺めているとまるで土木作業員にでもなった気分である。
大皿を引き、代わりに丼を置くと眩しい太陽が戻ってきた。
「……まぁ、たまには凝った料理を食べるのも良いか」
無我夢中で飯を食べ散らかす兎を横目に残った大皿の膳に手をつける。
空回りした愛情はほんのりと辛い味がした。
後書
どんな形であれ食べたいと思ったそれが最強のご飯。
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